メディア多様化時代の印刷産業の展望 電子書籍の最新動向とこれから 社団法人日本印刷技術協会 研究調査部 ち ば ひろゆき シニアリサーチャー 千葉 弘幸 2010年1月にアップル社がタブレット型 PC の 索してプレビューするサービス「Google ブック 新製品 iPad を発表して以来,電子書籍やタブレ ス」に加え,有料で電子書籍を閲覧するサービス ット PC に関するさまざまなニュースが,連日の 「Google エディションズ」を2011年に開始すると ようにテレビで報道されるようになった。また, 発表している。 「Google エディションズ」は,他 電子書籍に関するセミナーも数多く開催されてい 社のダウンロード方式と異なり,Web ブラウザ る。しかし,国内で電子書籍コンテンツが豊富に からアクセスする方式,端末に依存しない方式と 流通し,利用される状況になるには,多少の時間 なる。 がかかると思われる。本稿では,関係各社の動向 2010年10月時点で,日本語の電子書籍コンテ と技術的な課題,メディアとしての電子書籍およ ンツは提供されていない。今後の動きが注目され び電子書籍時代の印刷会社の役割について述べた ている。 い。 電子書籍を取り巻くプレーヤー 国内では,大手印刷会社の存在感が大きい。大 日本印刷は,グループ傘下の丸善,ジュンク堂, 文教堂,図書館流通センターのオンライン書店 電子書籍の分野では,コンテンツやリーダー端 「bk1(ビーケーワン) 」と連携して,国内最大級 末を販売するプラットフォーム企業が注目されて の電子書店を開設すると発表した。10万点規模 いる。アップルの iPad は2010年4月に発売され, のコンテンツを準備することに加え,オンデマン 6カ月間で740万台以上販売されている。アップ ド印刷を含めたハイブリッド型総合書店となるよ ルの強みは,iPhone と共通の操作であること, うだ。5年後に500億円の売り上げを目指してい iTunes,App Store にアカウントを持つ多くの る。また,大日本印刷は NTT ドコモと提携し, ユーザーがいることである。iPad では,標準の 携帯端末向け電子書籍サービスを行うとも発表し 電子書籍フォーマットとして EPUB を採用して ている。 お り, 標 準 の 電 子 書 籍 ビ ュ ー ア プ リ で あ る 対して,凸版印刷が発表した総合戦略「出版イ iBooks を通じて,電子書籍を読むことができる。 ノベーション2010」では,コンテンツマネジメ アマゾン社の Kindle は,2010年8月に第3世 ントとマルチユースを核とした電子出版関連事業 代となった。現在,米国では40万点の Kindle 用 で2015年度,500億円の売り上げを見込んでいる 電子書籍が販売されている。アマゾンの電子書籍 と言う。また,凸版印刷は,2010年7月にソニ は,Kindle だけでなく,一般の PC や iPad でも ー,KDDI,朝日新聞社とともに電子書籍配信事 ビューアソフトを通じて読むことができる。 業を行う会社を設立している。 グーグル社は,出版社が許諾した書籍を全文検 大手出版社,文芸書出版など41社は,社団法 印刷料金 ’11 前文–5 人日本電子書籍出版社協会を設立し, 「電子文庫 ーヤーに加えて,コンテンツを握る出版社や新聞 パブリ」の運営に加え,出版流通のルールや規格 社,コンテンツの配信・加工の核となる大手印刷 作りを行うとしている。また「電子書籍を考える 会社,危機感を持つ書店や取次,通信キャリア, 出版社の会」は,専門書,実用書出版の立場から 内外の電機メーカーなどが入り乱れて,新しい市 電子書籍・雑誌の研究と情報交換を行うとしてい 場に参入しようとしている。限られたマーケット る。そのほか, 「電子出版制作・流通協議会」は, の中で,すべての事業が生き残ることはあり得な 大日本印刷,凸版印刷を発起人として設立された い。激しいサービス競争になり,ユーザーに受け 団体で,制作・流通のための規格や仕様に関する 入れられたサービスのみが生き残ることになるだ 情報共有や協議を進めていくとしている。 ろう。 大日本印刷グループ以外の書店の動きとして, 紀伊国屋書店は電子書籍配信への参入を発表し て い る。ま た,紀 伊 国 屋 書 店 は,2007年 以 来 「NetLibrary」という方式で図書館向け電子書籍 配信サービスも行っている。 多様な電子書籍デバイスが混在 現在,電子書籍デバイスとして期待されている ものには,大きく分けると3種類ある。 一つは,7〜 10インチ程度の液晶ディスプレ 全国で音楽 CD と DVD ビデオのレンタルショ イとタッチパネル方式のタブレット PC である。 ップと書店を展開している TSUTAYA は,雑誌 代表的なものがアップルの iPad であるが,OS に 販売サイト「Fujisan.co.jp」と資本提携した。さ Android や Windows7を搭載するものなど,世界 らに,シャープと提携し,同社の電子書籍端末 の有力 PC メーカーが参入しつつある。汎用デバ 「ガラパゴス」向けの新聞・雑誌・映像の配信サ イスであり,電子書籍のみならず映像・音楽・ゲ ービスを行うと発表している。 ームなどを楽しむことができる。むしろ電子書籍 大手新聞社では,日本経済新聞が2010年3月 より,有料版の電子配信を開始している。また朝 を主目的としたユーザーは,現在は少数派ではな いだろうか。 日新聞は,2010年4月より,記事を3000 〜 6000 Kindle や Sony Reader は,電子ペーパー方式 字に再編集した PC 向けの「Web 新書」を105円 の電子書籍専用リーダーである。液晶方式に比 で販売している。産経新聞も iPad 向け電子版を べ,省バッテリーで軽く低価格である。 有料配信している。スタイルは各社各様だが,新 最後が,急速に普及が進むスマートフォンであ 聞社の多くは電子配信の事業化を模索している。 る。上記に比べると画面サイズも小さく,長時間 電子書籍を取り巻く状況は,アマゾンやアップ の読書に適しているとは言えないが,新たに電子 ルのように海外ですでに十分な成功を納めたプレ 書籍専用リーダーやタブレット PC を購入する必 表 ―1 出版社グループ・印刷会社の動向 電書協 ・社団法人日本電子書籍出版社協会 電子文庫出版社会を母体に2010年2月に設立 大手出版社,文芸書出版など41社(2010年9月) 「電子文庫パブリ」の運営母体 ・専門書,実用書出版の立場から 電子書籍を考える 電子書籍・雑誌の研究と情報交換 出版社の会 ・毎日コミュニケーションズ,オーム社,技術評論社,翔泳社など (2010年10月時点で48社) ・DNP,凸版を中心に設立(2010年7月,89社) 電子出版制作・流通ビジネスに関連する情報共有 電子出版制作・流 制作・規格・仕様・流通に関する協議 通協議会 電子出版ビジネスの発展と普及にかかわる活動 電子出版制作・流通ビジネスにおける日本モデルの検討および協議 商業・公共・教育・図書館等電子出版関連分野に関する情報共有 前文–6 印刷料金 ’11 表 ―2 電子書籍デバイス ・汎用ポータブルデバイス・液晶(映像・音楽・ゲーム・書籍 etc) ・iPad(iOS) タブレット PC ・Galaxy Tab(サムスン・Android), ガラパゴス(シャープ) その他 電子書籍 専用端末 ・アマゾン社:Kindle3(日本版 ?) ・Sony Reader(日本版 ?) その他 ・ドコモ Galaxy S(サムスン),Xperia(Sony Ericsson) スマートフォン (主要なもの) ・au IS03・IS05(シャープ),REGZA Phone(東芝), SIRIUS α IS06(Pantech) ・ソフトバンク iPhone4(iOS),HTC Desire(台湾 HTC) 要がないため,手軽に電子書籍を楽しむことがで マットとなっている。 きる。国内でもアップルの iPhone だけでなく, また,障がい者のためのデジタル録音図書の国 Android 搭載の新製品が続々と発売されている。 際標準化を進めている DAISY は,IDPF と協調 今後の電子書籍デバイスは,これらのタイプが混 関係にあり,相互に利用できるよう規格の共通化 在して発展していくと考えられる。 が進められている。現時点の EPUB では,縦組 電子書籍フォーマットを考える 電子書籍フォーマットの一つに,ディスプレイ など高度な日本語組版には対応していない。 JEPA を中心に日本語組版機能が提案されてお り,EPUB3.0に向けて協議が進んでいる。 やフォントのサイズに応じて1画面の内容が変化 日本国内専用のフォーマットとして,ボイジャ するリフロー型がある。つまり,ページめくりだ ー社の独自フォーマット「ドットブック」があ け の 動 作 で 読 み 進 む こ と が で き る も の で, る。縦組やルビなどの日本語組版機能がサポート EPUB,ドットブック,XMDF 等の種類がある。 されている。また,シャープが開発した XMDF 文字サイズと行の折り返しが可変であるところ は,SONY のフォーマット BBeB とともに電子書 は,Web ブラウザの動きに似たものである。こ 籍の記述フォーマットとして IEC 国際標準とな れに対し,紙面のレイアウトを重視し,ズーム・ っている。 スクロールしながら読む PDF のような方式がレ イアウト優先型(静的レイアウト型)である。 2010年3月〜6月,総務省・文科省・経産省 の主導の下, 「デジタル・ネットワーク社会にお EPUB は,米国の電子書籍標準化団体である ける出版物の利活用の推進に関する懇談会」とし IDPF が策定した規格である。IDPF には,アド て,各分野の有識者が集められ電子出版・電子書 ビ,アップル,グーグル,マイクロソフト,日本 籍に関する課題と展望が議論された。その中で, 企業でもソニーや大日本印刷,凸版印刷,日本電 電子書籍の制作・流通過程における中間フォーマ 子出版協会(JEPA)など,有力企業のほとんど ットの必要性が提案され,今後,既存の電子書籍 が参加しており,国際標準に最も近い存在となっ コンテンツで数多く利用されている XMDF とド ている。EPUB2.0は,W3C 標準である XHTML ットブックを統合した中間フォーマットの策定・ と CSS のサブセットで,リフローモデルであり, 標準化を検討する方針が決定している。 テキスト系コンテンツに適している。Kindle 以 電子書籍には,既定フォーマットのコンテンツ 外の電子書籍リーダーのほとんどが対応してお が提供され,ビューアを通して閲覧される場合 り,アップルの iPad では標準の電子書籍フォー と,コンテンツとビューアが一体になったアプリ 印刷料金 ’11 前文–7 と し て 提 供 さ れ る 場 合 が あ る。 モ リ サ ワ の のための電子出版の模索が続いている。 MCBook は,ビューア一体型アプリを製作する 雑誌も,販売部数低下や広告離れで苦しい状況 ツールセットであり,モリサワフォントの埋込が である。この2〜3年は,各社を代表するような 可能なことが特徴となっている。ダイヤモンド社 主要雑誌の休刊が相次いでいる。広告依存度の高 の DReader も,ビューア一体型アプリを製作す い電子雑誌が成立するかどうか,不透明である。 るツールセットである。 海外でも事例は多くない。 アプリ形式で電子書籍コンテンツを提供する場 新刊など一般書籍は,最も電子化が期待されて 合のリスクとして,新たなデバイスや OS が発売 いる分野だが,印刷本と電子本が同時発売される された場合,その対応がメーカーに依存してしま かどうかは未知数と言える。むしろ,電子本のみ うことと,将来,新しいバージョンのデバイスが の先行発売や期間限定の低価格販売などのキャン 発売されたときに旧バージョンのコンテンツが見 ペーンやテストマーケティングの試みが増えてく られない事態が起こる可能性がある。そのような るだろう。 場合,過去に提供したアプリをすべてアップデー 文庫,新書などの旧刊は,出版社にとってはロ ングテールの収益源となる可能性が期待されてい トするなどの対応が必要となる。 電子書籍とメディアへの影響 る。場合によっては,電子版の復刊・全集ブーム が起きる可能性もある。 メディアごとの現状と電子化の影響を考えてみ 電子コミックは,ケータイ向けとしてはすでに る。新聞は,若年層をはじめとして購読者数が減 大きな市場に成長しているが,アダルトコンテン 少しており,広告収入も低迷している。この1〜 ツが中心と見られている。コミックは電子書籍と 2年は大手でも赤字決算となっている。収益回復 最も相性の良いコンテンツであり,電子書籍デバ 表 ―3 電子書籍フォーマットの種類 ・ディスプレイやフォントのサイズに応じて見 映えが変化 リフロー型 ・ページめくりだけで読み進められる ・EPUB,ドットブック,XMDF 等 ・紙面レイアウトを維持 レイアウト ・ズーム・スクロールしながら読む 優先型 ・ヤッパ(SpinMedia),その他 表 ―4 リフロー型電子書籍フォーマット 前文–8 印刷料金 ’11 EPUB ・IDPF による規格(国際標準に最も近い) ・XHTML + CSS のサブセット ・DAISY と協調関係(デジタル録音図書) アクセシブルな電子書籍フォーマット ・縦組等の日本語組版機能は未対応(EPUB2.0) JEPA が EPUB3.0に向け提案中 (縦組・行頭行末禁則,縦中横,ルビ,縦横変換など) ドットブック ・ボイジャー社の独自フォーマット。T-time 縦組・ルビ等をサポート 電子文庫パブリで使用されている XMDF ・シャープが開発したフォーマット IEC 国際標準規格(2009)MT62448 (記述フォーマットの規格) 電子文庫パブリで使用されている。ブンコビューア 次世代 XMDF 新端末「ガラパゴス」で対応 イスが普及すれば,さらに成長することが見込ま れる。海外向けコンテンツとしても有望な分野で ある。 国内では電子辞書が主流になって10年近い。 電子書籍と印刷会社の課題 国内の多くの出版社は,印刷物のコンテンツ制 作と印刷製本を印刷会社に委託している。電子書 さらに,2009年には iPhone アプリの大辞林が大 籍のコンテンツ制作も,印刷物のコンテンツを流 ヒットした。今後スマートフォンやタブレット 用する方法が一般的になるだろう。データベース PC の普及に従って,この傾向はさらに大きくな 的な内容の書籍では,コンテンツ制作を先行し, るだろう。 印刷データと電子書籍データを一括変換して制作 韓国では,2011年に全国の小・中学校のデジ タル教科書を実施するという。ただし,学校では する方法もある。どちらにせよ,従来以上に出版 社と印刷会社との協力が重要となるだろう。 印刷版教科書,自宅用がデジタルという方式との それでは,販売を目的としない印刷物の電子 ことだ。国内では議論が始まったばかりだが,近 化,電子書籍の影響はどうなるだろう。チラシや い将来,デジタル教科書の実証実験が開始される パンフレット,製品カタログや通販カタログ,製 だろう。 品マニュアル,社内ドキュメントや技術資料,論 専門書や大学教育では,電子化が進む可能性が 大きい。専門書は,もともと少部数で高コストで 文集,公共の資料・刊行物などの電子化は必要な いだろうか。 ある。大学では講義にノート PC が利用されるこ 今後,さまざまな電子書籍デバイスが普及して とが多いが,iPad などのタブレット PC が導入さ いくことは間違いない。そのような環境を想定す れる例も出てきた。また,医学書などはページ数 ると,印刷物を製作する際,同時に Web コンテ が膨大であり,写真や動画を含めることで教育効 ンツや電子書籍の制作を検討することが求められ 果も高めることができる。電子化のメリットは大 る。例えば,iPad を使った電子カタログやプレ きいだろう。 ゼンツール,電子マニュアルのシステムなども考 国会図書館長の長尾真氏の構想として,国会図 えられる。そうなると,文字と画像だけでなく映 書館への納本義務を電子版に拡大することと,電 像や音楽も必要となるかもしれない。そのような 子データをネット上で公開することが提言されて コンテンツを制作するには,印刷会社の積極的な いる。しかし,出版事業を根本から否定する可能 サポートや提案が重要となってくるだろう。 性もあり,慎重な議論と法整備が必要だろう。 しかし,一方で電子書籍のためのコンテンツの このように電子書籍とメディアへの影響を総括 制作・加工は進化の激しい分野であり,競合は印 すると,各メディアの特性によって大きな違いが 刷会社だけではない。厳しい競争に晒されること あることがわかる。これらを一概に「紙か電子 が予想される。従来以上に,得意分野を持つこ か」という二項対立でとらえることは,避けるべ と,差別化できることが重要となるだろう。 きである。また,電子化によって従来のメディア の区分・境界も変化していくだろう。 印刷料金 ’11 前文–9
© Copyright 2024 Paperzz