村上ファンド事件控訴審判決について 判決要旨 2009年2月3日、東京高等裁判所でニッポン放送株のインサイダー取引に関する村 上世彰被告(以下、 「村上」とする)に対する控訴審判決の言渡しがあった。インサイダー 取引違反の罪について有罪を維持したが、懲役2年の実刑としていた一審判決を破棄し、 懲役2年執行猶予3年とした。 控訴審判決が認定した事実は一審判決と同じである。それなのに、なぜこのような量刑 になったのか。 第一審判決最大の問題点 第一審において大きな争点となったのは、インサイダー取引における「重要事実」 (旧証 券取引法167条)の実現可能性の点であった。村上側は、実現可能な事実でなければ「重 要事実」には当たらないと主張して争ったが、第一審は「実現可能性は存在すれば足り、 その高低は問題にならない」と判示した。 こういう一般論が裁判所の判断として示されることが証券市場・企業社会全体に与える 悪影響は著しく大きい。つまり、この一般論を前提にした場合、世の中の上場企業に関す る情報が何でもインサイダー取引の構成要件である「重要事実」に当たり得ることに思え てしまう。例えば自社株買いやM&Aに関する様々な情報が、この「重要事実」に該当す ることになる。 このような経済事犯に関する判決の一般論が、インサイダーの脅威による投資意欲の低 下という形で市場に悪影響を及ぼしたものと思われる。 そもそもの問題はこの事件を無理にインサイダー取引事犯として構成した検察にある。 一審判決は事実上そのような無理な構成を「丸呑み」したのであるが、そのために重要事 実の実現可能性について、違反の成立範囲を不当に拡大する一般論を示し、それが日本の 経済社会に大きな悪影響を及ぼすこととなった。 実現可能性の点に関する控訴審判決の判示 以上の第一審判決に比べれば、控訴審判決は全体的に慎重な事実認定及び判示を行った ものといえる。即ち控訴審判決は、 「当該『決定』が、投資者の投資判断に影響を及ぼし得 る程度のものであるか否かを、その者の当該『決定』に至るまでの公開買付等の当否の検 討状況、対象企業の特定状況、対象企業の財務内容等の調査状況、公開買付等実施のため の内部の計画状況と対外的な交渉状況などを総合的に検討して個別具体的に判断すべきで あり、 『決定』の実現可能性の有無と程度という点も、こうした総合判断の中で検討してい くべきものである」と判示した。これは、一審判決のような実現可能性に関する大雑把な 判断を相当程度修正したものと言える。 問題は、そのような一般論を前提にした場合、果たして本件の起訴事実のニッポン放送 株売買の時点で重要事実の実現可能性の存在は認定できるかである。 ライブドアがニッポン放送株式を大量取得して同社の支配権を獲得するためには、当然 大量の資金が必要であった。それとの関係で、実現可能性に関して、ライブドアが大量の 資金源を確保したのはいつかという点が重要になってくる。 一審の認定した時期には、ライブドア側の大量の資金調達の仕組みは全く具体化してい なかった。控訴審では、この点についてクレディスイスの関係者が証言したと聞いている。 またこの件でライブドア側の実質的中心人物であった宮内氏も、控訴審では村上ファンド 側との交渉経緯について一審での証言と異なる事実を証言したようだ。このような経緯か らは、控訴審判決が実現可能性がなかったことを理由にインサイダー取引の成立を否定す ることもあり得たのである。 しかし控訴審判決も、結局11月8日時点での会議の段階における資金調達の目途が立 っていたか否かはあまり問題にせず、ライブドア側の主観的事情(ニッポン放送株大量取 得に関する積極性・方向性の明確さ)に着目し、 「11月8日の会議を設定しようとしたこ とにつき了承を与えた時点においては、ライブドアとして、既存のメディアとインターネ ットの融合という事業目的を達成するために必要との考えから、ニッポン放送というター ゲットを設定し、同社に対する一応の調査と、買収資金の調達に関する一応の目処を踏ま え、M&Aとニッポン放送株に関する広汎な知識と人脈を有し、かつ、既にニッポン放送 株を相当数保有している村上ファンドの協力のもとに同株式の3分の1獲得を目指す旨の 決定をしたものというべきであり、この『決定』は、実質的にも、投資者の投資判断に影 響を及ぼし得る程度に十分達しているものということができ、証券取引法167条2項の 『決定』に該当する」との判示を行った。 結局、控訴審判決も検察の構成したインサイダーの枠組みのなかで事実認定を行って有 罪の結論を導いた。控訴審判決の根底には、ここでの「重要事実」とは5%程度買える資 金があれば良いという考え方があると思われるが、それを前提に重要事実の実現可能性を ライブドア側の積極性、方向性の明確化、主観的な意図を重視して認定したということが できる。 ただこのような控訴審の事実認定は、ようやく有罪が維持できたという程度のもので、 まさにスレスレの判断だった。それが量刑判断の点で、執行猶予の有無という重大な違い につながっていく。 控訴審判決と法律構成 この事件に関して、私は旧証券取引法157条の包括条項である「不正の手段、計画、 技巧」に当たるとして立件すべき事件だったと発言してきた。 今回明らかにされた村上の行為は、要するに「騙し」である。村上はライブドアに対し ニッポン放送株を一緒に買い進めて支配権を取得していくように思わせながら、ライブド アが買い注文を出したタイミングで大量の売り注文を出し、既に保有していた株式の半分 を売りに出した。さらに、ライブドアがニッポン放送を大量取得したと公表したことで市 場が高騰したタイミングで残りの保有株も売り抜け、大きな利益を上げた。以上一連の行 為はいわば巧妙な情報操作・市場操作と評価すべきものであり、 「証券市場の公正」を著し く害する行為である。このような事実は、旧証券取引法157条の包括規定が禁止する「不 正の手段、計画、技巧」そのものである。 控訴審判決と量刑 第一審判決は、このような市場操作的行為を量刑に関する事情として考慮していたが、 今回の控訴審判決はそういうやり方を否定した。 控訴審は村上の行為を、「ライブドアに・・・・ニッポン放送やフジテレビ等の支配を持 ちかけてニッポン放送株の取得を勧誘し、結果的にはフジテレビのTOBにも応じず、ラ イブドアに対してもその保有するニッポン放送株の約半分のみを売却するにとどまり、残 りの保有株を市場で高値で売り抜けて巨額の利益を上げており、こうした行為は、市場操 作的な行為であって、到底証券市場における健全・公正な活動とはいえないものである。 被告人のとった行動は関係者に対しても背信的であり、社会的にみてもひんしゅくを買う ものといえる。」とまで評価した。 しかし、それに続けて、以上のような「市場操作的な面を量刑上余りに強調しすぎると、 起訴されてもいない事実を犯罪として認定しこれを実質的に処罰したことになってしま う」と判示した。この判示部分は、刑事裁判の原則に沿った極めてオーソドックスな考え 方だが、それは「市場操作的な面」を別の犯罪として起訴することが可能だという判断を 前提にするものであり、その犯罪事実が何かと言えば、157条の「不正の手段、計画、 技巧」しか考えられない。 また控訴審判決は、村上ファンドが持ついわゆる「もの言う株主」の側面について、 「相 手方企業に改革を迫りその在り方を変えようとする村上ファンドの持つもう一方の側面 (物言う株主としての側面)を今の経済社会においてどのように評価すべきかについては、 未だ成熟した議論がなされているとは思われず、被告人(村上ファンド)の企業活動の一 面のみをとらえてこれを量刑事情として取り込むことにも困難が伴う。被告人らに対する 非難の程度は、あくまで起訴にかかる法律違反(本件においては、ニッポン放送株に関す るインサイダー取引)との関係を中心に検討されなければならない。」と述べた。 これらを総合した結果が、今回の執行猶予という量刑判断なのである。村上側は即刻上 告したようであるが、検察側には上告理由がなく、上告の可能性は低い。上訴した側への 不利益変更禁止の原則との関係で、実刑は事実上なくなったと言える。村上は内心では高 笑いしているはずである。 控訴審判決の評価 今回の控訴審判決をどうとらえるべきか。確かに、本判決は、経済社会に重大な影響を 与えかねない一般論を示した一審判決と比較すれば「穏当な判決」と言えよう。しかし一 方で、この事件を執行猶予という量刑に終わらせたことは重大な禍根を残した。 本件の不正の策略としての側面、ライブドアを騙し、株価高騰を仕組むことで一般投資 家を騙し、莫大な利益を上げた村上の行為は「史上空前の証券犯罪」と言っても良いほど である。そういった村上の行為に対する刑事司法の判断が執行猶予でいいのか、私は絶対 に納得できない。 2月4日付日本経済新聞の社説でも述べられているが、今回の控訴審判決が村上の行為 を「背信的であり、社会的にみてもひんしゅくを買うもの」とまで述べながら、それを量 刑上重要視することは起訴されていない犯罪を処罰することになって許されないと述べて いるのは、今回の事件はインサイダーの枠組みでなく、インサイダー取引の罪より重い刑 を定める包括規定の枠組みで起訴されるべき事案であり、そうしていたら「市場操作的行 為」を正面から認定し有罪・実刑判決を行うことも可能だったという控訴審裁判所の見方 を示すもののように思われる。 あるべき方向性 先週末、昨年10月に民事再生法の適用申請をしたアーバンコーポレーションに関して 日本証券業協会がBNPパリバに対して10億円の過怠金を科すとの報道があった。 しかし、このような過怠金で済むのかといえば、そんなはずもない。10億円儲けたの が悪いから金を払えば良いという問題ではないのである。この一件には、村上ファンド事 件と同じような不正の策略や、その背後にもっと悪辣・不正なからくりが潜んでいた可能 性がある。そういう事件こそきちんと刑事事件で処理していくべきであるのに、そのよう な証券犯罪的行為が野放しになってしまっている。この状況を打開するために、157条 の包括規定を活用すべきなのである。 まとめ 今回の控訴審判決に関して、証券関係者は、おおむねその内容を評価している。一審の 一般論の不当さからすれば、それも当然であろう。市場関係者も一先ずほっとしているは ずである。 一方で、残された問題は少なくない。現状のように村上やアーバンが行ったとされる不 正が横行する状態では、一般投資家が安心して投資できる公正で健全な市場は実現できな い。 そういった意味でも、検察には、今回の村上ファンド事件に関する捜査・処理のあり方 を反省して欲しい。これが、今回の事件に関して私が一番強く思うところである。 鰹節の偽装の問題について 食に関する事例として、ヤマキの「枯れ節」の不当表示問題につきコメントさせていた だく。この事件は「枯れ節」と呼ばれる特殊な鰹節を作る過程で、JAS規格ではカビを 付着させる回数が2回必要とされていたが、ヤマキはこれを1回しか行っていないのに「枯 れ節」という表示をしていたということで、同社製品の包装に付されていたJASマーク をつける要件が欠けていることが問題にされ、それを理由に全国から1800万個もの商 品の自主回収が命ぜられたというものである。 「枯れ節」の定義やこういった特殊な製法については初めて知ったという方が多いので はないか。厳密に言えばJASの要件は欠けるのかもしれないが、1800万個もの商品 の自主回収が社会的要請であったのであろうか。甚だ疑問である。たしかに、こういった 商品における表示は消費者にとって重要な情報源であり、正確な表示をすることが食品企 業に求められる。ただ、どんなに軽微なミスであった場合でも一律に回収せよというのは 余りに形式的過ぎる。ヤマキ側の説明によれば、上記カビ付けの回数は2回が原則ではあ るが、1回で同一品質を生産できる技術を開発したとのことである。そうだとすれば、実 質的には品質は変わらないのであり、それが形式的に規格の要件を充たしていなかったか らと言って、それをすべて回収して廃棄するというのは、かえって社会的要請に反するの ではないか。 マルトモの事例も問題点は同じである。報道によれば同社は焼津産の鰹節を販売するに 際し枕崎産の表示を付した点を問題視された。 問題は両者の品質・イメージにどれだけ有意な差があるのかという点である。まずもっ て「枕崎産の鰹節」がそこまでブランド化しているか否か自体が疑問である。私は昔奄美 大島の鹿児島地検名瀬支部というところで勤務したことがあるが、名瀬には生の鰹が獲れ る漁港があった。それ以外の枕崎や焼津などは、船上凍結という方法を使って鰹を獲って いる。このような違いがあるなら、それは産地・ブランドに大きな違いがあるといって良 いだろう。しかし今回の場合、枕崎でも焼津でも、大きな違いがあるとは思えない。 この件に関するネット上の記事にも、意味がよく分からないものがある。例えば1月2 3日付MSN産経ニュースの記事であるが、そこではマルトモの件に関して「同社は『原 料に焼津産が混入していた』などと説明している。しかし、11月29日の段階で、流通 先のスーパーの調査などで流通先のスーパーの調査などで焼津産が混ざっている疑いが浮 上していたのに、同社はその後も販売を継続。こうした経緯から、農水省は意図的な偽装 と見て調べていた。」と報じられている。 しかし、途中で混入の疑いが判明したけれど販売を継続した行為が、なぜ意図的な偽装 といえるのだろうか。私は、この偽装という言葉の意味合いにかなり問題があると考えて いる。 「食の安全」の問題については、今月20日に発売予定の「思考停止社会~『遵守』に 蝕まれる日本」(講談社現代新書)の中でも思いきり書いている。2009年という年が、 食をめぐる問題に関して、もう少しまともな議論ができるようになる一年になることを願 っている。 以上
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