2016年 - 南山宗教文化研究所

南山宗教文化研究所 研究所報
第26号・2016年
はじめに
奥山 倫明
第 17 回南山宗教文化研究所シンポジウム報告
科学と宗教の対話
教育への貢献
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村山由美
報告 第2回日本宗教研究・南山セミナー 12
小林奈央子
2000年代日本におけるキリスト教信者の急増減
宗務課「 宗教統計調査」から考える」 16
記憶と追悼の宗教社会学
追憶の共同体をめぐる考察 26
斎藤 喬
研究ノート
「新資料」にみる賀川豊彦の天皇観 69
1
粟津賢太
唾棄物としての
『少女ムシェット』
ブレッソンにおける映画の宗教性をめぐって 41
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奥山倫明
村山由美
昨年の行事 76
旧師旧友 79
研究所のスタッフの研究業績 85
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2
Japanese Journal of Religious Studies
Volume 45 (2015) の目次 91
Asian Ethnology
Volume 74 (2015) の目次 92
研究所のスタッフ 94
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はじめに
2012 年より 2 期、4 年の所長職を務めさせていただき、このたび任期満了を迎える
ことになった。その間、数多く海外から客員研究所員を迎えることができたのに加え、
さまざまな形で若手の研究員にも在籍していただき、第一種研究所員のみでは実現し
えない多くの研究活動を遂行することができたことに、心より感謝の意を表したい。
とりわけ金承哲・第一種研究所員を中軸とするジョン・テンプルトン財団助成プロ
グラム「科学と宗教との対話―日本の宗教共同体及びその教育機関における科学と宗
教の対話についての探究的評価」は、2014 年度からの活動を本年度も継続し、研究成
果の出版、国際シンポジウムの開催等、第一段階としての成果の取りまとめを行なっ
た。2016 年 1 月に本研究所で開催されたシンポジウム “Religion and Science in Dialogue:
The Consequences for Religious Education” における発表のうちの三本については、英語
版 Bulletin に収録することができたので、ご参照いただけると幸いである。他方、今
年の日本語版所報には、若手研究員たちのさまざまな論文のほか、デンマークのオー
フス大学との共同プロジェクト(2015 年 10 月)の際に発表した拙稿も収録する機会
を得たことを付言しておく。
今年度、南山宗教文化研究所では、南山大学国際化推進事業(第三期)として、二
つの事業を推進することができた。一つは、2013 年にも開催した、「日本宗教研究・
南山セミナー Nanzan Seminar for the Study of Japanese Religions」を再び開催したことで
ある。これは、国外から日本宗教研究を専門とする大学院生をお招きし、日本語での
研究発表、日本語でのディスカッションを行なうセミナーである。近隣の先生方、ま
た関西からも懇意にしてくださっている先生方をコメンテーターとしてお招きし、今
回も活発な議論の場となったことをたいへんうれしく思う。セミナーの報告について
は、所報、Bulletin にそれぞれ掲載されているのでご参照いただきたい。こうした機
会に出会うことができた海外の大学院生の方たちと、将来、さまざまな学術的な催し
の際に再会することは大きな楽しみである。
また国際化推進事業の二つ目として、新事業、International Post-Doctoral Research
Fellowship を実施し、フェローとしてスペインより Carla Tronu さんをお迎えした。9
月から 3 月という短い任期であり、海外からの応募者にとって、必ずしも完全に理想
的なポジションというわけではないかもしれないが、それでも日本研究の若手研究者
にとって、日本滞在には一定の意義があることと思う。この制度は 2016 年度、17 年
度も継続する予定であり、各年 1 名、将来性に富むポスドクの方をお招きしたいと考
えている。
なお、過去 10 年ほどの間、南山宗教文化研究所は日本哲学研究の国際的な研究拠
点として、海外から多くの研究者を受け入れてきたが、この分野の研究所としての持
続的な拠点としての基盤強化を図るために、研究所内にハイジック名誉教授からの寄
贈資料を中心に「日本哲学研究資料室」を設置した。今後も、この分野での研究環境
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の整備を図りながら、訪問研究者の受け入れ努めていきたい。
南山宗教文化研究所は、現在、さまざまな形で組織改編を進めている。2016 年度以
降に行なわれる改編が、研究所の将来をさらに大きく切り開くことになることを願っ
ている。なお 2016 年 4 月より、金承哲・研究所員が新所長として、研究所の新時代
を先導することになっていることを申し添えておく。
奥山倫明
2016 年 4 月 1 日
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第 17 回南山宗教文化研究所シンポジウム報告
科学と宗教の対話
教育への貢献
村山 由 美
Murayama Yumi
ジョン・テンプルトン財団の支援による、
「日本の宗教共同体及びその教育機関におけ
対話」に注目することで、「自然科学」と多
る科学と宗教の対話についての探究的評価」
元的な意味での「宗教」双方についての理
の研究の一環として、2016 年 1 月 29 日、30
解を深めることができるのではないかとい
日の 2 日間、南山宗教文化研究所において
う立場から、金承哲を中心に高等教育機関
国際シンポジウム「科学と宗教の対話:教
で宗教教育に関わるメンバーから構成され
育への貢献 (Religion and Science in Dialogue:
たプロジェクトチームは、日本の高校・大
Consequences for Religious Education) 」が開
学で使用できる「科学と宗教」を主要テー
催された。「科学と宗教」というテーマは、
マとした教科書の作成をめざしてきた。そ
キリスト教神学の分野では、近代科学とキ
のために今回のシンポジウムでは、日本だ
リスト教世界観の対立と調和の問題として、
けではなく、韓国、中国、アメリカ、ドイ
繰り返し多方面から議論されてきた。近代
ツから招かれたスピーカーたちによって、
科学・技術の受容と「宗教」という概念の
各国の宗教教育現場で「自然科学と宗教」
輸入がほぼ同時期であった日本において
というテーマがどのように教えられている
は、「科学と宗教」というテーマの語られか
かについての報告がなされ、その後、「科学
た、あるいは、テーマの設定の仕方自体が
と宗教」を日本の文脈でとらえた場合に、
キリスト教文化圏のそれとは異なってくる。
日本の宗教教育機関は各国の例から何を学
2014 年度には、日本における「科学と宗教」
ぶことができるのかということについて議
の関係の近代史的意義について、金承哲他
論が交わされた。
編、撰集『近代日本における科学と宗教の
開催の挨拶で金承哲は、南山宗文研が創
交錯』が南山宗教文化研究所から出版され
立以来取り組んできた「宗教間対話」が第
た。今回のシンポジウムは、その成果を踏
二ヴァチカン公会議以降のキリスト教会に
まえて、現代の日本の文脈、とくに宗教教
おける重要な課題でありつづけるてきたこ
育の場における「自然科学」と「宗教」の
とを確認した。そして、今日の国際社会に
対話と教授法の可能性について議論すると
おけるいかなる問題も、ひとつの宗教界、
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いうのが目的であった。「自然科学と宗教の
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あるいは宗教のみの問題としてではなく、
的背景をもつ学校で「リベラル・スタディ
異なる宗教、異なる社会にまたがる共通の
ーズ」と呼ばれるものの一部として行われ
課題として捉えるべきであるという点につ
ている。「リベラル・スタディーズ」はすべ
いて強調し、それはまた、宗教と自然科学
ての中等教育に課せられているが、私立の
の関係を考える上でも同様であると述べた。
場合、その内容はある程度柔軟に決定され
自然科学によって、存在と現象のすべてが
るようだ。ライ氏は、香港や日本のような
包括的かつ充分に説明されうるという主張
宗教多元的社会における宗教教育は、ある
が力強くなされる今日の社会において、宗
特定の宗教宗派についての客観的知識を教
教を教えることの意義とはなんであろうか。
えるよりも、宗教間対話を前提にしたもの
近代科学についてのバランスのとれた視座
であるべきだという立場をとる。すなわち
は、宗教教育をより豊かなものとしていく
「科学と宗教」という場合の「宗教」は、世
はずである、という期待の内にシンポジウ
界宗教のみならず、アジアの土着的宗教も
ムは幕を開けた。発表者とタイトルは以下
ふくめた思想の対話を前提としているべき
の通り。
であり、「科学」との対話は異宗教理解を基
Prof. Chiu Pan Lai (Hong Kong)
“Religion-Science Dialogue and the
Secondary Education in Hong Kong: An
Inter-Religious Perspective”
盤としてなされる宗教教育の一実践と捉え
Prof. Paul Swanson (Japan)
“Some Aspects of Science-and-Spirituality
in Japan: The Significance of Kokoro
多宗教教育(multi-religious; 1970 年代〜 1980
Prof. Jaeshik Shin (Korea)
“Religion and Science Dialogue in Korean
Educational Context”
Prof. Kenneth Reynhout (USA)
“Teaching Theology and Science in Context:
Hermeneutics and Cultural Wisdom”
Prof. Friedrich Schweitzer (Germany)
“The Tension between Faith in Creation and
Evolutionary Science: How Should Religious
Education Respond”
1 日目
1 人目の発題者は香港中文大學の文化宗教
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ることが出来る。ライ氏によれば、香港の
宗教教育は香港社会の変遷とともに、単一
宗教教育(mono-religious; 1970 年代以前)、
年代頃)、異宗教間教育(inter-religious; 1990
年代以降)の三段階を経ている。
香港政府教育庁の規定するところによれ
ば、現在の香港中等教育における宗教教育
は、生徒たちが、人生の意味・価値・目的
への問いに取り組む機会を提供することで、
道徳的な生き方と個人の自律性を養う機会
を提供している、と捉えられているようで
ある。具体的には、「倫理と宗教学」という
カテゴリーの下、生と死、エコロジー、生
命倫理、家庭と結婚などの問題について、
いくつかの宗教の立場が紹介され、加えて
医学や気象学の視点が参照されるという内
容になっている。
学部教授、ライ・パンチウ氏で、「香港にお
宗教伝統の学びが個人の価値観や人格の
ける科学と宗教の対話と中等教育について
形成、及び社会倫理の学習に役立つという
宗教間の視座より」というタイトルで発
のは、あるひとつの「宗教」の見方であっ
表がなされた。香港の中等教育における宗
て「宗教」を語るときの普遍的共通理解で
教教育は、日本の例と大きく違わず、宗教
はない。また、「人生の意味、価値、目的へ
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の問いに取り組む機会を提供する」のは、
科学者を招いて懇話会を開き、2 年目の終
宗教や倫理に限らずすべての学問分野の存
わりに南山宗教文化研究所でシンポジウム
在意義であるはずであり、宗教教育の専売
を開催した。その結実が『科学・こころ・
特許であるとはいいがたい。香港政府教育
宗教』という本である。後半の 3 年は脳科
庁の提示するカリキュラムが決定される背
学に焦点を置き、2 年間のディスカッショ
後の様々な思想と思惑のやりとりは想像す
ンを経て最終年に開催された国際シンポジ
ることしか出来ないが、公の教育現場で「宗
ウムの結果が Brain Science and Kokoro: Asian
教教育」の場を確保するためには「倫理」
Perspectives on Science and Religion (Nan­z an
と抱き合わせにすることが最も摩擦が少な
Insti­tute for Religion & Culture, 2011) として出
いという判断があったのかもしれない。し
版された。スワンソン氏によれば、
「こころ」
かし、そこでは異宗教理解の前提として、
という、いわば「科学」と「宗教」の架け
国家が認める「倫理」と「宗教理解」が土
橋としての第三の要素を設定した背景には、
台としてある。そう考えると、世界宗教の
「こころ」が思考と感情を両方含んだ広い概
みでなく「土着の伝統」を宗教教育に取り
念であり、「理性」と「感情」の両方にまた
入れるという方向性は国民国家の教育では
がるキーワードとなりえたということがあ
当然のことといえるだろう。「異宗教理解の
った。また、日本では、欧米のようにキリ
立場からの宗教教育」というのは「倫理」
スト教を背景に「創造」や「進化」について、
という土台の上で、いくつかの伝統的権威
宗教的世界観と科学のコスモロジーが対立
を子供たちに紹介することなのだろうか。
するという構造が存在しないため、それと
そこで行われる「科学」との対話は、前提
は別の観点から「科学と宗教」というテー
とされている「倫理と宗教」理解を覆すも
マにアプローチするためにも、「こころ」は
のではないだろう。質疑応答の際に会場の
有用な概念であった。そういうわけで、科
ジェームズ・ハイジック氏(南山宗教文化
学研究者の反応も、
「宗教」よりも「こころ」
研究所)からは宗教間対話とは各々の宗教
の方がよかったそうである。
伝統の問いに他の宗教が答えるのではなく、
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プロジェクトの第一期では、脳科学者の
各々の宗教伝統の立場から共通の問いを探
田中啓治氏、応用物理学の橋本周司氏、そ
り出すことではないかという指摘があった。
して霊長類学の松沢哲郎氏が各々、「『自由
そうだとするならば、「科学と宗教」の対話
意志』と脳」、
「こころのあるロボット」、
「霊
は宗教間対話の観点から考えても理論上は
長類としての人間」というテーマで発表を
実り多いものとなるはずであるが。
した。後半の 3 年間では、台湾、韓国、日
つづくセッションでは、南山宗教文化研
本で国際ワークショップを開催した。国際
究所のポール・スワンソン氏が「日本にお
ワークショップ及びシンポジウムでは、発
ける科学とスピリチュアリティの一側面〈こ
表者の仕用言語が日本語から英語に変化し
ころ〉の意味をめぐって」と題して、2004
たことで、「こころ」についての議論の展開
年から 2010 年の間に、同じくテンプルトン
が日本語での場合とかなり異なったという
財団から支援を受けたプロジェクト、Global
ことだった。「こころ」という概念の多様性
Perspectives in Science and Spirituality (GPSS)
を示す実例だろう。
を振り返った。GPSS では、はじめの 2 年間、
おそらく GPSS の最大の成果は、科学と
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宗教の具体的な議論を展開する「場」とし
いる」と、あらためて聞いて、やはり驚か
ての「こころ」の発見であろう。
「創造 vs
ざるを得なかった。韓国のキリスト教人口
進化」という、キリスト教文化圏の議論と
は、シン氏によれば、全人口の約 30%であ
は別に、日本の異なる宗教伝統の視点から、
る。決して微小ではない。私立中高等学校
科学について論じることを可能にしたのが、
全体のうち 40%がプロテスタントキリスト
「こころ」というテーマであった。その意味
教の背景をもっており、そこでの宗教教育
でこのプロジェクトは、「対話」であると同
は多くの場合、科学に無関心、あるいは反
時に、「こころ」についての「共同研究」と
(似非?)科学的だということである。一方
呼ぶに値する企画であったということがで
で、韓国は科学技術、工学、医療の分野が
きるのではないだろうか。
発達した、いわゆる「先進国」であるわけ
だが、これはどう解釈したら良いのだろう
2 日目
シンポジウム 2 日目は、韓国の湖南神学
大学教授、シン・ジェシク氏の発表をもっ
て再開された。
「韓国教育の文脈における科
学と宗教の対話」というタイトルの発表で
シン氏は、韓国の宗教教育という文脈で「科
学と宗教」がどのような問題となって現わ
れてくるのか、また、キリスト教人口が多
い韓国社会において、米国プロテスタント
保守の影響で「創造と進化」の二律背反的
な議論が再生産される様子にふれた。キリ
スト教、仏教、儒教、およびシャーマニズ
ムの伝統が交錯し、新宗教の信徒も多いと
される韓国の宗教事情は日本のそれと似て
いなくもないが、「科学と宗教の対話」につ
いては、やはりキリスト教、とくにプロテ
スタンティズムからの反応が最も顕著なよ
うだ。キリスト教の問題意識が前提となっ
学技術に力を入れ出したのは 1960 年代だと
いう。それまでは、政治と経済の議論こそ
が中心であった韓国社会では、
「宗教」と「科
学」は両者ともに疎外された存在であった。
公立の中高等学校でも 2011 年から教科書が
指定されて「宗教学」として授業がなされ
ているが、そこでは「科学と宗教」という
テーマは扱われていない。そのような中で、
リチャード・ドーキンスやエドワード・ウ
ィルソンの著作が翻訳されて社会的ブーム
になったことにもふれられていたが、なに
か、必然的なものを感ぜざるを得なかった。
宗教家や神学者のなかには科学との対話に
取り組む人びとがいるということだが、そ
れ自体は驚くべきことではないとしても、
彼らはもしかしたら、たとえばアメリカで
「科学と宗教」の問題に取り組む人びとより
ているかぎりにおいては、キリスト教以外
も、保守派からの圧力を感じているのかも
の宗教が、その「科学と宗教の対話」に加
しれない。少なくとも現時点においては。
わるというケースが少ないのは当然だろう。
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か。シン氏の報告によると、韓国が近代科
つづくケネス・ラインハウト氏は神学と
シン氏はそれが、米国を起源とするキリス
科学を教えるということについて、「解釈学
ト教根本主義からうけついだものであると
と文化的な知」と題して発表した。アメリ
述べた。
カのベテル神学校で教鞭をとり、まさに「科
うわさには聞いていたが、「韓国の高等
学と宗教」という授業を担当しているライ
教育において進化論を否定し、キリスト教
ンハウト氏は、数学、情報科学、エンジニ
の創造、あるいは創造科学を教える教員が
アリングを学んだ背景をもつ。家族は代々
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キリスト教の熱心な信者で、祖父は二人と
こに書き留めたい。神学教育の場で「科学
もプロテスタントの牧師であったそうだ。
と宗教の対話」を試みるには、「科学」に
彼の父は生物学者で、キリスト教信仰者で
ついての基礎的な知識を学生に提供するこ
あると同時に進化論を議論の前提としてい
とは必須である。科学を専門としない教員
た。ラインハウト氏は現在、プロテスタン
の場合、チーム・ティーチングなどによっ
トの神学校において、責任ある態度で自然
て、科学について正確に教えることを目指
科学と対話することができる教職者の育成、
さなければならない。教科書の選定も授業
という目的を明確にもって学生の指導にあ
の目的を達成する上で重要な要素だが、ラ
たっている。報告の中で彼が一貫して主張
インハウト氏の経験では、科学と宗教の両
したことは、
「科学と宗教」という複数の学
方の分野に精通しているものは少ない。著
問領域にまたがるテーマを扱うときに、教
者が神学者なのか科学者なのかで、すでに
える者、学生、そして科学、宗教(彼の場
議論の枠組みが決まってしまうからだ。神
合はキリスト教神学)のコンテクストをよ
学校での授業の場合、教員は神学者で学生
り的確に理解することの重要性である。そ
は神学については訓練されているため、宗
して、教員が学生と複数の学問領域を解釈
教よりも科学について詳しく書かれている
する際に必要とされるのが「文化的な知恵
テキストが使いやすいということだ。また、
[cultural wisdom]」と称される、各々の「文脈」
学生がおかれている状況——アメリカの場
への洞察である。
合はプロテスタント保守と「世俗」の対立
具体的には、実際の教育の現場からいく
—— を理解し、議論の枠組みを変えること
つかコツとヒントの教示があったので、こ
で、思考の膠着状態に風穴をあけることも
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有益だ。科学と保守的なキリスト教信仰に
にそのようなテーマについて語られた。子
対立がないわけではない。しかし、神学生
どもたちは、単純な神学と単純な科学を組
が問題を理解する前に答えを知っていると
み合わせて世界を理解しているのではない。
思うとき、学問的な思考のプロセスを提示
子どもが世界観を構築していくプロセスは
することは必要だろう。
「進化と創造」が論理的にというよりは感
情的に議論されがちなアメリカの文化的背
景として、ラインハウト氏は「恐れと不安」
の問題を指摘した。保守派のキリスト教徒
にとって、あるいはアメリカという国で科
学者として生きる人びとにとって、「進化と
創造」の問題は自身のアイデンティティに
深く関わるものである。自身が依って立つ
信念や世界観が攻撃されて破壊されるので
はないかという「恐れと不安」が対話を阻
んでいる状況がそこにはある。日本に目を
さらに複雑で創造性に富んでいる。成長に
ともなって、いくつかの矛盾する世界観が
どちらも意味のあるものであることを理解
していくのである。シュヴァイツァー氏は
とくに「神による創造」と「進化論」が提
示する二つのコスモロジーが子どもたちに
どう解釈されるかに焦点を置いて、発達心
理学からみた「科学と宗教」について語っ
た。シュヴァイツァー氏が指摘した問題の
一つは、アカデミックな場での「科学と宗
教」の議論が、子どもの世界の解釈と構築
移した場合、
「科学と宗教」という枠組みで
の事例から分離されているということであ
はそうした「恐れと不安」の問題は顕著で
る。「科学と宗教」という異なる世界観につ
はないかもしれない。しかし、「対話」を妨
いての教育について、何歳から対象にすべ
げるものとしての「恐れと不安」の洞察は、
きかなどの具体的な問題も、大学で「科学
「○○間対話」を試みるときにつねに意識さ
と宗教の対話」について議論しているだけ
れ、言語化されるべきものだろう。また、
「科
では分からず、教育現場を調査することで
学と宗教」の「対話」を考えるときに、そ
れがはたして調和するのか反目するのかと
いうことを問う前に、「科学」と「宗教」を
対話させること自体の意義について意識的
になるべきではないかという発表者の意見
は、おおいに示唆に富んでいると言えるだ
ろう。
ところで、ラインハウト氏のように、あ
る宗教伝統の中で育ち、自然科学について
学校という公共の場で学んでいく子どもた
ちは、自分たちをとりまく世界をどのよう
に構築するのだろうか。最後の発表では、
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みえてくることに気づかされる。そのとき
に、発達心理学の専門家や教育学者からの
示唆を得ることも重要となってくる。神学
者であるシュヴァイツァー氏の目的は、進
化論と創造論を単純な二項対立としてどち
らかを切り捨てるのではなく、教育を通し
て複雑な思考のプロセスを支援することで
両者を一人の人間の世界観のなかに共存さ
せることである。彼によると、ドイツの青
年のうち、神による世界の創造を信じてい
る者は少数派である。創造と進化の共存と
ドイツのテュービンゲン大学のフリードリ
いう目的を教育の中で達成するには、子ど
ヒ・シュヴァイツァー氏により、「創造論信
もの世界の構築の仕方に目線をあわせるこ
仰と進化論科学の間の緊張関係:宗教教育
とからはじめるべきであるというのが、発
はいかに対応すべきか?」と題して、まさ
表の結論であった。
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まとめ
以上の報告から明らかなことは、「科学と
宗教」の対話を日本の高等教育に取り入れ
るというときに、その理由(なぜ必要か)、
目的(なにを達成したいのか)、対象(学生
はなにに関心があり、なにを求めているの
か)について明確にしなければ、今後のプ
ロジェクトの発展はないだろうということ
である。また、日本の宗教教育現場をより
具体的に、的確に理解するということもプ
いのかによって、問題をどのような方法で
探求していくのかという方向性がだいぶ異
なってくる。宗教家が集まって「宗教間対話」
を前提としたうえで、宗教を周縁に追いや
ってきた「科学」の問題に対してスクラム
を組む、というのもひとつのありかたでは
ある。あるいは科学が「第三の要素」とし
て媒介となって、宗教間理解が深まること
もあるかもしれない。いずれにせよ、「根本
ロジェクトの前提としてあるべきであろう。
主義」はその「対話」を拒絶する態度に他
このシンポジウムのなかで繰り返し、日
ならない。他者を理解することで自らが変
本と欧米、とくにキリスト教文化圏とのコ
容することを恐れない者だけが「対話」の
ンテクストの違いということが強調された。
席に着くことができるのだから。そうなる
たしかに、日本においては、「創造主」と近
と、宗教を科学的に記述しようとする宗教
代科学をどのように折り合いをつけるかな
学者は、「科学と宗教」について、どのよう
どということは、一部の宗教者の問題でし
な立場からどう貢献するのだろうか。おそ
かなかったかもしれない。しかしそれは、
らく宗教学者は「宗教家」、「科学者」、そし
言うまでもないことだが、日本の「宗教」
て、「根本主義者」をも研究対象として、彼
あるいは「宗教学者」が、近代科学と宗教
の関係について問題意識をもつに及ばない
ということにはならない。「科学」の提供す
るコスモロジーと価値観が支配的な現代社
会において、
「宗教」について思考するとい
うことは、
「科学」について、あるいは「宗教」
と「科学」との関わりについて考えること
を抜きにしてはありえない。しかし、それ
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は思索する者が宗教家であるのかそうでな
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らがどうしてその立場をとらなければなら
ないのかについて、さまざまな方法でその
ロジックを解明しようとするだろう。そう
だとすると、宗教学者と宗教家の対話も「科
学と宗教」の範囲内のことだといえるのか
もしれない。
むらやま・ゆみ
南山宗教文化研究所客員研究所員
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報告
第2回日本宗教研究・南山セミナー
小林 奈 央 子
Kobayashi Naoko
2015 年 5 月 30 日・31 日、南山宗教文化研
「自己自身の形成」
ナー」が開催された。2013 年 6 月の第 1 回
今回も多様な視点からユニークな研究発
開催に続くものであり、今回も海外の大学
院で日本宗教を研究する、日本語を母語と
しない若手研究者が日本語で研究発表をお
こなった。発表者 5 名とコメンテーター 5
名のほか研究所内外からの参加者を含む計
36 名が参加した。筆者は、第 1 回開催を会
場で拝聴したが、今回はコメンテーターの 1
人として参加させていただいた。前回、各
発表者の研究レヴェルの高さに感服したが、
今回もその時の感動をふたたび思い起こす
ような優れた研究が並んだ。
今回選抜された 5 名の研究者と発表タイ
トルは以下のようであった。
Eric Swanson (Harvard University). 「五大院安然における調伏の概念につい
て:降魔三摩地の再評価に向けて」
Luke Thompson (Columbia University).
「釈迦を日本へ:日本における『悲華経』
の受容と神話の中世的再加工」
Paride Stortini (University of Chicago).
「築地本願寺の東と西」
Justin Stein (University of Toronto).
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Kyle Peters (University of Chicago). 究所にて「第 2 回日本宗教研究・南山セミ
12
表がなされ、これらの発表に対し、コメン
テーターの阿部泰郎氏(名古屋大学)、吉田
一彦氏(名古屋市立大学)、吉永進一氏(舞
鶴工業高等専門学校)、大谷栄一氏(佛教大
学)、そして筆者の 5 名がコメントをした。
初日のトップバッターとして、最初に発
表をおこなったスワンソン氏は、中世日本
仏教研究における代表的な枠組みである、
「本覚思想論」と「顕密体制論」の両論にお
いて重要視される五大院安然が、「密教」の
役割をどのように理解していたかを考察し
た。氏は、安然が、密教の役割を、「魔」や
「障」を「調伏する」明王を中心とする修法、
「降魔三摩地」にあると理解し、それが安然
以降、「密教」の概念の構築に大きな影響を
与えたのではないかと結論づけた。この発
表に対し、阿部氏から、安然の「調伏」を
思想化させ、日本思想史の中に位置づけよ
うとした点で、安然研究の新しい側面を開
くものであるとのコメントがなされた。
次のトンプソン氏は、12 世紀初頭から、
「臼井霊気療法とレイキ:20 世紀日本
末法の世に釈迦が大明神として示現すると
に於けるスピリチュアル・ヒーリング
いう主張の典拠となった『悲華経』を取り
について言説空間」
上げ、実際には「大明神」という言葉を含
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
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まないこの経典が、典拠とされた理由と、
割を果たしていることを論じた。氏は、同
中世において『悲華経』に関心をもつ僧侶
寺の近代化の歴史を「異文化間ミメシス」
が増えてきたことについて論じた。氏は、
および「トランスロカティブな歴史叙述」
『悲華経』に示される釈迦が、それまでの釈
の視点から考察し、同寺は西洋、日本、イ
迦の性格とは異なり、「救済する仏」として
ンドの近代的な交流の結果として存在して
現れているところに、中世神話的な思考が
いるとした。この発表に対し、大谷氏から、
見られるということ、そして、仏教の起源
近代仏教研究ではモダニズムの側面と伝統
に回帰したいと考えていた貞慶をはじめと
的な側面の 2 つを共に見ることが重要とさ
する戒律復興を目指した中世の僧侶たちが、
れ、伝統的な側面として、例えば、同寺に
『悲華経』を積極的に用いたことを指摘した。
おいて葬式はどのようにおこなわれている
この発表に対し、吉田氏から、末法思想と
かなども調査する必要があるとのアドヴァ
の関係、とりわけ、法然らが唱えた末法濁
イスがなされた。
世を救済する仏は阿弥陀如来であるという
次のスタイン氏は、1920 年代東京で誕生
教えに対抗し、釈迦の救済を強調した側面
した「臼井霊気療法」と、1990 年代に「レ
もあるのではないかとのコメントがなされ
イキ」として広く知られるようになった両
た。
者の実践者による、霊気療法と宗教の差別
2 日目はストルティーニ氏から発表が始
まった。氏は、東京の築地本願寺の歴史と
氏によれば、20 世紀初めの実践者は、臼井
今日の活動に注目し、同寺が日本とアジア
霊気療法が宗教的な権威を借りながら、一
の結びつきの代表的な例であるとともに、
方では宗教から距離を置こうと悪戦苦闘し、
日本とアメリカの仏教徒の交流の中核的役
20 世紀後半から現代に至るレイキの実践者
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
S26 (2016).indb
化を試みる記述について比較をおこなった。
13
13
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たちもまた、レイキは霊的活動をしながら
関する幅広い知識はあまり有していなかっ
も宗教ではないとする「第三空間」の立場
た。今回のセミナーの 2 日間は、この 15 年
を主張しているという。この発表に対し、
ほどの間に日本宗教研究が、国際的なレヴ
吉永氏から、両時代がともに「第三空間」
ェルで飛躍的に深化し、多角的に発展して
の立場にあるといっても、20 世紀初期の霊
いることを実感する機会ともなった。
気療法のポジションと、1980 年代以降のレ
そして、そうした発展は、海外の日本宗
イキのポジションには、天皇制の有無とい
教研究者の尽力によることはもちろんであ
う決定的な違いがあり、そうした政治的な
るが、同時に、日本人研究者の中にも、積
変化もおさえた上での分析が必要になると
極的に海外に向けて自身の研究を発信し、
のコメントがあった。
海外の研究者と活発な学術交流をおこなう
最後のピーターズ氏は、
「個人作者」と「作
学者が、近年増えてきた結果であると思わ
者の死」の言説に代わるものとして、西田
れる。折しも、今回のセミナーには、筆者
幾多郎の哲学を通じて芸術創作のオルタナ
の 2 人の恩師が参加していた。1 人が同じ
ティブな理論を提示し、芸術作品とその創
コメンテーターとして座に連ならせていだ
作過程における主体の多元的様相について
いた阿部泰郎氏であり、もう 1 人がたまた
論じた。氏によれば、芸術作品自体が自己
ま来日中で、フロアで聴講されていたロン
限定を創造的に再構築・再形成・再編成す
ドン大学 SOAS 日本宗教研究センター長の
るため、歴史的世界による限定の中にあり
ルチア・ドルチェ氏である。両氏こそ、日
ながらも、作品の創造を通して自己自身が
本の宗教研究において、日本人研究者と海
新たに創出されるという。この発表に対し、
外研究者の活発な学術交流を象徴する人物
元研究所所長である J.W. ハイジック氏より、
であり、筆者は両氏が研究の現場で議論し
問題提起としては面白いが、概して西田の
合い、研究上の連携を深めていく過程を身
言葉は抽象的であり、西田自身がイメージ
近に見てきた。また、阿部氏は近年精力的
を与える表現や、例えをほとんど用いなか
に海外で研究発表や院生を引き連れてのワ
ったため、西田の理論によって芸術作品を
ークショップをおこない、国際的な研究者
分析するのは難しさがあるのではないかと
の連携、交流の輪を広げている。こうした
のコメントがなされた。
取り組みが、海外における日本宗教研究に
以上のように、5 名の発表者の研究テー
刺激を与え、さらなる研究の発展に貢献し
マがいかに多岐にわたるものであり、独自
ていることは間違いない。最後の全体ディ
の視点をもつものであったかがお解かりい
スカッションで、所長の奥山倫明氏からも、
ただけるであろう。セミナーの折にも話し
海外の研究者と日本人研究者との学術交流
たが、筆者自身が 1999 年~ 2000 年の 1 年間、
の重要性が強調され、南山宗教文化研究所
ロンドン大学 SOAS の大学院において日本
がそうした拠点となることが、昨年開催さ
宗教を学んでいたころの、日本語を母語と
れた研究所創立 40 周年記念シンポジウムで
しない学生の研究テーマと比べると、隔世
も要望され、研究所としてもそれに応えて
の感を禁じえない。当時の筆者の同級生の
いく心組みがあるとの話があった。そして、
多くは、日本宗教といえば、禅という紋切
2 回目を迎えた本セミナーも、そうした意
り型のイメージを抱いており、日本宗教に
識に基づく取り組みの 1 つであり、今後は、
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日本人研究者が英語で研究発表をおこなえ
空事で終わらせてはいけないとの思いがよ
るような機会も設けたいとの考えも示され
ぎり、快諾した。母国語ではない言葉で研
た。
究発表をおこない、質疑応答をこなすこと
今回のセミナー終了後しばらくして、所
長の奥山氏から研究所で開催される宗教研
究の国際ワークショップでの研究発表の打
診を受けた。セミナーへの参加を通して、
国際的な学術交流の重要性を再認識し、ま
た参加者と共有した筆者自身が、それを絵
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
S26 (2016).indb
15
は実に大変なことである。しかし、その困
難に向き合い、奮闘した 5 名の発表者の勇
姿が、筆者自身の背中を押してくれた。5
名の若き研究者たちの今後一層の活躍を心
より祈念している。
こばやし・なおこ
愛知学院大学文学部講師
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2000年代日本における
キリスト教信者の急増減
宗務課「宗教統計調査」
から考える
奥山 倫 明
Okuyama Michiaki
日本人の宗教意識の現状
以上 85 歳未満の男女個人を対象とした個別
大学共同利用機関法人、情報・システム
面接聴取法による調査である。この調査に
研究機構の統計数理研究所が 1953 年から 5
おける宗教の項目から二つの問いの集計結
年ごとに実施している「日本人の国民性調
果を前 2 回の結果(2003 年、2008 年 ) と比
査」では、開始から 60 年目にあたる 2013
べると、以下のようになる(http://www.ism.
年に第 13 次調査を実施した。今次は、20 歳
ac.jp/kokuminsei/table/index.htm )。
① 宗教についておききしたいのですが、たとえば、あなたは、何か信仰とか信心と
かを持っていますか?
信じている
信じていない
計
2013
28
72
100 (591)
2008
27
73
100 (1729)
2003
30
70
100 (1192)
② それでは、いままでの宗教にはかかわりなく、
「宗教的な心」というものを、大切
だと思いますか、それとも大切だとは思いませんか?
大切
大切でない
その他
D. K.
計
2013
66
21
3
10
100 (1591 )
2008
69
19
2
11
101* (1729 )
2003
70
15
3
12
100 (1192 )
集計表の計には、個々の回答選択肢の四捨五入した後のパーセントを合計した数値を示して
いるため、必ずしも 100 とはならない。
他方、1973 年より 5 年ごとに、NHK 放送
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人面接によって実施している「日本人の意
文化研究所が、16 歳以上の国民を対象に個
識」調査というものがある。この調査では、
16
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
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宗教的行動と信仰・信心に関する二つの問
がらで、あなたが信じているものがありま
いがあり、前者は「宗教とか信仰とかに関
すか。もしあれば、リストの中からいくつ
係すると思われることがらで、あなたがお
でもあげてください。(複数回答 )」という
こなっているものがありますか。ありまし
問いである。
たら、リストの中からいくつでもあげてく
このうち後者の調査結果を過去 3 回分抜
ださい。(複数回答 )」、後者は「また、宗
き出してみると次のようになる。
教とか信仰とかに関係すると思われること
2003
2008
2013
神
30.9
32.5
31.9
仏
38.6
42.2
40.9
聖書や経典などの教え
6.4
6.4
5.8
あの世、来世
10.9
14.6
13.4
奇跡
15.3
17.5
16.4
お守りやおふだなどの力
15.0
17.4
16.7
易や占い
7.4
6.6
5.3
宗教とか信仰とかに関係し
ていると思われることがら
は、何も信じていない
25.6
23.5
25.9
その他
0.9
1.3
1.6
わからない、無回答
8.0
7.9
6.4
表中の数字は、各選択肢の回答数を、有効数で除した結果をパーセントで示したもの。
統計数理研究所と NHK 放送文化研究所
実施している「宗教統計調査」が公的な数
の調査結果を照らし合わせてみたときに、
値としてしばしば参照されていることは、
2003 年からの 10 年間に何か特筆すべき変化
周知のことだろう。2013 年(平成 25 年 ) ま
は見出せるだろうか。とりわけ 2011 年の東
日本大震災とそれに引き続く福島第一原子
力発電所事故という、多くの人々の生活に
直接の影響を及ぼしている災害をはさんだ、
2008 年と 2013 年とを比較する視点も必要だ
ろう。しかしながら、一瞥するかぎりでは、
信仰心の増大も減少も確定的に述べること
は難しそうに思われる。こうした状況を前
提として、また別の統計資料を見てみよう。
日本の宗教統計調査
日本の宗教統計として、今日、文化庁が
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
S26 (2016).indb
17
では冊子版が刊行されていた『宗教年鑑』に、
その統計は収録されていた。今日、冊子版
は刊行されていないが、1949 年以降の調査
結果についてはオンライン版として公開さ
れており、日本の宗教の数値的な概要を知
るうえで、大いに参考になる。調査の趣旨
については、文部科学省ホームページにお
いて以下のように記されている。
昭和 20 年の終戦、そして日本国憲法の
発布をみるに及んで宗務行政の内容も大き
な転回をみることになった。信教の自由・
政教分離の原則が憲法に規定され、自由な
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宗教活動を保証するために、政府は、宗教
の 事 務 所 へ 調 査 票 を 送 付 す る。 文 部 科 学
団体の法人格取得に関する法律の分野を除
大 臣 所 轄 包 括 宗 教 法 人、 宗 教 法 人 を 包 括
いて、宗教事情から手を引くこととなり、
する非法人宗教団体及び文部科学大臣所
宗教事情に関しては、宗教団体の自発的協
轄 単 立 宗 教 法 人 に つ い て は、 直 接 文 化 庁
力なしには知り得ないこととなった。
宗 務 課 あ て、 都 道 府 県 知 事 所 轄 包 括 宗
しかしながら宗教資料に関する問い合わ
教法人及び都道府県知事所轄単立宗教
せが多く、教育上、文化活動上でも宗教に
法人については都道府県事務主管課を
関する知識の要求も盛り上がってきたのを
経 由 し て 文 化 庁 宗 務 課 あ て、 返 送 す る。
うけて、昭和 24 年になって、宗教法人令に
なお、包括宗教団体(法人 ) 用調査票につ
よる宗教法人である教派、宗派、教団の主
いて、電子媒体での提出を希望する法人又
管者と協議のうえ、統計報告を毎年 12 月末
は団体については、文化庁宗務課に連絡の
現在で宗務課が「文化資料とする」ことを
上、文化庁宗務課が提示する形式で提出す
主な目的として、取りまとめることとなっ
ることができる。
た。なお、同時に単立宗教法人については、
それを所轄する都道府県で取りまとめ報告
が行われることになった。
この時以来、毎年、宗務課から文書をもっ
て依頼を行う慣行ができあがった。現在で
は、この統計が宗教界自体でも重宝され、
この統計や調査には積極的な協力を得られ
るようになっている。
(www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa07/
shuukyou/gaiyou/chousa/1262860.htm)
この調査は、包括宗教法人、宗教法人を
shuukyou/gaiyou/chousa/1262860.htm )
また、「宗教団体」、「宗教法人」といった
用語については以下のように説かれる。
(1) 宗教団体とは
宗教法人法第 2 条第 1 号または第 2 号に該
当する団体で、教義をひろめ、儀式行事を
行い,及び信者を教化育成することを主た
る目的とする団体をいう。
(2) 宗教法人とは
包括する非法人宗教団体及び単立宗教法人
宗教法人法第 12 条に基づき都道府県知事若
を対象とし、宗教団体数、宗教法人数、教
しくは文部科学大臣の認証を受けて法人と
師数及び信者数を統計報告とするものであ
なった宗教団体をいう。
る。調査票の配布収集方法については、次
のように説明される。
文部科学大臣所轄包括宗教法人、宗教法人
(3) 包括宗教法人とは
宗教法人法第 2 条第 2 号の範ちゅうに入る
宗教団体(包括宗教団体 ) で宗教法人になっ
を包括する非法人宗教団体及び文部科学大
ているものをいう。
臣所轄単立宗教法人については文化庁から
(4) 単位宗教法人とは
直接、都道府県知事所轄包括宗教法人及び
都道府県知事所轄単立宗教法人については
都道府県事務主管課を通して調査する。
(www.mext.go.jp/component/b_menu/other/
__icsFiles/afieldfile/2010/04/20/1262886_1.pdf )
上 記 の 方 法 で 調 査 対 象 宗 教 法 人( 団 体 )
18
S26 (2016).indb
(www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa07/
18
宗教法人法第 2 条第 1 号の範ちゅうに入る宗
教団体で宗教法人になっているものをいう。
(5) 被包括宗教法人(団体 ) とは
単位宗教法人(団体 ) のうち、包括宗教法
人(団体 ) の傘下に入っているものをいう。
(6) 単立宗教法人(団体 ) とは
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
2016/04/29
10:08:09
単位宗教法人(団体 ) のうち、いずれの包括
系,奈良仏教系,その他,キリスト教系を
宗教法人(団体 ) の傘下にも入っていない
旧教,新教としました。諸教には,神道,
ものをいう。 (www.mext.go.jp/b_menu/toukei/
仏教,キリスト教各系統のいずれにも入ら
chousa07/shuukyou/yougo/1262891.htm)
ないと見なされる諸派を入れました。した
がって,伝統宗教,新宗教などの分類によ
るものではありません。(www.bunka.go.jp/
戦後日本の宗教人口の推移
ここで公開されている文化庁の宗教統計
の数値をもとに、戦後日本の宗教人口につ
pdf/h25kekka.pdf )
いて概観してみよう (www.bunka.go.jp/tokei_
なお「諸教」は、かつて「その他」として
hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/index.
まとめられていたこともある。
html)。なお、宗教法人、宗教団体については、
さて、今、1950 年から 2010 年までと、そ
現在、
「神道系」
「仏教系」
「キリスト教系」
「諸
れに加えて、日本の総人口が減少に転じた
教」と区分されている。この分類については、
2011 年も含めて、10 年ごとの宗教人口につ
次のように説明されている。
いて、まとめてみよう。なお総人口は国立
系統は,由緒,沿革,教典,教義,儀式な
どから見て,また,各宗教団体の判断によっ
て,整理の便宜上,神道系,仏教系,キリ
スト教系,諸教の 4 つとし,更に神道系を
社会保障・人口問題研究所のデータによる
概数であり、各年 10 月 1 日現在の数値であ
る (www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_
Detail2015.asp?fname=T01-01.htm) 。宗教にか
神社神道系,教派神道系,新教派系,仏教
かわる数値は、以下の記述において、すべ
系を天台系,真言系,浄土系,禅系,日蓮
て各年 12 月 31 日現在である。
西暦
総人口
宗教人口総数
神道人口
仏教人口
キリスト教人口
(総人口中に占める
パーセンテージ )
諸教の宗教
人口
1950
83,200,000
109,508,691
62,783,810
43,668,499
428,701 (0.5)
2,227,681
1960
93,419,000
138,403,188
78,470,338
54,930,739
669,225 (0.7)
4,332,886
1970
103,720,000
178,971,327
83,328,989
84,960,083
804,339 (0.8)
9,877,916
1980
117,060,000
200,395,255
95,848,103
87,745,179
1,018,634 (0.9)
15,783,339
1990
123,611,000
217,229,831
108,999,505
96,255,279
1,463,791 (1.2)
10,511,256
2000
126,926,000
215,365,872
107,952,589
95,420,178
1,771,651 (1.4)
10,221,454
2010
128,057,000
199,617,278
102,756,326
84,652,539
2,773,096 (2.2)
9,435,317
2011
127,799,000
196,890,529
100,770,882
84,708,309
1,920,892 (1.5)
9,490,446
日本の宗教人口総数は一貫して、日本の
わからなくもない。また日本のキリスト教
総人口より多い。「日本には人口の 2 倍の宗
人口については、しばしば総人口の 1 パー
教信者がいる」という言い方は、2 倍とい
セント程度といった言われ方をするが、表
うのは誇張であるとはいえ、趣旨としては
に見るように 1980 年まではその割合に達し
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
S26 (2016).indb
tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/
19
19
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10:08:10
ておらず、その後、漸増し、現在では 1 パ
黒川は賀川豊彦を中心とする「新日本建
ーセントを超えているように見える。注目
設キリスト運動」という 1946 年から 49 年
すべきは、2010 年のキリスト教人口が突出
まで全国展開された組織的伝道について、3
している点である。2000 年以降、キリスト
年 5 か月のうちに 1384 回の集会が開催され、
教人口が 100 万人を超える増大、その後 80
754,428 名の聴衆があり、信仰の決心をした
万人程度の減少を示していることになるが、
人びとが記入する「決心カード」は 200,987
これはいったいどのような事態なのだろう
枚に上ったと記している(365 ~ 6 頁 )。た
か。すでに見たように、2000 年代の宗教意
だし、決心した人びとの大半は教会に定着
識については、特に注目すべき信仰心の変
することはなかった。彼はこう続けている。
化などは知られていないはずなのだが。
なお黒川知文の近著『日本史におけるキ
リスト教宣教―宣教活動と人物を中心に―』
(教文館、2014 ) によると、日本のキリスト
える決心者がいたにもかかわらず、日曜日
朝の礼拝者は一九五〇年では五万一九一八
名であり、一九四七年より一万五〇八九名
教史においてキリスト教ブームは 3 回あっ
増えたにすぎないことである。決心者の七・
たとされる。安土桃山時代のキリシタン宣
五%しか教会に定着していないことになる。
教の時期、明治の鹿鳴館時代における欧化
新日本建設キリスト運動は、確かに多く
政策の時期、そして太平洋戦争敗戦直後の
の決心者を生み出したが、教会に定着せず、
占領軍支配の時期である(同書、363 頁 )。
教会成長には成果がほとんどなかったと結
第 三 の 時 期 に つ い て 黒 川 は、1945 年 か ら
論づけられる。(同書 366 頁 )
1950 年と特定し、次のようにまとめている。
20 万人の決心者と比べて何倍もの数の増
マッカーサーのキリスト教支持政策と米国
とカナダの宣教団体からの積極的な援助に
より、信徒数も教会出席者数も増加した。
減があったとすると、2000 年代のキリス
ト教信者数の変化は大激変と呼ぶべきであ
る。まして、新日本建設キリスト運動によ
一九四六年に米国とカナダの宣教師によ
る 15,000 人の礼拝者の増加が、キリスト教
る協力委員会が設置され、日本の牧師の生
ブームの内実だったのであれば、数十万単
活費援助、教会堂の再建、聖書と賛美歌の
位の増減は、大ニュースになってしかるべ
配布が実施された。これに協力したのは、
き変化だったはずである。ところが、実際
会衆派教会、ディサイプル教会、福音改革
には 2000 年代キリスト教について、そうし
教会、福音ブラザレン教会、メソジスト教会、
た報道・報告を耳にしたことはない。それ
米国長老教会とカナダ合同教会であった。
はなぜなのか。
一九四八年には、米国の諸教派から成る
ミッションボード連合委員会が設立され、
財政面においても日本の教会を援助し始め
た。そして九〇〇〇万円の資金がそのため
に使用された。
この時期の宣教は、主に欧米の宣教団体
の援助に基づくものであったと言うことが
できる。(同書 363 ~ 4 頁 )
20
S26 (2016).indb
ここで注意したいのは、合計二〇万名を超
20
以下、この 2000 年代日本のキリスト教徒
の急増減について、少し詳しく検討してみ
たい。
2000 年代日本のキリスト教人口
ここで改めて、2000 年以降の「宗教統計
調査」における、キリスト教人口の変遷を
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
2016/04/29
10:08:10
たどっておこう。挙げられている数値は以
2004 年から、2005 年、2006 年にかけて急増
下のとおりである。
し、2007 年に急減、その後、増減を繰り返し、
こ こ で 得 ら れ た 数 値 の 変 遷 を 見 る と、
2010 年、2013 年には高い数値をつけている。
〇 2000 年以降キリスト教人口の推移
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
1,771,651
1,822,357
1,917,070
2,157,476
2,161,707
2,595,397
3,032,239
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2,143,710
2,369,484
2,121,956
2,773,096
1,920,892
1,908,479
2,947,765
日本のキリスト教信者が 300 万人を突破し
なかでいったいどの教団が信者の増大を見
たとされる 2006 年にはいったいいかなる事
て、どの教団が減少を見たか探ってみたい。
態があったのか。しかしその翌年には 90 万
以下の表は、2000 年以降のキリスト教諸
近くの激減とはどういうことだろうか。直
教団・教派の信者数を文化庁宗務課の宗教
近でも 2012 年から 2013 年にかけては 100 万
統計から抜粋したものである。プロテスタ
人以上の増加である。この急激な数値の増
ントについては 2000 年時点で 20,000 人以
減はいったい何を意味するのだろうか。そ
上の信者を擁する教団のみ取り上げた(…
れを探るために、まずはキリスト教全体の
は数値の欠如を表わす )。
〇 2000 年以降キリスト教教団・教派信者数の推移
2000
2001
2002
2003
2004
2005
キリスト教総人口
1,771,651
1,822,357
1,917,070
2,157,476
2,161,707
2,595,397
カトリック *
443,417
446,284
449,927
448,285
448,531
451,228
日本ハリストス
正教会教団
15,846
15,840
15,821
15,785
15,813
15,881
日本聖公会
58,208
57,719
57,976
57,302
57,141
56,311
日本基督教団
136,206
135,924
131,909
130,272
130,937
130,258
日本福音ルーテル教会
21,967
21,837
22,028
22,046
22,049
22,126
日本バプテスト連盟
33,139
33,181
33,704
33,923
34,290
33,562
…
41,453
41,453
41,066
30,487
29,487
21,480
20,810
118,691
120,003
120,842
121,458
イエス之御霊教会教団 **
末日聖徒
イエス・キリスト教会
* カトリックの表記は、宗務課「宗教統計調査」では、カトリック中央協議会となっているが、こ
こでは簡略化した。
** イエス之御霊教会教団は、2000 年の数値は不詳だが、その他の多くの年度で 20,000 人を超える
ので表に入れてある。
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21
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10:08:11
2006
2007
2008
2009
2010
キリスト教総人口
3,032,239
2,143,710
2,369,484
2,121,956
2,773,096
カトリック
450,997
447,720
452,136
449,704
448,440
15,959
15,839
15,729
…
…
日本聖公会
55,749
55,161
54,258
53,982
53,175
日本基督教団
130,214
130,230
130,203
130,961
126,185
日本福音ルーテル教会
22,056
22,044
21,990
22,042
21,938
日本バプテスト連盟
34,700
34,701
34,690
34,847
35,314
イエス之御霊教会教団
28,990
24,868
23,066
21,375
21,892
122,234
122,378
123,321
124,411
125,421
217,530
217,240 日本ハリストス
正教会教団
末日聖徒
イエス・キリスト教会
エホバの証人 *
* 比較のために 2010 年度版よりオンラインの年鑑を公開している、ものみの塔聖書冊子協会(エホ
バの証人 ) の、それぞれ前年の「平均伝道者数」として挙げられている数値を含めた。ただし、欠如
しているデータは、ものみの塔聖書冊子協会広報室に問い合わせて補った。
2011
2012
2013
1,920,892
1,908,479
2,947,765
445,927
444,441
444,719
日本ハリストス
正教会教団
9,897
9,897
9,863
日本聖公会
52,821
51,856
51,544
日本基督教団
124,423
123,159
119,747
日本福音ルーテル教会
21,911
21,900
21,990
日本バプテスト連盟
35,320
35,295
35,802
イエス之御霊教会教団
19,192
18,543
14,396
末日聖徒
イエス・キリスト教会
125,947
126,612
126,856
エホバの証人
217,352
216,692
215,966
キリスト教総人口
カトリック
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ここで 2 点、コメントを付しておこう。
して漸増し、やがて 2011 年には日本基
① 日本ハリストス正教会教団は、データ
督教団の規模をしのいだ。
のない 2009 年、10 年をはさんで、信
さて、キリスト教総人口の 2004 年から 6
者数 15,000 人から 10,000 人以下に大幅
年への急増、翌 7 年への急減や、2009 年か
に減少した。
ら 10 年への急増、翌 11 年への急減、2012 年
から 13 年への急増などは、ここで取り上げ
② 末日聖徒イエス・キリスト教会(モル
た、比較的規模の大きな教団の信者数の推
モン ) は、2001 年から 02 年にかけて
信者数に集計される「信者」の捉え方
移から説明できるだろうか。これらの数値
を変更したため、98,000 人近くの増大
を見ただけでは、それは困難に思われる。
を示した。この数値は「バプテスマを
それではこうした 2000 年代の日本のキリス
受けたすべての人々」の数だという(同
ト教の急増減はどのように説明できるのだ
教会「会員・指導者・ユニット課」よ
ろうか。ここで「宗教統計」に収録されて
りのご教示 )。キリスト教総人口のそ
いる、また別の数値に注目してみたい。各
の間の増加は、この教団の増加分を反
県ごとのキリスト教信者数の数値である。
映していると考えられる。この教団は、
ここで著しい変化を示している県の数値を
その後はほぼ 120,000 人規模の教団と
抜粋する。
〇 全国キリスト教系団体の信者数の推移
(注目すべき県の数値を抜粋)
2000
キリスト教総人口
S26 (2016).indb
2001
2002
2003
2004
2005
2006
1,771,651
1,822,357
1,917,070
2,157,476
2,161,707
2,595,397
3,032,239
北海道
50,571
50,733
58,566
58,050
59,135
275,771
277,023
神奈川
96,061
94,818
273,229
269,730
262,249
254,267
242,717
石川
3,835
4,132
6,137
7,013
6,220
7,431
225,116
福井
3,942
4,010
3,243
3,223
3,413
220,936
221,565
長野
12,559
12,636
14,039
14,017
16,349
16,128
13,721
静岡
19,050
20,113
23,397
23,475
23,551
23,116
240,806
滋賀
6,306
6,125
6,791
7,061
7,228
8,486
225,792
香川
4,531
4,642
5,411
222,707
222,190
222,178
10,619
長崎
72,133
71,744
72,250
71,535
77,000
77,219
70,760
鹿児島
13,488
14,737
15,932
16,559
18,852
19,177
19,493
この表において、著しい変化を示してい
静岡、滋賀、香川 )。さらに大きな 40 万、
る箇所に関して、コメントを付しておくと、
50 万人といった規模での急増も見られる(長
まず、前年と比べ 20 万人程度の急増の箇所
崎、鹿児島 )。特に 2005 年、6 年、10 年、13
がいくつか見られる(北海道、石川、福井、
年の数値には、複数の道県の数値が特筆す
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
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10:08:12
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2,143,710
2,369,484
2,121,956
2,773,096
1,920,892
1,908,479
2,947,765
北海道
59,615
61,438
57,515
57,067
46,803
46,160
46,464
神奈川
233,984
233,267
204,546
195,117
313,063
308,611
309,416
石川
7,903
7,888
8,068
7,882
6,074
6,076
5,902
福井
220,997
3,699
221,035
441,516
2,420
2,421
2,467
長野
13,555
234,171
16,395
16,728
14,275
13,782
14,730
静岡
24,980
25,244
24,283
239,941
21,474
20,730
20,908
滋賀
7,234
7,028
7,029
6,714
6,686
7,505
8,177
香川
5,191
5,239
5,267
5,235
4,685
4,646
12,894
長崎
70,107
69,757
68,540
68,290
66,615
66,041
596,450
鹿児島
19,213
19,218
19,040
18,462
15,539
15,032
465,256
キリスト教総人口
2013
* 下線による強調は前年との対比から見て、特に注目すべき数値(同じ傾向が翌年に続いてい
る場合も含む )。
べきものになっている。なお、神奈川県は
文化庁文化部宗務課に転送されたため、結
独特な変化を示している。さて、こうした
局のところ、同課の専門職より回答を得る
各県において、キリスト教信者数が急増す
ことになった。回答の概要は次のとおりで
る、いかなる事態が発生していたのだろう
ある。
か。
宗務課の回答
40 万、50 万といった変化はもちろんのこ
と、その半分の 20 万人の変化であっても、
第二次世界大戦直後の「キリスト教ブーム」
に匹敵する大変動のはずである。北海道、
石川、福井、静岡、滋賀、香川といった道
や県において、何か局所的なキリスト教ブ
ームが起こっていたのだろうか。これはお
そらくそうではないだろう。
こうした数値の変動には、統計数値の収
集、記載上での誤りがあったのではないか
S26 (2016).indb
① 20 万人規模の増減について
宗教統計調査は、原則として、宗教法人
からの自己申告に基づく。ものみの塔聖書
冊子協会(エホバの証人 ) に属する単立の
宗教法人(地域の王国会館に相当する ) が、
自らの王国会館に所属する信者数を記載す
べきであったが、誤って全国のエホバの証
人の信者総数を報告してきたため、そのま
ま数値に反映されてしまった。また同一県
で 2 か所の王国会館から同様の報告があっ
た県もある。
② 40 ~ 50 万人規模の増減について
(長崎、鹿児島 )
と考え、私は 2015 年 10 月に、各都道府県に
カトリックの修道会(両県所在の別の修
問い合わせの電子メールを発信した。ほと
道会 ) が、全国のカトリック信者数を誤っ
んどの問い合わせは、国の担当機関である
て報告してきたため。
24
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
24
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次 い で、 神 奈 川 県 の 事 例 に つ い て は、
2016 年 2 月に文化庁宗務課に問い合わせの
電子メールを送信した。宗務課の回答は以
下のとおりである。
③ 神奈川における増加について
2001 年から 2002 年にかけての増加につい
ては、すでに調査票原本が破棄されている
ため、詳細は不明である。
2010 年から 2011 年にかけての増加につい
ては、海老名市にある、ものみの塔聖書冊
子協会(エホバの証人 ) が、従来、全国各
地の拠点において統計情報を報告してきた
ところ、各地の会衆の数値を海老名の協会
に一括して、報告するよう方針を変更した
ため。
おきたい。
文化庁文化部宗務課「宗教統計調査」、ま
たかつて刊行されていた冊子版の『宗教年
鑑』を参照される方は、ここで言及したい
くつかの年次について言及する際には注意
が必要である。少なくともキリスト教信者
数については、近いところでは、2011 年末、
2012 年末の数値には、今のところ問題は確
認されていない。したがって、研究、報道
においては、その年度の数値に依拠すべき
であろうと思われる。
付記
本稿は、2015 年 10 月 24 日に、南山宗教
文化研究所において開催した、Denmark-
こうした回答をふまえると、神奈川にお
Japan Joint Workshop “Rethinking Religious
けるキリスト教信者数の増加はそのまま受
Diversity in Japan” における発表原稿 “Some
け入れるにしても、その他の道県において、
characteristics of statistics on religious affiliation
前後の年と比べて突出した数値については、
in Japan” をもとに日本語版として執筆した
修正が必要であることがわかる。
ものである。
文化庁文化部宗務課による「宗教統計調
査」、またそれを収録した『宗教年鑑』は、
日本の宗教、とりわけ法人格を取得してい
る宗教団体についての基礎資料である。し
たがって、研究者のみならず、報道関係者
等も参照する重要な文献である。しかしな
参考文献
NHK 放送文化研究所編『現代日本人の意
識構造』(第八版 ) NHK 出版、2015 年
黒川知文『日本史におけるキリスト教宣
教―宣教活動と人物を中心に―』教文館、
がら、残念なことに、今回の簡単な点検から、
2014 年
記載されている数値の信憑性について問題
ウェブサイト
があることが判明した。
こうした問題点については、2015 年 10 月、
2016 年 2 月に文化庁文化部宗務課の専門職
担当者と電子メールで問い合わせをした折
にも、訂正が必要であることを指摘してお
いた。したがって、少なくともオンライン
版で、いずれは、正誤表が掲載されるもの
と思われる。本稿の数値は 2016 年 2 月 1 日
現在の、(修正が施されないままでの ) オン
南山宗教文化研究所 研究所報 第 25 号 2015 年
S26 (2016).indb
ライン版によるものであることを強調して
25
文化庁『宗教年鑑』
www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/
hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/
index.html
文化庁「宗教統計調査」
www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/
tokeichosa/shumu/index.html
おくやま・みちあき
南山宗教文化研究所研究所員
25
2016/04/29
10:08:12
記憶と追悼の宗教社会学
追憶の共同体をめぐる考察
粟津 賢 太
Awazu Kenta
追憶の共同体
一九八七年にある雑誌のインタビュー
に答えるなかで当時のイギリス首相マー
ガレット・サッチャー(Margaret Thatcher
な実体は存在しない。実際にはそこに生き
ている人々がいるだけだろう。
もしもサッチャーの言葉が意味するもの
一九二五~二〇一三)は次のように語った。
が社会が本当に存在しないということであ
でも社会とは誰のことを指すのでしょうか。
重きを置く、新自由主義的政策、いわゆる「小さな
社会などというものは存在しません。個人
政府」を標榜するものとして盛んに引用された。も
としての男と女だけが、家族だけが存在す
っとも、このインタビュー自体、雑誌用に編集され
るのです 。
たものである。現在では、元のインタビュー自体を
彼女のこの言葉は、貧困や差別、社会的
いるので、それと比較すると、大意は変わらないも
1
不正義に取り組む活動家たちを憤慨させた
のみならず、社会学者たちにとって古くて
新しい問いを投げかけてもいる 2。
• 本書は南山宗教文化研究所の企画協力を得て本
(2016)年 9 月に北海道大学出版会より出版される拙
著の導入部分である。同企画を勧めて下さった奥山
倫明先生に感謝いたします。
1. Epitaph for the eighties? “there is no such thing as
society,” The Sunday Times, 31 October, 1987. こ れ は
『Woman's Own』誌のインタビューに答えたもので、
その全文はマーガレット・サッチャー財団(Margaret
Thatcher Foundation)のホームページに採録されてい
る。http://www.margaretthatcher.org/document/106689
二〇一五年一一月六日閲覧。
2. サッチャーの「社会などというものは存在しな
S26 (2016).indb
たしかに社会そのものなどという物理的
文字に起こしたものを、サッチャー財団が公にして
のの、その編集の様子が分かる。
サッチャーが「社会はない」という時に含意して
いるのは、(1)何か問題があるとすぐに社会のせい
にするよう教え込まれてきた人々の抱いているよう
な「社会イメージ」のことであり、そのようなもの
は存在しない、ということと、(2)次に、政府が助
けるのは個々人であり、個人がまず責任を果たさな
ければ、政府は助けられない、ということの二つで
あるだろう。
もっとも、報じられたのは編集されたものの方な
ので、そのインパクトは大きく、サッチャーの新自
由主義宣言であるとして世界中に配信された。経済
学や社会学におけるその反応は「政府の無責任の正
当化である」とする批判や、前者の社会イメージ自
体がいかに形成されたのかを論じたものまで様々で
ある。後者については、たとえば厚東洋輔「問題と
しての〈社会的なもの〉」
(『社会学部紀要』第 108 号、
い」というフレーズは、社会保障よりも自助努力に
関西学院大学、pp. 51–61, 2009 年)を参照。
26
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
26
2016/04/29
10:08:13
れば、それは、『心の概念』を著したイギ
な集合的な存在である。社会学はこうした
リスの哲学者ギルバート・ライル(Gilbert
集合的な水準において、いかにある観念が
Ryle 一九〇〇~一九七六)の指摘した「カ
構成され、維持され、あるいは変化するのか、
テゴリー錯誤(category mistake)」であると
を問うものであり、そうした観念に、人々
批判することはたやすい。ライルは日常言
がどう突き動かされているのかを問うもの
語学派の創始者のひとりであり、次のよう
である。
な寓話的な例を挙げてこの種の誤りを説明
社会学の創始者のひとりであるマック
ス・ウェーバー(Max Weber)は、社会主義
している。
オックスフォード大学やケンブリッジ大学
を初めて訪れる外国人は、まず多くのカレッ
ジ、図書館、運動場、博物館、各学部、事
務局などに案内されるであろう。そこでそ
4
の外国人は次のように尋ねる。「しかし、大
4
の理想に与することなく強固な民族主義者・
4
「国家」に
国家主義者であったとされるが 、
ついて次のように述べるときにこのような
集合的な水準を想定している。
現代の国家の少なからざる部分は、或る人々
学 はいったいどこにあるのですか。私はカ
が、国家は存在するものである、いや、法
レッジのメンバーがどこに住み、事務職員
律的秩序が効力を持つのと同じ意味で存在
がどこで仕事をし、科学者がどこで実験を
すべきものであるという観念に自分たちの
しているのかなどについては見せていただ
行為を従わせているお蔭で、人間の特殊な
4
4
きました。しかし、あなたの大学のメンバー
4
4
が居住し、仕事をしている大学 そのものは
まだ見せていただいておりません。」この訪
問者に対しては、この場合、大学とは彼が
見てきたカレッジや実験室や部局などと同
類の別個の建物であるのではない、という
ことを説明しなければならない。まさに彼
がすでに見てきたものすべてを組織する仕
方が大学にほかならない。すなわち、それ
らのものを見て、さらにそれら相互の間の
有機的結合が理解されたときに初めて彼は
3
大学を見たということになるのである 。
ここでいう「大学」のように、社会学が
対象とするのは、それを構成する個々の要
素に還元することはできない存在であり、
いわば集合的な水準にある存在である。た
とえば「社会」の他にも「民族」や「国家」
など、われわれが自明なものとして使って
いる日常的な概念の多くが、実はこのよう
共同行為のコンプレックスとして存在して
5
いるのである 。
国家そのものは存在しない。それは一つ
の観念であり、あたかもある信仰のように、
その観念に従って人々が行動しているだけ
である。ウェーバーのこうしたものの見方
は、社会構成主義的な理解として現代社会
学の中では定着しているが、単に古典とい
うだけではなく今日的意義を持っている。
そして本書で扱うナショナリズムや集合的
記憶の問題の本質を突いてもいる。ここで
はまず、ナショナリズム研究における、彼
の寄与を明らかにしておきたい。それは本
書の対象とするものを明確にするのに役立
つからである。
4. 内藤葉子「マックス・ヴェーバーにおける国家
) 法学雑誌』
観の変化:暴力と無暴力の狭間」(1)・(2 完 『
47 巻 . 大阪市立大学 . 2000 年 . (1) 1 号 116–158. (2 完 )
2 号 340–365.
3. G. ライル『心の概念』坂本百大、井上治子、服
部裕幸訳、みすず書房、一九八七年、一二頁。
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
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27
5. マックス・ヴェーバー『社会学の根本概念』清
水幾太郎、岩波文庫、一九七二年、二四頁。
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「国民」という概念は一般的にははっきりと
時代状況をみてとることができる。それは
定義づけられようが、しかし国民にかぞえ
まさに「国民」の時代であった。一義的に
入れられた人々に共通する経験的な特質に
定義することのできない、雑多なルーツを
応じて定義づけることのできない一個の概
6
念である 。
ウェーバーは、まず、国民(Nation)の
定義のむずかしさを指摘している。「国民は
同一言語集団とも一致しない」と述べ、セ
ルビア人とクロアチア人、アメリカ人、ア
イルランド人とイギリス人の例をあげて、
言語の共同だけでは必ずしも充分でないと
指摘する。一方、スイス国民の例をあげ、
言語の共同は必要用件であるわけでもない
ことを指摘している。次に、ドイツに対す
るドイツ系スイス人、アルザス人、イング
ランドに対するアイルランド人などのよう
に、社会構造や慣習の相違、民族的・人種
的要素に結びつけられることもあると指摘
する。さらに、言語や慣習以外にも、セル
ビア人とクロアチア人のように、宗派の違
いなどの他の文化的な資源によって形成さ
れてもいることを指摘している。国民に対
するウェーバーのこうした理解は、後に述
持ったネーションというものが近代におい
て各地で次々に勃興し、拡大していく状況
を、彼はつぶさに観察したであろう、その
ように雑多な「国民」観念と、それに突き
動かされる人々。そして国民によって塗り
つぶされていく世界地図を。それは二十一
世紀に入った現在でも、未だ解明され尽く
されてはおらず、人類が乗り越えられてい
ない観念である。
第一次世界大戦が勃発すると、ウェーバ
ー自身、志願してハイデルベルクの陸軍野
戦病院で軍役についた。一日十三時間働き、
年に二日しか休みを取らなかったという。
さらに彼は夜勤明けの時間を使い、半円形
の臨床講義室を利用して、回復を待つ負傷
兵たちにむけて二時間の講義をしていたと
いう。その講義で彼は次のように語ってい
る。
平時においては死は理解されざるもの、何
としてもそこから意味を汲取ることのでき
べるように、現在のナショナリズム研究を
ぬ背理的な運命としてわれわれをおとずれ
先取りしている。
る。われわれはただそれを甘受するほかは
次にウェーバーは、国民がごく最近創り
上げられたものであることも指摘している。
また、ある人間集団は時にはある特殊な態
度を通じて「国民」たるの資格を「獲得」
することがあり、または「努力の結晶」と
して、それも短時日のうちに、国民たるの
資格を要求することができるように思われ
7
る 。
こうした箇所には、ウェーバーの生きた
6. マックス・ウェーバー『権力と支配』濱島朗訳、
ない。しかし諸君たちは皆、運命が自分に
白羽の矢を当てたとき自分が何の故に、何
のために死ぬのかを知っている。それを免
れているものは明日のための穀種である。
われわれの民族の自由と名誉のための英雄
的な死は、子供の時代になっても孫の時代
になっても意味のある最高の功労なのだ。
そのようにして死ぬこと以上に偉大な栄光、
そ れ 以 上 気 高 い 終 末 は な い。 そ し て 多 く
の者にこのような死は、生きていれば得ら
れなかったような完成をあたえたのであっ
8
た 。
みすず書房、一九五四年、二〇八頁。
7. 同、二一一頁。
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8. マリアンネ・ウェーバー『マックス・ウェー
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今日的なナショナリムズ研究にとって、
そして本書のような宗教社会学研究にとっ
てきわめて重要だと考えられるのは、ウェ
ーバーが、国民という観念は様々な要素に
根を張った雑多なものであるが、そこにあ
る本質的なものをみてとっている点である。
この概念を折にふれて用いる人々の観念で
は、国民という概念は、まず疑いもなく、
或る人間集団に他の人間集団に対して特殊
な連帯感情が要求されるであろうというほ
どの意味を持っている。したがって、それ
9
は価値の領域に属するわけである 。
この「価値」の領域とはなんであろうか。
ウェーバーは「それは何よりもまず、他国
体こそは「国民意識」に最後の決定的な色
11
調を与えるものにほかならない 。
ウェーバーのいう「追憶の共同体」とは、
ドイツ語の Erinnerungsgemeinschaften とい
う表現である。Erinnerung は英語の memory
に相当する語であり、これと共同体を表わ
す Gemeinschaft が結びついた語であり、今
日的に表現すれば「記憶の共同体」という
こととなろう。「死という冷厳な事実」に対
峙した「追憶」として集合的記憶に着目す
ることは、社会学的なナショナリズム研究
にとって本質的な意味がある。次に、この
観点からナショナリズム研究を整理してみ
よう。
民との政治的運命の共同への追憶に結びつ
10
けられるであろう 」と述べる。そしてこの
「運命の共同への追憶」として考えられてい
るのは「死」の問題である。その死とは闘
争であり、戦争である。彼は次のように述
べる。
政治共同体は、その共同行為が少なくとも
普通、局外者ならびに関与者自身の生命や
行動の自由を危うくし無にすることを通じ
て強制を及ぼす共同体のひとつである。こ
の場合、個々人に対しおそらく共同体の利
益に沿うよう要求がなされるのは、死とい
う冷厳な事実によるのである。それは政治
共同体に特有な情熱をもちこむ。それはま
た政治共同体の永続的な感情の基礎を打ち
立てる。共同の政治的運命、すなわち何は
さておき生死を賭した共同の政治的闘争は、
追憶の共同と結びつくが、後者は文化・言語・
または血統の共同というきずなよりも強い
影響を及ぼすことがままある。追憶の共同
ナショナリズム研究における宗教社会学的
な問い
哲学や宗教学においては多くの研究者が
近代国家も何らかの 「 聖性 」 を持っている
ことを、その鋭敏な洞察力によって指摘し
てきた。
哲学者であるエルンスト・カッシーラー
(Ernst Cassirer 一八七四~一九四五)も、ナ
チス国家を論じた著書で、近代国家の持つ
12
神話性を批判している 。
オ ラ ン ダ の 宗 教 史 学 者 で あ る フ ァ ン・
デ ル・ レ ー ウ(Gerardus van der Leeuw
一八九〇~一九五〇)は、哲学における現
象学の手法を宗教学に応用し、その古典に
位置づけられる『宗教現象学入門』におい
て、国民国家のもつ聖性について論じてい
る。彼によれば「国民(Nation)とは国家
と民族(フォルク)とが合流したものであ
り、近代になって出現したもの」である。
バーⅡ』大久保和郎訳、みすず書房、一九六五年、
四〇一頁。
9. 同、二〇八頁。
10. 同、二一〇頁。
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11. 同、一七七~一七八頁。
12. E. カッシーラー『国家の神話』宮田光雄訳、創
文社、1960 年。
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部族や民族の聖性は、国民(Nation)や国
こでは、公的領域における宗教の重要性と
家(Staat) に移行する。ギリシアのポリスは、
社会変動との関係が問われ、世俗化や私事
村落や部族から国家への発展をよく示して
化、公共哲学、公共宗教などの、宗教社会
いる。聖なる共同体から、時間が経つにつ
れてより一層独自の原理をもった共同体が
形成されるが、この原理は決して全面的に
世俗的なものではない。「中性的」な国家と
いうものは存在しないからである。国家は、
かつての共同体のとは違った独自の聖性を
持っている。宗教共同体と政治共同体は次
第に区別されるようになってきたが、しか
し両者ともそれ独自の「聖性」を持ってい
13
る 。
こうした問題意識は、世俗国家における
国家儀礼の問題として機能主義的な社会学、
とりわけ宗教社会学において、タルコッ
ト・パーソンズ(Talcott Parsons 一九〇二~
一九七九)に代表されるような統合理論の
14
なかに定式化されてきた 。
また、世俗主義の体制をとる近代国家で
あっても一般化された聖なる次元を持つと
いう考えは宗教社会学においては市民宗教
学のみならず哲学をはじめ関連諸学におい
て議論されてきた。
第二に、「国民的自己礼賛の形式」という
主題と国家イデオロギーを批判する研究で
ある。こうした研究では、市民宗教を「ナ
ショナル・イデオロギーにおける宗教的な
16
テーマ 」と考え、ネーションを美化し崇
拝する「宗教的ナショナリズム(religious
17
nationalism) 」として扱うものである。また、
ネーションと政治が宗教化(religionizing of
the nation and politics)される現象であると
18
も指摘されている 。
「宗教的ナショナリズム」論の理論的な位
相について整理した中野毅は、現実に起こ
っている社会運動や現象によってモデルを
構築すべきことを指摘している。彼はユル
19
ゲンスマイヤー(Mark Juergensmeyer )の「宗
教的ナショナリズム」論や吉野耕作
20
の「文
論(civil religion thesis)として議論されてき
1970, 1991 ( ベラー , R. N.『社会変革と宗教倫理』河
た。第六章で詳しく検討するように、その
合秀和訳、未来社、1973 年 ).
議論が提起する問題領域は広いが、大きく
いうと次の二つの主題化がおこなわれ、そ
れぞれの研究や議論が促された。
第一に、「国民を裁定する超越的な倫理基
15
準」という主題と規範的な研究である 。そ
16. Richard K. Fenn, Toward A Theory of Secularization,
SSSR monograph series, No. 1., 1978, p. 41.
17. Russell E. Richey and Donald G. Jones, “The Civil
Religion Debate,” in Russell E. Richey and Donald G.
Jones (eds.), American Civil Religion, Harper & Row, 1974.
ここで提示された整理は Gehrig にも踏襲されてい
る。Gail Gehrig, American Civil Religion: An Assessment,
13. G・ フ ァ ン・ デ ル・ レ ー ウ『 宗 教 現 象 学 入
門』田丸徳善・大竹みよ子訳、東京大学出版会、
一九七九年。Gerardus van der Leeuw, Einführung in
die Phänomenologie der Religion, Gütersloher Verlagshaus
Gerd Mohn, 1961.
18. Herbert Richardson, “Civil Religion in Theological
Perspective,” in Richey and Jones, op. cit., pp. 161–184.
19. Mark Juergensmeyer, The New Cold War?: Religious
Nationalism Confronts the Secular State, University of
14. これらの詳細について、特に儀礼国家論につい
California Press, 1994(M. K. ユルゲンスマイヤー『ナ
ては第 1 章において、市民宗教論ついては第1章お
ショナリズムの世俗性と宗教性』阿部美哉訳、玉川
よび第 6 章において詳述する。
大学出版会、1955 年 ).
15. Robert N. Bellah, Beyond Belief: Essays on Religion in
S26 (2016).indb
SSSR monograph series No. 3.-24., 1979.
20. 吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学 – 現代
a Post–Traditionalist World, University of California Press,
日本のアイデンティティの行方』名古屋大学出版会、
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化ナショナリズム」論を批判的に検討し、
る指標としては役に立つかもしれないが、
宗教的ナショナリズムを、「その文化的同一
それを従来のようにファンダメンタリスト
性の象徴として伝統的宗教や伝統的教会と
と述べても、実態そのものに違いはない。
の再結合をめざす運動として」と定義し、
それにもかかわらず、この概念は、ナシ
この概念をより限定的に、かつ対象となる
ョナリズムに「世俗的なナショナリズム」
運動や現象に対応した分析概念として位置
と「宗教的ナショナリズム」とがあり、前
21
づけようとしている 。
ユルゲンスマイヤーの提起した「世俗的
ナショナリズム」と「宗教的ナショナリズム」
という二分法は、問題を整理したというよ
りも、やや問題を混乱させてもいる。
彼のいう「宗教的ナショナリズム」は、
基本的には非西洋諸国におけるナショナリ
ストたちの主張から描き出したものであり、
従来「ファンダメンタリズム」と表現され
てきたものの概念的な言い換えである。彼
は、「ファンダメンタリスト」という流布し
ている概念は、侮蔑的であり、二〇世紀初
頭のアメリカのキリスト教徒の運動に起源
を持ち、それゆえグローバルな比較のカテ
ゴリーとして不適切であり、政治的に中立
な概念ではないと批判し、その代替として
「宗教的ナショナリズム」という用語を使う
と述べている 22。つまりこれは彼のいう「政
治的な状況に宗教的なやり方で対応してい
る」人々を指し示そうとした操作的な概念
である。中立で先入観を与えることのない
概念を鍛えてゆくべきであるということに
は賛成できる。しかし、この概念は、非西
欧におけるナショナリズム運動を特徴づけ
1997 年。
21. 中野毅『宗教の復権 – グローバリゼーション・
カルト論争・ナショナリズム』東京堂出版、2002 年、
19 ページ。また、中野の「宗教的ナショナリズム」
の定義をこのように評価しているものとして、近藤
光博「宗教復興と世俗的近代」『現代宗教 2005』東
京堂出版、2005 年、八三~一〇五頁。
者は本質的に世俗的であり、後者は宗教的
であるかのような印象を与えてしまう。し
かも、彼自身は、世俗的ナショナリズムを
世俗的であるとは全く考えていないし、世
俗的ナショナリズムは構造的にも機能的に
も宗教と同一であるとすら述べている 23。ま
た、ナショナリズムも宗教も、ともに「秩
序のイデオロギー」であり、潜在的にライ
バル関係にあることも指摘している。
つまり、彼のいう世俗的ナショナリズム
とは、あえていえば世俗主義的ナショナリ
ズムであろう。それは世俗主義を標榜し、
それを理想とするようなナショナリズムの
ことであり、そうしたナショナリズムが
二〇世紀の最後の四半世紀以降失墜し、現
在では反旗を翻されていることを述べてい
るのである。そうした信仰の失墜は、世俗
主義的ナショナリズムが近代化の理想とセ
ットになっており、近代化プロジェクトの
失墜とともにその幻想が凋落したことや、
世俗主義的ナショナリズム自体が隠蔽して
きたキリスト教的な起源と性質についての
批判などによるものである。
また、この概念が西洋と非西洋との二分
法に基づいているとする中島岳志による次
の批判は非常に説得的である。
彼の議論は原著タイトル A New Cold War?
に端的に表れているように、
「世俗」/「宗教」
の二分法的対立を今後の世界を規定する対
立軸としているため、従来のファンダメン
22. Mark Juergensmeyer, op. cit., pp. 4–6(翻訳一五~
一七頁)
。
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23. ユルゲンスマイヤー、前掲書、第一章。
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タリズム論が示す構図と基本的に同一であ
は色濃く宗教性を帯びているからだ。
り、それとの決定的な差異を見出すことは
その宗教性が、個別の教団や宗派を超え
難しい。ユルゲンスマイヤーは宗教ナショ
た一般化されたものである場合に、ナショ
ナリズムを非西洋世界に限定された現象と
して捉えているため、世俗ナショナリズム
と宗教的ナショナリズムの対立を「西洋世
界」対「非西洋世界」という図式に転化し
てしまっている。また、宗教復興の潮流と
ナショナリズムの高揚が連動している現象
やその特徴を描いたに過ぎず、宗教的ナショ
ナリズムの構造を論じるまでにはいたって
24
いない 。
世俗化論を補助線として考えると理解し
ナリズムは世俗的なものと考えられてきた。
しかし、市民宗教論などにみられるように、
宗教学あるいは宗教社会学的な問いは、そ
の一般化された宗教性こそを問題としてき
たのである。
近代国家のもつ宗教性を問おうとする宗
教社会学におけるこれらの議論で主題化さ
れてきたのは、ナショナリズムの文化的領
域である。そのことはナショナリズム研究
からも裏付けることができる。
やすいだろう。世俗化が近代化に不可分の
ナショナリズム研究を今日的な問題関心
過程であり、世界はより非宗教的になっ
のもとに位置づけたベネディクト・アンダ
てゆくとする一種の近代化テーゼがある。
ーソンは、その影響力のある業績『想像の
二〇世紀の最後の四半世紀以降、現在では、
共同体』において、ネーションを、西洋に
各地で宗教復興運動が観察され、単線的な
始まった特殊な観念であり、それがいかに
世俗化論が疑問視され、少なくとも同じ西
して歴史的・社会的に客体化されてきたの
洋であってもヨーロッパとアメリカとの宗
かという問題を設定した。そこでは社会構
教状況の違いや、脱私事化論、公共宗教論
成主義的な問題設定が歴史研究に適用され
が論じられている。
25
たのである 。
また、ユルゲンスマイヤーは「宗教的ナ
しかし、彼は「想像の共同体」をまった
ショナリズム」の運動を特徴づけているの
くのフィクションであると主張している訳
は、それが「反現代」の運動であるとも述
ではない。ナショナリズムはまったくの無
べている。つまりこの概念は現代の地域研
から生み出されたものではなく、そこには
究において使用されるべき、政治的な回路
文化が介在している。それはナショナリズ
を通して行われる宗教復興運動を指し示す
ムの死を正当化する文化的側面に関する問
概念であって、歴史研究に適応されるべき
題である。近代主義者とみなされることの
ではない。なぜなら歴史的な概念としての
多い彼においても、そこで強調されている
ナショナリズムは、それまでのライバルで
のは、次にみるようにナショナリズムの原
あった宗教勢力(フランスにおけるカトリ
初的な局面である。
ック教会のように)を抑えて成立した経緯
があり、それゆえ自らは世俗的な装いをと
ってはいるが、それは擬態であり、実際に
近代の発明物にしか過ぎないもののために、
25. Benedict R. Anderson, Imagined Communities: Re­
flec­tions on the Origin and Spread of Nationalism, revised,
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24. 中島岳志『ナショナリズムと宗教 現代イン
Verso, 1991, p. 141 (『増補 想像の共同体 – ナショナ
ドのヒンドゥー・ナショナリズム運動』春風社、
リズムの起源と流行』(白石さや・白石隆訳)NTT
二〇〇五年、五八頁。
出版、1997 年 ).
32
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人は何故、死ぬ用意が出来ているのだろう
か
26
?
まうが、これは真実からは程遠い
27
。
人は日常に埋没した形で生きている。社
おそらく、ナショナリズムを社会的にも
会における中心的価値に従って日々の生活
学問的にも問題化するものは、ナショナリ
を送っているわけではない。たしかに、社
ズムのもつ独特の強靭さ、つまり自らの「ネ
会において周期的に訪れる宗教的・儀礼的
ーション」に対する前論理的ともいえる、
な機会(復活祭やクリスマス、戴冠式や近
強烈な一体感であり、一体視であろう。そ
親者の葬式や結婚式、子供の洗礼など)に
れは政治家や知識人にみられるようなある
おいては、そうした中心的価値は確認され
程度体系だった思想ではなく、むしろより
るが、日常の中ではそれは曖昧なままであ
情緒的・感情的なものである。こうした強
り続ける。そして、近代社会というような
烈な感情を、社会学や人類学では「原初的
大規模な社会であっても、第一次集団にみ
な(primordial)」と表現してきた。
られるような、日常における具体的な道徳
社 会 科 学 の 文 脈 に お い て、 原 初 的 絆
観や価値意識、家族に対する愛情、顔の見
(primordial tie)という概念を用いたのはエ
える人々と地域に対する愛着、日々の仕事
ドワード・シルズ(Edward Shils 一九一〇~
を全うすることなどによって、実際に社会
一九九五)である。シルズは社会学および
は運営され、維持されているのである。そ
文化人類学におけるゲマインシャフトや第
うした絆は、自分が生まれる前から受け継
一次集団などの議論にみられる集団の共同
がれてきたものであるし、それに自分が何
性や凝集(人々の結束)の問題としてこの
かを付け加え、自分の死後もずっと続いて
概念を提起している。彼はマクロ社会学の
いくであろうものである。そうシルズは述
立場から、現代社会における価値統合の問
べている。
題に関心を払い続けた研究者であるが、原
後に、文化人類学者のクリフォード・ギ
初的絆に関する論文には、彼の立場がよく
アツ(Clifford Geertz 一九二六~二〇〇六)
表れている。
は、自ら編集した著作『古い社会と新しい
社会学者たちや人類学者たちが社会におけ
る文化的価値や信念体系と呼ぶものは、部
分的、断続的、そして曖昧なあり方におい
てのみ生きられうるものである。社会学者
や人類学者たちは、あたかもすべての人々
が宇宙や社会についての一貫したイメージ
と、秩序だった選好の体系とを持った哲学
者か神学者であるかのように描き出してし
国家(Old Societies and New States)』におい
て、第二次世界大戦後独立した新興諸国に
おけるネーションの核となるものを議論し
28
た 。その際に「原初的絆」について再考し、
27. Edward Shils, “Primordial, Personal, Sacred and Civil
Ties,” i, Center and Periphery: Essays in Macro–Sociology,
The University of Chicago Press, 1974, pp. 111–126. この
論文の初出は次のものである。The British Journal of
Sociology, vo. 8 (1957), pp. 130–45.
26. Anderson, ibid., 1991, p. 141. また、この問題意識
28. Cliford Geertz, “The Integrative Revolution: Pri­
はアンソニー・スミスによっても共有されている。
mordial Sentiments and Civil Politics in the New States,”
Anthony D. Smith, National Identity, Penguin Books, 1991
in Cliford Geertz (ed.), Old Societies and New States: The
(『ナショナリズムの生命力』高柳先男訳、晶文社、
Quest for Modernity in Asia and Africa, Free Press, 1963,
1998 年 ) を参照。
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33
pp. 105–157.
33
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10:08:15
原初的な愛着(primordial attachment)を持
つものとして① 血の絆、② 人種、③ 言語、
彼はエトニー(ethnie)という分析概念
を用いて、エスニシティを形成する要素を
④ 地域、⑤ 宗教、⑥ 慣習の六つをあげてい
次のように特徴づける。それは、① 集団に
る。
固有の名前、② 共通の祖先に関する神話、
ナショナリズム研究において、国民の死
③ 歴史的記憶の共有、④ 集団独自の共通文
を正当化してしまう感情、ネーションに対
化、⑤ 特定の「故国」との心理的結びつき、
する「原初的な愛着」はいかに考えられて
⑥ 集団を構成する主要な人口構成体におけ
きたのだろうか。
る連帯感、の六つの属性である 31。
ア ー ネ ス ト・ ゲ ル ナ ー(Ernest Gellner
一方、ネーションを、① 歴史上の領域、
一九二五~一九九五)のように、ナショナ
② 共通の神話と歴史的記憶、③ 大衆的・公
リズムを近代の創作物であり、産業社会に
的な文化、④ 全構成員に共通の経済、⑤ 共
適したイデオロギーであるとする近代主義
通の法的権利・義務、という属性を持つも
的解釈
29
と、ナショナリズムを古来から連
のと指摘している 32。つまり、ネーションは、
綿と続いた文化であり、さらには民族の「血」
文化的共同体であるとともに、政治的・経
であるとする「原初主義」的な解釈との両
済的共同体なのである。この文化的共同体
者があるが、いずれの解釈をとったとして
という考えこそが、エスニシティとネーシ
もこの問題を説明するのは困難である。な
ョンの両者によって共有されているのであ
ぜなら、民族の血についての信仰は遺伝学
る 33。言い換えるならば、ネーションにはエ
的にも誤っており、ナショナリズムの覚醒
スニシティの核となるような文化的特質(エ
も、それは覚醒のレトリックに過ぎないか
トニー)が引き継がれているのである。
らである。同時に、近代主義や道具主義の
立場からだけでは、なぜ人々がネーション
のためにすすんで生命を捧げようとするの
30
かを解明することは出来ないからである 。
相容れないかにみえるこうした二つの解
釈は 、 ナショナリズムの文化的特質に着目
したアンソニー・スミス(Anthony Smith)
の論によって整理し、さらに問いをすすめ
ることが可能である。
前述した中島は、スミスのエトニー論へ
着目して次のように述べている。
スミスが指摘するように、前近代のエトニ
は宗教によって共同性を維持していた。エ
トニを偽装することで構築されるネイショ
ンは、エトニの紐帯を担保する宗教をもそ
31. Smith, A. D., The Ethnic Origins of Nations,
Blackwell, 1986(『ネイションとエスニシティ – 歴史
社会学的考察』(巣山靖司他訳)名古屋大学出版会、
29. Gellner, E., Nations and Nationalism, Blackwell, 1983.
および、Hickman, M. J., Religion, Class and Identity: The
State, the Catholic Church and the Education of the Irish in
Britain, Hants and Vermont, 1995. なお、アンダーソン
までも「近代主義」に含めるスミスの理解は、後述
するように正しくない。
S26 (2016).indb
1999 年 ).
32. Smith, op. cit., 1986.
33. この点についてはヨーロッパ近代史の研究者で
ある谷川稔が簡潔にまとめている。谷川稔『国民国
家とナショナリズム』( 世界史リブレット 35) 山川
出版社、1999 年。谷川はピエール・ノラの『記憶の
30. この点の理論的な困難こそが宗教社会学の対象
場』の代表的翻訳者の一人である。ピエール・ノラ
とすべき問題であると考える。この論点については、
( 編 )『記憶の場:フランス国民意識の文化 = 社会史』
中野、前掲書、2002 年、三五~三七頁でも詳しく論
谷川稔訳、岩波書店、2002 年。集合的記憶論に関し
じられている。
ては第一章において詳述する。
34
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のうちに内在化させた。宗教はネイション
(およびナショナリズム)の存立要素の一つ
であり、その土台を支える重要な一部分と
なったのである。そのため、宗教的ナショ
ナリズムは、エリート・ナショナリストが
道具主義的に宗教を流用することではじめ
て現れるような作為的なものではなく、ナ
ショナリズムの内部に組み込まれた構造そ
のものに由来する存在として捉えなければ
ならない。宗教ナショナリズムは、近代主
義に対する反発、抵抗などではなく、近代
ネイションおよびナショナリズムそのもの
が備えた特質なのである。だが、その存在
は近代の世俗化パラダイムによってこれま
でおおいかくされていた [ た ] め、近代主義
ク・ホブズボーム(Eric Ernest Hobsbawm
一九一七~二〇一二)の「プロト・ナショ
ナリズム」論においてもみることができる。
ネーションとは、これまで人類が経験し、
アイデンティティの基礎としてきたような
「共同体」とは規模においてもリアリティに
おいても、まったく異なる。ホブズボーム
はアンダーソンのいう「想像の共同体」と
いう考えを受け入れ、「人間の現実の共同
体とネットワークの衰退や崩壊、あるいは、
それらが役に立たなくなったことから生じ
る情緒的空白をうめるために作り出される
ものであることは疑いがない」と同意する。
しかしこのような観念が急速に政治的な力
者たちによって世俗的であることがナショ
を獲得できたのは何故なのか、という問題
ナリズムの本質であると誤認されてきた。
は解明されていないと指摘している。
宗教の脱私事化が進行し公共宗教の重要性
が高まる今日、宗教ナショナリズムは、自
らに覆いかぶさっていた世俗化パラダイム
というヴェールを脱ぎ捨て、近代ナショナ
リズムの構成要素として顕在化して「見せ
34
る」のである 。
これはスミスのエトニ論が、ネーション
だが、それでもやはり疑問は残る。現実の
共同体を喪失したからといって、どうして
人々はそのような特殊なタイプの代替物を
想像する必要があるのだろうか。ひとつの
理由は、近代の国家やネイションに適合す
るマクロな政治的尺度において、いわば潜
在的に機能し得るある種の集団的帰属感が
がその形成において、過去にさかのぼって
すでに存在していて、それを世界各地で、
エトニーを自らに取り入れたとする論理構
国家と民族運動が動員することができたと
造についての批判であり、同時に、世俗主
いうことであろう。私はこのような紐帯を
義的ナショナリズムは自らを世俗的である
「プロト・ナショナル」と呼ぶことにしよ
35
と装ってはいても、本質的に宗教性をもっ
う 。
ているという理解である。この理解は本書
この「プロト・ナショナル(原初ナショ
と共通している。しかしながら、用語法と
して考えるならば、「宗教ナショナリズム」
ナル)」という概念は、「proto(原初の、原
を再び使用することによって、ユルゲンス
35. エリック・ホブスボーム『ナショナリズムの歴
マイヤーの批判として提起した二分法を再
史と現在』浜林正夫・嶋田耕也・庄司信訳、大月書店、
び招き入れてしまう危険があるといわねば
ならないだろう。
スミスのエトニ論と同じ構造は、エリッ
二〇〇一年(E. J. Hobsbawm, “Nations and Nationalism
Since 1780,” programme, Myth, Reality, Canto Edition,
Cambridge University Press, 1990), 五七~五八頁。訳書
中の「プロト・ナショナリズム」は、I shall call these
bonds “proto–national.” であるので「プロトーナショ
34. 中島、前掲書、六一~六二頁。
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ナルな紐帯」と修正した。Hobsbawm, 1990, p. 46.
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始の)」という言葉からも明らかなように、
え、市民を動員し、市民に影響を及ぼす近
スミスのエトニー論と同様に、ナショナリ
代国家の誕生であった 。
ズムが前近代から取り込んだとされる、人々
の紐帯である。
もうひとつ指摘しておくべきことは、ホ
ブズボームが、都市化、人口の移動、新し
い階級(階層)の出現、移民などの、近代
化に伴って引き起こされた急速な社会変動
をナショナリズム形成の原動力としてみて
いる点である。また、政治の民主化を促す
近代国家の誕生それ自体が、ネーション(国
民)の誕生を促したものと考えている。
37
こうした理解は、たとえば日本でも神島
二郎が主張してきた「擬制村」の指摘と同
様である 38。すなわち、近代化や都市化によ
って地域社会や中間集団が解体されていく
過程において、それを代替するものとして
の幻想としての村社会的な心情、神島のい
う「擬制村」のエトスによってナショナリ
ズムの情緒性が充填されているとする理解
である。
『世界の諸宗教(The World's Religions)』と
一八七〇年代から一九一四年にかけてナ
いう大著をものしたニニアン・スマート
ショナリズムは急速に支持を広めたが、そ
(Ninian Smart 一九二七~二〇〇一)は、早
れはそれほど驚くようなことではない。外
国人に対する敵意を宣言する口実をたくさ
ん提供した国際状況は言うまでもないが、
それに加えて当時の社会的、政治的変化が
それをもたらした。社会的には、以下の三
つが「想像の」あるいは実際の共同体さえ
もナショナリティとして創り出すといった、
新しい形でのナショナリズムに大いなる
きっかけを与えた。すなわち、急激な近代
化によって生活を脅かされた伝統的集団の
抵抗、先進国の都市化する社会において急
い段階からナショナリズムと宗教の類似性
を主張してきた研究者である 39。
彼は世界の諸宗教を比較するにあたって
七つの次元という分析的な枠組みを提示し
ている(① 行事と儀礼の次元、② 経験的・
感情的な次元、③ 物語的ないし神話的な次
元、④ 教義的・哲学的次元、⑤ 倫理的・法
的な次元、⑥ 社会的・制度的な次元、⑦ 物
質的次元)
。注目すべきは、こうした次元に
よって分析できるのは宗教的な伝統のみに
速に増大したまったく伝統にとらわれない
限らない。ナショナリズムやマルクス主義
新しい階級、階層、そして離散した様々な
も「人間存在を突き動かしてきた思想と慣
人々を地球上にばらまくことになった前例
習」として扱い、分析の対象としているこ
のない移民 ――それぞれの移民が、もとも
とである 40。
との住民と他の移民の両者に対してよそ者
であり、いずれの移民も共存のための習慣
やルールをまだ身につけていなかった――
36
である 。
民族的な訴えかけに対する潜在的受容可
能性を現実の受容へと転換した主要な政治
的変化は、ますます多くの国で進められた
政治の民主化であり、近代的行政機構を整
彼は、ナショナリズムの形成には急激な
37. 同前書、一四一頁。
38. 神島二郎『近代日本の精神構造』岩波書店、
一九六一年。
39. Ninian Smart, The World’s Religions, second edition,
Cambridge University Press, 1992(ニニアン・スマー
ト『世界の諸宗教Ⅰ・Ⅱ』阿部美哉訳、一九九九年、
教文館、および『世界の諸宗教Ⅱ』・石井研士訳、
教文館、二〇〇二年).
36. 同前書、一四〇頁。
36
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36
40. ibid., p. 10.
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近代化と制度化が国家と家族との間に存在
コーンによれば、その近代性にもかかわ
した中間的な団体や地域社会の崩壊がある
らず、ナショナリズムの特徴は長い時間を
ことを指摘している。また、彼は、生活世
かけて発展してきたものであり、① 選ばれ
界を遂行的な行為(performative action)に
た民というアイデア、② 過去と未来の希望
よって意味の充填されたものととらえ、ネ
についての共通の記憶、③ 民族的なメシア
ーションを遂行的な構成体(the nation as
ニズムという、ヘブライの三つの伝統に系
per­formative construct)として、社会構成主
譜的に特徴づけられるという 44。
義的に考えている。そして日常世界におい
また、近代史におけるナショナリズム
て、ネーションがいかに立ち現われてくる
の 台 頭 の 過 程 は、 宗 教 が 脱 政 治 化( de­
のかについて考察し、いずれの次元におい
politization ) されていったプロセスと期を一
てもナショナリズムは宗教に相当するもの
にしており、その意味でナショナリズムが
であると結論づけている 。さらに、ナショ
宗教にとってかわったものであるという 45。
ナリズムには、普遍宗教のような超越性が
宗教の脱政治化は近代以前から始まった
みられないことから、それが部族宗教に近
ものであり、長い時間をかけた歴史プロセ
41
42
いものであることを指摘されている 。
スである。コーンのこの主張は、宗教社会
宗教とナショナリズムとの接点について
学においてブライアン・ウィルソン(Bryan
研 究 史 を 遡 っ て い く と、 ハ ン ス・ コ ー ン
Wilson 一九二六~二〇〇四)が主張してき
(Hans Kohn 一八九一~一九七一 ) の残した
たような世俗化論と整合性がある 46。世俗化
業績にたどり着くだろう。ナショナリズム
とは、宗教の公的領域からの撤退現象を長
とは、「個人の最高の忠誠が国民国家に対す
いスパンの社会変動論としてとらえるもの
るものであると感じる、ある心的状態(state
である。
of mind)である 」という彼のナショナリズ
つまり、コーンは、ナショナリズムはき
ムの定義はあまりにも有名である。コーン
わめて近代的な思想であるが、古代ユダヤ
の論考はこの問題を考える手がかりとなる
教から引き継いだ一神教的要素を持ってお
だろう。
り、それが近代国家における自民族あるい
43
は自国民中心主義的な信条の淵源であると
41. この七つの次元であるが、スマートは当初六
つの次元を考えていた。これは一九八三年に出版さ
れた以下の書籍に収録された論文である。Peter H.
Merkl and Ninian Smart(eds.), Religion and Politics in the
Modern World, New York University Press, 1983, Religion,
指摘しているのである。
だが、こうした淵源が、歴史的状況下に
あるひとつの社会において、いかに維持さ
れ、あるいは新しい世代に獲得されるの
Myth, and Nationalism, pp. 15–28. その論文の初出は
一九八〇年に The Scottish Journal of Religious Studies に
掲載されたものである。最後の「物質的次元(material
dimension)」が後に加えられた。物質的次元への着
目は本書の関心からも重要である。
42. ibid., p. 27. 前述したように、ユルゲンスマイヤ
ーはスマートのこの論に同意している。
43. Hans Kohn, Nationalism: Its Meaning and History
(revised), Krieger, 1965, 1982, p. 9.
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37
44. ibid., p. 11.
45. Hans Kohn, The Idea of Nationalism:A Study in Its
Origin and Background, Macmillan, 1945. pp. 23–24.
46. ウイルソンの立場を集大成したものに Bryan
R. Wilson, Religion in Sociological Perspective, Oxford
University Press, 1982(ブライアン・ウィルソン『宗
教の社会学:東洋と西洋を比較して』中野毅・栗原
淑江訳、法政大学出版局、2002 年)がある。
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かという問題に答えなければならない。社
情によって構成された大いなる連帯心であ
会科学が経験科学であるならば、民族の血
る。それは過去を前提している 。
のような先験的与件を認めるわけにはいか
ルナンの主張は、ウェーバーが述べた「追
ない。したがってそうした特殊な観念がい
かにして生成され維持されるのかという問
題は、そうした観念を生成する社会的装置
の問題として考察しなければならない。そ
してその装置の重要なもののひとつに本研
究で扱う「記憶の場」があったと考えられ
47
48
憶の共同体」と通奏低音をなしている。ネ
ーションの核にあるのは、「人々が過去にお
いてなし、今後もなおなす用意のある犠牲
の感情によって構成された大いなる連帯心」
であり、その感情は「国民的追憶(souvenirs
nationaux, 英 national memories)」における
る 。コーンの指摘した特徴は、こうした記
哀悼において獲得されるものと考えられて
憶の場において引き継がれ、あるいは新た
いる。
に生成されたと考えられるのである。
それゆえナショナリズムの宗教性の問題
さ ら に た ど れ ば、 一 九 世 紀 に エ ル ネ ス
は、近代国家と犠牲の問題として問い直す
ト・ルナン(Joseph Ernest Renan 一八二三~
ことができるだろう。つまり、近代国家が
一八九二年)が『国民とは何か』において
「国民とは魂であり、精神的原理である」と
述べたときに、ネーションは「犠牲」を要
求するものであることがすでに含意されて
いた。
共通の苦悩は歓喜以上に人々を結びつける。
国民的追憶に関しては、哀悼は勝利以上に
価値がある。というのも、哀悼は義務を課
し、共通の努力を命ずるからである。/国
民とは、したがって、人々が過去において
なし、今後もなおなす用意のある犠牲の感
47. 本論では第六章において詳述するが、地方都市
における戦没者追悼式のもつ社会的構成における重
要性を社会学の文脈で最初に指摘したのはロイド・
軍隊や警察を持っている限り、どのような
形にせよ国家への犠牲は必ず発生し、それ
を意味づける文化的枠組みが必要とされる。
その枠組みは合理的あるいは功利的な言明
によって意味づけ正当化するだけでは不十
分である。国民に死を要求するような、ナ
ショナリズムの文化的側面は、国家による
死の正当化はいかになされるのか、という
宗教社会学上の問題を提起するものである。
ナショナリズムの形成期は、同時に大規
模な近代戦争の時代でもあった。大量に発
生した戦死者を追悼し記念するための記念
施設が、近代国家では作られてゆく。近代
国家は、様々な記念事業や国家儀礼を産み
出したが、他の国家的なモニュメントと違
ウォーナーであろう。「アメリカの市民宗教」の注
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でロバート・ベラー自身も触れているが、ウォーナ
48. Ernest Renan, Qu’est–ce qu’une nation?, Calmann
ーの先駆的な業績がなければ「市民宗教」概念は生
Lévy, 1882 (pp.NP–32) 仏語原文については . オンラ
まれなかったかもしれない。これは先駆的な業績で
イ ン テ キ ス ト https://fr.wikisource.org/wiki/Qu%E2
あり、現代の研究者が正面から取り組まなければな
%80%99e s t – c e _ q u % E2%80%99u n e _ n a t i o n _ %3F
らない古典であろう。W. Lloyd Warner, “An American
二 〇 一 六 年 一 月 二 八 日 閲 覧。 英 訳 版 は、John
Sacred Ceremony,” in Russell E. Richey and Donald G.
Hutchinson and Anthony D. Smith (eds.), Oxford Readers:
Jones, (eds.), op. cit., 1953, 1974. この論文は後に、大
Nationalism, Oxford University Press, 1994, pp. 17–18 を
著である Yankee City Series に収められた。W. Lloyd
参照。日本語訳は『国民とは何か』鵜飼哲他訳、イ
Warner, The Living and The Dead: A Study of the Symbolic
ンスクリプト、一九九七年、四一~六四頁を一部改
Life of Americans, Yale University Press, 1959.
訳した。
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い、戦没者追悼施設は、現実に存在した「死」
では多様なそれらの実態のすべてを扱うこ
を表象するものでもあり、その解釈でもあ
とはできない。ここでは、なんらかの公的
る。そして近代以前の記念施設と異なり、
性格を持ったものに限定する。
それは傑出した一人の英雄のためのもので
こうした施設が、国家や地方において、
はなく、一般的な国民兵士のための記念施
公的な追悼式や記念祭などの催される場を
設なのである。このような成員の死は、地
提供してきたし、現在も提供している。そ
域社会においていかに解釈され、その解釈
れは近代国家の宗教的次元の存在を示して
はどのように形成されていったのだろうか。
いると同時に物質的次元に根を下ろしてい
これはすぐれて宗教社会学的な問題である。
る。換言するならば、戦没者追悼施設は近
代国家の象徴的次元が物理的基礎を獲得し
対象と方法
ウェーバーの指摘した「追憶の共同体」
について問うことが本書の主題である。そ
れは、ナショナリズムが、いかに「死」を
正当化したのかという問題を、戦没者にい
かに対処してきたのかという問題であると
読み替え、戦没者の追悼や顕彰、慰霊の問
題として考えようという試みである。つま
り、本書では、ナショナリズムの文化的側
面の中でも、死を正当化する観念を再生産
する社会的装置および、それに関連した言
説の問題として考察している。その社会的
装置として考えてきたのは戦没者追悼・記
念施設であり、具体的には英国においては
ウォー・メモリアル(War Memorials)や英
連邦戦死者墓地(Commonwealth War Grave)
であり、日本においては招魂碑や忠魂碑と
いわれる碑表や、忠霊塔という納骨施設を
伴った宗教的なモニュメント、およびそれ
的な建造物であるなんらかの記念施設を中
心に執り行われる。それらは公的空間に作
られ、公的意味を持つ。それゆえ多くの場合、
歴史文書にその痕跡を残している。つまり
こうした史料を発掘することにより、歴史
的なプロセスの詳細を分析することができ
る。そしてこれらは集合的記憶研究の中に
位置づけ直される。
本書を特徴づけているものは、
「記憶の場」
という特殊な場所性への着目であろう。の
ちの章において詳述していくが、ここで扱
う「記憶の場」とは、戦没者を追悼あるい
は記念する何らかの構造物と、それを中心
に形成され、かつそうした構造物を中心と
して執り行われる追悼式や慰霊祭・礼拝な
どの、宗教的あるいは世俗的な儀礼を可能
とする場のことである。
集合的記憶についての研究は一九九〇年
らを中心とする追悼儀礼であり言説である。
代の終わりから現在まで数多くなされてき
ニニアン・スマートのいう物質的な次元を
たが、これはいったい何を対象としてきた
手がかりに研究を立ち上げようという意図
のだろうか。冒頭の問いに戻るなら、集合
を持っている。
的記憶などというものは存在しない。ある
本研究で考察される対象はこのような戦
のはただ、個人としての記憶だけだ。たし
没者記念施設である。戦没者に関する記念
かに記憶というものが脳に生理学的な基礎
施設といっても、死者の追悼や慰霊の形態
をおくのであるならば、社会に記憶は存在
はそれ自体きわめて多様である。それは同
しないであろう。
一の文化内であってもそうである。本研究
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ている場所である。こうした儀礼は、物理
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記憶の場に着目することによって、文化
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理論における過度の抽象化を免れ、具体的
題とすることが可能になると考えられる。
な施設とそれをめぐる資料という分析対象
このようなテーマを追求したのは、大きな
を獲得することができる。もちろん資料の
概念や問題に取り組むことで近代社会その
偏りがあるのは免れ得ないが、本研究では、
ものの理解に寄与するという、宗教社会学
日本および欧米の戦没者追悼施設に関する、
が持っていた本来の目論見をもう一度取り
筆者が入手することのできた資料をもとに
戻そうとするためである。
考察していく。それゆえ本研究は、近代戦
争による犠牲者や戦没者をめぐる追悼記念
施設を具体的な対象とする、歴史資料をも
とにしてなされる宗教社会学的考察である。
さらに、沖縄における遺骨収集に関する
フィールド調査により、集合的記憶――対
抗的記憶と呼んだ方が適切かもしれない
――が生み出される局面を、複数のエージ
ェントに着目して考察する。
本書は、主に二〇〇〇年代以降に発表し
た筆者のナショナリズムに関する論考と集
合的記憶研究に関する論考をまとめたもの
であり、また戦争や戦没者をめぐる追悼式
や記念祭、慰霊や戦跡巡礼、また記念碑や
追悼施設そのものなどを対象とした研究の
成果である。このように対象を定めること
で、ナショナリズムや集合的記憶が社会学
や人類学の研究としていかなる理論的な位
置にあるのかが明らかになる。また、こう
した作業によって、宗教学や宗教社会学に
おいては、個別の教会や教団を越えて存在
する社会の宗教性という次元を具体的に問
40
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40
本書では、まず、理論編として三つの論
考によって集合的記憶に関する社会学的な
議論を整理する。その後、事例編としてイ
ギリス、アメリカ、日本の事例を扱う。
個々の章のほとんどは独立した論文とし
て一度発表したものである。本書をまとめ
るにあたって加筆訂正を――いくつかの章
では大幅に――行っているが、もともと独
立していたため、読者は関心のある章から
読み進められても構わない。
事前に断わっておかなければならないこ
とは、本書では靖國神社に関する論考を意
識的に省いていることである。それはこの
問題が重要でないからではない。靖国神社
をめぐる言説はあまりにも政治化されてお
り、率直にいって、この問題を扱うには筆
者の力量も研究も現時点ではまだ不足して
いる。しかし、同時に、靖国神社を正面か
ら取り上げないからこそ、従来の靖国論に
よって見えなくなってしまっている多くの
問題がより鮮明になるものと考える。
あわづ・けんた
南山宗教文化研究所研究員
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唾棄物としての『少女ムシェット』
ブレッソンにおける映画の宗教性をめぐって
斎藤 喬
Saitō Takashi
序
シェット』を取り上げる。これは、この作
本稿は、その前半において、クリステヴ
ァが『ホラーの諸力』で提案し展開した「唾
棄物〔abjection〕」の概念について、映画の
宗教性を分析するための理論的前提として
導入を試みている 1。具体的には、そこで参
照項として提示されているラカンとバタイ
ユの文章を、それぞれ原文の文脈からあら
ためて読み直すことで、クリステヴァが言
及することのなかった含意をこの「唾棄物」
という語に与えようとするものである。
そして、その後半において、このような
唾棄物の概念を踏まえた上で唾棄すべきも
のと聖なるものの弁証法について考察する
実践の試みとして、ブレッソンの『少女ム
品を分析の対象にすることで、前半で明確
になった唾棄物の概念を応用していく可能
性について検証しようとするものである。
クリステヴァによれば、唾棄物の作家は
「ホラー」と呼べるような作品を創出し、そ
うすることによって現代文学を特徴づける
ような「宗教色のない宗教」、あるいは「聖
別式のない聖なるもの」を構成するもので
あるとされる 2。本稿の記述は、このような
形でクリステヴァが示唆した現代的な宗教
性を実現する唾棄物の作家の一人としてブ
レッソンを位置づけるとともに、彼の作品
を分析することを通して、映画体験におけ
2. 筆者は以前、クリステヴァにおける唾棄すべき
ものと聖なるものの弁証法について、オットーの『聖
1. 本稿では一貫して、フランス語の abject に「唾
なるもの』における畏怖と憧憬の弁証法を参考にし
棄すべきもの」という訳語を、abjection に「唾棄物」
てそこで指摘されている宗教性を考えるべきではな
という訳語を当てている。これはクリステヴァの
いかと提案したことがある。そのため本稿の前半の
abjection の概念における精神分析的かつユダヤ・キ
記述において以前の論文の主題と重なる部分があ
リスト教的な含意を表現するためである。より具体
る。ただ、ここではすでに言及したことのある内容、
的に、これは新約聖書におけるイエスの唾による病
とりわけ「唾棄すべきものの宗教性」に関する記号
気治しのエピソード(ヨハネ 9–6, 7)や、同性愛者
論的な読解については繰り返さないので、本稿のさ
でありかつカトリック作家でもあるフランスのマル
らに前提となる部分についてはそちらを参照してい
セル・ジュアンドーの著作 De l’abjection (1939) にお
ただくことが望ましい。拙稿「クリステヴァにおけ
ける「神の abjection としての人間」という含意など
る唾棄すべきものの宗教性」『文化』第 74 巻第 3・4
を考慮に入れて設定した訳語である。
号 , 2011.
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る聖性の表象をどのようにして研究の対象
る「唾棄物」に偏重した関心を向けるのと
とすることができるかを問うという目論見
似ているかもしれない)。それはつまり、ラ
の下にある。もちろん、本稿だけでそれを
カンの「ファルス」の概念によって現代フ
すべて遂行することなど不可能なので、こ
ランスの作品における「唾棄すべきもの」
こではただ、そのような研究の方向性だけ
を説明するという方向性なのだが、それで
でも素描することができればと願っている。
はなぜラカンの概念でそのことについて説
そこで本論に入る前に、非フランス語圏
明しなければならないのかという点が曖昧
の文献で、本稿における問題と対象をほぼ
なままになってしまう、という危惧が常に
一致して共有している先行研究を一つ紹介
つきまとうことになる。ラカンの概念を使
しておこう。2006 年にアムステルダムで出
用しなければならない理由は、『唾棄すべき
版されたキース・リーダーの『唾棄すべき
対象』において屋上屋を架す説明の説明の
3
対象』 は、ラカンから始まり、クリステヴァ、
ようなもので、問題にする必要のないもの
バルト、バタイユ、さらにジュアンドーま
なのだろうか。だがそのような曖昧さが払
でここに出てくる登場人物のほとんどすべ
拭されない限り、本稿の立場からではにわ
てを網羅している。その上で、文学や映画
かに受け入れがたい「唾棄すべきファルス」
といった作品分析の骨子にこの唾棄物の概
という表現や、娘のシビルが『ある父親』
念を設定しようとしているという方向性に
で描写する(現実の?)ラカンその人をあ
到るまで、ここでの問題意識を見事に共有
えて「唾棄すべき父」と指示しようとする
しているとさえ言える(本稿ではブレッソ
根拠がそこでは希薄になってしまうように
ンの作品を取り上げているがリーダーの本
見える。
ではゴダールの作品を取り上げているなど、
4
本稿では「用語法〔terminologie〕」とい
決して小さくはない点で差異があるとして
う語を、後述するクリステヴァの引用文に
も)。
出てくる「象徴体系〔système symbolique〕」
ところで、問題と対象を共有していると
とほぼ同じ意味で使用している。選択の対
しても、方法においては根本的な認識の相
象として意識的に獲得されたものとしての
違があるということも指摘しておかなけれ
用語法は、ある書き手の言葉遣いにおける
ばならないだろう。リーダーの前掲著では、
信念体系を表明している当のものであり、
唾棄物の前提に、ラカンの「ファルス」と
それは信憑構造の表現でもある。そのため、
いう概念を設定している。この本の副題が
その用語法でなければ説明できない何かが
「現代フランスの理論、文学、映画における
あるという、ときに暗示的となる確言は、
ファルスの化身たち」であることからも示
ある種の宗教性に類似した感情を表出して
唆されているように、どちらかと言えば「唾
しまう可能性がある。ここで問題となって
棄すべきもの」よりも「ファルス」に重き
いるのは、このような意味での宗教性であ
を置いた記述になっているようにさえ見え
り、それこそが、このことを問題として明
る(その点で、クリステヴァの『ホラーの
確に提起した『ホラーの諸力』を考察の対
諸力』が「ホラー」よりもむしろ副題にあ
象として取り上げるほとんど唯一の理由で
3. Reader, Keith, The Abject Object, Amsterdam, Rodopi,
S26 (2016).indb
4. Lacan, Sibylle, Un père, Paris, Gallimard, 1994.(シビ
2006.
ル・ラカン『ある父親』永田千奈訳 , 晶文社 , 1998.)
42
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ある。先ほど指摘した現代的な宗教性を実
この先駆的な著作において、唾棄物という
現するホラー作品の探究には、こうした点
用語はやはり一貫して文学作品を分析する
でリーダーの用語法とはまったく別の用語
ための概念として提案されている。『ホラー
法を採用することが要件となってくる。こ
の諸力』において、クリステヴァは唾棄物
れは宗教研究の文脈に唾棄物の概念を載せ
の概念を考察していく上での参照項として、
るということと同義であり、この文脈で依
ジャック・ラカンとジョルジュ・バタイユ
拠している用語法はまさにそのような探究
の文章を印象的に導入しているのだが、そ
に基礎づけられていると言えるだろう。こ
のことについては後述する。
れが本稿の企図である。
なぜブレッソンであるのか、なぜ『少女
ここではまず、クリステヴァの言う「唾
棄物」とは何なのかということについて具
ムシェット』でなければならないのかにつ
体的に示すために、彼女自身が「現象学的」
いては後述することになるが、『ホラーの諸
と表現する記述の一部を引用してみよう。
力』以降、唾棄物の概念に関連するあらゆ
これは、『ホラーの諸力』の冒頭に置かれた
る研究はクリステヴァの言う意味での宗教
具体例である。
性をめぐるものにならざるをえないだろう、
という本稿の立ち位置を明確にしておくた
めにこのような前置きをした次第である。
それでは以下において、これからの議論の
大前提となる唾棄物の体験の記述を実際に
彼女の著作から見ていくことにしよう。
食品への嫌気はおそらく、唾棄物のもっと
も初歩的で、もっとも旧態依然とした形態
である。ミルクの表面のあの膜など、無害で、
タバコ用の紙切れ一枚のように薄くて、爪
の切りくずのように下らないのに、それが
眼の前に差し出され、唇に触れたりすると、
声門の痙攣や、さらにもっとずっと低いと
クリステヴァにおける
ころにある胃袋、腹部、あらゆる内臓の痙
唾棄物の現象学的記述
攣によって、身体が強張って、涙や胆汁が
フランスの批評家ジュリア・クリステヴ
ァは、『ホラーの諸力』(1980) において、唾
棄すべきものと唾棄物の概念について議論
を展開している。『ホラーの諸力』において、
クリステヴァはこの概念を文学理論として、
より具体的に言えば、フランスの作家ルイ
=フェルディナン・セリーヌの作品分析を
滲み出て、心臓はどきどきして、額や手に
玉の汗をかく。眩暈で視線をぼやかしなが
4
4
4
ら、吐き気 で私は身を反らし、あのミルク
のクリームに対峙する。そこで私は、それ
を差し出す母と父から分離するのだ。これ
が両親の欲望の記号〔signe〕を構成してい
る要素だとしても、「私」はそんなもの欲し
くないし、
「私」は何も知りたくないし、
「私」
するための試論として提出していることに
はそれを吸収せずに、「私」はそれを排出す
注目しておくべきであろう。クリステヴァ
る。しかしこの食物は、両親の欲望のなか
自身が、のちに唾棄物の概念を絵画の分析
にしか存在しない「自我」にとって「他者」
に応用した『斬首の光景』(1998) を出版した
ではないのだから、私は私 を排出し、私は
りもしているが 5、理論的な前提を詳述した
私 を吐き出し、私は私 を唾棄することにな
4
4
4
4
る。それは、「私」が私を位置づけるように
5. Kristeva, Julia, Visions capitales, Paris, Réunion des
Musées Nationaux, 1998.(クリステヴァ『斬首の光景』
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星埜守之・塚本昌則訳 , みすず書房 , 2005.)
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要請するのと同じやり方である。この細部
は、おそらく意味するものにはならないが、
両親がそれを探し、担い、評価し、私に押
しつけるのであり、この何でもないものは
手袋のように私を裏返し、臓物が宙に舞う。
4
4
4
4
4
こうして彼らは、彼らこそが、私自身の死
4
と引き換えに私 が他者になる渦中にあるの
を見届けるのだ。「私」が生成するこの行程
において、嗚咽、反吐の暴力のなかで私は
自我を産出する。症状という無言の異議申
し立て、痙攣という騒々しい暴力、それら
は確かに象徴体系のなかに書き込まれてい
る。だがそのなかで、症状や痙攣はそれに
① 私(主体)/身体(場)
←ミルクの膜(対象)/吐き気(症状)
これをここでは、「身体という場におい
て、私という主体が、ミルクの膜という対
象と向き合い、吐き気という症状を産み出
す」と読むことにする。上の/の左側に主
体としての私がいて、下の/の左側に私の
対象としてのミルクの膜を位置づけてい
る。ここでの←は主体として見た場合にお
ける対象からの働きかけを指示しているの
だが、引用文を読むとわかるように、これ
は単に一方向的な働きかけにはなっておら
呼応するように自らを組み込むこともでき
ず、身体という場において、主体としての
ずにいてしかも組み込もうとさえしないま
私は、対象としてのミルクの膜から差し出
ま、それ〔ça〕は反応したり、それ〔ça〕
された働きかけ、つまり「記号」に、ただ
は除反応したりする。つまりそれ〔ça〕は
6
唾棄しているのだ 。
やや長い引用になってしまったが、ここ
にはクリステヴァが『ホラーの諸力』で展
開している唾棄物体験の記述に関する素材
がすべて詰め込まれているように見える。
同じ一つの現象が、いくつかのレベルの用
語法で記述されているためにわかりにくい
のだが、ここではとりあえず三つに分けて
整理してみよう。
唾棄物と主体の関係が構造化しているこ
とを示す最初の図式化(モデル①)におい
ては、精神分析の専門用語をあえて使わず
に、一般的な語彙に当てはめてここでの記
7
述をまとめてみる 。
受動的に応答するだけではなく、いわば能
動的に症状としての吐き気を産出している
のである。
それでは次に、この同じ図式を、自我、
超自我、それ(エス)という、フロイト由
来の精神分析の語彙に置き換えてみるとど
うなるだろうか 8(モデル②)。
② 自我/それ(エス)
← 超自我/吐き気
これをここでは、
「それ(エス)という場
において、自我という主体が、超自我とい
ァの記述を簡略化して注解することであって、厳
密にラカン的な主体の図式化とは対応していない。
Fink, Bruce, The Lacanian Subject, Princeton, Princeton
University Press, 1995.(フィンク『後期ラカン入門』
6. Kristeva, Julia, Pouvoirs de l’horreur, Paris, Seuil
(Points Essais), 1980 (1983), 10–11.(クリステヴァ『恐怖
の権力』枝川昌雄訳 , みすず書房 , 1984.)以下同様
にこの著作からの引用はすべて原文からの拙訳であ
る。
8. フロイトの用語で言うところの「エス」のフラ
ンス語訳は ça であり、一般的な中性指示代名詞とし
ては「それ」と訳される。
『ホラーの諸力』においては、
原文の ça が「エス」、「それ」、あるいはその両方を
7. こうした図式化に際しては以下の著作において
含意している場合があるため、本稿では必要に応じ
指摘されているラカン的な主体理論の図式化を参考
て「それ〔ça〕」、あるいは「それ(エス)」と表記し
にしているが、ここでの目的はあくまでクリステヴ
ている。
44
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村上靖彦監訳 , 人文書院 , 2013.)
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う対象と向き合い、吐き気という症状を産
と向き合い、私 という症状を産み出す」と
9
み出す」と読むことにしよう 。さらにこれ
読むことにする。この両親の欲望はラカン
を最初の図式と重ね合わせてみると、主体
の用語で〈他者〉の欲望ということになる
としての私が自我であり、身体という場が
のだが 、その〈他者〉の欲望の対象に直面
それ(エス)であり、両親が子どもに押し
することによって、私という場が、意識的
つける理想的な自我のイメージである超自
な主体である「私」と無意識的な症状であ
我をミルクの膜が表象しているため、その
る私 の二つに分裂するというプロセスが、
結果症状としての吐き気を産出することに
なると読み解くことができるだろう。言い
換えると、両親が差し出したミルクの膜を
吐き気を催さずに取り込むことのできる子
どもであれば、それ(エス)における自我
と超自我の葛藤としてある種の症状を産出
することはないはずなのである。
さらに最後に、この同じ図式を、引用文
中に同じ単語で三種類の表記が出てくる私、
「私」、私 という、言うなればラカン的な語
4
彙で置き換えてみるとどうなるだろうか(モ
デル③)。
4
10
4
このような表記の変更によって浮き彫りに
なるだろう。この場合、子どもである私に
とって、両親の欲望を含意したミルクの膜
と両親の欲望の対象として成立した「私」
は相関関係にあり、こうした象徴体系によ
って構造化されている身体において、私が
いわば無意識的に 拒否反応を示した結果、
4
4
4
4
4
`
構造には受け入れられないものとしての私
が、吐き気という症状として産出されるこ
とになる。
ここでの表記において、主体としての
「私」は、両親の欲望を表象するミルクの膜
が目の前に差し出されたことによって、両
③「私」/私
`
← 両親の欲望/私
4
これをここでは、「私という場において、
「私」という主体が、両親の欲望という対象
親の欲望の対象である「私」の欲望の対象
として、そのミルクの膜に直面することに
なる。そのため、私にあって、両親の欲望
の対象としての「私」から受け入れがたく
はみ出してしまうものが症状としての私と
4
9. フロイトは『精神分析入門』の「症状形成の経路」
という項目において、子供がミルクの膜に嫌悪感を
示す具体例を提示している。そのためまったく明示
いう形でこのようにして産出するという経
緯になっている。『ホラーの諸力』において、
されていないが、クリステヴァの記述とフロイトの
記述との明白な相互関連性が読み取れる。「むさぼ
10. クリステヴァは『ホラー諸力』においてラカン
るように母の乳房を吸ったその子供も、数年後には
のセミナーでも特に 1956 年から 57 年にかけて行わ
牛乳を飲むことに強い不快感を示し、教育の力でこ
れた『対象関係』の用語法を引き受けていると明言
の不快感を除こうとしてもなかなか抜けないのが普
している(Kristeva, loc. cit., 43.)。また(大文字の)
〈他
通です。牛乳またはその代用飲料が薄皮でおおわれ
者〉のような表記の仕方は、他にも例えば(いずれ
ていますと、この不快感は嫌悪感にまで高まります。
も大文字の)〈禁止〉、〈法〉、〈宗教〉、〈道徳〉、〈権
この薄皮がかつてあれほどまでに熱望した母の乳房
利〉などといった形で使用されており、とりあえず
への回帰を呼び起こすということは、おそらく否定
本稿においてはその単語が象徴的なものの領域に属
できないでしょう。そこにはとにかく離乳という外
していることをクリステヴァが指示するときに使用
傷的に働く体験が介在しています。」(フロイト「症
されると考えている。Lacan, Jacques, La relation d’objet,
状形成の経路」『精神分析入門』懸田克己・高橋義
Paris, Seuil, 1994.(ラカン『対象関係(上・下)』小
孝訳 , 人文書院 , 301–2.)
出浩之・鈴木國文・菅原誠一訳 , 岩波書店 , 2006.)
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クリステヴァは先に指摘した意味での〈他
つまりこの場合、症状はすでにこうした体
者〉を、しばしば「貪食する母」のイメー
験の以前に象徴体系として身体に書き込ま
ジで描き出しているが 、それは私が両親の
れているということになるだろう。私の外
欲望に食われた結果、食われた部分が「私」
部から押しつけられたという意味において
となり、食われ損ねた部分が私 として吸収
「他者」である両親の欲望の対象と対応する
されずに排出され、つまりは唾棄されると
「私」はそこで「自我」になることができる
11
`
いう構図なのである。
以上見てきたように、クリステヴァは唾
が、それに対応することなく嘔吐物ととも
に吐き出された私はそこで唾棄物になる。
4
棄物体験の記述において、いくつかの用語
言うまでもなくこのような記述で、
『ホラ
法を重ね合わせて使用しているのだが、こ
ーの諸力』でクリステヴァが描き出そうと
こではそれを、できるだけ簡潔に図式化す
した唾棄物の含意をすべて提示しつくすこ
ることを試みた。その上で「唾棄すべきもの」
と「唾棄物」の関係をさらに明確なものに
するために、最初の図式にあらためてこの
二つの用語を当て嵌めてみると次のように
なる(モデル④)。
④ 私 /身体
← 唾棄すべきもの/唾棄物
これをここでは、
「身体という場において、
となど実際には不可能なのだが、とりあえ
ず本稿においては、「唾棄物」と「唾棄す
べきもの」の二語の関係については、この
ような用語法を踏まえて使用することにす
る。
ラカンにおける唾棄物と聖者
それでは次に、『ホラーの諸力』におけ
る唾棄物の概念の可能性をさらに広げるた
私という主体が、唾棄すべきものという対
めに、そこでクリステヴァが直接言及して
象と向き合い、唾棄物という症状を産み出
いるジャック・ラカンの記述についても検
す」と読むことにする。つまり、引用文に
討してみることにする。ラカンは言わずと
おける具体的な対象としてのミルクの膜が
知れたフランスにおける精神分析の大家で
「唾棄すべきもの」と対応すると仮定すれば、
あるだけでなく、先述したようにクリステ
具体的な症状としての吐き気が「唾棄物」
ヴァの用語法における多くの部分はラカン
に対応するという関係になるということで
の学的成果に依拠したものなのである。ク
ある。
リステヴァにおいて、唾棄物の概念は宗教
両親から差し出されたミルクの膜に直面
性と密接に関連づけて論じられているのだ
するとき、その子どもである私は、この食
が、彼女が参照するラカンの著作を見てみ
物に対して嫌気をともなう拒否反応を引き
ると、それは唾棄物について彼が直接言及
起こし、手袋を裏返すかのように嘔吐する。
している数少ない箇所の一つであるという
だけでなく、そこでもやはり明示的に宗教
11. ちなみに 1994 年にフランスで出版されたラカン
の『対象関係』の表紙はゴヤの「我が子を食らうサ
トゥルヌス」であり、まさにクリステヴァが指摘し
ているような意味での〈他者〉に貪食される子ども
のイメージのほぼ完全な図像化であると言えるだろ
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との関連性が指摘されていることがわか
る。
この『テレヴィジオン』(1974) という著
作でラカンは、かつて「聖者〔saint〕」と呼
う。
ばれていた人びとを、現代においては精神
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分析家として位置づけることができると明
者である」と言われていた人たちのこと以
ては後述することにして、ここではまずそ
上に、精神分析家を対象として位置づける
のような分析家の位置づけに対するクリス
より良い術を知らない」と断った上で次の
テヴァの見解を確認しておこう。クリステ
ように指摘する。
ヴァはラカンの『テレヴィジオン』の発言
を次のように批判的に紹介している。
4
4
4
こうした唾棄物 を、近代は抑圧したり、回
避したり、偽装したりすることを学んでき
たのだが、分析が位置づけられて以降は基
礎的なものとしてその姿を現している。ラ
カンがそのことを言うのは、この単語を分
4
4
析家の聖性〔sainteté〕に結びつけるときだが、
ユーモアだとしても黒いものにしかならな
13
い組み合わせだ 。
クリステヴァはこのようにして、唾棄物
を近代と結びつけた上で、精神分析の成果
によってそれが基礎的なものとなったと指
摘している。ただ、彼女が参照しているラ
カンの原文のどこにも「聖性」という語は
なく、「聖者」としか述べられていない。彼
女はそれを抽象化して、分析家の「聖性」
と言い換えているのである。それではラカ
ンが実際にどのようにして聖者と分析家を
同一視しているのか、『テレヴィジオン』の
記述から見てみることにしよう。
ラカンは、
『テレヴィジオン』の第三章「聖
者であること」において、そのことについ
12. 本稿では saint というフランス語を、列聖され
たという文脈で通常使用されるキリスト教の「聖人」
という意味ではなく、近代化以降の宗教運動におい
てあらためてクローズ・アップされることになった
という側面を持つ、伝統的で個別的な宗教者の意味
を明確にするために「聖者」という訳語を当ててい
る。このような意味での「聖者」に関しては以下の
著作を参考にした。井田克征『世界を動かす聖者た
ち』平凡社新書 , 2014.
13. Kristeva, loc. cit., 34–5.
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て集中的に述べている。彼は、「過去に「聖
言している 。そこでのラカンの文脈につい
12
47
聖者が、私に理解させるのに、慈善〔charité〕
を行うことはありません。むしろ聖者は、
廃 物〔déchet〕 を 作 る こ と に 取 り 掛 か り
ま す。 聖 者 は 慈 善 を 解 除 し て 廃 物 に す る
〔déchariter〕のです。構造が押しつけるもの
を実現した結果、主体は、無意識の主体は、
自分の欲望が原因でその廃物を手にするこ
とが可能になっているということを知るの
14
です 。
ラカンのこの文脈において、引用文中の
「聖者」はすべて「分析家」に置き換え可能
である。というよりもむしろ、いわゆる「聖
者」ではなく、精神分析の理論家であり臨
床家でもあるラカンの文章の「主語」とし
て読まなければ意味が通じないはずである。
さらにここに出てくる「私」はもちろんラ
カン本人などではなく、冒頭で引用したク
リステヴァの文章と同様に「主体」あるい
は「自我」の含意を考慮して読む必要がある。
ここで、先ほどクリステヴァの記述を参考
に試みた図式化をこの引用文にあらためて
適用してみるとどうなるだろうか(モデル
⑤)。
14. Lacan, Jacques, Télévision, Seuil, 1974, 28.(ラカン
『テレヴィジオン』藤田博史・片山文保訳 , 青土社 ,
1992.)これは、ラカンに対して彼の教え子のジャッ
ク=アラン・ミレールが行ったテレヴィ放送用の精
神分析についての質疑応答を出版したものである。
引用文に出てきた déchariter はラカンの造語であり
前出の déchet と charité を組み合わせたものである
と思われる。dé-chariter とした場合 dé は「分離」、
「除
去」などを示す接頭辞となるため引用文のように訳
出した。以下同様にこの著作からの引用はすべて原
文からの拙訳である。
47
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⑤ 主体/無意識の主体
ここで出てくる「この原因」というのは
「自分の欲望の原因」のことであるため、
「こ
←自分の欲望/廃物
これをここでは、「無意識の主体という場
において、主体が、自分の欲望という対象
と向き合い、廃物としての症状を産み出す」
と読むことにする。引用文でラカンが言っ
ている「慈善」をクリステヴァの「両親の
欲望」で読み換えてみると、主体(精神分
析においていわゆる患者の位置取りをする
分析主体)は、もともと両親の欲望であっ
たものを、慈善を通して自分の欲望として
受け取っていると見ることができる。
このようにして、〈他者〉の欲望を慈善に
よって自分の欲望として受け取っていると
いう存在様態がラカンの言う「構造」であ
先ほどの「廃物」と一致していると読み取
ることができる。つまり聖者=分析家が廃
物を作ることによって、問題の主体(いわ
ゆる患者であるところの分析主体)は自分
がどのように構造化されているかに気づく
ことになる、というのがここでの趣旨にな
るだろう。しかもラカンは自分から、その
ような聖者=分析家の事業が、視聴者にと
って奇矯なものに聞こえるだろうという断
りさえ入れている。
さらに先の引用文に続けて、ラカンは次
のように言っている。
るとすれば、無意識の主体がそのように構
それ〔ça〕が享楽の効果を持つとして、誰
造化されているために、そこでは常に構造
が享楽されたものとともにその感覚を持つ
化され得ない残余として、構造の廃物が産
というのでしょうか?そこには乾いたまま
出されていることになるだろう。ラカンに
よれば、聖者=分析家は、この慈善を解除
して、〈他者〉経由で自分のものとなってい
る欲望の構造から産出される廃物をあえて
主体に作ってやることで、主体にその廃物
の原因が自分の欲望であることを知らしめ
るのだという。
の聖者しかいませんし、聖者にとっては何
でもない〔macache〕のです。それはまさに、
この件においてもっとも唖然とさせるもの
です。そこに近づいてそれに騙されない人
びとを唖然とさせるのです。聖者は享楽の
16
屑なのです 。
ここで、無意識の主体であるそれ(エス)
次の引用文は先の引用文の直後にあるも
はそのような構造に対して享楽の効果を持
のだが、ラカンはこの文脈で、ついに唾棄
っていると指摘されている。主体は、それ
物について言及する。
がたとえ自分に対してどのような症状をも
実際にこの原因の唾棄物によってこそ、問
題の主体が、少なくとも構造のなかで自分
を標定する機会を持つことになるのです。
聖者にとって、それ〔ça〕はおかしなこと
などではありませんが、私の想像では、こ
たらすものであれ、このように構造化され
た身体に対して無意識的に享楽しているた
め、自分がそもそも享楽しているという感
覚すら持ち合わせていない。そのため、主
体の享楽の外にいる聖者=分析家だけが、
のテレヴィに耳を傾けている方がたにとっ
(性愛的な含意を示唆する言い方で)「乾い
て、それが聖者の事業の奇矯さというもの
ている」ため、廃物を作ることで主体を唖
15
を十分に検証してくれます 。
15. Ibid., 28.
48
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の原因の唾棄物」というのが、字義的には
48
然とさせることができるのである。こうし
16. Ibid., 28–9.
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た文脈化がラカンの意図から逸脱していな
における唾棄すべきものと聖なるものの弁
ければ、「聖者は享楽の屑である」という最
証法の担い手という主題に設定し直した上
後の一文は、
「分析家は構造の唾棄物である」
で、稿をあらためて別個に検討する必要が
とパラフレーズすることが可能であるだろ
18
あるだろう 。というのも、この文脈におい
う。
て両者の唾棄物の概念がきちんと定まらな
また、享楽する主体の構造について、ラ
カンは次のように指摘している。
いうちから聖性について弄言するわけには
いかないからである。
自我は、私は半狂乱でコギトします。そう
することであらためてそれ〔ça〕としてあ
ることになります。おそらく、自我が自分
17
自身でそこに到達することはないのです 。
ラカンによれば、意識的な自我であると
ころの私は無我夢中で、あるいは死にもの
狂いでコギト(デカルトの言う「我思う」を)
している。というのも、先ほど指摘したよ
うに、そのような形で構造化されているこ
ただ、とりあえずここでは唾棄物の概念
が持つ可能性について、特にラカンが指摘
する構造のなかにそれを持ち込む聖者=分
析家という観点においては、おそらくクリ
ステヴァが見通していたであろう範囲を超
えて宗教的な含意を持つ可能性があるとい
うことを示唆しておくことにしよう。
バタイユにおける唾棄物と悲惨な人びと
とで享楽を得ているからである。そしてま
ラカンと精神分析の用語法に依拠しなが
さに享楽を得ているがゆえに、自我は主体
ら唾棄物の理論を展開しているのとは異な
としてそのことを自覚することができない
り、『ホラーの諸力』において、クリステ
のであり、それ(エス)は無意識の主体と
ヴァはバタイユの記述に関して限定的にし
してそのように享楽を得るような存在様態
か言及していないように見えるかもしれな
をしているのである。以上、『テレヴィジオ
い。具体的には第三章のエピグラフ、およ
ン』でラカンは主体に対する聖者=分析家
びそのなかの一節の二箇所でバタイユの文
をこのように位置づけている。
章からの引用をしているが、それはどちら
先に述べたように、クリステヴァはラカ
ンが指摘する唾棄物と聖者=分析家の関連
も 1970 年に出版されたガリマール版のバタ
イユ全集第二巻に収められた手稿からのも
性をブラック・ユーモアでしかないと斥け
のである。この手稿には「唾棄物と悲惨な
ているのだが、彼女自身が参照した唾棄物
人びとの諸形態」という題名がつけられて
という語の用法にはこのような文脈で宗教
いて、そこでの用語法と展開されている主
的な含意があるという事実を軽視するわけ
にはいかないだろう。クリステヴァは『ホ
ラー諸力』において、分析家などではなく
唾棄物の作家こそがむしろ聖性を帯びて回
帰するという主張を展開するのだが、彼女
の言う唾棄物の作家とラカンの言う分析家
に関する共通点と相違点については、両者
題からも、これはバタイユが『社会批評』
誌に寄稿していた 1930 年代のものであるこ
とが推察できる。
クリステヴァは、『ホラーの諸力』の第三
章で唾棄物に関する人類学者の先行研究を
紹介しており、そこではフロイトの『トー
18. クリステヴァにおける唾棄物の作家の聖性につ
17. Ibid., 29.
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S26 (2016).indb
49
いては前掲した拙稿において言及したことがある。
49
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10:08:20
テムとタブー』に始まり、バタイユ以外には、
しかしながらクリステヴァは、自分の文
ルネ・ジラール、メアリ・ダグラス、ルイ・
脈に引きつけて、この引用文における対象
デュモンなどの著作について言及している。
との関係は要するに母との関係であると言
まずはこのような文脈で、クリステヴァが
い、「禁止の脆弱さ」は結局のところ「母
どのようにバタイユの記述を導入している
系制の秩序」であると断定することによっ
か見てみることにしよう。
て、唾棄物に関してこの上なく先鋭な知
禁止の論理によって唾棄すべきものは基礎
づけられており、これまで数多くの人類学
者がそれを書き留め明確にしようとしてき
た。彼らは、いわゆる未開の社会における
りにも多くのことを取りこぼしているよ
うに見える。クリステヴァの表現によれ
ば、バタイユは「禁止の悲惨さ〔misères de
穢れや聖なるものの役割に注意を払ってき
l’interdit〕」と「排除せよという命令〔impératif
たのである。しかしながらジョルジュ・バ
d’exclusion〕」について述べていることにな
タイユは、私たちの知る限り、唾棄すべき
っているのだが、彼の手稿のなかに出てく
ものとこうした禁止の脆弱さ を結びつけた
る用語と言えば、例えば「貧困〔misère〕」
`
`
`
`
`
`
`
`
`
`
唯一の人であり続けている。もっともそれ
こそが、それぞれの社会秩序を必然的に構
成している当のものなのだ。彼は唾棄物を、
「十分な強制力をもって排除せよという命令
的な行為を引き受けることができないこと」
に結びつけている。バタイユはまた、次の
ことを明示した最初の人でもある。彼によ
4
4
4
4
れば、唾棄物の平面というのは主体 /対象
4
4
関係 の平面であり(主体/他の主体ではな
く)、こうした旧態性は、サディズムにとい
や「悲惨な人びと〔misérables〕」であり、
「接
触の禁忌〔prohibition de contact〕」や「排
除せよという命令的な行為〔acte impératif
d’exclusion〕」なのである。このような違い
は単なる省略的な引用であって些末なこと
だと思われるかもしれないが、バタイユ自
身が厳密に使うことを避けている用語法に
ついて、意味を歪めて引用するわけにはい
かないだろう。とりあえず以下においては、
うよりはむしろ肛門性愛に根差していると
クリステヴァの先ほどの指摘を念頭に置き
いう 。
つつ、実際にバタイユの記述を参照しなが
19
クリステヴァはここで、穢れや聖なるも
のに関する人類学者の先行研究は、唾棄す
べきものが禁止の論理に基礎づけられてい
ることを明らかにしてきたと指摘している。
ところが、そこでバタイユが誰よりも傑出
している点は、唾棄すべきものを「禁止の
脆弱さ」に結びつけたことと、唾棄物は「主
体/対象関係の平面」に位置づけられ、精
神分析が言うところの肛門性愛に根差して
いると明示したことにあるのだと彼女は言
う。
19. Kristeva, loc. cit., 79–80.
50
S26 (2016).indb
見を含むバタイユの緻密な記述からあま
50
ら、彼の唾棄物の概念の特異性について検
討していく。
先ほど指摘したように、唾棄物に関する
バタイユの手稿には「唾棄物と悲惨な人び
との諸形態」という題名がついており、そ
こではさらに「悲惨な人びと」と「唾棄す
べき事物」という二つの項目に分かれてい
る。内容によって大ざっぱに区分してしま
えば、唾棄物と唾棄すべきものについての、
前者がマルクス主義の知見に基づく社会学
的な記述であり、後者が精神分析の知見に
基づく心理学的な記述であると、ひとまず
は言えそうである。
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ここではまず、
「悲惨な人びと」の冒頭の
そしてこのような文脈で、バタイユは「至
高性」という用語を導入する。
一節を引用してみよう。
顚覆という語は、圧制者と被圧制者とに社
最新の分析において、圧制者はその個別的
会を分割することに準拠している。それは
な形態の下で至高性に還元されなければな
同時に、この二つの階級を地勢学的に形容
らない。反対に、被圧制者は不幸な人民に
することにも準拠している。これらの階級
よる無定形の巨大な塊によって形成されて
4
4
は、高い と低いのように一方と他方を関連
づけて象徴的に設定されるのである。この
語が指示しているのは、対立させられた二
つの用語の(偏向した、あるいは現実の)
4
4
4
4
逆転なのである。低い ものは顚覆的に高い
4
4
4
4
ものになり、高い ものは低い ものになる。
顚覆はそれゆえ、圧制を基礎づけている規
20
則の廃止を要請するのだ 。
やや先回りして解説してしまえば、引用
文に続く箇所で、ここに出てきている「被
圧制者」が題名にある「悲惨な人びと」と
同定され、さらに「圧制を基礎づけている
規則」が「至高性」と言い換えられること
になる。
22
いる 。
先ほど述べたように「圧制を基礎づけて
いる規則」や「圧制の一般的な規則」が至
高性として「同質性の領土」に安定をもた
らしているとするならば、バタイユが言う
「所与の社会」というのは、任意の至高性に
よって個別的に形成された圧制者の総体で
あるということになるだろう。それでは、
ここまで引用してきたバタイユの記述を基
にして、ここでもまた前節までで試みた図
式化を適用してみるとどうなるだろうか(モ
デル⑥)。
⑥ 圧制者/社会
バタイユはこの文章の続きで、社会を図
式的に表象しようとした場合、この圧制者
と被圧制者という用語では社会の総体を指
示することはできないと指摘している。と
い う の も、 彼 に よ れ ば、 所 与 の 社 会 に お
い て は「 圧 制 の 一 般 的 な 規 則 」 が「 同 質
4
4
性の領土〔domaine de l’homogénéité〕」に安
4
定をもたらしているのだが、そこでの顛
覆を基礎づけている魅力と欲動の運動自
体が、その領土から「異質な 地帯〔région
4
4
4
hétérogène〕
」においてしか設定されないた
め、圧制者の総体は被圧制者の総体によっ
て補填されることなく、合わせて一つの社
21
会全体を形成することがないからである 。
20. Bataille, Georges, “L’abjection et les formes misé­
rables,” in Œuvres complètes, t. 2, Paris, Galli­mard, 1970,
← 至高性/被圧制者
これをここでは、「社会という場におい
て、圧制者という主体が、至高性という対
象と向き合い、被圧制者(という悲惨な人
びと)を産み出す」と読むことにする。至
高性に還元された圧制者が「同質性の領土」
である所与の社会を個別的に構成している
のだが、そこからはみ出した被圧制者は「異
質な地帯」に住まうことになる。バタイユ
によれば、この被圧制者は「貧困の犠牲者」
であり、「接触の禁忌」によって「道徳の共
同体」である圧制者の生活から隔離されて
`
`
`
いる。彼らは「庶民、賤民、どん底 の澱」
であり、嫌気とともに自分たちの外部から
表象されているのだという。そして、この
ような文脈で彼は、「貧困は意志を介在させ
217.
21. Ibid., 217.
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51
22. Ibid.
51
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10:08:21
ることなく、それを避けている人びとばか
りかそこに生きる人びとまでをも嫌がらせ
る。貧困はひたすら無力さとして実感させ
られるのであり、肯定のどんな可能性にも
辿り着かない」と指摘するのである 23。
そしてバタイユは、ここでついに唾棄物
の概念を導入する。
こうして、命令的な存在者と社会的な唾棄
⑥' 命令的な存在者/社会
← 至高性/社会的な唾棄物
以上、ここまで見てきたことをまとめる
と、至高性に基礎づけられた「接触の禁忌」
によって社会は「同質性の領土」と「異質
な地帯」に分断させられていて、前者には
圧制者であるところの「命令的な存在者」
(あるいは「高貴な人間」)が生活しており、
物は、能動的なものと受動的なものとして、
後者には被圧制者であるところの「社会的
意志と苦痛として、いまだに対立し合って
な唾棄物」(あるいは「悲惨な人間」)が住
いる(命令的な存在者は、自分をまさしく
まっている。そこで唾棄物として存在する
意志と呼ばれているものと混同していて、
人間は、貧困によって特徴づけられ、垢、
貧困を苦痛と混同している)。唾棄物である
洟、ダニのような唾棄すべき事物を十分な
人間存在は、それが不在であることを起源
強制力をもって排除することができないが
として持つ限りにおいて、語の形式的な意
ゆえにそのような悲惨な状態に隷属させれ
味でまさに否定的なものである。それは単
られている。だが、そのこと自体は彼らの
に、唾棄すべき事物を排除せよという命令
人格的な性質とはまったく関係がないので
的な行為(それが集団的な存在者の基礎を
ある。ここで、
「悲惨な人びと」のバタイユ
構成している)を、十分な強制力をもって
の用語法を踏まえた上で要約的に言い換え
引き受けることができないということなの
てみれば、所与の社会において人間は、至
だ。垢、洟、ダニは、年端の行かない子ど
高性の光輝の下で唾棄すべき事物の物質的
もを下劣にするのに十分である。その子の
人格的な性質にはそのことについての責任
がなく、その子を育てる人びとの怠慢や無
力さにだけ責任があるときにはそうなのだ。
一般的な唾棄物というのはその子どものも
のと同様に性質なのであり、それは所与の
社会的な条件を理由に無力さによって被ら
24
されている 。
ここでさらに、この引用文を参考に、「命
な汚れにまみれることによって、唾棄物と
いう社会的に排除されるべき穢れた存在に
なる、ということになるだろう。
それでは以下においては、ある任意の社
会において排除するという行為が、そこで
生活する人びとにとってなぜ命令的に、つ
まり定言命法として排除せよという強迫的
な形式をともなうことになるのかについ
て、彼の記述を見てみることにしよう。
令的な存在者」と「社会的な唾棄物」の二
語を先ほどの図式化に当て嵌めてみると次
のようになるだろう(モデル⑥')。
23. Ibid., 218–19.
24. Ibid., 219. この引用文は本稿の後半で『少女ムシ
ェット』を唾棄物の概念で分析する前提となってい
る。
52
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52
バタイユにおける唾棄物の性愛化
バタイユは「唾棄物と悲惨な人びとの諸
形態」の次の項目で、唾棄すべき事物の排
除がどのようにして命令的な行為になるの
かについて、精神分析の用語法を援用しな
がら説明している。彼によれば「排除せよ
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という命令的な行為は肛門性愛と同一視で
では、持続の過程そのものが深く肯定的な
き、至高性はサディズムと同一視できるの
興味の対象になるという意味においてそう
25
だ」という 。
なのだ。だが、このような肯定的な興味が(自
こうした文脈で、至高性に基礎づけられ
た命令的な行為である社会的な排除と、肛
門の振る舞いである生理的な排泄との相同
性について、バタイユは次のように言って
いる。
幼年期、つまり態度形成のときに、排除と
`
`
過程そのものへ向けられると、命令的な行
`
`
`
為の基本的な構造は、排泄物 の否定的な価
値を暗に含みながら、無傷のままそこに留
26
まり続ける 。
やや長い引用になってしまったが、ここ
いう行為が直接的に引き受けられるわけで
でバタイユは、幼児のトイレット・トレー
はない。それは、表現力に富むしかめ面や
ニングの場面を具体例として提示している。
嘆声を利用して、母から子どもに伝えられ
そこで彼は二つのことを指摘する。一つに
る(ここでの伝達の可能性は感染の原理の
は、排泄物への直接的な興味を妨害するよ
管轄である)。こうした行為によって、子ど
4
4
4
もは自分の排泄物 に対する無媒介的な興味
を妨害される。そしてその子は、後になっ
て、残存している興味に彩りを与える程度
に応じて、構成上肛門性愛に入るのだ。ただ、
ありふれた形態の下では、性愛の活動は消
化の機能に限定されており、その子は統合
されていながらも反撥を維持することにな
4
4
4
る。排泄物 が腸内に長いこと引き止められ
ているからと言って、それらはどんな肯定
うな母親の躾によって幼児の肛門の振る舞
いが性愛化するということであり、もう一
つには、そこで肛門の振る舞いが性愛化し
た結果、排泄せよという命令を伝達する母
親の表現は、排泄物を腸内に維持すること
に緊張という否定的な価値をもたらすだけ
でなく、排泄の欲求に耐えながらそれを維
持するという過程そのものに快楽という肯
定的な価値をももたらすということである。
的な魅力を持つ対象にもならない。という
その上でバタイユが、命令的な行為とし
より、排除せよという命令による緊張のな
て、社会的な排除と生理的な排泄の両者は
かでその振る舞いを維持しているのだ。こ
同じ意味を持っていると言うとき、そこで
うした態度が持つ肯定的な価値というのは、
結果として、(行為とは対立しながら)排除
するという欲求の圧力の下でそれを維持す
ることから快楽を引き出すことでしかない。
このようにして肛門性愛の古典的な形態に
ついての記述が終了したところで、この肛
門性愛は、持続しているということ以外に
排除せよという命令的な行為と異なるとこ
ろはないということがわかる。こうして持
続することで、根源的なものとなった記号
は正確に、社会的な唾棄物と生理的な排泄
物を同定していることになるだろう。それ
はつまり、命令的な存在者である高貴な人
間が社会的な唾棄物である悲惨な人間を、
至高性に基礎づけられた「同質性の領土」
から「異質な地帯」へと排除しようとする
ときの振る舞い方には、幼児が排泄物を、
母親に躾けられた通りに自分の身体の内部
から外部へと排除しようとするときとまっ
が変化したり変容したりする可能性が生じ
たく同様の緊張と快楽が含意されているの
るのである。それは、持続可能な形態の下
ではないか、と示唆しているということな
25. Ibid., 220.
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`
分の対象である排泄物へ直接的にではなく)
53
26. Ibid., 220–1.
53
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10:08:21
のである。
この文脈でさらにもう一度、バタイユの
ていくことが可能になるからだ。サディズ
指摘をクリステヴァのところで最初に提示
ムが単なる性的な関係から我が道を見つけ
した図式化に重ね合わせてみるとどうなる
だろうか(モデル⑦)。
⑦ 幼児/身体
← 母親の躾/排泄物
これをここでは、
「身体という場において、
幼児という主体が、母親の躾という対象と
向き合い、排泄物(にともなう緊張と快楽)
を産み出す」と読むことにする。こうした
緊張と快楽によって肛門の振る舞いが性愛
出したときにはすでに、相手の不純な部分
(あるいはとりあえず何となく不純だと予
感している部分)が多かれ少なかれ意識的
な強迫の対象になっている。そのような不
純さを排除しようとする一般的な傾向が、
人物に対して残虐さを行使する傾向に姿を
変えてそのとき顕現するのである。この場
合、こうした過程を理解するのは肛門性愛
の過程においてそうするよりもずっとた易
い。性愛的な享楽がそこには含まれていて、
それは唾棄すべき事物に対する乗り越えが
化すること自体を、バタイユは「症状」と
たい反感に連動して生産されているので、
は言っていない。だがこの後に見るように、
こうした反感に内属している道徳的な方向
肛門性愛と連動したサディズムが排除せよ
づけだけがそこからただ姿を消すことにな
という命令的な行為を強迫的なものにして
る 。
いるということを考慮に入れれば、ここで
の排泄物を唾棄物と置き換えることで、先
述してきた図式化とも接続するように見え
る。つまり彼の言う排泄物を、クリステヴ
ァの言う唾棄物のような「症状」として見
た場合、このような肛門の振る舞い方に連
動した排泄物の性愛化が、強迫という症状
形成の経路になるのである。
さらにバタイユは、サディズムこそが、
排泄物の排除にともなう緊張と快楽を社会
的な唾棄物として存在する人間の排除に転
移する可能性を根拠づけているとして、次
のように言っている。
27
これは先行する引用文の直後に位置する
ものだが、ここでバタイユは、唾棄すべき
事物の排除という行為が命令的であるから
にはそこにある種の強制力が働いており、
このように事物に対して方向づけられた強
制力を、人物に対して方向づけているもの
こそがサディズムであると指摘している。
だが先ほど確認したように、こうした強
制力を基礎づけているものこそが至高性で
あるとしても、それだけでは標的となった
人物を排除するように仕向けることにしか
ならない。肛門性愛のときと同様に、至高
性が性愛化してサディズムになることで、
サディズムというのは、排除せよという命
排除せよという命令的な行為に基づく最終
令的な行為によって表象された強制力を、
的な殺害を果てしなく延期していく過程の
人物に対して方向づけるものでしかない。
なかに、その対象となる人物を位置づける
だがこの方向づけは、基本的に事物に対し
ことができるのだとバタイユは言う。
て方向づけるものよりも、むしろ明らかに
しかもここで、命令的な存在者に生じて
性愛的な利用に適応している。このような
いる反感は社会的な唾棄物である人物に対
人物に対する奉仕活動によって、彼らを殺
すように急き立てる傾向を持つ圧力の下で、
54
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実際には果てしなく延期してそれを維持し
54
27. Ibid., 221.
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して方向づけられたもので、唾棄すべき事
以下の引用文は前節で取り上げなかった
物を排除しようとする緊張と快楽を持続さ
箇所だが、彼は手稿の最初の項目である「悲
せる肛門性愛に根差している。そのためそ
惨な人びと」のこの部分で初めて「ホラー」
こからは、トイレット・トレーニングを実
という語を導入しながら、唾棄すべき事物
行する母親の躾がそもそも担っていたはず
への嫌気がどのようにして社会的な唾棄物
の、清潔で高貴な人間にするという道徳的
への反感を引き起こすことになるのかにつ
な方向づけだけが脱落しているのである。
いて説明している。
ここでは、「排除せよという命令的な行為は
肛門性愛と同一視でき、至高性はサディズ
ムと同一視できるのだ」という彼の言明を、
このように捉えておくことにしよう。
深く失墜しているという事態が、存在者の
4
4
4
異なった側面を対立させているが、悲惨な
という語の両義性を見るとそのことがより
4
4
4
一層露になるのである。悲惨なという語は、
4
4
4
4
4
4
4
4
4
誰かが哀れみを誘う と言おうとしてしまう
ホラーの生成
ところで、『ホラーの諸力』を参照すると
ころから始めた唾棄物の概念の範囲にまつ
わる記述を締め括るに当たって、最後にこ
の概念との関係で「ホラー」という語をど
のように使用していくかについて一言して
おくことにしよう。より具体的には、バタ
イユの手稿におけるホラーの含意を確認し
た上で、それをクリステヴァの言うホラー
偽善的に哀れみという意味を乞うのを止め
て、皮肉なことに反感という意味を求めて
いる。この場合この語が表現しているのは、
怒りが嫌気によって破断させされ、口を噤
んだホラーに押し込められているというこ
となのだ。そのことが示唆しているのは、
悲嘆、つまり過大な哀しみの感情に支配さ
れた態度である。そこでは、広義なものと
なったあらゆる人間的な価値が結び合わさ
と比較することによって、これらホラーと
れている。このようにしてその語は、矛盾
の関係で唾棄物の概念が持つ射程をできる
し合って多層化している諸衝動の合流点に
限り明確にしておくという作業になるだろ
位置づけられてその姿を現すのだが、そこ
う。このようにして、唾棄物の聖性を探究
では出口を持たない存在者が、人間的な失
する学問的な枠組みとして「ホラーなるも
墜を被りながら、そのような諸衝動を求め
28
の」を設定しておくことは、今後の研究に
ているのである 。
おける考察の対象から曖昧さを払拭するこ
この引用文の直前でバタイユは、ここで
とにもつながるのではないだろうか。
先ほどの引用文の最後でバタイユは、サ
ディズムが性愛化した結果としての至高性
は、肛門の振る舞いが性愛化した結果とし
ての排除という行為と連動しているため、
そこではサディズムの対象となる社会的な
唾棄物(悲惨な人びと)への反感は、肛門
性愛の対象となる唾棄すべき事物(排泄物)
への反感に基礎づけられていると指摘して
いる。
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と、唾棄すべきと同義語になる。その語は、
55
登場している社会的に失墜した存在者は、
至高性から発散させられることになる嫌気
によって彼らの外部から表象されると明言
している。彼によれば、そのような存在者
について「悲惨な」という語を使って「哀
れみを誘う」と言おうとしたとき、発言者
はそこで「哀れみ」とともに「反感」をも
表明している。さらにそこで、「哀れみ」と
28. Ibid., 218.
55
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いう語が明示している「悲惨な」という意
29
ていくのに貢献することになるだろう 。こ
味の背後に「唾棄すべき」という意味を滑
れこそが、
「唾棄物と悲惨な人びとの諸形態」
り込ませているのだという。このようにし
においてバタイユが「ホラー」という語を
て、彼らに反感を覚えることによって生じ
導入した文脈なのだ。
た怒りが嫌気によって中断させられること
で、その怒りは「口を噤んだホラー」に還
元させられてしまい、結果的にこのときの
発言者の態度は、全体として「悲嘆」とも
言うべき「過大な哀しみの感情」を身にま
そしてこれが前半における最後の引用文
になるのだが、『ホラーの諸力』でクリステ
ヴァが、唾棄物の性愛化との関連で「ホラー」
という語を説明している箇所を見てみるこ
とにしよう。
とうことになる、と彼は説明する。
この場合〔記号を構成する圧縮が機能不全
これまでの用語法を踏まえて言い換える
になるとき〕は、身体の内側で、内/外の
ならば、この発言者というのはもちろん命
境界線が崩壊したところの補填をすること
になる。肌という脆い入れ物が、まるで「清
令的な存在者のことであり、深く失墜して
潔なもの」の統合性をもはや保証してくれ
いるがゆえに出口を持たない存在者という
のは社会的な唾棄物のことである。社会的
な唾棄物との出会いの場面において、サデ
ィズムと一致した至高性こそが、「接触の禁
忌」に従う命令的な存在者に、
「唾棄すべき」
という意味を含んだ嫌気を誘発するのであ
る。このような「唾棄すべき」という含意
そのものが、この存在者を「口を噤んだホ
ラー」に陥れている証左になっているのだ
が、それはサディズムの論理によって唾棄
すべき事物と同一視されることになった社
会的な唾棄物が、排除せよという命令的な
行為の対象として、「同質性の領土」におい
て顕現していることに起因している。目の
前の唾棄物を抹殺しようとすることにこの
存在者は性愛的な享楽を覚えているのであ
り、この享楽の前提には唾棄物の排除とい
う行為にともなう肛門性愛の緊張と快楽が
ある。サディズムの性愛的な享楽と肛門性
愛の緊張と快楽が、至高性に基礎づけられ
た排除という行為において身体に深く根づ
いているため、意識された「哀れみ」だけ
でなくそこに含意されている無意識的な「反
感」もともに、この体制を恒久的に維持し
56
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56
29. ここで出てきている「快楽〔plaisir〕」と「享楽
〔jouissance〕」という語の意味についてバタイユの手
稿からだけでは判然としない。これらの用語法はバ
タイユ研究の文脈であらためて問い直すべき事柄に
違いないが、本稿では参考までに、やはりラカンの
用語法を色濃く反映しながらテクストにおける「快
楽」と「享楽」を論じているバルトの以下の文章を
拙訳で引用しておく。「私に快楽を与えてくれるテ
クストを「分析」しようと試みるたびに、私が取り
戻すのは「主体性」ではなく、「個体」なのである。
この所与のものが、私の身体を他者の身体から分離
させ、その苦痛や快楽を私の身体に適合させる。私
が取り戻すのは享楽の身体なのだ。しかもこの享楽
4
4
4
4
4
4
4
4
の身体もまた、歴史的な私の主体なのである。とい
うのも、そのきわめて繊細な配合物は、伝記的・歴
史的な要素、社会学的な要素、神経的な要素(教育、
社会階級、小児期の神経回路形成など)を含むもの
だからだ。それに応じて、私は、快楽(文化的なもの)
と享楽(非文化的なもの)との矛盾した遊戯を規制
したり、現在のところ上手に位置づけられていない
主体として書かれたりする。それはあまりにも遅く
4
4
4
4
かあまりにも早くやって来るためだ(このあまりに
4
も は、後悔や失敗や不運を指示しているのではな
4
4
4
4
4
4
4
4
く、ただどこでもない場所へと招待しているだけな
のだ)。時代錯誤の主体は、漂流している。」Barthes,
Roland, Le plaisir du text, Paris, Seuil, 1973, pp. 83–84.(バ
ルト『テクストの快楽』沢崎浩平訳 , みすず書房 ,
1977.)
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ないかのようである。まるで皮を剥がされ
けではないことも、聖性を帯びて回帰する
ているか透明であるしかない、あるいは目
唾棄物の担い手が、クリステヴァでは作家
に見えないか張りつめているしかないかの
であり、ラカンでは分析家であると先に言
ようである。肌は、中身を排泄することの
及したときと同様である。彼女は、この引
前に屈してしまった。尿、血液、精液、糞
用文の直後で、貪食する母である〈他者〉
はそのとき、自分にとって「清潔なもの」
が不足している主体を安心させることにな
る。こうして内側から流出することで、唾
棄物は突如として、性的な欲望の唯一の「対
象」になるのだ。それは、正真正銘の「前
に-投げられたものとしての唾棄すべきも
の〔ab-ject〕」である。そこで男は、怖がら
せられながら、母なる内蔵のホラーを渡っ
ていく。しかも、このように沈み込んでい
ると他者との対面が避けられるので、男は
去勢する危険を冒すのを後回しにしておけ
るのだ。〔……〕唾棄物はそのとき、男にとっ
て他者の代わりとなり、そこで男には享楽
がもたらされる。その享楽は、境界例の患
者にとってしばしば唯一のものなのであり、
このようにして唾棄すべきものを〈他者〉
の場に作り変えるのだ。この境界線の住人
は形而上学者で、不可能なものの経験をス
30
カトロジーに到るまで推し進める 。
クリステヴァから始まり、ラカン経由で
バタイユに到る唾棄物の概念の展開につい
て、遡及的に参照項の検証をしてきた私た
ちにとって、この引用文の内容はもはや見
かけほど奇異なものではないだろう。ここ
での「身体」を「社会」に、「男」を「命令
的な存在者」に、「〈他者〉」を「至高性」に
それぞれ置き換えた上で重ね合わせてみる
と、クリステヴァの言う精神分析の「唾棄物」
とバタイユの言う「社会的な唾棄物」が構
造上一致することは明白になる。
ただ、構造が一致しているからと言って、
そのことについての含意が一致しているわ
と一体化しようとする「女」について、こ
こで出てきている「男」との対比で説明し
ているが、本稿での文脈から逸れるためそ
のことについて詳述は控えておく。ただ、
精神分析における「男」と「女」、また「父」
と「母」などの用語が、構造における主体
の位置取りを指示するためのものであり、
それ以外の例えば生物学的であったり文化
的であったりする含意を、このような文脈
においては基本的にほとんど持たないとい
うことは注記しておく必要があるかもしれ
31
ない 。
このクリステヴァの引用文を、最初の図
式化に再度当て嵌めてみるとどうなるだろ
うか(モデル⑧)。
⑧ 男/身体
←〈他者〉/唾棄物
これをここでは、
「身体という場において、
男という主体が、〈他者〉という対象と向き
合い、唾棄物という症状を産み出す」と読
むことにする。ここで「境界例の患者」と
して取り上げられている「男」の主体は、
身体から外部へ「尿、血液、精液、糞」を
唾棄物として排出することによって、その
内部を「清潔なもの」として維持できると
安心するのである。もちろん、これらは事
物としては「唾棄すべきもの」なのだが、
このような排出の振る舞いそのものが性愛
化して享楽をもたらすものになった結果、
彼の排泄物への嗜好はスカトロジーにまで
31. このことに関して、ラカンにおける用語法につ
30. Kristeva, loc. cit., p.65.
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57
いてはフィンクの前掲著を参照のこと。
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亢進する可能性がある。クリステヴァの言
っている「唾棄すべきものを〈他者〉の場
バタイユの言う「口を噤んだホラー」に
に作り変える」という文言をこのように解
せよクリステヴァの言う「母なる内蔵のホ
釈するとすれば、「母なる内蔵のホラー」と
ラー」にせよ、社会における至高性や身体
いうのがまさしく唾棄物を性愛化すること
における〈他者〉との遭遇がもたらすこと
で、彼に去勢という脅迫を押しつける他者
になる主体の危機的な状況において、「ホラ
との遭遇を回避しようとする、主体の存在
ーなるもの」は姿を現す。排除と言おうが
様態を指示していることがわかる。
排出と言おうが、主体の位置する場(社会・
この「去勢」はもちろん精神分析の用語
なのだが、本稿ではとりあえずこの語の意
味を、上記したモデル ③ で述べた内容を踏
「貪食する母」のイメージで描
まえた上で、
き出される〈他者〉に、私が食われること
だとしておく。この「母なる内蔵のホラー」
というのは、文字通り食われたことによっ
て主体として生成した「私」が位置づけら
れる領域である。そこで唾棄すべきものと
戯れること自体が、
「私」という境界線が
崩壊している主体であるこの「男」にとっ
て、崩壊した境界線を崩壊したまま維持し
続けることがもたらすスカトロジーの享楽
になるのだろう。別の言い方をすれば、彼
は去勢という危険を冒すことから免れるた
めに、食われ損ねてはみ出した外部である
唾棄物としての私を性愛化しているのだが、
4
その結果、境界例の私においては「私」と
私 との境界線がきちんと機能していないた
4
め、皮肉にも「清潔でないもの」との享楽
の遊戯だけが、かろうじてこのような主体
を精神病から遠ざけているということにな
る。もちろんこうした記述は『ホラーの諸力』
におけるほんの一例であり、そこでクリス
テヴァがさまざまに描き出しているホラー
の諸相をこの引用文だけですべて言い切る
32
ことなどできない 。だが、先に言及したバ
タイユの言うホラーとの含意の接合部だけ
32. 前掲した拙稿では『ホラーの諸力』における「ホ
ラー」と「聖なるもの」の関係について言及している。
58
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ならば見てみることができるだろう。
58
身体)の内部に存在する唾棄すべき「不潔
なもの」を外部へと押しやる象徴体系のプ
ロセスが機能不全に陥ったときに、主体に
とっては意識化できない廃物と化していた
唾棄物があたかもどこでもない場所から回
帰するかのようにやって来る。ここで試み
に、本稿において「ホラー」という語が指
示する内容を定式化するとすれば、主体で
ある「私」にとっては絶対にあるはずのな
い状況、あってはならない状況、ありえな
い状況において、自分自身がもはやすでに
唾棄物であったことに気づかされそうにな
る瞬間の体験のなかで、その先触れをホラ
ーとして感知するのだとしておくことにし
よう。
バタイユが社会学の含意をもって「顛覆」
という語で指示し、クリステヴァが精神分
析の含意をもって「昇華」という語で指示
しようとしたのは、こうした意味における
ホラーの体験のなかでこそ、唾棄物がそれ
自体をそのようなものとして位置づけてい
る象徴体系に、聖性を帯びて回帰して根本
的な揺さぶりを掛ける、という事態だった
のではないかと思われる。なぜそこで唾棄
物が聖性を帯びているのかと言えば、この
ような形で回帰することによって、おそら
くそのとき唾棄物は、至高性や〈他者〉と
同じ位置で別の象徴体系を構成しているこ
とになるからである。
これは先に引用したクリステヴァの言葉
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だが、「唾棄物の平面というのは主体/対象
4
`
4
4
4
`
関係 の平面であり(主体/他の主体ではな
そのためここでは、ブレッソン自身の発
く)」というこの文言を逆説的に捉えるなら
言と、とりわけ 2000 年代以降に活発になっ
ば、主体/対象関係の平面上でいつまでも
てきたブレッソン研究の動向を考慮に入れ
どこまでも廃物であり続ける唾棄物こそが、
ながら、彼の作品における「宗教性」や「聖
ある任意の主体をそれ自身として成立させ
性」を調査するためにはどのような視座が
ている当のものであるため、その唾棄物を
ある得るかを考えてみたい。以下において
他の主体として許容することは原理的に不
はまず、参考までにブレッソンのフィルモ
可能なのである。だからこそ、(きわめてお
グラフィーを掲載しておこう。
ぞましい表現になるが)唾棄物の「主体性」
に直面させられそうな瞬間において、その
主体はそのような事態を命がけで回避し全
力で拒否しようとするのだろう。以上、「ホ
ラーなるもの」が現象する構造をここでは
1934『公共問題』*フィルム散失
1943『
罪の天使たち』(モーリス・ルロン
グ原作、ジャン・ジロドゥ脚本)
1945『 ブ ー ロ ー ニ ュ の 森 の 貴 婦 人 た ち 』
(ディドロ原作、コクトー脚本)
とりあえずこのようにして捉えておくこと
1951『田舎司祭の日記』(ベルナノス原作)
にする。
1956 『 抵抗(レジスタンス)―死刑囚の
本稿におけるホラーを、暫定的にこのよ
手記より』(アンドレ・ドヴィニ原作)
うな形で設定した上で、次節からは映画作
1959『スリ』(ドストエフスキー原作)
品の分析にどのようにして応用できるかに
1962『
ジャンヌ ・ ダルク裁判』
ついて、概括的にだが記述してみることに
1966『バルタザールどこへ行く』
しよう。
宗教作家ブレッソン
ここからは、フランスの映画作家ロベー
ル・ブレッソンについて取り上げ、「宗教作
1967『
少女ムシェット』(ベルナノス原作)
1969『やさしい女』
(ドストエフスキー原
作)
1972『白夜』(ドストエフスキー原作)
1974『湖のランスロ』(クレティアン・ド・
トロワ原作)
家」あるいは「カトリック作家」などと言
1977『
たぶん悪魔が』
われる彼の作品がなぜ「宗教性」や「聖性」
1983『ラルジャン』(トルストイ原作)
をその特徴として持つと言われるのかにつ
いて検証していく。とりわけ、先行研究に
おいては、ブレッソン自身がカトリックで
あることを念頭に置いてキリスト教思想と
の関連性が指摘されることが多かったと言
ブレッソン作品における「宗教性」や「聖
性」を問題として提起した古典的な先行研
究では、以下の三つが特に言及されること
の多いものである 33。
える。しかし彼はあからさまにキリスト教
33. Bazin, André, “Le Journal d’un curé de cam­pagne
的な主題だけを取り上げているわけではな
et la stylistique de Robert Bresson ”, in Qu’est-ce que le
いし、後述する内容になるが、映画におけ
る宗教的な尊厳や気高さは、宗教的な主題
を取り上げたからといってもたらされるも
のではないという発言さえもしているので
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ある。
59
cinéma?, Paris, Cerf, 2011 (1985).(バザン「『田舎司祭の
日記』とロベール・ブレッソンの文体論」『映画と
は何か』野崎歓・大原宜久・谷本道昭訳 , 岩波文庫
, 2015.), ソンタグ「ブレッソンにおける精神のスタ
イル」『反解釈』河村錠一郎 , ちくま学芸文庫 , 1996,
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① アンドレ・バザン「『田舎司祭の日記』
とロベール・ブレッソンの文体論」(1951)
② スーザン・ソンタグ「ブレッソンにお
ける精神のスタイル」(1964)
③ ポール・シュレイダー『聖なる映画』
(1972)
バザンはフランス映画批評の大家であり、
ベルナノスの小説が原作となる『田舎司祭
の日記』の公開当時に、彼はこの作品を「救
済と恩寵の現象学」として提示した上で、
そこではキルケゴールの『反復』を参照項
として挙げている。ソンタグはアメリカの
批評家・思想家であり、彼女は 1964 年まで
のブレッソン作品を分析するために「精神
のスタイル」という鍵概念を導入していて、
そこでシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』
について言及している。シュレイダーはア
メリカの映画作家であり、バザンとソンタ
グの記述を参考にしながら、彼はブレッソ
ン作品における「超越的スタイル」につい
て、ビザンティン絵画との関連性を指摘し
ながら論じている 34。このように、これら古
典的な先行研究においては、キリスト教ら
しさによって特徴づけられることの多い思
想家や、「イコン」のようなキリスト教美術
との関連が深い図像とブレッソン作品との
近似性が指摘されていて、そこにはとりあ
えず、なぜキリスト教思想やキリスト教美
シュレイダー『聖なる映画』山本善久男訳 , フィル
ムアート社 , 1981.
34. ソンタグもシュレイダーもバザンが使用した
「文体論〔stylistique〕」という用語の内容を引き受け
必要があるのかについて、熱心に説明しよ
うという意図はほとんど見当たらない。つ
`
`
まり、彼の作品は当然「キリスト教的」な
のだと言っているようにも見えるのである。
またソンタグはそこで、ブレッソン作品
の舞台設定について「監禁」の主題がある
ことを指摘している。本稿の関心であるブ
レッソンの宗教性について検証する前の段
階の資料整理として、彼女の記述を参考に、
上記のフィルモグラフィーから物語の舞台
となる施設で作品を分類してみると以下の
ようになるだろう。
* 宗教者および宗教施設が明示的に主題に
なっている作品
『罪の天使たち』、
『田舎司祭の日記』、
『ジ
ャンヌ・ダルク裁判』、『バルタザールど
こへ行く』
• 犯罪者および収容施設が明示的に主題に
なっている作品
『公共問題』、
『抵抗』、
『スリ』、
『ジャンヌ・
ダルク裁判』、『ラルジャン』
またバザンは、『田舎司祭の日記』の物語
のラスト・シーンにおいて顕現するとされ
る恩寵による救済について指摘しているが、
このことを敷衍してブレッソン作品のラス
ト・シーンから、そのような宗教的な含意
を読み取ろうと思えばできそうなものを、
かなり粗雑にだが分類してみると以下のよ
うになるだろう。
• 主要な登場人物の死で終わる作品
『罪の天使たち』、『ブーローニュの森の
貴婦人たち』、『田舎司祭の日記』、『ジャ
て「精神のスタイル」あるいは「超越的スタイル」
ンヌ・ダルク裁判』、『バルタザールどこ
と言っているため、本稿の文脈においてもやはりブ
へ行く』、『少女ムシェット』、『やさしい
レッソン作品の「宗教性」あるいは「聖性」などで
女』、『湖のランスロ』、『たぶん悪魔が』
はなく、むしろブレッソン作品においてそれらを表
象することになる「スタイル」の「宗教性」や「聖性」
こそを問題にしなければならないのだが、そのこと
についての検証は別の機会に譲ることにしよう。
60
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術を暗黙の前提において彼の映画を捉える
60
• 主要な登場人物の逮捕で終わる作品
『罪の天使たち』、『スリ』、『ラルジャン』
• 主要な登場人物たちの愛の目覚めで終わ
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る作品
『ブーローニュの森の貴婦人たち』、『ス
リ』
以上のような分類はきわめて乱暴なもの
であり、本来ならば個々の作品分析を待た
ずに書くべきことではないだろう。ここで
はただ、ブレッソンがあまりにも安易に「宗
教作家」と呼ばれてしまうことがある背景
には、彼の作品に「宗教」という語を引き
つけてしまう磁場のようなものが形式的に
存在するかもしれないということ、古典的
な先行研究がもし誤読されているのでなけ
れば、後行の研究者にそのような足場固め
をした可能性があるということについて、
手短に触れておくだけにする。これについ
てはブレッソン研究の文脈のみならず、バ
ザン研究、ソンタグ研究の文脈において別々
にかつ詳細に検証されるべき内容であり、
そこでもやはり用語法の問題が重要になっ
てくると思われるのだが、それについては
また機会を改めて論じる必要があるだろう。
また、ブレッソン作品における「宗教性」
や「聖性」を明示的にかあえて否定的に考
察の対象としている近年の研究成果につい
て、ここではとりあえず三つ例示してお
35
く 。
④ ジャン=ルイ・プロヴォワイユール『ロ
35. Provoyeur, Jean-Louis, Le cinéma de Robert Bres­son,
Paris, Harmattan, 2003.、三浦哲哉『映画とは何か』
筑摩書房 , 2014.、Price, Brian, Neither God nor Master,
ベール・ブレッソンの映画』(2003)
⑤ 三浦哲哉『映画とは何か』(2014)
⑥ ブライアン・プライス『神でもなく主人
でもなく』(2011)
プロヴォワイユールは、「現実の効果から
崇高の効果へ」という副題を持つその著書
において、カントの『判断力批判』におけ
る「崇高さ」の概念やオットーの『聖なる
もの』、バタイユの『文学と悪』などを参照
しながら、ブレッソン作品においては「絶
対他者」と呼べるような意味で「聖性の表
象」が実現していると指摘する。彼によれば、
先行研究は「カトリック的なテーマ」を強
調するために前期の作品ばかりを取り上げ
る傾向があるが、ブレッソンの強調点は、
1966 年の『バルタザールどこへ行く』以降「キ
リスト教的な恩寵」から「悪の力強さ」と「死
36
の欲動」に移行しているのだという 。彼の
著書は、このような「死の欲動」に駆られ
たブレッソン作品の「自殺者」や「殺人者」
が、どのようにして「崇高なもの」になる
のかが主要なテーマになっている。
また、三浦哲哉は、
「ブレッソンの映画神
学」という題を持つ章のなかで、パスカル
の『パンセ』の断章とブレッソンの著書『シ
ネマトグラフ覚書』の断章を並記して検証
することで、パスカル的な意味における「イ
メージの“受肉”」によって表現される「映
画の宗教性」について、特に『罪の天使たち』
を取り上げて言及している。
さらにプライスは、「ロベール・ブレッソ
Minnesota, University Of Minnesota Press, 2011. これも
ンと急進政治」という副題を持つその著書
またきわめて乱暴な分類になってしまうが、先述
において、「宗教性」や「聖性」を偏重し過
した三つの先行研究が広義の「映画批評」と呼べ
そうな視座で作品分析を行っていたように見える
一方で、ここで提示した 2000 年代以降の研究書は
それぞれ映画美学的であったり、表象文化論的で
あったり、哲学的であったりと、かなり細分化し
ぎてきたブレッソンについての先行研究を
批判している。彼は「人間と動物、主人と
奴隷」と題された章のなかで、『バルタザー
ルどこへ行く』と『少女ムシェット』を取
た広義の映画研究の文脈で異なった視座から作品
分析を行っているように見える。
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61
36. Provoyeur, loc. cit., 333–4.
61
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り上げ、ハイデガーやデリダにおける「動
このように『シネマトグラフ覚書』では、
物」の概念やバタイユの『宗教の理論』に
〈シネマ〉の俗悪さと彼の「シネマトグラフ」
おける「動物性」の概念を参照しながら詳
の芸術性が話題になることが多い。この引
細な分析を展開している。彼によれば、ま
用文では、撮影された演劇としての〈シネマ〉
るで「畜生」のように扱われるムシェットや、
は、演劇的慣習と写真技術によって引き裂
ロバであり当然「畜生」そのもののバルタ
かれているという指摘から、映画は演劇か
ザールは、非人間的で文明化されていない
らも写真からも独立した芸術であるはずな
という点で「犯罪者」の含意を持つ「野生」
のに、他の芸術に依存してその本来の独自
として顕現しており、そこから(この文脈
性を発揮していない〈シネマ〉ばかりが存
でなぜか明確に言及されていないヘーゲル
在しているという批判が展開されている。
=コジェーヴの)主奴関係を念頭に置いて
もちろんこのような発言の背景には、ブレ
考察の対象とすべき「絶望」の問題が提起
ッソンが自分の映画を〈シネマ〉ではなく
されることになると指摘している 37。
「シネマトグラフ」と呼ぶように、これこそ
ところで、ブレッソン自身は、彼の映画
が映画における真の芸術形式を体現したも
についてのアフォリズムをまとめた『シネ
のだという自負が垣間見える。ここで出て
マトグラフ覚書』のなかで、
「美の宗教」と「崇
きている「美の宗教」における「崇高な主題」
38
高化」について次のように書いている 。
かつては美の宗教があり、主題を崇高なも
のにした。今日においても同じ高貴な憧れ
があり、物質と写実主義から抜け出して、
自然の俗悪な模倣から出て行こうとする。
しかし崇高化は技術の方を向いている…。
〈シネマ〉は二つの椅子の間にある。〈シネ
マ〉は、(写真の)技術も、(それがあるが
ままに模倣する)俳優たちも崇高なものに
することができない。それが絶対に写実的
なものにならないのは、劇場に由来する慣
習的なものであるからだ。それが絶対に劇
場に由来する慣習的なものにならないのは、
39
写実的なものであるからだ 。
という思想は、以下の引用文との関係で見
てみるとより具体的なものになるだろう。
ブレッソンは『シネマトグラフ覚書』の
なかで「宗教」と「映画」についても言及
している。これがその唯一の箇所なのだが、
彼はそこで次のように書いている。
同一の主題であっても、映像と音声によっ
て変化する。宗教的な主題は、映像と音声
からその尊厳と気高さを受け取る。(人が信
じているように)その逆に、映像と音声が、
宗教的な主題からそれを受け取るわけでは
40
ない 。
この本には、ブレッソンがそれぞれのア
フォリズムをいつどのようなときに書きつ
37. Price, loc. cit., 93. この「畜生」という語は後掲著
であるベルナノス『新ムーシェット物語』の松崎訳
を参考にした。
38. フランス語の sublimation は精神分析の文脈で
は「昇華」と訳され、美学の文脈では「崇高化」と
訳される。
39. Bresson, Robert, Notes sur le cinématographe, Paris,
Gallimard, 1975, p.73.(ブレッソン『シネマトグラフ覚
書』松浦寿輝訳 , 筑摩書房 , 1987.)以下同様にこの著
62
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62
けたのか明記されていないため、この文言
もただ、1950 年から 1958 年の間に書かれた
ものであるらしいということ以外に日付の
情報はない。ただ、多くの著者が指摘する
ように、彼のこのような書き込みに逡巡の
作からの引用はすべて原文からの拙訳である。
40. Ibid, 97.
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10:08:24
ようなものはなにも見当たらないし、その
言い換えれば、先行研究ですでに手垢の
ため彼の思想についても生涯に渡って終始
ついてしまったブレッソン映画における宗
一貫しているように見えるのである。
教性のようなものをあえて否定しなくとも、
ここでブレッソンは、「シネマトグラフ」
彼の言う意味での映画の宗教性を探究する
とは映像と音声によって宗教的な主題を提
ことは可能であるばかりでなく、見ように
示して尊厳と気高さを獲得する芸術である
よってはむしろそこにこそ「シネマトグラ
ため、たとえ主題が宗教的であるからと言
フ」の存在意義があるとブレッソン自身が
ってもそこから作品が尊厳と気高さを獲得
言明しているようにも取れるのである。そ
するわけではないと断言している。先ほど
こで、彼の作品における映画という芸術形
の引用文と同様に、ここでもまた彼の「シ
式の宗教性をどのようにして研究の俎上に
ネマトグラフ」とそうでない〈シネマ〉と
載せるのか、ということがさらなる問題に
の峻烈な差異化が全面的に押し出されてい
なるのだが、次節においてはそのことにつ
ると言えるだろう。
いて若干の考察を試みる。
映画における「宗教性」を問題にしよう
とした場合、例えば、映画作品における物
語の宗教性を取り扱おうと言うのか、映画
という芸術形式の宗教性を取り扱おうと言
うのかで、アプローチは全く異なったもの
41
になるだろう 。物語の主題が宗教的である
ことと、映画そのものが宗教的であること
とは次元が異なっているからである。もち
ろん両方が同時に実現する場合もあるだろ
うし、物語の主題だけが宗教的で映画自体
がまったく宗教的ではない作品も、物語の
主題がまったく宗教的ではないのに映画自
体が宗教的な作品も可能性としてはどちら
も存在する。ただ、上記した引用文を見る
限り、ブレッソンが「シネマトグラフ」と
呼ぶことで顕揚しようとしているのは明ら
かに後者の方であり、たとえ主題が「脱獄」
であろうが「スリ」であろうが「連続殺人」
であろうが、こうした映画は宗教性を開示
する尊厳と気高さを帯びると主張している
のである。
映画の『ムシェット』と少女のムシェット
それでは本稿の締め括りとして、これま
での議論を踏まえた上で、唾棄物の概念に
よってブレッソンの『少女ムシェット』を
作品分析の対象として取り上げた場合、ど
のような方向性があり得るかについて検討
してみることにする。ただし、これはこれ
からの探究に向けての橋渡しとなるような
記述に留まるものになっている。
先ほどのフィルモグラフィーにもあるよ
うに、この映画は 1967 年に公開されており、
フランスのカトリック作家とされるジョル
42
ジュ・ベルナノスの『新ムーシェット物語』
を原作としている。ブレッソンが彼の小説
を原作にするのは、1951 年の『田舎司祭の
43
日記』に続いて二度目となる 。
42. こ こ で は 以 下 の 版 を 参 照 し た。Bernanos,
Georges, “Nouvelle histoire de Mouchette ”, in Œuvres
romanesques complètes, t. 2, Gallimard, Paris, 2015.(ベ
ルナノス「新ムーシェット物語」『ジョルジュ・ベ
41. 映画という芸術形式の宗教性については、ブレ
ッソン『ラルジャン』の作品分析を含む以下の文献
43. ベルナノスの小説とブレッソンの映画の相関
が参考になる。中沢新一『狩猟と編み籠』講談社 ,
関係を特に主題化した先行研究には以下のものが
2008.
ある。Curran, Beth Kathryn, Touching God, New York,
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
S26 (2016).indb
ルナノス著作集 2』松崎芳隆訳 , 春秋社 , 1977.)
63
63
2016/04/29
10:08:24
ここではまず、『少女ムシェット』のあら
44
すじを見てみることにしよう 。
①少女ムシェットは、酒の密売でその日暮
らしの生計を立てている父親と、その手
伝いをする兄、重病で床に臥している母
親、まだ乳呑み児の弟と五人で暮らして
いる。母親が寝たきりのため、家事万端
と弟の世話はムシェットの役目だ。
学校に行ってもムシェットは、コロン
ブスが新大陸を発見する希望に満ちた歌
が上手に歌えずに音程を外すため、同級
生には嘲笑され、教師からは叱責を受け
る。そのため、ムシェットは下校時に、
男の子たちに色目を使う同級生に泥を投
げつける。
②ある日、父親と教会に来たムシェットは、
そこの広場に来ていた移動遊園地に紛れ
込む。バンパーカーを眺めていたらコイ
ンを恵んでもらえたので、夢中になって
ぶつけ合って遊ぶ。そこにわざと自分を
狙ってぶつけてくる青年がいて、バンパ
ーカーの後も射的に誘ってくれたのだ
が、父親に見つかってムシェットはこっ
ぴどく平手打ちを食う。
③またある日、下校時に森に向かったムシ
ェットはそこで嵐に遭い、大雨になって
身動きが取れず木の下でうずくまってい
ると、密猟をしていたアルセーヌに出会
う。彼は猟用の小屋までムシェットを連
れていき、火を焚いて服を乾かしてやろ
うとする。その間にアルセーヌは、ムシ
ェットが森で失くした木靴を探しに出て
いく。しばらくしてから、ムシェットは
小屋で銃声を聞く。戻ったアルセーヌは、
町の森番でしかも彼の恋敵でもあるマチ
ューに出会い、乱闘の末、彼を殺害して
Peter Lang Publishing, 2006.
44. これは『少女ムシェット』のパンフレットなど
そこで森を出て、町中にある空き家に
移動し、アルセーヌは彼のアリバイ工作
のために、森には行かずに町で自分に会
ったとみんなに言って欲しいとムシェッ
トに頼むが、そのうちに持病の癲癇発作
が起こって、アルセーヌは卒倒して泡を
吹いてしまう。
ムシェットはアルセーヌを介抱しよう
として、彼の頭を膝に抱えて、歌を歌っ
てやる。それから気がついたアルセーヌ
はムシェットを求めようとしたため、ム
シェットは初めそれを拒んで彼から逃れ
ようとする。だが結局は、抵抗せずに彼
を受け入れる。
④家に戻ったムシェットは、寝たきりの母
親に弟のおむつを替えるように頼まれ
る。弟の世話をしながら涙を流すムシェ
ットに母親は気づかない。そして、父親
と兄がその日の仕事から帰る前に、母親
はついにそのまま息を引き取ってしま
う。
翌日になって、弟のミルクを買いにム
シェットが町に出ると、彼女の母親の死
を知った食料品店の女主人が、親切にも
ムシェットにコーヒーとクロワッサンを
提供して慰めの言葉をかけてやる。しか
し、はだけた彼女のシャツからある痕跡
を垣間見ると、女主人はムシェットに罵
声を浴びせたため、彼女は悪態を吐いて
店を出ていく。次にマチューの家に行っ
たムシェットは、そこで生きている彼に
出会い、先ほどアルセーヌが密猟で逮捕
されたと告げられる。マチューの妻に、
昨晩のアルセーヌとのことを詰問され
て、彼女から罵声を浴びたためムシェッ
トはとっさに彼は自分の恋人だと宣言し
て出ていく。さらにその後、母親の通夜
に立ち会うという老婆から、ムシェット
を参考に筆者が作成した。『少女ムシェット』岩波
は死者を包むための上等な布と自分用の
ホール , 1974.
ワンピースをもらうが、そこで老婆から、
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しまったと告げる。
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最近は誰も死者を尊敬しなくなったと愚
作家として、『少女ムシェット』を唾棄物と
痴を聞かされため、悪態を吐いて出てい
して位置づけようとするのは、このような
く。
ブレッソンの発言を踏まえてのことなのだ
⑤ムシェットは池のほとりにある草原に座
り込みワンピースを広げてみるが、そこ
に突き出ていた藪の枝に引っかけて切り
裂いてしまう。そこでムシェットは、そ
の破れたワンピースに身を包んで、池に
面した土手を転がる。そこをトラクター
が通りがかったのでムシェットは声をか
けようとするが、結局できずにもう一度
同じように土手を転がる。そして三度目
に転がったとき、ムシェットはそのまま
池に身を投げる。
ここでまず確認しておかなければならな
いのは、監督のブレッソンが「カトリック
作家」だから、ムシェットの物語がそのま
ま恩寵による救済になるわけではない、と
いう事実である。前節の引用文でブレッソ
ン自身が注意を喚起するように、もしも『少
女ムシェット』という映画作品が気高さと
尊厳を帯びるのだとしても、それは映像と
音声によって宗教的な主題を提示できてい
るからなのであって、物語の主題が宗教的
だからではない。むしろ観客は、この作品
が気高さと尊厳に基礎づけられた宗教性を
帯びているからこそ、そこに恩寵による救
済の物語を読み込むよう強力に暗示されて
いると言えるかもしれない。
ところでブレッソンは、フランスの映画
史家ジョルジュ・サドゥールとのインタビ
ューのなかで、『少女ムシェット』において
は、誰もが自発的に目を背けている類の、
子どもが陥っている「残酷さ〔cruauté〕」や
「貧困〔misère〕」を映画で描き出したと言
っている 45。本稿で、ブレッソンを唾棄物の
45. Bresson, Robert, “Des regards qui tuent”, in Bres­son
par Bresson, Paris, Flammarion, 2013, p. 233.
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
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65
が、これに限らず彼の作品においてはいつ
でも、結果的にもたらされるとされる恩寵
による救済の物語の背景で、
「残酷さ」や「貧
困」を表象するような唾棄すべき事物が強
力に作用していると考えられるのだ。『少女
ムシェット』はまさしくそうしたものの典
型例なのだが、ブレッソン作品のなかで最
後に恩寵によって救済されるように見える
登場人物の多くは、貧困にあえぎ、残酷な
状況下にあって自殺したり殺人を犯したり
するのである。そうだとすれば、宗教的な
主題の前提として不可分に存在するように
見えるこうした要素を正確に取り出すこと
なしに、彼の作品の宗教性を明確にするこ
とは困難だろう。
詳細な作品分析のためには、また稿を改
めなければならないが、登場人物としての
少女ムシェットと映画作品としての『少女
ムシェット』を唾棄物として位置づけると
どうなるかを、最後に図式化してみよう。
まずは、先述したあらすじを基にモデル⑥’
を参考にして、少女のムシェットを社会的
な唾棄物として設定してみるとどうなるだ
ろうか(モデル⑨)。
⑨ 村人/村落共同体
← 教会の権威/ムシェット
これをここでは、「村人という主体が、村
落共同体という場において、教会の権威と
いう対象と向き合い、ムシェット(という
唾棄物)を産み出す」と読むことにする。
先に引用した手稿でバタイユが入念に描き
出していたのと同様に、ムシェットは貧困
に拘束され汚れにまみれて、唾棄すべき事
物を排除できない状況に陥れられている。
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そのような少女を明示的に排除しているの
と密猟者でアウトサイダーのアルセーヌも、
は例えば学校の先生とクラスメイトたち、
やはりムシェットと同じ位置取りをするこ
あるいはムシェットの母親の死後に登場す
とになるだろう。
る食料品店の女主人、マチューの妻、老婆
である。
家であるとしたときに、その作品となる映
物語の終盤で象徴的に登場してくるこれ
画の『ムシェット』を社会的な唾棄物とし
ら三人の女たちは、母親を亡くしたムシェ
て設定した場合はどうなるだろうか(モデ
ットに優しく接しようとするが、彼女は密
ル ⑩)
。
猟者のアルセーヌと一晩過ごしたことを非
難されたり、死者を尊敬しないと愚痴を聞
⑩ 観客/映画体験
かされたりするとすぐに悪態を吐いて出て
← 映画の宗教性/『少女ムシェット』
行くのである。このようにして「貞淑」や
これをここでは、「観客という主体が、映
「死者への尊敬」を義務づけている論理が、
その同じやり方でムシェットを排除せよと
命令しているのだとすれば、そこには物語
の内部において至高性として機能する項目
である「教会の権威」を当てはめることが
できるだろう。自分が所属しているはずの
村落共同体で村人たちから排除されている
ムシェットは、この教会の権威に基礎づけ
られた倫理的な振る舞いを押しつけられそ
うになると、いつでも悪態を吐いて出てい
46
くのである 。この構造において、ムシェッ
トの家族(酒の密売人の父と兄、病臥して
47
いる母 、泣いてばかりいる乳飲み子の弟)
46. ムシェットが下校時に男の子に色目を使う女の
4
4
4
4
4
4
4
子たちに「泥」を投げつけるのも、彼女たちの外部
画体験という場において、映画の宗教性と
いう対象と向き合い、
『少女ムシェット』(と
いう唾棄物)を産み出す」と読むことにす
る。クリステヴァが『ホラーの諸力』で提
起するのは、ある種の作品が読者にとって
唾棄物として現前するとき、読者の超自我
が揺るがされ、そこで唾棄物の作家が聖性
を帯びて回帰するという命題である 48。これ
がもし真であるとすれば、映画館の場合に
観客が直面するのは観客自身の超自我だと
いうことになる。ただ彼女が抜け目なく言
い添えているように、この「読者の超自我」
は作家が想定した読み手としての「読者の
超自我」であり、それは作家自身の超自我
を前提にしている。となると映画の場合も
である唾棄物の側から唾棄すべき事物を投げ込んで
同様に、「観客の超自我」は作家自身の超自
いるという点で、「悪態」を吐くのと同じ意味を持
我を前提にして考える必要があるだろうし、
つ動作であると考えられる。
47. ムシェットの母親役を演じた作家のマリ・カル
ディナルは『少女ムシェット』撮影当時の様子を『あ
の夏』というエッセイとして出版しているが、そ
こで彼女はブレッソンの演出における「非人間性」
を告発している。Cardinal, Marie, Cet été-là, Paris, Le
livre de poche, 1979.
また、彼女のそのエッセイを中心に、同時期にブ
レッソンとゴダールという二人の監督の映画に出演
したカルディナルにおける「唾棄すべきもの」を
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それでは次に、ブレッソンを唾棄物の作
結局ここで姿を現す超自我をそのようなも
のとして設定しているのはやはり作家自身
だということになるだろう。
本稿の前半で述べてきたように、この超
に参考になった。Phil, Powrie, “The Father with the
Movie Camera,” in Marie Cardinal, Oxford, Peter Lang
Publishing, 2006.
48. この点については前掲した拙稿で指摘したこと
分析した以下の論文も本稿の文脈においては非常
がある。
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自我は「〈他者〉」とも「至高性」とも構造
50
るだろう 。
上は置き換え可能な位置取りをするのだが、
ブレッソン作品において、もし映画の宗
『少女ムシェット』が、もし仮に唾棄物とし
教性が開示することになるのだとすれば、
て現前するとしたら、そこで試みに問われ
このようにして唾棄物として現象する「ホ
ているものこそが、作家によって予め設定
ラーなるもの」を通してこそ可能なのでは
されていた「映画の宗教性」と呼ぶべきも
ないか、という問題をさらに検証して行く
のになるだろう。しかもそれは、唾棄物と
ことこそが本稿における今後の課題である。
なる作品によって揺るがされるためだけに
わざわざ召喚されているような宗教性にな
るのだが、このように捉えると、登場人物
としての少女ムシェットと映画作品として
の『少女ムシェット』が、唾棄物の概念に
よって構造化された結果として同じ位置取
りをすることになる。
もちろん、ここではまだ試論に過ぎず、
映画の登場人物の物語と映画館の観客の体
験の象嵌法的一致という主題は、また別の
機会に慎重に深めていかなければならない
49
たいへん大きな課題である 。ただ、本稿の
文脈においては、この主題を探究していく
前提として、唾棄物の概念を軸にした構造
的な図式化があればこそ、そのことについ
て考察することが可能になるのではないか
と提案するだけにしておこう。これは実は、
宗教的な物語の体験が、たとえ同時的にで
はないとしても、物語の受け手の宗教的な
体験と入れ子になるように構造化されると
したら、こうした事態はどのようにして実
現し得ると言えるのかという問題と相同的
なものである。このようにして唾棄物の概
念を前提にした上で象嵌法的一致について
考えることは、映画や小説を含む文学体験
の研究と本質的に地続きであるように思わ
れる宗教体験の研究にも資するところがあ
49. フランス文学史における象嵌法の理論的考察に
結
以上、クリステヴァが『ホラーの諸力』
で提示した唾棄物の概念についての必要最
小限の定義から始まり、ブレッソンの『少
女ムシェット』を唾棄物の作家の作品とし
て対象化するにはどのような手続きで可能
になるのかについて、その方向性を検討し
てきた。
冒頭でリーダーの本を紹介したように、
「唾棄物」という用語自体、いまだに明確に
され共有されているとはとても言えないし、
日本語では訳語さえも定着しておらず、カ
タカナで「アブジェクシオン」と表記する
ことも多いというのが現状である。
本稿では、この概念は宗教的な含意を持
つものであり、宗教研究の俎上に載せるこ
とによってこそ用語として確固としたもの
になるだろうという見通しの下で、仮構的
な定義を目指して記述を進めてきた。ただ、
繰り返しになるが、ここで前提としている
「宗教性」という概念は、ここまで紙幅を尽
くしてきたように、現代的な芸術作品を基
礎づけている「宗教色のない宗教」や「聖
別式のない聖なるもの」によって開示され
るものとして構想されている。またそれは
端的に言って、ある任意の「用語法」が表
明することになる信念体系の前提にあるだ
ついては以下の論文を参考にした。齊藤征雄「象嵌
法あるいは物語全体性復元の試み」『東北大学文学
部研究年報』第 37 号 , 1987.
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50. このような記述はバルトの前掲著における「享
楽」の概念を参考にしている。
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けでなく、そこから表現される信憑構造を
あるいは「聖なるもの」としてその姿を現
基礎づけてもいる。
すことになるだろう。本稿の記述が、ブレ
発音と意味によって構造化されている象
ッソン作品の分析を通して明らかになる映
徴体系において、そのような意味での「用
画の宗教性を探究していくための土台作り
語法」は、例えば「記号」、「サイン」、「し
として、ほんのわずかにでも貢献できてい
るし」といった訳語で指示されるような何
ればと思う。
かの体験の結果、おそらく「宗教的なもの」
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さいとうたかし
南山宗教文化研究所研究員
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
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研究ノート
「新資料」にみる賀川豊彦の天皇観
村山 由 美
Murayama Yumi
東京都世田谷区の賀川豊彦・松沢資料館
に掲載させていただくことにした。
のおかげで、賀川豊彦の著作はそのほとん
どが整理され、閲覧可能な状態にある。著
作だけでなく、記念館には彼の書簡の多く
がおさめられ、蔵書もことごとく保管され、
カタログが作られている。賀川豊彦を通し
て大正、昭和初期の日本文化史について、
興味深い発見をすることがある。彼の興味
と教養が非常に広範囲にわたっているので、
賀川の発言の正確さ、正当性を越えて、い
わば本人の意図を越えて、近代日本の文化
史の意外な一断面が浮かび上がることがあ
るのだ。私にとっての賀川豊彦の膨大な著
作の資料的価値は、「賀川豊彦像」の再構築
のためというよりも、むしろ、賀川という
一人の知識人の目を通して垣間みることが
できる近代日本の庶民の姿 —— 貧民、労
働者、女郎、宗教者の姿 —— にあるので
はないか、近頃そう考えるようになった。
とはいえ、この研究ノートは、残念なが
らそのような金脈を探りあてたという報告
ではない。私は 2015 年 4 月、「賀川豊彦と
天皇制」というテーマで発表をする機会を
あたえられた。
「天皇制とキリスト教研究会」
という、関東のキリスト教系の大学から研
究者が多く集まる研究会でのことである。
そのための調査過程で今まで知られていな
い著作を見つけたので、南山宗文研の所報
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
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賀川の天皇制についての発言
いままで賀川の天皇制についてのまとま
った発言はないとされてきた。キリスト新
聞社から出版されている、『賀川豊彦著作集
全 24 巻』をみても、天皇制についての発言
はまれである。著作集の中から例をあげる
ならば、たとえば 1930 年、東京の青山会館
での御大典記念、日本宗教大会の講演での
発言がある。
社会とは愛の団体、共同団体を社会と云ふ
のだ。従って社会単位をつくらなければ真
の社会は来はしない。今の産業組合は社会
ではない、あれは金が作った偽社会である、
神の社会とは昭和天皇が即位の折に発布さ
れたあの美はしい御言葉「共栄共存」資本
家も労働階級も同じ人間だ、自分だけが懐
に入れて少し不景気になったから首を馘る。
それでは共存共栄とはならない。(全集 24
巻、386 頁)
また、1940 年、雑誌『雲の柱』の最終巻に
掲載された「皇紀二千六百年」。
人類歴史は再大発の危機に直面している。
こ の と き に 際 し て 我 々 は、 光 栄 あ る 紀 元
二千六百年を迎へた。
顧るに全能者は不思義なる摂理を日本に
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傾け、皇統連綿御仁慈の限りを尽して、民
する政治、連帯意識を基礎にする政治です。
を愛し給ふた世界に比類なき統治者を日本
今までの日本の政治は憲兵政治です。私は
に与へ給うた。…… 欧米に愛と正義が亡び
憲兵隊に二回、警察に一回引っ張られたが、
るとき、我々は日本の国より世界救済の手
憲兵ばかりに政治を任せてはいかんですよ。
を延して、人類社会再建の福音を述べ伝へ
みんな怖がって日本の国家を自分のものだ
るべきである。」(全集 24 巻 389–399 頁)
といふ考えを持たない、勿論天子様の国家
太平洋戦争の敗色が濃くなってきた頃、
詩集『天空と黒土を縫い合わせて』の序文。
不義の低気圧に正義の火柱は立ち、民衆の
血潮は天空に向かって竜巻のごとくたぎり
立つ!ルーズベルトの国民のみが自由をも
ち、アジアの民族のみが奴隷にならねばな
らぬという不思議なる論理に太陽も嘲う
……「大君のへにこそ死なめ省みはせじ―」
私心を打ち忘れ、生死を超越し、ただ皇国
のみにつかへんとするその赤心に、暁の明
星も黎明のちかきを悟りえた……大和民族
の血潮は竜巻として天に達する。されば全
能者よ、われらの血を持って新しい歴史を
書きたまえ!(全集 20 巻、129 頁)
以上の発言をみただけでも、おおよそ賀
川が天皇制に疑問を持っていないことがわ
かる。そして、言論弾圧のなかでやむをえ
ず発言したのではないかという左寄りキリ
スト者の期待は、1945 年 10 月、読売新聞で
対談として 5 日にわたって連載された、「政
治の再建とデモクラシー」という対談での
賀川の発言をみるときに打ちくだかれる。
この対談には賀川豊彦の他、安藤正純(新
日本自由党発起人)、大内兵衛(元東大経済
学部教授)
、矢部貞治(東大法学部教授)、
船田中(元法制局長官 —— 全国商工経済会
理事長)、羽仁説子(自由学園)が参加して
いるが、対話をしているというよりも一人
一人が思い思いのことを述べているという
形式である。
賀川:私は皆でする政治が民主政治だと思
う。一人で引っ張ったりするのでなく皆で
70
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70
には違いないが、それは国家主権の立場か
ら考へることで主権だけが国家ぢゃないか
ら。
連帯で責任を負うのがデモクラシーであ
る、という。
国家は決して一人で出来たものぢゃない、
人間で言えば脳髄ばかりで出来たものぢゃ
ない、細胞もあり、組織もある、天子様を
脳髄とすれば、脳髄だけで国家は出来たも
のぢゃない、足も、手も、皮膚も、肺も、
心臓も、血液もいる、皆でやる政治は私は
出来ると思ふ、けれども神経がなかったら
困るから……そうしたらそれは機関説だと
いふ、機関説とは違ふ、日本の国ではその
機関が天から授かった機関なんだから……
1
しかし余り曲解ぽく考える必要はない。
対談の参加者の中で、「天子様」という呼称
を使ったのは賀川だけである。
今回さらに注目したいのは、著作集には
収録されていない、賀川豊彦・佐野學『天
皇制と民主主義/日本民主革命』(清話會、
1946 年 5 月 1 日 発 行 ) と い う 冊 子 で あ る。
先行研究でほとんどふれられていないこの
書物は、メリーランド大学に所蔵されてい
るプランゲ文庫の一冊である。51 頁という
小冊子で賀川の執筆部分は前半の 24 頁とな
っている。後半は戦前の日本共産党の中心
人物で、獄中で転向したことでも知られる、
佐野學による『日本民主革命』という小論
で、各々が独立して成りたっている。賀川
1. 読売新聞 1945 年 10 月 1 日朝刊。
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がどういう経緯で執筆に到ったのか、また、
なぜ佐野學の論文と抱き合わせなのかとい
った出版の経緯は現段階では明らかにする
ことはできなかったが、印刷日が 1946 年 4
月 20 日、発行日が 5 月 1 日であるというこ
とは、日本国憲法が公布される半年前に発
行されているということになる。おりしも
国内の大手新聞社がしきりに天皇制につい
て取り上げ、その存続の是非が紙面で活発
に議論されていた頃のことであるため、一
般の関心も高かったであろうことが推測で
きる。佐野學の以下の記述はその状況を反
映している。
には、
賀 川 氏 の 揮 ふ タ ク ト に よ っ て、 日 本 の 輿
論が形成され左右される現実を注視せよ。
……天皇制護持か否定か、囂々沸々たる論
議しかし輿論の大勢は既に決しつつある然
らば果たして日本的民主主義の理念と構想
は?……現下緊急焦眉の大命題。
とあることからも、人々がにわかに天皇制
について議論をすることを許され、非常に
関心が高まっていたことがうかがえる。そ
こで、戦前から人気の作家、活動家であり、
終戦直後は東久邇内閣の首相幕僚でもあっ
た、「事実上新日本唯一最高の指揮者」と謳
従来は天皇といふものは階級を超越し、歴
われる賀川に執筆の話がきたとしても不思
史を超越する所の神の如き存在であって、
議ではない。なお、この書物は連合国占領
日本歴史は天皇を中心にして廻轉をしてを
つたという風な説明が支配してをつて、天
皇制に対する批評は絶對に禁ぜられておっ
たのであります。それがこの終戦後になつ
てから非常に天皇制の議論が盛んになつて
きた。……(天皇は)終戦の詔勅に於いて
も自分の責任といふことについては話され
なかったといふやうなことがあり、色々の
ことで、何しろ大勢の人が自分の父親を失
ひ、子どもを失ひ、又夫を失つたのであり
ますから、さういふ人たちの間にも自然発
生的に天皇制に対する懐疑といふものが生
じて参つたのであります。今日インテリが
数人集まりますと天皇制の話をしますし、
それから労働者、農民等の一般大衆の方は
天皇制を支持するところの感情を持つてを
下の検閲をうけているが、検閲箇所はすべ
て佐野の文章中である。
「今日は天皇制の解明について意見をお聴
き願ひたいと存じます。まづ民主主義と君
主政體の歴史を簡単に申上げてみたいと思
ひます。」という文章で始まるこの著作で賀
川は、「民主主義と君主政體の歴史」を紐解
くのに「ユダヤ國の創立者モーセ」にさか
3
のぼっている。
すなわち、彼の考える最古
の君主制とは、イスラエルにおける王制に
他ならない。そこから、ギリシャ、ヘレニ
ズム、そしてローマの共和制と帝政、そし
て、法王庁の発生、宗教改革と、前半では
キリスト教会史を中心にヨーロッパの歴史
を概観しながら日本に話をもってくるとい
りながらも、その感情がどうして正しいの
う流れになっている。構成を確認しながら、
かといふ説明を得られないのに煩悶してを
議論を細かく見ていきたい。
るといつたやうな状態にあるわけでありま
2
す。(括弧内引用者)
また、賀川の文章の前に附された紹介文
構成は以下のようになっている。
▶▶
民主主義の沿革
▶▶
ローマ的民主主義
▶▶
ローマ帝国崩壊の教訓
2. 賀川豊彦・佐野學『天皇制と民主主義/日本民
主革命』清話會、1946 年、30–31 頁。
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71
3. 同上、1 頁。
71
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10:08:26
▶▶
法王庁の発生
ルソーの非宗教的な教育方針、エンサイク
▶▶
十字軍の失敗と君主制崩壊
5
ロペヂア・スクールの唯物的科学思想」 は、
▶▶
近代民主主義の発生
フランスの道徳と権力を罵倒し、一旦は皇
▶▶
近代民主主義の本質
帝を排除したものの、ナポレオンという独
▶▶
ジョン・カルヴィンの精神的民主主義
裁官を要求して、帝政にもどることになっ
▶▶
フランス革命と君主制体への復帰
▶▶
権力の循環——歴史は語る
▶▶
独裁官スターリン
▶▶
真の民主主義と世界連帯意識
▶▶
日本的民主主義の在り方
▶▶
非武装国家日本
▶▶
政治すなわち道徳
「天皇制の解明」について、と前置きをし
て後、賀川は彼独自の「民主主義の歴史」
を振り返る。賀川によれば、近代民主主義
の発生はルターの宗教改革以降誕生した。
その最初の具体例がカルヴァンによるジュ
ネーブの宗教的共和体制である。ルターよ
りもカルヴァンが優れていたのは、封建諸
侯と連絡したルターに対して、カルヴァン
は「一種の神聖政治、即ちセオクラシー的
な共和体制」4 をとった。それがオランダ、
スコットランドを経由して、アメリカの起
源となったと述べている。賀川のいう、カ
ルヴァンの「民主主義」とは、第一に民族
を超越している。そして、第二に「精神的」
たのであると説かれている。権力は循環す
る。民主制と君主制は繰り返す。そして、
唯物論と「暴力の組織化」としての国家を
否定する賀川は、個々人の贖罪愛、十字架
の精神に根ざした「世界連帯意識」の必要
性を述べる。それは、彼が戦後に推奨した「世
界連邦運動」に受け継がれることとなる。
さて、これまでの議論を日本にあてはめ
た場合どうなるか、というのが、彼の小論
の核心となるわけだが、この段階において
「世界連帯意識」は早々にすがたを消してい
るように見える。やや唐突に、「日本人はラ
テン・アメリカ人に似ている」と賀川はい
う。何が似ているかというと、党派心の強
さであって、30 年間に首相を 5 人も暗殺し
た日本は、中南米の国々のように、革命を
くりかえす可能性がある。それでは階級闘
争、階級分裂によって国がすさんでしまう。
つまり、日本では共和制はなりたちにくい。
よって、「日本においても君主的形態をとっ
た民主主義が適當である。と私はまづ第一
に日本の社会心理の分析からこのやうに考
つまり、唯物論に基づく共産主義を否定し
えるのであります。」という、まずこれが賀
た「キリスト教の絶対的博愛主義」を基礎
6
川の天皇制擁護の根拠その一である。 しか
にした「精神的民主主義」であり、それが
も、日本は非武装国家となった。「武力、暴
オランダ移民とともにアメリカにもたらさ
力の組織化したものを持っていない國にと
れて、リンカーンによって発達したという
ってはちょっとした暴力團がクーデターを
話である。
やってもその國家は崩壊し社会制度は亂れ
それでは、フランス革命の思想的背景を
てくる。そこで非武装国家においては黨派
織りなした啓蒙思想家たちはどうであった
心を超越したる組織が要る。即ち社会連帯
かというと、「モンテーニュの疑惑哲學、ボ
意識をもつてどの部族にもどの黨派にも属
ルテールの懐疑的文學、ジャン・ジャック・
5. 同上、13 頁。
4. 同上、10 頁。
72
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6. 同上、20–21 頁。
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さない超越的な存在がいる。」 それが天皇
の存在である、というのが根拠その二であ
る。
そして、最後に第三の根拠として、賀川
は「家族国家」を挙げている。重要な部分
であるので引用したい。
即ち日本帝國の生まれたのは闘争が先であ
マ マ
りますが、後にお 於は征服によって一つの
家族國家が生まれてゐる。敵を許すやうな
血族的な一つの穏やかな空気が大和に生れ
た結果日本は誕生した。……即ち皇室の存
在は道徳的存在であつた。皇室が道徳即政
治といふ深い基準をもってゐたから続いた。
そして政治は権力の行使には違いないが、
それは必ず道徳的背景を持たなければ長続
きするものではない。いくら社會黨や共産
黨がこの後權力を得ても、いくら貧民に同
情しようとも、それが非道徳的なものであっ
たら長続きしない。二千六百年の間日本の
皇室が続いたのは道徳的存在であったから
であります。そしてこの後日本に於いて必
要なものはこの道徳的政治の要請でありま
8
す。
また、1946 年 6 月に出版された『新生活
の道標』でも、政治については、君国制民
主主義を唱え「万世一系の皇室が、不偏不
党の立場でおられるのであるから、われわ
れはこの慈父のごとき君主者を中心とする
とよい。」といって皇室をたてており、「…
統一の表象たる天皇は組織と協力の一元化
をもたらし、創造性を発揮せしむるとき、
ひろたまさきは『差別から見る日本の歴
史』(2008 年)で、世界のいずれの国にも
優越する日本の独自性を示す表象としての
天皇の「万世一系」という思想の差別的理
論を指摘している。すなわち、「万世一系」
は天皇につらなる「日本人」の優越性の根
拠となり、血統によって人間を評価し差別
する論理として、血統による社会秩序を必
然とすることになる。そこには賀川がいう
ような、「血族的」で「穏やか」な家族国家
は存在しない。天皇を頂点とした「家族国家」
は、新しく近代民族国家を創出し、国民を
天皇の臣民として育成するためのレトリッ
クであり、国外の植民地住民を暴力的に同
化しつつ支配するという構造をつくりだし、
本国からは植民地に対しては支配民族とし
て優越感を持った入植者を送り込んだので
ある。その天皇を「道徳的」であるとした
賀川はまず、植民地住民に対する差別とい
う天皇制イデオロギーの特徴に無頓着であ
った。それは彼の『民主主義と天皇制』に
おける以下のような発言にもあらわれてい
る。
ローマ帝国も遂に奴隷として運んできたド
イツ人が内側と外側から攻め立てまして遂
に崩壊いたしました。これは日本において
も教訓とすべき貼でありまして、朝鮮を征
服し朝鮮に統治を行ったのはよいけれど
も、終戦後朝鮮の方々が大分共産黨に金を
入れる。朝鮮に於いては日本人に反抗し内
部においては共産黨に金を入れるといふの
また『朕は汝らとともにあり』と天皇が言
と似てゐるのであります。つまり天皇制破
われたことは皇室が社会連帯意識に徹底し
壊の運動などでも、征服國家たるローマ帝
ていることを示す」とする。
国が味つたと同じことを日本においても今
日我々は味わつてゐるのであります。もし
7. 同上、21 頁。
も日本が朝鮮を征服していなかったならば、
8. 同上、22–23 頁。
終戦後日本の治安はこんなに悪くなっては
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賀川の天皇理解とその問題点
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いませんでした。
差別の理論は天皇制のみならず、1880 年
代から欧米同様に広がってゆく社会ダーウ
ィニズム、優劣の原因を遺伝に求め、国家
に役立つ人間とそうでないものを振り分け
る優生学など、さまざまな民族を抱え込む
「帝国」の理論として、庶民にも広がって
いく。自然科学にも洞察の深かった賀川は
「人種」「階層」「性」などを単位とする差別
の論理に対して違和感をおぼえることなく、
いうことを念頭に置くことは重要である。
民衆の危機意識を苗床にして、近代天皇制
という包括的なイデオロギーは固有のコス
モロジーを提示し、人びとの生活の隅々に
浸透した。こうした意味で、近代日本キリ
スト教精神史を形づくった人びとも大筋で
は、天皇制という求心力に絡めとられてい
ったといえるのだろう。
むしろ知識人としてそれを民衆に浸透させ
参考文献
る役割をはたしてしまったと言うことはで
賀川豊彦全集刊行会編『賀川豊彦全集第 1 巻
きないだろうか。
そして、やや乱暴な議論にはなるが、賀
川の平和主義の棄却についても、天皇制と
帝国のイデオロギーが彼の平和主義の根拠
を駆逐していったと考えることはできない
だろうか。賀川の戦後の天皇理解というこ
とについては、賀川の戦後の世界構想であ
る、
「世界連邦運動」における「帝国の論理」
をみることでその全体性が明らかになると
いうことが予想される。
結論
賀川豊彦の天皇についての発言を、彼の
差別発言、平和主義の限界とあわせてみる
とき、被差別部落についての発言は天皇を
頂点とした国体に表された民族意識のあら
われとして捉えることができ、また、戦争
協力についても、天皇制という包括的観念
のなかで賀川の中では自己矛盾無く選ばれ
た道だったのではないかと予測することが
できる。キリスト教と天皇制の関わりを考
えるときに、プロテスタンティズムの導入
が、近代天皇制が非常な権力と速度とで形
成されようとしているただ中でのできごと
9. 同上、5 頁。
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であり、近代天皇制と歩みをともにしたと
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〜 24 巻』(キリスト新聞社、1962 年)
雨宮英一『青春の賀川豊彦』(新教出版、2003
年)
雨宮英一『貧しい人びとと賀川豊彦』(新教出
版、2005 年)
雨宮英一『暗い谷間の賀川豊彦』(新教出版、
2006 年)
河島幸夫『賀川豊彦の生涯と思想』
(中川書店、
1992 年)
河島幸夫『賀川豊彦と太平洋戦争—戦争・平和・
罪責告白』(中川書店、1991 年)
工藤英一『社会運動とキリスト教——天皇制・
部落差別・鉱毒との戦い』(日本 YMCA 同
盟出版部、1972 年)
倉橋克人「『大正デモクラシー』と賀川豊彦
——天皇制意識との関連で」富坂キリスト
教センター編『大正デモクラシー・天皇制・
キリスト教』(新教出版、2001 年)
倉橋克人「賀川豊彦についての先行研究」『日
本基督教史における賀川豊彦』(新教出版、
2011 年)
佐治孝典「賀川における戦争と平和」『土着
と挫折——近代日本キリスト教史の一断面』
(新教出版、1991 年)
佐治孝典「賀川豊彦のアジア民衆観」『土着
と挫折——近代日本キリスト教史の一断面』
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(新教出版、1991 年)
佐治孝典「賀川豊彦の天皇観」『土着と挫折
——近代日本キリスト教史の一断面』(新教
出版、1991 年)
鈴木正幸『近代天皇制の支配秩序』
(校倉書房、
1986 年)
隅谷三喜男『賀川豊彦』
(日本基督教団出版局、
1966 年)
土肥昭夫『天皇とキリスト——近現代天皇制
とキリスト教の教会史的考察』(新教出版、
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2012 年)
ひろたまさき『差別からみる日本の歴史』(東
京、解放出版社、2008 年)
村上重良『国家神道』(岩波新書、1970 年)
安 丸 良 夫『 近 代 天 皇 像 の 形 成 』( 岩 波 書 店、
1992 年)
T. フジタニ『天皇のページェント』
(NHK ブッ
クス、1994 年)
むらやま・ゆみ
南山宗教文化研究所客員研究所員
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昨年の行事
2015 年4 月 ~ 2016 年 3 月
2015 年
3 月 27 日 ~ Jim Heisig が講演ならびに国際シンポジウムに参加する目的で欧州、米国に出張。
4 月 20 日
4 月 2~9 日 奥山倫明が調査のためパリに出張。
4 月 6~14 日 金承哲がバーゼル大学神学部での公演などのためドイツに出張
4 月 11 日
奥山倫明と Paul Swanson が日本宗教学会理事会のため東京に出張。
4 月 15 日
Lund Univeristy の Antoon Geels と他 10 名が訪問し、諸宗教対話について懇談会
を開催した。
4 月 19 日 ~Ola Sigurdson (University of Gothenburg) が短期研究のために来所。
5月2日
5 月 12~19 日 金承哲が 5th Conference of the European Forum for the Study of Religion and
Environment に出席のためドイツ(ミュンヘン)に出張。
5 月 30~31 日 第二回の南山セミナーが、5 人の海外からの発表者を招いて開催された。
6 月 6 日 ~James Morris (University of St. Andrews) が日本のキリスト教受容史研究のため研
8 月 22 日
究所に短期客員研究所員として所属。
6 月 24 日 ~ 金承哲が The European Network of Buddhist-Christian Studies 学会に出席・研究発
7 月 1 日
表のためドイツに出張。
7 月 1 日 ~
鄭日昇 (Asia Life University, 韓国)が旧約聖書関連資料研究のため来所。
7 月 12 日
7 月 2 日
Japanese Journal of Religious Studies(42 巻 1 号)
、「縁起」についての特集が納品さ
れる。
7 月 3 日 ~
10 月 1 日
7 月 4 日
Line Schreyer (Aalborg University) が文化と哲学の研究のため短期客員研究所員と
して所属。
奥山倫明と Paul Swanson が日本宗教学会理事会と RSJ 編集委員会のため東京に出
張。
7 月 21~27 日 金承哲が Ian Ramsey Center for Science & Religion の会議で出席 , 研究発表のた
めイギリスに出張。
8 月 21 日 ~ 奥山倫明と金承哲が IAHR 国際会議に出席 , 研究発表のためドイツに出張。金承
9 月 1 日
哲が International Congress of Science and/or Religion に出席 , 研究発表のためオ
ーストリアに出張。
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9 月 9~11 日 Mark Mullins が戦後の神道ナショナリズム研究のために来所。所内発表を開催。
10 月 2 日
「オットー宗教学の原風景
: 旅するオットー」と題して前田 毅氏(鹿児島大学
名誉教授)の懇話会が開催される。
10 月 3~10 日 金承哲が『宗教と科学の対話」プロジェクトについての会議で出席、研究発表
のため韓国に出張。
10 月 23 日
元研究所員 , 名誉教授 J. ハイジックが Tallinn University(エストニア)から名誉
博士号を取得。
10 月 24 日
デンマークの Critical Analysis of Religious Diversity (CARD) Network と共催で「日
本における宗教的多様性」について研究会が開催され、Lene Kuhle, Jorn Borup,
Marianne Qvortrup Fibiger, 奥山倫明、小林奈央子と村山由美の研究発表があっ
た。
11 月 6~13 日 Paul Swanson が Western Michigan University の天台仏教ワークショップと Elon
University, Duke University での公演のため米国に出張。
11 月 12~25 日奥山倫明と金承哲が American Academy of Religion 大会のため米国に出張。
11 月 21 日
Paul Swanson がアハマデイアムスリムの日本最大モスク(愛知県津島市)の落
成祝賀式に出席。
11 月 12~25 日Frank Korom (Boston University) が Asian Ethnology 編集などのために来所。
12 月 2 日
Mark Mullins (The University of Auckland) が戦後の神道復興運動について所内ゼ
ミで発表。
12 月 9 日
Christopher Harding (University of Edinburgh) が Buddhism, History, and Culture in
the Making of Japanese Psychoanalysis について所内ゼミで発表する。
12 月 12 日
テンプルトン財団プロジェクトの一部として「日本と韓国における〈宗教と科学〉
の言説と教育」についてのシンポジウムが開催され、韓国と日本がら各 2 つの
発表があった。
12 月 17 日
中井珠恵(愛知国際病院チャプレン:聖学院大学大学院博士後期課程)による
「James Fowler の信仰発達理論について」と題した懇話会が開催される。
12 月 18 日
Donald Baker (University of British Columbia) による “A Clash of Assumptions:
Jesuit Science and Mathematics in 18th Century Korea”についての懇話会が開催さ
れる。
2016 年
1 月 29~30 日「科学と宗教の対話と宗教的教育」について国際シンポジウムが開催された。
2 月 18 日 Joseph O’Leary が The Impact of Buddhist Emptiness on Western Ontology をテーマ
に所内発表会を開催した。
2 月 26 日 Joseph O’Leary が The Teasing Challenge of Nonduality をテーマに所内発表会を開
催した。
3 月 11 日 Joseph O’Leary が The Two Truths: Can Flimsy Conventions be Vehicles of Ultimacy?
をテーマに所内発表会を開催した。
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3 月 17 日 Carla Tronu が Cultural Adaptation in the Making of Catholic Churches in Early
Modern Japan: Location, Sacralisation, and Naming をテーマに所内発表会を開催し
た。
3 月 18 日 Joseph O’Leary が Skillful Means: The Interplay of Thought, Communication, and
Praxis をテーマに所内発表会を開催した。
3 月 25 日
Joseph O’Leary が Christianity, Philosophy, Mahayana Buddhism: The New Con­
stellation をテーマに所内発表会を開催した。
3 月 30 日 ~Benjamin Dorman と David White が Association for Asian Studies 学術大会のため
4 月 25 日
米国のシアトルに出張し、Asian Ethonology の編集会議が開催された。
他の訪問者
2015 年
4 月 24 日
Edwin Sunderland and Liad Horowitz (Tel Aviv University)
5 月 27 日
陶金 ( 大連海事大学 )
5 月 29~30 日Esben Petersen, 同志社大学海外特別研究員
6 月 7~9 日 斉藤多香子 , Université du Havre(フランス)
7 月 10 日 J. P. Mukengeshayi Matata, オリエンス宗教研究所(東京)所長
7 月 12~13 日 Stig Lindberg, 京都大学文学部大学院生
7 月 22 日 Thomas and Carol Hastings, Princeton, N. J.
7 月 27~29 日 Myriam Constantino, 熊沢大学、Colegio de México 大学院生
7 月 29 日
Oddbjorn Jensen, Sami High School and Reindeer Husbandry School, Kautokeino,
Norway
9 月 11 日 Thierry Guthmann, 三重大学
10 月 14~16 日 Jude Lal Fernando, Trinity College, Dublin
10 月 14 日 Marcus Bingenheimer, 名古屋大学
10 月 16 日 Jan Gerrit Strala, 愛知県立大学
11 月 18 日
Yoshiko and Elvin Zoet-Suzuki, PhD students, Utrecht University, Netherlands
11 月 30 日
Esben Andreasen, Denmark
2016 年
1 月 14 日
Erica Baffelli, The University of Manchester, UK
2 月 18 日
Or Porath, Ph.D. candidate, University of Santa Barbara
3 月 10~12 日 Jonatan Navarro, 東京外国語大学
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旧師旧友
石脇慶總(南山大学名誉教授)
皆さま、ごきげんよう。小生は、一昨年
から、教会の役務から引退して、カトリッ
ク名古屋教区の一司祭として、安らかに遊
行期を送らせていただいています。引退し
ても暇はあまりありませんが、諸宗教神学
研究の続きとして、「記・紀」神学の勉強、
原始仏典の勉強、旧約聖書の見直し、スコ
ラ神学の再考……と時間が足りなくて、困
惑しています。毎日読みたい本を読んでい
た宗文研での生活を懐かしんでおります。
では、皆様のご多幸を祈りながら、合掌。
大谷栄一(佛教大学教授)
佛教大学に奉職し、8 年目となります。
今年も学部のゼミでは、京都の祭りのフ
ィールドワークを実施しました。ゼミ生(全
15 名)が 3 班に分かれ、京都市上京区の晴
明神社の晴明祭、北区の建勲神社の船岡祭、
京都三大祭のひとつ、時代祭を調査し、そ
の成果を『佛教大学社会学部現代社会学科
2015 年度大谷ゼミ調査報告書 京都の祭り
をフィールドワークする ② 』
(全 159 頁、非
売品)にまとめました。
ソーシャル・キャピタルの視座から』法藏館、
2016 年)を分担執筆しました。また、2016
年 4 月には大谷栄一・吉永進一・近藤俊太
郎編『近代仏教スタディーズ:仏教からみ
たもうひとつの近代』(法藏館)を刊行しま
した。全 29 名の執筆者による世界初の日本
近代仏教史の入門書です。
本年度(2016 年)からは、科学研究費補
助金・基盤研究(B)「戦後日本の宗教者平
和運動のトランスナショナル・ヒストリー
研究」を 3 年間の計画で実施することにな
りました。
宗文研のみなさまには、今後ともよろし
くお願い申し上げます。
川上恒雄(PHP 研究所)
この 1 年は、職場の人員が減るなか仕事
量が増える一方で、4 月には体調を崩して
しまいました。自分からとくにアクション
を起こさずとも仕事が山のようにあるとい
うのは研究職としてある意味幸せなのかも
しれませんが、私のキャパを超えているの
が実情です。とくに社内外のセミナー等の
研究の上では、「近代仏教にみる新聞・雑
講義・講演の仕事が著しく増えました。民
誌、結社、演説」(島薗進他編『シリーズ日
間企業ゆえ、おカネの入る業務が優先され
本人と宗教 近世から近代へ 5 書物・メ
ます。
ディアと社会』春秋社、2015 年)、「国家・
こうした事情から学術研究に時間を割く
国体と日蓮思想 2:清水梁山の生涯と思想」
ことはほとんどできなかったものの、松下
(上杉清文・末木文美士責任編集『シリーズ
日蓮 5 現代世界と日蓮』春秋社、2015 年)、
「寺院の日常的活動と寺檀関係:浄土宗」(櫻
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井義秀・川又俊則編『人口減少社会と寺院:
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社会科学振興財団が主催する経営学の研究
会で成果報告を求められています。私がい
ま関心をもっているのは、修養団体(倫理
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研究所やモラロジーなど)が主催している
国際大会、東京慈恵会医科大学附属第三病
経営者団体です。何万もの中小企業経営者
院での多文化間精神医学会の第 22 回大会、
が加盟・活動し、影響力が大きいにもかか
慶應大学でのシンポジウムなどがそれに当
わらず、経営学者からも宗教学者からもほ
たります。
とんど注目されてきませんでした。小規模
この一年で、私はピッツバーグ大学の人
な調査ですが、それをもとに論文を今年前
類学科で副学科長として奉職する幸運に恵
半には仕上げる予定です。
まれました。これは本当に名誉なことです。
名古屋には出張でよく行きます。ただ、
というのも、大学にはウィリアム・リブラ、
残念ながら南山大学の近辺ではあまり仕事
タキエ・スギヤマ・リブラ、キース・ブラ
がありません。機会があれば宗文研を訪れ
ウンといった、日本の宗教を調査している
たいと思っています。
高名な人類学者が何人もいるのですから。
川上光代(南山宗教文化研究所元研究員)
の Center for Mindfulness and Consciousness
『この社会の和様化』と題して、五月に出
版する予定です。
第一部は「集(集団)の社会とその信仰」
第二部は「個の社会とその信仰」
第三部は「自立した個人の集合体」
ということで、これまで調査研究してき
たことを基に、人と人とのつながりのない
「個の社会」「無縁社会」を脱して、真の個
の社会である「自立した個人の集合体」を
模索しました。
ま た、 医 療 人 文 学 と ピ ッ ツ バ ー グ 大 学
Studies を推進していく仕事もしていますが、
これは昨年オープンしたばかりの施設です。
医療人文学への私の関心と一致しておりま
したので、ピッツバーグ大学で開催された
健康管理に関する人文学の会議では、日本
におけるスピリチュアル・ケアについてお
話をさせていただきました。
さらに、精神衛生に関する療法について
生物医学に依らない知識を推進していきた
いと思っており、Asian Medicine: Tradition
and Modernity という雑誌の編集委員に参加
することを決めました。この雑誌はブリル
クラーク・チルソン(ピッツバーグ大学)
昨年度の私の研究は、いくつか異なった
方 面 の 調 査 に 携 わ る も の で し た。2014 年
に、真宗秘密講における隠れの帰結につい
て Secrecy’s Power という本を書き終えて以
来、いろいろなプロジェクトに携わって参
りました。ただ、私の調査の大部分は、瞑
想の実践としての「内観」に関するもので
す。昨年度を通じて、いくつかの場所で「内
観」について発表をする機会に恵まれまし
た。ブリティッシュコロンビア大学で開催
S26 (2016).indb
社から出版されていて、まもなく電子ジャ
ーナルになります。もしどなたかお知り合
いに、アジアで現在もなされているか過去
になされていた精神疾患に関する伝統的な
療法を調査している方がおられましたら、
ぜひ私宛にお手紙を下さい。chilson@pitt.
edu.
倉田夏樹(南山宗教文化研究所非常勤研究員)
2015 年度より当研究所にて非常勤研究員
を務めさせていただいています。
された「仏教と幸福」についての会議、The
こちらでのテーマは、「第二バチカン公
Society for Psychotherapy Research の第 46 回
会議におけるプロテスタント神学者オスカ
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南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
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ー・ ク ル マ ン の 位 置 」 で、 カ ー ル・ バ ル
昨年の6月に、京都の法蔵館より『仏教
トに替わって第二バチカン公会議へオブ
からケアを考える』というタイトルの著書
ザーバーとして参加したオスカー・クル
を出版いたしました。宗教文化研究所のほ
マンの思想を研究しています。具体的に
うにも謹呈させていただきました。
は、O. Cullmann, Vatican Council II : The New
名古屋にいた頃に、「スピリチュアルケア
Direction(Harper & Row, 1968)の翻訳をし
研究会」を主宰していましたが、その延長で、
ながらの考察です。私はカトリック信徒で
スピリチュアルケアの思想的な研究、そし
ありながらプロテスタントの職場に勤めて
て仏教思想とケアとの関係についての研究
いることから、カトリックとプロテスタン
を続けてきました。このたびの拙著はこれ
トの間、あるいはエキュメニズムに関する
までの研究考察をまとめたものです。また、
問いに関心を持っております。
ベースになっているのは、京都大学大学院
また、2008 年より、立教大学にて「諸宗
教対話・共生研究会」という研究会を開い
教育学研究科に提出した博士論文です。
この成果のおかげで、実家に戻ったあと、
ており、具体的には月一回、現役僧侶を含
カウンセラーの仕事をする傍ら、地元の看
めた、主として 30 歳代の若手有志で集まり、
護大学で「宗教学」の講義を担当させてい
これまで佐藤研『禅キリスト教の誕生』、ジ
ただくことになりました。
「宗教(主に仏教)」
ョン・ヒック『宗教多元主義』、門脇佳吉『禅
と「ケア」との関わりを中心に話をしてい
仏教とキリスト教神秘主義』、ネルケ無方『日
ます。
本人に「宗教」は要らない』、アトワーン『イ
スラーム国』を読んできました。
2016 年度は博士論文を提出する時期であ
東日本大震災以降、宗教者による被災者
へのケアが注目され、東北大学大学院に「臨
床宗教師」の養成講座が開設されました。
り、論文のテーマは、「16、17 世紀における
そして近年では、これをきっかけに、この
排耶書に見られる反キリシタン言説の思想
運動が他の宗教系大学にも広がりつつあり
史的研究」というものです。いかにしてキ
ます。ケアに関わる宗教者に資格が必要な
リシタンが「邪宗門」とされたか、という
のかどうかは議論の分かれるところですが、
ことをキリシタン排斥の思想書である排耶
医療や福祉などのケアの現場に宗教者も入
書から検討しています。近世日本の宗教的
って、心のケアに関わるようになっていけ
状況は、決してエキュメニカルなものでは
ば、日本人の宗教に対する価値観も変わっ
なく、自宗を成立させるためには他宗教を
てくることと思います。
否定・排斥・破壊しなければならないもの
また、看護大で教えていて感じるのです
でした。翻って、宗教の対話が困難になり
が、一般のケアの現場でも、宗教的な視座
つつある現代の状況もあり、改めてエキュ
をもつ必要性を考えざるを得ない機会があ
メニズム、諸宗教対話について考えさせら
るようです。「宗教とケアとの関わり」につ
れています。
いて、これからも思索を深めていきたいと
願っております。
坂井祐円(新潟県立看護大学非常勤講師)
ご無沙汰しております。近況などをご報
告できればと思います。
南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号 2016 年
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肖越(佛教大学総合研究所)
昨年度は〈無量寿経〉最古訳としての『大
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阿弥陀経』の成立の研究を進めてきた一年
On the Basis of the View of Human” という発
であった。最も重要な成果は〈無量寿経〉
表を英語で行った。そ のレジメをもとにし
最古訳としての『大阿弥陀経』の成立は漢
て「初期淨土經典中的“善”與“惡”:以人
訳者により「善」と「悪」を中心にして大
間觀為中心」という中国語論文が『人間浄
幅に改訂・増広されたものあると纏めるこ
土与弥陀浄土国際学術研討会論文集』に香
とができる。
港中文大学人間仏教研究センター編で掲載
まず、年度の初めに(2015 年 4 月)シン
ガポールの普明寺(Poh Ming Tse)で開催さ
れた「観音」に関する国際セミナーに招待
された。セミナーで発表した論文を元に修
正したものは、
『武蔵野大学仏教文化研究所
紀要』第 32 号で “Avalokiteśvara in the Earliest
Version of the Larger Sukhāvatīvyūha-sūtra” と
いう論文として刊行された。
次には、2015 年 8 月上旬にアメリカのバ
ークレーにある浄土真宗センターで開催さ
れた第 17 回国際真宗学会で発表した。そ
の原稿を元に、『佛教大学総合研究所紀要』
第 23 号に “On the Formation of Bodhisattva
Thought in the Vows of the Dà āmítuó jīng” とい
う論文が掲載されている。
次に、2015 年 9 月の中旬は高野山大学で
開催された日本印度学仏教学会第 66 回学術
大会で「浄土経典における「蓮華化生」」と
いう題名で発表し、その原稿をもとにした
論文は『印度學佛教學研究』第 64 巻第 2 号
に掲載されている。また、2015 年 11 月の中
旬は香港中文大学人間仏教研究センターが
主催した「人間佛教在東亞與東南亞的開展」
という国際会議で “The Doctrine of Wisdom
in the Larger Sukhāvatīvyūha” という発表をし
以上の研究発表は平成 27 年度橋本循記念
会中国伝統文化研究・調査助成金による研
究成果の一部である。本年度には 4 月から
6 月 30 日まで龍谷大学仏教文化研究所客員
(沼田研究奨学金)として在籍している。こ
れから余裕があれば南山宗教文化研究所を
訪れたいと思っている。
髙橋勝幸(南山宗教文化研究所非常勤研究員)
「比較思想」(仏教とキリスト教の対話)
が研究テーマであるが、昨年の発表におい
て、東洋と西洋の思想対立の真っ只中にあ
った。「水と油」の関係のように解される場
合があってその「説明」をどう持って行く
か摸索中である。
新たな「コペルニクス的転回」が求めら
れているが、歴史と伝統の中にあって旧習
を捨てられない諸氏との関係に大きな壁が
残っている。かつての上智大学で進められ
た「東洋宗教研究所」の復活を希求している。
論文・出版物
⍟「
⍟〈研究ノート〉マンダラとマリア十五玄
義図の類似性―ユングの元型論を手掛か
りに―」『アジア・キリスト教・多元性』
た。そのレジメをもとにして「〈無量壽經〉
第 13 号、
「アジアと宗教的多元性」研究会、
中的「智慧」」という中国語論文が学会誌に
2015 年 4 月。
掲載される予定である。
更に、2016 年 1 月 9 日~ 10 日に香港中文
大学人間佛教研究センターにて開催された
「弥陀浄土と人間浄土」という国際学術大会
で “Good and Evil in the Early Pure Land Sūtra:
82
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される予定である。
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⍟「仏教とキリスト教の邂逅の道:キリシタ
⍟
ン時代から続く対話の霊性を求めて」
『比
較思想から見た日本仏教』末木文美士編、
山喜房佛書林、2015 年 12 月。
⍟「西田の絶対無の場所と霊操の不偏心の
⍟
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類似性に学ぶ」『上智人間学紀要』2016
末席を汚させていただければ幸甚です。よ
年 1 月。
ろしくお願いいたします。
⍟「人生の忘れ物」
『迷いの道に花は咲く』
⍟
南無インマヌエル
西村恵信編、禅文化研究所、2016 年 3 月。
⍟「A・ヴァリニャーノの適応主義の現代的
⍟
意義」『アジア・キリスト教・多元性』第
14 号(掲載)。
上記の問題を抱えて、6 月の「比較思想
学会」大会では「中村元の『東洋人の思惟
方向』から東西の邂逅を求める」形で発表
してきます。基底には西田の「私と汝」を
入れていますが。
寺尾寿芳(聖カタリナ大学人間健康福祉学部教授)
近況としては、大谷栄一先生からお声を
かけていただき『近代仏教スタディーズ 仏教からみたもうひとつの近代 -』(大谷栄
一、吉永進一、近藤俊太郎編・2016 年 4 月
刊行・法蔵館)の表紙似顔絵イラストと本
文中の相関図に使用される似顔絵を描きま
した。
私は大学院進学以前に、似顔絵師という
職業に 2 年間ほど就いていました。今回は、
松山の小さなカトリック系大学(ドミニ
その折の経験と、南山大学宗教文化研究所
コ会)に着任して 3 年が過ぎました。「不健
における学びとを両方活かすことのできる
康」で、「スポーツ嫌い」の私ですが、4 月
新たな領域の仕事でした。仏教学者や僧侶
より「健康スポーツ学科」の学科長になり
の似顔絵を描かせていただく際、その人物
ました。人生は矛盾と不思議に満ちており
の背景にあるものを調べ、それをベースに
ます。
厳密な学術研究に邁進しなくてはならな
いのですが、加齢ゆえか、人生の末路がい
っそう気になります。そしていつしか、「南
無インマヌエル」と唱える自己流の信心業、
「インマヌエル称名念祷」を模索するように
なりました。私は保守的な神学には批判的
で、語弊を恐れず言えば、「キリスト教の仏
教化」を心の底から望んでいます。研究対
象とする文献も、大半が仏教ことに浄土教、
そして京都学派にまつわる宗教哲学に関す
るものです。とくに松山ゆかりの一遍には
構図や背景を決めました。作業を通じて、
これまで未知のものであった“仏教の視点
から見た日本の近代”を学ぶことができ、
貴重な機会となりました。大谷栄一先生に
は、大学院生時代から度々励ましていただ
き、未熟な私の成長を見守っていただきま
した上に、このような機会までお与えいた
だき心から感謝しています。
渕上恭子(南山宗教文化研究所元研究員)
韓国の「水子供養」の研究を始めて 20 年
特別の魅力を感じています。他方で、(遥か
になるのを記念して、「アジアに広がる『水
大昔の話ですが)教会で受洗してカトリッ
子供養』―妊娠中絶の宗教人類学―」とい
クの信徒となったことは、真に恵みだった
うテーマの下に、アジア諸国の「水子供養」
と確信しています。「異端」すれすれながら
の調査研究に取り組んでいる内外の研究者
も、あくまでカトリックの信徒かつ神学徒
を集めて、水子供養の研究拠点を作ろうと
として、最後まで学びの道を歩んでいきた
思っています。その第一歩として、今年、
いと念じております。これからも宗文研の
日本・台湾・韓国の東アジア 3 カ国におけ
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内藤理恵子(愛知大学国際問題研究所客員研究員)
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る水子供養の歴史と現状についての研究発
博士課程入学し、今年 2016 年の 5 月に博士
表を行う予定です。
号を取得しました。(予定です?)
博士論文は田辺元とウィリアム・デズモ
【新メンバーのご挨拶】
森里武(南山宗教文化研究所研究員)
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ンド William Desmond の比較宗教哲学とい
うテーマで執筆しましたが、現在は京都学
派を中心に宗教哲学と「人間として生きる
2015 年 12 月 か ら 南 山 大 学 宗 教 文 化 研 究
こと」の意義との関係について研究してい
所で研究員としてお世話になっています。
ます。アメリカやヨーロッパで知り合った
2001 年に埼玉大学経済学部社会環境設計科
日本哲学研究者やの日本哲学を先行してい
に入学しましたが、残念ながら経済学には
る学生達と「欧州日本哲学ネットワーク」
全く興味が持てず、翌年 2002 年に休学と同
European Network of Japanese Philosophy を
時に単身アメリカへ留学しました。英語で
2014 年に設立し、機関紙 European Journal of
一生懸命勉強しているうちに哲学に目覚め、
Japanese Philosophy の創刊号をこの秋に出版
2007 年にネブラスカ州立大学カーニー校か
する予定です。宗教文化研究所で行われる
ら B.A.、2009 年にロヨラ・メリーマウント
宗教や文化に関する各プロジェクトに哲学
大学(カリフォルニア州ロスアンゼルス)
的な観点から貢献していけるよう頑張りた
から M.A.、そして 2011 年から今話題のベル
いと思います。どうぞよろしくお願いいた
ギーにあるルーヴァン・カトリック大学の
します。
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研究所のスタッフの研究業績
2015 年4 月 ~ 2016 年 3 月
粟津賢太 (あわづ・けんた) (研究員)
論 文
櫻井義秀・平藤喜久子共編『よくわかる宗教学』ミネルヴァ書房、2015 年。 第 3
部第 8 章「政治と宗教(2)日本」
(162–3 頁)、第 9 章「ナショナリズムと宗教:血と
土への信仰」
(164–5 頁)を担当。
『近代日本における宗教と科学の交錯』南山宗教文化研究所、金
承哲、T・J・ヘイステ
ィングス、粟津賢太、永岡 崇、日沖直子 長澤志穂 村山由美 共編。第Ⅵ部「科学の
脅威と宗教思想」
(435–520 頁)、第Ⅶ部「科学と社会との交錯」
(521–624 頁)の編
集および解題を担当。
「沖縄における遺骨収集の現代的展開」ヴォ・ミン・ヴ(編)
『日本研究論文集 災害
と復興』世界出版社、ハノイ、ベトナム、
2015 年、123–45 頁。
(ベトナム語版、165–94 頁。)
「慰霊・追悼研究の現在:想起の文化をめぐって」
『思想』第 1096 号、岩波書店、
『思
想』誌、2015 年 8 月号、8–26 頁。
“The Cultural Aspects of Disaster in Japan: Silent Tributes to the Dead and Memorial
Rocks,” Asian Journal of Religion and Society (Korean Association for the Sociology of
Religion) 4 / 1: 53–78.
辞典項目 「岩佐直治」「加藤健夫」「空閑昇」「酒巻和男」「関行男」「山崎保代」「アーリント
ン国立墓地」「千鳥ケ淵戦没者墓苑」「平和博物館」収録、吉田裕・森武麿・伊香
俊哉・高岡裕之(共編)
『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館、2015 年。
学会発表 「戦地巡礼と観光資源:沖縄における戦争の記憶」
『観光空間としての東アジア』、海
道大学大学院メディアコミュニケーション研究院、2015 年 8 月 1 日。
(コメンテーター)
「オセアニアと日本の戦後」日本オセアニア学会関西地区例会、京
都大学、2016 年 1 月 23 日。
学術講演
Risk Management Seminar Series, “Cultural Aspects of Collective Grief: History of
Memorial Services in Modern Japan.” 神戸大学大学院国際協力研究科、2015 年 5 月 29
日。
書評
櫻井義秀・外川昌彦・矢野秀武編著『アジアの社会参加仏教』、
『宗教研究』第 89
巻第 3 輯、第 384 号 (168–72 頁 )、2015 年。
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ベンジャミン・ドーマン Benjamin Dorman (第一種研究所員、外国語学部准教授)
論 文
(Frank Korom 共著 ). “Editors’ Note,” Asian Ethnology 74 / 1 (2015): 1–3.
金 承哲 (きむ・すんちょる)
(第一種研究所員、人文学部教授)
著 書
(翻訳、韓国語)田辺元『懺悔道としての哲学』(南山宗教文化研究所研究叢書シ
リーズ 3)、図書出版ドンヨン、2016 年 3 月、435 頁。
共 編
T・J
・ヘイスティングス、粟津賢太、永岡 崇、日沖直子 長澤志穂 村山由美 と共編『近
代日本における科学と宗教の交錯』南山宗教文化研究所、2015 年 5 月、xii + 660 頁。
論 文
“Religion and Science in Dialogue: An Asian Christian View“ Zygon: Journal of Religion
and Science 51 / 1 (March 2016): 63–70.
“ 변선환 선생의 불교적 기독교 신학의 의의”
[
「邊鮮煥先生の
『仏教的キリスト教神学』
の意義」]『一雅邊鮮煥 20 周忌追悼論文集』図書出版ドンヨン、2015 年、186–225 頁。
「ヤン・ヴァン・ブラフト師と宗教間対話(研究報告)」(共著)『宗教哲学研究』
33 (2016): 97–105 頁。
“Der philosophische Glaube angesichts des religiösen Pluralismus,” in Andreas Cesana
(Hrsg.), Kulturkonflikte und Kommunikation. Zur Aktualität von Jaspers‘ Philosophie
(Königshausen & Neuman, 2016).
学術講演
学術発表
“Gott, Śūnyatā und Pluralität: Das Gottesverständnis in der Asiatischen Theologie.”
Guest Lecture at the University of Basel, 8 April, 2015.
“A Buddhist-Christian Theology in a Modern Northeast Asian Context.” 11th Con­fer­
ence of the European Network of Buddhist-Christian Studies, St. Ottilien, Germany,
25–29 June 2015.
“Decentering and Śūnyatā: Natural Science and Buddhism on Human Being.” Con­
ference held at the Ian Ramsey Center, Oxford, England, 22–25 July 2015.
“Multiple Discourses on Religion and Science in the East Asian Context: Religion and
Science in the Buddhist Philosophy of Nishitani Keiji (1900-1990).” Panel Presentation at
the 21th Congress of the International Association for the History of Religions, Erfurt,
Germany, 23–29 August 2015.
“On the Buddhist Paradigm for Integrating the Christian-Buddhist Dialogue with the
Dialogue between Christianity and Natural Science.” International Congress on Science
and / or Religion. A Debate of the 21st Century, Vienna, 27-29 August, 2015.
“Raimon Panikkar and an Asian Way of Religious Pluralism.” Special Symposium on
the Lasting Legacy of Raimon Panikkar, Society for Asian and Comparative Philosophy,
Atlanta, 20 November, 2015.
梁 暁虹 Liang Xiao Hong(第二種研究所員、総合政策学部教授)
著 書
共編著:徐時儀 · 梁暁虹 · 松江崇『仏経音義研究:第三回仏経音義研究国際研討会
論 文
「『大般若経字抄』与漢字研究」四川大学俗文化研究所『中国俗文科研究』第九号,
139–63 頁。
論文集』、上海辞書出版社(上海)2015 年 12 月、362 pp.
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「藤原公任『大般若経字抄』在日本仏経音義史上的地位」韓国交通大学東亜研究所、
「日本亮阿闍梨兼意『香要抄』研究」『
, 語言之旅―竺家寧先生七秩壽慶論文集』,
上海師範大学人文与伝播学院『東亜文献研究』15 号 (2015 年 6 月 )、129–48 頁。
463–77 頁。
「『法華経釈文』恵雲釈動物佚文考ー以“鳩”
“鵲”
“鴿”爲例」
『漢語史学報』15 卷 ,
59–65 頁。
「日本中世“篇立音義”研究」徐時儀 · 梁暁虹 · 松江崇編『仏経音義研究 — 第三回
仏経音義研究国際研討会論文集』、62–83 頁。
学術発表 「亮阿闍梨兼意『香要抄』、與古籍整理研究——以佛典爲中心」、博物学与写本文化:
知識——信仰伝統的生成与構造国際学術会議、復旦大学歴史学系,2015 年 6 月 19
~ 22 日。
「日本中世“篇立音義”研究」、第 9 回漢文仏典言語学国際シンポジウムおよび第 3
回仏教音義国際シンポジウム、北海道大学文学研究科、上海師範大学人文与伝播
学院共催 . 札幌,2015 年 8 月 25 ~ 27 日。
「日本早期異體字研究——以無窮会本『大般若経音義』爲例」中国文字学会第八回
学術年会、中国人民大学文学院、2015 年 8 月 21 ~ 24 日。
「日本信瑞『淨土三部経音義集』引『説文』考」、第三回許慎文化国際研討会、中国
文字学会、中国訓詁学研究会、河南省文字学会、漯河市政府共催、2015 年 10 月 31
日~11 月 2 日。
「日本訛俗字例考——以『香要抄』爲資料」、記念蔣禮鴻先生誕辰 100 周年及び第九
回中古漢語国際学術研討会、浙江大学漢語史研究中心、2016 年 3 月 25 ~ 27 日。
レポート
第三回佛経音義研究國際学術研討紀要、韓国交通大学東亜研究所 ·上海師範大学
人文与伝播学院『東亜文献研究』16 号(2015 年 12 月)、. 325–33 頁。
森里 武(もりさと・たけし) (研究員)
論 文
(Cody Staton 共著)“Introduction to the Philosophy of Hatano Seiichi: With a Partial
Trans­lation of Time and Eternity,” Comparative & Continental Philosophy 12/1 (2016): 1–16.
学術発表
“On Metanoesis: From Japanese Philosophy to the World Philosophies.” IAJP Session for
2016 APA Eastern, Washington D. C., 6–9 January 2016.
“Closing Address: The Past, the Present, and the Future of the ENOJP.” First Annual
Conference for the European Network of Japanese Philosophy (ENOJP), Barcelona, 3–5.
December 2015.
村山由美(むらやま・ゆみ) (客員研究所員)
論 文
“The Samurai Christians: Uchimura and Ebina, and their Bible.” Japan Mission Journal
70 / 1 (2016): 43−61.
共 編
金承哲他
『近代日本における科学と宗教の交錯』南山宗教文化研究所、2015 年 5 月、
xii + 660 頁。
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共 著
須藤伊知郎、淺野淳博、村山由美「文化研究批評」、淺野淳博他編『新約聖書解
釈の手引き』日本基督教団出版局、2016 年 2 月、246−79 頁。
随 筆
「普遍宗教は国家を超えるか?」黒木雅子・李恩子編『「国家を超える」とは——民族・
ジェンダー・宗教』新幹社、2016 年 3 月、213–24 頁。
書 評
Emily Anderson, Christianity and Imperialism in Modern Japan, in Religious Studies in
Japan 3 (2016): 89–95.
特別講義
Risk Management Seminar on “Managing the Risk of Hatred?” 神戸大学 Campus Asia
Program, 2015 年 6 月 5 日。
学術発表 「女性雑誌の時代:
『新女界』に見るキリスト教とジェンダ」、研究会:近代日本のメデ
ィアと宗教、京都大学人文科学研究所、2015 年 7 月 25 日。
“Japanese Christianity amidst the Religious Diversity of Japan” in Denmark-Japan Joint
Workshop: Rethinking Religious Diversity in Japan, Nanzan Institute for Religion and
Culture, 24 October 2015.
奥山倫明 (おくやま・みちあき) (第一種研究所員、人文学部教授)
論 文
「『政教分離』を再考する」南山大学『アカデミア』人文・自然科学編 11 (2015): 218–
38.
学会発表
“Religious Dimensions of the Japanese Imperial System in a Post-Secular Soci­e ty,”
xxi World Congress, International Association for the History of Religions, Erfurt,
Germany, 24 August 2015.
“Interpretations of Spirituality: Comparing Shinnyo-en Followers in Japan and the
West,” xxi World Congress, International Association for the History of Religions,
Erfurt, Germany, 25 August 2015.
“Rethinking Religious Nationalism in Contemporary Japan,” Lunch Seminar on
Japanese Economy and Society, French Research Institute on Japan, La Maison FrancoJaponaise, Tokyo, 20 September 2015.
“Some Characteristics of Statistics on Religious Affiliation in Japan,” Denmark-Japan
Joint Workshop “Rethinking Religious Diversity in Japan,” Aarhus University and the
Nanzan Institute for Religion and Culture, Nagoya, 24 October 2015.
斎藤 喬(さいとう・たかし) (研究員)
学会発表 「ロベール・ブレッソン『少女ムシェット』における唾棄すべきもの」、日本宗教学会第 74
回学術大会、創価大学、2015 年 9 月 6 日。
学術発表 「ポー作品の翻案におけるグラン・ギニョルらしさの創出」、名古屋宗教社会学研究
会例会、南山宗教文化研究所、2015 年 7 月 5 日。
「ジャック・ラカンにおける聖者と精神分析家」、第 2 回「呆」の研究会、南山宗教文
化研究所、2016 年 3 月 18 日。
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ポール・スワンソン Paul L. Swanson (第一種研究所員、人文学部教授)
論 文
“Saichō’s Tendai: In the Middle of Form and Emptiness,” (with Brook Ziporyn), in Oxford
Handbook of Japanese Philosophy, ed. Bret Davis. Oxford University Press., 2015
学術発表
“Translator’s Introduction to the Mo-ho chih-kuan,” Tendai Buddhism Workshop, West­ern
Michigan University, 7 November 2015.
“Some Aspects of Science-and-Religion Spirituality in Japan: The Significance of
Kokoro.” International Symposium on Religion and Science in Dialogue: Consequences
for Reli­gious Education,” Nanzan Institute for Religion and Culture, 29–30 January 2016.
「高木顕明と仏教的社会主義」、12 回「仏教と近代」研究会シンポジウム「近代仏教と
社会主義」、愛知学院大学 2016 年 3 月 10 日。
講 演
“Current Issues in the Study of Japanese Religions,” Elon University, 10 November 2015.
“The Challenges of Academic Journal Publishing,” Duke University, 12 November 2015.
翻 訳
Yoshida Kazuhiko, “The Credibility of the Gangji engi,” in Japanese Journal of Religious
Studies 42 (2015): 89–107.
ジェームズ・W・ハイジック James W. Heisig (名誉 第一種研究所員・人文学部教授)
著 書
Jesus’ Twin: A Commentary on the Gospel of Thomas (New York: Crossroad, 2015), 143
pages.
Much Ado about Nothingness: Essays on Nishida and Tanabe (Nagoya: Nanzan, 2015), 434
pages.
(with Rafael Shoji). Kanji. Imaginar para aprender. Um Curso Completo para a Memori­
zação da Escrita e Significado dos Caracteres Japoneses (São Paulo: Kasina/Nanzan, 2015),
522 pages.
(with Anna Ruggeri). Per ricordare i kanji. Corso mnemonico per l’apprendimento veloce
di scrittura e significato dei caratteri giapponesi (Nagoya: Nanzan, 2015), 504 pages.
論 文
“Nishida’s Philosophical Equivalents of Enlightenment and No-Self.” Bulletin of the
Nanzan Institute for Religion and Culture 40 (2016): 36–60.
「머리말」
『기독교와 불교 , 서로에게 배우다』[Foreword, What does Christianity have
to learn from Buddhism?] (Seoul: Woo Books, 2015), 5–9.
“Tanabe Hajime’s Elusive Pursuit of Art and Aesthetics.” Journal of Japanese Philosophy 3
(2015): 1–29.
講 演
“Dieu en tant que néant.” Department of Philosophy, Université de Kinshasa, Kinshasa,
Democratic Republic of Congo, 20 May 2014.
“Le christianisme et le dialogue.” Université St Augustin and Université Catholique du
Congo, Kinshasa, Democratic Republic of Congo, 21 May 2014.
“Nishida’s Philosophical Equivalents of Enlightenment and No-Self.” I.N.A.L.C.O., Pôle
des Langues et Civilisations, Paris, 24 May 2014.
“Remembering the Regular-Use Kanji in One Month.” Chūkyō University, Nagoya. 21
October.
“El deseo, la nada y la búsqueda de una nueva imagen de Dios.” Conferencia Magi­sterial,
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Segundo Seminario Internacional de Ontología e Historia: Indagación sobre las vías
de otra historia en la Escuela de Kioto. Universidad Nacional Autónoma de México, 1
December 2014.
学術発表
“The Future of Japanese Philosophy: Reflections on the Conference,” Conference on
“Spiritual Values and the Physical World,” Ohio State University, 18 April 2015.
Response to panel on “Shin Buddhism in the Shōwa Period and Japanese Buddhist
Thought.” Symposium on “Cultivating Spirituality: The Significance of Modern Shin
Buddhist Thoughts in the History of Religions,” Ōtani University, Kyoto, 26–27 June 2015.
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Japanese Journal of Religious Studies
vol. 42 (2015) の目次
論 文
Ryūichi Abé. Revisiting the Dragon Princess: Her Role in Medieval Engi Stories and Their
Implications in Reading the Lotus Sutra. 42/1: 27–70.
Heather Blair and Kawasaki Tsuyoshi. Editors’ Introduction: Engi: Forging Accounts of Sacred
Origins. 42/1: 1–26.
Edward R. Drott. “To Tread on High Clouds”: Dreams of Eternal Youth in Early Japan. 42/2:
275–317.
G. Clinton Godart. Nichirenism, Utopianism, and Modernity: Rethinking Ishiwara Kanji’s East
Asia League Movement. 42/2: 235–274.
Janet R. Goodwin and Kevin Wilson. Memories and Strategic Silence in Jōdoji engi. 42/1: 109–131.
Erez Hekigan Joskovich. The Inexhaustible Lamp of Faith: Faith and Awakening in the Japanese
Rinzai Tradition. 42/2: 319–338.
Kawasaki Tsuyoshi. The Invention and Reception of the Mino’odera engi. 42/1: 133–155.
Stephan N. Kory. From Deer Bones to Turtle Shells: The State Ritualization of PyroPlastromancy during the Nara-Heian Transition. 42/2: 339–380.
Jesse R. LeFebvre. Christian Wedding Ceremonies: “Nonreligiousness” in Contemporary Japan.
42/2: 185–203.
D. Max Moerman. The Buddha and the Bathwater: Defilement and Enlightenment in the Onsenji
engi. 42/1: 71–87.
Aike P. Rots. Sacred Forests, Sacred Nation: The Shinto Environmentalist Paradigm and the Rediscovery of Chinju no Mori. 42/2: 205–233.
Takagishi Akira. The Reproduction of Engi and Memorial Offerings: Multiple Generations of the
Ashikaga Shoguns and the Yūzū nenbutsu engi emaki. 42/1: 157–182.
Yoshida Kazuhiko. The Credibility of the Gangōji engi. 42/1: 89–107.
書 評
Blair, Heather. Real and Imagined: The Peak of Gold in Heian Japan. Rev. by Jonathan E. Thumas,
42/2: 385–391.
Boret, Sébastien Penmellen. Japanese Tree Burial: Ecology, Kinship and the Culture of Death. Rev.
by Aike P. Rots, 42/2: 392–395.
Deal, William E., and Brian Ruppert. A Cultural History of Japanese Buddhism. Rev. by Ronald S.
Green, 42/2: 381–385.
Magliola, Robert. Facing Up to Real Doctrinal Difference: How Some Thought-Motifs from Derrida
can Nourish the Catholic-Buddhist Encounter. Rev. by Joseph S. O’Leary, 42/2: 395–398.
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Asian Ethnology
vol. 74 (2015) の目次
論 文
An, Deming, and Yang, Lihui. Chinese Folklore Since the Late 1970s: Achievements, Difficulties,
and Challenges. 74/2: 273–290.
Bamana, Gaby. Tea Practices in Mongolia: A Field of Female Power and Gendered Meanings. 74/1:
193–214.
Chen, Zhiqin. For Whom to Conserve Intangible Cultural Heritage: The Dislocated Agency of Folk
Belief Practitioners and the Reproduction of Local Culture. 74/2: 307–334.
Chia, Jack Meng-Tat. Toward a Modern Buddhist Hagiography: Telling the Life of Hsing Yun in
Popular Media. 74/1: 141–165.
Chien, Mei-ling. Leisure, Work, and Constituted Everydayness: Mountain Songs of Hakka Women
in Colonized Northern Taiwan (1930–1955). 74/1: 37–62.
Chowdhry, Prem. Popular Perceptions of Masculinity in Rural North Indian Oral Traditions. 74/1: 5–36.
Ishii, Miho. Wild Sacredness and the Poiesis of Transactional Networks: Relational Divinity and
Spirit Possession in the Būta Ritual of South India. 74/1: 87–109.
Kimbrough, R. Keller. Bloody Hell! Reading Boys’ Books in Seventeenth-Century Japan. 74/1: 111–139.
Korom, Frank J., and Benjamin Dorman. Editors’ Note. 74/1: 1–3.
Lauer, Tina. Between Desire and Duty: On Tibetan Identity and its Effects on SecondGeneration Tibetans. 74/1: 167–192.
Li, Jing. Guest Editor’s Introduction: Chinese Folklore Studies: Toward Disciplinary Maturity. 74/2:
259–272.
Liu, Tieliang. Village Production and the Self Identification of Village Communities: The Case of
Fangshan District, Beijing. 74/2: 291–306.
Loy, Christopher. Cultivating Ezo: Indigenous Innovation and Ecological Change during Japan’s
Bakumatsu Era. 74/1: 63–85.
Peng, Mu. The Invisible and the Visible: Communicating with the Yin World. 74/2: 335–362.
Yang, Lihui. The Effectiveness and Limitations of “Context”: Reflections Based on Ethnographic
Research of Myth Traditions. 74/2: 363–377.
研 究 ノート
Valk, Julie. The “Kimono Wednesday” Protests: Identity Politics and How the Kimono Became
More Than Japanese. 74/2: 379–399.
フィールド ノート
Low, Kok On, and Jacqueline Pugh-Kitingan. The Impact of Christianity on Traditional Agricultural
Practices and Beliefs among the Kimaragang of Sabah: A Preliminary Study. 74/2: 401–424.
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書 評 論 文
Heimarck, Brita Renée. Critical Reflections on Religion and Media in Contemporary Bali. 74/2:
425–440.
書 評
Adcock, C. S., The Limits of Tolerance: Indian Secularism and the Politics of Religious Freedom. Rev.
by J. E. Llewellyn, 74/2: 453–454.
Allen, Chadwick. Trans-Indigeneous: Methodologies for Global Native Literary Studies. Rev. by
Charlotte Eubanks, 74/1: 223–225.
Aso, Noriko. Public Properties: Museums in Imperial Japan. Rev. by Charlotte Eubanks, 74/1: 240–242.
Bishop, John Melville. In The Wilderness of a Troubled Genre. Rev. by Paul Stoller, 74/1: 215–217.
Boscagli, Maurizia. Stuff Theory: Everyday Objects, Radical Materialism. Rev. by Laurel Kendall,
74/2: 441–443.
Bubriski, Kevin. Nepal: 1975–2011. Rev. by Niels Gutschow, 74/1: 249–251.
Cho, Mun Young. The Specter of “the People”: Urban Poverty in Northeast China. Rev. by Jialing Luo,
74/1: 231–233.
Clark, Marshall, and Juliet Pietsch. Indonesia-Malaysia Relations: Cultural Heritage, Politics and
Labour Migration. Rev. by Antje Missbach, 74/1: 252–254.
Giusti, Mariangela, and Urmila Chakraborty, eds. Immagini, storie, parole: Dialoghi di formazi­
one coi dipinti cantati delle donne Chitrakar del West Bengal. Rev. by Carola Erika Lorea, 74/1:
233–236.
Harris Rachel, Rowan Pease, and Shzr Ee Tan, eds. Gender in Chinese Music. Rev. by Kam Louie,
74/1: 228–231.
Idema, Wilt L., and Stephen H. West. The Generals of the Yang Family: Four Early Plays. Rev. by
Anne E. McLaren, 74/2: 450–452.
Kim, Kyung Hyun, and Youngmin Choe, eds. The Korean Popular Culture Reader. Rev. by Andrew
David Jackson, 74/1: 246–248.
Lee, Wendy J. N. Pad Yatra: A Green Odyssey. Rev. by Frank J. Korom, 74/1: 217–219.
Nelson, John K. Experimental Buddhism: Innovation and Activism in Contemporary Japan. Rev. by
Charlotte Eubanks, 74/1: 243–246.
Otmazgin, Nissim Kadosh. The Poiltical Economy of Japanese Popular Culture in Asia. Rev. by
Michael Dylan Foster, 74/1: 237–240.
Sultanova, Razia. From Shamanism to Sufism: Women, Islam and Culture in Central Asia. Rev. by
Richard K. Wolf, 74/1: 225–228.
van der Veer, Peter. The Modern Spirit of Asia: The Spiritual and the Secular in China and India.
Rev. by Thomas David DuBois, 74/1: 220–222.
Witzel, E. J. Michael. The Origins of the World’s Mythologies. Rev. by Bruce Lincoln, 74/2: 443–449.
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研究所のスタッフ
2015 年 4 月 ~ 2016 年 3 月
第一種研究所員
奥山 倫明、所長
Benjamin Dorman
川上 恒雄
金 承哲
Paul L. Swanson
Frank Korom
James W. Heisig(名誉)
長澤 志穂
第二種研究所員
梁 暁虹
西脇 良
編集員
David White
研究員
粟津賢太
斎藤 喬
森里 武
Carla Tronu
非常勤研究員
内藤 理恵子
大谷 栄一
坂井 祐円
高田康成
高橋勝幸
寺尾 寿芳
Tiziano Tosolini
肖越
客員研究所員
Chung Il Seung
村山由美
James Morris
Jesse Sargent
Line Schreyer
Ola Sigurdson
倉田夏樹
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長澤 壮平
Thomas J. Hastings
日沖直子
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小林 奈央子
Alena Govorounova
星野 壮
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岩本 明美
諸宗教研究講座客員研究所員
Joseph S. O’Leary
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南山宗教文化研究所 研究所報 第 26 号
2015 年 5 月 15 日 印刷
2015 年 5 月 20 日発行
編集者・発行者 奥山倫明
発行所 南山宗教文化研究所
〒 466–8673
名古屋市昭和区山里町 18
南山大学内
電話 052–832–3111(代)
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fax 052–833–6157
e-mail [email protected]
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