48 表紙の絵について モデル 茶つぼ 藤原広美さん︵右︶ 後藤佳子さん︵左︶ 幸せのハイボール 茶つぼでは、毎年初夏に〝ビワのタネ酒〟を仕込んで いる。ビワからタネを取り出して一つ一つ皮をむき、ホ ワイトリカーに浸して蜂蜜を加える。飲み頃になるまで に三年かかる。飴色になった酒は、杏仁豆腐のような香 りがする。 ﹁これで何か、カクテルをつくれないかしら?﹂ 女将の佳子さんと、バー担当の広美さんは考えた。い ろいろ試して完成したのは、特製のハイボール。 プレミアム角瓶をソーダで割って、仕上げに〝ビワの タネ酒〟をたらりと垂らす。 ほんのり甘い香りがふわりと漂う。 ﹁名前は何にする?﹂ ﹁そうね、〝幸せのハイボール〟はどうかしら﹂ 絵 柳原良平 ﹁いいわね、飲むと幸せになれそうで﹂ スキー好きな〝アンクル〟の訪れを待っている。 秋がきた。〝幸せのハイボール〟は、店で誰よりウイ 1931年東京生まれ。寿屋 ︵現サントリー︶ 宣伝部時代に は、 ト リ ス の 広 告 を 制 作 し ﹁アンクルトリス﹂ を生み出す。 バーと蒸溜所を繋ぐ雑誌 ウイスキー ヴォイス 2014年 秋 号目次 ウイスキーは夜を作る 特集 師匠の教え ︽2014年 福島篇︾ メモリーカクテル ︽秋味篇︾ 郡山の二人 チェーホフ祭 バーボンのこと 復活、十三トリス 岡崎武志 植木草一 小林叔巳 小玉 武 花崎一夫 輿水精一 懐石料理とウイスキー 読者の広場 ︿師の教え﹀ お知らせ 地図 エディターズノーツ 48 巻頭エッセイ ウイスキーは夜を作る ︵抄︶ 一年三百六十五日のうち、少なくとも三百六十日はお酒を飲んでいる。風 呂上がりにまずビール。ウイスキーにチェンジする頃にはすっかり夜の飲酒 態勢に入り、そこからは長丁場だ。飲酒歴約四十年。これまでにいったいど れくらい、夜を飲む時間に費やしてきたことだろうか。飲みながら原稿は書 かない。私の夜はウイスキーで作られるのだ。厚い底のたっぷりしたグラス に、固い氷を乱暴にぶちこんで、やさしく琥珀色の液体を注ぎ込む。 岡崎武志 続きはお手元にお届けしている本誌でお楽しみください。 1957年、大阪府枚方市生まれ。著書に﹃気まぐれ古書店紀行﹄ ︵工作舎︶、 ﹃女子の古本屋﹄︵ち おかざき たけし ︵晶文社︶ 、 くま文庫︶、﹃昭和三十年代の匂い﹄︵学研新書︶、﹃雑談王 岡崎武志バラエティ・ブック﹄ ﹃太宰萌え 入門者のための文学ガイドブック﹄︵毎日新聞社︶、﹃あなたより貧乏な人﹄︵メディアフ 庄野潤三小説撰集﹄ ︵夏葉社︶などがある。 ァクトリー︶ 、 ﹃古本道入門 買うたのしみ 売るよろこび﹄︵中央公論新社︶、 ﹃上京する文学 漱石 から春樹まで﹄ ︵新日本出版社︶ 、 ﹃蔵書の苦しみ﹄ ︵光文社新書︶など多数。編著に﹃夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選﹄ ︵みすず書房︶ 、 ﹃親子の時間 特集 師匠の教え 2014年 福島篇 福島のバーを巡って 三人のバーテンダーの方々に お話を伺いました。 画/中野 直 取材・文/編集部 ケルティックバー「キャシェル」の入り口。記事は8頁 三つの魔物に手を出すな ケルティックバー﹁キャシェル﹂ 武藤克彦さんのお話 ﹁バーテンダーはいつも三つの魔物に囲まれてい 武藤さんは、バーの技術を深めたいとの想いから、 日本バーテンダー協会に入会した。当時、地元の 福島支部で、支部長を務めていたのが及川さんだ った。 永年勤めたホテルのバーを独立して、﹁キャシ ー業界全体の地位の向上〟でした。何しろバーテ ﹁及川さんが、永年、力を注がれてきたのは〝バ 〝バーテン〟を〝バーテンダー〟にする活動 ェ ル ﹂ を 開 店 す る 時、 武 藤 克 彦 さ ん が〝 心 の 師 ンダーが〝バーテン〟と呼ばれ、職業差別を受け る。決して手を出してはいけないよ⋮⋮﹂ 匠〟と慕うベテラン・バーテンダーからもらった バーテンダーが〝普通の職業の一つ〟として働い ていた世代の方ですから。今、僕らのような若い 心の師匠とは、﹁バー山小屋﹂のマスター、及 ていられるのも、あの世代の方々の努力があって 餞 の言葉だ。 川武彦さん。昭和一桁生まれの及川さんは、福島 福島支部はいつも活気に充ちていた。地元の一 こそですよ﹂ 牽引してきた重鎮の一人だ。その元で働いた経験 般の人たちに向けて、バーへの理解をもっと広め にバーが生まれた草創期から仕事を始め、業界を を持たない武藤さんだが、密かに〝心の師匠〟と たい。支部のバーテンダーたちは、心を一つにし て、さまざまな活動に取り組み、地元の新聞社の 呼んできた。 出会いは二十代の頃。ホテルで仕事をしていた 「キャシェル」の武藤克彦さん。 おすすめの一杯は、アイラモルトのソーダ割り。 グラスのふちに、徳島産の“竹炭塩”をのせて。 大きな成果も得られた。 名を冠した〝カクテルコンペ〟を立ち上げるなど、 ﹁バックバーの棚があります﹂ ごらん﹂ ﹁棚には何がある?﹂ ﹁酒のボトルです﹂ そして活動の中心には、いつも及川さんがいた。 ﹁及川さんは、六十、七十になっても仕事一筋。 ﹁そう、それが魔物だ﹂ る。そんな時、つい酒のボトルに手を伸ばす。そ 一人でカウンターを守る店では、ヒマな時もあ あの姿には、僕もそうとう感化されました﹂ 三つの魔物に手を出すな 及川さんの店に挨拶に訪れた。すると、 にある。横を見てごらん。何が見える?﹂ ﹁それから、別の魔物は、いつもカウンターの端 れがいけない。酒は品物と心得よ。 ﹁おう、武藤君。おめでとう。とうとう開店だね。 ﹁レジです﹂ 独立開店のめどが立った晩のこと。武藤さんは、 まあ、ここに座りなさい﹂ ﹁お金です﹂ ﹁レジの中には何がある?﹂ 言葉を贈られる。そこで、武藤さんは訊ねた。 ﹁それが、第二の魔物だ﹂ カウンターに腰掛けると、及川さんから先述の ﹁三つの魔物って何ですか?﹂ げに手をつけたらどうなるか。店は直につぶれる。 経理も帳簿も一人でやるからといって、売り上 ﹁魔物の一つは、いつもバーテンダーの後ろに控 売り上げから経費を差し引いたほんの一部が小遣 及川さんの答えはこうだ。 えている。今、僕の後ろには、何があるか言って いになると心得よ。 ﹁それから最後の一つは、おや、今日はまだいな いな⋮⋮﹂ その時、店のドアが開いた。 ﹁こんばんは﹂ ﹁やあ、いらっしゃい﹂ その客は以前、武藤さんもホテルのバーで接客 をした覚えのある美しい女性だった。 及川さんは、彼女に武藤さんを紹介した。 ﹁こちらは、ホテルのバーから今度独立して、自 分の店をはじめる武藤君。どうか、ひいきにして やってください﹂ そして、武藤さんの顔を見て、 ﹁な、分かるだろ?﹂ 武藤さんには良く飲み込めた。 魔物は、バーテンダーの後ろと、横と、そして、 時々、目の前に現れる。 魔物に手を出すか、出さないでおくか。迷った ら、心の師匠の教えを思い出す。 武藤さんが﹁キャシェル﹂を開店して、一年も 経たずして、及川さんは他界した。享年七十七。 二〇一四年の今年は、十四回忌を迎える。 。感謝の気持ちから、武藤さんは手 ここまでこれたのも、いつも心に師匠がいてく ︱ れるから を合わせる。 師匠の背中と、弟子の幸せ バー スズキ 古川智之さんのお話 ﹂ ﹁掃除が出来ないやつには、繊細な仕事は出来な ︱ いよ 古川智之さんが心に刻む、師匠の言葉だ。 ﹁お客さんの心をくすぐる仕事がしたければ、毎 「バー スズキ」の古川智之さん。 おすすめの一杯は、ロブロイ カクテル。 味わいは、白州モルトを使ってやわらかく。 日のルーティンワークをおろそかにするな﹂ 師匠の名は、鈴木幸治さん。﹁バー スズキ﹂の バ ー テ ン ダ ー に は、〝 酒 の 試 飲 会 〟 や〝 勉 強 会〟など、開店前に外に出掛ける用事も多い。そ 歳は四十代はじめ、古川さんにとっては〝年の ゃないですか。でも師匠は、絶対、許さない。私 ﹁五分、十分、遅れたってかまわない、と思うじ して時には、予定の時間が過ぎることも⋮⋮。 離れた兄のような存在〟だが、仕事に向かう姿勢 にはもちろん、自分にも﹂ マスターだ。 をいつもそばで見ていると、〝昔ながらの職人気 どうしてこんなにも、師匠は開店時間を大切に するのか? 信頼のため。それが答えだ。 質〟を感じるばかりだ。 ああしろ、こうしろとは、言われたことがない。 ﹁開店時間に合わせて来てくださったお客様を、 師匠の元で働き始めておよそ四年。これまで、 仕込みの時間は、二人して、ただ黙々と手を動か た と え 一 分 で も お 待 た せ し た ら 申 し 訳 な い。 師 右腕として育った古川さんに、一人でカウンター とはいえこの頃は、師匠は時々、店に遅れる。 こから得られるんだ、と﹂ を、毎日、当たり前にする。お客様の信頼は、そ が、いつも根底にあるんですね。当たり前のこと 匠 が 仕 事 に 向 か う 時 に は、 そ う い う 単 純 な 気 持 す。 けれど入店したばかりの時には、二、三の教え を説かれたこともある。 信頼は、日々の積み重ねから得られるもの 一つは、掃除の大切さ。︵これは冒頭で既述︶。 そして一つは、どんな時にも開店時間を守ること。 師匠は、それそれのニーズに応じて〝言葉〟や を任せられるからだ。 ﹁あらたまった口調でカクテルの説明をしていた 〝話題〟を柔軟に変える。 店に入ってくる師匠は、常連客に挨拶する。 かと思えば、別のお客様の方を見て、くだけた話 用事を済ませて三十分、時には一時間。遅れて ﹁いらっしゃい。え、今日は運動会ですか⋮⋮。 に相づちを打つ。決して饒舌ではありませんが、 これに尽きると、古川さんは心から思う。 ﹁師匠の元で働くことが、楽しくてしょうがない﹂ 今、何より幸せに感じていること。 は真似できません﹂ 店の空気を上手につくる。こればかりは、簡単に じゃあ昼から飲んでいらっしゃった?﹂ すると常連客は、 ﹁さっき、古川君にも同じ言葉で、同じことを聞 かれたよ﹂と、笑う。 こういうことが、時々ある。 ﹁接客は誰だって、師匠の真似から入るでしょう。 私の場合は、師匠の言葉遣いまで一言一句、トレ ースしてしまったので、いつも失笑されてます﹂ 店の空気を上手につくる カウンターに集うお客さんは、〝お洒落をして 非日常を楽しみたい人〟、〝仕事の帰りにホッと一 息つきたい人〟⋮⋮と、さまざまだ。 水割りは“濃い目”もまた旨い。 二人の師匠 ライブラリー 三浦幸樹さんのお話 ﹁ライブラリー﹂のマスター、三浦幸樹さんには、 〝かけがえのない師匠〟が二人いる。 学んだことは、〝男の中の男のバー〟だ。 ﹁師匠は何しろ、カウンターで進駐軍相手にギャ ンブルをやっていたような人。かつて男の社交場 だったバーの姿、バーのあり方というものを教え てくれました﹂ 師匠が常々言っていたのは、 生だった頃。最初はアルバイト。やがては〝バー っかりと使って味を出せ。水っぽくならないよう マティーニも、ギムレットも、ベースの酒をし ﹁酒の味がしないカクテルは、酒じゃない﹂ テンダーを一生の仕事にしたい〟と考えて、大学 に心がけよ。 バーの仕事をはじめたのは、地元福島大学の学 卒業後は正社員となった。勤めた店は﹁木馬館﹂。 そして、 昔気質といえば、〝仕事の教え方〟も同様だっ のだった。 呂はするな⋮⋮。昔気質の職人の生活態度そのも 着替えも素早くこなせ。風呂に入る時には、長風 仕事はもちろん、メシも早く食え。トイレも、 ﹁何でも早くしろ﹂ 昭和三十三年開店の、今なお現役の老舗のバーだ。 そこには昭和一桁生まれの初代マスター、庄子 清一さんがいた。 進駐軍相手にギャンブルをしていた師匠 三浦さんにとっては祖父の年齢ほど歳のはなれ た師匠は、進駐軍のバーで仕事を覚えた職人肌。 「ライブラリー」の三浦幸樹さん。 た。 仕 事 は 見 て 盗 む も の だ か ら、 手 取 り 足 取 り の指導は一切なし。弟子の仕事に対しては、﹁い い﹂も、 ﹁悪い﹂も言うことはなかった。 お客様からカクテルの注文を受けた時、師匠は、 ﹁お前、作れ﹂とも﹁作るな﹂とも言わない。 弟子は、注文を受けるとカクテルをつくる準備 をし、師匠から何も言われなければ自分でつくり 始め、途中で止められるとつくるのをやめる。 〝憧れの店〟の門をたたくためだ。 華道と茶道で、バーの仕事の基本を習う 東京南青山の﹁バーラジオ﹂。 店主の尾崎浩司さんは、三浦さんにとっての第 二の師匠だ。 そ こ で 学 ん だ こ と は〝 美 し さ 〟。 そ れ は〝ラジ オのもっとも根本にあるもの〟と、三 浦 さ ん は 振 ﹁バーは美しくなければならない。美しい所作の り返る。 たのは、正社員となって数ヶ月が経った頃。準備 出来ないバーテンダーは、美しいものに触れる資 一杯のカクテルを三浦さんが初めてつくり上げ の段階から完成してお客さんに供すまで、一度も 格はない⋮⋮。それが師匠の教えでした﹂ 生かされるのか? この二つ、バーテンダーの仕事にはどのように 華道と、茶道だ。 務づけられたものがある。 入店すると早々に、仕事の一環として修得を義 師匠に止められることがなかった。忘れられない 瞬間だった。 ﹁あの時は、本当に嬉しかったですよ。これで、 一人前と認められのですから﹂ ﹁木馬館﹂の師匠の元では、およそ十年働いた。 そして三浦さんは、福島を離れて上京する。 日本古来のもてなしの文化をつくる基礎〟。 そして三浦さんが言うには、〝茶道は何より、 のバランスです。華道では〝不等辺三角形〟が基 ﹁バーテンダーの仕事を続ける限り、茶道の修行 ﹁花を生ける。その時、気をつけるのは、美しさ 本の一つ。モノを並べる時には、それらが不等辺 にも終りはありません﹂ バーラジオで修行すること四年。十八で初めて 〝朝礼のスピーチ〟が接客を磨く 三角形を作るように配置すると、美しいバランス が生まれると言われています。このバランスを体 を盛りつける時にも応用が出来ます。絵付きの皿 バ ー の 仕 事 に 就 い て、 早 三 十 を 過 ぎ て い た 三 浦 得できれば、バーの仕事ではチーズやオードブル であれば、その絵を生かしながら盛りつけようと、 さんは店を辞し、故郷福島に戻り、﹁ライブラリ ー﹂を開店した。店はもうじき、八周年を迎える。 そういうことも思いつくんですね﹂ では、茶道はどうか? 思うことがある。 バーラジオの日々を振り返ると、今も懐かしく ん。モノを手に取る時、右から取るか、左から取 〝朝礼〟だ。 ﹁お茶の世界には、無駄な所作が一つもありませ るか、それは次の動作によって変わってきます。 て美しい。カウンターの中でもそのような所作を 聞記事や、読んだ本、映画や美術展⋮⋮、自分が 五分の持ち時間でスピーチを行った。内容は、新 店では毎日、開店前、若いバーテンダーは一人、 するにはどうすればいいか⋮⋮。茶道に触れると、 感動したり、興味を惹かれたことを皆に語って聞 一つ一つの動きには意味がある。合理的で、そし そういうこを気にかけるようになりました﹂ それは、カクテルの味も同様だった。 ﹁何も突出していなくて、ただ丸い。けれど、す かせるのだ。 ﹁朝起きたら、今日は何を話そうかと、毎日、ネ べてが香っている⋮⋮﹂ い目標ですね﹂ たどり着けるか分かりませんが、目指して行きた ンダーの仕事の深淵を見せてもらった気がします。 ﹁丸い動きと、丸い味。二人の師匠には、バーテ て美味い。 える。そして生まれるカクテルの味わいも、丸く じていること。尾崎さんの美しい所作は、丸く見 バーラジオの師匠の店でも、いつの頃からか感 そういえば、と三浦さんは考える。 タを探していました。今思えば、あれは接客のい いトレーニングになりましたね﹂ 〝丸い動きと、丸い味〟は、果てしない目標 バーラジオの師匠、尾崎さんの元には、今も上 京する折りに顔を出す。 一方、木馬館の師匠、庄子さんは、三年前、享 年八十で他界した。 木馬館と三浦さんの店は目と鼻の先にある。三 浦さんは店を始めてからも、木馬館を訪れた。 そこで接した師匠の晩年の姿を、三浦さんは忘 れない。 ﹁すべての所作が、丸みを帯びているようでした。 シェイカーを振る動きも、美しい弧を描いている ように見えるんです﹂ カクテルは“艶のあるトロ リとした液体”を目指す。 バーテンダー、語る 第3回 ■ メモリーカクテル ︽秋味篇︾ 美しい盛りつけは、崩されることを前提に 秋の深まる季節に、ぜひとも味わっていただき たいカクテルを二つ、ご紹介します。 一つは、オールド・ファッションです。 モンドバー品川店 小林叔巳 るもよし、カクテルの液体に浸すもよし。このカ クテルのいいところは、十人いれば十通りの楽し み方があることでしょう。 ﹁せっかく奇麗に盛られたフルーツを、崩すのは もったいない⋮⋮﹂ ﹁ぜひ、崩してください﹂ そんな声を頂戴することもあります。 せた角砂糖をグラスに入れて、氷を加え、ウイス と、お答えします。 レシピは、アンゴスチュラビターズをしみ込ま キーを注ぐ。そこにチェリーをしずめて、スライ 楽しむ時間。グラスを空にした後に残るのは、秋 フルーツを崩しながら、思い思いにカクテルを 使用するフルーツは、オレンジ、リンゴ、レモ のひとときを無心に過ごした充実感⋮⋮、となれ スしたフルーツを組み立てます。 ンやライムなど⋮⋮。スライスする時は、〝気持 ば嬉しく思います。 ちなみにベースのウイスキーは、メーカーズマ ち厚め〟にしています。 グラスのなかのフルーツは、そのまま召し上が 2OG)DVKLRQHG 画・甘酢ユキオ フルーツは、そのまま食べたり、 カクテルに浸したり……。楽しみ方は十人十色。 第一に、丸みのある味わいです。幾種類ものフル ーク。数多あるバーボンの中からこれを選ぶのは ンクさせると、どうでしょう⋮⋮。 白州モルトに特有の柑橘系を感じさせる香りをリ レーバーを利かせたワインリキュール。そこに、 これぞ〝秋の香り〟と思うのですが、いかがで ーツを使うカクテルの仕上がりには、とてもマッ チしたバーボンだと思います。 しょうか。 ステアは、最小限にとどめます。これは、時間 が経つごとに微妙に変化する〝秋の香り〟を楽し 秋のウイスキーマックは、最小限のステアで 次にご紹介するのは、ウイスキーマックです。 最初は、白州モルトのドライな感じ。そしてし んでいただきたいと思うからです。 いうシンプルさ。レシピがシンプルであるが故に、 ばらくするとリキュールの持つ甘さと相まって、 材料は、ウイスキーとジンジャーワインのみと ベースのウイスキーを変えれば、味わいの表情も 白州にそなわるスモーキーがひょこり顔を出す。 くりしたいと願いつつ。 実りある夜の時間を開く。そんな美味しさをおつ 刻一刻と味わいを変化させる一杯のカクテルが、 たちまち暮れる⋮⋮。 ます。秋の日は、井戸につるべが落ちるごとく、 ふと、〝つるべ落とし〟という言葉を思い出し がらりと変わるカクテルです。 そこで、季節によってベースのウイスキーを変 えてみるのもまた一興。 これは私見ですが、寒い冬にはスコッチが合う 年です。 と思います。では、秋には何を使いましょう? 私は、白州 材料の一つジンジャーワインは、ショウガのフ 12 :KLVN\0DF 季節に応じてベースのウイスキーを変え、 季節感を演出するのも、また一興。 いつものスタンダード・カクテルでも、 季節によってベースのウイスキーを吟味して、 その時期にふさわしい味わいをおつくりする⋮⋮。 そんなことを試していると、 秋の夜長もあっという間に過ぎますね。 こばやし よしみ 1972年東京生まれ。 2004年、モンドバー品 川店に入店。開店準備期間 より、バーテンダーとして 仕事に携わる。 郡山の二人 ﹁エルヴィスって、いいよね﹂ ﹁ああ、 〝神〟だよ﹂ ﹁じゃあ〝女神〟は﹂ ﹁ん⋮⋮、江利チエミ?﹂ 福島県郡山市の二人のバーテンダー、 バー モルツの蔭山陽一さん、 バー ナムの大内広志さんの物語。 取材・文 植 木 草 一 バー ナムのバックバー バー ナム 十代は、自分が何をしたいのか分からなかった。仕事に就いてはみ たが、これを一生の仕事にしたいとはとても思えない。 大内は、グダグダとした日々をおくっていた。そんなある日のこと。 ﹁オレ、バーで働くことにした﹂ 幼なじみの蔭山が言った。 ﹁お前もどうだよ。バーで十年働いてさ、三十までに一緒に店を出さ ないか﹂ ﹁店を出す?﹂ ﹁そうだよ。三十までに、オレたちの店をつくるんだよ﹂ ﹁オレたちの店って、出来んのかよ、そんなもん﹂ ﹁分かんねえ﹂ ﹁え、分かんねえの?﹂ ﹁ああ、分かんねえ。けど、オレはやる﹂ 蔭山が勤めた先は、バー モルツ。 大内が勤めた先は、バー ナム。 郡山の街中にあるそれぞれのバーは、目と鼻の先にあった。 小学校では机を並べ、たがいの家に上がり込んでは夕飯を食べて大 きくなった二人は、この時、二十歳になっていた。 1 バー ナムの猫たち なる。三十代に突入していた。 があった。かくして二人は、それぞれの店のオーナーバーテンダーと 偶然にも、ほどなくして大内にも店のオーナーから同様のオファー ﹁お願いします﹂ ていかないか﹂ ﹁この店を買い取って、これからはオーナーバーテンダーとしてやっ を受けた。 三十歳を目前にしていたある日、蔭山は店のオーナーからオファー とめるマネージャーの役目も担うようになった。 やがて、バーテンダーの仕事を覚え、チーフとなり、スタッフをま この時を乗り越えようと考えた。 ないか﹂いつか自分の店を持つまでは何でも勉強⋮⋮、その一心で今 ﹁バーの仕事を教えてもらいながら、給料をもらえるんだ。最高じゃ 句一つ言わなかったのは、心構えがあったからだ。 片付けを終えて店を出るのは、毎日、明け方近く。給料は数万円。文 補佐し、グラスを洗い、注文を聞いて、オーダーを通し、料理を運ぶ。 夕方早くから仕込みをはじめ、営業中は、先輩のカクテルづくりを 2 バー モルツ ﹁郡山を〝サービスの街〟にしようじゃないか﹂ 自分の父親よりもずっと年上の今は亡きベテラン・バーテンダーの 言葉を、蔭山は胸に刻んでいる。 その人は、郡山の老舗のバーのマスターだった。客として時々店に 顔を出していた蔭山は、バーテンダーの駆け出しの頃から、なにかと 可愛がられてきた。 ﹁〝サービスの街〟って何ですか?﹂ 蔭山は訊いた。老舗のバーのマスターは答えてくれた。 ﹁ホスピタリティにあふれたバーテンダーが生き生きと働いて、接客 している。そういうバーが、そこかしこにある街だ﹂ ﹁いいですね。客はどこにいっても気持ちのいいサービスを受けられ る。そんな街はいいですねえ⋮⋮﹂ ﹁そうだろう。でもなあ、一軒、二軒が頑張ったって、そんな街には なれないぞ﹂ 蔭山はハッとした。マスターはいつも〝それ〟を考えていたのか。 老舗のバーには、蔭山の他にも、何人もの若いバーテンダーが出入 りしていた。皆、マスターのことを好いていた。憧れていたといって いい。 ダンディ。洒落もの。ジョークが得意。しかしマスターは、柔らか 3 常連客の贈り物 な顔がある一方、締めるところはきちんと締めた。若い人に対しては、 厳しい一面も有していた。 ある夜、若いバーテンダーが度を超した冗談を言ってしまった。 マスターは言った。 ﹁おい、なめんなよ! なめたらオレ、勃っちゃうよ﹂ そのマスターも、七年前に亡くなった。 その時、蔭山と大内は、三十代の半ばを過ぎていた。 ﹁マスターの遺志を継がなきゃな﹂ 法要の日、どちらからともなく、言い出した。 ﹁これからはオレたちが、若いやつを引っ張っていかなきゃな﹂ ﹁ああ﹂ ﹁バーだけじゃないぞ。カフェも焼き肉屋も、美容院だってそうだ﹂ ﹁ああ﹂ ﹁みんな郡山で頑張ってんだ﹂ ﹁ああ﹂ ﹁この街を良くしたいって頑張ってんだ﹂ ﹁ああ、でも⋮⋮﹂ ﹁でも、なんだ?﹂ ﹁オレたちなんかに、付いてきてくれるのか?﹂ ﹁分かんねえ﹂ 〝職人〟を、 〝クルー〟は英語で〝乗組員〟を意味 が結成された。 〝アルチザン〟とは、フランス語で まって、 ﹁アルチザンズ クルー﹂という名の一団 二〇一〇年。郡山のさまざまな業種のお店が集 で、仕事やボランティアのために他所からやって んだまま、今も帰ってこない人もいる。その一方 多くの人が親類や親兄弟を失った。県外に移り住 ひと頃は、街は閑散となっていた。郡山では、 二〇一四年の今年、あれから早三年になる。 きた人もいる。 震災後、バーではしばらくの間、ご飯とみそ汁 お客さんの願い の定食を出していた。一食の普通の食事を、たま ︱ にはゆっくり味わってみたい に応えたからだ。 あれから三年経ったが、笑い話にするには未だ 早い。 一緒にこれからの郡山を盛り上げて行きたい⋮⋮ 様々なショップの職人気質な仲間達が集まって、 なった。 で買った。店が目と鼻の先、これで自宅も同じに を買った時、じゃあオレもと、近所の土地を選ん 蔭山にも、大内にも、妻と子がいる。一方が家 そんな想いで創られた集合体、それが〝アルチザ ﹁こんなオレでも家庭も家も持てるんだって見せ 異業種ではありますが郡山市を拠点とした ンズ クルー〟です。ショップ毎に様々なサービ てやったら、若いやつの励みになるだろ﹂ ︱ ている。巻頭には次の挨拶文がある。 べての店が写真付きで紹介され、クーポンも付い 冊子が置いてあり、なじみのお客に配られる。す それぞれの店には、〝パスポート〟と称する小 ォーム店もある。 アクセサリー店、ヘアサロン、さらには家のリフ メンバーは、バーをはじめ、カフェや焼き肉屋、 する。二つを合わせて﹁職人気質の乗組員﹂だ。 5 スをご用意しております。わずかばりではありま 4 すが、皆様のお役に立てれば幸いに思います。 大きな震災以来、気持ちはぐらついている。ぶ ものがあるからだ。 れている。けれど、一歩は踏み出した。守りたい 大内だ。他の店にも声をかけると賛同してくれる ﹁前に進んでいかなくちゃ、守りたいものも、守 発案したのは蔭山で、まっさきに賛同したのは のは、若い人ばりではなかった。 れないよ﹂ 〝アルチザンズ クルー〟。それは、この街に〝オ とやろう。大先輩の考えだった。 街はこれ以上楽しくならない。面白いこと、もっ 場合じゃない。みんなで高め合わないと、郡山の 店の業種⋮⋮、今はそんな垣根にこだわっている ﹁それ面白い! オレも仲間に入れてくれよ﹂ 歳の上下に、所属しているサークル、それから ﹁分かんねえ。けど⋮⋮﹂ な?﹂ ﹁これからも頑張っていけば、いいことあるのか ﹁あん?﹂ ﹁オレたち、乗り越えたのかな?﹂ そして、二人は立ち止まる。 後ろを振り向かず、三年、歩いた。 大先輩のバーテンダーは言った。 レたち〟が起こす面白いことの小さな一つ。小さ ﹁けど?﹂ ﹁そうだな。止まっていたら、終わっちまう﹂ いけれど、やりがいのある一つ。二〇一〇年、蔭 ﹁分かんねえ﹂ そしてまた、歩き始める。力強く。 山と大内は、四十歳になっていた。 さあ、出発! 日本に大惨事が起きたのは、その翌年のことだ った。震災と、それにともなう原子力発電所の大 事故だ。 バー ナム バー モルツ 大内広志さん︵上左︶ 蔭山陽一さん︵上右︶ ﹁アルチザンズ クルー﹂のパスポート︵左︶ 酒場の歳時記 連載 ■ チェーホフ祭 肩 は 男 の 酒 場 で あ る / い つ も 誰 か の 手 が 憩 う 武 小玉 掲句は、﹃寺山修司全詩歌句﹄︵一九八六年︶に掲載された﹃肩﹄という詩の断片である。 酒場の〝真実〟をよく包み込んでいて、温かい血のかよった見事なフレーズだ。そして、どこか人の心 を慰撫するものがある。寺山は博奕につよく、ボクシングが好き、さらに強烈な想像力の鬼であった。激 しい男だった。 ここで﹃肩﹄の全文をみておこう。 肩は男の丘である/その彼方には過去の異郷がある 肩は男の防波堤である/いくたびも人生に船を見送った 肩は男の翼である/ひろげてももう飛ぶことはできない 友よ もう鳥などは発たすな! 肩は男の酒場である/いつも誰かの手が憩う 肩は男の水平線である/だが さらば 17 ヘミングウェイに﹃男だけの世界﹄という短篇集がある。寺山はそこまでは言い切っていないけれど、 ここで男の人生を詠んでいる。﹁肩﹂に男の人生を仮託している。肩、つまり男は、丘であり、防波堤で あり、翼であり、酒場であり、水平線でなければならない。そして、男は失意にあっても水の如く泰然自 若として、酒場で憩う友と盃を酌み交わす⋮⋮。 私は寺山に一度だけ会ったことがある。彼の死の十カ月前、一九八二年六月のことで、﹃サントリーク ォータリー﹄誌 ︵*︶の巻頭インタビューでのことだった。 その日は、ゆっくり話を聞くことになっていたので、約束の赤坂某店で待っていた。寺山はトレードマ ークの黒地に波模様のシャツに、踵の高い突っ掛けを履いて、ひとりでふらりとやって来た。もちろん手 ぶら、身軽な出で立ちながらやつれた様子もなく元気そうだった。一七〇センチくらいと聞いていたのだ が、初対面の寺山修司はずいぶん大きくみえた。梅雨の晴れ間の夕暮だった。 ﹁やあ、お待たせしました。今日は何でもきいてください!﹂ と、風貌とは違って、寺山はとても紳士的で、親しみのこもったことばで快活な印象を与えた。念のた めに書いておくと、サンダルの踵の高さは十センチほどもあったろうか⋮⋮。 その夜、寺山はとても饒舌だった。まず彼自身が語った生い立ちを記しておこう。 ﹁僕が五歳のときに父親が戦争に行きまして、十歳のときに戦争が終わって、父は戦死したわけです。そ れで、母親と僕と二人きりになったんですけど、母親が生計を立てるために、九州の米軍基地まで出稼ぎ にいくわけですね⋮⋮﹂ これが寺山の生涯の伏線になるのだが、孤独になった幼い彼は、友達を集めて探偵団ごっこをやり、ゲ ームを考案し、さらに壁新聞をつくり、クリエイティブな遊びに凝ったという。ところがある日、同級生 に〝俳句をやるやつ〟がいて、寺山を書店に連れて行った。そして、﹃暖鳥﹄という雑誌に自分の名前が 出ているのを、彼に見せたのだった。 。 寺山が俳句の投句を始めたのは、この時のショックが動機となったからだ。その頃から、山口誓子や中 ︱ 村草田男などの句集を読み始めたという 寺山は俳人、歌人、詩人、劇作家、演出家、そして幅広いエッセイや小説をものした文筆家として知ら れるが、そもそもは俳句によって文学に開眼した郷里青森での少年時代があったのだ。 一九三三年、弘前市紺屋町に生まれている。 そういう初期体験があったものの、寺山がデビューしたのは、前衛歌人としてであった。早大へ入学し た十八歳の年、中城ふみ子の短歌に刺激されて、﹃チエホフ祭﹄五十首をつくり、歌誌に応募して第二回 ﹃短歌研究﹄新人賞を受賞する。歌壇は新鋭歌人の登場としておおいに歓迎したが、若書きの自作の俳句 をアレンジした作品も多く、俳壇からは批判をうけた。が、このスキャンダルが、かえって彼を有名にし た。 どのような作品だったのか。代表作を読んでみよう。 チエホフ祭のビラのはられし林檎の木かすかに揺るる汽車過ぐるたび 修司 同 莨 火 を 床 に 踏 み 消 し て 立 ち あ が る チ エ ホ フ 祭 の 若 き 俳 優 同 桃 い れ し 籠 に 頬 髭 お し つ け て チ エ ホ フ の 日 の 電 車 に 揺 ら る 歌の調べといい、主題といい、中井英夫など歌人の評価は高かった。しかし、俳句をやっていた寺山の 短歌は、その影響がつよく出ていた。極端なケースでは、以前つくった自分の俳句や高名な俳人の句のも じり、引用があった。たとえば次の俳句である。 チ エ ホ フ 忌 頬 髭 お し つ け 籠 桃 抱 き 修 司 母 は 息 も て 竃 火 創 る チ エ ホ フ 忌 同 この俳句と受賞作の短歌とは、よく似ているだろう。これらの俳句を〝したじき〟にして作ったものと、 批判されたのだ。さらに、俳句も中村草田男や橋本多佳子など大家の句の引用、盗用があるという指摘を うけた。 燭 の 灯 を 煙 草 火 と し つ チ エ ホ フ 忌 草 田 男 露 け き 中 竃 火 胸 に も え つ づ け 佳 子 このように並べてみると、類似性の存在はあきらかだ。しかし、歌人の間では、かえって言葉のモンタ ージュ、あるいは、モダンアートではよく使われる奇抜な効果を狙った〝貼付け〟技法であるコラージュ としてみることも可能ではないか、という肯定派も出てきたのである。そしてこれが寺山芸術の〝原点〟 となった。寺山修司だったからこそ、とそんな評価がうまれたのであろう。前衛的な手法として受け止め られたのである。が、今も、肯定派、否定派は、相半ばすると思われる。読者はいかがであろうか。 歳時記にはない〝季題〟だが、﹁チエホフ祭﹂は秋で、﹁チエホフ忌﹂は夏であろう。それにしても、チ ェーホフにイメージを重ねた味わいのある詩的な季題だと思う。たとえヴォキャブラリーを草田男俳句か ら借りたとしても⋮⋮。 寺山は、一九八三年、四十七歳で死去して、すでに三十一年になる。依然としてファンは多い。芝居が 上演され、出版が続き、みんなが寺山を語っている。 この日は食事をしながらではあったが、 〝寺山修司総まくり〟というつもりで話を聞いた。彼は三時間 余り熱心にしゃべってくれた。食欲はすごく旺盛だったが、寺山は独りごとのように﹁しばらくは、ビー ルもウイスキーもガマン、ガマン⋮⋮﹂といって残念そうだった。あとで知ったのだが、その店の牛のし 。後に﹃寺山修司・多面体﹄︵寺山修司他。JICC出版社︶に収録。 *註﹃サントリークォータリー﹄ ︵十三号 一九八二年九月発行︶ いう。はつは修司にとって慈母であり、きびしい母だった。 ゃぶしゃぶ鍋が、たいそう気に入ったようで、翌月、寺山は年老いた母上はつさんを連れて再来店したと こだま たけし 文筆家。俳人︵師=森澄雄︶ 。現・早稲田大学参与。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞事務局長。 ﹁﹃洋酒天国﹄と その時代﹂ ︵筑摩書房︶で第二四回織田作之助賞を受賞。著書に、 ﹃佐治敬三 夢、大きく膨らませてみなはれ︵ミネルヴァ日本評伝選︶ ﹄ ︵ミネルヴァ書房︶ 、 ﹃ ﹁係長﹂山口瞳の処世術﹄ ︵筑摩書房︶などがある。日本文藝家協会会員。 バーテンダースクール 連載 ■ バーボンについて 今回もお台場のバー﹁ウイスキーヴォイス﹂にて、 チーフバーテンダー石川一春さんと 花崎一夫 石川 今年、六十三になります。 花崎 お父様のお気持ち、分かります。私も同じ く〝バーボン・ブーム〟を経験してきた世代です 花崎 バーボンブームの始まりは、一九八〇年代 に入る少し前。あれは、突如として起こりました。 お話をしながら考察を深めます。 花崎 バーボンと言えば何を思い浮かべますか? 石川 私の場合は、〝父親〟ですね。 花崎 ほう、それはまたどうして? 石川 子どもの頃、父がよく飲んでいたんですよ。 グラスに自分で氷を入れて、ボトルからトクトク ところで石川さんは、何年生まれですか? からね。 注いで⋮⋮。子どもながらにも〝何だかいいもの 石川 でも、バーテンダーの先輩から話は聞いて 一九八〇年代のバーボン・ブーム 飲んでるな〟と思いまして、ある時、聞いたんで す。 ﹁父さん、何飲んでるの?﹂。すると父は一言、 石川 一九八二年です。 花崎 それじゃあ、ブームは生まれた頃ですね。 隔世の感がありますよ。 ﹁男は、バーボンのオン・ザ・ロックだよ﹂ 花崎 アハハハ。お父さんは今おいくつ? 46 Bourbon on the rock by Kazuharu Ishikawa 氷はアイスピックで削った丸氷。「スモールバッチなど、 個性的なバーボンを供す時には、この一杯」と、石川さん。 ますか? ます。それに対してバーボン・ブームは、まずは います。 〝あの頃は、カウンターの上にバーボン 花崎 そうです、当時は、それまでお酒を扱った ことのないインポーターまでがバーボンの輸入を 〝イメージありき〟でした。まさに、石川さんの をずらりと並べていたんだ〟と。 始めましたから。五十か、六十、もしくはそれ以 お父様がおっしゃっていた通り、﹁バーボン=男 花崎 ハイボール・ブームは、言ってみれば〝ウ イスキーの飲み方提案〟という側面が多分にあり 上の銘柄が日本に入ってきていたようです。 れと同時にブームが巻き起こったように思えます。 のサケ﹂という方程式が完全に出来上がって、そ 石川 けれど、店の棚には収まらないので、カウ ンターに並べていく⋮⋮。何年か前にはシングル モルトがそれに近い状況にありました。 石川 そういう〝イメージ〟は、どこからきたの でしょうか? 花崎 小説で言えば〝ハードボイルド〟と呼ばれ る探偵もの。音楽でいえば、ジャズやブルースで 花崎 それは言えますね。でも、シングルモルト はブームの後にもすっかり定着した感があります。 モルトファンの裾野を広め、それは今なお着実に す。ハードボイルのタフな主人公が、バーで格好 うイメージが生まれたのだと思います。 という情報がまずあって、﹁バーボン=男﹂とい ミュージシャンが好む酒。それがバーボンである、 よく飲んでいる酒。あるいはジャズやブルースの 広がって、浸透しているように思います。 〝バーボン=男の酒〟の方程式を分析する 石川 この頃の〝ハイボール・ブーム〟と比べる と、当時の〝バーボン・ブーム〟には違いがあり スモールバッチを丸氷で 花崎 ところで、最近、お店でのバーボンの人気 のほどは? 石川 ハイボールのベースのウイスキーとして、 お勧めすることが多いですね。こうすると、これ までバーボンを召し上がったこともない方でも、 ﹁旨いね。香りもいい﹂と、好評です。 花崎 バーボンはソーダで割ると、独特の甘さが 際立ちますからね。そもそもハイボールは、バー ボン本来の旨さや華やかな香りを楽しむためには、 絶好の飲み方といえるでしょう。 石 川 お 客 様 の 中 に は、 銘 柄 に よ っ て は オ ン・ ザ・ロックで味わう方もいらっしゃいます。 花崎 銘柄、というと? 石川 たとえば、ノブクリークやブッカーズ、少 量生産の原酒を用いた〝スモールバッチ〟です。 花崎 個性的なバーボンは、やっぱりオン・ザ・ ロックでじっくりと⋮⋮。その気持ちは分かりま すね。氷はどんなものを使っていますか? 石川 丸氷をお使いしています。 花崎 丸く削るのはご自分で? 石川 そうです。アイスピックで一つ一つ作って、 冷凍庫に入れて固くしています。 花崎 いいですねえ。バーボンにはハードボイル も似合うけど、ハードな丸氷もぴったりでしょう。 では、そろそろ今夜も実践編にまいりましょうか。 石川 はい、何をおつくりしましょうか? 花崎 おすすめの〝スモールバッチ〟を丸氷でお 願いします。 はなざきかずお 1949年、東京生まれ。洋酒研究家。サ ントリースクー ル 校長を経て、現在、株式会社エスポア東京本 部特別顧問。著書に﹃新版バーテンダーズマニュアル﹄﹃ラル ース新カクテル事典︵監訳︶﹄など多数。 復活、十三トリス 〝十三トリス 北新地支店〟江川栄治さんを サントリー チーフブレンダー福與伸二が訪ねる。 夏の終わり、サントリーのブレンダー室に嬉し い知らせが届けられた。 大阪・十三の飲食店街が火災にあったのは、今 年三月のこと。串カツ屋や居酒屋が軒を連ねる昔 ながらの横町は炎に包まれ、三十九店舗もの店が 焼けてしまった。 一九五六年からこの地でバーの灯をともしてき た十三トリスも、建物はもちろん、店に置かれた 思い出深い品々まで一つ残らず全焼した。 チーフブレンダーの福與伸二は喜んだ。この夏 んの元には、常連客や友人から﹁復活、祈ってま ことか。けれど火災のあったその日から、江川さ マスターの江川栄治さんは、どれほど落胆した は、自宅でトリスの瓶を三本空にしていた。十三 す﹂とのメールや電話が絶えなくなった。 ﹁火災で全焼した十三トリスが復活する﹂ トリスの〝トリハイ〟が飲めないので、代わりに 土地の所有者や借地権者たちの合意が必要で、時 この声に応えたい。けれど、横町の再建には、 十三トリスの味わいには及ばない。 間 は ま だ か か る。 そ こ で 江 川 さ ん は、 北 新 地 の 自分でつくった結果だ。しかし何杯つくろうとも、 ﹁これでまた、十三トリスの〝トリハイ〟が飲め 〝支店〟の出店を決意する。 する。知らせを聞いた福與は、再開の日を待たず 〝十三トリス 北新地支店〟。その店がついに完成 るのか⋮⋮﹂ 福與は、店のカウンターで永年見てきたマスタ ーのニコニコ顔を目に浮かべた。 休みの日にはライブを開催。 新しい試みにも挑戦したい、と江川さん。 ﹁こんにちは﹂ に、マスターの顔を一目見ようと北新地に赴いた。 切にファイルしてきたそうだ。 れらのサンプルを作成して、お店の図面と共に大 高くした。喫煙席はカウンターのみとして、テー 新しいお店では、カウンターと椅子を数センチ 店は内装工事もほぼ完成の姿を見せていた。カ ブル席は禁煙にした。日本人の平均身長の伸びと、 ﹁やあ、福與さん﹂ ウンターには、真鍮の肘掛けとレンガの足置き。 喫煙率の低下に合わせたからだ。そう話すマスタ る気持ちです。一年先か二年先か分かりませんけ 背の高いテーブル席も設けたレトロ・モダンな雰囲 福與は内装を手がける建築会社の社長を紹介さ ど、この店の頑張りで、いつか〝十三の本店〟も ーの声からは、ワクワクしている気持ちが伝わる。 れる。自身も職人として働く社長は、マスターの 復活させたい、思ってます﹂マスターはそう言っ 気は、いかにも北新地にふさわしい。しかも⋮⋮、 中学時代の同級生。十三トリスの壁の塗り替えな て胸を張る。そして、 ﹁なんだか、楽しそうですね﹂ どの修繕は、永年この幼なじみに手掛けてもらっ ﹁トリハイ、おつくしましょうか?﹂ ﹁なんだか、十三の懐かしい香りがしますね﹂ てきたという。 ﹁え、いいんですか?﹂ ﹁楽しいですよ。これから新しい店を一から始め ﹁店は跡形もなく焼失したけど、彼のおかげで、 ﹁そう思いますか。嬉しいですね﹂ 天井や壁は、色も材質も完璧に分かるんですよ﹂ 一口、旨い! やっぱりこの味わいばかりは、 どんなブレンダーにだってつくれない。 幼なじみの社長はメンテナンスに使うため、そ 連載 香りの言葉 ﹁梁山泊﹂の店先の行灯 輿水精一 サントリー 名誉チーフブレンダー ﹁ウイスキーと懐石料理は、似ているんですよ﹂ 京都の料理店のご主人がおっしゃいました。 ﹁え、どこがですか?﹂ ﹁どちらも、つくる人が、とっても恵まれているんです﹂ お店は京都の百万遍にある﹁梁山泊﹂。 ご主人の橋本憲一さんは、この道四十余年の大ベテラン。 その一方で、食やお酒に関する沢山の本を著し、最近は、 京都大学の大学院でMBAを取得したほどの学究肌です。 橋本さんは、こんな話を聞かせてくれました。 懐石料理の歴史をたどると、平安京までさかのぼる⋮⋮。 平安の時代、税制といえば租庸調。その一環として、中央 には全国の特産品が集まってきたそうです。これらの〝贅 沢な食材〟を何種類も使って料理をつくる。それが、今で 懐石料理とウイスキー 22 いう懐石料理の大本だとか。 ﹁ね、ウイスキーと一緒でしょ?﹂ 橋本さんは、そう言ってにっこり笑います。 ミズナラ樽や、シェリー樽に、バーボン樽⋮⋮、山崎、そして白州の 蒸溜所から生まれる多彩なモルト原酒の数々。 ﹁そういう美味くて、貴重なモルトを何種類も使って、輿水さんたちは ブレンドをつくっているのでしょう。私たち、京料理の料理人と、やっ てることは同じですよ﹂ その橋本さんのお店では、この頃、評判を呼んでいる懐石料理の〝特 別コース〟があります。その名も〝ウイスキー懐石〟。 先付きから始まってお椀や炊き合わせへと続く料理の一品、一品を、 ウ イ ス キ ー と 共 に 味 わ う。 し か も ウ イ ス キ ー は、 そ れ ぞ れ の 料 理 に 合 わせて工夫がこらしてあります。あるものにはワサビを加え、またある ものには、木の芽と一緒に凍らせた氷を使い、あるいは、お店の出汁を かすかに利かせた上でぬる燗にし⋮⋮。その発想には驚くばかりですが、 一口味わえば、驚きは本物になります。どちらも、実に旨いからです。 なかでも特に印象的な一杯があります。それは、〝お椀〟と共に供さ れるウイスキーです。 ﹁お椀というのは〝水の挨拶〟と考えているんですよ﹂ 橋本さんはおっしゃいます。 それをお客様 懐石料理のコースの中で、﹁うちの〝出汁〟︵つまりはすべての料理の ︱ 基本となる〝水〟︶は、こんなもんを使っています﹂ にお見せするのが〝お椀〟である、と。 橋本さんの料理の出汁は、カツオと昆布と薄口でつくります。その出 汁を〝もっとも盛り立てた料理〟がお椀だそうです。 年です。さ、どうぞ﹂ そして、そのお椀に合わせるウイスキーは⋮⋮、水割りです。 ﹁うちの井戸水で割った響 聞けば、その井戸水は、出汁をとる時にも欠かせない。すなわち、す べての料理の母なる水とも言えるもの。 一口、飲んで驚きました。薄めにつくられた水割りは、響の味わいが とてもよく生かされている上に、まるで〝美味しい水〟のようです。 思えば山崎と白州のウイスキーの蒸溜所も、敷地にわき出る清冽な地 こしみず せいいち サントリー酒類株式会社 ウイス キー部 名誉チーフブレンダー。 194 年、山梨県甲府生まれ。 1999年、チーフブレンダー に就任。2014年より現職。 下水を使って、ウイスキーを仕込んでいます。 いい水がなければ、美味しさづくりは始まらない⋮⋮。 〝水の挨拶〟の味わいを思い出すたび、あらためて思うこの頃です。 9 17 ホットトット クラブ 富山市 ︶ 崇 さん ︵ BAR PEAT 千葉県市川市 森岡 ︶ 若い頃、よく飲みに行 っていたレストランバー 京井克幸 さん ︵ のマスターに言われた一 気持ちで飲むお酒は、お に、安心して帰っていた ︶ だくことが大切だ﹂ ファイブ Bar 愛知県碧南市 内藤和晃 さん ︵ 昔、先輩から言われた 言葉。 ﹁とにかく食え!﹂ 当店 の内装を担当していただ ﹁バーテンダーは知識が い て い る 社 長 の 一 言。 んだ。極端なこと言やァ 言。 ﹁飲食店っての人様 お客様の命を預かってん 技術﹂ には食べること﹂ 。以来、 自分が扱っているお酒 のことはもちろん、映画、 ギャンブル、漫画⋮⋮、 自分が興味のないことで もお客様に話を振られた 客様にとって、なにより ら答えられる知識を持っ 師匠の言葉。 ﹁ バ ー テ ン ダ ー は、 酒 場 美味しく感じるはずだと。 中島正人 さん ︵ アドニス 岐阜県多治見市 思い悩んだ時には、食べ 追伸 その後、社長はガ ンで胃を全摘され、心配 しておりましたら先日久 し振りに連絡を受け、現 ﹁腹筋なら千回出来 の世話人だから、お一人 えておられるはずです。 70 ていないと⋮⋮。楽しい ございま す 。 ほ ん の 一 部 で見えた女性のお客さん たしまし ょ う 。 る!﹂と豪語。 歳を超 ︶ だ﹂ これだけは忘れら れません。 の口に入るものを扱って 42 となりま す が 、 ご 紹 介 い 52 て力をつけています。 最 後 は﹃ 力 ﹄ 。そのため 46 ﹁ 建 築 業 も バ ー も 同 じ、 50 在ご自宅を改造し会員制 師の教え *今号に も 沢 山 の お 便 り 今回のテーマ トレーニングジムを建築。 :+,6.<648$5( をくださ り 、 あ り が と う 読 者 の 広 場 ピッコロスタンツァ 東京都世田谷区 尚 さん ︵ ︶ BAR CLOVER NIGHT 秋田県大館市 安達 門道︿モンド﹀ 栃木県宇都宮市 遠山邦久 さん ︵ ︶ 二十年前、料理の道を 志した時、親方から教わ ︶ 高校の頃の空手の師匠 の 教 え。 ﹁自分の弱い心 ったこと。 内海吉博 さん ︵ バーで 働 き 始 め た 頃 、 先 輩 に、﹁ 1 0 0 0 人 相 に、 心 を 委 ね る な ﹂ 。苦 手にカク テ ル を 作 っ て 、 しく心が折れそうな時は、 ﹁ 人 様 の 腹 に 入 れ る も の メだ!﹂ 。言われて以来、 毎日、店の営業日は、革 ︶ 靴を履き替える私であり ます。 テネシー 香川県観音寺市 鈴木智博 さん ︵ 楽しい気持ちの方もいれ 情でお店にお見えになる。 マスターの教えです。 ﹁お客様はいろいろな心 ば、その一方で、落ち込 胸に染みました。今も 自分をつくっている最中 自分自身を造れ﹂ を作るのだから、先ず、 やっとこ な れ る よ ﹂ と 言 す。お客 様 に 教 え て い た だくこと だ と 思 い 、 今 も のつもりで、腕に磨きを 大事にし て い る 言 葉 で す 。 かけたいと考えています。 いうお客様が帰られる時、 んでいる方も⋮⋮、そう サロン ア ディネ ガルリ 兵庫県宝塚市 店をオープンしたての 頃、地元で紳士服のお店 少しでも、来られた時よ ること、それがバーテン っていただくように務め り気持ちよく、笑顔にな としていてカッコいい男 ﹁どんなに背丈がスラッ ︶ を構えるお客様の一言。 ﹁自分が仕事を楽しいと ︶ お客様 の 心 理 、 体 調 に 合わせ、 お 酒 を 選 び 調 合 が楽しいわけがない﹂ 濱岡直人 さん ︵ する。俺 達 バ ー テ ン ダ ー 思えなかったら、お客様 は免許を 持 た な い 薬 剤 師 ダーの仕事です﹂ 。 35 でも、足元が汚い男はダ 柴田孝幸 さん ︵ ポットスチル 秋田県大仙市 中原香織 さん カオス Bar 東京都武蔵野市 その言葉を思い出します。 44 われたこ と を 覚 え て い ま 32 今も、自分の店のあり 方の基本です。 だ。︵先輩の言葉です︶ 35 49 39 ディスティル 大阪府枚方市 阿曽安泰 さん ︵ ︶ ﹁見えないものを見 る﹂見え な い と こ ろ に あ る本質を 見 抜 く こ と が 大 切。先輩 の 教 え で で す 。 ︵エルムンド︶ EL MUNDO 栃木県足利市 ︶ ことで⋮⋮、店を始めて ︶ 年、まだまだこれから ですね。 BAR-CHEERIO 北海道札幌市 小野高宏 さん ︵ 代の頃、先輩から、 ﹁ バ ー テ ン ダ ー は、 お 客 様だけでなく、業者の方 潮 さん ︵ Lady 秋田市 齋藤 ︶ ﹁お客様に教えて頂くん だよ﹂うちの中島オーナ ︶ ーがよく言ってます。 桂山 大阪市中央区 小川智治 さん ︵ ご来店 く だ さ る お 客 様 は、店の 何 か を 好 き に な はいけな い ﹂ にはオープン四半世紀。 いただきました。二年後 は出来ない﹂と、教えて 方をしなければ良い仕事 方に気遣いの出来る生き 悩んでいると、店長は、 な? ステア、シェーク、 お 客 様 と の 会 話 ⋮⋮﹂、 ま し た。 ﹁えーと何か バーに勤めて1年くら いの時に、店長に聞かれ 災︶ 、続けて頑張ってよ これまで大変なことも ありましたが︵阪神大震 ッとするわ﹂ ﹁昔に帰ったみたいでホ たことがあります。 年、掃除はほんま、し ︶ っかりやってます。 N's nude 兵庫県神戸市 成本一樹 さん ︵ 久し振りにご来店され たお客様が一言。 間が止まっているな﹂ ﹁ こ こ は、 い つ 来 て も 時 ってくだ さ っ て い る の だ 定年のない遣り甲斐ある かったと、しみじみ思っ 〝時代遅れの店〟と言 われた気がしたのですが、 から、こ ち ら も お 客 様 を ﹁バーの基本は掃除 続けてお客様は、 好きにな ろ う 。 と て も た この仕事。五十周年まで や!﹂と一言。あれから 続けたいと思っています。 何だと思う?﹂ ﹁バーテンダーの基本は 48 めになる ア ド バ イ ス で す やビル管理の方、飲みに 25 が、10 0 % は 出 来 な い 行った店ではスタッフの 菅野賀見呂 さん ︵ 51 ﹁お客様に片想いさせて 37 50 18 20 39 47 BAR UNDERWOOD 埼玉県戸田市 ︶ BAR IPANEMA 鹿児島市 田山弘幸 さん ︵ ︶ 師匠は全く怒らない人 でした。その元で働いた 木下洋一 さん ︵ はじめ て 働 い た バ ー で 教えてい た だ い た 言 葉 、 八年間で、ただ一度をの 音楽大学を卒業する時、 先 生 に、﹁ 毎 日、 一 分 で もいいからピアノに触り なさい。触り続ければ、 何か変わっていくから﹂ 次回のテーマ おたよりください ﹁お金の使い道﹂ お店のために特にお金 をかけていることは何で 社会に出てからも毎日、 ピアノを弾き、十一年前 ぞいては。それは、お客 すか? 仕入れに、家賃、 オーディオ、季節のハガ バーテン ダ ー は 動 揺 し て キ、改装のための貯蓄、 等 々。 ま た、〝 宵 越 し の に店を開けてからも変わ 金は持たない〟 、 〝利益は りません。うまく言えま 断してゆっくりと丁寧に、 せんが、おかげでずっと てしまった時、営業を中 目標を忘れずに続けてい 様に片手でおつりを渡し 。 怒られました。以来、お お客様に還元する〟など、 水本仁史 さん 年 月 名様に、 日︵月︶消印有効 モルトをお贈りします。 蒸溜所で発売のシングル 掲載分と抽選で も 教 えてく ださい。次 号 ちであれば、どんなことで お金に関する考えをお持 つりはゆっくり丁寧に両 手でお渡ししています。 ︶ SUNDANCE 岩手県盛岡市 られる気がします。 は い け な い ﹂。 今 も そ の BAR APOLLO 岡山県倉敷市 森田 勇 さん ︵ 未完成 PIANO BAR 新潟県柏崎市 藤巻雄吾 さん ︵ 10 ﹁7年に一 度 、 改 装 を ! ﹂ お客様 は 新 し い 店 が 好 き。新規 オ ー プ ン の 店 に 今、目の前にいるお客 様を大切に。そのお客様 のうしろには、100人 17 負けない 〝 古 く て 素 敵 な 学 生 の 頃、 〝ピアノを 置いた店をつくりたい〟 のお客様がいる。 11 店〟にバ ー ジ ョ ン ア ッ プ し ま し ょ う。︵ 米 国 の 友 と思いました。そして、 '14 ︶ 言葉を守 り 続 け て い ま す 。 ﹁どんな事 が 起 こ っ て も 、 39 34 人E・チ ャ ド の 言 葉 ︶ 35 52 世界的な酒類コンペティション イギリスの世界的な酒類コンペティション ﹁ 第 回インターナショナル・スピリッツ・チ ャ レ ン ジ︵ I S C ︶ 2 0 1 4﹂ で、 サ ン ト リ ー酒類株式会社が、﹁ディスティラー オブ ザ イ ヤ ー﹂ を 受 賞 し ま し た。 こ の 賞 は、 高 品 質 で 多 彩 な 製 品 を 生 み 出 し た メ ー カ ー︵ デ ィ ス テ ィ ラ ー︶ の 中 か ら 社 に 贈 ら れ る も の で、 弊社の受賞は、 年連続 回目となります。 また、ウイスキー部門においては﹁響 年﹂ 、最高賞の﹁トロフィー﹂を受賞。 が 今大会ではビーム サントリー社のウイスキ ー ポ ー ト フ ォ リ オ か ら 品 が 金 賞 を 受 賞 し、 そのうち﹁響 年﹂と並んで﹁ノブ クリーク シングルバレル リザーブ﹂が、特に優れたウ イ ス キ ー と し て﹁ ト ロ フ ィ ー﹂ を 受 賞 し て い ます。 4 19 1 21 フ ァ ー ス ト フ ィ ル︵* 一 空 き 樽 ︶ と、 セ カ ド フ ィ ル︵* 二 空 き 樽 ︶ の バ ー ボ ン 樽 で 熟 ン 成 さ せ た 少 量 生 産 の 原 酒 を ヴ ァ ッ テ ィ ン グ。 甘くスパイシーな味わいはソーダとの相性も 良 く、 ハ イ ボ ー ル の ベ ー ス に 使 う ウ イ ス キ ー としてもおすすめです。 18 ﹁I SC﹂で、サントリーが 年﹂が、最高賞﹁トロフィー﹂を受賞。 00㎖ 度 20、000円 度 3、 700円 3 21 ﹁ディスティラー オブ ザ イヤー﹂を受賞 ︵3年連続4度目︶。 ﹁響 新発売 アイラ島 シングルモルトウイスキー 700㎖ 7 *﹁一空き樽﹂新樽にバーボンやシェリー等の酒を熟成させ、払い出した直後の樽。*﹁二空き樽﹂一空き樽で酒を熟成させ、払い出した直後の樽。 ﹁ボウモア スモールバッチ﹂ 43 40 21 新発売 セレクトカスク﹂ アイラ島 シングルモルトウイスキー ﹁ラフロイグ 数量限定新発売 ブレンデッドスコッチウイスキー ﹁バランタイン 年 グレントファーズ エディション﹂ 〝蒸溜所シリーズ〟第3弾 新発売 ブレンデッドスコッチウイスキー 700㎖ 700㎖ 4、000円 9、000円 度 度 度 5、 00円 ペドロヒメネスを熟成させたシェリー樽と、 ー ロ ピ ア ン オ ー ク の シ ェ リ ー 樽、 そ し て バ ヨ ーボン樽で熟成したモルト原酒をヴァッティ ン グ。 ア メ リ カ ン オ ー ク の 新 樽 で の 後 熟 を 経 て、 ス モ ー キ ー さ の 中 に も 甘 く フ ル ー テ ィ な 香りを秘めた豊かな香味を生み出しました。 ︱ ﹁バランタイン 年﹂のキーモルトの一つを 大限に引き出したブレンドの限定品、〝蒸溜 最 。〝スキャパ〟、〝ミルトンダ 所シリーズ〟 フ 〟 に 続 く 第 3 弾 は、 フ ル ー テ ィ な 香 り と な めらかな味わいが特長の〝グレントファーズ〟 の 登 場 で す。 ベ リ ー や ヘ ー ゼ ル ナ ッ ツ を 想 わ せ る 甘 い 香 り に は、 シ ト ラ ス の よ う な 爽 快 な ニ ュ ア ン ス も 感 じ ら れ、 馥 郁 と し た 長 い 余 韻 がお楽しみいただけます。 バランタインの 代目マスターブレンダー、 ャ ッ ク・ ガ ウ デ ィ は、 そ の 卓 越 し た テ イ ス ジ ティング能力によって業界を発展させた名ブ レ ン ダ ー。 そ の 彼 が プ ラ イ ベ ー ト で 嗜 ん だ 味 わ い を イ メ ー ジ し て、 5 代 目 マ ス タ ー ブ レ ン ダ ー、 サ ン デ ィ ー・ ヒ ス ロ ッ プ が ブ レ ン ド に 挑 み ま し た。 オ レ ン ジ や 梨 を 想 わ せ る 甘 や か な香り、クリーミーな芳醇を満たした一瓶です。 ﹁バランタイン マスターズ﹂ 700㎖ 0 17 3 40 40 40 17 表示価格はすべて 、 税抜き希望小売価格 お知らせ 〈京都市左京区〉 百万遍交差点 今出川通 DXWXPQ 東大路通 朱い実 保育園 %DU0DS 京大総合体育館 今号で取材をさせていただいた、 お店の地図と情報です。 梁山泊(京料理) p.45 京都市左京区吉田泉殿町5 Tel 075-771-4447 12:00 ∼ 14:00(LO13:30) 17:00 ∼ 21:30(LO21:00) 日曜休み (日・月が連休の場合は、日曜営業、月曜休み) 〈横浜市中区元町〉 首都高神奈川3号狩場線 横浜銀行 ←至 石川町 駅南口 〈東京都港区〉 ストリングス ホテル モンドバー品川店 p.20 港区港南 2-18-1 アトレ品川 3120 Tel 03-6717-0923 11:00 ∼ 0:00(ランチ営業あり) 無休 ユニオン 坂道 アトレ 品川 プリンスホテル JR品川駅 第1京浜 ↑至・東京駅 Lounge Bar 茶つぼ 表紙の絵 横浜市中区元町 3-147-7 エポック元町 4F Tel 045-568-3883 17:00 ∼ 23:00 月曜・第 2 火曜休み 御料理 茶つぼ (裏表紙の絵) 同ビル1F(要予約) Tel 045-633-3348 昼 12:00 ∼ 夜 18:20 ∼ 月曜・第 2 火曜、定休日明の昼休み 〈大阪市北区〉 11号台場線 357号線 四ツ橋筋 サントリービル 湾岸道路 駅 園 公 駅 線 ート い ポ か レ ん テ り 京 東 テレポートブリッジ 線 海浜 海 臨 台場 お 国道2号線 →至新橋 堂島 アバンザ →至新木場 MALT BAR WHISKY VOICE p.38 港区台場 2-3-3 カトラリーハウス B1 Tel 03-3529-6381 11:30~14:00(ランチ) 17:00~23:00(夜)土・日・祝休 十三トリス北新地支店 p.42 大阪市北区曽根崎新地 1-3-30 KOHDA ビル 1F Tel 06-6147-2613 17:30 ∼ 0:00 日・祝休み 〈福島県福島市〉 福島 稲荷神社 東北電力 文化通り 福島駅東口 Hクラウン ヒルズ 中合 一番館 パセオ470 2 1 4 3 並木通り レンガ通り 中合 二番館 辰巳屋 平和通り 1 ライブラリー p.14 福島市栄町 12-32 栄町ユートピアビル 5F Tel 024-522-2560 19:00~2:00 日曜休 2 Celtic Bar Cashel ケルティックバー キャシェル p.6 福島市栄町 12-24 Tel 024-522-8955 18:00~0:00 日・祝休 3 バー スズキ p.11 福島市上町 3-4 コマ福島ビル 1F (稲荷神社正面入口向) Tel 024-521-3773 19:00~2:00 日曜休 (12/31 営業、1/1 休) 〈福島県郡山市〉 北口 ローソン 西口 2 駅前通り JR郡山駅 郡山 シティホテル 1 1 BAR NAMU バー ナム p.25 郡山市駅前 2-6-16 横山プラザビル B1 Tel 024-932-9932 18:00~3:00 無休 2 BAR MALT'S バーモルツ p.25 郡山市駅前 2-3-5 エリート 27 ビル 3F Tel 024-933-9777 18:00~3:00 無休 ノ︶は、 六 十 三 歳 。 弟 子 ク・ エ リ ン ト ン ︵ ピ ア 録音は 、 1 9 6 2 年 。 こ の 時、 師 匠 の デ ュ ー 頁上写真 ︶ で す 。 ネ ー・ ジ ャ ン グ ル ﹄︵ 次 子がトリ オ を 組 ん だ ﹃ マ 優雅な師 匠 と 、 過 激 な 弟 で、まず は C D を ご 紹 介 。 ● 今号の特集にちなん デュークの名前を〝公 爵〟と読み替えて、愛称 本領を大発揮。 師匠も、ここでは隠れた 優美なタッチが持ち味の るかのように、いつもは り広げる。それに呼応す 出るような熱い演奏を繰 二人の弟子たちは、火の 男〟としても有名だった 次々に発表して〝怒れる 当時は〝反人種差別〟 を高らかに謳う作品を ません。 かし、遠慮の文字はあり 二十もの年の離れた師 匠と弟子との間には、し した。 ム︶は三十八歳でありま ッ ク ス・ ロ ー チ︵ ド ラ ようです。 の場﹂という意味もある 一 方、 ﹁非情な生存競争 ジ ャ ン グ ル に は﹁ 原 野﹂ ﹁密林﹂を意味する の意味は? ところでタイトルの ﹃ マ ネ ー・ ジ ャ ン グ ル ﹄ 一枚には見て取れます。 ましい師弟関係が、この 落とす。なんともうらや おたがいの力を高め合 って、不朽の名作を産み しているとは! ほどまでに過激に演奏す 者自らの手によってこれ 曲﹁キャラバン﹂を、作 1935年につくった名 ン ト な エ リ ン ト ン が、 とされるくらいにエレガ 金に関する信念をお持ち 様に還元する〟など、お ま た、 〝宵越しの銭は 持たない〟 、 〝利益はお客 あなたがお店で、特別 にお金をかけていること ﹁お金の使い道﹂ 。 ン ケ ー ト の テ ー マ は、 ません。 な呑気なイメージは湧き 聴く限りでは、そのよう 気持ちもしますが、曲を ﹁お金のはえる密林﹂ であれば、行ってみたい 装のための貯蓄、等々。 仕入れや家賃、オーデ ィオ、季節のハガキ、改 は何ですか? ● さ て、 次 号 の 読 者 ア のチャー ル ズ ・ ミ ン ガ ス ︵ ベ ー ス ︶ は 四 十 歳、 マ (GLWHU V 1RWHV ① 師匠と弟子のタッグマッチ ① 「MONEY JUNGLE」 DUKE ELLINGTON ② ラクして得られるお金は、 「RICKIE LEE JONES」 あるや、なしや? (邦題・浪漫) RICKIE LEE JONES 調達の苦労などの体験も、 も教えてください。資金 ● 最後に再び音楽のご ちしています。 命。お便り、心よりお待 皆様から頂戴するアン ケートハガキが本誌の生 ーマを小粋に歌ったバラ いのか? 人生に、ラクして手に 入るお金はあるのか、な の﹁イージーマネー﹂ 。 ビュー作﹃浪漫﹄に所収 気になるテ ︵川︶ ッドです。 ︱ ーンズ、1979年のデ あわせてぜひ。 紹介です。 であれば、どんなことで 次号は十二月、バーテ ンダーの皆様には、毎年 リッキー・リー・ジョ ウイスキーヴォイス 201 年 秋 号 4 48 発行人 鳥井憲護 編集人 佐々木太一 制作進行 大窪信一 AD・デザイン 美正堂 発送管理 田中典子、新貝洋基 協力 中田佳和 印刷 有限会社ティーエヌ 監修 川畑 弘 発行 サントリー酒類株式会社 スピリッツ事業部 1 3 5︱8631 〒 東京都港区台場2︱3︱3 電話03︵5579︶1528 恒例のカレンダーと共に お届けする予定です。 ② サントリーウイスキーヴォイス 第48号 2014年 秋 10月10日発行 頒価500円 (税別)
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