直接性と映画−映画による「所有」の回復

Agora: Journal of International Center for Regional Studies, No.2, 2004
【論 文】
直接性と映画−映画による「所有」の回復−
箭内 匡 *
1.映画と直接性
2.2. 言葉の発生と顔のイメージ
1.1. はじめに
2.3. 共感と比較のあいだ
1.2. 映画と直接性
2.4. 非中心化と表徴化
1.3. 「所有」の回復
2.5. 映像の音楽性
1.4. フェノメナとの接触
3.映画による「所有」の回復
1.5. フェノメナの表現
3.1. 全体的事実としての「所有」
1.6. 「覗き見」と「喜び」
3.2. エティカ的対比
2.共感と比較のあいだ
2.1. 「生」を捉えること
1.映画と直接性
1.1. はじめに1)
3.3. 「もう一つの世界」の不在
3.4. 距離のパトスと「所有」の回復
た大人たちの不透明な視覚の欺瞞を明らかに
し,それを切り崩してゆく。
この大変美しい映画によってウェドラオゴ
ブルキナ・ファソの映画監督I・ウェドラオ
が明確に示しているのは,スピノザにおいて
ゴの映画『ヤーバ』
(Yaaba, 1989)
。アフリカ
知性による認識がエティカであるのと同じ意
の伝統的村落を舞台に,主人公の少年ビラが,
味で,視覚がエティカの問題であることだと
村の大人たちが妖術師として差別していた老
言えるだろう2)。映画の中では,
「彼らを裁い
女サナとの間に友情を築いてゆく姿を描く。
てはいけない,彼らなりの理由があるのだろ
映画は,ビラが生身のサナを初めて自分の目
うから」というセリフがサナの口から,そし
で見る場面から始まり,やがて二人は贈り物
て後にはビラの口から,合わせて二度発せら
を交換しあい,そして助け合ってゆく。村の
れるが,この言葉は,「物事をあるがままに
大人たちが,村落の社会関係の中で,サナを
見よ,そうして見たものだけを信じて行動せ
「妖術師」という先入観のもとで眺めるのに
よ」というウェドラオゴ自身の直接的視覚の
対し,ビラの直接的で透明な視覚は,そうし
エティカを要約したものである(cf.
* 天理大学地域文化研究センター
1) この論考は,ジル・ドゥルーズの『シネマ』を素材としつつ映画の存在論的諸問題を論じた前稿(箭
内 2003)の続編として構想されたものであり,筆者が現代映画として理解するものについて,『シネ
マ』の枠組みから自由な形で,また,前稿よりもはるかに映画制作のプロセスに接近した立場から,
論じたものである。
2) スピノザ的視点から言えば,「モラル」が「善悪」をめぐる超越的な価値によって行動を裁くもので
あるのに対し,「エティカ」は存在様式の質的差異――「良い」存在様式か「悪い」存在様式か,言
い換えれば,「喜び」に満ちているか「悲しい」ものか――を眺めるものだということになるだろう
(cf. Deleuze 1980: 33-37)。(すぐ後で引用する)「彼らを裁いてはいけない」というウェドラオゴの言
葉は,彼の映画が「モラル」的でなく,「エティカ」的であることを示すものであり,少年ビラの視
覚は,確かに,村の大人たちの「悲しい」視覚に比べて,
「喜び」に満ちたものである。
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アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
Ouedraogo 1989)。こうして彼は,視覚の直
接性,透明性の大事さを,映画というそれ自
(immédiat)ものを基盤にして思索を展開し
たフランスの哲学者ベルクソンである。彼は,
体が視覚的な芸術を通じて示すことで,映画
『笑い』
(1900)の中で,我々の日常生活にお
そのものがもつ可能性と意義をも力強く肯定
ける視覚および感覚一般が,生活上の必要の
しているのだ。
ためにつねに不透明で,間接的なものになっ
この論考では,こうしてウェドラオゴが一
ていることを指摘する。「生活するとは行為
つの端的な形で示しているような,映画にお
することである。生活するとは,物から,適
ける直接性の問題とでもいうべきものについ
切な反作用でそれに応ずるために,有用な印
て考察してみたい。そこには,一方で,映画
象のみを受け取ることである。... 私は眺め,
というイメージによる表現手段が,解釈の枠
そして見ているつもりでいる。... 私の感覚や
をはめずに観客を直接にイメージと接触させ
私の意識は現実についてはただその実用のた
る可能性を持ったものであること,また,優
め単純化されたものだけしか私には引き渡し
れた映画監督たちが,ありきたりの現実の解
てくれないのである」
(ベルクソン 1976: 140)
。
釈から自己の視覚を解放する中で把握した現
こうして,我々の広い意味での習慣は,我々
実を直接的に表現しようとしてきたこと,さ
を常に実用性のメガネを通して現実を眺めさ
らに,優れた映画を見た観客が,その受容の
せ,我々は稀にしか現実に直接接することは
経験の中で,しばしば何かを直接的に把握し
ない,ということになる。習慣だけではない。
た(「何かが分かった」
,「何かが掴めた」
)よ
我々が現実を把握するのに用いる言語も,ベ
うな感じを持つこと,そういったことすべて
ルクソンによれば,そうした直接性からの分
が関わってくる。他方でしかし,我々が日常
離に一役買っているのである。「言ってしま
出会う映画や映像の大半が,実際にはかなり
えば,我々は物そのものを見ているのではな
堅固な解釈的枠組みを通して提示されている
いのである。たいがいの場合には,我々は物
こと,また,そうした映画や映像は,
の上に貼り付けてある附け札を読むだけにし
紋切り型のイメージや手続きに従って制作さ
ているのだ。必要から出てきたこの傾向は,
れ,制作者による直接的なものの表現ではほ
さらに言語の影響を受けて強調されるに至っ
とんどないこと,そして何より,そうした映
た」
(ibid.: 141)
。
・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
画や映像を受容し,また制作する我々自身の
それでは,我々が現実に直接的に触れるこ
生活が,ますます現実との 直接的な 接触を
とは,一切ないのだろうか。ベルクソンにと
失いつつあることも,考慮する必要があるだ
って,そうした直接性の回復の契機を与える
ろう。この論考は,こうした映画ないし映像
ものの一つが芸術であった。「(...)絵画にせ
の直接性をめぐる様々なテーマを,最終的に
よ,彫刻にせよ,詩歌にせよ,あるいは音楽
は,世界の「所有」――「所有権」と異なる
にせよ,芸術は我々を現実そのものに直面さ
意味での,全体的事実としての「所有」――
せるため,実践に有用なシンボル,慣習的に
の喪失と,その回復の可能性という問題との
また社会的に受け容れられている一般性,つ
関連において,考えてみようとするものであ
まり我々に現実を隠しているもの全てを,遠
る。
ざける以外の目的はもっていないのである」
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ ・ ・ ・ ・ ・
ところで,ここで何度か使った「直接性」
, (ibid.: 145)。つまり,芸術とは「現実のより
「直接的な」ものとは,より厳密にはどのよ
直接的なヴィジョン」
(ibid.)にほかならない,
うに考えたらよいだろうか。ここで最初の手
とベルクソンは考えるのである。以下では,
がかりとしたいのは,つねに「直接的な」
こうしたベルクソンの直接性についての思索
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
41
を念頭に置きつつ,映画が今日我々にとって
しての,映画の可能性について考察する試み
持ちうる意味について考えてみたい。
であった。彼のこうした考察は,直接的なも
のからますます遠ざかりつつある今日の我々
1.2. 映画と直接性
にとって映画が果たしうる役割を考える上
さて,ベルクソンによって提起された直接
で,依然として有効であるだろう。映画を見
性の問題は,後にW・ベンヤミンによって,
る中で,「大地がむきだしの原始状態に逆戻
我々が住む近代資本主義社会のコンテクスト
りしたのを,愕然として凝視する。そこには
に密着した形で深められることになる(ベン
ヤミン 1975)。つまり,習慣や言語が経験の
先史時代の息吹きはなく,アウラもまだない」
(ベンヤミン 1975: 205)ような経験をするこ
直接性から我々を遠ざける効果は,我々の社
と。ベンヤミンが述べていたような「触覚的
会においては,「出来事の情報化」とでもい
(taktil)
」な感覚(cf. Benjamin 1991:502)
,手
うべき独特のメカニズムによって,さらに強
探りの探索のような感覚を,映画を通じて取
化されるのである。そこでは,様々な出来事
り戻すこと。
が「情報」として次々に知的に処理されてゆ
スペインの映画作家J・L・ゲリンは,次の
く傾向があり,我々は多くの場合,それらが
ように述べている。「私は,偉大な映画,と
本来の経験として与えるようなショック,衝
ても優れた映画に出会うたびに,何か初めて
撃性をあらかじめ除去された形でしか,それ
映画を発見しつつあるような喜びを覚えま
らの出来事を経験しない。ベンヤミンも指摘
す。... フラハティの『極北のナヌーク』で,
したように,写真や映画などの視覚的メディ
登場するナヌークの子供たちを見るとき,私
アが,こうした「出来事の情報化」のために
は,あたかも初めてスクリーンで子供を眺め
重要な役割を果たしたことは疑いない。いず
るかのような感じを持つのです。...[小津安
れにせよ,こうして,我々の社会においては,
二郎の]『晩春』[の結末のシーン]を見てい
様々な新しい出来事が多くの場合,その新し
ると,自分はそれまで映画の画面で一度もリ
さを自動的に剥ぎ取られ,紋切り型の情報と
ンゴを見たことがなかったような気がしてき
して経験されてしまうことになる。
ます。これは偉大な映画監督たちの,とても
ベンヤミンはしかし,そのような状況にお
神秘的な特質だと思います。彼らは,原初的
いても,芸術はやはり直接性の回復のための
なものの感動,物たちとの最初の接触の感動
手段となりうると考えた。そして,感覚の鈍
化した近代の読者に向けて新しい詩を創作し
を,我々に回復させてくれるのです」
(Guerín 2004: 38)3)。ここでの「最初」という
たボードレールに,そうした新たな状況にお
言葉はもちろん,その経験がもつ「新しさ」
ける新たな芸術家の範例を見出したのであっ
のことを言っているのであり,それはベルク
た(ibid.)
。もちろん詩だけではない。一方で
ソンが述べていた感覚の直接性や,ベンヤミ
出来事の情報化に大きく加担する映画も,む
ンが述べていた出来事の衝撃性と正確に一致
しろそれゆえにこそ,近代資本主義社会にお
するだろう。そして,ゲリンが明瞭な言葉で
いて視覚の直接性を回復するための強力な手
述べている,映画が与えうる「初めて見る」
段として利用することができる。『複製技術
ような印象は,優れた映画監督たちが様々な
時代の芸術作品』(ベンヤミン 1970)は,出
形で表明してきた,「初めて見る」,「初めて
来事が情報と化した社会のただ中で「現実の
撮る」ことへのこだわりとも,反響しあうも
より直接的なヴィジョン」を与えうる芸術と
のである4)。
3) 角カッコは箭内による追加。以下の引用においても同様。
42
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
哲学者G・ドゥルーズはかつて,「我々は,
ト(cinéma direct)
」運動は,ドキュメンタリ
自己の知の尖端,我々の知と我々の無知とを
ー映画の領域で,ある集合的な形で直接的な
分け,一方と他方とが交流するような,その
視覚を回復しようとする試みであったと考え
尖端においてのみ,書くことができる。こう
ることができるだろう。当時のケベックの二
した形でのみ,我々は書くという決意を固め
重の疎外の状況――英語が支配するカナダ国
るのだ」
(Deleuze 1968:4)と書いた。ドゥル
家において疎外されているのみならず,学校
ーズがここで,(創造的に)「書く」という行
教育で学ぶ正統フランス語がケベックの現実
為について述べていることは,(創造的に)
からかけ離れたフランスのものであるという
「見る」という行為にもそのまま当てはめる
状況――において,シネマ・ディレクトは,
ことができるだろう。「見えるもの」と「ま
それまで「取るに足らない」と考えられてき
だ見えないもの」ないし「見えざるもの」と
たケベックの人々の文化,生きざまを,彼ら
の境界に立って,触るように,探るようにし
の「生」がほとばしるようなまさにその局面
て「見る」こと 5)。この時,我々の視覚は,
においてカメラで捉え,スクリーンに展開し
せい
「初めて見る」新鮮さをもった,直接的なも
ていった(cf. Marsolais 1997)
。この「直接的
のとなるのであり,この直接性を映像が捉え
な視覚」の回復の運動は,物事を自分たちの
たとき,映画は最も力強いものとなるのだ。
目で見つめなおすことを通じて,1960年代ケ
ベック全体の文化運動――いわゆる「静かな
1.3. 「所有」の回復
映画におけるこうした直接性の探求は,
革命」――と連動してゆくものであった。
ケベックのシネマ・ディレクトの代表的な
様々な時期に,様々な場所で,様々な形をと
映画監督であるP・ペローは,若い頃ラジオ
って現出してきた。冒頭で触れたウェドラオ
番組を制作していて,セント・ローレンス川
ゴの場合,3.2.で詳しく見るように,それは,
について文章を書こうとした時,自分が身に
西欧的・資本主義的な制度にますます取り込
つけていたフランス語の語彙が実はセーヌ川
まれながらその中で苦しむアフリカの現実
やロワール川を描くためのものだったことに
を,一連のドラマ映画の制作によって,もう
忽然と気がついたと回想する(Perrault 1996:
一度新しい眼差しで眺めてみようとする透徹
35)。彼はその後ドキュメンタリー映画の制
した企てだといえる。これに対し,1960年代
作に移り,シネマ・ディレクトを通じて,真
にケベックで展開された「シネマ・ディレク
にケベック的な言葉を探求することになる。
4) 二,三の例だけ挙げよう。アマゾンの密林をはじめとする,過酷な自然条件の中で好んでロケを行い,
数々の清新な映像を作ってきたW・ヘルツォークは,ヴェンダースの『東京画』(Tokyo-Ga, 1985)の
印象的な一場面で,「純粋で透明なイメージを見出すことが地上では不可能に近くなってしまった」
と嘆く。アラン・レネは,最初の長編『二十四時間の情事』(Hiroshima mon amour, 1958)では当時と
しては未曾有の大胆さで男女の全身の裸体を撮ったのになぜ後の作品では大抵ベッドシーンの直前で
終わるのかと問われ,今ではベッドシーンはありきたりのものになったからだ,と答える (Resnais
1980: 17-18)。またA・キアロスタミは,
『風が吹くまま』(1999)の制作について,自分が舞台のクルデ
ィスタンの村に初めて入った時の印象をできる限り映画に盛り込もうとしたと述べているが(Famili
2002),これも,この作品の特殊性を越えて,映画に触覚的な彩りを与えようとするキアロスタミの
基本的な制作態度の反映であると思われる。
5) 実際,我々が本当に「初めて見るもの」,「何だかわからないもの」を目の前にするとき,再認の感覚
としての視覚は無力なものとなり,我々は匂いを嗅いだり,触ったり,舐めたりしてそれについて何
かを知ることができるだけである。赤ん坊が,視覚よりもまず触覚や味覚によって,初めて目の前に
した世界を探索してゆくことは,このことをよく示している。そうした局面では,おそらく視覚も,
触覚的な働きをするものになるだろう。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
43
ペローの最初の映画(M・ブローとの共作)
何の関係もないものである6)。そして,こう
の『世界の存続のために』(Pour la suite du
した直接的経験としての「所有」が言葉で表
monde, 1963)は,セント・ローレンス川中の
現される時,それは,あたかも初めて物事に
イル=オ=クードル島の人々が数十年ぶりに
名をつけた時のような新鮮さをもって「物事
伝統的な「ネズミイルカ漁」を遂行した様子
をそれ自身の名で呼ぶ」ことになるだろう。
を描写するドキュメンタリー映画であり,そ
ペローのいう「詩的所有」とは,まさにこの
こでは,村人たちが彼らの川,彼らの生活に
ことであると思われる。
ついて生き生きと語る様子がカメラで捉えら
ペローは,こうした「詩的所有」の中で,
れてゆくのだが,この映画の制作はペローに
形容詞の最上級やそれに類する表現が頻出す
とって,ケベックの「川と人々の詩的所有
ることを指摘し,それを賛美する(Perrault
(prise de possession poétique)
」の行為であり,
1985: 99-100など)。世間に流通する膨大な知
「シネマ・ディレクトによって,物事をそれ
識や情報に圧倒されている我々――ベンヤミ
自身の名で呼ぶこと」であった(Brûlé,
ンが論じるような「出来事の情報化」のただ
Dumont et Perrault 1999: 41)
。
中で暮らしている我々――は,「人間」や
直接的視覚の回復は,現実を新しい目で眺
「世界」について,手触りのある自然な言葉
めることだけを意味するのではない。ペロー
を語りにくくなってしまっている。これに対
の言葉にあるように,それは同時に,初めて
して,ペローがケベックの漁村で発見したの
世界を見た時のような新鮮さ,直接性をもっ
は,たくさんの最上級を情熱を込めて発する,
て,我々をとりまく世界を新しい形で捉え,
自然な言葉の産出の姿であった。『世界の存
「所有する」行為である。もちろん,3.1.でよ
続のために』の最も印象的な一場面で,村の
り詳しく述べるように,ここでの「所有」と
老人が,「ネズミイルカは人間に最も大きな
いう行為は,近代資本主義社会における「所
情熱を与える動物だ」と断言する。それは無
有権の獲得」とははっきり区別しておく必要
用な誇張ではなく,彼らが生きている世界に
がある。直接的経験としての,全体的事実と
おいて紛れもない真実なのであり,彼らの人
しての「所有」。それは,我々が自分の身体
生そのものの表現なのである。ペローの最初
を「持ち」,その身体によって様々な物事を
の映画の表題となった「世界の存続のために」
何らかの意味で「自分のものにする」(「自分
という言葉自体も――それは,島の人々が古
の目で見た」
,「自分なりに掴んだ」といった
来,ネズミイルカ漁に情熱を燃やしてきた,
出来事も含めて),そのすべてを含むと言っ
そのような世界が未来に向かって存続するた
てもよい。例えば,苦労して山に登り山頂に
めに,という意味をこめて別の村人が発した
到達した時,下方に広がる風景が何か「自分
言葉であるが――,最上級と同種の表現であ
のものになった」と感じる,そういった出来
るといえる。
事の一つ一つが,ここでいう直接的経験とし
直接的視覚の回復は我々に,人と物,人と
ての「所有」を形成してゆくのであり,それ
人,人と言葉の最も原初的な関係に立ち戻ら
は,国家によって定められ制度化された暴力
せる。それはまた,『ヤーバ』の少年ビラが
によって守られる「所有権」とは本来的には
子供らしい自然さをもって実践した直接性の
6) 確かにジョン・ロックは最初から所有を所有権の言葉で理解したが(ロック 1968),そして近代資本
主義社会(あるいは近代市民社会)はそうしたロック的な所有概念を法的には継承してきたが,それ
でも,我々の日常的経験における所有が所有権とは本質的には無関係であると考えるのが筆者の立場
である。ちなみに,ロックよりもはるかに慧眼であったヒュームは,3.1.でも触れるように,所有権
が本来的な事実ではなく,一定の条件のもとで出現することを正確に見抜いていた。
44
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
エティカをもたらすだろう。映画は,この直
楽の中心地ウィーンから出てきた同時代の作
接性のエティカのための,格好の手段となり
曲家シェーンベルクやヴェーベルンと,ウィ
うるのである。
ーンと文化的背景をある部分共有しながらも
周辺都市であったブダペストを舞台に活動し
1.4. フェノメナとの接触
たバルトークやコダーイとの,思考上の差異
この「直接性のエティカ」については後に
を指摘する。シェーンベルクたちはドイツ音
立ち入って論じることになるが,ここで次の
楽の伝統的規則が普遍的な音楽的法則である
ような問いについて考えよう。シネマ・ディ
ことを前提にした上で,それを根本から疑問
レクトのようなドキュメンタリー映画が直接
に付した7)。その結果彼らは,ほとんど自己
的視覚と関わっていくのは理解できるにして
否定にも近い形で,芸術創作の根拠をひたす
も,例えばドラマ映画の場合,最終的には,
ら作曲家の内面に求めてゆくことになる。こ
作品とは基本的に制作者たちの想像力の産物
うしたシェーンベルク的な美学は,20世紀西
であって,直接的視覚はそれほど関わってこ
洋の芸術一般においてかなり有力なものとな
ないのではないのだろうか? 「人と物,人
ってゆくだろう。しかし,ここで視点をずら
と人,人と言葉の原初的関係」と言っても,
し,周辺のハンガリーから眺めるなら,実は
それは制作者の内面の中に発見されるもので
シェーンベルクたちが疑似問題に陥っていた
あり,そこで直接的経験としての知覚や所有
ようにも見えてくる。
といったことについて語る必要は,果たして
あるのだろうか?
ペローが自分のフランス語の教養が目の前
の現実とは無縁なものであることに気づいた
しかし問題はもう少し複雑である。それを
のと同様に,バルトークは,その作曲活動の
見るために,映画を離れ,20世紀前半の最も
深化とともに,彼が身につけていた音楽的語
創造的な作曲家の一人,ベーラ・バルトーク
彙がドイツ音楽のものであり,その規則が決
の例を取り上げてみたい。よく知られている
して普遍的なものではないことを強く感じて
ように彼は,音楽という非常に抽象的で,あ
ゆく。バルトークや友人のコダーイにとって
たかも純粋に内面的な探求から出てくるよう
の最大の問題は,そうした規則が紋切り型と
にみえる芸術において,それにもかかわらず,
して流通し,音楽の原初的事実――バルトー
農村での民謡収集という肉体的作業を,自ら
クたちのいう「フェノメナ」――が見失われ
の音楽的探求と不可分なものと考えた。この
てしまったことにあった。彼らは,シェーン
バルトークの手続きは,芸術作品の制作のあ
ベルクたちにみられる自己の内面的探求の過
る本質的な部分――通常の芸術についての言
度の強調を不毛なものと考え,むしろ作曲家
説においては見えくなっている部分――を極
自身が外に出てゆき,生き生きとした音楽的
限的な形で明らかにしていると同時に,映画
「フェノメナ」と接触する中で,音楽的創造
という非常に具体性の強い表現手段について
力を取り戻すことが必要だと考えた
考察する上で,重要な示唆を与えていると思
(Frigyesi 1998: 105)。そしてバルトークたち
われる。
は,音楽が依然として自然な形で伝承され,
音楽学者J.フリジェシは,その優れたバル
また創作されているような農村において,最
トーク論(Frigyesi 1998)において,西洋音
も力強い音楽的「フェノメナ」に触れること
7) フリジェシは,シェーンベルクが,どんな伝統もスタイルも教えていないと言いつつ,古典派とロマ
ン派のレパートリーに基づいて和声と形式の教育を行っていたことを指摘している(Frigyesi 1998:
37; cf. シェーンベルク 1971)
。
45
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
ができる,と考えたのであった(Frigyesi
芸術家自身をとりまく現実の中で受け止めつ
1998: 98-99)
。
つ,あるまとまりをもった全体として投げ返
バルトークたちの思考は,とりわけ映画の
すものである。バルトークたちにとっての課
ような,(たとえセットや俳優を使うにせよ)
題は,「民衆芸術に現れるオリジナルな感情
現実の具体的な事物を媒介にして表現する芸
を把握し,それを現代生活の複雑さに対応す
術のジャンルにとって,大変意味深いものだ
る形で再創造すること」(Frigyesi 1998: 99)
ろう。映画言語のクリシェ――例えばハリウ
であり,民衆芸術をコピーするのではなく,
ッド映画の普遍的とされるような規則――に
より高いコンセントレーション,単純さと強
基づくのではなく,映画の「フェノメナ」―
度ある表現に向かうことであった。バルトー
―映画の素材となるべき人々,言葉たち,物
クは,素材とする民謡をある完成したオブジ
たちの原初的な姿――に立ち戻り,そこから
ェクトとして利用するのではなく,まずその
自然に涌き出てくるような,新しさを湛えた
民謡の持つ内的な調性的可能性を把握した上
セリフや動作,映画的語り,撮影,モンター
で,それを彼独自な形で発展させていったの
ジュを創造して行くこと。そうした映画こそ,
である9)。
「現実のより直接的なヴィジョン」から現出
このバルトークたちの思考は,ある意味で
してくる,「直接性の映画」と呼ぶことがで
デンマークの映画監督カール・Th・ドライヤ
きるだろう。その一つの顕著なケースは,例
ーが主張していた一種の「反自然主義」とも
えば,1930年代までにアメリカ映画の技術を
通じるものである。ドライヤーは一方で,
せい
完全に吸収した上で,それを根本から組み替
「芸術家は彼のまわりの生の現実を最高度に
えつつ,しだいに独自の映画を作っていった
反映すべきです。そういう理由で,あらゆる
小津安二郎の映画に見ることができる。「映
良い映画はドキュメンタリーと呼ぶことがで
画に文法はない」といった有名な発言からも
きるでしょう」(Drum and Drum 2000: 211)
わかるように(田中編 1989),彼の映画制作
と述べ,映画の力の淵源が生の現実のただ中
は,確かに,バルトークの作曲にも匹敵する
に見出されることを明らかにする。しかし彼
ような,当時の日本社会において彼が出会っ
は同時に,生の現実をそのまま捉えるだけで
た「フェノメナ」から出発する芸術的創作で
は偉大な芸術作品とならないことをも見抜い
あったといえる8)。
ており,それゆえに,「映画は自然主義の力
から完全に自由になるまでは偉大な芸術的経
1.5. フェノメナの表現
験となりえないでしょう。
(...)現実をコピー
もちろん,「フェノメナ」との接触は,作
することは時間の無駄であることを自戒せね
品の制作の第一歩にすぎない。芸術作品は現
ばならないのです」(Dreyer 1995: 142)とも
実のヴィジョンそのものではなく,それを,
力説する。民謡の「内部にあるもの」を捉え
8)付け加えれば,ウェドラオゴ(ブルキナ・ファソ),ペロー(ケベック),キアロスタミ(イラン),タ
ル(ハンガリー),イオセリアーニ(グルジア),スレイマン(パレスティナ)など,この論考で言及す
る映画監督たちの多くが映画制作の辺境地域の出身であることは,必然ではないにせよ,まったくの偶
然でもないと思われる。
9)G.ブルレは,ともに民謡を和声化した作品である「子供のために」(1908-1909年)の一節と「ハンガリー
農民歌」(1914-1918年)の一節とを比較し,初期の作品である前者が,歌をその拍子に合わせつつ比較的
単純に和声づけしているのに対し,民謡収集と作曲がより融合した形で発展してゆく時代の作品である
後者では,歌が潜在的に内包している微妙な音の動きやリズムを捉えつつ,より自由かつ複雑な形で和
声づけしていることを指摘する(Brelet 1963: 1048-1050)。これは,民謡の「内的な調性的可能性」を抽
出するバルトーク的な手続きを端的に示しているようにみえる。
46
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
ようとしたバルトークと同様に,ドライヤー
影や照明や編集によっても,画面に映ってい
は,「映画監督は,現実の物に興味を持つの
るものの形や色や動き,カメラの運動,明暗
ではなく,それらの物の中や背後にある本質
などの時間的な流れを通じて,観客の中に,
に興味を持たねばならないのです」(Dreyer
ある独特の印象――より抽象的で,ある種音
1995: 151)と考えたのであった。
楽性に近いような印象――を作り出すことが
実際,映画とは,脚本,演出,セット,撮
できる,ということだ11)。映画的経験とは,
影,照明,映像編集,音声編集などの様々な
ドラマ映画とドキュメンタリー映画の区別を
側面から「創作」されてゆくものである。従
問わず,常に,こうした抽象的で音楽的な印
って,ドラマ映画はもちろんのこと,現実の
象と画面に展開される具体的な事物の知覚と
事物を撮ったドキュメンタリー映画でも,ど
の両方のレベルから構成される――もちろん
のようにして撮影され,どのように編集され
その二つのレベルは相互に密接に結びついた
たかによって,常にそこには独自の意味が生
ものであるが――ものなのである。
まれてくる。アラン・レネがゲルニカ爆撃を
このようにみれば,民謡がバルトークにと
テーマにピカソの作品を素材にして撮ったド
ってそのままの形で利用されるべきものでは
キュメンタリー短編映画『ゲルニカ』
なかったのと同様に,映画的「フェノメナ」
(Guernica, 1950)は,この意味で好例だろう。
の表現も,ナマの現実をそのままフィルムに
レネは絵画『ゲルニカ』の全体を撮ったショ
収めたものではありえないことは,容易に理
ットを一つも用いず,ピカソの絵画やデッサ
解されてくる 。ところで,このような映画的
ン,彫刻の部分部分の(カメラの運動や光の
「フェノメナ」の表現にあたっての一つの重
効果などを交えた)クロースアップショット
要な手続きは,ドライヤーが「視覚的純化」
を,音声と巧みに交差させながら,映画独自
(visual purification)
と呼んでいたものに見るこ
のドラマを展開してゆくのであり,ピカソの
とができるだろう。彼は,最初に完全に生の現
作品の様々なショットで構成されたこの映画
実そのものであるかのようなセッティングを
は,しかしピカソの絵画とは別の芸術作品な
作り,その後でそこから,作品にとって本質
のである10)。重要なことは,このように,撮
的でない要素をすべて取り除いてゆく。結果
せい
10)レネの回想によると,映画の完成後,ピカソとその友人たちを招いた試写会を行われたが,ピカソの
友人の一人が,もっと原画がゆっくり見えるように編集しなおすべきだと主張したのに対し,ピカソ
自身は,「私の絵画が見たいのなら,そこらにたくさん本があるし,美術館に行って見ればいい。映画
は映画だ」と言ってこの映画を強く支持したという(Fleischer 1998: 52-53)。ピカソは,自らの絵画を
撮った映像は,もはや絵画そのものからも自分からも独立した存在であることを了解していたのであ
る。
11)例えばドライヤーは,「観客の目は水平線はすぐに容易に捉えるが,垂直線には抵抗する。移動するも
のには誘惑されるが,動かないものについては受動的になる。とりわけ滑らかにリズム感あるカメラ
の移動は快いものだ。(...) 突然垂直線が導入されると,瞬間的な劇的効果が得られる」(Dreyer 1995:
109-110)と述べているが,これは,優れた映画監督たちが,こうした映像の抽象的で音楽的な次元にき
わめて敏感であったことを示す一例である。
12)このような観点からいえば,ドキュメンタリー映画や民族誌映画もまた,現実の生々しさを捉えるだ
けでは,「フェノメナ」の表面をなぞるだけで,「フェノメナ」の表現として実現されていないという
ことになるだろう。1950年代末から1960年代のジャン・ルーシュやピエール・ペローの作品は,同時
代の他のドキュメンタリー作家たちの作品とともに,ドキュメンタリー映画に「フェノメナ」の表現
としての新たな次元を切り開いたものと考えることができる。
13)ちなみに,ドライヤーはこのアイデアを同国人の画家V・ハマーショイ(Vilhelm Hammershøj, 18641916)の作品から得たらしい(Drum & Drum 2000: 52-53)。実際,この画家の作品の中に「視覚的純化」
に対応する手続きは確かに見出しうるように思われる。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
47
として,ほとんど抽象的であるほど簡素で単
にしようとしたのです」と彼は言う(Famili
純でありながら,そこにあるもののすべてに
2002)16)。また,クルディスタンでは夏の間,
おいて完全な感じを与える映像が生まれるこ
人々は全く休みなく働いていて道端に座って
52)13)。ドラ
いる人などいないにもかかわらず,道端に座
とになる(Drum and Drum 2000:
イヤーは,余計な要素を取り除かなければ,
って休んでいる人々を画面に入れた。それは,
「セッティングの現実はそれ自体が関心を引
観客が「自然な」村の情景を眺めることで,
いてしまい,観客はストーリーから注意をそ
映画そのものの主題に集中するようにするた
らされてしまう」とも述べているが(Drum
めの手段であった(ibid.)
。さらに,この映画
and Drum 2000: 53)14),こうした「視覚的純
では,クルディスタンの山村にはふつう存在
化」によって,映像は確かに,具象的な次元
しない「茶屋」が出てくるが,キアロスタミ
と抽象的な次元の双方において,「フェノメ
にとって,これは,よそ者である主人公と村
ナ」を透徹した形で表現してゆくものとなっ
人たちとの交流の場を作るための,映画的語
てゆくだろう15)。
りの上での一種の方便であった(ibid.)
。
他の手続きもあるだろう。イランの映画監
映画は「フェノメナ」に内在する潜在的
督A・キアロスタミは,ドキュメンタリー的
(virtuel)な力を表現すべきものであり,現実
な匂いが濃厚に漂ったフィクションの作品を
(actuel な現実)をそのままの形で写し取るべ
多く発表してきたが,彼は自作の中で,しば
きものでは必ずしもないのであり,例えば具
しば人為的な「創作」をあえて用いるとも述
体的な撮影対象が含んでいる現実的(actuel)
べている。例えば,
『風が吹くまま』
(Bad ma
な貧困――ないし貧困として観客の目に映る
ra khahad bord, 1998)では,舞台となったク
もの――をそのまま撮らねばならないわけで
ルディスタンの村の自然なセッティングを最
はない17)。ただし,現実を必ずしもそのまま
大限に利用しつつも,他方で,舞台となった
撮るわけではないということは,しかし,現
村の一部を丁寧に掃除して映像を美的なもの
実そのもののリアリティーから遊離した,空
にしようとした。それは,村をそのままの形
虚なファンタジーを表現することと同じでは
で写すことで,それが貧困についての映画で
ないだろう。芸術作品としての映画は,「フ
あるかのように思われてしまうことを避けた
ェノメナ」の空気を一杯に呼吸した中から生
かったからであった。「私は貧しさを画面か
まれてくるリアルな(réel)なものでなけれ
ら消して,できるだけ美しく,見て快いもの
ばならないのであり,単に可能的な(possible)
14)筆者はここでのドライヤーの「ストーリー」という言葉を,狭義でのストーリーではなく,「制作者が
映像の流れの全体を通じて表現しようとしているもの」という広い意味で理解しておく。ドライヤー
のどの作品も,狭義でのストーリーに還元されるものではないことは明白である。
15)ジャン・ルノワールが,ドライヤーの映画は具象と抽象の対立を超えていると評しているのも,こう
した角度から理解しうると思われる(ルノワール 1999: 302-304)。
16)画面を美しくする必要性についての同様の主張は,小津にも(田中編 1989: 77),ウェドラオゴにも
(Ouedraogo 1993a)見ることができる。ウェドラオゴは,「人々が自らの運命を担っていくよう元気づ
けるためには,貧困(悲惨さ)以外のものを見せる必要があるのです」とも述べており(ibid.),そう
した選択が彼のエティカ的=政治的態度の反映でもあることを示している。
17)ドゥルーズは,哲学的概念としての「潜在的(virtuel)」という言葉について,それは「現実的(actuel)」
と対立するものであり,「リアルな (réel) 」ものと対立するものではないのであり,他方で,「リアル
な (réel)」ものと対立するのは「可能的な (possible) 」ものであると述べている(cf. Deleuze 1966: 99)。
ここではこのドゥルーズによる4つの概念の区別を踏まえ,芸術作品を「フェノメナ」の潜在的
(virtuel)な力のリアル(réel)な表現,言い換えれば現実的(actuel)ではなく,また可能的(possible)でも
ない表現として考える。
48
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
なものであってはならないのだ18)。それはま
システムに依拠した映画制作でも,実際には,
た,前衛映画や実験映画がしばしば陥るよう
多くの場合,観客の「覗き見」的な視線を意
な,真空中での自己完結的で形式的な実験で
識して作られるのが現実である。
ないことも確かなのである。
しかし,イオセリアーニも主張するように,
芸術としての現代映画の与える視覚的ないし
1.6. 「覗き見」と「喜び」
映画は,観客を,力に満ちた「フェノメナ」
視聴覚的な「喜び」は,こうした「覗き見」
的な快楽と混同されてはならないだろう。映
の空気と接触させ,観客はそれを手探りの直
画を見ることは,「覗き見」を経由せずとも
接的視覚をもって探索する中で,独特の「喜
我々にとって魅力的なものであるばかりか,
び」を経験する。映画がこのような可能性を
それよりずっと根源的な「喜び」を与えるも
持つ中で,しかし他方で,実際の映画やテレ
のでありうるのだ。この「喜び」は,直接的
ビ映像の多くは,それとは別の種類の種々の
視覚の喜び,そして「所有」の喜びであり,
快楽を与える商品として機能していることも
別の言い方をすれば,スピノザ的な「知」の
確かである。そうした種々の快楽の中で,
喜び――それは書物の世界の「知」ではなく,
「覗き見」的な楽しみは,それが視覚的快楽
もっとトータルなイメージの「知」,身体に
であるがゆえに,ここで言及しておく価値が
よって把握される「知」が生み出す「喜び」
あるだろう。グルジアの映画監督O・イオセ
である――と言っても良いだろう(cf. スピノ
リアーニは,彼一流のユーモアを交えながら
ザ 1980)。映画の中で表現されている「フェ
次のように指摘する。「一日中働く中産階級
ノメナ」の力に触れることで,観客の身体の
の人たちは,家に帰ると,鍵穴から見ること,
中に,一つの「知」が生まれる。そのことが
他人の生活に侵入することが大好きです。彼
――そのこと自体が――喜びを生むのである。
にとってのスペクタクルがこれです。映画館
ここでいう「喜び」は,他方で,笑いとも
に行って,他人の私生活を覗き見するために
それほど遠いものではない。ベルクソンは
金を払うのです」(Iosseliani 2001a: 168)
。確
『笑い』において,芸術とコメディーとを,
かに,ポルノグラフィーからリアリティ・シ
ともに生の現実に触れるものとして規定した
ョウまで,今日,きわめて多くの映像がこう
が,そのことは両者の近縁性を暗示してもい
した「覗き見」の制度化と産業化の中で機能
るだろう(ベルクソン 1976)20)。「フェノメ
していることは疑いないだろう19)。スター・
ナ」――あるいはベルクソンのいう「生」の
せい
18)セネガルの映画監督ウスマン・センベーヌは,自作『エミタイ』(Emitaï, 1971)にまつわる興味深いエ
ピソードを語っている。この映画は,フランス植民地体制下のセネガルで村人たちがフランス軍に大
量虐殺される悲劇を扱ったものだが,彼は他国での公開に先駆けて,この悲劇が実際に起こったセネ
ガルの村で試写会を行い,村人たちの喝采を浴びた。しかし,映画の結末については,村人たちは不
満であった。フランス軍による虐殺を間近に見た老人たちにとって,『エミタイ』の結末は,フランス
人の残虐さを十分に描いていないという意味で不満足なものであった。これに対し,この時代を知ら
ない若い世代にとっては,アフリカ人たちがフランス兵に打ち勝つような明るい結末にすべきだった,
という意味で不満足なものであったのだ(cf. Sembène 2003)。老世代の望んだ結末は実際の出来事に囚
われて思考の可能性を閉じてしまうという意味で,あまりにも現実的(actuel)であり,若い世代の望ん
だ結末は,事件の現実的条件から切り離された可能的(possible)なものといえるだろう。
19)近年ヨーロッパ諸国のテレビに出現した“Big Brother”などの,リアリティ・ショウの極限のような
テレビ番組は,この「覗き見」の制度化を完成させ,徹頭徹尾「覗き見」に依拠した映像を作り出し
たといえるだろう(cf. Ramonet 2001: 247-269)。付け加えるなら,イオセリアーニが「覗き見」を「一
日中働く中産階級の人々」のライフスタイルと結びつけていることは注目に値する。なぜならその高
度な制度化は,近代資本主義社会における所有権の確立(それによる「親密な空間」の確立)と表裏
一体をなしていると考えられるからである(cf. 3.1.)。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
現実――に触れることは,喜びであり,それ
49
ただしこの集合的な性質は,潜在的(virtuel)
が同時に我々に笑いを引き起こすことも少な
なものであり,それが現実(actuel)の観衆
くないからである。「覗き見」でない「喜び」
によって必ず把握されるとは限らないことも
の映画は,礼拝の対象のように「襟を正して」
事実である。むしろ,真の芸術作品がつねに
見るべきものではない。むしろその反対であ
未来に向かって創造されるものである以上,
り,ベンヤミンが述べたように,映画は確か
現在の観客が抵抗を感じるようなもの,時に
に「アウラ」にはそぐわないものだ21)。ここ
は怒りを感じるようなものを内包しているこ
で興味深いのは,ベルクソンが,「笑い」は
とは少なくない。実際,世界に向かって「新
集合的な性格を持つものであると論じていた
しい視覚」を提供した映画史上の数々の画期
ことだ。おそらく,「フェノメナ」――ある
的な作品は,しばしば観客の側の激しい否定
いは「生」の現実――の表現としての直接性
的反応に出会ってきた23)。それでも映画監督
の映画も,観客の間に「喜び」を伝染させて
たちは,自らの作品が観客の中に「喜び」を
いくことで,ある種の一体感を生み出しうる
生み出すことを期待しつづけるのである24)。
のではないだろうか。その意味では,直接性
の映画は集合的な性質をもつ,と考えること
ができるかもしれない22)。
20)ただしベルクソンは,コメディーが社会的制裁と結びついているのに対して,芸術が社会に背を向け
て純粋な自然(ないし「生」の現実)に向かうものであるとして,両者を対立させている(cf. ベルク
ソン 1976: 156-157)
。しかし,今日からみれば,コメディーの社会性が,単なる社会的制裁という保守
的な機能に限られるものではないことは明らかであり,むしろ,既存の社会制度によって抑圧されて
いる「生」を露出させることで,コメディーが,笑いとともに純粋な自然に向かうこと,芸術的な意
味と同時に文化的・社会的・政治的解放の意味をも持つことが可能であることは明らかであるように
思われる(例えばパレスティナの映画監督E・スレイマンの最近の映画『D. I.』(Yadon ilaheyya, 2002)
はその好例である)。この点では,ベルクソンは,コメディーの社会性をごく限定した形で捉えると同
時に芸術の社会性を見落とすという二重の誤りを犯していると考えられるのであり,結果として,彼
のいう「笑い」と芸術の対立は,疑似問題であると考えざるをえない。
21)周知のようにベンヤミンにとって,この点で映画はダダイズムの衣鉢を継ぐものである。多木浩二は,
「複製技術時代の芸術作品」へのコメントで,ダダのほかにブレヒトにも言及しつつ(cf. ベンヤミン
1971),ベンヤミンの映画論における,遊戯性,気散じ的要素,くつろぎといったものの重要性を正し
く指摘している(多木 2000)
。
22)J. フリジェシによれば,ウィーンのシェーンベルクやカール・クラウスが,「オリジナルなもの」,「真
なるもの」の追求は芸術と大衆文化を対立させるものであって,大衆によって受容可能な作品の制作
は,芸術家自身の「誠実さ」と相容れないものだと考えたのに対し,ブダペストの芸術家たちは,芸
術制作は,過去においても現在においてもつねに民衆文化・大衆文化との交流・交配の中にあるので
あり,共同体的な性質を持たない作品は真実ではなく,流行の模倣か,空想にすぎないと考えた
(Frigyesi 1998: 93)。筆者は後者の立場を支持するものであり,
「フェノメナ」の探求に立脚する直接性
の映画は,潜在的には共同体的性質を持つものであり,大衆による受容と対立するものではないと考
える。現実的にも,通常莫大な費用をかけて制作される映画のような芸術に関して,前者のような立
場を信じることは理不尽でさえあるだろう。
23)例えば,今では想像しにくいことではあるが,ルノワールの『ゲームの規則』(La règle du jeu, 1938)の
公開時には,怒りのあまり座席を壊す観客まで出たという(cf. Thomas 2002: 27)。このような観客の反
応は,スキャンダルの「教育」的意味を重視していたダダイストたちの催しにおける反応にも似たも
のである (cf. López Lupiáñez 2002: 154-157)。ベンヤミンがこうした点においてダダと映画を関係付け
ていたことも,ここで思い起こしておいて良いだろう(ベンヤミン 1970: 39-41)。
24)自分の作品を観客が楽しんでくれることを望みつつ(cf. Resnais 1980),他方で,観客が自らの映画に
騒然と不快感を示すことを期待しさえする(cf. Thomas 2002: 27)という,アラン・レネの一見矛盾し
た態度は,こうした映画監督と観客の微妙な関係をよく示しているだろう。
50
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
これは,キアロスタミのようにドキュメン
2.共感と比較のあいだ
タリーに近接した作品を作る映画監督に限っ
2.1. 「生」を捉えること
たことではない。例えばアラン・レネのよう
前章では,映画における直接性の表現の可
に,脚本家との共同作業のもとに綿密なシナ
能性について考えたあと,そうした直接的な
リオを作成し,プロの俳優を用い,主にセッ
ものの表現としての映画が,しかし現実をそ
トで撮影する監督もまた,最終的に映画の制
のままナマの形で捉えたものでは必ずしもな
作過程は自分のコントロールの外にある,と
いことを述べた。この章では,「直接性の映
述べている。彼の言葉を引こう。「私は,映
画」を実現していると考えられる幾人かの映
画を支配するのは映画そのものだという印象
画監督たちの作品や発言を参考にしつつ,
を持っています。従わなければならないのは
「フェノメナ」の表現としての映画の制作現
映画に対してであり,映画そのものが,チー
場で現出してくる諸問題について,より立ち
ムの全体,撮影技師たち,俳優たち,美術ス
入って考えてみたい。
タッフ,そして演出家を引っ張ってゆくので
先に,映画が「フェノメナ」の表現である
す」
(Resnais 1980: 11)
。いうなれば,撮影の
ことは,現実的(actuel)な事物をそのまま
場においては映画がそれ自体の「生」を持っ
撮ることでは必ずしもないことの一例とし
ているのであり,監督ないし演出家といえど
て,キアロスタミが『風が吹くまま』におい
も,それに従わなければならない。「必要な
て導入したいくつかの人為的な変更について
ことは,そこで起こること,そこで現出する
触れた。ただ,そうした変更が安易に行うべ
あらゆることに絶えず耳を澄まし,目を凝ら
きでないものであることも,強調しておく必
していること,そうした出来事が映画の中に
要があるだろう。そうした変更は,現実的
入りうるものなら,飛びつくことです。反対
(actuel)ではなくても,可能的(possible)
に,映画にそぐわないものが出てきたら,追
ではなく,リアル(réel)なものでなければ
い出さなければなりません」(ibid.)。撮影現
ならないからである。キアロスタミ自身も,
場での映画の「生」を見失ってしまえば,映
自然なセッティングをまず最大限に利用すべ
画は死んでしまうだろう。映画というものが
きことを強調しており,『風が吹くまま』で
「フェノメナ」の表現であるとすれば,その
も,舞台のクルディスタンの村の構造はそっ
「フェノメナ」の一つの決定的な要素が,制
くりそのまま利用している。「自然なセット
作過程を生きつづける映画自体の「生」であ
の利点は,そこにあまり介入できないことで
る,ということになるだろう。
す。偶然の概念は,セットを変えすぎてはい
もちろんドキュメンタリーでも同じであ
けないことを教えるのです」(Famili 2002)。
る。実際,ピエール・ペローの作品やジャ
自然なセットのもっている偶然的な要素は,
ン・ルーシュの作品 ――『私は黒人』(Moi,
そのセットのもつリアリティーであり,
「生」
un Noir, 1958)や『ジャガー』
(Jaguar, 1967)
である。そうした偶然的要素を無視してすべ
など――がそれ以前の多くのドキュメンタリ
てをコントロールしたような,キアロスタミ
ーと決定的に異なっていた点の一つは,彼ら
のいう「缶詰の映画」では,「生」が死んで
の作品が対象の人々を疑似客観的に捉えるの
しまうからである。「最も重要な瞬間は,演
でなく,人々の「生」をそのまま捉えようと
出家のコントロールの外で起こるものです。
したからであった。ペローは,先に触れたド
そういった瞬間に,『生』が映画に闖入して
キュメンタリー映画『世界の存続のために』
くるのです」
(Famili 2002)
。
について,
「『世界の存続のために』特有のも
せい
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
51
のと思われるのは,島の人々が彼らの生を生
ル=オ=クードル島のある老人のインタビュ
きていること,言葉が現実のもの,瞬間的な
ー映像を初めて撮影した時だった。「顔の上
もの,反省的でないもの,生きられたもので
に言葉が生まれるのを見つめる映像の力強さ
あることです。無媒介であること,と言って
を,私は忘れないでしょう。私はある世界を
もいいでしょう」と述べる(Perrault 1996: 59)
。
発見しつつあったのです。顔の地理の上での,
ペローにとって,ドキュメンタリーが対象と
言葉の誕生です」
(Perrault 1996: 41)
。ペロー
する現実は,彼が映画によって解釈するもの
のこうした言葉は,人が言葉を発するという
ではなかった。
「私が現実を語るのではなく,
ことの持ちうる力強さを,我々に思い出させ
現実に言葉を与えるのです。現実を私の小さ
てくれる。それは確かに,映画が捉えうる最
な想像力の牢から解放し,自由に動けるよう
も美しいものの一つなのである。
にしてやるのです」
(Perrault 1996: 53)
。こう
このことは,もちろんドラマ映画でも変わ
してドキュメンタリーは,現実のなかでうご
らない。登場人物が言葉を発する映像とは,
めく「生」を捉える格好の道具となるのであ
俳優が与えられたセリフを情感を込めて発す
る。
るイメージにとどまるわけではない。言葉―
興味深いことに,ペローやルーシュのドキ
―少なくとも映画の核心部分をなす言葉――
ュメンタリーは,人々の「生」の最も生き生
の一つ一つは,その場面で生まれる「出来事」
きとした瞬間――それはまた,最も創造的な
であるはずであり,それは,状況を「初めて
瞬間でもある――を捉えてゆくことによっ
名付け」,自分のものにするような力強さを
て,フィクションの映画に近づいてゆく。他
持ったものでありうるのだ。少なくともこれ
方で,レネが述べていたような映画そのもの
が,ドライヤーが自らのドラマ映画の制作に
の「生」,それは,フィクションの映画の撮
おいてつねに目指したものであった。「俳優
影自体にドキュメンタリー制作の側面を与え
は産み,監督がそれを介抱し,出生を助ける
ることになるだろう。「生」を捉えるという
ためのあらゆる努力をします。『子』は俳優
局面において,フィクションとドキュメンタ
の子であり,俳優がその感情生活,内面生活
リーの区別は,次第にその意味を失ってゆく
の中で,言うべきセリフと出会ったあとで暖
のである。
めていったものです」
(Dreyer 1995: 115, 傍点
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
は箭内による)
。ドライヤーも,「世の中に人
2.2. 言葉の発生と顔のイメージ
ところで,ペローがドキュメンタリー映画
間の顔に比肩しうるものはないでしょう。そ
れは探索するのに飽きることのない土地なの
の制作を行う中で最も重視したことの一つ
です」と述べているが(Dreyer 1995: 153),
は,人々が言葉を発する姿を捕える,という
これは彼にとって,言葉を発するイメージが
ことであった。「言葉のイメージは,映画の
いかに重要なものであったかを示しているだ
最も高い頂点に到達するもののように思いま
ろう。実際,既に『あるじ』
(Du skal ære din
す」,「言葉を発する顔ほど,時に感動的なも
hustru, 1925)や『裁かるるジャンヌ』(La
のはありません。そして顔の沈黙もそうで
passion de Jeanne d'Arc, 1928)のようなサイレ
す」,とペローは述べる(Perrault 1996: 60)。
ント映画において,彼は顔のクロースアップ
もちろん,彼が言っている「顔」は,人々が
ショットにおける言葉の発生の瞬間,言葉に
彼らの「生」を生きている中で,自己の内面
よる世界の詩的所有の瞬間――その言葉は音
から真に言葉が生まれ出る瞬間の,顔である
声ではなく,字幕で表現されるのだが――を
だろう。彼がこのことに気づいたのは,イ
捉えていたようにみえる。
52
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
言葉の発生という問題を考えるとき,アフ
2.3. 共感と比較のあいだ
リカの困難な制作条件のもとで,村人たちを
「生」を捉えること,「言葉の発生」を捉
そのまま素人俳優として用いることの多いウ
えることは,映像に強烈なリアリティーを与
ェドラオゴのケースもなかなか興味深い。
えるものであり,そうした映像が見る者を強
『ヤーバ』の撮影をめぐって彼は次のように
く引きつけるだろうことは,想像に難くない。
言う。「俳優は全員素人でした。... [私が村
ただ,映画が複雑なのは,そこから同時に,
で映画を撮り始める]以前には,人々はキャ
一つの逆説的な状況が生まれてくることであ
メラも,大勢のスタッフも,見たことがあり
る。特に,そうした力強い映像がドラマトゥ
ませんでした。... 彼らが嘘っぽくみえないよ
ルギーの巧みな用法と結びつくと,生々しい
うにするには,彼ら自身の人生経験に頼るし
イメージが観客の中に登場人物に対する強い
かありませんでした。... [映画は]彼らの経
共感ないし同一化を喚起し,観客はドラマの
験そのものだったので,彼らは的確な演技を
中にぐいぐいと引き込まれてゆく。こうして,
してくれました。実際,演技というより,彼
映画の受容の経験は,観客自身がスクリーン
らは自分自身のキャラクターを演じただけだ
上で何かを「発見する」「自分のものにする」
っ た の で す 」。 し か し , そ う だ と す る と ,
というより,スクリーン上で「見せられる」
人々のキャラクターをどう映画の役柄と重ね
ものに自らを委ねるという,受け身の行為に
合わせるのだろうか。「
[そのため]セリフの
変質していくのだ。これは,ある意味で逆説
一つ一つは,俳優にとって身近なものでなけ
的な状況と言えるだろう。それ自体は直接的
ればならなかったのです。そこで私は,コン
なものを含んでいたはずの映像が,使われ方
テも作らず,シナリオも作りませんでした」
によっては,まさにその力強さのゆえに,受
(Ouedraogo 1989)。つまりウェドラオゴは,
容の局面において観客から直接性を奪ってし
シナリオのほうを俳優たちに近づけていった
まうのである。
のであり,こうした手続きは映画をドキュメ
ただ,ここで問題は,映像自体にあるとい
ンタリーにますます接近したものにしてゆく
うより,そうした映像がドラマトゥルギーに
と言えるだろう25)。ハンガリーの映画監督ベ
絡め取られてしまっていることにあるように
ーラ・タルの手続きもこれに近いものだが,
思われる。イオセリアーニは,「ドラマトゥ
それは,文化人類学のフィールドワークに近
ルギーとは,2∼3人の人物の人生に関し,彼
い要素さえ含んだものである。彼は,『ヴェ
らの欲望の実現の不可能性をめぐって語る方
ルクマイスター・ハーモニー』
(Werckmeister
法であり,論理的な原理に従うものです。
harmóniák, 2000)の制作に当たり,脚本を手
[実際の]人生においては,こうしたドラマ
にロケ地の村に入り,そこでまる一年,俳優
トゥルギーは存在しません。あるとすれば,
となるべき村人たちと一緒に飲み食いしたと
運命(fatum)だけです」
(Iosseliani 2001a: 67)
いう。その中で,シナリオを頭の中で完全に
と述べる。確かに,ここでイオセリアーニが
組み換えつつ,そこから,シナリオなしで撮
述べているような古典的なドラマトゥルギー
影にはいったのである。タルはこの映画で,
は,語りによる語りのための技術であり,こ
俳優たちは演じているのではなく,ただ彼ら
れに対して,イオセリアーニが指摘するよう
自身であるのだ,と述べている(Tarr 2002)
。
に,人生そのものは,非常に様々な出来事が,
25)キアロスタミも素人俳優を多用する映画監督だが,『風が吹くまま』の撮影風景を撮ったドキュメンタ
リー映画では,キアロスタミが,演出の最中に,俳優自身にとってなじみある表現にセリフを変えて
ゆく様子を見ることができる(Mohara 2002)。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
非常に様々な解釈の可能性をはらみつつ生起
していくという意味で,そうしたドラマトゥ
53
な映画に到達することができると思います」
(Prédal 1965: 43)
。それぞれのやり方ではある
ルギーを超越したものである。その意味で,
にせよ,何らかの形で過度の同一化を避け,
ドラマトゥルギーに過度に依存した映画的語
一定の距離の中で観客が映像を自由に眺める
りは,観客を引きつけるかもしれないが,そ
ようにしようとする傾向は,現代の多くの優
れが表現する内容は貧弱であると言わざるを
れた映画監督たちに見られるものである。し
えないだろう。表現内容だけではない。映画
かし,一体どのようにして,こうした「同一
的経験は,1.4.で見たように,画面に展開さ
化の瞬間」と「退却の瞬間」の共存が可能に
れる具体的な事物の知覚と,映像や音声が生
なると考えたらよいのだろうか。レネの場合,
み出すより抽象的で音楽的な印象との両方か
その発想は少なくとも一部ではブレヒトの
ら構成されていると考えることができるが, 「異化効果」の理論を参照したものであり26),
ドラマトゥルギーとは前者の論理的関係に依
また一般に現代映画が非同一化へと向かって
拠するものであるがゆえに,ドラマトゥルギ
ゆくに際してブレヒトの理論が与えた(ある
ーに力点を置けば置くほど,後者は軽視され
いは与ええた)影響が小さくないことは,見
ることになる。そのような映画は,観客の中
逃せない事実である。その意味では,そうし
に映像や音声の抽象的で音楽的な印象を形成
た角度からこの問題を検討することも可能で
してその中で観客がゆったりと映像を眺める
あろう。しかしここでは角度を変えて,18世
ようにする代わりに,ストーリーの緊密な論
紀スコットランドの哲学者D・ヒュームによ
理の中に観客を捉えて,むしろ観客を動けな
る「共感と比較の中間領域(medium)
」の理
くしてしまうのである。
論を参照しつつ考えてみたい。
こうした問題は,もちろん優れた映画監督
ヒュームは,
「等しく張られた絃の場合に,
たちが早くから気づいていたものであった。
その一本の絃の運動が残りの他の絃に伝達さ
例えばアラン・レネは,「観客には,主人公
れると同じく,全ての情感はひとりの人から
に同一化するのでなく,時折,主人公の感情
他の人へとすぐに移りゆき,あらゆる人間に
に同一化してもらえればと思います。同一化
相応ずる運動を生み出す」(ヒューム 1955:
の瞬間と退却の瞬間の両方があってほしい。
306)と考え,こうした作用を「共感」
人物への結びつきと同時に,判断力を保持し
(sympathy)と呼んだ。
「人間の精神は非常に
ていてもらいたいのです」
(Prédal 1965: 163)
通い合っているので,ある人が私に近づいて
と述べる。レネは,「生」を捉えながらも,
くるとたちまちその人の意見がすべて私に伝
観客が登場人物に過度に同一化して,受容経
播し,多少の程度の差こそあれ,私の判断が
験の直接性を失ってしまうことを避けようと
引きずられてしまう。この共感の原理はたい
する。そして,むしろ人物から解放された感
そう強力で心に食い入る性質のものである」
情の戯れを扱うことで,新しい映画の創造を
(ibid.: 318)というヒュームの説明は,スクリ
企てるのである。「私は人物よりも感情の戯
ーン上の人物と観客との関係にも,多くの場
れに興味を持ちます。現代絵画が形の戯れで
合,当てはまるだろう27)。さてヒュームは,
あるように,映画でも,心理的に定義された
この「共感」の原理に加えて,(自分自身と
人物なしの,ただ感情の戯れが展開するよう
の)
「比較」(comparison)という興味深い原
26)実際彼はインタビューの中でしばしば,「異化」(フランス語でdistanciation)という言葉を使っている
(例えば Seligman 2003)
。初期の『夜と霧』(Nuit et brouillard, 1955)の制作で,レネが音楽担当として
ブレヒトの盟友ハンス・アイスラーを招いている事実も,ここで思い起こしておく価値があるだろう
(cf. Dümbling 1998)。
54
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
理を提示する(ヒューム 1955: 318-319)
。この
ドラマについて,観客が自分自身と引き合わ
原理は,ヒューム自身の説明によれば,「あ
せながら思いを巡らすことであろう。共感が
る対象に関するわれわれの判断が,それと比
あまりに強く働いている状態であると,人物
較する対象に対する割合に応じて変化する,
がこうむる苦はすべて苦として,快はすべて
という原理である。
(...)他人の苦は,それ自
快として経験されてしまい,観客が自発的に
身において考察されればわれわれに苦を与え
何かを感じたり考えたりする余地がなくなっ
る。しかし,それはわれわれ自身の幸福の観
てしまう。しかし他方で,共感があまりに弱
念を増大し,われわれに快感を与えるのであ
いと,スクリーン上の出来事に対する関心自
る」。つまり,人間は他者に対して共感を抱
体が失われてしまうだろう。共感が強すぎも
くと同時に,自分自身との比較という角度か
せず,弱すぎもしないような中間領域におい
らも他者を捉えるのであり,例えば不幸な人
て,観客はドラマを通じてスクリーン上の世
を見た者は,共感の作用によって不幸な気持
界に入り込みつつ,しかしドラマに没入する
ちになるが,同時に,比較の作用によって
こともなく,自分の仕方で,自分自身の経験
「自分はそれほど不幸ではない」と安堵する
として,映画的経験を味わうことができるの
ことになる。さて,ヒュームはここで,「共
である28)。「フェノメナ」の表現としての直
感の原理と,われわれ自身との比較の原理と
接的映画は,おそらく,このような条件にお
は正反対である」ということを指摘した上で,
いてはじめて,観客から経験の直接性を奪う
比較の原理について,次のきわめて興味深い
ことのない形で受容されることになるだろ
洞察を行う。つまり,もし我々の他者に対す
う。そこにおいて観客は,映像を通して「フ
る共感がきわめて強い場合には,比較の原理
ェノメナ」に到達し,自らの視覚をもってそ
は作用しない,しかし他方で,全く共感をも
れを探索し,自らの身体をもってそれを経験
たない他者に対しても,我々は感心すら抱か
することができるのである。
ないので,やはり比較の原理は作用しない,
ということである。比較の原理が作用するた
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
めには,そのための「ある中間領域がある」
2.4. 非中心化と表徴化
共感を保持しながら中間領域に後退するこ
のだ。「もし観念があまりに淡いとき,観念
とにより,観客がスクリーン上の出来事に共
は比較による影響力をもたないが,他方,も
感しつつ同時に自らとの比較を行うことがで
し観念があまりに強すぎるとき,観念は全く,
きるようにすること。このような中間領域へ
比較とは反対の共感によってわれわれに作用
と後退するためには,いくつかの手段が考え
するのである」
(ヒューム 1955: 319)
。
られる。
映画の受容経験に即して考えるなら,ここ
一つの方法は,人物中心,言葉中心の映像
でいう「比較」とは,スクリーン上の人物の
を非中心化してゆくことであり,例えば,人
27)
「共感」の概念は,スクリーン上の人物と観客の関係に関して頻繁に用いられる「同一化」の概念よ
りも適切であるように思われる。なぜなら,我々は多くの場合,スクリーン上の人物に共感はしても,
同時に距離を感じたり反感をもったりするからであり,「同一化」の概念は,こうした観客の複雑な感
情を見えにくくするからである。
28)Th.シェフは,「カタルシス」の問題を心理学・人類学・演劇論の観点から再考した著作(Scheff 2001)
において,過度の同一化のもとでは,カタルシスの効果が減少すると述べている。シェフの見解が正
しいならば,共感のメカニズムを過度に利用したドラマトゥルギーは,一次的なストレス解消にはな
り得ても,深い意味でのカタルシス的な経験を引き起こすことにはならないことになる。中間領域に
とどまることは,映画の受容の経験に,ブレヒトが主張したような思考の次元を与えると同時に,真
にカタルシス的な次元をも与えることを可能にする,と言えるかもしれない。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
55
物の顔のクロースアップの安易な使用を避け
すべり落ちたリンゴがテラスをジグザグに運
(クロースアップの濫用は,必要以上に観客
動したあと樋を伝って落ち,村の少年の手中
に共感を引き起こしてしまう),むしろ同じ
に収められる。キアロスタミは「(このリン
アイデアをミディアムショットやロングショ
ゴのショットのように)何気ない細部がフレ
ットで表現するように努めることであろう。
ームの中に入って観客の注意を引くとき,そ
また,人物の言動のあまりにも自明な連鎖に
の細部は別の価値を持ってきます。最も日常
よってストーリーを構成していくのではな
的なものに集中することです」と説明する
く,間接的だがより含蓄のある表現,あるい
(Famili 2002)
。事実,キアロスタミのこのシ
は表徴によって,人間の思考や行動の複雑さ,
ョットは,リンゴを落とした主人公と受け取
非論理性,意外性を含みこみながら映画を展
った少年との関係を示すのみならず,ある意
開してゆくことでもあるはずである。イオセ
味で映画全体のアイデアを示すような,みご
リアーニは,まさにこのような脈絡で,「ク
とな表徴になっている。
ロースアップは好きではありません。それは,
さらには,例えば野生動物や家畜のような,
私の意図する表徴(signo)と,人々による表
容易にコントロールのきかない要素の導入
徴の解読の間に,雑音を持ち込んでしまいま
も,映像の非中心化に役立つだろう。『田園
す。人物は,あまりに具体的になり,ただ現
詩』
(Pastorali, 1975)の家畜から,
『素敵な歌
実的なだけのものになってしまうのです」と
と船は行く!』(Adieu, plancher des vaches!,
し,また,「目は常に人を欺くものです」と
1999)における鳥や『月曜日に乾杯!』
さえ述べる(Iosseliani 2001a: 176-7)。事実, (Lundi matin, 2002)の爬虫類など,イオセリ
彼の大半の作品では,人物だけでなく物の細
アーニは好んで動物を画面に導入する。他方,
部をも多く含んだ,つねにミディアム以上の
キアロスタミは,『風が吹くまま』で,しば
ショット(多くの場合,シークエンス=ショ
しば動物たちが自然な形で画面に入ってくる
ット)で撮られている。
ことについて,次のようにコメントする。
他方,クロースアップも,人物ではなくて
「動物たちの存在は演出と雰囲気をより自然
物のディテイルを撮ったりすることで,逆に
なものにするのです。鳥が,羊が,撮影クル
非中心化の効果を生むために用いることがで
ーを無視して入ってくることは,シーンが自
きるだろう。イオセリアーニは,「物の細部
然に展開していることを示します。それは,
は,[人物の顔よりも]行動や運動の痕跡を
演技がより自発的で真実なものである一助と
保持しています。細部は人間同士の関係をよ
なるのです」
(Famili 2002)
。動物の存在は単
りよく説明するかもしれません」(Iosseliani
に映像を非中心化するだけでなく,俳優たち
2001a: 93)とも言っているが,実際,一見無
の演技や撮影のプロセスそのものを,ドラマ
意味な細部にこだわったショットがきわめて
トゥルギーの過度に論理的な宇宙から解放す
力強い意味を持つ例は,しばしば見られるも
るのだ29)。
のである。キアロスタミの『風が吹くまま』
の印象的な一ショットでは,主人公の手から
キアロスタミは,今日の支配的な映画では,
制作者が何もかも理解可能な形で見せようと
29)ベーラ・タルも次のように述べる。「多くの映画監督は,映画を作るとき,ストーリーにしか興味を持
たない。しかし私は,ストーリーとは何かよく分からない。今日人々が語るストーリーは,古代にす
でに作られたもの,2000年か4000年も昔に存在したものだと思う。犯罪,喜び... こうしたものは既に
いろんな形で存在してきた。それは人間のストーリーである。しかし,他のストーリーの形もある。
時間,自然,動物たち,それらのものも,それら自身のストーリーを持っている。だから,人間のス
トーリーばかりに耳を傾けないことが大事なのだ。こうしたパースペクティブの全てを探求し,すべ
てのものが一緒に住み,反響しあうようにしなければならないのだ」(Tarr 2002)。
56
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
し,また観客も何もかも理解しようとするこ
想像力を侵害してしまうのです。具体的なも
とを批判し,次のように述べる。「映画では,
のの魅惑は,[それだけで]我々を魅了して
何もかも見ようとすることによって,結局,
しまいます。
(...)具体的なものは,何かそれ
何も見せなくなってしまうのです」(Famili
自身の中に何の情報も持たないのに,想像力
2002)。そして続ける。
「なぜ全てを理解しな
を押し潰してしまうもののように思います」
ければならないのでしょうか。観客は自分自
(Iosseliani 2001a: 142-143)
。当然,映画は絵画
身で発見できるのであり,観客の知性を信頼
にもましてこのような危険を持っていること
しなければなりません」(ibid.)。彼が提案す
になるだろう。「我々の職業において障害と
る方法は,映画を見ている個人が自分なりに
なるのは,まさにこれです。絵画よりもなお,
解釈できるような「表徴」(signe)を通して
我々は具体的なのです」
(ibid.)。30)
映像を構築してゆくことである。「私は表徴
映画のイメージの具体性は,それが「フェ
(signe)を使って,それぞれの観客のために
ノメナ」の潜在力を最大限に表現するもので
イメージを作ることができます。私が表徴を
あるならば,まさに表徴として機能するはず
作り,観客がその意味を推測するのです。映
であるが,具体性がストーリーの枠に取り込
画は,全てを見せないことで,評価しなおさ
まれて単なる代理ないし表象として機能する
れることになるのです」
(ibid.)
。
時,それは,具体的で分かり易いがゆえに,
イオセリアーニは先の引用でクロースアッ
我々を「フェノメナ」から逆に遠ざけてしま
プはあまりにも具体的すぎると述べていた
う。ただ非中心化され,表徴化された映像の
が,映画の具体性は,映画の強みであると同
みが,我々を「共感」と「比較」の間の中間
時に弱みでもあるのであり,受容者が自分自
領域に保持して,我々が過度にストーリーに
身で何かを掴むという意味では,文学のよう
巻き込まれることなく,映像の抽象的な次元,
により抽象的な表現形式の有利な点もある。
音楽的な次元をも感じ取りながら,映画の中
イオセリアーニは次のように言う。
「文学は,
に漂う「フェノメナ」を自分なりに掴むこと
ユニークで無類の特性を持っています。作者
を可能にするだろう。
のファンタジーを解き放つことを可能にする
のです。… 文学は,我々の具体的経験から,
2.5. 映像の音楽性
言葉を通してイメージを実現する可能性を与
ところで,ドラマトゥルギーを弱め,共感
えます。具体的なものを我々に押し付けるの
と比較が均衡するような中間領域に後退する
ではなく,個人的経験に従って解釈できるよ
ことは,古典的なドラマトゥルギーの具体的
うな表徴を与えるのです。(...)[これに対し
な事物の次元に焦点を当てた構成とは異な
て]絵画はとても騒々しいものです。我々の
り,映像の抽象的で音楽的な次元により大き
30)イオセリアーニはまた,今日の子供たちが,小さいころから豊かで多様な映像を与えられ,それらを
簡単に消化することに慣れすぎてしまっていることを嘆いている(Iosseliani 2001a: 144)。映像の具体性,
つまり「わかりやすさ」は,我々の思考を停止してしまう危険をはらんでいるのであり,だからこそ,
ここで述べているような映像の表徴化,ある意味での抽象化が必要なのである。かつてキルケゴール
は,現代文明がすべてを容易にする傾向にあるのに対し,自分は容易なものを難しくすることで人類
に貢献するのだ,とユーモアたっぷりに述べたが(キェルケゴール1989: 481-485),まさに「容易なも
のを難しくする」ことがますます必要になってきているのだ。キアロスタミもまた,「自然の小川の美
しさは,水が障害物と出会うことから来る。直線を引くことは可能だが,真実からは遠い」と述べる
(Famili 2000)。彼の『オリーブの林をぬけて』(Zir-e darakhatan-e zeyton, 1994)が力強く示しているよ
うに,回り道をし,ジグザグに進むことで,映像ははじめて,表面的で具体的なレベルを越え,もっ
と根源的な「生」の真理を我々に示すようになるのである。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
57
な重要性を与えた映画的構成を生み出してい
画そのものをオペラに近づけることにもなる
くことになる。これは,古典的なドラマトゥ
だろう。「
『去年マリエンバートで』には音楽
ルギーを脱した映画監督たちがつねに出会っ
的詩の構造,繰り返されるテキストの呪文の
てきたものである。例えば,イオセリアーニ
ような力,オペラに対応するような,レチタ
は次のように語っている。「映画の構成法は
ティーヴォ的なトーンがあります。つねに,
音楽の作曲に近いものです。音楽が複雑な形
登場人物たちが喋るのをやめて歌いながら自
式の理論を作り出したことは皆良く知ってい
分のテキストを続けるような印象があるので
ます。最も簡単なのは三部形式です。例えば,
す」(ibid.: 230)。セリフはドラマを構成して
ロンド,あるいは民謡。さらに,フーガ,ソ
いく意味内容であるだけではなく,その音楽
ナタ,変奏曲。それから,主要な主題と,背
的響きによって,それ自体において存在意義
景で聞こえる全く別の主題,それにポリフォ
を持ったものであり,そうしたセリフの響き
ニーの方法があるとき,対位法となります。
が,映画の中である種の音楽を構成してゆく
こうしたことすべては,人物も,語りも,
のである。
「寓話」もなしに発達したのです。(...)映画
映像の音楽性という観点から見れば,スト
も,音楽と同様に時間の中に展開するもので
ーリーの展開上からはあまり注目されること
す。音が一定の持続を持っているように,映
のない,人物たちの身振り(ダンス的要素を
画でも観客にあるイメージを一定時間見せま
含め)が持ちうる重要な意味も,よりよく理
す。これが,具体性の雑音の彼方に映画を持
解されてくるだろう31)。ナイジェリアの劇作
っていくために私が提案できる唯一のもので
家ウォレ・ショインカは,アフリカ演劇は,
す。ジャック・タチとこのテーマについて夜
音楽や詩,会話,マイム,様々な動きなどが
遅くまで議論したことがあります。私一人が
色彩豊かな形で統合化されたマルチメディア
到達した結論ではないのです」(Iosseliani
演劇であり,その点で西洋演劇よりも優れて
2001a: 144-145)
。
いると述べたが(cf. ショインカ 1992: 225-
実際,共感と比較の均衡の中でずっと映画
226)
,例えばウェドラオゴの一連の映画では,
制作を行ってきたアラン・レネも,「主題を
そうしたアフリカ独特の「マルチメディア」
持ち,変奏と対位法を構築してゆく」という
的要素が,見事に映像の音楽性を醸し出して
意味において,映画の制作は作曲に似たもの
いる32)。しかしこれは,アフリカ映画をはじ
だと述べる(Prédal 1965: 29)
。実際,彼は最
めとする「周辺」諸国の映画に限ったもので
初の長編『二十四時間の情事』(Hiroshima
はなく,アメリカやヨーロッパの映画の内部
mon amour, 1958)において既に,音楽的構成
でも,ミュージカル映画やコメディー映画と
を念頭に置いていたとし,「もし『二十四時
いった「周辺」的なジャンルに見られるもの
間の情事』を方眼紙で図表にして分析したら,
でもある。ミュージカル映画については説明
四重奏曲に近いものが見えてくるでしょう。
するまでもないが,コメディー映画でも,チ
最初の言葉から,主題と変奏です。だから反
ャップリンやキートンから,ジャック・タチ
復したり,戻ったりするのです(...)
」と述べ
を経て,最近のエリア・スレイマンの映画―
る(ibid.)
。これはまた,彼の作品において映
―例えば『D.I.』
(Yadon ilaheyya, 2002)――
31)身振りやダンスは,個人のしぐさとは異なり,それが必ずしも同一人物に帰着されるものではないこ
とから,映画的語りを登場人物の主体性から解放する可能性をもっており,その意味でも重要である。
32)ちなみに,ウェドラオゴはあるインタビューでショインカの思想への共感を表明している(cf.
Ouedraogo 2003)。ウェドラオゴにとって,身振りや踊りや音楽は,多数の土着言語を持つアフリカの
人々が,映画の中で共有できる要素としても大きな重要性を持っている。
58
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
まで,身振りやダンス的要素は決定的に重要
これは音声のもつ強い構造化の作用を示すも
な役割を演じてきたのである33)。
のであろう。
映像の音声についても,映像の音楽性とい
アドルノとアイスラーは,視覚に比べて聴
う問題の中で考えるなら,それが会話や効果
覚はよりアルカイックな感覚であり,視覚が
音や音楽の再生をはるかに越える重要性を持
商品の集合体として世界を眺めることに慣
ったものであることも容易に理解されてくる
れ,合理化されブルジョア化されているのに
だろう。音声は一方で,画面には見えない周
対し,聴覚は前個人主義的な集合的性格を保
囲の現実を音で表現するだけでなく,音声を
持している,とする(Adorno et Eisler 1972:
何重にも重ね合わせたり,視覚的映像に対し
30-31)35)。この指摘が正しいかどうかは筆者
てずれたり矛盾したりするような音声をつけ
にはわからないが,存在すると同時に見えな
ることで,多くの場合観客がほとんど意識し
い,画面の周囲の「空間」――それは画面内
ないようなレベルで,映像における共感と比
の空間と矛盾したり,音声内部で矛盾した形
較の両方の効果の形成のために強力な役割を
で混在することもありうる,トポロジー的と
果たすことができる34)。他方で,音声の中に,
でもいいうるような空間である――を指し示
音楽的な反復と差異の戯れを導入すること
す音楽あるいは音声が,暗黙に,視覚的映像
で,映像全体に音楽性を与えることができる
が表現しえないような多数の,また多様な
だろう。音声による反復の感覚は,観客自身
人々の共存を表現することができることは確
が意識しないレベルでリズム感を作り出すこ
かであり,その意味で,映像の音声が集合的
とにより,視覚的映像よりも強力な作用さえ
なものと関わっていることは否定できない。
もたらすことができる。イオセリアーニは,
音楽および音声は,視覚的映像の音楽性と重
ずさんな編集の映像でも音楽をつけることに
なり合いつつ,その反復と差異の運動によっ
よって上手につながっているかのように見え
て,深いところから映像のエティカ的および
ると指摘しているが(Iosseliani 2001a: 188)
,
政治的効果を生んでゆくのである。
33)この点で大変興味深いのは,映画の音楽性(映像および音声の両側面においての)を重視する映画監
督たちの多くが,それぞれ独自の理由から,どこかサイレント映画に逆戻りするような映画を撮って
いることである。イオセリアーニの初期の作品『四月』(Aprili, 1961)はサイレント映画に近い奇妙な
映画だし,ウェドラオゴも初期にセリフが一言もない映画を一本撮っている(cf. Rouch 1998)。スレイ
マンは自ら長編二作に「主演」しているが,どちらの映画でも,彼のセリフは全くない。『ゲルニカ』
をはじめとするレネの初期の一連の短編映画も,ナレーションと音楽のみの,サイレント映画に近い
ものである。このリストに,サイレント期に映画制作を開始したドライヤーや小津を加えても,決し
て不自然ではないだろう。
34)例えばイオセリアーニは,自らの映画制作を念頭に置きつつ,次のように述べている。「音声なしで映
画は50%であり,すべてが,翻訳なし,会話なし,何もなしで,理解できなくてはなりません。その
あと,私は二方向で仕事をします。音声と映像の矛盾の方向と,音声的連合の方向です。ある音声を
ある映像につけ,次に同じ音声を別の映像につける。これは対位法というものです。あるいは,映像
を,周囲で起こっていることを描写するために,ある雰囲気の中に浸します。音声によって映像の枠
を広げるのです。映像自体では明白でも,それを通過する電車とか,バイクとか,現れては消えるメ
ロディーとかに包み込みます。(...) 観客がただ映像にだけ集中することを避けるのです。三番目にや
ることは,映像の中で起こっていることとは矛盾するような音声的要素で,映像を色づけすることで
す」(Iosseliani 2001a: 73)。
35)アドルノとアイスラーは,西洋音楽の二大要素であるポリフォニーと対位法が,前近代的な宗教共同
体のモデルによって組織されたものであることを指摘する。そして,ヨーロッパのファシスト政権を
念頭に置きつつ,こうした音楽の集合的な性格が近代的なコンテクストの中で合理的に利用され,「非
合理的なものを合理的に実践する」この上ない手段ともなりうる危険性をも指摘している(Adorno et
Eisler 1972: 30-32)
。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
3.映画による「所有」の回復
3.1. 全体的事実としての「所有」
59
G・タルドが,ライプニッツに触発されつつ,
「存在 l’être」
(
「在ること」
)の哲学に代わるべ
きものとして提唱した,
「所有 l’avoir」
(
「持つ
これまで,直接的映画について,その表現
こと」)の哲学である。タルドはこれによっ
内容と表現手段の両方の側面から見てきた。
て,所有を所有主体――つまり「存在」――
つまり,それは人間を取り囲む現実の「フェ
による占有としてのみ理解する近代市民社会
ノメナ」を最も深い層から捉え,それを表現
の通念から脱し,本来の意味での「所有」つ
したものであり,そしてその表現は,「フェ
まり「持つこと」がしばしば相互的であり,
ノメナ」をそのままの形で提示するというよ
「所有」がむしろ「存在」そのものを規定し
りも,「共感」と「比較」の間の中間領域に
ていくという事態を捉えようとしたのであ
おいて,具象的な次元と抽象的で音楽的な次
り,また,そうした中で「存在」を捉え直そ
元の両方を通じて,提示してゆくものである。
うとしたのであった(Tarde 1999: 85-87)
。こ
なぜなら,そのような中間領域に映画的経験
こで,所有が相互的で,また所有が存在その
を構成することではじめて,観客は自らの直
ものを規定していくというのは,例えば,
接的な経験として「フェノメナ」を生きるこ
「友人を持つ」ことは,通常は何らかの意味
とができるからである。さて,最後に考察し
で「その友人が自分を友人として持つ」こと
たいのは,そうした「フェノメナ」の表現と
でもあり,またそうした友人関係が当人たち
しての直接的映画が,今日の世界に住む我々
の存在様式に影響を与えうるということであ
にとって,一体どのような意味を持っている
る。また「お金を持つ」ということは,単に
かということである。1.2. では,P・ペローの
そのお金に対して所有権を持つことを意味す
「
(ケベックの河と人々の)詩的所有」という
るのではなく,持ったお金によって所有主体
言葉に触発されつつ,直接的視覚が,世界を
が,そして周囲の人々もが規定されてゆくと
我々なりの形で「所有」し,我々なりの形で
いうことである。興味深いのは,映画がこう
「名づける」ことを可能にすると論じた。結
した所有の相互性や,所有による存在の逆規
論から述べるなら,「フェノメナ」の表現た
定を表現することをつねに得意としてきたこ
る直接的映画は,今日の世界においてはとり
とだ。例えばチャップリンは,思いもかけず
わけ,この「所有」の問題を我々に照射して
拾子をした主人公と子供との関係を鮮やかに
ゆくものであって,そこに直接的映画の今日
描写した『キッド』(The Kids, 1921)など,
におけるエティカ的および政治的な意味があ
一連の作品の中で,人間関係における相互的
る,と筆者は考える。そこで,まずはこの
所有を繰り返し描いた。また,宝くじを引き
「所有」というテーマをもう少し掘り下げて
当てた女性がその夫とかつての婚約者ととも
みよう。
にいわば泥沼にはまり込んでゆく,シュトロ
ここで言う「所有」は,1.2.でも述べたよ
ハイムの『グリード』
(Greed, 1924)は,彼一
うに,近代資本主義社会における「所有権」
流のブラックユーモアとともに,「お金を持
とは区別されるべきものであり,それは,
つ」ことによる存在の逆規定を見事に描き出
我々が生まれてから出会い,何らかの意味で
した作品と言えるだろう。
「自分のものにした」(そして将来自分のもの
「所有権」が「存在」(所有主体)に関す
にするような)すべての物事に関わるような,
る抽象化され知性化された関係であるとすれ
全体的事実としての「所有」である。ここで
ば,このように,それとは全く異なった,具
思い起こされるのは,19世紀末の社会学者
体的で身体的でダイナミックなプロセスが
60
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
「所有」である。実際,このような角度から
まりそれは,「所有」の問題を「所有権」の
眺めてみるならば,我々の世界は,「所有の
問題に還元した上で(典型的には,稀少なも
ドラマ」とでも言うべきものを随所に含んだ,
の――お金,異性,生存など――への所有権
出来事性に満ちた世界ということもできるだ
の獲得や維持にテーマを絞った上で),所有
ろう 36)。タルドのアイデアに従えば,所有
主体(つまり中心人物たち)に焦点を当てな
(l’avoir)とは物や人との所有関係に限られる
がら,笑いや涙や衝撃や喜びを生み出すべく,
ものではなく,例えば,「ある経験を持つ」
緻密な「ストーリー」として組み立てたもの
ということも「所有」――「持つこと」
であり,イオセリアーニが述べていた,登場
(l’avoir)――の一形態である。レネの『二十
人物の欲望の実現の不可能性を主題とした古
四時間の情事』のような映画も,その意味で
典的な「ドラマトゥルギー」も(cf. 2.3.)
,ま
は,主人公のフランス人女性が,第二次世界
さにこうした所有権のドラマにほかならな
大戦が終結する中で経験した痛ましい出来
い。しかし重要なことは,いかに映画産業が
事,あまりに衝撃的であったがゆえに記憶の
そうした所有権のドラマを志向してきたとは
奥底に葬り去っていた出来事をいかに回復す
いえ,多くの優れた映画はそれにとどまるこ
るか,そしてそれによって,同時に彼女の現
となく,ある場合には密かに,ある場合には
在をどう回復するか,という所有のドラマと
公然と,所有のドラマへと向かってきたとい
して見ることもできる(それはまた,映画を
うことである。映画史の中で最も重要と考え
見る我々自身が「広島」を(再)所有する可
られるような映画の多くも,こうした「所有
能 性 と も 連 結 す る も の で あ る )。 世 界 を ,
権から所有へ」という方向性の中に位置づけ
我々をとりまく事物を,我々をとりまく人々
うるものである。例えば,小津安二郎の『晩
を,いかに所有するか。いかにその所有によ
春』では,婚期を逃しかけた紀子が結婚する
って我々自身の存在様式が変化するか。また,
という制度的なテーマ――つまり所有権のド
いかにして我々は所有から切り離され,いか
ラマ――を外枠としながら,しかし,映画の
にして新たに所有を回復するか。こうした
中身は,彼女の結婚によって父と娘がお互い
様々な「所有のドラマ」は,我々の人生その
を失うという所有のドラマを扱っている。ま
ものと重なってくるとも言いうるだろう。
た,別の例としてドライヤーの『ゲアトルー
もちろん,映画史を振り返ってみるなら,
ズ』を挙げるなら,この映画もまた,ゲアト
ハリウッド映画を中心とする主流の映画は,
ルーズと彼女の夫の離婚という所有権の問題
「所有のドラマ」ではなく,むしろ「所有権
を外枠に,ゲアトルーズの「愛する男性を持
のドラマ」とでもいうべきものであった。つ
つとはいかなることか」という悲劇的なほど
36)ドゥルーズは,このタルドの「所有の哲学」に言及しつつ,「この所有の新しい領域は,我々を,きっ
ぱりと定められた所有者と所有物の不動の領分に我々を導き入れるのではない。所有の領域において,
所有物を介して定められるのは,たえまなく手直しされるモナドの動的な相互関係なのである」と述
べている(Deleuze 1988: 147-148)。タルドが依拠するライプニッツ哲学においては,そうした一連の所
有は,モナドたる主体(主語)に対して述語を構成するのであり,主語の中には潜在的にすべての述
語(過去,現在,未来の出来事)が内包されることになる(cf. ライプニッツ 1980: 384-385, 391)。も
ちろん,最善の原理に基づいたライプニッツの世界では,「所有のドラマ」は神によってあらかじめ筋
書きを知られているものであり,それを「ドラマ」と呼ぶのは奇妙に思われるかもしれない。しかし,
ライプニッツ自身が述べているように,こうした「所有のドラマ」(そこには数限りない要素が限りな
く複雑な形で介入する)は神のみが知っているものであり,その中で人物たちは自由であるという自
己意識を持って行動するのであって,そこにドラマ性は決して欠けてはいない(cf. Leibniz 1990;
Deleuze 1988: 94-99)。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
61
真摯な所有についての問いを中心に展開して
所有権の確立が分業を促進し,社会を豊かに
ゆく37)。
してゆくという肯定的な面を重視して,未来
ハリウッドを中心とする映画産業が「所有
の社会に向けてのオプティミスティックな青
権のドラマ」をつねに中軸に据えてきた理由
写真を描いた(cf. ヒューム1955: 239; スミス
は,第一には,商品としてそうした映画のド
1980; 遠藤 1997)
。そして,近代資本主義経済
ラマトゥルギーが観客を引きつけるのに有効
は,彼らの青写真に従うかのように驚異的な
であるからだろう。しかしもっと深くは,
発展を遂げ,我々は実に多種多様な商品に囲
我々が住んでいる社会の基盤を形成する近代
まれて,それらの商品の所有権獲得のゲーム
資本主義経済が,所有権をとりわけ前面に押
の中で暮らすようになった。けれども他方で,
し出してきたことと直接関係しているはずで
そのことが我々の所有の喜びを増したとは言
ある。ところで,この所有権の問題について
えないだろう。資本主義経済は,市場をます
最初に深い考察を行った一人が,哲学者のヒ
ます大量の事物で満たしてきたが,しかしそ
ュームであった。彼は,所有権というものが,
うした事物は,つねに「稀少性」という徴を
「稀少性」を背景にして生まれるものである
帯びて売りに出される。そして,全てが稀少
ことを指摘する。「人間の利己心に生気を与
財となったために,「豊かな国々」で暮らす
えるのは,我々の要求に対して我々の持って
人でさえ,貧困の中にあるかのように稀少財
いる財物が少ないということである。人間が
を追い求める競争の中に投げ込まれ,あたか
共産的社会に別れを告げて,自分自身のもの
も「生」そのものすら稀少財であるかのよう
と他人のものとの区別をすることを余儀なく
な錯覚すら生じてしまった38)。そして何より
されたのは,この利己心を抑制するためなの
も,このような所有権のドラマの中で,我々
コ ン ミ ュ ニ テ ィ
である」と述べた(ヒューム 1955: 246)。つ
は,本来の所有のドラマ――我々の「生」そ
まり,事物が稀少であれば,我々は自らのた
のもののドラマ――を見失いがちになってし
めに事物を確保しようと利己心を増大させ,
まったのである。
それを調停するために所有権を確立させる必
要が出てくるというわけである。
もちろん,このように稀少性を根拠にひと
「所有権のドラマ」としての映画は,我々
を愉しませるかもしれないが,我々を所有権
の網の外には出してくれない。これに対して,
たび所有権が確立すれば,所有権を持つこと
直接的視覚による映画は,我々が物事と出会
が所有の前提条件となり,全体的事実として
い,人々と出会い,そうした中で営んでゆく
の所有を我々が見失う可能性が生じてくる。
所有関係の「フェノメナ」を,所有権に囚われ
しかしヒューム自身はこうした問題は顧慮せ
ず,むしろ初めて見るような新鮮さをもって
ず,むしろ友人のアダム・スミスとともに,
捉えることによって,所有権の網の中で不透
37)付け加えれば,『晩春』や『ゲアトルーズ』のような映画が,視覚的(さらには聴覚的)な側面におい
ても際立ってオリジナルなものであるのは不思議ではないだろう。なぜなら,「いかに所有するか」と
いう存在論的問いは,小津やドライヤーのような優れた映画監督においては,「いかに見るか」という
パースペクティブの問いと重なりあった形で扱われるからであり,そこから独自な映像的表現が生み
出されてくるからである。
38)例えば,先進諸国に自動車そのものは溢れているが,しかし人々が購入する個々の「マイカー」は稀
少であり,だから多くの人が「マイカー」を買うべく汗して働くことになる。経済学においても,新
古典派経済学の成立とともに,遍在的な稀少性は,少なくとも主流の経済学においては,基本的な経
済学的事実とみなされるようになった。こうした一連の点については,ヒューム,スミスの時代から
新古典派経済学を経て現代までの,近代資本主義社会における稀少性の意味について検討を行った
N・クセノスの著作を参照のこと(クセノス 1995)
62
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
明になった我々の視覚を解体し,我々が,周
にした二つの作品を撮るが,そこで彼が取り
囲の人々や事物との生き生きとした所有関係
上げるのは,伝統文化のただ中での所有の問
を取り戻すための契機になりうるのである。
題である。理不尽な因習のもとでの悲劇を描
いた『ティライ』は,村人たちによる老女サ
3.2. エティカ的対比
ナへのやはり理不尽な迫害を背景に展開する
このように見るとき,「所有権」に囚われ
『ヤーバ』とともに,自然な所有関係の抑圧
た今日の我々の視覚を解体してゆく映画の最
はアフリカの伝統文化の中でも存在するこ
も顕著な企てのひとつがアフリカから出てき
と,しかし同時に,『ヤーバ』の少年ビラや
たことは,不思議ではないだろう。アフリカ
『ティライ』の少女クィルガが示すように,
は,その村落社会の中で,おそらく世界の他
そうした伝統文化の内奥に,直接的視覚を通
の地域よりも最近まで,近代的な意味での
じて,硬直した関係に対して抵抗し,所有を
「所有権」に抵抗してきた地域だからである。
回復するような力が秘められていることを,
そうした所有の関係をテーマとする映画は,
ウェドラオゴは示してゆく。その後彼は,都
例えばアフリカ映画の草分けであるO・セン
市で強盗を働いて大金を手に村に戻った男を
ベーヌの卓越した諸作品にも既に明瞭に見ら
描いた『サンバ・トラオレ』(Samba Traoré,
れるが39),ここでは,より若い世代に属する
1992)から,フランスへ移民したアフリカ人
I・ウェドラオゴの諸作品について少し立ち入
の一家族を取り上げた『心の叫び』
(Le cri du
って述べてみたい。
coeur, 1994)を経て,南アフリカの鉱山労働
ウェドラオゴの最初の長編『選択』(Yam
者の二人を描いた『キニとアダムス』
(Kini &
Daabo, 1986)は,西アフリカのサヘル地方に
Adams, 1997)まで,現代的な舞台でのドラマ
人道援助のトラックが来る場面から始まる。
を扱うのだが,そこでつねに描かれるのは,
主人公の家族はそこで,人道援助を拒否し,
近代的な所有権の関係に入ったアフリカの
自分の手で働いて生きることを選ぶのだが,
人々の内面的葛藤であり,そうした中での,
それは,所有物としての援助物資を受け取っ
本来的な所有の関係に立ち戻ることの重要性
て暮らす代わりに,世界との真の所有関係を
である41)。
営むことを選ぶ,文字通り「生き方の選択」
さて,こうしたウェドラオゴの一連の作品
であるといえるだろう40)。この作品のあと,
に一貫してみられるのは,
「エティカ的対比」
ウェドラオゴは,この論考の冒頭で取り上げ
とでもいうべき手続きである。『選択』にお
た『ヤーバ』(1989)と,『ティライ』(Tilaï,
ける,人道援助を受ける生活と自らの手で働
1990)という,伝統的な村落での生活を舞台
く生活との,存在様式としての対比。『ヤー
39)例えば,西アフリカへのイスラム教の到来を扱った『チェド』(1977)は,イスラム法の世界とそれ以
前のアフリカ的世界との存在様式の差異を鮮烈に描いた傑作である。
40)ウェドラオゴが西欧的な人権概念に基づいた「人道援助」の拒否からスタートするのは,決して偶然
ではないだろう。なぜなら,最初から「人権」は「所有権」と不可分の概念であったからである(cf.
ロック1968)。「人道援助」は,人々の「所有」(所有権ではなく)のプロセスに介入してゆくものでな
い限り,十全には機能しえないのであり,それが『選択』の冒頭における人道援助の拒否の意味であ
ると思われる。
41)こうしたウェドラオゴの思考を,芸術家のロマンティックな夢想と片付けるのは,経済学的見地から
言っても適切とは言えないだろう。例えばフランスの経済学者S・ラトゥーシュは,アフリカの経済
的現実を客観的に見据えつつ,先進国の経済モデルの単純な適用を批判するとともに,贈与の経済―
―それは,この論考での言い回しを使うなら,所有の経済でもある――と市場経済の混在状況の再評
価を主張している(Latouche 1998)。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
63
バ』や『ティライ』での,伝統的因習に囚わ
友愛関係を回復するのである。興味深いのは,
れた大人たちの生き方と,そうした制度の内
サンバがこうして警察に捕えられ,所有権の
側から生き生きと世界を眺める子供たち,若
侵害による裁きが始まる時,彼のエティカ的
者たちの生き方の,存在様式としての対比。
な裁きは既に終わっているということ,サン
こうしたエティカ的対比が端的な形で現れる
バは,妻や友人のサリフや他の村人たちとの
のは,映画の中に二つの内容の類似した場面
友愛関係を,すでに再び所有している,とい
を設定し,それを対比させる「二枚絵」的と
うことだ。ウェドラオゴはこうして,「所有」
でも呼ぶべき手法である。このような手法は,
が「所有権」とは別次元にあること,そして,
人道援助のトラックを待つ人々を映画の最初
我々にとって最も大事なのは「所有」である
と最後に配した『選択』にも既に現れている
ことを,力強く描き出すのである。
ディプティーク
が,より精妙な例として,『サンバ・トラオ
ところで,ウェドラオゴや他のアフリカの
レ』における「二枚絵」を挙げておこう。ガ
映画監督たちが描く所有のエティカの問題性
ソリンスタンドの強盗によって大金を得たサ
は,翻って見るなら,実は映画史の中で,多
ンバは,ひそかに村に舞い戻って裕福な暮ら
くの優れた作品の中にしばしば現れてきたも
しを始め,憧れの女性とも結婚するが,思わ
のでもある。例えば,『野良犬』(1949)
,『生
ぬ事態に出くわす。妊娠した妻が出産直前に
きる』
(1952),
『七人の侍』
(1954)といった
なって容態が悪化し,町の病院に連れて行か
円熟期の黒澤明の作品群もまた,そうした角
ねばならなくなったのだ。サンバは母や友人
度から見ることができるだろう。『野良犬』
のサリフたちに付き添われて妻を連れて町に
では,ピストルを盗まれた若手刑事が,ピス
向かうが,警察に捕まるのが恐くなり,自分
トルを盗んだ犯人を追っていくのだが,そこ
だけ途中で引き返してしまう(もちろん,逮
で次第に浮かび上がってくるのは,外地への
捕されるのが怖いからだとは誰にも言えな
出征の帰途にリュックを盗まれた犯人の,世
い)。村人たちは妻を見捨てるというこのサ
の中とは結局,庶民から盗むことで権力を握
ンバの行為に憤り,彼は孤立してしまう。サ
った連中が支配しているものだ,だから自分
ンバの犯罪はこうして,強盗(つまり所有権
も盗むのだ,という世界観であり,この世界
の侵害)という行為によって法的に裁かれる
観をどう乗り越えるかが,映画の焦点をなし
というよりも,いつも逮捕を恐れて暮らす,
てくる。黒澤もまた,「盗む」という行為を
「悲しい」存在様式自体によって裁かれるの
法的な視点(所有権の視点)ではなく,存在
であり,これはウェドラオゴの視点がモラル
様式の問題――「盗まれたら自分も盗む」生
的ではなく,エティカ的であることを明白に
き方と,「盗まれても自分は盗まない」生き
示しているだろう。さて,映画の結末では,
方とのエティカ的差異の問題――として捉え
警察がサンバを逮捕するため村にやってく
ているのである。『生きる』では,胃癌で先
る。親友のサリフはサンバにこのことを知ら
が長くないことを知った主人公が,自己と世
せ,サンバと一緒に逃げるが,警察の銃弾が
界との関係を根底から検討しなおしてゆくの
足に当たり,倒れてしまう。サンバはここで,
だが,そこで析出してくるテーマは,「生き
今度はサリフを見捨てず,逮捕を覚悟でサリ
る」ことは,社会のルールに従って生きるだ
フを介抱するのだ(この場面が,妻を見捨て
けではなく,自分の手や身体を使って「何か
た場面と明らかな対照をなして,「二枚絵」
をする」ことだ,ということである。そして
を形成している)。そしてサンバはこの行為
主人公は,役所で法的には全く正しい職務遂
によって,サリフとの,そして村人たちとの
行をしていながらも「何もしていなかった」
64
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
それまでの自分とは別人のように,役所の仕
アンたちの襲撃に出会い,彼らと身を挺して
事を初めて真の意味で「所有」し,公園建設
戦うという直接的な関係を経て,雲散霧消し
の仕事に取り組むのである42)。そして,『七
てしまう。リンゴオとダラスの仲も,結婚と
人の侍』は,文字通り「持つこと」をめぐる
いう法的関係を経由しない,相互的所有関係
映画である。侍たちは,「哀れな百姓たち」
である。
『アパッチ砦』
(Fort Apache, 1948)で
を守るために農村に入るのだが,実際には,
は,西部の最前線で長年アパッチ族と対立し
戦いの技能の外には「何も持たない」のはむ
つつ共住してきた――アパッチ族と,敵とし
しろ侍たちであり,百姓たちは農地ばかりか,
て相互を所有しあってきた――騎兵たちの
床の下には米やら酒やらを隠し持っているこ
「喜び」に満ちた存在様式と,白人のインデ
とがわかってくる。しかし,映画が同時に示
ィアンに対する法的優位に固執する司令官
していくのは,そうした百姓たちが,自らの
の,「喜び」を欠いた存在様式が見事に対比
所有権にしがみつくようにしていつも怯えて
されて描かれてゆく。後年の『リバティ・バ
いるのに対し,裸一貫であっても,自らが
ラ ン ス を 射 っ た 男 』( The Man Who Shot
「所有」する戦いの技能を通じて自己肯定す
Liberty Balance, 1962)でも,射撃の名手トム
る侍たちは,つねに笑いと喜びに溢れている
(ジョン・ウェイン)と,東部の法の代表者
ことである。戦いは終わり,確かに侍の大部
ランス(ジェームズ・スチュワート)をめぐ
分が死に,百姓の多くは彼らの所有権ととも
るやりとりの中で,両者の存在様式の差異が
に生き延びる。しかし,侍たちの,所有の喜
見事に描出される。しかし,『駅馬車』や
びに満ちた「生」は,確かにそこに存在した
『アパッチ砦』と異なって,『リバティ・ハラ
のだ。
ンス』は,西部でも次第に法の秩序が支配し
ウェドラオゴや黒澤の映画に見られるエテ
つつあるという時代の流れを背景にもった映
ィカ的な対比は,ハリウッド映画の「所有権
画である。この映画では,法的世界以前の人
のドラマ」に見られるモラル的な二項対立と
であるトムは,表面上はランスに明らかに優
はまったく別のものである。しかし他方で,
越しながらも,実は最初から時代の敗北者な
ジョン・フォードのような映画監督が,ハリ
のであり,この映画がランスによる回想とい
ウッド映画産業のただ中で,西部劇というき
う形をとっているのも,そういう理由による
わめてハリウッド的なジャンルを中心に,エ
のだと考えられる。
ティカ的対比を鮮やかに展開した作品群を生
み出したことも忘れてはならないだろう。実
3.3. 「もう一つの世界」の不在
際,フォードの映画において,アメリカ西部
『リバティ・バランス』は,アメリカ西部
という世界は,法=所有権以前の純粋な「所
という,法を介さない直接的な所有の世界の
有」の領域を肯定する格好の場なのだ。こう
消滅を語った映画であった43)。アメリカ西部
して,
『駅馬車』
(Stagecoach, 1939)では,司
だけではない。世界のあらゆる場所に,近代
法の論理や経済の論理は,駅馬車がインディ
国家(およびその背景にある資本主義経済)
42)付け加えれば,
『野良犬』や『生きる』
,さらに『赤ひげ』(1965)や『デルス・ウザーラ』(Dersu Uzala,
1975)をはじめとして,黒澤作品では,主人公が自らが直面する世界を身をもって,まさに触覚的に探
索していくというモティーフが繰り返し現れるが,これは彼の映画が「所有」の映画であることの一
つの現れであるといえるだろう。
43)付け加えれば,フォードはこの映画の結末で,上院議員として中央の政界で活躍したランスが,西部
では実は「リバティ・バランスを撃った男」という虚偽の伝説のもとに英雄化されていることが明ら
かにされる(リバティ・バランスを撃ったのは実はトムだった)。この皮肉な結末によって,フォード
は失われた世界へのオマージュを送っているのである。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
65
が律する所有権の網が張り巡らされ,世界と
ャツを気持ちよさそうに乾かしたり,赤熱し
の直接的関係である所有は,その背後で見え
た金属を利用してバーベキューをしたり,そ
なくなってしまっている。まだ黒澤やフォー
ういった労働条件を彼らなりのやり方で「再
ドがある程度実感を持って語っていた直接的
所有」していく姿を映し出す。グルジアの農
所有の世界は,今日の世界に住む普通の人々
村から,トビリシやパリの市街,イタリアの
の多くにとって,もはや非常に遠いものにな
僧院,アフリカの村落と様々な場所を舞台と
ってしまったのだ44)。そのような今日の状況
し,またフィクションとドキュメンタリーの
において,我々はいかに所有の問題を捉えな
間を往復しながら,イオセリアーニの映画は,
おしたらよいのだろうか。このような問いを
常に,所有権に基づく経済的関係(ベルリン
念頭に,ここで,グルジア出身の映画監督オ
の壁の両側においての)の中での,人と人の
タール・イオセリアーニの一連の作品を検討
間および人と物の間の所有関係の喪失を描く
してみたい。イオセリアーニは,ソ連体制下
とともに,それにも関わらず人々が,身の回
のグルジアでの作品から,1980年前後にフラ
りの現実を「再所有」していくプロセスを描
ンスに拠点を移して以降,最近の作品まで,
いてゆくのである45)。初期のグルジアでの作
一貫して所有をその作品の主題としてきた映
品から,『素敵な歌と舟はゆく』,『月曜日の
画監督だからである。
朝』といった最近作まで,彼の映画には人々
実際,イオセリアーニの初期の作品『四月』
が一緒にワインを飲み,ハーモニーをなしつ
(Aprili, 1962)は,すでに所有と所有権を中心
つ合唱する姿が繰り返し現れるが,それは彼
に置いた作品である。迷路のような古い町か
自身のグルジア的ルーツに常に立ち戻る行為
ら,近代的な住宅ビルに移った人々は,電
であるとともに,現代の日常生活において相
気・ガス・水道の完備したアパートメント
互に分断された人々が,酩酊と和声の中で再
を,次第に家具や電化製品で埋めてゆく。所
び出会い,ハーモニアスに相互を再所有する
有権の増大はしかし,人々の間の相互的所有
ことへの賛辞なのである。
(愛,友情,共同生活)の減少を生み出し,
とはいえ,ソ連体制下での映画制作が困難
自然との共生も失われてゆくのだ(木々の伐
になり,1970年台後半から拠点を西側(最終
採)。次作のドキュメンタリー短編『鋳鉄』
的にはフランス)に移していったイオセリア
(Tudzhi, 1964)では,高熱と騒音の過酷な労
ーニの経験が,1980年代以降の彼の作品に色
働条件の中で働く人々を,ジガ・ヴェルトフ
濃く影響していったことも見逃してはならな
の『熱狂−ドンバス交響曲』(Entuziasm:
いだろう。ソ連時代のイオセリアーニの作品
Simfonia Donbassa, 1931)のようにソ連国家建
が,ある部分で異なる世界への夢想や過去の
設の英雄として描くのではなく,業務用の巨
世界へのノスタルジーを優しく包むものであ
大な扇風機の風で,汗でびっしょり濡れたシ
ったのに対して(ただし,彼がそうした夢想
44)ウェドラオゴについて言えば,彼はアフリカの伝統的村落を舞台にした初期の3つの作品(『選択』,
『ヤーバ』,『ティライ』)のあと,近代的な所有権の関係が支配する体制の中での人と人の関係,人と
物の関係が描くようになる。ウェドラオゴ自身によれば,この視点の変化は,彼の初期の作品を見た
アフリカ人観客の幾人かが,その中でアフリカの現代が描かれていないという不満を漏らしたことに
触発されたものであった(Ouedraogo 1993b)。
45)窃盗そのものを中心的主題にした『月の寵児たち』をはじめ,イオセリアーニの諸作品では,しばし
ば窃盗などの暴力的所有が,モラル的な評価なしに,「再所有」の一つの形として描かれる。もちろん
これは,イオセリアーニが盗みや暴力を肯定しているということではない。重要なことは,所有のエ
ティカは,所有権の世界の狭隘なモラルから我々自身を解放した地平で,はじめて十全な形で思考可
能となるということである。
66
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
やノスタルジーを現実そのものと決して混同
死とともに経済主義が四方から押し寄せ,続
していなかったことは,『田園詩』を見れば
く『群盗,第7章』
(Brigand, chapitre VII, 1996)
よくわかる),西側に拠点を移した後の作品
では,主人公は夢の中でタイムマシンのよう
では,そうした夢想やノスタルジーが冷厳に
に過去を旅するが,出会うのはいつも憂鬱な
否定されてゆく。イオセリアーニは回想しつ
世界である。
つ次のように語る。
「[グルジアにいた]当時
現代の世界において非常に困難になったも
の私の友人たちの大部分にとって,政治を変
の,それはイオセリアーニが「文化」と呼ぶ
革しようとする危険な活動は,ソ連共産党体
ものであり,人々が一緒にワインを飲み,ハ
制がもたらした息苦しい閉塞した状況への,
ーモニーを作りながら合唱するような,人と
喜びに満ちた対抗策でした。我々は,西側で
人の間,人と物との間の相互的所有である46)。
は,民主主義は,汚職も検閲も境界も,そし
『素敵な歌と舟はゆく』では,ブルジョア家
てとりわけ物質的問題も存在しない天国だと
庭に育った若者ニコラは,大邸宅での裕福な
想像していたのです。ちょうど,鉄のカーテ
生活にうんざりして街に出,皿洗いのアルバ
ンの反対側で,同世代の共産党員たち,トロ
イトを始める。そして,同年代の貧しい若者
ツキー主義者たち,毛沢東主義者たち,無政
を手助けし,カフェの娘に恋をするが,こう
府主義者たちが,天国は東側にあると想像し
した彼の「所有」の努力はことごとく裏目に
ていたのと同じように」(Iosseliani 2001a:
出てしまうのだ。これに対して貧しい境遇の
113)
。1970年代後半から西側との間を行き来
出身の若者ガストンは,安月給を最大限に活
するようになり,西側の現実をよりよく知る
用して金持ちであるかのように自己を演出
ようになった彼は,西側諸国の洗練された外
し,首尾よくカフェの娘と結婚して,そのオ
見の下に見え隠れする暴力や偽善を,『月の
ーナーとなる。今日の世界は,所有ではなく,
寵児たち』
(Les favoris de la lune, 1982)のよ
所有権をうまく運営する者が勝利する世界な
うな作品によって,ユーモアとともに表現し
のだ。『月曜日に乾杯!』では,主人公のヴ
ていく。しかし,その後に起こった社会主義
ァンサンは,工場での仕事にも家族にも飽き
諸国の崩壊は,かつての東側にも西側にも存
飽きして家出し,ヴェネチアでイタリア人カ
在していなかったような,新しい現実を現出
ルロと友達になるが,そのカルロの生活は,
させるものであった。「共産主義社会の破壊
結局はヴァンサン自身の生活とあまり変わら
が起こった時,それよりもずっと恐ろしい力,
ないものであった。これはある部分,イオセ
残酷な資本主義の力が現れました。それは,
リアーニ自身の経験の反映である。彼は言う。
生をはるかに憂鬱で,出口のないものにして
・
・ ・ ・
「どこへ行っても結局は同じなので,私は旅
しまったのです」
(Iosseliani 2001a: 113-114)
。
をしようという意欲を失ってしまいました。
ベルリンの壁の崩壊後最初の作品『蝶採り』
スペインに行っても,スペインはゴヤやベラ
(La chasse aux papillons, 1992)では,老女の
スケスの絵画のなかに再確認することができ
46)アフリカを舞台にした『そして光ありき』(Et la lumière fut, 1989)は,「文化の喪失」というイオセリ
アーニの考えを最も透明な形で示した映画である。ちなみに彼は,第三世界から先進国への移民につ
いて,「第三世界の人々は,ヨーロッパでのゲームの規則がはるかに過酷であることを知らずにヨーロ
ッパに来ます。生活に苦しみ,飢えに苦しみさえしたかもしれないけれど,しかし,彼らが後にした
世界には,暖かさ,人間味がより多くあったかもしれません」と述べている(Iosseliani 2001a: 121)。こ
れは,『心の叫び』や『キニとアダムス』でのイドリッサ・ウェドラオゴの思想と正確に一致するもの
でもあるだろう。ちなみに,ウェドラオゴは,アフリカの観衆は自分の映画の中ではこの二つの作品
に最も共感を示したと述べており(Ouedraogo 1997),それは決して単なるインテリ階層のノスタルジ
ーではないのである。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
るだけです。闘牛でさえもが,変わってしま
67
3.4. 距離のパトスと「所有」の回復
いました。イタリアでは,過去の遺跡が注意
ニーチェは,19世紀ヨーロッパにおける
を引くことはあっても,現代の生活は他の地
「ますます深化する人間の経済的搾取」と
域と全く同じです。世界中があれやこれやの
「利益と生産にますます覆われたメカニズム」
形で状況に適応していて,それは仕方がない
の生活への浸透を背景に,そうしたメカニズ
ことです。それがゲームの規則なのですから」
ムに抵抗してより良い存在様式を作り出す者
(Iosseliani 2001b: 27)
。
は,「平均化された人間たちへの距離の感情
ただ,このようなイオセリアーニのヴィジ
(Distanz-Gefühl)を必要とする」と述べた
ョンが,まったく悲観的なものであるという
(Nietzsche 1995: 419; cf. Nietzsche 1999b: 462-
わけではないだろう。『素敵な歌と舟はゆく』
463)。ところで,ニーチェの思考の精妙な点
の原題は,直訳すれば『牛どもの床よ,さら
は,この「距離」とは,「平均化された人間
ば!』
(Adieu, plancher des vaches!)であるが,
たち」の存在様式の否定ではなく,そうした
イオセリアーニの解説によれば,この「牛ど
存在様式を前提とした上で,そこから「距離
もの床」
(plancher des vaches)とは,
「陸地」
を保つ」ことが必要だと考える点である。
を意味する船乗りたちの古い言い回しであ
「なぜなら,この[そうしたメカニズムの中
る。この奇妙な表現は,彼らが陸地にいる時
に捕われた人間たちという]土台の上に,よ
にはそこを息苦しく感じ,海にいるときには
り優れた存在の形を発明し,構築することが
逆に陸地をなつかしく感じてくる,陸地への
できるからである」(ibid.)。その意味で,イ
アンビヴァレントな感情を表すものなのであ
オセリアーニの「牛どもの床」とは,所有権
る(Iosseliani 2001b: 109)
。我々は,時に『素
のシステム(「利益と生産にますます覆われ
敵な歌と舟はゆく』のニコラの父のように気
たメカニズム」)に囚われて所有を見失った
の合った仲間と一緒に舟で海に漕ぎ出した
現代の我々の社会そのものであり,「牛ども
り,『月曜日に乾杯!』のヴァンサンのよう
の床よ,さらば!」とは,そうした我々,平
に遠くに旅に出たり,ヴァンサンの息子ニコ
均化された人間たちが形成する土台に向かっ
ラのようにグライダーで飛翔して天から下界
ての「距離の感情」――あるいは「距離のパ
を眺めることができる。たとえ,そうした航
トス」
(Pathos der Distanz, cf. Nietzsche 1999a:
行や旅行や飛翔ののち,結局は,ヴァンサン
259)――の表現にほからないと言えるだろ
のように前と同じ場所に戻るとしても,その
う。我々は「牛どもの床」の上に住んでいる
ことが彼らの行為の意味を失わせるわけでは
のであり,そこからの出口はない,他の世界
必ずしもないのだ。
は存在しない。しかし,その「牛どもの床」
を「距離のパトス」をもって眺めることが,
47)ドゥルーズは,『シネマ2』で,現代映画の根本的問題性を論じながら,「思考がこの世界における耐
えがたきものを捉えるのは,より良い,ないし,より真なる世界の名においてではない。... 人間は,
それ自体,自らが耐えがたきものを経験する世界と異なったものではないのだ」と述べる(Deleuze
1985: 221)。今日の世界における「耐えがたきもの」,それは,我々が「所有」を失うこと,我々のも
のであるはずの世界から我々自身が排除されること以上にはないだろう。しかしながら,我々は,
我々自身を排除してくるような息苦しいその世界の中に住むしかないのであり,より良いような,よ
り真実であるような他の世界は存在しないのである。ドゥルーズは先に引用に続けて言う。「他の世界
ではなく,人間と世界のつながりを,愛を,生を,信じること。それらを,不可能なもの,思考不能
なもの,けれども思考することのみが可能なものとして信じること,『可能なもの,さもないと息が詰
まる』ものとして,信じること」(ibid.)。ドゥルーズがここで述べているのは,「距離のパトス」その
ものであると思われる。
68
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
よりよい存在様式を創造する可能性を生み出
の偉大な感覚から直接出てくるものとして考
すのだ。それはまた,この論考での言葉でい
えた」
(Frigyesi 1998: 149)のであり,彼にと
えば,所有権のシステムの中で見失ってしま
って「本質は叙述したり説明したりしうるも
った世界を,再び所有することでもあるはず
のではなく,対比される現実の中にのみ現れ
である47)。
る引力点であり,不可視の中心のようなもの」
確かに,この「牛どもの床」,人間同士が
であった(ibid.)
。至るところに対立するもの
形成しているこの息苦しい陸地が,我々がつ
が現出する我々の世界の現実を,何らかの意
ねに戻ってゆかざるをえない場所でもある以
味でそれを止揚するような形而上学的世界の
上,それを「距離のパトス」をもって眺める
下に服従させるのではなく,対立をそのまま
ことは,決して容易なことでも,また快いこ
肯定しつつ眺めること。バルトークは,その
とでもないだろう。ニーチェが『人間的,あ
ような態度のもとで,矛盾がクライマックス
まりに人間的』において述べていたように,
に向かって解決されていく類の直線的な音楽
「牛どもの床」で蠢く我々の生は,あたかも
的語りを排除し,むしろ対立物を並列するア
無目的的な限りない浪費のように見えるので
プローチを採用していった(Frigyesi 1998:
あり,そうした事態を静かに眺めるためには,
148-149)
。
「あらゆる感情を超えた或る感情」をもつ能
こうしたバルトークの考えは,映画にも,
力が必要なのだ48)。ところで,すでに20世紀
ほぼそのまま当てはまるだろう。実際,ウェ
の初頭に,旧来の文化が近代化の荒波の中で
ドラオゴや黒澤やフォードに見ることのでき
崩壊しつつあったハンガリーを舞台にして,
る,「エティカ的対比」の手続き――それは,
このようなニーチェの「距離のパトス」に導
『四月』から『月曜日に乾杯!』まで,イオ
かれつつ,新しい音楽の創造を行ったのが,
セリアーニの大部分の作品にも見出しうるも
作曲家のバルトークであった49)。バルトーク
のである50)――は,対立物を並列するバルト
の音楽においては,対立するテーマが,何ら
ークの音楽的形式に正確に対応するものだと
かの直線的な音楽的な語りの中で「解決」さ
言うことができる。なぜなら,エティカ的対
れることはなく,むしろ対立するまま(しば
比とは,二つの存在様式を,善/悪,合法/
しば対立をより激しいものとしながら)存続
違法といった外的でモラル的な基準によって
することで,複雑な感情を引き起こす。「ニ
裁くことなく,ただ並置するものだからであ
ーチェの影響下でバルトークは,音楽の形式
り,もし一方が他方よりもエティカ的に「良
を,少なくともその可能性において,対立物
い」――それがより「喜ばしい」ものである
がある同一の偉大な感情に含まれるような生
という意味で――ものであるとしても,それ
48)
「人類には全体としてなんらの目標もないし,したがって人間は,その全体的成り行きからみて,そ
れに慰めやささえではなく,絶望を見出しうるにすぎない(...)。自分のなすあらゆることに人間の最終
的な無目標性をみるとき,自分の働きがわが眼にも浪費の性格をおびてくる。しかし個々の花が自然
によって浪費されているのをみるように,ちょうど人類としても(そしてたんに個人としてのみでは
なく)自分が浪費されているのを感じることは,あらゆる感情を超えた或る感情である,――しかし
これを感じる能力のある者はだれか? たしかに詩人だけである,そして詩人というものはいつも自
己を慰めるすべを心得ている」(ニーチェ 1994: 62)
49)フリジェシによれば,バルトーク所蔵の『人間的,あまりに人間的』のコピーには,上で言及した一
節に下線が引いてあり,余白に感嘆符が書き込まれている(Frigyesi 1998: 154)。
50)映画制作のほかに数学と作曲を学んだイオセリアーニは,しばしば映画制作を作曲になぞらえるが,
その意味では,ここでいうエティカ的対比は,彼の二部形式,三部形式,ロンド形式への好みと関係
していると言えるだろう。とりわけ『素敵な歌と舟はゆく』と『月曜日に乾杯!』では,これらの音
楽的形式との関連は明白である。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
69
は一方が他方を解消することにはならないか
する楽しみとは無縁の,「所有」の喜びであ
らである。また,イオセリアーニは,自らの
り,身体によって把握される「知」の喜びで
作品における映画的語りについて,「喜びの
あるのだ。
歌」がベートーヴェンの第九交響曲の絶頂点
「フェノメナ」に内在する力の表現として
であるという意味では,「作品の中に絶頂点
の直接的映画は,人々が世界を所有し,他の
は作らないか,あるいは視界の外に私を置く
人々と相互的所有の関係を営む様子を,視覚
ようにしています」と述べているが
的・音響的に捉えてゆく。ただ,そこでの映
(Iosseliani 2001a: 159)
,これもまた,バルト
画的表現は,一方で,画面に登場する人物た
ーク的な作曲の思想に正確に対応するもので
ちを生き生きと共感をもって捉えるものであ
あると考えられる51)。
りながら,他方でそうした人物たちへ密着す
ることは避け,むしろ映画を見る者が画面上
この論考では,直接的視覚をベルクソンの
の人物たちの存在のあり方を距離のパトスを
「現実のより直接的なヴィジョン」
,ベンヤミ
もって眺めるように誘うものであるだろう
ンのいう「大地がむきだしの原始状態に逆戻
(エティカ的対比はそのための基本的な手続
りしたのを,愕然として凝視する」事態とし
きである)。そして,直接的映画は,音声を
て捉え,そこで「見えるもの」と「まだ見え
含めた映像的空間のトポロジー的構成によっ
ないもの」ないし「見えざるもの」との間を
て,対立物が様々な形で現出する現実をその
手探りで探索するような映画を,直接的映画
ままに肯定する距離のパトスを表現し,また
と呼んできた。直接的視覚は,所有権の網の
それを見る者に共有するように誘うであろ
中に捕われた現代の我々を,そうした所有権
う。とりわけ我々は,直接的映画とともに,
以前の,人と人,人と物との直接的で相互的
所有権の網が四方八方に張り巡らされた,息
な所有関係に立ち戻らせ,そうした所有関係
苦しい「牛たちの床」のような今日の世界の
を,使い慣らされた法の言葉ではなく,新鮮
ただ中で,我々が所有を取り戻そうとするド
な詩的言葉によって表現させる(ペローの
ラマを,そうした所有と所有権との対立を無
「詩的所有」)。この原初的な所有関係,原初
理に解消しようとすることなく眺めることに
的な詩――ないし歌――こそ,バルトークが
ハンガリーの農村に見出した「フェノメナ」
なるだろう。
キアロスタミは,『風が吹くまま』に言及
であっただろう。直接的映画は,バルトーク
しつつ,「対立のない生,死と不協和しない
の音楽と同じように,「フェノメナ」に内在
生は無意味です。それぞれの物がそれぞれの
する力を表現するものであり,それは既存の
時間を持っています。それは表徴です。死が
映画言語のクリシェから自由な形で実現され
来る前に,新生児が世界にもたらされるので
るはずのものである。そして,直接的映画の
す」と述べる(Famili 2002)
。直接的映画は,
与える喜びは,プライベートな世界を覗き見
対立の中で否定され,不協和の中で抑圧され
51)イオセリアーニのみならず,例えば『リバティ・バランス』についてみるなら,皆の喝采を浴びてラ
ンスが議員に選出される決定的な場面を,フォードは大胆にカットして映画の最後に回すことにより,
物語の直線的構造を骨抜きにしてしまう。また『生きる』において黒澤明は,主人公が公園建設に尽
力しはじめるところで時系列的な語りをやめ,事後に告別式で関係者が回想するという形に切り替え
ることにより,やはり絶頂点を画面の外に追いやっている。『サンバ・トラオレ』では,村での一連の
出来事が,サンバの逮捕に近づいてゆく警察の動きと平行して語られていくが,ウェドラオゴの巧み
な映画的語りの中で,この一見古典的なクロスカッティングは,サンバの逮捕という出来事をグリフ
ィス的絶頂点にするどころか,逆に意外性を剥ぎ取ってドラマ性を骨抜きにする(なぜなら本当のド
ラマは村での出来事の方にあるからである)という正反対の効果を上げている。
70
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
た所有を,距離のパトスとともにもう一度肯
い,さらには人間が歴史上生み出してきた
定するのであり,我々は,直接的映画が我々
様々な文化的表現によって与えられうるもの
に示す表徴を我々なりに捉える中で,世界を
である。それでも,イメージの直接的表現で
所有する可能性を再び獲得していくのだ。そ
あるところの映画――言葉以前の世界,従っ
れはおそらく,かつての自然な所有の回復で
て,法以前の世界,所有権以前の世界を捉え
はなく,距離のパトスを経た上での,新しい
るための格好の手段である映画――は,確か
形での所有であるだろうが。もちろん,我々
にそのために大きな役割を果たしうる,と考
がそうした再所有に向かうチャンスは,映画
えられるのである。
だけでなく,日常生活の中での出来事や出会
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Thomas, François. 2002. “Jeux de construction: la structure dans le cinéma d'Alain Resnais”, in
Positif, revue de cinéma, Alain Resnais, anthologie établie par Stéphane Goudet, Paris : Gallimard
(Folio), pp.27-36.
多木浩二 2000. 『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』 岩波書店
箭内匡 2003. 「映像について何を語るか−G..ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察−」 『アゴ
ラ:天理大学地域文化研究センター紀要』1 : 75-134.
クセノス, N. 1995. 『稀少性と欲望の近代』北村和夫・北村三子訳 (N. Xenos, Scarcity and
Modernity, 1989.)
74
アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
《引用映画作品53)》
チャップリン,チャールズ (Chaplin, Charles).
『キッド』(The Kid), アメリカ, 1921. (DVD:
ジェネオン・エンタテインメント, 2004).
ドライヤー, カール Th. (Dreyer, Carl Th.) 『あるじ』(Du skal aere din hustru), デンマーク,
1925. (DVD: ジェネオン・エンタテインメント, 2002).
−.『裁かるるジャンヌ』(La passion de Jeanne d'Arc), フランス, 1928. (The Passion of Joan of
Arc, DVD [Region 1, NTSC]: Criterion Collection, USA, 1999).
−.『ゲアトルーズ』(Gertrud), デンマーク, 1964 (『ガートルード』, DVD: IMAGICA, 2002).
フォード, ジョン(Ford, John). 『駅馬車』(Stagecoach), アメリカ, 1939. (DVD: ビデオメーカー,
2000).
−.『アパッチ砦』(Fort Apache), アメリカ, 1948. (DVD : アイ・ヴィー・シー, 2002).
−.『リバティ・バランスを射った男』(The Man Who Shot Liberty Balance), アメリカ, 1962.
(DVD : パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン, 2004).
フラハティ, ロバート J. (Flaherty, Robert J.). 『極北のナヌーク』(Nanook of the North), アメリ
カ, 1922. (『極北の怪異』, DVD: アイ・ヴィー・シー, 2003).
イオセリアーニ, オタール(Iosseliani, Otar). 『四月』(Aprili). ソ連, 1961. (Avril, in Otar
Iosseliani, DVD [Region 2, PAL] : Blaq Out, France, 2004)
−.『鋳鉄』(Tudji). ソ連, 1961. (La fonte, in Otar Iosseliani, DVD [Region 2, PAL] : Blaq Out,
France, 2004)
−.『田園詩』(Pastorali). ソ連, 1975. (Pastorale, in Otar Iosseliani, DVD [Region 2, PAL] : Blaq
Out, France, 2004)
−.『月の寵児たち』 (Les favoris de la lune). フランス/イタリア/ソ連, 1984. (in Otar
Iosseliani, DVD [Region 2, PAL] : Blaq Out, France, 2004)
−.『そして光ありき』 (Et la lumière fut). フランス/西ドイツ/イタリア, 1989. (in Otar
Iosseliani, DVD [Region 2, PAL] : Blaq Out, France, 2004)
−.『蝶採り』 (La chasse aux papillons). フランス/イタリア/ドイツ, 1992. (in Otar Iosseliani,
DVD [Region 2, PAL] : Blaq Out, France, 2004)
−.『群盗,第7章』 (Brigand, chapitre VII). フランス/ロシア/イタリア/スイス, 1996. (in
Otar Iosseliani, DVD [Region 2, PAL] : Blaq Out, France, 2004)
53)以下では,それぞれの映画の題(原題と邦題または邦訳),制作国,制作年を監督別に並べたほか,参
照の便宜のため,最近の市販DVDまたはVHSビデオのデータを付記した。
箭内 匡:直接性と映画−映画による「所有」の回復−
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−.『素敵な歌と船はゆく』(Adieu, plancher des vaches! ). フランス/スイス/イタリア, 1999.
(DVD : キングレコード, 2002).
−.『月曜日に乾杯!』(Lundi matin). フランス/イタリア, 2002. (DVD : キングレコード,
2004).
キアロスタミ, アッバス(Kiarostami, Abbas) 『オリーブの林をぬけて』(Zir-e darakhatan-e
zeyton), フランス/イラン, 1994. (DVD : IMAGICA, 2001).
−.『風が吹くまま』(Bad ma ra khahad bord) イラン/フランス, 1998. (DVD: ジェネオン・エ
ンタテインメント, 2001).
黒澤明『野良犬』映画芸術協会/新東宝, 1949. (DVD: 東宝, 2003).
−.『生きる』東宝, 1952. (DVD: 東宝, 2003).
−.『七人の侍』東宝, 1954. (DVD: 東宝, 2002).
−.『赤ひげ』東宝/黒澤プロ, 1965. (DVD: 東宝, 2002).
−.『デルス・ウザーラ』(Dersu Uzala) ソ連, 1975. (DVD: 東宝, 2002).
小津安二郎『晩春』松竹, 1949.(
『小津安二郎第一集』所収,DVD: 松竹, 2003)
。
ウェドラオゴ, イドリッサ (Ouedraogo, Idrissa). 『選択』(Yam Daabo). ブルキナ・ファソ/フ
ランス, 1986. (Le choix, VHS [Secam]: M3M, France).
−.『ヤーバ』(Yaaba). ブルキナ・ファソ/スイス/フランス, 1989. (DVD [Region2, PAL]:
P.O.M. Films, France, 2003).
−.『ティライ/掟』(Tilaï). スイス/イギリス/フランス/ブルキナ・ファソ/ドイツ, 1990.
(DVD [Region2, PAL]: M3M, France, 2002).
−.『サンバ・トラオレ』(Samba Traoré). ブルキナ・ファソ/フランス/スイス, 1992. (DVD
[Region2, PAL]: M3M, France, 2003)
−.『心の叫び』(Le Cri du coeur). ブルキナ・ファソ/フランス, 1994. (VHS [Secam]: M3M,
France)
−.『キニとアダムス』(Kini & Adams). フランス/ブルキナ・ファソ, 1997. (DVD [Region2,
PAL]: DeAPlaneta, España, 2004).
ペロー, ピエール(Perrault, Pierre).『世界の存続のために』(Pour la suite du monde, coréalisé
par Michel Brault). カナダ, 1963. (VHS [NTSC]: ONF, Canada, 1999.)
ルノワール, ジャン(Renoir, Jean).『ゲームの規則』(La règle du jeu). フランス, 1939. (DVD: 紀
伊國屋書店, 2003).
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アゴラ(天理大学地域文化研究センター紀要)
レネ, アラン(Resnais, Alain) 『ゲルニカ』(Guernica). フランス, 1950. (DVD:『アラン・レネ/
ジャン=リュック・ゴダール短編集』所収, DVD: 紀伊國屋書店, 2001).
−.『夜と霧』(Nuit et brouillard). フランス, 1955. (DVD : ハピネット・ピクチャーズ, 1998)
−.『二十四時間の情事』(Hiroshima mon amour). フランス, 1958. (DVD: ビーム・エンターテ
インメント, 1998).
−.『去年マリエンバートで』(L'année dernière à Marienbad). フランス, 1961. (DVD: ビデオメ
ーカー, 2003).
−.『アメリカの伯父さん』(Mon Oncle d'Amérique). フランス, 1961. (DVD: ジェネオン・エン
タテインメント, 2001).
ルーシュ, ジャン(Rouch, Jean). 『私は黒人』(Moi, un noir). フランス, 1958. (VHS [Secam] :
FNAC, France).
−.『ジャガー』(Jaguar). フランス, 1967. (VHS [Secam] : FNAC, France).
センベーヌ, ウスマン(Sembène, Ousmane). 『エミタイ』(Emitaï). セネガル, 1971. (in
Collection Ousmane Sembène, DVD [Region 2, PAL]: M3M, France, 2003).
−.『チェド』(Ceddo). セネガル, 1977. (in Collection Ousmane Sembène, DVD [Region 2, PAL]:
M3M, France, 2003).
シュトロハイム, エーリッヒ・フォン (Stroheim, Erich von). 『グリード』(Greed). アメリカ,
1924. (DVD: アイ・ヴィー・シー, 2004).
スレイマン, エリア (Suleiman, Elia). 『D. I.』(Yadon ilaheyya). フランス/モロッコ/ドイツ/
パレスティナ, 2002. (DVD: 紀伊國屋書店, 2003).
タル, ベーラ(Tarr, Béla). 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(Werckmeister harmóniák). ハ
ンガリー/イタリア/ドイツ/フランス, 2000. (DVD : 紀伊國屋書店, 2003).
ヴェルトフ, ジガ(Vertov, Dziga). 『熱狂−ドンバス交響曲』(Entuziasm: Simfonia Donbassa).
ソ連, 1931. (Enthusiasm, VHS [NTSC], USA).
ヴェンダース, ヴィム(Wenders, Wim), 『東京画』(Tokyo-Ga), アメリカ/西ドイツ, 1985.
(DVD: ハピネット・ピクチャーズ, 1998)