当日配布資料

民族・宗教・共生
「プロテスタントとカトリックの歴史的和解
-北アイルランドのテロと紛争の終結について―」
名古屋市立大学大学院人間文化研究科准教授
松本佐保
○講義要旨
150年以上に渡ったテロなどの激しい闘争と紛争の歴史に昨年ようやく終止符を打った北
アイルランドの和平成立に注目し、その成立過程を概観する。同じキリスト教徒でありながら、
プロテスタントとカトリックがテロ行為によって互いに殺し合った長年の紛争とテロがどのよ
うにして解決にむかったのかを、特にこの紛争の中核にあったカトリックのクロナド修道院に
注目し、その和平成立過程を説明する。講師自身が今年9月に元紛争地に赴き、和平交渉関係
者や元紛争関係者に行ったインタビュー、その時に入手した映像などを交えて解りやすく解説
する。なお2,3,4の部分は簡単に概観するにとどまり、5,6の部分を中心に話をすすめ
る。
(注:テキストでは重要用語は下線で明記し、プロはプロテスタント、カトはカトリックの
略称である。
)
○講義内容
1
はじめに
2
アイランドの紛争とテロの起源、その歴史的背景
3
アイルランド自由国から共和国へ→北アイルランド問題の発生と戦後の深刻化
4
1998年の和平成立・聖金曜条約成立から昨年5月のパワー・シェアリングまで
5
クロナド修道院と修道院地区:IRA 暫定派の誕生の地&和平交渉成立の場
6
和平交渉関係者と元テロリストへのインタビュー
6
おわりに
1 はじめに(基本的知識)
・北アイルランドってどこ?なぜ北アイルランドは英国の一部なの?アルスター州とは?
・アイルランド共和国の国旗:緑色(カトリック)白(平和)オレンジ色(プロテスタント)
・なぜプロテスタントとカトリックが喧嘩?英国の宗教改革の歴史→クロムウェルのアイル
ランドへのカトリック狩り遠征、オレンジ公ウィリアムはプロテスタントの誇らしき象徴
・現代のアイルランド:アイルランド共和国(カトリック93%、聖パトリックの祝日)
北アイルランド(カトリック40%、プロテスタント60%)
・現在の北アイルランドの政治団体と政党:
カトリック側=英国からのアイルランド独立をめざす民族主義・共和派
IRA(テロリスト)、シン・フェイン(IRAの政治組織で急進派政党)
、
社会民主労働党(穏健派政党)
プロテスタント側=北アイルランドの英国支配に忠誠心を持ち、その独立運動を阻止
UVF、UDA、UFFなどに代表されるロイヤリスト(テロリスト)、民主統一党
1
(急進派政党)、アルスター統一党(通称ユニオニスト、穏健派政党)、オレンジ会(圧力
団体)
RUC=英国政府のアルスター州警察組織、中立的であるべきだが実情はプロテスタンのみ
で構成、ゆえにプロテスタント側と癒着、一説ではロイヤリストと結びついていたとされる
2 アイランドのテロと紛争の起源、その歴史的背景
1)英国の植民地、大英帝国の実験台としてのアイルランド支配
1801年:英国によるアイルランド併合
1829年~1846年:カトリック解放
ダニエル・オコネルによるカトリシズムと穏健的アイルランド民族運動の一体化
1846年:ジャガイモ飢饉、大量の餓死者と移民を輩出、2006年に150周年記念行事
1848年:青年アイルランド党による急進的アイルランド民族運動の蜂起→鎮圧
1867年 アイルランドでフィニアン党の蜂起、フィニアンの活動はアメリカでも
1886、93年 第一次、第二次アイルランド自治法案→貴族院で否決
19世紀末アイルランド民族主義の文化活動、ゲール協会、ゲール同盟、文芸協会
1905年 アイルランドでシン・フェイン党の結成、フィニアン(IRB)を基盤
1913年第三次アイルランド自治法案→再び否決→アイルランド義勇軍(IRA)の結成
1914年 第三次アイルランド自治法案議会を可決、しかし戦争で発効を延期
第三次ア自治法可決に反対したユニオニストがUVF(アルスター義勇軍)結成
×
マクニールのアイルランド義勇軍+IRB+ゲール同盟+シン・フェイン党
1916年:第一次大戦中にイースター蜂起→鎮圧
1917年 シン・フェイン党の台頭、総選挙で当選、プランケット、デ・ヴァレラ
1920~1年 独立戦争(ゲリラ戦)の展開 RIC(武装警察)ブラック&タン
×アイルランド義勇軍→共和軍(IRA)+シン・フェイン+IRB(テロ、暗殺)
IRA:義勇軍誕生前からIRBの軍事組織、義勇軍、フィニアン部隊をこう呼ぶ
「血の日曜日」20年11月IRAが英密偵14人を暗殺 報復で市民が無差別虐殺
21年7月ベルファーストでプロテスタントがカトリック襲撃、22年1月も同様
1920年12月アイルランド統治法、ユニオニストの反対で北アルスター諸州は除外
1921年10月 国際世論の非難で英は武力鎮圧困難 英政府(ロイド・ジョージ、
チャーチル、チェンバレン)とアイルランド側の代表団(コリンズなど)和平交渉
北の分離、アイランド自由国成立、英国王への忠誠→戦争か協約→妥協的条約成立
条約の批准をめぐって国民議会は分裂:強硬派(デ・ヴァレラ)現実派(コリンズ)
デ・ヴァレラは辞任グリフィスが大統領、南アイルランド議会の議長にコリンズ
シン・フェインと共にIRAも分裂 旧IRA=条約賛成 新IRA=条約反対
→内乱勃発 旧IRA(自由国軍)×新IRA(不正規軍)反対派の敗北で終結
しかし内戦中にグリフィスが過労死、コリンズが暗殺されコスグレーヴが指導者に
1922年国民議会がアイルランド国民憲法を承認、 英国王が裁可→自由国誕生
1923年新憲法で総選挙 シン・フェインの分裂:ゲール党(コス)×共和党(デ)
後に前者はフィン・ゲール 後者はデのシン・フェイン脱退でフィアナ・フォイル
2
3
自由国から共和国へ、北アイルランド問題の発生と戦後の深刻化
コスグレーヴは自由国から共和国に格上を目指し、英連邦と国際連盟に働きかける
30年に連盟の非常任理事国に 32年に首相兼外相デ・ヴァレラが連盟理事会議長
北アイルランド問題の発生:反対派の新IRAが北の分離を不満、北でテロを展開
コスグレーヴはIRAの過激活動に強攻策→IRAを非合法化→コスの支持率低下
デ・ヴァレラはコスの措置を撤回、テロは激化し36年に再非合法化→英本土でテロ
デ・ヴァレラは8回首相を務める(32~48年まで6回連続)
英との経済戦争(保護か自由貿易)
、新憲法の制定(37年大統領制)
文化政策:ゲール語(エール)国家(義勇軍の歌)象徴(ハープ)カトリック道徳
二次大戦中の中立:チャーチルがアイルランド自由国の中立を非難
デ・ヴァの反論「700年間の略奪、飢餓、大量虐殺・・決して敗北せず魂を売らぬ小国」
1948年 アイルランド共和法成立 49年英連邦離脱 アイルランド共和国成立
戦後の北アイルランド問題の深刻化 (プロテスタント3分の2、カトリック3分ノ1)
北6州のうちロンドン・デリーのある州は6割がカトリック、不平等選挙制度
カトリックには公共住宅が供給されず 就職でも差別 公職から排除
→アメリカでの公民権運動の影響でカトリックは「公民権協会」を組織 デモなど
→RUC部隊やプロテスタントに妨害や襲撃を受ける→IRA活動再開
→英軍、RUC、プロテスタント軍事組織 v. s IRAの間で激しいテロ抗争が展開
英政府はカトリックに公民権を公約するが、ユニオニストとロイヤリストが妨害
共和国首相が南北統一こそ解決策と言って公民権問題は再び北の独立問題へと発展
1969年頃 IRA再び分裂:正統派(指導者層)と暫定派(行動派)
1972年1月30日 血の日曜日(Bloody Sunday)”Sunday Bloody Sunday” by U2
ロンドン・デリーでの平和的デモに英軍落下傘部隊が無差別発砲、13名が射殺
その後も抗議暴動、発砲、爆破など流血→治安維持能力無→英政府の直接統治
1981年 保守党サッチャーは北アイルランド問題に全く妥協せず IRA暫定派
ボビー・サンズが獄中立候補で当選 和平交渉をためバンガー・ストライキで死亡
→世界中の非難を浴びる
1981~1996年 保守党政権下では紛争悪化、IRA とロイヤリストによるテロの激化
ただしサッチャー後のメイジャー政権下では実はシン・フェインなどと極秘交渉開始
1997年 英国総選挙・労働党ブレア政権誕生→北アイルランド問題に積極的働きかけ
同時並行的にカトリック側の努力、カトリック神父アレックス・リード氏の仲介
穏健派の社会民主労働党と急進派のシン・フェインが初の対話→IRA の停戦宣言
4
1998年和平交渉の成立 「聖金曜日条約」
(英のブレアと米のクリントン連携)
アルスター統一党(プロ)のデビット・トリンブルと社会民主労働党(カト)
社会民主労働党(カト)のジョン・ヒュームの努力と交渉の末 シン・フェイン党
→同年二人はノーベル平和賞を受賞
1998年8月「聖金曜日条約」成立直後に、IRA暫定派から「真のIRA」と「継続IR
A」が分裂、前者が条約に反対し、北アイルランドOmaghで爆弾テロ→多くの死者を出す
→「聖金曜日条約」が危ぶまれたが、その後もこれを実践すべく努力が継続、但し和平は難航
2001年6月 英+北アイルランド総選挙
民主統一党(ペイズリー)とシン・フェイン党(アダムス)が躍進→雲行きを懸念
3
2001年9月11日 米国でのいわゆる9・11同時多発テロ事件発生→テロリストへの資
金援助が困難に→NOAID(アイルランド系アメリカ人のIRAへの資金援助団体)機能停止
2002年~2005年 資金繰り困った IRA がコロンビアの麻薬組織と協力・銀行強盗など
→IRA の完全なるイメージ・ダウン
2005年7月7日 イスラム過激派によるロンドン・テロ事件発生
2005年7月28日 IRAのこれ以上のイメージ・ダウンを恐れたシン・フェインは「IRA
の武装闘争終結宣言」を行う、恐らくイスラム過激派のテロリストとの差別化を意識
2007年5月
北アイルランド選挙:民主統一党(イアン・ペイズリー)とシン・フェイン
党(マック・ギネス、元IRA暫定派の親分)がほぼ票を二分→民主統一党とシン・フェインが
連立政権を結成:ペイズリーが代表、マック・ギネスが副代表となる
→奇跡的な歴史的和解:今後の課題は山積み
2008年9月英国政府がIRAの完全機能停止を確認
5
クロナド修道院と修道院地区:IRA暫定派の誕生の地&和平交渉成立の場
北アイルランドの首都、ベルファーストの労働者階級のカトリック地区の中心的存在、
レデンプトール会:至聖贖罪修道院、救貧を目指す兄弟会でもあり世俗の信者の参加が盛ん
1968年 公民権運動のデモなどに対してRUC部隊やプロテスタントに妨害や襲撃
1969年8月フォールズ地区、クロナド修道院教区のカトリック市民がロイヤリストに襲
撃・焼き討ち
IRA再び分裂:正統派(指導者層)と暫定派(行動派)→IRA 暫定派の誕生
英軍、RUC、ロイヤリストからカトリック住民を守ることを目的とする
1970年7月フォールズ地区の略奪(プロテスタント地区はシャンキルとの間に壁)
英軍による不当な家宅捜査→夜間外出禁止命令を強要→違反者を射殺
武器の発覚→IRA 容疑者を安易に逮捕できる方法を発案
1971年8月9日 インターンメント(裁判なき拘禁制度)の導入
IRA とは無関係なカトリック市民も不当に逮捕・拷問を受ける
修道院も家宅捜査を受ける
→IRA は反撃→英軍+ロイヤリスト対 IRA の銃撃戦が日常茶飯事
→IRA はカトリック市民を毎日パトロール→市民の IRA への支持増大
1972年以降 北アイルランドは英国の直轄統治へ
1978年 IRA のテロ活動がエスカレート、北と本土で主要建物などの爆破(予告あり)
こうした爆破活動やメイズ刑務所での「汚物を捨てない闘争」で修道院と離反
しかし囚人の家族の反インターンメント運動の集会に修道院を使うかどうかジレンマ
1981年サッチャー政権の交渉拒否、IRA ボビー・サンズらのハンガー・ストライキ
英国政府への世界中からの非難→IRA の政党としてのシン・フェインの台頭
修道院のアレックス・リード神父の活躍
ジブラルタルで投降した3人の IRA が英軍に撃ち殺される、うち2人が修道院の助手
リード神父がこの2人の棺に同行、同時に殺された英兵の前で跪く映像が報道される
修道院の様々な役割:リード神父とレイノルズ神父(1986~88年)
IRA 暫定派と IRA 正統派の内部闘争の仲介
1987年リード神父の仲介でカトリック穏健派社会民主労働党とシン・フェインが初会談
レイノルズ神父がプロテスタント側の牧師との交流を通じて、ロイヤリストがカトリックの
葬儀への襲撃を行わないよう交渉←マイケル・ストン(ロイヤリスト)の襲撃事件(5月)
4
1993年10月ロイヤリストの爆弾で修道院教区の10人、うち2人女児が殺害される
1993年保守党政権のメイジャー首相がアイルランド共和国首相と修道院にて極秘会談
1994~5年 リード神父の仲介・交渉で IRA 暫定派の休戦宣言
1998年の聖金曜日条約~現在、和平条約成立以降も何度も危機に直面、その度に修道院が
シン・フェインのアダムスやマック・ギネスと社会民主労働党、アルスター統一党、ブレア首
相、アイルランド首相アーヘン、他の政治家・関係者の極秘会談や交渉の場として修道院が使
われる。最近ではスペインからの独立運動、バスクのテロ組織(ETA)とスペイン政府の極秘
交渉の場として使われた←リード神父の取り組み
クロナド修道院の宗教的活動と和平交渉の関わり
ユニティ・ピリグリム(Unity Pilgrims)と和解(reconciliation)プロジェクト
クロナド修道院教区の信者達がプロテスタント側の教会を毎週日曜に訪問・交流、信仰につい
て議論→時には対立、しかし対話通じて相手への理解を深める
試みは80年代から、しかし1994年以降本格的に行われるようになった
レイノルズ神父とケン・ニューウエル牧師の交流と友情関係から始まる
6、和平交渉関係者と元テロリストへのインタビュー
1)クロナド修道院のジェリー・レイノルズ神父の補佐、Petersen 氏とのインタビュー
2)元 IRA・テロリスト R 氏(元共和派政治犯)とのインタビュー
7、おわりに
5
主要参考文献:
James Grant, One Hundred Years with Clonard, Redemptorists, Dublin, 2003
Jonathan Powell, Great Hatred, Little Room, making peace in Northern Ireland,
London, 2008
Ronald .A. Wells, Friendship, The Journey of Ken Newell and Gerry Reynolds
鈴木良平著『IRA、アイルランドナショナリズム』彩流社、1999年
鈴木良平著『アイルランド建国の英雄たち』彩流社、2003年
ポール・アーサー他著/門倉訳『北アイルランド現代史―紛争から和平へー』彩流社、2004年
松本佐保「宗教・人種問題とテロリズム―2005年7月のロンドン・テロ事件に思うこと-」
(名
古屋市立大学人間文化研究所発行『人間文化研究所年報―宗教と共生―』第1号、2006年3月)
参考メディア・映像・音楽:
インターネット・ニュース:http://news.bbc.co.uk →Northern Ireland
クロナド修道院サイト:www.clonard.com
映画『マイケル・コリンズ』ニール・ジョーダン監督、ニーアム・ニーソン、ジュリア・ロバー
ツ他出演、1996年、英・米・アイルランド合作
映画『Hunger, ボビー・サンズ』スティーブ・マックィーン監督、2008年、カンヌで受賞
音楽
U2「Sunday Bloody Sunday―血の日曜日事件―」(アルバム『War』1982年に
収録)、インターネット http://jp.youtube.com/watch?=JFM7Ty1EEvs で動画見ることが可能
その他元ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニーなども歌に
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