天津学生の勘定方法に見る、中国人の面子

総合科目B
中国短期留学
天津学生の勘定方法に見る、中国人の面子
理学部物理学科
西口周作
今回私たちは外国人として中国を訪問するので、日本を出発する前に、事前
学習として、中国の文化について簡単に調べました。そこでわかった興味深い
習慣として、
“中国には割り勘の概念がない”というものがありました。友人間
で貸し借りの概念があるため、支払いはいつも誰か 1 人がするというのです。
しかし、私はこれを見たとき、果たして本当にそうなのだろうか、疑問に思
いました。支払額が大きい場合、1 人で全額を支払うのは難しいと思います。た
とえば、一般的な価格帯の店で 10 人ほどが食事をした場合、合計で 300 元ほど
かかります。天津の物価を考慮すれば、これはかなりの大金でしょう。よって
学生の場合は、毎回全額を支払うのは厳しいのではないかと予想しました。
そのような考えを抱きつつ、私たち東工大一行は天津にやってきました。天
津社会科学院の学生たちとも知り合いになり、一緒に出掛けたり、食事をした
りすることになります。ここで、いよいよ勘定の現場を見ることができます。
まず、交通機関について。バスは 1 人あたり1元ないしは 1.5 元なので、全
員分を支払っても20元もしません。これは問題なく誰かが立て替えていまし
た。また、タクシーについても、一回の移動に1台20元以上かかることはな
かったため、いつも助手席に坐った中国人が支払ってくれました。
次に、ペットボトルの水のような小額の飲食物について。こちらも、合計額
が10元やそこらである場合、誰か1人が全額支払うというのが普通のようで
した。
こういった小額の出費に対しては、毎回誰かが全額をおごり、その後は別の
機会に他の人がおごることで、全体としては貸し借りがないようにもっていっ
ているようでした。つまり、小額の場合、伝統的なおごり合いは確かに実践さ
れていたのです。
さて、それでは支払額が高額となる場合はどうでしょうか。たとえば、レス
トランでの食事のようなときです。天津の学生たちに食事に連れて行ってもら
ったときは、多いときでトータル 20 人くらいの大人数でした。合計金額は60
0元を越え、日本円換算でも一万円に近い大金です。ましてや、100 元札が日本
の 1 万円札くらいの効力を持つ、天津の物価を考慮すればこれはすごい額です。
彼らがそんなに大金を持ち歩いているようには見えません。実際、このときの
支払いは割り勘でした。さすがの彼らも、1 人ではとても支払えないくらい高額
なときは、おごろうとはしないようです。
しかし、このように極端に高額な場合を除き、中国人の学生たちは 100 元く
らいまでなら頑張っておごろうとしてくるのです。日本で 1 万円の食事代を学
生がおごるなんてことは、滅多にあることではないでしょう。中国人が 100 元
をおごるという行為、これは相当無理をしていると思います。こうまでして彼
らが全員分のお金を支払おうとするのには、どういった意味があるのでしょう
か。
これを考えるために、人が他人に何かをおごるとき、考えられる行動理由を
あげてみましょう。まず、お金が有り余っている場合、他にこれといった理由
がなくてもおごってあげるでしょう。次に、そんなにお金が余っていない場合
です。それでもまだおごろうとするわけですから、何かしらその投資に見合っ
た実利的なリターンを期待しているということが考えられます。つまり、一度
恩を売ることでそれ相応の恩返しを期待しているわけです。最後に、お金が余
っていないにもかかわらず、実利的な見返りを期待せずにおごるというパター
ンです。これは、純粋に自分を高く見せたい、つまり見栄を張っているのです。
以上より、人が何かをおごるときの行動理由を 3 つに分類してみます。
1.ただ単にお金が有り余っている
2.恩を着せることで見返りを期待する
3.面子を保つために見栄をはる
これらの3つの行動理由を、天津の場合にあてはめて考察してみましょう。
まず、平均給与が日本の数分の一しかない中国という国、そして学生という立
場で、1.という選択肢はありえません。また、2.のように、恩を着せてお
くことで後々の見返りを期待しているわけではないでしょう。彼らの行動パタ
ーンはもっと直感的・感情的であり、打算的に見返りを期待しておごっている
ようには見えません。
そうなると、やはり有力なのは3.ではないでしょうか。彼らは皆に何かを
おごることにより、自分が「経済的に余裕があり、気前の良い人間」と評価さ
れたいようです。彼らは面子を、日本人の比ではないほどに重視します。面子
がつぶれる事態を避けるためには、かなり見栄をはって無理をしてでも、多額
の出費に耐えようとするのです。
彼らにとって、おごるということ自体が面子を保つための行為であるため、
私たちは下手に遠慮して彼らのおごりの申し出を断るべきではないと思います。
“おごろうとしたのに、断られた”ということは、
“おごれるほどの経済力はな
いと、自分を否定された”ことに等しいと受け取られ得るからです。
一般に、良好な対人関係を築くためには、金銭的な貸し借りはなるべくない
のが理想です。しかし、中国人との場合は、毎回割り勘をするといった行為は
相手の面子を傷つけかねないので、避けるべきです。支払ってきた金額がおお
むね平等になるように、おごりつおごられつという形で付き合っていく方が、
中国人との関係を築いていく上では、よりスマートな方法であると考えます。