創作ノート - 先端芸術音楽創作学会 | JSSA

先端芸術音楽創作学会 会報 Vol.7 No.2 pp.7–9
創作ノート
“ERASED, SIGHT AND SOUND” FOR AUDIOVISUAL の創作手法について
COMPOSITIONAL TECHNIQUE FOR
“ERASED, SIGHT AND SOUND” FOR AUDIOVISUAL
八木澤 桂介
Keisuke YAGISAWA
国立音楽大学
Kunitachi College of Music
概要
1. はじめに
本 作"Erased, sight and sound"は 、ア メ リ カ の 美 術 家
ロ バ ー ト・ラ ウ シ ェ ン バ ー グ (Robert Milton Ernest
今日、一般的にオーディオ・ヴィジュアルと呼ばれる
Rauschenberg, 1925-2008) が 1953 年に描いた《消去さ
れたデ・クーニングのドローイング Erased De Kooning》
作品形態の中でも、そのスタイルや創作手法は多岐にわ
から着想を得て制作した、映像と音響のための作品であ
映像素材と関連付け、時間的同期を図ることで視覚表現
る。ラウシェンバーグは、当時絵画の大家であったデ・
と聴覚表現の統合を目指すものや、音楽と映像の関連付
クーニングから譲り受けた素描画を消しゴムで消すこ
けを作家の恣意性に委ね、緩やかなつながりを保ちな
とによって自らの作品としたが、私は、ラウシェンバー
がら展開していくものなど多種多様である。このよう
グが用いた<消去>という発想に着目し、素材動画の情
な、認知における視聴覚同時刺激による統合について
報を消去していくことで、本作における映像を作り出し
の心理的、または脳神経科学的諸反応に関する研究は、
た。本作の音響は、映像のマトリックス情報を、音シグ
日本においても様々な研究がなされている。私は、これ
ナル情報へと直接的に変換したものを用いている。こ
らの認知における統合やそれらの内的関連付けといっ
れは、視覚から聴覚への即物的・現象的再提示を意図す
たオーディオ・ヴィジュアル独自の優位性を顧慮しなが
る。本発表では、作品の制作に至る美学的考察と、映像
ら、オーディオ・ヴィジュアル・メディアでの独自の表
と音響を生成する為に用いた Processing 及び MAX の
現を模索しているが、とりわけ自己の創作活動において
技術的解説を行う。
は、映像と音楽が、それぞれの表現の内に自律的な構造
たる。例えば、音楽におけるモティーフの構造的展開を
を確立している場合、一方がもう一方に追従されるよう
“Erased, sight and sound” is an audiovisual piece
that was inspired by the American graphic artist Robert
Milton Ernest Rauschenberg’s (1925-2008) work entitled
“Erased De Kooning” (1953). The drawing was created
by Rauschenberg erasing a drawing he obtained from
the painter Willem de Kooning. I focused on the idea
of “erasing” by Rauschenberg, and the video part of
this piece was created by the erasing of information
of the video as a material. The electronic sound was
created by directly converting the video information to
an audio signal, thereby creating an unsentimental and
phenomenal representation of the visual stimulus into
auditory stimulus. In this paper, I deal with the aesthetic
considerations that led to the creation of this piece, and
the technical description of how Processing and Max
were used to create the video and electronic sound.
に認知され、映像と音楽の間に優劣が生じることを問題
としている。そのような問題点を課題として捉え、本作
では、視覚表現と聴覚表現の統合について従属的な関係
性を切り離すような制作を試みたが、そのアイデアの
発端となったのが、美術家ロバート・ラウシェンバーグ
(Robert Milton Ernest Rauschenberg, 1925-2008) によっ
て描かれた《消去されたデ・クーニングのドローイング
Erased De Kooning》(1953) である。
2. 創作に至る美学的背景
本作が制作されたきっかけは、アメリカの美術家
ロ バ ー ト・ラ ウ シ ェ ン バ ー グ (Robert Milton Ernest
Rauschenberg, 1925-2008) が 1953 年に描いた《消去さ
れたデ・クーニングのドローイング Erased De Kooning》
に端を発している。ラウシェンバーグは、抽象表現主義
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先端芸術音楽創作学会 会報 Vol.7 No.2 pp.7–9
の権威であった画家ウィレム・デ・クーニング (Willem
の、一種のフィルターのような処理が行われた映像を
De Kooning, 1904-1997) から譲り受けた素描画を 6 週
間かけて消すことでその作品を作り上げた (これは比喩
そのまま、作品の全体構造として適用した。昨今、様々
ではなく、実際にクーニングの素描画を消しゴムで消し
のコンテンツが生産され、そして消滅している。殆どの
続けた)。キャンパスに残されたのは、染みのような消
人々にとって、総体としてのそれらコンテンツは<重要
し跡と、いくつかの点のみである。この当時ラウシェン
性の低い>オブジェクトの集合であり、その数が膨大に
バーグは、自分の書いた絵をひたすら消すという行為を
なればなるほど価値を見出すことが難しくなる。私はそ
行っており、この作品においては「ドローイングから離
れらを、コンテンツ自身によって<消去>されたオブジェ
れて、真っ白な画面に向かおうとしたんだ」
、
「消される
クト群と捉えた。そして、Processing の同一アルゴリズ
のは最初から芸術でなければならない・・・消されるの
ムによる描画変換を実行することで、制作者自身の主観
はデ・クーニングでなければ」と後のインタビューで
性や恣意性を排した上での映像生成を試みた。
に乱立する SNS や CGM では、大衆によって日々大量
語っている [1]。鑑賞者は、ほぼ染みと点のみが残され
たキャンパスを観ることで、大家クーニングの素描を消
去=破壊したラウシェンバーグ自身の<創作行為> を見
出すことが可能となる。他方で、美学研究者の星野太は
彼の小論「生成の消滅と秩序」(2014) の中で、ある構造
を有するオブジェクト (物体) の生成に関して、「一つの
自立した構造やプロセスによって情報やパターンを生成
する自己組織的な特性」を前提とした考察を行っている
[2]。これは、あらゆる物体の成り立ちにおいては、外
部から規定されるルールによって産出されるのではな
く、例えば SNS(Social Networking Service)や CGM
(Consumer Generated Media)などのコミュニケーショ
ン・ネットワークのように、コンテンツ自身が本来的に
有するパターンや刺激といった情報に触発されながら
形態の連鎖的産出がなされ、全体としての構造体が生
図 1. 素材動画と Processing による描画変換の一例
み出されるということを述べている。私はラウシェン
バーグと星野からのこれら 2 つの要素を創作における
映像と音響の生成に応用することで、制作者の主観や恣
3.2. 音響の制作手法
意的関連付けから切り離すような視覚表現と聴覚表現
の関係性を創り出すことが可能ではないかと考えた。
本作の音響は、クアドラフォニック・サラウンドを想
定し制作しているが、その生成過程は映像と同様に極め
て単純である。MAX の jitter オブジェクト jit.histgram,
3. 創作について技術的解説
jit.3m を用いて、3.1 によって描画変換された映像マト
リックスの RGB 値及びそれら全体の平均値を求めた。
3.1. 映像の制作手法
次いで、それらの変化量を再度マトリックスに格納した
2. で述べた背景の元、本作の映像は、動画共有サービ
ス YouTube から<社会的重要性・創造性の低い、または
価値の無い>と感じられる動画を無作為に選出し、映像
素材として用いている (例えば「どこの誰かも分らない
上で jit.release を用いた処理を行った。これにより、本
何者かが目的も分らないような何かをレビューする」、
ネル毎に独立したコム・フィルターを用意し、各スピー
来は音シグナルではない映像の情報が強制的に音シグ
ナルへと変換され、極めて非音楽的なノイズ音が生成さ
れた。更に、そのように生成した音響に対して、チャン
「どこにでもある町並みを無言で映し続ける」等。これ
カーから出力されるノイズに対して微細な音程、音色や
らの動画は、誰かにとっては価値があるが、大多数の人
ダイナミクスの差異を付けることで、それぞれを独立的
間にとっては価値が無い)。まず、これらの動画をいく
に聴取、選別可能な音響へと変化させた。これは、2. の
つか繋ぎ合わせ、8 分程度の動画にまとめた。次いで、
星野の引用における「オブジェクト自身が持つ自己組
それら全体に対して、Processing を使用し元来のピクセ
織により作られた構造」という概念を、MAX を用いて
ルの色彩情報を細かな線描へと変換した。この処理に
即物的・現象的に再提示させることを意図している。同
よって、素材が元々持つ形状、色彩といった細部の情報
時に、本作の映像の生成過程と同様、音響構造の生成に
の多くが<消去>され、抽象的な映像が生成された。こ
おいても、制作者の主観を排するという試みに基づく。
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先端芸術音楽創作学会 会報 Vol.7 No.2 pp.7–9
尚、本作における音響の制作手法の発想と非常に近しい
ると考える。
例として、刀根康尚に見られる、CD プレイヤーの読み
込みエラーによるディストーション・ノイズの発生とい
6. 参考文献
う表現手法が挙げられる。
4. 上演での映像出力に対する音響出力レベルにおけ
る問題
本作は、2014 年度国立音楽大学大学院博士後期課程
研究コンサートの為に制作したが、作品を上演する際、
[1] トニーゴドブリー 木幡和枝訳 (2001)『コンセプ
チュアル・アート』,62-63
[2] 淺井裕介 大山エンリコイサム 村山悟郎 粟田大輔
星野太 服部浩之 (2014)『生成のヴィジュアル-触発
のつらなり』,10-14
[3] 岩宮眞一郎 編著 (2014)『視聴覚融合の科学』,4-5
新たに試みた点として、映像出力に対する音響レベルの
調整が挙げられる。当初、本作の上演では、映像出力に
7. 著者プロフィール
対し、110dB 程度を定常音に設定した過激なノイズ表
八木澤 桂介 (keisuke YAGISAWA)
現を想定していた。しかし、リハーサルにてそのように
再生したところ、大音量のノイズ音響によって、抽象的
現在、国立音楽大学大学院博士後期課程在籍、同大学
に展開する映像表現の微細な変化が弱まって認知され
院リサーチ・アシスタント。玉川大学芸術学部メディア・
るように感じられた。この問題点についての対処法と
デザイン学科非常勤講師。国立音楽大学音楽デザイン学
して、実際の上演においては、音響の定常音を 20dB 程
科学部卒業後、デン・ハーグ王立音楽院ソノロジー・コー
度と可能な限り弱く設定し、鑑賞者が辛うじて聴取可能
ス (蘭) に留学。2 年間の在籍過程の中で、コンピュータ
な音量にまで引き下げた。その結果、映像表現の微細な
音楽の制作を進める。2014 年に東京藝術大学大学院先
変化が強く認識されるようになり、また同時に、非音楽
端芸術表現専攻修士課程修了。芸術作品を鑑賞する上
的であるノイズに対して有機性が感じられるようにな
で、認知の問題が重要であるという立場に立ち、視覚と
り、映像と音響の一体感が感覚的に保持された。このよ
聴覚にまたがるオーディオ・ヴィジュアル作品の制作と
うな、抽象的な映像表現に対し極小の音響で作品の上演
研究を進める。2011-2014 年に渡り ICMC(International
を行った例としては、大友良英と Sachiko M によるユ
Computer Music Conference) 入選。2013 年及び 2015 年
に SICMF(Seoul International Computer Music Festival)
入選。2014 年 SHUT UP AND LISTEN AWARD(オー
ストリア) 受賞。
ニット「FILAMENT」によるライブ「Dark Room filled
with Light」(2005) が挙げられる。また、脳に対して視
覚刺激と聴覚刺激が共に弱い場合、それらを統合する
上丘ニューロンに活性が見られることが、逆効力の法
則 (Principle of inverse effectiveness) として報告されて
いる [3]。
5. まとめと今後の課題
オ ー デ ィ オ・ヴ ィ ジ ュ ア ル 作 品“Erased, sight and
sound”について、創作に至る美学的背景の考察、及び技
術的な解説を行った。そして、映像と音響の間に生じる
従属性の問題を解決する 1 つの方法として、映像生成か
ら音響への直接変換という手法を試みた。次いで、作品
の上演における映像に対する音響出力レベルを問題と
し、視覚と聴覚の刺激レベルの差異によって生じる内的
関連付けの変化について、実体験に基づく対処法を述べ
た。私は、これまでもオーディオ・ヴィジュアル形態の
作品を中心とした創作活動を行っているが、本発表で述
べたような、視聴覚素材の直接的な変換による創作手法
は、今後も連作として継続可能であるように思われる。
また、視覚と聴覚それぞれの刺激レベルの推移や、作品
構造自体によって引き起こされる鑑賞者の内的関連付
けの変化といった問題は、引き続き重要な研究課題であ
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