世界最貧国を行く バングラデシュ旅行記

ダッカ市は上空から見ると茶色く、大きな建物がほとんど見えない。
公開コピー誌
河口の肥沃な土地であるはずなのに、何だか荒れ地が目につく。空は
世界最貧国を行く★
バングラデシュ旅行記
わったが、多分これが最初だったろう。
妙にほこりっぽい。僕は後に砂漠の国々で似たような「匂い」を味
それでも、日本に乗り入れている飛行機は、一応は世界標準が満た
すべきクオリティを維持しているから、舗装程度の良くない滑走路で
も何とか頑張って着陸を果たしてくれた。乾いた砂の味がする空港
暗黒通信団
に降り立つ。乗客は数人の日本人と欧米人を除けば、褐色の連中がほ
とんどだ。ベンガル人という。肌の色を書くとそれだけで差別云々
を唱える人がいるが、実際には、異物を見るような褐色団の視線に縮
こまっているのは僕の方だ。集中砲火に耐え、入国審査場へと歩く。
1序
●
何が怖いかって、連中は肌の色に対して目だけが真っ白なのだ。とに
海外旅行の第二弾は「バングラデシュ」だった。1998 年というか
かく「目」ばかりがギョロギョロしてやたら怖い。ゲームに出てくる
ら、もう 10 年近く前になる。「バングラデシュ? どこだ、それ?」と
モンスターみたいだ。
いうのが常人の反応だろう。大使館もあって直行便も出ているくせ
審査場は大盛況だった。整然と並んでくれればよいが、連中の並び
に、知名度がやたら低い。実在の地名だとすら思われないかもしれな
方は、放射状に群がる虫みたいで、どこが最後尾かも分からない。つ
い。旅行者も少なく、
「地球の歩き方」が発刊されていないあたりが、
まり並んでないのだ。処理能率も悪く、人だかりはほとんど減る気配
哀しい認知度をよく示している。
がない。13 時過ぎに着陸してから、ようやく列の先頭らしき位置に
インドの東、ガンジス川の河口に位置する。昔の名を、東パキスタ
進んだ頃には 14 時をまわっていた。それも途中でキれて VIP の列
ンといった。インドといえば、イギリスの支配に抵抗したガンジー氏
に割り込んでのことである。VIP クオリティもなにもあったもので
で有名だが、そのインドも、異教徒たるイスラム教には厳しかった。
はない。
で、インドの東西の端に位置していたイスラム教信者の地域が独立。
入国にはビザが必要なことになっている。ビザは空港で取得でき
これが東西パキスタンである。だが、一つの国が二つの地域に分断さ
るが、当然有料で、写真が二枚必要だから持って行け、とネットに
れているというのは統治上のバランスが悪く、首都がなかった東パキ
書いてあった。案の定、審査官は例の白い目で僕を睨み、「ビザ」と
スタンで独立運動が活発化。この機に乗じて、東パキスタンの独立を
だけ言った。「No」と答える。英語は苦手だから、極力単語だけを絞
支援したのが、他ならぬインドであり、バングラデシュはそうして誕
り出すしかない。ギョロメ審査官は僕を睨み、「じゃあ、この紙に書
生した。要するに、イスラム教国のくせに、ヒンズー教のインドと敵
け」と、青いカードを押しつけた。それは機内で渡された入国カー
対していない。これは国防上大変幸運なことで、よほど舵取りを誤ら
ドそのものだ。これなら書いてあるぞといって記入済を押しつける。
なければ、印パ紛争のような事態にはならない。
審査官は鼻を一つ鳴らし、「Japan? mmm ...OK! Japan is friend
国際関係としてはあまり問題ないのだが、この国は世界最貧国の一
country!」とかいって、バンとハンコを押してくれた。豪快な入国管
つである。なぜかというと、とにかく洪水がひどいからだ。ビルでも
理だ。お金も写真も出す必要もなく 15 日間の滞在が許された。いい
工場でも数年おきの大洪水で綺麗にリセットされてしまう。資本蓄積
加減というかおおらかというか、印象は上々だ。
もなにもあったものではない。それじゃ治水から始めようと唱えて
とりあえず追い返されずに入国できたので、次は荷物の奪取だ。恒
も、国土全体が、ガンジス川の河口三角州だから、日本の比でないほ
例の手荷物回転台に着くと、数人の外国人はまさにイライラの限界と
ど難しい。名古屋の輪中地帯が北海道くらいの面積で展開されたら、
いった感じで徘徊していた。着陸から 1 時間以上も経っているのに、
技術立国日本だって堤防を作る気力が失せるだろう。
いまだ荷物が出てこないのだ。さすがバングラデシュ。せっかちな
「そんなハイレベルな国に、なんだって海外初心者が行くんだ?」
先進国民はすぐさま空港会社にクレームの電話を掛けるだろうが、現
というのは当然の疑問だ。実は手引き者がいる。当時、親の職場の元
地民は当然といわんばかりに、ゴザを敷いてお祈りしていたりする。
同僚であり、大学の遙か先輩にあたる I 氏が、JICA の協力隊員とし
時間観念が甘いのか我慢強いのか知らないが、遅れても怒る気配は全
てバングラデシュに渡っていたのだ。最貧国などそう簡単に行ける
くない。
場所ではないし、「是非いらっしゃい」と言われれば、受けて立つ他
「こりゃ簡単には出てこないね」と呟き、別の用事を先に済ませる
はない。そんなわけで、この旅にあたっては終始 I 氏に依存しまくり
ことにする。つまり現地通貨への両替だ。バングラデシュの通貨は
である。そのせいで大冒険とは違った感じになったが、まぁそんなも
「Taka(タカ)」という。本稿では略して「Tk」と書くが、これが当
のだろうと思う。時期は三月下旬。ほんの四日の旅行であるが、未開
時 1Tk=3 円くらいだった*1 。空港の両替所では、20$で 880Tk だっ
の地の(8 年前の)実情をお送りしよう。
たからレートは 1$=45Tk。これに両替手数料 50Tk が加算されて現
地通貨が出現する。きたない、腐敗した紙くずのような紙幣だ。生ゴ
2 初日
●
ミ処理機に放り込んだスーパーのチラシとでも言うか。すべての自
徐々に高度を下げていく飛行機。外の日差しが強そうだ。首都の
動機械が確実に認識できないだろうと、全力で三年保証できる。
*1
現在ではだいぶ上昇しているようだが。
1
トイレにも行っておく。イスラム式トイレは初めてだ。形状は和
関係なく、ファンキーなメロディのクラクションをならしっぱなし
式トイレに似てるが、トイレットペーパーの他に水道水のホースが垂
で、対向車線にはみ出しながら追い越す。しかも追い越しはいたると
れている。掃除道具かと思うが、そうではない。直接水を出して尻を
ころで予測不能に発生し、誰も方向指示を出さないので(壊れてるか
洗うのがイスラム流なのだ。ここはまだ国際空港だからペーパーが
らだ)、横を走っていたバスがいきなり割り込んできたり、イヤガラ
あるが、街中に入ったら紙なんて期待できない。気が滅入る話だ。試
セのようなジグザグ走行が頻発する。悪気は全く感じられない。公
しにホースで尻を洗う訓練も必要かと思い、大便でもないのに頑張っ
道ラリーというか。運転難易度はとてつもなく高いと言えよう。街
て消火してみる。トイレは見事に水浸しで床上浸水。惨敗だった。
の中心の七叉路だと人が歩くのさえつらい。日本の白バイは見た瞬
荷物は 30 分くらい粘っていると一気に出てきた。どこで引っか
間に卒倒だろう。道路交通が難しいせいか、単に貧乏なせいかは知ら
かっていたか知らないが、脱糞という表現がいちばんしっくりくる。
ないが、私用車はほとんどなく、ほとんどがタクシーなどの営業車両
そもそもターンテーブルのモーターが故障していたという説である。
だ。中でも多いのが、8 人乗りの「テンプ」と、より小型の「ベビー
モーターが燃えたとか、物騒な英語がちらほら聞こえると、期待に胸
タクシー」である。これに 20 分(体感 1 時間)ほど乗ると、もうお
が弾む。そういうのを見にきたんだから!
なかいっぱいで「早く降ろしてくれ」という気分になる。
I 氏は空港で待っているとメールしてくれていたが、荷物を持って
「グルシャン地区」は外国人が多く住んでいる高級住宅地だ。爆走
外に出ても、姿は見えない。手にプラカードを持った原地民がゾワゾ
タクシーが着陸した場所は、JOCV ハウスというところだった。時
ワと群がっているばかりだ。きっと遅れに我慢できずブチ切れて帰っ
刻は 15 時。JOCV とは海外青年協力隊のことなのらしい。予想通
てしまったのかもしれない。暗黒通信団のオフ会でもあるまいし、普
りというか、マンガ単行本が大量に散らばっている。「疲れたでしょ
通は 1 時間も我慢して待ってるような根性はないだろう。
う」と言われて「いやそれほどでも」と答えてみるが、実はグッタリ
外はいかにも熱帯南国の空気で、砂地にヤシの木が立っている。エ
だ。もちろん一番疲れたのは予断を許さないジェットタクシーであ
ジプトに似てなくもない。とりあえず I 氏をさがして外に出てみた
る。水を二杯もらって、1 時間ほど休憩し、JOCV ハウスを見学さ
が、あまりに暑いので、すぐに空港の中に逃げ込んだ。折良く職員ら
せてもらった。ここは隊員たちの事務所で、2 階には旧式の(という
しき男を捕獲できたので、日本大使館に行くにはどうしたらいいかを
か、もう見たこともないような)IBM のボロパソコンが転がってい
詰問する。そりゃ、困ったら大使館だろう。彼は英語を解し、外国人
た。10 年近く前の時点で既に化石マシンだったのだから、今じゃ博
対応用らしきリストを取り出した。が、そこには大使館が載ってなく
物館級だろう。2 階の上は屋上。どこかのアジトみたいな雰囲気を放
て、ニッコリ笑ってお手上げという身振り。「それじゃ、JICA の事
射する無線アンテナと、インドの衛星放送が見えるというパラボラが
務所」と聞いても、そもそも JICA 自体を理解してくれない。諦めて
立っていた。この屋上、プールもついていて、なかなか豪勢である。
また外に出たとき、向こうから声がした。
「S く∼ん」と。I 氏だ。ど
日差しが強く、埃っぽい街にしては、なかなか違和感のある立派なリ
うやら最初に出口から出たときに見つけて、待っていたらしい。「あ
ゾートだ。
まりに歩くのが速くて見失った」と。申し訳ない。「遅れてすみませ
とりあえず事務所に泊まるわけにはいかないから、宿を探さないと
ん」と謝ったら「あー、この国じゃ、1 時間遅れなんていつものこと
いけない。I 氏が事前に書いておいてくれたらしい手製の地図を渡し
だから」と快活に一蹴された。そうなのか?
てくれた。飲み屋情報から土産物情報まで、かなり細かい。さすが
I 氏はさすが JICA
隊員だ。バババっと豪速の値段交渉をして*2 、
だ。GoldenDeer というゲストハウスが一番近く、そこそこだという
青いボロボロの車に乗り込んだ。もう 100% 現地語なので全然分
ことで、初日はそこに泊まることにする。この宿、実はクーラーが
からない。最初からすべてお任せだ。この車、タクシーの表示すら
壊れていたが、一泊 1600TK(約 5000 円)というから、バングラデ
ない。日本じゃ絶対に車検に通らなさそうなボロだが、生意気にも
シュの最高級ホテルに違いない。高級なので朝夕の食事もついてい
TOYOTA である。見ると、公道を走る他の車も凄い。謎の三輪バイ
る。部屋に落ち着いて、お茶を飲みながら I 氏と軽く世間話をした。
クが、エンジン性能ぎりぎりを酷使して必死に疾駆している。必死と
考えてみると昼メシも食べてなかったので、夕食がてら、謎の軽食
いうのはつまり、エンジン音が甲高くて不安定なのだ。聞いてるだけ
屋でナンと肉の塊を食べた。「これで普通」と I 氏は言ったが、激烈
で怖い。それを追い越すときも、車線などお構いなしに加速し、あた
に辛い。地獄ラーメン五丁目くらいか。伝票を見ると、水にも値段が
まからねじ伏せる。もちろん方向指示器なんて壊れてる。割れたサイ
付いていたので、頑張って水も全部のむ。水はタダなんていう甘った
ドミラーを心の眼で見ながら勘でドリフトだ。頭文字 D もビックリ。
れた常識は通用しない。
実際、バングラデシュらしさは「交通」に集約されている。空港か
腹を膨らませたら、買い物だ。マーケットがあり、これは結構カル
ら市内に向かうメイン道路は鉄道と平行しているが、信号がないこと
チャー的に凄い。一階は食料品(ただしイスラム教なので酒はない)
を除けば、道自体の舗装はまともだ。両側には椰子の木が並び、歩行
で、二階は骨董品。主に衣類が多いが、奥に進むと謎の木彫りやイン
者が 6 車線道路を華麗に横断する。が、そこを走る車が凄い。まず
ドっぽいアクセサリ、家具や絨毯まで何でも並んでいる。とりあえず
まともな車なんてありゃしない。速度計は全部壊れてるし、ミラーな
見るだけならタダなので、色々と眺めてみるが、品質はどれも東京の
んて取れてる。最高級のバスでも、窓ガラスはヒビだらけだ。エンス
リサイクルショップに届かない感じだ。ちなみにバングラデシュの
トはしょっちゅう。排ガス規制をまるで考えてないから、胸がむせ返
特産品は、大理石、牛革、仏像、ヒンズー教の像などだという。大理
るような煤煙道路になっている。一応は左側通行だが、そんなの誰も
石というのは驚きだ。
*2
ちなみに、空港から JOCV ハウスまで 250Tk だった。
2
帰りは謎のオンボロ人力車に乗って 4Tk。これは「リキシャ」とい
も、中間層に至るまでに、数年に一度の洪水で命ごとリセットだ。彼
う。聞けば語源は日本語の「力車」そのものだそうな。リキシャはバ
らはそれを分かっているから、必要最低限の稼ぎしかしない。いつま
ングラデシュの名物らしい。展示だけなら江戸東京博物館でも見ら
で経っても貧乏のまま。一方で、一定水準以上の私財があって、洪水
れるが、現役で稼働しているセンスはまただいぶ違う。そもそも、何
に耐えられる家を持てれば、ますます財を増やせる。国際的な緊張関
かいたたまれなくなってくるのだ。でっぷり太った若者(自分)が、
係にあるわけではないし、暖かい土地で潜在的な農業生産力もある
人力車にどっかり乗り込み、10 円とか 20 円とか、カスみたいな小銭
わけだから、金持ちの方は、日本企業の部長クラスの所得を持てる。
(一応紙幣ではあるが)で、壮年の痩せこけた人間をうんうん言わせ
で、アメリカに留学したり移住したりして優雅に暮らす。
ながらこき使う。どう考えてもお代官様と下人である。もしくはハ
かといって、テレビで喧伝されるほどに毎日餓死者が出るとか、そ
リウッドあたりの奴隷映画か。明らかに自分が悪役だから、何だかど
ういうこともないのが、面白いところだ。理由は実に複雑だが、そも
んどん気持ちが落ち込んでくる。I 氏は「全然気にすることない、こ
そも飢えで死ぬような貧弱な連中は、大人になる前に疫病で死んで
れは仕事としてやってるんだから」と屈託なく笑い飛ばしたが、理性
しまう。人口構成は老人が極端に少ない。そして、これこそが是非特
でそう割り切っても、なかなか微妙なのは確かだ。彼らがチップでも
筆すべきなのだが、リキシャ漕ぎは決して悲壮に生きてるわけでは
要求するならまだ納得できるのだが、そんな気配もない。
ない。彼らはバイタリティに満ちていて、暗くない。なぜかは分から
さらに問題なのが、リキシャの供給過剰だ。そこまで仕事がないの
ないのだが、もしかしたら、豊かであることがどんなことであるかす
かと思うほどに、もの凄く積極に営業活動してくる。死骸に群がるア
ら知らないのではないかと思ったりする。とすれば、日本で暗い雰囲
リみたいに、外人と見ればリキシャ、リキシャと大合唱だ。こうなる
気を醸し出してる連中は、単なるキザでしかなく、幸福であることを
と、リキシャ引きが哀れというより、国家の経済政策の方を批判した
知っている分だけ贅沢なのかもしれない。
くなる。
実際に、世界最貧国と名高いバングラデシュが、どのくらいの賃金
3 ラッシャヒ
●
水準なのかを示そう。まず JICA 隊員の給料が月額 280 ドル (3 万
せっかく見知らぬ地に来たのだから、首都ばかりに留まらずに、
円)。これがだいたい 12000Tk に相当する。これはネパールの隊員
色々と巡ってみたいと思うのは当然だ。I 氏はそういうセンスをよく
と同じくらいだそうだ。一ヶ月 3 万円といえば、日本では生活保護に
理解してくれて、事前に手製のツアーを準備してくれた。というか、
届かないほどの低賃金だが、それでメイド付きの家を維持できるのが
そもそもツアー会社なんて存在しないので自前で組むしかない。と
ここの物価である。高級品と言えば、免税店で買う外国人向けのビー
いうことで、これから三日間は、バングラデシュの地方都市を二つま
ルが 20TK。現地の社長向けビールでも 100TK だ。どうしてこんな
わることにする。
に給料が安いのかというと、現地人と同じくらいのレベルの生活で
朝 5 時にセットした目覚ましは、鳴ったのだろうけど聞こえなかっ
「草の根」協力せよというのが趣旨なのらしい。貧弱な貯金でも日本
た。1 時間を平然と寝過ごし、6 時過ぎのお目覚め。それでも普段か
円を持ち込めば、たちどころにメイドを顎でこき使うような邪悪で横
ら比べればあり得ないくらい早起きだ。理系学生の朝が午前中にな
暴な生活が楽しめる。負け組を自認するニートは、是非これをやって
るなんてあり得ない。きっと時差のせいだ。
ストレス発散するべきだ。
熱帯とはいえ、北回帰線直下の国は、この時期特別に暑いわけでは
一般に、後進国というのは貧富の差が激しいものだが、バングラデ
ない。ただ南国の暖かく湿った空気で、なんとなく眠くなる。夏休み
シュもそれはそれはもの凄いことになっている。まず、平均的な会社
に田舎で迎える朝みたいだ。昨日の記録をノートにとりながら呆け
社長は月収 60 万 Tk くらい。上記のレートで計算すると月収 150 万
ていると、7 時半過ぎに朝食がやってきた。パンとコーヒーとハムに
円。日本だと大手企業の部長クラスか。これが、庶民になると、普通
あと少し。夕食はやたら大量だったが、朝は見事に普通の洋食だ。荷
の中の上くらいのメイド(8:00 から 14:30 までの労働)で月 3000Tk
造りして二度目のトイレに挑む。空港でイスラムトイレに全敗した
くらいが相場。一気に JICA 隊員の 4 分の 1 である。そしてお待ち
ので、できれば洋風のトイレがあるところで用をたしたい。ちなみに
かねのリキシャ曳きは、最貧クラスに位置し、売り上げベースで一日
バングラデシュの水道事情はまったくダメダメだ。世界有数の大河
50Tk しかない。大問題なのは、リキシャ自体が 5000∼6000TK す
を抱えてるくせに、水量が貧弱でトイレの紙すら流れない。おそらく
るため彼ら自身で買えず、所有者に借り賃として売り上げの 8∼9 割
どこかで配管が破れているか、加圧ポンプがいかれているのだろう。
を吸われる点だ。こうなると正味の収入は多く見積もっても一日あ
9 時前にチェックアウト。生意気にも VISA カードが使えたが、
たり 10Tk。休日無しで働いても月に 300Tk。先ほどのメイドのさ
15% というかなり高額な税を追徴された。思わずレシートを見て「何
らに 10 分の 1 である。日本円換算で月収 750 円。マクドナルドの時
ですかこれ」と聞き返してしまう。「税」とだけ返され、説明も何も
給相当だ。いまどき小学生の小遣いにも満たないだろう。これが世
ない。そりゃ「TAX」って書いてあれば税だってのは分かるよ。だ
界最貧国の現状である。都市部のアパートは月 5000Tk くらいかか
から何の税なんだと聞いているのに。…まぁ、壊れていると思ってい
るので、彼らは当然アパートにすら暮らせず、万年野宿である。私財
たクーラーも実は稼働していたので、それはそれでいいかもしれない
を貯めることもできないし、洪水が起これば、みんな揃って仲良く流
が、腹いせに冷蔵庫の水を二本失敬する。
される。その洪水たるや半端ではなく、1988 年には国土の 8 割が水
15 分遅れて I 氏到着。すぐさま道ばたで客引きしているエンジン
没したというから驚きだ。
付き三輪車に乗り込む。この乗り物、ベビータクシーといって、リ
実にこの洪水という要素が、この国の経済を特徴づけている。つま
キシャより 1 ランクだけステータスの高い乗り物だ。うるさい上に、
り、中間層が極めて少ない。貧困層が頑張ってお金を貯めようとして
大量の窒素酸化物をまき散らしながら走る有害マシンである。実際、
3
乗っていると副流煙(?)にやられて気持ち悪くなってくるが、速
ビータクシーに分乗して彼の自宅に向かう。飛行機が遅れて時間が
さはリキシャに比べて圧倒的だ。そりゃ徒歩とバイクの違いだから。
ないので、S 氏は「お昼ご飯だけ食べてもらって終わりかなぁ」と残
ちなみにリキシャは二人乗りだが、ベビータクシーは三人乗りだ。何
念そうだ。
より違うのは、エンジンなので乗ってて罪悪感にかられない点だろう
S 氏はラッシャヒへ来て 1 年と 9 ヶ月。もともとメーカー勤務のエ
か。「空港まで 44Tk で行ってください」と I 氏は言ったが、持ち合
ンジニアで、職業訓練学校で電機・機械を教えている。電機といって
わせが 100Tk 札しかないので、I 氏も前に乗り込んで出発。荷重が
も、コンピュータとか家電とか高級なものではなく、焼けたモーター
かかると明らかに加速が悪くなる。明らかにエンジンが貧弱だ。イ
の修理法らしい。そういえば、空港の荷物回転台も焼けたとかいって
スラム圏では、原則おつりが出ないので、とにかく小額紙幣を持って
いた。「モーターが焼けるなんて日本じゃ絶対考えられないけどね」
ないと話にならない。今回は I 氏が立て替えてくれた。ちなみに、こ
と軽く流してくれる。そりゃそうだ、掃除機や洗濯機から火が出たら
れから向かうのは地方都市「ラッシャヒ」だ。そこにも JICA の隊員
リコールじゃ済むまいよ。
が派遣されている。迷惑がられないかは不安だが、その辺の話はきっ
ベビータクシーは学校らしき門の前でとまった。これが例の職業
と I 氏がつけてくれてるんだろうと思って悠然と構えることにする。
訓練学校らしい。門をくぐってしばらく進むと、漢字で「S 宅」と書
先進国の首都では国内線と国際線の空港が分かれていたりするが、
かれた部屋についた。天井は日本よりやや高いくらい。すべて石造
ダッカの空港は一つしかない。だから到着した場所も見覚えあるもの
りで現地風だが、トイレだけはなぜか和式だった。そのセンスが妙に
だ。航空券はあらかじめ I 氏が手配してくれていた。何から何まで世
分かる気がする。もっとも、例によってトイレには紙がない。「詰ま
話になりっぱなしだ。飛行機は外国人と金持ちの乗るものだから*3 税
らないように棒でつついて流してください」と日本語の貼り紙。水道
金も高く、空港税 50Tk を追徴される。ついに現金の持ち合わせが
事情は相変わらずだ。
尽きたので、思い切って 100 ドル札を Tk に変換する。どっしりと
端的にいって、ラッシャヒは水だけでなく、電気にも不自由してい
した札束だ。バングラデシュでは、市中より空港の方が換算レートが
る印象を受けた。それは印象に過ぎないのかもしれないが、電灯が少
良い。
なく薄暗いのだ。熱帯モンスーンらしい空気と合わせて、何だか独特
ちなみに空港では、着くなりいきなり喜捨を要求された。原住民が
の寂れた雰囲気を醸している。特筆すべきは無線機の存在だ。バング
ニコニコしながら近づいてきかたと思うと、いきなり荷物をひった
ラデシュの電話網はありえないほど貧弱であり、隊員同士の連絡は無
くられ、騒いで奪い返すと、「運んでやったら 100Tk よこせ」と来
線が基本らしい。秋葉原の裏に売っているような、型落ちしたごつい
る。どこのヤクザだよ…。何でも、外人は優遇されていて、外国籍の
無線機が鎮座していて、ヘッドホンで音を聞きながらアナログダイヤ
パスポートを持っている人は空港税 300Tk を払わなくてよいのだそ
ルを回して周波数を合わせる。その仕草は、まるでどこぞの工作員。
うだ。で、原住民の反感分子がやたらたくさん徘徊しており、外国人
水を飲んで一服する暇もなく、向かいの部屋に呼ばれた。昼食をご
と見れば遠慮なく攻めてくる。「そりゃ、政策が悪い。本当は逆にす
馳走になるのだ。I 氏いわく、
「現地の文化を知るということで、ごく
べきだろう」と思う。貧乏だから外国の援助が欲しいのはわかるが、
普通の食事を頼みました」とのこと。大変ありがたい。で、ごく普通
この有様を見たら「ここに援助しても無駄じゃんか」と思うのが関の
の食事とは何かというと「カレー」である。東京でも本場のインドカ
山だ。
レー屋にいけば、日本式とは違った味が楽しめるが、まさにその現地
外に向かっておべっか使う分、内部はルーズで、実際、待てども待
味が振る舞われた。炊いた米に謎のおかずが数品、ジャガイモを練っ
てども搭乗開始アナウンスが入らない。昔ながらのパタパタめくる
た味付け団子のようなもの、ナマズの丸焼き、トマト、辛子。説明を
行き先表示板には「Delay」の文字列。聞くところによると、飛行機
聞いて理解できたのはそれくらいだが、問題は食材ではない。現地人
の数が足りないため、運用に余裕がなくて、前の遅延がそのまま次の
の食べ方なのだ。フォークなどにはめもくれず、カレーのルーの中に
遅延につながるのだという。本当かどうかは知らないが、ビーマンバ
いきなり右手をズボっと入れて、具をつかみ、ライスとぐちゃぐちゃ
ングラデシュ航空(ビーマンとは、ベンガル語の飛行機を意味する)
混ぜて一緒に喰う。手を入れることに迷いがない。フォークを片手
は、国際的な援助基金で国内用の飛行機を 3 機買ったが、整備技能が
に唖然とする僕を見て、S 氏は笑い、悪魔の誘いを発した。「手で食
足りないため、一機は故障で使えなくなり、一機は胴体着陸。残る一
べてみますか?」と。そんなこと言われたらネタ士として挑戦あるの
機で国内線をすべてやりくりしているのだそうだ。
みだ。
することもないので、I 氏に基礎のベンガル語を習う。「まず一番
まずは石けんで手を洗う。普通の石けんに消毒作用なんてなかろ
大事な単語は『ラグベナ』」と I 氏は言った。「要らない」という意味
うが、気休めだ。そしておそるおそるカレーに手を入れる。いざ、人
らしい。ベンガル人は厚意を押しつけてお金を取ろうとするので、挨
権を棄てるときぞ。肉の塊とタイ米を一緒に口へ。味は同じだが、な
拶なんぞよりもまず拒否の単語が最重要だという。激しく同意。
んというか、味以上の何かが違う。熱帯の、生水すら飲んではいけな
10 時 40 分発だったはずの飛行機は、それでも 30 分の遅れで済ん
いところで、こんなことして大丈夫だろうかと不安になる。食べてい
で 11 時 15 分に出発し、12 時 15 分にラッシャヒ空港に着いた。相
ると、食材はどんどん混じり合ってくる。カレー味のナマズとカレー
変わらず夏のような空気だ。空港出口はいつものように黒山の人だ
味の団子と何だか分からない謎のエキスが混じって胃袋におさまっ
かりだったが、さすが I 氏はすぐに S 氏をロックオン。なんせ日本人
た。とりあえず美味いのでよしとする。ちなみにあとで「大丈夫だっ
はほとんどいないし、S 氏と I 氏はともに協力隊員で知り合いだ。ベ
たか」と無線連絡が来たりしたが、とりあえず僕の胃腸は熱帯の細菌
*3
ちなみにお値段は 1650Tk。4000 円弱か。飛行機にしては異様に安い。
4
に勝利したらしい。
退職者が多いらしい。「前任者はプログラムを教えてたみたいだけ
衝撃の食事が終わるとすぐ、S 氏にお礼を言って別れ、門からリキ
ど、とてもじゃないけどそんなレベルにないから」と彼女は溜息混じ
シャに乗ってバス停に向かう。もともと曇っていたが、ついに雨が
りに言った。大学の情報処理実習でも BASIC だの C 言語を教えた
降ってきた。I 氏が現地語で「急げ」とかそれらしい単語を発してリ
がる教師がいるが、実際に必要なのは EXCEL のマクロなんだとい
キシャ曳きを叱責している。何だか奴隷船を彷彿させるが、実際時間
う。ということで、原住民相手にいわゆるシスアドの調教をするのが
がないのだから仕方ない。頑張ってバス停らしきところについた時、
仕事。僕がパソコン好きであることを告げると、話が弾んでしまい、
そこは人だかりになっていた。バスには間に合ったらしい。驚くべ
220V を知らずに通電してノートパソコンの基板を焼いたとか、様々
きことに、待ち人たちは傘をさすどころか、雨など存在しないかのよ
な武勇伝を聞かせてもらった。この僻地でパソコンが壊れることの
うに平然と歓談していた。こいつらに雨は通用しない。
ダメージははかりしれないだろう。秋葉原もヤマダ電機もないし、そ
もそも一般家庭には電話すら存在しない。文化程度はジャングルと
同じである。どうしてそういうところでパソコン教室が援助になる
4 ボグラ
●
のかは謎だが、それはそれで必要なのだろう。
ラッシャヒはまだ空港のある大きな地方都市(県庁都市みたいなも
ジャングルといえど、隊員は文明人だから家にはテレビがある。イ
のだ)だったが、これから行くボグラは完全な田舎の集落だ。ここに
ンドの衛星放送で音楽番組が流れていた。インドミュージックはな
は、やはり I 氏の同僚である JICA の O 嬢がいるらしい。
かなかノリが良い。話をしていると、ラッシャヒの S 氏から無線が
窓ガラスが割れているボロバスがボグラの集落に着くと、待ってい
はいった。手づかみでカレーを喰って腹をこわさなかったか心配し
たかのように O 嬢が迎えに来てくれた。なんせ都市間バスなんて珍
ているらしい。今のところ大丈夫と告げる。ここでも連絡の主体は
しいから、来たらすぐ分かるのだろう。O 嬢は快活な人で、すぐに
無線だ。日本人密度が希薄だと、距離に関係なく個人の存在感が浮き
「これに乗ってください」と謎のバイクを示す。4 人乗りの椅子付き
出るように思う。東京と逆だ。
バイクだ。椅子はついているが、その仕様は荷台以外の何でもなく、
風呂に入ったあとは、なぜかベンガル語講座が始まった。教師も二
スプリングなんて甘いものは入ってない。未舗装路面の凹凸がじか
人に増強されたので、教師同士で盛り上がったりしている。「ベンガ
に尻のツボを刺激する。痔になるか超健康になるかのどちらかだ。
ル語では 1 から 100 までぜんぶ呼び方が違うんです」と切り出され
どこの国でもそうだろうが、バングラデシュも田舎に行くほど交通
た講座は、なかなか他では聞けない代物だ。母音が 9 個、子音は 50
手段がハイレベルになる。謎のバイクは、坂の途中でいきなりエンス
くらいあるという。「『要らない』の次に大事な単語は『おつり』。こ
トし、運転手がムスッとしながらエンジン部分を叩き始めた。昔のテ
れは『バンティ』って言います」。確かに大事だ。釣りは催促しない
レビじゃないんだから叩いたって無理だろ、と思ってみていると、案
と出ないのだから。以下にノートを書いておこう。
の定どうにもならないらしく、蹴りを一発入れてから、大声で近くの
• ムスリムの挨拶:アッサラーム アレイクム→こう言われたら
子供たちを呼びよせた。皆でバイクを押すのだ。当然、客である僕ら
「ワライクム アッサラーム」と返す。
も降りて肉体労働に従事する。まるでどこぞの探検番組だ。カメラ
• ヒンズーの挨拶:ノモシュカル
マンがいたらいい絵になるだろうよ。
• 元気ですか?「バロ アチェン?」→元気です「バロ アチ」
10 分くらいかかって坂を登り切ると、エンジンはやっと復旧した。
• 日本人はどこだ?「ジャパニ、コタイ?」
そもそも、トルクいっぱいに酷使する発想がまずいのだが、運転手は
• いくらですか?「コト?」
とりあえず目の前の山をクリアしたら、過去のことなんて綺麗に忘
★物の値段の場合は「ダム コト?」
、運賃なら「バラ コト?」
れてしまうから、また性能限界に向かってアクセルを踏み続ける。こ
• 行きませんか?「ジャベン?」→はい「ジャボ」、いいえ「ジャ
ういうのを前向きな生き方というなら、後ろ向きもそんなに悪いこ
ボナ」
とじゃなかろうよ。未舗装道はいよいよひどくなり、顎がガチガチい
• 食べませんか?「カベン?」→はい「カボ」、いいえ「カボナ」
う。脳震盪でも起こしそうだ。貧弱なノートパソコンなら振動だけ
• 要りませんか?「ネベン?」→はい「ネボ」、いいえ「ネボナ」
で壊れてしまうだろう。「とても独りで来られる世界じゃないね」と
• 下さい「デベン」→→はい「デボ」、いいえ「デボナ」
実感するとともに、こんなところで逞しく生きている JICA 隊員を
ちなみに、このうちのいくつかは実戦投入を余儀なくされたので、
本当に尊敬してしまう。
やはり重要な会話である。
やがて、O 嬢の家についたとき、辺りはすっかり夜になっていた。
いつ何処でアクシデントが起こるから分からないので、パッケージツ
アーなんて成立しない*4 。「カレーしかないけど」と言って出された
5 マハスタン
●
カレーは、日本仕様で美味しかった。O 嬢は料理が得意だという。今
あまりに痒くて目が覚めた。甘く見て防虫を怠っていたら、蚊にさ
晩のお泊まりは、この O 嬢ハウスである。
されまくったのだ。熱帯の蚊は、マラリアやら、ろくでもない病原菌
ここで O 嬢の紹介をしておこう。もともと東京電力の下請けで働
の媒体だから少し怖い。バングラデシュではそれほど危険ではない
いていたプログラマで、技術移転のためにボグラの農業開発公社で
と言われてるが、さすがに怯えてしまう。今からでも遅くないから防
パソコンを教えているのだそうだ。青年協力隊の人というのは企業
虫スプレーをつけまくろうと決意。もう手遅れかもしれないけど。
*4
*5
いや、あるにはあるんだが。ユーラシア旅行社とか。
ペルシャ語の「土地」を意味する「スタン」との関係あるかもしれないが不明。
5
そもそも、なにゆえにこんな辺境に来たかというと、この近くに
ピュータ」の持つクールなイメージとはほど遠く、全体的に土木工事
はバングラデシュ最強の遺跡、マハスタン (Mahasthan) があるから
である。そして、街の全情報インフラがそんな店一軒の肩に掛かって
だ。マハは「大きい」
、スタンは「広場」という意味である*5 。8∼11
いるのが、最貧国の凄いところだ。
ちなみにパソコンはというと IBM の旧式 DOS/V 機で、1200bps
世紀の仏教遺跡で、のちにヒンズー教の遺跡となった。有名なのはテ
ラコッタなんだそうだ。
のモデムがつながっていた。もちろん日本語なんて表示もできない。
軽くパンを食べて日記をつけてると、10 時頃に車が迎えに来た。
電波で通信するとなると、土木システム的速度としては 1200bps が
ボグラの北約 18 キロまでポンコツ自動車で移動だ。ボロさが良い感
限界かもしれない。店主に「これはモデムか」と聞いたら、オタク仲
じで探検記分を出してくれる。ついたところは広大な田んぼであっ
間を見つけたと誤認されたらしく、大喜びで色々説明してくれた。た
た。遺跡という感じとは少し違う。まずは「博物館」なる施設に連れ
だしベンガル語なので分からない。とりあえず、DOS 版の telnet が
て行かれた。といっても日本のような立派な施設を想像してはいけ
入っていたので、それで日本の大学のサーバにつなぎ、メールだけ書
ない。たかが入場料 2Tk=7 円*6 の施設は、ほとんどがらんどうであ
いた。世界は Windows98 だというのに、何だって今さらコンソール
り、1 分で見終わってしまう。「これは博物館じゃなくて倉庫だろ…」
で古代語みたいなコマンドを打ち込まねばならんのか。
と心の中で叫ぶが、声にならない。
ボグラでは、名産のヨーグルトを買い、甘ったるいお菓子を食べて
本命の遺跡はその隣だ。広大な田んぼの中にある。結構でかい。マ
O 嬢の家に戻った。帰ると、何だか寒気がしてだるい。今頃手づかみ
ハスタン自体は 8 世紀の遺跡だが、その過去をたどると、どうも三蔵
カレーにあたったかと思ってビクビクしていると熱が出てきて、「う
法師が尋ねたプールナヴァルダナ国の都なのだという。つまり、イン
わーやばい」と思って休む。すると不思議なことに熱は 1 時間ほどで
ドの地方中核都市だった。面白いのは、階段状の建造物で、これは新
さっとひいたのである。謎だ。何か凶悪な病気にやられたかと思っ
婚カップルが初夜を迎える部屋の群れだという。今でいうところの
たが、8 年経っても発症してないので大丈夫だろう。熱帯は不思議な
ラブホテルか。そういうネタばかりを抽出して説明してくれる O 嬢
ところである。
は、なかなかのやり手であると思う。
いくらバングラデシュ最強といっても、世界の大遺跡からすれば貧
6 おばちゃん
●
弱なのは確かで、まぁこんなものかと 1 時間くらいで退散だ。Safty
O 嬢はメイドを一人雇っている。
「おばちゃん」といわれてる。本
Road と呼ばれるあまり安全には見えない道沿いで、何だかよく分か
名は「フィロジヤ・ベグン」という未亡人なのだが、O 嬢周辺の日本
らないカレー風味を喰っていると、日本人の観光客一団に遭遇した。
人ではみんな「おばちゃん」で通ってる。月給は 300Tk というから、
NGO が「Study Tour」とか称して手配旅行をやってるんだという。
メイドの中では最も安いランクだろうか。
O 嬢によると「NGO は日本の環境保護団体などと違って、職業斡旋
夜に、「おばちゃん」の家に招かれてるというのでついて行った。
のための外国資本だから、ちゃんと市場調査するし利益も上げる」の
おばちゃんは娘夫婦の家に居候しているとのことである。実際にバ
だそうだ。
ングラデシュの人々がどういう暮らしをしているのか、直接に見るこ
ボグラで特筆すべきは「電話屋」だろう。これは世界を眺めても
とのできる貴重な体験だ。そもそも僕が I 氏にそういうことを頼んで
あまり聞かない概念だ。店頭にはでかでかと「TELEPHON FAX
いたのが実現したものらしい。
INTERNET」と書いてあり、誰が見たって電器屋かと思うのだが、
ボグラは農業が盛んだ。畑を 15 分くらい歩くわけだけど、見渡す
入ってみると、カウンタに旧式のパソコン一台と(日本ならゴミ捨
限り 360 度の大平原だ。夕暮れの時だから、とてもいい感じである。
て場に棄ててありそうな)ファックス付きの電話が一つあるだけだ。
あぜ道をてくてくと歩いて、ついた頃にはすっかり日も暮れて、大量
「電話は何処?」と聞くと、
「これ」といって、そのファックスを指さ
の蛍がビカビカ光っていた。空を見ると、何だか見たことないような
される。なんと、電話機を売ってるのではなくて、電話機を使わせる
星空が展開する。余裕で 4 等星まで視認できるから、やたら綺麗だ。
のである。お客は店主に相手先番号を告げ、電話をつないでもらう。
立ち止まっていると、近所の子供たちに物珍しそうに取り巻かれて
一般家庭に電話が存在しない地域では、これが唯一のリアルタイム情
しまった。バングラデシュはやたら子供が多い。こいつらも多くが
報インフラだ。
長生きできないかと思えば、なかなか複雑である。
この概念だけでも衝撃だが、ボグラの電話屋はさらに奥が深い。そ
「おばちゃん」の長女はジョシュナさんといい、夫と子供二人を抱
もそもどうして電話が普及してないかというと、基幹の電話線自体が
えている。次女はモモタさんといい、生後 11 日の赤ちゃんと一緒だ
ひかれてないからだ。では電話屋はどうやって電話をつなげるかと
とか。あり得ないほどの大家族で、庭に円形にいすが並べられると、
いうと、実は有線ではなくて、無線を使うのである。電話の線を辿っ
フルーツバスケットができそうな勢いだ。ちなみに円の真ん中には
ていくと、ごつい無線機があり、ランプがチカチカ点滅している。さ
渦巻き蚊取り線香が鎮座する。箱に漢字で「金鳥」とか書かれている
すがに業者だから無線機の先には停電対策のバッテリがついている
あたり日本製らしい。井戸とトイレは外にあった。お菓子は乾パン
が、それとて UPS みたいな高級品ではなく、自動車の廃バッテリが
のような味気ないビスケットが出てきたが、その隣にはなぜかラジオ
直列につながっているだけだ。「12 ボルトを整数倍しても 220 ボル
が鳴っている。なんせこの家一番の贅沢品だから、見せびらかしたい
トにはならんだろ」と呟くが、彼らの電圧感覚は徹頭徹尾「動けばい
らしい。AM しか通じないラジオなど、今ならネットの 1 円オーク
い」で貫かれてるので、気にはならないらしい。機器構成は、「コン
*6
ションですら落札されないだろうが、確かに見るところ、それ以外に
当時は現地人相場で入れたが、現在では外国人相場で 100Tk もするらしい。中身は相変わらずだというから、行かないに越したことはない。
6
機械というものが存在しない。電気すらなさそうだ。「日本は工業国
だ。もちろんダムがあれば大洪水は少なくなるが、一方でバングラデ
だからラジオには興味を持つに違いない」と言ったかどうかしらない
シュは電気のほとんどを水力発電に頼っているため、手放しでは喜べ
が、精一杯の背伸びが微笑ましい。というか、泣けてくる。その頃日
ない。
本ではプレステ全盛だよ。
川を渡り終えると、嘘のように道が良くなった。まるで国境を越え
「で、肝心のおばちゃんは何処に?」と聞くと、納屋で寝ていると
たかのようである。バスは快活に走り、夕方にはダッカに到着した。
いう。「納屋ですか?」と聞き返してしまう。何とも凄まじい。イス
ラムの男尊社会だと、未亡人は牛馬以下の扱いが当たり前だと説明さ
8 停電と子ども病院
●
れた。返す言葉もない。「それにしたって、自分の親でしょう?」と
あけて翌日は丸一日停電だった。朝に電気をつけようとしてつか
O 嬢にいうと、ベンガル人は個人主義なんだと返される。
ないから、フロントに文句を言いに行ったら、フロントはもっと混乱
これは特筆に値する。バングラデシュでは、街を歩いているのがほ
していた。何を聞いても「分からない」としか言わない腐れ人工無
とんど男性である。実は、買い物は男性の仕事で、女性は子育てと食
能に見切りをつけ、フロントと闘っていた欧米人宿泊客に質問する。
事を作ること、ときっちり役割分担されているのだ。というか、そも
「停電だ」と素っ気ない一言。なんせ情報インフラの貧弱な国なので、
そも「女は外に出ることすら憚られる」のである。その結果、女性は
原因も分からないし復旧の目処も無し。ここ数日で僕自身もすっか
「紙幣に書かれた数字の読み方すら知らない」のであり、買い物など
り「諦め」ムードなので、グダグダ騒がないことにした。この国では
そもそも無理なのだ。それでも夫がいるうちは問題ないが、未亡人に
「何が起こっても慌てない」ことが美徳でカッコイイのだ。そして実
なってしまうともう大変だ。教育が全くなされていない消費個体が
際、予想の斜め上をいく現象が常に発生する。
突如出現するのだから、実子から見ても「ウザい」のであり、「納屋
幸いというか、地方巡業で疲れていたので倒れて寝ることにした。
でも一緒においてるだけマシ」となる。そういうわけで、(この家に
電気がないとエアコンも作動しないし、電話もつながらない。外にも
は牛用のそこそこまともな部屋があるのだが)「おばちゃん」は納屋
出てみたが、この近所は既に見て回っているし、リキシャでどこかに
住まいなのである。
行こうにも、地名もベンガル語も分からないと手がつけられない(後
年、独り旅で随分の無茶をするようになったが、この当時はまだ良識
7 そしてダッカへ
●
人だったのだ)。
電圧は 16 時過ぎにいったん回復した。しかし 17 時前にはまた転
あけて翌日は首都ダッカに戻る日である。移動手段はひたすらバ
スだ。朝 7 時に起きて O 嬢と別れ、8 時半ほどにバスがやってきた。
落した。夕方宿を訪ねてくれた I 氏は「こんなの去年以来ですよ」と
いい加減に慣れたオンボロバスだ。バスの中というのは暇なので、激
お疲れ気味である。外国人地区であるグルシャンですら停電するの
しい揺れの中でひたすら寝倒す。
は稀だという。なんでも、市の中央配電施設が壊れたらしい。「どう
ボグラからダッカに至る道で最大の難所(=見どころ)は、かのガ
せまたいい加減な修理をするから、すぐに壊れます」と溜息一つで達
ンジス川である。トポロジー的にどこかで渡らないとダッカには行
観しているあたりが、さすがというか。よほど人間ができた人でない
けない。上流のインドでは死体を流す川であり、下流では茶色く濁っ
と、ここの連中の相手はつとまらなさそうだ。今まで散々に見てきた
たドブ川だ。文明の発祥というが、よりにもよってこんな濁流に住み
とはいえ、ベンガル人の民族性は「いい加減」に尽きる。ものが壊れ
着かんでもよかろうに、と思う。98 年に日本の ODA でジャムナと
ても最低限しか直さない。明日の蓄えとか危機対策なんてまるで考
いう多目的の橋(鉄道や自動車の他に電気やガスまで通ってる)がか
えない。壊れてから直せばいいという刹那主義、あるいは壊れたら壊
かったが、旅行当時はまだ未完成で、バスごとフェリーに乗せて渡る
れっぱなし。「これがバングラですか」と聞けば「これがバングラで
しかなかった。世界有数の大河を前にして人もクルマも立ち往生し、
す」という I 氏。投げやりとズボラと大陸時間で動いていく素晴らし
渡し場は大混雑している。
きダメ人間たちのユートピアだ。
河には黒い小型の船が多数往来している。まだ中流なのに、もの凄
本来、この日は I 氏の職場である「子ども病院」を見学するはず
く広い河だ。バスを飲み込んだフェリーは浅いところを探して 180
だった。現地語で「Shishu 病院」という。I 氏はそこで臨床検査業務
度反転したりしてジグザグ運行だ。時々行き止まりになってバック
(つまり血液検査や尿検査)を担当している。ところがこの日は停電
したりして、もうどっちが対岸だか分からない。
で仕事にならなかっただけでなく、故障装置類のメンテで見学なんて
物売りから買った凄まじく不味いパン(毒々しいケチャップ付き)
とても対応できる状態になかったらしい。そりゃ、微妙な化学平衡を
を喰いながら眺めていると、なんと河には牛が泳いでいた。牛という
扱う分析機器がこんな電圧不安定の世界で無事に動いてる方が不気
のは泳げる生き物だったのか。驚愕の事実にパンを吹き出し、最後二
味だ。で、「電話が復旧したら連絡するから待ってて」と言われて一
切れほどを食べ損ねた。
日電話が復旧しなかったわけだ。見学は次の日へ持ち越し。
ガンジス川に対する一般的な誤解は、それが深くゆっくりした川だ
そんなわけで、あけて朝 9 時。颯爽と見学に出かける。Shishu は
というものだろうか。全く嘘である。中流域のガンジス川は、川底が
ベッド数 300、医師 100 人、看護婦 100 人、検査 20 人、補助員 30
浅くて流れも急だ。あまりに急なため、砂利が存在せず、架橋工事に
人が勤務する三階建ての大病院である。三階もあれば洪水でも流され
必要な砂利を確保するために、わざわざ煉瓦を砕いて使ってるくら
ない。8 割は無料ベッドで、6 つの病棟に ICU と特別ベッドもある。
いだ。川が「浅い」というのは、船が座礁しやすいということで、渡
ちなみに Shishu 配属の JICA 隊員は 3 名だ。数だけ見れば御立派な
るのにも一苦労する。当然乾期ほど渡るのに時間が掛かる。なぜ浅
のだが、一歩入ってみれば凄まじい。とにかく「汚い」のである。日
いのか? 上流のインドでダムを作ったせいで、水量が減っているの
本の地方病院もしばしば凄いものだが、ここは清掃工場の認定がとれ
7
るだろう。どの辺が凄いのかというと、病院食を作る厨房が最も激し
歩む。未来に希望がないからこそ、壊れたものをちゃんと直そうとも
い。これで料理はできんだろ…と呟いてしまうほどに「腐敗」してい
しない。技術も資本も蓄積せず、動物並みに同じことを繰り返す。ア
る。一番綺麗に見えたのが JICA 隊員の荷物置き場だったりするあ
メリカのように見返りを前面に押し出す国は既に援助から撤退して
たり、絶対おかしい。
しまった。今や日本が一番の援助国であるという。
病院は国営だ。足りない分は院内の収入でまかなわれているらしい
見方を変えると、人間はここまでいい加減でも何とかなるんだとい
が、基本的に職員の給料は国家から支給される。患者のほうはチケッ
う、ダメさの上限値を塗り替えてくれる国でもある。これは外国旅行
ト制で、10Tk で 1 チケットが買える。これだけを聞くとリキシャ引
の醍醐味の一つであり、人間という生き物が、いかに生まれ育った文
きの子どもは病院にもかかれないのだが、何かしらの救済策があるの
化圏に縛られた考え方をするのかをまざまざ示されるような気がす
かもしれない。一階は内科で三階は栄養内科になっている。栄養内
る。人間は本来、もっと自由に考えるキャパシティをもっているのだ
科というのは、村の子供の栄養改善をするところだ。
ろう。バングラデシュは、人間の幅を考えさせられる国である。最後
I 氏が勤務する「検査室」は三つくらいある。輸血検査、細菌検査、
になるが、I 氏をはじめとして、S 氏や O 嬢など、海外青年協力隊の
生化学検査なんかをやってるらしい。
「どんな病気が多いんですか?」
皆様には大変お世話になった。篤くお礼申し上げる。
と聞くと、下痢と肺炎が圧倒的だとか。細菌検査に持ち込まれるので
バングラデシュ旅行記
多いのは、黄色ブドウ球菌やサルモネラだという。さすが熱帯という
2006 年 12 月 31 日 初版発行
2008 年 8 月 17 日 第二刷発行
2009 年 2 月 6 日 PDF 版公開
か、菌のレベルが高い。
著 者 シンキロウ
発行者 星野 香奈 (ほしのかな)
発行所 同人集合 暗黒通信団 (http://www.mikaka.org/~kana/)
〒277-8691 千葉県柏局私書箱 54 号 D 係
頒 価 0 円 / ISBN4-87310-052-6 C0026
9 終わりに
●
I 氏が言う。この国の最も深い病は希望がないことだ、と。大学を
∑
∞
·`·
出ても収入がない。多くのベンガル人が国を捨てて逃げ出すことを望
んでいる。実際、有能な人は国外に逃げてしまっているのが現状だ。
残った人間は、外国の援助を当然のごとくあてにして、タカり人生を
乱丁・落丁は在庫がある限りお取り替えいたします。また、本書に記
述された情報の任意の部分集合または全体集合を、暗黒通信団に無断
で購入者の脳内以外に複写、複製、再配布、不特定多数に送信するこ
とを禁じます。
c
⃝Copyright
2006-2009 暗黒通信団
8
Printed in Japan