Vol.3 「ピンチの前にチャンス」ファーム・おだの実践

社団法人JA総合研究所 研究員レポート
「シリーズ・手づくり、田づくり、里づくり」vol.3
「ピンチの前にチャンス」ファーム・おだの実践
(社)JA総合研究所・基礎研究部
客員研究員
黒川愼司
1.はじめに
「農事組合法人ファーム・おだ」の事務所の会議室の壁には、2つのスロー
ガンが掲示してある。1は「清流の水と温かい心で一致協力、夢と希望の里づ
くり」、その2は「緑豊かな自然を守り、みんなの力で楽しく明るい農業を築こ
う」だ。
「農業は1人でやれば、苦労の絶えない、つらい仕事です。しかし、仲間が
いて、協力してやれば、楽しい仕事となります。2つのスローガンは、仲間が
手を携え、楽しい農業を構築し、小田を夢と希望の里にするという確認事項で
す」と語るのは、設立時から代表を務める吉弘昌昭組合長。ファーム・おだは、
広島県のほぼ中央の東広島市河内町小田に平成17年の11月12日に、夢と
希望の里づくりを目指して設立された。
この法人の代表・吉弘昌昭さん(69歳)は、昭和35年から広島県庁で農業技
術者として活躍、平成11年に県を退職後は農業会議で担い手対策等の仕事を
平成15年まで担当した。広島県の普及員は、市町村に駐在するため、県職員
時代はふるさとである小田の家を離れて働いた。37年ぶりに小田の家へ帰っ
てからも、農業会議の仕事で広島市への通勤。農業会議を退職して小田での暮
らしがスタートしたのが平成16年。しかし、周囲は、吉弘さんに寸暇も与え
ない。吉弘さんは、県職員時代に人に説いてきたことを、自らの手で実践する
こととなる。
「地下(じげ)侍よりも、旅坊主」という言葉がある。地下の者が良いことを言
っても、人は素直に受け入れない。しかし「同じことを旅の坊さんが説けば、
ほう、なるほどと受け入れる」という意味だ。この言葉を教えてくれた職場の
先輩は、人をして語らしめよ。急がばまわれで、おまえが大きな声で語っても、
なかなか、受け入れられるものではないぞと諭された。なぜ、このようなこと
を言うのかというと、吉弘組合長は、家を長い間空けておられた県職員という
経歴からして「旅坊主」であり、かつ、今は地下侍として活動の先頭に立つと
いう2つの役割を果たしておられるからだ。つまり理論家であり実践家という
ことだ。
2.ファーム・おだの里づくり
ファーム・おだの基本は、とにかく人が集うこと。集い、そして話し合うこ
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とだ。そのため、理事会は月に2回開催され、平成17年11月の設立以来、
たった2年半で通算54回となる。また、この軌跡をきちんと認識するためか、
6月下旬の理事会は第54回と行事予定表に書かれている。その都度、理事会
に第何回と回数が書き加えられることで、議論の量と質を理事個々が把握する
とともに、法人の組合員も理事会の真剣な議論を理解する材料となっているの
だろう。
地域の資源を徹底的に活用するのも、小田の鉄則のようだ。ファーム・おだ
の事務所は、JA広島中央の小田支所を月額1万円で借りている。今回の取材
が初めての小田訪問だったが、建物があまりに立派過ぎて、1kmあまり行き
すぎ、再度、携帯で確認してたどりついた。
「この施設も、2つ、3つの集落で
法人化していたら、JAも貸してくれなかったと思います。しかし、小田地区
の13の全ての集落を1農場として法人を立ちあげたので、JAも簡単に貸し
出す理屈がついたんですよ」と吉弘組合長。
ファーム・おだは、13の集落で構成され、昨年の水稲と大豆の耕作面積は、
水稲が48.6haで、大豆が16.4ha。水稲の品種は、コシヒカリが16.
4ha、ヒノヒカリが19.2ha、あきろまん11ha、ヒメノモチが2ha。
大豆は、アキシロメとサチユタカの2品種。水稲、大豆以外にもソバや野菜も
手掛けるが、代表的な2品目、65haの農作業のための機械装備は、平成1
8年3月時で 3450 万円、同8月時に大豆関連で 727 万円余。さらにリース物件
が 2035 万円となっている。
昨年の水稲の作況は、広島県が99だったのに、当地は109という好成績
だった。これは、法人が徹底した土づくりに取り組んだ結果だ。ファーム・お
だは、福山市にある「(株)なかやま牧場」と耕畜連携を展開している。中国地
区で最大頭数を誇る肥育に取り組むなかやま牧場から堆肥を受け入れ、ファー
ム・おだは、稲わらをロール化して、なかやま牧場に供給する。ここまでなら
他地区でもないこともない連携だが、ファーム・おだが違うのは、双方のその
実りも連携する点だ。なかやま牧場の直売店では、お米が売られ、小田地区の
直売所・寄りん菜屋では、牧場の肉が販売されるという、産品段階でも耕畜連
携が取られている。
また13地区の84haの水田への利用権設定という規模メリットが生かさ
れ、堆肥の運び込みも極めて効率的となった。しかし、水稲で10a当たり1.
8トン、大豆で3トンもの堆肥を施肥するので、その数量は膨大なものとなる。
このため地区外とはなるが、なかやま牧場との提携に踏み切った。土づくりの
内容だが、堆肥は、水稲で10a当たり平均1.8トンを入れるとともに、深耕
にも取り組んでいる。
こうした土づくりをすれば、今後規模拡大に着手する野菜栽培にも大きな成
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果をもたらすと確信している。転作は、水稲作付けにとって一番条件の悪いと
ころでやるというのが、多くの事例だ。しかし、吉弘組合長は「こうした土づ
くりをすれば、転作のための転作でなく、本作としての野菜づくりが可能とな
る。この小田の地で栽培できるものは、幅広く取り組んでいきたい。そのため
の基本が土づくりだ」と話す。
小田にあるものを活用すると前述したが、ファーム・おだはライスセンター
を設置していない。この規模の水稲経営でなぜ、の疑問には「同地区の農家が、
既に設備を所持していたので、それを使えば良いと考えたからだ」の返事。ま
た使用しなくなったタバコの乾燥施設を借り受けて、大豆関連の機械を装置し
た。法人設立の際のアンケート調査によれば、小田地区の機械投資額は、実に
7億 6000 万円。法人化後の投資は約 6000 万円と10分1以下の削減となった。
各戸が所有する農機は、中古で農機具販売会社や知人が引き取ったとのことだ。
3.小さな役場「共和の郷・おだ」と直売所「寄りん菜屋」
ファーム・おだの実践を支えているのが、小さな役場と地元で呼ぶ、
「共和の
郷・おだ」だ。この小さな役場「共和の郷・おだ」は、行政合併の議論の中か
ら誕生した。小田地区のある河内町は、平成17年の2月に東広島市と合併し
た。この合併に先行して、平成9年の3月に小田小学校の廃校が決定した。続
いて保育所、診療所などの公共施設も整理統合の方針が打ち出された。こうし
た動きの中から、小田は、小田の住民の手で守らなければとの住民の危機意識
がバネとなり、平成15年の10月5日に13集落、236戸、681人とい
う小学校の校区全体を対象とする、真の自治組織が地域住民の手で設立された。
野球の実況で「ピンチの後にチャンスあり」とアナウンサーが語る場面がよ
くある。しかし、小田地区の実践は、「ピンチの前にチャンスあり」といえる。
ピンチが到来する前に、それを先取りしてチャンスへと転化させたのが、この
小さな役場の取り組みだ。吉弘組合長も「辞書には、ピンチには、危険という
意味と機会という意味がある」と語っている。このピンチをチャンスととらえ
る先見性とそれを住民の多くが共有できる「場づくり」を支えたものは、ふる
さとを守りたいという多くの住民の願いの組織化だ。
この自治組織には、5つの部が置かれた。農業関係は、農村振興部が対応し
た。法人組織の設立もこの農村振興部の調査などから、その必要性が判明した。
その調査では、
「5年後には42%の農家から農業ができなくなる」との回答が
寄せられた。これに対応すべく議論を進める中から「法人による農業経営」が
共通認識として醸成された。しかし、法人化には賛成しても、自分の農地を法
人に預ける「利用権の設定」には、簡単に合意は得られなかった。このため吉
弘組合長らは、①地権者の指定した時間と場所に出向く②その場には、奥さん
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も同席してもらう③最低3回は覚悟して、粘り強く交渉する、ことなどを事前
に確認して、校区1農場という、広島県内最大面積の「農事組合法人ファーム・
おだ」設立にこぎつけた。
法人設立に際しリーダーの昼夜を分かたぬ努力が一番の力であることは間違
いない。しかし、それを支える「危機の共有」は、小さな役場づくりから生ま
れて来た、地域の一体感、連帯感だったのも事実だろう。
もう1つは、直売所「寄りん菜屋」の実践。この直売所は、平成12年に設
立された。この施設の働き手は、売り場も食堂も女性が主力。食堂のメニュー
も、この女性たちが考案した、地元食材中心のもの。直売所の売店には、地元
の産品とともに耕畜連携のシンボル、なかやま牧場の精肉と地元産の小田米が
仲良く並んでいる。売り場の一角に「ハッタイ粉」を見つけ、懐かしさに思わ
ず購入しわが家への土産とした。取材したのは6月19日だったが、近々開催
する蛍まつりのために、麦わら製の蛍かごづくりに売り場のおかあさんが取り
組んでいた。ここ「寄りん菜屋」で働く、おかあさんたちの元気が、小田地区
の元気の証左だ。
4.今後のファーム・おだ
吉弘組合長が今後の取り組みとして力を注いでいるのが、地元東広島市の学
校給食への野菜など食材供給だ。しっかりと土づくりした圃場から取れる新鮮
野菜を子供たちに食べさせたい。そのためにカボチャ、トウモロコシ、葉ネギ、
トマト、ジャガイモなど多品目を、地元の女性パワーを活用して栽培すること
としている。米粉によるパン製造も実現したい。大人向けには、ソバ焼酎づく
りも検討中。大豆は、味噌、豆腐加工を拡充する方針だ。
また、既に手掛けている都市との交流も、より強化したいと考えている。現
在展開しているのは、田植えと稲刈り、さつまいもの植え付けと芋掘りなど。
いま小田城跡地に桜の植え付けも行っている。もちろん花見用に。山際の荒れ
た農地には2頭の黒牛を放牧し、草対策とイノシシ除けに実験的に取り組んで
いるが、これとて子供たちにとっては、めったにない動物とのふれあいの場だ。
吉弘組合長の口からは、速射砲のように、次から次に「夢」が出てくる。こ
の夢は、みる夢ではなく、近い将来に実現可能な夢だ。なぜなら、組合長1人
の夢ではなく、地域住民が共有する夢だから。
月2回の理事会は、無報酬で開催されている。この理事会を通じて徹底して
話し合い、夢を具体化して来た「ファーム・おだ」の実践は、さらに大きな夢
実現に向けて、地域はもとより、周辺の都市をも巻き込んで展開されている。
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連絡先 〒739-2207 広島県東広島市河内町小田2053
ファーム・おだ 組合長 吉弘昌昭
(2008.6.25)
(写真)壁に掲示してある2つのスローガン
(写真)町内の作付けマップを前に説明する吉弘組合長
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(写真)行事がぎっしりと書き込まれた黒板
(写真)寄りん菜屋に並ぶ小田産の米と耕畜連携のパネル
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(写真)寄りん菜屋の駐車場に立てられた案内板
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