鉄鋼材料の大気腐食とさび構造

第 9 回日本非破壊検査工業会技術討論会特別講演論文
2013 年 7 月 12 日
北九州
鉄鋼材料の大気腐食とさび構造
株式会社京都マテリアルズ *
山下正人**,花木宏修**,橋本 敏***
1.鉄がさびるということ
「身から出たさび」
.古くから何かと悪い結果の代名詞として使われる”さび”.さびる材料の代
表格は鉄である.銅など他の金属でもさびるのであるが,銅のさびである緑青などはその色調から
むしろ好まれる場合が多い.したがって,一般にさび(Rust)とは鉄鋼材料のさびを言う.
鉄鋼材料は,強靭で加工性,耐熱性に優れ,しかも地球上に大量に存在し安価であるなど素材と
して優れている.しかしながら,金属鉄は自然界で安定に存在する酸化鉄を還元して人工的に得る
ために,地球をおおう大気環境中では熱力学的に不安定であり,容易に酸化物に還る.これが”さ
びる”ことであり,さびはわれわれの生息環境中の水および酸素(空気)と鉄の腐食反応生成物で
ある.鉄から代表的なさびであるオキシ水酸化鉄(FeOOH)へとさびる過程の自由エネルギ変化は,
鉄鋼中の各種固相反応の駆動力に比べてはるかに大きい1)ことから,鉄は水と酸化剤が共存する環
境中ではきわめてさびやすいことがわかる.
種々のさび物質を表1に示す.さびの発生原因となる腐食現象は,金属結合内原子が電解質水
溶液を媒体としてイオン化し溶媒和するアノ-ド溶解反応(電子放出酸化反応)と,酸化剤(通常
溶存酸素と水素イオン)のカソ-ド還元反応(電子受容反応)が,カップルして進行する電気化学
的酸化反応(局部電池反応)として理解することができる.すなわち,
Fe→Fe2+aq+2e-
(1)
2H++2e-→H2
(2)
1/2O2+H2O+2e-→2OH-
(3)
酸性水溶液(pH<4)中では,反応(1)と(2)が組み合わされた水素発生型腐食が進行するが,酸性域で
の腐食生成物の溶解度は大きいので一般には沈殿被膜を生じ難い.弱酸性~中性~アルカリ性水溶
液中では,反応(1)と(3)が組み合わされ,鉄表面への酸素拡散に律速された酸素還元型腐食が進行し
てさびを生じる.すなわち,溶出した水和第一鉄イオン Fe2+aq は,加水分解,溶存酸素による酸化
と環境中に共存する各種腐食性化学種の影響を受けながら,表1に示す反応中間体水酸化物である
表1 種々のさび構成鉄酸化物
*:〒615-8245 京都市西京区御陵大原 1-39 京大桂ベンチャープラザ南館 2102
**:前 兵庫県立大学准教授,***:大阪市立大学名誉教授
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Fe(OH)2,緑さびⅠ,緑さびⅡやオキシ水酸化鉄,酸化鉄などからなるコロイドおよび沈殿物を生
成するので,鉄表面はしだいにそれらの腐食生成物で覆われてさび層を形成する.常温,大気環境中
で一般に認められる鉄鋼の主要結晶性さび成分は,α-FeOOH(ゲ-サイト),β-FeOOH(アカガナ
イト),γ-FeOOH(レピドクロサイト)の3種類のオキシ水酸化鉄と酸化鉄 Fe3O4(マグネタイト)
である.アカガナイトは,Cl を含有することにより構造的に安定となるため,海岸地帯などの塩分
が多量に飛来する環境においてその存在が認められる.その他に非晶質さびが存在する.オキシ水
酸化鉄の異性体のなかでも熱力学的安定性は異なり,α相であるゲ-サイトが最も安定である.
自由エネルギの高い不安定な状態にある金属鉄がさびる過程は極めて自然な現象であり,古代に
作られた種々の鉄器が数千年もの歳月を経てすべてさびに変わることもよく認められる.しかし,
水分または酸素の少ない環境中に保存されていた場合や,腐食性のある環境でも金属鉄表面に生成
したさびが環境を遮断し防食性があれば数千年もの長期間でさえ鉄は保護される事例がある 2).腐
食反応が進行しさびが生成するのは金属の表面であり,したがって表面科学的観点からさびをうま
く制御し,さびに保護性を持たせることが工学的にも重要であり,これはさびによる Homeopathy
(同種療法)
筆者ら
3)である.
4)- 6)は,耐大気腐食性に優れた耐候性鋼を
0.5~26 年間にわたって工業地帯および田園地
帯の大気中に暴露し,さび層を構成する主要物質をX線回折法により調べた結果,いずれの暴露期
間においてもさび層の主要な結晶性構成物質はゲ-サイトおよびレピドクロサイトであり,マグネ
タイトがわずかに存在することを明らかにした.ゲ-サイト, レピドクロサイト, 非晶質さび物質そ
れぞれの質量割合の長期経
年変化に注目すると,図 1
に示すように,暴露開始から
2~3年の初期にはレピド
クロサイトが多く,数年~10
年の暴露期間では非晶質さ
び物質の量が多くなり,さら
に 10~20 年以上の長期暴露
によりゲ-サイトが主成分
となることがわかる.長期間
にわたり,あたかも生物が成
長するように,さびはゆっく
りと相変化する.
図1 さび層の長期相変化
2.耐候性鋼の保護性さび層
耐候性鋼は,Cr,Cu,P,Ni などの大気腐食抑制元素を少量含有する低合金鋼である.普通鋼の約 2
倍以上の大気腐食抵抗性を有しており 7),大気腐食環境中で無塗装で使える耐候性構造用材料とし
て広く用いられている.耐候性鋼は大気中で長期間使用するあいだに,表面に保護性さび層を形成
して耐候性が向上するため,塗装などのメンテナンスが最小になり,特に長期的観点から塗装に要
する人件費を含む膨大な保守管理コストの削減が可能となるメリットを有する.
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このさび層は,外層および内層の二層構造を有しており,防食性を発現する保護性さび層は微細
なさび粒子が緻密に凝集した内層であり,鋼表面に到達している微細き裂もほとんどないことが観
察されている.赤外吸収スペクトル測定および顕微レーザーラマン分光法を用いて,内層と外層を
区別して調べると,緻密な内層は主としてゲ-サイト(α-FeOOH)型構造さびからなる
4), 5).これ
は,前述したさび構成物質の長期経年変化か
らも理解できる.さらに,ゲ-サイトから構
成される内層では,Cr が含有された微細な
α-(Fe1-X,CrX)OOH すなわち"Cr ゲ-サイ
ト"からなる緻密なさび層が保護性さび層の
実体である 6).内層の保護性さび層がゲ-サ
イト構造を有することは,米国においてもメ
スバウアスペクトルの解析などから確認さ
れており,特に微細な結晶から構成されるこ
とも指摘されている
8), 9).
保護性さび層について[鋼/安定さび]界
面からの距離(Δd)を変えながらラマンスペクトル
を測定した例
10)を図2に示す.外層ではレ
ピドクロサイトの存在を示す 259cm-1の特
性ピ-クが明確に認められる.一方,内層では
測定点すなわちΔdによりスペクトルの形態お
よび Cr 量が連続的に変化している.[内層/
外層]界面に近い位置(図中 e)で最も強い
図2 保護性さび層のレーザーラマン分光スペクトル
395cm-1 のゲ-サイトの特性ピ-クを示し,
[鋼/保護性さび]界面に近づくにつれてこ
の特性ピ-ク強度は低下する.このことは,Cr
ゲ-サイトの結晶粒径が界面に近づくほど
さらに微細になることを示している.すなわ
ち,保護性さび層は Cr 量が界面に近づくに
つれ増加する傾斜組成を有し,界面に近いほ
どより微細な Cr ゲ-サイトが緻密に凝集し
防食性が向上していると考えられる.さらに,
Cr ゲ-サイト中の Cr 量が増加すると,図
3
図3 Cr ゲーサイトのイオン選択透過性
10)に示すようにイオン選択特性がアニオ
ン透過性からカチオン透過性に変化する.こ
の性質は,塩分飛来環境で耐候性鋼を使用す
る場合に特に意義のある防食機能である.す
なわち,保護性さび層において,鋼との界面
に近づくにつれて Cr 量が増加するにともな
い,より微細で緻密な防食さび層となるとと
もに,Cl-等の腐食性アニオンの透過を抑制
図4 保護性さび層の構造
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する効果
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11)
が大きくなる.
Cr ゲ-サイトと鋼の界面には,極めて薄い Fe3O4層が存在していることが最近明かになった.こ
の Fe3O4薄層は保護性さび層と鋼の中間原子価(Intermediate-Valence)を有しており,
界面(Interface)において両者に隣接した薄層(Thin Adjacent Layer)としてさびと鋼の密着性を向上さ
せていると考えられることから,著者らは IN-VITAL(INtermediate-Valence Interface Thin Adjacent
Layer)と呼んで表示した.前述の大気腐食抑制さび層構造において, いわば鉄が大気環境と反応し
酸化物に還る活力(Vital)を無くした(In;無を意味する接頭語)結果,生成したと理解されよう.最終
保護性さび層の模式図を図4
10)に示す.IN-VITAL
の存在は,耐候性を担う Cr ゲ-サイト内層を
支えている.
3.放射光によるさび構造解析
近年,様々な分野で用いられる金属材料の耐食性を論じる上で,ナノメートルオーダーの構造や
原子配列がますます重要視されつつある.このような微細構造を理解することは,将来の腐食研究
の進歩および耐食材料開発のカギになると言っても過言ではない.一方,我が国では SPring-8 や
Photon Factory などの世界をリードする大型放射光施設が稼働しており,高輝度で X 線から赤外線
までの広い波長領域を含み指向性・安定性の高い世界最高性能の放射光が,物質の分析や反応の解
明,超微細加工など,材料科学・地球科学・生命科学・医療等の様々な分野の研究の新しい手段と
して活用され始めている.放射光を腐食科学分野へ活用することにより,さび層や不働態皮膜の詳
細構造解析あるいは材料と環境の相互作用の観察などが期待できる.
腐食研究において放射光を活用した例はまだ少ないが,不働態皮膜や腐食生成物すなわち金属・
合金表面に形成する酸化物層の生成プロセス解明や構造解析に放射光が利用されていることが比較
的多いと思われる 12).これは,金属の腐食挙動に表面の酸化物層が大きな影響を及ぼすため,研究
課題として取り上げられる機会が多いことが一因であろう.しかしながら,本質的には酸化物層を
構成する元素の酸化状態や原子配列などの微細構造(ナノ構造)を理解することが,金属の腐食挙
動解明に大きな手がかりとなるため,その手段として放射光の利用が活発化しはじめていると言え
る.
酸化物層は一般に複雑な構造を有し極めて微細な結晶から構成される微量物質である場合が多く,
その構造を理解するためには汎用の分析機器では限界がある.また,水溶液下で進行する腐食反応
をその場でとらえることも通常の実験室系の装置では一般に難しい.一方,エネルギーを任意に変
化させることができる(あるいは幅広い波長範囲を含む)高輝度・高指向性の放射光を活用するこ
とにより,酸化物層の構造を原子レベルで解明することや,反応過程をその場でとらえることが可
能となる.
筆者らは鉄鋼材料の大気腐食生成物すなわちさび層に関し,その防食性(保護性)とさび層のナ
ノ構造の関連を,大型放射光施設を利用したX線回折(X-ray Diffraction;XRD)やX線吸収微細構造
(X-ray Absorption Fine Structure;XAFS)解析により明らかにすることを試みている 12).ここでは,耐
大気腐食性に優れた耐候性鋼に主要合金元素として少量添加される Cr が,さび層の微細構造および
保護性に及ぼす影響の解明を試みた結果を紹介する.
対象試料は大別して二種類である.一つは大気腐食を模擬した水溶液薄膜下の腐食により生成し
た Fe-5at%Cr 合金薄膜のさび層であり,他方は長期間大気腐食により生成した耐候性鋼保護性さび
層である.これらは初期および長期の大気腐食により生成したさび層としてそれぞれ位置づけられ,
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それらのナノ構造に及ぼす Cr の影響を調査した.それぞれのさび層生成条件は以下の通りである.
a) Fe-Cr 合金薄膜さび層
100nm 厚さの Fe-5at%Cr 合金薄膜を Si(100)単結晶基板上に蒸着し試験片とした.この試験片表面
を,厚さ 100μm の(0.1mol/l Na2SO4+5×10-5mol/l H2SO4)水溶液膜で 200h 覆うことにより,
Fe-Cr 合金薄膜を全て腐食させ得られたさび層を試料とした.
b) 耐候性鋼保護性さび層
四 日 市 市 の 四 日 市 高 架 橋 の 桁 下 ( 飛 来 塩 分 量 0.041mgNaCl/100cm2/day , 亜 硫 酸 ガ ス 量
0.109mgSO3/100cm2/day)において水平に設置し 17 年間大気暴露試験を行った 100mmw×150mml×
8mmt の溶接構造用耐候性鋼板を試験片とした.この試験片については,暴露試験前後の重量変化よ
り腐食速度が求められており,表面のさび層が保護性を有していることが認められている.この試
験片の対空面のさび層を,鋼面に達するまで注意深くカッターナイフで削り落とし粉末に粉砕した
ものを試料とした.
これらの試料について,XRD および XAFS 解析を行った.Si 基板上に生成した Fe-Cr 合金薄膜の
さび層について汎用の XRD 装置で 2θ-θ対称ブラッグ反射法を用いると,さび層厚さよりX線進
入深さが大きいため Si 基板からの強いブラッグ反射(400)が混入する.これを避けるため放射光を利
用した微小角入射条件下での XRD 測定を行った.X線の平行性が高いため,放射光の利用は微小
角入射 XRD 測定に有利である.
XRD 測定は SPring-8 の BL09XU(図5(a))で行った.光源は SPring-8 標準型挿入光源の真空封
止型アンジュレータである.Si(111)を用いた二結晶分光器を用いて,MoKα1 に相当する波長 0.7093
Åの単色 X 線を用い入射角 0.05°で,
検出器のみステップ走査することにより非対称反射法で XRD
スペクトルを測定した.検出器にはシンチレーションカウンターを使用した.
X 線吸収分光法(X-ray Absorption Spectroscopy, XAS)は,物質中のある元素の吸収端近傍における
その物質の X 線吸収係数のエネルギー依存性から,吸収元素の電子状態やその周囲の局所構造に関
する情報を取得する実験手段である.内殻電子励起に伴う X 線吸収スペクトルは,内殻準位で急激
に立ち上がった後,エネルギーと共に緩やかに減衰する成分に,吸収端付近では大きな強度変化や
ピーク構造が,エネルギーの高い領域では小さく緩やかな振動成分が重なる.XAFS と呼ばれるこ
のようなスペクトル構造は,吸収端から数 10eV 上までの部分と,そこからさらに 1000eV ほど高エ
ネルギー側までの,振動構造の原因や解析方法が異なる2つ部分に分類される.前者は XANES
(X-ray Absorption Near Edge Structure)と呼ばれ,内殻電子が原子内の高エネルギーの束縛状態やイ
オン化準位のすぐ上の準連続状態に遷移することで生じる.後者は EXAFS(Extended X-ray
Absorption Fine Structure)と呼ばれ,X 線のエネルギーを吸収した内殻電子が光電子として原子から
飛び出した後,周辺の他の原子の散乱を受けて元の吸収原子に戻ってくる確率があるために遷移モ
ーメントが変調されて微細構造を生じる.EXAFS ではフーリエ変換を基本とした一連の解析手法が
確立されている.実測した吸収係数μ(E)(E は入射 X 線のエネルギー)からバックグラウンドμs
(E)を引いて EXAFS 振動χ(E)を抽出するが,μs(E)には孤立原子が示す滑らかな成分が含ま
れる.通常はμs(E)を独立に求めるようなことはせず,μ(E)をスプライン法などによって数値
解析的に処理することでバックグラウンド除去が行われる.1吸収原子あたりの EXAFS 振動を求
めるには,これを吸収端でのジャンプμ0 で規格化する.
χ(E) = (μ(E)- μs(E)) / μ0
(4)
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入射 X 線エネルギーE を光電子の波数 k に変換するには,やはりμ(E)から吸収端のエネルギーE0
を最適化した上で次の式によって行う.
k = {2m(E-E0)/ η2 }1/2
(5)
ここで,m は電子の静止質量,ηはプランク定数/2πである.
EXAFS 振動χ(k)は sin 関数の和の形を持つので,これをフーリ
エ変換した動径構造関数は吸収原子と他の原子との間の距離に
対応するところにピークを示す.一方の XANES の解析手法はま
だ発展段階にあり,現状では構造や電子状態が既知の試料の
XANES パターンとの比較によって議論を進める場合が多い.
XAFS 測定は Photon Factory の偏向電磁石を光源とした BL27B
(図5(b))で行った.光源で発生した連続スペクトルを持つ放
射光を二結晶分光器によって単色化し XAFS スペクトル測定に
用いた.二結晶分光器のステッピング駆動でエネルギーを変え
ながら吸収係数のエネルギー依存性を記録する.なお,Fe につ
いては透過法で,含有量の少ない Cr については蛍光法で吸収係
数を記録し XAFS スペクトルを測定した.
初期腐食により形成したと考えられる Fe-Cr 合金薄膜のさび
層では,図6に示すようにγ-FeOOH 構造を示す XRD ピ-クが
図5 SPring-8 の BL09XU(a),
認められた.これまで,Cr を含有する耐候性鋼のさび層は,長
Photon Factory の BL27B(b)
期にわたる大気腐食過程で初期のγ 化すると考えられている.今回の Fe-Cr
合金薄膜のさび層がγ-FeOOH 構造を含
むことは,耐候性鋼の長期相変化過程の
初期段階に対応していると考えられる.
Intensity (a.u.)
FeOOH 構造からゲーサイト構造へと変
しかしながら,このさび層についてメス
バウアスペクトルを測定した結果,さび
5
層には XRD ではピークを示さない Cr
10
15
20
25
30
35
2θ / degree
を含有するゲーサイトの超微細結晶(超
図6
微細 Cr ゲーサイト)から構成されるX
全てのピークはγ-FeOOH(JCPDS441415)のピークに該当
線的非晶質物質が多量に含まれているこ
する.
とが明らかとなった
13).すなわち,Fe-Cr
Fe-5mass%Cr 合金さび層のX線回折スペクトル.
合金薄膜さび層は超微細 Cr ゲーサイトおよびγ-FeOOH
から構成されており,Cr はゲーサイト相に含まれていると考えられる.耐候性鋼さび層についても,
XRD およびメスバウアスペクトル測定より,Fe-Cr 合金薄膜のさび層と同様に超微細 Cr ゲーサイト
が主体であることが明らかとなった.
ゲーサイト構造では Fe3+を 3 個の O2-と 3 個の OH-が取り囲んだ FeO3(OH)3 の八面体のユニットが
ネットワーク状に配置している.
隣り合う八面体が互いに稜共有することで連結して二重鎖ができ,
さらにそれらが頂点共有することで斜方晶の三次元ネットワークが構成される.したがってゲーサ
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イト構造中には八面体二
の二重鎖が交互に並んで
いる.この構造の中で Cr
が存在し得るサイトとし
て,八面体中心に位置する
Fe のサイト(置換サイト)
R us t l a y er of w ea theri ng s teel
1.2
Absorption (a.u.)
同じ大きさの空孔サイト
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1.4
重鎖と(水素イオンの存在
を無視すれば)それとほぼ
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R us t l a y er of 10%Cr-g oethi te
1
0.8
R us t l a y er of 3%Cr-g oethi te
3%Cr-goethite
0.6
0.4
か,八面体ユニットのネッ
0.2
トワークの空孔サイト(侵
0
入サイト)の2カ所が考え
R us t l a y er of F e-5%Cr
5.9
5.7
5.5
られる.
図7に Cr の K 吸収端近
6.3
6.1
6.5
Energy, E /keV
6.9
6.7
7.1
図7 各種さび物質における Cr K 吸収端近傍の吸収係数の
傍の吸収係数のエネルギー
エネルギー依存性
依存性を示す.比較のた
めに人工的に育成した 3%, 10%Cr ゲーサイトの結果も示す.耐候性鋼さび層の場合,6.55keV 近傍
に Mn による吸収端が認められ,Mn を含有した鋼材のさびであることがわかる.Mn の吸収端の有
無を除くと,いずれのスペクトルにも大きな差異は認められない.このことから,大気暴露した耐
候性鋼さび層と実験室的に生成した Fe-Cr 合金薄膜さび層を構成する Cr ゲーサイト中の Cr 周辺の
局所構造は同様であり,いずれの場合も人工的に育成した Cr ゲーサイトのそれと良く一致すると言
える.
この吸収係数のエネルギー依存性から,EXAFS 振動χ(k)を抽出し,フーリエ変換により注目す
る原子周辺の原子分布が反映される動径分布関数を求める.
実際には高波数での振動振幅の減衰
(~
1/k3)を補うために k3χ(k)をフーリエ変換している.図8にさび層の Cr 周辺の動径分布関数を示
電子の波動関数が散乱
過程で受ける位相シフ
トの影響を補正してお
らず,そのため動径分布
関数のピーク位置は実
際の原子間距離に比べ
て約 0.06nm ほど短距離
側に現れている.
いずれのスペクトル
も図中の 0.15nm 付近に
大きなピークが認めら
れる.これは,Cr ある
いは Fe に配位した最近
接の O であると考えら
FT Magnitude, FT[K3・χ (k)] (a.u.)
す.比較のために人工的に育成した 3%Cr ゲーサイトの Fe 周辺の動径分布関数も示す.ここでは光
Rust layer of 3%Cr-goethite
Rust layer of weathering steel
Rust layer of Fe-5%Cr
0
1
2
3
4
5
-1
Radial Distance / ×10 nm
図8 各種さび物質の Cr 周辺の動径分布関数
6
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れる.Fe はゲーサイト構造を構成する FeO3(OH)3 八面体の中心に存在しているため,この Fe に対
し最近接の O は八面体の頂点に存在する O である.この八面体は規則的に配列しネットワークを構
成しているため,八面体の中心の Fe 同志の距離は特定の値となる.この距離が人工育成 Cr ゲーサ
イトの Fe 周辺の動径分布関数に認められる 0.25 および 0.3nm 付近のダブルピークの位置に一致し
ている.
一方,Fe-Cr 合金膜のさび層および耐候性鋼のさび層の Cr 周辺の動径分布関数では,このダブル
ピークの強度が低い.すなわち,Cr とその周辺の Fe の位置関係の相関が低いことを示しており,
Fe を置換して存在する Cr(置換サイトにある Cr)はほとんどないと考えられる.したがって Cr ゲ
ーサイト中の大部分の Cr は Fe と置換して八面体の中心に位置するというよりは,空孔位置に入っ
て第 2 近接以遠の原子と特定の距離をとらず,ゲーサイトに乱れた構造を与えると考えられる.
このような XAFS 解析により,さび層を主に構成する保護性の高い Cr ゲーサイト中の Cr の存在
位置を考察する上で,以下のことが考えられる.
a) Cr は O と結合して存在している.
b) Fe を置換して FeO3(OH)3 八面体の中央すなわち置換サイトに存在する Cr は多くない.
これらのことは,大部分の
Cr が O と結合し八面体ネット
3-2x
CrO x
Cr
ワークの隙間である侵入サイ
O
トに存在していることを示す.
前述の Cr ゲーサイトの保護
Fe
機能の中で,カチオン選択性
はゲーサイト中に負の固定電
荷が形成されることで発現す
ると考えられる.したがって,
Cr が侵入サイトに存在し負の
H
電荷を帯びていると考えると
このカチオン選択性を解釈で
図9 Cr ゲーサイトのナノ構造の2次元モデル
きる.そのためには,Cr が複
数の O と結合し CrOX3-2X のアニオンを形成すると考える. これらのことから検討したさび層中の
超微細 Cr ゲーサイトのナノ構造の2次元モデルを,図9に示す.CrOX3-2X は,結晶表面あるいは結
晶粒界の同等な箇所に位置すると考えることが最も合理的である.
以上のことより,さび層の保護性を担うと考えられる超微細 Cr ゲーサイトのナノ構造は,表面あ
るいは結晶粒界に CrOX3-2X が吸着した限られた数の八面体で構成される超微細結晶であると考えら
れる.
Cr ゲーサイト中の Cr の存在位置をより明確にするためには,実験的手法に加えシミュレーショ
ンを用いることが有効であると考えられることから,
さらに分子動力学法により Cr ゲーサイトの構
造中における Cr の存在位置を解明した.原子の挙動を解析するには,ポテンシャル関数から原子間
の相互作用力を求めるのが一般的である.本稿ではこれらのポテンシャル関数に MEAM および第
一原理法を用いた.
図 10 に Cr 周辺,図 11 に Fe 周辺の電子密度分布を示す.図 10 より,表面に吸着した Cr は近
傍にある O と非常に強く結合していることが分かる.Cr-O 間の結合の強さは,Cr が他のサイトに
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ある場合に比べ非常に強くなっていた.しか
し図 11 より,その影響は周辺の Fe-O 間の結
合にはほとんど生じていないことが分かる.
Cr と結合している O は,表面に存在するた
め八面体間のネットワーク形成に用いる電
子を余分に有していた.その余分な電子を
Cr との結合に用いたため,周辺との結合を
弱めずに Cr と強く結合することができたと
考えられる.すなわち,ゲーサイトの微細化
による保護機能の向上には次のような仮説
が考えられる.まず,クラスターとして存在
図 10 Cr ゲーサイトの Cr 周辺の電子密度分布
するゲーサイトの隙間に Cr が侵入して,ネ
ットワークを破壊する.そしてネットワーク
の崩壊により析出した Cr は,八面体中の O
と結合して表面に現れ,環境中の酸素と結合
して CrO2-を形成する.その結果ゲーサイト
は微細化し,形成された CrO2-によりカチオ
ン選択性を発現すると考えられる.
以上のことより,Cr ゲーサイトのナノ構
造は,実験的に得られたような,表面あるい
は結晶粒界に CrOX3-2X が吸着した限られた
数の八面体で構成される超微細結晶である
ことが,このシミュレーションからも支持さ
れる.
図 11 Cr ゲーサイトの Fe 周辺の電子密度分布
4.さび構造による防食性検査とさびの Homeopathy
日本においては 1960 年代以来,多く建設されてきた社会基盤構造物の大きな資産が,今日維持管
理の時代を迎えている.上述のように,さび層の防食性にはその構造的特徴が反映されることが明
らかとなったが,その知見を社会基盤鋼構造物のさびに適用し,維持管理における防食性評価に適
用することは,鋼構造物の状態を適切に検査する上で,有効であると考えられる.
著者ら 14, 15)は,さび層の XRD によって求めた結晶さび組成の経時変化を明らかにし,耐候性鋼
を例にして生成するさび層の組成を用いた保護性指標(Protective Ability Index, PAI)を研究してきた.
前述したように,ゲ-サイト, レピドクロサイト, 非晶質さび物質それぞれの質量割合の長期経年
変化に注目すると,暴露開始から2~3年の初期に生成するレピドクロサイトは,長期間にわたり
ゆっくりと相変化し,10~20 年以上の長期暴露によりゲ-サイトが主成分となることを指摘したが,
活性なさびであるγ-FeOOH, β-FeOOH, Fe3O4 (Fe と O の量比は必ずしも化学量論的とは限らない
場合がある) とα-FeOOH の質量比であるα/γ*=α-FeOOH の γ*に対する質量比,γ*=γ-FeOOH の
質量+β-FeOOH の質量+Fe3O4 の質量)が PAI としての役割を果たすと考えられる.以下に,実橋梁
さび層の調査を通じ,PAI の有効性について述べる.
調査橋梁は,田園地帯(Rural),山間部(Mountain),海岸地帯(Coastal)を含む多様な環境に位置し,
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1.5-20 年にわたるさまざまな期間を経過した 21 橋梁を選定した.桁の材料は JIS G 3144 の耐候性
鋼である.XRD によるさび組成の定量分析は,内部標準法によって行った.α/γ*と鋼材の腐食速
度の関係を図 12 に示す.
図 12 α/γ*と鋼材の腐食速度の関係
図からα/γ*が1より大の場合,保護性さびの閥値 0.01mm/ y より大きい腐食速度は観察されなかっ
た.α/γ*が1より小であれば腐食速度は広範囲にばらつき,0.01mm/ y より大きい腐食速度も小さ
い腐食速度も同様に観察された.
これらのことから,
図 12 中のプロットの存在する領域を図中の I,
II,III に分類できる.
α/γ*< 1: 腐食速度が 0.01mm/ y より大なる領域を I, 腐食速度が 0.01mm/ y より小なる領域を II
α/γ*> 1: 腐食速度が 0.01mm/ y より高くない領域を III
以上のように,α/γ*が1より大の場合にはさび層が保護性を有することが明らかになったが,α
/γ*が1より小の場合に腐食速度が広くばらつくことは注目すべきである.この点において,α/γ*
の内容をさらに吟味する必要がある.既に述べたように γ*は次に示すように電気化学的に活性なさ
び相の合計質量である.
γ*=γ-FeOOH の質量+β-FeOOH の質量+Fe3O4 の質量
(6)
β-FeOOH は高飛来塩分環境の場合に生成する特徴的なさび組成成分であり,還元されやすく,腐
食を加速すると考えられている
るため
18),β-FeOOH
16, 17).また同様の環境下で,Fe O
3 4
はβ-FeOOH の還元の結果生じ
と共存することが多く,その高い電導性はウェットなさびにおける酸化還元
反応に関与し,腐食を加速するといわれる 19, 20).したがって,高飛来塩分環境においては,より活
性なさび相の合計質量である(β+S)= β-FeOOH の質量+Fe3O4 の質量(Fe3O4 中の Fe と O の量比は
必ずしも化学量論的とは限らないため,逆スピネル構造の特徴から S(スピネル)と表記)は,全活
性さび量を示す γ*の中のγ-FeOOH の質量とは区別すべきである.この区別をしないために,図 12
中で示したように腐食速度とα/γ*の相関が,α/γ*< 1 の領域で明瞭にならないと考えられる.
そこで,ここに追加指標としての(β+S)/ γ*を定義する.α/γ*が1より小の場合における橋梁さ
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び層の(β+S)/ γ*と腐食速度の関係を図
13(a)に示す.図から,腐食速度は(β+
S)/ γ*に依存することがわかる.(β+S)/
γ*がほぼ 0.5 より小な場合,すなわち(β
+S)が γ*の半分以下の場合には,腐食速
度は 0.01mm/y を超えない.一方,(β+
S)/ γ*がほぼ 0.5 より大な場合には腐食
速度はほぼ 0.01mm/y より高い値を示す.
これに対して,
図 13 (b)に示すようにα/γ
*
が1より大の場合には腐食速度は(β
+S)/ γ*にかかわらず保護性さび層のし
きい値 0.01mm/y を超えない.前者はα/γ
*
が1より小の場合における腐食速度の
評価に(β+S)/ γ*が不可欠な因子である
ことを示唆している.後者はα/γ *が1
より大なることが保護性さび層の条件
として十分であることを改めて示すも
のである.このような,さび構造による
防食性評価方法が,構造物の検査手法の
一助として活用されることを期待する.
以上述べてきたように,さび構造と腐
図 13 (β+S)/ γ*と鋼材の腐食速度の関係
食速度が相関を有することに注目すると,
さび構造を制御することが可能であれば,
さび層を活用した防食技術を実現するこ
とが可能になる.著者らは,図 14 に示す
その場観察腐食セルを用いて,鋼材表面
に種々のイオン種を添加しながら
SPring-8 放射光によりさび構造に及ぼす
イオン種の影響を研究し 21),実用鋼材に
対しさび構造を制御し防食性を付与する
表面処理剤(Pat!naLock®)を開発した
22).
図 15 にこの表面処理剤適用有無の鋼板
の大気暴露後の外観を示す.表面処理に
より黒褐色の防食さび層が形成され,図
16 に示すように鋼板の腐食速度を低く抑
えられることが明らかとなった.著者ら
は,このようなさび構造の制御による防
食性付与機構を,さびの Homeopathy(さび
による同種療法) 3)と呼び,社会基盤鋼構
造物に適用したいと考える.
図 14 その場観察腐食セル
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図 15 表面処理剤適用有無の鋼板の
図 16 表面処理剤適用有無の鋼板の
大気暴露後の外観
腐食量と大気暴露期間の関係
5.まとめ
本稿では,著者らがこれまでに研究を進めてきた,鉄鋼材料のさび構造とその物理化学的特性に
ついて紹介した。さびに関するわが国の研究は国際的にみても活発に行われてきており,鉄鋼表面
に形成されるさび層の構造と防食機能について多くのことが明らかにされてきた 23).21 世紀に入り,
大量生産・大量消費の時代から環境に配慮しながらものを大切にする成熟期に社会が入っている.
さびをもってさびを制すさびの Homeopathy や,さび構造と防食性に関する知見を活用し,構造物
の検査・管理・保守に関する新たな技術が確立されることを期待する.
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