焦点:国際法と領土問題

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INTERNATIONAL AFFAIRS
電子版
◎巻頭エッセイ◎
疆域、
版図、
邦土、
そして領域
柳原正治─1
国際裁判による領域紛争の解決
酒井啓亘─ 5
最近の国際司法裁判所の判例の動向
領土帰属法理の構造
許
淑娟─ 20
権原とeffectivitésをめぐる誤解も含めて
領土帰属判断における関連要素の考慮
深町朋子─ 35
近代国家の形成と
「国境」 明石欽司─ 44
フランス・スペイン間国境画定史を題材として
●国際問題月表
2013年6月1日−30日─ 56
2013年7月1日−31日─ 64
公益財団法人
http://www.jiia.or.jp/
◎ 巻頭エッセイ ◎
Yanagihara Masaharu
近代ヨーロッパ国際法における領域
国家が排他的に支配する地域、言い換えれば領域主権が及ぶ地域が領域である。
ある地域(主物としての陸地。水域と空域は従物とみなされる)がどの国家の領域(領
土)として取得されるかということは、領域権原論という法的枠組みにより論じら
れる。これに対して、合併、分離独立、分裂など、どのようなかたちで新国家が成
立しても、その領域は領域権原論とはまったく異なる理論的根拠により説明されて
きた。新国家が実効的に支配する地域は、その国家が国際法上の国家として成立す
る時点で、その国家の領域とみなされる。すなわち、新国家の領域の理論的根拠は、
実効的支配という事実と他国による国家承認に求められてきた(もっとも、国家承認
。
の効果については、創設的効果説と宣言的効果説が対立している)
地球上のある地域が領域とみなされる場合は、これら 2 つの場合以外にもうひと
つあると考えられる。国際法の成立の時点で存在していた国家の領域である。一定
の数の国家群が存在しなければ、国際法の存在そのものも想定できない。国家群の
存在と国際法の存在は表裏一体である。そうした国家の領域もまた所与の事実と考
えなければならない。イングランドやフランスなどの中核的な領域は以上のような
かたちで説明されるのが合理的である(後に述べる「古来の権原」、「原初的権原」、「歴
史的権原」をも参照)
。
「領域」をめぐる理論の歴史
以上のような領域や領域主権や領域権原の考え方が確立していったのは、19 世紀
後半から 20 世紀初頭にかけてである。16 世紀から 18 世紀の、それぞれの世紀を代表
する、ビトリア、グロティウス、ヴァッテルの 3 人の学者にも、他の学者たちにも、
「領域権原」論はみられない。ビトリアやグロティウスにあっては、いまだ近代的な
「領域」の考えがそもそも成熟していなかった。ヴァッテルは、近代的な領域主権に
近い考えを唱えているものの、領域取得・喪失の原因をまとめて論じているわけで
はなかった。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 1
◎ 巻頭エッセイ◎ 疆域、版図、邦土、そして領域
19 世紀になり、国家主権(「国家所有権」、「国家領域権」、「領域主権」など名称はさ
まざま)が排他的に及ぶ「
(国家)領域」という観念が次第に支配的となっていった
(ただし、その権利が所有権的性格のものか、支配権的性格のものかをめぐっては、意見
の一致はみられなかった)。それとともに、どのようにして領域への編入がなされる
かを、
「国家領域権の取得の態様」
、あるいは「国家領域に対する権原」というカテ
ゴリーの下に一括して論じるというスタイルもほぼ確立していった。もっとも、領
域への編入に関する当時の国際法理論、および、英国の法務官報告書(Law Officers’
Reports)などを精査してみると、先占と割譲と征服の 3 つを領域権原とするというこ
とについてはほぼ一致がみられるものの、それ以外については千差万別であり、一
定のスタンダードな理論が存在していたと言えるような状況にはなかった。領域権
原の方式として、先占、添附、割譲、征服、時効の 5 つを挙げる、
「伝統的な」理論
が19 世紀中葉から国際法学を支配してきたわけではけっしてない。
異なる「領域」概念の存在
以上のような領域国家としての近代国家と、それ以外の「国家」―たとえば、
古代ギリシャの都市国家(アテネやスパルタなど)、古代ローマ帝国、中国の歴代の
諸王朝(秦、漢、元、明など)、イスラーム世界の諸王朝(ウマイヤ朝やアッバース朝
、明治維新以前の「日本」など―とは、その本質を異にする存在なのであろ
など)
うか。
それらの「国家」も、一定の地域をなんらかのかたちで「支配」する「政治体」
であったことは間違いない。しかし、そこには、上述したような意味での「領域」
という概念はみられない。たとえば、中国の古来の「疆域(あるいは版図)」や「邦
土」の概念、近世日本における「版図」
、
「所領」
、
「化外の地」
、
「異国境」の概念な
どは、近代ヨーロッパの「領域」や「国境」とは異なっていた。非西洋諸国、とく
に東方の諸国(オスマン帝国、ペルシア、シャム、中国、朝鮮、日本など)は、それぞ
れに固有の「世界秩序」の下に存立していたが、19 世紀初頭ぐらいからの、西洋諸
国との接触のなかで、近代ヨーロッパ国際法上の「領域」や「国境」という概念を、
自らの「国家」に適用することが求められていった。言い換えれば、西洋諸国の圧
倒的な軍事的優位の下に、西洋諸国との関係は、近代ヨーロッパ国際法に基づいて
行なうことを強要されていった。それらの国家は近代ヨーロッパ国際法を受容し、
その「領域」概念も受け入れて領域国家として再編されて、現在に至っている(こ
の点について詳しくは、柳原正治「幕末期・明治初期の『領域』概念に関する一考察」、
松田竹男ほか編『現代国際法の思想と構造Ⅰ 歴史、国家、機構、条約、人権』
〔東信堂、
。
2012 年〕
、45―73ページ参照)
そうであるとすれば、それぞれの地域に固有な「領域」概念が存在していたとい
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 2
◎ 巻頭エッセイ◎ 疆域、版図、邦土、そして領域
う事実は、もはや単に歴史的興味の対象にすぎず、現在では切実な現実問題となる
ことはまったくないと考えてよいのであろうか。
「固有領土」論
ここではこの問題を詳細に論じる余裕はないので、日本(さらに最近では韓国)が
主張している「固有領土」論についてのみ、ごく簡略に説明しておきたい。この理
論については、
「我が国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、いまだかつ
て一度も外国の領土となったことがない」ことを主張するものと捉えるか(北方領土
の例)
、
「韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、
韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されて」おらず、
「遅くとも江戸時代初期にあたる 17 世紀半ばには、竹島の領有権を確立し」たこと
を主張するものと捉えるか(竹島の例)という点で、力点の置かれ方に相違がみられ
る。ただ、この理論が、日本が 19 世紀中葉に近代国際法を受容し、その領域論に従
って領域を確定する以前に「領有権」が確立していたと主張するものであるとすれ
ば、近代ヨーロッパ国際法上の「領有権」、「領域主権」、「国境」などの諸概念を、
他の時代、他の地域にストレートに持ち込んでいいかということがただちに問題と
なる。
それらの時代、それらの地域に固有の「領有意識」とか「境界意識」といったも
のが存在したことはあらためて言うまでもない。問題はしかし、そうした概念と近
代ヨーロッパ的な領有権概念とを連続的に捉えることができるかという点にある。
領域紛争の法的解決
国際裁判で領域(領土)紛争や海洋境界画定紛争の解決が目指されることが、最
近多くなっている。裁判での解決のためには、
「紛争」の存在が関係当事国間で承認
されることが第 1 の関門である。そして、裁判所に付託することについての合意が 2
番目の関門となる。それらの関門がクリアされても、次には、裁判において、どの
ような国際法上の法理を適用するかという問題がある(この点については本特集の各
論文を参照いただきたい)。領域権原論が裁判の場においてはほとんど有用な役割を
果たしていないという事実は、つとに指摘されてきたことである。
さらに、
「固有領土」論について述べたように、有史以来の歴史をどのような観点
から評価するかという難問が存在する。この点は、とりわけ非西洋諸国にあてはま
る。尖閣諸島や南沙諸島などについて中国が現在主張しているように思われる、伝
統的「疆域」観あるいは華夷秩序も、こうした文脈のなかで捉えられる(松井芳郎
「尖閣諸島について考える―国際法の観点から(2)
」『法律時報』85 巻 2 号〔2013 年〕、
。この論点は、国際裁判において、
「古来の権原」
、
「原初的権原」
、
67―69 ページ参照)
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 3
◎ 巻頭エッセイ◎ 疆域、版図、邦土、そして領域
「歴史的権原」をどのように評価するかというかたちで問題設定されてきている
(1953 年マンキエ・エクレオ事件国際司法裁判所〔ICJ〕判決、1992 年エルサルバドル = ホ
ンジュラス陸地・島・海洋境界事件 ICJ 判決、1998 年エリトリア = イエメン事件仲裁裁判
。
〔第1 段階〕
、2008 年ペドラ・ブランカ事件 ICJ判決など)
領域紛争を法的に解決することはけっして容易ではない。歴史的な観点をも十分
なかたちで取り込んだ、包括的な取り組みが求められている。そのさい、
「現にある
国際法」が果たしている役割を過小評価してはならないし、その一方で、
「あるべき
国際法」を構想すべきであることも忘れてはならない。国際法は「キメラ」
(あるい
は神話)でも「万能薬」でもなく、
「いっそう健全な国際秩序を構築するために活用
(J ・ブライアリー『国際法』
〔1928
可能な、もろもろの制度のひとつにほかならない」
年〕
)のである。
やなぎはら・まさはる
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 4
九州大学教授
Sakai Hironobu
はじめに
国家間の対立を国際裁判やそれに類する第三者機関の裁定で解決するということは、世
界貿易機関(WTO)の紛争解決手続などのような限られた分野を除けば、それほど頻繁に行
なわれることではないように思われるかもしれない。ましてや、国家主権の行使範囲の画
定・規律に関係し、それゆえ国家にとっては重大な利益にかかわる国家領域や国境画定を
めぐる紛争が国際裁判に付託されるということは、さらにまれであるはずである。
もっとも、国際司法裁判所(ICJ)は最近 10 年で領域紛争や国境線の画定問題に関係する
判決を 7 件出しており、2013 年 8 月 19 日現在でなお 4 件(うち 2 件は併合審理)の事件が係属
している(1)。その間に ICJ に係属した争訟事件が 30 件ほどあることも考えれば、意外に領域
問題が ICJ に付託されており、現実には国際裁判で領域紛争が解決されることはそれほど珍
しいわけではないようにもみえる。
それでは、上記のような性質を有する領域紛争や国境画定紛争がいかにして国際裁判で
取り上げられ解決されるのであろうか。本稿では、最近の ICJ の判例を手がかりに、島を含
む領土に関する領域紛争や陸地の国境画定紛争が国際裁判でどのように解決されているの
かを概観し、その特徴を指摘することにしたい。
1 領域紛争の解決手段としての国際裁判の利用
(1) 国際裁判への付託条件
① 領域にかかる「紛争」の存在
国際裁判による「紛争(dispute)」の解決が可能であるためには、当事国間で提起されて
いる争点が裁判に適するほど具体化されていることを要する。この点につき常設国際司法
裁判所(PCIJ)は、
「紛争」とは、二当事国間の「法または事実の点に関する不一致」であ
り、
「法的見解または利益の衝突」であるとし(マヴロマティス・パレスタイン特許事件判決
、この定義が ICJ でも繰り返し引用されてきた(インド領通行
参照。P.C.I.J. Series A, No. 2, p. 11)
権事件本案判決〔I.C.J. Reports 1960, p. 34〕やエルサルバドルとホンジュラスの間の領土・島及び海
。国際裁判に当事国が合意
洋境界紛争事件判決〔I.C.J. Reports 1992, p. 555, para. 326〕などを参照)
して付託する場合には、すでに「紛争」の存在を前提としている以上、
「紛争」の存否は、
通常、問題とはならない(2)。他方、ICJ への一方的付託の場合は、請求のなかで提訴国が自
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 5
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
国に有利となるように紛争主題を構成してその具体的な内容を定めるため、当該提訴国が
圧倒的に有利となる。相手国はこれに対して、
「紛争」の不存在などの妨訴抗弁を提起して
いくことになる。
裁判ではあらゆる見解の対立が「紛争」として認められるわけではない。実際にも、言
いがかりのような主張で「紛争」が惹起するわけではなく、関係国間に国際法上の「紛争」
が存在するにはそれぞれの主張に一定の正当性が必要であるとの意見もある(3)。ICJ も、領
土・海洋紛争事件(ニカラグア対コロンビア)先決的抗弁判決において、一部の群島に関す
る主権問題は 1928 年の両国間の条約によりすでに解決済みであるとして、当該群島をめぐ
っては両国間に紛争が存在しないと判示しており(I.C.J. Reports 2007, pp. 860–861, paras. 86–90)、
一定の場合には関係国による「紛争」存在の主張にかかわらず、両国間に「紛争」が存在
しないことを認めていることは明らかであろう。ただ、関係国の主張に一定の正当性があ
るかどうかを判断するのは、問題が国際裁判に付託された場合であれば、付託先の裁判所
なのであり、その主張に関係する当事国ではない。裁判所は、その司法機能を行使して紛
争の解決を要請されるのであり、その前提には紛争の存在が必要とされる。そして紛争の
存在を客観的に認定するのは、あくまで裁判所なのであり、この点で当事国の主張に裁判
所が拘束されることはないのである(国境紛争事件〔ブルキナファソ/ニジェール〕判決参照。
。
I.C.J. Reports 2013, p. _, paras. 48–49)
領域紛争の場合、現実に問題の領域を実効的に支配している側は、容易には紛争の存在
を認めることはなく、領有権をめぐる交渉に率先して応じることも多くはない。領有は問
題の地域の永続的支配こそがその目的となるのだから、実際に支配している側が有利な立
場にあるからである。したがって相手国からすると、領有問題そのものを「紛争」化させ、
両国間で交渉のテーマとするには、当該領有問題以外の別の論点を取引材料として導入す
ることなど別の方策が必要となる。その意味で、関係国間において「紛争」の存在のみな
らず、その範囲について見解が一致するということは、両国間で交渉を行ない、その過程
で論点を整理することによってしか実現しにくい(4)。領域問題を ICJ が扱う事例のほとんど
が合意付託であるということにはそうした理由も含まれているのである。
② 領域紛争と「裁判可能な」紛争
領土帰属をめぐる領域紛争も国際裁判に取り上げられる「紛争」であるには、
「裁判可能
な(justiciable)紛争」でなければならない。国家間で生じる紛争がすべて国際裁判による解
決に適するものとは限らないからである。とりわけ領域紛争は主権にかかわるがゆえに、
国家にとっては機微な問題として認識される。そのために、第三者機関たる国際裁判所に
その解決を求めることに消極的な態度をとることになっても不思議ではない。
たとえば ICJ の強制管轄権を諸国がどのように考えているかをみてみよう。2013 年 8 月 19
日現在、70 ヵ国が ICJ 規程第 36 条 2 項に基づき同裁判所の管轄権を受諾する宣言を行なって
いるが、そのうち、自国に関係する領域紛争や国境紛争にかかる問題について管轄権を除
外する留保を付しているのは 8 ヵ国のみである。意外と少ないように感じられるが、自国の
国内管轄事項にかかる問題を管轄権から除外する留保を付している諸国も 26 ヵ国あること
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 6
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
を考慮すると、選択条項受諾宣言を行なった国のおよそ半分は領域紛争の一方的付託につ
いて管轄権を拒否しうると主張できることになる。そもそも ICJ の強制管轄権自体を認めて
いない諸国が 130 ヵ国近くも存在するということを考慮すれば、領域や国境線をめぐって他
国から紛争の存在を主張される問題を抱える国の多くは、自国の領域にかかる問題につき
留保を付したうえで選択条項を受諾するか、ICJ の強制管轄権をまったく認めないという立
場に立っていると言えよう(5)。
ただ、留意したいのは、選択条項受諾宣言において留保を付さなければ領域紛争もまた
裁判所の管轄権のもとで判断されうる法律的紛争であるという認識が諸国間で醸成されて
いるという点である。これは、領域の取得が権原(title)に基づいて主張されてきたためで
あり、それ自体は権利性をめぐる法的な議論として構成されているからである。
国際裁判の利点のひとつは、
「脱政治化」された紛争を法的に解決することにより達成さ
れた平和を永続化することである。二当事国間の抗争(conflicts)には、政治的、経済的、宗
教的、民族的その他さまざまな性質の側面が含まれているが、なかでも法的側面に焦点を
当ててこれを解決することが裁判所の任務とされる。裁判所に付託される紛争が裁判可能
とされる法律的紛争に該当するかどうか、そして該当するとすればそれはいかなる範囲に
おいてかということは、当初の段階では、当該紛争を付託する国が、一方的にまたは合意
により主張するが、最終的には裁判所が判断することになる。そうした紛争の定式化の過
程において抗争は「脱政治化」されるのであるが、国家の領域主権にかかわる領域紛争の
場合、
「脱政治化」が可能な条件は現実には限られている。それは、島や岩、周辺部の地域
など、わずかな部分の領域をめぐる紛争しか実際の国際裁判の対象とはなっていないこと
から明らかであろう(6)。
しかし、さらに重要なのは、
「脱政治化」される紛争の範囲を確定する過程において、裁
判所は、自らが後に下す判断を関係国が受け入れやすいように、あらかじめ配慮する傾向
があるということである。領域問題の「脱政治化」に向けての検討が、関係国の政策的考
慮を通じて、そして最終的には裁判所の司法政策に基づいて行なわれることになるのであ
る。
(2) 国際裁判に影響を及ぼす領域紛争の特徴
それでは、領域紛争が裁判に付託された場合、裁判所はどのような領域紛争の特徴に留
意するのであろうか。
① 領域及び国境画定の安定性確保
国家領域は国家主権に属地的性格を付与し、国境線はその行使の領域的範囲を限界づけ
る。こうした国家領域を限界づける国境線は、国家間関係の安寧を確実なものにするため
にも、いたずらに変更されず、確定的であることがのぞましい(プレア・ヴィヘア寺院事件本
。規範的には、
「国際法上、実際にかつ長期間にわたり存
案判決参照。I.C.J. Reports 1962, p. 34)
在する事態を可能な限り変更しないようにすることは十分に確立した原則」だからであり
(グリスバダルナ事件仲裁裁定参照。Reports of International Arbitral Awards〔R.I.A.A.〕
, Vol. XI, p. 161)
、
実践的には、領域や国境線の安定性が害されることは関係国間の緊張を高め、場合によっ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 7
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
ては武力衝突のような国際の平和と安全を脅かすような事態にもなりかねないからである。
もっとも、たとえばいったん関係国間で合意されれば国境線の安定性という「基本的な
原則」
(領土紛争事件〔リビア/チャド〕判決参照。I.C.J. Reports 1994, p. 37, para. 72)が妥当する
ことは確かではあるが、そのような安定性の確保は、厳格な法規則の適用に基づくものと
いうより、現実にはむしろ柔軟な司法政策による対応によって実現が目指されてきた(7)。こ
うしたことは、国際裁判において裁判所に対し以下の点を求めることにつながる。第 1 に、
安定した領域や国境線の存在を確保するため、判決の結果が新たな紛争の原因とならない
ようにその終局的性質を強調するとともに、具体的な解決が両当事国にとって受け入れ可
能なものとなるような内容を含むことである。第 2 に、そうした実体的判断を実現しうるよ
うな環境を整備するため手続上の規律を訴訟過程において行使することである。たとえば、
両当事国間で緊張が高まり、国境付近で武力衝突が発生した場合には、ICJ が仮保全措置の
指示を命じることがあるが、こうした仮保全手続も領域や国境線の安定性を確保する手段
として機能する。その本来の目的は紛争主題にかかる当事国の権利の保全であるが、紛争
の悪化・拡大の防止も目的に数えられ、衝突前の状況への回復や一定の範囲での軍隊の撤
退などが命じられることもあるからである。さらにまた、こうした紛争の悪化・拡大の防
止は、回復しがたい侵害の発生を抑制するとともに、事件に関係する証拠の保全のために
も不可欠と考えられてきた(8)。
この場合、ICJ は、法を適用して領域紛争を解決することが要請されている。ただし、紛
争の友好的解決は、国際の平和と安全の維持を主要な目的とする国際連合の司法機関であ
る ICJ にとって重要な目的であるが、そうした目的に国際法規則の厳格な適用がいつでも資
するかどうかは不確かである。当事国にとって不利な判断を容易には受け入れがたい領域
紛争についてはなおさらそうであろう。領域や国境線の安定性が関係国間の平和に直結す
る以上、そうした平和を達成するために国際法の厳格な適用がどこまで求められるのかが
問題となる。このため、紛争解決機能と法適用機能という二重機能を調和させるために裁
判所は自らの司法政策を駆使することになるのである(9)。
② 当事国が提出する証拠の取扱い
ICJ の場合、その規程上、当事国が提出する証拠の取扱いに関する手続については広範な
裁量を有していると言われているが、裁判所の証拠法規則の一つに、
「証明することの負担
は原告にかかる(actori incumbit onus probandi)」がある。これは、ある事実の存在や法の適用
を主張するのであれば当該主張を行なう側がその証明を行なうという証明責任にかかる判
例法上確立した規則である(10)。
ところで、領域紛争の場合には同一の地域に対して競合する権原や国境線の主張が唱え
られるが、提出される証拠の内容によっては事実認定が十分には行なえず、
「証明責任に関
する規則の体系的な適用を通じた解決を期待することができない」こともありうる。その
ような場合、証明責任はそれぞれの主張を行なう側にあるのであり、
「特定の主張が、それ
が依拠した事実と思われるものについて証明がなされなかったという理由で退けられても、
それは反対の主張が支持されるということにはならない」
(国境紛争事件〔ブルキナファソ/
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 8
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
マリ〕判決参照。I.C.J. Reports 1986, pp. 587–588, para. 65)のである。ただし、これは、各当事国
が自らの主張を証明する責任があるという意味である限り、先の規則に反するというわけ
ではない(11)。合意付託がほとんどである領域紛争の裁判では、原告と被告という立場の違い
は明確ではないということも、これに関係しているであろう。むしろここで重要なのは、
領域紛争をめぐる裁判の場合、各当事国の主張は、ある法律行為が有効であるとの推定か
らそれに反対する側にその旨の証明責任が課される(国境地区の主権に関する事件判決参照。
I.C.J. Reports 1959, p. 217)というような関係にあるのではなく、当事国のいずれかが自らの主
張に失敗しても、それが相手方当事国を有利にするわけではないということである(12)。
また、事件に関連する証拠について、領域紛争や国境画定紛争では、領域の帰属や割譲
に関する条約・地図・関連文書のほか、実効的支配に関係するさまざまな記録文書が両当
事国より提出される。各当事国の主張を根拠づける証拠は、事案によって 11 世紀にまでさ
かのぼることになり(マンキエ・エクレオ事件判決参照。I.C.J. Reports 1953, p. 53)、事実の認定
だけでも莫大な量の記録の精査を要する場合もある。また古い文書が問題となるだけに、
そうした文書が真正なものかどうかが問われることもないわけではない(カタールとバーレ
。
ーンの間の海洋境界画定・領土問題事件命令参照。I.C.J. Reports 1999, pp. 3–8)
裁判所は提出された証拠に基づき、いずれの当事国の主張が説得的かを判断するが、い
ずれか一方の当事国が自らの主張に失敗したからと言って、自動的に相手方当事国の主張
が受け入れられることにはならない。競合する請求のいずれが正当かを決定するのは、膨
大な証拠を含む訴答書面と口頭弁論を通じた当事国の主張内容を吟味する裁判所の役割な
のである。
③ 第三国との関係
領域権原とは特定の地域を国家が法的に取得できる根拠またはその証拠であるが、これ
によって国家は自国領域の帰属とそこでの属地的な管轄権を行使することができ、また、
そのような帰属や管轄権の行使を他国一般に対しても有効に対抗できることになる。国家
はこうした対世的な効力を有する有効な領域権原により当該権原にかかる領域を自国領域
として所有することを国際社会全体に対して有効に主張できるのである。
このようにして国家が取得する領域は客観的存在として第三国に対し対世的効力を有す
るが、第三国が領有を主張している地域に二国間で国境画定に関する合意を行なった場合
には、必ずしもこの合意が当該第三国に対抗可能というわけではない(13)。だが、実際の領
域紛争は、多くの場合、二国間で争われる。そして ICJ に付託される領域紛争も、一方的付
託であれ合意付託であれ、これまで二国間紛争として定式化されてきた。確かに ICJ の制度
上は、規程第 62 条により、問題が二国間紛争として付託されても、第三国がその手続に関
与できる訴訟参加制度が備えられてはいるが、領域問題で訴訟参加国も判決に拘束される
当事者として参加した事例はこれまでない。領土・島及び海洋境界画定事件でニカラグア
がフォンセカ湾の法的地位に関連して訴訟参加は認められたが、当事者となったわけでは
ない(I.C.J. Reports 1990, pp. 135–136, para. 102)。
ICJ では 3 ヵ国以上が領有権を争う問題をまとめて裁判で解決するというような実行は今
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 9
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
のところ存在しない。そのような場合には裁判外での交渉により別途処理が話し合われる
ことになろう。同様に、国境画定の問題についても、二国間の国境線の延長が第三国との
境界線と交わる場合、訴訟当事国がこの三国交点まで国境線の画定を裁判所に求めるので
あれば当該第三国が訴訟参加する可能性は出てくるが、現実にはそのような付託事項はこ
れまでない(14)。国際裁判は、少なくとも領域問題についてはあくまでも二国間の紛争を処
理するフォーラムとして機能しているのである。
(3) 判決後における紛争の平和的解決の実現
① 判決の効力とその実施
裁判所の判決は問題の事件に限って当事国のみを拘束する。また判決は最終的なもので、
上訴が認められることはない(15)。ICJ には判決を強制的に履行させる制度がないため、判決
の履行は当事国の任意の行動に依存せざるをえないが、実際には多くの場合、判決は比較
的よく履行されており、これは領域問題についても―両国間の合意まで時間はかかるが
―あてはまる(16)。
ただし、問題の領域について権原を否定された側が実効的支配を確立しており、さらに
住民もそこに多く存在するというような場合には、判決が必ずしも円滑に履行されるわけ
ではない。また国境線の画定についても、判決後に両当事国が専門家により構成される委
員会を設置し、判決の内容に沿って具体的な線引きを行なってこれに合意するのが通常で
あるが、そこでの線引きが両当事国にとってすぐに満足のいくものとなるかどうかはまた
別の問題である。たとえばカメルーンとナイジェリアの間の陸地及び海洋境界事件判決
(2002 年)で当時ナイジェリアが実効的に支配していたバカシ半島がカメルーン領と判断さ
れたのを受けて、ナイジェリアの軍隊が同半島からの撤退を完了したのは2008 年 8 月であっ
た(17)。さらに同事件での国境線の線引きについて、国連の支援を得て両国の混合委員会が
作業をほぼ完了したのは 2013 年 4 月のことであり、これに続いて同年 8 月にようやくバカシ
半島が正式にカメルーンに移管されたのである(18)。
② 判決履行への裁判所の関与
このように、法的拘束力ある裁判所の判決によってすぐに紛争が解決し平和が実現する
とは限らない。ニカラグアとコスタリカの間では国境紛争に関連する事件がいくつも ICJ に
付託されており(航行及び関連する権利紛争事件、国境地域におけるニカラグアの活動事件、サ
ンファン河沿いのコスタリカ領における道路建設事件)
、両国間の国境をめぐる対立が 1 度の判
決では解決できるようなものではないことをうかがわせる。場合によっては、タイとカン
ボジアの間の対立のように(プレア・ヴィヘア寺院事件 1962 年判決の解釈請求事件仮保全措置
、裁判所が判決を下してしばらく後に、
指示命令参照。I.C.J. Reports 2011, pp. 550–551, paras. 53–56)
両国間で武力衝突を伴って紛争が再燃することさえありうるのである。
国家間での対立の解消過程は、当事国間の交渉によって開始し、交渉によって終了する
のであり、国際裁判は、当事国が合意により対立を最終的に解消するまでの間、法律的紛
争の法的解決という一部の役割を演じるにすぎない。これは領域紛争の場合も同様であり、
裁判所はそのような過程において他の手段と接合することもある。たとえば国境画定紛争
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 10
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
の場合、判決主文において、国境線画定のための委員会を構成する委員の任命を予定する
ような実行が現われているのは注目に値しよう(国境紛争事件〔ブルキナファソ/マリ〕判決
〔I.C.J. Reports 1986, p. 650, para. 179〕および国境紛争事件〔ブルキナファソ/ニジェール〕判決
〔I.C.J. Reports 2013, p. _, para. 114〕参照)
。
裁判所は、法適用機関としては国際法規則の厳格な適用を要請されるが、他方、法解決
機関としては当事国双方に受諾可能な解決策の提示が求められる。当事国間の対立の法的
側面を解決するという役割の部分性からすると、裁判所がその対立の全体像を考慮して判
決を下すことは十分に考えられる。領域紛争においては、それはどのように実現されるの
であろうか。
2 国際裁判における領域紛争の動態的解決
(1) 領域紛争に関連する国際法規則と裁判におけるその適用
① 領域権原の様式と現実の紛争処理
従来、先占、時効、割譲・併合、添付、そして歴史的には征服が領域権原にあたるとさ
れてきた。もっとも、こうした領域の取得方式(様式的権原論)は、領域取得のための国家
実行としては出発点となりうるが、ひとたびある領域をめぐって領域権原の主張が競合す
る事態が生じれば、これら権原自体がそうした事態を解消するための法的基準を提供する
ことは難しい。上記のような領域の取得方式は規範的な性格を有するモデルというよりは、
領域取得という事実の描写を表わすものにとどまり、それ自体が実定法上の位置づけを与
えられているわけではないためである。それゆえ実際にも、問題となった領域の帰属を決
定するに際して紛争を付託された裁判では、上記のような様式的権原が根拠とされること
はなかった(19)。各紛争当事国が自国の領有の根拠として援用する領域権原が決して絶対的
なものではないからこそ、権原が競合して領域紛争が発生するのであり、結局、裁判では
それぞれが主張する権原は相対的にいずれが優位にあるかとしか判断できないのである。
ここでは、現実の裁判が領域紛争を処理する際に用いた基準につき、紙幅の制約から、以
下の点のみ確認しておきたい(20)。
第 1 に、様式的権原論に代わり国際裁判で用いられてきたのが、パルマス島事件仲裁裁定
で定式化された「継続的かつ平穏な主権の表示」アプローチであり、この「主権の表示」
を証明するために、条約解釈や国家実行、関係国による承認・黙認などさまざまな要素が
裁判所により考慮されてきたということである。しかもこの「主権の表示」アプローチは、
権利の存在と法の発展を結び付ける動態性を内包していることから、国際法規則の発展に
伴い、その影響を受けることは必至であった。第 2 に、植民地独立を契機とした領域紛争の
発生という事態に対応して、ウティ・ポシデティス・ユーリス(uti possidetis juris、現状承認
の原則)やエフェクティヴィテ(effectivités)といった原則や概念が利用され、新たな領域法
の形成が認められるに至った。その端緒は国境紛争事件(ブルキナファソ/マリ)判決であ
り、このいわゆる「ブルキナファソ = マリ事件パラダイム」がその後の判例に大きな影響を
与えているということである。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 11
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
これら「主権の表示」アプローチにせよ、
「ブルキナファソ = マリ事件パラダイム」にせ
よ、さまざまな考慮要因を内包した基準であることから、裁判所が、具体的な事件におけ
るそれぞれの要素の認定も含め、裁量的判断を行ないやすい状況が整えられている。それ
は、領域紛争の解決が当事国の合意によるほかない以上、そのような結果をもたらすよう
な判断を裁判所が行なうことが不可避だとすれば、当事者の合意に至るような判断を行な
うには上記アプローチや「パラダイム」は裁判所にとって好都合となるということでもあ
る。
② 領域紛争の解決における国際裁判の役割
裁判所は、関連する条約を解釈・適用したり、当事国の実行を検証したりして、問題の
領域がいずれの国に帰属するのか、あるいは国境線はどこに存在するのかということを確
認する。その意味で、裁判所の判決は、本来存在するものを確認する効果にとどまるので
あって、新たに何かの権利を創設する効果を有するわけではない(領土・島及び海洋境界紛
(21)
。
争事件裁判部判決参照。I.C.J. Reports 1992, p. 419, para. 97)
もっとも、領域紛争に関する判決に確認的効果しかないとまで言えるかどうかについて
はやや注意を要する。最近の領域紛争をめぐる裁判においては、具体的に領域の帰属を判
断する際にさまざまな要因が考慮され、裁判所が、紛争解決のためにこれら要因を比較検
討して、当事国が受諾しやすいような判断を提示する傾向があるからである。さらに、国
境紛争事件(ブルキナファソ/マリ)判決のように「衡平」概念が国境線の画定にあたって
導入される事例もあり(I.C.J. Reports 1986, pp. 567–568, paras. 27–28)、そのような場合には裁判
所の判断にあたってさらに裁量の範囲が広くなるとともに、判決も権利を創設する効果を
もちうるようにも思われる(22)。確かに裁判所は、同事件判決後は領域問題への「衡平」概念
(ex aequo et bono)の適用と誤解
の導入について慎重であり、法外の基準である「衡平と善」
されないよう、法を厳格に適用することにより結果の予測可能性を確保しようとしている
ようにもみえる。だが、ICJ の判断は、これからみるように、実際には両当事国に譲歩と妥
協を迫る「和解的」解決が多いのである(23)。
(2) 裁判所による「和解的」解決の試み
① 解決内容の最近の傾向とその背景
最近の ICJ の判例では、いずれかの側のみが一方的に勝訴するような内容の判決が下され
ることはほとんどない。むろん、これは、合意付託の場合に紛争主題をどのように定式化
するかにかかっているとも言える。実際にも、唯一の島の帰属が問題となる場合のように、
裁判所の判断が当事国のいずれかの勝訴に限定される事例もないわけではない(カシキリ/
。逆に、帰属が問題となる島や
セドゥドゥ島事件判決参照。I.C.J. Reports 1999, p. 1108, para. 104)
領域が複数存在するような場合には、それだけ裁判所の判断について選択肢が広がるとい
うことにもなろう。
当事国のいずれの主張にも与せず、その中間的な判断を行なう例は過去の仲裁裁定でも
みられたが、そこでは外交上の解決を視野に入れて、妥協的な国境線などが示されてきた(24)。
領域紛争をめぐる今日の国際裁判でも、領域帰属や国境線画定に関する法的な基準を適用
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 12
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
するかたちで「和解的」な解決策が裁判所により提示されている。当事国の合意によって
領域や国境線がいくつかの区域に分けられることが多いが、その場合に、それぞれの区域
ごとに当事国の主張とは異なる領域範囲の帰属の認定や国境線の画定が行なわれたり、あ
るいは各区域で一方の当事国の主張を容認しながら、全体として双方にとって均衡のとれ
た判断が下されたりするのである。
たとえば、国境紛争事件(ブルキナファソ/マリ)で特定事件裁判部は、問題の領域の東
側 3 分の 1 ほどについてブルキナファソが主張する国境線を認めつつ、残りの地域について
は裁判部独自の国境線を展開し、特に西側 3 分の 1 はマリの主張に近いところを通るように
して、両当事国に受け入れやすいバランスのとれた判断を下すよう心がけた(I.C.J. Reports
。また国境紛争事件(ベナン/ニジェール)でも、最大の係争地で
1986, pp. 649–650, para. 179)
あったレテ島はニジェールに帰属する一方、メクル川区域の国境線画定ではベナンに有利
な判断が特定事件裁判部により下されている(I.C.J. Reports 2005, pp. 150–151, para. 146)。最近
の国境紛争事件(ブルキナファソ/ニジェール)でも、4 つの区域について当事国のいずれか
に有利な国境線が認められ、全体として両当事国に受け入れられやすい判断がなされた
(I.C.J. Reports 2013, p. _, para. 114)
。
また、複数の島や陸地の帰属が紛争主題である事件でも、一部に例外があるとはいえ(リ
ギタン・シパダン事件判決および領土・海洋紛争事件〔ニカラグア対コロンビア〕判決参照。
、両当事国に問題の領域を配分
I.C.J. Reports 2002, p. 686, para. 150; I.C.J. Reports 2012, p. _, para. 251)
する判断が下されることが多い。カタール対バーレーン事件では、最大の争点であったハ
ワール諸島のほか、キタ・ジャラーダ礁はバーレーンに帰属し、そのほかのズバーラ、ヤ
ナン島、ファシュト・アド・ディバルはカタール領となった(I.C.J. Reports 2001, pp. 116–117,
para. 252)。ぺドラ・ブランカ事件では、ペドラ・ブランカ(島)はシンガポール領、ミド
ル・ロック(岩)についてはマレーシア領とし、サウス・レッジ(低潮高地)はその所在す
る領海の国に帰属するとした(I.C.J. Reports 2008, pp. 101–102, para. 300)。
当事国双方に受け入れ可能な結果に裁判所が配慮したわけではないように思われる事例
でも検討の余地がある。領土紛争事件(リビア/チャド)で ICJ はチャドの主張をほぼ全面
的に認める判断を下したことから(I.C.J. Reports 1994, p. 40, para. 77)、この判決で裁判所は「和
解的」な判断の傾向を放棄したとの意見もあるが、リビアの軍事占領政策に対する裁判所
の対応というこの事件の特殊な文脈に留意しなければならない(25)。またカメルーン対ナイ
ジェリア事件判決は、最も注目されたバカシ半島の帰属問題でカメルーン領と認定したこ
とから(I.C.J. Reports 2002, pp. 454–458, para. 325)、一見したところ、カメルーン勝訴と受け取
られるけれども、同半島北部の国境線に関係する 17 の区域ではナイジェリアの主張が認め
られたところも多く、チャド湖からバカシ半島までの国境線では相対的にナイジェリアに
有利な判断が下ったとの見方もあり、バカシ半島の帰属もあわせて(そしておそらくは海洋
境界線も考慮に入れて)
「和解的」な解決が試みられたという評価も可能であろう(26)。
② 訴訟過程における裁判所の手続的志向
裁判所による「和解的」解決は、訴訟過程における手続的な規律を通じて正当な実体的
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国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
判断として現われる。そうした公正な手続は、当事国の意向を尊重しながらも、裁判所の
イニシアティブで進められる(27)。
(a) 紛争主題の範囲の確定
紛争の付託に際しては、一方的付託の場合には原告となる国が裁判所に提起する請求の
なかで紛争主題を明確にするのに対し、合意付託では付託に先立って結ばれるコンプロミ
ー(compromis、付託合意)において紛争主題が明記される。一方的付託の場合には原告側が
自国に有利な紛争主題を定式化することから生じるが、合意付託の場合にも自国に有利な
紛争主題を入れ、逆に不利なものはその範囲から外す力学が働きやすい。コンプロミーで
どのような紛争主題が付託されるかは当事国にとってみれば死活的とも言えるのであり、
それゆえコンプロミーの作成には十分な注意が払われなければならないのである(28)。
裁判所が扱う紛争主題の範囲について最初に提起するのは当事国であるが、当事国間で
その範囲につき対立がある場合、これを決定するのは裁判所の役割である。そして裁判所
は、そうした手続上の決定自体とともに、紛争に関する実体的判断と当事国間の対立を視
野に入れて紛争主題の定式化を行なうのである(29)。
(b) 裁判所の手続的規律による争点の多元化
領域紛争が一方的付託で裁判所に係属する場合、原告が定式化した請求のみに注目して
手続を進めることは、被告にとって実体面で不利な立場になりかねず、先決的抗弁の提起
や管轄権欠如の主張により裁判所は請求認容か請求却下かという二者択一を求められるこ
とが考えられる。これも原告に対する反撃の側面を有し、訴訟プロセスを活性化させる意
義は有するが、あくまでも原告の請求を斥けるという消極的な対応にとどまることは否定
できない。特に領域問題の特徴である各当事国による権原主張の必要性という観点や、当
事国による判決の受諾と紛争の最終的な解決の要請からすると、被告の側からも係争地域
に対する権原の主張等を積極的に行なうことが求められるのである。
これに関連して被告の積極的主張を取り上げる付随手続としては、ICJ では反訴制度が挙
げられる。反訴とは本訴に関連して被告が原告に対して訴えを提起するもので、受理され
れば本訴と併合して審理され、被告の請求の追加により争点が増加することになる(30)。
また、原告と被告の地位を相対的に考えるという点で最近の興味深い手続としては、コ
スタリカとニカラグアの間の 2 つの紛争―国境地域におけるニカラグアの活動事件とサン
ファン河沿いのコスタリカ領における道路建設事件― が ICJ により併合された事例があ
る。これら 2 つの事件では原告と被告の立場が入れ替わっており、ニカラグアが両事件の併
合を求め、裁判所は 2 つの事件の係争地域や問題となる関連事実等が同じであることを理由
に、適切な裁判運営の原則と訴訟経済の必要性の観点から両事件の併合を認めたのである
(I.C.J. Reports 2013, p. _, para. 24)
。ただし裁判所は、同一の事件により複数の訴訟が提起され
たからといって自動的にこれらを併合するわけではない(31)。事件の併合について規定する
裁判所規則第 47 条は、この点につき裁判所に広範な裁量を与えているからである。いずれ
にせよ本件は、原告または被告のいずれか一方が共通する複数の事件が併合されるのでは
なく、争点ごとに原告と被告の立場が入れ替わるかたちでひとつの事件に併合され、これ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 14
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
を当事国の一方の反対を押し切って裁判所が認めたという点で注目に値する。
反訴の受理にせよ、事件の併合にせよ、それにより原告と被告の立場が相対化されると
ともに、結果としてひとつの事件のなかで争点が増えることになる。このことは、当事国
のいずれかが一方的に勝訴する可能性を減少させ、両当事国にそれぞれの主張を部分的に
認めることによって「和解的」な解決を目指す環境を整備することにつながる。重要な点
は、それを裁判所が自ら訴訟過程で手続的規律により進めることが可能であるということ
である。
(c) 時間的要素の裁量的考慮
裁判所は、条約や関連文書、権原を取り上げ、これを解釈・適用して領域紛争を解決す
ることになる。その過程では、領域問題が長期間にわたる性格を有することもあり、時間
的要素を含む諸規則が関係してくる。
たとえば決定的期日は、国家が主権者として行なった行為が、問題となる領域紛争にお
いて、特に有効なエフェクティヴィテとして評価可能かどうかを判断する時間的基準とな
る。
「当事国間の紛争が結晶化された日」が決定的期日であり、裁判所は「その日以降に行
なわれた行為を考慮することはできない」(リギタン・シパダン事件判決参照。I.C.J. Reports
2002, p. 682, para. 135)
。決定的期日は、それ以降の国家の行為に証拠としての価値を認めない
機能をもつことになるのである。そのため、決定的期日がいつとなるかは、場合によって
は問題となる領域の帰属の帰趨にかかわる重要な要因と言えよう。
もっとも、この機能の行使は必ずしも厳格なものではない。同判決によれば、上記のよ
うな行為は、
「それまでの行為と通常の継続性を有し、かつ当該行為に依拠する当事国の法
的立場を改善する目的で行なわれてはいない場合」には考慮されうるという(ibid)。決定的
期日後の行為の考慮は、決定的期日前の当事国の法的立場を変えず、その際の事実を確認
するものに限られるなど、一定の条件のもとで裁判所により柔軟に行なわれるのであり、
また実際にもそのように理解されてきたのである(32)。
決定的期日に関しては、両当事国が紛争の結晶化した時点について合意していればそれ
が尊重されるが(ペドラ・ブランカ事件判決参照。I.C.J. Reports 2008, p. 28, paras. 30–31)、争いが
ある場合には裁判所がこれを判断することになる。そして裁判所は、そのように認定した
決定的期日に照らして、有力と思われる証拠をできる限り多く斟酌できるように、その前
後の行為を考慮に入れて解決の可能性の幅を広げようとするのである。たとえば決定的期
日である独立日を超えて「植民地独立後のエフェクティヴィテ」にあたるような行為も参
照される場合がある(国境紛争事件〔ベナン/ニジェール〕判決参照。I.C.J. Reports 2005, p. 109,
。こうしたことが可能なのは、決定的期日の機能が具体的な事案においては裁判所
para. 27)
により柔軟に適用されているためである(33)。
また、問題となる事態や行為はその時点で有効であった国際法の規則に照らして評価さ
れるという時際法の理論も関係してくる。もっとも、それは、ある時点でそうした評価を
固定するというのではなく、パルマス島事件仲裁裁定が指摘したように(R.I.A.A., Vol. II, pp.
、権利の創設と権利の存続との区別を前提として、権利の存続、すなわち領域紛争
845–846)
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 15
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
の場合には領域主権の継続的表示が法の発展により要求されるさまざまな条件に従わなけ
ればならないとする。このような動態的な規則の適用により、過去の権原取得の事例であ
れ、その存続には関連する国際法規則の発展を考慮しなければならず―武力行使禁止原
則に伴う権原としての征服の否定や人民の自決権に合致した領域主権の行使の必要性(34)
―、裁判所による判断のための要素がそこでは付け加わることになるのである。ICJ は、
こうした時際法の理論を踏襲しつつ、その柔軟性に着目して、事案に応じて、法関係の安
定性を優先し、あるいは逆に法の発展を強調していると言われる(35)。ここでも、裁判所が適
切と考える実体的判断に導きうるような手続上の方策が用意されているのである。
おわりに
これまで、ICJに領域紛争が付託される条件ならびに領域紛争がICJの判断に影響を与える
要素、領域紛争をめぐる ICJ の実体的判断の内容とその手続的手法を概観してきた。最後に
そこから導き出しうる特徴をいくつかまとめておこう。
第 1 に、裁判所は、自らの判決が両当事国に受諾されうるような実体判断を形成する傾向
があるということである。その背景には、問題となる紛争が国家主権にかかわるため、領域
や国境線の安定を介して平和を保つために確定的な解決策を提示しなければならず、しかも
それが両当事国に受け入れられやすい内容を伴っていることが必要だということがある。自
らの紛争解決機能をより重視するこうした立場から、裁判所は、領域帰属や国境画定に関す
る基準を判例上発展させ、これに従ってその考慮要素の選択とそれを支える事実の認定につ
き、具体的事案の性質に応じて柔軟に対処しているのである。
第 2 に、裁判所による実体判断の形成には訴訟過程における手続的規律が少なからぬ役割
を演じている。それは、裁判所が積極的に訴訟過程で手続的規律を行使し、自らが適切と考
える実体判断の形成に導きうるような環境を整備するところに表われていると言えよう。事
案の性質によっては、紛争主題の範囲の特定や、反訴請求の容認、事件の併合等を通じて係
争点を複数化させることで、両当事国が少なくとも部分的には勝訴できる「和解的」解決の
提示が可能となるからである。こうした裁判所の実体面での判断と手続面での訴訟指揮との
不可分性とその相互作用は、領域紛争という、
「脱政治化」されたはずとはいえ、当事国にと
っては機微な問題に対処する裁判所の方策のひとつなのである。
こうした裁判所の動きは独善的に行なわれるというわけではなく、むしろ訴訟当事国側か
らの行動に対応するかたちをとっていることに注意すべきであろう。そうであるならば、
(潜
在的)訴訟当事国は、領域紛争の特徴とそれに対応する裁判所の動向をきちんと把握しなが
ら、国際裁判と自国の領域紛争の関係を確認しておく必要がある。
たとえば 1 つの島の領有を争うような事例だと、裁判に付託された場合はいずれかの当事
国のみの勝訴となりやすく、相当程度「脱政治化」され、影響の少ない係争点として定式化
されない限り、少なくとも問題の島を実効的に支配している側はそうした手続に応じること
はないであろう。逆に、主たる論点をシングル・イシューとして問題提起するのではなく、
それとともに別の論点も導入することにより、両当事国間で、一部の主題での勝敗に対して
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 16
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
他の主題でそれを補償するような解決が行なわれるという可能性も開かれるとすれば、裁判
所もそれに応じた「和解的」解決を打ち出しやすくなる。また、複数の島の帰属を紛争主題
とするのであれば、裁判所がすべての島の帰属を一方の側に認めることは、それに対する補
償的な解決を提示できる余地がないと、低い可能性にとどまることになろう。
いずれにしても、これらは関係当事国間の交渉過程であらかじめ話し合われるべき事項で
あり、裁判はその延長線上の 1 つの選択肢にすぎない。そして、その結果として紛争が付託
された裁判の判決も、最終的合意に向かって両当事国間で行なわれる交渉の重要な出発点と
なる。訴訟当事国と裁判所との間の「対話」は、付託された紛争に関する訴訟手続の間だけ
に限られるのではなく、紛争の最終的な解決に至るプロセス全体をその射程においているか
らである(36)。
( 1 ) 領土・島及び海洋境界紛争事件 1992 年判決の再審請求事件判決(2003 年)
、国境紛争事件(ベナ
ン/ニジェール)判決(2005 年)
、カリブ海における領土・海洋紛争事件(ニカラグア対ホンジュ
ラス)判決(2007 年)
、ペドラ・ブランカ他に対する主権事件(マレーシア/シンガポール)判決
(2008 年)
、航行及び関連する権利紛争事件(コスタリカ対ニカラグア)判決(2009 年)
、領土・海
洋紛争事件(ニカラグア対コロンビア)判決(2012 年)
、国境紛争事件(ブルキナファソ/ニジェ
ール)判決(2013 年)であり、係属中は、国境地域におけるニカラグアの活動事件とサンファン
河沿いのコスタリカ領における道路建設事件(これら 2 件は併合審理)
、プレア・ヴィヘア寺院事
件 1962 年判決の解釈請求事件(カンボジア対タイ)、そして太平洋へのアクセスの交渉義務事件
(ボリビア対チリ)である。以下で取り上げる ICJ の裁判例ほかの情報も含め、ICJ のウェブサイト
参照(http://www.icj-cij.org/)
。
( 2 ) ただし、合意付託の場合でもいかなる事項が裁判所により扱われる「紛争」に含まれるかは別途
問題とはなりうる。国境紛争事件(ブルキナファソ/ニジェール)では、両国により設置された
合同技術委員会が画定した国境線も裁判所の判決主文に入れるよう求めたブルキナファソの最終
申立に対して、ICJは、両国とも上記国境線に関しては紛争の存在を認めていないこと等を理由に、
付託時に紛争は不存在であったとしてその主張を退けた。I.C.J. Reports 2013, p. _, paras. 35–59.
、
( 3 ) 小寺彰「領土紛争とは? 国際司法裁判所の役割とは?―尖閣諸島をとくに念頭において」
孫崎享編『検証 尖閣問題』
、岩波書店、2012年、103―104ページ参照。
( 4 ) J. G. Merrills, “The International Court of Justice and the Adjudication of Territorial and Boundary Disputes,”
Leiden Journal of International Law(Leiden J.I.L.)
, Vol. 13(2000)
, p. 876.
( 5 ) もちろん日本のように、領土問題を抱えながら、その点での留保を付さずに選択条項を受諾する
国もないわけではない。領有権を主張する問題の領域について相手国が実効的支配を行なってい
る場合に、外交上の手段として ICJ への一方的付託の可能性を残しておくことは、別の紛議につい
て一方的に訴えられる危険にも配慮したうえでの政策上の選択の問題である。
( 6 ) M. Virally, “Le champ opératoire du règlement judiciaire international,” Revue général de droit international
public(R.G.D.I.P.)
, tome 87(1983)
, p. 309.
( 7 ) D. Bardonnet, “Les frontières terrestres et la relativité de leur tracé(problèmes juridiques choisis)
,” Recueil
des Cours de l’Académie de Droit International de la Haye(R.C.A.D.I.)
, tome 153(1976-V)
, p. 71.
、村瀬信也・真山全編『武力紛争の
( 8 ) 奥脇直也「武力紛争と国際裁判―暫定措置の法理と機能」
国際法』
、東信堂、2004年、806ページ参照。
( 9 ) M. G. Kohen, “Règlement territorial et maintien de la paix,” in Ph. Weckel(dir.)
, Le juge international et
l’aménagement de l’espace: la spécificité du contentieux territorial, Pedone, 1998, p. 224
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 17
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
(10) M. Benzing, “Evidentiary Issues,” in A. Zimmermann, Ch. Tomuschat, K. Oellers-Frahm, and Ch. J. Tams
(eds.)
, The Statute of the International Court of Justice. A Commentary, Second edition, Oxford U.P., 2012, p.
1245.
(11) A. Riddell and B. Plant, Evidence before the International Court of Justice, British Institute of International and
Comparative Law(BIICL)
, 2009, p. 90.
(12) R. Rivier, “La preuve devant les juridictions interétatiques à vocation universelle,” in H. Ruiz Fabri et J.-M.
Sorel(dir.)
, La preuve devant les juridictions internationales, Pedone, 2007, pp. 21–22.
(13) H. Thirlway, The Law and Procedure of the International Court of Justice. Fifty Years of Jurisprudence, Vol. I,
Oxford U.P., 2013, pp. 559–560.
(14) G. Gonzalez, “Règlement territorial et effets à l’égard des tiers,” in Ph. Weckel(dir.)
, op. cit., p.179.
(15) ただし ICJ には再審制度があり、決定的な新事実が判決後に判明した場合には当該判決の再検討
が行なわれる。領土・島及び海洋境界紛争事件でエルサルバドルが 1992 年判決につき再審を求め
たが、請求は受理されなかった(I.C.J. Reports 2003, p. 411, para. 60)
。また、スペイン王仲裁裁定事
件や 1989 年 7 月 1 日仲裁裁定事件のように、仲裁判断を不服として一方の当事国が ICJ に事実上の
再審を求める事例もみられるが、ICJ はいずれも仲裁裁定を有効と認めてその申立を斥けている
(I.C.J. Reports 1960, p. 217; I.C.J. Reports 1991, pp. 75–76, para. 69)
。
(16) C. Schulte, Compliance with Decisions of the International Court of Justice, Oxford U.P., 2004, p. 271.
(17) SG/SM/11745-AFR/1737, 14 August 2008(http://www.un.org/News/Press/docs/2008/sgsm11745.doc.htm)
.
(18) “UN-backed Panel on Cameroon-Nigeria Border Demarcation Concludes Latest Session,” UN News Centre,
26 April 2013(http://www.un.org/apps/news/story.asp?NewsID=44773&Cr=cameroon&Cr1=nigeria#)
;
SC/11094-AFR/2680, 15 August 2013(http://www.un.org/News/Press/docs//2013/sc11094.doc.htm)
.
(19) G. Distefano, “The Conceptualization(Construction)of Territorial Title in the Light of the International Court
of Justice Case Law,” Leiden J.I.L., Vol. 19(2006)
, p. 1048.
、東京大学出版会、2012 年、参
(20) 詳しくは、許淑娟『領域権原論―領域支配の実効性と正当性』
照。本特集での許論文および深町論文も参照せよ。
(21) ただし、仲裁などで裁判所に国境線を決定する権限を当事国が認めるのであれば、そうした裁定
自体が領域主権の取得方式のひとつとして認められるという。R. Y. Jennings, The Acquisition of
Territory in International Law, Manchester U.P., 1963, p. 13.
(22) H. Post, “Adjudication as a Mode of Acquisition of Territory? Some Observations on the Iraq-Kuwait
Boundary Demarcation in Light of the Jurisprudence of the International Court of Justice,” in V. Lowe and M.
Fitzmaurice(eds.)
, Fifty Years of the International Court of Justice. Essays in honour of Sir Robert Jennings,
Cambridge U.P., 1996, p. 247.
(23) G. Giraudeau, Les différends territoriaux devant le juge international. Entre droit et transaction, Nijhoff, 2013,
p. 223.
(24) G. Distefano, L’ordre international entre légalité et effectivité. Le titre juridique dans le contentieux territorial,
Pedone, 2002, pp. 464–465.
(25) G. Giraudeau, op. cit., p. 171.
(26) H. Ruiz Fabri et J.-M. Sorel, “Chronique de jurisprudence de la Cour internationale de Justice—Frontière terrestre entre le Cameroun et le Nigéria(Cameroun c. Nigéria)
. Arrêt, 11 juin 1998,” Journal du droit
international(J.D.I.)
, tome 126(1999)
, p. 878. そのほか領土・海洋紛争事件(ニカラグア対コロンビ
ア)でも、島はすべてコロンビア領とされたが、海洋境界画定についてはニカラグアの主張もあ
る程度取り入れられており(I.C.J. Reports 2012, p._, para. 237)
、全体としては「和解的」解決とみる
こともできよう。
(27) ICJ による手続的規律の概要については、酒井啓亘「国際司法裁判所による裁判手続の規律」
『自
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 18
国際裁判による領域紛争の解決― 最近の国際司法裁判所の判例の動向
由と正義』近刊に掲載予定。
(28) D. Bardonnet, “Quelques observations sur le recours au règlement juridictionnel des différends interétatiques,”
in J. Makarczyk(ed.)
, Theory of International Law at the Threshold of the 21st Century. Essays in honour of
Krzysztof Skubiszewski, Nijhoff, 1998, p. 748.
(29) 一方的付託の事例であるカタール対バーレーン事件で裁判所はズバーラの領有問題を紛争主題に
含めるよう当事国に求めた(I.C.J. Reports 1994, pp. 123–125, paras. 31–38)
。また合意付託の場合でも、
国境紛争事件(ベナン/ニジェール)において、ニジェール川区域の橋の上の境界画定やメクル
川区域の境界画定が紛争主題となることを確認している(I.C.J. Reports 2005, pp. 141–142, paras.
119–125)
。
(30) カメルーン対ナイジェリア事件では、ナイジェリアが反訴を提起して受理された(I.C.J. Reports
1999, pp. 983–986)
。他方、国境地域におけるニカラグアの活動事件で被告ニカラグアが反訴を提起
したが、裁判所はこれを受理しなかった(I.C.J. Reports 2013, p. _, para. 24)
。
(31) S. Rosenne, The Law and Practice of the International Court, 1920–2005(Fourth Edition)
, Vol. III,
Procedure, Nijhoff, 2006, p. 1214.
(32) D. Bardonnet, “Les faits postérieurs à la date critique dans les différends territoriaux et frontaliers,” in Le droit
international au service de la paix, de la justice et du développement. Mélanges Michel Virally, Pedone, 1991, pp.
53–78.
(33) G. Giraudeau, op. cit., pp. 422–428.
(34) M. G. Kohen, Possession contestee et souveraineté territoriale, Presses Universitaires de France, 1997, pp.
186–187.
(35) A. Abou-el-Wafa, “Les différends internationaux concernant les frontières terrestres dans la jurisprudence de la
Cour internationale de Justice,” R.C.A.D.I., tome 343(2009)
, pp. 348–352.
(36) 酒井啓亘「国際司法裁判所における紛争処理手続―訴訟当事国と裁判所の間の協働プロセス
として」
『国際問題』第597 号(2010年 12月)
、6―20ページ参照。
[付記] 本稿は、科学研究費補助金基盤研究 A「国際法の訴訟化への理論的・実践的対応」
(研究代表
者:坂元茂樹神戸大学教授)による研究成果の一部である。
さかい・ひろのぶ
京都大学教授
[email protected]
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 19
effectivités
Huh Sookyeon
はじめに
(1) 領土帰属法理の「構造」
国家主権の意義は、国家領域における独立を意味するとされ、それは、
「他国を排し、領
域内において国家機能を行使する権利」として定義される(1)。ある領域に対して排他的な主
権を得ていることを、ある領域がある国家に帰属すると表現する。領域の帰属について、
国際法学においては、領域主権そのものではなく、領域権原という概念を用いて規律する。
領域権原とは、一般的に「領域主権を附与する事実」もしくは「領域主権の基礎」と定義
され、領域権原を取得した国には領域主権が認められ、それは国際社会全体に対抗できる
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
(2)
(対世効)
。つまり、領域権原があるために、ある国家による領域支配は法的に認められ、
他国もそれを尊重する義務があることになり、また同時に、
「権原なき」領域支配は法的に
認められない。
本稿の主題である「領土帰属法理」というのは、領域(領土・領海・領空)のなかで基本
となる陸に対する領域権原を確立する方法・態様等を規律する原則あるいは規則群とそれ
を指導する考え方として捉えられる(3)。こうした領土帰属法理としては、従来から、神授説
や様式論、
〈主権の表示〉アプローチ、歴史的凝縮理論等が論じられてきた。これら諸法理
の関係には十分な検討が必要とされるが、本稿では詳細に立ち入らない(4)。その代わり、こ
れらの諸法理が、詳細は異にしながらも、領土帰属を規律するための基本として有してい
る「構造」を明らかにすることを試みたい。
もっとも、領土帰属法理の構造を抽出する試みは決して新しいものではない。パルマス
島仲裁判決(1928 年)において仲裁人フーバーは、領土帰属法理の構造を抽出することを試
みた。まさに、その試みによって、本件判決は領域紛争においてリーディングケースとし
て認められているだろう。そこで本稿も、パルマス島仲裁判決においてなされた作業を確
認することを通じて、領土帰属法理の構造を確認することとする。本論を先取りするなら
ば、領土帰属法理の構造としてフーバーが注目したのは、
「実効的捕捉行為(an act of effective
(5)
であった。彼によれば、
〈主権者だけが可能な方法によって当該領土を実効
」
apprehension)
的に支配しているかどうか〉が領土帰属法理において重大な要素となる。
しかしながら、
〈領土を実効的に支配しているか〉という要素は、誤解に晒されることが
多い。たとえば、ある国家が領土を実効的に支配するために、実際に国家がその土地を使
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 20
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
用、占拠あるいは私的所有する必要があるとする考えは、きわめて素朴な誤解のひとつと
言えるだろう。もっとも、こうした素朴な誤解は、それが誤解であることさえ認識されれ
ば、判決や学説を紐解くことによって容易に解きほぐされる。他方で、より厄介な誤解が
存在する。誤解が従来の領域法の概念と結合して、独り歩きを始め、新たな領域法の「文
(6)
法」
とも言えるものを生み出す場合である。そのひとつの例が、本稿の副題である権原と
effectivités の関係をめぐる誤解である。もっとも、この誤解は、判決の個別的事情や国際社
会全体の文脈の変化に適応するための領域法における技術であり戦略とも捉えうる。こう
いった場合に重要なのは、誤解か否かではなく、このような適応策が、説得力のある法的
議論を提示できているかどうかであろう。
このような問題関心を踏まえて、本稿は、第 1 節において、領土帰属法理の構造を明らか
にすることを通じて、領土の実効的支配の意義を確定する。そのうえで、第 2 節にて、権原
と effectivités の関係をめぐる誤解あるいは新たな文法とその文脈について論じる。しかしな
がら、本論に入る前に、領土をめぐる紛争の類型に関する整理を行なう。領土帰属紛争と
境界画定紛争の違いである。この整理は、本稿の対象を明らかにするための予備的な作業
であると同時に、第 2 節にて扱われる新たな文法を理解するための補助線を提供することに
なる。
(2) 領土紛争類型の「違い」と「差」
従来、領土をめぐる紛争は、対象領土の権原の所在を争う「領土帰属紛争(disputes as to
」と、国境線の位置を争う「境界画定紛争(frontier or delimitation disputes)」
attribution of territory)
の 2 種類に区別されてきた(7)。争われる対象に応じて紛争類型を分類する理由は、単に講学
上のものではなく、紛争解決の側面における審理対象や決定的な理由が異なるためとされ
る。領土帰属紛争においては領域の現実支配あるいは占有が決定的な重みをもつのに対し
て、境界画定紛争においては、二国間協定や文書による証拠が重要視されるという(8)。
紛争類型に応じて審理対象が異なる理由を本格的に論じた者として、ルテールが挙げら
れる。ルテールによれば、境界画定紛争では、領土帰属紛争とは異なり、当事国の主張が
重複する部分は地理的に自律していないきわめてわずかな部分であり、そのようなわずか
な部分に対しては、領域権原を帰属させうるに足る十分な主権行使は通常見込まれない。
それゆえ、境界画定紛争類型においては、過去に画定された境界線の位置を確認すること
が紛争解決の方法であり、実効的支配は問題にならないのであり、条約や合意など文書に
よる証拠が争われざるをえないとする(9)。
このようにルテールは審理対象の絶対的な区別を主張するが、こうした区別は相対的な
ものにならざるをえない。第 1 に、たとえ領土帰属紛争であったとしても、以前に当事国間
で領域帰属について合意した経緯がある場合、当事国は、その合意を確認するために条約
や協定など文書による証拠を争うことになる。第 2 に、権原の帰属を争う場合にも、その権
原の及ぶ範囲がどこまでかも争われることになる。権原帰属が、実効的な支配によって確
定されなければならないとすれば、その権原の及ぶ範囲もまた、実効的な支配がどこまで
及んでいるかによって確定される。権原の及ぶ範囲が国境線である以上、国境線をめぐる
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 21
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
紛争においても、領土の支配が審理対象となりうるのである。紛争類型の相対性について、
(10)
国際司法裁判所(ICJ)も、紛争類型に応じて審理対象が異なるということは「誤解」
であ
り、両紛争類型の関係は、
「種類の相違(un contraste de genres)」というよりも、むしろ「境界
線画定方式に関する程度の差(une différence de degre dans la mise en œuvre de l’opération considérée)」
であると論じた(11)。
たしかに審理対象が紛争類型によって異なるという見解は「誤解」と言えるが、両者の
違いは、領域権原帰属あるいは境界画定の決定によって分割される土地の部分の大小の
「差」には還元しえない。両紛争類型の前提とする状況の違いによって、審理対象の限定と
は異なるかたちで、両類型はやはり「種類として」異なり、その取り扱いも異ならざるを
えない。小寺は、帰属紛争は権原帰属の「確認」が紛争主題であるのに対して、境界画定
紛争は、かつて両国間で決定した国境線があった場合には「確認」によって紛争が処理さ
れるが、そのような国境線がなかった場合には、新たな国境線が「設定」されることによ
って紛争が処理されうると論じ、紛争処理の判断の法的性質が決定的に異なりうることを
示唆する(12)。
小寺が言うように、境界画定紛争において、その設定方法や解釈において争いがあると
しても(川の中間線原則や分水嶺原則、ウティ・ポシディーティス〔uti possidetis〕原則等)、新
たな境界線の「設定」が可能であるとすれば、
「設定」を可能とする前提状況とは何かが問
われなければならない。境界画定紛争が想定するのは、実のところ、
「〔自国領域に〕隣接す
(13)
状況である。これが、
る当該領域に対して隣接両国がそれぞれ合法的な主張をしている」
国境線の設定を可能とする状況である。両国に隣接した紛争地域(両国の主張する国境線が
ずれている部分)が少なくとも隣接国のどちらかの領域であるという前提、言い換えれば、
必ずどちらかの当事国に紛争地域が帰属するという前提があるゆえに、その範囲内に新た
に設定される国境線は、既存の合意といった特別の事情がなければ、当事国のどちらかの
領域主権に基づくものであり、法に適った国境線とみなしうる。すなわち、国境紛争の場
合、国境線に領土が接するのは通常隣接両国のみと考えられることから、係争地域も必ず
どちらかに帰属する(紛争当事国のいずれかが権原を有する)という「二国間性の推定」が働
く。それゆえ、権原が確立しているかどうか自体は、論争の対象とならない。他方で、領
土帰属紛争において、そのような推定は必ずしも働かないことから、権原それ自体が確立
しているかどうかが証明されなければならない。
実のところ、こうした「二国間性の推定」と同様に、権原の確立自体を紛争の対象から
除外する効果をもつ操作が、領土帰属紛争でも行なわれつつあり、そういった意味での両
類型の相対化も進んでいる。本稿第 2 節で、そうした例を検討する。その前に、領土帰属紛
争で争われる領域権原の確立とは何かについて次で論じる。
1 領土帰属法理の構造―「実効的な支配」の意義
領土帰属法理として従来から一般的には様式論が挙げられる。国家が領域権原をどのよ
うに取得し喪失するかという得喪の方式(=様式)をあらかじめ定めることによって、領土
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 22
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
帰属を規律しようとするものである。領域権原を取得する様式として、無主地先占・割
譲・時効取得・添付・征服併合の 5 つの様式が挙げられることが多い(14)。取得様式に対応す
るかたちで、喪失する様式も定められており、様式に定める行為・事実が生じた場合に国
家は権原を取得し、喪失様式に定める行為・事実が生じるまで、その権原を保持する(静態
。また、それぞれの様式は一国のみが充足できる要件であることから、権原保持者は取
性)
(15)
得から喪失までの間、重複することは想定されていない(一国性)
。
しかしながら、パルマス島仲裁において、フーバー仲裁人は、様式論の各様式が紛争の
局面で言及されるものの、その用いられ方は様式論の前提と異なることを指摘した。まず、
フーバーは「領域紛争においては、まず主権を主張する国家が、他方に対して優位する割
(16)
譲・征服・先占等の権原を有しているかを審査するのが慣例である」
と述べながらも、他
方で、仮に一国が様式を充足していたとしても「他国が実際の主権の表示を主張している
場合には、ある時期に確立されていた権原を立証するだけでは不十分である。領域主権者
のみが可能な実際の主権の表示が継続して存在したこと、また決定的とされる時点で存在
(17)
したことを示す必要がある」
ことが紛争解決において要請されていたと言う。これは、様
式を充足していたとしても、対抗する主張に対して、主権の表示が継続して存在していた
ことを示す必要があることを意味する。すなわち、様式論の想定する一国性も静態性も、
紛争の局面では機能しないというフーバーの理解を示す。
こうした認識を前提にしながらも、フーバーは、領土帰属法理の構造を論じることによ
って、様式論と紛争における慣例は矛盾するのではなく、両立すると論じた。すなわち、
領域主権取得権原は「実効的捕捉行為」が前提となっており、様式論の各様式もそれぞれ
異なるようにみえるが、実効的捕捉行為という共通の要素を内包していると言う(18)。具体的
には、先占と征服は明白に領域の実効的支配に基づいた様式であるし、割譲もまた、譲渡
国と譲受国、少なくともそのどちらかは、割譲地を実効的に処分できる権能を有している
ことが前提とされている。自然添付も、すでに実効的な主権が存在し、その主権の及ぶ範
囲における土地の隆起であることから、主権が及ぶことが認められる。ここから、フーバ
ーは各様式を通底する単一の包括的原則が存在すると述べ、その原則が各様式に対して優
位しているとした。その原則とは、
「領域主権の継続的かつ(他国との関係で)平穏な表示は
権原に値する(The continuous and peaceful display of territorial sovereignty[peaceful in relation to other
States]is as good as a title)
」であるとし、これは国家慣行や学説の認めるところであるとした(19)。
こうした「諸様式」あるいは「諸権原」がひとつの包括的な権原である「主権の表示」
へと概念化される過程で、様式論のもっていた構造は次の 3 点で大きく変更を受けた。第 1
〈主
に、権原確立に関してあらかじめ定められた(合意された)態様は存在しなくなった。
権の表示〉アプローチによれば、各様式は領域主権の表示の具体例にすぎないのである。し
たがって、どのような主権の表示が権原に値するのかが個別具体的に問われることになる。
第 2 に、
〈主権の表示〉アプローチによって、領域権原概念の「プロセス」としての側面が
照らし出された(20)。
〈主権の表示〉が「継続的」であるという状態が権原確立・維持のため
に求められているということは、いったん、権原取得様式を充足しただけでは十分でない
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 23
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
ことを意味する(21)。第 3 に、
〈主権の表示〉の要件として「(他国との関係で)平穏」である
ことが示されたことによって、領土帰属法理に明示的に他国の態度や反応という要素が取
り入れられた。様式論は、時効取得を除けば、基本的に権原を取得する国家側のみに関与
する規律方式であったことと対照的である。
こうした構造変化を経た〈主権の表示〉アプローチであるが、それが具体的に何を指すの
かを明らかにすることは容易ではない。
〈主権の表示〉アプローチは、パルマス島仲裁以降、
多くの国際判決で援用されているが、そうした判決の蓄積も、主権の表示の標準化や明確
・
・
・
・
化というより、例示にとどまっている。なぜなら、パルマス島仲裁においても「状況に応
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(22)
じた方法による領域主権の表示」
と表現されているように、
〈主権の表示〉の具体的態様
は領域の状況に依存せざるをえない。具体的に、フーバーは、パルマス島が遠隔の小島で
あることと、競合する権原主張を行なう他国の不在、その他の現地の状況に鑑みて、
「先住
民のみが居住する離れ小島に対する主権の表示が頻繁であるとは期待できない」とした(23)。
東部グリーンランド事件(1931 年)においても、権原主張を考慮するに際して必要な事項と
して、
「他の国家によって主権が主張されている程度」が挙げられた。すなわち、
「相手国が
優越的主張を立証しえなかった場合、法廷は、主権的権利の現実的行使については、きわ
めて希薄な行使で満足してきた。……これは、とりわけ人口希薄もしくは人が定住してい
(24)
のである。実際に、諸判決で具体的に権
ない地域に対する主権の主張に関して該当する」
原に値するとして認められた〈主権の表示〉も、散発的な宗主権条約の締結や、若干の納税
記録、視察の事実(25)、通商協定、商業・狩猟・鉱業に関する国内規制、第三国の承認を求
める外交文書(26)、裁判、税の徴収(27)、関税措置、警察による監視、刑事管轄権の行使(28)な
どと、その種類と強度は、各紛争においてさまざまである。
また、東部グリーンランド事件では、
〈主権の表示〉に基づく権原主張は、割譲のような
特別の行為または権原による主張とは区別されるとしつつ、
〈主権の表示〉に基づく主張の
際には「主権者として行動する意図および意思(l’intention et la volonté d’agir en qualité de sou」と「その権能のいくらかの現実的な表示または行使(quelque manifestation ou exercice
verain)
」の2 要素が必要であることを述べ、
〈主権の表示〉を分節化している(29)。
effectif de cette autorité)
しかしながら、
「意図および意思」と「権能の表示」がそれぞれどういったものであり、ど
のような関係にあるのかを示しておらず、
〈主権の表示〉の明確化に資することはない。
さらに、
〈主権の表示〉の標準化・明確化を困難にする裁判での実行として、当事国間の
「相対的な強さ」を量る判断手法が挙げられる。パルマス島仲裁では、予備的な考察として、
「どちらの当事者も同島に対する主権の権利主張を立証」できなかった場合、仲裁人の判断
は両当事国が援用した「権原の相対的な強さ(the relative strength of the titles)」に基づくとされ
た(30)。この判断の根拠は、付託合意に現われる紛争の終了を求める当事国の意思であり、
仲裁人はそれに応える必要があるためであるとした(31)。パルマス島仲裁では、予備的な考
察として相対的な強さの衡量がなされたにすぎないが、マンキエ・エクレオ事件において
権原の相対性は全面的に取り入れられた。同事件において、
「裁判所は、すでに考察した諸
事実に照らして、エクレオに対する主権の対立する主張の相対的な強さを評価しなければ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 24
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
ならない」として「相対的な強さ」が評価の手法であることを明確に述べ、実際に、両当
事国によるさまざまな〈主権の表示〉に値する行為から、両国の主張の相対的な強さを評価
した(32)。このように判断された場合、何が権原に値する〈主権の表示〉であるかを客観的基
準によって量るというよりも、相手当事国よりもわずかでも上回ればそれで足りることに
なりかねず、このような例が蓄積されたとしても、
〈主権の表示〉の内実の基準化や明確化
には資さない。
もっとも、このように基準化や明確化が困難だからといって、
〈主権の表示〉アプローチ
がその場その場で領土支配の現状に照らして妥当な判断を下すための紛争解決基準にすぎ
ないわけでは決してない。
〈主権の表示〉アプローチは、
「継続的かつ平穏な主権の表示」と
いう要件を、単なる領土の現実的な支配ではなく、
「実効的な支配」とする指導原理を含ん
だものである。
「実効的」と称されるためには、何らかの目的の実現に資するものでなけれ
ばならない。フーバーが考える〈主権の表示〉を行なった国家に権原を帰属せしめる目的と
は、主権に伴う義務の実現であり、
「国際法が守護者であるところの最低限の保護」を確保
するためである。すなわち、フーバーによれば、
「領域主権とは……国家活動を表示する排
他的権利を含む。この権利はコロラリーとして義務を付随する。すなわち、領域内におけ
(33)
る他国の権利を守る義務……である」
。さらに、領域主権は、
「国際法が守護者であるとこ
ろの最低限の保護(the minimum of protection of which international law is the guardian)をあらゆる地
点において保障するために、領域主権が人間の活動する空間を諸国家に分割する役割を担
(34)
っている」
とした。言い換えれば、国際法が求める最低限の保護を実現するという共通の
利益のために、各主権国家は自国領域を専属的に統治することが委任されている。フーバ
ーが領域権原に値するとした「継続かつ平穏な主権の表示」とは、まさに領域内における
国際法の最低限の保護を確保することのできる能力を指し示していると同時に、そのよう
な保護を確保しなければならないという規範的性質を帯びたものとして理解されなければ
ならない。
領域の状況や主張の有無に応じて〈主権の表示〉が相対的に変わりうるということも、こ
のような指導原理に照らせば、当然のこととなる。国際法の最低限の保護を確保するため
に必要な〈主権の表示〉は、領域の状況や対立する主張の有無に応じて異ならざるをえない。
様式論のようにあらかじめ権原取得の態様を定める方法は、領域の特性を無視することに
より、国際法の最低限の保護を確保するという目的に照らせば、
「実効的」とは言いがたい。
このことは、
〈主権の表示〉として認められる国家活動の水準が相対的であると認めたエリ
トリアとイエメンの仲裁裁定においても、領域主権の確立には、
「ある一定の絶対的な最低
水準」が必要であり、
「原則として単なる相対的な問題であってはならない」とも論じられ
ていることから確認できるだろう(35)。
領域の現実支配を合法性や正当化の契機によって規律するという〈主権の表示〉アプロー
〈主権の表示〉アプローチは、
チの構造は、他の領土帰属原理にも共通していると言える(36)。
領域の現実支配をベースにしながらも、
「継続的かつ平穏でなければならない」という要素
を加味して、
「国際法の最低限の保護の確保」という目的を達成しうる「実効的」な支配と
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 25
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
して権原確立を規律する。様式論も、フーバーの看破したとおり、各様式は領域の現実支
配をベースとしている。領域の現実支配を単なる支配ではなく合法的なものとするために、
あらかじめ諸国によって了解されている定式化された様式によって権原が公然とやりとり
されることを求めるのが様式論である。もっとも、様式に基づいたやりとりの始まり(原始
取得)については、別途の正当化根拠が準備されている。単純化して説明すれば、原始取得
論とは、ある土地を一国が排他的に支配することによって、主のない土地として放置する
よりも、その土地の効率的な利用が可能になることから転じて、効率的な利用を行なう者
がその土地に対する主権を得るべきである、という議論である(37)。これも領域の現実支配を
要素としつつそれが権原と結びつく論理を提供するものである。さらに、歴史的凝縮理論
という〈主権の表示〉アプローチのある側面を強調する議論も、領域の現実支配をどのよう
に正当化するのか、あるいは正当化される領域支配とは何かを見極めるための議論と整理
できる。歴史的凝縮理論とは、権原の継続とそれに伴う他国の承認の累積によって、領域
と国家は、権原に足る利益と関係性の複合体となりうるという議論である(38)。
領土帰属法理が複数存在していることからもわかるように、今日において通説的な地位
を占めていると評価できる〈主権の表示〉アプローチも、絶対的なものではない。領域の現
実支配とその正当化という複層的構造も含めて、
〈主権の表示〉アプローチ自体も、実は、
文脈に応じて変容している。たとえば、すでに触れたように、紛争解決の局面であれば、
一方の紛争当事国の権原を他方の紛争当事国が承認したという事実によって、その権原帰
属の合法性および正当性はきわめて高くなる。係争中の領土に対して一国の権原を認めた
場合、同じく主権を主張する他国の権利は排除されることになる。それゆえに、権原の確
立は合法的であり正当性を有する必要がある。すなわち、承認があった場合には、他国の
主権を侵害するという不法の可能性がなくなるためである(39)。国際法の最低限の保護を確保
するという目的は変わらないとしても、紛争の局面という文脈によって、正当化の要素自
体も、それぞれの重みも、変わりうる。また、植民地独立以降という文脈においては、人
民の自決というものを、領土帰属において考慮に入れざるをえない。領土帰属法理の多く
が植民地化の文脈のなかで形成されたことに鑑みれば、植民地独立以降という文脈は、領
域法に多大なインパクトを与え、領土帰属法理の具体的な適用も文脈化されることになる(40)。
2 領土帰属法理の文脈適応の方法―「権原」と effectivités の関係
〈主権の表示〉アプローチの文脈化を知るよい例が、ブルキナファソとマリの間の国境事
件判決第 63 項である。その後の判決において、何度も、もともとの文脈とは離れて、引用
されることになる。
「いくつかの事態が区別されなければならない。事実が法と完全に合致する場合、すなわち実
効的行政が法の上のウティ・ポシディーティスに付け加えられる場合、
『effectivité』の唯一の役
割は法的権原から導き出される権利行使を確認することである。事実が法に合致しない場合、
すなわち紛争の対象となる領域が法的権原を有する国家以外によって実効的に管理されている
場合、権原保持者が優先される。
『effectivité』がいかなる法的権原とも共存しない場合、
『effec国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 26
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
tivité』は必ず考慮されなければならない。最後に、法的権原がそれに関係する領域の範囲を正
確に示すことができない場合が存在する。そのときに『effectivités』は実行上においてどのよう
(41)
。
に〔法的〕権原が解釈されているかを示す本質的な役割を果たす」
この一節の意味を理解するためには、いくつかの概念を知っておく必要がある。まず、
「法の上のウティ・ポシディーティス」である。これは、植民地が独立する際に、新独立国家
は国境線として独立時の旧植民地の行政区画線を引き継ぐことを推定する原則とされる(42)。
本原則が適用された場合、行政区画線が法的にどのように引かれていたかが問題となるの
であって、実際にどのように領域が支配されていたか、あるいは、
〈主権の表示〉がどのよ
うに行なわれていたかは問題とされない。領土帰属を決定するウティ・ポシディーティス
線(行政区画線)が権原ということになる。なお、ブルキナファソ = マリ国境事件では、両
当事国ともに本原則の適用に合意していた。
次に、
「法的権原」である。権原の定義についてはすでに論じてきたとおりであるが、ブ
ルキナファソ = マリ国境事件では、裁判部は「権原という概念は、……権利の存在を確証す
るためのあらゆる証拠と、その権利の実際の源との両者を含んでいる」として(43)、権原を示
す証拠もまた、権原と呼ばれることを確認した。第 63 項に挙げられる「法的権原」とは、
この証拠としての権原、すなわち、ウティ・ポシディーティス線を示す権原(植民地行政文
書)を指す。
最後に、
「effectivités」である。これは、実効性の複数形という一般的なフランス語の単語
であるが、英語の判決文においても常にフランス語のままイタリック体で用いられているこ
とから、本稿でもフランス語イタリック体で表記する。裁判部はこの語の用例を指定して
いる。すなわち、effectivitésとは「植民地時代における当該地域における領域的管轄権の実効
(44)
であるとした。effectivités は植民地行政当局の行動
的行使の証拠としての行政当局の行動」
であり、国家の活動である〈主権の表示〉とは区別される。
これらの概念理解に照らして第 63 項をみれば、第 63 項は、ウティ・ポシディーティス原
則の適用のもと、ブルキナファソ = マリ事件においては、領土帰属において〈主権の表示〉
アプローチを排除することを確認するものであることが了解される。法的権原は、あくま
で権原を示す証拠や文書を指すのであり、領域主権の源としての権原ではない。植民地当
局の活動である effectivités も、ウティ・ポシディーティス線を明らかにするために補助的に
用いられるだけであり、権原となりうる〈主権の表示〉ではない。本件において国家に領土
を帰属させる根拠、すなわち、権原はウティ・ポシディーティス原則ということになる。
ウティ・ポシディーティス原則のもとで、領土帰属法理である〈主権の表示〉アプローチ
が排除されるのは、植民地独立の確保という正当化あるいは合法性の要請によるものであ
る。独立して間もない国家に対して、
〈主権の表示〉アプローチを徹底するならば、未開発
の土地や定住されていない土地が無主地となる可能性が生じる。そこで、実際の領域支配
の裏付けのない文言上の権利(「法的権原」)であったとしても、それに対して独立後の主権
を認めることが必要となる。ウティ・ポシディーティス原則が、こうした効果をもたらす
ことによって、旧行政区画の一部が他の列強による無主地先占の対象とされることから新
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 27
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
独立国を守り、また独立国同士の紛争を防止することに資することになる(45)。領土権原法理
が、脱植民地化の文脈に応じて、新たな要素を自身に取り入れた例と言えるだろう。
ところが、このような構造のもとに展開された第 63 項や、そこで用いられた「法的権原」
や「effectivités」という概念が、もともとの前提から離れて、その意味を転じて用いられる
ことになる。まず、effectivités についてであるが、ブルキナファソ = マリ事件判決以降しば
らくすると、effectivités を「
『権原』に足りないもの(everything short of “title”)」であるかのよ
うな表現や、時には「権原」そのものを effectivités と表現する例が散見されるようになった(46)。
effectivités が実効性を意味する単語であったり、もともとの意味も植民地行政当局の活動で
あったりしたことから、単に領土上での実際の活動を総じて effectivités と称したり、あるい
は、
〈主権の表示〉のパラフレーズとして effectivités が用いられたのである。このように用い
(47)
た裁判例としては、エリトリア = イエメン仲裁(1998 年)
、エリトリア = エチオピア決定
(48)
(49)
(2002 年)
、ニカラグア/コロンビア事件(2012 年)
などが挙げられる。これらの判決で
はウティ・ポシディーティス原則が適用されていないことからも、effectivités が当初の前提
から離れて用いられていることが理解されるだろう。誤解は避けるべきものではあるが、
単にパラフレーズであれば、パラフレーズという了解のもとに用語を用いることで、それ
以上の混乱は避けられる。
問題は、effectivités を〈主権の表示〉のパラフレーズとして用いておきながら、もともと
の文脈に繋げて、ウティ・ポシディーティス原則を前提とした構造をそのまま援用する場合
(50)
(51)
とリギタン・シパダン事件(2002 年)
である。カメルーン/ナイジェリア事件(2002 年)
の 2 つの判決では、いずれも effectivités を植民地当局の活動ではなく国家による〈主権の表
示〉として扱ったという誤用に加えて、ブルキナファソ = マリ事件第 63 項を、その文脈で
あるウティ・ポシディーティス原則とは無関係に適用するという「誤読」を行なっている。
すなわち、当事国の権原主張が条約や法的文書に基づく権原の主張であれば「法的権原(文
書)
」として位置づけ、何らかの主権の行使に基づく権原主張はすべて「effectivités」に振り
分けたうえで、第 63 項に基づいて、法的権原の優位性をア・プリオリに措定する方法であ
る。たとえば、カメルーン/ナイジェリア事件におけるバカシ半島の領有権について、裁
判所は、1913 年条約を法的権原として、ナイジェリアの主張する「歴史的凝縮」の議論に
基づいた領域支配を effectivités として仕分け、
「法的権原」の「effectivités」に対する優位を第
63 項に照らして導き、ナイジェリアの主張を退けた(52)。ウティ・ポシディーティス原則の
適用がない以上、1913 年条約によって得られた権原が〈主権の表示〉によって維持されて
いるのかどうかを精査したうえで、対抗する他方当事国の〈主権の表示〉の存在が比較衡量
されるのが通常であるが、そのような精査がなされることなく、第 63 項を機械的に適用し
て、法的権原(文書)の優越が導き出されたのは問題なしとしないだろう。また、リギタ
ン・シパダン事件においては、法的権原文書の不在が認定されている。そのうえで、裁判
所は、本件を第 63 項に言う法的権原と effectivités が共存しない場合であると認定して、effectivités を考慮する必要があると論じ、あくまでも、第 63 項の枠内で領土帰属を扱った(53)。こ
の場合、第 63 項を援用することによって、effectivités による権原帰属の判断が何に基礎づけ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 28
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
られているのかが不明確になるという問題点が生じたと言える。effectivités に基づいて権原
帰属を裁判所が決定している以上、effectivités が権原に足る〈主権の表示〉に値したと考え
るしかないが、同判決において領域権原と effectivités がどのような関係にあるものとして扱
われているかは明らかではない。
本来の意味であれ、機械的に適用するかたちであれ、第 63 項を援用した諸判決では、共
通して、厳密な意味での実効的支配あるいは〈主権の表示〉が存在しない。ウティ・ポシデ
ィーティス原則の適用のある判決において、
〈主権の表示〉アプローチは定義上排除されて
いることが明らかであるが、他の 2 件の判決においても、実効的支配は存在しない。カメル
ーン/ナイジェリア事件においては、ナイジェリアの主張するバカシ半島支配は裁判所に
よって「法に反した effectivités」と評価されたのだが、まさにナイジェリアの支配は継続性
も平穏さも欠く単なる領域の現実支配にすぎなかった(54)。他方で、いわゆる不法に占拠さ
れたカメルーン側の〈主権の表示〉を見込むことはできない。そうしたなかで適切な判決を
下すためには、
〈主権の表示〉アプローチを見かけ上排除できる第 63 項の援用は都合のよい
ものだったかもしれない。リギタン・シパダン事件では、双方の主権行使が、羽のように、
あるいは、草のように軽いものだったと評されるほど、希薄であった(55)。そうした希薄な
〈主権の表示〉に基づいて権原を帰属させるに際して、第 63 項の枠内という補助が必要とさ
れたとも考えられる。さらに、リギタン・シパダンでは、両国ともに係争地を無主地とは
考えていなかったことを挙げて、無主地である可能性をあらかじめ排除したうえで、帰属
を定めている(56)。
こうしたウティ・ポシディーティス原則や、第 63 項の誤解、あるいは、無主地の可能性
の排除は、境界画定紛争における「二国間性の推定」にも似た安全弁として機能しながら、
〈主権の表示〉アプローチの文脈化に対応したものである。
「安全弁」というのは、これらの
仕掛けによって、
〈主権の表示〉アプローチが徹底されないにもかかわらず、単なる領域支
配とは区別される合法的かつ正当性のある「実効的支配」が確保されるためである。ウテ
ィ・ポシディーティス原則は、植民地独立の確保という正当性を付与する。第 63 項や無主
地の可能性の排除によって、きわめて希薄な〈主権の表示〉に基づいて権原の確立および帰
属を判断したとしても、それによって不法な事態が生じることが回避される。また、第 63
項の法的権原の絶対的優越は、起源が怪しいけれども、はっきりと不法であると言いきれ
ない実際の領域支配を権原に足る〈主権の表示〉につなげうる理路を防ぐことにも役立ちう
る。このように、第 63 項の「誤解」やウティ・ポシディーティス原則は、
〈主権の表示〉ア
プローチの基盤を崩しかねない半面で、
〈主権の表示〉アプローチを自決原則や植民地独立
以降の文脈、あるいは個別判決の事情に適合させるという肯定的な側面ももっている。
本稿では主に実効的支配の権原論における位置づけについて論じてきたが、実効的支配
そのものに関しての扱い方が変わってきているように思える。リギタン・シパダン事件や
ニカラグア/コロンビア事件では、
〈主権の表示〉あるいは effectivités が権原に値するかどう
か、言い換えれば、国際法の最低限の保護を確保できるかどうかというよりも、主権者と
しての活動(á titre de souverain)であるかどうかに重きを置いて、権原の帰属を規律した(57)。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 29
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
これが法的議論においてどのような意義をもつのかは今後の検討課題としたいが、試案と
して、きわめて現実支配が希薄な場合に、主権者として支配を行なうという意思や意図が
確認されることによって、正当因に基づいた領域支配であることを裏付けるといった、権
原帰属の合法性や正当化の確保に資するという議論も可能ではないかと考えられる(58)。
むすびに
本稿では〈主権の表示〉アプローチを中心に領土帰属法理の構造を示した。領土帰属法理
においては、実際に領域を支配していることが基底的な重要性をもつことは言うまでもない。
しかしながら、単なる領域支配は権原につながりえない。領土帰属法理とは、どのような領
域支配であれば、正当かつ合法的で、対世的に主張できる領域支配となりうるかを定めるゲ
ートキーパーのような役割を担っているのである。
〈主権の表示〉アプローチは、
「国際法の
最低限の保護の確保」という目的を達成しうる領域支配のみが権原に値するとした。その目
的のためには領土の状況に応じた「継続的かつ平穏な主権の表示」が求められるのである。
・ ・ ・
本稿では、こうした目的に資する領域支配である〈主権の表示〉を「実効的支配」と呼ぶこ
とにした。
しかしながら、effectivités という用語が用いられる近年の国際裁判では、こうした〈主権の
表示〉アプローチが前提とされつつも、徹底されていないことがみてとれる。ウティ・ポシ
ディーティス原則の適用や、ブルキナファソ = マリ事件判決第 63 項の誤解によって、
〈主権
の表示〉アプローチの適用が排除されている。これは、領域の状況に応じた主権の表示がき
わめて希薄なものとなりうるという権原の相対性の問題ではなく、ア・プリオリに、主権の
表示の検討を排除するものである。
こうした排除は、
〈主権の表示〉アプローチ自体を否定するものではなく、当該紛争の文脈
において、同アプローチが提供する実効性および正当性がなくとも、その領土帰属の合法性
や正当性が確保されることが見出されたことを意味する。ウティ・ポシディーティス原則が
適用されている場合には、無主地である可能性は回避されていることから、
〈主権の表示〉の
ない土地あるいは希薄な土地をある国家に帰属せしめたとしても、合法性を欠くことはない。
こうした消極的な合法性の確保のみならず、植民地の独立を確固としたものにするという積
極的な正当性をも付与される。第63項の機械的適用は、本来の前提を離れつつも、その正当
性の見掛けを利用するという点で問題なしとはしないが、たとえばリギタン・シパダン事件
では無主地の可能性をあらかじめ排除したうえで第63項の適用が行なわれていることや、カ
メルーン/ナイジェリア事件では、ナイジェリアの「法に反するeffectivités」が問題となって
いたことも留意しておく必要があるだろう。なお、こうした〈主権の表示〉を検討すること
なく領土帰属が決定されることは近年の例に限られない。紛争類型の区別の議論において紹
介した境界画定紛争類型における国境線の「設定」の合法性の問題である。境界画定紛争で
は、国境線に接するどちらかの国に権原が存在するという〈二国間性の推定〉が存在するこ
とから、仮に国境線を二国間で新たに「設定」したとしても、その国境線が対世的効果を有
するに際して、やはり合法性を欠くことはない。同様に、第 63 項を援用することは、ウテ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 30
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
ィ・ポシディーティス原則の残響のなか、両当事国のいずれかに権原が存在することを推定
させる役割を果たす。また、実際問題として、長年にわたって争われる領土帰属紛争におい
て、紛争当事国以外の国家に帰属されることは考え難いことも、事実上の〈二国間性の推定〉
を強化する。
こうした実行は両義的である。こうした実行が前提を離れて多用されるならば、
〈主権の表
示〉アプローチのもつ基盤を崩しかねない。単なる領域支配と実効的な支配の区別をあいま
いにしたり、実際に領域支配を行ないえない国家に権原を帰属せしめることによって「国際
法の最低限の保護」を確保できない事態を招来するかもしれない。しかし他方で、こうした
実行によって、植民地独立以降という一般国際法上の文脈や、個々の紛争の事情に適合した
領土帰属が可能になっているという側面も否めない。
このような実行が、領土帰属の新たな法理とまでいかなくても、説得力をもつ「文法」と
なりうるのかを展望することは難しい。個別の紛争解決を目的とした司法過程での実行であ
るため、その一般性は自明ではないためである。しかしながら、司法過程で行なわれた実行
であるからこそ、その文脈への適合は、必ず法的議論のかたちをとらざるをえず、また、従
来の法的概念との接続性が念頭に置かれていることも確かである。国際法学の立場からは、
・ ・ ・
判決の射程の分析を通じ、領域の実効的な支配が何を指し、どのような意義をもつのかにつ
いて、国際法が求める他の価値や利益に照らして注視していく必要がある。フーバー自身も、
パルマス島仲裁において、
「国際法は、法一般がそうであるように、それぞれに法的保護に値
(59)
と述べている。
する異なる利益の共存を確保するという目的を有している」
( 1 ) Island of Palmas Case(Netherlands and U. S. A.)
(1928)
, Reports of International Arbitral Awards(RIAA)
,
Vol. II, p. 831[hereinafter Palmas Award]
, p. 838.
( 2 ) R. Y. Jennings, The Acquisition of Territory in International Law(1963)
, p. 4; Ian Brownlie, Principles of
Public International Law(6th ed., 2003)
, p. 129; Marcelo G. Kohen, Possession contestée et souveraineté territoriale(1997)
, pp. 127–154など。
( 3 ) 海洋に関する権原付与(entitlement)は陸のそれとはまったく異なる発展を遂げている。さしあ
たり以下を参照、Prosper Weil, The Law of Maritime Delimitation: Reflections(1989)
.
( 4 ) 詳しくは、許淑娟『領域権原論― 領域支配の実効性と正当性』(東京大学出版会、2012 年)、
27―94 ページとそこに引用されている文献、ならびに深町朋子「現代国際法における領域権原につ
いての一考察」
『法政研究』61巻1 号(1994年)を参照のこと。
( 5 ) Palmas Award, supra note 1, p. 839.
( 6 ) 本稿で使う「文法」とは、説得力のある法的議論を生み出すシステムといった程度の意味で用い
ている。Cf. Martti Koskenniemi, “New Epilogue,” in From Apology to Utopia: The Structure of International
Legal Argument(2006)
, p. 568.
( 7 ) J. R. V. Prescott, Boundaries and Frontiers(1978)
, p. 40; M. Shaw, Title to Territory in Africa: International
Legal Issues(1986)
, pp. 62, 224–225; N. Hill, Claims to Territory in International Law and Relations(1945)
, p.
25; R. Jennings and A. Watts, Oppenheim’s International Law, Vol. 1: PEACE, Part 2 to 4(9th ed., 1996)
, pp.
12–15; S. P. Sharma, Territorial Acquisition, Disputes and International Law(1997)
, pp. 21–29; Kohen, supra
note 2, pp. 119–126; Charles de Visscher, Problemes de confins en droit international public(1969)
, p. 26;
Réplique de M. Paul Reuter, Case Concerning the Temple of Preah Vihear, Plaidoireis, Documents,
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 31
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
Correspondance, Vol. II(1962)
, p. 544など。
( 8 ) D. Bardonnet, “Les frontieres terrestres et la relativité de leur trace,” Recueil des Cours de l’Academie de droit
, tom 153(1976)
, pp. 9, 49–52.
international(RdC)
( 9 ) Reuter, supra note 7, p. 544; Giovanni Distefano, L’ordre international entre légalité et effectivité(2002)
, p.
421.
(10) Différend frontalier, arrêt, CIJ Recueil(1986)
, p. 554[hereinafter Burkina Faso & Mali Case]
, p. 564, para.
18.
(11) Ibid., p. 563, para.17.
、有
(12) 小寺彰『パラダイム国際法―国際法の基本構成』
閣、2004年、127ページ。
(13) Sharma, supra note 7, p. 23.
(14) Lassa Oppenheim, International Law: A Treatise(1st ed., 1905)
, p. 266(sec. 211)
.
(15) 詳しくは、Hersh Lauterpacht, Private Law Sources and Analogies of International Law(1927)
, pp.
100–104; 許、前掲注(4)
、32―34ページ。
(16) Palmas Award, supra note 1, pp. 838–839.
(17) Ibid., p. 838.
(18) Ibid., p. 839.
(19) Ibid.
(20) フーバーは、権利の存在においても、法の発展によって求められた諸条件に従うべきであるとし
て、その諸条件を満たさない権利は存在しえないことを示唆する(ibid., p. 845)
。時際法について
は、本特集の深町論文を参照。
(21) フーバーによれば、権利の維持に失敗した場合には、主権の遺棄(喪失様式)があったかどうか
という問題は生じないとされる。Palmas Award, supra note 1, p. 846.
(22) Ibid., p. 839.
(23) Ibid., supra note 1, p. 866 et passim.
(24) Legal Status of Eastern Greenland(Denmark v. Norway)
, Permanent Court of International Justice(PCIJ)
Reports(Ser. A/ B, No. 53, 1933)
[hereinafter Greenland Case]
, p. 46.
(25) Palmas Award, supra note1, p. 866 et passim.
(26) Greenland Case, supra note 24, pp. 62–63.
(27) Minquiers and Ecrehos, ICJ Reports(1953)
, p. 47[hereinafter Minquiers & Ecrehos]
, pp. 60–66.
, Tribunal Constituted under
(28) The Indo-Pakistan Western Boundary(Rann of Kutch)Case(India v. Pakistan)
an Agreement of the 30th June 1965(Chairman: Lagergren)
(award delivered the 19th February 1968)
, RIAA,
Vol. XVII, No. 5[hereinafter Kutch]
, pp. 358–417.
(29) Greenland Case, supra note 24, pp. 45–46.
(30) Palmas Award, supra note 1, pp. 869–871.
(31) Ibid.
(32) Minquiers and Ecrehos , supra note 27, pp. 67–72.
(33) Palmas Award, supra note 1, p. 839.
(34) Ibid.
(35) Eritrea-Yemen Award of the Arbitral Tribunal in the First Stage of the Proceedings(Territorial Sovereignty
and Scope of the Dispute)
, RIAA, Vol. XXII(2002)
, p. 209[hereinafter Eritrea & Yemen]
, para. 453. もっと
も、権原の相対性についてのすべてが必ずしもこの指導原理から導かれるわけではない。詳しく
は許、前掲注(4)
、157―160ページ参照。
(36) Koskenniemi, supra note 6, pp. 282–300, 576–580. 領域の現実支配を正当化および合法性の論理で規律
する領土帰属法理の構造を、権原を支える基盤の二層性(権原の物的基盤と正当化〔型〕基盤)
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 32
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
として分析したものが、許、前掲注(4)となる。
(37) 土地の効率的利用とは何かという点で、ヨーロッパ列強による「新世界」の植民地化の正当化論
理として用いられることになるが、この点は、本稿の主題ではないため、ここでは踏み込まない。
詳しくは以下を参照。Jörg Fisch, “International Law in the Expansion of Europe,” Law and States: A
Biannual Collection of Recent German Contributions to These Fields, Vol. 34(1986)
; J. Fisch, “Africa as terra
nullius: The Berlin Conference and International Law,” in Stig Föster, Wolfgang J. Mommsen, and Ronald E.
Robinson(eds.)
, Bismarck, Europe, and Africa: The Berlin Africa Conference 1884–1885 and the Onset of
『法学論叢』61 巻 2 号
Partition(1988)
; 太寿堂鼎「国際法上の先占について―その歴史的研究」
(1955年)
。
(38) Charles de Visscher, Théories et réalités en droit international public(1953)
, pp. 244–245; Georg
,
Schwarzenberger, “Title to Territory: Response to A Challenge,” American Journal of International Law(AJIL)
Vol. 51(1957)
, p. 308; D. H. N. Johnson, “Consolidation as a Root of Title in International Law,” Cambridge
Law Journal, Vol. 13(1955)
, p. 217.
(39) Koskenniemi, supra note 6 , pp. 286–287.
(40) 許淑娟「脱植民地時代における領域主権の移転の認定」
『国家学会雑誌』123巻7 ・8 号(2010年)
、
89 ページ参照。
(41) Burkina Faso & Mali Case, supra note 10, pp. 586–587, para. 63.
(42) Steven R. Ratner, “Drawing a Better Line: Uti Possidetis and the Borders of New States,” AJIL, Vol. 90
(1996)
, p. 590; Malcom N. Shaw, “The Heritage of States: The Principle of Uti Possidetis Juris Today,” British
, Vol. 67(1997)
, p. 97.
Yearbook of International Law(BYIL)
(43) Burkina Faso & Mali Case, supra note 10, p. 564, para. 18.
(44) Ibid., p. 586, para. 63.
(45) Ibid., p. 566, para. 23; Abi-Saab, Opinion individuelle, ibid., pp. 661–662, para. 13; 奥脇直也「現状承認原
則の法規範性に関する一考察」
『法学新報』109巻 5 ・6 号(2003年)
。
(46) Torres Bernárdez, Dissenting Opinion, Délimitation maritime et questions territoriales entre Qatar et Bahreïn,
fond, arrêt, CIJ Recueil(2001)
, pp. 40, 285, para. 73.
(47) Eritrea & Yemen, supra note 35.
(48) Eritrea Ethiopia Boundary Commission, Press Statement dated March 13, 2006, RIAA, Vol. XXV, p. 83.
(49) Territorial and Maritime Dispute(Nicaragua v. Colombia)
, ICJ Reports(2012)
, available at〈www.icj-cij.
org/docket/files/124/17164.pdf〉
.
(50) Frontière terrestre et maritime entre le Cameroun et le Nigéria(Cameroun c. Nigéria; Guinée équatoriale
[intervenant]
)
, arrêt, CIJ Recueil(2002)
, p. 303[hereinafter Cameroon & Nigeria Case]
.
(51) Case Concerning Sovereignty over Pulau Ligitan and Pulau Sipadan(Indonesia v. Malaysia)
, Judgement, ICJ
Reports(2002)
, p. 625[hereinafter Ligitan Sipadan Case]
.
(52) Cameroon & Nigeria Case, supra note 50, p. 416, paras. 223–224.
(53) Ligitan Sipadan Case, supra note 51, p. 678, para. 126.
(54) Cameroon & Nigeria Case, supra note 50, pp. 417–418, para. 233.
(55) Franck, Dissenting Opinion, Ligitan Sipadan Case, supra note 51, p. 696, para. 17
(56) Ligitan Sipadan Case, supra note 51, p. 678, para. 126.
(57) Ibid., para. 141; Nicaragua/Columbia, supra note 50, para. 84.
(58) ローマ法の possessio における animus の役割に関する議論を借用した。Cf. W. W. Buckland and
Arnold D. McNair, Roman Law and Common Law: A Comparison in Outline(2nd ed., 1965)
, p. 75. 第 63項や
effectivités が用いられた例ではないが、ペドラ・ブランカ事件(2008年)においても、
〈主権の表示〉
が原始権原との関係できわめてルースなかたちで適用されている。原始権原という概念もまた、
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 33
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
〈主権の表示〉アプローチを文脈化するために用いられると考えられる。詳しくは、以下を参照。
Sookyeon Huh, “Title to Territory in the Post-colonial Era: Original Title and Terra Nullius in the ICJ Judgments
on Cases Concerning Ligitan/Sipadan(2002)and Pedra Branca(2008)
,” Jean Monnet Working Paper(forthcoming)
.
(59) Palmas Award, supra note 1, p. 870.
ほう・すぎょん
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 34
立教大学准教授
Fukamachi Tomoko
はじめに
領土の帰属をめぐる紛争が国際裁判に付託されると、裁判所は当事国間の関係合意、主
権の表示、黙認などに基づいて、いずれの当事国が係争地に対する領域権原(title to territory)
を有するかを決定する。その際、権原を直接に基礎付けるものではないが、しかし権原の
存否の判断に影響を与えうる要素ないし事情をも、裁判所はさまざまに考慮している。例
外的なケースではあるものの、条約や主権の表示などに基づく直接的な権原の判断が、証
拠の不在等によって困難を極めた事例において、裁判不能を避けるために、関連要素の考
慮に決定的な重みが与えられたこともある(1)。
しかしながら、国際法の概説書や教科書でそうした関連要素までを詳細に説明するのは
難しく、わが国ではそれらをテーマにした論考も決して多くない。そのため、研究者の間
でも必ずしも十分に認識が共有されているとは言えないところがあり、まして一般にはほ
とんど知られていないために、無用の混乱を招いている状況が散見されるように思われる(2)。
そこで本稿では、諸々の関連要素のなかから時際法(intertemporal law)、決定的期日(critical
、地理的要素、地図の 4 つを取り上げ(3)、比較的新しい判例における取り扱いに特に注
date)
目しつつ、各要素の内容を概観する。それにより、国際裁判における領土帰属判断の構造
について理解を深める一助となることを目指す。
1 時際法
1928 年のパルマス島事件仲裁判決において、単独裁判官 M ・フーバーは、
「法的事実が、
それをめぐる紛争の発生時点や解決時点において有効な法ではなく、当該事実と同時代の
法に照らして評価されるべき」ことを、本件の両当事国(米国/オランダ)は認めていると
指摘したうえで、
「時期によって存在していた法体系が異なっている場合に、どの法体系が
特定の事例に適用されるべきかという問題(いわゆる時際法)に関しては、権利の創設(creation)と権利の存在(existence)を区別しなければならない。ある権利を創設する行為を当該
権利の発生時に有効であった法に従わせる原則と同じ原則が、権利の存在すなわちその継
、
続的現われ(manifestation)が法の発展によって要求される諸条件に従うべきことを要求する」
と述べた(4)。これら 2 つの引用箇所は、フーバーの時際法に含まれる 2 つの要素あるいは原
則を示すものとされ、その関係性の理解と批判的検討が、国際法における時際法の議論の
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 35
領土帰属判断における関連要素の考慮
中心を占めてきた。
フーバーの時際法に対する代表的批判とされるのは、P ・ジェサップが同事件の評釈で示
した見方である。ジェサップは第 2 の要素に注目し、それを、権利取得が同時代の法に従っ
て有効に行なわれても、事後に当該法が変化した場合には、新しい法に基づく権利の再取
得が必要となることを意味するものと解釈して、新しい法による過去の法的事実の評価を
遡及的に認める不穏当な理論だと批判した(5)。このような立場に対しては、近年の論考で明
確に指摘されているように(6)、「遡及効」が誤解であることを確認する必要があるだろう。
新しい法によって評価されるのは、当該法と同時代における権利の存在を決定しうる行為
や事実であって、その権利の創設を過去において決定した行為や事実ではないからである。
つまり、行為や事実に対する法の適用可能性を、
「時間的理由に基づいて(ratione temporis)
(7)
(8)
決定する」
ための、
「手続法(adjective law)あるいは技術」
としての時際法そのものとして
は、2 つの要素は一貫した内容を示している。すなわち、行為や事実は、その時代の法によ
って評価されなければならないということである。そのうえで、ある行為や事実が継続的な
法的関係を創設するものである場合には、当該関係が継続的に存在しているという事実が
別途評価されることを、第 2 の要素は確認しているのであり、原則に対する例外を設定して
いるわけではない(9)。このような時際法が、国際法の諸分野でいかに機能するかは、条約法
に関するウィーン条約の起草過程において、条約の解釈・適用の規則との関係が詳細に議論
されたように(10)、各分野の実体法に照らした個別分析を通じて明らかとなる(11)。
パルマス島事件判決は、言うまでもなく領土の帰属をめぐる紛争事例であり、具体的にそ
の創設と存在が問題とされた権利は領域主権であった。フーバーは、過去において有効に
創設されたとみなしうる領域主権の継続的な存在を評価する法として、実効的支配という
基準を用いることで、伝統的な喪失方式によらない領域主権の消滅可能性を認めた(12)。し
かし、たとえば「遺棄は推定されえない」という規範の存在を認め、それを適用すべき実
体法とみなすならば、結論は違ったものとなりうる。この点につき、2008 年のペドラ・ブ
ランカ事件国際司法裁判所(ICJ)判決で、ジョホール・スルタン国の有していたミドル・
ロックスに対する原始権原(original title)が、ジョホール・スルタン国の承継国であるマレ
ーシアについても引き続き存在していると判断された際に、フーバーが領域主権の存在に
とって不可欠とした実効的支配を示すような、国家権能の行使の有無は特に検討されなか
ったのは示唆的である(13)。領土帰属判断にかかわる実体法の多くが慣習国際法であることを
考えれば、具体的にどのような規範が適用すべき同時代の法かは必ずしも自明でない。し
かし、その同定の指針は時際法そのものによって与えられるわけではない。
同事件判決では、ジョホール・スルタン国がペドラ・ブランカに対して、
「領域主権の継
続的かつ(他国との関係において)平穏な表示」を行なうことにより、少なくとも 17 世紀に
は領域主権を確立していたとの認定もなされた(14)。この認定をめぐっては、当時の国際法
で領域主権概念は確立していたと言えるのか、あるいは非ヨーロッパ地域のいわゆる「現
地の王」は領域主権の主体と捉えられていたのかなどの、適用されるべき同時代の国際法
の同定をめぐる疑問を投げかけることが可能であろう。さらに、本稿で立ち入ることはで
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 36
領土帰属判断における関連要素の考慮
きないものの、実はより根源的な問題の存在も指摘される。すなわち、当時の非ヨーロッ
パ地域には、国際法とは異なる「同時代の法」があったのではないかという疑問である。
ここでは時際法を経由して、
「いわば法体系間の法(あえて英訳すれば “intersystem law”)の問
(15)
題」
が生じていると言えよう。
2 決定的期日
時際法と同様に、国際法の諸分野に関係する手続法あるいは技術としての側面をもつに
もかかわらず、領土帰属や国境画定をめぐる裁判で特に注目され展開されてきたものとし
て、
「決定的期日」の概念を挙げることができる。もっとも、決定的期日に言及している多
くの判例や学説において、この概念は必ずしも単一の意味内容で把握されてきたわけでは
ないように見受けられる。
まず、証拠能力に関する手続法として決定的期日を捉える見方がある(16)。すなわち、決
定的期日とはそれ以降の事実に関する証拠を裁判所が考慮しない日を意味し、当事国の提
出する膨大な証拠から一定の証拠を排除することをその機能とする。具体的に選択される
べき日付は、一般には当事国間で紛争が明確な争点に結晶化したときに求められ、以後に
なされた自国の法的立場を向上させるための行動に関する証拠は、排除すべき証拠とみな
される。そのような証拠を許容すれば、紛争の激化を招く可能性が高いからである(17)。した
がって、決定的期日後の事実ないし行動でも、決定的期日前と本質的な相違のないものが
継続的展開としてなされており、自己の法的立場を向上させる意図も伴っていない場合に
は、その証拠能力は否定されないと解される。ただし、こうした証拠に認められるのは、
決定的期日あるいはそれ以前の時期に存在した当事国間の法的関係を明確化ないし確認す
る役割に限られる(18)。
他方で、実体的な適用法規あるいは領域権原に照らして、領土の帰属や国境線の画定が
確定したと判断される時点を指して、決定的期日と呼称することも行なわれている。1992
年の陸・島・海洋境界紛争事件 ICJ 判決に、その典型例がみられる。裁判所によれば、
「両
当事国(エルサルバドル/ホンジュラス)は本件における『決定的期日』について議論してき
た。ウティ・ポシデティス・ユーリス(uti possidetis juris)原則に関しては、独立時の状況が
常に決定力を有するのであり、端的に言ってそれ以外の決定的期日はありえないというよ
うな、ほとんど絶対的な言い方がなされることがある」
。しかし、裁判所はそれを誤りであ
るとし、
「より遅い決定的期日が、判決や国境条約から発生しうるのは明らか」であると述
べた。具体的には、両当事国が 1980 年に締結した一般平和条約が国境線の一部を確立して
いるという理由により、当該部分については 1980 年が決定的期日とされた(19)。
このような意味における実体的な問題として決定的期日を捉えると、それをあらかじめ
選択するのは困難になる。1966 年のアルゼンチン = チリ境界事件仲裁判決では、当事国の
間に、決定的期日が厳格なものではなく、裁判所の評価に多くが委ねられており、しかも
すべての目的につき同一とは限らないという認識の一致があったとされる。それを前提と
して仲裁法廷は、過去になされた国境画定に関する裁定の解釈・適用が問われている限り
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 37
領土帰属判断における関連要素の考慮
では、決定的期日は当然に、同裁定が下された 1902 年もしくは遅くとも翌年の具体的境界
設定(demarcation)の時点となるが、しかし、同裁定および事後の経過にもかかわらず一部
の国境線が未画定とみなされるか否かが問われている限りでは、決定的期日は紛争が付託
された 1964 年となるとし、結局、
「裁判所は本件では決定的期日の概念に有用性はないと考
(20)
。
え、証拠が関わる行為の日付とは無関係に、提出されたすべての証拠を考慮した」
もっとも、実体的な問題として決定的期日を捉えることが、領土の帰属や国境線の画定
が確定したと判断される時点をあらかじめ定めるというアプローチに限られてきたわけで
はない。というのも、エフェクティヴィテ(effectivités)を権原の構成要素ないし源として捉
え(21)、各当事国によるエフェクティヴィテの比較に基づいて係争地の帰属を判断する場合に
は、どの時点までのエフェクティヴィテに領域主権を確立する効果を認めるかという実体
的な問題として、決定的期日の選択が議論されてきているからである。
ICJ によれば、このような事例では「紛争が結晶化した日付が重要である。なぜならば、
主権者としての行為(acts à titre de souverain)がなされたのが当該日付の前後いずれかによっ
て、主権を確立または確認するために考慮される行為か、そうした目的にとっては一般に
(22)
無価値な行為とみなされるかが区別されるからである」
。紛争の結晶化は、係争地の「主
(23)
権に関する当事国間の見解の相違が明らかになった」
ときや、
「両当事国が係争地への対
(24)
ときに認められている。2007 年のカリブ海における領土・海洋紛争
立的請求を表明した」
事件 ICJ 判決では、海域の境界画定を求めるニカラグアの一方的提訴によって、裁判所への
付託は 1999 年になされていたにもかかわらず、係争海域に存在する諸々の洲島への主権主
張が初めて明示されたのは、2001 年に提出された申述書においてであったとして、洲島の
帰属に関する決定的期日は付託時よりも遅い 2001 年と判断された(25)。
3 地理的要素―島の帰属をめぐって
領土帰属紛争で考慮すべきと主張されてきた地理的要素にはいくつかの類型があるもの
の、本稿では紙幅の都合上、島の帰属をめぐって「地理的な近さ(geographical proximity)」あ
るいは「自然的一体性(natural unity)」が考慮されうるとすれば、それはどのような文脈かつ
態様においてかという点に絞って検討したい。具体的な状況としては、いわゆる本土と沖
合の島の近接ないし一体性が問題になる場合と、複数の島同士の近接ないし一体性が問題
になる場合とが考えられる(26)。
(27)
や接続性の原則(principle of
前者に関しては、ポルティコ・ドクトリン(portico doctrine)
(28)
の存在が指摘されることがある。これらは端的には、本土の海岸に近接する島
contiguity)
は当該沿岸国に帰属するとの考えであるが、近接とは絶対的判断なのか相対的判断なのか、
近接性そのものが権原となるのか、実効的支配が及ぶ範囲についての推定が生じるにとど
まるのかなど、それ自体では不明な点も多く、国際法上の実定性があるとは言いがたい。
もっとも、1998 年のエリトリアとイエメン間の仲裁判決(第 1 段階)では、本土の海岸を
起点とする領海内の島には当該沿岸国に帰属するという強い推定が働き、領海外の島につ
いても相対的に近接する沿岸国への有利な推定が認められるとして、推定に依拠した帰属
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 38
領土帰属判断における関連要素の考慮
判断が係争島嶼の一部に関して行なわれた(29)。これについては、次の 2 点を指摘しておく必
要があるだろう。第1 に、上記の判断は諸々の特殊事情および文脈に即してなされており(30)、
本件をスタンダードな事例とみなすことは適切とは言えない。より近年の ICJ 判例では、一
方当事国から 12 カイリ以内に位置している島であっても、他方当事国に帰属するとの判断
が示され、推定の議論が考慮される余地はなかった(31)。第 2 に、同じく ICJ は、隣接国の沿
岸 30 カイリから 40 カイリに浮かぶ洲島につき、地理的近接性に基づく領域権原の原始取得
が主張された事例で、近接性をあくまでウティ・ポシデティスに基づく権原の解釈・適用
において取り扱い、地理的近接性が独立の権原の源となりうるか否かといった観点からの
考察は一切行なわなかった(32)。
他方、複数の島の近接ないし一体性については、距離の近さや住民の有無などを勘案し
て島々に法的な一体性が認められうること、その場合に主たる部分の地位に従って残余の
地位も決定されることが、パルマス島事件判決で言及されたほか(33)、1953 年のマンキエ・
エクレオ事件 ICJ 判決でも、係争島嶼がチャンネル諸島の群島の一部として扱われたとの推
定がなされた(34)。さらに、陸・島・海洋境界事件判決では、メアンゲラ(Meanguera)とメア
ンゲリータ(Meanguerita)の 2 島について、メアンゲリータの小ささ、無人であること、よ
り大きなメアンゲラへの近接性から、メアンゲリータがメアンゲラの「従島(“dependency”)」
と位置付けられる結果、反証がない限り、メアンゲリータの法的地位はメアンゲラと同一
であるとして別途の検討はなされなかった(35)。
しかしながら、一見すると自然的一体性の法的効果を積極的に認めているように思われ
るこれらの判例も、詳細に読めば異なる実情が明らかになる。パルマス島事件判決では、
パルマス島自体は孤島とされたため、先述の箇所は単に一般論として言及されたにすぎな
いうえに、実効的支配の開始と継続の局面を区別して、継続時には係争地全体への主権表
示が必要との付言もなされた。マンキエ・エクレオ事件判決の場合も、いずれにせよ推定
から確定的結論は導きえないとして、2 島それぞれに対する主権の表示の検討へと論が進め
られた。最も直接的に一体性の原則に依拠したかにみえる陸・島・海洋境界事件判決につ
いても、両当事国が 2 島の一体的取り扱いを一致して求めていたという事実に加えて、ウテ
ィ・ポシデティスが適用されているために、権原はスペインから承継取得されているとの
法的前提が存在していた。つまり、実効的支配の有無および近接性に基づく推定の問題は、
権原の存否のレベルではなく、独立時の行政区画線を特定するというウティ・ポシデティ
スの解釈・適用のレベルで取り扱われたにとどまるのである。
複数の島の近接ないし一体性との関連では、以上のほかに、条約に規定された「付属島嶼」
という文言の解釈が問題になることがある。これについては、2012 年のニカラグアとコロ
ンビア間の領土・海洋紛争事件 ICJ 判決で、次のような理解が示されている。すなわち、関
連合意による具体的指示がある場合には、解釈はそれに従う。ない場合には、少なくとも条
約で特定的に言及された島に最も近い島嶼は「付属島嶼」に含まれると理解される一方で、
距離が遠い島は含まれる可能性が低いと言える。ただし、地理的位置のみで解釈が確定さ
れるわけではなく、歴史的な史資料によって意味が明確になる場合もある(36)。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 39
領土帰属判断における関連要素の考慮
4 地図の機能
領土帰属や国境確定をめぐる国際裁判では、当事国から多数の地図が提出されるだけで
なく、特定の地図が「決定的な証拠」と主張されることも稀ではない。そのため、領域権
原や国境線の立証と判断における地図の機能については、多くの判決で言及や議論がなさ
れるとともに、学説による分析も重ねられてきた(37)。それらによれば、地図が割譲条約や
国境画定条約のような当事国間の合意と一体化しているとみなされる場合と、それ以外の
場合とを区別して考えなければならない。
まず、当事国間の関係合意と一体化している地図については、当事国の意思の物理的な
表象として、当該合意に認められる「領域的な諸権利を確立するための固有の法的力」を
獲得する可能性がある。たとえば、当事国の合意に基づき設立された混合国境委員会の作
成した地図が、最終的に締結された国境画定条約において当該条約の附属地図と位置付け
られているときに、裁判所が地図上の記載を直接の根拠として、領土の帰属あるいは国境
線の位置を判断するような場合である(38)。
地図と合意との一体化は、そうした明示の条約規定による附属以外に、国境画定の一連
の過程からも生じうるとみなされている。代表的な例は 1962 年のプレア・ビヘア寺院事件
ICJ 判決である。同事件では、混合国境画定委員会によって作成も承認もされておらず、条
約に附属してもいない地図が、黙認などの行為を通じて両当事国(カンボジア/タイ)に受
諾された結果として、条約による解決に組み入れられ、その不可分の一体となったと判断
された。そのうえで ICJ は、一体化された条約の解釈として、条約の文言で規定された「分
水嶺」とは異なる地図上の国境線を、両当事国間の国境線と結論付けた(39)。
もっとも、実際のところ、裁判所に提出される地図で上記のカテゴリーに該当するもの
はごくわずかであり、上述の機能が認められるのはむしろ例外的である。それらを除く地
図一般については、他の証拠によって得られた結論を確認あるいは補強するという限定的
役割のみを果たしうるとの抑制的な見方ないし立場が、裁判所と学説の両者によって繰り
返し表明されている。特に重要なのは、1986 年のブルキナファソとマリ間の国境紛争事件
ICJ 判決において、裁判所が地図の証拠力に関して「原則の陳述」を行なった箇所で(40)、こ
の部分は非常に多数の判例で引用あるいは依拠されている。諸判例において地図が立証に
関係した具体的状況としては、条約の解釈(41)、管轄権行使(exercise of jurisdiction)の証拠と
の比較(42)、当事国による不利な自認(admission)や黙認の有無の検討(43)、一定の地理的事実
の確定などを挙げることができる。
注意しなければならないのは、どのような機能であれ、個々の地図についてそれを認め
ることができるか否かは、諸々の基準に照らして判断される各地図の証拠価値に大きく依
存するということである。すなわち、当該地図の「出所(provenance)、縮尺および品質、他
の地図との一貫性、当事国による利用状況、公知性の程度、当該地図によって不利な影響
(44)
などが、
を受ける側が利用してきたかどうか、地図を作製した側の利益に反する度合い」
総合的に勘案されることになる。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 40
領土帰属判断における関連要素の考慮
たとえば、地図の出所としては、当事国のものか第三国のものかに加えて、作成者が公
的機関か私人かが区別され、たとえ当事国政府の一部門が作成していても、明確な権限付
与と政府による採用がなければ証拠価値は減じられる。第三国の地図や縮尺の小さい地図
は通常は証拠価値が低いが、第三国の公的地図が一方当事国に不利な記載をしているにも
かかわらず、当該国から修正要請等の反応がなされていない場合には、証拠価値が高まる
可能性がある(45)。これらの検討の結果として、当事国の提出した膨大な地図の大部分が裁判
所の考慮外となることは決して珍しくない。
近年の判例では以前と比較して、地図がより重視され決定的重要性をもつようになって
いると指摘されることがある(46)。しかし、裁判所が認める地図の機能や証拠価値の評価基準
の変化を、判例研究からみてとれるようには思われない。裁判において地図の重要性が高
まっているとすれば、それはむしろ科学技術の発展が地図の確度や客観性の向上に寄与し
た結果、地図の信頼性や証拠価値の向上につながったものと解すべきであろう(47)。
むすびにかえて
領土の帰属をめぐる紛争において適用が主張される関連要素は多岐にわたり、本稿ではそ
の一部を検討することができたにすぎない。しかし、この限られた試みによっても、国際裁
判の場における関連要素の考慮が、各紛争の事実関係や証拠の状況といった個別事情に大き
く依存していることは示されただろう。すべての関連要素について、判例における種々の考
慮態様を、過度な一般化を避けつつ、他の紛争事例にとって参照可能な一定の基準に整理す
るのは、非常に難しい課題である。それでも、一面的な判例の援用が論争の原因となりうる
ことを考えれば、総体的かつ緻密な分析に向けて努力を継続することが重要と思われる。
( 1 ) 1998年のエリトリアとイエメン間の仲裁判決(第 1 段階)
。詳細は後述する。
(1)
」
『法律時報』85 巻 1 号(2013 年)
、
( 2 ) 松井芳郎「尖閣諸島について考える―国際法の観点から
76―77 ページを参照。
( 3 ) 考慮されてきた関連要素を本稿で網羅することは、紙幅の面からも難しいと判断した。たとえば、
自決原則や武力行使禁止原則のような国際法の基本原則も、関連要素に含まれると言われる。M.
G. Kohen and M. Hébié, “Territory, Acquisition,” in R. Wolfrum(ed.)
, The Max Planck Encyclopedia of Public
International Law, Vol. IX, Oxford: Oxford University Press, 2012, pp. 895–896.
, Vol. II, p. 845.
( 4 ) Reports of International Arbitral Awards(R.I.A.A.)
, Vol. 22
( 5 ) P. C. Jessup, “The Palmas Island Arbitration,” American Journal of International Law(A.J.I.L.)
(1928)
, pp. 739–740.
、東京大学出版会、2012 年、166―169 ペー
( 6 ) 許淑娟『領域権原論―領域支配の実効性と正当性』
ジ。
( 7 ) U. Linderfalk, “The Application of International Legal Norms over Time,” Netherlands International Law
Review, Vol. 58(2011)
, p. 152.
( 8 ) H. Thirlway, “The Law and Procedure of the International Court of Justice, 1960–1989: Part One,” British
, Vol. 60(1989)
, p. 130.
Yearbook of International Law(B.Y.I.L.)
( 9 ) Linderfalk, supra n. 7, pp.152–158. リンデルファルクは継続的な法的関係の例として、船舶の国籍、
条約関係、領域に対する主権の権原などを挙げている。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 41
領土帰属判断における関連要素の考慮
(10) 松井芳郎「条約解釈における統合の原理―条約法条約 31 条 3(c)を中心に」
、坂元茂樹編『国
、有信堂高文社、2009年、101―135ページを参照。
際立法の最前線―藤田久一先生古稀記念』
(11) たとえば国家責任法の分野では以下を参照。T. Tavernier, “Relevance of the Intertemporal Law,” in J.
Crawford, A. Pellet, and S. Olleson(eds.)
, The Law of International Responsibility, Oxford: Oxford University
Press, 2010, pp. 397–403.
(12) R.I.A.A., Vol. II, pp. 845–846. 許、前掲書、126―131ページをも参照。
(13) I.C.J. Reports, 2008, p. 99, paras. 288–290. ただし本件では、
「遺棄は推定されえない」という規則へ
の明示的な依拠もなされていない。
(14) Ibid, pp. 35–37, paras. 60–69.
(2)
」
『法律時報』85 巻 2 号(2013 年)
、
(15)松井芳郎「尖閣諸島について考える―国際法の観点から
67 ページ。
(16) たとえば以下を参照。W. M. Reisman, “The Government of the State of Eritrea and the Government of the
Republic of Yemen. Award of the Arbitral Tribunal in the First Stage of the Proceedings(Territorial Sovereignty
and Scope of the Dispute)
,” A.J.I.L., Vol. 98(1999)
, pp. 677–678. なお、決定的期日概念の嚆矢も時際法
と同様にパルマス島事件判決に求めるのが一般的だが、証拠の排除機能を軸にした概念把握はマ
ンキエ・エクレオ事件ICJ判決を契機とすることについて、許、前掲書、172―176ページを参照。
(17) G. Fitzmaurice, “The Law and Procedure of the International Court of Justice, 1951–54: Points of Substantive
Law. Part II,” B.Y.I.L., Vol. 32(1955–56)
, p. 6.
(18) D. Bardonnet, “Les faits postérieurs à la date critique dans les différences territoriaux et frontaliers,” Le droit
international au service de la paix, de la justice et du développement: Mélanges Michel Virally, Paris: Pedone,
1991, pp. 63–78.
(19) I.C.J. Reports, 1992, p. 401, para. 67.
(20) R.I.A.A., Vol. XVI, p. 167. この部分は、エリトリアとイエメン間の仲裁判決(第 1 段階)に引用さ
れている。Award of the Arbitral Tribunal in the First Stage of the Proceedings(Territorial Sovereignty and
Scope of the Dispute)
(Eritrea/Yemen)
, 9 October 1998, available at http://www.pca-cpa.org/showpage.asp?
pag_id=1160(as of 15 July 2013)
, para. 95[hereinafter Eritrea/Yemen]
. これら2 つの仲裁判決は、決定的
期日を定めなかった事例として引用されることが多い。しかし、証拠能力に関する手続法として
の決定的期日と、実体的に選択される決定的期日という視点をもつとき、仲裁判断や事後の評価
には検討すべき点があるようにも思われる
(21) 許、前掲書、253―299ページを参照。
(22) 領土・海洋紛争事件(ニカラグア対コロンビア)ICJ判決。Territorial and Maritime Dispute(Nicaragua
v. Colombia)
, 19 November 2012, Judgement, available at http://www.icj-cij.org/docket/files/124/17164.pdf(as
of 15 July 2013)
, p. 29, para. 67[hereinafter Nicaragua v. Colombia]
.
(23) Ibid, p. 30, para. 71.
(24) リギタン・シパダン島主権事件ICJ判決。I.C.J. Reports, 2002, p. 682, para. 135.
(25) I.C.J. Reports, 2007, p. 700, para. 129.
(26) もちろん、わが国の名を挙げるまでもなく、本土が島である国も多いことから、両者の区別は相
対的なものにとどまる。
(27) ポルティコとは柱廊を意味する。1805 年のアナ号事件判決に由来する表現とされるが、判決文
では「沖積土と増加の原則」が明確に言及されていることから、同事件自体は添付という領域主
権の取得方式に関する先例とみるのが適切だろう。もっとも、この事件の主題は島の領有権では
なかった。The “Anna”(La Porte)
, 5 C. Rob. 373, English Reports, Vol. 165(1805)
, pp. 809–817.
(28) 太寿堂鼎『領土帰属の国際法』
、東信堂、1998年、105―113ページを参照。
(29) 該当するのはモハバカ諸島(The Mohabbakahs)とヘイコック諸島(The Haycocks)である。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 42
領土帰属判断における関連要素の考慮
Eritrea/Yemen, supra n. 20, paras. 460–484.
(30) 1 点だけ挙げると、関連合意とされた 1923 年のローザンヌ条約 6 条によって、領海内の島が沿岸
国に帰属することが予定されていた。Ibid, para. 472.
(31) ペドラ・ブランカ事件判決やカタール = バーレーン海洋境界画定・領土問題事件ICJ 判決を参照。
I.C.J. Reports, 2008, pp. 29–96, paras. 37–277; I.C.J. Reports, 2001, pp. 70–85, paras. 98–148.
(32) カリブ海における領土・海洋紛争事件判決。I.C.J. Reports, 2007, p. 687 and pp. 704–711, para. 75 and
paras. 146–167.
(33) R.I.A.A., Vol. II, p. 855.
(34) I.C.J. Reports, 1953, p. 54.
(35) I.C.J. Reports, 1992, p. 579, paras. 367–368.
(36) Nicaragua v. Colombia, supra n. 22, paras. 52–56.
(37) 邦語では以下を参照。東壽太郎「国境紛争と地図(一)
(二)
」
『神奈川法学』1 巻 2 号(1966 年)
、
、15―37 ページ、荒木教夫「領土・国境紛争における地図の
1―26 ページおよび 2 巻 1 号(1966 年)
機能」
『早稲田法学』74巻 3 号(1999年)
、1―25 ページ。
(38) 2002年のエリトリア = エチオピア境界画定決定を参照。R.I.A.A., Vol. XXV, pp. 118–132. ほかにも、
2013 年に ICJ が判決を下したブルキナファソとニジェール間の国境紛争事件にみられるように、当
事国間の国境線を示すものとして、条約本文で特定の地図への依拠が定められることもある。
Frontier Dispute(Burkina Faso/Niger)
, 16 April 2013, Judgement, available at http://www.icj-cij.org/docket/
files/149/17306.pdf(as of 15 July 2013)
, paras. 60–69.
(39) I.C.J. Reports, 1962, pp. 22–35.
(40) I.C.J. Reports, 1986, p. 486, para. 54.
(41) たとえば、カメルーン = ナイジェリア領土・海洋境界事件 ICJ判決を参照。I.C.J. Reports, 2002, pp.
66–68, paras. 97–102.
(42) 1968年のインド = パキスタン西部国境事件仲裁判決。R.I.A.A., Vol. XVII, pp. 535–570.
(43) マンキエ・エクレオ事件判決では、マンキエ諸島を「英国所有の」と表現した英国外務省宛てフ
ランス外務大臣書簡と、同諸島を英国領としていた同封の海図が、当時のフランス政府の認識を
示すものと認められた。I.C.J. Reports, 1953, p. 71.
(44) エリトリア = エチオピア境界画定決定。R.I.A.A., Vol. XXV, p. 26, para. 3.21.
(45) 地図にはしばしば、
「この地図を国境画定についての権威(authority)とみなしてはならない」等
の文言が付されている。この種の「免責条項(disclaimer)
」は、当該地図の証拠価値を下げる効果
をもちうるが、しかし証拠能力を奪うことまではできないと考えられている。他方で、地図が不
利に働く可能性のある側の当事国にとっては、免責条項が存在するからといって、問題となる地
図上の表示に抗議する必要性が減少するわけではないとも指摘されている。Ibid, p. 28, paras.
3.26–3.28.
(46) H. K. Lee, “Mapping the Law of Legalizing Maps: The Implications of the Emerging Rule on Map Evidence
in International Law,” Pacific Rim Law and Policy Journal, Vol. 14(2005)
, pp. 164–175.
(47) 荒木、前掲論文、23―24 ページ; V. Prescott and G. D. Triggs, International Frontiers and Boundaries:
Law, Politics and Geography, Leiden: Martinus Nijhoff, 2008, p. 192.
ふかまち・ともこ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 43
福岡女子大学准教授
Akashi Kinji
はじめに
(1)
とみなされ
本稿の目的は、
「西欧における最も古くかつ安定した政治的境界のひとつ」
てきたフランス・スペイン間国境の画定の歴史を、フランスの国家形成と関連付けながら
概観することを通じて、欧州における近代国家形成過程における「主権」と「領域」の関
係を考察することにある。このような目的を設定することには、次のような筆者の認識が
存在している。
国際法の主体としての国家が主権および領域を有することは、国際法学における「公理」
であり、国際法学の枠内でその真偽を問うことは許されない。また、現在の国際法学にお
いては、ある国家の主権(あるいは主権に基づく管轄権)が行使される地的範囲は当該国家
の領域内であるとすることが原則であり、これは「領域主権」として説明される。これら
のことは、現在の国際法学において「主権」と「領域」という観念が相互に強固に結び付
けられていることを示している。そして、その領域主権の限界を表示するものが国境であ
ることから、国境それ自体の形成過程の考察は領域主権の形成過程の考察にも通ずるもの
があるであろう。つまり、本稿で試みられる事柄は、このような主権と領域の関係の形成
過程の一端を国境画定の一事例を通じて考察しようとすることなのである。
なお、本稿の内容は、本特集のテーマである「国際法と領土問題」―日本が現在直面し
ている外交上の最重要問題がこのテーマに投影されていることは明白であるが―とは一
見無関係である。それでも、欧州近代国家形成期の「国境」に対する認識を示唆する一事
例が、領土問題をめぐる国際法上の諸々の観念や法理(そして、「主権」と「領土」の関係)
を理解するうえで、何らかの参考になることが期待されるのである。
1 フランスの国家形成とピレネー条約第 42 条
(1) ピレネー条約第 42 条
王権の下でのフランスの近代国家形成過程で重要な問題とされた事柄は、対内的な国王
権力の絶対性の確立と対外的な(特に、俗界における上位支配権を有するとされた神聖ローマ
皇帝との関係における)王権の独立であったと言える。対内的絶対性の確立については、
(後
にも触れられるように)アンシャン・レジーム下では達成されないが、対外的独立について
は、次のようなことから、かなり早い時期に達成されたと考えることも可能である。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 44
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
例えば、マルク・ブロックは、フランス封建社会において、同一の都市や村落に対して
(2)
ある領主(potentat)が高級裁判権(la haute justice)
を保有し、他の領主が十分の一税の課税
権を保有するといった現象はみられても、それらの都市や村落が複数の王国(すなわち、フ
ランス王国と神聖ローマ帝国)に法的には従属することはなかったとしている(3)。また、1202
年のインノケンティウス三世の教皇令(Per venerabilem)における「国王は俗界においては自
身より優位なるものを認めない」
(rex superiorem in temporalibus non recognoscat)という文言に表
明されているように、13 世紀以降「フランス王の、
〔神聖ローマ〕皇帝に対する独立性は、
(4)
確たる不変の事実である」
(
〔 〕内は筆者による。以下同様。
)とされている。さらに、1244
年にフランス国王は臣下に対して神聖ローマ帝国内に土地を保有することを禁じ、そして
特に、国王と皇帝の両者に忠誠を誓うことを禁止したとされている(5)。
これらのことから、13 世紀にはフランス王権の対外的独立が達成されていたと考えられ
るのである。しかしながら、独立した王権の及ぶ範囲がどこまでであるのかについては、こ
の時点では正確に認識されることはなかったと思われる。それは、13 世紀はもとより、16
世紀中葉に至るまで、フランス全体を表わす正確な地図が存在しておらず、フランス国王
は自己の領地の広がりを認識することは不可能であったと考えられるからである(6)。ある文
献によれば、現地調査(近代的な地図作製方法としての「測量」ではない。)に基づくピレネー
山脈部分を含むフランス全土の地図が木版印刷により公刊されるのは 1613 年のことである
という(7)。
(1618 ― 48 年)に並行して展開された(そして、
このような状況において、
「三十年戦争」
同戦争の終結後も継続された)フランス・スペイン間の戦争を最終的に終結させた 1659 年 11
(8)
月 7 日の「ピレネー条約」
のなかで、両国間の「国境」に関する初めての「国際的」合意
が示された。すなわち、同条約第 42 条に次のような規定が設けられたのである。
「この戦争においてフランス軍がスペイン側で占領した土地および場所(les Pays & Places)に
ついて:本条約がその基礎とする 1656 年にマドリードで開始された交渉において、古来よりガ
リア(les Gaules)をスペインから分けたピレネー山脈が今後もこれら 2 つの王国の区分(la division)となるものとすると合意されたように、きわめてキリスト教的なる〔フランス〕国王陛下
がルーシヨン(Roussillon)の伯爵領およびヴィギュエ裁判所(Viguerie)のすべてについて占有
を継続し、それらを実効的に享有する。……セルダーニャ(Cerdaña)の伯爵領およびヴィギュ
エ裁判所、カタルーニャの公爵領……はカトリック的〔スペイン〕国王陛下の下にとどまる。
……同様に、ピレネー山脈中で、カタルーニャではなく、セルダーニャの伯爵領およびヴィギ
ュエ裁判所に属するものであって、フランス側に存在するものは、きわめてキリスト教的なる
陛下の下にとどまる。その区分に関して合意するために、双方の委員が派遣され、それらの者
が、本条の内容に従って、将来それら 2 つの王国を区分し、それら〔の王国〕が有するものの限
界を示すピレネー山脈とは何であるのかを、誠意をもって共同で宣言する。前述の代表は遅く
とも本条約の署名後 1 ヵ月以内に現地で会合し、それに続く 1 ヵ月以内の期間に上述の事柄につ
いてともに定め、共通の合意に関して宣言する。……」
(2) フランスの近代国家形成におけるピレネー条約の意義
ピレネー条約第 42 条では、スペイン・フランス間の境界(「区分」)を「ピレネー山脈」と
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 45
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
し、同山脈中のルーシヨン地方をフランス国王(ルイ 14 世)に、セルダーニャとカタルーニ
ャ(カタロニア)をスペイン国王(フェリペ 4 世)に与えるという解決が示されている。この
点で「自然国境」という発想が採用されたと言いうる。そして、その国境は、大西洋岸か
ら地中海岸まで約 440km、最大幅約 130km(東部には標高 3000m を超える急峻な山が連なる)
に及ぶ同山脈それ自体であったのである。
このように「ピレネー山脈が今後もこれら 2 つの王国の区分となるものとする」とされた
ことは、地理的に正確な国境「線」の画定を意味するものではなかった。このことの背景
には、実際上の要請として(そして、技術的にも(9))ピレネー条約作成時にはこの程度の国
境画定を妥当なものとする意識が存在していたものと推測される。なぜならば、フランス
において自国全体の地図の整備の政治的必要性が認識され、その作業が本格化するのは、17
世紀中葉以降のことであること(10)、そして特に、1663 年にコルベールが、地方官吏に対し
て各々の管轄地域の地図を最大限に収集・送付する旨の命令を発したことが重要な意味を
有したとされていることから(11)、1659 年の時点では「線」による正確な境界画定の必要性
は依然として存在していなかったと考えられるからである。さらに、ピレネー山脈内の土
地区分については、
「ピレネーの住民、特に牧羊者による数世紀にわたる調整の産物」とし
(12)
て、
「地域的には、実際の目的のために十分に正確に知られていた」
とするならば、ある
村落共同体がいずれの国王の支配権の下に置かれるのかが問題であって、国王権力が詳細
な境界線を恣意的に画定することは不要であるどころか、むしろ当該地域の住民にとって
有害でありさえしたであろう。そして、結果的には、各村落の長年にわたり安定した帰属
関係(例えば、カタルーニャの全村落はトゥールーズ諸伯〔comtes des Toulouse〕に帰属し、ニー
ヴ〔Nive〕渓谷とビドゥーズ〔Bidouze〕渓谷の一部をナヴァール王〔le roi de Navarre〕が統治する
など)を尊重した解決がなされたため、ピレネー条約は当該地域住民の生活を根本的に変更
するようなものとはならなかったようである(13)。
(フランス・スペイン間の国境線
以上のことから、ピレネー条約において重視された事柄は、
ではなく)両国の国王の支配権がいずれの村落共同体に及ぶかの決定であったと理解すべき
であろうし、実際にそのような決定が(後述の)翌年の両国間の合意内容として登場するの
(14)
である。また、このことは、当時のフランスにおいて受容されていた「主権」
(Souveraineté)
の観念が統一的な国内秩序の確立を主要目的とするものであったこととも関連するであろ
う(15)。すなわち、主権者(国王)の対内的権力の確立に精力を傾注することにより、自国の
「辺境」部分の境界画定へ意識が向けられることはなかったと解されるのである。要するに、
ピレネー条約は、
「主権の観念にのみ基づきつつ、実際に境界の限界についての正確な記述
(16)
のである(17)。
を何ら含まなかった」
2 1660 年の境界画定
(1) リヴィア協定
ピレネー条約第 42 条では、「遅くとも本条約の署名後 1 ヵ月以内に」双方からの委員が
「現地で」会合し、それからさらに 1 ヵ月以内に境界画定が行なわれることとされていた。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 46
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
また、これらの委員に課された任務は、セルダーニャ地域内にあってもフランス側にとど
まるとされた部分の画定と両国間の「限界を示すピレネー山脈とは何であるのか」の決定
とされている。後者は、同山脈中の国境線画定作業であるかのような印象を与えるが、そ
のような作業はこれらの委員によって行なわれることはなく、実際には前者のみが実施さ
れたのであった。そして、その結果が示されたものが、1660 年 5 月 31 日(於フェザン島〔le
)において作成された文書である。前
Isle des Faisans〕
)と同年 11 月 12 日(於リヴィア〔Llivia〕
者では、セルダーニャの「33 ヵ村」がフランス国王の支配の下にとどまることが合意され
ている(18)。そして、最終的に当該範囲が決定されたのは後者においてのことであった(19)。7
項から成るこの文書(後述の「第 3 次バイヨンヌ条約」において「1660 年リヴィア協定」〔la
)は次
Convention de Llivia de 1660〕として言及されているため、以下「リヴィア協定」とする(20)。
のような内容を有していた。
まず、第 1 項では、
「本 1660 年の 5 月 31 日に、前述のフェザン島においてフランスおよび
スペインの全権委員により作成され、署名された最終条項の執行のため」の双方の代表者
の名が挙げられ、第 2 項では、それらの委員が「きわめてキリスト教的なる陛下の下にとど
まるべきセルダーニャの 33 ヵ村が次のとおりであること」を決定した旨が宣せられている。
そして、第 3 ないし 5 項において、それらの村の名前が挙げられている。
(ただし、そこに挙
げられている村落のおのおのは、ある村〔Enveig〕が 2 ヵ村分に相当するものとされ、また、他の
2つの村〔Caldegaz, Ouzes〕が合わせて 1 ヵ村とされるなどしている。これは、村落の数のみが問題
)第 6
とされたのではなく、その実質〔各村の規模等〕も考慮されたものであると推定される(21)。
項では「以上のすべての村は、それらの管轄権、境界(limites)および付属地(dépendances)
とともに、きわめてキリスト教的なる陛下の下にとどまる」とされたうえで、個別の村落
についての事情を考慮した規定も設けられている。さらに、第 7 項はリヴィアがスペイン国
王の下にとどまることを宣言している。
(リヴィアは「村落」ではなく「都市」であるとみなさ
れたために、フランス国王に移譲されず、結果的に飛び地としてスペイン国王領のままとされた
)
という(22)。
(2) フランスの国家形成におけるリヴィア協定の意義
以上の内容から明らかなように、リヴィア協定が問題としたのは、フランス領にとどま
るセルダーニャの(カロル〔Carol〕峡谷からカプシル〔Capcir〕峡谷までの)33 ヵ村の特定で
あって、国境線の画定ではなかった。そして、この協定以後約 2 世紀にわたり、ピレネー山
脈中の国境線画定はフランス・スペイン両国間の政治問題となることはなかったのである。
また、前述のように、ピレネー条約が主権の観念を表明するものであると解しうるとし
ても、それは主権が意味するものと考えられる「領域の排他性」のような観念を伴うもの
ではなかったことにも注意が払われねばならない。すなわち、同条約 42 条を具体化したリ
ヴィア協定において、地域的特性を反映した条項(国境地帯住民の権利、家畜が越境する際に
関税を課さないこと等々)が設けられているのである。このことは、ピレネー条約(あるいは、
リヴィア協定)の締結の時点で存在していた中世以来積み上げられてきた村落共同体間の合
意が、主権観念の論理的貫徹に優位したことを意味するものと解されるのである(23)。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 47
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
さて、
「ピレネー山脈が今後もこれら 2 つの王国の区分となる」ことを前提としての明確
な国境線の未画定状態は、ピレネー条約締結後の約 2 世紀にわたり継続した。同条約以後も
フランス・スペイン間の戦争状態は幾度となく発生したが、ピレネー山脈の国境は問題と
はならなかった。このような安定性の要因のひとつとしては、
(前述のような)中世以来の当
該地域の村落共同体間の法・慣習・合意等々が主権の論理に優越したかたちで解決された
ことが挙げられる。また、それと同時に、ピレネー山脈地帯がフランス・スペイン両国に
とって地理的・経済的に「周縁」に位置付けられていたことも挙げられよう。
しかしながら、その約 2 世紀の間にフランス国内の支配権の統一は進行する。そして、王
権の下での統一的国家権力構築の試みは、最終的には(ある種の歴史的皮肉ではあるが)フラ
ンス革命によって達成される。すなわち、
「フランス領土に対する統一的国家権力の主張と
国内の財政上の境界(internal fiscal frontiers)の撤廃は革命中の 1789 年 8 月 4 日の封建的諸特権
の廃止宣言まで最終的には達成されなかった」のであり、この時点でようやく「アンシャ
ン・レジームの変則的なもの、個別的なもの、封建的管轄権および国内の関税障壁」が一
掃され、国家統合がなされるのである(24)。
このようにフランス国内の統一が進むなかで、ピレネー地域の従来の状態は維持されて
いたのであるが、それが根幹から動揺するのは、19 世紀前半のことであった。すなわち、
1827 年に西部ピレネー山脈のフランス側牧羊者とスペイン側牧羊者の間で「境界戦争」
、あ
るいは「真の会戦」とされる紛争が発生したのである(25)。そして長期化したこの紛争が最終
的に解決されるのは、1856 年のこととなる。
3 バイヨンヌ諸条約
(1) バイヨンヌ諸条約
19 世紀中葉に比較的良好な関係にあったフランス皇帝ナポレオン3 世とスペイン女王イザ
(26)
(Commission des Limites)
の設
ベル 2世との間で両国の代表により構成される「境界委員会」
置が合意される。同委員会は 1853 年に活動を開始し、その最終会合は 1868 年 7 月 11 日のこ
とであった(27)。活動に際して同委員会は、両国間の国境線の画定とともに「国境付近住民
(28)
の権利・伝統・必要を確保および尊重する」
ことを任務とし、実際に地域住民との意見交
換を行ないながら作業を進めたという(29)。そして、同委員会の活動の結果が前述の牧羊者間
の紛争の解決とフランス・スペイン間の「国境線」の最終的画定であり、それらは 1856 年
から 1866 年にかけてバイヨンヌ(Bayonne)において作成された 3 つの条約に示されたので
あった。そして、それら 3 条約は次のような規定を有していた。
まず、1856 年 12 月 2 日のフランス・スペイン間国境画定条約(以下、「第 1 次バイヨンヌ条
)は前文と全 29 ヵ条から成る。その内容は、両国間国境線の部分的画定とそ
約」とする(30)。
れに伴う諸措置である。この条約が画定する国境線はビスケー湾岸からピレネー山脈中の 1
地点まで(より正確には、ビダッソア〔Bidassoa〕河口からバス = ピレネー県〔le Département des
Basses-Pyrénées〕
、アラゴン〔l’Aragon〕およびナヴァール〔la Navarre〕が接する地点まで)であり、
その長さは、現在のフランス・スペイン国境全長の 4 分の 1 程度である。(ビダッソア河は、
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 48
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
その大部分がスペイン領内を流れる西ピレネーの急流の河川であり、ビスケー湾に注ぐ。
)具体的
には次のような規定となっている。
第1 条は「フランス帝国の主権とスペイン王国のそれを分離するためのバス = ピレネー県、
アラゴンおよびナヴァールが接する地点からフィギエ錨地(la rade du Figuier)中のビダッソ
ア河口までの線(la ligne)は、現存する境界標(abornement)に従って、アナラッラ山頂(le
、続いて、ムルロン(Murlon)およ
sommet d’Analarra)上に発し、高台を通り(par les hauteurs〕
びアルラ山頂(le pic d’Arlas)を通り、ベアルン標石(borne de Béarn)の名前でも知られるサ
ン = マルタン岩(la pierre de Saint-Martin)に向かう」としている。第 2 条は、第 1 条中での終
「国境」
(frontière)がたどる地点を「バルセタゴ
点である「サン = マルタン岩」から始まり、
イティア(Barcetagoitia)またはバラセア = ラ = アルタ(Baracea-la-Alta)」まで示す。以下、第
9 条まで同様の記述方法により、ビダッソア河口に至る国境線が示されている。
第 10 条以下では、境界標の可及的速やかな設置が約束され(第 10 条)、標石の維持のため
の措置が規定され(第 11 条)、境界上にある河川・泉・道路を共通のものとし、境界の両側
の家畜および住民によるそれらの使用が自由とされ(第 12 条)、さらには、当該地域の住民
による牧草地の利用(第 13 ・15 ・ 16 条)や国境付近の住民(frontaliers)の権利(第 14 条)、越
境するあらゆる種類の家畜に対する関税からの免除(第 17 条)等々に関しても規定されてい
る。そして、第 28 条では、本条約が対象としている地域における境界画定にかかわる既存
の条約・協約・仲裁判決であって、本条約に抵触するものは無効とすることが宣言され、
最終第 29 条で、批准等の手続が示されている。
次に、第 1 次バイヨンヌ条約から約 4 年半後の 1862 年 4 月 14 日に再度フランス・スペイン
間国境画定条約(以下、「第 2 次バイヨンヌ条約」とする(31)。)が締結される。同条約は前文お
よび 24ヵ条から成るが、その前文冒頭には条約締結の意図が次のように記されている。
「フランス皇帝陛下とスペイン女王陛下は、ナヴァール東端からアンドラ渓谷(le Val d’Andorre)
までの両国の国境付近住民間の平和と和合を強化しつつ、そして、双方の臣民を害するのみな
らず、両政府間の良好な関係をも害する、この国境(frontière)の各地での秩序を頻繁に混乱さ
せてきた古来の紛争を永遠に終了させつつ、1856 年 12 月 2 日にバイヨンヌで調印された境界画
定条約において開始された作業を継続することを希望し、この目的を達成するために、特別条
約中にこれらの紛争に与えられた解決と第 1 のバイヨンヌ条約が定める地点からアンドラ渓谷ま
での国際的境界(limite internationale)の道筋(tracé)を記載することが必要であると判断し、こ
のためにおのおのの全権委員を指名した。
」
そして、第 1 条は「ナヴァール東端からアンドラ渓谷までのフランスとスペインの主権
(Souverainetés)の分割線(ligne séparative)は、1856 年 12 月 2 日の境界条約第 10 条の執行にお
いて立てられた境界標に関する記録中に指定された最後の地点である三王台地(la Table des
Trois Rois)の頂上に始まり、アスペのフランス側渓谷(la vallée Française d’Aspé)とアンソの
スペイン側渓谷(la vallée Espagnole d’Anso)との間を西から東へ進みつつ、ガベデール山頂
(le pic de Gabedaille)までピレネーの主稜線(crête principale)をたどる」としている。以下、第
2 ないし 7 条において、第 1 次バイヨンヌ条約と同様の方式により、
「アンドラ渓谷の国境ま
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 49
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
で」の「分割線」が規定されている。また、第 8 条では、
「標石および適切に設置される標
識(signaux de reconnaissance)という方法で、前諸条において簡潔に示された国際的国境
(frontière internationale)の地上の画定が可及的速やかに実施される」ことが規定され、第 9 条
では、フランス・スペイン双方の地方官憲が標石の維持のために行なう措置が規定されて
いる。そして、第 10 ないし 27 条には、この条約による国境画定で影響を受ける個別村落に
ついての諸々の権利やそれら村落に共通する規定が設けられている。最終 2 ヵ条はこの条約
の発効に関する手続的規定である。
なお、第 2 次バイヨンヌ条約締結から約 10 ヵ月後の 1863 年 2 月 27 日には、同条約第 8 条の
実施のための追加議定書が作成されている。この議定書では、境界標(borne)の設置位置を
定め、あるいは特定された山頂等を活用するなどして、境界線の標識(第 273 標識から第 426
標識まで)が定められ、さらに、この境界線付近の住民の多様な伝統的権利が確認されてい
る(32)。
この 1863 年の追加議定書から 3 年余りの後の 1866 年 5 月 26 日には、最終的なフランス・
スペイン間の国境画定条約(以下、「第 3 次バイヨンヌ条約」とする(33)。)が締結される。前文
と全 33 ヵ条から成るこの条約は、その前文によれば、フランス皇帝とスペイン女王が、両者
の国家(Etats)間の「共通の国境、ならびに両国(Pays)間の境と接する住民(populations
limitrophes)に属する諸々の権利、慣行(usages)および特権を決定的な方法で画定すること」
を希望し、
「1856 年 12 月 2 日および 1862 年 4 月 14 日の〔2 つの〕バイヨンヌ条約において開
始され、追求された作業を完成させるという目的」やその他の目的のために作成した、
「第
3 のかつ最終の特別条約」であるとされている。そして、その概要は次のとおりである。
第1 条(「東ピレネー県とジローヌ州〔la province de Girone〕の間のフランス帝国とスペイン王国
の共通の国境〔la frontière commune〕は、アンドラ渓谷が接するバリル山頂〔le pic Balire〕に始ま
り……」
)から第 15 条(
「……地中海沿岸のコヴァフォラダダ〔Covaforadada〕で終了する。
」
)にお
いて、両国間の国境線が具体的に規定されている。第 16 条は帰属が争われたリヴィアに関
する規定であり、第 17 条は「国際的境界」の表示に関する規定である。第 18 ないし 28 条は
この条約により影響を受ける境界付近の村落に関する個別規定であるが、特にリヴィアに
かかわるものが多い。第 29 ないし 31 条では、既存の地域的合意等と本条約の関係が規定さ
れている。そして、第 32 条で本条約の執行に関して、最終第 33 条で批准に関して、おのお
の規定されている。
以上の 3 条約によりフランス・スペイン間の国境画定作業それ自体は完了するが、第 3 次
(Acte Additionnel)
バイヨンヌ条約と同日(1866 年 5 月 26 日)に 3 条約に対する「追加議定書」
が作成されている(34)。この追加議定書は全 22 ヵ条から成るが、それらにおいては、
「国際境
界標(abornement international)の保存」
(第 1 ないし 3 条)
、
「家畜と牧草地」
(第 4 ないし 6 条)
、
(第 7 条)
、
「両国間の水の共同使用の制度と享受」
「国境により分断された所有権(propriétés)」
(第 8 ないし 20 条)といった諸問題が扱われている。
(第 21 条は第 2 次バイヨンヌ条約第 15 条の
批准に関する規定であり、最終第 22 条はこの追加議定書の批准に関する規定である。)つまり、
国境画定により影響を受けた地域に共通する諸問題の解決がこの追加議定書によりなされ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 50
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
ているのである。
(因みに、後年「ラヌー湖事件」
〔スペイン・フランス仲裁裁判所判決(1957 年
(35)
11 月 16 日)
〕
において、この追加議定書〔特に、その第 11 条〕がスペインにより援用されること
になる。
)
また、第 3 次バイヨンヌ条約(および追加議定書)から 2 年余りの後に「最終議定書」
(Acte
(36)
が締結されている。これは、第 3 次バイヨンヌ条約の執行のために必要とされた諸
Final)
措置に関するフランス皇帝とスペイン女王間の合意文書であり、同条約により決定された
アンドラ渓谷から地中海に至る国境線を表示するための境界標(一連のバイヨンヌ条約に従
って設置される境界標のなかの第 427 標識から第 602 標識まで)やスペイン国王領とされたリヴ
ィアの範囲を画定する境界標の設置位置、さらに、
「両国間の水の共同使用の享受に関する
規則」等々が規定されている。
(2) フランスの国家形成におけるバイヨンヌ諸条約の意義
3 次にわたるバイヨンヌ条約により、大西洋岸から地中海に至るフランス・スペイン間国
境「線」が画定されることとなった。ピレネー条約以降約 2 世紀の間は基本的にはピレネー
山脈それ自体がフランス・スペイン間の国境であるという状態が続いたのに対して、国境
線の画定作業は 10 年余りの間に完了している。このことは、19 世紀中葉において国境の明
確化の必要性が強く認識されるようになっており、しかもそれは国境「線」による画定で
あることが求められていたことを示している。しかも、この「線」による画定の要請は貫
徹されており、例えば、第 1 次バイヨンヌ条約第 9 条では、ビダッソア河の中央にも国境線
が設定されているのである(37)。
これに加えて、次の事実も考慮されるべきであろう。すなわち、バイヨンヌ条約最終議
定書から 10 年余りを経た 1879 年 3 月 30 日に同じくバイヨンヌにおいて、フィギエ湾内で管
轄権が及ぶ範囲の画定に関するフランス・スペイン間条約が締結されているという事実で
ある(38)。このことは、陸上における境界画定のみならず、
(部分的とはいえ)海洋における境
界画定の必要性も認識されていたことを示している。結局、明確に画定された領域を基盤
とするという意味での領域国家としての国家形成の完成は、フランス・スペイン両国にお
いては 19 世紀中葉以降になってからのことなのである。
しかしながら、別の問題との関連においても、この「領域国家」を考察する必要がある
ように思われる。別の問題とは、領域国家として確立したフランスにおいて 16 世紀中葉に
理論化され、それ以降着実に国家体制のなかに組み入れられた主権の問題である。
(前述のとおり)ピレネー条約第 42 条(およびリヴィア協定)において表現されたものは、
境界ではなく、主権であったとみることが可能であるが、そこでの主権は(この観念が本来
「領域的排他性」を有しないものであった。そして、このこと
有するであろうと考えられる)
はバイヨンヌ諸条約にも妥当するのである。なぜならば、3 次にわたるバイヨンヌ条約にお
いてのみならず、追加議定書や最終議定書においても、「家畜と牧草地」に関する権利や
「両国間の水の共同使用の制度」といった中世以来の伝統的な権利や制度が国境線を横断す
るかたちで承認されているからである。これらのことから、バイヨンヌ諸条約によって設
定された制度は、国境「線」の明確化による国家領域の完全な画定とそこに及ぶ「主権」
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 51
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
が有するべき内実との乖離を内包しているように思われるのである。
おわりに―フランスにおける近代国家形成と「国境」
国境線は国際法(学)にとって重要な意味を有する。国境線は、国際法の最も基本的な主
体を規定し、しかも、当該主体の経済的・社会的・政治的制度もその線により規定される(39)。
さらに、その線上で、ある国家管轄権が終止し、他の国家管轄権が開始する。それを越え
ることで、人は「外国人」とされることになる。国際法が国家管轄権を限定・調整するも
のであるならば、その線はその限定・調整の基準となる。要するに、国境線は、国家を構
成する枠組みを提供し、国家間関係において国家の主権の及ぶ領域の範囲を規定する絶対
的な基準なのである(40)。
本稿で確認されたように、フランス・スペイン間の国境は2 世紀余の年月をかけて山脈そ
(41)
れ自体という「自然国境」
から国境「線」へと変化する(42)。その線は 19 世紀中葉になって
ようやく画定されるのである。しかし、そこで画定された線は、主権国家の絶対的基準で
はなく、中世以来の経緯のなかでピレネー地域の住民によって相互に承認されてきた権利
や制度の下で、人や家畜が自由に越えることのできるものであった。
ある論者は、
「近代国家は、その管轄権内にある者に対して実効的統治を行なうものとし
てのみみられるのではなく、それらの者の間に社会を創設するものとしてもみられる」の
に対して、アンシャン・レジーム期の国家においては、国家の地理的限界を超えて住民の
コミュニティーが存在し、国家管轄権が明瞭に限界付けられなかったことを指摘している(43)。
つまり、
「国家」と「社会」の地理的限界の相異がアンシャン・レジーム期には存在したと
するのである。この主張は正しい。ただし、このような体制は、少なくともフランスにお
いては、アンシャン・レジーム期を過ぎ、主権的国民国家の成立を迎えてもなお存続した
のである。
*本稿における引用のなかには現在の正字法と異なる綴りもあるが、それらはすべて原典のままである。
( 1 ) P. Sahlins, Boundaries: The Making of France and Spain in the Pyrenees, University of California Press,
Berkeley/Los Angels/Oxford, 1991, p. 1.
『フランス
( 2 ) フランス法制史上の専門用語の訳出に際しては、Fr. オリヴィエ ― マルタン(塙浩訳)
法制史概説』
(創文社、1986年)に依拠した。
( 3 ) M. Bloch, La société féodale: La formation des liens de dépendance, Albin Michel, Paris, 1949, pp. 153–154.
( 4 ) オリヴィエ ― マルタン、前掲書、316 ページ。なお、この教皇令に関しては、佐々木有司「バル
トルスの政治思想(一)
」
『国家学会雑誌』第88 巻(1975年)1 ・2 号、3―4 ページもみよ。
( 5 ) M. Anderson, Frontiers: Territory and State Formation in the Modern World, Polity Press, Cambridge, 1996,
p. 21.
( 6 ) R. Fawtier, “Comment le roi de France, au début du XIVe siècle, pouvait-il se représenter son royaume?” in
Comité des Mélanges P.-E. Martin(éd.)
, Mélanges offerts à P.-E. Martin, Genève, 1961, pp. 65–77.
( 7 ) M. Pelletier, “National and Regional Mapping in France to about 1650,” in D. Woodward(ed.)Cartography
in the European Renaissance(The History of Cartography, Vol. III)
, The University of Chicago Press,
Chicago/London, 2007, pp. 1493–1494. また、アンダーソンは、
「境界画定の技術的前提条件である正
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 52
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
確な地図は、イタリアや英国におけるよりも遅くフランスに登場し」
、
「フランス王国の最初の地図
は 1525 年―すなわち、イタリアの近代的地図作製方法の第一世代を生み出したプトレマイオス
の『地理学便覧』
(Ptolemy’s Geography)がイタリアで再発見されてからおおむね 1 世紀後―に作
成された」としている。Anderson, op. cit., pp. 20–21.
( 8 ) C. Parry(ed.)
, The Consolidated Treaty Series, Dobbs Ferry, N.Y., 1969–, Vol. 5, pp. 325–402.(以下、注
においてこの条約集からの引用・参照箇所は、巻、ページ数を、“CTS, V, 325–402” のように略記す
る。
)
( 9 ) 広大な地域における位置関係決定のために三角測量の技術が開発されたのは 17 世紀初頭である
が、それが完成されるには 200 年程度を要したものと考えられている。武田通治『測量:古代から
現代まで』
(古今書院、1979年)
、76―78、248―250ページ。
(10) C. M. Petto, When France was King of Cartography: The Patronage and Production of Maps in Early Modern
France, Rowman & Littlefield Publishers, Lanham/Boulder/New York etc., 2007, pp. 57–59.
(11) この命令を発する際に、コルベールは、軍事的使用、政治および司法上の決定、経済・財政上の
計画、教会組織の把握といった地図の活用目的を意識していたという。D. Buisseret, “Monarchs,
Ministers, and Maps in France before the Accession of Louis XIV”; in idem(ed.)
, Monarchs, Ministers, and
Maps: The Emergence of Cartography as a Tool of Government in Early Modern Europe, The University of
Chicago Press, Chicago/London, 1992, p. 99.
(12) D. A. Gómez-Ibáñez, The Western Pyrenees: Differential Evolution of the French and Spanish Borderland,
Clarendon, Oxford, 1975, p. 44.
(13) J.-F. Soulet, Les Pyrénées au XIXe siècle, Eché, Toulouse, 1978, pp. 61–62.
(14) ただし、
「主権」という言葉がピレネー境界画定のための一連の条約のなかに明示的に登場する
のは後述の第2 次バイヨンヌ条約第1 条であるように思われる。
(15) 特に、
「主権」理論構築に重要な役割を果たしたボダンの意図や彼の理論と近代国際法との関係
について、次をみよ。明石欽司「ジャン・ボダンの国家及び主権理論と『ユース・ゲンティウム』
『法学研究』第 85 巻 11 号、1―30 ペ
観念―国際法学における『主権国家』観念成立史研究序説」
ージ、および同12号(2012年)
、1―43ページ。
(16) Soulet, op. cit., p. 62.
(17) ただし、フランス国内において主権観念が受容され、そして、主権の論理に基づいて統一的な国
家体制の確立が進められていたとしても、17 世紀後半にその論理的帰結がフランス領内全般にわ
たってもたらされていたのではない。少なくとも、ピレネー地域については「この岩と草の小さ
な王国の真の主人は、当然のことながら、牧羊者たちであった」し、彼らは独自の慣習および法、
そして紛争を有していたのであった。Ibid., p. 63.
(18) この1660年5 月31 日付の合意文書については、CTS所収のフランス語版(CTS, V, 398)に加えて、
次の文献に付録とされている英語版およびスペイン語版も参照した。Sahlin, op. cit., p. 300; J.
Capdevila i Subirana, Historia del deslinde de la frontera Hispano-Francesa: Del tratado de los Pirineos(1659)
a los tratados de Bayona(1856–1868)
, Centro Nacional de Información Geográfica, Madrid, 2009, pp.
323–324.
(19) 次の文献では、この2つの文書は “Treaty of St. Jean de Luz, 31 May 1660; Treaty of Llivia, 12 November
1660”(“St. Jean de Luz” と “le Isle des Faisans” はいずれも地名であり、現在のフランス・スペイン国
境付近の大西洋岸の相互に近接した場所である。
)とされている。Gómez-Ibáñez, op. cit., p. 44 et n. 6.
しかし、これは誤りであると判断される。この誤りの原因は、フェザン島で 1660 年 5 月 31 日に作
成され、翌日にSt. Jean de Luzで批准された点を誤解した点にあるものと推定される。
(20) ただし、次の条約集におけるリヴィア協定の名称は “Convention entre les Commissaires de France &
d’Espagne, en exécution du quarante deuxiéme Article du Traité de Pyrenées, touchant les trente trois Villages de
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 53
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
la Comté de Cerdagne qui doivent demeurer au Roy de France, du douzième Novembre 1660” とされており、
同協定は国家間の合意というよりも委員間の合意文書とみなされている。J. Du Mont(éd.)
, Corps
universel diplomatique du droit des gens, Tome I, Partie I–Tome VIII, Partie II(Amsterdam/La Haye,
1726–1731)
, Tome VI, Partie II, p. 344.
(21) この点に関しては、同年 5 月 31 日のフェザン島での合意文書において、本来予定していた範囲内
で十分な数の村落が見出されない場合には、近傍の地域の村落により補完される旨の合意がなさ
れていた。
(22) Gómez-Ibáñez, op. cit., p. 44.
(23)「近代の境界(the modern boundary)は中世のピレネーの共同体とともに生じた。その起源は、19
世紀の境界画定条約においてほとんど維持されていた主権に関する通常の概念の法的違反という、
使用および地位に関するある程度の特殊性をそれ〔境界〕に与えたのである。
」Ibid., pp. 44–45.
(24) Anderson, op. cit., p. 23.
(25) Soulet, op. cit., p. 63.
(26) ただし、これはフランス語での通称であり、スペイン語での正式名称によれば、
「ピレネー山脈
の境界画定のための混合委員会」
(Comisión mixta para fijar los limites de las fronteras de los Pirineos)で
ある。
(27) Capdevila i Subirana, op. cit., p. 64.
(28) Gómez-Ibáñez, op. cit., p. 48.
(29) Capdevila i Subirana, op. cit., pp. 59–60.
(30) CTS(CXVI, 85–94)に採録されている第 1 次バイヨンヌ条約の条文は、同条約の公布に関する
1857年8 月24 日付のフランス皇帝勅令(decret)に付せられたものである。
(31) CTS(CXXV, 455–464)に採録されている第2 次バイヨンヌ条約の条文は、同条約の公布に関する
1862年6 月18 日付のフランス皇帝勅令に付せられたものである。
(32) CTS, CXXVII, 255–282.
(33) CTS(CXXXII, 359–369)に採録されている第 3 次バイヨンヌ条約の条文は、同条約の公布に関す
る 1866年 7月 14日付のフランス皇帝勅令に付せられたものである。
(34) CTS(CXXXII, 369–374)に採録されているこの追加議定書の条文は、1866年 7 月 14 日付の「フラ
ンスおよびスペイン間の 1856 年 12 月 2 日、1862 年 4 月 14 日および 1866 年 5 月 26 日に締結された画
定条約への追加議定書の公布に関するフランス皇帝勅令」に付せられたものである。
(35) Lac Lanoux case, 1957, Reports of International Arbitral Awards, Vol. 12, pp. 281–317.
(36) CTS, CXXXVII, 343–386.
(37) 第 1 次バイヨンヌ条約では、国境線が河川や道に従って設定される場所(実際に多くの場所でそ
うなっているという)や泉や水場に接する場所では、水や道は二国間で共有され、両側の住民や
家畜により自由に使用されるものとされた(第 12 条)
。それに対して、
(本文でも触れられたよう
に)ビダッソア河の中央には国境線が設定されている(第 9 条)
。つまり、
「水流は共有物(a commons)を構成するが、分割されないものとは(pro indiviso)みなされなかった」
(Gómez-Ibáñez, p.
49.)のである。
(38) CTS, CLV, 23–26. この条約ではフィギエ湾水面が三分割され、フランス・スペインおのおのの地
先水面がおのおのの管轄権の下に置かれ、中央部分が共有水域(la zone des eaux communes)とされ
ている(第 1 条)
。このような解決がなされたのは、漁業権に関して合意に達するためであったと
いう。V. Adami(T. T. Behrens[trans.]
)
, National Frontiers in Relation to International Law, Oxford U.P.,
London/Humphrey Milford, 1927, p. 51.
(39) See, M. Anderson, “European Frontiers at the End of the Twentieth Century,” in M. Anderson and E. Bort
(eds.)
, The Frontiers of Europe, Pinter, London/Washington, 1998, p. 4.
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 54
近代国家の形成と「国境」― フランス・スペイン間国境画定史を題材として
(40) ラプラデルは、国境が有する機能を次のように捉えている。
「国家対国家という国際関係の観点
からすれば、境界画定の第 1 の動機は政治的秩序である。それは、政治的土壌において、国家の近
代的概念に付加された例外的価値に帰着する」
。P. de Lapradelle, La frontière: Etude de droit international, Paris, 1928, p. 57.
(41) パウンズは、
「
『自然的境界』
(limites naturelles)の観念が文筆家や教養人の間で広く受容されたこ
と、そしてフランス革命時においてそれが政治的重要性を有したことには疑念の余地がない」と
の指摘を行なっている。N. J. G. Pounds, “The Origin of the Idea of Natural Frontiers in France,” Annals of
the Association of American Geographers, Vol. XLI–XLII(1951–52)
, p. 146. この点に関しては、さらに次
の文献もみよ。N. J. G. Pounds, “France and ‘Les Limites Naturelles’ from the Seventeenth to the Twentieth
Centuries,” Annals of the Association of American Geographers, Vol. XLIV(1954)
, pp. 51–62.
(42)「国境地帯は止むことなく縮小し、遂には単なる線でしかなくなる」
(Lapradelle, op. cit., p. 58)の
である。
(43) A. Osiander, “Before Sovereignty: Society and Polities in ancien régime Europe,” Review of International
Studies, Vol. 27(2001)
, pp. 144–145. オズィアンダーは、
「われわれが社会を国家のなかに存在するも
のとしてみる」のに対して、
「アンシャン・レジームは社会のなかに存在するものとして統治者を
みたのである」とも述べている。Ibid., p. 145.
■参考文献
本稿の注において言及されている文献のほかに、次の文献をみよ。
P. Alliès, L’invention du territoire, Presses universitaires de Grenoble, Grenoble, 1980 .
M. Foucher, L’invention des frontièrs, Fondation pour les Études de Défence Nationale, Paris, 1986.
Th. M. Wilson and H. Donnan(eds.)
, Border Identities: Nation and State at International Frontiers, Cambridge U.P.,
Cambridge, 1998.
あかし・きんじ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 55
慶應義塾大学教授
會田 裕子・大野圭一郎
編
細川 洋嗣 (共同通信)
Ⅰ 国際関係/Ⅱ 日本関係/Ⅲ 地域別
2013 年 6 月 1 日− 30 日
Ⅰ
国際関係
06 ・ 01 ラブロフ = ロシア外相がケリー米国務長官と電話会談、シリア情勢正常化や同国の
移行政権樹立のための国際会議開催について協議、5 日、米ロ、国連が 6 月中の開催見
送りを確認(ジュネーブ)
、6 日、ラブロフ外相が開催難航の理由について移行政権の権
限をめぐり米国がアサド政権によるすべての権限移譲を主張、ロシアが反対しているこ
とを明らかに、17 日、オバマ米大統領とプーチン = ロシア大統領が会議実現に引き続き
取り組むことで一致(英ロックアーン)
シンガポールで開催されたアジア安全保障会議でヘーゲル米国防長官がサイバー攻撃の
脅威が高まっているとしたうえで「一部は中国政府と中国軍に関係しているようにみえ
る」と明言、サイバー空間での国際規範確立に向けて中国と協議していく考えを表明
03
第 5 回アフリカ開発会議(TICAD V)がアフリカの成長の前提条件として「平和と安
定」を実現するとともに民間主導のインフラ整備で成長を促進すると表明した「横浜宣
言」を採択し閉幕(← 1 日、横浜市)
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が 2013 年版年鑑を発表、世界の核兵器の減少
傾向は続いているが保有 5 大国のなかで中国だけが増やしていると分析
通常兵器がテロや市民虐殺に使われないよう国際取引を規制する武器貿易条約(ATT)
の署名式典を各国代表者が参加し開催(ニューヨーク)
04 国連人権理事会が任命したシリア内戦に関する国際調査委員会が化学兵器について「使
用されたと信じるに足りる合理的な理由がある」と表明、ファビウス = フランス外相が
サリンを使用した確かな証拠を得たと表明、13 日、オバマ政権が情報機関の分析を踏ま
えてサリンを含む化学兵器を使用したと結論付ける
国連食糧農業機関(FAO)が栄養の不足や過多により生産性が落ちたり医療費が増大す
るなどして世界全体の GDP の約 5% が毎年失われているとする報告書発表
06
FBI と米国家安全保障局(NSA)がフェイスブックなど世界を代表する IT 企業 9 社から
非公開のインターネット情報を収集していたと英、米紙が報道、7 日、オバマ大統領が
国民の安全確保に必要な措置と正当化、9 日、情報収集を暴露したのは CIA 元職員でコ
ンピューター技術者のエドワード・スノーデン氏と英、米紙が明らかに、13 日、香港紙
が米政府が中国などのコンピューターをハッキングしていると同氏が証言したと報道、
14 日、フェイスブックとマイクロソフトが米政府機関などから 2012 年後半に情報提供
要請を受けたと公表、米司法当局が 21 日までにスノーデン氏をスパイ活動取締法違反
などの容疑で連邦地方裁判所に訴追、逃亡先の香港政府に逮捕を要請、23 日、スノーデ
ン容疑者がモスクワ到着、25 日、プーチン大統領が身柄引き渡し拒否の考えを示す、30
日、英紙が日本やフランスの大使館を含む 38 の米国内の大使館や代表部を監視対象と
して米国が盗聴などを行なっていたと報道
エベレストの氷河の総面積が過去約 50 年で約 14% 減少したとの調査結果をイタリアのミ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 56
国際問題月表
ラノ大などの研究グループがまとめる
07
WHO が B 型、C 型のウイルス性肝炎による死者数がアジアを中心に世界で急増し 2010
年の死者が当初の予想を超える 140 万人以上となったと発表(シンガポール)
オバマ大統領と習近平中国国家主席が会談(→ 8 日、米カリフォルニア州パームスプリ
ングズ近郊)、両国が「新たな形」の協力関係を築き北朝鮮の非核化などで連携するこ
とで一致、直接会談は習氏の国家主席就任後初めて
10 米エネルギー情報局が現在の技術で採掘可能な新型天然ガス「シェールガス」の世界埋
蔵量は約 206 兆立方メートルで従来型の天然ガスも合わせた総埋蔵量の 32% を占めると
する報告書を発表
17 主要国(G8)首脳会議(ロックアーン・サミット、ロックアーン)が世界経済に関する
首脳宣言を発表、安倍晋三政権の経済政策に一定の評価、財政再建の道筋を示す中期財
政計画をつくるよう要請、18 日、①あらゆる形態のテロを非難しテロのリスク減少へ国
際協調を図る、②多国籍業企業による課税逃れの防止などを目指す―との首脳宣言を採
択し閉幕
19
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が 2012 年の 1 年間に新たに武力紛争などで国外
に逃れた難民と国内で住居を追われた避難民の総数が推定 760 万人に上ったとの報告書
を発表、年間の数としては 1999 年以来最多を記録
オバマ大統領がベルリンのブランデンブルグ門前で核なき世界を追求する演説、ロシア
との新戦略兵器削減条約(新 START)に基づき義務づけられた配備済み戦略核弾頭削減
について配備数の上限を 1550 発から 1000 発水準にする用意があると発表、リャプコフ =
ロシア外務次官が米国がミサイル防衛(MD)計画でロシアに譲歩することが前提条件
との見解を示し現行の新 START の履行が先決であるとも述べ現段階では提案を事実上
拒否する立場を鮮明に
20
WHO が世界の女性の約 35% が夫や恋人らから暴力を振るわれたり他人から性的暴行を
受けたりしたことがあるとの推計を発表
22 シリアの反体制派を支援する米欧と中東の有志国が「シリアの友人」閣僚会合を開き反
体制派への軍事支援を強化することで合意、共同声明発表(ドーハ)
WHO が新型肺炎(SARS)を引き起こすウイルスと同じ仲間のコロナウイルスの新種
「中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルス」に関する国際会議開催(カイロ)、感染
確認や疑い例が出たら 24 時間以内に WHO に報告することで合意
28 国際エネルギー機関(IEA)が再生可能エネルギーによる世界の発電量が 2016 年に天然
ガス火力発電を超え石炭火力発電に次ぐ第 2 の電源になると予測
29
IAEA が開催した 21 世紀の原子力エネルギーに関する国際閣僚会議が「原子力はエネル
ギー安全保障と国家の持続的な発展にますます重要な役割を果たすだろう」との議長総
括を発表し閉幕(← 27 日、サンクトペテルブルク)
Ⅱ
06 ・ 04
日本関係
政府が 2013 年版環境白書を閣議決定、自然環境の充実や幸福感も評価する新たな
「豊かさ指標」の必要性を強調
05
安倍晋三首相が成長戦略第 3 弾公表、1 人当たりの国民総所得(GNI)を 10 年後に 150
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国際問題月表
万円以上増やすとの目標掲げる、薬のネット販売も解禁
厚生労働省の人口動態調査によると女性 1 人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計
特殊出生率が 2012 年は 1.41 と 16 年ぶりに 1.40 を上回る、赤ちゃん出生数は 103 万 7101
人と過去最少
06 政府が経済財政諮問会議を開き経済財政運営の指針「骨太方針」の素案を提示、財政再
建の必要性を強調し社会保障、公共事業、地方財政の 3 分野を「聖域とはせず(歳出の)
見直しに取り組む」と明記
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が安倍首相に在日米海兵隊の新型輸送機オスプ
レイの訓練の一部を八尾空港(大阪府八尾市)で受け入れる構想を提案
07 安倍首相がオランド = フランス大統領と会談(東京)
、外務・防衛閣僚級協議(2 プラス
2)創設で合意、原子力発電所関連技術の新興国への輸出推進も確認
10 米カリフォルニア州で米軍と陸海空自衛隊が合同の離島奪還訓練を開始、14 日、護衛艦
「ひゅうが」にオスプレイが初着艦
政府と東京電力などが東電福島第 1 原発廃炉の工程表改定案を公表、1 ― 3 号機の溶融燃
料取り出しを従来の 2021 年末から最大 1 年半前倒し
11
政府が 2012 年度農業白書を閣議決定、
「食料自給力」の考え方を 4 年ぶりに復活
13 安倍首相がオバマ米大統領と電話会談、沖縄県・尖閣諸島問題で悪化した日中関係の修
復に向けて日中両政府間で対話を進めることが重要との認識で一致
復興庁幹部職員がツイッター上で特定の国会議員や市民団体を中傷する内容の書き込み
を繰り返していたことが判明
川崎重工業が臨時取締役会で長谷川聡社長ら取締役 3 人を解任、三井造船との経営統合
交渉をめぐる対立が理由、交渉は白紙に
刑の一部を執行した後の残りの刑期を猶予する「一部執行猶予制度」創設を盛り込んだ
改正刑法などが衆議院本会議で可決、成立
14 政府が減税や規制緩和で民間活力を引き出す「成長戦略」と経済財政運営の指針「骨太
方針」を閣議決定
15 稼働中の福井県の大飯原発 3、4 号機が 7 月施行の新規制基準に適合しているか調べるた
め原子力規制委員会が現地調査、委員が「決定的不足はない」と発言
16
安倍首相がポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの東欧 4 ヵ国首脳との会談で
原子力や再生可能エネルギー分野の協力深化を掲げた共同声明を発表
17 巨大災害の発生直後から復旧、復興にとりかかれるようにする大規模災害復興法と改正
災害対策基本法が成立
19
原子力規制委員会が福島第 1 原発事故の教訓を取り入れ地震、津波対策などを強化した
原発の新規制基準を正式決定
20 三菱東京 UFJ 銀行が米金融当局に 2 億 5000 万ドル(約 205 億円)の和解金支払いで合意、
経済制裁下のイラン関連ドル建て取引で不適切処理
21
与野党 6 党が共同提出のいじめ防止対策推進法成立、重大事案が発生した場合に文部科
学省や自治体への報告などを学校に義務付け
22 ユネスコが「富士山」について景勝地の「三保松原」を含めて世界文化遺産に登録を決
定、山岳信仰の対象で日本の象徴としての文化的価値を評価
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国際問題月表
24
衆議院小選挙区定数の「0 増 5 減」で区割りを改定する改正公選法が衆院本会議で再可
決、成立、1 票の最大格差は最高裁判所が問題視する「2 倍以上」を下回る 1.998 倍に縮小
26
厚労省の審査委員会が人工多能性幹細胞(iPS 細胞)を使って目の網膜を再生する世界
初の臨床研究承認、滲出型加齢黄斑変性の患者 6 人が対象、移植手術は 2014 年実施
第 183 通常国会が閉会、参院本会議で安倍首相の問責決議を野党の賛成多数で可決、電
気事業法改正案など 6 法案は廃案に
沖縄電力、北陸電力を除く電力 8 社の株主総会で脱原発を求める株主提案否決
27
関西電力高浜原発 3 号機向けにフランスで製造されたプルトニウム・ウラン混合酸化物
(MOX)燃料 20 体を積んだ輸送船が同原発に到着、燃料搬入、東電福島第 1 原発事故後
の日本への MOX 燃料輸送は初
28
厚労省が牛海綿状脳症(BSE)の全頭検査を実施してきた全 75 自治体が 6 月末で同検査
を一斉に廃止することを決めたと発表、2001 年の導入から 12 年間続いた検査
Ⅲ
地域別
●アジア・大洋州
06 ・ 02
戚建国中国人民解放軍副総参謀長が尖閣諸島などをめぐる各国との争いで「(領有
権問題の)棚上げを支持」と表明、中国軍幹部が棚上げ論を明言するのは異例
土地開発をめぐる収賄罪などで服役中の陳水扁前台湾総統が自殺未遂、当局が制止
03
野中広務元官房長官が団長の超党派の訪中団が中国共産党序列 5 位の劉雲山党中央書記
局書記(党政治局常務委員)と会談、野中氏が尖閣問題について「日中国交正常化時に
両国の指導者の間で尖閣問題を棚上げするとの合意があった」と発言(北京)
05 パキスタン下院がパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派のシャリフ党首を新首相に
選出、シャリフ氏が米国の無人機攻撃を「終わらせるべきだ」と下院で演説、7 日、シ
ャリフ政権が発足
06 北朝鮮の対韓国窓口機関の祖国平和統一委員会が南北経済協力事業の開城工業団地の正
常化や金剛山観光事業の再開を話し合う南北当局間会談開催を韓国に提案、韓国が受け
入れ表明、11 日、韓国統一省が南北当局者会談の中止を発表、北朝鮮が韓国の首席代表
のレベルが低いことに不満、代表団を送らないことが原因と主張、13 日、祖国平和統一
委員会が中止は韓国側の責任と非難する談話発表
07 パキスタン北西部の部族地域北ワジリスタン地区で米国の無人機が民家をミサイルで攻
撃し 7 人が死亡、シャリフ首相就任以来初の無人機攻撃、8 日、シャリフ政権が米臨時
代理大使に抗議、23 日、パキスタン北部のヒマラヤ高峰ナンガパルバットで男がベース
キャンプを襲撃、外国人観光客ら 11 人を射殺、イスラム武装勢力「パキスタンのタリバ
ン運動」が無人機攻撃への報復と犯行声明
10
ベトナム国会が「高信任」「信任」「低信任」の 3 つから選ぶ方式で国家主席や首相、閣
僚など要職にある 50 人近くに対する信任投票を初実施、11 日、国会が結果を発表、汚
職などで国民の批判を浴びるグエン・タン・ズン首相への評価はきわめて低く「低信任」
が 32.13%
11
中国が有人宇宙船「神舟 10 号」を酒泉衛星発射センターから打ち上げ、13 日、無人宇
宙実験室「天宮 1 号」とのドッキングに成功
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国際問題月表
13
習近平中国国家主席が台湾与党国民党の呉伯雄名誉主席と会談(北京)、中台関係のい
っそうの発展で一致、習氏の国家主席就任後の「国共会談」としては最高レベル
14 ギラード = オーストラリア首相が北部に受け入れている米海兵隊の駐留規模を現在の 200
人程度から 2014 年に 1150 人規模に増員させることで米政府と合意と発表
フィリピン警備船による銃撃で台湾漁船の乗員 1 人が死亡した事件を受け台湾とフィリ
ピンの漁業当局者らが会合開催(マニラ)
、今後は武力や暴力を使わないことで合意
15 パキスタン南西部バルチスタン州クエッタの女子大構内でバスに仕掛けられた爆弾が爆
発し女子大生 14 人が死亡、イスラム教スンニ派の過激派組織「ラシュカレジャングビ」
が犯行を認め治安部隊による掃討作戦への報復と表明
16 北朝鮮の国防委員会が朝鮮半島の緊張緩和を話し合う高官会談を米国に提案と発表、オ
バマ米政権に対し前提条件なしで会談に応じるよう譲歩を要求
18 アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンがカタールの首都ドーハに対外的な窓口とな
る事務所を設置、和平に向け米国やアフガン政府と協議する意向を表明、19 日、事務所
の看板に「アフガニスタン・イスラム首長国」と旧国名を使用、当時の国旗まで掲げた
ためカルザイ大統領が交渉不参加を表明
19
張業遂中国外務次官と金桂冠北朝鮮第 1 外務次官が中朝戦略対話を行ない双方が朝鮮半
島の非核化について 6 ヵ国協議を含めた「対話を通じた解決」を目指すことで一致(北
京)、中朝間の外交当局間の対話は初
20
インド北部で降雨量が平年の少なくとも 2 倍に上る豪雨、20 日現在で死者は約 150 人
21 インドネシアから到達した野焼きによる煙害に見舞われているシンガポールで大気の汚
染度を示す指数が最悪の水準に、24 日、ユドヨノ = インドネシア大統領が謝罪
台湾の衛生当局が中部に住む 20 歳の女性が鳥インフルエンザウイルス(H6N1 型)に感
染したことを確認したと発表、人への感染確認は世界で初めて
中国と台湾が金融や電子商取引などで中台が一段と市場を開放する「サービス貿易協定」
に調印(上海)、開放が本格化
22 中国人民銀行(中央銀行)が英中央銀行のイングランド銀行との間で人民元とポンドの
通貨交換(スワップ)協定を締結
25 中国の上海株式市場で総合指数が前日と比べ一時 5% 以上急落、終値は 2013 年の最安値
を更新、中国人民銀行が金融市場の安定を維持すると異例の声明
アフガニスタンの首都カブールで武装した男 5 人が大統領府に接近、治安部隊との銃撃
戦で警備員 3 人死亡、5 人のうち 1 人は自爆、4 人射殺、タリバンが犯行を認める
26 モンゴル大統領選が投開票され与党民主党出身のエルベグドルジ大統領が過半数の得票
を獲得し再選
中国北西部の新疆ウイグル自治区トルファン地区ピチャン県で武装グループと警察が衝
突し 35 人が死亡、25 人が負傷
27
朴槿恵韓国大統領が習近平国家主席と会談(北京)、北朝鮮の核保有を容認しない考え
で一致、韓国大統領は就任後に米国の次に訪日が慣例だったが朴氏は初めて中国を優先
オーストラリアの労働党新党首に選ばれたラッド前首相が約 3 年ぶりに首相に返り咲き
28
カンボジアのアンコール遺跡群の周辺に古代クメール王朝が 8 ― 9 世紀に築いた首都の
遺跡をみつけたと筑波大が参加する国際研究チームが発表
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国際問題月表
30
ASEAN と中国が外相会議で南シナ海の紛争回避を目指す「行動規範」策定に向けた公
式協議開催で合意(バンダルスリブガワン〔ブルネイ〕)
●中近東・アフリカ
06 ・ 01 トルコの最大都市イスタンブール中心部にあるゲジ公園再開発計画に反対するデモ
が反エルドアン政権デモとしてアンカラなど各地に拡大、治安部隊との衝突で千数百人
が負傷、1000 人近くが拘束、4 日、公務員労働組合連盟が合流し 24 万人規模のストに
突入、7 日、エルドアン首相が北アフリカ諸国歴訪を終えて帰国、反政府デモ隊との対
決姿勢を鮮明に、11 日、イスタンブールで警官隊が群衆に催涙弾を発射、15 日、警察
が催涙弾や放水車を使って公園を占拠するデモ隊を強制排除、44 人が負傷
02 アッバス = パレスチナ自治政府議長が自治政府首相に大学学長のハムダラ氏を指名、組
閣を指示、6 日、ハムダラ内閣が発足
06 オーストリア政府がゴラン高原でシリアとイスラエルの停戦を監視する国連兵力引き離
し監視軍(UNDOF)から同国の全部隊を 2 ― 4 週間で撤退させると発表
10 イラク北部モスルなど北、中部の多くの場所で自動車に積んだ爆弾の爆発や銃撃があり
少なくとも 70 人が死亡、230 人が負傷
14 イラン大統領選で改革派の支持も受けた保守穏健派の聖職者ロウハニ最高安全保障委員
会元事務局長が保守強硬派のガリバフ = テヘラン市長らを破り当選
18 エチオピアによるナイル川上流での大規模ダム建設に下流のエジプトが反発している問
題で両国外相が会談(← 17 日、アディスアベバ)、ダム建設の下流への影響について友
好的に協議することで一致
24
ハマド = カタール首長が国民向けの演説で自らが退位し 4 男のタミム皇太子(33 歳)に
首長位を継承したと発表、湾岸アラブの君主が存命中に退位して権力を譲るのは異例
26 シリア人権監視団(英国)が反体制デモが本格化して以来の死者の集計が 10 万人を超え
たことを明らかに
30 イスラエルとパレスチナの和平交渉を仲介しているケリー米国務長官が 27 日からアッバ
ス議長とネタニヤフ = イスラエル首相の間で「シャトル外交」を展開、アッバス議長と
の会談後にパレスチナの和平交渉担当者アリカット氏が交渉再開で合意できなかったこ
とを明らかに
モルシ = エジプト大統領就任 1 年に合わせた反政府デモで首都カイロの広場に約 50 万人
が集結、全土では数百万人が参加したとみられ衝突などで少なくとも 7 人死亡、政権発
足以来最大規模の反政府デモ
●欧
06 ・ 04
州
EU 欧州委員会が中国製の太陽光パネルが欧州に不当に安く輸出されているとして
反ダンピング関税を課す仮処分を決定
13 EU 欧州委員会が中国が EU 各国製の継ぎ目なしステンレス鋼管に反ダンピング(不当廉
売)関税を課している問題で中国を WTO に提訴と発表、日本も同様に提訴しており EU
と共闘へ
ギリシャ政府が緊縮策で公営テレビのラジオ(ERT)を閉鎖、13 日、官民 2 大労組の連
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 61
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合組織が抗議の 24 時間ゼネスト、14 日、ERT に連帯するストで新聞も発行停止に、21
日、連立政権を構成する民主左派が与党離脱
14
EU 貿易担当相理事会が米国との自由貿易協定(FTA)締結に向けた交渉開始を全会一
致で承認、ハリウッド映画など米文化の流入を警戒するフランスの要求を受け入れ EU
の交渉方針として「音楽・映像」分野を自由化対象から除くことで合意(ブリュッセル)
16
英紙『ガーディアン』が CIA 元職員スノーデン氏から入手した資料から英政府機関が
2009 年にロンドンで開かれた 20 ヵ国・地域(G20)財務省・中央銀行総裁会議などで各
国代表団の電話やメールを傍受していたと報道
17 ネチャス = チェコ首相が軍情報局に自身の妻を監視させ職権を乱用したなどとして訴追
されたことを受け辞任、25 日、ゼマン大統領が後任にルシュノク元財務相を指名
18
欧州自動車工業会が発表した 5 月の EU の乗用車の新車登録台数が前年同月比 5.9% 減の
104 万 2742 台で 5 月としては 1993 年以来の低水準
23
アルバニア議会(一院制、140 議席)選挙で左派の社会党党首でラマ前ティラナ市長率
いる野党連合が中道右派のベリシャ首相の与党民主党を破り第一党に
24 イタリアのベルルスコーニ元首相が未成年者買春と汚職(職権乱用)の罪に問われた事
件でミラノ地方裁判所が禁錮 7 年(求刑禁錮 6 年)と公職に就くことを禁じる判決
27
EU 財務相理事会が域内の銀行の救済や破綻処理の際の共通ルールとして公的資金の支
出を極力制限し株主や債券保有者、高額預金者に損失負担を求めることで合意(ブリュ
ッセル)
28
EU 首脳会議が 2014 ― 20 年の EU 中期予算について原則合意(← 27 日、ブリュッセル)、
予算の柔軟運用により若者の失業対策を最優先課題として取り組むことで一致、ラトビ
アが 2014 年 1 月 1 日に単一通貨ユーロを導入することを承認、18 番目の導入国
●独立国家共同体(CIS)
06 ・ 12 プーチン = ロシア大統領を支持する翼賛組織「全ロシア国民戦線」の創設大会が大
統領を正式に代表に選出
16
キャメロン英首相とプーチン大統領が会談(ロックアーン)、同首相は会談後の記者会
見でシリア内戦終結に向けた手法で両者の立場に大きな違いが残ったことを明らかに
17
プーチン大統領とオバマ米大統領が会談(ロックアーン)、旧ソ連諸国の戦略核などの
解体を米国が財政支援する「ナン・ルーガー計画」に代わる核拡散防止の協力の新たな
枠組みの創設で合意
20 キルギス議会が政府の提案を受け首都ビシケク郊外のマナス空軍基地の米軍への貸与を
2013 年 7 月中旬で打ち切る決定
21
ロシア国営石油最大手ロスネフチと中国石油天然ガス集団(CNPC)が今後 25 年間にわ
たり中国へ原油を供給するとの内容の合意文書を交換(サンクトペテルブルク)、契約
金額は推定 2700 億ドル(約 26 兆 4000 円)
30 プーチン大統領が同性愛を公の場での宣伝行為を禁じる「同性愛宣伝禁止法案」に署名
●北
米
06 ・ 03 オバマ米大統領が核開発を進めるイランに経済面から圧力をかけるため多額のイラ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 62
国際問題月表
ン通貨リアルの取引を手がける各国金融機関を追加制裁対象とする大統領令発表
05 FBI とマイクロソフト社が世界最大級のサイバー犯罪グループに対する合同作戦を実施、
サイバー操作により 1400 の違法ネットワークの約 7 割を無力化することに成功
07 米国のサンオノフレ原発の運営会社が三菱重工業製の蒸気発生器の配管に異常な摩耗が
みつかった原発 2 基を廃炉にすると発表
13 人の遺伝子が特許の対象となるかどうかが争われた訴訟で米連邦最高裁判所が体内で自
然にできる遺伝子は特許対象として認められないとする判決を言い渡し
14
米上院軍事委員会が可決した 2014 会計年度(2013 年 10 月― 14 年 9 月)国防権限法案で
在沖縄海兵隊のグアム移転費約 8600 万ドル(約 82 億円)の計上見送りが判明
19 米議会の諮問機関「米中経済安保見直し委員会」が中国海軍が米国など他国の排他的経
済水域(EEZ)で活動を拡大しているとの報告書を公表
バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長が量的緩和を 2013 年内に縮小する可能性
に言及、同時に事実上のゼロ金利政策を「かなりの期間維持」する姿勢も示したが市場
は動揺
米国務省が売春や強制労働を目的とする世界各国の人身売買の状況に関する 2013 年版の
報告書を発表、中国とロシアが政府の対策に改善がみられないとして約 10 年ぶりに 4 段
階の評価の最下層に転落
21
オバマ大統領が FBI 長官にジェームズ・コミー元司法副長官を指名
25 米上院外交委員会が尖閣諸島周辺や南シナ海で領有権を主張し示威行動を活発化させて
いる中国を非難する決議案を全会一致で可決
26 米連邦最高裁が連邦法「結婚防衛法」が結婚は男女間のものと規定している条項を違憲
とし同性婚のカップルも同等の権利が得られるべきだとの判断を示す、同性婚自体の是
非の判断は回避、オバマ大統領が歓迎の声明発表
27
米上院本会議が不法移民への市民権付与に道を開く移民制度改革法案を可決
●中南米
06 ・ 02 ブラジルのサンパウロ市が公共交通機関の運賃を値上げしたことをきっかけに物価
高騰やサッカー・ワールドカップ(W 杯)開催への高額公費支出に反発する市民のデモ
が相次ぎ各地に飛び火、20 日までに 80 都市以上に拡大、参加者は 100 万人を超えデモ
対応のためルセフ = ブラジル大統領が 26 日から予定していた訪日を延期
03 習近平中国国家主席がチンチジャ = コスタリカ大統領と会談、高速道路整備を支援する
ため 3 億 9700 万ドル(約 400 億円)の融資を行なうことで合意(サンホセ)
、4 日、ペニ
ャニエト = メキシコ大統領と会談、メキシコから中国向けに豚肉やテキーラなどの輸出
を増やす措置をとることで合意(メキシコ市)
05 ケリー米国務長官がハウア = ベネズエラ外相と会談(アンティグア〔グアテマラ〕
)
、険
悪な状態が続いている米国とベネズエラの関係の改善を目指すことで一致
13 アルゼンチンの高等裁判所が 1990 年代に違法な武器輸出に関与した密輸罪で有罪評決を
受けたメネム元大統領に禁錮 7 年を言い渡し
ニカラグア国会が太平洋と大西洋を結ぶ運河を建設する計画を承認、建設費用は 400 億
ドル(約 3 兆 8000 億円)
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 63
會田 裕子・大野圭一郎
編
細川 洋嗣 (共同通信)
Ⅰ 国際関係/Ⅱ 日本関係/Ⅲ 地域別
2013 年 7 月 1 日− 31 日
Ⅰ
国際関係
07 ・ 01 国連が世界の貧困解消を目指すミレニアム開発目標(MDGs)の到達状況報告書を
発表、2015 年までの飢餓人口の割合半減や結核克服は達成できるとの見通し
日米韓の 3 ヵ国が外相会談(バンダルスリブガワン)、北朝鮮の非核化の必要性で一致
IAEA が核安全保障に関する初の閣僚会議を開催(ウィーン)
、核テロなどの脅威を懸念、
核施設をサイバー攻撃から守るなどの核安全保障体制強化に向けて IAEA に指針の作成
や拡充を要請する閣僚宣言を採択、5 日、国内での核物質の防護も義務付けた改正核物
質防護条約の発効に向け「努力を続けなければならない」との議長総括を発表、閉幕
04 チグリス・ユーフラテス川流域の肥沃な三日月地帯東端に位置するイランで流域最古と
される 1 万 2000 年から 9800 年前の農耕遺跡発見とドイツ研究チームが米科学誌に発表
09 IMF が 4 月に公表した世界経済見通しを改定、2013 年の世界全体の実質経済成長率を 0.2
ポイント下方修正し 3.1% と予測
10
WHO が喫煙による死者が世界で年間 600 万人に上り対策が強化されなければ 2030 年ま
でに年間死者が 800 万人に達する可能性があるとの統計を発表
11 フランス、英国、日本の国際調査チームが 2012 年の世界の原子力発電所発電量が前年比
6.8% 減で 3 年連続減少と発表
15 世界で稼働中の原子炉 437 基のうち 162 基が 30 年超稼働と IAEA の調査で判明
ニジェールなどサハラ砂漠南部「サヘル地域」でのテロ撲滅に向け武器密輸防止など各
国当局の取り締まり能力を強化する国連薬物犯罪事務所(UNODC)の計画に日本政府
が 3 年間で計 6 億 4200 万円を支援することを決定、ウィーンで署名式
16 北太平洋まぐろ類国際科学委員会(ISC)が太平洋のクロマグロの過剰な漁獲が続き 2010
年の資源量が過去最低レベルにまで落ち込んだとの評価報告書をとりまとめ
19 宇宙の成り立ちを解明する手掛かりと期待される素粒子ニュートリノが飛行中に変身す
る現象の新たなパターンを世界で初めて観測したと高エネルギー加速器研究機構(茨城
県つくば市)などの国際チームが発表
OECD が多国籍企業が税率の低い国に利益を移し課税を逃れるのを阻止する共通ルール
づくりで合意、15 項目の行動計画を発表、スターバックスやアップルを想定
20
20 ヵ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が米国の金融緩和策縮小をめぐり混乱
を招かないよう米国に政策変更の説明を求めるとともに世界経済は「依然弱すぎる」と
して各国に雇用と成長を最優先として行動するよう求める共同声明を採択し閉幕(← 19
日、モスクワ)
24 ハンセン病患者を抱えるインドやブラジルなど 17 ヵ国の担当閣僚らが出席し「ハンセン
病国際サミット」開催(バンコク)、取り組み強化を促す「バンコク宣言」を採択
25 2040 年の世界のエネルギー消費が中国やインドの経済成長を背景に 2010 年に比べて 56%
増え二酸化炭素排出量は 46% 増加するとの推計を米エネルギー情報局が発表
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 64
国際問題月表
29 リブニ = イスラエル法相とパレスチナの和平交渉担当者アリカット氏がケリー米国務長
官を交え 2010 年秋から中断していた中東和平交渉を再開(ワシントン)
、30 日、2 週間
以内に次回交渉をすることで合意
Ⅱ
07 ・ 01
日本関係
岸田文雄外相が尹炳世韓国外相と会談(バンダルスリブガワン)、日韓関係の発展
が重要との認識で一致
6 月の日銀短観(企業短期経済観測調査)で企業の景況感を示す業況判断指数が大企業
製造業でプラス 4 と前回から 12 ポイント改善、1 年 9 ヵ月ぶりにプラス転換
02 復興予算が被災地と関連の薄い事業に使われた問題で復興庁と財務省が未使用の都道府
県や公益法人の基金 1017 億円の返還要求
茂木敏充経済産業相がグエン・ミン・クアン = ベトナム天然資源・環境相と会談(ハノ
イ)、日本の技術を提供する見返りにベトナムの温室効果ガス削減量を日本側に算入す
る「二国間クレジット制度」を導入することで合意
03 原子力規制委員会が国内で唯一運転中の関西電力大飯原発 3、4 号機の新規制基準への適
合状況を評価した結果「重大な問題は生じないと判断する」との報告書を了承
日本政府が東シナ海の日中中間線付近の海域で中国が新たなガス田とみられる採掘関連
施設の建設に着手していることを調査で確認、中国政府が着手認める
08 原発の新規制基準が施行され北海道、関西、四国、九州の 4 電力会社が 5 原発 10 基の再
稼働に向けた安全審査を原子力規制委員会に申請、東京電力は新潟県の強い反発を受け
柏崎刈羽 6、7 号機の申請見送り、12 日、九電が玄海原発 3、4 号機の安全審査を申請、
申請は 6 原発 12 基に
09 小野寺五典防衛相が 2013 年版防衛白書を閣議で報告、沖縄県・尖閣諸島周辺での中国の
海洋活動を危険視、国際規範の順守を要求、北朝鮮のミサイル開発への懸念を表明
仲井真弘多沖縄県知事が菅義偉官房長官と会談(東京)、米軍新型輸送機オスプレイの
普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)への 12 機の追加配備計画の見直しを要請
古屋圭司拉致問題担当相がエルベグドルジ = モンゴル大統領と会談(ウランバートル)
、
北朝鮮による拉致問題解決に向けて協力を要請、10 日、アルタンホヤグ首相とも会談
10
東電福島第 1 原発敷地内の観測用井戸で放射性物質が高濃度で検出された問題で原子力
規制委が「汚染水の海洋拡散が疑われる」との認識示す、22 日、東電は汚染水が海に流
出していることを初めて認める
環境省の内部メールがインターネット上で第三者に閲覧できる状態だったことが明らか
に、11 日、政府が再発防止を指示
11
黒田東彦日銀総裁が「経済が緩やかに回復しつつある」と景気回復宣言、2 年ぶりに景
気の現状判断に「回復」の表現が復活
ソフトバンクが米携帯電話 3 位スプリント・ネクステルの買収を完了、売上高で世界 3
位規模の携帯通信グループが誕生
12 総務省が発表した 2012 年の就業構造基本調査によると雇用者全体に占める非正規労働者
の割合が 38.2% と 2007 年の前回調査から 2.7 ポイント上昇し過去最高を更新
16 東京証券取引所が大阪証券取引所の株式市場を統合し取引開始、統合後に 3423 社となる
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 65
国際問題月表
上場企業の数と時価総額の合計はいずれも世界 3 位
21
参議院選挙実施、自民党が 65 議席を獲得し圧勝、公明党とともに参院過半数を占め衆
参両院の「ねじれ」解消、民主党は 17 議席で惨敗、共産党は現行制度最多の 8 議席
22 「1 票の格差」を是正せずに都道府県単位の区割りで実施した 21 日の参院選は違憲だと
して弁護士グループが全選挙区を対象に一斉提訴
23 日本が環太平洋連携協定(TPP)交渉会合に初参加(→ 25 日、コタキナバル〔マレーシ
ア〕)、日本は国内農業を守りつつ自由貿易を追求する方針
甘利明経済財政担当相が閣議に 2013 年度の年次経済財政報告(経済財政白書)を提出、
緊急経済対策や金融緩和で消費者マインドが改善、景気は 2013 年に持ち直しと説明
25
厚生労働省の調査で 2012 年の日本人の平均寿命が男女とも前年より延び女性 86.41 歳、
男性 79.94 歳、2011 年に香港にトップを譲り渡した女性が長寿世界一に返り咲き
安倍晋三首相がナジブ = マレーシア首相と会談(プトラジャヤ〔マレーシア〕
)
、南シナ
海情勢への対応に関し国際法の順守が重要との認識で一致
26 民主党両院議員総会が海江田万里代表の続投と引責辞任する細野豪志幹事長の後任に大
畠章宏代表代行を充てる人事を了承
総務省が発表した 6 月の全国消費者物価指数が前年同月比 0.4% 上昇の 100.0 に、プラス
になるのは 2012 年 4 月以来 1 年 2 ヵ月ぶり
29 麻生太郎副総理兼財務相がドイツのナチス政権時代に言及し「ワイマール憲法はいつの
間にか変わっていた、あの手口を学んだらどうか」と発言
古屋拉致問題担当相がグエン・タン・ズン = ベトナム首相やチャン・ダイ・クアン公安
相らと相次いで会談(ハノイ)、拉致問題の解決に向けて協力要請
30
理化学研究所と先端医療センター病院が人工多能性幹細胞(iPS 細胞)を使い目の難病
患者の網膜を再生する世界初の臨床研究を 8 月 1 日から始めると発表
総務省発表の 6 月の完全失業率(季節調整値)が前月比 0.2 ポイント低下の 3.9% と 3 ヵ
月ぶりに改善、3% 台はリーマン・ショック直後の 2008 年 10 月以来 4 年 8 ヵ月ぶり
Ⅲ
地域別
●アジア・大洋州
07 ・ 01
王毅中国外相がラブロフ = ロシア外相と会談(バンダルスリブガワン)、北朝鮮核
問題をめぐる 6 ヵ国協議を早期再開し朝鮮半島の非核化実現に向け協力を確認
02 インドネシアのスマトラ島アチェ州でマグニチュード(M)6.1 の地震、5 日現在で 35 人
が死亡、275 人が負傷、8 人が行方不明
03 北朝鮮が韓国側に稼働を停止している南北経済協力事業の開城工業団地に進出している
韓国の企業と政府関係者の団地訪問を許可すると伝達、6 日、韓国と北朝鮮が正常化問
題などについて当局者実務協議、31 日、6 回目の協議でも合意できず
パキスタン北西部の部族地域北ワジリスタン地区で米国の無人機がミサイル攻撃、武装
勢力メンバーとみられる 17 人が死亡、2 人負傷、パキスタン外務省が「主権への侵害」
と米国に強く抗議する声明を発表
06 高虎城中国商務相とシュナイダーアマン = スイス経済相が両国間の自由貿易協定(FTA)
に調印(北京)
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 66
国際問題月表
中国四川省カンゼ・チベット族自治州タウ県でチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ 14
世の誕生日を祝うため集まったチベット僧らに中国治安部隊が発砲、7 人が負傷
10 台湾とニュージーランドが経済協力協定に調印、台湾のニュージーランド産コメ輸入を
除き今後 12 年以内にすべてのモノの貿易への関税をゼロとする計画
朝鮮半島の植民地時代に徴用工として強制労働させられたとして韓国人 4 人が新日鉄住
金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めた訴訟でソウル高等裁判所が同社に計 4 億ウォン
(約 3500 万円)の支払いを命じる原告勝訴の判決、戦後補償問題で韓国の裁判所が日本
企業に賠償を命じるのは初、30 日、太平洋戦争中に広島市の工場で強制労働させられ被
爆したとして韓国人元徴用工 5 人が三菱重工業に損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴
審で韓国の釜山高裁が 1 人当たり 8000 万ウォン(約 700 万円)を支払うよう命令
ソウル中央地方裁判所が 1980 年代に韓国で軍の情報機関に連行され「北朝鮮スパイ」と
して約 6 年 3 ヵ月間服役した在日韓国人の朴栄植さんに再審で無罪判決
13
フィリピンのミンダナオ島が拠点のモロ・イスラム解放戦線(MNLF)とフィリピン政
府が和平交渉で焦点だった石油などの資源配分で合意
15 テイン・セイン = ミャンマー大統領が投獄中の全政治犯を 2013 年末までに釈放する方針
を公表(ロンドン)
16 ラッド = オーストラリア政権が温室効果ガスの排出削減を目指し 2012 年導入された事実
上の炭素税を予定より 1 年早い 2013 年 6 月末に廃止、7 月から排出量取引制度に移行す
る方針を発表
インド政府が通信や保険など 12 業種で外資規制の緩和に踏み切ると発表
17
中国商務省が 2013 年上半期の対中直接投資実行額を発表、前年同期比 4.9% 増の 619 億
8400 万ドル(約 6 兆 1600 億円)で日本からは 14.4% 増の 46 億 8700 万ドル(約 466 億円)
19 テイン・セイン大統領がフランスのテレビ局のインタビューで 2016 年の任期満了後に再
任の考えはなく最大野党の国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー党首が大
統領候補となることにも異論はないと発言
中国人民銀行(中央銀行)が銀行の貸出金利の下限規制を撤廃、自由化すると発表
20
台湾与党の国民党が党トップの主席に馬英九総統を再選
22 日本が官民一体でインドネシアのジャワ島で進めるアジア最大級の石炭火力発電所建設
予定地の住民と環境保護団体のメンバーら約 120 人がジャカルタの日本大使館前で建設
中止を求めるデモ、30 日、予定地で住民と治安部隊が衝突、住民側は 17 人負傷と発表
中国甘粛省定西市でマグニチュード(M)6.6 の地震、95 人死亡、1000 人以上負傷
25 中国山東省済南市の人民検察院(地方検察庁)が収賄と横領、職権乱用の罪で重慶市ト
ップの同市共産党委員会書記だった薄熙来氏を起訴
李源潮中国国家副主席が金正恩北朝鮮第 1 書記と会談(平壌)
、中国指導部の要人訪朝は
2012 年 11 月以来、2013 年 2 月に北朝鮮が 3 回目の核実験を実施してからは初
26 パキスタン北西部パラチナルの市場で爆発が相次ぎ少なくとも 57 人死亡、100 人以上負
傷、イスラム武装勢力「パキスタンのタリバン運動(TTP)
」の一派が犯行声明、29 日、
北西部デライスマイルカーンで武装勢力が刑務所を襲撃、治安部隊と銃撃戦、受刑者 243
人が脱走し警察官ら 9 人が死亡、TTP が犯行を認める
韓国最高裁判所が 1975 年に「北朝鮮スパイ」と疑われて連行され国家保安法違反罪など
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 67
国際問題月表
で服役した在日韓国人 2 世の金鍾太さんの再審で検察の上告棄却、無罪確定
27
北朝鮮が 1953 年の朝鮮戦争休戦協定調印から 60 年を迎え平壌の金日成広場で大規模な
軍事パレードを実施、金正恩第 1 書記が観覧、演説はせず
28 カンボジア下院選挙の投開票が行なわれフン・セン首相の与党カンボジア人民党が勝利
したが議席数は大きく後退、野党のカンボジア救国党が躍進
29
パキスタン大統領選挙が上下両院と 4 州議会で行なわれ与党パキスタン・イスラム教徒
連盟シャリフ派のマムヌーン・フセイン元シンド州知事が当選
30 中国共産党が中央政治局会議で「改革を深め構造調整を加速する」として改革路線の堅
持を決定、リスクへの対応力を高め足元の景気安定を図る方針
●中近東・アフリカ
07 ・ 01 モルシ = エジプト大統領の就任 1 年に合わせた反政府デモが続き首都カイロのタハ
リール広場に約 50 万人が集結しモルシ氏退陣を要求、3 日、エジプト軍司令官を兼務す
るシシ国防相が国民向けに緊急演説、反政府デモ拡大による混乱を収拾するため憲法停
止を宣言、モルシ大統領の権限を剥奪し拘束、軍によるクーデター、初の自由選挙によ
る政権は 1 年で崩壊、4 日、マンスール最高憲法裁判所長官が暫定大統領に就任、5 日、
各地でモルシ氏支持派と反対派が衝突、全土で 36 人が死亡、8 日、カイロ郊外でモルシ
氏支持者らが銃撃を受け 51 人死亡、約 1000 人負傷、9 日、マンスール暫定大統領が副
大統領にエルバラダイ氏を任命、16 日、経済学者のベブラウィ首相率いる暫定内閣発
足、クーデターを主導したシシ国防相が第 1 副首相を兼任、26 日、各地で軍支持派とモ
ルシ氏支持派が計数十万人規模のデモ、カイロでの衝突で 75 人死亡、31 日、暫定内閣
がイブラヒム内相に座り込みを続けるモルシ氏支持者を強制排除するよう指示
フランスが 1 月に軍事介入したマリで国連平和維持活動(PKO)部隊の展開開始
オバマ米大統領がキクウェテ = タンザニア大統領と会談(ダルエスサラーム〔タンザニ
ア〕)
09 レバノンの首都ベイルート郊外にあるイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの支持者が
多い地区で自動車爆弾が爆発、中東の衛星テレビのアルジャジーラが 53 人負傷と報道
11 イラク中部ムクダディヤなどで自動車爆弾の爆発や武装集団による治安部隊への攻撃が
あり全土で少なくとも 44 人死亡、12 日、北部キルクークなどで自爆テロなどが相次ぎ
全土で少なくとも 47 人死亡、14 日、南部バスラや中部クートなど各地で爆弾の爆発が
相次ぎ全土で少なくとも 38 人死亡、20 日、バグダッドなどで自動車爆弾の爆発が相次
ぎ全土で少なくとも 71 人死亡、21 日、バグダッド周辺にある 2 ヵ所の刑務所がそれぞ
れ武装勢力に襲撃され治安部隊の 25 人、武装勢力の少なくとも 10 人死亡、29 日、バグ
ダッドや南部バスラ、サマワなど各地の十数ヵ所で自動車に積んだ爆弾が爆発し少なく
とも 60 人が死亡
13 スーダン西部ダルフール地方で国連・アフリカ連合(AU)ダルフール合同活動(UNAMID)
の部隊が武装集団の襲撃を受け 7 人が死亡、17 人負傷
14 シリア人権監視団(英国)がアサド政権側部隊と反体制派武装勢力との戦闘などにより
全土で 129 人が死亡したことを明らかに
16
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のグテレス高等弁務官が国連安保理の公開会合
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 68
国際問題月表
でシリアの難民登録者数が 2013 年 1 月以降約 3 倍に増えて 180 万人に達したと報告
18
アッバス = パレスチナ自治政府議長がパレスチナ解放機構(PLO)幹部らとの会合を開
きイスラエルとの和平交渉の再開に応じるかどうかを協議(ヨルダン川西岸ラマラ)
28 クウェートの国民議会選挙(27 日実施)の開票終了、政府支持派が大半の議席を獲得し
て勝利、野党勢力は選挙制度変更への反発から 2012 年 12 月の前回選挙に続いてほとん
どがボイコット
31 ジンバブエで大統領選挙、独立以来約 33 年間権力を握るムガベ大統領と旧野党を率いる
ツァンギライ首相が対決
●欧
州
07 ・ 01 経済危機のポルトガルでガスパール財務相が辞任、2 日、連立与党の民衆党党首ポ
ルタス外相が政府の進める緊縮策に反発して辞任、6 日、コエリョ首相がポルタス党首
を副首相とすることで民衆党と合意、連立解消の事態は回避
クロアチアが EU に加盟し 28 ヵ国体制に、EU の加盟国拡大は 2007 年 1 月のルーマニアと
ブルガリア以来 6 年半ぶり
02
EU 欧州議会がイスラム系移民らに対するヘイトスピーチ(憎悪発言)が問題とされて
いるフランス極右政党「国民戦線」のルペン党首への不逮捕などの免責特権の剥奪決定
EU 統計局がユーロ圏 17 ヵ国の 5 月の失業率が 12.2% だったと発表、失業者数は 1934 万
人で失業率、失業者数ともに 1995 年の統計開始以来の最悪水準を更新
04
欧州中央銀行(ECB)が主要政策金利を過去最低の 0.5% で据え置くことを決定
05 フランス紙『ルモンド』が同国の情報機関が国内や対外国の電話やインターネット通信
を傍受し大量の個人情報を収集していたと報道
ドイツ連邦参議院(上院)が原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設地の
選定をやり直し 2031 年末までに決めることを定めた法案可決、成立
08 EU 欧州委員会が財政危機のギリシャを金融支援する EU や IMF などの査察チームが 81 億
ユーロ(約 1 兆 500 億円)の次期融資に必要な経済・財政政策についてギリシャ政府と
事務レベルで合意に達したと発表
09
EU がロシアが自動車のリサイクル(廃車)に伴ってかかる税を国産車に限って免除し
ているのは WTO の協定に違反しているとしてロシアを WTO に提訴、2012 年 8 月に WTO
に正式加盟したロシアが提訴されるのは初
EU 財務相理事会がラトビアが自国通貨ラトに代えて 2014 年 1 月 1 日に単一通貨ユーロを
導入することを承認、同国は 18 番目のユーロ導入国に
10
EU 欧州委員会が自動車の車内配線「ワイヤハーネス」の販売をめぐり矢崎総業と古河
電気工業(いずれも東京)など 5 社が価格カルテルを行なったと認定、うち 4 社に計約 1
億 4100 万ユーロ(約 181 億円)の制裁金支払いを命令
12
ロンドンのヒースロー空港で駐機中のエチオピア航空のボーイング 787 が火災、けが人
はなし、13 日、英調査当局はトラブルが相次いだバッテリーとは関連なしとの見解
17 EU 欧州委員会が EU 予算に絡む犯罪を捜査し訴追する権限をもつ欧州検察官の創設の具
体案を提示、2015 年 1 月の創設を目指す、英は不参加を表明
21 約 20 年にわたり在位したベルギー国王アルベール 2 世が退位、長男のフィリップ皇太子
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 69
国際問題月表
が議会で宣誓し第 7 代国王に即位
22
英ウィリアム王子の妻キャサリン妃がロンドン市内の病院で第 1 子の男児を出産、王位
継承順位は 3 位、24 日、英王室が男児の名前は「ジョージ」と発表
23 ブルガリアの首都ソフィアで政界の汚職などに抗議するデモ参加者らが国会議事堂を取
り囲み閣僚や国会議員ら 100 人超が約 8 時間閉じ込められる
24
スペイン北西部ガリシア州で高速鉄道が脱線し横転、80 人死亡、130 人以上負傷、28
日、司法当局が運転士を過失致死などの容疑で刑事訴追
31 財政危機に陥ったキプロスを支援する EU 欧州委員会と ECB、IMF の 3 機関(通称トロイ
カ)が同国への初回査察を完了、預金の強制カット率は 47.5% に
IMF が債務危機に陥っているギリシャが 2015 年末までに 109 億ユーロ(約 1 兆 4000 億円)
の資金不足に陥る可能性があると指摘
●独立国家共同体(CIS)
07 ・ 02
米当局にスパイ活動取締法違反などの容疑で訴追されロシアに亡命申請していた
CIA 元職員スノーデン容疑者がこの日までに一転して申請を撤回、5 日、ベネズエラが
亡命申請を受け入れる考えを表明、ニカラグアも同調、6 日、ボリビアも表明、12 日、
オバマ米大統領がプーチン = ロシア大統領と電話会談しこの問題を協議、プーチン大統
領は現状を招いた責任は米国にあると批判、16 日、スノーデン容疑者がロシア連邦移民
局に 1 年間の亡命を申請、31 日、ロシア政府は 1 年間の亡命を認める
05
ロシアと中国の両国海軍による合同軍事演習が中国艦艇 7 隻のロシア極東ウラジオスト
ク港への入港により開始(→ 12 日)
●北
米
07 ・ 06 韓国のアシアナ航空のボーイング 777 がサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗し
炎上、2 人死亡、180 人以上負傷、12 日、死者 3 人に
10 連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長が雇用回復が不十分なためきわめて緩和
的な金融政策がしばらくは必要と表明
11
米中両政府が外交や経済の課題を話し合う閣僚級の「戦略・経済対話」が閉幕(← 10
日、ワシントン)、オバマ米大統領と習近平中国国家主席の意思疎通を図るため両首脳
の特別代表間にホットラインを開設することを決定、シェールガス開発では米国の協力
拡大で合意、焦点のサイバーセキュリティー問題では対立
12 米国と EU の FTA 締結を目指す初の交渉会合が閉幕(← 8 日、ワシントン)
、2014 年中の
交渉妥結を目指す
17 バーナンキ議長が議会証言で米国債などを大量購入する量的緩和について経済の改善が
予想どおり続けば「今年後半に購入規模縮小に着手するのが適切」と表明
18
米ミシガン州のデトロイト市が連邦破産法 9 条の適用を裁判所に申請し財政破綻、負債
総額は 180 億ドル(約 1 兆 8000 億円)以上で米自治体の破綻としては過去最大
米司法省がパナソニックと子会社の三洋電機が自動車部品やリチウムイオン電池の価格
カルテルへの関与を認め計約 5650 万ドル(約 57 億円)の罰金支払いで合意と発表
20 米フロリダ州で黒人少年を射殺した元自警団の男性に無罪評決が出たことに抗議するデ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 70
国際問題月表
モや集会が全米 100 都市以上に拡大
24 オバマ大統領がルース駐日米大使の後任に故ケネディ元大統領の長女キャロライン・ケ
ネディ氏を指名すると正式発表
リトル米国防総省報道官がオバマ大統領がエジプトへの F16 戦闘機供与を当面凍結する
ことを決めたことを明らかに
25
オバマ大統領がチュオン・タン・サン = ベトナム国家主席と会談(ワシントン)、2013
年内妥結を目指している TPP 交渉の加速で一致
米司法省が大企業のコンピューターシステムから1 億 6000 万枚以上のクレジットカード番
号などを盗み出したとしてロシア人ら 5人の男を起訴、被害額は数億ドル(数百億円)規模
29 ケリー米国務長官がオバマ政権の新たな中東和平特使にマーティン・インディク元国務
次官補を任命
米上院本会議が尖閣諸島周辺や南シナ海で示威行動を活発化させる中国を念頭に領有権
の主張や現状変更を狙った「威嚇や武力行使」を非難する決議案採択
31
FRB が米国債などを大量に買い入れる量的金融緩和を現行規模のまま維持すると決定
●中南米
07 ・ 02 モラレス = ボリビア大統領の専用機がロシアからの帰国途中に CIA 元職員のスノー
デン容疑者が搭乗している可能性を疑われ欧州諸国に領空通過を拒否されウィーンに緊
急着陸、4 日、南米諸国連合(UNASUR)の一部首脳が同問題で会合(コチャバンバ〔ボ
リビア〕)、8 日、ボリビア政府は拒否した 4 ヵ国の大使を呼び虚偽の情報をどこから得
たか説明するよう要求
07 ブラジル紙が米国家安全保障局(NSA)がブラジル国内でも膨大な量の電話や電子メー
ルを傍受していたことがスノーデン容疑者から得た情報から判明したと報道
11 南部共同市場(メルコスル)外相会合が政情不安により加盟資格を停止していたパラグ
アイの復帰を 8 月のカルテス新大統領就任に合わせ認めることで合意(モンテビデオ)
12 メルコスル首脳会合がスノーデン容疑者が暴露した米政府による情報収集活動を強く非
難することで一致(モンテビデオ)
15 マルティネリ = パナマ大統領がパナマ運河で「無申告の軍事物資」を積んだ北朝鮮の船
を発見し拿捕と発表、17 日、北朝鮮外務省がキューバの兵器を運搬していたと認め乗組
員の解放を求める
国際問題 第 624 号(電子版) 2013 年 9 月号
編集人 『国際問題』編集委員会
発行人
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野上 義二
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機関、また当研究所の意向を代表するものではありません。
*論文・記事の一部分を引用する場合には必ず出所を明記してくだ
さい。また長文にわたる場合は事前に当研究所へご連絡ください。
*電子版最近号
12 年 7・8 月号 焦点:プーチン大統領体制の今後
12 年 9 月号 焦点:朝鮮半島をめぐる国際関係―歴史と現状
12 年 10 月号 焦点:ASEAN の新たなフロンティア
12 年 11 月号 国際援助潮流の流動化と日本の ODA 政策
12 年 12 月号 焦点:国連海洋法条約 30 年
13 年 1・2 月号 焦点:新興国の台頭と日本
13 年 3 月号 焦点:2012 年の米国大統領選挙
13 年 4 月号 焦点:習近平政権の安定性
13 年 5 月号 焦点:アフリカ開発の課題
13 年 6 月号 焦点:錯綜するアジア太平洋における地域統合構想
13 年 7・8 月号 焦点:東アジア新秩序像の多様な描き方
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国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 71