ご案内は平泉町内全域 自刃した ◉ 2時間まで ………… 3,500円 ◉ 超過1時間に付き …… 1,000円加算 三十一才 頼朝の圧力に屈した四代泰衡に攻められ、 二十九才 再び平泉に落ち延びる 十 六 才 鞍馬寺より三代秀衡を頼り落ち延びてきた 二十二才 兄頼朝の挙兵に参じ平家を滅亡に追い込む 母 常盤御前 無料でコーヒーなども提供しておりますので、 父 源義朝の九男 平泉に関する人物の紹介をしています。 ❖ にかげり落ちて、ひとしお物寂しい。 ﹂ 鎌倉になびいた歴史の浮き沈みのはかなさ。夕日の影は古塔のあたり て、ただ義経主従の繰立てのみが悲しくよみがえる。草木狐兎までが 無量光院跡となりの「街なか案内所」では、 義経のおいたち 時のうつるまで 泪を落としはべりぬ﹄ と往時を偲んだ。 ﹃笠打敷て 江戸時代、松尾芭蕉はこの地に佇って 地元民は判官館と呼んでいる。 義経最期の地とされる高館を 若い義経はここで六年間過ごした。 平泉は平安時代に栄えたみちのくの都で、 悲しい間柄。そして、いま三代百年の豊土山川がいたずらに荒れはて の間である。判官館や衣川のたたずまい、義経と頼朝、平泉と鎌倉の ﹁小舟を仕立てて北上川を溯った。藤原全盛からの六百年は一睡の夢 頼 三樹三郎 ︵頼山陽の第三子︶ 古都ひらいずみガイドの会 平泉における義経 悲劇の英雄 す。平泉へお立ち寄りの際はぜひ、ご利用ください。 ぜひお立ち寄りください。 平成25年 緊急雇用創出事業 江戸時代の俳人 源義経 平均年齢70 歳の地元有志が皆様をご案内いたしま 芭蕉 平泉ゆかりの人 情報発信事業 平安時代の歌人 ﹁平泉落日﹂の詩 料金 西行 風土に魅せられるからではないでしょうか 自然、風土を中心にガイドすることをモットーに、 奥の細道の行脚で平泉を訪れた ※当日のガイド手配はできませんのでご了承ください 藤原氏全盛期に二度平泉を訪れた 奥州藤原氏、頼朝と義経の歴史を舞台にかたちづくった 平泉を訪れる旅人を温かく迎え、平泉の歴史、文化、 義経最期の地 高館を訪れ ﹃夏草や兵どもが夢の跡﹄を 受付は午前9時から午後4時まで 東大寺大仏殿再建の資金勧進にも訪れている 北上川の大河、歌枕と古戦場の衣川、 平成15年8月 設立 中尊寺金色堂では TEL.0191-46-5710 当時束稲山の一万本の桜を詠んだ それは東の束稲の山並み、須川の秀峰、 概要 ﹃五月雨の降残してや光堂﹄と詠んだ 事前の予約制になりますので、まずはご連絡ください ﹃ききもせず たばしね山の桜花 吉野の外にかゝるべしとは﹄ 多くの文人・墨客が訪れている。 西行 平泉には平安時代より今日に至るまで 芭蕉 はじめに 義経 平泉ゆかりの人物 古都ひらいずみガイドの会について 北上川 芭蕉が歩いたと される道 高館からの眺め 高館 パス バイ 平泉 柳之御所資料館 柳之御所遺跡 無量光院跡 平泉文化遺産 センター 金鶏山 平泉駅 平泉町役場 観自在王院跡 ※当日受付は承っておりませんのでご 了承ください 芭蕉が平泉の町をどのよ うに歩いたか、同行した曾 コース 無量光院跡 金鶏山 柳之御所遺跡 松 尾芭蕉が歩いたとされる道 順をたどって、平泉をご案内い たします。 北 宮沢賢治詩碑[中尊寺] 道 車 動 自 北 東 毛越 【菅江真澄】 【加藤楸邨】俳人 じゅう 中尊寺 がい りょく 宮 沢 賢 治 こ たう 七重の舎利の小塔に 蓋なすや緑の燐光 大盗は銀のかたびら しゃ おろがむとまづ膝だてば は 赭のまなこたゞつぶらにて た ふ もろの肱映えかゞやけり らい き 手触れ得ね舎利の宝塔 大盗は礼して没ゆる 「寒蕾」主宰 『邯鄲やみちのおくなる一晩歌』 【宮沢賢治】 ❖ 昭和二十九年「平泉史跡調査会」を つ く り、 毛 越 寺・ 中 尊 寺 を 発 掘 調 査し整備・研究に努めた 【藤島亥治郎】建築史家 昭 和 二 十 五 年 ま で 平 泉 に 疎 開 し、 歴史学研究会会長を務めた 平泉小学校校歌を作詞した 【瀬戸内晴美】作家 (法名「寂聴」) 【土岐善麿】歌人、国語学者 東 光 の 貫 首 当 時 昭 和 四 十 五 年、 中 能「秀衡」を詞章、西行歌碑の揮毫 尊寺で出家、得度した 「春聴」の一字をとって「寂聴」と法 名した 岩手県花巻市生まれ 「中尊寺」を詠んだ 【津田左右吉】日本文学者 江 戸 時 代 後 期 に 平 泉 を 訪 れ、 紀 行 (法名「今春聴」) 鏡山 「かすむ駒形」を記した。 昭和四十一年五月中尊寺の貫首に 任 じ ら れ、 国 宝 金 色 堂 の 昭 和 大 修 理に努めた 【今東光】作家 大佛次郎、ドナルド・キーン等多くの人々が訪れている 吉川英治、斉藤茂吉、加藤楸邨、山下清、棟方志功、 菅江真澄、頼三樹三郎、宮沢賢治、高浜虚子、北原白秋、 中尊寺PA 平泉を訪れた人々 太 田 川 国道4号 本線 東北 JR 0 堰 照井 駅→⑫ 徒歩 30 分 良旅日記によって大筋のと 参加料金 5,500円 毛越寺 ■ ころは判明できる。 無量光院跡 (十時) 一関の宿を巳の剋 衣川 に発って、 申の上剋(四時) ▼ には帰っている。 中尊寺 平泉の滞在時間はおおむ ね四時間である。 ウォーキングトレイル ▼ 本堂 高館 この間、高館、衣川、衣 が関、中尊寺、光堂をめぐ ▼ り、最後に無量光院跡に立 中尊寺 平泉駅前 ▼ 柳之御所遺跡 ち寄っている。 所要時間 約4時間 つまり往路は北上川の川 湊、柳之御所跡から高館へ 金色堂 ■ 猫間が淵(現在は田園)と ※徒歩でのご案内です スタート マップ いわれた里道を通り、高館 ミニ行脚 おくのほそみち から中尊寺へ行ったと想定 される。 おくのほそみち 松尾芭蕉 観自在王院跡
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