(PDF:5.69MB)[2011年12月15日] - 学校法人-暁星学園

「ご主人さま、私に5タラントをお預けになりま
したが、ごらん下さい。私は外に5タラントを
(マタイ25章20節)
もうけました」
建学の
精神
11
12.2011
No.12
学園長・理事長
田上 保幸
斎藤 秀雄
本学園は創立の目的の一つに、社会に貢献する人
ンゲルに師事、1927年、帰国、新交響楽団(現N
材の育成を掲げています。今回は、音楽の分野で大
HK交響楽団の前身)の主席チェロ奏者として迎え
きな社会貢献をなした卒業生、斎藤秀雄(1902~
られました。彼は、また、ソリストや指揮者として
1974)を紹介します。指揮者、小澤征爾は、
「斎藤
も活動します。
先生がいなかったら、僕も、秋山和
1930年、再びドイツ留学、世界的
慶も、そして多分、岩城宏之さんも、
な名手、フォイアマンに師事します。
若林弘さんも出なかっただろうと思
この頃、師と自分の才能の差を痛感
う」と言っています。
した斎藤は、次のように言っていま
斎藤秀雄は1902年東京で生まれ、
す。
「もう30歳だから僕はこれ以上、
1909年に暁星小学校に入学、1918
上手にはなれない。これからは若い
年暁星中学在学中、本格的にチェロ
人を育てるんだ。新響じゃ一番のチェ
を習い始めます。また「暁星マンド
リストだけどベルリン・フィルの一
リン・クラブ」をつくり、後に暁星
番尻尾でもいいから弾いてみたかっ
以外の同好者も加えて「オルケスト
た。
」そして、この留学中、彼は日本
ル・エトワール」と名称も改めます。
の音楽のレベルを世界のレベルにま
そして、1923年、日本で初めて「第
で引上げることを生涯の仕事にする
1回マンドリン・オーケストラ・コン
クール」が開催されると、
これに出演、
日本で最も多くの世界的な音楽家を
育てた斎藤秀雄氏
決意を固めました。
戦後の1948年、斎藤は、吉田秀和
東京帝大、慶應大、同志社大など当時の最高レベルの
等を説いて、東京に「子どものための音楽教室」を開
八つの出場オーケストラの中で、みごと三位に入賞
き、幼児からの音楽教育を始めます。一期生の中に
し、斎藤は指揮者としても特に高く評価されました。
は、4歳の中村紘子もいました。その後、次の年代
この年、彼はベルリンに留学、チェロ奏者、クレ
のため、1952年に桐朋女子高等学校の協力を得て
朝日新聞朝刊(2011
年8月 日)より
22
同校に音楽科をつくります。一期生の中に小澤征爾
がいました。 斎藤は1961年、桐朋音楽大学の創設
に関わり、
日本における、幼児から大学までの一貫し
た音楽教育の実現に大きな役割を果たしました。
彼は学校教育以外でも、自らの指揮教室や、種々
の個人レッスンを通して多くの弟子を育て日本の音
次頁に続く
1
楽史上、最も多くの弟子を育てた音楽家と評されて
ニューヨークなどでコンサートを開催しました。ま
います。その成功と世界的な名声の理由は、彼が著
た、日本でも1992年から毎年「サイトウ・キネン・
した「指揮法教程」による徹底した指導によるもの
フェスティバル松本」が開催されています。
です。サイトウ・メソッドとして世界に知られ、世
終わりに指揮者、渡辺暁雄の言葉を紹介します。
界的な指揮者コンクールが日本で開かれるまでにな
「音楽家というものが、あるべき姿を語れるとした
りました。
ら、斎藤さんは、その鑑といえる。日本人の本当の
斎藤は1974年、72歳で他界しましたが、1987年
音楽家の名をあげろと言われたら、やはり、どうし
に小澤征爾、秋山和慶等が「サイトウ・キネン・オー
ても欠くことのできない最高の人の一人、それが斎
ケストラ」を結成し、毎年一回、ザルツブルグや
藤秀雄」
清掃のすゝめ
彼らを巻き込んだからでした。ジブリ作品には掃除がしばし
ば重要な場面で登場します。そういえば、私も学生の頃、試
験の前になると机の周りや部屋を掃除したものでした。物を
暁星中学・高校 校長
減らして優先順位をつけたり、見通しを立てたり、気持ちの
勝部 純明
切り替えを図るためでした。
最近は掃除機でなんでも吸いとって済ませてしまいます。
それに比べると、箒を手に掃いてもまた落ちてくる木の葉を
朝、校長室の窓を開けると、グラウンドの元気な朝練の声
相手にしている生徒は、自分の心も同時に掃き清めているに
に交じって、時折、黙々と中庭を清掃する生徒を目にします。
ちがいありません。
遅刻の多い生徒に、生活習慣を自ら改善するようにと清掃を
「掃き清める」の言葉から連想される一つに、相撲があり
課しているのです。
ます。一番ごとに土俵を掃き清めるのは、判定のためだそう
夏休み最後の日曜日、思い立って映画「コクリコ坂から」
で、
「土地を踏む」の語源は「勇み足」だとか。生徒諸君には、
を観に行きました。高校のクラブハウスの保存に立ち上がっ
ドジを踏まないためにも、節目を設けては心をこめて身の回
たヒロイン海が、生徒の心を動かしたのはハウスの大掃除に
りを清掃することを奨めます。
メル
ど じ
うとともに、土台となって上に乗っ
辛 抱
ている人の重さで腕がしなり震えな
がら歯を食いしばって支えている子
どもの姿に、まさに「辛抱」という
とても大切にしたい言葉の中にもだんだんと使われなく
言葉が重なりました。思わず目頭が
なっていく日本語があります。
「苦労」
「辛抱」もその一つの
熱くなります。
ような気がして残念に思います。特に、
「辛抱」は、
「つらさ
暁星小学校 校長
先日の朝礼で「好きなことを、好
をこらえしのぶこと。忍耐。また、つらい仕事でも我慢して
佐藤 正吉
きなときに、好きなようにさせる」
勤めること。
」
(
「広辞苑」より)とあり、我を張るという意
とダメな子どもになることを大人は
味合いがある我慢とはややニュアンスに違いがあります。
知っているので、君たちにとっては辛いこともさせるのです
運動会で最高学年の力強さや逞しさを見せてくれる「組
と話しました。子どもに辛抱の大切を考えさせたかったから
体操」ですが、今年も練習の成果を全校の前で立派に示し
です。
「東日本大震災」からの復興を目指す今、近道だけを
てくれました。特に、高い塔やピラミッドなどは「組体操
通ろうとしない、辛いからとすぐあきらめたりしない粘り強
の華」とも言えますが、最上段で胸を張る勇姿を頼もしく思
く逞しい子どもに育てることの大切さを痛感します。
もくじ
2
建学の精神 その体現者(11)
…………… 1
クラブ活動 …………………………………… 4
暁星の理念と教育実践 …………………… 2
学園行事 2011 年 10 月〜 2012 年 3 月 … 5
学園トピックス …………………………… 3
同窓会だより ………………………………… 6
力を合わせる
切り株を登りなどいくつかの関門を越えてたどり着くよう
に工夫されています。
このように子どもたちは仲間と一緒に創り上げていく遊
暁星幼稚園 園長
びに楽しさと喜びを見出すようになっています。ひとつの
逆井 弘子
遊びが創り上げられていくには友達からの刺激や支えもあ
りますが、時には互いの主張やぶつかり合いで淋しさや悔
しさを味わうこともあります。幼児期は色々な体験が必要
「みて! かっこいいでしょ。み~んなで力を合わせたん
です。特に困難なことがおきた時、立ちなおり、気持ちを
だ」
転換させていく過程は成長のステップとして大切に見守っ
子どもたちがそう言って指差す先には恐竜が! それは
ていきたい事のひとつです。
巧技台やホース、バケツ、木の枝など身近にある素材を集
子どもたちはそのような体験を通して互いの違いを知り、
めて仲間と考えを出し合い、力を合わせて作り上げたもの。
考えを調整していくことを学んでいくのです。遊びを通し
完成を喜び、背中に乗ったり飛び降りたり、木の実を拾っ
て「友達の考えを良く聞き、自分も知恵を出す」
「自分のこ
てきて食事をあげたりとかわるがわる可愛がっています。
とばかり言うのでなく友達のことを分かろうとする」
「力を
別のグループでは忍者になって遊ぶことから「忍者レスト
合わせたり、譲り合ったりする」などの大切さを知り仲間
ラン」ができました。そのレストランに入るには輪を飛び、
と育ちあっていって欲しいと願っています。
全国大会4連覇
中高の競技かるた部
昨年3連覇のご報告をこの誌面で行いました。そして嬉
しいことに今年も4連覇の勝利のご報告を行う事ができま
した。追われる立場は大変につらいと思います。でもその
追いすがる全国の高校を振り切り、プレッシャーに打ち勝
ち、その結果が右の写真の通りとなりました。本当におめ
でとう! 君たちは素晴らしい勝者だ!
那須校外学舎 被災 !!
そして 復活しました
スタインウェイピアノ寄贈
昭和42年初めに造られた那須学舎。小学
夏休みも終盤となった8月末、スタイン
地域での野外活動の拠点として、また那須地
ウェイピアノ(C-227)1台と中西利雄
域の学校との交流場所として合宿生活を行っ
画伯の絵画1点が学園に寄贈されました。寄
ております。3.11の東日本大震災やその後
贈されたのは、1943年卒業の中野真澄氏と
のたび重なる余震により、食堂の壁などに多
生を中心に年間約1000名の子供たちが那須
このピアノは、真澄氏の弟である故阿部仁
暁星小2年の室井怜音君が
総理大臣賞を受賞
志氏(1947年卒業)が愛用していたもので
第36回「小さな親切」作文コンクールで、
察。その場で1学期の那須での合宿研修の中
す。阿部氏は、暁星学園卒業後、東京芸術大
小学校2年室井怜音君が最高賞の内閣総理大
止を決定するほどの状況にありました。
学に進学し、その後東京芸術大学で長く教鞭
臣賞を受賞しました。タイトルは「小さなお
また、福島原発からは90キロ圏内にあり、
をとられました。故人となった阿部氏の愛用
うえん」
。8月、サッカーの練習中に右足を
放射能を含めその影響が懸念されました。そ
のピアノを母校の子供たちのためにというこ
骨折し、約3週間の松葉づえ生活を通じて感
のために今年は5月から7月末までは、その
とで、寄贈の運びとなりました。また、中西
じた譲り合いの大切さや人々の温かさを綴っ
被害を復旧すべく修繕工事にあてました。さ
利雄画伯は、大正から
たものです。室井君は書いています。
「
(前略)
らにグラウンドは、那須町が各小学校に行っ
昭和の洋画家で、今回
今回のこっせつで、ぼくは、いつもの元気な
たように表面の土を削り、地中に埋める措置
贈られた絵画は、ヨー
体で一人でなんでもできるのは、とてもしあ
を施しました(この工事は、
「星組」という
ロッパの港町を描いた
わせなことだとよく分かりました。また、足
地元の会社が行いました。やっぱり暁星。“エ
水彩画です。いずれ、
の不自由な人の気もちがよく分かりました。
トワール” ですね)
。
真澄氏の妹さんで現在ぺリス・メルセス宣
教修道女会シスターの中野佐和子さんです。
寄贈されたスタイン
ウェイと同型のピアノ
くの亀裂が入り、浴場の床タイルにも亀裂や
段差が生じるなどの被害がありました。3月
下旬に佐藤小学校校長が那須に行き、現地視
皆さまの前に御披露さ
(中略)電車で立っているのがつらそうな人が
2学期からは予定通り那須での活動は始ま
れる時があることと思
いたら、すすんでせきをゆずってあげようと思
りました。期間中は、毎日放射線量を測定し、
います。その時を是非
います。
」
万一の備えも怠ることなく、子供たちの安全・
楽しみに……。
全文を読みたい方は、学園事務室まで。
安心に配慮しておりました。
3
フランス語部
高校2年生を中心に
学園の内外でフランス語劇を上演
現在フランス語部は、6
月に行われるフランス語
今年は雙葉での公演に
あわせ、後援会総会の折り
フェスティバル(フランス語
を教えている首都圏の高
校による生徒の発表)での
も参加させて頂きました。
また、文化祭では、
「愛と
友情のフランス語―模擬
劇の公演、10 月初旬に行
われる文化祭への参加を
主な活動目的としていま
授業―」を行い、多くの来
年度入学を希望する小学
生、他高校の女子学生、保
す。毎年、高校2年生の1
外フランス語選択者が中
心となり活動しています。
護者の方々、ひやかしの同
級生の前で模擬授業をし
ました。
小学校・フットサルクラブ
小学校では、各学年に
サッカーが時間割に入る
ほど、その昔からサッカー
熱は冷めることを知りま
せん。週1回のクラブの
時間に、その大好きなサッ
後援会総会後に上演したフランス語劇
週1回のクラブの時間に
大好きなサッカーを楽しむ
カーを楽しむクラブが
フ ッ ト サ ル ク ラ ブ で す。
フ ッ ト サ ル と い っ て も、
5人制で行うわけではな
く、勿論4秒ルールを適
用しているわけでもあり
ません。
今年は5年9名、6年
16 名の 25 名が4チーム
に分かれ、学期ごとにリー
グ戦、決勝トーナメント
を行い、その節の優勝を
目指して鎬を削り、熱い
熱い攻防を繰り広げてい
ます。学期に1回ほどの
対外試合にも参加し、他
校との交流を深めていま
す。
コンピュータ部
プログラミング技能を習得
文化祭では自作ゲームを発表
コンピュータ部では、プログラミングの技
能を習得することと自分たちでパソコンを組
み立てることを通して、コンピュータの知識
を身につけることを目標にしています。部員
同士の雰囲気は良く、友人関係も深まってい
ます。また、上級生は下級生にプログラミン
グを教えることで、責任感が生まれています。
毎年の文化祭では、自作のゲームの発表を
とにかくサッカー好きが集まったクラブです
4
行っています。今から、
来年の文化祭に向かっ
て活動をはじめています。どうぞ、次回の文
化祭では、コンピュータルームまで足をお運
びください。
2011年10月∼2012年3月
2学期は多くの学園行事がおこなわれる時期です。今年の幼稚園・小学校の運動会は、晴天に恵まれ
汗ばむ中での開催でした。中高の文化祭は例年通り多くの方々を迎え盛大に開催されました。
学 期
2学期
小学校
幼稚園
月
全校ミサ
● おにぎりの日
● 運動会
● 那須合宿(4年)
● 参観日
●
運動会
遠足
● 誕生会
●
10 月
●
中学・高等学校
文化祭
外部テスト(高3)
● 初金
● 入試説明会
● 中間試験
● 学年ミサ
●
●
創立記念日式典
保護者会
● 学校説明会
● 研修旅行(中3)
● 校外学習
● 実力テスト(高3)
● 学年ミサ
●
入園テスト
● 一日動物村
● 七五三の集い
● 誕生会
●
●
11 月
12 月
「和」の象徴『祭』の正門
入学試験
中学進学試験
サッカー大会
● クリスマスの集い
● 終業式
●
星の子コンサート
● クリスマスの集い
● 終業式
●
始業式
● おもちつき
● 後援会文化講演会
● 後援会新春懇親会
● 誕生会
●
●
1月
親子劇遊びの日
● 星の子お楽しみの日
● 星の子なかよしの日
● 一日コックさん
●
2月
修了を祝う会
● 誕生会
● 終業式
● 修了式
● 春休み
●
文化祭の鉄道ジオラマ
●
期末試験
ソダリティー
● 終業式
● クリスマスミサ
●
●
始業式
実力テスト(中1〜高2)
● 学年ミサ
● 後援会文化講演会
● 後援会新春懇親会
● 保護者会
● サッカー大会
●
3学期
幼稚園の運動会
●
3月
始業式
● 保護者会
● シャミナード・デー
● 後援会文化講演会
● 後援会新春懇親会
参観日
修学旅行(6年)
● スキー教室(5年)
● 校外学習(1年〜4年)
● 音楽会
●
●
サッカー大会
● 感謝ミサ
● 修了式
● 卒業式
● 春休み
●
●
中学入学試験
生徒会行事・役員選挙
● 編入試験
● 百人一首団体戦(中2)
●
●
学年末試験
高校卒業ミサ、卒業式
● ソダリティー
● 中学卒業ミサ、卒業式
● 終業式
● 春休み
●
●
小学生の組体操
5
これはわれわれ卒業生として誇らしい
限りです。
暁星の教育がマリア会の教育理念に
沿って教えられ、フランス語を通じて
ヨーロッパの芸術・文化や歴史を学ぶ
ことができたことも一つの教養とし
て、自分では意識することなく自ずと
身につけたであろう生徒たち。私が学
んだ昭和20年代から30年代、今振り
昭和 26 年の東京タイムスに掲載された暁星学園生徒の募金活動
親子2代の「人間国宝」
返ってみて懐かしく感じて思うこと
は、教育熱心な先生やマリア会の先生
が大勢いらして、よき時代であったと
いうことです。
暁星学園同窓会
会長
浅尾空人
グラウンドで、教室で、また校外に
おいても、本当に真剣に生徒と取り組
んで頂いたことに、感謝したいという
3月11日に起きた東日本大震災による大津波や原
気持ちです。悪いときは本気になって生徒を叱り、
子力発電所の事故による節電等で、暑い暑い夏を余
今は決して許されないことになりましたが、時には
儀なくされ、おまけに円高・デフレなどで日本の経
殴ったり、授業中校庭の真ん中に立たせたりと、当
済も低迷し、暗い話題ばかりが続いている最中の7
時はお互いに真剣勝負のようなものがあったように
月、ひとすじの明るい話題が報道され少しほっとし
思われます。その後の先生の生徒に対する気配りが
た気分になりました。
大変素晴らしかったと記憶しております。実際、卒
それは1963年卒業の中村吉右衛門さんが「人間国
業後にその先生と親しくお付き合いする生徒は沢山
宝」になられたというニュースでした。中村吉右衛
いることも事実でした。そのことが教え子の先生に
門さんは「私の芸が国にとって重要であると認めて
対する評価点になっているとも思われます。
いただき、大きな名誉、死ぬまで修業、常に上を向い
今、そのフランス語も英語主体になりましたが、
て高みをめざしていきたい」と語っておられました。
多少縮小されながらもフランス語の授業も中高では
なんといっても喜ばしいのは中村吉右衛門さんは、
依然として続いていることは、大変喜ばしいことだ
同じ暁星の先輩である1928年(昭和3年)卒業のご
と思います。これからもフランス語を止めることな
尊父・松本白鸚(先代松本幸四郎)さんと親子2代
く、生徒にフランス語を学ぶ機会を与え続けられる
で「人間国宝」に認定されたことです。やはり「人
ことを期待してやみません。
間国宝」にふさわしい芸・教養・そして人一倍の努力・
妥協を許さない精神力は、われわれ凡人にはとても
でき得ないことだという思いで尊敬の念を禁じえま
せん。また今回ご紹介できませんですが、卒業生に
はこのお二人のほかにも「人間国宝」がおられます。
※人間国宝は、日本の文化財保護法に基づき文部科学大臣が
指定した重要無形文化財の保持者として各個認定された人物
を指す通称である。文化財保護法には「人間国宝」という文
言はないが、重要無形文化財保持者を指して人間国宝と呼ぶ
通称が広く用いられている。
暁 星 学 園 報
第 12 号
発行日 2011 年 12 月1日
発行者 田 上 保 幸
発行所 暁星学園事務室
6