NAGATOMO~!!! FW 川又圭悟 長友佑都 (経済学部経営学科・2年・11E2108) 小粥寛之 MF 小粥寛之 (経済学部経営学科・2年・11E2131) 川又圭悟 岡野絵理香 一村真央 一村真央 (文芸学部文化史学科・2年・11L4041) GK 岡野絵理香 (法学部法律学科・2年・11J1058) 職業 プロサッカー選手 セリエA・インテルナツィオナーレ・ミラノ所属日本代表 経歴 長友佑都(ながとも ゆうと)選手は、1986年生まれ。愛媛県西条 市出身の選手。 2008年、明治大学在学中に、サッカーJリーグのFC東京に加入。 同年、日本代表に初招集された。 2010年、ワールドカップでは全4試合にフル出場を果たし、 このときの活躍が認められて、イタリアのサッカーリーグ・セリエA のACチェゼーナに移籍。 さらに、翌2011年1月には、イタリアを代表するサッカークラブで あるインテルミラノに移籍し、2011年4月20日現在、同チームに 所属中。 家族構成 両親が離婚したため、母親、姉、弟の4人家族 スポーツ一家に生まれ、母方の祖父は第1回小倉競輪出走者で ある元競輪選手の吉田達雄。達雄の弟で同じく元競輪選手の吉 田実は大叔父にあたる。父方の祖父も明治大学出身の元ラガー マン その人ならではの仕事ぶり 豊富な運動量と抜群のスピードが武器のサイドバック。 俊敏性に優れ、1対1に強く上背はないが、大型FWにも競り負け ないフィジカルと身体能力の高さを併せ持つ。 本職はサイドバックだが、試合に応じて持ち味の攻撃力を 生かせるサイドハーフとして起用されることがある。 試合中での献身的なプレーや走行距離に裏付けされた運動量に よって、長友がボールを持って走り出すと観客席から大きな歓声 が起きることも珍しくない。 幼少期 1986年9月12日愛媛県東予市三芳町(現西条市三 芳)に生まれる。 父方の実家で暮らし、祖父は大きな新聞配達所を 営んでいた。 体は小さかったが、ガキ大将 運動神経抜群 小学生時代 1992年東予市立三芳小学校(現西条市立三芳小学校)に入学 サッカーを始める 理由は、好きな子に「長友くんカッコええわ」と思わせたかったから 3年生の時、両親が離婚、母親と兄弟の4名で母方の実家がある 西条市に引っ越す。西条市立神拝小学校に転校 6年生の時、愛媛FCのセレクション・テストを受けるも不合格 中学時代 1999年西条市立北中学校に入学 1年生の時、サッカー部に入部するが先輩の影響で ゲームセンターなどで遊ぶ日々を暮らす。 3年生の時、井上先生とサッカー部の仲間と駅伝大会 に出場する。 3年生の時、高校の進路に悩む。 出逢い 中学時代 両親の離婚のこともあり、 グレていた長友 中学に入ったばかりの頃、部活にも行かず ゲームセンターに入りびたりの学生生活 そんなとき、長友を変えた男 サッカー部顧問 井上博先生 「お前の母親が朝から晩まで働いて いるのは、お前にそんな生活をさ せるためなのか?」 「なにを頑張ればいいのか 考えろ」 不良生活をやめ、 本気でサッカーに向き合うようになる 『井上先生との出逢いがあってこそ、 いまの自分がいる』 “井上先生は僕の人生の恩師” と語る長友 中学時代 1999年西条市立北中学校に入学 1年生の時、サッカー部に入部するが先輩の影響で ゲームセンターなどで遊ぶ日々を暮らす。 3年生の時、井上先生とサッカー部の仲間と駅伝大会 に出場する。 3年生の時、高校の進路に悩む。 キャリア転換と意思決定 進路の迷い 中学卒業時、 地元の一般高校 or サッカー強豪校 長友自身としては、サッカー強豪校である 東福岡高校へ行きたい。 しかし ・東福岡高校は私立、そして寮暮らし。 =経済的負担が大きい →母子家庭の現状を考えると地元の一般高校へ行く べきなのではないか? 葛藤の末、恩師である井上先生に相談 →母親に自分の想いを打ち明けることに… 「母さんはあなたが自分からそう言い だすのを待ってたんよ。お金の事な んか、どうにでもなる。子供が心配 することじゃない。」 “やるだけやってみろ” 背中を押してくれた母親 東福岡高校への進学を決断 きっとかなり無理をしていたに違いない それでも自分の背中を押してくれた母親 自分のために苦労を重ねた母親の姿 →その後の長友のモチベーションの源 高校時代 2002年私立東福岡高校に入学 春休みから練習に参加し、1年生の冬、高校選手権の サポートメンバーに選ばれる 3年生の時、高校選手権に出場 3年間、朝5時に起床。朝食前にランニングなどの自主 トレ。放課後は全体練習後、夜間自主トレを行ってい た。授業は寝ずに頑張っていた 大学時代 2005年明治大学政治経済学部に入学 入部早々、椎間板ヘルニアに悩まされる 体幹のトレーニングを強く意識するようになる 1年生の冬、サイドバックへコンバートされる 2006年日本大学選抜に選出され、レギュラーとして プレー 2007年5月FC東京の特別指定選手になる。北京五輪 アジア二次予選に出場 FC東京時代 2008年明治大学に在学しながら、FC東京とプロ契約 を結ぶ。開幕からスタメンに定着 2008年5月24日キリンカップ対コートジボアール戦で 代表デビュー。W杯アジア3次予選にも出場 2008年8月北京五輪に出場も3戦全敗 2010年W杯南アフリカ大会出場。ベスト16 帰りの飛行機の中で「世界1のサイドバックになる」こと を決意 チェゼーナ時代 2010年夏、イタリアセリエA・チェゼーナにレンタル 移籍 ACミランに歴史的勝利 2011年アジアカップ優勝 インテル時代 2011年1月31日移籍期限ギリギリでインテル(インテ ルナツィオナーレ・ミラノ)に移籍 2011年3月15日(ドイツ時間)日本人4人目となるCLデ ビューを欧州CL決勝トーナメント1回戦第2戦対バイエ ルン(ドイツ)戦で果たす インテルで出逢った男、サネッティ サッカープレイヤーとしてはもちろん、 一人の人間としても大きい男 ● ● 日々のチャリティー活動 仲間を想う心 サネッティの持つ、 動じない心 寛容さ →強い尊敬と憧れを抱くようになる “サネッティのようになりたい” サッカーを通して、一人の人間として 成長していきたい。 “生まれた時よりも きれいな心を育てる” →長友のモットーであり、モチ ベーションにもなっている も 座右の銘 「感謝の心」 「努力に勝る天才なし」 「意志あるところ道あり」 (下2つは、出身校である東福岡 高校の校訓) 長友佑都らしさとは… 上昇思考 ポジティブシンキング 「ふにゃふにゃの心」 を持つこと FUTURE 「W杯優勝の強い思いは圭佑(本田)、真司 (香川)、岡崎と同世代と話すことが多かった。 でも、これから他の選手にも言っていかない といけない。口にすることで新たな火が生ま れる。発信することは大事」 参考文献 長友佑都著『日本男児』株式会社ポプラ社2011年 長友佑都著『上昇思考』各川書店2012年 ご清聴ありがとうございました!!
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