子どもの貧困問題の概要と課題 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

天理大学人権問題研究室紀要 第 号: ― ,
子どもの貧困問題の概要と課題
―狩猟採集社会から「豊かな社会」を考える―
服部志帆
Brief Summary and Agenda of Child Poverty :
Findings from My Study of Hunter−gatherers
HATTORI Shiho
れは,
はじめに
ると,
このテーマに関心を持ったきっかけは個人
的なものである。
年,奈良県のとあるス
∼
年が
だったことを考え
倍をこえるヒット数になる。この時
期から,貧困問題への関心が高まったのだろ
う。各新聞は特集を組むようになった。テレ
ーパーマーケットで買い物をしていた時,千
ビでも NHK が
円札を握りしめてお弁当を買う幼い兄弟を見
セーフティネット・クライシス」で,
かけた。小学
年に「NHK スペシャル
年
年生くらいの姉に
歳くらい
に「福祉ネットワーク
の弟が寄り添っていた。時刻は夜
時をまわ
ネット」で子どもの貧困を取り上げるように
っており,子どもが出歩く時刻ではない。親
子どものセーフティ
なった(子どもの貧困白書委員会
:
)
。
は何をしているのだろうか。夕飯はお弁当な
年に入ってからは子どもの貧困問題に
のか。こんな時間に夕飯とは遅すぎないか。
関するルポルタージュが増えており(赤旗社
さまざまな疑問が頭をよぎった。その後二人
会部「子どもと貧困」取材班
,
新井
はスーパーマーケットをあとにし夜道へと消
,
下野新聞子どもの希望取材班
えて行ったが,幼い兄弟の姿は私の脳裏に刻
,
保坂・池谷
,
樋田
;
,
中塚
な ど)
,漫 画
み込まれた。このことがきっかけで私は,子
で貧困問題をとりあげたものも出ている(さ
どもの貧困に関心を持つようになった。
いとう
年)
。このようなルポルタージュ
年以降,マスコミで「子どもの貧困」
では,借金の債務者から逃れるために車で全
は取り上げられることが増えつつある。これ
国を移動しながら父親と暮らす子ども(新井
はこの時期に社会福祉の研究者が子どもの貧
: ―
)
,食べるものが無くて公園の
困問題を提起する本をあいついで出版したた
草を食べたりコンビニの廃棄弁当をもらって
めであ る(浅 井 ほ か 編
命をつなぐ少年(新井
)
。青木(
:
,
阿部
,
山野
)が国立国会図書館
:
―
)
,家に
帰れず駅のトイレで寝泊まりする少女(保坂・
,健康保険証がなかったり
: ― )
の検索システム(NDL-OPAC)で「貧困」
池谷
というキーワードを検索すると,
通学定期が買えなかったりする子どもたち
年に
∼
の雑誌記事がヒットしたという。こ
(保坂・池谷
: ― )の姿が描かれて
はっとり・しほ(天理大学国際学部)
17
子どもの貧困問題の概要と課題
いる。また支援活動の内容や子どもたちの体
者だけではない。日本弁護士連合会(
験談などを紹介したブックレットを出版して
は,子どもの貧困状況と要因を多面的に検討
いる NPO もある(山科醍醐こどものひろば
している。イギリス・フィンランド・ドイツ
)
。児童養護施設や子どもの虐待などに
での比較調査を行い,これらに基づいた提言
フォーカスしたものなども加えると,相当の
を行っている。大阪弁護士会(
数の出版物が出回っていることになる。
くそう!
ルポルタージュや NPO の活動録に限らず,
子どもの貧困に関する専門書も
,
埋橋ほか編
a;
)や「な
子どもの貧困」全国ネットワーク
)は,主催した講座や国際シンポジウ
年以降出
ムの講演録を出版し,市民の意識の喚起をお
,
原ほ
こなっている。また学校教育において貧困が
版が活発化している(浅井ほか編
か編
(
)
b,鳫
子どもたちにどのような影響を与えているの
など)
。これらの書物は多様な論文から構成
か,現場の職員やソーシャルワーカーの報告
されており,貧困の概念の歴史的発展,諸外
をまとめたものもある(藤本・制度研編
国との比較,母子世帯や生活保護と貧困の関
大田
係,教育機会の不平等,児童養護施設や児童
動家,教育現場の職員,ソーシャルワーカー,
相談所の問題,児童労働など多角的な視点か
ジャーナリストから,子どもの貧困問題に対
ら子どもの貧困が扱われている。また学術雑
する関心を喚起しようという積極的な働きか
誌では,「貧困研究」の
けがみられるが,日本社会におけるこの問題
号(貧困研究会編
)や 号(貧困研究会編
)
,「世界の
)
。このように研究者,弁護士,活
に対する認識は低いのが現状である。
児童と母性」の 号(世界の児童と母性の編
集委員会編
,
日本人は子どもの貧困についてどのように
)において特集が組まれるな
認識しているのだろうか。このテーマを直接
ど,子どもの貧困が活発に議論されている。
的に扱ったものは見当たらなかったが,貧困
専門家を対象にしたものだけでなく一般の読
観を扱ったものに青木(
者も視野に入れた書籍の出版も盛んである。
(
阿部(
の研究を参考にしながら日本人の貧困観と,
井(
;
)
,山野(
;
)
,浅
)は,日本の貧困の特徴や学力格差,
)や橘木・浦川
)の研究がある。本論ではまずこれら
社会福祉の分野で発展してきた貧困の定義を
子どもの身体・精神への影響,政策の問題点
対比的に描く。次に,貧困研究の進展から影
などをまとめた書籍を出している。生活保護
響を受けてスタートした我が国における子ど
や社会的養護という観点から子どもの貧困を
もの貧困政策や子供の貧困状況について先行
池上編
,
研究をまとめる。そして最後に,著者が 年
)
。また研究者が中心となって,「子ども
間にわたり研究対象としてきた狩猟採集社会
扱った一般書も出ている(大山
の貧困白書(子どもの貧困白書編集委員会
)
」が出版されている。震災後は,「大震
災と子どもの貧困白書(「なくそう!
もの貧困」全国ネットワーク
子ど
)
」が出版
され,震災と関連した子どもの貧困問題が提
起されている。
子どもの貧困問題を議論しているのは研究
18
の例を挙げて子どもの貧困問題を論じたい。
第
章
.
日本人の貧困観とその限界
日本人の貧困観
∼
と浦川(
年にかけて青木(
)と橘木
)が行ったアンケート調査の結
果にもとづいて,一般の人々がどのような貧
服部
( )
困観をもっているのかみたい。青木によるア
については「隣近所とよい関係にない」が大
ンケートの回答対象となった大学生は社会福
学生 .%,連合労働組合員(公務員 .%
祉関係の授業の受講生(
民間企業職員 .%)
,「社会あるいは地域と
大学の学生。合計
数は不明)と北海道M町民(合計
名)で
ほとんどつながりがない」が大学生 .%,
ある。青木は北海道の連合労働組合組織の公
連合労働組合員(公務員 .%民間企業職員
務員と民間企業職員に対しても行っている
.%)となっている。水道・電気・ガス,
(男女
名)
。橘木と浦川のアンケートの回
医療へのアクセスの有無が貧困を決定づけて
答対象となった大学生は経済学部の授業の受
おり,教育や社会関係は貧困と強い関係があ
講生である(女性 名,男性
名)
。橘木と
るとはとらえていないようである。高校卒業
浦川はこれとは別にインターネットでさまざ
については,貧困でいけない子どもがいると
まな世代に調査を行っている(男女
いう認識がなく,読み書きの不自由について
名)
。
「貧困」という言葉を聞いて,「テレビや
も貧困が要因となっているという認識が限ら
新聞等で知る途上国や戦災国の生活」を思い
れているようであった。生命・身体の維持に
浮かべたのは,大学生 .%,連合労働組合
必要なものが欠けた状態を貧困ととらえてい
員(公務員・民間企業職員) .%であり,
ることがわかる。
最も多くなっていた(青木
:
)
。次に
では貧困の要因はどのように考えられてい
多いのが,「戦前や敗戦直後に見られた日本
るのだろうか(青木
の生活」であり,大学生 .%,連合労働組
を示したのが,「解雇や長期失業による」と
合員 %であった。さらに,「ホームレスの
いうもので,大学生 .%,連合労働組合員
人びとの生活」が大学生 .%,連合労働組
0%,民間企業職員 .%)であ
(公務員 .
合員 %,「生活保護世帯の生活」が大学生
った。「地域の産業の衰退による」は大学生
.%,連合労働組合員 .%となっている。
:
)
。最も高い値
.%,連合労働組合員(公務員 .%民間
このような結果から,貧困を海外や過去のも
企業職員 .%)
,「社会福祉予算などが少な
のととらえている人が多いことがわかる。
いことによる」は大学生 .%,連合労働組
次に「現代社会で貧困はいかなる状態をい
合員(公務員 .%民間企業職員 .%)
,
「社
うのか」という問いに対して,「医療機関に
会の助け合いの意識の不足による」は大学生
必要な時にかかれない」が大学生 .%,連
.%,連合労働組合員(公務員 %民間企
合労働組合員(公務員 .%民間企業職員
業職員 .%)であった。雇用の不安定が最
.%)
,「水道や電気およびガスがない」が
大の要因と考えており,社会福祉予算や社会
大学生 .%,連合労働組合員(公務員 .%
扶助の意識の不足も要因と考えられていた。
民間企業職員 .%)と比較的高い値を示し
このような結果を見ると,貧困は社会的な要
た(青木
)
。教育に関しては,「若
因が強いと思われているようにみえるが,そ
者が高校を卒業していない」大学生 .%,
うともいえない。「先のことを考えない生活
連合労働組合員(公務員 .%民間企業職員
を送っていることによる」は大学生 .%,
.%)
,「読み書きに不自由がある」が大学
連合労働組合員(公務員 %民間企業職員
生 .%,連合労働組合員(公務員 .%民
.%)
,「努力や頑張りの不足による」は大
間企業職員 .%)となっており,社会関係
学生 .%,連合労働組合員(公務員 .%,
:
19
子どもの貧困問題の概要と課題
民間企業職員 .%)となっているのである。
ないのが現状である。
貧困の要因は,経済を最大としながらも,社
会的かつ個人的なものと考えられているので
.
ある。
アンケートの結果から日本人がどのような
では,
社会福祉における貧困概念の発展
年に橘木と浦川が所得格差につ
貧困観を持っているのか概観したが,これは
いて行ったアンケート結果をみてみたい。所
これまで研究者が発展させてきた貧困の概念
得格差という言葉は,貧困よりも回答者の経
とかけ離れたものとなっている。貧困の状態
済的な階層への考え方があらわれやすいと考
に関するアンケートでは,水道・電気・ガス
えられる。 代から 代以上の男女に対して
が使えず,医療へのアクセスがかなわないと
行ったネットアンケートでは,「日本の所得
いう生存を脅かしかねない状況を貧困と考え
格差は大きすぎるか」という問いに対し,女
ている傾向がみてとれた。これは研究史から
性の .∼ .%,男性の .∼ .%が「そ
みると,どの時代のものになるのだろうか。
う思う」と答え,女性の .∼ .%,男性
世紀初頭にイギリスで貧困研究にはじめて
の .∼ .%が「どちらかといえばそう思
着手したラウントリーは貧困線を「単なる肉
う」と答えている(橘木・浦川
体的能率を維持するに足る」水準においた(浅
:
)
。
世代や男女の差はみられるものの,男性で
井
割,女性で
割ほどの人が格差は大きすぎる
のような貧困観を持っていたかは知る由がな
ととらえていることがわかった。経済学部の
いが,ラウントリーの認識に近いものを持っ
学生を対象にして
ていたのではないだろうか。
年に実施されたアンケ
ートでは,「現在,日本の所得格差は拡大し
: )
。この当時,イギリス国民はど
では現在,貧困観は研究者によってどのよ
ている」という問いに対して,女性の .%,
うに考えられているのだろうか。現在は,貧
男性の .%が「そう思う」と答えており,
困は絶対的基準ではなく相対的基準で考えら
女性の .%,男性の .%が「どちらかと
れている。この相対的基準が提示されたの
いえばそう思う」と答えている(橘木・浦川
は,
:
)
。若い世代の間で,格差の拡大が
意識されていることがわかる。
年代のイギリスであった。アーベル
スミスとタウンゼントは貧困の定義は生理的
な再生産水準におかれるべきではなく,その
次に責任の所在についてみたい。「所得格
社会で受け入れられる相対的な水準におかれ
and
差の縮小は政府の責任か」という問いに対し
る べ き だ と 考 え た(Abel-Smith
て,女性の .∼ .%,男性の .∼ %
Townsend 1965)
。人間の生活とは,それぞ
が「そう思う」と答え,女性の ∼ .%,
れの時代,それぞれの文化と生活様式によっ
男性の ∼ .%が「どちらかといえばそう
て変化するものである。そのため,貧困は時
思う」と答えている(橘木・浦川
代によって変化しない生理水準という「絶対
:
)
。
女性は約 %,男性は約 %の人が所得の格
的」な水準におくのではなく,歴史によって
差縮小は政府に責任があると答えている。所
変化する相対的なものとして把握されるべき
得格差が大きすぎると考えている人が少なく
だというのが彼らの主張である。イギリスで
ないにもかかわらず,政府が是正に責任を持
はアーベルスミスやタウンゼントの研究がき
つと考えている人はそれほど多くはなってい
っかけとなり,社会が貧困に関心を持つよう
20
服部
になった。運動団体「子どもの貧困と闘うグ
は貧困と強い関係があるとはとらえていない
ループ(CPAG)
」が設立され,貧困研究と
ようであったが,教育や社会関係と強く関わ
政策提言に大きな役割を果たすようになった。
っており,さらには子どもの成長や将来をも
日本ではこのころ貧困に関する公的データが
左右するものであることを認識する必要性が
とられなくなり,貧困に関する関心が失われ,
あるだろう。さらにアンケートでは,貧困の
イギリスとは対照的な状況であった。
要因を「先のことを考えない生活を送ってい
もう一つ貧困をとらえる概念として「剥
ることによる」や「努力や頑張りの不足によ
奪」をあげたい。絶対的から相対的へと進展
る」と考えている人が半数以上いることが示
した貧困観は,その後「剥奪」という概念か
されが,個人の努力では改善しにくい環境に
ら説明されるようになった(浅井
おかれた結果,問題行動ややる気の喪失がお
: )
。
では,貧困の子どもはどのような剥奪を受け
こっていることに留意する必要がある。多く
ているのだろうか。山村の作成した「子ども
の場合,貧困が本人の意思や制御可能な範囲
の貧困の悪循環と剥奪」の概念図(
をこえて起きているのである。
: )
を参考に説明したい。まず,貧困は経済的に
「剥奪」は「誰による」のだろうかと考え
困難な状況であり,食料,教育,教養・娯楽
ることも重要である。アンケートでは,所得
にかける費用が不足する。そのため,適切な
格差が大きすぎると考えている人が少なくな
栄養を得て健やかに育つことができず,低体
いにもかかわらず,政府が是正に責任を持つ
力で身体的に未発達な状況におちいる。学習
と考えている人は半数にも満たないことがわ
を受ける機会が限られるため低学力に陥る。
かった。それでは,所得格差によって苦しん
修学旅行や友人たちとの交流など,社会的活
でいる家庭は自己責任によって苦しみ続ける
動の参加が制限されるため,社会的能力が未
べきだということになる。貧困家庭の親自身
発達になり,社会関係も限られたものになる。
が可能性を剥奪されてきた存在であり,彼ら
自尊心や自己肯定感,希望などが育ちにくく,
が子どもたちの可能性を剥奪している主体と
精神的な安定を得ることが難しくなる。この
考えることはできない。子どもたちから「剥
ようにさまざまな能力が発達不足になり,安
奪」を行っているのは,政府も国民も含む社
定した就職先を見つけるのは難しい。結果と
会である。イギリスをはじめにヨーロッパの
して,低賃金で不安定な仕事につかざるをえ
福祉先進国では,政府が貧困政策に積極的に
なくなるのである。このような流れは,次の
取り組み,国民はそれを後押ししている。私
世代へも受け継がれ,貧困の世代間連鎖が続
たちの日本社会においても貧困観の成熟と有
いていく。こうしてみると,子どもたちが物
効な政策が求められている。
質的なものにとどまらず,教育や成長の機会
をいかに剥奪されているかがわかるだろう。
第
章
子どもたちの貧困状況
このような循環構造が剥奪であり貧困である
.
と考えることができる。アマルティア・セン
次に日本政府はこれまでどのように貧困を
(
)のいうように,貧困は「潜在能力を
実現する権利の剥奪」でもあるのである。
先のアンケート調査では,教育や社会関係
貧困の公的データ
あつかい,貧困家庭の子どもたちはどのよう
な状況にさらされているのだろうか,社会福
祉の研究の影響をふまえながらみてみたい。
21
子どもの貧困問題の概要と課題
日本において貧困の規模を表すデータとして
人やホームレスを対象に NPO が「年越し派
最も多用されてきたのは,厚生省(現厚生労
遣村」という支援運動を行った。派遣村では,
働省)が
年代から統計をとってきた生活
炊き出しや生活相談,生活保護の申請の手続
保護受給者数と受給率である。しかしこのデ
きが行われた。はじめに述べたようにこの頃
ータは理論上,貧困の動向をとらえることは
から研究者や活動家は活発に出版や運動を行
できない。なぜなら,生活保護制度は最低生
い,社会においてもようやく貧困に関心が高
活を保障しているので,生活保護を受給する
まっていった。
ことにより,生活困窮から脱出するため貧困
そこで,厚生労働省は,
年に「国民生
者ではなくなり,貧困率はゼロとなるためで
活基礎調査」の所得データから算出される相
ある。またかりに貧困に近い状態にある人々
対的貧困率を発表し,
の目安としたとしても,生活保護を受給しな
困率(算出方法は
い貧窮者もいるため指標とはなりにくい。
去にさかのぼって公表した。相対的貧困率は,
では貧困を示すどのようなデータがあるの
だろうか。厚生省は
年から
.
年には,相対的貧
を参照のこと)を過
他の国でも所得データが整備されていること
年に「厚
が多いため国際比較がしやすく,OECD(経
生行政基礎調査」を実施し,「低消費世帯(=
済 協 力 開 発 機構)や EU,UNICEF な ど の
現金支出が被保護世帯の平均消費支出額未満
国際機関や各国政府によって最も用いられて
の世帯)
」の割合の推計値を公表していた(貧
いる指標である。
( )
困統計ホームページ)
。しかしその後長いあ
しかし相対的貧困率は,所得のみで貧困を
いだ,公的統計としての貧困率の公表は行わ
はかるため指標としての限界があり,公的な
れなかった。日本の経済は
年代に急速に
データの整備はまだまだ不十分である。厚生
成長し,政府や社会において日本では貧困が
労働省は人々の生活の「質」を表す指標とし
解消されたという錯覚が生じた。このような
て平均所得,健康に関するデータ,生活意識,
世間の風潮に影響を受け,
年代からは貧
居住環境などを公的統計として整備している
困に関する研究も下火となった。わずかに江
が,このような生活の「質」の「格差」を示
口による研究(
す指標は,ほとんど整備されていない(貧困
)があったくらいである。
当時の日本は,貧困に関する十分な基礎デー
統計ホームページ)
。日本ではかろうじて相
タを欠いた状態で中流意識が高まっていたの
対的貧困率は公表されるようになったものの,
である。
「貧困」の定義が公式に定められておらず,
このような状況は近年まで続き,貧困率が
再び公的に推計されるようになったのは
年代からであった(貧困統計ホームページ)
。
それを計測する指標についての社会的合意も
形成されていない状況がある。
そのようななか厚生労働省は「ナショナル
これは貧困問題に注目が集まったからではな
ミニマム研究会」を設置した。ナショナルミ
く,公的統計データの個票の目的外利用が可
ニマムは,直訳すると,「国民的最低限」で
能となったためである。貧困が社会問題化し
ある。つまり,国家が国民に保障する最低限
たのは,それよりずっとあとの
度 の 生 活 水 準 の こ と で あ る。先 に 述 べ た
年リーマ
ンショックのころである。世界的な金融危機
が,
が日本にも広がり,日比谷公園で仕事のない
スとタウンゼントは,貧困の定義は生理的な
22
年代以降,イギリスでアーベルスミ
服部
再生産水準におかれるべきではなく,その社
ることがわかった。ここでいう子どもは 歳
会で受け入れられる相対的な水準におくべき
未満である。ユニセフの
であるとした。これがナショナルミニマムと
と,
いう考えのはじまりであり,ヨーロッパ諸国
困率は,先進 か国のうち,アメリカ,スペ
を中心に多くの国の福祉政策に影響を与えて
イン,イタリアに次いで
いった。日本では,生活保護法では生活保護
部
制度が憲法第 条の理念を現実化し国民の最
国際比較では, .%でトップであり, .%
低生活を保障すると定められている。たしか
で
年の推計による
年代半ばにおいて日本の子どもの貧
:
位となっている(阿
)
。さらに一人親世帯の貧困率の
位のアメリカよりも %以上高い(阿部
に生活保護はこれによってナショナルミニマ
: )
。日本は先進国の中でも子どもの
ムを達成しようというものであるが,近年果
貧困率と一人親世帯の貧困率が非常に高い国
たしてこれが社会で受け入れられる相対的な
となっているのである。
水準に一致するものであるか,生活保護より
貧困状態にある子どもの家庭はどのくらい
広い意味でナショナルミニマムをとらえよう
の収入があるのだろうか。厚生労働省の国民
という動きがみられるようになっている。そ
生活基礎調査によると,
のひとつが「ナショナルミニマム研究会」で
所得の中央値が
ある。
万円で生活する人となる。これは大人一人の
.
子どもの相対的貧困率と物質的剥奪指
標
年の等価可処分
万円なので,その半分
データになるので,親子
人に換算すると年
間
万円となる(山野
万円,親子
人で
: )
。これは月額でいうと,親子
貧困状態にある子どもたちは現在,どのく
で約 万円以下,親子
人
人で約 万円以下に
らい日本にいるのだろうか。日本における子
なる。先に述べたが,ここにはすでに児童手
どもの貧困に関する公的データは,先に述べ
当や児童扶養手当が含まれており,きわめて
た相対的貧困率から出されている。相対的貧
きびしい生活状況であることがわかる。さら
困率は等価可処分所得によって求める。等価
に,貧困とされた人たちのなかで貧困ライン
可処分所得は,世帯単位で集計した所得を世
である等価可処分所得の分布の中央値以下で
帯構成員にわりふった金額で,構成員の生活
暮らす人の中で最も多いのは,この額の %
水準をあらわすものである。この際の所得は,
で暮らしている人たちである(山野
人で年額
: )
。
万円,
税金や社会保険などをひいて,児童手当や児
世帯で計算すると,親子
童扶養手当など政府からの公的援助を足した
親子
ものである。計算方法は,世帯内の合算所得
で 万円,親子
を世帯人数の平方根で割って求める。ランダ
うな水準以下の生活を送っている子どもたち
ムに集めた世帯のデータを用いて,分布図を
は,子ども全体の .%であるといわれてお
作り,この中央値の半分以下を貧困とし,貧
り,約 人に
困の割合を求めたものである。
年に厚生
人で
万円,月額でいうと親子
人
人で 万円となる。このよ
人の割合となる(山野
:
)
。貧困家庭の収入と人口にしめる割合を
労働省が発表した国民生活基礎調査によると,
みると,日本の貧困状況がいかに深刻である
この手法で算出した
年の子どもの相対的
かわかるだろう。
貧困率は .であり,
人に
人が貧困であ
日本は貧困に関する公的データの整備が遅
23
子どもの貧困問題の概要と課題
れており,これは子どもの貧困についても同
理念を定め,国等の責務を明らかにし,及び
様の状況である。日本以外の先進国や国際機
子どもの貧困対策の基本となる事項を定める
関では相対的貧困率だけではなく,「物質的
ことにより,子どもの貧困対策を総合的に推
剥奪指標」をもちいて,所得では測りきれな
進することを目的とする」となっている。こ
い生活の質を把握するようになっている。こ
のような目的のほかに,第二条以降では,基
の指標は,ユニセフでは,「子どもの年齢と
本理念,国・地方公共団体・国民の責務,法
知識水準に適した本」
「宿題に静かにとりく
制上の措置,年に一回子どもの貧困状況及び
める部屋」
「いくつかの新しい服(古着でな
貧困対策の実施状況の公表,「子どもの貧困
い)
」などの 項目のうち
対策会議」の設置,大綱の設定などについて
つ以上が欠如し
ている子どもの割合を示すものとなっている
定められている。
2010)
。またイギリスや EU 各
子どもの貧困対策法は理念法であり,実際
国は貧困ラインを等価可処分所得の分布の中
の施策は内閣総理大臣を会長とする「子ども
央値の %を貧困ラインとしており,中央値
の貧困対策会議」において作成される大綱で
の %としている日本より貧困をはばひろく
決められる。法律制定のあと,大綱は
(UNICEF
設定している(山野
:
年
)
。貧困ライン
月に示された。大綱は,「教育支援」
,「生
を十分な調査と分析から設定し,「物質的剥
活支援」
,
「保護者の就労支援」
「
,経済的支援」
奪指標」など子どもの貧困の実態を正確に把
を基本政策としている。その後,
握するための指標の整備が日本においてのぞ
には,子どもの食と貧困の全国調査が初めて
まれている。
実施され,
年
年
月
月までに公表される予定
となっている。
.
政策における新たな動きと課題
子どもの貧困対策法と大綱は,研究者や運
冒頭において述べたように,子どもたちの
動家,そして当事者である貧困家庭の子ども
貧困状況が研究者やメディアで取り上げられ
たちにとって重要な大きな意味を持つもので
るようになるなか,
あるが,どのような実態があるのだろうか。
年
月に「子どもの
貧困対策推進に関する法律(以下,子どもの
山野(
貧困対策法とする)
」が定められ,翌年
月
盛り込まれているなかで目新しいものは,生
から施行されることとなった。この法律は,
活保護を受給しているひとり親たちの学びな
「なくそう!
:
)は,
年度概算要求に
子どもの貧困」全国ネットワ
おしの支援(高校認定試験合格講座の費用の
ークとあしなが育英会という市民団体の運動
一部負担)や国民運動として官公民の連携の
の成果ともいえる。
もと行われる民間募金などくらいであるとい
では子どもの貧困対策法をみてみたい。こ
う。内容だけではなく,予算の未拡充もまた
の法律は第 条からなっている。第一条は,
問題となっている。これまで交付金を支給し
「この法律は,子どもの将来がその生まれ育
てきた無償の学習教室への補助が全額から
った環境によって左右されることのないよう,
分の
貧困の状況にある子どもが健やかに育成され
ャルワーカーの増員(
年で
る環境を整備するとともに,教育の機会均等
人とする)への補助は
分の
を図るため,子どもの貧困対策に関し,基本
自治体にまかされることが決まっている。効
24
に減らされることや,スクールソーシ
人から
万
のみであとは
服部
果的な政策や予算の拡充がほとんどみられな
り込む必要性も指摘されている(日本弁護士
い実態があり,このような方針は今後も続く
連合会
:
,
山野
:
,
湯澤
。これはイギリスの政策にならった
など)
ようである。
現在,社会福祉の充実を目的に消費税が
ものである。イギリスでは
%(
の貧困法」が定められ,法律は
年
:
月以降)から %(
年
年に「子ども
年までに
月以降)へ引き上げられようとしている。竹
子どもの貧困を政府に「撲滅」させることを
内(
義務付けている(中嶋
)によると,消費税引き上げによる
: )
。法律では,
増収分は年間約 .兆円にのぼり,この大半
明確な目標設定値が定められ,政権の終了時
が高齢者の年金,医療,介護のために使われ,
には設定値の達成度によって政権を評価する
子どもの子育て支援にはわずか .兆円しか
という方法がとられ,イギリスは子どもの貧
当てられないという。これは増収分の
%た
困率を低下させてきた。現在このような目標
らずである。日本において社会福祉の充実と
設定型の福祉政策は EU に加盟する多くの
いうのは,人口の多い,もっというと票数の
国でとられている。日本でも,食料・農業・
多い高齢者のみに向けられているのである。
農村基本法(新農業基本法)の食料自給率の
子どもの貧困に関する法律はできたものの,
向上や自殺対策基本法の自殺率の削減は具体
政策の内実はきわめて厳しいものとなってお
的な目標が定められており,子どもの貧困に
り,法律制定が生活保護基準の切り下げとい
ついても具体的な目標を定めることが求めら
う弱者切り捨ての政策から目をそらすための
れているのだ。
ものであったのではないかという指摘(湯澤
予算の考え方について述べておきたいこと
: )にもうなずかざるをえない。子ど
がある。日本では,子どもの福祉も含めて家
月か
族政策に関係する予算が福祉先進国と比べて
回にわたって生活保護基
少ない。日本は GDP(国内総生産)の . %
準の切り下げが行われた。子どもの貧困につ
の支出しかなされておらず,スウェーデンが
いて有効な対策がとられず,生活保護基準の
. %,フランスが . %,イギリスが . %
切り下げで弱者が切り捨てられ,結果として
であることと比べると,これらの福祉先進国
貧困状況の悪化がみられる可能性も出てきて
の約
いる。
このような予算の配分では貧困を撲滅するの
もの貧困対策法の制定の前後,
ら
年
月まで
年
( )
分の
となっている(阿部
: )
。
このようななか,貧困に直面する子どもに
は難しい。ここで発想の転換が必要となる。
対する直接的な対応策として,児童手当やひ
子どもの貧困に対する予算を「未来の投資」
とり親世帯に支給される児童扶養手当の拡充,
として認識することである。ほかにも福祉先
給食や修学旅行の費用の無償化,医療費の窓
進国の政策ではあたり前に認識されているこ
口負担ゼロ,社会保険料や税の負担軽減,奨
とがある。
学金制度の見直しなどをおこなうことが求め
られている(阿部
集委員会
,
子どもの貧困白書編
,
日本弁護士連合会
,
山野
など)
。
また,政策目標に貧困率削減の目標値を盛
ノーベル経済学賞を受賞したソローは,子
ども時代に
金が約
万
年間貧困状況にあると,生涯賃
ドル(約
万円)減額し,
貧困から影響を受けるコストの方が貧困をな
くすためのコストを上回るという試算を出し
25
子どもの貧困問題の概要と課題
ている(山野
:
)
。政府が有効な貧困
的特徴や狩猟採集に依存した遊動生活,平等
政策を行い,子どもたちが十分な教育を受け
主義や卓越した歌と踊りのパフォーマンスな
心身ともに健やかに成長した場合,子どもた
どの社会的文化的特徴を共有している。また,
ちはよい就職先を見つけ,納税者になり,貧
ピグミーの近隣には焼畑農耕民が暮らしてお
困の連鎖が断ち切られる。現在のように十分
り,両者は相互依存関係にある。これは,ピ
な政策を行わなかった場合,子どもの貧困率
グミーが獣肉や他の森林産物,労働力を農耕
が増え続けることが予測される。貧困状態に
民に提供するのに対し,農耕民は農作物や工
ある子どもたちは成長しても自立することが
業製品をピグミーに与えるというものである。
できず,将来は生活保護に頼ることになり,
では,まずバカ・ピグミーの生活が貧困状
国庫の負担になっていくのである。日本政府
態にあるのかどうかについて考えてみたい。
および国民は,貧困家庭にある子どもたちを
.
日本人の貧困観では,日本人は電気・
支援し最終的にはよき納税者になってもらう
水道・ガスがない生活と必要な時に医療機関
ことが,当事者だけでなく国としての利益に
にかかれない生活を貧困と考えていることが
なることも認識する必要があるだろう。政府
わかったが,調査地にはそのような近代的な
は子どもの貧困政策の将来的な意味を十分に
ものはない。電気の代わりに月と炎,水道の
検討し,予算の確保と有効な政策をすすめて
代わりに湧水と川,ガスの代わりに薪があり,
いくことが求められている。
病気の時は薬用植物を家族や本人が処方する。
第
章
.
狩猟採集社会からの視座
狩猟採集民は貧困であるのか
子どもの貧困問題について,日本人の貧困
日本人のなかには,日本における生活様式を
絶対的基準とし,このような狩猟採集民の生
活を貧困だという人もいるかもしれない
が,
.
で述べたアーベルスミスとタウン
観と社会福祉の分野における貧困の定義の発
ゼントの定義から考えると,とらえ方が異な
展,日本における子どもの貧困状況や政策の
ってくる。彼らは人間の生活をそれぞれの時
課題をイギリスなどの福祉先進国と比較しな
代,それぞれの社会や文化によって変化する
がら述べてきた。これによって現在の日本の
ものであり,貧困を社会や文化によって変化
状況と課題が示された。この章では,これま
する相対的なものとして把握すべきであると
で私が 年間にわたり研究の対象としてきた
考えた。つまり,社会にはそれぞれ貧困の定
狩猟採集社会を例に挙げて,日本の貧困問題
義があることになる。バカ・ピグミーが狩猟
を考えてみたい。
採集という生活様式や独自の価値をもつ社会
私が研究対象としてきたのはカメルーン東
集団であることを考えると,日本のような先
南部の熱帯雨林に暮らす狩猟採集民バカ・ピ
進国の基準によってバカ・ピグミーの生活を
グミーである。アフリカの熱帯雨林には総称
貧困であるとは簡単にいえないのである。具
して「ピグミー」と呼ばれる狩猟採集民が約
体例をあげてみてみたい。
万人暮らしており,バカ・ピグミーもその
まずは世帯収入から算出する相対的貧困率
グループに含まれる。バカ・ピグミーは総人
についてである。バカ・ピグミーは現金収入
口が約
万人と推定されている。ピグミ
がどれほどあるのだろうか。彼らは獣肉や果
ーは熱帯雨林という生活環境のほかに,身体
実の売買,農耕民への労働力提供によって現
26
∼
服部
: )
。ある世帯の
から子どもへ,家族や友人同士のあいだで語
か月間の現金収入は約 , 円であり(服
り継がれる民話や歌物語がある。衣類につい
金を得ている(服部
部
: )
,
か月でみると , 円程度に
なる。では,このような収入はどれほど世帯
差があるのだろうか。
世帯において同様の
て言うと,みな古着を着用している。
バカ・ピグミーの子どもは「物質的剥奪指
標」で示されるものはほとんど持っておらず,
調査を行ったが,収入額はほとんど変わらな
この指標でみた貧困率は
かった(服部
未発表データ)
。バカ・ピグ
らの生活様式や文化から鑑みて彼らが貧困で
ミーの現金収入は,農作物や衣類・鍋・鉄器
あるとはいえない。学力を向上させる本や部
などの工業製品,酒,タバコの購入にあてら
屋,新品の衣類などという基準は先進国由来
れていた。これらの物品は現金を介さずとも,
のものであるためである。では彼らはどのよ
農耕民や商人に労働力や森林産物を提供する
うなものを持っているのだろうか。彼らは私
ことによっても獲得できるものであるため,
たち先進国の人間が持っていないものを持っ
現金収入の少なさかがすぐさま飢餓や物質欠
ている。狩猟や採集など生業に関わる道具や
乏につながらない。現金経済に強く依存せず,
基本的な家財道具,文化の中核ともいえる歌
同じ生活様式で暮らし同程度の収入を得るこ
と踊りのパフォーマンスに使う楽器や衣装,
とができる平等社会では,相対的貧困率は計
遊具などである(服部
算しようがなく意味はなさない。
動物から作られるこれらの道具類は,生業や
では,ユニセフの「物質的剥奪指標」はど
うだろうか。これは,「子どもの年齢と知識
%となるが,彼
: ― )
。植物や
社会生活,娯楽をおこなうために重要であり,
ほとんどすべてが共有される。
水準に適した本」
,「宿題に静かにとりくめる
ここで一つの疑問が出てくる。バカ・ピグ
部屋」
,「いくつかの新しい服(古着でない)
」
ミーは相対的な基準で貧困とはいえないが,
などの 項目のうち
彼らの生活がラウントリーのいう身体を維持
つ以上が欠如している
子どもの割合から貧困率を出すものであるが,
するに足るような絶対的水準に達しているか
学校教育がその後の人生に大きく影響を与え,
という点である。バカ・ピグミーは年間を通
部屋ごとに仕切られた住居に暮らし,新品の
して,大人であれば季節ごとに平均 , ∼
服を着ることが当たり前となっている社会に
, kcal 以上を摂取しており(服部
:
おける基準である。狩猟採集社会における普
)
,絶対的水準はクリアしていると考えて
遍的な学校教育の必要性については研究者の
も差し支えないだろう。ピグミーの社会は道
間でもさまざまな意見がある。しかし一致し
具類が共有されるのと同様に,食料になる野
て言えるのは,狩猟採集民にとって動物や植
生動物や農作物もまた集団のなかで共有され
物に関する知識は生きていくために不可欠で
る。たとえ,狩猟や採集の能力に差があった
あり,森は近代国家における学校に劣らない
り収穫物に恵まれなかった日があったとして
ほど重要なのである。またバカ・ピグミーは
も,分配によって食料を得ることができるた
直径
め,致命的な飢餓状態に陥るということはな
メートルほどの住居で肩を寄せて暮ら
し,一人になりたいときは森に向かう。森は
い。分配は徹底しており(Kitanishi 1998)
,
学習する場でありプライバシーを守る場でも
集団の成員が摂取するカロリーはそれほど大
あるのだ。本はないが,祖父母から孫へ,親
きな差はないだろう。
27
子どもの貧困問題の概要と課題
貧困を絶対的かつ相対的基準でとらえた場
であると言っているわけではない。社会主義
合,集団として身体維持に十分な食料を獲得
国家が望ましいといっているわけでもない。
し,社会的文化的生活のために必要なものを
極端な社会の階層化をなくしていく努力が重
共有しながら暮らしている狩猟採集民を貧困
要であると考えるのだ。
ということはできないのである。彼らの言語
バカ・ピグミーの社会は,獣肉や農作物な
のなかに,「貧困」や「貧しい」という言葉
どの食料が複数回にわたって分配される。食
はなく,社会のなかに貧者はいない。
「格差」
料を獲得し集落に帰ってきた時,人々は得た
が生じない社会に暮らしている彼らのあいだ
ものを集落のメンバーに分配する。分配はこ
では,このような言葉は生まれてこなかった
れで終わりでない。食料を調理した後,いく
のだろう。このような事実はあらためて,貧
つもの皿に内容物を分け,さらに料理を分配
困とは格差であり,他人と自分の比較である
するのである。徹底した分配によって,バカ・
ことをつきつける。
ピグミーの社会では飢えや欠乏感はうまれな
い。日本は所得の再分配機能の強化とともに
.
狩猟採集社会から学ぶ「豊かな社会」
ではこのような狩猟採集社会から私たちは
多様な経済的支援によって貧困家庭がとりこ
ぼされないようにするべきではないだろうか。
いったい何を学べるのだろうか。日本という
バカ・ピグミーは分配を受ける人が分配を
国を経済的な観点からみると,世界のなかで
おこなう人に対して精神的負い目を感じない
もとくに豊かな国である。しかし,社会福祉
ように,さまざまな工夫を行っている。分配
という観点からみると,非常に貧しい国であ
者は優位に立つことがないように控えめにふ
る。自由主義経済が格差を生み出す以上,社
るまい,被分配者は自信を持って当然のよう
会福祉は国民に最低限の生活を保障するため
にふるまう。物のやり取りは,誰が獲得した
の安全弁として機能する必要があるが,この
かという属性を物に持たないように希少性が
安全弁がうまく機能していないのが日本の社
出ないように行われている。たとえば,狩猟
会である。安全弁のひとつが所得の再分配で
によって動物を獲得した人は成果を強調せず
あるが,日本は先進国のなかで唯一所得の再
存在感を弱め,得られた獣肉はまるで薪でも
分配が失敗している国である(日本弁護士連
投げるように物の価値を消して分配される。
合会
このような行動規範はごく自然にとられ,分
: ,
阿部
: )
。狩猟採集民の
社会は,日本では当たり前のようにみられる
配はスムーズに行われていく。日本において,
近代的産物はほとんどないが,分配が十分に
貧困家庭にある人は社会に対する劣等感を持
機能しており格差がみられない。社会として
ちスティグマを恐れて,援助を求めにくく孤
の豊かさがある。社会としての豊かさを考え
立しやすい状況がある。貧困家庭の親や子ど
た時,日本は所得の再分配のあり方を考え直
もたちが負い目なく,当たり前の権利として
すべきではないだろうか。日本のような競争
援助を受け入れるように,分配の方法に工夫
原理に支配された社会であるからこそ,貧困
を 凝 ら す 必 要 が あ る だ ろ う。そ の た め に
家庭に所得を再分配する必要があるのではな
は,
いだろうか。私は,狩猟採集社会のように分
という概念から貧困を認識するとともに,シ
配を徹底的に行って生活水準を標準化すべき
ェアリングの精神を育んでいく必要があるの
28
.
で述べたように,社会全体が剥奪
服部
ではないだろうか。貧困は個人や経済状況が
たり命をまっとうしたりする。私たちの社会
要因となっているわけではなく,シェアリン
において貧困をはかる経済的かつ物質的な基
グを行わない社会に起こるものなのであるこ
準の必要性は否めないが,これとともに社会
とを認識することも重要である。
とのつながりをはかる基準が求められている。
私が狩猟採集社会をヒントに考える豊かな
そして貧困問題の解決には,つながりの回復
社会とは,分かち合うことができ,孤独な人
が重要になってくるだろう。現代社会の構造
がいない社会である。バカ・ピグミーの大人
は複雑化し,情報が錯そうしている。このよ
は食料獲得のために
時間
うな環境では,人間にとって必要なものや大
程度の労働をおこなう。育児や家事は協力し
日平均して
∼
切なものが見えにくくなる。シェアリングや
合って行う。つねに人と交わり,その存在を
濃密な人間関係はそれらのうちの一つである。
感じながら暮らしている。子どもたちも活発
人類にとって原初的な生業を維持している狩
な社会活動をおこなっている。男の子たちは
猟採集民の社会から私たちは学ぶことが多い
森で釣りや狩猟を真似た遊びをしたり,女の
のではないだろうか。
子たちも森で植物のおもちゃを作ったりまま
ごとをして遊ぶ。そして大人も子どもも夕食
おわりに
が終わると,歌と踊りに興じる。一日の大半
本論では子どもの貧困問題の概要をのべ,
を家族や友人と過ごす彼らは孤独とは無縁で
狩猟採集社会から問題解決のヒントを探ろう
ある。
とした。人間は本来どのような生き物であり,
.
でみたように子どもの貧困は,相対
生きていくために何が必要であるかというと
的貧困率や物質的剥奪指数が指標となってお
ころから,子どもの貧困問題を論じた。貧困
り孤立や孤独は指標化されていない。貧困の
や格差を生まないように狩猟採集社会が維持
ないバカ・ピグミーの社会にみられる活発な
してきたシェアリングや濃密な人間関係は,
人的交流をみてみると,私たちの社会におけ
それをそのまま日本社会で行えるわけではな
る孤立はより深刻な問題であることがわかる。
い。狩猟採集民と現代の日本社会では社会の
人間という生き物はそもそも交わり合って分
規模が大きく異なるという事実がある。狩猟
かち合って生きていくものであり,これが奪
採集民は日々顔の見える関係をもとに社会を
われた時,貧困におちいり生きることの意味
形成しており,私たちに日本は,日々顔の見
すら失われかねない状況になる。また人は,
えない人々と暮らしている。マンションであ
いくら物質に満たされていても医療サービス
れば隣の住人に会ったことがない人や,親兄
に恵まれていても,人的交流がなければ生き
弟ですら年に
ていけない。たとえば近代的な医療を絶対的
い。このような関係のなかで,孤立を防ぎ,
基準とするなら,バカ・ピグミーの貧困は
分かち合う関係を作るには,創造的な取り組
%となる。しかし,彼らの医療形態をみ
みが必要となってくるだろう。近年,急速に
度しか会わない人も少なくな
ていると,豊かな生活とはたんに医療の充実
広がっている子ども食堂やお寺おやつクラブ,
ではないことがわかる。病気になれば毎日の
タイガーマスク運動などはこのような取り組
ように自分のために薬草を家族や友人が持っ
みの芽であるように思う。本当に豊かな社会
てきてくれ,そのようななか,病気が回復し
というのはどのような社会なのだろうか。そ
29
子どもの貧困問題の概要と課題
してそのような社会を創るにはどのような取
り組みが必要なのだろうか。本気で考える時
期が来ている。今後私は狩猟採集社会の子ど
もたちの自己肯定感と知識について研究し,
人は本来どのように育つべきなのかという観
点から,日本の子どもたちや貧困の問題を考
阿部彩
『子どもの貧困―日本の不公平を考え
る』岩波書店
阿部彩
『子どもの貧困Ⅱ―解決策を考える』岩
波書店
アマルティア・セン「不平等の再検討―潜在能力と
自由」岩波書店
えてみたい。
新井直之
註
新井直之
『チャイルド・プア―社会を蝕む子ど
もの貧困』TO ブックス
(
) 調査は約
年前のものである。
年以降貧
困がメディアで取り上げられる機会が増えつつあ
り,貧困への関心が高まっている。これがどのよ
うな影響を与えているのか,最近の日本人の貧困
観に関する研究がのぞまれる。
(
池上彰編
『日本の大課題
子どもの貧困−社会
的養護の現場から考える』筑摩書房
江口英一
『現代の「低所得層」―貧困研究の方
上・中・下』未來社
大阪弁護士会
『貧困問題がわかる
態とこれからの日本社会−子ども・女性・犯罪・
経済動向,貿易,開発援助についての分析・検討
障害者,そして人権』明石書店
大田なぎさ
) ここで計算の対象としているのは,児童手当,
児童扶養手当,特別児童扶養手当(障害児に月
万ほどの給付がなされる制度)
,健康保険などか
らの出産一時金,雇用保険からの育児休業給付,
『スクールソーシャルワークの現場
から―子どもの貧困に立ち向かう』本の泉社
大山典宏
『生活保護 vs 子どもの貧困』株式会
社 PHP 研究所
鳫咲子
『子どもの貧困と教育機会の不平等―就
保育所などの就学前保育制度,児童養護施設など
学援助・学校給食・母子家庭をめぐって』明石書
の児童福祉サービスである。
店
子どもの貧困白書編集委員会編
引用文献
日本語文献
青木紀
『子どもの貧困
白書』明石書店
さいきまこ
『神様の背中―貧困の中の子どもた
ち』秋田書店
『現代日本の貧困観―「見えない貧困」
を可視化する』明石書店
赤旗社会部「子どもと貧困」取材班
浅井春夫・松本伊智朗・湯澤直美編
『誰かボク
『子どもの
貧困―子ども時代のしあわせ平等のために』明石
書店
浅井春夫
陽メディア
下野新聞子どもの希望取材班
『貧困の中の子ど
も―希望って何ですか』ポプラ社
に,食べ物をちょうだい』光陽メディア
30
貧困の実
の先進国が加盟する国際機関であり,国際マクロ
を行っている。
(
―貧困の連鎖か
ら逃れられない子どもたち』TO ブックス
法
) ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め ヶ国
『チャイルド・プア
世界の児童と母性の編集委員会編
と母性−特集社会的養護と子どもの貧困』
竹内幹
「高齢者と将来世代,どちらを重視する
のか?」『中央公論』
橘木俊詔・浦川邦夫編著
『脱「子どもの貧困」への処方箋』光
『世界の児童
(
)
「第
章
人々は貧困
をどのように捉えているか―所得分配の価値判断
に関する実証分析」
『日本の貧困研究』東京大学
服部
出版会 pp.
中嶋哲彦
―
.
「イギリスの貧困法の教訓と私たちの
課題」
『イギリスに学ぶ 子どもの貧困解決―日
本の「子どもの貧困対策法」にむけて』かもがわ
出版 pp. ―
中塚久美子
b
埋橋孝文・矢野裕俊・大塩まゆみ・居神浩編
.
『子どもの貧困・不利・困難を考えるⅡ社会的支
援をめぐる政策的アプローチ」ミネルヴァ書房
山村りつ
「子どもの貧困をどうとらえるべき
か」埋橋孝文・矢野裕俊・大塩まゆみ・居神浩編
『貧困のなかでおとなになる』かも
がわ出版
『子どもの貧困・不利・困難を考えるⅠ理論的ア
プ ロ ー チ と 各 国 の 取 り 組 み」ミ ネ ル ヴ ァ 書 房
「なくそう!
子どもの貧困」全国ネットワーク
『イギリスに学ぶ
pp. ―
.
子どもの貧困解決:日本
山野良一
『子どもの最貧困国・日本』光文社
の「子どもの貧困対策法」にむけて』かもがわ出
山野良一
『子どもに貧困を押し付ける国・日
本』光文社
版
「なくそう!
子どもの貧困」全国ネットワーク
『大震災と子どもの貧困白書』かもがわ出版
日本弁護士連合会
『日弁連
子どもの貧困レポ
『森と人の共存への挑戦:カメルーン
出版
「
『子どもの貧困対策の推進に関する
法律』の制定経緯と今後の課題」貧困研究会編『貧
の熱帯雨林保護と狩猟採集民の生活・文化の保全
困研究
に関する研究』松香堂書店
pp. ―
原伸子・岩田美香・宮島喬編
『貧困研究
『貧困研究
特集
子どもの貧困
特集子どもの貧困と
Kitanishi, K. 1998. Food Sharing among the Aka
hunter-gatherers
藤本典裕・制度研編
『学校から見える子どもの
『女性と子どもの貧困―社会から孤立
した人たちを追った』大和書房
保坂渉・池谷孝司
in
northeastern
Congo.
African Study Monographs Supplementary
Issue 25 : 3―32.
貧困』大月書店
2008.
Growing
Unequal ? : Income
UNICEF 2010.
Measuring child poverty : New
league tables of child poverty in the world’s rich
「序章子どもの貧困研究の視角」浅
井春夫・松本伊智朗・湯澤直美編
OECD
Distribution and Poverty in OECD Countries.
『ルポ子どもの貧困連鎖−教
育現場の SOS を追って』光文社
松本伊智朗
Abel-Smith. B. and Townsend. P. 1965. The
Poor and The Poorest, Bell London.
教育の課題』
樋田敦子
.
英語文献
と対抗戦略:研究・市民活動・政策形成』
貧困研究会
特 集 子 ど も の 貧 困 と 教 育 の 課 題』
『現代社会と子ど
もの貧困―福祉・労働の視点から』大月書店
貧困研究会
『子どもたちとつ
くる―貧困とひとりぼっちのないまち』かもがわ
湯澤直美
ート―弁護士が歩いて書いた報告書』明石書店
服部志帆
山科醍醐・こどものひろば編
『子どもの貧
countries (Report Card 10). UNICEF Innocenti
Research Center.
困―子ども時代のしあわせ平等のために』明石書
店 pp ― .
埋橋孝文・矢野裕俊・大塩まゆみ・居神浩編
引用ホームページ
a
『子どもの貧困・不利・困難を考える I 理論的ア
プローチと各国の取り組み」ミネルヴァ書房
貧困統計ホームページ「日本の貧困」http : //www.
hinkonstat.net/日本の貧困/
月
(閲覧日
年
日)
31
子どもの貧困問題の概要と課題
社会実情データホームページ「失業率の推移(日本
総務省統計局ホームページ「最近の正規・非正規雇
と 先 進 国)
」http : //www 2.ttcn.ne.jp/honkawa/
用の特徴(詳細版)」 http : //www.stat.go.jp/info
3080.html(閲覧日
/today/097.htm#shousai(閲覧日
32
年
月
日)
年
月
日)