人の 未来 は、自分のコミットで決まる。 “言葉”から自分が先導され

 日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
「言葉で読み解く思考のクセ」
『人の未来は、自分のコミットで決まる。
“言葉”から自分が先導され(導かれ)、
「自分の行きたいところに行く!」為のサポートレポート。』
聖書の中にこんな一説がある 。
「 言葉は光で 、その光が現れ始めると 、すべてのものが現れた 」
「 言葉は神である 」
「 はじめに言葉ありき 」
たとえば「治るかもしれない」と、「治らないかもしれない」 共通しているのは、治るかどうかはわか
らないわけだ。体に起きているものは同じ状態なのに、「治るかもしれない」と思う人と「治らないか
もしれない」と思う人がいる。
「治るかもしれない」と思っている人が描いている世界っていったいどんなだろう。
光があるような感じだよね。
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「希望」がある。「可能性」がある。そして安心・安定があるんじゃないかな。
自由さもある。
「治るかもしれない」と思っている人と、「治らないかもしれない」と思っている人とのストレス具合
はどうだろうか。
ぜんぜん違うよね。治らないかもしれないと思っている人は終始、恐怖、不安がある。
ストレス度合が高い。
「治るかもしれない」と思っている人って本当に治るかもしれない。
そして「治らないかもしれない」と思っている人って本当に治らないかもしれない。
「治るかもしれない」って治ることをあたりまえに思っていない。
「治らないかもしれない」ってどこか治ることをあたりまえに思っている。
つまり後者が感謝がないわけだけど、別に感謝をしろとか言っているわけじゃない。 感謝ができればそ
れは働くと言うだけ。「感謝をすれば病気は治る」というのは有名な話だけどそれは感謝というのは1
つの感情なんだ。感謝のパワーは非常に大きい。パワフルだ。そのパワフルなパワーが病を治すんだと
いうこと。(結果的には免疫力が高い状態になる)
感謝は概念ではなく、感情。感謝をしろと言っているわけじゃない。 感謝というのは感じたものの表現
の言葉。
感謝を邪魔する考えがある。自分は正しいだとか、何かが悪いだとか、勝ち負けにこだわったり(ゲー
ムはいいんだけどね)、人のせい何かのせいにしたりしていると感じれない心がどんどんあらわれる。
パワーを奪われる。目の曇りグラスになるんだ。
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世の中には2種類の人がいる。
それはパワーの人とフォースの人。パワーの人は与える人。フォースの人は奪う人。
与えて苦しくなっちゃう人もフォースの人。自然と与えれたらいいよね。
『成功法則は圧倒的に損をすることだからね』
このレポートはフォースの人からパワーの人への変換レポートだ。
まず僕が伝えたいのは、「フォースの人」=悪い 「パワーの人」=良い、とか言っているんじゃない。
ただ2種類に分けられるということ。どっちが良いとか悪いとかじゃない。
パワーの人はパワーの人と付き合い、フォースの人はフォースの人と付き合うだけのこと。
主にそうでビジネスになるとパワーの人とフォースの人が付き合うこともあるけれど、それはお金でバ
ランスをとっている。あとはパワーの人もフォースの人になることもある。
主にこのレポートは自分が進む道において活用していただきたくて贈ります。
思うこと、口に出す言葉で未来が決まる
「好き」という言葉
人間の感情でもっとも強いのが「好き」という感情。(愛も含む)
2番目に強い感情が、恐怖。(不安も含む)恐怖が時に人間の感情をコントロール不能にする。
恐怖・不安はけして無くせない。じゃあどうやってコントロールしていくのかというと、1番強い感情 、
「好き」という感情を蘇らせていくことにある。
よく火事場のバカ力ってあるよね。家が火事で燃えてて、ふつうは怖くて、飛び込めない。
だけど、たとえば自分の赤ちゃんがそこにいるとわかった瞬間、時に人は平気で、炎の中に飛び込んで
いく。それが「好き(愛)が恐怖をうわまわる瞬間」
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だからいかに好き(愛)というパワーを自分の中に取り戻していくかが、唯一、感情を統御する方法で
ある。
「人間は感情の動物ではない。感情を統御できる生き物なり」 by 心身統一法 中村天風
この世に「良い・悪い」はない
良い・悪いというのは人間の解釈だよね。実際にはない。「天気が悪い」はない。「天気が雨」がある
だけ。「自分はダメだ」「自分が悪い」は劣等感、コンプレックスを生む。それが自分の自信を奪い、
自己重要感を低くする。(良いと思おうと言っているんじゃないよ)
「悪い」という言葉は非常に主観的な言葉であり、感情の言葉である。使えば使うほど感情の起伏が激
しくなる。「悪い」という概念は、1つに自分は正しいという思いから出てくる。自分が正しいという
思いは、相手を変えよう、なおそうとしてしまう。
人は誰しも変えられたくないし、なおされたくない。人間の脳が拒否する。正しいという思いを出すと、
相手はたたかうか、逃げるか、我慢するかの主に3つだ。どれも働かない。人間関係を壊してしまうか
ら、人は自分の正しさは出さないようにし我慢する人もいるけれどそれは病気になる。
正しいという思いをたくさん抱えている人は、自己表現しない。というよりはできない。(出すことに
よって自分の生存が危ぶまれるからね。顔出ししない、名前を出さない、ネット上では出す人はたくさ
んいるけれど面と向かって出せる人は少ない)
子供は自分は正しいという思いがないから無邪気に表現するわけだ。
正しいという思いがなければどんどん自己表現ができるし、別段なにかを言われても気にしない。
まず1つ目の魔法の言葉を伝える。
「すべてのことは悪くはない」
それが
何かが悪いにして、人はありのままではいられない。
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アトピーが「悪化」した
アトピーの方のカウンセリングをしていたことがあるんだけど、10人中10人の方が「悪化」したと
いう言葉を使っていた。
「アトピーが悪化した」それを「症状が出てきた」と言葉に変えるだけで、心の平安さがまるで異なる。
良い・悪いという言葉をつかう方がアトピーの方には多い。(基本、人間自体に多いけど。アトピーの
方は本来、平和主義なんだろうね。「悪い」という言葉が嫌いだから、「悪い」という言葉に体が反応
しているんだろうね、きっと)
良い・悪いという言葉は非常に主観的な言葉であり、感情の言葉である。
「アトピーが悪化した」と思うと、次に出てくる言葉も感情的にある。「なんで!」とかね。
犠牲者・被害者に陥りやすくなる。
「症状が出てきた」と思うと、次に出てくる言葉は、「なぜ?」
原因分析していくのである。
アトピーになって、「アトピーが悪化した」と思う、口にする方と、「症状が出てきた」と思う、口に
する方とを見比べていったらわかるんだけど、結果が歴然と違う。
たったこれだけで、これだけだけど「アトピーが悪化した」それを「症状が出てきた」に変えるだけで
どんな治療法よりも有効。結果がすべてだと思うし、何よりもお金がかからないわけだから本当に実践
して欲しい。
「アトピーが悪化した」そういう言葉を使う人は、何年、何十年経っても治らないことがある。「症状
が出てきた」そんなふうに捉えていくだけで、何十年もアトピーでい続けることなんて絶対にない。
「アトピーが悪化した」には原因分析する思考が無くなるけれど、「症状が出てきた」というのは原因
分析する思考があるからね。自分で考えて行動する癖ができる。
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「アトピーが悪化した」という言葉には犠牲者・被害者になるという特徴があって、うつ病にもなりや
すいし、悪循環に陥るんだ。話すとキリがないからアトピーのことは別のレポートに書くけれど、でき
るだけ「天気が悪い」を「天気が雨」とかできるだけその出来事をそのままあらわす言葉を使って欲し
い。
「天気が悪い」と「天気が雨」。どちらの言葉がストレスかって思うし、悪いと思うと憂鬱になるしね。
1つ1つはたいしたことがないとしてもそれがあらゆるところに出ていたとしたら、ものすごくストレ
スであり体に負担がかかる。
「悪い」という言葉には一般的には人(脳や体)は「敵」だと認識するからね。敵だと認識したら人は
たたかおうとするからね。(我慢とか逃げるもあるけれど)交感神経も優位になるし、体に緊張状態が
起こるし、そうしたらってつまり悪循環だ。「万病の元」
「難病」の言葉
難病という言葉もあまり使わないほうがいい。
「難病だと思ってなにか得なことってあるだろうか?」
「難病だと人に言ってなにか得なことってあるだろうか?」
「難病だと思って何かメリットってあるのだろうか」という問題。
使いたい気持ちはよくわかるんだ。得な部分もあるから。でも使わないほうがいい。楽にはなるけれど 、
楽しくはなくなる。
こういった難病とか使いたい気持ちはよくわかるし、こういう言葉ってものすごく多いんだけど、
「難病だと思ってなにか得なことってあるだろうか?」
「難病だと思って何かメリットってあるのだろうか」という問題を考えていただいて、
難病という言葉をつかうとかって、「快楽」の言葉。治りづらくなるし、最終的にはあの世に行っちゃ
うんじゃないかな。「快楽」の言葉と「幸せ」の言葉ってあるんだ。
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難病とかつかうって、楽にはなれるし、つまりその場、楽しい(幸せ)という状況や環境をつくりだす
ことも可能だし、ただ最終的には誰しも望まない結果になる。難病とかつかわないってどちらかと言え
ばしんどい。楽ではない。でも人生が楽しい(明るい)方向に向かうんだ。
「難しい」という言葉
「かんたん」と「難しい」という言葉。
できるだけ「かんたん」という言葉を使ったほうがいい。 難しいとか言っていると余計に難しくなる。
「かんたん」と口にするのと「難しい」と口にするのとでは「かんたん」という言葉を使うほうがリス
クがある。かんたんと言ってできなかったらとかね。
とりあえず人は難しいとか言いたくなるんだ。(逃げたくなるんだ)でもこういう1つ1つの言葉が自
分で自分の首を絞めていく。「難しい」=「治りにくい」→「治らないかもしれない」 不安・恐怖の世
界に突入。(悪循環)「かんたん」=「治るかもしれない」みたいな 安心・安定の世界に突入して欲し
い。
「治るかもしれない」と「治らないかもしれない」1度、それぞれ口に出してみて欲しい。
「治るかもしれない」 目を閉じて、その言葉を口にして、3秒ほど感じて欲しい。そして「治らないか
もしれない」これも目を閉じて、その言葉を口にして、3秒ほど感じて欲しい。ぜんぜん世界が違うか
ら。
「治るかもしれない」と思っている人って本当に治るかもしれない。
そして「治らないかもしれない」と思っている人って本当に治らないかもしれない。
「治るかもしれない」と「治らないかもしれない」という同じ治るかどうかはわからない世界だけど、
口に出す言葉で未来を決めていくわけだ。治りやすい世界と治りにくい世界をね。
「できない」「難しい」「ムリ」は、”ちょこっと人生を生む”
「できない」「難しい」「ムリ」という言葉を使っていると、どんどん自分の人生はちょこっと人生に
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なる。(自分で自分の首を絞めていった結果)
行動範囲が狭くなる。わかっているけどできない、という概念を生むし、ノミみたいになる。
有名な話だけどノミは、1 mぐらいジャンプして飛べる。
ノミを 30cm ほどの密閉した箱の中に入れたらどうなるかというと、 何度か天上に体をぶつけるけれ
ど 2、3 分ほどするとノミは、蓋にぶつからない程度の高さまでしか飛ばなくなる。
10cm ほどの密閉した箱の中に入れたら、10cm の高さまでしか飛ばない。
お皿をかぶせると、飛ばなくなる。
「できない」「難しい」「ムリ」等の言葉を言い続けていると、”ちょこっと人生”が誕生する。
人間の可能性からすればたくさんのことができるけれど、言葉の力によって 10 cmの高さまでしか飛
べないノミになったり、まったく飛ばないノミみたいに人もなったりする。
「できない」「難しい」「ムリ」等の言葉をつかっていると、「鳥かごの中の鳥」になる。
ドアは空いているんだけど飛べない。
外が怖い。
人によっては「刑務所の中に入っているみたい」になる。
なんだか不自由。制限。モヤっと感がある。壁がある。そんな感じ。
「たいしたことがない」は鈍感になる言葉
基本的に病気は、重いものは、軽く捉える。軽い病気(カゼなど)は、重くとらえるもの。
軽い病気をたとえばカゼとかを難病を治すがごとく治しにいったら基本的に病はない。難病がごとく治
すというのは、考え方や生活習慣などすべてを見直すということだ。
難病を治す、命に関わる病を治す場合、文字通り命懸けで治す。命に関わる病気になって治した人はど
うやってして治したのだろうかと研究する。時に話を直接、聞きにける状態なら聞きにいくことだって
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あるだろう。
命に関わる病気になって治した人の行動や考え方を参考にし、カゼを引いたらそんなふうに治していっ
たらこの世から病なんて無くなる。(先天性の病気は別かもしれないけれど。でもそんなふうな世の中
になったら、先天性の病気もどうなるかわからないけど)
体にたいしたことがないなど何1つない。体に起こることはすべてたいしたことがあるだ。
人に対して「たいしたことないです。大丈夫です」と自分の体のことで伝える人がいるけれど、人に対
して気を遣っているのはわかるんだけど、体について気をまったく遣われていない。
自分が体だと仮定する。で、苦しんでいるのに、いきなり人から「この人たいしたことがないです。
大丈夫です」と言われようものなら、「ええええええええええええええええ」ってなると思うんだ。
そんなことを人は体に対してやっているわけ。そりゃ病になるでしょ。
「たいしたことがない」は鈍感になる言葉。 実際はこういうことがあるだけ。それを自分の言葉で体に
対して「たいしたことがない」という思い込み・解釈を入れると、体の声をわざわざ聴こえなくさせて
いるようなもの。
「たいしたことがない」、体にその言葉をつかっていると体は確実に事故に遭う。
だいたい体のことに対して、「たいしたことがない」「大丈夫」とかいう人って怖がりの人が多い。
きっとみたくないのだろうけど、あの世では知らないけれど、この世ではみないほうが怖い。
「できない」という言葉
できないというのはこの世にない。やりたくないはあるけれど。
できないというのは、43.195 kmを2時間以内に走れとか、これこれこういう仕事を1時間以内にや
れとか条件をつけられた時にはじめて起こるのが「できない」だ。
自分のペースでやれるとか、時間が無制限とかそういうのだったら人はできるよね。
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42.195km を3日かけてもいい、1週間かけてもいいから完走しろとかね。
人はできないがあるんじゃない。やりたくないだけだ。「できない」と人は言われるとしゃあないなあ
となりやすい。諦めてくれたりする。それは同時に自分を諦めの人生へと導いているのだけれどね。
(自分で自分の首を絞める行為)
「やりたくない」と言われたらどこかわがままなイメージがある。社会では通用しない。
「やりたくない」というのは自分の感情が入っているからね。
できないではなくやりたくないだけなんだ。そうやって自分をみることが大事。
それでなぜ自分はそれをやりたくないのかを考えていくことが必要。
そして「やりたくない」じゃない「やるか・やらないか」だ。「やります」か「やりません」だ。
「やりません」と口にする。理由はこうですと伝えればいい。それがコミュニケーション。
やりたいのにできないと言いそうになったとき、やめようとした時には、この言葉。
「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」
黙(もく)
黙っていた方が伝わることもある。
黙っていても伝わることがある。
黙らなければ伝わらないこともある。
多くの言葉で語っても伝わらないことを「沈黙」をもって真実を伝える表現。
沈黙することは語らないことではない。
「黙、雷のごとし」
「黙」の中に「声なき声」を聞くのです。
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こういった言葉がある。
力のある者は、決して騒がない。
力のある者ほど、無言のまま働きかける。
真の道徳は、言葉の終わった所から始まる。
アルベルト・シュバイツァー (ドイツ出身のフランスの医者、神学者、哲学者、音楽学者。
なにかを「伝えよう」というところに解決がなかったりする。どうやって伝えよう、どうやって言おう 、
どうやって説得しよう、どうやって納得してもらおう・・そうじゃないんだ。言うじゃない。
「何を聞こうか」 そこが突破口だったりする。
自己表現やコミュニケーションは、聞くことの産物なんだ。
依存の言葉
「わかってもらいたい」「理解してもらいたい」「認めてもらいたい」など、もらいたいという概念は
依存をつくる。自立は、「わかろうとする」「理解しようとする」という相手側の世界に意識を向ける
ことにある。
「わかってもらいたい」「理解してもらいたい」「認めてもらいたい」は自分だけの世界に入り込みや
すい。相手の世界がみえずコミュニケーションに苦労する。その人となかなか交わらない。つながらな
い。結果的に病気になりやすい。
孤独とかさみしさというのは、「わかってもらいたい」「理解してもらいたい」「認めてもらいたい」 、
こういった心があればあるほど生むし、じつは 知って欲しいのはさみしさを感じるなんて正気の沙汰
じゃないということ。
2つ目の魔法の言葉はじつは、「さみしさを感じるなんて正気の沙汰じゃない」なんだ。
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僕はこの言葉によって、さみしさとか孤独とか感じたら、「はっ」として抜け出す。
自分の世界に入り込んでいるんだよね。それが悪いわけではなくて、人に影響を与えるわけであり、 い
つでも自分と人と世の中をつなげておくことが大事なんだ。パワーだから。
「すべてのものは全部つながっている」というよくある言葉があって、そうなんだ。だけどそのアクセ
スは自分にあって、その線をつなげることもできれば切り離すこともできる。
人や世の中とつながっていたほうがパワーだし、体力がない状態は人と世の中と自分とを切り離したと
ころにある。「すべてのものは全部つながっている」とか概念で理解しても何の意味もない。ほんとに
それが理解できている人は「さみしさを感じるなんて正気の沙汰じゃない」 ぐらいに思っ
ている。
「わかってもらいたい」「理解してもらいたい」「認めてもらいたい」など、もらえなくて悩み、苦し
む人もいれば、「わかってあげられない」「理解してあげられない」「認めてあげられない」とあげれ
ないことで悩み、苦しんでいる人もいる。どちらも手放していくほうがいい。 (与えようはパワーの人
で、もらおうとする人がフォースの人(奪う人)だけど、 変につながったらパワーの人がフォースの人
に転落していくよ)
手放すと無くすは違う。思いは無くならない。手放すというのは思いはあるけれど、その思いはありな
がらでいいから、対話・会話によって解決していくしかない。手放すというのは訓練。思い(記憶)は
無くならない。無くなる時は、つまり必要があるから意識に出てくるわけであり、必要じゃなくなった
時、その思いは消える。(というよりは出てこなくなる)
対話・会話によって成仏させていくしかない。(しかないというよりは1番ベストだと思う方法かな)
不安・恐怖の言葉
「わかってもらえない」「理解してもらえない」「認めてもらえない」こういった思いや言葉が、自分
自身を不安や恐怖の世界へと陥らせる。「わかってくれない」「理解してくれない」は不満の言葉で、
「どうせわかってくれない」は不満+諦めの言葉。生きるのが楽しくなくなる、人生が楽しくなくなる
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言葉。
「わかってもらえない」「理解してもらえない」「認めてもらえない」という世界はすごく不安な世界
だ。恐怖もある。とてもとてもストレスがある世界。そういった時は、「わかってもらえる」「理解し
てもらえる」「認めてもらえる」そんなふうに決めればいい。
「わかってもらえる」「理解してもらえる」「認めてもらえる」を信じる言葉。自分を信じているし、
人を信じている。「わかってもらえる」「理解してもらえる」「認めてもらえる」という世界には安心
感がある。
「どうせわかってもらえないだろうな・・」と思いながら話をするのと、
「わかってもらえる」と思って話をするのとではぜんぜん話し方が違うだろうし、表情とかも。
どちらのほうがわかってもらえる確率が高いのかはふつうに考えてもわかると思う。
「わかってもらえる」「理解してもらえる」「認めてもらえる」
そういったところから会話をする。これも訓練。
「わかってもらえる」と会話をしようと決めても、いざとなったら「ムリだ、わかってもらえない、あ
ああああ」ってなるのはわかる。そういうのはなくならないし、つまりそういうのはあってもいいから、
そういった内面の会話が出てきても、手放して、「わかってもらえる」とまた決めて、会話をする。
なんでもそうだけどスポーツみたいに練習がある。いきなりこのレベルにはいかないというのがある。
毎日、練習して積み重ねて、「できる」というのがある。
すべてのものはそういうものだと認識してくれていいんじゃないかな。
「わかってもらいたい」の言葉
人はよく「わかってもらいたい」「理解してもらいたい」って思う。
それで「わかってもらえない」「理解してもらえない」で人は悩む。
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でもじつは、わかってもらえない、理解してもらえないことで悩んでいるんじゃない。
「人を思い通りにしたいだけ」「人を支配したいだけ」「自分の言う事を聞いてもらいたいだけ」
人はわかったからこそ、理解したからこそ、「ダメだ」とか言うことがある。反対したりする。賛成し
なかったりする。相手は理解している。わかっていることがある。自分もあると思う。わかった、理解
した。でも「嫌」とか「ダメ」とか「行かない」「やらない」そういう選択をとると思うんだ。
「わかってくれない」「理解してくれない」って、被害者であり犠牲者の言葉。
「あの人ちっともわかってくれないのよ」
「あの人すこしも理解してくれないの」
人がそれを聞けば、その人が悪くみえる。(そして自分がよくみえる)
実際よくよく観察してみると、相手はわかっている、理解していることがある。
その上で反対とかしているわけで、ようは理解してもらえない、わかってもらえないことで本人は悩ん
でいるんだと思っているんだとおもうけれど、ただ悩んでいる本人は、相手を思い通りにしたいだけだ 。
言うことを聞かせたいだけなんだ。(それが悪いとはいってない。人間みんなそういうところがあるか
らね。あと開き直れとかも言ってないよ)
賛成して欲しいとかそういうのだと思うけれど、誰しもあると思うけれどできないものはできない。嫌
なものは嫌だ。
仕事でも人生でも大切なことは賛成してもらいたいなら、賛成してもらう努力をすることだ。
結果はわからない。でも賛成してもらいたいなら、最善を尽くす、全力を出す。
勉強もいるだろう、人を巻き込んでいく、協力してもらうことも必要だろう。
ありとあらゆる手段をもちいて、自分の思い通りにしていくのである。(ありとあらゆる手段というの
は、客観的に人がみて美しいと思うものね。プロの選手が勝つためにいろいろやるようにね。)
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相手を思い通りにしようとすることが悪いわけじゃない。そういう心があるのにそれに気づいてないこ
とが問題だ。
「あの人ちっともわかってくれないのよ」「あの人すこしも理解してくれないの」
こういうのね。
つまりわかっていない、理解していないのは自分だということに気づかないといけない。
「わからない」の言葉で逃げないこと
人はよく「わからない」という言葉をいうけれど実際はわからないじゃないんだ。「言いたくない」と
かそういうのだ。あと自分の心をみたくない場合に「わからない」という言葉を人は使う。
本当にわかりたいなら「わかる」と決めればいい。脳はインターネットみたいに検索機能がついていて、
(人生に体験があると思うけれど、意識していたら、ひっかかってくるというやつ)、わかる為の情報
が自分の脳、無意識に入っていたら、ある日、ポーンと出てくることもあるし、なければ日々、過ごし
ていたら検索するし、探すこともできる。
「わかる」というのは、わかっているとは違う。わかるというのは現在はわかっていないけれど、わか
ろうとする行動である。そもそもそういうふうに人は行動ができるのにやらない理由は、「言いたくな
い」とか「わかりたくない」とかそういうなんだ。「みたくない」とかね。
「わからない」というのはごまかしの言葉。「なんとなく」とかね。
「わかる」と決めるのが、自分を信じるというんだ。
「なんとなく」の言葉
なんとなくとかそういう言葉もごまかしの言葉。別にごまかすのが悪いわけじゃない。人はごまかすん
だ。べつにごまかせとも言っていない。ごまかしはごまかし。ごまかしているんだっていうこと。
「なんとなく嫌」とかいうのは、そのなんとなくという言葉はだいたい口にすれば「毒」なんだ。はっ
きり言ったら、人が不愉快になるとか、嫌われるとかそういうのであって、口にすればリスクだから、
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気遣いからか、やさしさかもしれないけれど、濁して伝えるんだ。なんとなくで人は濁すんだ。
相手へのやさしさというよりは、自分を守る為に使っている。
「なんとなく」というのは直感的な要素。たしかに言語化するには苦手な人も多い。直感的な要素を言
葉をしていくのって訓練だからね。科学もはじめは直感だ。直感を言語化していくのは、科学していく
ようなもの。直感を直感で終わらしたら、通じない人が多い。
車でもさなんとなくできたんだけど、乗るとか、飛行機がなんとなく飛ぶんだけど、乗るとか、なんと
なくというのは自分にとってはリスク回避の言葉ではあるんだけど、自分以外にとっては「なんとな
く」という言葉はリスクだから、通じないことがある。根拠というのは1つの人の安心材料だからね。
「なんとなく」というのは怪しさをかもしだす。
「どうしてこの値段なの?」「なんとなくその値段にしてみました」 リーズナブルでお得な買い物
だったとして、それで人が進めるかって思うんだ。立ち止まると思うんだ。
「わからない」も「なんとなく」もその人の逃げ。別に逃げるのが悪いと言っているわけではなくて逃
げているということ。そうじゃないなら、わかる努力、なんとなくを明確にしていく努力を人はする。
なんとなくという直観的なものを、言葉にしていく努力をする。
それをやって損なことはないと思うし、人に安心感を与えるし、仕事でもプライベートでもうまくいく。
他のことに努力をするなら、ここに努力をしていくのが最短距離で幸せ、より幸せになれる。
「違和感」という言葉も、「ピンときた」というのもそう。全部濁しているんだ。(それを悪いと言っ
ているんじゃない)
自分だけのことならなんとなくでいいんだ。でも人を含んでいく場合、「足りない」という事。
(そしてその世界には必ず限界がある。“そこそこ”の人生から抜け出せない。)
「考えます」という言葉
考えます、と人はよく言うけれど、これもごまかしの言葉。本当に考えるならいいんだけど、だいたい
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は「やめます」だよね。考えますとわざわざ口にしていると、脳はバカだから、 脳が考える人になるん
だ。
考えて、考えて、頭がウァーーってなる人がいるんだけど、「考えます」とかそういう言葉をいってき
た人だ。
「考えます」と言う時に、「やめます」と口にしていけば、それが決断力。
そういった1つ1つのものに”違い”をつくっていくことが、結果的に自分の自信になったり、たとえば
「自分に自信がない」とか言われると、その人がいままでどんな言葉をつかってきたのか、こういう時
にこういうことを言ってきたとか、昔は知らないけれど今の時代は言葉によってバレるんだ。
たくさんの人が気づいていっているからね。今の時代はメッキが剥がれる時代だから 言葉を変えていこ
う。言葉が変われば人生は確実に変わるから。「考えます」を「やめます」と口にする。その1つ1つ
の積み重ねが自分の自信になるんだ。自信をもちたいって結局そこしかない。
不平、不満を口にするデメリット
たとえば「うちの旦那が・・」って外で不平、不満を言った時、はじめは旦那さんと一緒にいてストレ
ス1なのが、どんどんストレス2になり、3になり・・最終的には10になる。(最終段階は、生理的
に受け付けなくなる)
不平、不満が自分のフィルターを濁していってたとえば、結婚する前、つきあっていたときは、 「あな
たのその豪快な食べ方が好き♥」って思っていたのが、旦那さんへの不平、不満を口に出す回数が多く
なると、その豪快な食べ方が、「もうそんな汚い食べ方するなんて最低!」になる。
その人は変わってないんだけど、自分が変わってしまったんだ。(フィルターが変わったということ)
「自分の人生をどうして行きたいのか」によるのだけれど、どうせだったら楽しいほうがいいよね。
だからほんとに言葉を変えていこう。
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「頭を空っぽ」にする方法
どうしても考えたくないことを考えてしまうことってある。
そういう時はひたすらありがとうという言葉を口にしていくのは有効だ。 「ありがとう」の言葉は、
ニュートラルな心の状態にする作用がある。また「羊が1匹、羊が2匹・・・・」方式だと思ってくれ
てもいい。これって意識を別のところにもっていくことで、眠れるという論理。 頭から離れれないもの
を離していく力がある。
イライラはわかることで解消する
相手が何を考えているかわからないとか、なんで怒られているのかわからない場合、けっこう人はイラ
イラする。(主にその人の世界がわからない場合)だけど「ああこのことで怒っていたのか」とか、た
とえば上司にめちゃくちゃ怒られる。自分だけに厳しいとする。それはすごいストレスだったりする。
けど同僚に「上司がおまえのこと褒めていたぞ」とか、「おまえのことすごくかってくれているらしい
よ」とか言われた瞬間、「ああそれで厳しかったのかあ」とか「あああれは愛だったのかあ」とかね、
相手の心がわかる、意図がわかることで、同じものでも、まったくストレス度合いが変わるということ
がある。
あとはイライラは、悲しみを悲しみで表現、辛いを辛いで表現、苦しいを苦しいで表現できない時、つ
まり我慢という状態が、イライラを引き起こす。(自分は正しいという思いや、なにかが悪いという思
いや、勝ち負けやそういったものも引き起こすけどね。)
「~たい」という言葉
「幸せになりたい」「こうしたい」「ああしたい」
「・・・たい」は未来の言葉。願望の言葉。僕は妄想の言葉と呼んでいるけど。
「幸せになりたい」と「幸せになります」
「幸せになりたい」を他力本願。依存の言葉。
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「幸せになります」を自力本願。自立の言葉。
「幸せになりたい」という人の心理は「わたし幸せになりたいのでだれかわたしを幸せの世界へと連れ
ていって~」と言っている。言い方は悪いけどわかりやすくいえば、寄生虫であり、ハイエナ。主にこ
ういうのは無意識だ。本人の意識じゃない。動物の生き抜く為の本能だ。誰しもあるものだけどね 。依
存というものはそういうものだ。それが悪いというわけではなくて誰しもあるよ、そう言う心が。
だって楽だもん。
「幸せになりたい」という人が、フォースの人(奪う人)。
「幸せになります」という人が、与える人。
フォースの人はたとえていうならこなきじじいなんだ。後ろにおんぶして重くなるみたいなね。(こな
きじじいというのは、赤ちゃんだ(かわいい、かわいそう)と思って、後ろに担ぐとどんどん重くなる
妖怪です。)
本当に幸せになりたいのだったら、「幸せになりたい」ではなく「幸せになります」
です、ますを必ずつけること。グラウンディング効果もある。(地に足をつけて歩く)
姿勢も変わる。
「~たい」をつける人は、待ちの姿勢、我慢の人が多い。我慢は我が慢心するという意味であり、つま
り傲慢な人が多い。「幸せになりたい」と言う人を傲慢。「幸せになります」を謙虚な人とも呼びます。
「いや、そんなことないです」という言葉
よく人は褒められると、「いやそんなことないです」と言ったりするけどそれは辞めたほうがいい。
「ありがとうございます」で受け取る。そうすることで自分の中にパワーが宿るし、「いやそんなこと
ないです」は愛を受け取らないということ。
「いやそんなことないです」という人を傲慢な人。「ありがとうございます」という人を謙虚な人。
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
「いやそんなことないです」と受け取らないから、パワーが無くなり、フォースの人(奪う人)になる
んだ。「ありがとうございます」と受け取るからパワーになって、パワーの人(与える人)になるんだ。
「いやそんなことないです」を日本人は謙虚だと思っているフシがあるけれどそれは違う。
褒められた言葉を素直にうけとらないと、行動力が無くなる。(自信も出てこないだろうし、自己肯定
感もあがらない)
「・・たら」という言葉
「これが手に入ったら、幸せになれる」という人はそれが手に入っても幸せにならない。
『足りるを知る』という言葉があるけれど、それは「・・たら」をつける人だ。
「・・・たら」とつける人を、足りるを知らない人と呼ぶ。
「・・・たら」と思っていると、未来にエネルギーが奪われるから「今」に力が入らない。
注意力散漫になるし、集中力が無くなる。持続性が無くなる。
ものすごい余計なところにエネルギーが入っているから、体力がないという状態になる。
「・・・たら」という人は例外なくフォースの人(奪う人)だ。
「バタバタ」という言葉
「いまちょっとバタバタしています」という言葉。これもあまり使わないほうがいい。理由は頭がバタ
バタするから。正確にいうと、頭がバタバタしているからそういう表現になると思うんだけど、よりバ
タバタの世界をつくる。人はみな「バタバタされたくないよね」
「ちょっとバタバタしています」より「すこしお待ちください」がいい。「いまこうしていますので、
お手数ですが5分程お待ちください」とかね。心の中はバタバタしていても、そう言ったことを口にす
ることで、バタバタがおさまる。先に言葉なんだ。
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「傷つく」
これはよく言われている話だけど、心は傷つかない。心が傷つくというのは人間の解釈であり、犠牲
者・被害者になる。なぜ傷ついたのかというのをみていって、こういう言葉を言われて、悲しいとか、
辛いとかそういうのはあるよね。それで傷つけようと思って傷つける人はほとんどいない。自分でも経
験があると思うんだけど「言ってしまう」というのがほとんどだと思うんだ。 自動的、反応的、機械的
にね。
あと人によっては何も思わないんだけど、自分がそれ言われたら凹む、カチンとくるとかいろんなパ
ターンが人間にはあるんだけれど、カチンときたらガーっと人は自分の世界に入り込んでまわりがみえ
ないからね。そういった反応的、機械的なものを区別していくことが大事。
何かを言われて自分、反応したら、その瞬間から自分の世界に入り込んじゃうんだけど、ポーンと抜け
出す訓練がいる。
たとえば「感謝が足りない」と言われたとする。ふつうはショックかな。でもそうやって言ってくれる
人ってありがたいんだ。ふつうは言いたくないよね。それは愛情だ。
感謝が足りないと言われたら、「どのあたりでそう思われましたか」と質問する。そうしたらああって
気づくことがあって、次からこうしようってなる。
感謝が足りないと言われて、それが別に悪いわけではないし、悪いとすると、イラッとしたりとか、我
慢したりとか、もうこの人ムリとか逃げたりするけれど、別段、悪いとしなければ、自分の世界に入り
込まずにただ単純に質問できる。
「どのあたりでそう思われましたか」
こういうふうにいろいろ聞いていくことが大事、というか、すべて。変な思い込みを回避できる。
「感謝が足りたい」と言われたら、ガーン。それで家に帰って、「どこが足りないんだろう、どこ
が・・・」って、ぐるぐるぐるぐるさまよって、いろいろみつかってガーンって凹むとか、「なんなの 、
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いったいあの人は」とか相手にカチンときたりとか、つまりストレスしかないわけだ。問題解決しない
上に、ストレスしかない。(気にしないと言ったところで根本的な解決にならないしね)
「感謝が足りない」とか言われたら「どのあたりでそう思われましたか」と聞けばいいんだ。
もっといえば、言いにくいことを相手は言ってくれているわけだ。「言いにくいことをいってくれてあ
りがとうございます」の一言はあっていい。その上で聞く。「どのあたりでそう思われましたか」
そうやって相手の時間をまた割くわけであり、ちゃんと聞いたら今度は、「ありがとうございます」
幸せにしかなれない。「感謝が足りたい」と言われて「カチーン」や「ガーン」となるのと大違い。
後者は不幸にしかなれない。(幸・不幸もないけどね)
それで自分の為に相手に聞く(質問する)時は、30秒でも発言をするということは、相手の寿命を3
0秒いただいているということを意識してください。人生の「質」があがります。(変わります。)
「お互い傷つかないようにしよう」
心は傷つくと思ったとしよう。
「お互い傷つけないようにしよう」 そう約束したとする。
それは100%ムリだ。非現実的。
現実的な手段は、「お互い傷つかないようにしよう」
「お互い傷つけないようにしよう」と「お互い傷つかないようにしよう」は全然違う。
それで感受性が豊かであればあるほど心は傷つくというか、悲しい思いや苦しい思い、悔しい思いをた
くさんする。それは悪くないし、ただ手放して生きるだけ。 感受性を鈍らせたら悲しいも苦しいもあま
りないんだけど、同時に楽しさや嬉しさが奪われるから心は傷ついていい。
世の中には「喜びの床」というのがある。喜びの中に、悲しさがあって、悲しいんだけれど根底に喜び
があって、安心感や安定感があって、そういうものを手に入れることが大事。
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それは「空」を掴むということで難しいのだけれど、それは「すべてを悪いにしない」というところか
らはじめてもらえたらなと思います。
「・・・だから」
言い訳の言葉。状況・環境次第の言葉。(悪くしないこと。言い訳も悪くない。悪いとすると「うけい
れない」からね。「うけいれない」と変わらない。言い訳が続く、そうなるんだ)
「こうだから」「ああだから」言っていたらキリがない。最終的には自分、身動きがとれなくなる。
「・・だから」というのは非常に合理的なんだ。危険も伴う。
使う言葉は、「だからこそ」
「・・だから」は合理的。「だからこそ」は非合理。
「合理的な人間は、自分を世界に適応させる。それなのに非合理的な人間は、自分に世界を適応させよ
うとねばる。ところが、あらゆる進歩はこの非合理的な人間にたよっているのだ。」
ジョージ・バーナード・ショウ
非合理に生きるというのを、自分らしく生きるということ。
合理的に生きていると、「自分がよくわからない」「よくわからなくなる」
自分らしさを見失うのは、合理的に生きた成果(結果)なんだ。
パニック障害の方が必ず使う言葉の共通項
「いっぱい」「たくさん」「いつも」とかね。人は必ず盛る。
「今日いっぱい嫌なことがあった」とかね。だいたい聞くと2、3個とか。でもいっぱいとか口にする
と、だいたい0が1つ多くなるんだ。20、30になる。それで 実際に脳はそうだと認知する。膨らま
せる言葉を使っていると、パニック障害が生まれる。
体が痛いと、「いつも痛い」とかね人は言うんだ。24時間痛いとか。「そんな のあるわけないって思
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うよね」 寝ている時や集中している時は痛くなかったりする。人は盛る。
もった分だけ、ストレスになる。(治りにくくなる) それから起きたものを的確に捉えていない。「2
4時間痛い」とかね。起きたものを的確に捉えていないのだから、そりゃ的確なアプローチもできない。
解決しない。問題解決は、起きているものをそのままみることが大事なんだ。
「いっぱい」「たくさん」「いつも」とかね盛る人は甘えたいわけだ。かまってもらいたい症候群とか
ね。ただこれは現実を生きにくくする。よけいにストレスを生むだけであり、「いっぱい」「たくさ
ん」「いつも」とかこういう抽象的な言葉をなおしていけばパニック障害は治る。
それで僕もかまってもらいたい。人間みんなあるんだ。
だから「かまってくれ」って大きな声で叫べばいい。
素直に自分の思っていることを表現できるのはよっぽど大人かよっぽど子供だ。だいたいはしない。し
ないがやがて「できない」になり、だんだんと自分の心が閉じ込められて、自分で自分が何を考えてい
るのかわからなくなる。マヒしちゃうんだよねきっと。「かまってもらいたい」心が自分にあるなんて
わからないんだ。
「男」と「女」という言葉
「男はこう」とか「女はこう」とか人は気軽に言っちゃうけれど、その自分の思いや言葉にしてつくり
あげたものが、自分のフィルターとなって、目の前にいる男性、女性をみてしまう。自分の世界観でそ
の人をみてしまう。
これはパニック障害の続きでもあるけれど、ある人に嫌なことされて、「もう男なんて信じられない」
とか、とんでもなく膨らませる人がいるんだけど「もう男なんて信じられない」を「この人は信じられ
ない」だけに変える、変えるクセをつけるだけでパニック障害はおさまる。
男という言葉につけた解釈が、たとえば誰か男性と付き合うと、自分が男につけた解釈、フィルターを
通してその人をみてしまう。会話をしてしまう。過去と同じようなことが起きるのはそういったことを
するわけであり、しかもより悪循環になってしまうことがある。
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「男はこう」「女はこう」それぞれ人には思い込み・解釈があり、「男はこうあるべきだ」「女はこう
いうもの」とかこういうものを1回、手放すことが大事。このフィルターがあるがゆえに自分が苦しん
だり、あとは恋愛・結婚のさまたげになりやすい。離婚の原因になったりね。
男はこうとか、女はこうという知識的なものを1回手放して、その言葉を使わなければいいわけであり 、
その人その人と、1人1人ってあらわしていったほうがいい。
「常識とは 18 歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」
-
アルベルト・アインシュタイン
「向き・不向き」「合う・合わない」という言葉
向き・不向きと、好き・嫌いは関係がない。好きだけど向いていない、嫌いだけど向いているというこ
ともあるわけで、よく人は「向き・不向き」で考えたり、選んだりするけれど、その考えで選んだりす
ると「好き」という感性を見落としがちになる。
「向き・不向き」で選ぶって楽したい心なんだよね。楽しいか・楽しくないかとは一切関係がない。
むしろ向いていないものの中に楽しさや好きが眠っている。自分にとって必要な情報がね。
「向き・不向き」で選ぶ人というのは疲れている人や体力がない人が多い。楽しさがパワーなのにそれ
を選ぶ発想がないから。
「向き・不向き」「できる、できない」で選ぶ人は例外なく「フォースの人」(奪う人)
「やりたいか、やりたくないか」「好きか嫌いか」もっといえば「やるかやらないか」
「やる」と決めたら、それに何があろうが楽しさを創作して突き進む人が、スーパーパワーの人だけど 、
たとえていうならスーパーサイヤ人。
「向き・不向き」という言葉って優越感と劣等感の言葉でもある。大事なのは「好き」と言う感性。
好きであればたとえ向いていなくても、向いていないというのは誰かと比べて起こっているわけである。
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人がいなければそもそもその言葉が出てこない。基準がわからない、ないからである。
誰にでも言えるのは人には学習能力がある。それをやっていたらやり続けていたら必ず上達する。
人と比べて、遅いというのを向いていないと、人は言う。向き・不向きで選ぶのは消極的思考。
逃げの言葉。(逃げるのが悪いわけではないし、消極的が悪いわけではない)
「好きか嫌いか」「やりたいかやりたくないか」
だいたい「向き・不向き」というよりは執着の問題。プロ野球で巨人で4番を目指すとかそういうのは
向き・不向きがあったりするかもしれない。一流の世界とかね。
でも努力で人は一流になれなくても、1.5流、2流ぐらいは誰でもなれる。
それでは生活が厳しいとしたら、1.5流や2流のものを、組み合わせて仕事をしていけばいい。
今はそういう時代だしコンサルの内容だからそれは置いておくけど、とにかく「向き・不向き」で選ば
ない。「好きか嫌いか」「やりたいかやりたくないか」、「やるかやらないか」
向き・不向きというよりかは、どんな心構えや姿勢で取り組むかという問題だ。
向いていないと思ってもやり続けていると、急激に伸びる場合もある。僕がそういうタイプ(そういう
自分につけている解釈・思い込み)だけどそういったチャンスを向き・不向きで選んでいたら見落とし
がちになる。
「合う・合わない」もそう。人間の解釈であり、逃げだったりもする。合うと思ったりするものが、合
わないに変わったりもするしね。合う・合わないで判断しそうだったら、合うは別に放っておいていい
かもしれないけれど、合わない場合は、なぜ合わないのかを考えていったほうがいい。
「向き・不向き」「合う・合わない」で選ぶのを傲慢と言うんだ。
「向き・不向き」「合う・合わない」で選ばない人を謙虚。
(謙虚=良い、傲慢=悪い、じゃないよ)
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好きかどうかだけでいいと思うんだ。それで好きというのはやってみないと、とりあえずある程度やり
続けてみないとわからないし、何をやっても好きになれないというのは、そのものではなく自分自身の
問題だからね。
違うものが無限にあるわけじゃなくて、スポーツが好きとなったらどれも楽しめるし、そもそもスポー
ツ嫌いだとしたら、その中で何選んでも楽しくなかったりする。そもそもどんな仕事が自分やりたい
かって、そもそも「仕事自体」に変な解釈や思い込みがあって、そこをどうにかしない限りみつからな
いこともある。
なにをやっても楽しめる人もいるわけでそういう人がいったいどういう世界に住んでいて、いったいど
ういうものをみているのかを参考にして欲しいし、1番はそういう人と一緒にいるといい。
自分は楽しくない、でもそれを楽しくやっている人がいる。 そうしたらその人は一体何をみているのか 、
どんな考えなのかを参考に して欲しい。それを「人は人」「自分は自分」とやっちゃうと危険信号なん
だ。
「人は人」「自分は自分」って壁をつくるからね 。壁を突破だって、ブレイクスルーだって、そもそも
壁をつくらない努力をしないといけない。(病はここから生まれるっていうぐらい根元的なところだ)
誰かのセリフだけど、たしかこんなことを言っていた。
「人は1人1人違う種を持って生まれてきていて、オンリーワンの歌を咲かせようみたいな歌があるけ
れどそれは違うんだよ。人はね、みな同じ種をもって生まれてきている。同じ花が咲く種をね。」
すごく人をみるとフォースの人(奪う人)は、「その人は特別だ」「自分にはできない」と思う。
でもパワーの人は、すごい人をみると「ああこういうふうになれるんだ、やれるんだ」「同じ人間なん
だし自分もやれる」というところに立つ。
だからパワーの人はパワーの人とつながるし、フォースの人はフォースの人とつながるんだけどね。
「汚い」という言葉は完璧主義の言葉
「汚い」という言葉を使う、思う心が神経症。「人汚い、世の中汚い」と思っていると、強迫性障害が
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生まれる。解決法は突き詰めると「自分を好きになる。人を好きになる。世の中を好きになる」
「汚い」って何かが悪いみたいにめちゃくちゃなっている場合があって、かりに汚いとしてもそれが悪
いわけじゃない。
悪いと思うかもしれないけれど、良い悪いはこの世にない。
「すべてを悪いとしないこと」って別に道徳とかそういうのを語っているわけじゃない。それを真実
(正しい)とも言っていない。自分が楽に、楽しく人生をおくる為に働きますよというだけで、あとは
「俯瞰して物事がみえるしね」
1番は何かがめちゃくちゃ悪いにすると、1番大事な体がやられる。強烈なストレスだからね。
健康って1番大事だと思うんですが、僕はね自分を大事にして欲しくての提案なんです。
「ゆっくり行こう」「自分のペースで」の言葉
自分の歩む道が苦しくなるから修正をかける為に、「ゆっくり」とか「自分のペースで」とか人はいう
のだけれど、個人のことならそれでいいんだけど協調性に欠ける。そこには自分だけの世界しか存在し
ない。(それが悪いわけじゃない。協調性がないのも悪いわけじゃない)
今までやってきたことがあまりうまくいかないから、その中でがんばっているから「ゆっくり」とか
「自分のペース」でとか人はいうのだけど、そもそも速度を遅めるよりも、根本的なところを解決した
ほうが楽になる。(つまりうまくいかない要因を取り除く。ボクシングでも空振りが1番疲れるんだ。
やっていることが結果がでる、出ないにも大きく左右される。あと1人で孤独でやっているとか、仲間
と一緒にやっているとかにも差がある。)
だって「ゆっくり」とか「自分のペース」でとか、たしかに体は楽になるかもしれないけれどそこに パ
ワーや自由や心の平安がありますかという話なんだ。どうせだったらパワーや自由や心の平安
がありながらの生活がいいわけだ。その為には本当にたどり着きたい目的地にはやくたどり着くこと。
そうしたら経済的にも豊かだし、その方が休んだ時のんびりしていられるんじゃないかなあって思う。
人は行きたいところ、たどり着きたいところに本当ははやく、1日でも行きたいわけだ。そういう自分
がアクセル踏み込ませるんだよね。でも疲れるからブレーキというやつ。 「ゆっくり」とか「自分の
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ペースで」とか。はじめからそうやればいいのに、なぜしなかったのかを考えて欲しいんだ。
目的を達成してからのんびりといきたいよね。
基本は世の中のペースにあわせる。世の中の流れがあるわけだから、本来はそこにあわせていくのが1
番楽であり、楽しい。世の中に合わせて、そして自分に合わせる。順番が逆だとうまくいかないからね。
何かをするって飛行機を離陸させるようなもの。ある程度、スピードがいるしのんびりで飛ぶってない 。
ある程度加速させてガーっと走っていって、それから飛ぶ。飛んだら楽でしょ。飛びながら休んだらい
いんだ。飛んでいるって自分の力で飛んでいるんだけど、でもほとんどって自分の力じゃないじゃん。
風とかでね。ポイントはまず飛びたいって思う。で、飛ぶこと。そこから休めばいい。
飛んで休むってできる。風に揺られながらピゅーってね。
飛ばないで休んでも、そこ居心地いいですか、環境いいですかって話なんだ。生活(現実)が追いかけ
てくるしね。
飛ばずに休むより、飛んでから休んだほうがいい。そのほうが爽快感があって、充実感や満足感もあっ
て、ほんと心からのんびりできるんじゃないかな。最高に休める。
パワーや自由や心の平安がある休みです。
飛ぶためにある程度、パワーがいるからその為に休むなら僕はいいと思う。
「他人」という言葉
「他人」という言葉を聞いてどんなイメージがするだろうか。
あまりいいものでないなあと思ったら、あまり使わないほうがいい。
豊かな人生をおくっている人をみると他人という言葉をつかっていない。「家族」と表現する。
「他人」という言葉が、孤独やさみしさを引き起こしていたりするからね。
「他人」と言う言葉を使うと、それも自分と人とに壁をつくる。
壁をつくればつくるほど、孤独やさみしさを誕生させる。(息苦しさを感じる)
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「なになにのせいで・・・」は恨み・つらみの言葉
あまりなにかのせいにしないほうがいい、恨み、憎しみが出てくるから。
それで人のせいにしないほうがいいと言われたら、自分のせいにしたりする。自分に対して恨み・辛み。
「自分を責めず、人を責めず、ただただ笑って生きる」 あいだみつお
「なにかが悪い」にしないこと。何かのせいにしていると人は過去に生きてしまうから。
(そんな時は、槇原敬之さんの -どんなときも-の曲を聴いてください。)
未来を描けなくなる。なにかのせいを手放して、手放せるとはじめて未来が描くことができる。
過去に生きると、それが未来にも過去起きたことが起きる(起こる)から、過去は手放して行こう。
「なになにのおかげで・・・」を感謝の言葉
「なになにのせいで・・・」と生きていると悪いところばかりが目に入る。
「なになにのおかげで・・・」は生きていると良いところばかりが目に入る。
こんな言葉がある。
3流の人間は、人の短所ばかりがみえる。
2流の人間は、人の短所・長所がみえる。
1流の人間は、人の長所しかみえない。
感謝をしろとかそういうのを伝えたいじゃない。感謝は1つの感情だからね。
感謝についてはブログ記事タイトル「感謝していない」の何が悪いんだ。で、音声を録っているのでぜ
ひ聴いてみてください。
http://ameblo.jp/atokau/entry-11948816049.html
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「あたりまえ」という言葉は定着させる言葉
ぼくがよく使う言葉。「できてあたりまえ」とかね。できる方向に定着させていくんだ。
その人があたりまえに思っていることが今の人生をつくりあげているから。
「うまくいかないことをあたりまえにしたいですか」
「うまくいくことをあたりまえにしたいですか」
得たいことをあたりまえにすること。それがパワーの人(与える人)。
得たくないことをあたりまえにする人を、フォースの人(奪う人)
あたりまえは定着の言葉。まず努力でも気合でもなんでもいいからうまくいかせる。1点集中でいい。
うまくいかせたらそれを今度、「あたりまえ」ってつかって定着させる。
自転車は乗るまでは大変だけど、乗れたらべつにふつうというか、あたりまえだよね。あたりまえに
思ったら別段考えない。あたりまえに思ったらものすごく考える量が減るし、こうなったらどうしよう
とかいろんなこと考えない。あたりまえの状態ってけっこう自然で、ナチュラル。
そこまで行って休めばいいと僕は思う。
「人間の頭に良し・悪しはない。要点をまとめる能力と省く能力それがあるだけだ」と日露戦争に大き
く貢献した秋山さんが言っていた言葉だけど、飛行機を飛ばすまでは要点まとめていって、飛んだら省
いていくみたいにするんだ。
「天才」という言葉
僕はよく自分のことを「天才」だと言っている。「天才」とは「天が与えた才能」
こういうことを口にして言った方がいい。ほんとに人にすすめているんだけどあまり誰も真似をしてく
れないけれど、たしかにリスクあるよ。「凡人」と言っているほうがリスクがない。
自分のこと天才とか言っているとアホにしかみえない。でもアホが悪いわけでもない。
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自分がなりたい方向に言葉を出したほうがいい。「かわいい」とか「キレイ」とか。「頭が良い」とか。
「自分は頭が悪い」と人はよくいうけど、あまり「自分は頭が良い」とは人は言わない。
リスクがあるからそれはわかるけれど、口に出す言葉で未来が決まるんだ。
「こうしたら」「こうすれば」「こうするべき」の言葉
「こうしたほうがいいんじゃないでしょうか」
「こうすればいいんじゃないでしょうか」
「こうするべきだと思うのですが」
ほとんどの人は「こうしたほうがいいんじゃない」的なところで生きている。
人のことってよくわかるよね。
「こうしたほうがいいんじゃないだろうか」 直観的な要素かな。
「こうしたほうがいいんじゃないですか」ってあまり人の耳には届かない。
「せっかく言ってあげているのに・・」とかなる可能性があるけれど、そもそも「こうしたほうがいい
んじゃないですか」って他人事的な言葉だから働かない。(人の心に響かない、届かない)
「こうすればいいんじゃないでしょうか」
この言葉って、それなりにその人のことを考えて伝える言葉だ。
「こうしたほうがいいんじゃないですか」って、ただの自分の解釈や思い込み発言なんだ。(相手の世
界はみていない)(それが悪いわけじゃない)
「こうすればいいんじゃないでしょうか」と言う人はそれなりに相手の世界をみているし、聞いている 。
考えてもいる。
「こうしたほうがいいんじゃないですか」「こうしたらいいんじゃないですか」と
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「こうすればいいんじゃないでしょうか」
「こうすればいいんじゃないでしょうか」というのは相手に対して寄り添っている。
そういうものというのは相手に伝わるから、「こうしたほうがいいんじゃないでしょうか」の方が、相
手に話が右から左へと流される。
「こうしたほうがいいんじゃないでしょうか」と「こうすればいいんじゃないでしょうか」
どちらが自分は反応するだろうか。
「こうしたほうがいいんじゃないでしょうか」状況によりカチンとくる時もあるんじゃないだろうか。
「うるさい」とかね。他人事的な要素が伝わるから。人はありがとうとは言うだろうけどね。
「こうしたほうがいいんじゃないでしょうか」は、軽いんだ。
1番相手に伝わるのは、「こうするべきだと思うのですが」もっといえば「こうするべきです」
「こうするべきです」というのは別に自分の正しさを押し付けようとかそういうのじゃないよ。
その人の中に1つの論理が出来あがっている。(それが説明できるかどうかは別にして)
「こうしたほうがいいんじゃないですか」が1番リスクがないし、もっと言えば1番リスクがないのが
何も言わないことだけど、(ただ必要とされる人、されない人とでいうと1番必要とされない人になる
だろうけど。もちろんそれが悪いわけではなくて。1 番リスクないのが、1番リスクでもあるというこ
と。)
「こうするべきです」というのが1番リスクがある。でも1番、人が話を聞く。
まず「なにを!」ってなるからね。(だいたいの人が一瞬「カチン」とくる。でもね相手がどういう意
図でそれを伝えているのか、伝えようとしているのかという意図を見抜く力は人間にはあるからね。)
そこまで言い切るんだったらなんかあるんだろう、じゃあ話をしてみろってなるからね。
(ただ信頼されていない、信用されていない状態では、聞かれないだろうけど。まず完了をつくらない
とね)
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なかなか怖い道だけどね。相手のことが好きとか愛がないとできない。(家が火事になった時、自分の
子供がいるとわかった瞬間、飛び込むお母さんのように、ふつうは火のついた家に飛び込むなんてでき
ないんだけど、恐怖だけど愛が恐怖をうわまわる瞬間。火事場のバカ力能力が必要)
フォースの人にはできなくて、パワーの人だけが使える魔法みたいなものだ。
「こうするべきです」というのは、ある意味、バギクロスだ。(ドラクエ知らない方ごめんなさい)
順番にいうと、
「こうしたほうがいいんじゃないですか」「こうしたらいいんじゃないですか」をバギ。
「こうすればいいんじゃないでしょうか」「こうするべきだと思うんですが・・・」がバギマ。
「こうするべきです」をバギクロス。
フォースの人が使える魔法は最高「バギ」までです。パワーの人が使える魔法が「バギマ」までです。
スーパーサイヤ人(スーパーパワー)になると使える魔法が、バギクロス(「こうするべきです」)で
す。
「あの人ちっとも話を聞いてくれない」「何回も言っているですけど」「話を聞いてくれない」
「話を聞いてくれるんだけど、いつもやらないのよね」
すべてバギの魔法だから。バギで歯が立つか、ということです。
自分がリスクをとればとるほど相手は人の話を聞くということです。リスクない言葉は、右から左へと
筒抜けになる。
もちろん「こうしたほうがいいんじゃないですか」と口にするだけでそれは素晴らしいんだ。
素晴らしいという前提の上の言葉です。
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「気にしない・気にしなくなる」言葉
人からどう思われるか。それは自分とはまったく関係がない。人は変にみられるもの。
人はみな自分以外の人は変だと思っているんだ。人はみな自分が標準だと思っている。
自分は特別だと思っているし、みんなそういうものなんだ。
人間というのはそういう生き物。心理学だけど。
「人の思い込みや解釈と自分とはまったく関係がない」
3つ目の魔法の言葉です。
責任者と犠牲者の言葉
たとえば、「完全歩合である意味リスクがある方を選んでしまいました」
「完全歩合である意味リスクがある方を選びました」
この2つの言葉の違いわかるだろうか。
人はすぐ「選んでしまいました」とか「してしまいました」とか言うんだ。
「遅れてしまいました」 「遅れました」でいいです。
「しまいました」の人生は、自分の人生に舵(かじ)がないんだ。だから人生に恐怖や不安が常につき
まっている。それは仕方がないんだ。自分の人生に舵(かじ)がないから。
「遅れてしまいました」を「遅れました」、前者は犠牲者、後者は責任者。
犠牲者の特徴は、不安や恐怖をかかえている。軸がない。つまり舵(かじ)がない。そりゃ不安になり
ます。
「遅れてしまいました」を「遅れました」みたいに全部やって、自分の人生に舵(かじ)をとっていく。
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同時にそれは責任者であり、責任=自由だしね。その中でしか「自分らしくは生きられない」生きたく
てもね。
「言うことを聞いてしまう」とかね。それは犠牲者です。そういう人って何かとりついているんじゃな
いっていう認識をする。まあ本人が自分以外のもののせいにするからそういう世界をつくりだしている
んだけど、「言うことを聞いている」なんだ。
犠牲者というのは、必ず「加害者」が存在する。 犠牲者という器に入っている場合、「なにかの存在を
つくりだすし、生み出す」
霊とか言ったり、お祓いとかやってもらった人とかが僕のもとにカウンセリングとかきたりしたことが
あるんだけど、昔からそういう人をたくさん相手にしたこともあるんだけど、ふつうに一瞬にして治る
んだ。
「言うことを聞いてしまう」という犠牲者にいる位置を、「言うことを聞いている」とか責任者の立場
に立たせるんだ。それは同時に加害者(なにかの存在)を消滅させるからね。
目に見えないものに金とってるアホの気がしれない。そんなもの3分かんたんカップラーメンだ。
それで解決しますよ。(ちなみにそんなもので僕、金とっていないですよ。カウンセリングしてても、
病気とか人生とか深いものに対してアプローチかけるだけで、こんなお祓い的なものはおまけですよ。
誰でもできるし、ここで言ったことがすべてです。)
「言う事を聞く」
なにか頼まれた時に「はい」と言った時に、それを自分が選んだという感覚をもつことが大事。
会社で働いていたとしてもね。 世の中にやらされるとはないからね。 やらさせると感じるからやらな
きゃとか、すごく疲れるんだ。
世の中にやらされるはない。やっている。人にアドバイスをもらっても、それをやる時にそれを自分が
決断したんだ。決めたんだという意識が必要。
そうしないとすぐ人のせい、なにかのせいにしちゃうんだ。それは性格が悪いわけではなくて、 人が性
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格が悪いと呼んでいるものはただ嫌な性格というのは自分を守っているだけだからね。
人にアドバイスをもらっても、それをやる時にそれを自分が決断したんだ。決めたんだという意識って
それはリスクだ。みたくないものだし、人が言って、それをやってダメだったらいくらでも言い訳が聞
く。人のせいにできる。
それで人のせいや何かのせいにする人がいるんじゃない。人になにかを言われた時、「はい」ってその
「はいにあなたがいますか」ということなんだ。
なにを思ってその「はい」を言いましたかということなんです。
そのはいはやりたくてのはいですか。やりたいんだけど生活の為のはいですか。嫌われたくなくてのは
いですか。いろんなはいがあります。やりたくないならやらなくていい。
でもなぜやりたくないかを考えていかないといけない。義務・強迫観念(やらされる)にしちゃいけな
い。やりたくないを掘り下げていくと、やりたいに変わったり、「やりません」と決断できる。
やりたくないって感情の言葉で、それは社会で通用しない。そこから出る言葉って100%自分の都合
だからね。なぜやりたくないのかを掘り下げて、「やりません」まで言った時に、はじめてやらない理
由が自分自身明確になる。やらない理由は人のコミュニケーションに使えるけれど、やりたくない理由
は、コミュニケーションには使えない。人と交わらないんだ。(一部の自分に甘い人とはつながるだろ
うけど)
人は人を驚くほど信頼している。
人は信用して生きているんだな。信頼して生きているだなとつくづく僕は思う。
僕が小さい頃、不思議だったのは、「なぜみんなジェットコースター乗れるの?」だ。
遊園地の乗り物って昔ほとんどムリだったのね。
理由は、たとえば観覧車とかさ、落ちたら死ぬじゃん。なんでみんな乗れる のかが不思議で仕方がな
かった。信じているんだ。信頼しているんだ。
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ごはん食べにいって、毒もられているかもとか考えないと思うんだ。
道歩いていて、刺されたらどうしようとかね。
飛行機乗るとか、落ちたら死ぬわけで、人は人をめちゃくちゃ信用しているし、信じているんだ。信頼
している。
もちろん自分のこともね。たとえば子供を産む。1番大変な作業だと思うんだ。
なぜできる?「なぜ子供を産もうとすることができる?」
かりに自分ムリだと思ったら、子供降ろすよね。そもそも生まない。
自分を信頼しているし、まわりを信頼しているからできるんだ。
人がつく最大の嘘の 1 つに、「わたしは自分を信じていません」「わたしは人を信用できません」があ
る。
(ほんとはしませんがいいけどね)大嘘つきなんだ。自分の都合のいい時に信じて、都合の悪いもの、
都合の悪い時には信じないだけなんだ。
この世界自体が本来は恐怖の世界なんだけど感じるがあたりまえであり、感じないでいられるというの
は人を信頼している、まもられている証拠なんだ。
自分を信じてなかったら、人を信用、信頼していなかったら、どれだけの恐怖かと思うんだ。
正気を保っていられない、じつは。
だから「わたしは自分を信じていません」「わたしは人を信用できません」嘘なんだ。
その人は自分を信じているし、人を信用・信頼している。
「できているわけだ」「生きているのが何よりの証拠なんだ」
でもできない何かが起きて、そうしてまた恐怖が出てきて、自分守りに入った。そういうのだけ。
自分を信じてなかったら、人を信頼してなかったら、人は怖くて死ぬよ。絶望。
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生きているというのは、なにより自分を信じている、人を信頼している証拠なんだ。ほんとうはね。
「お元気そうですね」その言葉より、どうせいうなら、
「お元気そうで、こちらまで元気になりました!」
そうしたら、うれしくて、元気でいようとか思うよね。
「~したほうがいい」より、「~したら、もっとうれしい」
はやく会いたい、より、会えるまでが楽しみ。
本人の中では気持ちが同じなのだから。表現を変えてください。
「ダメだ」と書くより、「悲しい」「せつない」「残念」」と書いたほうが、相手にはより伝わります。
「ワクワクしています」より「ワックワクしています」
「元気ですね」より、「私まで元気になった」
「今日は、楽しかったよね」より、「まだ余韻が続いています」
「こうしないで欲しい」よりも「こうして欲しい」と伝えること。
「こうして欲しい」と伝えることはリスク。やってくれなかったら傷つくし、あとはなんだか相手に借
りをつくる気分。1番は「こうして欲しいと伝えなくても、それをやってくれること」
これを願うのが、フォースの人(奪う人)。
「お前は客か」というやつなんだ。
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仕事で客だったらいいんだ。飲食業とかね。察するよ、気遣うよ。そういう潜在的な人の欲求を察して
行動していかないとお店なんてすぐ潰れちゃうからね。
それでこちら側の成長にはものすごく貢献になるし、その人も貢献してくれているんだけどその人の成
長につながるとは限らない。「やっぱり言っていかないとね」
それがわかちあいだし、何かを要求するのはリスクなんだ。わがままに思われるとか、でも大丈夫。
言わないほうがわがままだからね。
「人は1人で生きてはいけない」
僕の嫌いな言葉。そして疑ったほうがいい。ほんとうって。
「人は1人で生きていけるよ」
赤ちゃんは1人で生きてはいけない。それはわかる。
子供は1人で生きていくのは難しい。それはわかる。
「人は1人で生きていけるよ」、がんばったら。
この言葉を覚えておいて欲しい。「人は生き延びることにおいては天才的である」だ。
「1人でできないこともある」それもわかる。
特大冷蔵庫を1人でマンションの1Fから5Fまであげろって、「ムリ」
1度、自分に聞いてみることが必要。
「それは本当に1人でできないですか」
「1人では楽しくない」というのならわかるけどね。
「人は1人では生きてはいけないからこう・・」って言う人がいるけれどそれは罠だ。弱小軍団の集ま
りなんだ。それは悪くはないよ。もしその中が好きならそこでいればいいし、飽きたら出ればいい。
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「人は1人で生きていける。でも1人では楽しくないからみんなでこうしよう」みたいな世界の方が僕
は好きというだけ。「1人でもやれる。だけど協力してくれたほうが、みんなの為になるとかね」
「少しずつやっていきます」「少しずつがんばります」
これらも自分を守る言葉であり、 じつは働かないんだ。
ほんとに少しずつやっていきたいなら、今日はこれをやり、明日はこれをやり、明後日はこうして、
3日後は、4日後は、5日後はって、あたりまえだけどそうやっていくものなんだ。
「自分なりに少しずつ」とかね。
「少しずつ」って少しだから言葉としてはつかいやすいんだけど、そこを具体的にしていかないとね。
そうしたら少しはいいんだけどあまり前に進まないとか、もっと進みたいならじゃあこうってとにかく
具体的にしていくこと。具体的にするというのは、霧の街のロンドンみたいにして、霧があったらみえ
にくい。人はみないようにするところがあるんだけど、楽だし。だけど結果的に漠然と歩くよりも、具
体的にしたほうが精神的にも楽。
なにかを決めたら、「やらなきゃ」とかって義務みたいになる人もいる んだけど、そもそもやりたいか
らやっているわけだよね。本来は甲子園を目指すみたいに、「甲子園に行く」それが自分のやりたいこ
とだったら、その中にはしんどいこともあるよ。 練習とかね。でもそれらを含んだ上での「やりたいこ
と」なわけだ。人間って放っておいたら、そこには行きたいけれど(甲子園行きたいみたいにね)、練
習するのは嫌みたいになるから、そこをどう工夫していくかだよね。
知恵と工夫をもちいて、「創造性」「人間の創造性を活用していくしかない」
あとは少しずつやるより一気にやったほうが楽ということがある。
自分だけが特別という意識に入らない。
「自分だけ」と言うのは、特別だよね。
時に優越感を与えるとともに、 時に劣等感を与える。
「自分だけ」という言葉をつかっていると、ほんとまわりがみえなくって、その言葉って自分の世界に
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
入り込んでしまうからね。(これもね僕にも非常に痛い言葉なんだ)
「自分だけがこんな目に」「わたしだけがこんな目に」「どうしてわたしが」「どうしておれが」
どうせつかうなら、「どうしてわたしも」「どうしておれも」
「自分だけが」と言いそうになった時、「自分だけじゃない」
必ず人を含むこと。人とつながること。
「自分だけじゃない」、人とつながる言葉だ。
「自分だけが」「わたしだけが」 特別な世界であり、1人だ。快楽の世界。
1人になるとねろくなことにならない。
「自分だけ」→「自分だけじゃない」→「みんなって世界を含むこと」
御釈迦さんの話なんだけど「どうしてわたしだけがこんな目に」という人がいて、子供が亡くなってね 、
それで御釈迦さんのもとにいったんだ。神通力があるという噂がたってたからね。
事情を聞いた御釈迦さんは、「そうか。じゃあ生き返らせてあげよう」といったんだ。
「ほんとうですか」といったその子供が亡くなった母親に御釈迦さんは、
「ただし、生き返らせるには必要なものがある。からしの種がいる。そのからしの種は、家から死者を
1人も出したことがない家のからしの種でなくてはいけない。もらっておいで」といった。
しばらくするとその母親はお釈迦さんのもとを訪ねてこういった。
「わたしが間違っていました」
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いろんな家を訪ねた結果、死者を1人も出したことがない家なんてなかった。
「自分だけ」という世界から、
だんだんと「自分だけじゃない」になって、「みんなになった」
「自分だけ」→「自分だけじゃない」→「みんなって世界を含むこと」
いろんな家を訪ねまわった結果、俯瞰して物事がみえるようになったんだよね。
「また来ます」
よくお店とか行くと帰る時、「また来ます」とかその「また」なんだけど、「また来ます」とか「ま
た」とつけたとき、手帳に書き込んだほうがいいんだ。それで必ずいくんだ。
それでまた来るか、もう来ないか、どうせまた来ますといって、行かないことがほとんどなんだ。(理
由はもちろん忘れる)
「また来ます」
そういった時には、また行くんだ。行かないなあと思ったら、またはつけない。
それをやるだけで、人生の寂しさが激減する。
また来ますと言われてまた来てくれたらほんと嬉しい。
接客とかしていたらよくわかると思うんだ。また来ますといってこない人が多いから。(それは悪くな
いよ)
また来ますといったら、また行く。そう思わないなら行かない。
また行くと言ったら、手帳に書き込んでまた行くと書いておく。忘れるからね。
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また来ます、また来ます、また来ますとよく言われる。でも売り上げは減っていく。
「なんでやねん」
知らず知らずのうちに潰れていく悲しさ。
また来ますといったらまた行く。行かないなら行かない。それが全員がやったら、わけがわからず店が
潰れるというのが無くなる。
「また来ますと言われなかった。なんかあったのかなあと思って、すぐその日のうちに手をうてる」
「また来ます」のまた。とくに「また来ます」と言われて、さみしい思いをする人がいたとしたらとく
にね。
お店とか旅行いってさ、ここほんとにいいと思ったところに、また来ますと言ったら、手帳に書いてお
く。そうしたら「行かなきゃなあ」となるから、よしがんばって仕事しようとか、がんばって稼ごうと
か、そういうモチベーションにもなる。いい人、いいところにお金を使えて貢献できて、税金も払えて
自分も楽しいしみんなの為になる。
なんだったら、半年後にまた来ますとか言って、期日いれたらいい。もっといえば予約してもいい。
そんなふうにして誰が損するって思うし、また行けて自分も楽しい、また来てくれてお店の人も嬉しい。
「もうしばらくは来れないから精一杯楽しもう」とか暗示かけるよりはよっぽどいい。
もうしばらく来れない状況をつくりだそうとしているんだからね。
「また行く、行きたい」と思ったら、手帳に書き込んで、日付もいれたらいい。1年後とか、予約して
もいい。そこからじゃあどうやってお金を稼ごうとか、そういうふうにするから人生って楽しく豊かに
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
なるんだ。
「今の時代、自分を低く見積もるのはもう手放そう」
自分で自分を雇用していく。自分で自分の人生をいかにデザインしていくか。ぜひそれを考えて過ごし
てください。なぜって世の中みれば。どういうふうに世の中が流れているのかを自分なりに感じてみて
ください。僕なりに伝えることができるのですが、自分で感じてみることが大事です。
それが自立です。答えにパワーはないんです。(質問にパワーはあるけど)
1人1人が自分の足で立って、渡り鳥みたいにして空気抵抗を減らしながら協力しあって、遠くの島
(自分の行きたいところ)を目指したいです。
いまはとにかく「人生の自分のセキュリティを確保して欲しい」あとは「満足を得る」
いまの時代ちょっとやそっとじゃあ満足しないですから日本人は。(それが悪いではなく先進国だか
ら)
いかにお金儲けと社会貢献、この両方のバランスをとっていくか。
一緒 にク ワン の世 界を 目 指 しま しょ う。 クワ ンが 何な のか を 知 りた い方 は、 『 ザ ・ エ ー ジェ ン
ト』1996 年に製作されたアメリカ映画。主演トムクルーズの映画をみてください。
ストーリー
有能なスポーツ・エージェントのジェリー・マグワイアは、高価な年俸のみを追求する会社の方針に疑
問を持ち、提案書を提出するがあっさりとクビになってしまう。彼に好意を抱き、彼の提案書にも共感
をする同僚だったドロシーと共に会社を立ち上げ、仕事の成功のために努力していくが、その中で「本
当に重要なものは何か」を知ることになっていく。
「人はいかに自分で、自分の良さ、自分の美しさを観ることができていないのか?」ということがよく
わかります。
このレポートは自分の行きたいところに行く為のレポートでした。
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
主に言葉の使い方をお伝えしたくて書きました。
言葉が自分の考えや行動を先導してくれている感覚をぜひ掴んでください。
「あなたはいったい誰ですか」その問いと、自分の人生のコミットを明確にしておいてくださいね。
人のパワーはコミットから生まれます。
最後にプロジェクトをやっているのですがそのマニュアルを一部公開します。
(といっても別にケチに一部とか言っているのではなく、ただ重要なところをまとめているだけで
す。)
「あえてへたにやる」というのもポイントです。ほとんどの人はうまくやろう、失敗しないように・・
みたいな感じでやります。そうすると「行動できない」です。うまくいく方向性、コンセプトがあれば
「あえてへた」にやってもうまくいきます。だからへたにやってください。うまくやることはできなく
てもへたにやることはできるでしょう。
スッポンポンな人で行きましょう。
知識は最低限でいいです。なぜなら実際に動く前にわかることなんてほとんどないからです。
なにか新しいことをはじまる前に「なんのためにそれをしようと思っているのか」
それをはっきり言葉にしておきましょう。そうしないと負け戦になるだけです。
「自分が実現したいこと」について、何度も考えて、考えて、考え尽くすこと。人と話すときは、その
会話のはしっこでもいいから、「自分が実現させたいこと」について語ることを忘れないでください。
誰かが問題や事件に巻き込まれた時、無関心でいたり、口を出すだけで済ませたりすることなく、その
解決のために積極的に動いてください。そうすると「自分が実現させたいこと」が叶っていかないこと
なんてあり得ません。
言葉をまずは変えていきましょう。
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
嫌な性格は自分を守ってくれています。悪いとしないでください。
「すべてのことを悪いとしないこと」、魔法の言葉です。
以下は本の引用です。(僕が大事だなあと思ったので、残しているものです。)
この世の恩に報いる
昨日も食事をして、着られるものを着て、
屋根の下でやすらかに眠ることができたなら、
今まで自分の身に起こった出来事をひとつ思い出し、
心から感謝をすることです。そういう1日で人生の完了をつくってください。
これも「人生の質」があがります。
本社に戻った後は、土地の買収を行う。企業・個人・外国人・暴力団・右翼関係者とも
直接団体交渉を行い、時に脅迫も受けた。暴力団事務所に1人で乗り込んでいったこともあった。
どんな人でも、今までやってきたのはそれなりの理屈、その世界の論理があり、それゆえに迫力がある
のだということが分かり、そこから学ぶものも必ずあると考えるようになった。
相手の言う事を既成概念に囚われず見極めようとした結果、自分の中での偏見がなくなった。
相手には、会社の立場で物を言っても通用しない、
自分個人の人間を全面に押し出し、頭を下げることによって分かってくれた。
その後も、会社の不動産関係のトラブルシューターのような役割をやっている。
また自分自身平常業務はむしろ苦手で、気が抜けず自分がフル回転でぶつかっていくような
状態でこそやりがいと自己成長が得られる、と語っている。
Tさんは、企業に勤めているにもかかわらず、絶えずチャレンジを求めている奇特な人で、
会社には絶対に必要な人の1人だと思う。
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
どんな相手にも偏見を持たない、柔軟性や相手を最後は味方にしてしまう対人手腕もさることながら、
会社の立場で語るのでなく、自分という『人間』を全面に出す、ということによって
ピンチを切り抜けてきたというところが非常に印象的だ。
会社のブランドや、建前や一般的な論理では、どうやっても接点はないと判断した相手には、
人間Tさんとして相手と対峙するところに突破口を見い出した。
「人は自分の外で生きられるようになった時、生きることを始めた」
「より」は過去の記憶。何もなしから過去を生きていきましょう。
「どうやって?」は何かの理解にはいいですけど、なんかのアクセスには×です。
どうやって恋におちるんですか。
どうやって充実した人生をおくるんですかということで、 「どうやって」が概念です。
そこから得られるものはないです。そうやっているうちは、掴まないです。
掴まないということはつかいこなせないということです、魔法をね。
「なりたい自分にはならなくていい」
日本一ネガティブな(ポジティブでもある)けして、ポジティブシュミレーションしないダイソーの矢
野博丈社長の言葉。
「生きるということは、基本的に楽しいことではありません。人には基本的人権がある、人間らしい人
生を送る権利があると言うけれど、そんなことはないんですよ。努力して、いい商品を作った結果とし
て楽しさを味わえていると思っています。楽しさと言うものは、常に努力した結果味わえるもので
す。」
ポジティブシュミレーションはケガの元です。
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
「中途半端のススメ」中途半端というのは、なにもやらずにぐだぐだぐだぐだ考えているのを中途半端
と呼ぶのであって、いやそれをすすめているのではなくて、3日坊主というのは中途半端なイメージが
あるのですが、それは中途半端ではありません。3日やったただそれがあるだけです。素晴らしいこと
なんです。やってみえることがあります。もちろん続けてみえることもあります。でも続けるためには
とことん3日坊主をやることも必要です。なぜなら無限に選択肢がこの世にあるのだから。
時間は有限です。しょうもないこと続けても意味ないんです。
できるだけはやく3日坊主を終わらせて、その中でいいなって思うものを2、3個チョイスして、いま
までの経験もあるのだからその2、3個を混ぜ合わせて、そうしたらオリジナルなものができるのです
から、それで人生で勝負していきましょう! 自分の要塞、この世界で絶対的な安心・安定ある土壌を築
きましょう。(方向性とコンセプトは厳守です。)
「めんどくさい」という言葉は遮断の言葉。「いちいち考えるのもめんどくさい」って僕は考えるのを
遮断する為に使っています。考えすぎ防止です。言葉自体に良い・悪いはないです。「めんどくさ
い」ってネガティブなイメージがあるのですが、使い方次第です。
「すごいなとその人を思っている時、 そのあなたの姿がすごいんです」
それを忘れないでください。
「人生は自分を変えなくていいです。人生を変えていくのです。そうしたら自分は勝手に変わりますか
ら。物語、漫画の主人公もすべてそうなっています。」
神様はただの人間の「解釈」にすぎません。天使とか妖精も霊も。いると思えばいますが、いないと思
えばいません。解釈は自由です。好きにしてくれていいのですが自分の人生に働く解釈をお願いします。
ただ目に見えないものというか、たとえばイライラする人がいたら、たとえばドアを開けたら「う~ん
なんだこの空気・・」と思ったらイライラする人がいたとか、そういう人の感情から生まれるものがと
んでいるということはあります。オーラとか波動とかまあ名前はいろいろありますが、そういうなんか
とんでいるものを、見方によっては、霊とか、神様とか、妖精とか、天使とか名前をつけることはでき
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
ます。基本、この世はみたいように世界をみせてくれますから。
だから好きにしてくれていいのですが、あとは宇宙法則みたいなものは存在します。こんないいばいに
気候とか、食べ物だったりとか、世の中を見渡すと、なにかが働いているとか言いようがない、なんか
ルールみたいなものは存在します。
だから僕は昔、6歳ぐらいの頃に「我慢しない」と決めたんです。我慢しなさいと言われていたのです
が、我慢がそんなに大事なら、なぜ我慢したら体の具合が悪くなんねん、それは我慢するなとなにかが
言っていると思いました。
逆に笑ったり、笑顔でいると免疫力が上がると言われているのは、科学的にも証明されているのですが 、
それもなにかが笑え、笑っていてくださいといっているのです。僕はそういう解釈です。
実際あることをどう解釈するかは自由です。人生が働く解釈をしてください。
世の中には「間違っていてもうまくいくことがあります」逆に「正しくてもうまくいかないことがあり
ます」だからあまり正しいとか間違いとかにこだわらずに、ただ自分が正しいと思ったことをやること
は大事です。自分が正しいとおもったことをやるというのは、別に自分が正しいと思ってやれとは違い
ます。やってみないとわからないことってあるじゃないですか。だから自分の良心に基づいてやればい
いんです。そこから行動に移しましょう。
そして世の中は、たとえば「10 km をどう走るか」です。
たとえば何キロ走れとか言われてもない状態で、ただ走るって疲れますよね。
「10 km 走る。この為に走るんだ」と言われて、「ああこの為に走るのか。いいなあ。よしそれで1
0 km か、10 km 走るぞ」と決めた人と、
とりあえず走れと言われて、わけもわからないままに走る目的やどこがゴールかわからないのに走ると
めちゃくちゃ疲れるというのがあります。
1人は10 km 走れと言われて、走る。もう1人は何も言われずに走れで、ただ走る。
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
何も言われずに、知らされずに、ただ走れと言われて走るってめちゃくちゃしんどいです。(やればわ
かりますが)恐ろしいほど。そういうふうに生きている人が多いです。つまり「体力がない」と言って
いる人ってそういう状態なんです。
人生で、「ゴールはここ」「私はああここに行きたいの!!」と思って生きるのとそれで、そこに行く
ためにはこうこうこうこうでと地図があって行くのと、
自分がこの世でなにをやりたいのか、なにをしたいのかわからないってさまよっている状態や、ここに
行きたいというのはわかったけれど行き先がわからないみたいな人生ってアホみたいに疲れるんです。
(酷いと死にたくなります。)
だからまず「体力がない」という状態から脱却していくのが大事だと思っています。
人生にゴールがあるかどうか。(死生観みたいなもの)この人生、「どう自分は生きたいのか」「自分
にとって理想的な人生とはなにか」「自分にとって最高の人生は何か」「自分にとって素晴らしい人生
は何か」とか探求しながら過ごしてください。それが結果的に体力がないという状態が無くなる道です。
世の中には2つしかないです。いきいきした人生を生きるか、死んだように生きるか。
鳥かごの外に出て、人生を生きるか、鳥かごの中に入って、人生を過ごすか。
鳥かごの中に入って、人生を過ごしていてもだんだんとわかります。そこも「リスク」だと。
でも何年も何十年も鳥かごの中に入って、人生を過ごしていると、「飛び方がわからなくなります」
飛び方はわかっても、「なんだか外は危険だぞ」って、プルプルふるえて飛べないとかあります。
人は向かっている先は、明確です。「死」です。
人は死に向かって歩いているわけで、その間の人生、「1度ぐらい空を飛びましょう」 と僕は言いたい。
大空高く。“そこそこの人生は終了です!!
どうせ死ぬんだから。鳥かごの中の鳥でいても死ぬのだから。
鳥かごの中の鳥になっていても、外から犬が入ってきてガブーみたいなのがあるのだから。
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
だったら外に出て、大空高く舞って、それか空を飛んでいて、パクっとかくわれたほうがよっぽどいい
です。
で、そういう目にはあわないし、外に出て、大空高く舞って、それか空を飛んでいて、パクっとかくわ
る確率も、鳥かごの中の鳥になっていても、外から犬が入ってきてガブーみたいになる確率も変わらな
いです。だから空を飛びましょうということで、えっ飛び方は、外は大丈夫?とかいろいろ出てきます
が、1番は空を飛ぶことだけを考えればいいのです。やり方は伝えます。空気抵抗を減らす仲間もいま
す。
「責任者」と「犠牲者」についても伝えましたが、「責任者」という中に自分が入っていない場合、そ
れは鳥かごの中の鳥になっているようなものです。それは楽です。
でも一歩、調子にのって鳥かごの外に出ようとすると、かもねぎにされたり、ろくな目に遭わない。
「責任者」という中に自分が入って、そこからものごとをみていって、行動していくのを自立。
それは鳥かごの外を生きる為の訓練。外は危険。だけど「自由」。
大空高く舞い上がることもできる。
鳥かごの中に入っていては残念ながらできない。
そして鳥かごの中もべつに安全というわけではない。
人間になにかされたり、突然、会社が倒産とか、リストラとか、「えっ、エサくれなくなるの」的なこ
とが起こったりする。ピーンチ。
ほとんどの人は鳥かごの中に入っている鳥で、それはどういう状態なのかというと、「不自由さ」を感
じていたり、「そこそこ楽しい」みたいな、「それなり」とかね、それなり、そこそこは、胃の中の蛙
になっているということ。それが悪いと言っているわけじゃなくて。
それでいいならそれでというだけで、別の選択肢もありますよということです。
最高とか、素晴らしい人生だなあとか、ああ理想的な人生だなあとか、人生に充実感や満足感、達成感
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日本の健康・医療・創造的破壊プロジェクト! ノアの方舟づくり kenji
ややりがい、そして爽快感。生きがい的なものを感じていないなら、鳥かごの中の鳥。
仕事には、5段階があります。
1.Labor(労働)
2.Work(ワーク)意味を感じながらやれる。人間としての主体性が感じられる
3.Calling(天職)
4.Self-actualization(自己実現)
5.Self-transcendence(自己超越)
仕 事 でも 1 段 階目 はし んど い、 2 段 階目 はそ れな りに 楽 し いけ れど モヤ っと 。 3 段 階 目は 「 キ
ターーーーーーー!!」というやつ。4 段階目以降はもう好きにしてくれという感じですが、とりあえ
ず3段階を目指しましょう。
この人が動かないなあ、そんなふうに思ったら、自分のことを
「岩を目の前にしてどうにか動かそうとしている人」だと考えてください。
どんどん人生にブレイクスルーやトランスフォーメーションを起こしていきましょう!
最後に動画です。
「鷹から学ぶ人生の選択。多くの人間に鷹が伝えるメッセージ」
https://www.youtube.com/watch?v=0duG5WFk_xs
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