第64号 1993年11月1日

1989年10月16日第三種郵便物認可1993年11月1日発行(毎月1匝日日発行)No.64
ANT日払町HEIDハlE囚5LFrTER㈱ ∋頚
バルトヘイト
ニュースレター
No.64 発行 アフリカ行動委員会ニュースレター編集部
ジョン・ムアブアンプェジョの版画
*9月25日・日本と南アの今後の関係を考える市民のつどい
11 講演 V.マトム・・・ 2
12 も *アンケートありがとうございました①降矢洋子 … 9
月 *『部族民』とは何か 鈴木智英 …11
台 く *S A F Eセクション 久々の近況報告 大西佐奈枝・・・12
併 *民主主義への道 (ウイークリーメイル) 青沼真美訳…14
号 じ *インド人支持獲得作戦(ウイークリーメ仙) 弘中敦子訳…16
*1993年総目次 …18
*『南アフリカの人々』写真パネルの貸出しについて20
1217/チ・アパルトヘイト ニュースレター 1993年11月1日発行 第≒踵郵便晩翠ヨ
9月25日・日本と南アの今後の関係を考える市民のつどい(連載②)
一顔と顔の見える関係をめざして一
第一部 講演 ヴィクタ一・マトム氏
【司会】いよいよ基調講演としてマトムさんのお話をうかがいたいと思います。南アフリ
カ黒人社会の現状ということで、マトムさんにお話していただきますが、ここから司会を
木下さんに代わります。
【司会】皆さん、こんにちは。これから司会を務めさせていただきます。このシンポジウ
ムはボランティアの傍ら素人が集まって手作りで用意しました。折角の機会ですから、で
きるだけ自由にディスカッションをしながら進めたいと思います。このあとのマトムさん
のお話も一方的に彼が話すのではなくて、皆さんからいろいろな質問をいただきながらや
りたいと思います。「顔と顔の見える関係」とありますように、皆さん、どうぞもっと前
の席にいらっしゃってください。そして、マトムさんの写真を見、体温を感じて帰ってい
ってほしいと思います。楠原さんから南アフリカの現状と∴私たちと南アの関わりについ
てお話しいただきましたが、会場の皆さんに感想なり、印象的だったことを伺ってみたい
と思います。前の方、どうですかつ
【参加者】楠原先生のお話で南アフリカの現状というものを初めて耳にしました。例えば
日本の貿易の現状とかは多少知ってはいましたが、それが日本の繁栄とともにアフリカ人
を苦しめる側に荷担してきたというのは初めて聞きました。これは私たちの観点を変えな
ければならないと気がつきました。
【参加者】今まで自分は南アフリカについて他の人よりは知っているつもりでしたが、ま
だまだいろいろな面で知らないことがありました。特に、名誉白人ということで日本人が
アフリカの人たちに苦しみを与えていたことがショ:ツクでした。
【司会】ありがとうございました。南アフリカについては情報が少ないですから、日本に
住む私たちが知らないことはいっぱいあると思います。例えばマンデラの名前を知ってい
アンチ 7ノヾルトヘイト ニュースレター 1993年11月1日発行 第三摘郵便物議可1釦
た方はどれくらいいますか。ほとんどの方が知っていますね。では、名誉白人という言葉
を知っていたという方は? これも7∼8割くらい。それでは日本の経済制裁がどのよう
に行われていたかをある程度イメージされている方は? こうなると3∼4割ですか。
情報量が少ないと、そこに住んでいる人がどんな生活をしているかが全然見えてこない
と思います。今日は、マトムさんという生身の人間を通して、彼とのやりとりを通して、
生の情報に触れていただけたらと思います。それでは、マトムさんを紹介します。
【マトム】まず、私自身のことについて、そして\フォトジャーナ二ノストとして今までや
ってきた仕事についてお話ししたいと思います。私も他の南アフリカの人々と同じよう
に、今の南アの現実の中で本当になりたかったものになれずに生きなければならなかった
一人です。私は、ヴィクタ一・ウィリヘ・マトムという名前ですが、ウィリへという名前
はアフリカの伝統的な名前で「なぐさめる」という意味があります。それはなぜかと言い
ますと、私が生れる前に二人の子ども(私にとっの姉と見)が亡くなってしまいました。
そこで、私が生れたときにウィリへとつけたのです。そして、私が幼い頃に両親が離婚す
ることになり、私は父のもとで兄弟と一緒に大きくなりました。私は学校に行くにも苦し
い状態でした。小学5年生の時には学費を納めることができず、学校に行けなくなりまし
た。
黒人居住区の悪い道を土をもってきて補修し、通る車から少しばかりのお金をもらうこ
とを始めました。そして、それで得たお金を貯めてコダックのインスタントカメラを買
い、学校の行事だとか近所の人の結婚式などを撮るようになったのです。ソエトではほと
んどの人がカメラをもっていませんし写真家も少ないので、私はソエトに住む人たちを撮
ることに興味をもち始めたのです。そして、写真を撮ることで私の弟や妹たち、あるいは
自分の学費も作ることができました。私にとって教育は大事なことだとずっと思っていま
した。
私には医者になろうという夢がありました。南アでは多くの人が病気や怪我をしますが
黒人には診察がきちんとは行なわれていません。そこで、私は医者になりたいと思ったの
です。でも、それは現実には無理でした。中2の頃、また学校に行くお金がなくなって
6ケ月間休学し、働いて学校に戻りました。その間に、医者になりたいという夢はもっと
もっと大きくなりました。経済的には難しいけれど、意欲さえあれば医者になれると夢を
見ていました。
その後、私は工業専門学校にすすみました。そこで自分の予想もしなかった自動車修理
の仕事を学ぶことになったのです。工業専門学校卒業後、修理工の資格を得ました。この
頃はボクシングもやっており、アマチュアのチャンピオンにもなったのですよ。身体も大
きくて有名でした。自動車修理工として働いている間も写真には関心がありまして、いろ
いろな本を読んで写真の歴史を知ろうとしました。しかし、それは単なる趣味に近いもの
だったと思います。
141アンチ アパルトヘイト一二ュ ̄スレタ ̄
1993年11月1日発行 誇三種郵便物認可
そのころ出会った南アフリカのフォトジャーナリストに、私はジャーナリストとしての
才能があると言われました。そして、ジャーナリストとして南アフリカの現実を伝えない
かと言われ、私はフォトジャーナリストとして活動することになったのです。その後、「
兄弟たち」という意味のグループを作って、私より若い世代に写真を教えるようになりま
した。私たちは、SACC(南アフリカ教会協議会)の建物に事務所をもちました。そこ
には多くの反アパルトヘイトのグループが事務所をもっていました。私たちは、商業的な
写真を撮るのではなくて、社会の現実を伝えることに専念しました。私たちの写真は、南
アの反アパルトヘイトの立場で作られてきた民衆の新聞、例えば『ニューネイション』と
か『ウイークリーメイル』、あるいは識字教育を目的にした雑誌などに写真を提供しまし
た。
不幸なことに私たちの事務所があった建物が爆破されてしまいました。しかし、それに
よって私たちの結束はさらに強くなり、仕事に対する意識、力というものが一層高まりま
した。南アでジャーナリストとして生きていくのはとても困難なことです。南アでは、報
道はそのまま出されるものではなく、とても厳しい検閲を受けなければならないからで
す。そして、多くのジャーナリストが殺されたり、逮捕されたりしました。私自身も警察
の弾圧を受けながらジャい−ナリストとして仕事をしてきました。なぜなら、当時法務大臣
だった人が、ペンはAK47(南アでよく使われる銃)よりも危険なものだから報道の自由
はけっして許してはいけないと言っていたからです。
フォトジャーナリストとしての取材中に、私は膝と背中を銃撃されたことがあります。
今でも傷痕が残っています。また、顔を強打されたこともありました。カメラを壊された
り、フイルムを抜かれたりということはしょっちゅうでしたし、逮捕されて拘留されたこ
ともありました。友人のジャーナリストで、こういう厳しい状況の中でジャーナリストの
道を断念した人もいました。しかし、こういう状況の中で私自身は鍛えられ強くなったと
いえましょう。
南ア政府は巧妙な抑圧の仕方を知っていて、その一つが劣等な教育を黒人に与えるとい
うことです。フォトジャトーナリストは黒人などがつく仕事ではないとされ、私たちは大学
などで写真を学ぶことができません。ですから、今まで一人も正式な学校で学んだ黒人の
フォトジャーナリストはいないのです。しかし、私たちはそういった中で自ら学び、今ま
ではより若い人たちに技術を教えられるようになりました。200人以上の生徒を育ててき
て、今はその中の12人とレセディ(「光」という意味)で若い世代を教育しています。以
上で私自身の話は終わりにして、私の撮った写真を御覧いただきながら、その背景につい
てお話ししたいと思います。
【司会】何校かの作品を通して、彼のメッセージをみたいと思います。まず、最初の一枚
ですが、これは写真展のポスターにもなりました。
【マトム】この写真は、男の子の学びたいという真剣な眼差しに心ひかれて撮りました。
1993年11月1日発行 繋三種郵便物認可151
そしてこの子の着ている新品のセーター、
ズボン、みがかれた靴、これだけ見ればあ
る程度お金のある子のようにみえますけれ
ど、本当はそうではないのに新一年生とな
った子どものために両親がなけなしのお金
をはたいて買ったのでしょう。その子が座
っているのは椅子ではなくてカバンです。
座るべき椅子がこの学校にはないのです。
そのカバンには「ニューサウスアフリカ」
という政府が新しい南アをアピールするた
めに使っているシールが貼ってあります。
シールの中には鳩がいて、それはキリスト
教で繁栄とか平和を表わすシンボルマーク
になっています。皮肉にも「ニューサウス
アフリカ」と書かれたシールを貼ったカバ
ンをもちながら、椅子さえもない学校でこ
の子は先生の話を聞いている・・・。
【司会】次の作品です。これはまず、皆さん
の印象をおききしましょう。タイトルは『雨
降りを楽しむ』です。男の子が上を向いて口
をあけているのですが。どうでしょう。
【参加者】同じような作品がもう一つあった
と思うのですが。雨を楽しむのは私もよくや
ることで、南アの人もやっているんだなと思
いました。
【参加者】天からの恵みである雨を飲んで楽
しんでいると思います。
【マトム】この写真は子どもが雨を二葉しんで
いるところで、南アフリカは日本のように頻
繁には降りませんから子どもにとって雨はと
てもうれしいことです。雨が降ると裸になっ
て外で走り回ります。上に樋がありますが、
それはあえて撮りませんでした。見る人に受
け取ってもらいたいと思いました。写真を撮
ることは、ただ揺るというだけではなく、そ
16)アンチ アパルトヘイト・ニュースレター 1993年11月1日発行 築三種郵便物認可
こで自分が何を伝えたいかということが非常に大切だと思います。そのときに重要なのは
アートとして何が撮りたいのか、そのタイミングということと、そしてどこに焦点を当て
るかだと思います。
【司会】マトムさんの写真がほとんど白黒なのはなぜですか?
【マトム】プロの写真家として、より芸術的なものを伝えられると思うからです。また南
アフリカではカラーを現像する場所がありませんので、写真を撮って自分で現像すること
はとても重要なことだと思います。そして、もう一つは写真を撮るときにどのような写真
になるかということを考えて撮るのですが、白黒の方が特に南アフリカでは自分が撮りた
いものが撮れるのです。黒人の肌の色の良さをよりよく写し出すには白黒の方がいいと思
います。日本に来て日本の女性を撮ったときには、カラーがいいかなと思いました。黒の
髪、白に近い肌、あるいは赤に近い唇、そういったコンビネーションはカラーの方がうま
く出ると思うからです。反対に日本の男性は白黒で撮りたいと思います。というのは男性
は口紅をつけていないので、その色のトーンがうまくでないからです。
【司会】今日は、日本でお撮りになった写真はもってこなかったのですね。
【マトム】残念ながら。
【マトム】次の写真ですが、これは私がもっとも好きな写真です。メッセージ性がもっと
も強く南アの状態を撮ったものです。白人農場で働く黒人の男の子が農薬を手で撒いてい
るところです。男の子は9才で、破られた服から見える筋肉は非常に力強いものでして、
そしてこの写真で自分が見たもの感じたもの、光りを伝えたいと思い、生きるために働か
なくてはならないこの子どもたちに何ができるか考えてもらいたいと思って撮りました。
この白人農場では100人以上の子どもが働いて
いて、この子もその一人です。この写真はカラ
ーでも撮ったのですが、その場合、あざやかな
に色が出たのは植えてあるタバコのグリーンだ
けで、この子自身の服の色も含めてカラーで振
るよりも、白黒の方がその強さが出ると思いま
す。また、この写真は芸術的にいうと、よくあ
る手法でここから上が空というような形の構図
なのですが、特に構図を考えて撮ったというよ
りは場面の印象を伝えたくて撮った写真です。
【司会】次の写真です。これは好奇心をそそる
写真ですね。見る人が小さな物語を作れそうな
感じがします。彼らがどうしてこんなことをし
ているのか想像してみてください。タイトルは
『バラック小屋の中の冗談』です。
【参加者】これ、私も一番好きです。たしかこ
アンチ アパルトヘイト∵ニュースレター 1993年11月1日発行 第三鰍
れは引っ越したところに新し
いベットが入っているのだと
思いますが、すごく家族が和
気諸々としていて、苦しい中
でのオアシスっていう感じが
して好きです。苦しい中でも
みんなが集まって新しいベッ
トの上でひとときを楽しむっ
ていうのはどこの世界でも同
じなんだなという思いと、本
当にがんばってほしいなとい
う気持ちでいっぱいです。
【マトム】これはベットの上で語り合う親子ですが、フォトジャーナリトとして仕事をし
ていますと、ふだんみられないプライベートな部分にも入っていきます。ある意味では写
真家というのは傲慢というか、そういうものが出てしまう職業だと思います。この写真で
私が伝えたかったのは技術的なことではなく、掘る人のパーソナリティが大切だと思いま
す。プロとしての写真家の技量はどれだけ自然にその場面を撮れるか、(被写体の)その
人たちのユニークさ、あるいは良さを出せるのか、表面だけでなく深いところにある意味
を一枚の写真を通して出せるかどうかというところにあると思います。その意味でもこれ
は私の好きな写真の一つです。
この写真を撮ったときに、私はこの家族と4時間くらい話をしまして、そのうちにペッ
トに連れていってくれて自然に写真を撮ることができました。南アの黒人の人たちは非常
にあたたかくて、わずか4時間の会話で家族の一旦のように話し合えたと思います。
私は人々の写真を掠ることで
人々の生活の変化が記録すでこ
とができて、また調査のような
ものもできたりすることもでき
るので重要な仕事かと思います
【マトム】これはチカンシズエ
小学校の写真です。南アの冬は
とても寒くなるのですが、昼間
は強い日差しになることがあり
ます。これは寒い教室の中から
外に出て、みんな太陽で背中を
暖めながら勉強をしているとこ
(8)ァンチ・アパルトヘイト・ニュースレター 1993年11Rl郎苦行 第三柊郵便物認可
ろです。これはコミュニティースクールで、地域の人々がお金を出し合って作った学校で
す。子どもがレンガを運んでいる写真がありましたが、同じ学校です。子どもたちも含め
て地域の人たちが作った学校です。ここには電気も暖をとるものもありません。ですから
冬の寒い日にあたたかいところに出て勉強しているのです。私はこのとき、どこに立つか
で工夫しました。自分自身の背が高いので、子どもたちの影よりよりも自分の影の方が長
なってしまうからです。最終的には先生と子どもたちの影をとりました。
写真家としての仕事は対象を自分自身で作ってはタメで、ある現実の中で一番印象深い
ものを撮ることが大切です。
【司会】最後の写真です。この写真はどういった意味で撮ったものか説明を加えて話して
ください。
【マトム】この写真は女性労働者の宿舎です。単身で住むホステルという名の宿舎です。
男子禁制ですが、管理人に頼んで入れてもらい
ました。部屋の中には白人の女性たちの裸の写
真を張ってありました。なぜかと聞くと、アフ
リカの女性たちには太っている人が多いので、
白人のようにスリムになりたいという願望の表
われだと言われました。特にこの部屋では、女
性のヌード写真と、キリストのカレンダーと、
鏡に映っている彼女自身とのコントラストが大
変おもしろいと思いました。そのキリストが上
を見て、ヌード写真のお尻を眺めているように
みえるのが面白い。また、鏡に映っている現実
の黒人女性の顔の方が、彼女たちの憧れている
白人女性よりも強い印象を感じます。白人の方
は非常に人工的な感じをもたらします。
【マトム】多くの人に私の写真を見て楽しんで
いただけて嬉しいです。どうか南アの人々がい
ろいろな障害と闘っていることを日本の方も忘
れないください。私は写真を通してアパルトヘ
イトをなくすことに全力を尽くしたいと思いま
す。
1993年11月1日発行 案三種郵便物認可〔9)
アンケートありがとうございました
l;蓋一六二 iヽ‘二千
V、マトム写真展「南アフリカの人々」が、9月30日にマトムさんが南アへ帰国する迄
各地で開かれている間、実に2万人にわたる人々が会場を訪れただけではなく、会場に置
かれたアンケート用紙に、たくさんの感想や意見を、熱心に書いてくださいました。私自
身コンサート会場などで、アンケート用紙を渡される事がよくありますが、割合通りいっ
ぺに書きこむ事が夢くて、他の人達はこんなに一生けんめい書くものなのだろうかと驚
き、かつ怪しみながら、今回集まったアンケート回答を読んだのでした。それを是非この
ページを借りて、皆様にも紹介したく思います。数字的、データ的な報告ではなく、もっ
と書いた人々の気持をくみとりながらお知らせできればと思うのですが……。
1) 劣悪な環境、厳しい生活、貫凶
写真を見ての大きな印象として、アパルトヘイトについて知っている人も、知らなかっ
た人も一様に共通して、ここに生きる黒人遠の貫乏な暮らしぶりを上げていました。物質
的に恵まれない教育環境とか、ひどい暮らしぶりを見て、単純に日本に生まれて住む幸せ
を述べている人も勿論何人も居ます。けれども50才代以上の観客層には、自分の子供時代
をふり返って「俺たちだってこうだったではないか」と、多少のなつかしさも含めながら
ホロ苦い気持で、しんどかった過去と重ね合わせている人々がたくさん屠ました。今回の
写真展には、私にとって思いがけない事に、中・高年の人達が70才以上の方々も含めて大
勢見に来て下さっています。一枚の写真の、売られている食用のかぼちゃの葉から具体的
に戦後の「すいとん生活」を連想している人や、あの頃の日本は葺しかったけど、これら
の写真の中に見られるのと全く同じに人間関係があって、助け合ったりしてよかったと、
感想もさまざまです。一万10代、20代の人達は特別な場合以外は、そんな経験は皆無です
から「自分自身の生活の豊かさに気付かされた」と言ったり、そう言いながらも「これが
あたり前と思ってはいけないんだ」と、心をひきしめたりしています。「自分の考えてい
る事や、思っている事の ̄枠”をひきちぎられる」と書いている20代の男性が居て、私は
この人の正直さに驚くと同時に、この写真点をやった事の意義の一つも実はそこにあった
んだと、改めて知りました。
50才以上の人達が南アの人々の「今」を、他人事として受けとめていないのも自然な事
です。自分遠の体験をもとに、「先ず食料と教育を整える事から手をつけよう」と具体的
に提案をしている人も居ますが、南アでこの事が実行される為にこそ、「不平等」が解決
されなければならないのだと私は思います。
貧しさや、キビシイ生活環境をあげている人達が大部分なら、更に「そんな状況なの
仏側 アンチ・アパルトヘイト ニュースレター
1993年11月1日発行 第三極郵便物認可_
に、人々が生き生きとしている」と感嘆の記述をしている人が少なくありません。殆どの
人々が、子供達の瞳のかがやきや、遊んでいる時の笑顔、豊かな表情を上げています。そ
して子供時代の、この魅力的な表情が大人達にはもう彰も形も無くなってしまっているの
に気付きます。「ここに写っている子供達が大人になる10年20年後、南アはどうなってい
るだろう?」と心配し、何か自分に役に立つ事は無いだろうか?彼らの生き生きした表
情を失わせないようにする為に、何か自分のやれる事があるなら教えてはしいとの記述も
大変夢かったのです。それらの記述は若い女性達、10代、20代の女の人達に多いので、私
はその積極性が男より女に夢いのをおもしろいと思いました。逆に南アの子供らの表情か
ら巨木の子供を連想して、日常身のまわりに見る小さな子供らが今は既に南アの大人達の
ような顔を持っているのではないかと書いている人も屠ました。「よい意味でも、悪い意
味でも、ここに見られる南アの子供達のような子は、日本には居なくなってしまった」と
か、「巨]本の子供達にはもう見られない……云々」とか書いています。そんなふうに思わ
せるのも、マトムさんの写真が報道写真と言うよりも、本当にさりげない身近な日常を写
しているからで、その日常性が見に来た人々をたやすく自分の体験や身近へ思いをいざ
なっていくからなのでしょう。「この子らの顔を見ていると、現在日本の子供達は本当に
幸せなのかと考えてしまいます」と書いている人も、30才代の女性達に数多く見られまし
た。
いずれにしても、南アの黒人達の経済的な貧しさの対として、女性達のたくましさや、
子供達の魅力ある姿が印象付けられていて「これらの写真を見ていると、何か悲惨さのイ
メージを乗り越えて、希望が持てそうな気配を感じる」と言う感想が一般的だったので
す。貪しい生活がありながら、そこにモノ乞いの臭が無い、「ひもじい、貧しい」を売り
物にしてない事に感動している男性も居ました。それこそマトムさんが、楠原さんとの対
談の中で言っていた「人の尊厳は大切」の言葉が、文字ではなく、写真としてそこにあっ
たからでしょう。「かえって、自分が力ずけられている感じがした」と、何人かの人達が
書いていました。そしてその事にふしぎがっているのです。会場にカンパの箱を置こうか
と言う提案もあったのです。特に東京展では入場料も頂きませんでしたから、そう言うの
があったら入れてくれる人もあったかも知れません。でも置かなくてよかったと思いま
す。置くことによって、何か自分にできる事は無いだろうか?と考えている人達が、お金
をカンパ箱の中に落とす事によって、何かやったような気荷になってしまうのだったら、
とてももったいない。何がきっかけであれ、その気持を抱き続ける事が何かを生むのです
から。それから、たかが100円か500円かのお金をカンパする事で、人はたやすく他人を
助けたと思うのも危険ではないでしょうか?助ける側に居るつもりが、実は「かえっ
て、自分がふしぎな事に力ずけちれている感じ」を写真から受けてしまったと、アンケー
ト用紙に書きつける事の方が大切なように思います。
「写真の中の太った母親がとても頼もしく、私はこのような写真が大好きです。」と書
いてあった10代の女の子の感想も、私の心に残りました。大人達が、「こんな子供はもう
日本には居ない」と嘆いているのとパラレルに、「こんなあったかそうで、抱擁力のあり
そうなお母さんは、もう日本には居ない」と、子供達は思っているのかも知れません。
以下は次号に続きます。
・レク ̄ 1993年11月1日発行 案三種郵便物認可 ulI
『部族民』とは何か
第三世界の民衆を蔑視した表現に抗議する
の事件はまた大きな亀裂を
イエメンは一九九〇年に
もたらしそうだ。
構はまだ統合の途上にあ
南北対立、また亀裂も
ちかにした。軍側が南部の
中心都市アデンに向かう道
路に検問所を設置したこと
件後、軍は枚開所を撤去し
に、部族民が反発した。事 南北統合した。軍、既府機
くイエメンにとって、今回 部に配備されているよう
たという。南北の対立が輌 る。北部琴一機甲旅団が南
ル軍と部族民が衝突
鈴木 智美
左に掲げた記事は11月21日付朝日新聞7両
の国際面に掲載されたものである。南アフリ
カをテーマとする本誌で、アラビア半島南端
に位置するイエメンについて言及するつもり
はない。私が指摘したいのは、この記事で用
いられている『部族民』という言葉について
である。南アフリカの政治的対立を『部族間
抗争』と呼ぶことの愚について楠原彰氏をは
じめとする多くの論者が指摘しているが、こ
の間題は南アフリカに限らない。第三世界全
体について言えることであり、今回の朝日新
聞記事はその最も劣悪な例といえよう。
何度読み返しても、私には『地元部族民』
とは何なのか分からない。「地元」を強調し
たいのなら、「地元民衆」「地元住民」と書
けばすむことである。イエメン国民という総
称では説明しきれない人たちであることを強
反さえに 調したいのならば「××人」と具体的に呼ぶ
乗れて、
もてそ軍 べきである。もしそうでないなら、国家の枠
雫宝を聖 に納まり切らない人たちを特別視するための
川カ三豊繁 呼び方として瞞族民』を使っているとしか
莞詣畠 思えない。これでは、一昔前の「土人」呼わ
霊装響 りと何ら遣わないのではないか。いったい、
の僻越 彼らは私たちのようになんらかの「民族」に
属する人間とは異質の人間であるとでもいうのだろうか。
学校の教科書でさえ、今や『部族』という語は死語になりつつある。中学校用社会科教
科書で相変らず『部族』を使用しているのは学校図書のみであり、他の7社はすべて「民
族」で統一している。そういう時代に、あえて今回のような表現を用いた六分一真史記者
および彼の記事を掲載した朝日新聞社の真意を知りたい。楠原彰氏たちの声は残念ながら
大マスコミには届いていないようだが、「知らなかった」ではすまされない。『部族』と
いう語をどのような定義によって用いているのか、「民族」あるいは「××人」と呼ぶこ
ともできるのにあえて『部族民』を剛\るのは何故なのか、第三世界の報道にあたって朝
日新聞が誠意をもとうとするなら真剣に考えるべきである。
亡は アンチ アノヾルトヘイトーニュースレター 1993年11月1日発行 第三種郵便物認可
S A F E S e c ti o n
久 々 の近之与己辛経営
久々のニュースレター登場です。一体何カ月ぶりなんでしょうか?
でも、ここへの原稿は途絶えていましたが、私達の活動は途絶えることな
く現在まで続いています。
ここでSAFE S e c ti o nって何?または、何だっけ?という人のた
めに私達の活動を簡単に招介しましょう。(いつも闇をあけてここし+一一スに登
場するため、毎回これをやっています)
SAFEとは安全という意味ではなくSouthlfrica FrieIldship Exchange
の略です。もともと南アフリカの子供たちと交流しよう、という目的で作ら
れた中学生、高校生を中心とする子供たちのグループでした。今年で4年目
を迎えます。現在は高校生、大学生を中心とした月2∼3回の集まりの中で
南アについての勉強会などを関いたり、ゲストを呼んで話を聞かせてもらい
討論する、など自分自身の学びを深めている最中です。
前回の報告からだいぶ時間が開いてしまいましたが、最新の情報をお届け
します。
私達は、今まで恵比寿の行動委員会事務所を拠点に活動してきましたが、
今回その事務所が閉鎖されることとなりました。困った。学生ゆえに毎回喫
茶店で勉強するだけのお金もありません。が、幸いなことに、神田の丸善銘
茶社長古橋さんの御好意で事務所を借りられることになりました。事務所な
んか持ってしまっていいんだろうか?という戸惑いもありますが、これで今
後も変わらず活動を続けていくことができる、と喜んでいます。
<11月17日>
新しい出発を祝して、ささやかなパーティーを開く。参加者は行動委員会
の牛均さん、須閑さんをはじめ、門馬さん、君島さん(キリスト教団)古橋
さん、角さん、それにSAFEのメンバ17人。温かいおでんを囲んでこれ
からの活動計画について話し合う。その中ではとりあえずこれからも勉強会
は続けていく、ただし勉強会というとどうしても受け身になりがちだから、
自分達で積極的に動くことも考えていこう、ということになった。集会を開
アンチ 7パルトヘイト ニュースレター
1993年11月1日発行 第三極郵便物認可 凋
こう、とか南アの高校生との文通も復活させよう、などの意見もあったけれ
どそれはやっていくうちにまた出てくると患う。でてきたらその時に考えよ
う・・‥・・。今まで通り、月2匝lの活動をめざす。何しろ春、夏、秋、冬休み付
きなのだから、せっかく借りた事務所を精一杯使わなくてはもったいない。
<11月24日>
前号、前々号のニュースレターを使って勉強会。問題を撞起するレポータ
ー(今回はゆか子)が口火を切って、南アの人々のANCに対する意卦はど
うなのか、という質問をする。そこでANCとは何ぞ?ということを牛暢さ
んが説明してくれ、ナルホドと納得。ANCやその他の政党の仕組みが理解
できたところで今度は日本と南アの教育について、楠原さんの文章を参考に
考えてみた。(以下、そのまとめです)
梅原さんの文章に、南アの人々は皆とても生き生きしている、ということ
が書かれている。私達はアフリカというとすぐに「援助」ということを考え
てしまう。アフリカ・・黒柳徹子・・難民・・飢餓・・援助・・となるわけ
だ。しかしこの短絡な考えは正しくない。梼原さんの言葉を借りるなら、私
達の方が彼らから教わらなくてはならないことがたくさんあるからだ。彼ら
は教育を満足に受けていなく、私達は幼い頃から学校に行っているというの
に。では教育とは何か?私達は誰もが「教育を受ける権利」を書法によって
保障されている。南アも白人社会では教育が保障されているが、黒人社会で
は一部の人が高いお金を払って質の低い教育を受けることができるにすぎな
い。質の低い教育。色の黒い人は白い人に劣っていて、色の白い人のやるこ
とはみんな正しい、そう教える。小さい頓からそう数えられて育った黒人た
ちは、大人になっても劣等感を抱き続けるかもしれない。教育は洗脳だ。日
本の教育はどうだろう。点取りのうまい子を増やし、企業適応型の規格化さ
れた人間に仕立てあげようとしている。はたしてこれが正しい教育の在り方
だろうか? 日本と南ア。洗脳教育という面では似ているかもしれない。
SAFEsection メンバー大募集!年齢不問。
連絡先・03−5256−0716(事務所)
0426−48−5 013(大西)
044−888−8 215(池田)
ⅦEXIg
『ウイークリーメイル』
10月8日∼川月14日号
民主主義への道
有権者教育チームは寒村での教育活動に着手したが、民主主義についての人々の教育、
そして選挙は生易しいことではない。
フロイド・ングワト氏は、移動ビデオ教育プロ
ジェクトの研究集会を指凝しているが、彼は悪い
見本として人々に見せているお得意の無効投票用
紙を持っている。
「ANCもPACも同じように支持しているか
キャロル・ゲーツ記
−なぜ、どの組織に投票すべきなのかを教えてく
れないのかり”と訊ねる人もいました。」
質問は次から次へと耗いた。どのように有権者
竪録するのか? どこで行うのかり 脅迫された
りはしないのか? 警察官にも投票は認められる
ら、両方に投票した、でもNPは憎んでいるから
のかワ 投票できる年琶削ま?拘留中の人たちも
Xをつけたんだ、と言った男がいるのです。」ン
投票できるのか? 入院中の人たちはり
グワト氏は語った。
また、二重投票防止のために指紋押捺を行うこ
その投票用紙は、ジョハネスバークを基盤にし
とについて、政府はその指紋を何のために利用す
たプロジェクトで、ビータースパーグ地域に割り
るのだろうか、との懸念を表わす人もいた。選挙
当てられた9日間のトレーニングの間に、模擬投
についての具体的規則がこれから策定されるた
票箱の中に入れられた数百の投票用紙の】枚であ
め、それらの質問の多くは解答できないもので
った。
あった白 しかし、これは有権者教育チームが直面
8つの村、3つのタウンシップ、そしてノース
している障害の一つに過ぎなかったのである。
大学の908人を訪れた後で、疲れ切った4つのプ
村内での適切な連絡を取らなかったことを理由
ロジェクトチームのメンバーは、彼らの仕事はい
にキャンセルされた研究集会もあった。また、連
ま始まったばかりであると感じた。そして、彼ら
絡が取れたところでも、プロジェクトチームはほ
の仕等が想像していたよりもずっと困難で時間が
こりっほいでこぼこ道を走るパンにくくりつけら
かかるということを実感したのである。
れた拡声器を通じて集会への参加を呼びかけるこ
「彼らは何も知らないのです。」チームメンバ
ーであるデビット・ムラウジ氏は新しい有権者の
とが最良の策であることを実地で学んでいった。
ことをこう語る。
上は投票ブースの中を見ることができないような
「私たちのツアーーの最後の訪問地であるレポワ
人々が集まったとき、半数は少なくとも10年以
幼い子どもたちだった。多くの人々は集会に遅刻
のカークスブルートでは、】民王主義への這【と
し、中には会が終わってからやって来る人もあっ
いうビデオを見た後で、彼らは45分間も質問を続
た∴電気が通じている唯一の村であるカークスブ
けたのです。質問の中には、ビデオで見たデズモ
ルートでは、二度の電気故障がビデオを中断させ
ント・ツツ司教を混同して−教会も投票の対象と
た後、チームのスタッフは発電機を接続しなけれ
なるのですか?【というものもありました。また
ばならなかった。そして、入手できる有権者教育
アンチ‘アパルトヘイ トニュースレター
_ 1993年11月1日発行 案三種郵便物認可 個
用のビデオはすべて英語編集のものであるため、
していた。彼らは何をすべきかを知っていたの
ングワト氏は放映の度にベティ語で要約をしなけ
だ。そして、彼らが折り畳んだ投票用紙を厚紙で
ればならなかったのである。
作った投票掛こ投票するときに見せた得意げな微
こうして、潜在的有権者には、脚角の中
にはっきりとXをつけるという教育に重点が置か
れたために、何についての投票を行っているか、
つまり暫定政府についての投票を行っていること
を説明する時間はほとんどなかったのである。
プロジェクトチームは、特に老人をはじめとす
笑みを見たらば、もう4月27日になったと思った
であろう。
「私たちはこの瞬間を待っていたのです。だか
ら私たちは投票をすることをとても誇りに患って
います。」60才になるエリザベス・モガタさんは
続けた。「マンデラ氏が釈放されたとき、私は投
る多くの人々が政党についてほとんど知識をもた
票できることをはじめて信じました。それから、
ないことを発見したのである。
何かが捏きていることを知ったのです。」
地域リーダーであるカーネーション・マラバ女
別の有権者、サイモン・マシアーネ氏は「私が
史は、カークスブルートに入ったチームスタッフ
選んだグループは勝つだろう。」と述べた。また
にこう言った。「あなたがたは、彼らに対して
ANC青年同盟のメンルーであるスティーブン・
ANCに投票すべきだ、ANCはマンデラ氏の政
マシタ氏(21才)はこう語った。「倭は自由で幸
党なのだ、ということをはっきりと言わなくては
せだ。今なら他の人たちに、投票するよう教えら
なりません。新たな南アフリカを望んでいるの彼
れると思う。」
らは興琶しているのです。J
しかし、誰に投票すべきかを教えてほしいと
この投票績習で、NPとPACがそれぞれ2票
を獲得、クワンデベレの与党であるインタンド・
思っている人々がいる一万で、もし投票の機会が
イェシズヴェ覚が1票を獲得したのに対して、16
あるのなら、どのように投票しようかと長い間考
票を獲得して楽々と勝利をおさめたANCには、
え続けてきた人々もいる。
もう一つの勝利があった。すなわち、21枚のすべ
ムラウジ氏はこう語る。「投票練習をしている
ての投票用紙には、一つの匹角の中にはっきりと
とき、彼らがマンデラ氏に投票したい、と言って
記されたⅩ印が一つ。完璧な投票だったのであ
いるのを耳にするのです。」
る。 (訳 青沼真美)
カークスプノレートでの投粟練習のときに、21人
が地方政府事務所の中で、やかましく出入りする
編集部注;南アの選挙におけるⅩ田は、日本式の
子どもたちを無祝して厳かに列を作って立ってい
○印と同じ意味で用いる。
た。彼らは前もってビデオを見ていたし、質問も
圧倒 アンチ・アパルトヘイトニュースレター 1993年11月1日発行 第三種郵便物認可
インド人の支持獲得作戦『品露岩ユ議詣告
遠挙運動の長い列
ある日はネルースーツを着、翌日はズールーのレガラを身に督けるANCの指導者たち
「多様な文化ひとつの国民」というのが先週末ダーバンで開催されたANCの祭りのテ」マだったD
しかしながら、ズールー人がこの組織への支持を表明するようになったのに対し・呼びかけの対象である
ィンド人はついに姿を見せなかった。 プアルーク・チョスイア記
ル州でズールー人の支痔を広げるため集会を行っ
ある。加えて、インド人の支持を得られれば豊か
なインド人財界からの政治献金も期待できる。
た。が、一方でこの州の75万人を超えるインド
ANCナタール州ミッドランズの議長ノ\リー・ワ
系、白人、カラードの有権者の支持も得なければ
グラは先週末、同地区はインド人財界からこれま
ならないという難しい状況に直面している。ナ
タール州には4㈹万から500万のアフリカ人有権
ニティはわれわれのために選挙資金として100万
者がいるものと思われるが、この人々はANCと
ランド調達するだろう。」と述べた。
先週末、アフリカ民族会議(ANC)はナター
インカタ自由党HFP)の支持者とに二分され
るため、権力の行方はアフリカ人以外の有権者が
どちらを支持するかにかかっているとも言える。
「多様な文化、ひとつの国民」のテーマのも
でに12万ランドの寄付を集め、「インド人コミュ
これに対してIFPもインド人地区で旺盛な選
挙運動を行っており、ここ数ヵ月間スタンガ−、
トンガート フェニックス、レザヴァール・ヒル
ズで集会を開いている。しかしながら、世論調査
と、ダーバンのキングズバーク・スタジアムで開
は一貫してインド人の大半は国民党(NP)に投
催されたANCの祭り「ソンケ(誰もみんな)」
票するであろうと予測している。
には、6万人以上の人々が集まった。しかし、タ
ーバンのインド系紙での宣伝活動を通して、イン
最新のマーキナ¶世論調査によると、都市部の
インド人は39%がNPを、17%がANCを、7%
ド人の支持を得ようという事前の努力がなされた
が民主党(DP)を、1%がIFPをそれぞれ支
にもかかわらず、そのほとんどがアフリカ人だっ
持している。一万、3D%の人が「分からない」と
た。集会ではANCがイスラム教とヒンドゥー教
答えており、このことはANC、DP、IFPの
の僧侶を招いて開会の祈祷を行い、またインドの
踊りや歌を演じるグループの出演もあった。
ANCナタール南部地区執行委員会のメーウァ・
いずれもがその支持層を広げる可能性のあること
ランプビンはヒンティー語で演説した。
(NIC)の古くからの活動家たちの支持を得ら
れなかったことは重要である。彼らが欠席したの
集会に先だって行われた、王にインド人と白人
を示している。
ANCの祭りが、ナタールインド人会議
が出席した会費500ランドのパーティーでは、
は「運動の疲弊」のためか、または1990年にはじ
ANCナタール南部の指導者であるジェフ・ラデ
ベとシプシゾ・ンデベレはネルースーツと帽子を
めて表面化したNICとANCの間の緊張関係が
身に着けていた。ところが、彼らは翌日の祭りで
者たちは統一民主戦線(UDF)内での行動を呼
びかけたが、ANC合法化以降、ナタールのアフ
は、動物の毛皮で作られたズールーの民族衣装レ
ガリアを着ていたのである。
ナタールでは、インド人有権者が40万人いてア
フリカ人に次いで二番目に大きな集団であるた
め、ANCはインド人説得に力を入れているので
今も尾をひいているためであろう。NICの指導
リカ人はNICの拘束を受けるのを嫌って、再び
自分たちだけで行動すると主張したのだが、これ
で事態が険悪になった。
ANCは白人の支持を得るのも難しい状況であ
1錮3年11月1∃発行 第三桂郵便物認可 nⅥ
る。マーキナー世論翁査では43%の白人がNPを
弓撃丸を」というスローガンを、自分たちのことを
支持しているがANC支持者はわずか2%であ
言っているのだと考える多くの人々が、ANCと
る。祭りでは、ANCが票獲得のためにはっきり
PACを混同している。しかし、「ソンケJ祭り
と目立つシンボルをつくろうとしているのは明々
を通してANCは第一の目標である「ズールー人
白々だった。白人に関しては、闘争への白人の参
は皆IFPの支持者である」という神話を覆すこ
加の例として、虐殺されたリッチ・ターナーを頻
とができた。ナタール/クワズールーでは人口の
繁に引き合いに出していた。
ほとんどが都市部に集中しているため、ANCは
だが一番の失策は、祭りの企画者がナタール州
優位に立っている。「ソンケ」祭りでは民族衣装
の約10万人のカラード有権者を無視し、全国、地
のレガラを身に着けていた人はほとんどなく、
方のレベルを問わずカラードの才旨尊者を演壇に立
ズールー王グッドウィル・ズウェリティ二のイ
たせなかったことである。ANCのこの手抜かり
スィンピソ(ズールー人の集会)に集まった農村
がANCのカラードの活動家の任務を一層困難な
の大衆の大部分がレガラを着ていたのと対照的で
ものにした、と今週は不満があがった。「大勢の
あった。200万以上の票田である都市部の南ナ
人が、カラードはANCに受け入れられているの
かどうか、またANC内のカラードの指導者は誰
選挙結果を決定するだろう。IFPが強い中央お
タールの票の行方が,ナタール/クワズールーの
なのか、知りたがっている。」一人の活動家はこ
よび北ナタールの人口はぐっと少ないからであ
う語った。観測筋はANCのこの失策は地区執行
る。
委民会にカラードがいないため、と見ている。
ANCは次回の地区会議の代表にはカラードから
ANCは組織内に多くの子供と若者を杓える
が、これも長い目で見ると有利にはたらく。公式
少なくとも一名選出する予定と言われる。市民運
統計によると、人口の42%が15歳未満、40%が15
動のリーダー、トレヴァ一・ポノムが立侯補を表
歳から40歳、そして40歳以上のものはわずか20%
明している。
マーキナ一世論調査ではカラードの46%が
だからである。
NP支持、16%がANCである。インド人が態度
言及するのを避けた。もちろん、彼が農村部の有
を決めかわたり敷念したりしているのは、アフリ
権者から尊敬されているのを承知の上である。
が、ANCは「偲偽になることを拒否した」先代
カ諸国で独立後しばしばインド人が冷遇されてき
集会ではANCはズウェリティ二について直接
たためと患われる。最近のドキュメンタリー番組
でB】∋Cは、ナタールのインド人が自衛の目的で
のズールー王ディンズールーがANCの名誉議長
自警団を作り始めたと報じた。
祭りはズウェリティ二が南都アフリカの他の王室
からも孤立していることを示した。出席した伝統
′し−ティーでも祭りでも、ANC議長のネルソ
ン・マンデラはANCの最優先課題は南アフリカ
だったことを強調して現王を当惑させた。また、
に住む「アフリカ人、カラード、インド人の最低
的指導者の中には、ソト、ンデベレ、スワジ、コ
サの各王室の代表がいたからだ。ズウェリティ二
限必要なもの」を満たすことである、という点を
がスワジとコサの王室出身の妻をもっていること
強調して、インド人らの不安をなだめようとし
について、ANCはズウェリティニおよび「ズー
た。しかし、インド人やカラードは実際はそうで
ルー人は決して外国人に支配されない」と主張し
はない、と反論する。ANCがすすめてきた政策
ているIFPの指導者マンゴスッ・プテレジを邑
は大学においても職場においても黒人を最優先し
惑させた。ANC指導者は「プチレジの定義によ
てきたというのだ凸
ればズウェリティ二の2人の妻は外国人というこ
ANC活動家は、ANCがすすめてきた計画
は−インド人やカラードの居住区に隣接して黒人
とになる凸」と皮肉ったのだ。
のスクォッターキャンプが雨後のタケノコの如く
あるIFP首脳は、ANCはズールーの文化か
ら学ぶべきことがまだまだ沢山ある、r王は王墓
出現していることと相まって−有権者の支持を獲
の祭典を召集するのであり一平民のではない」と
番するのを難しくしている、と報告している。パ
ンアフリカニスト会議(PAC)の「植民者には
言う。 (訳 弘中教子)
二†丁 ,..じ、
1993年11月1日発行 第三踵郵便物認可 化甜
※ バックナンバーは一部 300円(送料込み)で販売しています。
売り切れの号もありますので、編集部までお問い合わせください。
※ 創刊準備号から1990年12月号(第31号)までの32冊を一括して
販売します。特別価格 一 1セット5000円(送料込み)
ただし、在庫切れの号はコピーで代替しますのでご了承ください。
働 アンチ・アパルトヘイト・ニュースレク二 1∬3年11月1日発行 第三径郵便物認可
『南アフリカの人々』写真パネルの貸出しについて
今夏、三カ月に渡って全国11都市で開かれた、Ⅴ・マトム写真展
『南アフリカの人々』は好評裏に終わりましたが、その後も開催希
望が殺到したため担当者を決めてご希望に応じてきました。このた
び、実行委月会解散と同時に連絡会を設立し貸出し業務を引き続き
行うことになりましたので、お知らせ致します。
写真展『南アフリカの人々』連絡会
世話人 高柳 美奈子
(昼)03−3813−7403
渡辺 実
永井事務所内 高柳へ
(夜)03−382ト2091
AXをご利用
分の中に戻ってきて、よかったと思いました。それにしても余裕がないの汝良くない
乙畔1蜘1月1月発行 第三矧
rrr■11rrrrrrrrr【Trrr▼rr▼rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
”南ア在住のフリージャーナリスト松島多恵子さん一時糟毘報告会∼
虜蓼の磨アフタカ脚
■■一■■一■一■.■■■■■.■一■■■■.▲■■■JJJ■.■▲.■JJJJ.■■■.▲JJJJ.■.■」.▲■.■■■■
南アフリカ共和国では、今、激動の時を迎えています。来年4月に行われる予定の全人種参加による絶選
挙へ向けて活発な動きを見せている一方で、南ア国内でももっとも弱い玉垣にある黒人たちのあいだでは、
「今、まさにアパルトヘイトは全盛期を迎えた」といわれているほど暴力事件か多発し、毎週末にはニケタの
黒人か死亡しています。そしてこの暴力事件か、もはや南ア国内においてさえニュースにもならないほど、
人々の感覚はマヒしてしまっているというのか現状です。
はたして、その暴力の実態とはりなぜ、暴力は止まらないのでしょうか?また、この困難な時を迎えて
いる黒人たちは、そして、アパルトヘイトを支え続けてきた自人たちは、今、何を考えているのでしょう?
私たちほ、過去数回に渡り南アフりカを訪れ、南アフリカの展力事件を追い掛ブ、今年から南アフリカで
生活をはじめたフリージャーナリスト松島多恵子さんと共に、その暴力事件の状況と背景を探ってみたい思
います。そしてまた、松島さんの夫であり、ン/バブェ出身のジャーナリスト、ロドリックさんには、最近命
がけの潜入で取杉に成功したばかりの白人保守派の農場主たちの状況と、隣国出身ジケーナリストの立場か
ら見た崗アフリカの現状をお聞きLJうと思います。
音己
日 時・1994年1月14日(金)午後7時一一9時(開場は6時30分)
講 演 「なぜ、暴力li主⊥ヒ二まらなしヽのカヽ」 松島多恵子さん
「つrパル トヘイ トを死守する自人たち」
ロドリック・ンゴーロさん
会 場こ:女ここ革二区民七二ノタ− 4 F B窒(葡営三田給「春日」駅、上)
入場料 千円(茸料代を含む)
主催アフリカ行勤委員会・写舶「南アフリカの人々」速総会
(速鮪先)永井よし子事務所(高柳)曾0:ト誠13−7403