ジャケットとタイトルで人を戸惑わせるという点においては、前作『Marry Me』に劣 らないアルバムである。しかも今回はそのタイトルやアーティスト名さえ記載されて おらず、そこに映っているのは、セイント・ヴィンセント=シンガー・ソングライター/マ ルチ・インストゥルメンタリストのアニー・クラーク嬢の横顔だけ。けれど、そっけない パッケージが聴き手を油断させて驚かすカモフラージュに過ぎないことも、ファースト と全く同じだ。そう、今回はさらなる驚きが待っていた。元々ギタリストとしてキャリア をスタートした彼女、『Marry Me』は基本的にオーガニックなバンド・サウンドでまと め、ギターロックと呼んで差し支えない作品に仕上げていたわけだが、この2年ぶり の新作にはエレクトロニック処理も導入して、徹底的に作りこんだシネマティックな サウンドスケープを全編で展開。コンポーザー/アレンジャーとしての本領を発揮し、 いよいよケイト・ブッシュやビョークに連なる稀有かつ特異な才能を露わにしたと言 えるんじゃないだろうか? オクラホマ州タルサ出身のダラス育ち、現在はNYブルックリン在住のアニー(26歳)は、ポリフォニック・スプリーとスフィアン・ス ティーヴンスのバンドに在籍したのち、06年からセイント・ヴィンセント名義でのソロ活動を本格化。07年7月に登場したデ ビュー・アルバム『Marry Me』(日本では10月に発売)は、アメリカでもヨーロッパでもマスコミの絶賛を浴びて、彼女は08年度 のPLUGインディペンデント・ミュージック・アウォーズで最優秀女性アーティスト賞にも輝いた(PLUGは名前通りインディー・ ロックを対象にしたアウォーズで、同じカテゴリーでは過去にニーコ・ケイスらが受賞)。その一方でスフィアンのツアーと自身の ソロ・ツアーを並行してこなし、昨年夏頃には本作に着手していたようだ。 そして今回の彼女をインスパイアしたのはずばり映画だった。前作の解説でも触れたが、子供時代のアニーは演じること、シ アトリカルな仕掛けを用いて架空の世界を作り上げることに興味を抱いていたそうで、当然、大の映画好きでもある。そんな 嗜好を全開にして、曲ごとに自分が愛する映画もしくは映画のワン・シーンに合わせて勝手なスコアを作曲することから、作 業を始めたのだという。それだけに、言葉を敢えてシャットアウトして音だけに耳を傾ければまさにサウンドトラックを聴いている 気分で、映像喚起力は抜群だ。アニー自身は、「これらの曲を鮮明な色彩のアニマトロニックな旅に仕立てたかった」と説明 している。アニマトロニクスとは映画撮影によく使われる、コンピューターで操作する人間や動物のリアルなロボットのこと。分か りやすいのは『ジュラシック・パーク』や『ベイブ』辺りの映画だろうか? つまり、限りなくリアルで、でもリアルではない映画を見せ てくれる音楽――と捉えたらいいのかもしれない。“俳優”というアルバム・タイトルの所以もそこにある。資料によるとインスピ レーション源となった映画は、『地獄の逃避行』(原題『Badlands』。テレンス・マリック監督、マーティン・シーン主演の73年公 開のカルト映画)、ヌーヴェル・ヴァーグを代表するJ.L.ゴダール監督の『気狂いピエロ』、歴史的傑作ミュージカル映画の『オ ズの魔法使い』、ウディ・アレンの主演・監督のコメディ作品『スターダスト・メモリー』、ディズニーのアニメ映画『眠れる森の美 女』……などなど。見事にそれぞれ時代もテイストも異なるため、必然的にこのようなバラエティ溢れる音楽的アプローチを 伴うアルバムが仕上がったのだろう。古典的な映画音楽はもちろんのこと、前述したエレクトロニック、クラシック、ミュージカル /キャバレー音楽ほか多彩なスタイルを取り入れて、実に凝ったアレンジが施されている。 ちなみにこれらの映画は音楽の使い方においても印象的なのだが(例えば『スターダスト~』はタイトルの由来であるルイ・ アームストロングの『スターダスト』などジャズの名曲をフィーチャーし、『眠れる森の美女』にはあのチャイコフスキーによるバレエ 音楽をベースにしたサントラが使われている)、そういう分かりやすいヒントもほとんど感じさせずに独自の発想に根差している のも、非常に興味深い。もっとも、どの曲がどの映画に対応しているかは明かしていないし、アニーにとって映画はあくまで出 発点。そこからまずインスト曲としてアイデアを発展させて細部に至るまで音を構築し、次に、ポップソングとして成立するよう にメロディと歌詞(“職にあぶれた俳優”とか“黒い虹”とか“口を血で一杯にしながら笑う”といった曲タイトルからも分かるよう に、前作と同様にブラックな含みがたっぷり!)を乗せるという具合に、通常とは逆のルートを辿ってどの曲も完成したというか ら、元ネタと最終的な仕上がりの接点は微かにしか残っていないという。 そのプロセスにおいて彼女をサポートしたコラボレーターたちをここでご紹介しておこう。前作を同じポリフォニック・スプリーの一 員だったブライアン・ティーズリーらと共同プロデュースしたアニーは、今回のパートナーにジョン・コングルトンを指名。ジョンはペ イパー・チェイスというバンドを率いる一方、プロデューサーとしてアメリカのインディー・ロック界で広く活動しており、モデスト・マ ウスやブラック・マウンテンの作品にクレジットがあるほか最近ではザ・サーマルズの最新作『ナウ・ウィ・キャン・シー』を手掛け ている。またゲスト・プレイヤーについては、スフィアンのバンド仲間であるヒデアキ・アオモリ(来日公演では通訳も兼ねていた 日本人クラリネット/サックス奏者で、ジャズやクラシックの世界でも活動している)とアレックス・ソップ(フルート担当。フィリッ プ・グラスやニコ・マーリーら現代音楽作家とのコラボが多い)とマイク・アトキンソン(フレンチ・ホルン担当)、ツアーで前座を 務めたことを機に親交を深めたミッドレイクからマッケンジー・スミス(ドラムス)とポール・アレクサンダー(ベース)、3人のパーカッ ショニスト(前作にも参加したエンズリー・パウェルとジェフ・ライアン、マティアス・ボッシ)、ポリフォニック時代からの付き合いで 彼女のツアー・バンドの一員でもあるダニエル・ハート(バイオリン担当)といった面々が参加。アニーもギターとベースとキー ボードを自ら演奏しているが、やはり注目したいのはギタープレイだ。最近のインタヴューで彼女がお気に入りとして名前を 度々挙げているのは、ほかならぬキング・クリムゾンのロバート・フリップ。さらには、ロバートがプレイしたデヴィッド・ボウイの『ス ケアリー・モンスターズ』(80年発表)も本作に大きな影響を与えたそうで、なるほど、ファースト・シングルの『Actor Out Of Work』や『Marrow』からは『スケアリー・モンスターズ』直系の音が聴こえてくる。あのねじくれてゴツゴツしたギターに象徴され る不穏な空気と、とことん優美だったり無邪気だったりする面との対比が、アルバムの特徴と言えなくもない。オープニング曲 の『The Strangers』では幻想的なコーラスを配した美しい導入部分から一転、半ばに差し掛かるとトーンが暗く転調し、 『Black Rainbow』でも同様に不協和音の嵐に虚を突かれることだろう。 このようにして、ひとつの映画を元に、全く別の波乱万丈のストーリーをコンパクトなポップソングの中に作り上げることに成功 したアニー。本作をきっかけに、本物のサントラの仕事が彼女の元に舞い込むのも今や時間の問題ではないだろうか? 2009年4月 新谷洋子 TRACKLISTING: 1. The Strangers 2. Save Me From What I Want 3. Neighbours 4. Actor Out Of Work 5. Black Rainbow 6. Laughing With A Mouth Of Blood 7. Marrow 8. The Bed 9. The Party 10. Just The Same But New 11. The Sequel St. Vincent - Actor セイント・ヴィンセント 『アクター』 輸入盤品番 CAD 2919CD 5263.72919
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