塾員山脈

塾員山脈
プロ・ドラマー、国立音楽大学客員教授(2011 年 4 月から)
カシオペア後のユニットのメンバーは、
なぜか慶應育ちの塾員ばかり
︱︱神保彰さんは、LMSに所属する経
済学部 年生だった1980年に、日本
年の音楽
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︵笑︶。
行もしくは商社に勤めていたと思います
ば、矢内原勝先生のゼミでしたので、銀
りました。もし櫻井さんに出会わなけれ
ュージシャンとして活動して行く事にな
ィングの時期が重なり、卒業後もプロミ
りが、入社試験シーズンと海外レコーデ
驚きました。就職活動と並行してのつも
奏に思いもかけない大きな反響があって
ラマーに。ライブ録音したアルバムの演
迷いながらもプロとしてカシオペアのド
LMSのバンドマスターを兼任しながら、
神保
義塾の先輩でカシオペアのベース
だった商学部の櫻井哲夫さんに誘われて、
活動について教えてください。
ました。まず、プロになって
が尊敬する日本人100人﹂にも選ばれ
年にはニューズウィーク日本版の﹁世界
けているジャズドラマーです。2007
89年の脱退後も常に世界的な活躍を続
からも注目される高い評価を受け、19
IOPEA︵カシオペア︶
﹂に参加、海外
を代表するフュージョンバンド﹁CAS
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彰君
保 神
【じんぼう あきら】1959年東京生まれ。
1981年経済学部卒業。在学中の1980年に
CASIOPEA
(カシオペア)
のドラマーとして
プロデビュー。カシオペア時代を含めて、
現在までに50枚以上のアルバムをリリー
ス。ライト・ミュージック・ソサエティー
(L M S)時代にリリースした『P A P A Y A
EXPRESS(パパイア・エクスプレス)』も
2010年に再発売された。1月12日には最新
ジャンボリー)』も発売される。
アルバム『J I M B O J A M B O R E E(ジンボ
在学中からカシオペアのドラマーとして活躍
クリアなドラミングは、世界のプロから称賛されている
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り、櫻井さんと僕は1989年にカシオ
日々。ただ常にメンバー4人で行動して
をする忙しくても充実した順風満帆の
共感してのことですが、義塾育ちならで
ではなく、やっている音楽のテイストに
神保
言われてみれば、そうですね。決
してそれが理由でユニットを組んだわけ
のがあるのでしょうか。
生です。やはり、塾員として通じ合うも
鳥山君は塾高で1学年下、和泉君は同級
コリをかぶって錆びていきました。
に飽きてしまい、ドラムは部屋の隅でホ
らくは夢中になりましたが、意外とすぐ
ので。中等部に入学後、本当にドラムセ
ーンやピアノをたしなむ音楽好きだった
を弾き、社会人になってからもエレクト
カシオペア時代は、年間100回以上
のライブをこなしながらレコーディング
ペアを抜けて﹁JIMSAKU︵ジンサ
はの感性や人間性が引き合うのかもしれ
ラミッド︶
﹂を結成し、このユニットは休
アノの和泉宏隆君と﹁PYRAMID
︵ピ
2005年にはギターの鳥山雄司君とピ
ンバーとして復帰する事になりました。
カシオペアには1997年にサポートメ
のドラマー、スティーブ・ガッドのドラ
たジャズフュージョンのアルバムで、そ
コード。当時アメリカではやり始めてい
時代にクラスメイトから借りた一枚のレ
そんな僕に衝撃をもたらしたのは、塾高
楽しみな、とても地味な少年でした︵笑︶
。
当時の僕は、授業が終わるとまっすぐ
帰ってテレビドラマの再放送を見るのが
ットを買ってくれました。驚喜してしば
ク︶
﹂というユニットをつくりました。こ
ません。
止を挟んで現在も活動中。年末にはライ
ミングに強烈に引き込まれたのです。
いましたから、 年続くと酸欠状態にな
のユニットで1998年まで活動します。
ブを行い、今度の夏には3枚目のCDも
出す予定です。
「PYRAMID」左から 、鳥山雄司君(1983 年商学部卒業)
、
当時はクロスオーバーと呼ばれていた
ジャズフュージョンの魅力は、それまで
がありませんでした。それを見ていた父
んやお皿を箸で叩くのが楽しくてしよう
神保
子供のころグループサウンズが流
行し、ドラマーのまねをして食卓の茶わ
いつ頃だったのですか。
︱︱音楽、そしてドラムとの出会いは、
家のドラムセットのホコリを払い、ステ
ていた僕の音楽心を叩き起こしました。
ていました。このドラムの響きが、眠っ
るかのように変幻自在な演奏を繰り広げ
ムは曖昧さのないシャープなリズムが持
の良さ。特にスティーブ・ガッドのドラ
のジャズにない、クリアーで明確なキレ
は、叱るどころか中学生になったらドラ
ィーブ・ガッドをお手本に練習を始め、
茶碗をたたいている僕に
父はドラムセットを買ってくれた
ムを買ってあげようと約束してくれまし
高
になってからは、鳥山君とバンドも
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ち味で、あたかもドラムがソロ楽器であ
た。父は若い頃に米軍キャンプでベース
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︱︱ユニットを組んだ櫻井さんは先輩、
神保彰君、和泉宏隆君(1981 年法学部卒業)
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組みました。
リアできたときの喜びは大きい。好きな
ドラムなら、この繰り返しが果てしなく
が、僕はその事を全く知りませんでした。
とある大学の学園祭でカシオペアとTH
る和泉君を発見して、
﹁あ、和泉君、久し
現在は、ユニットでの活動以外に、
﹁ワ
ンマンオーケストラ﹂と題し、一人でコ
できるし、楽しいのです。
﹁イーボ﹂と呼ばれ、楽器運びや写譜など
ぶり。ここで何してるの?﹂と尋ねてし
ンサートツアーも行っています。201
E SQUAREが共演した際、楽屋にい
先輩のお世話をするのが役目でした。月
まったのです。同じ業界、同じジャンル
そして大学入学後はLMSに入部。L
MSの 年生はボーイをひっくり返して
水金曜は三田の501教室で練習するレ
年はプロデビュー 周年を記念して日
メールもない頃は、そんなものでした。
のバンドに居ながら、インターネットも
関係が厳しく、体育会的なクラブでした。
ドラムの練習はいくらやっても楽しい
歳になっても叩き続けたい
ケて拍手が起こったのですが、突然﹁コラ、
れです。これが帰り支度のお客さんにウ
ンタカタカタカタンタンターンというあ
の料理﹄のテーマ曲を弾いたのです。タ
げなく会場のピアノでNHKの﹃きょう
ら、一緒に入部していた和泉君が、なに
なかなか来ないエレベーターを待ちなが
で演奏を終えた先輩の楽器を片付けて、
入部してしばらく経った頃、あるホテル
の出演料を部の活動費にしていました。
日にダンパのバンドとして呼ばれて、そ
でも、ドラムの練習が苦痛だとはまった
た部室でずっと練習をしていました。今
れ以外の時間は、三田の裏門の横にあっ
業にはきちんと出席していましたが、そ
神保 才能というより、ドラムが好きで、
楽しくてしようがありませんでした。授
うね。
ろんとしても、熱心に練習したのでしょ
ペアから誘われるのですが、才能はもち
ターに指名されています。その後カシオ
ギュラーに加えられ、 年でバンドマス
︱︱神保さんは 年生の時にLMSのレ
ておいた各種楽器の音が流れて、生ドラ
に送られ、あらかじめプログラミングし
とによって信号がミディーコンバーター
サーを仕込んで、僕がドラムをたたくこ
のにはわけがあって、ドラムの中にセン
見にいらしてくだ
今度是非ライブを
らないですよね。
で説明しても伝わ
す。なかなか言葉
ンオーケストラで
これが僕のワンマ
ッドドラミング、
生まれたハイブリ
アナログのアコースティックドラムと、
デジタルプログラミングの融合によって
ムと合奏するという仕掛けなのです。
イーボ。何やってるんだ!﹂と先輩から
楽器の練習に限らないと思いますが、
やっていると自分の弱いところが見えて
いう意識もありません。
もありませんでした。大学卒業後、彼は
きて、それを克服したくなり、それをク
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THE SQUAREに参加するのです
それが原因かどうか、和泉君はLMS
を去り、その後キャンパスですれ違う事
く思っていませんし、努力をしていると
樹も見て来ました。オーケストラという
旧居を訪れ、記念館と創立150年の植
出身地である大分の中津にも行きました。
本全国108カ所で演奏し、福澤先生の
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声が飛びました︵笑︶。
当時はダンパ︵ダンスパーティー︶が
盛んな頃で、レギュラーバンドはよく土
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でジュニアバンドの練習で大忙し、上下
ギュラーバンドのお世話、火木曜は日吉
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︱︱今年から国立音楽大学で教えるそう
なく、ギターを使っていますけれど。
あります。もっとも作曲にはドラムでは
な行為で、演奏とはまた違った楽しみが
の中に眠っているものを掘り起こすよう
の曲はすべて自分の曲です。作曲は自分
いは強くなり、毎年出しているソロCD
ンオーケストラをやり始めてからその思
根源的な思いはあります。とくにワンマ
して美しいメロディをつくりたいという
器で、そこが強調されますが、音楽家と
神保
音楽をつくる要素は、リズムとメ
ロディとハーモニー。ドラムはリズム楽
けていますね。
︱︱ドラム演奏だけでなく、作曲も手が
っています。
歳になってもシャキッと背
意外に思われるかもしれませんが、僕
は早寝早起きで食事は低脂肪高たんぱく
きっとびっくりすると思いますよ︵笑︶
。
さい。ドラムでこんな事もできるのかと、
生へのメッセージをお願いします。
これからが楽しみです。では、最後に塾
︱︱世界的なドラマーにして大学教授、
僕もその半学半教の精神で行きます。
ちの良い学校だろうと感動したものです。
付けすることに、垣根のないなんて気持
神保
それで思い出しました。中等部に
入学して、教師を先生と呼ばずに、さん
じることですね。
︱︱義塾の伝統である﹁半学半教﹂に通
きっとたくさんあるはずです。
石のような学生から教えられることも、
また荒削りではあっても、磨けば光る原
り再発見したりするものがあるはずです。
あり、その過程で自分自身が再確認した
というか。これは非常に重要な作業でも
ん。漠然とした集積に法則性を見いだす
片を整理して再構築しなければなりませ
れまでの経験や勉強で得てきた知識の断
ました。教えるためには、教える側がこ
です。もともと教えることに興味はあり
専修主任教授︶の熱い思いに触れたから
︱︱本日は、ありがとうございました。
だと思います。
に限らず、すべての人に当てはまること
ます。これは音楽など芸術分野に進む人
こそ、本当に価値ある能力になると思い
として、内なる自分の力を掘り起こして
大切ですが、その外から得るものを刺激
交わり、知識を身につけることは確かに
との積み重ねでした。視野を広げ、人と
作曲にしろ、それを少しずつ掘り出すこ
僕の今までの音楽活動は、演奏にしろ、
います。教えることになった第一の理由
になりました。既にシラバスも提出して
神保
今年から同大学にジャズ専修がで
き、そこで客員教授として教鞭を取る事
うな能力が埋まっていると思っています。
れることを待っているダイヤの原石のよ
たが、僕はすべての人の内には、発掘さ
あるものを掘り起こすことだと言いまし
筋を伸ばしてドラムを叩いていたいと思
の和食派。
ですが、教育に携わる理由は何ですか。
神保
﹁人生は発掘である﹂というのはど
うでしょう。さきほど作曲は自分の内に
は、ピアニストの小曽根真さん︵ジャズ
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