現地駐在員だより 2022年 FIFA ワールドカップ開催に向け インフラ整備が進むカタール 住友商事㈱ ドーハ事務所長 今井 一雅 1.『ドーハの悲劇』 1993年10月28日,1994年アメリカで開催されるワールドカップ出場を賭けてサッカー 日本代表チームはアジア地区最終予選の最終節,カタールの首都ドーハにあるアル・アリ 競技場でのイラク戦に臨みました。結果は試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点 ゴールが入り,FIFA ワールドカップ初出場を目前にしていた日本代表は予選敗退。これ が日本中がため息をついた有名な『ドーハの悲劇』です。私のカタール赴任が決まった 2015年においても,ドーハという地名を聞いた知人の大半からは,必ず「あのドーハの悲 劇の町に行くのか?」と聞き返される有様でした。筆者の知人のみならず,多くの日本人 がカタールに抱いている印象は“ゲンの悪い都市”,“鬼門”に他なりません。本稿では, 何となく悪いイメージのあるカタールの素顔を読者の皆様に少しでも知っていただきたく 筆を進めたいと思います。 2.カタールの概要 カタールはペルシャ湾に突き出す半島に所在する小国です。首長はTamim Bin Hamad Al-Thani(タミム・ビン・ハマド・アルサーニ),前 Hamad 首長の四男,2013年に33 歳の若さで首長に就任しました。現在は36歳,中東の中で最も若い君主です。カタールの 国土面積は11,571km2,秋田県(11,638km2)よりも若干小さな土地というとイメージで きますでしょうか。国土の大半は砂漠と土漠に覆われ,6-8月の最高気温は45℃,時に は50℃を上回る日もあり灼熱の大地となります。一方,冬季には意外にも気温が10℃台前 半になることもあり,非常に過ごしやすい気候となります(冬服は必須です!)。年間降水 量は100mm に届きませんが,側溝などの排水設備がないため,時として集中豪雨が地域 洪水を引き起こすこともあります。 カタールは,80年前までは人口も僅か2万3千人程度,産業も漁業,真珠の採取,貿易 という程度の地域でした。ところが1940年に東部で発見された原油が成長をもたらし, 1971年9月3日にイギリスからの独立,さらにはカタール沖で発見された天然ガスを LNG 化しての輸出(1997年)により,その成長スピードが一段と加速することとなりま 33 中東協力センターニュース 2016・7 近代的ビルが立ち並ぶドーハの WestBay 地区 した。そして,その資源歳入をベースとしてカタールの都市インフラが整備,現在では人 口248万人まで増加(2016年6月末現在),首都ドーハは近代的高層ビルが立ち並ぶ中東 屈指の大都市となりました。 ただし,この255万人の人口のうちカタール人は28万人程度,人口のマジョリティは60 万人のインド人。それにフィリピン,バングラディッシュ,ネパール,スリランカ,パキ スタン,中東各国,欧州などから多くの国籍の人々が集まり,Multi-Nationalな国となっ ています。ちなみにカタール在留邦人は900人弱。 ところで,同国の一人あたりの GDP は世界3位の76,576ドル(2015年)ですが,第 1位はルクセンブルグの103,186ドル,第2位はスイスの80,675ドルであるものの,カ タールの数字はワーカーを含む多くの外国人も入れた人口で割ったものであり,いささか 乱暴な計算ではありますが,これをカタール人のみで割るともうひとつ桁が上がることと なり,いかにカタールが富に恵まれた国であるかを推察することができます。 3.カタールの物価 カタールには個人所得税はありません。カタール人は教育費,水,電気,医療は無償な ど各種社会保障も充実しており,カタール人国民は非常に恵まれた社会環境のもとに暮ら しております(外国人は有料)。また,ガソリン価格は他の中東産油国同様に安く設定され ており,今年1月に30%の値上げ,5月より変動価格制を採用しましたが,6月現在では 1.2カタールリアル/L(36円/L)と依然低価格です。一方,一般商品のカタールの物価は 34 中東協力センターニュース 2016・7 比較的高めであり(ドバイより若干高い),食材に関しても国産品は一部の魚,肉(といっ てもラクダ肉など)に留まり,その他の食材の多くは輸入品となり,スーパーマーケット には世界各国の食材が並んでいます。同じ商品でも産地によって値段が10倍も開くような 品も多く見られ(一般に欧州品は高く,インド,パキスタン,レバノン,エジプト,アフ リカ産品は比較的安い),我々消費者はスーパーマーケットで値段と産地を見比べながら毎 日の献立の材料を調達しています。また,お酒と豚肉の店頭での販売はなく,外国人は Liquor Permit を得て,ドーハ郊外に1軒だけある外国人専用の販売店で購入することが 唯一の手段となります。お酒の提供に関しては高級ホテル内にあるライセンスを持った店 舗のみ提供が可能ですが,そういったレストランは値段も高く,日本のように「ちょっと 飲みに行く」感覚では行くことができません(ビール1杯=1,500円前後!)。お酒と豚肉 の厳しさを中東で比較するならば,サウジやイランよりは緩く,UAE,オマーンよりは厳 しいといった環境でしょうか。 4.カタールの治安 現在,治安面においては,カタールは中東諸国の中では極めて安全といえる国です。テ ロは2005年3月以降11年間発生しておりません(2016年6月現在)。多国籍の人々が集 まる国としては非常に稀な治安の良さであり,カタールは日本より安全な国と言っても過 言ではないかもしれません。 5.2022FIFA ワールドカップ開催とインフラ整備 カタールの目指すひとつの方向性としてスポーツ観光の強化が挙げられます。2022年に は中東で初の FIFA(サッカー)ワールドカップが開催される予定です。現在は2022年の 建設中のスタジアム 『ドーハの悲劇』1993年10月28日にイラク 戦が行われたアル・アリ競技場の現在の様子 35 中東協力センターニュース 2016・7 開催に向けて各種インフラ整備が準備されています。主なものとして,スタジアム建設 (約 8ヵ所の40,000-80,000席のスタジアムが計画),総長211.9km4路線のドーハメトロ(三 菱商事/三菱重工/日立などが受注),ハマド国際空港(新ドーハ空港)の拡張,新ドーハ港 の建設,国内を縦横に走る高速道路の建設などが現在進められています。 カタールの財政は2014年から始まった油価の下落により,2016年度は赤字予算(歳入 約4.5兆円に対し,歳出は約6兆円)を組み,今年5月には最高20年の償還期間を含む90 億ドルの国債を発行しましたが,3,800億ドルといわれる海外資産の保有(このうち2,600 億ドルをQatar Investment Authorityが運用),また安定した政治を背景として,現在の S & P 社による長期格付けは AA,これは中東国家の中では最も高い格付けであり,中東 各国のインフラ投資のスピードが落ちてもなお強い資金調達力を背景としたカタールのイ ンフラ投資の勢いは依然活発です。ワールドカップに向けたインフラ整備はカタールが国 家の威信を賭けていると言っても過言ではなく,計約1,000億ドルとも言われる投資が予 定されています。 サッカーのみならずカタール政府による各種国際競技の誘致は非常に活発で,例年の行 事として卓球の世界ツアー,男女テニスのトーナメント,ゴルフのヨーロッパツアーなど, 各種国際スポーツ大会が開催されます。また,2019年に世界陸上選手権,2023年に世界 2016年1月30日,リオデジャネイロオリンピック最終予選兼 U-23アジア選手権で 韓国を破り優勝した U-23日本代表チーム 36 中東協力センターニュース 2016・7 水泳選手権なども予定されており,さらにはF1カタールグランプリの招致,2028年の夏 季オリンピックへの立候補も検討するなど積極的に国際スポーツ大会の誘致を進めていま す。 スポーツイベントの開催はすごしやすい気候の冬季(11-3月)に集中し,この時期は 毎週のように国際スポーツ大会がドーハで開催されます。大会に出場する日本チーム,日 本人選手の応援は,我々在カタール邦人の大きな楽しみでもあります。駐在員とその家族 たちが日の丸を持って応援に駆けつけ,君が代を斉唱し,母国から来た選手たちに大声援 を送っています。 さて,今年1月26日にドーハで行われたリオデジャネイロオリンピック最終予選兼 U- 23アジア選手の準決勝では,くしくも23年前に生まれた世代のU-23日の丸戦士たちが同 じイラクを破り,五輪出場の夢を叶え,続く決勝の韓国戦でも0-2からの大逆転劇,3 -2で勝ち優勝を決めました。戦前は日本チームの劣勢が予想されましたが,手倉森ジャ パンがここドーハで見事大輪の花を咲かせました。 『ドーハの悲劇』の言葉だけが有名になっているカタールですが,日本 A 代表の1993年 以降カタールで開催された国際試合の戦績は,なんと7勝1分け。実はカタールは“ゲン の良い国”,“相性の良い国”であります。2022年にカタールで開催されるワールドカッ プ,建設中の新スタジアムを見ながらサムライブルーの戦士たちが縦横無尽にピッチの上 で暴れまわる姿が目に浮かびます。 最後になりますが,2011年に日本を襲った東日本大震災に際し,100億円の寄付を行い, エネルギー不足に悩む日本に対しいち早く LNG 供給の約束をしてくれた国カタール。今 年,その状況を描いた映画「サンマとカタール」が上映されました。現在でもカタールに とり日本は最大の貿易国。日本の皆様が少しでもカタールに目を向けて頂けるよう心より お願い申し上げ筆を置きます。 37 中東協力センターニュース 2016・7
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