イラク戦争以後のメディアのあり方 -ニューヨーク・タイムズの

イラク戦争以後のメディアのあり方
-ニューヨーク・タイムズの党派性を通して東京大学法学部第二類
伊藤
浩樹
目次
1.
はじめに
2.
ニューヨーク・タイムズの報道姿勢
2.1 大量破壊兵器報道について
2.2 イラク戦争後の報道
3.
ニューヨーク・タイムズの党派性―メディア監視団体との関係
3.1.FAIRの評価
3.2. AIMの評価
4.
ニューヨーク・タイムズのバイアスとその影響
5.
最後に―イラク戦争以後のジャーナリズムについて―
1. はじめに
マス・メディアは民主政治に不可欠な手段であり、政策決定過程においてきわめて大き
な影響力を発揮している。特に昨今新聞・テレビに加えインターネットが普及する中で、
メディアは一般市民により一層近付いているという点においても、マス・メディアによる
報道の威力は計り知れないものがある。それ故各マス・メディアがある事件に関していか
なる報道をするのかは注目されるべき問題である。
アメリカの政治文化においては、メディアの報道の公平さを求め、メディアの報道を監
視し、その正確さやジャーナリズムとしての倫理の遵守、あるいは政治的なバイアスをチ
ェックしようとするメディア監視団体が存在する。アメリカ・メディアにおいては意見の
多元性が保証されており、その裏返しとして、こうしたメディア監視団体からのジャーナ
リズムへの批判は非常に頻繁に行われている訳であるが、そうした批判は勿論、批判の対
象となる記事自体も各メディア・各メディア監視団体のイデオロギー、党派性なるものに
基づいたものである事が多い。それではその党派性は現代のアメリカにいかなる影響を及
ぼしているのだろうか。中でも、エリート層を読者ターゲットとしたクオリティー・ペー
パー(高級紙)であるニューヨーク・タイムズは、アメリカ合衆国において発行部数の上
では大衆紙である USA トゥデイ、経済紙であるウォールストリート・ジャーナルなどの後
塵を拝するものの、世界的に著名な新聞である。そのため各メディアの党派性の中でも、
ニューヨーク・タイムズの党派性・報道姿勢の影響力は無視できない存在であろう。
2003 年に起きたイラク戦争においては、新聞・テレビメディアにより戦場の悲惨を世に
訴えるネガティブな報道が多かったため、メディアの戦争報道の方向性についてブッシュ
政権はかなりの苦慮を強いられた1。一方でジャーナリズムは、ときに率先して好戦論を喚
起し、戦火に油を注ぐようなポジティブな役割も担ってきた2。戦争報道特有の奇妙に歪ん
だ構図は非常に興味深いものがあり、更にはベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争を経
て戦争報道のあり方が変わる中、同様にジャーナリズムのあり方そのものにも変化が生じ
てきているように思える。
そこで本稿ではイラク戦争報道におけるニューヨーク・タイムズの党派性を他紙報道・
メディア監視団体からの批判を通して相対的に論じ、最終的にはイラク戦争以後のジャー
ナリズムのあり方を考察してみたい。
論文の流れは以下の通りである。
まず、最初にニューヨーク・タイムズの報道の変遷について、2 ではイラク戦争について
の長期にわたってみた報道姿勢について、2.1 では 2004 年4月 26 日付の謝罪報道を中心に
大量破壊兵器報道について、2.2 では NSA(National Security Agency:国家安全保障局)
についての報道等を中心にイラク戦争後の報道について、それぞれ焦点をあて説明したい。
次に、ニューヨーク・タイムズがそうした一連の報道において、3 でメディア監視団体か
ら見てどのような位置関係にあったのか、4 で世論との関係でどういう位置関係にあったの
かを考察する。そして最後に、5 でニューヨーク・タイムズの党派性についてまとめ論じる
中で、これからのジャーナリズム、特に新聞メディアのあり方について考えを記したい。
2. ニューヨーク・タイムズの報道姿勢
2003年3月19日に始まったイラク戦争において、ニューヨーク・タイムズはどのような報
道をしたのか。ここでは、Michael O’HanlonとNina Kampの行った調査を参考にしたい。
彼らは、見出しが記事の内容を忠実に再現しているかもしくは、少なくとも新聞記事にお
いて見出しの論調は記事内容の論調以上に影響力を持つと考え、ニューヨーク・タイムズ、
Michael O’hanlon and Nina Kamp, ”Is the Media Being Fair in Iraq?” The Washington Quarterly
(Autumn 2006) , Vol. 29, No. 4:p. 7
2 Robert W. McChesney, “Telling the truth at a moment of truth: US news media and the invasion and
occupation of Iraq” Socialist Register 2006: Telling the Truth(Merlin:2006)
1
ウォールストリート・ジャーナル、NBCニュースのイラク戦争に関する記事を一定の時期
においてリストアップし、その見出しの論調がイラク戦争に肯定的(positive)であるか、
否定的(negative)であるか、中立(neutral)であるかを記録した3。例えば、ここではイ
ラク人の市民、米国軍に対する暴動行為、不正、または経済政策の失敗に関する記事は
negativeであるとされ、病院の建設計画の完成やイラク人の有権者高投票率に関する記事は
positiveであると考えられている。この手法は、評価基準と比較対象を上記の3社に限定し
た理由が不明瞭、そしてある事件に関して報道しないというバイアスについての指摘がな
いという難点があるものの、長期的に見た報道傾向についての分析の一つとして、メディ
アの報道姿勢の変遷を見る上では非常に有用だといえる。具体的な結果は図1・図2の通り
である。図1はニューヨーク・タイムズのイラク戦争における各評価の数、割合を示してい
る。図2はニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、NBCニュースの肯
定的評価に対する否定的評価の割合である。また、イラク戦争開始から現在にかけてのマ
ス・メディアにおける肯定的評価と否定的評価の割合は1:2.5であり、一方でニューヨーク・
タイムズにおけるその割合は1:2.8(ウォールストリートジャーナルは1:2.4)である4。
以上を踏まえると、ニューヨーク・タイムズはマス・メディアの中でもイラク戦争反対
に重きを置いた報道をしていると言えるだろう。イラク戦争直後ではイラク戦争への肯定
的評価も多かった(割合としては1:1.2)ことも事実であるが、2003年3月20日から4月9
日までの間、テレビで報道されたイラク戦争に関する1617件の情報のうち、71%が戦争支
持で、反戦は3%だったというFAIR(Fairness and Accuracy in Reporting)の調査を鑑み
ると、愛国報道といった全国的なジャーナリズムの右派化が起きて、ニューヨーク・タイ
ムズにもそれが一時的に作用しただけと考えることが出来るのではないだろうか。
図1:ニューヨーク・タイムズの報道評価
Michael O’hanlon and Nina Kamp, ”Is the Media Being Fair in Iraq?” The Washington Quarterly
(Autumn 2006) , Vol. 29, No. 4:pp.8
4 Ibid.
3
図2:イラク戦争報道での肯定的評価に対する否定的評価の割合5
2.1 大量破壊兵器報道について
イラク戦争において、大量破壊兵器の有無は最重要争点と言っても過言ではなかった。
侵攻の「大義名分」とされたイラクの大量破壊兵器保有をめぐって、国際原子力機関(IAEA)
の査察報告などから、疑問視する見方も有力であった。その一方で、イラク戦争開戦時に
おいてニューヨーク・タイムズは、ジュディス・ミラー記者らが中心となり大量破壊兵器
は存在するとして報道を進めていた6。しかし 2003 年 7 月には、ニューヨーク・タイムズ
紙上において、ジョセフ・ウィルソン元駐ガボン大使が、フセインがニジェールからウラ
ンを購入したこと、そしてフセインが大量破壊兵器を持っていることは真実ではない、と
主張した7。そして、最終的にニューヨーク・タイムズは、「イラク戦争前の問題の記事の
多くが、チャラビ・イラク国民会議(INC)代表ら反政府亡命者の情報に基づいて書かれた
ものだったと告白し、正確ではなく、あってはならないものが幾つもあったとして、記事
を書いた記者だけでなく、編集者にも責任があったとし、しかも、その後の取材で間違い
が分かったのに修正してこなかった」という訂正記事8を 2004 年 5 月 26 日に掲載するに至
った。上述の調査の中でも、2004 年 4 月から 5 月における否定的記事の数は 93 件、128
件と非常に多く、大量破壊兵器報道の変遷に代表されるように、ニューヨーク・タイムズの
報道姿勢はこの時期において、2004 年 1 月時よりもイラク戦争全体において否定的報道を
強めていることが伺える。
2.2 イラク戦争後の報道姿勢
2.1にあるように、ニューヨーク・タイムズは大量破壊兵器報道において、2004年5月に
5
6
7
8
NYT=New York Times, WSJ=Wall Street Journal, NBC=NBC News
“The Source of the trouble,” by Franklin Foer, New York Magazine, June 7 2004.
“What I Didn’t Find in Africa, New York Times, July 6 2003.
“Times and Iraq,” New York Times, May 26, 2004.
訂正記事の掲載という異例の大幅な報道姿勢の転換を行った。その後はイラク戦争報道に
おいては現在に至るまで図2を見るとわかるとおり、2004年5月から2005年1月にかけての
比率は減少したものの、それ以降は再度増え始め否定的な報道がコンスタントに多い状態
が続いている。そしてその否定的な姿勢の決定打の一つとなったのは、2005年12月16日の、
ブッシュ大統領が裁判所の許可なしで通信を傍受させているという、NSAについての報道9
といえよう。米上院は年内に期限切れを迎える愛国者法(反テロ法)の延長を審議中であ
った時期でのこの報道は非常に大きな波紋を呼び、共和、民主両党の一部が盗聴条項など
で一段のプライバシーや人権保護策を求め、採決を拒否し否決されるに至った。そして、
2006年1月から米メディア各局でこの「反盗聴キャンペーン」が張られるようになる10。図
1の数値を見ても、この時期の報道姿勢は最も否定的姿勢を強めているといえる。ニューヨ
ーク・タイムズはこの報道を先導して行く中でリベラルな、反ブッシュ政権的立場により
一層近付いていったといえる。
そして2006年6月23日には、同紙はブッシュ米政権などが2001年の米中枢同時テロ後、
テロ対策の一環としてSWIFT11から、国際金融取引情報を極秘に入手していたことを掲載
した。これも国家機密のスクープとして大きな波紋を呼んだ。この報道に関して、ブッシ
ュ政権からは非難の声があいつぎ、共和党のピーター・キング国土安全保障委員長は「国
家機密漏洩の罪でニューヨーク・タイムズ紙を起訴すべきだ」との強硬論を展開するまで
にいたっており12、ブッシュ政権との対立をより深める結果となっている。上述の通り、ブ
ッシュ米政権がテロ対策の一環として、国際金融取引情報を極秘に入手していたことを掲
載したニューヨーク・タイムズの報道に対し、2006年6月26日、政権側は「テロとの戦いを
困難にする恥ずべき行為だ」と一斉に非難を浴びせ、ブッシュ大統領は記者団に対して、
「テロリストが何をやろうとしているか突き止めるには資金の流れを追うことだ。同時テ
ロに関する委員会も進言した」としそれを妨害したとの観点からニューヨーク・タイムズを
批判している13。同紙は報道の公益性を盾に真っ向から反論し14、同紙がNSA報道・SWIFT
報道について国家機密の漏洩とも非難されるほどの報道をしたことについて、「たとえそ
の過程においてその報道姿勢に愛国心がないと呼ばれる危険性があったとしても、物事を
正しく見るために国民が必要としている情報を提供するために報道の自由は憲法の中心で
ある。」と主張している。
“Bush Lets U.S. Spy on Callers Without Courts,” New York Times, December 16 2005.
ニューヨーク・タイムズにおいては、2005 年 11 月には 1 件しかなかった NSA についての記事が 2006
年 1 月には 60 件まで増えている。
11
SWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication)
:金融機関が行う銀行間付
替・顧客送金など、国際取引に係るメッセージ通信の国際ネットワークを提供する非営利の協同組合。現
在、世界 196 カ国 7,000 の金融機関が加盟している。
9
10
12
“Rep. Peter King on Why The New York Times Should Be Investigated,” fox news, Tuesday, June 27,
2006
13
14
“Bush Says Report on Bank Data Was Disgraceful,” New York Times, June 26 2006.
“Patriotism and the Press,” New York Times, June 28 2006.
図1にあるように、2003年3月においては、ニューヨーク・タイムズは上述の大量破壊兵器
報道のような政府側の、イラク戦争に対する肯定的な報道もあった一方で、反戦的な、否
定的な評論15も同程度、むしろ前者以上に掲載していた。イラク戦争開始前にあたっては、
肯定的な報道の面でむしろ世論を政権側に導く側にあったニューヨーク・タイムズであっ
たが、イラク戦争終戦後は特に前述の大量破壊兵器の訂正報道以降、次第にブッシュ政権
との対立を深め、NSA報道・SWIFT報道等においてはブッシュ政権からの非難を浴びるま
でに至っている。
3. ニューヨーク・タイムズの党派性―メディア監視団体との関係
メディア監視団体とは、アメリカの政治文化において、メディアでの報道を監視し、そ
の正確さやジャーナリズムとしての倫理の遵守、あるいは政治的なバイアスをチェックし
ようとする監視団体であるが、そうした、メディア監視団体側からの批判にも目を通すこ
とで、ニューヨーク・タイムズの党派性がより明瞭になるのではないだろうか。
そして、メディア監視団体の党派性とその規模の大きさを鑑み、FAIRとAIM(Accuracy
in Media)を取り上げる。FAIRは主にリベラル系寄りのメディア監視団体であり、AIMは
保守系であると一般に言われている。両者はともに規模も大きく、ニューヨーク・タイム
ズへの批判のコラム等も多くHPに載せている。リベラル・保守の両極の主張・批判と照ら
し合わせることでニューヨーク・タイムズの党派性を相対化したい。
3.1 FAIRの評価
FAIRはニューヨーク・タイムズに対して一連のイラク戦争報道においてどのような評価
をしているのだろうか。2003年においては、主に大量破壊兵器報道への批判が目立つ。例
えば、「フセイン・カメル16の大量破壊兵器除去の供述を無視して、ニューヨーク・タイム
ズのオプエド欄で4回もイラクの兵器開発計画に関する箇所のみが引用された。」などとニ
ューヨーク・タイムズには政府よりのバイアスがかかっていると報道姿勢を批判し、更に
はジュディス・ミラーの報道に関しても、報道の根拠となる証拠の信頼度の低さから疑問
を投げかけている17。その後、今年に入り大量破壊兵器報道についてニューヨーク・タイム
15
“With Ears and Eyes Closed,” New York Times ,March 17 2003.
“The Summit of Isolation ,” New York Times, March 16 2003.
16
フセイン・カメル:フセイン大統領の親戚で、イラクの大量破壊兵器開発の最高責任者だったが、95年
に一族の内紛を機にヨルダンに亡命した。その後国連やアメリカの関係者に対し「自分はいろいろな大量
破壊兵器を開発したが、湾岸戦争後に国連査察を受ける際、自分が指揮してそのすべてを廃棄した。いま
だに兵器の設計図などは保管してあり、国連査察団が去ったら再び開発することは可能だ」と述べた。
17
“Troubles at the Times: Beyond Blair,” FAIR, June 10 2003.
ズが訂正記事を掲載すると、FAIRはそれを高く評価した18。この点からしても一貫して、
FAIRは大量破壊兵器報道に非常に懐疑的であるし、それを大義名分としているイラク戦争、
そしてブッシュ政権には反対という立場をとり続けている19。
2005年12月のNSAについての報道に関しても、報道自体に関しては肯定的な評価を下し
ているものの、一年間その情報をニューヨーク・タイムズは公開していなかったビル・ケ
ラー20の発言に対しては「ジャーナリズムは情報を入手次第すぐに公表すべきだ」と批判し
た。報道の自由と国家機密、国家の安全が衝突したこの報道への評価を考えるとFAIRは、
ジャーナリズムは政府を監視するためにあるものであり、ブッシュ政権に関しても非常に
批判的な見方を貫いていると言える。
3.2 AIMの評価
AIMはどのような評価をニューヨーク・タイムズにしているのであろうか。まず、大量
破壊兵器報道に関しては、大量破壊兵器について言及した2002年のブッシュ大統領の一般
教書21での発言と大量破壊兵器の存在を否定した2004年1月28日のデヴィッド・ケイの報告
22との相違について、ニューヨーク・タイムズだけでなくメディア全体がケイのレポートを
18
19
“New York Times Corrects WMD History,” FAIR, September 13 2006.
“Star Witness on Iraq Said Weapons Were Destroyed,” FAIR, February 27 2003.
“Lack of Skepticism Leads to Poor Reporting on Iraq Weapons Claims,” FAIR, March 25 2003.
“New York Times Corrects WMD History,” FAIR, September 13 2006.
20
“Journalists Should Expose Secrets, Not Keep Them,” FAIR, December 30 2005.
21ブッシュ大統領は演説中で、“われわれの第2の目的は、テロを支援する政権が、大量破壊兵器によって
米国や友好・同盟国を脅かすのを阻止することである。これらの政権の中には、9月 11 日以後、沈黙を保
つ政権もある。しかし、われわれには、彼らの正体が分かっている。≪中略≫イラク政権は、10 年以上に
わたり炭疸菌、神経ガス、そして核兵器の開発をたくらんできた。この政権は、既に毒ガスを使い、何千
人もの自国民を殺害している。その後には、死んだ子供の上に覆いかぶさる母親の死体が残されていた。
この政権は、国際査察に同意した後に、査察官を追い出した。この政権は、文明社会の目から何かを隠し
ている。このような国々と、そのテロリスト協力者は、世界平和を脅かすために武装した、悪の枢軸であ
る。大量破壊兵器を入手しようとするこれらの政権がもたらす危険は重大であり、また増大しつつある。
彼らが、テロリストに大量破壊兵器を供与する恐れもあり、そうなれば、その兵器はテロリストが自分た
ちの憎悪をはらす手段になるのである。彼らが、わが国の同盟国を攻撃したり、米国を脅そうとすること
もありうる。いずれの場合も、無関心の代償は破滅的なものになる。”と述べている。“The President's State
of the Union Address,” The United States Capitol Washington, D.C., January 29, 2002.
222004
年 1 月 28 日ブッシュ米政権がイラク戦争の最大の根拠とした大量破壊兵器を見つけ出すためイラ
クに派遣され、昨年六月から捜索に当たってきた米イラク調査グループ(ISG)のデヴィッド・ケイ前団
無批判的に用いて報道して世論をミスリードした恐れがあると批判した23。そして、ジョセ
フ・ウィルソンが書いた上述のコラムに関してもその信憑性を疑い、ウィルソンに肩入れ
しているメディアにバイアスが存在していると非難するとともに、それを先導して報道し
たニューヨーク・タイムズへの批判が強い24。そもそもこれに関してはメディアの報道偏向
をAIMは取り上げている。例えばワシントンポストのハワード・カーツによる25、NBCが
40回、CBSが30回、ABCが18回、ワシントンポストが96回、ニューヨーク・タイムズが70
回、およびロサンゼルスが48回一定期間においてジョセフ・ウィルソンの発言についての
報道を行っているとの調査を踏まえたうえで、AIMはジョセフ・ウィルソンの発言は信憑
性が低いと考え、この報道がメディアと民主党のリベラル派が共和党を負かすために共謀
で働いている証拠であり26、ブッシュ政権への疑惑を明確に示そうとする姿勢の中でのリベ
ラルなメディアによる一つの作戦だとまで主張した。そしてリベラルメディアであるから
こそ、それを支えるような情報しか報道しておらず公平な報道がなされてないとの批判も
している27
そして、ニューヨーク・タイムズの謝罪報道に関しても、一連の報道に対する左翼から
の非難を受けて謝罪したものとして疑念を呈しており28、WMD報道においても、大量破壊
兵器報道の存在を認めた情報もある中で大量破壊兵器報道の存在を否定した情報のみを
大々的に取り上げたニューヨーク・タイムズにバイアスがあると指摘する。29更には、ニュ
ーヨーク・タイムズが大量破壊兵器報道において引用したレポーターであるデヴィッド・
ケイが当初イラク戦争を支持していた事を根拠に、ニューヨーク・タイムズが取り上げた
情報源の危うさをも非難している30。
NSA報道においては、AIMはニューヨーク・タイムズがその情報を仕入れてから一年間
講評しなかったということに焦点をあてて、民主党との駆け引きがあったとの憶測もあり、
政策的な陰謀があったのではないかという批判をなげかけている。そして実際NSA問題の
是非についても、結果的に支持されるべきものであってニューヨーク・タイムズの否定的
な報道に対し真っ向から反発している31。
長・前米中央情報局(CIA)特別顧問は米上院軍事委員会の公聴会で、「私を含めてみんなが間違ってい
た。調査活動が85%ほど終了した今、生物・化学兵器が発見される可能性はもうないだろう」と証言し
た。
23
“Putting Words In The President's Mouth,” AIM, November 4 2003.
24
Media Owe President Bush An Apology - August B September 3, 2004
25
“Boston's Bloggers, Filling In the Margins,” Howard Kurtz, Washington Post, Monday, July 26, 2004
26
Media Owe President Bush An Apology - August B September 3, 2004
27
Sniping At WMD Intelligence Continues July 16, 2003
28
The New York Times Messes Up June 28, 2004
29
The Kay Report October 20, 2003
More Slanted WMD Reporting February 19, 2004
30
31
Stonewalling at the Times January 13, 2006
4. ニューヨーク・タイムズのバイアス
さて、3.ではメディア監視団体という、ある種メディアを批判することが前提となってい
る団体からの、相対的なニューヨーク・タイムズの立ち位置を考えてみた。ではニューヨ
ーク・タイムズ自身のデータとしてはどのような立ち位置にあるといえるのだろうか。
これに関しては二つの研究・記事が挙げられる。一つ目は、リカルド・パグリシが2004
年の9月に発表した"Being the New York Times: The Political Behaviour of a
Newspaper"32という論文である。彼は1946年から1994年の期間におけるタイムズ紙の取り
上げた記事を調査し、タイムズが民主党支持であることを統計から立証している。二つ目
は、同年夏、上記のような批判に対してパブリック・エディターであるダニエル・オクレ
ントがある調査記事をニューヨーク・タイムズに掲載した33。彼はニューヨーク・タイムズ
が幾つかの項目においてリベラル支持のバイアスを有していることは確かであると主張し
た。オクレントは政治・外交などに関する記事については明言していないが、イラク戦争
に関してはブッシュ政権への批判が不足していたと反省のコメントを残している。
では、そのリベラルなニューヨーク・タイムズはどれほどの影響力を持っているのだろ
うか。ここで一つCNNによる、2001年から2006年5月に至るまでのイラク戦争支持率の調
査34を挙げたい。これを見ると分かるとおり、9.11テロ事件の直後一時的に支持率が上がっ
た後、ゆるやかに下がり、イラク戦争開始前後で再び70%にまで上昇している。そしてその
後は支持・不支持の割合が丁度開戦前後のときと逆になるまでになり、現在支持率は35%
ほどである。ニューヨーク・タイムズがこの世論に具体的な数値としてどの程度の影響力
を及ぼしているのかはこの論文では明言できないが、イラク戦争開戦前後の際ニューヨー
ク・タイムズが世論ほどにイラク戦争に賛同する論調にならなかった以外は、この二者の
イラク戦争への態度の変遷は近く見える。新聞が世論をリードするという前提で考えてみ
ると、報道を受けて世論が次第に変化していく訳であり、ニューヨーク・タイムズの論調
が基本的に忠実に世論に反映されているようである。これは上述のグラフ中の、NBCニュ
ースやウォールストリート・ジャーナルとの対比においてもわかるであろう。
“Being the New York Times: the Political Behaviour of a Newspaper,” Riccardo Puglisi, September
24, 2004.
33 “THE PUBLIC EDITOR; Is The New York Times a Liberal Newspaper?,” DANIEL OKRENT, New
York Times, July 25, 2004.
32
34
“Bush: Leaving Iraq now would be a 'disaster',” CNN.com, AUGUST 21, 2006.
5. 最後に―イラク戦争後のジャーナリズムについて―
2001 年 9 月 11 日のテロ事件以降、FOX を筆頭にマス・メディア全体が愛国報道に偏る
傾向がみられた。これはニューヨーク・タイムズにおいても同様である。本論文を書いて
いて思うが、ニューヨーク・タイムズの党派性は本来リベラルな立ち位置にあって政府批
判的な論調が多い一方で、テロ事件以降・イラク戦争前後は愛国報道も強かった。その後
反イラク戦争の立場に次第に近付いていく中で、リベラルな立ち位置に戻りつつあったよ
うに感じる。これは世論にしても同様であるが、だからこそイラク戦争において、世論と
近い立ち位置にあり続けた、正確に言えば世論形成の力が強かったニューヨーク・タイム
ズは非常に重要な存在であった。
FAIRのメディアをそもそも政府に批判的であるべきという位置づけは変わらず、ニュー
ヨーク・タイムズによりリベラルな姿勢を強く求めている。一方でAIMは情報の取捨選択
に重点をおき、まずニューヨーク・タイムズにリベラルなバイアスがあるからこそ、そこ
に当てはまる情報のみが報道されるのであり、それはジャーナリズムの公平さを逸してい
ると唱える。ジャーナリズムがどうあるべきか、どういう立ち位置にあるべきか、また一
切バイアスを排除すべきなのか。一切排除したとしても、報道量には限界があり一定の情
報の選別は必要となる。本論文では調査できなかったが、不利な情報を報道しないという
バイアスも存在する。結局ある程度のバイアスはどのメディアにも存在せざるをえないの
だ。
そして、現代の報道界では、構造的な変化が起きている。米国のメディアの世界は、ケ
ーブルテレビやラジオのトークショーのほかに、ネットでのブログの出現等多種多様なメ
ディアの出現などを考えると、今やかつてないほど自由を享受している。しかし、まず国
民の既存メディアへの信頼低下、国論の二極化の動き、インターネットの出現という事を
鑑みると、新聞やテレビなど既存の主流メディアの存立も危ぶまれてくる。中でも新聞メ
ディアは、販売部数の落ち込み等、その地位の低下が騒がれている。
しかし、メディアの役割においては、事実を伝えることだけでなく、同時に事実の意味
を伝えることが求められている。目で見える事実は、事件の全体像の一部でしかない。そ
うなると当然ながら、事件がなぜ起きたのか、それらのことをメディアがどう伝えるかが
問われた際、テレビという映像メディアは、視覚や感性に訴える力は強いが、冷静な思考
作用に働きかける点では、活字メディアに一歩も二歩も譲らざるをえないのではないだろ
うか。
その冷静な思考作用に働きかけることに長けている点で、活字メディアは依然として必
要である。それはアメリカの世論を、感情的にではなく論理的に形成していくであろう。
アメリカ国民は政治・外交いずれにおいても、その動向はメディアから受け取る情報に依
存している面が大きい。世論を動かすことに関しては、現代もなおメディアが未だ強いこ
とは間違いない。
本論文ではニューヨーク・タイムズの党派性について論じたが、このように活字メディ
アを批判的・相対的に見てみると、それぞれがどれだけのバイアスを持っているかは明ら
かである。報道は正確で、偏りのない中立的なものであるべきなのか。一概にそこに答え
を出すことは難しい。そもそも中立とはどういうことかという話にもなってしまう。しか
し、一ついえることはあくまでそういったメディアの立ち位置は相対的なものであり、批
判的に見られるべきである。 様々なメディアが報道する情報は、どれも現実・事実そのも
のではなくて、それぞれのメディア自身のバイアスを反映した恣意的な情報であるという
認識は必要だ。イラク戦争報道で言えば、米軍がバグダッド入りした事実を「イラク解放」
とするのか「イラク侵攻」とするのか、それとも、その出来事よりも「誤爆」の被害を受
けた市民たちのことを大々的に報道するのか。どの情報をどのように流すかによって、情
報の受け手である我々はこの「バグダッド入り」に関して全く違った印象を持つこととな
る。しかし、無数にある情報源から、最終的にどのような「真実」を読み取るのかを判断
するのは、我々自身なのだ。つまり、最終的に個人が社会をどう見ているのか、という価
値観の問題になってくるのである。
そして、その価値観を形成する際に非常に大きな影響を及ぼしているのがメディアであ
り、メディアからの情報を最終的に判断するのが各人の価値観であるとすれば、メディア
を批判的に読み解く力をつけることと、自身の認識を批判的に問い直す姿勢を持つことは、
メディア・リテラシーを実践するうえでどちらも欠かせないものであろう。
それが今、ジャーナリズムに課せられた使命なのではないだろうか。
参考文献
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『創』2003 年 7 月号
クレイ・チャンドラー
『メディアと政治』明石書店、1999 年
フィリップ・ナイトリー『戦争報道の内幕』時事通信社、1987 年
五十嵐武士『アメリカの社会と政治』有斐閣、1995 年
海部一男『イラク戦争と放送メディア』日本放送出版会、2003 年
柴山哲也『戦争報道とアメリカ』PHP 出版、2003 年
ハワード・フリール、リチャード・フォーク『「ニューヨーク・タイムズ」神話
アメリ
カをミスリードした〈記録の新聞〉の 50 年』三交社,2005 年
ルイーズ・ブランソン「「党派性」に走りすぎたアメリカ・メディア」『FORESIGHT』
2004 年 12 月号,pp40-41
Michael E. O'Hanlon,and Nina Kamp., “Is the Media Being Fair in Iraq? “The
Washington Quarterly, Autumn 2006
Riccardo Puglisi, “Being the New York Times: the Political Behaviour of a Newspaper,”, September
24, 2004.
参考 HP
Fairness & Accuracy in Reporting(FAIR)
http://www.fair.org/index.php
Accuracy in Media, Inc(AIM) http://www.aim.org/
The New York Times http://www.nytimes.com/