合成動詞における後項動詞の接辞化 ――文法化過程の連続性と意味

合成動詞における後項動詞の接辞化
――文法化過程の連続性と意味・機能の
分類
专
业
日语语言文学
研究方向
日语语法
届
别
2008
姓
名
廖 瑞平
指导老师
皮 细庚
謝
辞
本論文の作成にあたりまして、お忙しいにもかかわらず、終始熱心に見守って、
指導してくださいました皮 细庚教授に心よりお礼を申し上げます。
また、本論文の最終報告にあたり、貴重なご指導、ご意見をくださいました蔡敦
達教授、許慈恵教授、呉大綱教授、毛文偉先生、関薇先生にも深く感謝致します。
同僚の葉 蓉さんも後期段階で色々と手助けをくれて、感謝いたします。色々な
艱難を乗り越えて、この論文が出来るまでの間の家族の支えや支持にも感謝いたし
ます。
2
目
要
次
旨 ............................................................... 4
はじめに ............................................................... 8
第一章
後項動詞に関する先行研究と本稿の位置づけ ..................... 9
1-1
本研究の対象 ................................................. 9
1-2
結合能力から見た重要後項動詞の統計データー .................. 10
1-3
1-4
第二章
合成動詞の構造と後項動詞の接辞化に関する従来の視点 ........ 12
本稿の位置づけと構成 ........................................ 15
文法化と後項動詞接辞化の段階性 ................................ 16
2-1
文法化とは ................................................ 16
2-2
後項動詞のアスペクト標示による啓発 ........................ 17
2-3
合成動詞における後項動詞の接辞化過程の分析 ................. 19
2-3-1
合成動詞「~こむ」の場合 ............................. 20
2-3-2
合成動詞「~ぬく」の場合 .............................. 23
2-3-3
合成動詞「~きる」の場合 .............................. 24
2-3-4
合成動詞「~だす」の場合 .............................. 27
2-3-5
合成動詞「~あげる」と「~あがる」の場合 .............. 28
2-3-6
合成動詞「~かける」の場合 ............................ 30
第三章
後項動詞の文法化の検証 ........................................ 33
3-1
後項動詞の文法化の検証 ...................................... 33
3-2
程度・密度を表す後項動詞の文法化の第二段階の検証 ............ 35
3-3
合成動詞の意味的構造とその他の後項動詞の接辞化 .............. 38
3-4
文脈制限と合成動詞の後項動詞の意味解釈 ...................... 41
第四章
意味・機能から見る後項動詞の分類 .............................. 44
4-1
後項動詞分類の先行研究 ...................................... 44
4-2
意味.機能から見る典型的な後項動詞群 ........................ 49
終りに
まとめと今後の課題 ........................................ 53
参考文献 .............................................................. 55
3
要
旨
日本語のVV型合成動詞は中国人日本語学習者の初期段階で既に出ているが、
「飲み込む」や「落ち込む」等のように辞書に載っているものもあれば、「飲み始
める」や「やり続ける」等のように辞書に載っていないものもある。これには何か
規則があるのではなかろうか。更に、「~ぬく」「~きる」「~こむ」等の補助動
詞のニュアンスの区別もしばしば学生によく質問されるところであるが、それで、
合成動詞の構成パタン、後項動詞の意味整理等をはっきりさせれば、教育現場でも
いささか役に立てればと思って、これを修士卒論のテーマにするそもそもの出発点
であった。
本稿は文法化という新しい視点から従来「動作の起こり方」という後項動詞群に
注目し、その複合性動詞から派生性動詞へ発展する過程において、前項動詞との文
法的な関わりやそれ自身の意味の変化等の面から観察を試みようとする。言い換え
れば、本稿の狙いは後項動詞の接辞化を文法的な角度と語彙的な角度を考え合わせ
ることによって、その過程と段階性をはっきりさせるところにある。
本稿は合成動詞における後項動詞の接辞化と後項動詞の意味整理との二つの問
題を取り上げている。
第一章ではこれまでの後項動詞接辞化に関する先行研究を整理したうえ、本稿研
究の対象を寺村(1984)の分類で複数の項目に跨っている「~ぬく」「~きる」「~
こむ」「~だす」等七つの後項動詞に絞り、本研究の位置づけを定める。
第二章では「文法化」という視点で、これらの後項動詞の辞書意味がどの程度残
っているかにより、その文法化の段階性と意味変容の過程を探ってみる。第一段階
では、後項動詞が辞書的意味がそのまま残って、しかも、「~こむ」以外は、自、
他動詞どうしが結合するというVV型合成動詞の構成要素間の基本的な規則も守
り、前項動詞と結合し、複合性動詞になる段階である。第二段階では、自・他動詞
どうしが結合する規則をこえ、広汎に自・他動詞間の交互結合ができ、辞書的意味
も実質意味から形式的・文法的な働きに変わり、接辞化が起こる段階である。第三
段階では、「~きる」「~こむ」「~ぬく」「~あがる」等の後項動詞が動作動詞
だけでなく、状態や結果を表す静的な動詞とも結合可能になり、原義から更に抽象
化・形式化していくにつれ、接辞化の度合いも進んだ段階である。
第三章では、文法化第二段階と第三段階のそれぞれの検証を行う。つまり、第二
4
段階では前項動詞の文法面の性質とのかかわり(自他関係)を、第三段階では、前
項動詞の意味の面とのかかわりを文法化段階の基準にしたものである。合成動詞全
体から見れば、動作動詞が前項にくるのが殆どであるのに対し、状態等を表す動詞
が前項に立つ時、意味概念から程度や密度の補足が要求される所謂意味的選択制限
のある前項動詞との結合が可能であることを文法化第三段階認定の基準とするの
である。ついで、
「動作+結果」と所謂合成動詞一般の意味的構造と程度・密度以
外の後項動詞の接辞化との関連を検討した。前項動詞の動作或いは作用が起こした
結果が人或いはものの変化の場合から新しい事態や局面が新出する場合に変わる
時、後項動詞は接辞化が起こるわけである。
第四章では、合成動詞全般における後項動詞から結合能力と使用頻度高い50個
を対象に、その意味・機能から、アスペクトと方向、そして程度・密度の強調及び
失敗・難易等の項目にわけ、整理する。
本研究は以上の考察を以って、合成動詞における後項動詞の接辞化過程の段階性
及びその構造上の特徴、意味上の変化と意味特徴を考察する。
5
摘
要
日语中 VV 型合成动词在初级学习阶段就会遇到的一个问题,它既有“飲み込む”
“落ち込む”这样词典上可以查到的单词,也有“飲み始める”“やり続ける”这样
词典上查不到的单词。这是不是有什么规律可言呢?另外,“~ぬく”“~きる”“~
こむ”等补助动词的意义上的细微区别也是学生经常会提到的问题。于是,想利用这
次撰写硕士毕业论文的机会好好的归纳一下合成动词构成的类型,对后项动词的意义
用法进行归纳整理,期待能对今后的教学有所帮助。
本文从“文法化”这一比较新的角度研究所谓的“動作发生方式”这一后项动词群,
考察合成动词从复合性动词向派生性动词演变的过程中,后项动词与前项动词间语法
意义上的关联和其自身意义上的変化等。换言之,本文考察的目的是从结合语法和词
汇角度,考察后项动词文法化的过程和其阶段性。
本论文涉及到合成动词的两个方面的问题,一是合成动词中后项动词的接辞化,二
是把常见的后项动词归纳成几个典型的类型。
第一章中主要整理目前为止后项动词接辞化的观点,选定本论文研究对象为寺村秀
夫(1984)分类中涉及到多个分类项目的“~ぬく”“~きる”“~こむ”等 7 个后
项动词。
第二章采用“文法化”这一新的角度,根据后项动词的本义在合成词中的保留程度,
探讨其“文法化”的阶段性和词义变化的过程。其结论是:第一阶段中,后项动词都
保留着它单独使用的意义,同时除“~こむ”外,其他后项动词都遵循了合成动词构
成要素自动词与自动词、他动词与他动词结合这一普遍的原则。在第二阶段,后项动
词超越了自动词与自动词、他动词与他动词结合这一基本规律,同时意义上也从本义
演变成形式上、语法上的功能,出现接辞化现象。第三阶段“~きる”“~こむ”“~
ぬく”“~あがる”等后项动词除了和动作动词外,还可以和表示状态、结果等静态
性动词结合,分别从“完了”等第 2 阶段意义进一步抽象化、形式化,接辞化程度进
一步加深。
第三章主要作为第二章的归纳和“文法化”的验证。从第一阶段演变到第二阶段,
主要考察它与前项动词的文法方面的关系(即动词的自他性);从第二阶段演变到第
三阶段,主要是从前、后项动词的意义方面的结合考虑。合成动词中,前项动词几乎
都是动作动词,这从第一阶段和第二阶段中都可以看出这一倾向。但是第三阶段中,
表示状态、结果等动词处于前项动词位置,这些词从词汇意义上来说只需要程度、密
6
度等补充说明即可。能否和这样一些前项动词结合,即成为判断后项动词文法化第三
阶段的基准,这是本论文和田边和子(1996)的根本区别。同时,还对 “动作+结
果”这一合成动词的普遍意义构造进行了分析,揭示了程度、密度以外等其他后项动
词的接辞化过程。即:由于前项动词的动作或者作用,从后项动词变化的结果是人或
者物变化成新的事态或者局面时候,后项动词即从实际意义演变成抽象的、形式上的
意义,发生接辞化现象,整个合成动词也从复合性动词变成派生性动词。
第四章主要选取了结合能力和使用频度较高的 50 个后项动词,从其给前项动词添
加的意义和功能,参照先行研究,把它归纳为“アスペクト”、“方向”、“程度・密度
的强调”以及“失败・难易”等四个大项,以期对学习和教学有所裨益。
本文在以上研究的基础上,考察了合成动词中后项动词的接辞化过程的阶段性和构
造上的特征、意义上的变化和特征。
7
はじめに
合成動詞はその構成要素から言えば、名詞+動詞タイプ(NV型動詞)、形容詞
+動詞タイプ(AV型動詞)
、動詞+動詞タイプ(VV型動詞)等色々な構成パタ
ンがある。勿論、NV型やAV型に比べ、VV型動詞のほうがその数が多いし、構
成要素間の関係の多様性も複雑であるから、本稿は専ら、VV型動詞を研究対象と
する。VV型動詞はその合成のパタンから言えば、
「読み始める」のように「読む」
「始める」それぞれの語彙的な意味が残り、合成後の全体的な意味が非常に透明的
で生産的なものもあれば、「染め上げる」のように、その前項動詞「染める」の語
彙的な意味がそのまま残り、後項動詞「上げる」の本来の意味から発展し、単独で
使われる時になかった意味を持つようになるものもある。「騒ぎ立てる」、「思いつ
める」
「立ちとおす」
「困りぬく」
「知り尽くす」等における後項動詞はいずれも「染
め上げる」の「上げる」に似たものである。このような所謂「補助動詞(的要素)
」
或いは「接辞化」したものについては、近年その接辞化に関する研究がなされてき
たが、その接辞化の原理の論理的、体系的に考察はまだなされていないのは現実で
ある。従って、本稿は従来の研究を踏まえて、①合成動詞を「複合性動詞」と「派
生性動詞」に分け、「派生性動詞」の意味分析から着手し、後項動詞の接辞化(文
法化)の過程と連続性を考察し、②更に、後項動詞の前項動詞への添加する意味や
果たす役割からそれらを幾つかの典型的な類型に分ける試みをしようとするもの
である。
8
第一章
1-1
後項動詞に関する先行研究と本稿の位置づけ
本研究の対象
ヨーロッパ系の言語が接辞や屈折語尾が豊富であるのに対し、日本語は複合語が
豊富であることが知られている。とりわけ顕著なのは動詞と動詞の結合によるもの
(VV型合成動詞)と名詞と動詞との結合によるもの(NV型合成語)などは語形
成の一般理論を考える際にも極めて重要な項目となる。合成動詞は数の上では合成
名詞には及ばないが、その構文における重要性は後者を遥かに超えている。という
のは、日本語表現において、動詞の構文的役割が大きいから、基本文型と言われる
ものの中で、動詞を述語に立てる文の比率は大きい。こうした動詞の中で、森田良
行氏「動詞の意味論的文法研究」1によれば、日ごろ使用している動詞の四割が合
成動詞であるというデーターが示されている。
VV型の合成動詞は、基本的に前項動詞と後項動詞に分けられるが、前項動詞が
「押しー開ける、食べー始める」のようにイ形である場合と「開けてーおく、食べ
てーみる」のようにテ形の場合とがある。テ形の結合は意味的にはイ形の結合に似
た面があるが、普通は一語として認められない。これは更にまた二種類に分けられ
る。
A
食べている、食べてしまう、食べてみる等
B
言ってのける、食ってかかる等
A 類のように、動詞+ている(ある、しまう、いく、くる等)「アスペクト」を
表すもの、動詞+ておく(みる、みせる)等「もくろみ」を表すものと、動詞+や
る(あげる、もらう、くれる)等「やりもらい」を表すものは、前の動詞と補助動
詞の間に助詞介在が可能(食べてはいるが、またお腹がすいた)だし、動詞の否定
形との結合が可能(いわないでおく)なことからも分かるように、語の連合関係は
緩やかであるから、普通は一語として見なされないのである。語形成の立場から考
えるものとされず、文構成の立場から考えるものとされる。
B の類のものは動詞結合の度合いが高く、語彙の生産性が低いし、殆ど文法的機
能はなく、慣用句的働きをしているから、複合語に近いもので、連語として取り扱
われているのが普通で、一語として見てよいものである。
1森田良行「動詞の意味論的文法研究」明治書院
1994 年p280
9
一方、「イ形」で後項動詞と結合する場合も、「書き給う」「書き奉る」などのよ
うな文語文法の敬意表現を中心とした少数の語があり、これも狭義の合成動詞研究
の対象外である。本稿の研究対象は一般に「複合動詞」と呼ばれている VV 型動詞
の「動詞(イ形)+動詞」のタイプで、しかも敬意表現を表すものを除いたもので
ある。即ち、「飲み明かす」「入り込む」「話しかける」等の類である。
論述をはっきりするために、本稿で使われる幾つかの述語を規定しておく必要が
あると思う。
合成動詞……動詞と動詞とが結びついて一語の動詞となったもの。一般に「複合動
詞」と言われているものを、ここでは「合成動詞」と呼ぶことにする。
複合性動詞……合成動詞のうち、その前項と後項が原義を保持する結びつき。寺村
(1984)でいう V1+V2 タイプである。
派生性動詞……合成動詞の中で、その前項または後項の意味が発展して、いわゆ
る接辞化されたものによる合成動詞である。本稿では、前項動詞の接
辞化は考察の範囲外とするため、もっぱら後項動詞の接辞化を考察す
ることにする。その接辞化された後項は、前項にある意味を添え、動
作の起こり方や程度等を表すものである。
1-2
結合能力から見た重要後項動詞の統計データー
合成動詞の後項動詞は何語ぐらいあるだろうか。国立国語研究所の「複合動詞資
料集」(1987)2によれば、830 余語となっている。資料集を見るだけで、後項動詞
にはその用例数 300 以上のものから、用例数一つのものまで幅のあることが分かる。
ただし、用例数 300 以上あるというのはあくまでも「資料集」の上のことであり、
更に造語することは可能だと思われ、またそのことにより造語力の強弱の順位も変
わると思う。表一と表二はそれぞれ南場尚子(1991)3と姫野(1993)で挙げてい
る後項動詞を持つ用例数の多寡の順である。
2
本稿は普通言う「複合動詞」を「合成動詞」と呼び、引用の場合は原文のままにする以外、
それを「複合性動詞」と「派生性動詞」に分けるという基本的な立場を取っている。
3南場尚子「複合動詞後項の位置づけ」
『同志社国文学』第 34 号 同志社大学 1991 年 P75
10
表一
結合能力から見た後項動詞
(南場尚子 1991)
順位
語
語数
順位
語
語数
1
~出す
379
16
~返す
43
1
~得る
374
17
~立てる
42
3
~始める
347
18
~通す
41
4
~合う
240
19
~果てる
40
5
~掛ける
206
20
~わたる
30
6
~込む
195
21
~ぬく
32
7
~切る
187
22
~まわる
29
8
~過ぎる
156
23
~あがる
26
9
~かねる
94
24
~きれる
25
10
~かかる
80
25
~いる
22
10
~つける
80
26
~たつ
21
12
~なおす
71
27
~損なう
20
13
~尽くす
71
28
~歩く
19
14
~終わる
60
29
~かえる
19
15
~あげる
46
30
~終える
18
一方、姫野(1993)でも、後項動詞の中で、異なり語数の多い順に上位 30 まで
の語をあげている。
表二
結合能力から見た後項動詞
(姫野
1993)
順位
語
語数
順位
語
語数
1
~出す
432
16
~返す
73
1
~得る
432
17
~立てる
72
3
~始める
399
17
~直す
72
4
~合う
273
19
~上がる
71
5
~掛ける
236
20
~取る
70
6
~込む
231
21
~合わせる
69
7
~切る
207
22
~去る
68
8
~過ぎる
173
23
~終わる
62
9
~続ける
169
24
~入る
58
10
~付ける
143
25
~立つ
57
11
~上げる
129
26
~替える
51
12
~兼ねる
110
27
~抜く
50
13
~掛かる
90
28
~通す
49
14
~尽くす
76
29
~出る
48
15
~付く
75
30
~返る
47
南場尚子(1991)の統計では、
「出す」や「掛ける」
「返す」等所謂「多義的合成
動詞」後項の用例数は複数の意味での結合数を合わせたものであり、姫野(1993)
ではどうなっているか不明である。二人の統計結果を見ると、上位 30 語に入って
いる語は差もないことはないが、大体の傾向はやはり同じようであり、特に用例数
11
10 位までの語は殆ど同じである。一方、同じ語でも用例の数が違っているのがあ
り、姫野(1993)のほうはもっと網羅しているのではないかと思う。
1-3
合成動詞の構造と後項動詞の接辞化に関する従来の視点
多様な結合様式を持つ合成動詞をどのように整理していけばよいのか。石井
(1983)4では「数少ない観点の下に数多くの複合性動詞を処理することができれ
ば、分析の統一性は高まる」とあるが、今までの研究で扱われてきた多様な視点を
大きく分ければ、
①体系的研究、つまり合成動詞の結合条件や分類に関する視点
②意味的研究、つまり合成動詞後項の意味的側面に関する視点
③他の言語との対照
との三つである(視点③は本稿とは関係のないものであるから、紹介も割愛させ
ていただくことにする)。
①に関しては、代表的なものは寺村(1969、1984)、山本(1983、1992)と影山
(1993、1997)等が挙げられる。特に影山(1993)では、合成動詞は「文法形式と
語彙の両面を持つ」ものであることに気づき、「生成文法における極端な変形論及
び極端な語彙論」をなくし、
「語彙的」ものと「統語的」ものとに分けているが、
その観点は広く認められている。
②に関しては、姫野の「~つく」
「~つける」「~あがる」「~上げる」等複雑な
多義的後項動詞の意味・用法の整理・分類によって、この分野が開かれたと言える。
その他、斉藤(1992)等の意味的派生のプロセスの研究も高く評価されている。
合成動詞を考える場合は、以上述べた二つの視点はともに不可欠ではあるが、近
年の合成動詞に関する研究は後者のほうがむしろ重要視されているのではないか
と思う。合成動詞の意味を考える時には勿論その語構造と切り離すことはできない
が、その語構造を明らかにするためにも構成要素となる両項の動詞の意味をはっき
りさせる必要が十分ある。このような意味論的な分析こそ合成動詞全体の意味や語
構成を把握する鍵となっている。
前項と後項のそれぞれの意味分析に関して、影山(1993)では「日本語では統語
4
石井正彦「日本語複合動詞の語構造分析における一観点」
『日本語学
書院 1983 年 p79
1983 年 8 月号』 和泉
12
構造、形態構造ともに右側要素が主要部(head)として機能するのが一般的原則で
あり」5と述べている。実際氏の「語彙的複合動詞」と「統語的複合動詞」の分け
方自身も後項動詞に注目しているのである。主要部のことはともかく、少なくとも
後項動詞の意味研究は前項動詞より重要であることは言える。というのは、前項動
詞が合成動詞を構成する場合、ある程度の意味変化のものが見られるが、それはあ
.....
くまでも語義の変化に過ぎないから、一方後項動詞の意味はその動詞が単独の意味
......
とは変わり、文法的な意味を添えたりする等の問題が絡んでくるから、後項動詞の
意味分析がなおさら重要に見られるのである。
後項動詞の接辞化に関して、従来幾つかの視点がある。
まず第一に考えられるのは統辞論的な視点である。阪倉(1966)によれば、その
場合「『修飾語を伴う前項を、そのままそっくり後項が包摂する』という関係」が
成立することによって、後項の接辞化が確認されるという。例えば、「木を切り損
なう」という場合、合成動詞「切り損なう」の後項「損なう」は、
「木を切る」全
体を包摂する。つまり、全体の意味解釈としては、
「木を切ることを損なう」と捉
えることができるわけであり、このことによって「損なう」の接辞化が認定できる
わけである。ただし、この視点によって、一般に合成動詞後項が接辞化していると
言われている場合の全てを処理することはできない。例えば、姫野昌子氏は、合成
動詞後項が補助動詞化している場合、意味の上から(1)方向性に関するもの(盛
り上がる、見上げる、飛び込む等)
(2)程度の強調に関するもの(震え上がる、叱
り付ける、静まり返る等)
(3)ことの成否、過不足に関するもの(見落とす、見か
ねる、寝過ごす等)
(4)アスペクトに関するもの(見始める、降り出す、見終わる
等)の四つに分類したが、阪倉氏の視点で扱えるのは、その中の一部(大部分は(3)
(4)に属す)でしかない。
もう一つは文法的立場だが、合成動詞の前項要素と後項要素との自他は、殆どの
場合、一致しているとの指摘がある(影山
1993 ではこれを「他動性調和の原則」
と呼んでいる)。しかし、後項動詞が接辞化した、即ち派生性動詞の場合にはその
ような制限はない。例えば、
「切る」という動詞が合成動詞後項として機能してい
る場合には、前項要素には他動詞が立つ(「食い切る」
「ねじ切る」
「焼き切る」等)
のが殆どであるが、
「完遂」や「極度」の意(姫野昌子(1980))を表す接辞的要素
5
影山太郎『文法と語形成』ひつじ書房
1993 年
p101
13
として機能している場合には、他動詞だけでなく自動詞も前項要素に自由に立つこ
とができる(「疲れきる」「冷え切る」「わかり切ったこと」等)。
また、派生性動詞の場合には、前項要素が所謂原形ばかりでなく、受身及び使役
の形をも取りうることが指摘されている。影山(1993)では、更に前項のみ受身に
成りうることを「統語的複合動詞」を判定する際の基準の一つとしている。
更にもう一つは語彙論的視点によって、後項の接辞性の判定を、
(イ)前項の意
味との関係(ロ)単独用法の意味との関係、といった二つの側面に基づいて行う。
姫野の一連の研究(1975,1976,1977,1978a,1978b,1980、1982,1999)がこの
分野を切り開いて、
「~つく」
「~つける」
「~あがる」
「~あげる」
「~でる」
「~だ
す」「~こむ」「~かかる」「~かける」「~きる」「~ぬく」「~とおす」「~あう」
「~あわせる」等複雑な多義的後項動詞の意味・用法を整理・分類し、更には類義
語との意味的差異を明らかにした。その後、姫野の刺激を受け、多くの研究論文が
出されている。斉藤(1985)は「~返す」と結合する合成動詞 48 語を対象とし、
後項動詞「~返す」の意味がどのように抽象化していくかを単独用法「返す」との
意味的関わりから考察し、「前項の意味との重なりが多いほど、単独用法の意味と
の重なりが少ない程、接辞性が高い」と指摘している6。今井忍(1993)も本動詞
「出す」からの派生として説明しにくい「開始.起動」を表す「~だす」を取り上
げて、認知意味論のイメージ・スキーマという手法を用い、「開始・起動」を表す
「~だす」を単なる「開始・起動」ではなく、「話者の視点から見て結果が知覚可
能な形での事態の生起」であると特徴づけ、従来から指摘されているように「~だ
す」が命令・意志・使役文には現れにくいのは「話者が事態を知覚するだけであり、
事態に対する制御力を持っていない」ためであると説明している7。これらの研究
は、多義的後項動詞の意味変化の連続性を本動詞との関係から示す目的としたもの
であり、日本語教育においても意味の連続性を示すことにより、多義的意味が捉え
やすくなるという利点がある。
以上のように、後項動詞に見られる接辞化は文法論か語彙論的視点で論じること
が多かった。それぞれの研究では、個別の後項動詞の接辞化が分かっていても、わ
りと統一した視点でまとまっていないのが現実である。
「複合動詞後項の接辞化―『返す』の場合を対象として」
「国語学」140 集 1985 年
p124
7松田文子「日本語複合動詞の習得研究」ひつじ書房
2004 年 p25
14
6斉藤倫明
1-4
本稿の位置づけと構成
本稿は文法化という新しい視点から従来「動作の起こり方」という後項動詞群に
注目し、その複合性動詞から派生性動詞へ発展する過程において、前項動詞との文
法的な関わりやそれ自身の意味の変化等の面から観察を試みようとする。言い換え
れば、本稿の狙いは後項動詞の接辞化を文法的な角度と語彙的な角度を考え合わせ
ることによって、その過程と段階性をはっきりさせるところにある。
次の第二章では、まず先行研究を踏まえ、文法化と後項動詞の接辞化の関連を明
らかにし、その構成要素の辞書意味が合成動詞においてどのぐらい残っているかを
基準に、
「複合性動詞」と「派生性動詞」の二種類区分を試みる。続いて、寺村(1984)
の分類に従い、アスペクト指標のあるなしによって、本稿研究の後項動詞群の文法
化の段階性を考える上、
「~こむ」、
「~出す」
「~ぬく」等7つの重要後項動詞の文
法化の段階性及び意味変容の過程を詳しく考察する。
第三章では、第二章で論じた後項動詞の文法化の段階性に対して検証を行う。合
わせて、合成動詞の一般の意味構造から接辞化の原理を説明する。更に文脈との関
連から「多義的合成動詞」及び「両義的合成動詞」に関して、考察を行う。
第四章では、後項動詞の添加する意味や機能から先行研究に対照しながら、典型
的な後項動詞群を検出することにする。
おわりに、本稿のまとめと今後の課題について述べる。
本稿各章で触れている合成動詞は筆者が国立国語研究所の「複合動詞資料集」
(1987)8を参考に、日本語教育現場で使われている高学年用の日本語教材①上海
外国語大学編集の「日本語」第 5 冊~第 8 冊
②「高級日本語」
(吴侃 編集)③
日
本語能力試験 1 級に使われる読解資料や、また④bookshelf basic3.09の見出し語
を整理した「前項動詞リスト」と「後項動詞リスト」によるものである。各章で挙
げている例文はその都度、出所等を示してあり、必要に応じて作例を使うこともあ
ると断っておきたい。
8「複合動詞資料集」国立国語研究所
9
bookshelf basic3.0
1987 年
(C) & (P) 1987-2001 Microsoft Corporation
15
第二章
2-1
文法化と後項動詞接辞化の段階性
文法化とは
本稿で言う文法化とは、一部の語がだんだんと本来の意味から発展し、造語的に
または構文的に働く機能を持つようになる変化を表したものである。具体的言うと、
動詞や名詞など実質的な意味を持つ内容語(現代日本語では自立語と呼ばれている
もの)が助詞、接頭辞、接尾辞のような機能語へ変化していくということである(山
梨 1995)10。従来の研究の示しているように、後項動詞の接辞化の本質は動詞から
補助動詞化していく過程11である。
日本語の合成動詞は、色々な分類整理の仕方があるが、その構成要素の各動詞の
辞書的意味が合成動詞形成後も、どの程度生かされているかにより、大きく次の三
種類に分ける。
1) 合成動詞を構成する動詞のそれぞれの辞書的意味が生かされているもの。
「拾い上げる」「飛びこむ」「叩き壊す」
「飲み歩く」
(従来「語彙的複合動
詞」とされているもの)等がその例である。
2) 合成動詞の前半の動詞である前項動詞が接辞化して、後項動詞にある程度
の意味を添えるもの。例えば、「取り決める」「打ち語らう」「こみ上げる」
などである。
3) 後項動詞が単独で使われる意味が失われ、接辞化したもの。
「読みきる」
「騒
ぎ立てる」
「書き上げる」等における「~きる」
「~立てる」
「~あげる」等
がその例である。(「統語的複合動詞」の中で、後項動詞が補助動詞的要素
になったもの)。
本稿では、1)のグループを「複合性動詞」、2)、3)のグループを「派生性
動詞」と呼ぶ。2)グループの前項動詞が接辞化されたもので、後項動詞文法化
というカテゴリーとは、直接関係がないので、ここでは考察の対象としないこと
にする。
3)グループの研究として、寺村(1984)が、構文論の立場から、アスペクト
10田辺和子「日本語の複合動詞の後項動詞に見る文法化」
『日本女子大学
紀要』1996 年p1
11文法化は言語学の用語で、日本語学の研究においての接辞化や補助動詞化とほぼ同じ意味で
あると本稿で捉えている。
16