第二部 - 咎狗の血アニメ化プロジェクトはなぜ低クオリティを招いたのか

第二部
Ⅲ アニメ制作会社の対応
このように「まじめな」ファンにとっては、アニメ制作会社の態度はいかにも不誠実な
ものと映った。
『咎狗の血』を受け入れてくれた以上、制作チームはこの作品のポテンシャ
ルをきちんと理解してくれているに違いない――おそらくファンはそのような期待を抱い
ていたであろう。その期待を、実際に出来上がったアニメのクオリティは完全に裏切って
いたのである。
一 ネット上で提起された『咎狗の血』アニメ制作陣をめぐる三つの問題点
なぜこれほど期待されていたアニメ化プロジェクトに対し、驚くべきクオリティの低下
が招かれたのだろうか。
『咎狗の血』アニメ関連の公式情報筋で言及されたのは、アニメ制
作のための時間が足りないということであった。ゲーム『咎狗の血』の原作シナリオライ
ター・淵井鏑は、茶屋町勝呂とのアニメ化を記念した対談において、非常に控えめに「問
題はとにかく時間との戦いになっているようで……」と述べている1。ストーリーにプライ
ドを持つ Nitro+Chiral としての立場ゆえか、淵井と Nitro+Chiral はアニメにおいてはシ
ナリオ監修という役を負い、さらに監督・紺野直幸も絵コンテへの強いこだわりをみせて
いた2。こうした事情が結果として絵コンテの仕上がりの遅さとして現れ、スケジュールを
逼迫させた面もあったようである。2 ちゃんねるやその他の出所のはっきりしないネット情
報は、紺野のスケジュール管理に問題があるという点を指摘している。たとえば「あのひ
と検索 SPYSEE」に投稿されたコメントでは、
「紺野直幸さんのうわさ」に「アニメの監督
の紺野直幸氏がスケジュール管理があまりお上手ではなく、放送の当日の朝に新幹線で TV
局に作品搬入と聞き、低品質に納得してしまいました」ともある3。
しかし時間がないという問題は主因ではなく、別の原因から派生した結果に過ぎないよ
うに思われる。なにより、どこのアニメスタジオも時間があるなどと述べるのは稀である。
淵井のコメントは立場上表明できるせいいっぱいの擁護であったのだろう。本質的な問題
はアニメ制作チームの実態のほうにあった。まず以下のブログの記述を見てみよう。
ところで、まだ 2 話ではあるものの、この作品については少々映像のクオリティの不安
を感じずにはいられない。制作クレジットは A-1 Pictures だけれど、今回は原画から丸
ごと下請けに投げている模様。作画監督が 2 人に作画監督補が 7 人というスクランブル
体制。あからさまに背景を使い回してカット数を省略しているシーンも。行く末がかな
り心配だ4。
21
アニメ『咎狗の血』は、このブログが示す通り、アニメ制作を A-1 Pictures(エーワンピ
クチャーズ)が請け負っている。A-1 Pictures は、2005 年にアニプレックスによる出資率
100%の子会社として設立されたアニメ制作会社である。公称資本金は 1 億円であり、その
額からみるなら大手である。2010 年 7 月現在で従業員数 47 名と表示されている5。そもそ
もアニプレックスが紺野にアニメをなにかやらないかと持ちかけ、それならば『咎狗の血』
をやりたいと紺野が応じたことで、今回のアニメ化企画が動き出したのであった6。したが
って紺野を A-1 Pictures と組ませたのはアニプレックスなのであろう。
一方、ここで言及されている A-1 Pictures から作業を丸投げされた「下請け」とは、1995
年に設立された Picture Magic(ピクチャーマジック)のことであり、アニメの公式ホーム
ページでは「プロダクション協力」と表示されている7。アニメ制作における「プロダクシ
ョン」とは、公正取引委員会の調査に基づけば、
「絵を描いたり、色を塗ったりという中核
的な作業」のことをさす8。Picture Magic のホームページには、アニメーター、ディレク
ターを含め、常駐スタッフ数約 20 名弱とあり、公称資本金は 3000 万円(平成 17 年 11 月
増資)である9。
2 ちゃんねるなどに投稿されたコメントが示唆するところでは、アニメ制作の過程でこの
Picture Magic の制作スタッフと紺野の間に対立が生じてしまったということである。投稿
者の示す情報源は Picture Magic の「関係者」のブログである。ただしこの「関係者」によ
る「暴露ブログ」に対し、現在では閉鎖ないしそれに類する措置が取られたものとみられ、
原典の確認はできなくなっている。
これらの二次情報に基づく限り、問題の「暴露ブログ」は紺野が「暴言」を吐いたとし
て強い反発を示し、
「だったら一人でやれば」という突き放した感想を記していたという10。
この「暴露ブログ」に対するファンの反応には相当厳しいものが多く、それはそのまま
Picture Magic に対する批判へつながっている。
これらの情報を総合すると、現時点でネットでもっとも多く指摘されている問題点を以
下の三点にまとめることができる。第一に絵コンテの提出の遅さなども含め、全体として
のスケジュール管理がうまくいっていなかったということ。第二に Picture Magic のスタッ
フが監督の要求レベルに応えられなかったこと。第三に監督の叱責が Picture Magic 制作陣
の反感を招いてしまったこと。とはいえ現在入手できるものはあくまで二次情報であり、
情報源とされている「暴露ブログ」も、紺野に反感を抱いた Picture Magic のスタッフの一
人の言い分のみを列挙した一方的なものであるため、真相を把握するにはかなりの限界が
あることには注意したい。
二 『咎狗の血』制作陣の人材配置の失敗
純粋なファンの立場としては、好きな原作がアニメ化されるにあたりハイクオリティを
求めるのは当然の心理であり、レベルが低いと監督が怒ったからといって、
「だったら一人
22
でやれば」とネット上で突き放すようなスタッフが制作陣を構成していること自体が許し
がたいと感じられてしまうものである。キャパシティ不足にもかかわらず無理にテレビシ
リーズ化して作画崩壊に至るぐらいなら、いっそのこと完璧主義を貫いて OVA にしてくれ
ればいい、クオリティはそれぐらいの至上命題だというのが、大半のファンの思いなので
はないだろうか。下請に制作を丸投げしたという A-1 Pictures の理念は、社長の植田益朗
によれば「Animation で No.1(A-1)という目標を掲げ」
「デジタル化を中心とした新しい
表現方法を模索しながらクオリティーの高い作品を積極的に生み出していきたいと思いま
す」などと謳っている11。その A-1 Pictures が『咎狗の血』制作を引き受けながら、制作
過程を Picture Magic に丸投げし、結果として一部では今秋ワーストのアニメ作品とすら酷
評されるような事態が生じたのは、いったいどういうことなのか。A-1 Pictures も Picture
Magic もアニメ制作者としてプロ意識が足りない、
「どうせホモアニメだ」とファンのレベ
ルを見下しているのではないか、などの批判が湧き起こっているが、たしかにそう言われ
ても仕方がない状況にある。
とはいえ、いったんはファンとしての感情的な怒りを保留にし、上記三つの問題点がな
ぜ生じたのか、その背後にあるものをもう少し考えてみよう。とりわけ第三点目の問題―
―アニメ制作陣内部に生じたトラブルは、監督と制作スタッフのあいだに信頼関係が欠如
していたことを示すものである。かりに両者の間に信頼関係が構築されていれば、監督に
ある程度叱責されようともスタッフはおのれの人格までも否定されたようには感じないは
ずであるし、そのせいで作業そのものが停滞するという事態も起きないはずである。作画
に関するリーダーからの厳しいやり直し命令については、超ハイクオリティ作品をつくり
だすことで名高い Production I.G(プロダクションアイジー)のホームページに掲載され
たスタッフのコメントにも見出せる。リーダーがやり直しを命じるたび、スタッフがいち
いち抵抗していたのであれば、限られた時間と人材のなかでアニメ制作会社がハイクオリ
ティ作品を生みだすことなど、およそ不可能である。
では『咎狗の血』制作陣は信頼関係の構築になぜ失敗したのか。もちろん第一には Picture
Magic の「暴露ブログ」が主張していたように、紺野のリーダーシップに原因を求めるこ
ともできる。紺野が人間関係の機微に無頓着であったのかもしれないし、自身がアニメー
ターとして一流であるがゆえに、自分の望むレベルの仕事がこなせないアニメーターたち
にじっくりと付き合ってやることができなかったのかもしれない。紺野のリーダーとして
の未熟さについて推測できる点は多くある。
だが監督一人のパーソナリティや経験不足にすべての原因を求めるのは酷であるし、適
切でもない。職人気質の人々にはしばしば気難しい傾向が認められる。宮崎駿などのアニ
メ監督の大御所も、自身の望む作品のクオリティについては非常に気難しい。彼らの成功
は、彼らがその地位に昇り詰めるまでのあいだ、そばでその気性の荒さを和らげ、周囲と
の関係をうまく調整してくれる有能なサポート役や副ボス的人材がいたことにも負ってい
るはずである12。なによりも、職人がいいものをつくろうという熱意を持つことは本来あ
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るべき当然の姿である。真に憂うべきは監督の気性ではない。監督を支える人材がアニメ
制作チームの中にいなかったことである。
それゆえ、そもそもアニメ制作にあたり、監督の熱意と能力を潰してしまった Picture
Magic と、そのような人材配置を行なったアニプレックス、ないしは A-1 Pictures の組織
風土の問題を考えなければならない。ネット上で指摘されている三つの問題は相互に悪性
の相乗効果を引き起こしてはいるが、実はどれもより根本的な原因から発生しているもの
なのである。
このように問題を提起すれば、まっさきにありうる反論は原因を低賃金と人手不足に求
めるものであろう。それはある一面においては絶対的に正しい。だがネット上で提起され
た三つの問題、および低賃金とそれにともなう人手不足という問題は、その根本をさらに
突き詰めるとすべて組織の問題にたどりつく。富を適切にメンバーに配分すること、メン
バーの技術と人格を育てあげること、メンバーの長所短所を把握し、長所を最大限発揮で
きるような人材配置を行なうこと。これらはすべて組織運営の巧拙によって変化する要素
である。高度なチームワークの発揮は、この段階をクリアしたのちにようやくもたらされ
る。ところが今回の件においては制作陣のチームワークが異常なまでに崩壊している。十
分な経費と人手さえあれば問題が回避されたとは、筆者にはとても思われないのである。
しかし『咎狗の血』に関わった会社がどのような雰囲気を持つ企業なのかは、本来なら
ばインタビューなどを行なわねばわからない。代替手段として、まずⅣにおいて『咎狗の
血』をめぐる Picture Magic、A-1 Pictures、アニプレックスの三社に関する情報を整理し、
次にⅤにおいてハイクオリティを誇るアニメ制作会社ならどういう組織風土を持つのかを
検討することをもって、本来ならば何が必要だったのかについて考えていきたい。
Ⅳ 『咎狗の血』をめぐるアニメ制作会社の動向
一 Picture Magic
1 不適切な企業選定――似て非なるファンたち
まず Picture Magic がどのような企業であったのか整理しよう。Picture Magic の社長・
中西孝は、2006 年に設立された株式会社 AG-ONE(エージーワン)の社長も務めており、
AG-ONE の現在の公称資本金額は 2 億 9500 万円である。同社は文化放送とドワンゴが「ア
ニメ、ゲームの領域でのお互いの強みを統合させ、より付加価値の高いコンテンツサービ
スの提供を行うこと」を目指して設立した会社であるという13。なお、Picture Magic は
2008 年に AG-ONE に 100%子会社化されている。少なくともこの関係からみて、現在の
Picture Magic はゲームと関わりの深いアニメの制作を志向すると考えられる。
以下は同社の掲げる作品リストである14。
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Picture Magic のテレビアニメ作品
『カッパの飼い方』
(2004 年 4 月~6 月)
『W wish』
(2004 年 10 月~12 月)
『機動新撰組 萌えよ剣』
(2005 年 7 月~9 月)
『ラムネ』
(2005 年 10 月~12 月)
『Soul Link』
(2006 年 4 月~6 月)
『鍵姫物語 永久アリス輪舞曲』(2006 年 1 月~3 月)
『あゆまゆ劇場』
(2006 年 9 月~2007 年 1 月、web アニメ番組として放送)
『鋼鉄三国志』
(2007 年)
『ペンギン娘 はぁと』
(2008 年、ニコニコアニメチャンネルで配信)
『カッパの飼い方』と『鋼鉄三国志』を除き、あとはおおむね、傾向としては男性向け
の美少女アニメであり、男性向けアダルトゲームを原作に持つものも含まれる。
『鋼鉄三国
志』のみは、いわゆる戦国ものファンタジーを好む「腐女子」層の女性を狙ったものとみ
え、主人公役には人気声優・宮野真守を起用しており、宮野ファンやその筋の話を好む女
性にはそれなりに好評をもって迎えられたようである。このように、18 禁恋愛ゲームなど
をアニメ化してきた実績と、「腐女子」向けアニメを手がけた経歴を持つことが、A-1
Pictures が Picture Magic を下請として指定した理由と思われる。
だがこれらの作品の内実をひとつひとつ検討していくと、果たしてこの会社のカラーが
『咎狗の血』を引き受けるのに適切であったかは疑わしくなってくる。
作品の性質上『咎狗の血』ともっとも比較しやすい『鋼鉄三国志』と比べてみる。
『鋼鉄
三国志』のシリーズ構成は、かつて『鋼の錬金術師』に参画した経験を持ち、今回『咎狗
の血』でもシリーズ構成を担当した高橋ナツコである。脚本的にはそれほど問題はないの
かもしれず、この作品自体はそれなりに楽しめる。しかし作品全体の雰囲気はどことなく
ベタな印象を与える。娯楽を享受する側にとってはベタな作品も嬉しいものであり、それ
自体は悪いことではない。あえてベタさを会社の戦略として選択するというのであれば、
それはきちんと評価されるべきである。だが『咎狗の血』とは雰囲気が合わないのである。
ベタだと感じられる要因は、まずもってキャラクターデザインやキャラクターの類型に
ある。
『咎狗の血』のキャラクターデザインは少なくともゼロ年代以降の感性を持つ。また
キャラクターの類型も、ある程度までのステレオタイプを押さえつつ、そこからひねりを
効かせて一筋縄ではいかない過激な言動や意表をついた展開に接続させ、ユーザー(読者)
に驚きを与えることで陳腐化が防がれている側面がある。さらに『咎狗の血』にはなよや
かな女性的男性キャラクターというものが一切登場せず、ウェットな会話も少ない。ツン
デレ展開を好むファンにしても、
「ツン」に相当する部分ではクールで戦闘的な「男らしさ」
を徹底して演出してほしいと望む傾向があるように思われる。原作ゲームがハードボイル
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ド調であることはすでに述べたが、茶屋町のコミックもまたこの傾向を強化しており、そ
のようなコミックに対するファンの賛辞は、やはり「原作より男前」
「男らしい」なのであ
る。
たしかに『咎狗の血』にも女性的外見のキャラクターというものは登場する。しかしこ
のキャラクターの描かれ方をみると、決して「なよやかな」感じではないのである。スト
ーリーが進むにつれ攻撃性、戦闘性、狂気の片鱗が露わになる設定であり、その言動も決
して女性的ではない。したがってこのキャラクターも根本的には女性的男性キャラクター
の類型には入らない。
『咎狗の血』のこのような傾向に対し、『鋼鉄三国志』のキャラクターデザインは 1990
年代の王道ファンタジーを彷彿とさせ、キャラクターの言動にも視聴者の意表を突くもの
は少ないようである。
「腐女子」目線で見た場合に主人公の「カップル」に相当する重要キ
ャラクターには(あきらかに「カップル」にみえるよう意図されている)
、この種の王道フ
ァンタジーに高い確率で登場する非常に女性的な男性があてがわれている。そのせいか、
シリアスなバトルものではありつつも、全体としてはなよやかな雰囲気が漂う。会話の雰
囲気もややウェットであり、自制の効いたせりふと仕草から視聴者にキャラクターの心理
状況を推測させようとするよりは、ダイレクトに本人から心情を説明させてしまうような
傾向がある。この作風は『咎狗の血』とは方向性が真逆といってもよく、もしこれらの特
徴を、今度はすべて裏返しにする技量がないのであれば、『鋼鉄三国志』を手がけたスタッ
フと『咎狗の血』との相性は最悪である。
以上のことから、
『咎狗の血』は、Picture Magic のスタッフに従来とは異なる演出をイ
メージしつつ異なる絵柄の原画を描くことを要求したであろう。各カットの難易度もあが
ったのではないだろうか。ネット上に出回る紺野の「暴言」とされるものからは、紺野と
Picture Magic のスタッフが対立したもっとも直接的な原因のひとつが、作画に関するスキ
ルの問題であったことを示唆している。Picture Magic のスタッフは、紺野のめざす各種作
画をこなせず、キャラクターデザインもうまくトレースできなかったようである。そのた
めこの「雰囲気」の問題は軽視できない重要な点である。
こうしたことにくわえ、
『鋼鉄三国志』の動画のクオリティについても『咎狗の血』ファ
ンならば不安を覚えるだろう。茶屋町コミックにおけるアクション描写は非常に迫力があ
り、各コマにおける構図、アングル、キャラクターの体勢、ズームインとズームアウトの
大胆な使い分け、どれを取ってもスピード感を増幅させるものばかりである。もはや彼女
のコミック抜きに『咎狗の血』は語れない状況になっており、したがってアニメが並みの
カットや動きのみになればファンは物足りなく思うだろう。また『咎狗の血』放映開始前、
あるファンのブログでは、番宣 PV のアクションシーンの出来について、まあまあだった、
などのコメントが表明されていたが、筆者の印象では PV のアクションは実際にはかなりの
ハイレベルであった。細部までしっかりと描かれた重量感のある人物像となめらかな動き
は、これが本編で実現されれば十分だと思えるものだった。このハイレベルアクションに
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対して「まあまあ」という感想が出てくるのは、BONES や Production I.G などが世に送
り出した、超ハイクオリティ・アクションアニメが念頭にあるからだろう。長いあいだ『咎
狗の血』に対して抱いていたイメージ、およびふだんから注目しているアニメ作品のクオ
リティ、この双方が融合すれば、事前にできあがる理想のアニメ像は否応なくレベルの高
いものになる。
『咎狗の血』ファンはアニメ制作者からすればかなり「気難しい」人々だっ
たといえるかもしれない。
これに対し『鋼鉄三国志』のアクションには、アニメ『咎狗の血』で生じた作画崩壊ほ
どではないにしろ、やはり見ていて違和感を覚える箇所が散見される。その他の作品につ
いても、もしハイクオリティアニメを要求するのであれば動きがぎこちなくみえてしまう
シーンが多い。また『鋼鉄三国志』はそれほどでもないようだが、その他の美少女アニメ
には人体描写のバランスに違和感を覚えるものがあり、もしたたなかなや茶屋町のイラス
トと同じレベルを求めるなら、
『咎狗の血』とは相性がよくない。
『鋼鉄三国志』にはもともと原作というものがなく、長年かけて開拓されたファンも存
在しなかった。一方『咎狗の血』は事前の期待値が非常に高い作品だった。この点におい
て、『鋼鉄三国志』と『咎狗の血』というふたつの作品は、「腐女子」向けのバトルものと
いう点で一見似ているようでいて、実はまったく異なるものである。筆者はここで、どち
らがいいか、悪いかを問題にしようというのではない。ただ、このふたつの作品のファン
層はもともと異なる背景のもとに形成された、異なる嗜好をもった人々の集団であるとい
うことが、A-1 Pictures による下請選定作業の際にほとんど意識されなかったらしい点が非
常に問題だと感じられるのである。
『咎狗の血』ファンに対しては『咎狗の血』ファン向け
の戦略が取られるべきであったにもかかわらず、おそらくは「腐女子」という枠組みでひ
とつに括られ、同じ戦略で対応されてしまったのであろう。
結論として、Picture Magic の会社としてのカラーと『咎狗の血』は完全に相性が悪かっ
たと言わざるをえない。作品の一部を外注するというのならばとにかく、すべての工程を
引き受けてもらう相手としては非常に不適切であったのだ。
2 アニメ産業界の弱者としての地位
だが『咎狗の血』を引き受けたことについて、一方的に Picture Magic を責めることはで
きない。会社レベルの関係で見た場合、この会社は『咎狗の血』アニメ化プロジェクトに
おいてもっとも下層に位置し、立場が弱い。元請たる A-1 Pictures からすれば「働きアリ」
に相当する立場である。
公 正 取 引 委 員 会 は 2009 年 の 報 告 書 の 中 で ア ニ メ 業 界 の 弱 小 下 請 業 者 の 実 態 に
つ い て 調 査 を 行 な い 15、『 DIAMOND』のオンライン記事は、これを「下請けいじめ」
の現状をあきらかにしたものとして以下のように取り上げた16。
27
今年 1 月に公正取引委員会が発表した実態調査(アニメーション産業に関する実態調
査報告書)で、アニメ業界に蔓延する下請け制作現場の“疲弊”が明らかになったのだ。
小規模業者が大半を占めるアニメ業界においては、発注者側が優位に立っていることが
多く、不当に低い制作費や厳しい納期を押し付けられる、いわゆる“下請けいじめ”が
蔓延しているという。
ここで言われている「下請会社」の 6 割以上は、主に資本金 1000 万円の業者のことであ
る。Picture Magic は資本金 3000 万円であるから、資本金の規模としては最下層よりは上
に位置することになるが、公正取引委員会はさらに資本金 5000 万円以下を「中小企業」と
して調査対象に含めている。この定義において Picture Magic は中小規模の下請会社という
ことになる17。
親会社(元請)―子会社(下請)という構造は戦後から今日にかけて日本経済の基本的
な形であり続けた。それ自体が悪いものとは断定できない。ここで言われる「下請けいじ
め」とは、構造に問題があることを示しているのではなく、不景気ゆえ親会社経営陣が心
の余裕を失い、振る舞いが自己中心的になったため生じたもの、と解釈したほうがよいの
かもしれない。
いずれにせよ、公正取引委員会の報告書によれば、中小アニメ制作会社にとってはアニ
メ制作だけが収入源であることが大半だという18。元請が仕事を回してくれなくなれば弱
小企業は倒産してしまう。Picture Magic は AG-ONE の子会社だが、AG-ONE から仕事が
降ってくるのを待つだけでは経営が苦しいのかもしれない。とすれば A-1 Pictures から仕
事を持ちかけられた段階で Picture Magic が作品を引き受けてしまったことは、無理もない
行動なのである。
だが、仕方がないからやる――スタッフが仕事を引き受ける動機が、もしまったくそれ
、、
だけになってしまい、自分にとっての興味あるシーン・作品以外に対してとことん受動的
になってしまっているのだとすれば、これはやはり問題である。この受動性は、テーマと
しては興味のない作品であっても、技術を吸収する好機と考え積極的に取り組むことがで
きない心理状況を意味し、このことをさらに突き詰めると、組織自体に活力がなく、もの
づくりのプロが育つ土壌が存在しないことを意味するからである。
そのような組織に、熱意にあふれた外部の監督が送り込まれたらどうなるだろうか。作
品に対する理解度、新しいものに取り組もうとする意欲、技能レベル、目指すクオリティ、
すべてにおいて Picture Magic と監督のあいだには深いギャップがあり、そのギャップを埋
めるべき仲間意識も存在しない。チームワークの発揮という側面からみても、両者は非常
に不幸な組み合わせであったのだ。
二 A-1 Pictures とアニプレックス
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しかし Picture Magic とは異なり、元請の A-1 Pictures は『鉄腕バーディーDECODE』
(2008 年)などの実績を持ち、超ハイクオリティとまではいわないまでも、本腰を入れれ
ばそれなりの作品をつくると評価された過去を持つ。A-1 Pictures はなぜ『咎狗の血』に本
気で取り組まなかったのであろうか。
1 A-1 Pictures の過密スケジュール
あるブロガーの調査によると、BONES をはじめ、このブロガーが注目に値すると感じた
作品をつくりだすアニメ制作会社は 1 年間で平均週 1 本ほどの仕事をこなしているという
19
。どうやら優良アニメ制作会社はクオリティを保てる範囲で仕事を引き受け、それ以上
は手を出さないという節度ある判断を行なっているものと思われる。
他方 A-1 Pictures は、2006 年度は 1 本(同社が元請制作を開始した年)、2007 年度は 3
本、2008 年度は 5 本、2009 年度は 3 本、そして 2010 年度は突然『咎狗の血』を含め 8 本
ものアニメ作品が放映されている。以下はその 2010 年度作品のリストである20。
2010 年度の A-1 Pictures のアニメ作品リスト
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』
(放映時期:1 月~3 月)
『WORKING!!』
(4 月~6 月)
『おおきく振りかぶって~夏の大会編~』(4 月~6 月)
『閃光のナイトレイド』
(4 月~6 月)
『宇宙ショーへようこそ』
(映画、6 月公開)
『世紀末オカルト学院』
(7 月~9 月)
『黒執事Ⅱ』
(7 月~9 月)
『咎狗の血』
(10 月~12 月)
上記 8 本のうち、
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』『閃光のナイトレイド』は、アニプレックスと
テレビ東京が 2009 年に公表した共同プロジェクト「アニメノチカラ」の一環として制作さ
れたものである。本来は『財団法人 オカルトデザイナー学院』と合わせて 3 本立てとなる
予定であった21。このプロジェクトを立ち上げたアニプレックスの意図は次のように説明
されている22。
アニメの原作が枯渇しつつあることに危機感を持ったアニプレックスは、社内でオリ
ジナル企画を公募するなど模索しており、両社(筆者注:アニプレックスとテレビ東
京)がアニメの新たな可能性を見いだす中長期の取り組みとして「アニメノチカラ」
が生まれた。
29
これらの作品がいつ、どのようなスケジュールのもとで制作されたのかが問題なのだが、
目下有効な資料がない。きわめて単純に放映された通りのスケジュールで制作されたのだ
と考えると、A-1 Pictures のスタッフにはテレビアニメを 3 本、映画を 1 本同時並行で制
作する過密スケジュールを強いられた時期が存在することになる。
しかしウィキペディア情報では(一次資料未確認)
、3 本目の『財団法人 オカルトデザイ
ナー学院』は制作が大幅に遅れ、最終的にはタイトルも変更になり『世紀末オカルト学院』
に落ち着いたのだという。アニプレックスの藤本昌俊プロデューサーによれば、
『世紀末オ
カルト学院』は A-1 Pictures の元社長である勝股英夫の企画だといい、監督の伊藤智彦は、
監督経験は今回が初だったという23。元社長の企画である以上おろそかにはできず、しか
も監督は経験値が浅いという条件が重なり、制作スケジュールが大幅にずれこんでしまっ
たのかもしれない。となれば、2009 年度の 3 本から 2010 年度の 8 本という大幅な「増量」
は、本来 2009 年度に放映が予定されていた作品が次年度に持ち越されてしまったことを意
味し、さらにはこのことが 2010 年度の過密スケジュールを招いていることをも示唆する。
こうしたことから、
2010 年度作品に関しては A-1 Pictures の力はほぼ
「アニメノチカラ」
プロジェクトに注がれており、しかもこのプロジェクトはそれほど順調には運んでおらず、
チームワークや人間関係においてかなりの混乱に見舞われていたのではないかと推察され
る。どうやらこの混乱に巻き込まれる形で『咎狗の血』が Picture Magic に丸投げされたと
考えられる。
さきにも述べたように A-1 Pictures の従業員数は 47 名となっている。この 47 名がどの
ようにアニメ制作に関わるスタッフなのかは情報が公開されていないが、おそらく 47 名で
これだけのスケジュールをこなすことは不可能であり、臨時雇用のアニメーターやその他
の契約社員などをかなり大量に動員して制作が進められていたとみられる。この状況でな
ぜさらに『咎狗の血』まで引き受けたのか理解に苦しむが、既述のように紺野にアニメを
やらないかと持ちかけたのは A-1 Pictures の社員ではなくアニプレックスの社員であった。
この人物には目下 A-1 Pictures に進めさせているアニメ制作がこれほどスケジュール通り
にいかないとは予見できなかったのかもしれない。あるいは、人手が足りなければ外から
雇えばいいという発想があったのかもしれない。だが雇う人数が増えればそれを管理する
側にも負担がくる。2010 年度の混乱はなによりも A-1 Pictures の制作管理の側面において
混乱が生じたことを意味するのだろう。
もし A-1 Pictures が「アニメノチカラ」プロジェクトの投入によってアニメ制作の管理
能力に破綻をきたし、それゆえ『咎狗の血』を丸投げにしたという推測が当たっていたと
すれば、なぜそのような事態に陥る前に手を打つことができなかったのだろうか。「アニメ
ノチカラ」がどうしてもやらざるをえない重要な企画であったのなら、なぜせめて A-1
Pictures は、すでにキャパシティが限界であることを告げ、スケジュールを見直す必要が
あることをアニプレックスに告げることができなかったのであろうか。
30
次節ではアニプレックスに目を向けてみよう。
2 アニプレックスの焦燥
アニプレックスは A-1 Pictures を設立する以前、みずからアニメ制作に携わった経験を
持つ。だがその本質は、基本的には大量のアニメを売りさばくことに重きを置いたビジネ
ス団体とみたほうがよいようである。そもそも社名であるアニプレックス(Aniplex)とは、
アニメ(Animation)から派生する権利ビジネスの複合体(Complex)を意味する造語であ
るという24。つまり現在のアニプレックスと A-1 Pictures の関係は、アニメで稼ぐ商人と、
その資金でアニメをつくる職人のそれである。
両者の組織状況をみてみると、
『咎狗の血』が制作された現時点で、A-1 Pictures の経営
陣は以下の人物によって構成されている25。
代表取締役社長 植田益朗
取締役 夏目公一朗、勝脇英夫、石川恵子、落越友則
監査役 奈良林稔
次にアニプレックスの役員構成は次の通りである26。
代表取締役 夏目公一朗、勝脇英夫
取締役 鈴木明、古澤清、北川直樹
監査役 奈良林稔
執行役員社長 夏目公一朗
執行役員専務 勝脇英夫、植田益朗
執行役員 越智武、田中順
アニプレックスとほぼ重なる経営陣の役員構成、およびアニプレックスからの 100%の出
資率という関係からして、A-1 Pictures はアニプレックスに対してほとんど独立性を持たな
い。
では A-1 Pictures とはアニプレックスのどのような構想に基づき設立された会社なのだ
ろうか。 同社の社長である植田益朗は、アニプレックスの社長ポストに就く以前は『ガン
ダム』シリーズ、
『カウボーイビバップ』、
『犬夜叉』に、企画やプロデューサーとして関わ
ってきた人物である27。
『IT media』の記事によると、アニプレックスが植田を迎えた理由
は、
「同氏のプロデュース力と幅広いネットワークに期待を寄せ」たからであるという28。
正直なところ、筆者はこのネットワークという言葉にある種の不安を覚えた。本稿のⅤ
において後述するように、ハイクオリティ作品をつくりだすアニメ制作会社に必要なもの
31
とは高度なチームワークであり、チームワークを発揮できる会社には人を大事に育てるこ
とのできる組織が不可欠のようである。だがこの文脈におけるアニプレックスのネットワ
ークという言葉からは、そうした発想があまり感じられない。売れ筋の作品を嗅ぎあてる
情報収集能力という意味か、すぐれたアニメーターなどをよそから引っ張ってくる人脈力
という意味のように聞こえてしまう。後者だとすると、腰をすえてじっくりよい人材を育
てようという気概がまったくないことになり、傍観者としては不安を誘われる。もしアニ
プレックスが植田の人脈のみをあてにする発想で 2005 年に A-1 Pictures を設立したのであ
れば、植田自身の方針がどうであるかはさておいても、A-1 Pictures の企業としての理念は、
その設立時においてすでに即戦力重視、短期的利益重視というきわめて視野の狭いもので
あったことになる。これでは、A-1 Pictures のスタッフが強い職人魂でまとめあげられるこ
とは難しくなるだろう。
以上のことは A-1 Pictures からアニプレックスに対するアニメ制作のプロとしての発言
権を奪う条件であり、A-1 Pictures のプロとしての性質そのものを、疲弊させていくリスク
をもたらす。
さきにみた過密スケジュールからして、おそらくアニプレックス経営陣は、アニメのク
オリティを維持するためにスタッフをどう育て、管理するか、という問題を、あまり真剣
に考えたことがないのではないだろうか。そして A-1 Pictures のスタッフはアニプレック
スによる浸食作用を絶えず受け続けており、組織構造からしてその浸食作用を押し返すだ
けの力がない。このような状況では、A-1 Pictures のスタッフは自社の制作管理能力が限界
であることを示し、制作本数を下げて 1 本 1 本のクオリティを維持するようアニプレック
ス経営陣と交渉するのが難しかったのだと推察される。
だがそれにしても、外部の者が傍観したとき、アニプレックスの「危機感」や過密スケ
ジュールぶりは少し異常でもある。上部にソニーグループを抱えていれば、資金面におい
て少なくとも短期的には下請会社よりもよほど余裕がありそうなものである。2010 年度放
映作品のために A-1 Pictures が臨時雇用を大量に雇い入れたとすれば、アニプレックス自
身の経営が苦しいということとはまた少し微妙にずれたところで問題が発生していたので
はないかという気がする。アニプレックスはソニーグループにおける自社の存在感を示そ
うと焦っているのかもしれない。ソニーグループから収益をあげることのできない無用な
セクションと判断されれば、部門ごと切り離され、他社に売却される可能性が出てくるか
らである。
ソニーは 2003 年にソニーの日経平均株価が 7700 円を割り込む「ソニーショック」を経
験し、2005 年には創設者の経営理念を受け継いだ第二世代の経営陣が一斉に交代してしま
っている。それ以降のソニーはかつての勢いを失い、凋落に向かっているといわれており、
一部には組織の質が下がったという観測もある29。そうはいっても、ソニーはやはり大手
優良会社ではあり続けるだろうし、巨大組織であるがゆえ、部門ごとに組織風土も異なる
であろう。だがアニプレックスに植田が迎え入れられたのはちょうどソニーショックの時
32
期であり、A-1 Pictures が設立されたのはソニーの第二世代の経営陣が一斉に交代した年で
ある。いずれもソニー全体が余裕を失っている時期であり、利益至上主義の雰囲気が強ま
った時期でもあるだろう。ソニーのアニメ産業部門に、今すぐヒットを出さなくてはなら
ないという焦燥感が生じていたとしてもおかしくない。
また、昨今の不景気のため日本の経済界に蔓延した、機械的数字を評価基準に据える「成
果主義」の弊害も考えられる。高橋伸夫によれば、
「成果主義」のブームは 2004 年にピー
クを迎えるものの、それ以降はこのような姿勢がかえって組織を硬直・疲弊させ、業績を
下げるものであると意識されるようになっているという。現在では、能力のある会社であ
れば、たとえ看板に「成果主義」を掲げていようとも、実態としてはかつての「日本型年
功序列制」のメリットを見直そうとする傾向が認められるともいう30。
だがアニプレックスについていえば、その声明や動向からして、手がける事業を拡大し
さえすれば収益があがるとしているかのような気配が若干ある。アニメに関しても、ひと
つの作品のポテンシャルを最大限引き出そうとするのではなく、少しでもヒットしそうな
コンテンツを数の上で確保することに夢中になってしまっているかのような印象を与える。
「アニメノチカラ」プロジェクトが公表されたのは 2009 年のことであるから、あるいは
2008 年のリーマンショックがこの傾向を加速させた可能性もある。
こうした焦りがアニプレックスの視野を狭め続けているのだろうか。前節に引用した「ア
ニメノチカラ」プロジェクトをめぐる報道では、アニプレックスが同プロジェクトを立ち
上げた理由は、
「アニメの原作が枯渇しつつあることに危機感を持った」ためと説明されて
いた。だが「原作が枯渇」したという表現は非常に奇妙なものである。ヒットするアニメ
が出ないことを、よい原作がないためだとしているかのようである。しかしどれほどよい
原作があったとしても、それを活かせるかどうかはアニメ制作会社の腕前次第なのではな
いだろうか。どれほど陳腐な原作であっても、それをうまく解釈・演出して見違えるよう
な作品にすることこそ、アニメ制作会社の技量の見せどころなのではないだろうか。
『咎狗
の血』が無残にも潰され、あり得たはずの『咎狗の血』アニメ関連のマーケットが可能性
を失っていくのを目撃したファンとしては、原作の枯渇以前にアニプレックス自身が原作
を潰しているようにしかみえないのである。
純粋にひとつの原作を愛し、ハイクオリティのアニメ化を夢見るファンからすると、ア
ニプレックスのこうした姿勢は非常に理解しがたい。ファンはアニメを数量ではなく質で
評価するものであり、とくに原作の背後に控えるファンの成熟度や真剣さが高いほど、こ
の傾向は強くなる。真剣なファンを持つ作品をアニメ化する場合、ファンの期待を裏切る
10 本の粗悪アニメと、ファンを狂喜させる 1 本のハイクオリティアニメであれば、その後
の関連商品の売れ行きに結びつくのは間違いなく後者であるし、前者は制作会社の悪口が
ネット上にまきちらされる原因にもなる。
低学年向けアニメやクオリティを必要としないギャグアニメを、低コストで大量生産す
るというのならそれでもよいのだろうし、比較的ヒット筋のアニメコンテンツをかき集め
33
ることも、たしかに一定の売上アップに寄与するのだろう。だが成人向け作品の、しかも
相当にまじめなファンがついているシリアスな原作を引き受けるならば、クオリティ維持
の問題は会社の評判にダイレクトにつながってくる。その場合、経営者は大量の作品を過
密スケジュールでスタッフに押し付けるべきではない。作品を支持するファンの性質に応
じて戦略を変えるべきなのだ。そのような発想もできなくなってしまうほど、アニプレッ
クスは心の余裕を失い、視野が狭くなってしまったのだろうか。
3 作品に対する態度の温度差――『咎狗の血』は何を誤解されたか
以上にみたのはアニプレックスと A-1 Pictures の関係であるが、今度は再び、A-1
Pictures が Picture Magic になぜ『咎狗の血』を丸投げにしたのかという問題に立ち返っ
てみたい。
過密スケジュールに伴う社内の混乱が社員全体の士気を下げてしまったとしても、また
はもっと単純に、今年最後の作品である『咎狗の血』にスケジュール上のしわ寄せが来て
しまっただけだとしても、A-1 Pictures が『咎狗の血』に対して取った態度は、たとえば同
社が『黒執事Ⅱ』と『世紀末オカルト学院』に対してみせた配慮と比較するとずいぶん温
度差があるように感じられる。『黒執事Ⅱ』はこの過密スケジュールのさなかにおいても、
さすがに下請への丸投げにまでは至らなかったようである。また『世紀末オカルト学院』
の「制作協力」である XEBEC は、Production I.G から切り離された株式会社 IG ポートを
主要株主に持つ会社であり、
『蒼穹のファフナー』など評判のよい作品に携わった経験を持
つ。過去に手がけた作品にトラブルがなかったわけではないようだが、協力者として選定
する相手としてはレベルに問題はない。
これに対し『咎狗の血』は、過去の業績でいえばあきらかに XEBEC よりも見务りのす
る下請に、完全なる丸投げという形で委託されてしまったとみられる。しかも委託先であ
る Picture Magic の作品傾向は、さきに検討したように『咎狗の血』とは相性がかなり悪い
といっても過言ではない。
『黒執事Ⅱ』は売れ筋『黒執事』の続編であり、A-1 Pictures としては当然、まるごと手
を抜くわけにはいかなかったのだろう。また『世紀末オカルト学院』はさきにみたように
元社長の企画であり、会社の野心的プロジェクトとして大々的に宣伝してしまった以上、
こちらも手を抜くわけにはいかない。そこまでは理解できるものの、なぜそこから一息に
『咎狗の血』が相性の悪い下請に丸投げされることになったのだろうか。きちんと相性の
良さを見極めたうえで選択された下請に、一部外注などの形で委託するなどの配慮が、も
う少し行なわれてもよかったのではないか。
A-1 Pictures のこの行動は、やはり『咎狗の血』という作品の内実に対して彼らが相当無
関心であったと想定しなければ、現段階では理解ができないのかもしれない。少々きつい
言い方になるが、彼らが次の三点において『咎狗の血』を捉えていたと仮定しよう。すな
34
わち、
(1)コアなオタク向けのエロゲーのアニメ化である、
(2)腐女子向けである、
(3)
どのように制作したところで必ず売れる、である。
(1)の発想は、18 禁要素にのみ目がいき、作品が支持されている根底にはそれなりの
一般性やドラマ性があると了解されなかったときに生じる。もしこの一般性やドラマ性が
了解されていれば、
『Fate/Stay night』のようにドラマ性を強く打ち出したシナリオを軸に
もう少し一般向けの作品を構想し、かつ大々的に宣伝し、2 クールぐらいの計画を立てて、
じっくりと原作のよさを引き出していくこともできたはずである。だが不幸にして『咎狗
の血』の一般性とドラマ性のポテンシャルが完全に看過され、
『咎狗の血』が適度な「萌え」
さえあればよい恋愛ゲームと同じだという発想と結びつけば、たしかに 1 クールの短さで
Picture Magic に丸投げにし、適当なものをつくって深夜枠で宣伝し、あとは DVD で収益
をあげる、という結論になるかもしれない31。
アニメ『咎狗の血』の最終話近くで起きた事態は、こうした懸念を裏打ちしているかの
ようにみえる。作画・動画関係のスタッフはさておき、中盤までは物語性・ドラマ性を真
摯に追求しようとしていたようにみえる脚本関係のスタッフまでもが、最終話近くで間違
ったファン像に迎合しようとする心理に負けてしまったかのようである。アニメは最終話
が近づくほど全キャラクターのエピソードが節操なく投入されるようになり、物語の方向
性が定まらなくなってしまった。原作ゲームの各キャラクターのエピソードは互いに排除
し合う関係にあるため、うまく統合するのは難しかったのだろうと察せられるが、いった
ん作品の方向性を決断したなら、捨てるべきものは捨てなければかえって全体の統一感が
損なわれてしまう。どのような展開にしようとも、原作に対する解釈がアニメ制作者と食
い違うファンというものは存在するのであり、そうした人々から批判を受けることは避け
られない。ならばどこかの時点でアニメ制作者は自身の感性と価値観を信じ決断を下さな
くてはならない。決断を下したなら、あとはその決断を信じ、その方向性においてできる
最良の演出を心がければよいのであり、そのように振る舞ったほうが大多数の常識的なフ
ァンは好感をもったはずである。
これにくわえ、キャラクターの乳首をむやみに見せるなど、筆者個人としてはどうにも
ピントがずれているとしか思えない露骨なエロス狙いが最終話において唐突に披露された
のも、アニメ制作チームの疲労感が間違ったファン像に対する迎合心理に暴走を許してし
まった結果のように感じられる。
「コアな BL 好きはこういうものが好きなはずだから、サ
ービスをしておこう」という思惑が働いたのだろうが、少なくとも本稿執筆時点でのネッ
ト上の反応において、この演出を評価しているファンはほとんどいないばかりか、新たな
怒りの源泉にさえなっている。こうした演出は、それ以前の 11 話までの雰囲気を完全に台
無しにしてしまうものだった。物語の一般性・ドラマ性よりも、コアな BL 好きの存在を意
識しすぎた迎合的姿勢が前面に押し出された状態で最終話が締めくくられてしまったこと
は、筆者として大変残念でならない。すべての工程を Picture Magic に委託した以上、A-1
Pictures はこうした演出そのものにはタッチしていないのだろうが、こうした事態はファ
35
ンが何をみているかについての重大な誤解の存在を示すものである。A-1 Pictures のスタッ
フもまた、当初からそういうイメージでしか『咎狗の血』をみていなかったのかもしれな
い。
(2)については、
「腐女子」や BL という言葉で何を想像するかが問題である。
「腐女子」
と一言で言ってもその内部には驚くほどの多様性があり、また『咎狗の血』は従来 BL に興
味を持たなかったファン層をも開拓した作品である。だが残念なことにアニメ制作会社の
関係者にそのあたりの事情がきちんと考慮された形跡がない。おそらく一般にイメージさ
れている「腐女子」像が『咎狗の血』ファンに適用されたのであろう。この一般的にイメ
ージされている「腐女子」像とはお世辞にもレベルの高いものではない可能性がある。一
例として、「腐女子」に注目したある書籍においては、「腐女子」は浅はかでミーハーな女
性として描かれている32。
『咎狗の血』の 18 禁要素にばかり注目した無理解と、この浅はかなる「腐女子」像(そ
のような女性たちは当然クオリティも重視しないであろう)が結びつき、さらにこれまで
の腐女子系、BL 系作品のヒット状況と比較考量されると、(3)の結論になる。たとえば
近年テレビ放映用にアニメ化された BL 作品の中で、もっともヒットしたのは前述の『純情
ロマンチカ』であろう。この作品自体は原作のユーモアのテンポも大事にされ、スタッフ
の遊び心も感じられる。ファンとしてそれなりに楽しめる仕上がりになっている。だが現
在のアニメ作品のなかでハイクオリティにランクインする作品かと問われれば、そのオー
プニングからみても「普通」以上の水準ではない。BL 系、腐女子系作品といえば、その程
度のものでも「売れて」いたわけである。それゆえ、A-1 Pictures は『咎狗の血』をハイク
オリティにする必要性を感じず、
『鋼鉄三国志』をつくった Picture Magic のみで『咎狗の
血』には十分対応できる、という結論になってしまったのかもしれない。
また会社同士の関係という問題もある。A-1 Pictures のきわめて無責任な振る舞いからみ
て、Nitro+Chiral と A-1 Pictures のあいだにはほとんど接触がないと考えられる。さらに
『咎狗の血』をめぐる企業関係からしても、A-1 Pictures は Nitro+Chiral の作品に最優先
に力を注ぐ必要性を感じていないようである。
もし原作の版権を持つ会社とアニメ制作会社との取引関係が良好であり、その関係が持
続的で安定したものであれば、それがアニメのクオリティを担保する可能性は高い。一例
として、ファンからハイクオリティと好評を博している『とある魔術の禁書目録』をめぐ
る会社関係を参照してみよう。同作品の原作は同名のライトノベルで、コミックも角川か
ら刊行されている。アニメ化を手がけたのは J.C.STAFF(ジェーシースタッフ)である。
J.C.STAFF の公称資本金は 5000 万円、社員数 120 名、公正取引委員会の基準では中小ア
ニメ業者に分類されるが、少なくとも J.C.STAFF のホームページの「会社概要」には取引
先に角川書店の名が明記されており、両者の関係は悪いものではないようである33。
『咎狗
の血』のコミカライズをめぐる諸版権も角川グループにあり34、したがって、せめて角川
グループと関係の深いアニメ制作会社がアニメ化を引き受けていれば、こうした惨事は回
36
避された可能性もある。
いずれにせよ A-1 Pictures の『咎狗の血』に対するこのような扱いは、作品とそのファ
ンに対する無理解、無関心があってはじめて成立する。おそらく A-1 Pictures のスタッフ
は目前のタイトなスケジュールに振り回され、それ以外のものに目がいかなくなってしま
っただけなのだろう。自分たちが引き受けた作品がどういうものなのか、まじめに検討す
る余裕がなかったのだろう。
『咎狗の血』やそのファンに対する意図的な悪意が存在したと
考えるべきではない。だがたとえ悪意がなかったとしても、かりにもハイクオリティアニ
メの制作を掲げた会社である以上は、一度引き受けた作品に無関心であるということは許
されないはずである。そのうえもし会社同士の関係によって作品に対する態度を変えたの
であれば、いくら A-1 Pictures が資本金の額からみて大手であり、過去それなりの作品を
つくった実績があったとしても、今後この会社を優良会社と呼ぶことはできなくなってし
まう。
こうした見方はどれも穿ちすぎたものかもしれないし、まったく的外れなものなのかも
しれない。もっと重大な事件が発生していたのかもしれないし、会社同士の力関係につい
ても筆者は根本的な誤解をしているのかもしれない。大半のスタッフはまじめに働いてい
るだけなのだろうし、会社としての選択のミスから招かれた不始末はあくまで経営陣が負
うべきものである。背景に組織全体の問題がひそんでいるとすれば、スタッフ個々人がネ
ット上で罵倒されるのは実に理不尽である。だがどんな内部事情があったとしても、組織
としてみた場合、A-1 Pictures が『咎狗の血』を不誠実に取り扱い、粗悪アニメに変えてし
まった事実は変わらないのだ。
Ⅳ 何が欠けていたのか?――組織風土に関する推測
これまでは『咎狗の血』低クオリティ事件をめぐる具体的問題点だけを列挙してきたが、
最後に、ではどのような条件をもった会社であればこのような問題は防がれたのかという
点について、ハイクオリティ作品をつくりだすアニメ制作会社の組織風土を参照してみた
い。
1 成員の定着率
アニプレックス、A-1 Pictures 、Picture Magic の雰囲気について現在入手できる情報は
すべて 2 ちゃんねるレベルのものであるため、ここでは触れないことにし、かわりに、プ
ロを育むアニメ制作会社の組織風土とはどのようなものであるか、世界が認める超優良ア
ニメ制作会社 Production I.G を参照して考えてみよう。Production I.G を例に取る理由は、
同社がホームページで積極的に会社のアピールを行なっており、対外宣伝の意味合いが強
いにしろ、内部状況もかなりの程度まで開示しているからである。
37
同社のホームページを見るだけでも、アニメ制作に携わるスタッフ一人一人がクローズ
アップされ、Production I.G がスタッフを育てる姿勢を強く持った会社であることが窺え
る。同社の 1 スタ(第 1 スタジオ)を率いるアニメーター・後藤隆幸は、自身の職場であ
る 1 スタの特徴について「I.G で育ったスタッフがほとんどなので I.G 色のスタッフが多い
ところかな?」と述べている35。これは 1 スタについてのみのコメントであり、1 スタは
Production I.G 内でもアニメーターの定着率が高いスタジオだと述べられているものの、
同社の傑出したクオリティを支えてきたのはやはり基本的には自社内育成したスタッフた
ちなのだろう。
通常、アニメーターはフリーランスであることが多く、スタジオからスタジオへと渡り
歩く者も少なくないという36。こうした業界において引き抜きは珍しくないようであり、
たとえば 2 ちゃんねる周辺では、某アニメーターがどこのスタジオから引き抜かれた、ど
このスタジオを裏切ったなどの「告発」が行なわれることがある。
ところがアニメ制作では、ハイクオリティ作品ほど高いチームワークが要請される。
『バ
ンダイチャンネル』の BONES 特集は、BONES が「チームワークも見事で、クリエイタ
ーの一人ひとりを大事にしている」と記している37。また『サマーウォーズ』の制作現場
を取材したイアン・コンドリーは、日本アニメのクオリティの秘密が類をみないほどのチ
ームワークにあるとして驚きをみせている。監督の提出したひとつの絵コンテに対し、各
スタッフはアイディアをしぼり、絵コンテで構想されたアニメが最良の姿となるよう技術
を出しつくす。そうした阿吽の呼吸が要求されるような作業過程においては、チームの一
体感が重要な役割を果たすのだとコンドリーは述べる38。
少し考えてみればわかることだが、このようなチームワークは流動性の高すぎる組織で
は実現できない。メンバー全員がひとつのプロジェクトに対し、最後まで責任をもってや
り遂げるという強い意思を持っていない限り、無責任な振る舞いや信頼感の欠如による対
立が生じやすくなるからである。したがって、たとえば外部のアニメーターを臨時に大量
雇用することで人件費を切り詰めるということをひたすら繰り返す会社は、スタッフを会
社内部にしっかりと定着させてやれない組織をもつために、つくりだせるアニメの水準も
低いままになるだろう。
2 有能な経営者による組織運営
だがスタッフを組織に定着させるだけではまだ問題が残る。日本アニメーター・演出協
会のパネルディスカッションにおいて、ある経営者は「アニメーターもたくさんいて、ス
ケジュールを守らない、内容悪いという人は現実にいるんです」と不満を漏らしており39、
経営者側にはスタッフに対する不満や不信感を持つ者もいることが窺える。
しかしおそらくこうした問題は、組織がスタッフを有能な人材に育てることで解決して
いかなくてはならないことなのであろう。すぐれた人材の育つ組織には、必ず有能なリー
38
ダーか経営者がいる。
「有能」とはビジネス上の取引がうまいということではなく、スタッ
フ一人一人を活かす能力があり、そのようなシステムをつくろうとする配慮が行なえると
いうことである。
『Nikkei BPnet』は Production I.G の社長・石川光久について特集を組み、石川が「ア
ニメーターに高給を支払った最初の経営者」だと指摘している40。同記事は、ある調査に
おいてアニメーターの平均年収は 247 万円、下っ端の見習いは 5 万円とされていることを
紹介し41、このような業界において石川が稀に見る敬意をアニメーターに対して持った人
物であることを示す。同記事において、石川は次のように発言している。
「アニメーターは役者と同じ。働きによって収入に差があるのは当然だから、I.G で仕事
をしてもらっているアニメーターには年収が 1000 万円を超える人もたくさんいる。速く、
うまく描ける人には正当な評価をして、きちんと給料を払いたいんだよ」
だがまた石川は、スタッフの技能に敬意を持つだけではない。組織全体がうまく稼働す
るよう、現場をしっかりとみて各スタッフの特性をつかみ、それに基づいた戦略的人事を
行なう能力を持つ。たとえば石川の「正当な評価」という言葉には相当シビアな響きが含
まれている。Production I.G で働くスタッフたちのコメントには、石川への称賛だけでは
なく、彼らが石川に対して感じている畏怖や緊張も読み取れる。また Production I.G では
社内のアニメーターたちが 1 スタ(第 1 スタジオ)と 2 スタ(第 2 スタジオ)に分かれて
いるが、さきの 1 スタのリーダーである後藤によれば、2 つのスタジオは仕事を分担するた
めに分かれているのではなく、アニメーターたちを相互に競わせ、スキルを上げさせるた
めに石川が戦略的に設けたものである可能性が高いという。適度なプレッシャーを与えな
がらアニメーターを意識的に育てていくことの大切さを、石川は深く了解していたのであ
ろう。
一方で、過度のプレッシャーに曝され続けるばかりであれば、スタッフたちはいつか精
神的に破綻してしまう。それゆえすぐれた経営者には、現場で働くスタッフに対し適宜メ
ンテナンスを行なう技量も不可欠となる。次の逸話は石川に関して Production I.G のスタ
ッフたちがつづったコラムのひとつである42。
某スタッフにこんな話を聞きました。その方はかつて、作品づくりのフラストレーシ
ョンが溜まり、石川社長に仕事を辞めたいと相談したことがあったそうです。すると、
社長は喫茶店にそのスタッフを呼び出したそうです。
その方が緊張して待っていると、社長は喫茶店に入ってくるなり「まあ、コーヒーで
も飲んでからゆっくり話そう」と言い、飲み終わると「まあ、甘いもんでも食べてから
ゆっくり話そう」とケーキを注文し、食べ終わると「じゃ、そういうことで」と会計を
済ませてそのまま帰ったそうです。
39
その方は、あまりの出来事に呆然と社長の後ろ姿を見送るだけだったと言います。そ
して確信したそうです。「どんな大変なことがあっても、この人を説得して辞めること
の方が絶対に大変だ」と。その方は、その後も辞めることなく残り、現在に至るまで大
活躍中です。
願わくば、そんな石川流の口説きテクを弄されるくらいまでに、必要とされる人材に
なりたいと思う今日この頃です。
そもそも社長がスタッフの直訴を受けるということ自体、社長がスタッフの近くにおり、
現場に目を配っていることを意味する。そして辞めたいと弱音を吐くスタッフがいれば、
喫茶店へと連れ出し、あれこれ煙に巻いて最終的にはスタジオに戻らせてしまう。コラム
はやや斜に構えた調子で社長の動向をつづっているが、トップじきじきにこのような対応
を取ってもらったスタッフが、マイナスの感情を爆発させてチームワークを破壊すること
はまずないであろう。スタッフに対するフォローがしっかり行なわれていることを示す事
例である。
また社員からみた社長に対する感想をあえてホームページに掲載させるところに、この
会社の組織風土を窺うことができる。部下にコメントを書かせるなどということは、おそ
らく社長がしっかりとした自信を持っていなければできないことである。真の自信を持つ
者は下から意見され、ときに批判されることにも寛容になれるからである。こうした経営
者が組織を管理運営する立場にあれば、問題点を早期に発見し、部下の改善案を受け入れ、
組織の柔軟性を保つことにもつながるだろう。さらには、「そんな石川流の口説きテクを弄
されるくらいまでに、必要とされる人材になりたい」という表現に、トップがしっかりと
現場を見ており、正当な評価を下しているという、スタッフの一種の信頼感も確認される。
これらの情報から読み取れるものを要約すると、
(1)トップがつねに現場を見て正当な
評価を下そうとしており、それがスタッフに適度なプレッシャーを与えている、
(2)だが
トップが必要以上に現場を委縮させて自主性を奪ってしまうことは慎み、それなりの発言
はできるような雰囲気づくりを心掛けている、(3)過度に疲労したスタッフについてはフ
ォローを行なっている、の三点となる。この三点がそろうことでスタッフたちのトップに
対する信頼感が醸成され、仕事に集中できる環境が整い、制作過程で生じた問題点がチー
ムワークの中で解決されていくことが可能となっているのではないだろうか。
3 人材の貧困さは経費の不足のためか
Production I.G は大手だからそのような余裕があるのだという反論があるかもしれない。
たしかにアニメーターに 1000 万円も出せるような会社はあまり存在しないだろう。だが
Production I.G とて最初から大手だったわけではない。高橋伸夫の『虚妄の成果主義』に
おける議論は、組織の質は必ずしもスタッフが得られる給料の多寡によって決まるのでは
40
なく、経営者がどのような組織をめざし、どのような人事を行ない、どのようにスタッフ
からやる気を引き出すかでほぼ決まることを示唆している43。
高橋は、1945 年の敗戦から高度経済成長前夜まで、日本は国全体として貧しかったにも
かかわらず多くの企業が成長を遂げたことに注目している。もちろんそこには多くの複雑
な要因が絡み合っていたのだろうし、一般的には 1950 年に勃発した朝鮮戦争による軍需景
気が経済成長に貢献したとする解釈が多い。だが高橋は、当時の会社組織の在り方に鍵が
あったとみる。当時成長した会社は、社員のぎりぎり最低限の生活は完全に保障し、会社
のメンバーとしてきちんと定着させ、生活面での安心感を与えたうえで、仕事へのモチベ
ーションを給料アップではなく仕事の達成感を通じて引き上げさせる構造を有していたと
いう。
一方、Production I.G で作画監督を務める大久保徹は、
『攻殻機動隊』シリーズを手がけ
たころの自身の体験を次のように語る44。
「求められているもののレベルが高くて、今までのものじゃ通用しなかった。1カット
1カット直されてはじっくり全部の仕事をしていました。量がこなせないので月に 10 万
円位しか稼げなくて、生活するのも大変でしたけど(笑)やっているときは辛くても、
今になってみればすごく自分が成長できた作品だと思っています」
アニメーターの収入の低さは大変深刻な問題とされており、アニメをめぐる産業構造自
体を変えていく必要が叫ばれて久しい。もちろんこの問題は今後も議論され、改善される
必要がある。だがおそらく、スタッフの給料を引き上げればそれでいいという話でもない
のである。Production I.G のこの逸話は、月 10 万円の生活で自己の生存をつなげつつ仕事
に打ち込み、やがてプロとして成長していった社員が Production I.G のリーダーになった
ことを示している。最初から高額の給料を餌にして才能ある社員を採用できた企業が成長
するというわけではないと主張する高橋の議論を、この逸話はむしろ裏打ちしているので
はないだろうか。
こうした組織運営の問題を考慮したとき、Picture Magic の「暴露ブログ」事件、A-1
Pictures のプロ意識を欠いた『咎狗の血』の丸投げ、アニプレックスの過密スケジュール、
および「原作の枯渇」発言、異様な焦燥感、どれをとっても、スタッフを大事に育てるこ
とができず、柔軟性を喪失した組織を暗示しているように感じられてしまうのである。
おわりに――望ましい改善策とは
1 娯楽を享受する者にできることとは
すでに Picture Magic、A-1 Pictures、アニプレックスの三社は『咎狗の血』ファンの糾
41
弾対象として名指しされており、アニプレックスに対してもかなりの抗議がメールなどで
送りつけられたようである。この三社のうち、「暴露ブログ」の衝撃が大きかったことと、
作画崩壊の「犯人」としては一番目につきやすいために、ネット上でもっとも槍玉にあが
っているのは Picture Magic のようである。しかし『咎狗の血』を下請に任せるにあたり
Picture Magic を指定したのが A-1 Pictures だったとしたら、Picture Magic よりも A-1
Pictures のほうが罪は重いとみるべきである。Picture Magic はそもそも相性の悪い作品を
上から任せられただけであり、本来ならば元請の A-1 Pictures が作品にふさわしい下請を
きちんと選定するべきだったからである。さらに、その A-1 Pictures にすべての作品と真
剣に向き合う余裕を与えなかったという意味で、権力の大きさとそれに伴う責任からみて
も、もっとも罪が重いのはアニプレックスである。今回の低クオリティ事件は、システム
的にみると上から下へ負の連鎖反応が起きた結果招かれたものであり、一連の連鎖反応を
引き起こした大元にいるのはアニプレックスである。
アニプレックス、A-1 Pictures をめぐる状況から、
『咎狗の血』アニメ化プロジェクトが
低クオリティを招いた原因は暫定的に次のように結論づけられる。不景気により焦燥感に
駆られ、原作ひとつひとつのポテンシャルを最大限に引き出すことの重要性に気づくこと
ができず、短期的利益以外は何も目に入らないほど視野が狭窄してしまった企業集団と、
そのしがらみに縛られ、原作に敬意を持つ暇も与えられなかったアニメ制作会社によって、
『咎狗の血』とそのファン層があらゆる点で誤解されたためである、と。
以下は、この懸念が当たっていたとしての話である。状況を改善するには、今回のよう
にファンが怒りの声をあげ続けることも重要である。だがただ怒りを示すだけでは不十分
でもあろう。もうひとつ重要なことは、ファン自身がアニメ制作会社の優务をしっかりと
見定める目を持ち、シナリオが悪い、作画が悪いと個別の問題を取り上げるだけでなく、
そうした問題を招いた本質的な原因はどこにあるのかについて思考をめぐらし、問いかけ
ていくことである。生産者がファンの実態に無関心だということは、生産者のほうに悪意
がなかったとしても、消費者としては間違ったイメージに基づくピントのずれたビジネス
のターゲットにされるわけであるから、結果としてバカにされた扱いを受けることになる。
それが今回の低クオリティ事件を招いたというのなら、消費者は生産者が何を勘違してい
るのか、ただ糾弾するだけではなく、論理的に指摘してみせ、生産者が想定していた以上
に「賢い」ことを示す必要がある。でなければ「商業的にもうかる」
「ファンはそれほどう
るさくない」と判断されたが最後、その作品は一気に低クオリティに貶められる事態が今
後も発生するだろう(内田樹のみるところ、出版業界における「知的务化」の根底にも読
者層に対する侮りがあるという45)
。
アニメ化に伴う各種グッズの購入はこの点に関してはあまり役に立たない。そうしたも
のに対して支払ったファンの金銭は、おそらく真の制作者とファンとの中間に立つ流通業
者などに大半を持っていかれてしまい、ファンの要求を正確に汲みあげる市場としては機
能しないおそれがある。それどころか、この程度のものでも売れるのかと売り手を誤解さ
42
せてしまうリスクすらある。アニメ『咎狗の血』も、放映開始とともにさまざまなグッズ
が販売された。また『咎狗の血』は各話ごとにエンディングのテーマソングを変え、それ
をひとつの売りとしてプッシュしている。これは間違いなくアニメを音楽販売の媒体とし
て考えているアニプレックス、あるいはその上部組織ソニーグループの意向であり、原作
ファンが希望したことではない。一部のファンは、イベントやグッズ、音楽を売り出して
おいてアニメ本編はお粗末という、
「力の入れどころがおかしい」状況について、アニプレ
ックスへの怒りを表明しているが、このような事態は、本来評価されるべき人々に十分な
スポットライトが当たっておらず、また十分な報酬も届かないようなシステムが、それで
も稼働し続けていられることに起因する。視聴者はハイクオリティの作品が生まれればそ
の制作チームを評価し支持するのだということを、それは最終的に会社全体の利益につな
がるのだということを、また、質の低いものをつくればそれだけ制作会社全体に対する支
持は下がるのだということを、大手会社や流通機構を握る業者に理解してもらい、またそ
のような経済構造をつくっていく必要がある。懐に余裕のあるファンであれば、これはと
思う仕事をしてくれた会社に対し、支持を表明するため、ささやかに株を購入するのもい
いだろうか。
顧客のニーズを知り、誠実にビジネスに励め。ビジネス啓発本のコーナーでドラッカー
や松下幸之助の理念が引きも切らずもてはやされているところをみると、実はビジネスの
現場でもこの基本はあまり実践されてはいないのだとよくわかる。とりわけ BL もの支持者
などはいまだにその「当たり前のこと」が適用されない、する必要のない対象だと思われ
ている可能性が高い。ファンの抗議の激しさに驚いて DVD 修正を決定したところに、『咎
狗の血』制作に関わったメンバーがいかにファン層の人間像を把握しておらず、どの程度
のレベルを要求しているのかについても関心がなかったかを示している。そしていま現在
でさえ、どの程度まで理解してくれているのか心もとない。
冒頭に引用したように、アニメ『咎狗の血』の公式ホームページは「一度公表した発売
を変更する事は、メーカーとして恥ずかしい事かと思いますし、何よりもファンの皆さん
には、商品をお届けできる時期が3か月も遅くなってしまい、恐縮する限りですが…」と
述べている。ここに示されたメーカーとしての謝罪表現がまた、違和感を誘う。この謝罪
自体は腰も低く謙虚なようにみえる。広報としてファンの攻撃にさらされている担当者の
苦労も垣間見える。ファンの抗議を深刻なものと受け止め、DVD 修正を決断したことは高
く評価すべきであると思う。
だがなぜ発売日の変更について恥じるのだろう。恥じるというのならばクオリティの低
さに対して恥じるべきだと誰の目にもあきらかであるため、この謝罪はどうしてもピント
がずれているようにみえてしまう。低クオリティの作品をつくってしまったという事実は
体裁上さすがに認められないということなのだろうか。しかしファンからすれば、
『咎狗の
血』をめぐる状況はすでに「お届けできる時期」の問題などではなくなっているのだ。パ
ソコンのソフトなら多少のバグがあっても早く売り出したほうがよいということもあるだ
43
ろう。だがアニメは、いったん売り出しておいて、のちのち少しずつフィードバックを受
けて改良していくという性質を持たない。粗悪な速成品が発売された時点でその作品の制
作過程は終了してしまい、未来の改善の余地を 100%失う。だからこそファンは粗悪なもの
を「お届け」されないよう、抗議した側面があるはずである。「お届け」が遅くなることで
真実困るのは、見込んだ収益の入る時期が遅くなり、取引スケジュールが狂う、関連企業
のみである。そうした状況においては、この謝罪はまるで企業に向けられた謝罪のように
聞こえてしまう。
ファンの信頼を回復したいというのなら、クオリティの問題について率直に詫び、あと
は汚名返上のため実際のアクションを取ったほうが、短期的にはネット上で悪口をまきち
らされても、長期的にみればよほど建設的であるように思える。具体的な汚名返上方法と
しては、たとえば DVD の修正作業すべてを Picture Magic に継続して行なわせるのではな
く(この点に関してアニメ公式ホームページは、今後「一番の苦労をおかけする事になる
であろうスタジオの皆さん」とのみ記しており、どのスタジオにどれだけ任せる予定なの
か明記していないため、非常に不安が残る)、A-1 Pictures が修正作業を 100%引き取るか、
もっとふさわしい下請に任せるなどして、作品を引き受けた者としての責任を果たすこと、
みずからが手がければすばらしい作品になるという事実を証明することなどがある。また
そうした措置を隠蔽するのではなくきちんと公開し、どこを改善したのか消費者に告知す
ることである。
こうした反応を一切出してもらえないとすれば、それはファンの側の発信力が弱すぎる
ことにも一因があるのかもしれない。
2 理想の娯楽提供者とは
内部状況を理解しない消費者が勝手に抱いた感想にすぎないが、アニメを制作する側に
もし以下の四点に注意する余裕があったのなら、状況はだいぶ変わっていたのではないか
と思う。
第一に、アニメを企画する者が、制作現場の人間ときちんと意思疎通をはかり、ひとつ
の作品が秘めたポテンシャルを最大限発揮できる人材配置を整えてからアニメ化プロジェ
クトを動かすということである。アニメにはスタッフのモチベーションやキャパシティの
高低が露骨に反映し、アニメを見なれたファンの大半は瞬時にそのことに気づく。チーム
ワークの良し悪しは、作品の良し悪しという形でダイレクトにファンに伝わってしまうの
である。
第二に、引き受ける作品についてもう少しきちんと調査し、ファンの実態を理解すると
いうことである。こうした手順が踏まれていれば、ピントのずれたビジネス戦略がファン
を怒らせることも防がれたであろうし、ツボを押さえたビジネスであれば、ファンは誠意
あるビジネスを行なってもらったと感じたはずである。みずから作品を理解するのが困難
44
であれば、その道の理解者をビジネス戦略を練るうえで重要な第三者的相談役としてプロ
ジェクトに引き入れるなどすればよかったのではないだろうか。それは会社に利益を与え
るであろう原作を提供した原作者に対し、そしてまた作品のアニメ化に伴い多大な金銭を
支払うであろうファンに対し、結果として最低限の敬意を払うことにもなり、長い目で見
れば有効なビジネス戦略にもなったはずである。
レベルの低いものをつくっても DVD やグッズはある程度売れるかもしれない。だがその
ようなとき、ハイクオリティを望んでいたファンは内心、半ば不機嫌になりながら商品を
購入するのではないかという気がする。不景気の時代であればなおさらである。たしかに
コアなファンは「一応買う」という行動様式を取ることがあるだろう。だがその一方で、
そうしたファンはネット上のコミュニティに酷評をばらまき、クオリティさえよければも
っと広範に展開したかもしれない未来のマーケットを潰してしまう。また、みずからもそ
れ以上の購入意欲を削がれて意気消沈してしまう。逆に、アニメ制作者のファンに対する
敬意と真剣さを感じ取れば、この種のファンはそれ相応の形で支持を表明するであろうし、
まだ見ぬ未来の作品に対しても期待を募らせるだろう。そうなればファンはマーケットの
開拓を援護射撃する側に回る。
第三に、第二と関わる点であるが、ファンの実態を調査する際、硬直したカテゴリーで
ファンを捉え、そのイメージに迎合しようとする発想を控えることである。こうした硬直
性を乗り越えることができれば、新しいマーケットへの可能性も拓けるのではないだろう
か。たとえば「腐女子」と一言でいっても、その内部には驚くほどの多様性がある。にも
かかわらず「腐女子」という全員が同じ性質をもった社会集団がいると決めてかかれば、
別の「腐女子」マーケットを開拓し損ねることになる。すでに存在する「腐女子」マーケ
ットで収益をあげることはできるだろうが、やがてそのマーケットが似たような作品で飽
和してしまったときに、
「腐女子」マーケットはもう使えない、ということになる。
ある特徴を持ったファン層ばかりが目につくとき、たしかにそうした人々が増えている
のだと考えることはできる。だが一方で、そうしたファン層を開拓するような作品だけが
世に出ている可能性も大いにある。すでに誰かが開拓したマーケットに群がり、似たよう
な作品をつくってマーケットを飽和状態にしつつ、一方で「よい原作がなくなった」と嘆
きながら、別のマーケットを開拓するポテンシャルのあった作品を粗末に扱い潰していた、
などという本末転倒な状況が生じては、アニメ制作者にとってもファンにとっても大変な
損失ではないだろうか。
第四に、手当たり次第売れそうなコンテンツに手を出すのではなく、大ヒットを狙うハ
イクオリティものと、収益を支えるための地道な売れ筋コンテンツとを戦略的に分け、力
の配分を計算しながら制作を行なう、ということである。だが見当はずれのことをして原
作ファンを激怒させないよう、どのぐらいのクオリティが望まれた作品なのか、前述の調
査をきちんと行なったうえで、である。そしてハイクオリティものについては、一見世の
中で売れているようにみえるものに迎合するのではなく、みずからの人間観、価値観、人
45
生観などを総動員し、むしろ世の中に闘いを挑むぐらいの気分で制作にあたるということ
である。
まだ姿を現していない潜在的マーケットの開拓も、結局のところ制作者が真剣に追求す
るクオリティによってのみ引きだされる傾向があるのではないだろうか。モンスター級大
ヒット作品などは、多くの場合、技巧面のすばらしさにくわえ、作り手の人間観、価値観、
人生観などが総動員された形跡が認められるように思う。現代問題と接続する思想性が流
行のキャラクター造形と結合したとき、ヒット率があがるのではないだろうか。それゆえ
もちろん「萌え」要素は必要なのだが、作品の思想性も軽視してはならない要素なのだろ
う。あるいは、
「萌え」の意味をもっと広く精神的意味合いも含めて理解したほうがよいの
かもしれない。
たとえば『Fate/Stay night』にも『咎狗の血』にも、こうした現代問題と接続する部分
は認められるのである。
『Fate/Stay night』の主人公の造形からは、社会やほかの人々から
存在価値を認められることを望み、生きる意味や働く意味を見出したいと望みつつ、希薄
な人間関係や流動的な雇用形態によって、それをなかなかつかみとれずにいる現代の若い
世代のメンタルが透けてみえるようである。これは筆者の個人的見解にすぎず、反論もあ
るだろうが、おそらくそれが、同作品のシナリオライター・奈須きのこが感じ取っている
時代の空気なのであろう。その鬱屈感を癒すものが、凛々しい美少女とともに闘い、かり
そめに掲げていた正義を本物の正義としてみずからに定着させていくことであったという
点で、この作品は突然ファンタジーに昇華されてしまうわけだが、作品の根底そのものに
は非常に現代的な問題意識があったのだと感じられる。
『咎狗の血』の主人公の造形にもま
た、同じメンタルがひそんでいたように感じられるが、ただしこちらは、その悩みに対す
る解決策をカップルとの関係に求めるファンタジーに走りつつも、女性が優しい癒しの道
具として意義を持たされることは拒否するのである。程度の差はあれ、この世界の人間関
係は基本的に暴力的であり、信用のならないものであり、なよなよしていれば踏みにじら
れるというダークな実感を、ファンは心の片隅に実感として抱えているのかもしれない。
キワモノ作品にひそむヒット要因は、現代人の抱える問題意識を感知する鋭い感性を養わ
なければみえてこないのであり、現代問題と B 級娯楽の接続は、それこそ『鋼の錬金術師』
の最大のヒット要因でもあったはずである。ぜひ、そうした目を養って原作のポテンシャ
ルを見きわめ、ヒットをつくり出してほしいと思う。
しかし上述した第一点目から第四目にいたるまでの改善策は、結局のところ組織の質が
悪ければどうにもならないものなのだろう。マーケティング能力が低くても、人気のある
原作を獲得できなくても、天才的アニメーターが大量にいなくても、自社のスタッフ一人
一人を大切にし、はじめは二流、三流といわれていたスタッフ全員を、それなりにすぐれ
た人材に成長させることができたなら、長期的にみれば最強のアニメ制作会社に成長する
のではないだろうか。それゆえ最後に、経費がかかるという理由で大量にスタッフを臨時
雇用してしのぐのではなく、なるべく多くのスタッフを正社員にするなどして自社の大事
46
なメンバーとして認定し、組織の一体感を醸成したうえで厳しい教育を行なえる環境をつ
くりだせれば、非常によい作品を生み出せるようになるだろうと思う。この不景気の時代
にスタッフ全員に望む給料を与えることはできないというのなら、会社の事情で給料はこ
こまでしかあげられないと正直に情報を公開し、そのかわりトップもそれなりに我慢する、
仕事に対する評価は正当に行なうし、収益があがれば、ある一定のレベルを越えた時点か
らは各スタッフの貢献度に応じて利益を還元する、だからこの苦しい時期を一緒に頑張ろ
う、という雰囲気づくりを目指すことができれば理想的である。
アニメ化にあたっては、いくらよい原作があり、熱心なファンがおり、監督がよいもの
をつくろうと意気込み、原作者がその熱意を信じてアニメ化に踏み切ったとしても、その
企画を受け取ったアニメ制作会社に理解がなければ終わりである。このように無理解な態
度が今後二度と多くのファンによって大切にされてきた作品に対し取られることがないよ
う祈りたい。そしてファンが不安をもって見守っている『咎狗の血』DVD 修正が見違える
ほどすばらしいクオリティをもって行なわれることを(そのためならば発売時期などもう
少し遅れても構わないだろうし、話数を増やし、もう一度シナリオにも手をくわえたほう
が、ファンは興味をそそられて購入するだろう)
、そしてハイクオリティ版の作品がいま一
度放映されるチャンスを与えられることを望みたい。あるいはいつの日か別の形で、真の
プロ集団から構成された制作チームによる全身全霊をかけたリメイクが企画されることを、
祈るばかりである。
【参考資料】
A-1 Pictures の業績一覧(同社ホームページにて公開)
2010 年度
作品タイトル
放映期間
制作クレジット
製作
ソ・ラ・ノ・ヲ・ト
1 月~3 月
制作:A-1 Pictures
記述なし
WORKING!!
4 月~6 月
制作:A-1 Pictures
記述なし
おおきく振りかぶって
4 月~6 月
制作:A-1 Pictures
おお振り製作委員会
4 月~6 月
原作・制作:A-1 Pictures
閃光のナイトレイド
~夏の大会編~
閃光のナイトレイド
製作委員会
宇宙ショーへようこそ
映画、6 月公開
制作:A-1 Pictures
『宇宙ショーへよう
こそ』製作委員会(文
化芸術振興費助成
金)
世紀末オカルト学院
黒執事Ⅱ
7 月~9 月
7 月~9 月
原作・制作:A-1 Pictures
アニプレックス・テ
制作協力:XEBEC
レビ東京
制作:A-1 Pictures
黒執事Ⅱ製作委員会
47
咎狗の血
10 月~12 月
制作:A-1 Pictures
アニプレックス、ラ
プロダクション協力:
ンティス、ムービッ
Picture Magic
ク、ニトロプラス
2009 年度
作品タイトル
放映期間
制作クレジット
製作
鉄 腕 バ ー デ ィ ー
1月
制作:A-1 Pictures
PROJECT BIRDY
4月
制作:A-1 Pictures
PROJECT
DECODE02
戦場のヴァルキュリア
VALKYRIA
FAIRY TAIL
10 月
制作:A-1 Pictures/サテラ
フェアリーテイル製
イト
作ギルド
制作クレジット
製作
2008 年度
作品タイトル
放映期間
タカネの自転車
(第 6 回アニマ 制作:A-1 Pictures
A-1 Pictures、アニ
ックス大賞受賞
マックスブロードキ
作品)
ャスト・ジャパン
PERSONA - Trinity
1月
制作:A-1 Pictures
Soul-
ペルソナ~トリニテ
ィ・ソウル~製作委
員会
鉄 腕 バ ー デ ィ ー
7月
制作:A-1 Pictures
PROJECT BIRDY
10 月
制作:A-1 Pictures
記述なし
DECODE
かんなぎ
プロダクション協力:Ordet
黒執事
10 月
制作:A-1 Pictures
記述なし
放映期間
制作クレジット
製作
制作:A-1 Pictures
杉並区
2007 年度
作品タイトル
なみすけ
おおきく振りかぶって
4月
制作:A-1 Pictures
おお振り製作委員会
ロビーとケロビー
4月
制作:A-1 Pictures
テレビ大阪、アニプ
レックス、ウィーヴ、
読売広告社
2006 年度
48
作品タイトル
放映期間
制作クレジット
製作
ぜんまいざむらい
4月
制作:A-1 Pictures、ノーサ
アニプレックス、小
イド
学館
淵井鏑、茶屋町勝呂「アニメ化記念特別対談」、
「咎狗の血」TV アニメ化記念スペシャル
冊子、
『コミックビーズログ キュン!』vol.7(2010 年 11 月号)附録。
2 淵井鏑、茶屋町勝呂、前掲「アニメ化記念特別対談」
。
3 「あのひと検索 SPYSEE」
の紺野直幸に関する記述より(投稿者:tweet by shanhai_riru、
コメント書き込み日:2010 年 11 月 4 日)
。URL:
http://spysee.jp/%E7%B4%BA%E9%87%8E%E7%9B%B4%E5%B9%B8/58011/(2010 年
11 月 6 日確認)
。
4 ブログ「アニメ・マジメ
背景・作画からキャラクタ・ストーリーまで真面目にアニメ
を語る。のか?」の『咎狗の血』第 2 話に対するコメントより。URL:
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/621277/524102/65485239(2010 年 11 月 6 日確認)。
5 A-1 Pictures ホームページの「企業情報」より。URL:
http://www.a1p.jp/company/information.html(2010 年 11 月 7 日確認)。
6 紺野直幸と淵井鏑の対談、
『ニュータイプ』2010 年 6 月号、47 ページ。
7 アニメ『咎狗の血』公式ホームページの「CAST & STAFF」より。URL:
http://www.togainu.tv/staff/index.html(2010 年 11 月 6 日確認)
。
8 公正取引委員会事務総局「アニメーション産業に関する実態調査報告書」
、3 ページ。同
報告書は公正取引委員会ホームページの「実態調査報告書」→「流通実態・取引慣行に関
する実態調査」→「アニメーション産業に関する実態調査報告書」よりダウンロード可能。
URL:http://www.jftc.go.jp/pressrelease/cyosa-ryutu.html(2010 年 11 月 6 日確認)
9 Picture Magic ホームページの「会社概要」より。URL:
http://www.picma.jp/page2/outline.htm(2010 年 11 月 6 日確認)
。
10 ネットに出回っている複数の情報では、紺野監督の「暴言」とされるものは「アホはパ
ース引けねぇのか」
「どうやったらこうなるのか理解出来ねぇよ」
「ヘタクソの絵は見たく
ねぇんだよ」
「だから、絵コンテどおりにやれよ」というもの。この「暴言」に対しては賛
否両論があるが、ネットの書き込みから受ける印象では、作画レベルの低さに憤っていた
ファンの大半が紺野監督の支持に回っているようである。
11 A-1 Pictures ホームページの「ごあいさつ」より。URL:
http://www.a1p.jp/company/index.html(2010 年 11 月 6 日確認)
。
12 宮崎駿の場合は鈴木敏夫などがいた。鈴木敏夫『仕事道楽――スタジオジブリの現場』
(岩波新書、2008 年)
。
13 AG-ONE ホームページの「設立の背景と目的」より。URL:
http://www.agone.co.jp/establishment.html(2010 年 12 月 23 日確認)。
14 Picture Magic ホームページの「関連作品」より。URL:http://www.picma.jp/ (2010
年 12 月 23 日確認)
。
15 前掲「アニメーション産業に関する実態調査報告書」
。
16 『DIAMOND online』の「
「アニメ業界の下請いじめ」が明らかに。夢描く業界で蔓延
する製作現場の疲弊――悪しき商習慣是正のため、経産省がガイドライン策定へ」(2009
年)より。URL:http://diamond.jp/articles/-/2542(2010 年 11 月 6 日確認)
。
17 前掲「アニメーション産業に関する実態調査報告書」10 ページ。
18 前掲「アニメーション産業に関する実態調査報告書」10 ページ。
1
49
ブログ「ダ・ニッキ」より。URL:http://d.hatena.ne.jp/negirin/20071015/1192459928
(2010 年 11 月 8 日確認)
。
20 A-1 Pictures ホームページの「WORKS」より。URL:http://www.a1p.jp/works/(2010
年 11 月 9 日確認)
。
21『電撃オンライン』に掲載された「テレビ東京×アニプレックスの新プロジェクト“ア
ニメノチカラ”を発表!」より(2009 年 8 月 11 日)。URL:
http://news.dengeki.com/elem/000/000/186/186035/(2010 年 12 月 29 日確認)
。
22 『まんたんウェブ』に掲載された「アニメノチカラ :テレ東とアニプレックスの新企
画 第1弾は「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」」
(2010 年 3 月 14 日)より。URL:
http://mantan-web.jp/2010/03/14/20100313mog00m200017000c.html(2010 年 12 月 29
日確認)。
23『まんたんウェブ』に掲載された「アニメ質問状:
「世紀末オカルト学院」オカルト題材
にコメディーを 元社長の企画が実現」
(2010 年 8 月 21 日)より。URL:
http://mantan-web.jp/2010/08/21/20100820dog00m200053000c.html(2010 年 12 月 29
日確認)。
24 Sony Music Group Company のホームページにおけるプレスリリース「子会社の商号
変更について」
(2003 年 3 月 6 日)より。
http://www.sme.co.jp/pressrelease/20030306_scu.html(2010 年 12 月 24 日確認)。
25 A-1 Pictures ホームページの「企業情報」より。URL:
http://www.a1p.jp/company/information.html(2010 年 12 月 12 日確認)
。
26 アニプレックスホームページの「企業概要」より。URL:
http://www.aniplex.co.jp/company/index.html(2010 年 12 月 12 日確認)
。
27 「日本映画データベース」より。URL:http://www.jmdb.ne.jp/person/p0194310.htm
(2010 年 12 月 12 日確認)
。同データベースは、そのサイト説明によれば「一般に公開さ
れている情報をもとに、日本映画及び日本人がかかわった映画に関する情報を提供」して
いるものである。映画ファンによって私的に構築・運営されているデータベースと思われ
る。
28『ITmedia』に掲載された次のニュース記事より。
「植田益朗氏がアニプレックスのプロ
デューサーに」
(2003 年 10 月 20 日)URL:
http://gamez.itmedia.co.jp/games/gsnews/0310/20/news08.html(2010 年 12 月 12 日確認)
。
29 ソニーが凋落したとする見解は、たとえばソニーを辞職した元ソニー社員の辻野晃一郎
の書籍などに見出せる。辻野晃一郎『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてく
れた』
(新潮社、2010 年)
。
30 高橋伸夫『虚妄の成果主義
日本型年功制復活のススメ』(ちくま文庫、2010 年)。
31 現在の深夜アニメはほぼ DVD を販売するための宣伝手段として位置付けられている。
前掲「アニメーション産業に関する実態調査報告書」、9 ページ。また、深夜アニメには 1
クールものが増加している。
32 本書の執筆者は「腐女子」を自称し、筆者も執筆の段階で女性が関与した可能性を否定
しない。だがすでにアマゾンレビューにおいても指摘されているように、この書籍の論調
は非常に男性目線である。なお、アフタヌーン新書とは、男性向けオタク誌『メカビ』の
元編集者らが創設した新書レーベルである。腐女子シンジケート『なぜ、腐女子は男尊女
卑なのか? オタクの恋愛とセックス事情』
(アフタヌーン新書、2009 年)
。
33 J.C.STAFF のホームページより。URL:
http://www.jcstaff.co.jp/kaisha/kaisyagaiyo/gaiyo2-2.gif(2010 年 11 月 8 日確認)
。
34『咎狗の血』の公式コミカライズは現在で 3 バージョンあるが、いずれのコミックも角
川グループホールディングス傘下の会社から出版されている。茶屋町勝呂『咎狗の血』7 巻
まで刊行中、
(エンターブレイン社、2006 年~)
、山本佳奈『咎狗の血』全 1 巻(アスキー・
19
50
メディアワークス社、2008 年)
、森田柚花『咎狗の血 True Blood』全 1 巻(角川書店、
2009 年)
。
35 Production I.G ホームページの「I.G な人々」→「スタッフアンケート」→「1 スタの
人々」に掲載されている原画・作監・キャラクターデザイン後藤隆幸のコメントより。
36『Business Media 誠』の次の記事より。「20 代アニメーターの平均月収は 10 万円以
下――アニメ産業が抱える問題点とは?」URL:
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/28/news016.html(2010 年 12 月 27 日確認)
37『バンダイチャンネル』のボンズ特集より。URL:
http://animejapan.cplaza.ne.jp/b-ch/bones_sp/index.html(2010 年 9 月 11 日確認)。
38 イアン・コンドリー「細田守、絵コンテ、アニメの魂」
、黒沢清他編『日本映画は生き
ている 第 6 巻 越境するアニメ』岩波書店、2010 年。
39 『Business Media 誠』の次の記事より。
「20 代アニメーターの平均月収は 10 万円以
下――アニメ産業が抱える問題点とは?」URL:
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/28/news016_3.html(2010 年 12 月 27 日確認)
40『Nikkei BPnet』の次の記事より。
「石川光久、アニメビジネスを変えた男 第四回 ア
ニメーターに高給を支払った最初の経営者」
(2005 年 10 月 27 日)URL:
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/person/ig/051027_seikasyugi/(2010 年 12 月 12 日確
認)
。
41 なお、日本アニメーター・演出協会が 2008 年 10 月から 2009 年 2 月まで行なった調査
によれば、アニメーターの平均年収は 20 代が 110 万 4000 円、30 代が 213 万 9000 円だと
いう。
『Business Media 誠』の次の記事より。「20 代アニメーターの平均月収は 10 万円
以下――アニメ産業が抱える問題点とは?」URL:
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/28/news016.html(2010 年 12 月 27 日確認)
42 Production I.G ホームページの「I.G な人々」→「石川コラム」→「セレクション 14
[石川流]
」
。URL:http://www.production-ig.co.jp/contents/people/2006/03/post_51.html
(2010 年 11 月 6 日確認)
。
43 高橋伸夫、前掲書。
44 Production I.G ホームページの「スタジオ紹介」→「第 1 回第 1 スタジオ
その 1」よ
り。URL:http://www.production-ig.co.jp/contents/people/03_/index.html(2010 年 12 月
23 日確認)
。
45 内田樹、
「読者はどこにいるのか」、
『街場のメディア論』(光文社新書、2010 年)。
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