17 2008 年地球一周の船旅絵日記② シンガポールからセイシェル諸島

■2008 年地球一周の船旅絵日記② シンガポールからセイシェル諸島まで
1月 23 日(水)
晴ときどき曇 海上にいても蒸し暑い
日の出 07:21 日の入 18:51
【シップスポジション】緯度:05°39′N 経度:101°47′E(23 日正午)
マラッカ海峡通過。今日は、日がな一日、海を眺めていた。
船の右舷側にはマレー半島が続いているが、反対側のスマトラ島はまったく見えない。
想像していたよりも、海峡の幅はずーっと広かった。まあ、世界地図でも見えるだけの幅
があるのだから当然だけど、海峡の両側が見えるほどの狭さだと思い込んでいた。
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この海は、外洋のようなうねりがないので、かなり風は強かったけれど、海面は穏やかで
船はまったく揺れない。それにしても船の通行量は多い。上り下り(どっちが上りか知ら
ないけれど)とも、船がはるかかなたまで続いている。ipod を聴きながら海を見ていると、
次から次に形のちがった船がくるものだから、いつまで経っても終わりがない。
遠くに見える航空母艦のような大型タンカーの列、すぐそばをすれ違う各種の貨物船の
列。そしてまた、その間を通る船という具合に、どうやら片側4車線ぐらいあるようだ。
まさに海の大動脈・ハイウエーという感じだが、そのほとんどがトラックで、われわれの
ような乗合バスや乗用車はまったく走っていない。
噂に聞くマラッカ海峡の夕陽を撮ろうとカメラを構えていたら、目の前に4頭ほどのイ
ルカが現れた。
かなりのスピードで、
ジャンプの瞬間を撮ろう
しても、まったくタイミ
ングが掴めなかった。ま
あこれが、日がな一日海
を眺めていたことへの、
ささやかなご褒美だった
のであろう。
飽きもせず、晩飯の後
にまたデッキに出てみた。
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暗い海に、明々と電気を点けた船が見えた。まあ、なんと派手な船だと思ったら、これ
が夜間の標識のようだ。かなり先まで、その明かりが点々と連なっている。そして目を凝
らすと、夜間の海にもかかわらず、かなりの船の明かり続いている。本当に、こんな通行
量の多いところに海賊が出るのかね。
夜、寝ようとしたら変なことを思い出した。前にテレビで観たアフリカ大陸に鉄道を敷
く物語の映画の中で、アフリカの現地人がライオンのことを「シンバ」と呼んでいたので
ある。あれは多分スワヒリ語で、白人の旦那のことを「ブアナ」
、ライオンのことを「シン
バ」と言っていた。
するとシンガポールの SINGAPURA は、ライオンは SINGA かもしれない。これもネッ
トがつながるようになったら調べてみよう。ひょっとすると、あの「ダラ・シン」はライ
オンではなく、単なる「シン」さん、だったのかも知れない。
記 憶が 薄 れな い
うちに、ついでにシ
ン ガ ポー ル での 出
来 事 を書 い てお こ
う。
昨日は、たまたま
年 に 一度 の ヒン ズ
ー教のお祭り「タイ
プーサム」の日に当
たった。インド人街
では、ヨガの行者み
たいに頬や舌、ある
い は 体中 に 針を さ
し た まま 孔 雀の 羽
を 模 した 飾 り物 を
担いで練り歩いている人がいた。神に願い事をする人、あるいは願い事がかなって神に感
謝する人が、この苦行をするそうである。当人はトランス状態で痛みも感じないし、針を
抜いてもあまり血が出ないとか。
いつぞやディスカバリー・チャンネルで放映していたが、現在、本家のインドではほと
んど行われなくなって、いちばん盛んなのはこのシンガポールだという。
1月 24 日(木)
曇ときどき晴 蒸し暑い
日の出 07:48 日の入 19:52
【シップスポジション】緯度:05°6′N 経度:096°06′E(24 日正午)
外気温 29℃ 海水温 29℃
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早朝、船室の窓から稲光が見えた。そろそろインド洋に入るのだろうか。
私にとって「地球一周の船旅」なんていうものは縁のないものだと思っていた。金も時
間も健康状態も、条件が揃わなければ実行できないからである。
それが、たまたま休日に見た新聞広告「南極航路を行く地球一周の船旅」という惹句に
魅かれたのがきっかけで、なんとなく出かけることになった。もちろん、それには二人の
息子が独立して健康であり、母親が昨年他界し、私自身も仕事に一つの区切りをつけた、
などの条件が重なったから出来たことである。
「地球一周の船旅」なんて、一生のうちに一度あるかどうかと言うのが、私の生きてき
た社会の「常識」であった。ところが、この船の中には、そうした「常識」は存在しない
ことに、まずは驚かされた。
この船では、3 度の食事の度に毎回ちがったメンバーと同席するという、まことにお節介
なルールがある。「毎日、新しく出会う人たちと知り合ってお友達をつくりましょう」とい
う小学校のようなテーマを掲げながら、その実、食堂の席を順番に詰めて、スタッフの労
力を軽減しているわけである。
最初のうちは、そこで交わされる会話にびっくりした。「飛鳥」にも乗った、「なんとか
ビーナス」にも乗ったことがある。「私は今回で何回目」というような話が、毎回のように
出てくるのである。中には「10 回目」という御仁や、
「前回の世界一周を終えて、すぐに今
回の船に乗った」という人物にも出会った。
つまり、われわれの常識を超えた「おかしな人」がたくさんいる集団なのである。乗客
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約 900 名のうち、2∼3割がリピーターだと聞いていたが、食事の時間の会話ではもっと、
もっとその比率が高いような気がする。中でも一番多いタイプは、第 54 回だかの「北回り
地球一周」に乗った人たちで、今度は「南回り」だからと集まってきたようである。
そうした、一風変わったじいさん、ばあさん達と食事する度に「楽しい会話」をするの
であるから、これは結構つらいものがある。
出発前に女房からも、仕事仲間のおばさんからも「愛想良くしなさい」と厳しく注意さ
れているので少しは我慢しているけど、正直言って「面白くもなんともない会話」ばかり
である。しかも、このおかしな人種が日本中から集まっているのだ。北海道の釧路から奄
美大島までの各地から、横浜港に集合したらしい。その中でも「大阪」からの人がいちば
ん多いように感じられる。大阪でも「ミナミのおばん」風が目立つのである。
夜は劇場で、
ケニアの「ピ
ーターバン
ド」というア
フリカン・リ
ズムのライブ
を聴いた。
この太鼓の
リズムが、南
アメリカに渡
ってサンバに
なったという
のがわかる。
ところが、そのケニアでは政情不安が続いていて、どうやら、この船もケニアのモンバ
サには立ち寄ることが出来なくなりそうだ。
ケニアでは、オプショナル・ツアーで「野生の王国サファリとデラックス・ロッジ宿泊」
に申し込んでいたのに、残念なことになりそうだ。
1 月 25 日(金) 晴ときどき曇、雨
日の出 07:12 日の入 19:20
【シップスポジション】緯度 04°51′N 経度:089°8′E(25 日正午)
外気温 31℃ 海水温 31℃
今朝は乗船以来、初めて海から太陽が昇った。とはいっても、海と雲のほんの隙間だっ
たけれど。海面にスコールを降らせながら上空に伸びていく大きな積乱雲と海とのあいだ
に赤い陽が昇る。
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まさに、熱帯性低気圧が誕生している現場に居合わせたような気分だ。陸上の生活では
考えられないことだが、船に乗ってからは、毎朝日の出を待っている。
それにしても、熱帯の海から上がる水蒸気の量はすごいもので、陽が昇ると、たちまち
水蒸気が立ち込めて、目で見える遠方の船などはカメラではとらえることが出来ない。
船はインド洋に出て、ベンガル湾の沖合いを走っているようだ・
朝食後は、ルームクリーニングの人が来るので、昼食までの時間を、船内でどう過ごす
かが問題となる。
この船は、一種の洋上カルチャーセンターでもある。たとえば午前中の同時間帯に、船
内各所で最大9部門の各種教室が開催されている。その他にも、プライベートで開かれて
いる多種多様な習い事があるようだ。それらのプログラムは、前日の夕刻に発刊される船
内新聞に掲載されているので、みんなその新聞を手に動き回る。
カルチャーおばさんでもある女房は、やれウクレレ教室、オカリナ教室、エクササイズ
にフラダンスと、多忙を極めているようだが、まったくやることがない私は、毎日、カメ
ラ・ipod・煙草・ライター・水筒という定番の品を携えて、船内をうろつき回るのである。
部屋もない、定職もない、洋上のホームレスおじさんとなる。
昼前に、前部の甲板で船がスコール帯に突っ込んでいくところを見物した。はるか前方
に見えた、灰色の雲に船がだんだん近づいていくと、突然、風が強まりスコールが海面を
叩き始める。
このときは、ワーグナーの「神々の黄昏」を聴いていたのだが、この状況にはぴったり
だった。
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スコールが過ぎた後に洋上を見ると、あちらこちらに雲と海がつながっている部分があ
る。そこは雨が降っているのだろうが、せっかく蒸発した海水が海の上に降ってしまうの
は、まことにもったいないような気がする。なんせ、地球上の水でわれわれが飲める真水
はわずか 0.03%しかないというのだから。
午後からはホールでアル・ゴアの「不都合な真実」という映画を観た。ハリウッドのメ
ジャー、パラマウントが製作しているだけあって、さすがに上手い、説得力のある映画だ
った。こういう船の上で観ると、極めて臨場感があった。
今夜 24 時、また時差が生じて、日本との時差が 3 時間になる。
1 月 26 日(土)曇ときおり晴 風が強い
日の出 06:36 日の入 18:47
【シップスポジション】緯度 03°20′N 経度:082°48′E(26 日正午)
外気温 30℃ 海水温 30℃
8 年ぶりにピースボートに乗った乗客の談話が船内新聞に出ていた。それによると、当時
より船の大きさが約 2 倍(当時はさくら丸)になり、乗客の中の若者の数が減って、その
代わりに 60 歳以上の乗客が増えたことに驚いたという。
今回のクルーズは、4 月 1 日までに帰国できないため、通常に比べて大学生を主体とする
若者の数が 2 割ほど少ないという。そのかわりに増えたのが 60 歳以上の乗客で、全体の 5
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割強を占めるそうである。いわゆる「団塊の世代」が定年の時期を迎え、いよいよ、この
分野にも進出してきたわけである。
NGO 団体「ピースボート」が主催するこのクルーズは、本来は、若者が安い費用で海外
の人たちと交流することをテーマとしていたそうだが、回を重ねる(今回が 60 回目)うち
に、クルーズとしてのスケールが大きくなり、その内容が変質しているような気がする。
私自身、この船に乗る前には「ピースボート」について何の知識もなかった。そういえ
ば昔、議員になる前の辻本何某が、田原総一郎の「朝まで生テレビ」に出ていて、周囲か
らこけにされつつも、大きな声でわめいていたのを憶えている程度である。
そもそも私自身が「世界を平和に」などという、誰もが反対出来ない、ご立派な主張を
掲げる運動・団体を反射的に「いかがわしく」感じる、ひねくれた性格なので、
「ピースボ
ート」なんていう存在は、まったく縁遠いものだった。
だから、ピースボートと言われても、グリーンピースの活動やら難民船などとごっちゃ
になって、なんだかその実態がつかめないままに、横浜港から出航したわけである。
船はインド洋を、モーリシャス諸島に向かって航行している。本日は、朝から向かい風
がすごく強く、デッキにいるのが大変である。この辺りは、中東から日本へ原油を運ぶタ
ンカーの航路から外れているため、一日中、船影を見ることがなかった。ただただ海が広
がる。気のせいか、あまりに海が広いので、水平線がやや円く感じられる。
朝日・夕陽を撮影するため、まるで義務感というか仕事のように上部甲板に通っている。
今夕は、ものすごいアゲインストの中で、吹き飛ばされそうになりながら頑張ってみたが
風と雲ばかりで、インド洋の夕焼けは空振りだった。その毎回ごとに、大阪から来ている O
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夫妻と会う。ほんとに、お互いご苦労様で
す。こうなってくるとカメラを持った戦友
みたいなものだ。
香港を出てから、ずーとフォローの風で
来たのに、今日は一日中、大アゲインスト。
ずいぶん燃費が掛かるだろうなと、余計な
ことを心配する。
1 月 27 日(日)日の出 07:01 日の入 19:16
【シップスポジション】緯度:01°51′N
経度:076°35′E
インド洋上。明日は赤道を越えるというところまで、やってきた。今朝の日の出は、な
かなかドラマチックだった。
昨夜は、いつもの居酒屋で 12 時半ごろまで飲んでいたのに、時差を間違えて5時過ぎに
起きた。東京にいたら考えられないことである。ここ何年も、或いは、山に登らなくなっ
てから 20 年以上、まともに日の出など見たことがない。
それにしても、船内に漂う「健康志向」の強さは、ただものではない。写真を撮るため
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に上がる上部デッキでは、たとえ暗かろうが、風が強かろうが、朝6時から太極拳、つづ
いて6時 30 分からのラジオ体操に大勢が集まる。じいちゃん、ばあちゃんだけでなく若い
衆もかなりの比率を占めるのが、意外である。
朝食が終わると、今度は健康オタクの分科会が開催される。デッキのあちらこちらに、
同好の士が集まって、ヨガ、柔軟体操、カイロプラクチック、自彊術からビりー・ザ・ブー
トキャンプまで、世界のありとあらゆる健康法が繰り広げられる。
なかでも圧倒的に多いのがウォーキング派である。こちらは中高年が主流である。私の
ような洋上のホームレス(このホーレスにも
アウトドア派
と
インドア派 があって
私は前者に属する)がデッキで日陰を探し、所在なさげにうずくまっていると、次々とウ
ォーキングじいさん、ウォーキングばあさんが通り過ぎる。
なにせ、片側 100mほどの甲板を歩くのだから、同じおじさん、同じおばちゃんが、何回
も、何回も、よくも飽きないものだと感心するほど回ってくるのである。
ウォーキング派に共通して見られる特徴は、皆「真面目な顔」をしている点である。生
真面目な顔つきの同じ人物が、午前中だけでも何度も何度も回ってくる。そして、この回
転運動(時計の反対回りと決められているが、ぶらぶら歩きのホームレスにはこの規則は
適用されない)は、夜になるまで、終日続くのである。
そして、毎日のように、同じウォーキング派とホームレスが顔を合わせるのに、そこに
は会話が生まれない。たぶん、人種も違うし、言語も違うのかもしれない。
ところで今日は、私の誕生日である。65 歳になった。まさか、インド洋の真ん中で 65
歳を迎えるなんて、考えてもみなかった。その昔、父親が 56 歳で亡くなった時に、たいへ
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ん悲しい思いをし、その時から自分のノルマを 57 歳において生きてきた。ノルマを大幅に
クリアしたので、今はもう気楽なものである。
私の6歳だか7歳だか下の弟が正月に来た際に、同じようなことを言ったので驚いた。
当時、まだ高校生だった彼は、きっと似たような決意をしたのであろう。
どこでもそうだが、この船でも誕生日の乗客には、シャンパンとケーキが振舞われて、
周囲の人たちから祝福を受けることになっている。連日のように、そうした光景をダイニ
ングで目にしているが、ひねくれ者の私としては、断固それを拒否して、申し入れをする
気はまったくない。
夜、船内のバー「ヘミングウエイ」で女房とささやかに祝杯を上げる。本日から、私は
介護保険の対象者になったわけである。
「ヘミングウエイ」に居たら、たまたま大阪のO夫
妻が通りかかり、誕生日の祝福を受ける。
深夜 24 時には、モルジブ諸島の間を通過する予定だが、同時に時差が生じて 23 時にな
るというやっかいな一日が終わる。
深夜キャビンに
戻るとドアの下に
封筒が差し込まれ
た。見ると、ピー
スボートからの手
作りのバースデイ
カードが入ってい
て、そこには若い
女の子らしい丸文
字で「誕生日おめ
でとうございます。
本日は、1 時間の時差。誕生日が 1 時間伸びるって、何だか嬉しいですね」とあった。けっ
こう、気をよくする。
1 月 28 日(月)晴ときどき曇
日の出 06:25 日の入 18:45
【シップスポジション】緯度:00°12′N
外気温 30 度
経度:070°02′E(28 日正午)
海水温 29 度
赤道近くになった海の日の出を撮る。まだ、完全に晴れ渡った空の下で、水平線から陽
が昇る朝は一度もないが、それでも毎朝の日の出は、雲の様子や色の変化が微妙にちがっ
ていて、飽きることがない。
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昨夜、モルジブ諸島の間を抜けたはずなので、今日中には赤道を越えることになる。そ
れが何時のことやら、船内のクイズになっていて、いまのところ不明である。はたして、
子供の頃に思ったとおり、赤道には、赤い線が走っているものか。船内では盛大な赤道祭
りの準備が行われている。
私は南半球には、一度しか足を踏み入れたことがない。2 年ほど前、女房がオーストラリ
アに
留学? していた折に、パースへ行っただけである。
北半球はそこそこ行っているのに、南半球に縁遠いのは煙草のせいもある。いつぞやエ
ジプトへ行った際には、エジプト航空の「ビールなし、煙草ノー」のエコノミー席に 15 時
間。イスラムの戒律と、禁煙運動の高まりにうんざりした。
それが、リオデジャネイロ辺りになったら 24 時間の強制的な「禁煙」を強いられる。た
ぶん、一生行くことはないだろうと思っていたら、
「煙草吸い放題」で南極まで行けるとい
うではないか。
これが、このクルーズに参加した大きな要因であることは間違いない。
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現地時間 14 時 58分、船上夏祭りの最中に、汽笛を 3 回鳴らして赤道通過。赤い線は見
損なってしまった。
赤道直下のデッキは夏祭り。祭りは、やはり若者たちのものである。ごく一部のすっ飛
んだじいさん、ばあさんを別にすれば、どうしても若者たちが跳ね回り、それをじいちゃ
ん・ばあちゃんが見守るという構図になる。
小さな子供を連れた乗客が一人いるが、この船には 30~50 代という「世の中に用のある
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年代」は乗船していない。若者たちと、60 歳以上の世代に分離した社会が構成されている
わけである。乗船している最高齢者は 95 歳だとか。
二つのグループしかいないものだから、この船に乗ってから、かえって自分が年老いた
ことを意識させられる。陸上で、仕事をしている時には、まわりが何と言おうとも、自分
で歳を取ったと感じることはあまりなかったのに、ここに居ると、それを痛感する。
赤道の夕焼けは、あまり理想的な雲行きではなかったが、それなりに壮大なものであっ
た。夕焼け空をカツオ鳥のような海鳥が、三羽、四羽、いつまでも船から離なれず飛び回
り、やがて赤道の海の日が暮れた。
1 月 29 日(火)
日の出 06:47 日の入 19:10
【シップスポジション】緯度:01°26′S
外気温 29 度
経度:063°44′E(29 日正午)
海水温 30 度
今朝の日の出も、すっきりとはいかなかった。なにせ、南洋の海は水蒸気の蒸発量が多
いから、絶え間なく雲を生産する。その雲の形状が毎回異なっていて、十分楽しませてく
れる。それに釣られて、毎朝、日の出にカメラを向けることになる。
毎朝の常連さんが 50~60 人。それぞれに最新型のカメラやビデオを構える。
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昨日、船の周りを飛び回っていたカツオ鳥の1羽が、朝から飛んでいる。船に驚いて逃
げるトビ魚を上空から狙って、急降下するのだが、その成功確率はきわめて低い。10 回に
1 回、或いは 20 回に 1 回も成功しないように見える。あんなエネルギーを使って割に合う
のかね。余計な心配をしてしまうが、太古の昔からカツオ鳥は生存し、トビ魚も健在なの
だからバランスはとれているのであろう。
二十数年前、日本の
蒸気機関車と写真の
師匠だった中村由信
さんを亡くしてから、
カメラを手にするこ
とがなくなった。
しかし、この航海を
機に、再びカメラを始
めることにしたので
ある。老後に備えて、
一つくらいは趣味み
たいなものがあって
もよかろうと思った
次第である。
下手な大工ほど道具を揃える というが、私が今回揃えた道具は、NIKON
D300 ニ
ッコールAF−Sレンズ 18m∼200mという最新型である。とにかく多彩な機能を搭載し
ていて、マニュアルを読んでもほとんど使わない機能ばかりだ。カメラというよりは、映
像処理コンピュータみたいなものである。
中村さんと一緒に、日本中の汽車を追いかけ回していた頃は、まだモノクロ写真のコダ
ックエクタクロームや富士のネオパンSSが主流だった。だから、常に撮影枚数を気にし
ながら、神経を使ってシャッターを切ったものである。なにせ、ワンロール 36 枚しかない
のだから。「いざ鎌倉」という時に、フィルム切れでは格好がつかない。
ところが、デジカメになるとそうした制限がまったくない(機種によって電池の能力な
どに差はあるが)から、日の出などシャッターの切り放題だ。朝はまだ暗いから、意味を
なさないストロボを発光させるおばちゃん達も加わって、皆いっせいにシャッターを切り
まくる。
そこには当時の「しめた!」という感触も、
「頼む。写ってくれ!」と、祈るような気持
ちもない。なにせ、すべてオート測光・ピントの「馬鹿ちょん」方式。おまけに、強力な
手振れ防止機能がついているから 200mの望遠でもピタリと止まる。昔に比べると、カメラ
もまったく面白い道具ではなくなった。
かく言う私も、撮る物がないから、仕方なしにトビ魚でも撮ろうかとレンズを向けたら、
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これが案外、素早くて難しい。船のデッキから見ると、バッタかトンボくらいの大きさに
しか見えないので、むきになってシャッターを押していたら 20~30 枚も無駄な写真を撮っ
てしまった。中村さんの時代だったら、クビだね。
ところが、いくらシ
ャッターを切りまくっ
ても余裕はたっぷり。
私のカメラには「ノー
マルサイズ(3∼4M
B)
」なら、540 枚もの
写真が撮れるメモリー
が入っている。だから
問題はないのだけれど、
どうするんだろう、こ
の大量な写真を。
それでも懲りず、今
日も、日の入の写真を
撮りに船尾デッキへ。
赤道直下の夕焼けは、
一大スペクタクルだった。ついつい釣られて、シャッターを押す。またまた写真が増えた。
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経験者の話によれば、インド洋は波が高くて揺れることが多いとか。まあ、季節にもよ
るのだろうが、今回は東シナ海に出た辺りから、風は強いけど、船はほとんど揺れたこと
がなかった。
夜はまた近所の居酒屋に行く。要するに、家から 100mほど歩くと行きつけの居酒屋があ
るようなものなので、私にとってあまり良い生活環境とは言えない。居酒屋からの帰り道
で、初めて南西の空に南十字星を見る。確信はないけど、あれがそうだろう。大学時代の
友人に八丈島出身の男がいる。彼が、八丈島に来れば南十字星が見えると言っていたほら
話を思い出した。
今夜 24 時、また時差が生じて、日本との時差が 5 時間になる。
1 月 30 日(水)晴ときどき曇
日の出 06:08 日の入 18:32
【シップスポジション】緯度:02°57′S
経度:058°10′E(29 日正午)
外気温 32°海水温 30°
今朝は、日の出に少し遅れてしまった。後部デッキに行くと、すでに陽が昇り始めてい
たが、とりあえずシャッターを切る。
昨夜は飲み過ぎたか。時差
の計算を間違えたか。いずれ
にせよ、あまり気分のよいも
のではない。
2 日前から船首の標識灯に
とまったままのカツオ鳥の幼
鳥(と思しき)の様子が気に
なって、船首のほうに行くと、
今朝は元気に飛び回って餌を
探していたので、少し気分が
晴れる。
今日も暑くなりそうだ。22 日にシンガポールを出航してから、8日間連続、海の上であ
る。初めての経験なので、どうなるものやら見通しが立たなかったが、過ぎてしまえばど
うということもない。
カメラ・ipod・煙草・ライター・水筒という必須アイテムを手に、ひねもす海と空を
眺め、船内をぶらぶらしているだけで、暇つぶしに困ることはなかった。これが船旅の良
さなのだろうか。
ところが、この8日間で劇的に変わったことがある。それは肌色だ。
船内で開かれる多種多様な催し物(無料英会話・スペイン語会話、カンボジアの地雷に
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関するシンポジウムから、絵画教室、将棋・囲碁・麻雀、社交ダンス、南京玉すだれ塾まで)
に、いっさいの関りを持たずに、ただぶらぶらしているおじさん達が、日に日に、黒くな
っていくのである。
なぜか、デッキチェアーで日焼したり、プールやジャグジーに入っている積極派よりも、
無目的ブラブラ派のほうがより黒くなるのである。なぜだろう。
私などは、なるべく直射日光を避け、日陰を探しては海を眺め、煙草を吸っているのに
人一倍のスピードで「黒化」が進行している。
お互いに顔を合わせると「やあ、焼けましたね」などと挨拶を交わしているが、文化人
か暇人かは、肌色で一目瞭然である。
そんなわけで、今日の午前中はアル・ゴアさんの『不都合な真実』の翻訳をした、環境ジ
ャーナリスト枝廣淳子という人の「エネルギー問題」に関する講演を聴きに行った。東京
大学大学院教育心理学専攻だそうだが、えらく頭のいい人でしかも勉強している。
いわゆる「環境屋さん」のような一方的な解説でなく、納得できる講演を聴いた。まあ、
このレベルの内容が約束されるなら、 文化人派 に転向するのも良いかと思った次第。
この船では、次の寄港地の前日に現地に関する説明会が開かれる。通貨や観光スポット
の説明など簡単な現地情報の提供と、オプショナルツアーの説明である。
明日の寄港地は、セイシェル諸島の首都ポートビクトリアのあるマヘ島のキー・ノース
港。7時着岸予定。
セイシェル共和国は、インド洋に浮かぶ 100 を超える島々からなる。先住民をもたず、
貿易の中継基地としてここを植民地としていたフランス、イギリスなどの西欧、インド、
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アフリカなど各地から移り住んできた「移民の国」だという。その首都ポートビクトリア
は、世界最小の首都だそうである。
世界各地の文化がミックスされた独特の「クレオール文化」を持ち、世界で最も人種差
別のない国とも言われているそうだ。
いずれにせよ、8日間のインド洋の船旅がようやく終わる。
1月 31 日(木)
晴ときどき曇
日の出 06:22 日の入 18:41
【シップスポジション】緯度:02°57′S
経度:058°10′E(29 日正午)
外気温 32°海水温 30°
日本との時差 −5 時間
朝6時。日の出を撮るためにデッキに出ると、目の前にマヘ島があった。
やがて日が昇り、船が接岸の準備をしている頃に島を観察すると、私の予想はまったく
外れていた。
「インド洋に浮かぶセイシェル諸島」などと言うから、珊瑚礁に囲まれた白い
砂浜と椰子の木のある島を想像していた。
ところが、目の前の島は、花崗岩の絶壁に囲まれた山を中心とするかなり急峻な地形の
島であった。第一印象としては、屋久島によく似ているな、という感じがした。
上陸後、アフリカ系男性のガイドさんに尋ねたところ、セイシェル諸島の中には珊瑚礁
から出来た島は数多くあるが、そのほとんどは無人島で、首都ポートビクトリアのあるマ
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ヘ島は火山島ではないが島の最高峰は 920mあるとのことだった。
火山島でなく、こんな海の真ん中に花崗岩の島があるとすれば、これは地殻の隆起によ
って出来た島かもしれない。
あるいは、アフリカ大陸寄りにあるマダガズカル島同様に、何億年か前にプレートの移
動によって、南アメリカ大陸とアフリカ大陸が分断された際に、取り残された古い大陸の
一部かもしれない。などと勝手な想像を巡らす。
マヘ島の広さは、どうやら鹿児島県の種子島くらいであるらしい。しかし、地形からい
うと真っ平らな種子島ではなく、やっぱり屋久島や八丈島に似ている。
ガイドさんの説明によれば、すぐ南にある(と言ってもかなり遠いけど)モーリシャス
と違って、この島にはインド洋のサイクロンが襲ってくることがないという。
そういえば、ちっぽけなバスの車窓から見える樹木は、空に向かってまっすぐ聳え立っ
ている。とにかくこの島は緑の豊かなところで、バスが登山道のように急な山道を登って
行くと、パンの木、パパイヤ、マンゴー、バナナ、椰子の木などなど、果物好きならよ
れの出そうな様々な食物が生い茂っている。
その豊かな山脈(と言っても峠みたいなものだが)を超えて、反対側に出ると、いきな
り白い海岸線とそれに続く珊瑚礁のような色をした遠浅の海が、外洋の青い海へとつなが
っているのが見えた。
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こうした海岸沿いには、ヨーロッパの各地から訪れる観光客のための洒落たリゾート施設
が立ち並んでいる。
海岸の砂は、白い貝殻や珊瑚から出来た本当の意味での白砂ではなく、背後の山から崩
れ落ちた石英質の砂だった。バスが走る道路
の、ほんの数メートル離れたところから海岸
になっているところを見ると、たしかにこの
海は荒れることが少ないようである。
ここはかなり豊かな海だそうで、ツナがた
くさん獲れるため、島には輸出用のツナの処
理工場があった。
道路脇の木陰では、地元の漁師なんだろう
か、暇そうなおじさん達がカツオや鰤に似た
大きな魚をただ並べている。蠅が山のようにたかっても追い払うわけでもなし、商売っ気
まったく無し、自分たちもマグロ状態でのんびりと、ごろごろしている。
東南アジアなど南の国に行くと、暖かくて食うものに困らないせいか、男たちは昼間っ
から木陰で「チンチロリン」をやったりして、ぐだぐだしているものだが、女は働き者が
多い。ところが、この国では、女もそれほどテキパキと働いてはいない。
やっぱり、気候がかなり暑く、山にはくさるほど果物があり、海には魚がたくさんいる
ところでは、人は自然とのんびりしてしまうものらしい。
いろいろな人種や文化が混じった「クレオール文化」の国と聞いていたけれど、実際に
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街中で見る限り、圧倒的にアフリカ系が多い。ポートビクトリアの町は、まさしくアフリ
カ系黒人の町であった。豊かで、政治的にも安定しているらしいこの町(街中にスラムが
なかった)では、商店に入っても、売る気があるのかないのか、知らん顔。
全 体的 に 穏や か
で、あまりやる気を
感 じ させ な い町 だ
ったが、それはそう
だよ。とにかく暑い、
湿気が多い。街中か
ら船に帰るまで 30
∼40 分歩いて、暑
さ を 身に 染 みて 感
じさせられた。この
気候が、一年中続く
んだから、のんびり
やらなくちゃ。
夕刻 18 時。夕焼けの中をポートビクトリア出航。
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