OPORA RUSSIA福岡の沿革 No,1 & No,2

日露間の産業・医療・文化・学術分野の交流と友情を願って
!
2006 年~2014 年
オーポラロシア福岡・概要(第 1 部)
OPORA RUSSIA FUKUOKA
http://www.japan-chuvash.com/
OPORA RUSSIA FUKUOKA
一般社団法人 オーポラロシア福岡
[ 沿革 ]
旧:ソビエト時代、オリンピックや世界選手権等、数多くのスポーツ大会に社会主義国であった同
国は、国家の威信にかけて世界の国々とスポーツを通して戦った。日本にも多くのソビエトからの選
手団が来日した。テレビや新聞等マスコミ各社は、ソビエトの優秀な選手にはスポットライトを照射
した。その優秀な選手の横で通訳者として対応していたのが吉原龍介(2009 年 11 月他界:80 歳)で
あった。
ロシア(旧:ソビエト)オリンピック委員会の理事で陸上全体を担当していたクリチェンコ氏と、
吉原龍介が盟友であり、クリチェンコ氏は全ロシアを駆け回り優秀な選手の発掘には右へ出る者はい
なかった。旧:ソビエト連邦からロシアに政治体
制が変化しても、域内の政財界の人々とクリチェ
ンコ氏は、久しい関係が続く。クリチェンコ氏と
吉原龍介は、互いの友人を紹介する関係を続けて
来た。
ロシア及び CIS 諸国のリーダー達は、何らかの形
でクリチェンコ氏との縁がある。そのような深い
縁故関係の上で、2010 年 2 月 28 日にモスクワに
於いて関係者全員が集結し、田村文彦が
吉原龍介の後を継承した。
田村文彦
クリチェンコ氏
吉原龍介
吉原龍介は、1990 年以降 モスクワのトレチャコフ美術館所蔵の「シャガール」の絵画を、同美術館と
交渉し、数多くの美術品を日本の各・新聞社を窓口として、日本各地で美術展を開催した。影のプロデュ
ーサーとして歴史に残っている。
[ 設立の経緯と目的 ]
一般社団法人 日本・ロシア連邦チュバシ共和国友好協会
(全ロシア連邦全域の経済・学術・芸術促進支援団体)
目的・趣旨:日本・ロシア連邦チュバシ共和国友好協会は、チュバシ共和国創立 80 年を記念し、当時 ロ
シア政府のコンスタンチン・コサチョフ外交委員会委員長や、元:チュバシ共和国フェドロフ首長の全面
的な協力で 2007 年 5 月に任意団体として開設し、以後 法人化した。
経済、文化、学術等の分野に於ける日本と
ロシア連邦及び、沿ボルガ河沿岸諸国の一
員であるチュバシ共和国の円滑な発展、友
好交流を促進するものからスタートした。
現在はロシア連邦全域をシェアに両国の
交流がさらなる発展を促し、惹いては日
本・ロシアの平和の進展に寄与する事を目
的とする。
左より、元:チュバシ共和国フェドロフ首長(前:ロシア政府農業大臣)
二人目 田村文彦
三人目 ロシア政府 前:コンスタンチン・コサチョフ外交委員会委員長
[
全ロシア政府系中小企業組織団体 オーポラロシアとの出会い
]
2009 年 5 月に沿海州ウラジオストックに於いて、ロシア貿易
経済発展省・沿海州商工会議所・ロシア国立極東大学・オーポ
ラロシアとの会談で、日露間の中小企業が連携出来ないかと活
動中の中で出会いとなる。
オーポラロシアとは、その後、モスクワや日本で何度も意見
交換を繰り返して来た。
2010 年 5 月に全国知事会(前:麻生渡福岡県知事)として 10
名の知事が、モスクワのオーポラロシア本部へ表敬訪問した。
2010 年 11 月 1 日からセルゲイ・ボリソフ会長が田村文彦誕生パーティへ参加の為、福岡へ滞在中、
田村文彦のエスコートで前:麻生渡福岡県知事へ表敬訪問を行う。
日本を代表する工業地帯を紹介する為、北九州市の北橋健治市長へも表敬訪問を行う。
[
オーポラロシア福岡の代表(会長)に就任
]
2010 年 12 月 7 日にモスクワのオーポラロシア本部に於いて、田村文彦がオーポラロシア福岡の代表
(会長)に就任した。外国人としては 3 人目であり、日本全体をシェアに産業・文化・学術及び、露日間
の中小企業が連携出来るよう協力体制を構築した。
オーポラロシア福岡就任授与式の一場面
[ オーポラロシア ]とは・・・
ロシア国内の中小企業数は 1.136.000 社で、個人企業数は 3.400.000 社で推移している。従業員数は
1.670 万人、国営企業や公務員も含めて 25%のシェアである。
企業活性化の推進やグローバル化を目指し、プーチン首相の肝いりで 2002 年に組織された。
[創設の経緯]
2008 年 3 月 中小企業家を支援する国家委員会の議事をメドヴェージェフ大統領が主宰する。
2008 年 4 月 ロシア政府内に中小企業支援事業に関する委員会が創設した。
構成メンバー
議長
シュバロフ ロシア政府 第 1 副首相
副議長 ナビリナ ロシア政府 貿易経済発展大臣
副議長 ボリソフ 会長(オーポラロシア)
委員
ルシコフ 前・モスクワ市長
委員
ミニハノフ タタールスタン共和国首相
委員
G,グレフ Sber 銀行会長
委員
コスチン VTB 会長
委員
ショキヒン RSPP 会長
[ オーポラロシアの現状 ]
・7 連邦行政区に連絡調整官を配置し、80 の地域に支部を設けている。
・中小企業発展の為、政策による活発な行動に重点を置く。
・経済活動には、政府の諮問機関等にも参画して貰い影響力を増して行く。
・独自の起業家支援プログラムを施行する。
・オーポラロシアの会員企業は、125 業種 500.000 社である。
オーポラと言う意味は「支柱」や「基盤」と言う日本語の意味であり、「ロシアの柱」と直訳されるが、
カタカナ読みで、そのまま「オーポラロシア」と言った方が良いと思われる。
2011 年 4 月 25 日に、モスクワに於いて北橋健治・
北九州市長から預かった「親書」を特使の上野 浩
氏が、オーポラロシア
セルゲイ・ボリソフ会長
へ渡した。
(右の写真)
その返書をオーポラロシア福岡の田村文彦会長から北橋市長
へ直接手渡しされた。
(右の写真)
又、北九州市とオーポラロシア福岡が、北九州市及び周辺
地域を中心とした全産業を対象にして、情報が少ないロシア
のあらゆる産業との交流や提携の橋渡し役となる「調査及び業務提携」の締結を 2011 年 5 月 11 日に結ん
だ。
高島福岡市長とオーポラロシア福岡の田村文彦会長が会談
2011 年 6 月 15 日 福岡市庁舎に於いて高島福岡市長とオーポラロシ
ア福岡の田村文彦会長が初の会談が行われた。
オーポラロシア福岡 田村文彦会長は、全ロシア国内 7 連邦行政区、80
の地域
125 業種
会員数 50 万社の名代とし、高島市長へ表敬となる。
世界経済が大きく変わる端境期に於きまして、将来展望が見えにくい
不透明な時代を迎え、経済・学術文化・芸術等、将来を見据えて、今後
の展望等を解説した。
オーポラロシアの日本拠点展開の契機に合わせ、ビジネス情報網を確立し、同時に国内企業への情報発信
体制を整え、両国の地域間交流の窓口として推進する事も伝えた。
2011 年 6 月 20 日に日露間の進展に付いて、福岡県知事・小川洋
氏とオーポラロシア福岡代表・田村文彦氏との会談が実現した。
今までの活動に付いて両国間の確実な地域同士の交流が具体的
に進んでいる事を解説した。ロシア交流を深めてビジネスを進めて
行く為には、人的交流を深めて行く事が重要との事で合意する。小
川知事も対ロシアに付いての理解度が深くなった。
2012 年 1 月 24 日
オーポラヘルスは、今後のロシア医療改革の推進役機関
として 2011 年 12 月 29 日にプーチン首相(現:大統領)
の承認を受け、発足したもの。
そのオーポラヘルス本部に於いて、オーポラロシア福岡
がロシア国内外を含めて初の業務提携を行った。
オーポラヘルスは、日本で対比する組織は存在しないが、
日本医師会に近い存在と考えられる。
*オーポラロシア福岡は、この調印により、
「オーポラ
ヘルス・ジャパン」を開設する。
◆ 2012 年 8 月 20 日
財団法人 日本国際協力センター(松岡和久理事長)との間で業務提携の調印を行う。
◆ 2012 年 8 月 30 日 「ロシア連邦・主要病院長チーム」福岡へ訪問
目的
・九州大学イノベーションセンター訪問
先端医療技術(遠隔診断・治療及び、体に負担が少ない内視鏡による外科手術・内視鏡操作訓練センター・
医療ロボット)や、医療サービス全般
・国立病院機構 九州がんセンター
医療法人 社団 高邦会 山王福岡病院
日本赤十字九州国際看護大学 学長 喜多悦子氏
Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing
第1回
福岡県宗像市・大島 慰霊式典
1905 年 5 月 27 日沖ノ島沖の、日本海海戦におけるロシアバルチック艦隊の戦死者(4.830 名)慰霊と
世界の恒久平和を祈念する為。
献花方式で 1905 年に戦士したロシア水兵 4.830 名への慰霊式
中学生合唱 ( 16 世紀:ポーランド民謡 「森へ行きましょう」
( 1860 年代
箏の手ほどき曲
)
「さくらさくら」 )
住民との交流会
・コミュニティ役員 梶原
實氏 大島コミュニティ運営協議会会長
・佐藤千里氏(日本海海戦を沖ノ島(沖合約 60km に浮かぶ孤島)沖で目撃した佐藤市五郎のご子息。)
・高齢者代表・青年代表・婦人会代表・教師・大島駐在 医師・中学生 15 名
国が違い、その国で生まれた以上、その地域を愛し、その風土や慣習を身に付ける。
やがて、国の誇りをポリシーとして命の限り生き続ける。しかし、国が違っても同じ人間として生存する。
言葉や習慣が違っても「心温まる思い」は全て同じである。ロシア医師団は、この大島で心の底から日本
人のおもてなしに感動した。
参加した日本人にとっても昭和 40 年前半くらいまで残っていた主要駅や港で見送りした風景を思い出
したに違いない。まるで 8 ミリ映写機で写し出されるセピア色の懐かしい物語のように昭和のより良き
時代へタイムスリップし、今はいない祖父母や両親の面影が脳裡を掠めて行った事だろう。
有名な監督による映画のクライマックスシーンのようだった。全てがノンフィクションの画像である。
心と心が真心により何の偏見も無く繋がる事を改めて感じ入る事となった。
2012 年 10 月 18 日 オーポラロシア福岡の仲介で、財団法人 日本国際協力センターは、ロシア連邦
アストラハン州保健省との間で協力協定の締結が完了した。
2012 年 6 月及び、10 月 2 度に渡ってロシア連邦アストラハン州知事 Mr.Alexandr
Zhilkin と会談。
アストラハン州保健省との医療に於ける相互交流と、医療改革推進の友好協力協定の締結を行う。
2012 年 11 月 14 日
第二モスクワシティホールにて、オーポラロシア 10 周年記念総会が
開催される。
当会場は、旧ソ連時代、ソ連時代は東欧経済相互援助会議本部であっ
た。(通称はコメコンと言う)共産諸国の経済協力機構会議の舞台
となった。歴史に刻まれた由緒ある建物。
ここには、ソビエトを中心にポーランド・チェコスロバキア・ハンガ
リー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニア・東ドイツ・モンゴル・キューバ・ベトナムの主要国と、
ユーゴスラビア・フィンランド・イラク・メキシコ・アンゴラ・エチオピア・南イエメン・モザンビーク・
ラオス・中国・北朝鮮の準加盟国が参加していた。オーポラロシア福岡は、これまでの日露交流について、
積み重ねて来た実績について発表を行った。
又、福岡県知事 小川 洋氏や、北九州市長 北橋健治氏より親書を預かって居り、メインステージにて
親書の贈呈式を行った。
2 月 12 日(火)
FIRST MOSCOW STATE MEDICAL UNIVERSITY
(モスクワ国立第一医科大学)
Trubetskaya、8ー1 Moscow 119992 RUSSIA
モスクワ国立第一医科大学側 出席者
・Dr.Valdlmir N.Nikolenko, (ヴラジーミル ニコレンコ)
vice Rector for Science and Innovation(副学長 科学担当)
・Dr.Peter Fr.Litviskiy, (ピォートル リビツキー)
Vice Rector for International Affairs(副学長 国際交流担当)
・Dr.Valdimir A.Reshetnikov, (ヴラジーミル リェシェトニコワ)
Vice Rector on Medical Work(副学長 医療担当)
・Dr.Igor N. Denisov(イゴル デニソヴァ)
Vice Rector for academic studies.(副学長 教育担当)
・Dr.Olga Sadkovaya, (オリガ サドコバーヤ)
Head of International Office(国際局長)
・
(ソ連時代最後の保健大臣。現在は、同大学学長顧問)
2 月 13 日(水)
Dubna Mosсow Region Russia 141980
ドゥブナ合同原子核研究所 訪問
International Intergovernmental Organization Joint Institute for Nuclear Research
通常、日本人としては入所出来ない同研究所を訪問する。被爆後の遺伝子が破壊され、その過程をプレ
ゼンしてくれた。同国は、チェルノブイリ事故や、原子力発電所等が数多く存在するが、何らかの形で被
爆した人々の数多くのデータは、ここで分析及び研究がなされている。敷地は全体で 160ha有り、厳重
なチェックを受けて入場が出来た。日本人研究者も 2 名勤務していると聞く。民間交流の立場では入場す
る事は出来ないが、オーポラロシア福岡のメンバーである事で入場が許可された。日本も東日本大震災を
経験し、福島原子力発電所の事故後、人々の DNA が変異している場合、同研究所の蓄積データが医療に
於ける対策や救命に役に立つ事となるだろう。もちろん、このデータが役に立たないよう祈るのみである。
2013年3月12日
第2回
福岡県宗像市・大島 慰霊式典
オーポラロシア福岡 会長 田村文彦
ロシア科学アカデミー医学生物学諸問題研究所
副所長
国立グビキン石油・ガス大学
筆頭副学長 Dr.Mikhail SILIN
Dr.Oleg I.ORLOV
2013年3月14日
福岡国際会議場
「第 49 回日本腹部救急医学会総会」が、13 日~14 日の 2 日間開催された。
この主催者は、日本腹部救急医学会総会事務局
(会長 橋爪誠教授・九州大学先端医療イノベーションセンター長)が取り仕切った。
特別基調講演 (司会 杉町圭蔵先生)
ロシア科学アカデミー医学生物学諸問題研究所副所長
Dr.Oleg I.ORLOV と、橋爪誠教授とは、宇宙医
学や、遠隔による診断及び治療分野で共通した議論を行う関係である。今回の基調講演の設定は、12 月に
決まったが、互いに多忙な日々が続き、来日に際し、ビザ手続きを含めてアクロバット的な動きであった。
Dr.Oleg I.ORLOV は米国に滞在し、モスクワの秘書を中心に、米国~モスクワ~福岡と 3 か所で連絡を行
なった。其々に時差が有り、朝・昼・夕刻・夜・深夜と異なった地域の連携で来日が実現した。Dr.Oleg
I.ORLOV は、国際宇宙ステーションにフライトする宇宙飛行士の健康問題や訓練、ステーション内での長
期滞在に於ける体調管理や、宇宙ステーション内での研究や実験の窓口でもある。
又、日本人には、報道で見聞きしていた宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の水棲生物実験装置(AQH)
を使用して実施する生命科学実験テーマ『メダカにおける微小重力が破骨細胞に与える影響と重力感知機
構の解析』の担当でもある。
この講演実績は、九州大学にとって素晴らしい記録の 1 ページになるだろう。
2013 年 5 月 23 日
神戸市医療産業都市 意見交換会
一般社団法人 OPORA- RUSSIA FUKUOKA
会長
田村文彦
OPORA ZDOROVIA
会長
Mrs..NataliyaUSYAKOVA
(OPORA Health)
専務理事
Mr.Andrey.YURYEV
・医療法人社団 神戸国際フロンティアメディカルセンター理事長 田中紘一氏
・理事 菊池耕三氏・山田貴子理事・神戸市会議員 平野昌司氏 等、16 名。
神戸が驚くべき運命、かつ
ある程度悲劇的な過去を持つ都市であるが、間違いなく末広がりに向かっ
た発展の見通しと素晴らしい未来が描かれる事と確信する。優秀なメンバーが、この医療産業都市を開拓
し、これからもユニークな研究や開発が期待される。
2011 年 11 月に神戸市へ訪問時、初めて先端医療産業特別区をご訪問した。(京)スーパーコンピュー
タも偶然見学する事が出来た。ロシアに帰国して、モスクワの学術関係者及び医療界の重鎮達に直視した
ものを、ありのままに伝え印象を教示し、長時間をかけて討論を重ねた事を思い出す。
我々、ロシア医療界との連携及び協力に際し、関心は先端医療産業特別区の全てだと思っている。今後
の可能性及び潜在力を実現する為、共通した医療技術の活用現場を作り出すアクセルになると信じている。
それに生物医学およびトランスレーショナルリサーチのプロジェクトに於けるロシアと日本の研究者の協
力体制を促進して、国際的かつ画期的なプロジェクトの実行が確実なものにならんと確信する。
21 世紀に於いて、国際関係構築の為、隣国である日露パートナーシップに新たな医療プロジェクトを育
成し勢いを増して行きたいと思う。
2013 年 7 月 6 日
外科腫瘍学センター(欧州病院)訪問
ロシアでは数少ない専門クリニックの一つで、高度な手術、化学療法
及び、その他の先進治療法を使用して、様々な癌患者の治療に焦点を
当てた専門病院であった。
・Dr.Andrey Pilev
・Dr.Boris Bobrov
Москва, Духовской переулок, 22Б
整形外科クリニック”Institut
+7(495) 710-70-35
Krasoti" 訪問
当クリニックは 1930 年に開設され、83 年の歴史である。ソ連時代は国営であり、全ロシアで唯一の中心
的な形成外科及び美容関係の機関でもあった。当時は、政治家や有名芸能人・トップクラスの有識者の為
に開設された病院として有名。現在、整形外科病院やエステサロン等として運営されている。
「美容&健康で健やかな長寿を目指して」と言うプロジェクトを推進して居り、健康と長寿を基にした多
種に渡る研究も実施されている。美容&健康の一環として販売されている商品の許認可権を持つ。
当病院の特徴は様々な新しいエステ関係の製品や商品をロシア市場に出す為、当クリニックで試験及び実
験を済ませれば、許可書が発行出きる。煩わしいロシア保健省への申請以外で、こうしたルートが我々の
前に登場した意義は大きい。
2013 年 8 月 29 日
福岡県宗像市大島に於いて、日露友好及び交流の一環として慰霊碑建立の為の安全祈願祭(地鎮祭)を
開催する。
1905 年 5 月 27 日に戦った日露海戦で戦死したロシア兵 4830 名・日本兵 117 名
の尊い命を慰霊する為、日露の友好と交流を深める事に邁進し、ブリッチ役の動
きを行う者として当然、自然な行為である。.
ロシアの方々にとって屈辱の歴史で有り、口で表現する事もためらう事と良く
聞く。しかし、もう 108 年も経過した現在、私共は、宗教も考え方も肌の色も全
て違う人間であるが、ひとりの人間として、心だけは大切にしなければならない。。
亡くなられた英霊は、今も福岡県宗像市大島の沖合で漂っているだろう。安らか
に永眠して頂く事が私共の望みである。
◆ 地鎮祭(安全祈願祭)後、造成工事に取り掛かる。太古の昔より誰も開墾した事が無い海抜 120m の
高台にブルトーザーがエンジンを響かせ大地が地肌を見せ始めた。2013 年 9 月は例年に比べて天気が
続き、工事も順調に進み始めた。
2013 年 10 月 15 日(水)~18 日(金)
モスクワから 4 名の著名な医師達が来日した。歯科医・形成外科医の専門医である。
福岡歯科大学に表敬訪問を行う。
(リーダー)Mrs.Irina EROKHINA(歯科医)
民間歯科クリニック代表取締役
(歯科医師 35 名 患者数 約 2.300 人 / 月)
Dr,Valentina ZMAZOVA (準博士:整形外科クリニック”Institut Krasoti" :院長)
Dr.Stenko ALEXANDER(準博士:整形外科医)
Dr.Stenko ANNA(準博士:整形外科医)
又、形成外科手術では、日本で一番の実績と歴史を持つ、長崎大学病院へ訪問する。同病院では、ロシア
側のメンバーが医師であり、日頃
手術実績がある為、特別な許可を取り、手術室内にて高度な手術を行
っている現場を見る事が出来た。
2013 年 11 月 3 日(日)
日本海海戦・戦死者慰霊塔建立記念式典を開催する。(福岡県宗像市大島)
田村文彦会長
駐日ロシア大使
(Mr, Evgeny AFANASIEV
Russian ambassador)
ロシア正教会(Mr.Archpriest Nikolai Katsiouban
The Russian Orthodox Church in japan)
参議院議員
衆議院議員
福岡空港開発㈱
松山政司氏
山本幸三氏
社長 麻生 渡 氏
宗像市長
ロシア大使館・総領事
谷井博美氏
オレグ リャボフ氏
右:宗像市議会議長 吉田益美氏
中央:元・防衛大臣 久間章生氏
左:福岡県議会議員 伊豆美沙子氏
ロシア人学校の子供達 14 名(Roshianka choir sings jointly)
2013 年 11 月 27 日
ロシア代表団 日本訪問
ロシア最大の経済団体 オーポラロシアは、東京へ来日した。ロシア国内外の
「オポーラロシア」の創始者であり国内に於いては名誉会長のボリソフ
セルゲ
イ R.氏が団長で登場した。ロシア以外では、引き続き会長としてボリソフ
セルゲイ氏が手腕を発揮している。
ソ連時代には中央銀行の位置づけで君臨した LSC”Sberbank Russia”の
中小企業全般を担当する副総裁。
ロシア政府・中小企業発展競争委員会の副委員長。
2014 年 1 月 16 日(木)
駐日ロシア連邦大使館に於いて、ロシア大使(Mr, Evgeny AFANASIEV)と、昼食会に出席する。
打ち解けた雰囲気の中で、2013 年 11 月 3 日に、福岡県宗像市大島で開催した日本海海戦・戦没者慰霊塔建立
記念式典にロシア大使が出席して頂いた事への御礼。又、オーポラロシア福岡がロシア国内で活動して来た背景
と、今後の活動について歓談する。同大使館のオレグ・リャボフ総領事も同席した。
2014 年 3 月 20 日(木)
日露投資フォーラム IN 東京へ参加したロシアチーム 福岡入り
東京の日露投資フォーラムに参加した後に福岡入りする。、15 日に東京へ到着し、東京での公式行事を
済ませた 20 日の昼下がりに福岡へ訪問。ボリソフ御夫婦、コルクーノフ氏(ロシアを代表するチョコレー
ト製造メーカーのオーナー)
、バウマン・モスクワ工科大学のアレクサンドロフ学長御夫婦、トンコフ氏御
夫婦(元:ロシア連邦議会上院議員)等、8 名である。其々にロシアを代表するメンバーである。
麻生渡氏とボリソフ氏
田村文彦と大宰府天満宮
西高辻宮司
2014 年 3 月 26 日(水)
モスクワ訪問
グビキン石油・ガス大学(Gubkin Russian State University Of Oil and Gas)
同大学の「歴史クラブ」と言うサークルで、過去の歴史を掘り下げながら、
新たな真実や、風化した歴史を再発見する事が主な活動である。
同大学の筆頭副学長の Dr. Silin Mikhail を 2013 年 3 月に日本へ御招き
した際、福岡県宗像市大島で対馬海戦慰霊祭を開催し出席された。
その際、Dr. Silin は、大島の島民とのふれあいがあり、108 年前の出来事に触れ、島民達が戦死
して漂着した多くの遺体を埋葬した事を知り、感動のあまり、涙が自然と溢れ出て、心に響いた
事が始まりであった。
Dr. Silin は帰国して、歴史クラブの教職員に大島の出来事を伝えると、クラブメンバー全員が
あたかも大島で体験したように話題になった。Silin 副学長は、その後、2 度の来日をしたが、2013
年 11 月 3 日に開催した対馬海戦戦没者慰霊碑建立式典にも出席した。
その際、同大学の多くの学生達が制作した特大の寄せ書きポスターを
持参され、現在、我々が大切に保管されている。会談ルームに於いて、
「歴史クラブ」で、活発に活動した学生達に、田村会長より感謝状を
一人づつ手渡しをする。
バウマン・モスクワ工科大学(Bauman Moscow State Technical University)へ訪問。
同大学は、284 年の歴史が有り、米国との宇宙開発・航空工学等で熾烈な競争を繰り返して居り、
大学構内に入るには、それなりのチェック体制がある。2004 年前後まで、モスクワで生まれ育った
人々でも、大学構内で何が行われているのかもベールに包まれた雰囲気があった。そんな先端工学
の大学へ、数知れず訪問を繰り返している。学長の Dr. A.A. Alexandrov が迎えてくれた。
。
2014 年 4 月 9 日(水)
日露フォーラム IN 福岡 開催 (福岡経済同友会と共催)
アファナーシエフ駐日ロシア大使を、福岡へ御迎えし、福岡県内をだいひょうする経済人とフォーラムを
開催した。両国国歌は、チャイコフスキー音楽院を卒業した副島響子氏が担当する。日本側からは、講演者として
オーポラロシア福岡の副会長 朝妻幸雄氏が受け持った。日露フォーラム IN 福岡の最後に、記念演奏として、全
国コンクールで連続 1 位の精華女子高等学校吹奏学部のメンバー55 名が花を添える。
2014 年 5 月 18 日
ハバロフスク&
ウラジオストック訪問
久しぶりにハバロフスク及び、ウラジオストックに滞在し、日本やモスクワでは、時々御会いしている
ものの、友人達の地域に足を入れるのも久しぶりであった。春真っ盛りの台地は、淡く豊かな光と色彩が
知らず知らずに目の中に飛び込んで来る。いつしか心安らかな気持ちに変わり、花々が咲き誇る春爛漫の
季節であった。
2014 年 6 月 20 日 神戸市長 久元喜造(ときぞう)氏と会談
神戸市とは、オーポラロシア福岡との縁があり、2011 年 11 月及び、2013 年 5 月に、
神戸市医療産業都市の医療関係者と交流がスタートし、
現在もプラス思考で続けられている。
同産業都市は、阪神大震災で被災した神戸市の復興で
基盤となった。纏まった形で医療施設や研究施設が
集中した医療産業都市は、日本国内に於いて唯一である。
久元市長との会談に同席した市議メンバーは、
2014 年 5 月にモスクワを訪問し、医療関係者と関係構築を結んだメンバーである。
・神戸市議会議員連盟 会長
・自民党 政令指定都市議員連盟 会長
崎元祐治氏
平野昌司氏
・神戸市議会 前 議長
安井俊彦氏
・神戸市議会運営委員会 理事
大井敏弘氏
・大都市行財政制度特別委員会
副委員長
伊藤めぐみ氏
この神戸市医療産業都市は、医療先進国の日本にとって、外国の医療従事者をアテンドするには、
最高の拠点とも言える。
2014 年 6 月 26 日
西日本工業倶楽部(理事長
VS
利島康司氏)・北九州商工会議所(会頭 利島康司氏)
オーポラロシア福岡(会長 田村文彦)が協力し、特別講演会を開催した。
講演者は、駐日ロシア大使館 総領事 オレグ リャボフ氏
会場は重要文化財に指定されている旧:松本家住宅で、現在は西日本工業倶楽部が所有の
会場で開催された。
2014 年 6 月 30 日
世界屈指と呼ばれる“グビキン石油・ガス大学”
(モスクワ)へ訪問。
新しい時代へ向けたエネルギー開発の共同研究・締結調印式に臨んだ。
2014 年 8 月 30 日
ダゲスタン共和国にて、首相 / 大臣らと会談。
ダゲスタン共和国 首相
貿易経済省 大臣
Mr. Abdusamad Gamidov
Mr.Yusup umavov
(左写真)
(中央写真)
2014 年 9 月 1 日
TRIEL-TOUR Ltd
Ms.Irina Loshkareva
VS 九電産業(株)旅行部
“調印締結式”
2014 年 9 月 2 日
ロシア連邦教育科学省所管
モスクワ国立デザイン技術大学 訪問
MOSCOW STATE DESIGN AND TECHNOLOGY UNIVERSITY
Malaya Kahuzhskaya str.,Moscow 119071.Russia
Tel. +7(495)952-75-33
学長・副学長(Dr.Mikhail G.Balykhin:経済学博士)
・ロシアデザイナー協会々長(Mr.Yury Nazarov) 等と会談。
創立は 1918 年 9 つの学部で構成されている。学生数は 1 万人 教授陣数 2000 名、留学生の受
け入れ数は 600 名、卒業後の就職先は、ロシア国内に留まる事無くフランスやイタリア方面に向
かうと聞く。200 の企業や大学と交流を行っている。東京都品川区の杉野服飾大学とも 12 年の交
流実績がある。
2014 年 9 月 04 日
ヤロスラブリ州政府へ訪問
ヤロスラブリ州知事
Mr. Sergei Yasutobofu
2014 年 11 月 05 日
九州電力 貫(ぬき)正義
OPORA RUSSIA FUKUOKA
続けさせて頂きます。
会長 表敬
第 1 部沿革は、これにて終了します。引き続き、第 2 部の沿革に
[ 役員
紹介 ]
OPORA RUSSIA 福岡は、これまでの活動の実績を踏まえてその後の総会などで以下の通り役員人事を決定し
ております。【2016 年 8 月 1 日現在】
田村文彦 Fumihiko Tamura
会長
副会長
専務理事
Председатель Тамура Фумихико
朝妻幸雄 Yukio ASAZUMA
Юкио АСАЗУМА
柴田敏雄(常勤) Toshio Shibata
Исполнительный директор Сибата Тосио
阿部 修(常勤) Osamu Abe
理事
Директор Абэ Осаму
クラベツ インガ Kravets Inga
理事
Директор Кравец Инга
戸取和玄 Kazuharu Todori
理事
Директор Тодори Казухару
藤井利雄 Tshio Fujii
理事
Директор Фудзии Тосио
山岡礼三 Reizou Yamaoka
理事
Директор Ямаока Рейзоу
アリエフ マゴメド
特別顧問
Aliev Magomed
Алиев Магомед Особый советник
アレキサンダー イワノフ Alexander A. Ivanov
顧問
Советникпо биомедицине
Александр Иванов
監事
業務
提携
伊東哲也 Tetsuya Ito
Аудитор Ито Тэцуя
・
北九州市
・
財団法人 日本国際協力センター( Jice )
・
OPORA HEALTH (Moscow)
田村文彦
沿革
出身
大阪府高石市
年齢
1940 年(昭和 15 年)生まれ
最終学歴
早稲田大学第二政経学部(76 期)卒
趣味
ゴルフ
中学、高校、大学時代はサッカー部に所属し、日本初のユース代表に選ばれ、アジア各国に遠征し国際
交流試合に従事する。小・中学及び、大学時代は、財団法人日本サッカー協会の名誉会長:川淵三郎氏と
同じチームメートで、現在も交流は深い。
大学卒業後はダンロップに入社するが、3 年後、父が経営する自動車販売会社に入社する。
現在、都道府県別に中古車販売協会や商工組合が存在するが、父と連携し全国に販売網を構築。その後、
株式会社 USS(ユー・エス・エス)の創業者の一人として全国展開を進め、東証一部上場企業として事業
展開。2014 年 6 月に代表取締役を後進に譲り、相談役として後進の指導を行う。2016 年 6 月 14 日に開催
した株主総会にて引退をする。
◆
一般社団法人 OPORA RUSSIA FUKUOKA
◆
一般社団法人 ユーラシア・ビジネス協議会 会長
◆
一般財団法人 美しい日本創造機構
◆
ロシア連邦 国立ダゲスタン大学 第 8 代 名誉教授 ( 2015 年 3 月就任 )
会長
会長
◆ ロシア連邦 名誉領事 ( 2016 年 7 月就任 )
[ 現在のようなサッカーの台頭以前に、日本サッカーに功績を遺した記録 ]
昭和 34 年(1959 年)4月 18 日から 25 日まで,石平俊徳団長、高橋英辰監督ら役員4人、選手 16 人の
日本初のユース代表は、マレー王国(マレーシア)の首都クアラルンプールの「ムルデカ・スタジアム」
で開催される第1回アジアユース大会に参加した。
OPORA RUSSIA FUKUOKA 沿革 第 2 部
2015 年~
ОПОРА РОССИИ FUKUOKA
http://www.japan-chuvash.com/
2015 年 3 月 4 日
“田村文彦氏の名誉教授就任式”
国立ダゲスタン大学 学長 Mr.RABADANOV Murtazali が迎えてくれた。
副学長 Dr.ASHURBEKOV Nazir Ashurbekovich[工学博士]及び、同大学の国際
部門
学長補佐の Mr.Rabadanov Murtuzali も同席。
2 階の大ホールへ移動し、田村文彦氏の名誉教授就任式に臨む。ステージ上に用意さ
れたイスには RABADANOV 学長が左席、田村文彦氏が中央、クラベツ インガが右
の席に着席した。
大ホールには多くの教授陣や職員及び、学生が集結し、ほぼ満席の中で就任式となっ
た。
名誉教授就任については、教授会を開催し、満場一致で名誉教授への授与が決定され
ていた。RABADANOV 学長が、写真等をスクリーンに写しだし田村文彦氏のヒストリ
ー(自動車販売網の構築・日本初のサッカーユース日本代表・USS の企業拡大(東証一
部上場企業)の推移・日本海海戦・慰霊碑建立を個人費用で行った事・日露交流の動
き等)を出席者全員に丁寧に説明した。
説明後、学長自らが、田村文彦氏へ名誉教授専用服と角帽を田村文彦氏に着付けした。
そのコスチューム姿で田村文彦氏が演壇にて会場全体にスピーチをした。名誉教授就
任式後、スパークリングワインで“デルカップ”(地元で乾杯と言う意味)と囁き合
いグラスを重ねた。
2015 年 6 月 4 日
110 年が経過した“今” 日本海海戦(対馬海戦)遺族子孫の会(サンクトペテル
ブルグ)関係者達との出会い。
日本側では、日・露海軍が激戦を繰り広げた海域で、戦死した英霊達に冥福を祈
る為、慰霊碑を建立し、供養する関係者達との出会いが実現し、これを機に交流が
始まった。
・Mr.Shershnyov Sergey (内務省 内務ベテランファンド 会長)
・Ms.Rojdestvenskaya Nina (ロシア文化協会 指導者)
・Mr.Spechinsky Zinovii
(Rojdestvensky 提督のひ孫)
・Mr.Tikhonov Andry
(郷土史家)
2015 年 9 月 7 日
ロシア科学アカデミー国立栄養研究所(Ustyinskiy proezd 2/14 str1 )へ訪問。
所長の Mr.Victir Tutelyan 以下、(付属病院長 Mr.Zainudinov Zainudin 付属病院心臓
血管簿問主任医の Mr.Bogdanov Alfred 栄養研究所の医学博士 Ms.Pogoscheva Alla 栄
養研究所の治療用食事部門主任医 Ms.Antonina Starodubova
栄養研究所/学術秘書の
Ms.Elena Smirnova の 6 名が会談に望む。
1920 年にスタートした栄養学の祖と言われる厳格な組織運営を行っていた。日本と違い、
医学のライセンスに基づいた栄養学の探求を続けて居り、両国に於いて栄養学の進歩は違
いがあるものの、共通した認識の意見交換が行われた。
2015 年 9 月 9 日
ダゲスタン共和国 保健大臣 Mr.Tank Ibrahimovic Ibragimov と会談。
副大臣の Ms.Kovtuk Tatiana 部長の Ms.Magomedova Zoya
栄養士の Ms.Urudjeva Naliya も同席。保健大臣には、事前に訪問目的等、資料を提供
していた為、終始 気持ちが入った会談となった。
2016 年 11 月 1 日~5 日
武士道と騎士道の最後の戦いと言われる日露戦争を記憶に残す
今から 110 年前、世界最大の艦隊を率いるバルティック艦隊(サンクトぺテルブルグを
母港)ロジェストヴィンスキー提督(司令長官)と、東郷平八郎元帥(司令長官)が、対
馬海峡で戦った。言う間でも無く、歴史の 1 ページとして世界史に記述されているので、
ここでは、敢えて記述は控える。
戦いは言う間でも無く、日本側の勝利に終わり、以
後、帝政ロシアは崩壊し、国の有り方そのものが大き
く変わりソビエトに移行した。
ロシアでは、今でもあらゆる紛争や他国との争いで、
日露戦争を負の遺産として評論家等が負の最低ライ
ンとして語られている。日本側は勝利したものの、
戦利品としての賠償金等が取れず、不況経済が続くが、明治政府としては、不況を乗り越
えて近代国家への道をひた走る事となった。
日本海海戦と言う名称は、日本だけであり、世界的に言われる名称は対馬海戦と言う表
現が一般的だ。1905 年 5 月 27 日の戦いでは、日本側戦死者は 117 名、ロシア側戦死者は
4830 名と大きな差が出たものの、生き残った数少ないロシア兵士は、上対馬の東海岸に辿
り着き、地元住民の手助けによって救出される。しかし、多くのロシア兵士は、戦いが行
われた海域の東沿岸部に遺体として漂着した。当時、地元の住民達は、敵でも味方でも死
んだら仏様だから、住民総出で砂浜等に埋葬したと家庭で受け継ぐ話を多くの人々から聞
く。住民の中に歴史学者がいるわけでも無く、誰もが知っている事だから、記録に残して
いなかった。やがて、埋葬した場所は、記憶から忘れられ、どこに埋葬したのか、正確な
ものは無く記憶は次第に失われて行く。
その地域は、中国や韓国等の大陸からゴミが多く漂着する福岡県宗像市や周辺沿岸部だ。
一部の遺体は対馬海流で流され、日本海方面に流れて行った。
福岡県宗像市沿岸部の漁師の家庭では、110 年前の出来事を家庭史や地域の歴史として曾
祖父~祖父~父へと、より詳しい話が受け継がれて来たが、少子化と、核家族化によって、
話が受け継がれなくなり、この時期を過ぎると、歴史の中から完全に風化し、誰も語る者
がいなくなる端境期を迎えている。
OPORA RUSSIA は、ロシアの経済団体だが、ロシア以外にも欧州やアジアに拠点を持
っている。日本では、非営利法人一般社団法人オーポラロシア福岡:会長 田村文彦が 2010
年 12 月に就任している。偏った見方を尻目に、自由な立場で公平な観点で独自展開を進め
ている。事業としては、日本の地方自治体・学術団体・各企業主・研究者を、全ロシア域
内の同じような組織へ橋渡し役に専念している。オーポラロシア福岡は、モスクワの本部
直結の拠点で有り、全ロシアをシェアに活動を進めている。
そのような中、対馬海戦で戦死した英霊に敬意を表する為、2012 年 12 月 22 日にプーチ
ン大統領に慰霊碑建立の意思を伝えると、大変喜んで頂き、福岡県宗像市大島に台地を購
入し、造成工事の上、2013 年 11 月 3 日に日露双方の戦死者(英霊)の慰霊碑建立を成し
遂げた。
駐日ロシア大使始め、ロシア正教会司教・国会議員・各自治体の
首長・議員等、多くの人々が参列しました。ロシアから多くの有
識者も来日し、参列した。この模様は、ロシア国営放送の取材班
が取材し、2 日後に全ロシアへ特集で放送された。
この慰霊碑広場は、海戦が繰り広げられた海域が見渡せる最高の地で、海抜 120m の
台地であり、現在は世界遺産指定にもなり、多くの方々が、日々 この慰霊碑広場に立ち寄
っている。以後、3 年目であり、対馬市上対馬の対馬沖海戦慰霊実行委員会メンバーとも連
携し、all japan で進めて行くようになった。
1905 年の戦いから 110 年目だが、我々はサンクトペテルブルグに滞在中、偶然にも対馬
海戦遺族子孫の会のメンバー達との出会いがあり、精力的な動きや、日露戦争記念館を
拠点に子孫達が忘れ得ぬよう語り継ぐ場を大切に、色々な行事を行っている光景を直視し
た。この行事には、在:サンクトペテルブルグ日本領事館も必ず参加し応援をしている事
も知る。
6 月 4 日にサンクトペテルブルグに於いて、対馬海戦遺族子孫の会幹部達と会談をして、
11 月上旬に日本へ招待する事を約束した。以後、準備に専念し、歴史の 1 ページを刻み込
んだ。
バルティック艦隊 ロジェストヴィンスキー提督(司令長官)と、日本連合艦隊の東郷平
八郎元帥(司令長官)が、佐世保海軍病院で、ロジェストヴィンスキー提督を御見舞と言
う形で出会いがあり、ロジェストヴィンスキー提督
は、他界する寸前まで、東郷平八郎元帥の武士道精
神に則った心に感動し、忘れる事無く語り継いでい
たと聞く。
時空を超えた 110 年後の今、武士道と騎士道の
精神を元に、ロジェストヴィンスキー提督のひ孫
Mr.Spechinskiy Zinovy と、東郷平八郎元帥のひ孫東郷宏重氏が、11 月 4 日に佐世保にて直接
出会う事となり、新たな歴史的な 1 ページとして残る。
(9 年前に非公式に出会っているが、この 2015 年は公式に記録が残る再会となった)
このような歴史的な動きに協力をして頂いた佐世保市・海上自衛隊佐世保総監部・海軍墓
地の皆様には深く感謝申し上げる。多くの輪が、このような歴史の 1 ページとして刻まれ
る事は有難くもあり、時代背景の中、出会いとタイミングを肌で感じる。墓場の影から良
かった!良かった!と、あの二人はあの世で語り合っているだろう。
海上自衛隊佐世保史料館(館長:米倉修二氏・防衛事務官)を訪問する。
同:史料館は、海上自衛隊が運営しているが、1968 年以降、現在に至るまで、貴重な歴
史的な品が陳列されている。露日海戦当時のフロアも有り、貴重な品が大切に陳列されて
いる。
海上自衛隊佐世保総監部 一等海佐:管理部長 正寶(しょうほう)俊彦氏や、二等海佐:
総務課長小形(おがた)利男氏も駆け付けて頂き、プログラムが正確に推移するように協
力を賜った。感謝の一言である。同資料館で
は、海上自衛隊の制服でお出迎え下さり、ロ
シア遺族会のメンバー達は、公式行事として
訪問である事を再認識し感動していた。その
中に、東郷平八郎元帥のひ孫 東郷宏重氏(神
奈川県在住)が、参加され、喜びも増大した。
以後、東郷宏重氏は、プログラムに添って
13:00 まで同行をして頂く。
11:00 海上自衛隊佐世保総監部(海将:Admiral 山下万喜 総監)へ表敬訪問を行う。
(〒857-8567 佐世保市平瀬町 18 番地 Tel,0956(23)7111)
海将:山下万喜 総監
東郷平八郎元帥のひ孫
東郷宏重氏
佐世保総監部 幕僚長
海将補
出口 佳努 氏
佐世保は、1968 年以前は、のどかな漁村であったが、近代国家になったばかりの日本政
府が、アジアの窓口として海軍佐世保鎮守府を設置したのが始まりであった。対馬海戦の
日本側 司令長官であった東郷平八郎元帥も、この海軍佐世保鎮守府の第7代の長官として
着座した時期もあった。以後、1945 年 8 月まで、海軍佐世保鎮守府として運営されたが、
第二次世界大戦で敗戦を迎え、米軍の接収で、現在は、米軍佐世保基地となって居り、海
軍佐世保鎮守府は閉鎖された。現在の海上自衛隊佐世保総監部は、元、佐世保海軍病院跡
の一部に 1953 年に設置が決まり、現在に至っている。
ロジェストヴィンスキー提督のひ孫と、海将:山下万喜 総監
右の写真は、対馬海戦記念館を創設した
Mr.Shershnev Sergei
2016 年 3 月 3 日(木)
ロシアの栄養指導第一人者が、健康増進食を学ぶため、来福し、中村学園大学において
大部正代会長から健康増進食和食レシピ紹介・調理実演を受け、「日・露共同“健康増
進食 和食”普及プロジェクト」をスタート。
中村学園大学に於いて、Ms. Margarita Korolyova や、
Ms.Volkva Natalia(皮膚科医)と、 Mr.Korolev Aleksandr の 3 名が、
日本のダイエット及び、健康に良い和食を実際に調理し、試食等、総合
的なプログラムを体験した。そのプログラムを NHK が独占的に取材を
行い、当日の昼から夜にかけてニュースにて配信された。
大部正代教授・スタッフによる調理実演
・試食 ・調理のキーワードは、低カロリー・・簡単調理
・調味料提供:キューピー、味の素 ・野菜・肉、魚等提供:岩田産業
① こんにゃく料理
② 高野豆腐料理
③ 海藻料理
2016 年 6 月 8 日
「日露食文化交流の一環で、健康に良い日本食を普及するプロジェクト」
ロシア連邦ダゲスタン共和国 マハチカラにて、
第 1 回 日本食の試食会を開催する。
“レストラン Galereya
”
地元側の出席者は下記の通りである。
・ダゲスタン共和国 議会議長 Mr. Hizri Shihomirov
・ダゲスタン共和国 保健社会開発省 大臣
Mr.Tank Ibrahimovic Ibragimov
・ダゲスタン共和国 貿易経済投資技術発展省 大臣 Mr.Yusup umavov
・国立ダゲスタン大学 学長 Mr.RABADANOV Murtazali ご夫婦
・国立ダゲスタン大学 副学長 Mr.GASANOV MAGOMED
・国立ダゲスタン農業大学 学長 Mr.MUSAFENDI A. VEKIMURADOV
・LITTERA SCRIPTA CEO Mr.KOROTKOV ALEXANDER
・Azis Co,.Ltd (コニャック工場)Mr.SIRAZHUTDINOV Abdurakhmangadzhi
・民間クリニック Tselitel オーナー Mr.MAGOMEDOV SHIKHAMIR 家族
・Dagestan Energo
CEO
Mr. Aliev Magomed
*その他、2 社の報道局・・・
1 社目は、ロシア連邦情報エージェンシー(RIA Dagestan)
取締役ダゲスタン支局長 Mr. Magomed Magomedov 及び担当記者
2 社目は、ちょっと煽情的で、ダゲスタン人にとても人気がある「下書き」
と言う新聞社から二人の女性記者で、Ms.Ibragimov Mind と、Ms.Satiadzhieva
Vazinat が取材を行った。
2016 年 6 月 9 日
ダゲスタン共和国大統領 Mr. Abdulatipov Ramazan Gadjimuradovich と会談
大統領執務室にて記念の集合写真
2016 年 7 月 13 日
ロシア連邦 名誉領事 就任
■ロシア連邦共和国名誉領事拝命に関して
名誉領事拝命
2015 年 11 月 23 日付けで田村文彦殿をロシア連邦外務省より福岡における名誉領事とし
て決定。
日露和親条約(1855 年 2 月 7 日)以降、日露間に於いて二人目の名誉領事
2016 年 7 月 13 日 駐日ロシア連邦大使館にて任命書 受領
ロシアと日本に於いては、161年前 1855年2月7日に現在の神奈川県で日露和親条約が締
結された。
ロシア側は、Admiral Jevfimij Vasil'jevich Putjatin
日本側は、徳川幕府の大幹部で、
日本側全権の川路聖謨(かわじ としあきら)が調印締結を行う。
川路聖謨は、Putjatinが帰国の際、相応しい土産が無く、自ら腰に差していた日本刀
(次郎太郎直勝:Jiro-Taro-Naokatsu)の名刀を贈呈した。
この日本刀は、やがて行方不明となるが、1998年 私の同僚(私をロシアへ導いた人物)
であった吉原龍介(2012年11月:80歳で他界)が、ロシア美術界に精通した立場であり、
エルミタージュ・ギャラリー訪問時に、倉庫で偶然にも さび付いた日本刀を発見し、これ
が、Putjatinへ贈呈された(次郎太郎直勝)の名刀だと判明し、日本から有名な鍛冶師をサ
ンクトぺテルブルグへ同行させ、研ぎ直しをした。以後、エルミタージュ・ギャラリーで
は、貴重な名品として大切に保存されている。それが機会で、Putjatinの子孫と、川路聖謨
(かわじ としあきら)の子孫が交流のきっかけとなり、2008年に両家が集まり、日露修好
150年の祝いをされたと聞き及ぶ。
[ 役員
紹介 ]
OPORA RUSSIA 福岡は、これまでの活動の実績を踏まえてその後の総会などで以下の通り役
員人事を決定しております。【2016 年 8 月 1 日現在】
田村文彦 Fumihiko Tamura
会長
副会長
専務理事
Председатель Тамура Фумихико
朝妻幸雄 Yukio ASAZUMA
Юкио АСАЗУМА
柴田敏雄(常勤) Toshio Shibata
Исполнительный директор Сибата Тосио
阿部 修(常勤) Osamu Abe
理事
Директор Абэ Осаму
クラベツ インガ Kravets Inga
理事
Директор Кравец Инга
戸取和玄 Kazuharu Todori
理事
Директор Тодори Казухару
藤井利雄 Tshio Fujii
理事
Директор Фудзии Тосио
山岡礼三 Reizou Yamaoka
理事
Директор Ямаока Рейзоу
アリエフ マゴメド
特別顧問
Aliev Magomed
Алиев Магомед Особый советник
アレキサンダー イワノフ Alexander A. Ivanov
顧問
Советникпо биомедицине
Александр Иванов
監事
業務
提携
伊東哲也 Tetsuya Ito
Аудитор Ито Тэцуя
・
北九州市
・
財団法人 日本国際協力センター( Jice )
・
OPORA HEALTH (Moscow)
田村文彦
沿革
出身
大阪府高石市
年齢
1940 年(昭和 15 年)生まれ
最終学歴
早稲田大学第二政経学部(76 期)卒
趣味
ゴルフ
中学、高校、大学時代はサッカー部に所属し、日本初のユース代表に選ばれ、アジア各
国に遠征し国際交流試合に従事する。小・中学及び、大学時代は、財団法人日本サッカー
協会の名誉会長:川淵三郎氏と同じチームメートで、現在も交流は深い。
大学卒業後はダンロップに入社するが、3 年後、父が経営する自動車販売会社に入社する。
現在、都道府県別に中古車販売協会や商工組合が存在するが、父と連携し全国に販売網
を構築。その後、株式会社 USS(ユー・エス・エス)の創業者の一人として全国展開を進
め、東証一部上場企業として事業展開。2014 年 6 月に代表取締役を後進に譲り、相談役と
して後進の指導を行う。2016 年 6 月 14 日に開催した株主総会にて引退をする。
◆ 一般社団法人 OPORA RUSSIA FUKUOKA
会長
◆ 一般社団法人 ユーラシア・ビジネス協議会 会長
◆ 一般財団法人 美しい日本創造機構
会長
◆ ロシア連邦 国立ダゲスタン大学 第 8 代 名誉教授 ( 2015 年 3 月就任 )
◆ ロシア連邦 名誉領事
( 2016 年 7 月就任 )
[ 現在のようなサッカーの台頭以前に、日本サッカーに功績を遺した記録 ]
昭和 34 年(1959 年)4月 18 日から 25 日まで,石平俊徳団長、高橋英辰監督ら役員4人、
選手 16 人の日本ユース代表は、マレー王国(マレーシア)の首都クアラルンプールの
「ムルデカ・スタジアム」で開催される第1回アジアユース大会に参加した。