第 9 回留萌・元気づくりセミナー 高野誠鮮氏講演録

留萌信用金庫と留萌振興局との包括連携協定に基づく事業
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第 9 回留萌・元気づくりセミナー 高野誠鮮氏講演録
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日 時 :平 成 26 年 7月 17 日 (木 ) 15:00~17:00
場 所 :留 萌 合 同 庁 舎 2階 講 堂
<司 会>
講師 の高 野 誠鮮 (たかのじょうせん)様 をご紹 介いたします。高野 様はご出 身である、石 川
県羽 咋 市(はくいし)の教 育委 員 会 文化 財 室室 長 でいらっしゃいますが、同 時に、江 戸 時代か
ら 550 年 以 上続 く日 蓮 宗 の本 證山 妙 法 寺 第 41 世のご住 職 でもいらっしゃいます。市 職員
として勤 務 される以前 は、フリーランスの科学ジャーナリストとして、「11PM」など各局の企 画
構成 作 家をされ、28 歳の頃に羽 咋 市にUターンされた際 、お父 君でいらっしゃいます先代 のご
住職 が現 役 でいらっしゃいましたので、市 役所の臨時 職 員として勤 務 され、そこから、勉 強会
だけが続 く市のまちづくり施策に疑 問を持たれ、自 ら、羽 咋の昔 話をヒントに、UFOでまちづく
りを開 始され、宇 宙飛 行 士を呼ばれ、9 日 間 で 5 万人 の参 加 者を呼ぶ国 際シンポジウムを仕
掛け、その段 階で、正職 員になられました。その後 、農 林 水 産課への異 動を契機に、農 業で
は食べていけない若い世 代が耕作 を放 棄 していなくなっていく状況 を打開するため、戦 略 的な
手法 で地域 再 生を展 開されていかれます。また、現 在は、「奇跡のりんご」の生みの親でいら
っしゃいます木 村 秋則 (きむらあきのり)様を地 元にお迎 えし、自然 栽 培 農法 にも取り組 まれて
いらっしゃいます。
それでは高野 様 、よろしくお願いいたします。
<高 野氏>
ただいまご紹 介いただきました高 野と申 します。ただの、普 通の市の職 員です。
平 成 17 年の4月に、予 算を付けるので、過 疎 、高齢 化の激 しい村をなんとかしなさい、と命
ぜられ、年間 予 算 60 万 円の予算 書を作って提 出 しました。当 時 、市長の目 玉事 業 でしたが、
私の出した 60 万 円の予 算書 の中 身は、私の3回 分の東京 往 復旅 費 とバスの借り上 げ費用
だけでした。市 長はその予算 書 を見 て、ひとケタ違うだろう、と言 うので、私は、ひとケタ違 うと
いうことは 600 万 ということですか、600 万円あれば過 疎の村が救 えるのですか、と尋ねまし
た。さらに、60 万 しか予 算 要求 しないので一つだけ条件 を呑んでください、とお願いしました。
条件 というのは、決 裁 を回さないということでした。やったことや決 まったことだけを決裁するの
です。なぜこのやり方かというと、役 所の中には素 晴らしい学 歴・肩 書きを持 った方がたくさん
いるのにもかかわらず、そんな人たちが過 疎の村をつくってしまったからです。その人たちの判
断が正しければ、過 疎の村になんてならなかったはずなんです。口に出 して、その本 音は言い
ませんでしたが、同 じ間違 いを繰り返 して欲 しくなかったのです。このやり方を許してくれたの
は、当時の市 長と池 田 弘(いけだひろし)という直 属の上司 だけでした。池 田氏 は、犯 罪以 外
なら何 をやってもいいと、自分 が責 任を取るから、と言ってくれました。そんなことを言ってくれ
る公 務員は先にも後にも彼一 人 でした。回りには、そんなことをして失 敗したら誰が責任 を取
るんだ、迷惑 をかけられて出世 が遅れるじゃないか、と自 分のことばかり心配 して、過疎の村
のことはほとんど考 えていない人たちばかりでした。
課題 を与えられた集 落は、昭 和 40 年 代初 頭には人口 が千 人もいましたが平 成 11 年には
半分 以 下になっていました。平成 7年には、子 供 が生まれないので小学 校 が無くなってしまい
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ました。保 育所も無くなりました。ここを何 とかしろということでしたが、策は全 くありません。そ
れで、役 所がいつもやっていることをひっくり返 して考えてみたのです。何 百 回の会議 をやって
も、立 派 な何 センチもの厚さの計 画 書を作っても、高齢 化 率が1パーセントでも下がるわけで
はないのです。計 画書に描いたとおりに地 域社 会 が動いたためしは一度もありません。ですか
ら、会 議 と厚 い計画 書を作るのを止 めました。今 、本当にやらなければならないのは何か、目
の前の電球が切れたら、揺るがない安心 して登れるはしごを架けて上って、新しい切れない電
球をつけ直すことなのですが、それをやっていないのです。これを言うと、役 所から嫌われる公
務員になります。なぜかというと、役 所には、いてもいなくてもいい公 務員 がいるからです。過
疎になってしまった村に欲 しいのは、何とかしてくれる公 務員 です。そもそも役 人は、「役に立
つ人」という意 味です。役 所は「役に立つところ」です。上 司の顔色 しか見ていなかったり、人生
の目 的が役 所に勤めることだけだったりする人は、目的 をどこに置いて仕 事 をしているのだろ
うかと疑 問に思 います。決して、論 議 したり文章 を作ったりする必 要がないと言っているのでは
ありません。それよりももっとやるべきことが、行 動 することなのです。はしごを架 けて暗いところ
をよじ登って電 球を替 える、それが必 要なことなのです。
決裁 を回さないと、上 司 によく呼び出 しを受 けて、それはいつ決まったんだ、許可 はもらった
のか、失敗 したらどう責 任 を取るんだ、といつも怒られていましたが、私は、成 功するまで失 敗
し続 ければいいのです、と言い返していました。すると上 司は、自分は失 敗したことはない、と
いうのです。何かしようとすると経 験 則がないのですから、失 敗するのは当 然です。失 敗 したこ
とがないということは、何 もして来なかった人達 です。失 敗しないためには、ルーティンの仕事
だけをして何もしないことです。本当に改 善・改 革しようとすると、波 風が立つものです。それを
肌で感 じました。私 は聞 いてはいけない人 を決 めています。失敗 したらどうするんだと、必ず先
に言いだす人は、頭の思 考回 路がマイナスですから何も生 まれません。どうしたらうまくいくか
を論 じようともしません。また、やったこともないのに知っているだけの人は、情報 は持ち合わせ
ていて前 例もよく知っていますが、それだけならネットで検索すれば済みます。管 理 職になるこ
とやお金だけが目 的だけの人 、こういう人たちの言 うことは聞 いてはいけません。議 論だけしか
しない人 、何か私 心のある人はどこかずれているのでだめです。仏 教用 語 で知 識 とは、「知 」を
「識」にするということで、知っていることは体を使ってはじめて識になるということです。自転 車
の乗り方 をただ知っている、ということと、何 回も練 習して転んで失敗 して、結果 、乗れるように
なる、ということは違うということです。知っていることと出 来ることとの違いです。良 く批 判 され
たのは、私が組織 的 な考 え方 をしないところです。組織 を重要 視すると、組 織だけが残 ろうと
する。例 えば、農 協 と農 家の関係 と同じです。きつい言い方かもしれませんが、実 際 、農 協 と
いう機構 組 織だけ生き残 って、農 家がほとんどいなくなっているのです。役所 という機 構 組織
だけが生 き残って、住民 がどんどん消えていっているのです。何か大 きなものを勘 違いしてい
るのだと思います。ですから、こういった人たちの言 うことは、返 事だけして全 く聞いていません
でした。
なぜかというと、こういう人 たちの思 考は、たとえば 10 人の中 で 1 人だけ正 しい意 見を言う
人がいたとしても、まとめようとする意識 しか働かないので、9人の間違った意見 を聞いてしま
うのです。経 験 則が乏しいので誤まった判 断をしてしまうのです。ですから、私 はやったことの
ない人の話 は聞かず、やったことのある人の言うことを聞きました。というのも、公 務 員には企
業魂 というものがほとんどないので、私が臨 時職 員 で役 所に入った時、この会社 はすぐ潰れる
な、と思いました。企業 では、もらっている給料の、普通 は 2.5 倍から3倍の仕事 をしないと、そ
の対 価としての給 料は会 社からもらえないものです。30 万 円の給 料をもらおうと思ったら、60
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万~90 万 円 分の仕事 をしてはじめて、企 業 側も出 せるのが普 通です。10 万 円分 しか働かな
い人に 10 万 円の給 料 を払っていたら、会 社は潰 れるものなのです。そういった意 味で、企業
魂がない公 務 員に、何か改善 ・改革が出 来るわけがありません。責任 の所 在もはっきりしてい
ないし、社 会経 験が乏しいので石橋 を叩いて壊 してしまうような人 までいるのです。今の日本
には、理念 、心のベクトルさえなくなってしまいました。戦 後の日 本では、焼け野原 から何 とか
復興 しようと、心のベクトルが皆 同じ方 向を向いていました。今は、これがほとんど見 当たりま
せん。役 所の窓口 でよく見かける光 景が、出 来 ない理 由を先に挙げるというものです。県の補
助金 が付かなかったから、区 長 さんが反 対 したから、などと、出 来ない条件 を自 分 以外の外か
ら持ってきて並べているのです。同 僚が失 敗 したので出 来 ませんでした、という言い訳を作る
のは、条件 を自分から外 に出すという、卑 怯 者が良くやる行 為です。だめもとでやってみようと
もしません。こういったところを私はひっくり返 して考 えて、まずやってみることにしました。出 来
ない理由は考 えません。どうしたら出 来るかしか考 えないし、議 論も、どうしたら出 来るかだけ
を議 論するようにしました。そうして繰り返 してやっていますと、議 論する相 手がいなくなってい
ました。
産業 振 興 室の職 員は私 一人 しかいませんから、(ひまにしている)畜 産の担 当者 を借りて空
いているときに手 伝ってもらっていたので、人 工 的には実 質 1.5 人でやっていました。こうした
体制 で、農 業がそもそもなぜ疲 弊 していくのか、理 由を調べると簡 単 で、農 業だけでは食べて
いけないからでした。5年 に1回の調 査である農 業 センサスによると、私どもの村(旧 村)は、農
家の年間 平 均所 得は 87 万円 でした。当 時 、日 本 人の平均 的 なサラリーマンの年 収は 435 万
円でしたから、全く届いていません。そんな環境 で、農地 を守る方 法は2つしかありません。兼
業しながら農業 を続けるか、年金 をもらいながら続 けるかです。その条件に外れると農 業はで
きませんので、若い人は近くの金沢に出 ていってしまいます。結果 、山の中 の農 村地 帯には
高齢 者 しか残りません。農村に残っていた老 夫婦 の一 方が亡 くなると、子どもが迎えに来 て連
れていきます。人 口は減 る一 方で、18 年 間も子どもが生まれないような現 象が出てきます。平
成7年に保育 所がなくなりました。小 学校もなくなりました。子どもが生まれないからです。
農業 が金にならないのには、大きな原 因があります。一 次 産業の最 大の欠 点は、自 分が作
った物 、獲った物に、自 分 で希 望 小売 価 格を付けられないことです。小売 価 格は市場 という、
(生 産に)関わりのない第 三者 が勝 手に決めてしまっているんです。これを克 服して生き残るに
は直 売するしかないと思 いました。自 分で作った物 に自分 で値段 を付けて、自分 で責任 持ちな
がら売る。つまり、生産 -加工 -流通 -販 売 というサイクルを自ら持ってもらうしかないので、農
協には出荷 しない、ということを考 えました。そうすると、農 協と衝 突が起こることが想定 されま
したので、平 成 17 年 の4月に、農 協の組合 長のところに挨 拶に行きました。できるだけ衝 突 を
緩衝 しようと思い挨 拶に行ったのですが、逆に大 げんかになってしまいました。話している途 中
に、余 計 な事も一 言 申し上げてしまったんです。「組合 長 、最近 農 協のロゴが変わったんです
ね。」「若 い子はカタカナやローマ字 でJAって呼ぶな。わしはどうも好かん。」「組 合 長、そうじゃ
なくて、農協 の‘協’の字 が‘狂 ’になっていませんか。」、と申 し上げてしまったので、けんかを
売りに来 たのか、と怒られました。私は、「けんかを売りに来 たのではなく、現 実を知っていただ
きたくて来たんです。どうして山の中で農 業をやったら、年収 が 1 世 帯平 均 87 万円 なんです
か。農協の職 員になったとたんに年 収が 400~800 万も当たるじゃないですか。だったら、みん
な農 業を捨 てて農 協の職 員になります。米 価は毎 年下 がっているのに、農 協職 員の給 料は毎
年下 がるどころか上がってますよね。これは、農が狂う(意 味の)農 協になっているとしか、考え
られない。」、と。この大 げんかした組 合 長ですが、2年後には私 たちの最 大の味方になってく
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れました。
一方 、169 世 帯 、人 口が 500 人ちょっとの集落 の方々には、新 しい役 所からの補 助金の説
明会 だと思って大 勢 集まっていただいたところで、JA(農 協)と役所 という2つの補 助輪 を取っ
て、自 活自 立 できるような農業 を目指 しませんか、と申 し上げました。自 分で作った農産 物に
自分 で値段 を付けて売りませんか、と提 案 しました。理 解 者・賛 同者は高 砂 、近 藤 、林の3軒
だけでした。あとはみんな反対 で、売 れ残ったら誰 が責 任を取るんだ、と言うんです。自 分たち
で売って売れ残ったものを、役 所に買ってもらうようなことをしている産 業がどこにあるんです
か。一つもありません。農 業そのものが自 活自 立 していないんです。自 転 車 のうしろにJAと役
所という補 助輪 を付 けながら、ちゃらちゃらこいでいる状 態なんです。売れ残ったら自分 で責任
を取るだけです。そう言 うと、好きな値段 を付けて売ってやるから、まず客 を呼んでこい、と怒
鳴られました。私は、みなさんの米 を一 度 役所 で預 かって今 年の新 米を売ることが出来 たら、
今度 は皆 さんが自 活 自 立 するために会 社を作って、米や野菜 を売って下さい、と言いました。
それで、その年から、米 を売ってみることにしました。売り方 なんて当然 分かりません。やって
みたことがないんですから。
結 論から先に言いますと、平 成 21 年の段 階 で、限界 集 落と言われる 65 歳以 上の人たちが
暮らす割 合が 54%というところを、大 きく割り込 むことが出来 ました。47.5%で、限 界集 落から
脱却 したんです。所得も向上 しました。月 額 30 万 円を超える農 家(夫 婦 合 わせて)が出 てきま
した。このことを、地 元の北陸 版 読 売新 聞が特 集 したところ、過疎 の村に、国税 局の調 査が今
までに 3 回も入りました。平 成 21 年の段 階で小 さな集 落の納 税額?が 8 千万 円 強 、今 は 1
億円 を超えています。社 長以 下 11 名 で自 分たちの会 社を作って働いています。夏場 ・冬 場に
は学 生達がたくさん押し寄せてきます。13 家 族 39 名が他 県から移住 してきました。私 たちの
事業 費 ですが、毎 年下 げてみました。平成 20 年からは、事業 予 算は付けませんでした。0 予
算事 業 です。予 算を付けなくても、(今 まで)やっていないだけですから、やること、出 来ること
は山ほどあります。マイナス面 を見 たらきりがないので、そこは絶対にマイナスとして見 ようとは
しませんでした。頭の中で考えていたのは、これはドラマなんだと思い込むようにしました。自 分
が企 画・構成 ・演 出・脚 本 、これができればドラマのロケじゃないかと。大 勢が反対 している中
でどんどん賛成 者が増えてくれる。一 番 反 対していた農 家が、「わしは賛 成にまわる。」と、そ
んな台 詞を吐いてくれたらドラマは劇 的に変わります。産 業 構造の捕 まえ方 は、今でいう、6次
産業 化 です。当 時は6次 産業 という言葉はあまり使われていませんでしたので、私たちは、1.5
次産 業 と名 前 を付 けたんです。これは、冒 頭で話 したはしごです。理念 というはしごを駆け上る
だけなんです。実行 を伴 わない会議 や印 刷 物、計 画書もすべて止めました。ただ、計 画書 は5
カ年計 画 を A4 版で1枚 物を作りました。そうすると、これは何だ、とよく言 われました。計 画 書
です、と答 えると、詳 細なものはないのか、と聞かれますので、詳 しく描いたところで、その通り
にはならないので、これ一 枚で十 分です、と答 えていました。描いた計 画 書 のとおり地域 社 会
が動くはずはありませから、心 のベクトルだけ描いたんです。1年 後にはこうしたい、3年 後には
こうなりたい、といった5カ年計 画 です。理 念は目に見えませんが、これが一 番大 事 なことだろ
うと私は思っています。
何をどう見 たのか、まず、過疎 の農 村 集落 の一 番 小さな単位 を考 えてみたんです。何かと
いうと、人なんです。異性 同士 が集 まって家 庭・家 族を築くんです。その家が集まって、集 落に
なり、村になって町になって市になって県になって国になっているだけなんです。つまり、一 番
小さな単位は人 なんです。それに気づいた瞬 間にあることが見えてきました。地 域 活 性化に何
をすべきかすぐわかりました。昭 和 40 年の初 頭には千 人いた村が平 成 11 年には 500 人 以
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下です。自 分の体に例えてみたら、とりもなおさず、ガリガリになった自 分の手 なんです。なぜ
ガリガリになっていったのか、動かさないからです。血液 は何か、貨 幣なんです。私たちの頭は
馬鹿 ですが、体は天 才なんです。右 手 と左 手は絶 対にけんかしません。血 液は貨幣 なんで
す。理 想を調べるときに自分 の体 を見 ました。やせていればどうすれば良 いか、一 生懸 命にな
って痛 くてもリハビリ運 動 して動かし続 ければいいんです。そうすれば、動脈 経済 と静脈 経 済
が働いて、動 脈から血液 が流れてきてやせていた細胞に栄 養を落 とす、消 費されて静脈に返
す、そういうことが体の中 で起 こるんです。同 じことをやればいい、なぜならば、集 落の一 番小
さな単 位は人 だから、人 に起こることは村に起こるんです。過 疎の村はどうすればいいか、ガリ
ガリになったところを動かすリハビリ運動 をして、元 に戻すしかないと思ったんです。血 液は貨
幣と考 えます。これは一 つのものの捕 まえ方ですが、ここに行 政の理想 を見たんです。どこに、
ハサミを持ってきて、自 分 の左の指を切 断して、よかたね、これでライバルいなくなったね、と右
手の指をさすって喜んでいる人 間がいますか。のこぎりを持ってきて左 足を切断 して、喜んで
右足 をさすりながら、一 生 懸命 片 足でピョンピョン跳 んでいる人 間 なんてみたことはありませ
ん。害 虫 駆除 的 な人 たちがその組 織に増えてきたら、体に例 えるとまるで癌 です。右手 と左手
がけんかするような組 織、地域 社 会があったら、誰 も住みたくありません。左 の小 指が痛 くなっ
たら、みんなで治そうとして一 生 懸命に支 えてくれる、これが理 想です。一個 の個 体、人 間が
理想 なんです。右 手 と左 手はけんかしないんです。一つの哲学かもしれません。哲 学(フィロソ
フィア)とは、「 フィロ」と「ソフィア」、「 愛 」と「知 恵」なんです。私が尊敬する鎌倉 時 代の日蓮 と
いう仏教 者 ですが、東京 大学も京 都 大学も出 ていません。ゴータマ・ブッダ、お釈 迦様 だって、
ハーバード大 学は出 ていません。イエスキリストなんて、ただの船 大 工の息 子で、小学 校すら
出ていません。でもこの聖 人達 が作ってきた哲 学 、愛と知 恵は千年 、2千 年 と残るじゃないで
すか。私 たちの浅 知 恵はせいぜい生きている間くらいしか通じません。究 極 の農 村集 落の理
想は何か、一 個の人間のように動 くこと、一 個の人 間になることなんです。これが究 極の理 想
だと思いました。誰かがケガしたら、みんなで支えようとする、これほど究極 の財政 システム、
経済 システム、政 治システムはありません。
具 体 的に集 落 でやったことは、地元 の金 沢 大 学の橋本 副 学長 をはじめとする 14 名の教
授陣 を過疎の村に招いて、タウンミーティングを開 きました。過 疎の村にそういった方々を招 い
たところで、即、活 性 化するわけではありません。もくろみは、役 所は 60 万 しか予 算が無 いと
言っているのに大学の偉 い人たちを連れてくるなんて、これはただ事 じゃないぞ、と、どうも本
気で自 分たちの村を何 とかしようとしているんだ、と知っていただくための策でした。実 際 、繰り
返したのは、根 本 治療 と対処 療 法だけなんです。ただ、これまでは施策はあっても、戦 略が欠
落していたので、基本 戦 略だけは作りました。いかに相手に打ち勝つのか、いかに相 手よりも
秀でるのか、すべて戦 略 です。農業 でも、どうして九州 くらいの面 積しかないオランダが、農 産
物輸 出 額が世界 第 2位 、3位になれるのか、なんで日本 は技 術 力が優れていながら、世 界 第
48 位なのか、それは戦 略 がないからです。私たちが取った戦略 は3つだけです。出 来るだけ
多くの人に周 知 して、出 来るだけ多くの人に動いて欲 しい、そのためのメディア戦略 、ただでも
農業 者 所 得が低 過 ぎるので、高 付 加価 値 化するためにはブランド化が必 要でした。それから、
リハビリ運動 です。過 疎 の村に一番 大 事なのは、やせた細 胞に直接 栄 養を入れることで、消
費して、静 脈に返す、これが最 良の戦 略だと思ったんです。
メディア戦 略の大 切 さ、これは、1万 人に情 報 を投 げかけて心に留まるのは千人 程 度しかい
ません。その千 人のうち本当に行 動に出てくれるのは、10 人足らずです。つまり、本 当に多 く
の人たちに呼びかけて動 かしていこうとするならば、この母 数、目 と耳から情 報を入れてあげる
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数をものすごく膨 大なものにしないと、人の心には響きません。そのための戦略 です。その母
数の計測の仕 方はあります。電 通などの広 告 代理 店の方に聞くと分かると思いますので聞い
てみて下 さい。ただ、メディアを使って大 衆 を動かす戦略 をきっちり作っていたのが、1950 年代
の CIA(アメリカ中央 情 報 局)で、ロバートソンパネル査 問会の報 告 書です。それを一部 真 似て
みましたが、課 題もありました。とにかく予 算がないので、業 者さんにお願いして出 来る、という
ものではなかったんです。もっとも、業 者さんにお願 いしてうまくいった試 しもほとんどありませ
んでしたが。どうすれば自 分たちの農 産物 を本物のブランドにできるのか、どこにも書いてあり
ませんでしたし、やったこのない人がまとめている本なんかは信 用できませんでした。だから、と
にかく試 行錯 誤 して失 敗 の繰り返 しなんです。成 功、と、ある程度 言われるまで失 敗し続けた
だけのことなんです。最初 からスムーズにいく方法 なんてありません。しつこいくらいやり続けた
ら、必 ずその過 疎の集 落 をど真ん中において、戦 略とプロデュースを繰り返 したんです。またこ
んなことやっているぞ、と言われても繰り返しました。犯 罪 以 外なら全 部責 任 はとってやる、と
いう池田の言 葉を信 じて、徹 底 的にやりました。これやっていいですか、どんどんやれ、という
感じです。立 て続 けに、たたみ込 むように次々やり続けました。効 果のないことはやめて、効 果
がありそうなことは継 続していきました。私たちにノウハウがないこと、例 えば酒造りは、地 元石
川県 内の酒 造メーカーとコラボしたりしながらやっていきました。
ここからは、対 処 療法 です。かつて千 人いたところが 500 人 以 下になったんです。何が起こ
っているかというと、農家 はあっても人 が住んでいないんです。空 き家 なんです。これを利 活用
しようと、空 き農 家の自 助 利活 用 制 度?をやりました。どうして農 家が入ったのに、2~3年 で
出て行ってしまったのか、どうして長 続きしなかったのか、成功 例 ではなく、日 本中 の失 敗 例を
調べてみました。成 功 例 には、どこに落とし穴があるかなんて出ていませんから、失敗 例 なん
です。導き出されたのは、失敗 だと思われる事 例は、ほとんど頭を下げている、ということでし
た。お願いですから来 て下さい、お金 をあげますから来て下 さい、と。帯封 を付けた 300 百 万
円を町 長が目 の前に持ってくる例もありました。もうやっていませんが。過 疎と高齢 化 を迎 えた
集落に、頭を下げて腫れ物に触 るように扱わなければならないお客はいりません。一緒になっ
て汗 を流 して、共 同作 業 をして、村 祭りを手 伝ってくれるような住 民だけが欲 しいんです。です
から、ここで考え方 を 180 度変 えて、現 地見 学 会の試験 制 度をやりました。書類 審 査を通らな
いと、現 地 見 学会には呼 びません。現 地 見 学会 では、番号 を振った名 札 を付けてもらって、黄
色のポロシャツ着た地 元 の住 民・役員 たちが現地 見学 会 でその番 号を付けた参 加者 を観察
して、参加 者が帰ったあとに、評 価 会をやるんです。一番 高い点 数のご家族 だけをまた別の
日にお呼びして、今 度は尋問するんです。村の役 員が円座 でぐるりと囲んで質 問 攻めにする
んです。警 察のように、動 機や農業 経 験などを聞 き出します。途 中、農 業 経 験の短さを怒りつ
けたりしながら徹底 的にやり込めて、最 後まで質 問にブレずにきっちり答 えられた家 族しか合
格としません。そういう人 たちだからこそ、誰 一人 出ていくことはありません。頭 を下げてるから
出て行くんです。
その次にやってみたのは、お酒が飲める女 子大 生 を呼ぶことです。過 疎で高 齢化 してくると
動きがなくなるので、人 間 は活 気がなくなってくるものです。活 気を取り戻すには、お酒が飲め
る女 子大 生 しかいないと思ったんです。なぜなら、お酒の飲める女 子 大生は、お酒の好きな農
家の親父 さん達の敵にはならないからです。親 父 さん達も役 所がそこまでいうなら仕方 ないか
ら泊めてやる、というんですけど、内 心はうれしくてたまらないんです。いつもは高 齢の女 性 し
かいないところに、ピチピチの女 子 大生が来るんです。自 分の子か孫 のように思って面 倒をみ
るんです。ただし、女 子 大 生が敷居 をまたいで家に上がり込んだ時に、まず、一献 お酒 を交わ
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して、親父 さんから一 言だけ吐いてもらいます。「今 日からお前はうちの娘 だ。」、という台 詞で
す。そして、寝 泊 まりをして農 業の手 伝いをしてもらい、彼女 たちには、わずかな金 額の実 費を
払ってもらいます。この、「烏帽 子 (えぼし)親 農家 制 度」を調 子よくやっていたら、石 川 県の薬
事衛 生 課から、烏 帽 子 親 農家 制 度は保健 所の許 認可 を取っていますか、といったクレームが
付き始めました。対 価を取る以上は、立 派な農 家 民宿に該 当するので、まず保 健 所の許 認 可
が必 要で、その後に、農 家民 宿の手 続きを取りなさい、と言うのです。言われても、手 続きなど
しませんでした。しばらくしたら、保健 所の検 査は終 わりましたか、と電話がありました。申請 は
していません、というと相 手は怒り出 しました。食中 毒を起こしたら、誰が責 任を取るんです
か、と言 うんです。またこの決まり文 句だと思 いました。一 番 、責 任 を取りたくない人の愚問 で
す。私が、「では、県 庁が責任 を取ってくれるんですか。」、と尋ねた瞬 間に電 話を切られまし
た。その後 、今度はこちらの挑 発に乗らずに、冷 静 に出てきました。東京 農 大と法 政大 学の娘
が参 加していたのですが、その参 加者がいつ、どこに行って、農家 はどんな食材 をどのように
調理 して出 したのか、滞 在中 の2週間 分の食 材とレシピを全部 出せ、と言ってきました。地 方
自治 体がなぜ、旅 館 業 法 や食 品衛 生 法などの法 令を遵 守出 来 ないのか、その理 由・顛 末を
すべて書 き出 して、県 庁 に出頭 して事 情を説 明 しなさい、と言われました。「出頭 」なんて犯 罪
者に向 ける言葉 ですし、出頭 先は、厚労 省から来 ている国のお役 人のところでしたので、私は
行きませんでした。代わりに、朝 日 新 聞と読 売新 聞 の記 者を送り込みました。平安 ・室町 時 代
から続く日本 の伝 統 文化 に今日 現 在になって法律 を適 用しようとする馬 鹿 な役人 がいるんで
すけどどう思いますか、と記者に問いかけたところ、石川 県 庁と羽 咋 市役 所 が全 面戦 争する
なんて、良 いネタだ、と県 庁に飛んでいってくれました。その日の夕 刻、県 庁 からか細い声 で電
話があり、羽 咋 市の「烏 帽子 親 農 家制 度」は、不 特定 多 数の人間 を対象 とした生業 ではない
ので、旅 館 業法 などの適 用はしません、と連 絡がありました。(烏 帽 子親 農 家制 度は)かりそ
めであっても親 子 です。その親 子間に金 銭のやりとりがあって、旅 館業 法に引っかかるのであ
れば、日本 中の家 庭が全 部対 象になります。へりくつなのは分かっていますが、どうしてこれを
敢行 してやっていったのかというと、この過 疎の山 の中に上水 道も下水 道も通っているわけは
ありません。ステンレスのタンクの中にわき出している湧 水を貯めて、検 査に入る時だけ塩 素く
さい水にするんです。普 段は本当にきれいな山 の水です。トイレもボットン便 所です。こんなとこ
ろに、旅 館業 法だの衛 生 法だのを通 そうとすると、3~4百万 円 以 上のお金 をつぎ込んで、水
回りを全 部入れ替 えなくてはなりません。18 年 間 も子どもがいないこの農 村集 落 で、口が裂け
てもそんなこと言えませんでした。烏 帽子 親 農家 制 度は苦肉の策 なんです。受入 は、現 在 28
軒でやっています。受け入れ農家 では、受 け入 れた人の分の食べ物 を少し増やしただけで
す。
リハビリ運動 戦 略の本当 に大事 なところは、痩せたところに栄 養が直接 落ちてもらう事で
す。農 協ではなく、農家に直接 落ちてもらう事 です。そのために作ったのは、お米のオーナー制
度です。お米のオーナー制度 は全 国どこでもやっていますが、違いは、私どものオーナー第1
号がイギリスの領 事館 員 というところです。何 を仕 掛けたかというと、石 川県 内や地元には、
一切 告 知せず、外 伝に対 して、採用 されるまでしつこいくらいFAXを流 し続けました。「石 川 県
の山の中に、神 子原 (みこはら)という農 村集 落があって、山のきれいな水 だけで米作りをして
います。このお米のオーナーになりませんか。40 ㎏の玄 米を保 障します。日本 円 で3万 円、国
籍は問いません。」、という内 容を、イギリスの新 聞 が始めて取り上 げてくれたんです。イギリス
の新 聞を国内 で毎日 読んでいるのは領 事館 員 ですから、その記 事を見つけてオーナーになっ
てくれました。なぜこんなまどろっこしいことをするかというと、日本 人ほど、近い存在 、近い距
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離にいる人・物を過 小 評 価する民 族はいないからです。外国 人が最 初のオーナーだということ
を国 内に発表 したとたんに、隣 の岐 阜 県の農 家 まで応 募 してきました。40 俵しか募 集していな
いのに、いきなり 100 俵 以上 の申 込みがありました。農家 まで応 募 してきました。(このオーナ
ー制度 を)しいたけ、レンコン、たけのこ、出来 る物 は何でもやってみました。オーナー制度 では
40 ㎏の玄 米を3万 円で売 りましたが、そもそも当 時 、60 ㎏の1等 米を農 協にだしたら、1 万 3
千円 しかもらえない時 代 でした。1等 米 でも2等米 でも、40 ㎏の米に対して農家 は3万円もらえ
るんです。オーナー制 度 で、農 家は損するどころか、そんなにもらったら悪 いと気の毒 がってい
ました。
4~5 月にまたがって泊まりに来てくれた女 子 大 生2名は、大 学に帰って「先 生、変 な村に行
ってきました。平 安・室町 時代 からの風 習 をかたくなに守っている村 なんです。能 登 半島の付
け根にありました。」と、大 いに言いふらしてくれました。なんだそこは、と、法 政大 学の国 際文
化部 の堀 上 教授 が調 査 に来ました。平安 ・室 町 時 代からの古代 の伝 統 文 化をかたくなに守っ
ている村はここですか、と言ってやってきました。本 当は4月から始めたばかりでしたが、はい、
と言 いました。教 授は、うちの学 部生 やゼミ生をここに泊めてもいいですか、とおっしゃるので、
7~9 月でしたらいいですよ、その代わり、誰 がどこに泊まってもいいですよね、とお約 束いただ
きました。女 子 大生には特に、お手 洗いを始めに見てもらいました。ボットン便所 と言って、うん
ちするときのテクニックがいるから、と、うんちした後 に必ず前 後左 右どちらかに振らないとお釣
りがピチャっとかかるから、と教 えました。これを始 めに見せると、女 子 大 生 は、お風 呂のある
農家に泊 まりたいと必 死 になります。こういう学生 達が来て、農作 業を手 伝 っても何の役にも
立ちません。せいぜい力 仕事 くらいです。ただ、この未 熟な学 生を教える農 家の方が心 豊かに
なっていくことに気がついたんです。頑なになって何 もしたくないと言っていたのが、交流が始 ま
るとどんどん心が豊 かになっていくんです。そのうちに、日本 語を話せない学生 でも良い、とい
うことになり、ニューヨークの真ん中にあるお坊 ちゃんお嬢ちゃん高校 の学 生 を2ヶ月 受け入れ
ました。受け入れた家 では、日本 名 まで付けてかわいがっていましたので、面白 いように溶け
込んでいきました。今では 2~3 月の冬 場にも来 ていて、特に3月3日のひな祭りには必ずい
ます。何をするかというと、村にあるいろんな物 を使って巨 大なひな人 形を作るんです。最 初の
年に、100m×40mという巨大 な男雛 ・女雛 を物 を作って、真ん中に立って、チラシ配りをやり
ました。お帰りには裏のレストランをご利 用 下 さい、という内 容です。レストランといっても、看 板
もないし、携 帯も繋 がらないところですが、この略 図 に従って行ったらたどり着 きます、と。そこ
は、他県から移 住してきた若 者の農家レストランで、オープンの日 を、敢 えて3月3日に合わせ
たんです。残雪もある時 期です。看 板 を作っちゃダメですか、と言われましたが、絶対 作らない
で、と。人 来 ますかね、というので、絶 対来るから待ってて、と。なんと、コーヒーを飲 むのに掛
かった待ち時 間は 1 時 間 半でした。実は、朝 日 放 送系 列のクイズ番組 で、彼の年収がクイズ
問題になりました。国税 局が既に3回調 査に入っていますので、私 たちはとにかく役 員と一 緒
になって、出来るだけ低く言っておいて、と言っていたところ、番 組の中での答えは 800 万~
900 万 でした。実 際は 1 千万 円 を超 えています。彼が作る南 瓜は、1個 、1万円 を簡単に超 え
てしまうんです。彼らがやっていることは、生産 ・加 工・販 売なんです。栽 培 した南 瓜は加工す
るんです。プリン、シフォンケーキ、ブロンマージュ等 々、様々なものに加 工して、280~400 円
に近い商品にしています。そうすると、市 場 価格 で 1 個 100 円にも満たない南瓜 が、1万 円 を
超えたことになるんです。こういう若 者 達が、次々入って来 てくれたんです。面積 は小 さいです
が新 規就 農 者です。自 分 のところで加工 して、カフェなども経営 していました。何 より、18 年ぶ
りの赤ん坊 を生んでくれました。平 日 でもネット予 約 がないと入れないほどの盛況 ぶりです。彼
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ら夫婦 が店 を一 生 懸 命切 り盛りして忙 しい時に、赤 ん坊が泣 き出すと、近 所 のおばあちゃんが
おんぶひも持って勝 手に入ってきて、よしよしと言 いながらひょいと背負って、村 の山の中 を歩
き回ってくれるんです。背 中で暖 まって、ぐっすり寝 込んだら、またそっとゆりかごに戻してくれ
るんです。夫婦がお願 いしたわけではありません。頼んでないけどやってくれるんです。留萌 で
そんなことをしたら、ひょっとしたらパトカーが飛んでくるかもしれません。そこに何を見たかとい
うと、日本からなくなってしまった教育 力 です。そのおばあちゃんにとっては、うちの在 所 で生 ま
れた子 、と言 う感 覚 なんです。地 方の教育 力は日 本 全国 からどんどんなくなっていったんです
が、過疎の村には残っていました。だから、子ども達は悪いことをしたら叱られますし、良 いとし
たらみんなから褒められます。
同時に走っていったのは、米 のブランド化 です。動 機は何かというと、出 来ない言い訳はし
ない、僕らにも出 来る、それだけです。根 拠もない、甘いよりどころしかありませんでしたが、お
かしな点をひっくり返 していったんです。おかしいのは、米の評 価 です。検視 棒を米 袋に突 い
て、乳 白米 が 4 粒あったからこれは2等 米だ、といった訳のわからない評 価 をして判 子 を押す
んです。見 た目 でしか判 断していません。そこで導 入したのが、DOD、アメリカの国防 総 省が
1/3 出 資している人 工衛 星を活 用し、インデックスとして 8 つ指 数を引っ張り出して、米 の 5 段
階分 けをやってみたんです。とてもまずい米からとても美 味 しい米までの評 価です。とてもまず
い米は赤 、レッドカードで、まずい米は黄色 、イエローカードとしました。1 反あたり、収量は単
純に 1 俵 超えますから、赤のとてもマズイ米 と黄 色のマズイ米は農協に出 して下さい、という
指導 会 を開 きました。そうしたら、翌 日 、農 協の営 農部 長 という方がすっ飛 んできて、まずい米
を農 協に出せ、というような集 落 説明 会 開いたのは本当 か、と言って、机を叩 いて怒りました。
農協 では、まずい米でも美味 しい米 でも、60 ㎏で 1 万 3 千円 での取 引です。私 達が考 えたの
は、まずい米は安く売って、美 味 しい米は高く売っても良いだろうという単 純 なものです。です
から、普通~とても美 味 しいお米は、自 分たちで高 い値 段を付けて売ろう、ということで、その
ための分別 をしたのです。
また、これをビジネス化 してみました。人 工 衛星 は私 達が触 るんです。そして、宮城 県 南魚 沼
というところ、米 作りの本 丸に売り込みに行って、採用 されました。最 初は地元 の新 聞 でもたた
かれました。社 説でたたかれるんですから、毎 回 議会 で大もめになりました。こうなったらどうす
る、ああなったらどうする、なんてことばかりの議論 です。ただ、最 初にたたいた新 聞も、2年後
には、コスト削減 の成 功 例という風に書いていました。けなしたり褒 めたり、新聞 は未 だにあま
り信用 していません。このシステムのクライアントは、北 は山 形から南は熊本 まであって、二 十
数カ所 、農協や農 事 組合 法人 等 と契 約 させてもらっています。測定するたびに役所に技 術
料・撮 影料 ・解 析 料と、全 部が転がり込んでくるんです。役所も不 思 議なところで、支 出する時
はボールペンひとつでも、いつ何 本いるの、と徹 底 的に聞 いてきますが、人 工衛 星 使ってお金
が入ってくる時 は、なぜか一度も聞かれたことはありません。
ブランド化の要は何か。「ブランド」だと決めるのは消費 者だったんです。生 産者 が決 めるも
のではありません。つまり、どうして消 費者がブランドだと思っているのか。その心 理構 造のな
ぞが解けない限り、一生 かかってもブランド化はできないと思ったんです。それで、人の本 質を
考えたんです。これは勝 手に作った造 語 ですが、憧れの効果 、「ロンギング イフェクト」いう言
葉です。人 は自 分 以外の人が持っている・飲んでいる・着 ている・身につけている・履いてい
る・食べている。持っているものをとにかく欲 しがるんです。「あの人いい靴 履 いてるな、かっこ
いいな、自分も欲 しいな。」「あの人いい時 計してるな、私も欲しい。」「あの人 いいバッグ持って
るな、私も欲しい。」といった具 合です。そして、相手 の影 響力が強ければ強 いほどブランド力
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は平 行して上 がります。かつて、女 優のグレース・ケリーが持っていたバッグは『ケリーバッグ』
といわれたんです。じゃあ無名 の農 作 物をブランド化するにはどうしたらよいか。逆算 してみた
ら、簡 単 でした。ものすごく影 響力の強 い方に定 期 的に召 し上がっていただければいいんで
す。あの人が食べているくらいだからこれがブランドに違いないと、消 費者は思い込むはずで
す。そこで、お三 方 を選んでみたんです。まず、ここは日 本ですから、天 皇 皇 后両 陛 下 。それか
ら、神 子 原(みこはら)と書く地名から、普 通は地 名は翻訳 しませんが、「神 様の子の原っぱ」
(“the highlands where the son of God dwells”)と地名 を翻訳 したら、そこにでてきたのは、
「神の子」なのです。これはクリスチャンからみたら、私 たちは一言も言っていませんが、キリス
トを意味 します。では、キリストで影 響 力の一 番 強 い人は誰か、それは11億 人の頂点にお立
ちになっている、ローマ教 皇です。また、アメリカは漢字 で書いたら「米 の国 」です。ゴロ合わせ
ですけれども、この米 国の大統 領にいつも食べてもらいたい、と考 えたんです。そこで、ほとん
ど同時 並 行でお三 方にアタックしました。
石川 県 というと旧 加賀 藩 で、旧 加賀 藩 というと 100 万 石の前 田家 です。ですから、宮 内 庁
に前田 さんという方がないかを調べたところ、第 18 代 、前田 家 頭 首、前 田 利祐 (としやす)公
の子 孫を探し当 てたんです。その方にアポイントを取って、直接 、宮 内庁の中でお会 いすると
いう許可 をいただきました。受 付 で奇 妙 な言 葉 を聞 きました。「殿様 、今 日は石川 県 羽 咋市 役
所から市長 と農林 水 産課 の職 員と近 藤さんという町会 長 さんのお三方がお見えになっていま
すが、お約束 出 来ていますでしょうか。」、という確 認の電話 を目 の前 でやられたんです。3人
で顔 を見 合わせ、「今 、この人 、殿 様って言わなかったですか。」「宮 内庁 まで来 てるから緊 張
のあまり空 耳を聞いたに違いないよ。」「そうですよね。」、といったやりとりをして、応接 室に入
りました。そこに、女 官がお茶 を運んで来られました。「殿 様、今 日のお茶はこれでよろしゅうご
ざいますか。」とおっしゃったのを聞いて、私 達は瞬 間に名 刺 を出す際に慌 てて、「殿 様 、こうい
う者 です」、と、「殿 様」を付けて話 しましたら、「はい」、とおっしゃいました。廃藩 置 県 、明 治 維
新の時、加 賀藩も政 府に城と領 地を全 部渡 したんですが、明 治政 府はある約束 をしたんで
す。末 代 未来 永 劫にわたるまでの藩 衆の身分 保 障 です。だから、前 田さんという人が宮 内 庁
にいるんです。徳 川さん、という方もいらっしゃいました。呼び方はそれぞれ殿さまでした。ある
いは官 職 名、前 田指 揮 部 長、といった感 じです。前 田さん、と呼び捨 てにする人は誰もいませ
んでした。私達は、この前 田の殿様に直 談判 しました。「1カ月に1食 、1週 間 に1食 、2か月~
半年に1食、1年に1食でも構わないので、定 期的 に持続 ・継 続 して召 し上 がっていただくお米
に出来 ませんか。1回だけでもいいんです。」とお願いしましたら、「僕は石 川県 と非常に関 係
が深いですし、いい話 ですからね。陛 下 、皇后 陛 下様にふさわしいお米 です。さっそく今 晩から
やりましょう。ちょっと待ってください、今 、料 理長 を呼びますから。」、と言って、料 理長にこのお
米を今 晩の夕 食にしつらえるよう、目の前で調 整していただいたんです。この場でドンチャン騒
ぎをするわけにはいかなかったので、当時 泊まっていた赤 坂 東急 ホテルというところまで戻っ
て、石 川県 県 人 会の事 務 局長 などもみんな呼んでドンチャン騒ぎやったんです。ただ、よせば
いいのに役 所にも電 話をかけまくって、課 長ついに成功 しましたよ、とか言いながら報 告 しちゃ
ったんです。騒いでる最 中は頭の中が舞 い上がっていますから、上り旗 とポスターのイメージま
で完 璧に刷り上がっちゃったんです。ど真ん中に黄色 い“天 皇皇 后 両陛 下 御用 達 米 近 日発
売予 定 “とか書いたポスターです。そのポスターも、帰ってすぐ発注 してやろうと思 いながら、騒
ぎ疲れて自分 の部 屋に帰 ってみたら、ベッドの脇にある受 話器の伝 言メッセージと書 いたラン
プが光っていたので、ボタンを押 して聞 いてみたところ、宮 内庁からの伝 言 でした。「今日 午 前
中あった件に関 しては無 かったことにして欲 しい。」、というメッセージでした。大失 態 です。その
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ことを市 長に申し上げると、市 長も「私もそんな簡単 にうまくいくとは思ってなかった。」と、さっ
きまで一 緒になってドンチャン騒ぎしていた人が、そんなこと言うんですから。
それで、役 所に帰ってまたローマ法 王に手 紙を書 きました。あなた自 身に召 し上がっていた
だく可 能 性は1%もないんですかと、しつこいくらいに手紙 を書いたんです。最後 の頃には、夫
人が話をしながらパンを割るとパンくずが床に落ちて、その床に落ちた小 さなパンくずを小 さな
子犬 が喜んで走って食べに来るという、キリストにまつわる話を書いたんです。その小さなパン
のかけらは天 の恵み「ガラシャ」なんです。このちょっとした可 能 性でも、落ちてきたらなら喜ん
で馳せ参 じます、という思 いも込めました。でも、1カ月経っても返事 がないんです。2ヶ月目に
突入 してもう脈は無いとあきらめて、3つめに取りかかりました。
3つめは、米の国 と書く米 国です。5キロの米をダンボールごと、ホワイトハウスのブッシュ大
統領 宛 てに直 接 送ったんです。3週 間しないうちに返事 があり、見 覚えのあるフェレックスのダ
ンボールが、角が全 部つぶれたような状 態 でボロボロになって返ってき来ました。よく見ると、
真ん中に赤いスタンプが並べて押 してあるんです。日本 語 で、「受取 拒 否」の意味 でした。それ
を見た瞬 間にカチンときました。私 たちは食べたくもない遺伝 子 を組み換 えされたトウモロコシ
だけでも1千 万トン以 上 、遺伝 子 を組み換 えされた大豆 は数 百 万トン以 上日 本へ軽く入ってく
るんです。農家が丹 精 込 めて作ったたった5キロの米がホワイトハウスに行 かないとは何 事だ
と思ったんです。すぐアメリカ大使 館へ電話 しました。クレーではありません。喜 ぶことを聞いて
みたんです。「あなたは、現職 のブッシュ大 統領のファミリーと目の前で直 接 話しをしたことがあ
りますか。」、という質 問です。直 接はありません、遠 くで見た事 はあります、という回答 でした
ので、私は、「でしたら今 回は最高のチャンスです。私 達のこの5キロのお米を、ハンドキャリー
で(手で抱えて)持って行 ってもらえませんか。」と言いました。大 使館 特 権 で、大 使館 職 員は
穀類 であろうが何であろうが直 接、大 統領に持ち運 ぶことができます。それで、テキサス州の
実家 の住 所はここですよ、と住 所まで教えてあげました。
その最 中に、ローマ法 王大 使 館から電話 が入りました。私は最初 怒られると思ったんです。
失礼 な手紙 を何回も何 回 も教皇 様に送りつけて、二度 と手紙 を書くなと言って脅 されるか、お
しなりを受 けると思っていたのが違ったんです。大 使がお待ちになっていますのですぐ来なさい
とのことでした。慌てて私 と町 会 長の近藤 さんが5キロ入りの米 を9袋 担いで行 きました。45 キ
ロです。市 長は手ぶらでしたが、私 達は、3番 丁の坂を 45 キロの米を担いで上がって行ったた
ので、肌が紫 色に腫れ上 がりました。それでも、会 議室 の前 で、今は南アメフカ大使 をされて
いる、当 時の大 使に言われた言 葉は未だに忘れられません。「あなた方の神 子原 というのは、
千人 いた人口 が 500 人 以下になった小 さな集 落 、村 なんですね。バチカンを知っていますか、
800 人 しかいない、世 界 で一 番 小さな国なんです。小 さくなった村から小さな国への架 け橋 を
私と大 使がやりましょう。」、とおっしゃたんです。何 を意 味していたか、というと、このお米を正
式に教 皇 様への献 上品 として上げようということです。それから、今 まで誰が何をローマ教 皇
に献上 してきたかが書かれた巨 大なブックレッドをみせてもらいました。最 初 の日 本人 をみて
歴史 を感じました。「Nobunaga Oda(織 田信 長 )」と書いてあるんですから。贈 られたものは、
「Byobo」となっていました。ずべてイタリア語だと思 っていたので「ビョウボ」というイタリア語は
何の意味 ですかと聞いたら、「屏 風」だったんです。だから「Byobo」の「bo」は「bu」の間 違いで
すから書き直されたらどうですか、と言ったら直 してはくれませんでしたけど、私達 が注 目する
のは米 ですから、日本 から誰かが正式に教 皇 様にお米 を献 上 してるかと思 って見 てみると、
献上 されていなかったんです。私達 が持ってきたこのお米が日 本の歴史 上 初めての米の献 上
品になったわけですね、と言うと、そうです、とおっしゃいました。
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問い合わせが来 始めたのはその2日後 でした。それまでは一つも売れていませんから値段
も決めていなかったんです。東 京 四谷にある上 智 大学 のすぐ隣にある聖イグナチオ教 会のバ
ザー関係 者 と名 乗る品のある奥 様からお電話 いただきました。お金 持ちは値 段を聞かないで
物を買うもんだと初めてわかったんです。5キロの米 を何 百 個、3キロの米 を何百 個 、1キロの
米を何 百個 、バザーの日 までに届けてくださらない、とおっしゃいました。値 段は、と聞くと、いく
らでも結 構よ、とおっしゃいます。では、1キロ 700 円くらいでいかがでしょうか、というと、あらお
安いわね、と言われたんです。はらわたがにえくにえくり返りましたけど、全 部売りました。どうし
て 700 円にしたかというと、当 時 、1番 安い南魚 沼 産コシヒカリが有 名デパートでいくらなのか
を調べてみると、1番安 いものが1キロ 830 円でした。たった1キロの米が高 級 デパートでは
830 円もするんです。あまりにも高いので、私はそこにいた売り子 さんに、このお米は誰が買う
んですか、と聞 きました。売り子 さんは、「私どもは、お買い求めになるお客 様がいらっしゃるの
で扱ってます。」、と答 えました。私 達の米は、魚 沼 産を超えてはならない、800 円 という訳には
いかないと思ったので、とっさに 700 円と申 し上 げたら、安い、と言われたんです。全部 売りま
した。送 料 込みで 300 万 円近 い金 額 です。そのことが日 経 MJ、フジサンケイグループ、NHK
の番 組等 、様々なメディア媒体に一 気に取り上 げられました。1ヶ月 で 700 俵 の米を役 所で売
ったんです。1俵いくらかというと、4 万 2 千 円になります。実はもう少しあったんですが、それ
以上 は売りませんでした。ある特 定の居 住 地からお電話 いただいたときには売らないことにし
ていました。東京 都 世 田 谷区 成 城 、田 園 調布 、白 金、自 由が丘といった、日 本の高級 住 宅街
と思われるところから、次 に問い合わせがあった時 には、こう答 えようというマニュアルを A4 版
1枚 で作ったんです。「先 程までございましたけれど、今 売り切れました。いつもご利用になって
いる有 名デパートに、一 度お問い合わせされたらいかがでしょうか。ひょっとしたらあるかもしれ
ません。」と、回 答するマニュアルです。その時は、デパートとは取 引 していませんでした。何を
目論んだのかというと、どうしたら、デパート側が頭 を下 げて売ってくれというのか、ということを
考えたんです。売らないことが得 策だと思いました。こちらが頭 を下げて、デパートで扱ってくだ
さい、お願いですから引 き取ってください、と言って頭を下げたら、仮に採用 されたとしても向 こ
うの言 いなりです。日本 橋 にある高 級老 舗デパートのバイヤーという人から電話 があって、ロ
ーマ法 王に贈ったという米は、少 しでも残っていないのか、と問い合わせがありました。若干 な
らありますけど、と言 うと、どれぐらいあるのかと聞 かれ、30 ㎏入りで 100 袋 程度 ならすぐに用
意できますがどうしますか、と言 うと、全量 欲 しいというので、輸 送のトラックを準 備していただ
けますか、と付け加えました。さらに、お米の袋はどうしますか、ロールにしますか、切 断 した単
品にしますか、と聞きました。袋は一枚ごとの切断 でしたら 1 枚 125 円いただきます、とも付け
加えました。マルタカというメーカーに、1枚 87 円 で作らせていたので、デパートに売れば、米
の袋だけで儲かるんです。先 方には、卸値 で 10%しか引 けませんけど、この条件 でよかったら
取りに来 てください、と言 ったら、取りに来 ました。デパートには1㎏で千円 以上つけないと絶 対
に売りません。2年 目も頭 は絶 対下 げませんでした。こうして、老 舗デパート、有名デパートと
いわれているところのデパ地下 は全 部 責めました。南は山形 屋 というところです。1回試 しに置
いてもらいましたら販 売 と同時に、ほとんどなくなりました。85%以上 が予 約 販売 です。だった
ら量を増やせば良いのでは、と言われますが、増やしません。どれだけ生 産 する能力があって
も、絶 対に増やしません。むしろ、減らしたんです。それを2年 間やりました。
調子に乗ってその間 、日 本で一 番高 い日 本 酒も手 掛けてみたんです。議 会 でも大 問 題にな
りました。720ml で 3 万 3,600 円 です。自分も買わないような酒を作ってみたんです。市 議 会で
議員 さんが、「わしは、集 落のことを心 配しているから言うが、こんなものは庶 民の酒じゃな
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い。」と批判 しました。庶 民のために作ったのではなく、お金持ちのために作 ったんです。私達
は議 会が休 憩に入った時 にその議 員さんに食って掛かったんです。「あそこまで心 配していた
だいてありがとうございます。そこまで心 配されるんでしたら、どうか、農 家から直 接 3,500 円 出
して5㎏の米を買ってあげてください。」と、言ったんです。本心 は心 配 なんてしていないんで
す。心 配しているなら、どうして過 疎の村にしてしまったのか。そんな人 達は、100 年 間心 配 し
ていても変わりません。私 達はちょっと意 固 地になっていたので、その酒の試 飲会 などは市内
で一 切 開いていません。どこに持って行ったのかというと、有 楽町にある外 国人 記 者クラブに
乗り込んだんです。16 カ国の外国 人 記者 を集めて、まず記 者 会 見をしたんです。日本 で一番
高い日本 酒 をつくりました、と。看板 がちょっと皮 肉 で、お米 で造った酒がブドウで作ったお酒
に劣るんですか、という、いわゆる挑戦 状 です。最 初は、なめた記 者 会 見だと思われました。実
際にテイスティングできますからどうぞお飲みください、と飲んだ瞬 間に彼らの態 度が豹 変 して
いったんです。まるでワインのようだと言 い出しました。関係 者や事 情をよく知っている人 間は
腹の中でおかしくてたまりませんでした。なぜなら、最初 からワインですから。お米 をワインの酵
母菌 を使って発 酵させてできるものは、米のワインです。誰も、一 度も日本 酒の酵母 を使った
なんて説明 していませんでした。外 国人の頭の中 から体まで、染みついているものは何 かとい
うと、ほとんど、世 界の最 高級 酒 、ワインなんです。日本 酒がちょっとでもワインに近づくだけで
まるでワインのような高 級 な日 本 酒ができた、と勝 手に言って、彼らは帰りました。それから何
が起こったかというと、いきなり日本 航 空のエグゼクティブクラスの指定 酒にすぐなりました。
米のパッケージの「能 登 神子 原 米」のロゴは、エルメスのデザイナーで知られる吉 川壽 一
氏の作品 です。お米 30 ㎏で描 いていただきました。現 金は1円も払っていません。予 算を持っ
ていませんから。先 生の作品 が村 を救 います、とお願いしたところ、僕の作 品が君たちの村を
救うんだったら喜んで作 品を描きましょう、と言ってくれて、お米 30 ㎏で描 いていただいたんで
す。
私は2年 間、米 を役 所 で売りましたので、最 初の約束 通り会社 を作ってください、と集 落に
言いましたら、いきなり反 故(ほご)にされましたされました。約 束なんて守ってくれません。なぜ
約束 を守ってくれないんですか、と聞くと、赤 字になる会 社に出 資するバカはいないだろうと言
われました。では、この2年間 、米を売って赤 字になった農家は手 を上 げてください、と尋 ねた
ら、誰も手 を挙 げませんでした。人 気が 2~3 年だけ続いて、その後 落ちたらどうする、と聞 き
ます。ああなったらどうするんだ、こうなったらどうするんだ、と。要するに、失 敗した時のことし
か言わないんです。その時に申 し上げた事は、そこまで不 安で心 配でしたら何回も何 回も失敗
しましょうよ、と言いました。何 回も失 敗しようとは何 事だ、と言って、火のついたタバコが入った
灰皿 を投げつけられました、後ろから。よけましたけど。こうして、数カ月間 の間に 45 回の会
議を重ねました。いい加 減、集 落の人がしびれをきらして、わかった、おまえの言 う通り約 束を
守ってやる、と言ってくれるまで、やり続けようとしたんです。だから 45 回もやってしまったんで
す。そうしたら、東 山 さんという農家が、昨日あった話をしようか、と言って、「昨日 、わしパチン
コに行って2万円 負 けたんだ。今 日だけ父 ちゃんパチンコに行ったと思って、1 世 帯2万 円ずつ
出してくれないか。150 世 帯集 まれば資 本 金 300 万円 の会 社ができる。会 社が倒産 しても、
父ちゃんパチンコで負けたと思って諦めつけてくれ。」、と言ったんです。期待 や希 望じゃないん
です。諦めろ、という話 なんです。その途端 、反 対 意見 が無くなりました。ついでにいうと、社長
の決め方もおかしかったんです。「松本 、おまえの誕生 日が一 番若 いから明日 から社 長や
れ。」、と言って決めていました。こうして、資本 金 300 万 円の会社 で出発 しました。あきらめ
て。それが、今は資 本 金 700 万の会 社になっています。平 成 19 年の7月 7日に創 業 した(産
13
直市 場の)プレハブづくりでは、農 水 省の補 助 事 業 を活 用して作った何の変 哲もない安 いプレ
ハブですが、設計 を誰がしたかというと、奥 様 方です。男の意 見は一 つも入 れませんでした。
入らないようにしたんです。そうしたら、わしらの意 見はどこへいった、と男衆 から怒られまし
た。「皆 さんの意 見は入れませんでしたが、奥 様 方 の意 見はすべて入りました。」と、言 うと、ま
たわしらをなめてるな、と怒られましたが、誰がおにぎりを握って、誰がレジを打って、誰がエプ
ロン付けて配膳 をするのかを考 えたら、(プレハブで)仕事 をするのは、奥 様 方です。中 で働き
もしない男 衆が口を出すから、使い勝手の悪い公 共物 が出 来たりするんです。だから、すべて
奥様 方の意 見だけで固めて作りました。プレハブですけど文句は一つも出ません。隣にある荷
出しセンターは、オペレートするのも男だけで、男しか働きませんから、男 衆 の意 見だけで作り
ました。これを私達 は「事 業仕 分け」と言いました。
ぶつかることも相 当ありました。ただ、この日(創 業 の日)は今 でも忘れられませんが、おかし
かったこととうれしかったことが一つずつありました。うれしかったことは、2年 前に大 げんかした
農協 の組 合 長が、代 表の挨拶 で、本 来は農 協がやらなければならないこをとを役 所がやって
見せてくれた、と言ってくれたことです。おかしかったことは、赤字になる会 社に出 資する馬鹿
はいない、と真っ先に反 対した人が、これは私 達 が作った会 社です、と言って、率 先して中を
案内 して歩 いていたことです。今は、1 億 数 千万 円 稼いでいます。この会 社 で働 くために戻っ
て来 たUターン組もいます。社 長 以 下、11 名で働 いています。
お米は特 殊な本でも紹 介 されました。年会 費 500 万円 のカードの会 報 誌です。最 初のペー
ジを見 てみると、126 億円 の買い物が出来 ます。私 のカードは 60 万 しか使 えませんが、億 単
位で物が買えるカードを持っていらっしゃる方が世 の中にはいるんです。ブラックカードというも
のです。126 億 円の城が売っていたりするそのカードの会 報 誌の中程のページに、33,600 円
の酒や 3,500 円のお米が載っているんです。城に比べるとタダみたいなものです。日本 のほん
の一 部のセレブしか読んでいない本 です。取 組から 1 年 で翌年にはどういうわけか、ブランド
米として読 売 新聞が取り上げたんです。誰がブランド米 と決めたのか、読 売 新聞 を購読 してい
る奥 様方がでした。その翌年 は、朝 日新 聞 を購 読 している奥 様 方がはやし立ててくれました。
私達 は自 分からブランドだ、なんて一言も言っていません。
何を目 指したのかというと、人 口が減っているのは別に良 くて、賑やかな過 疎を作りたい、と
思っているんです。常に人で賑わう過 疎の村をつくりたいんです。食 文 化というと、日 本食もそ
うかもしれませんが、ヨーロッパではフランス料理 なんです。そのフランスの食 の頂 点を極めた
男がなれる職 業が一つだけあります。モナコ王 国の総料 理 長で、アラン・デュカス、彼しかいま
せん。彼は、私達 の過 疎 の村にやって来 て、最 高 級の米(神子 原 米)を使ってフランス料 理 を
出しているんだから、その料理に最もふさわしいライスワインを作りたい、と言 い出 したんです。
私達 がやったことがちょっとばれちゃったんですね。アラン・デュカスグループのソムリエまでや
って来 ました。私 達は2次 発酵 の時に始めて、日 本 酒の酵母 菌を使いました。財 務 省との絡
みがありますので、最 初 か最 後までワイン酵 母を使っては出 来なかったんですが、彼らは、ラ
イスワインだから最 初から最後 まで米 を使ったワインを作りたい、とフランスから酵 母を持ち込
んで、日本 の酒 造メーカーで作らせたんです。2年 掛かりました。フランス、モナコの店 舗 、そし
て銀 座 、東 京の「ベージュ アラン・デュカス 東 京」という日本の直 営店 でもお披露 目 されまし
た。何をしているのかというと、山を高くしているんです。米が全体の売り上 げのどれくらいを占
めるんだというと、実は1位2位ではありません。5位6位です。こういう取り組みで、何が高くな
るのかというと、他の物が引き上げられるんです。それで、米 を徹 底 的に高 くしているんです。
ですから、ANAファーストクラスの指定 米になったりもしています。うれしかったのは、農 業を続
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けていて良 かったと言ってもらえることです。これには本 当に、じんときました。
もう4、5年前 から根 本 的 な問 題に取り組んでいます。冒 頭にご紹 介いただいた、奇 跡のリ
ンゴを作った木 村秋 則(あきのり)さんを招 いて、「木 村式 自 然 栽培 」という、北 海道 でもたくさ
んの仲間がいますが、農 薬・肥 料・除草 剤を一 切 使わない農 業 をやっています。農薬 を使わ
なくても出 来るんです。害 虫の温床になるなんて言 いますが、やったことない人がそういうんで
す。やれば、そうならないことがすぐわかります。他 のところにも影 響を及ぼしたらどうするん
だ、虫は馬鹿 じゃないです。殺 虫 剤を撒かれたところから、逆に撒かれていないところに避 難 し
てくるんです。全 く反 対のことを言って、批 判します。米 なんて出 来るわけがないと、やったこと
のない人が言うのには、あなたは予言 者 ですか、と言 いたい。やらなくて分 かるのは予 言 者だ
けですから。この農法 を、今、私 達は『ジャポニック』と呼んでいます。オーガニックに代わる新
しい概念 として世 界中に売り出 そうとしているんです。(品 質は)オーガニックを簡 単に超えてい
ます。有機 栽 培に反対 しているわけではありません。ただ、未 完 熟な有 機 資材 を使うと、とん
でもなく危 ない物が出来 ていますよ、と言 いたいのです。どうして、JAS 有 機 の認 証を受けたキ
ュウリが溶けるんですか。是非 、皆さん、実験 してみてください。どうして植 物 が腐って溶けるの
か。農薬 肥 料を入れずに育てたキュウリはどうなるかというと、枯れるんです。人 間も同じなん
です。私は日蓮 宗の小さな寺の住 職をやっていますが、昔の住 職を新 潟以 北で見 て下 さい。
即身 物 と書 かれた寺を尋 ねると、僧 侶が枯れて残 っています。ミイラです。最近 の僧 侶は腐り
ますけど。JAS 有 機のように、人 間も入れてはいけない異 物を入れると、溶け出して腐るんで
す。心も同じなんです。間 違った思想 を心にたたき込むと心 まで腐るのが人 間なんです。余計
なものを入れないと、腐らず、枯れるんです。植 物 なら、余 計 な物 が入っていなければ、放って
おいたら枯れるはずです。本来 の野 菜 なら決 して腐 りません。枯れるんです。山へ行って見て
下さい。植 物が腐り出すんでしたら、山は臭 くてしょうがありません。私 達は、どの米 が最 初に
腐るか実験 しました。JAS 有 機の「ふゆみずたんぼ」という米が最 初に腐りました。その次に腐
ったのは、合 鴨農 法の米 です。野鳥 や合 鴨の生フンが直 接入 るような農 法 は、江戸 時 代でも
やっていません。江 戸時 代の古い文献 、農書 をよく見 てみて下さい。必 死になって克 明に何 年
も調査 をした集大 成 です。野 鳥が田んぼに入 ることは徹 底 的に嫌っています。何が起こるか
知っているからです。江戸 時代 のお米は、おにぎりを作って 2 週 間も 3 週 間 も日本 中 を旅する
ので、米は腐らず、かちんこちんに干されます。落 とすと割れます。今の米は、数日 でカビが生
えて腐ってきます。入ってはいけないものが入っているからです。冒 頭 、日 本 の農 産物は売れ
ない、世 界 48 位だとお話 ししましたが、何 故 売れないかというと、売れない危 ない物を作って
いるからです。水には基 準がありますが、どうして野菜に基 準がないんでしょうか。EU基 準で
は、硝酸 塩の濃 度は 2,500mg/kg 以 下 しか流通 させることが、法律 上 、決まっています。これ
だと、日 本の農 産物は、グローバルギャップを超 えられず、簡 単に壁にぶつかってしまいます。
売れない理 由がここにあります。なぜ日 本にお茶 農家 が沢 山いるのに世 界 に輸出 されないの
でしょうか。ドイツに、たった2農 家 しかいっていません。未 完 熟な有 機資 材を投入すると、肥 料
ではなく、火 薬づくりになるんです。江戸 時 代、加 賀藩 では、火薬 づくりのため未 完 熟な有 機
肥料 を作らせていたんです。幕 府にばれないように、密 かに火 薬づくりをしていたんです。家 畜
の糞 尿や人 糞 を混ぜて枯 れ葉で覆い何 層にもして、いかにも堆 肥を作っているように見 せか
けて、実 際 作っていたのは硝 酸カリンです。硝 酸 塩の濃度が高ければ高 いほど、虫が寄ってき
ます。(プロジェクターの画 像を指して)これは、都 会 から村に来て、(自 然農 法で)農 家 をやっ
ている若い夫 婦の作ったトマトですが、よく見 て下さい。ゼリー状の部分がほとんどないことに
気づかれると思います。このトマトを水に入れると、沈みます。比 重が1より重 くなるからです。
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普通 のトマトは、肥 料 を多 く与 えるので浮きます。
最近 の食 材には、遺 伝 子 組み換えは安 心です、と書いてありますから、厚 生 労働 省の担 当
官に、遺 伝 子組み換 えが安心 でしたら、ご自 分のご家族に食べさせてあげて下さいというんで
す。フランスでは、遺伝 子 組み換え農 産物の実 験 を2年間の予 定で始 めましたが 13 ヶ月 でマ
ウスが死 滅 したんです。それで実 験 自 体を続けられなかったんです。何が起 こったかは、ルモ
ンド紙が報 道しています。日本 ではほとんど報 道されませんでした。マウスが癌になって、2年
間続 けられなかったんです。だからフランスは遺伝 子組 み換 え農産 物を止 めたんです。
私達 は、フランスFAO国 連農 業 機 構の環 境 部 長 ファルビッシュさんをお呼 びして、日 本が
見せることが出来 る最 先 端の農業システムをご覧 ください、と大 風 呂 敷を広 げて、自 然 農 法を
お見せしました。農薬 ・肥 料・除 草剤 を使 わないで、農協 が指 導 している田んぼの現 場、山の
中の田んぼにお連れしたんです。これはオーガニックか、と聞かれましたが、遙かに超えてるお
ので、外 部 資材は一 切 入 れていない農産 物 です、と言 うと、肥 料を使っていないのかと驚 かれ
ました。肥 料入れなくてもイネは育ちます。太 さは 1.5 倍 です。最 初はひ弱 なんですが、刈り取
りの時は完全に追いつきます。もっと見 ていただきたいのは水の中 です。目 視だけでもミズカマ
キリやゲンゴロウ、オタマジャクシといった 67 種 類 の生き物が泳いでいるんです。空には、何
かが何かの餌になって、循環 しています。農薬 を使ったところは、生き物の気配 はありません。
これでも米は出来るんです。ただし、収 量は若干 落ちます。反収は、農薬 使用 で 10 俵だとし
たら、だいたい、7~7.5 俵 くらいに下がります。25~30%は下がると思って下 さい。ただ、捨て
る物は何もありません。稲 殻さえ、納 豆 メーカーが買いに来 ました。では、虫の被害 が全くない
のかというと、少しはあります。そんなのは、米 粉にしてパンにすれば良いんです。農薬 肥 料を
使わないで農 産物 が出 来 るとなるとルネッサンス的 な内 容 です。木村 式 自 然 栽培 なんて、そ
んなちんけなことを言ってないで、木 村さん、「ジャパン」をつけましょうと提 案しました。私 達の
作った作品 (農作 物)を、彼らなら買ってくれるかもしれないと、フランスの三 つ星レストランに
持ち込んで、実 験 してみました。エッフェル塔の中 にあるジュールベル、三つ星レストランです。
この店 で使っている米は、神子 原 地 区の自 然 農 法 で作った米 ですが、野 菜 を持ち込んで、ネ
ガティブキャンペーンを張 ったんです。あなた達の使っているイタリアのトマトは腐りませんか、
私達 のトマトは、数 ヶ月放 っておくと枯 れますから、と。あなたがたは三つ星レストランですよ
ね、腐るトマトを使いますか、枯れるトマトを使 いますか、と聞いたんです。結 果、私 達のトマト
は枯れました。日 本人は、家 電や車を作るけど、こんなにすごい農 産品も作 ったのか、と言わ
れましたので、売れると実 感しました。『ジャポニック』、これで攻めていこうと思っています。オラ
ンダ並みになるだけで 80 倍にも急 成 長 出来る産 業 は他にありません。ここに賭けてみようとし
ているんです。ただ、しようとしたときに、文 化 財 室 に行きなさいと言われて、全く違う部 署にな
ってしまいましたが。
私の話は、これからが本 当に面 白 しろくなるところですが、時 間になりました。ここまで聞 き
苦しかった点も多々あったかと思いますが、私 達 がやってきたことの自 慢 話をしにきたのでは
ありません。私達ができたんですから、誰がどこでやっても出 来るんです。やらないだけです。1
歩 2 歩 踏み出してみて下 さい。私 達だって何度も失敗 しました。失 敗はやった証 拠です。冒 頭
で局 長にご挨拶 いただきましたが、本 当にその可 能性 があると思います。深川 から単 線 で来
たときに、なんてすごいところだと、車 窓から周りの風景 を見ながら、ここで仕 掛けたらすごいこ
とになるのではないかとワクワクしながら来 ました。私達 の小 さな過 疎の村でも出来 たことです
から、ここでも十 分出 来ると思 います。そして、『ジャポニック』、除 草剤 を使わないやり方は、北
海道 は先 進 地みたいなところです。いろんな仲 間が各地 でいろんなことをやっています。右と
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左がけんかしない考 え方 を取 ろうとしているんです。この農 作物は世 界を席 巻(せっけん)する
ものになると思っています。農 法はすべて公 開 されています。羽咋 市の農 林 水産 課 でも、米 作
りに関しては、全 部 マニュアル化 していますので、興 味がありましたら是 非お問い合わせいた
だけたらと思 います。
最 後 までご静 聴いただきましてありがとうございます。
<司 会>
大変 暑い中 、熱い講演 をいただきました。高 野さんに直接ご質 問出 来る機 会はあまりない
かと思 います。せっかくの機会 ですので、ご質問ございましたら挙 手 をお願 いします。
<農 村 振 興課
佐竹 課 長>
大変 シ ョ ッキ ン グな 講 演で し た 。失 礼 かと 思 いま す が 、張 っ たり を かま す 、 じら
す、 空 か して け んか し て、 と い った 場 面が 多 々あ っ た と思 い ます 。 私も 問 題 を早 く 解
決し よ う とす る 時に は 、特 に 若 い頃 は 、市 町 村長 で す とか 農 協の 組 合長 で す とか に 、
そう し て いま し たが 、 今は 管 理 職に な りま し たの で そ こは 抑 えて い るん で す が、 そ う
いう こ と をや る と、 誰 かを 潰 し てし ま うこ と も出 て く ると 思 いま す 。結 果 的 に、 地 域
が良 く な ると い う部 分 があ れ ば 救わ れ るん で すが 、 中 には 、 一つ づ つ考 え て みる と 反
省す る 部 分も あ りま す 。先 生 は 仏教 人 です の で、 仏 の 道と し てそ の 当た り は どの よ う
に思 わ れ てい る のか と いう と こ ろを 、 講演 と は外 れ る かも し れま せ んが お 聴 きし た い
と思 い ま す。
<高 野 氏 >
冒頭 話 し まし た が、 自 信が な い こと で も、 理 解い た だ ける と 賛成 者 が増 え て くる ん
です 。 私 も最 初 は、 お 前は 市 会 議員 に いつ 出 るん だ と 言わ れ まし た 。要 す る に、 市 会
議員 に な るこ と が僕 の 目的 だ 、 と思 わ れて い たん で す 。次 は 、い つ 市長 選 に 出る ん だ
と言 わ れ まし た。たら、私心 がないことが分かると、あいつは本 当に村のために良 くやってく
れたという気づきになり、そこから変 わってくれました。最初 は味 方もいませんでしたから。味方
はたったの3世 帯だけでした。それが、米が1㎏ 700 円で売れるようになったとたんに、賛 成 者
が増えてきて、会 社が上 手くいくようになってくると今度 は批 判がどんどんなくなってきました。
最初 から 100%なんてあり得ないんです。147/169 世 帯 までに今は伸び上 がりましたけど、そ
れでも 100%の出 資率 ではありません。反対 者もいるんです。反 対者がいてもいいと思ってい
ます。ただ、悔 し紛れに、あんなことしてみても、とか、俺だったらこうしない、などと言う人がい
ますので、そういう人 達には、だったらやって見せてください、なんです。何もしてこない人が批
判するんです。失 敗してきた人は、何か意 見 しても批判 はしません。それが世の常なのかもし
れません。そこはぐっとこらえて、仏教 用 語ではありませんが、そういう言 葉 も一つ二つ出 して
みて、相 手を説 教する、説得することをしてみても良いのかもしれません。真摯に立ち向かうし
かないんです。10 人 いて、正 しい意 見が 2 人 しかいなかったら、みんな多 数 決を求めてしまい
ますので、正 しい方には傾かないんです。
もう一つは、やって見 せて次はやってもらってみないと、人は納 得して付 いてこないことが分
かったんです。誰だって、やる前は怖いんです。どうなるか先は見 えないし、スケール感が小 さ
すぎるんです。小さなことや失 敗したことしか先に考えないで動 くんです。私 も楽天 的 ですか
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ら、どうしたらうまくいくか、常に希 望や夢だけを描いて話 をします。失 敗したときどうするかは、
失敗 したときに考 えれば良いんです。どう上手 くいくかだけを考 えて、常に希 望の光だけを出 し
ていったんです。やり方が良いかどうかは分 かりませんが、あとは、参考にしてもらったのはや
はり仏教 です。仏 教は知 恵の塊ですから。僕のオリジナルのアイディアではなくて、仏教 書に
書いてあることを示しただけです。哲 学と言 うことを言いましたが、フィロソフィ、愛 と知恵 なんで
す。知 恵は先人 達がいっぱい持っているんです。どうやってこの苦 境 を乗り越 えてきたのか、こ
んな時にどうしてこんな立 派なことが言 えるんだ、それは全 部知 恵 なんです。私は、この知恵
が今は圧倒 的に足りなくなってきていると思っています。学歴があっても知 恵がないんですか
ら。ここが問 題 なんです。何度も申 しましたが、イエスキリストはただの船大 工の息子 です。で
もこの先 人 達が作ってきた知 愛と知 恵、哲 学は、千年 2千年 と残るんです。ここの違 いです。
役所 は、「役に立つところ」です。その人 の評 価が分かるときがありました。どこまで役に立っ
てきたか、それが分かるのは、その人の葬 儀です。村 のために生きてきた人の葬儀 では、村 中
の人が参列 して泣 いていました。会 社のために生 きてきた人には、会 社中 の人 、関 係 者が来
て泣 いていました。地 域 の福 祉に人 生を賭けた人 には、地域の福 祉の関係 者が来て泣いて
いました。自 分の家族に人生 を賭けてきた人は、家族 だけ泣いてました。自分にしか人 生を賭
けてこなかった人は、葬 儀では誰も泣きませんでした。それを見 ていると、[1]×[何か]=[答
え]、ということがわかったんです。役 所 でいくらかっこいいことを言っていても、亡 くなったときに
分かるんです。それに気 づいたのは、マザーテレサが亡くなった時でした。テレサさんが生きて
いたときに、日 蓮宗 の僧 侶を連れて、カルカッタへ毎年 1年に1度、慰 問に行っていたことがあ
りました。ですので、葬 儀 には、参加することは出 来なかったのですが、テレサさんが亡くなった
後、半 年 経ってから、もう一度 、カルカッタの「死 を待つ人 の家 」という館を尋 ねました。その時
に、入り口の石 畳に膝 を抱えて泣いている貧困 層 の奥 様方が何 人かいらっしゃったんです。
私は、事 件か事 故が起 こったんだと思って聞いてみましたら、半 年前に亡くなったマザーのこと
が悲しいと言って泣 いているんです。それを見た瞬間にピンときました。亡 くなった時に人 の価
値が分かるんだと。生きている間なんて評 価はされません。亡くなるときにその人の価 値が露
呈されるんです。ですから、何に自 分の人生 を賭けるかによってその価 値が出るんです。役 所
で、いくら福祉のためにやってきたとか農家 のために尽くしたなどと言っていても、死んだときに
わかるんです。本当にその人 達のために賭けてきたなら、その人達 が集 まるんです。ですか
ら、口 ではなくて、その人 の行いが、死んだときに評価 されるものだと、常に考えています。仏
教的 なそういう静 止 観?は持っています。目 指すところは、出 来るだけ枯 れる坊主になりた
い、というところです。最 近は周りに腐る僧 侶が多 いので、自 然 農 法の枯 れるトマトのように枯
れたいなと思っています。答えになったかわかりませんが、私はこういう価値 観といいますか、
考えで生きています。
<総 務課 沖田 主 幹>
大変 感 銘を受けました。ただ、一 緒にお仕事 をしていたら、面白 い反 面 、率直に、大 変なん
だろうなと思いました。一 緒に仕 事 をした人に何か心がけていたことがありましたら、お聞かせ
ください。
<高 野氏>
役所 に 入 って 一 番 うれ しか っ た 言葉 は 、 犯罪 以外 な ら 全部 責 任 とる 、と 言 っ てく れ
た一 言 で す。自 分が 言 わ れて う れ しか っ たこ と は、部 下に も 同 じこ と を 言え る よ うに 、
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して い ま す。 心 が けて いる の は そこ だ け です 。で す か ら、 自 分 の評 価が 、 な んて こ と
は 、絶 対 言い ま せ ん。何 十年 か奉 職 してきて、一 番うれしかったのは、その池田 という課長の
一 言 だけです。こんなこと言 ってくれる上 司 はいなかったので、この人 には絶 対 恥 をかかせたく
ないと思 ったんです。本当 によく仕 事 をしていた公 務 員 のところには、人 が来 るんです。仕 事 を
しなかった人は 2 度 と顔 も見せません。そんな法 則があると思っています。仕事 をした人 は、仕
事 を辞 めてふらっと役 所 に来 ても、どうしてる、元 気 か、などと言 って、必 ず寄 っていってくれま
す。人 間 はどこか後 ろめたいところがあれば、自 分 で分 かるんです。ですから、仕 事 をしなかっ
た人 は、役 所 に顔 も見 せません。犯 罪 以 外 なら何 でも責 任 をとってやるといったその上 司 とは、
退 職 後 も仲 が良 いですし、退 職 しても、農 村 集 落 のことをあれこれ考 えて、自 分 で出 来 ること
をしてくれています。公 私 ともに、二 人 で夢 を語 ったりしています。そういう意 味 で、役 所 の中 で
は、犯罪 以 外なら責 任とってやると言い続 けられるように心がけています。
<司 会>
予 定 時 間を 30 分も超 えてお話 しいただきました。講 師の高 野様 、ありがとうございます。
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