リバタリアニズムの立場その2

学科共通科目(2011年度)
哲学・思想の基礎
第12回 倫理的な正しさとは
何か その2-2
リバタリアニズムの立場
2.5 配分的正義
「配分」という概念に関して、中央の配分〔機関〕(central
distribution)などというものはないのであり、すべての資源が
いかに分け与えられるべきかを合議で決定しているような、
それら資源を自由にする[支配する](control)資格〔権原〕を
もった人またはグループなどはない。各人は自分の得るもの
を他者から得るのであり、その他者は〔それを〕何かと交換に、
または贈り物として、彼に与えるのである。自由社会におい
ては、諸々の人びとは異なった資源を自由に〔支配〕している。
そして新たな保有物(holdings)は、人びとの随意的な交換と
行為から生じる。全体の結果は、多数の個々の決断によっ
て生まれたものであり、それら個々の決断は、それに関与し
ている個々人が行う資格〔権原〕をもっているのである (ノー
ジック『アナーキー・国家・ユートピア』254頁; p.149-150)。
権原理論(entitle theory)
保有物の正義という主題は、三つの中心的論題か
らなる。第一は、保有物の原始獲得(original
acquisition)、つまり誰にも保有されていない物の占
有である。ここに含まれるものとして、いかにして保
有されていない物が保有されるようになりうるか、つ
まり保有されていない物が保有されるに至る一つま
たは複数の手続き、および、これらの手続きによっ
て保有が可能となるさまざまな物、つまり、特定の
手続きによって保有されるに至るものの範囲、等々
の論点がある。この論題に関する真理は獲得〔に関
して〕の正義の原理と呼ばれる。 →続く
第二の論題は、ある人から別の人への保有物の移
転〔譲渡〕に関連する。いかなる手続きによって、人
は別の人に保有物を移転することができるのか。人
はいかにして、ある保有物を保有者から得ることが
できるのか。この論題の下には、随意的交換と贈与
と(その反面としての)詐欺についての一般的記述、
そして与えられた社会において決まっている具体的
な慣習上の細〔部規〕則への言及などが入る。この
主題に関する真理は、移転〔に関して〕の正義の原
理と呼ばれる。もし世界が総体として正しいのであ
れば、次の帰納的定義が、保有物の正義という主
題全体をカバーする。
権原理論
• 1.獲得の正義の原理に従って保有物を獲得
する者は、その保有物に対する資格〔権原〕
をもつ。
• 2.ある保有物に対する資格〔権原〕をもつ者
から移転の原理に従ってその保有物を得る
者は、その保有物に対する資格〔権原〕をも
つ。
• 3. 1と2の(反復)適用の場合を除いて、保有
物に対する資格〔権原〕をもつ者はいない。
配分的正義の原則
〔この場合〕配分的正義の完全な原則は、単
に次のように言うにすぎないであろう。すべて
の者が、ある配分の下で彼の所有している保
有物に対して上記の意味で権原をもつならば、
その配分は正しい(ノージック『アナーキー・国家・ユー
トピア』255-256頁; p.150-151)。
2.6 ロールズの格差原理
に対する批判
ノージックは、ロールズの格差原理を批判す
る。サンデルによれば、格差原理にノージック
が反論するさい、焦点の中心となるのは、自
然の才能の分配(natural talents)が、社会全
体を通して共有されるべき、「共通の」
(common)あるいは「集団の」(collective)所
有とみなされるのが最善であるというロール
ズの見解である(サンデル『リベラリズムと正義の限界』
87頁; p.77)。
ロールズの格差原理の説明
ロールズは次のように述べている。「格差原理は、生
まれつきの才能の分配・分布をいくつかの点で共通
の資産(common asset)と見なし、この分配・分布の
相互補完性によって可能となる多大な社会的・経済
的諸便益を分かち合おうとする、ひとつの合意を実
質的に表している」(ロールズ『改訂版 正義論』136-137
頁; p.87)。「・・・二原理は生来の才能の分配・分布を、
ある点では、集合的な資産と見なすという取り組み
に等しい。それゆえ、より幸運な人びとは不運にも
負け組となった人びとを助けるという仕方でのみ、
便益を得るべきだとされる(第17節)」(ロールズ『改訂
版 正義論』243頁; p.156)。
ノージックの見解
サンデルによれば、ノージックの議論では、人
びとの資産を共通財産とみなすことは、個人
の不可侵性や人格間の区分を強調すること
に含まれる、義務論的リベラリズムのあらゆ
る主張にまさに矛盾することになる(サンデル『リ
ベラリズムと正義の限界』88頁; p.78)。
ノージックの見解
「自然の才能を共通資産とみなすことをいか
に考えるかは、人によって相違するであろう。
ある者は、ロールズの功利主義批判を思わ
せるように、これは「人格間の区分を真剣に
考えていない」と不満を言うであろうし、また
彼らは、人の能力と才能を他者のための資
力として取り扱うことは、カントの思想を再構
築することとして適切かどうか疑問に思うであ
ろう」(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』376-377
頁; p.228)。 →続く
人びとのさまざまな才能と能力は、自由な共同体
にとっての財産である。それをもつ人がいることから
その共同体の他の人びとは利益を受け、彼らが他
の所にいたり、どこにもいなかったりせずにそこにい
ることのために他の人びとの立場は良くなる。自由
社会では、人びとのさまざまな才能はそれをもつ者
だけでなく、他の者たちをも益するのである。さらに
それ以上の利益を他の者たちのために抜き取るこ
とが、人びとの自然資産を集団資産として扱うことを
正当化すると想定されるのだろうか、とノージックは
疑問を投げかける(ノージック『アナーキー・国家・ユートピ
ア』377頁; p.228-229)。