成長を続けるメキシコ自動車 産業の課題と展望 三井物産戦略研究所 産業調査第一室 西野浩介 図表 1. メキシコの自動車生産・販売・輸出の推移 図表 2. メキシコ国内の主要な完成車組立工場 (万台) (%) 増強実績・計画(2010 年代) 400 350 100 増え続ける生産と限定的な国内市場 2015 年のメキシコの自動車生産台数は前年同期比 5.6%増の 356.5 万台となって過去最高を更新した (図 表 1)。 リーマンショック時に北米の自動車生産は大きく 落ち込んだが、 その後の回復過程で、 カナダの生産台 数が伸び悩んだのに対し、 メキシコは 2009 年から約 2.3 倍に増加した。 メキシコの自動車生産が増加している最大の理由は、 北米地域 (NAFTA 圏) への自動車供給拠点としての 位置付けの高まりによるものである。 リーマンショックで米 国自動車メーカーの北米での生産台数は一時半減、 生 産能力は 3 分の 2 に減ったが、 能力削減の大部分は米 国で行われた。 一方、 メキシコでは、 2009 年に生産が 落ち込んだもののすぐに回復に転じた。 上位を占める日 産自動車、 フォルクスワーゲン (VW)、 米国 3 社 (GM、 フォード、 クライスラー) が、 リーマンショック前から計画 されていた生産増強投資を次々に行い、 2014 年には、 マツダ、 ホンダの工場が相次いで操業を開始したこと で、 メキシコの自動車生産能力は大きく拡大した。 加え て、 2019 年頃までに起亜自動車、 アウディ、 BMW、 ト ヨタ自動車などの工場新設計画が目白押しである (図表 2)。 その背景には、 米国北部とカナダの工場労働者が UAW (全米自動車労働組合) や CAW (カナダ自動車 労働組合) に加盟していることから賃金水準が両国内の 平均から見ても高いのに対して、 メキシコの労働者の賃 金は米国の平均と比較して 6 ~ 7 分の 1 と低いために、 労働コストが低く抑えられることがある。 その結果、 メキシ コでは、 車両単価が低く、 採算が厳しい小型車を中心 に生産が拡大していった。 生産が順調に拡大していったのに対して、 メキシコ国 内の新車販売の伸びは限定的である。 2015 年のメキシ コの新車販売台数は、 前年比 18.8%増の 138.8 万台と 過去最高になったが、 新車販売が初めて 100 万台を超 えた 2002 年から 2014 年までの年平均成長率は 1.3%に すぎない。 この背景には、 メキシコの中古車輸入に関わる制度 の問題がある。 NAFTA の取り決めに従ってメキシコで は 2005 年から米国およびカナダからの中古車輸入を解 禁した。 メキシコ国内で流通する中古車の販売に配慮し て、 当初は車齢 10 ~ 15 年の車のみ輸入できたが、 そ の後徐々に緩和されてきて、 2019 年には全ての中古車 が輸入可能になる。 この制度が導入されたことによって、 May 2016 北米主体の輸出市場構成と脆弱な部品調達網 メキシコで生産される自動車のおよそ 8 割は輸出され る。 そしてその 8 割が米国、 カナダの NAFTA 圏向けで ある。 メキシコの自動車生産台数と輸出台数は過去 10 年でともに 2 倍強に増えたが、 国内市場が 2014 年まで ほぼフラットであったこともあり、 北米地域向け輸出主体 の構造は基本的に変わっていない。 輸出先については、 メキシコは現在、 NAFTA をは じめとして、 中南米、 EU、 日本などと 2 国間 FTA を 含め 45 カ国と経済連携協定を結んでおり、 自動車 ・ 自動車部品の輸出入が行いやすい環境になっている。 MERCOSUR (南米南部共同市場) はその代表的なもの で、 メキシコ ・ ブラジル間では完成車の輸入自由化協定 が結ばれていたが、 ブラジルではメキシコからの輸出が 増えて不均衡が生じたため、 2012 年以降はメキシコから の完成車の無関税輸出に制限を設ける措置が続いてい る。 また、 欧州向け輸出は VW の一部車種などに限ら れる。 こうしたことで、 他地域への輸出が思うように増えて ないことも、北米市場への依存度が下がらない要因になっ ている。 一方、メキシコ国内の供給体制を見ると、リーマンショッ ク以降の完成車生産能力の増強が進むとともに、 部品 生産能力の拡充が進みつつある。 米国 3 社や VW など によるエンジンやトランスミッションの生産能力強化が進 んでいることに加え、 日系企業の相次ぐ完成車工場新 設に伴って、 日系 1 次部品メーカーの進出が活発化し、 今や主要な企業はほとんどが進出している。 2015 年末 には日系企業のメキシコ拠点数は 1,000 カ所に迫り、 過 去 5 年間で 2 倍以上に増えたという。 そのなかで、 自動車車体部品の材料となる鋼板やア ルミ、 樹脂やゴムなどの材料、 アルミ鋳物、 鍛造品、 プ レス部品などの金属加工品、 プラスチック射出成型品な どの現地調達先の不足が指摘されている (図表 3)。 こ れらは産業の裾野に位置する素材や基礎的な加工部品 で、 自動車メーカーから見ると 2 次、 3 次サプライヤー がこの部分を担っている。 素材メーカーは多額の設備投 資を行うため、 投資回収のためには一定の需要量を必 要とする。 また、 電力、 水などのインフラが整っているこ とも必要だが、 メキシコでは電力供給が十分でなく、 日 系企業の進出が相次ぐ中央高原地帯では水の供給も限 時期 能力拡大の内容 250 70 200 60 150 50 40 生産台数 国内販売台数 輸出台数 30 輸出比率(右軸) 小型乗用車のNAFTA圏への輸出比率(右軸) 0 20 2000 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 (年) 出所:フォーイン 50 米国からメキシコに大量の中古車が輸入され、 今では新 車も含めてメキシコ国内で販売される車両の 4 割が米国 からの中古車であるといわれている。 メキシコの自動車 普及率は人口比約 3 割で、 所得水準から見て決して低 くないが、大量の中古車流入が、年間の新車販売台数が 保有台数の 30 分の 1 と極端に少ない現状につながって いる。 関税や輸入規制がなく、 所得水準が 3 倍の米国 と地続きで接していることの必然的な帰結といえるだろう。 企業名 300 100 メキシコの自動車産業は高い成長を続け、 2015 年に は生産台数が世界第 7 位の 357 万台となった。 新興国 の自動車産業が停滞するなか、 2020 年にかけても日系 企業を含めた生産拡大の動きが続き、 その規模はさらに 拡大する見込みである。 メキシコの自動車産業に死角は ないのだろうか。 90 日産自動車 2013 年11 月 アグアスカリエンテス第 2 工場 80 (新設) られている。 一方、 2 次以下の部品メーカーは中小企 1.0 4000000 業が多く、 資金と人員が限られているため、 日系企業に 0.9 3500000 限らず海外進出は容易ではない。 マツダやホンダの工 0.8 3000000 場が位置するグアナファト州などは、 もともと産業基盤が 0.7 2500000 0.6 乏しく、 2000000 進出した企業が労働力を確保するのも容易でな 0.5 1500000 いという。 0.4 1000000 こうした背景から、 1 次部品メーカーは、 材料や部品 0.3 500000 の多くを、 米国や日本など国外からの輸入に依存してい 0.2 0 る。 現状では、 完成車メーカーの現地調達率が 7 割程 度に達していても、 部品 ・ 材料を含めた正味の現地調 達率は 3 ~ 4 割という場合が多い。 NAFTA はもとより、 日本や EU とも FTA が結ばれており、 部材輸入の障壁 が少ないことが、 現地調達の拡大を妨げている面もある。 加えて、 メキシコの港湾やトラックなどの輸送インフラは、 既存事業者の寡占状態にあることもあって輸送費は割高 である。 その結果、 部品の調達コストは日本や米国と比 較しても割高になり、 労働コストが低くても新しく進出した 企業がメキシコでの自動車生産でコストメリットを見いだす のは容易ではないようだ。 例外は、 アグアスカリエンテス 州の日産自動車、 プエブラ州の VW の拠点などで、 こ れらの地域では生産量が多く、 数十年にわたる人材と周 辺産業集積の結果、 米国と比較して低コストでの操業が できているものと考えられる。 産業高度化への展望と課題 マツダ 2014 年 1 月 サラマンカ工場 (新設) ホンダ 2014 年 2 月 セラヤ工場 (新設) 起亜自動車 2016 年 モンテレイ工場 (新設) プエブラ工場 (増設) フォルクスワーゲン2016 年 アウディ 2016 年 サンホセチアパ工場 (新設) 日産自動車 2017 年 アグアスカリエンテス工場 (ダイムラー合弁) BMW 2019 年 サンルイスポトシ工場 (新設) トヨタ自動車 2019 年 グアナファト工場 (新設) 年間生産能力 17.5 万台 25 万台 20 万台 30 万台 n/a 15 万台 23 万台 15 万台 20 万台 注:2016 年以降は計画中 今後も上がらないといわれる。生産規模が大きくなっても、 このような労働力供給が続く限り、 メキシコの自動車産業 は北米向けの組み立て拠点としての地位を保っていくだ ろう。 しかし、 ここ数年で日本企業の進出が相次いだ中 部高原地帯では、 急速な労働力需要増に伴う賃金水準 の上昇が懸念されている。 仮に今後、 労働生産性の伸 びを上回る賃金上昇が起きた場合、 メキシコでの自動車 生産のメリットが薄れていく可能性がある。 メキシコに進 出している部品企業の中には、 国外から輸入する部材が 割高なことに加えて為替水準によって調達コストが不安定 なことから、 自力での内製化を進めている企業もある。 メ キシコの自動車産業が将来にわたって安定的な収益を上 げ続けるためには、 部材の現地調達化を進め、 国内で の付加価値を広げて為替の動向に左右されにくい収益 基盤を構築する必要がある。 そのためには、 裾野産業 の集積を促進する税制支援などの誘致策や企業の操業 環境を整えるためのインフラ整備が求められる。 また、 これまでは国内市場が小さいこともあって、 メキ シコでの新車開発やそれに付随する機能は限定的で あったが、 設計 ・ 開発や生産立ち上げ、 部品の現地調 達化などを担うマネージャーや技術者を育成 ・ 強化する ことも重要である。 こうした自動車産業の中核を担う人材 層を増強することは、 自動車産業の付加価値を上げるだ けでなく、 自動車の購買者となる中間層の形成にもつな がり、 それがさらに国内自動車市場の拡大につながると いう好循環を導くことが期待できる。 それは、 メキシコの 自動車産業が他国に依存しすぎず、 自立性を持った産 業に変わっていく道筋にもなるであろう。 メキシコの自動車産業は今後どのような発展を遂げるの であろうか。 メキシコで自動車生産を行う上での最大のメ リットは、 良質で低廉な工場労働力の供給である。 もと もと米国との賃金水準が違うことに加え、 過去 10 年間の賃金上昇率は年率 1%台と、 米国の 図表 3. 各国の品目別貿易特化指数 HS コード 品目 メキシコ タイ * インド 中国 *韓国 * 日本 ドイツ 米国 3%台と比較して低く、 労働コストのメリットが保 -0.38 87 車両 (鉄道以外) 0.420.520.48-0.160.690.750.41 0.55 0.67 0.92 -0.860.690.810.54 -0.51 たれている。 その一方、 自動車生産の運営管 8703 乗用車 8704 トラック 0.83 0.95 0.92 0.71 0.74 0.96 0.33 -0.31 理の中核を担う技術者やマネージャーは人材 8708 車両用部品 0.03 0.12 0.01 0.02 0.75 0.60 0.22 -0.20 -0.030.440.56-0.09 -0.070.670.45 -0.28 供給が限られており、 給与水準も米国と比較 870810 バンパー 870821 シートベルト 0.76 0.90 -0.03-0.020.83-0.58 -0.370.15 して 10%程度の差しかない。 そのため、 労働 870829 車体部品 0.04 0.31 -0.68-0.210.800.560.07 -0.21 0.03 0.06 0.28 0.61 0.61 0.52 0.11 -0.28 者を多く使う組立工程ではメリットを出しやすい 870830 ブレーキ 870840 ギアボックス -0.24-0.68 -0.32-0.720.580.870.50 -0.20 が、 付加価値を上げるための部品の現地調達 870850 ドライブアクセル 0.25 -0.060.060.100.660.840.36-0.28 0.04 0.30 -0.260.890.69-0.49-0.04 -0.47 化や、 工場での新モデルの生産立ち上げ、 さ 870870 ホイール 870880 サスペンション -0.070.330.210.440.650.610.35 -0.19 らには新車の設計 ・ 開発といった、 自動車産 870891 ラジエーター -0.130.430.160.530.710.410.03 -0.29 -0.440.33-0.370.110.710.500.11 -0.10 業の頭脳ともいえる部分ではコストメリットが出な 870892 マフラー 870893 クラッチ -0.430.11-0.440.080.540.510.47 -0.27 い上に、 能力の構築もあまり進んでいない。 870894 操舵装置 0.02 0.61 -0.69-0.150.640.630.19 -0.24 0.30 0.47 -0.67-0.03-0.16-0.26 0.12-0.24 これまでのメキシコの自動車産業は、 安価 870895 エアバッグ プラスチック・同部品 -0.460.25-0.39-0.060.500.240.210.09 39 な労働力を利用して組み立てた完成車を近接 40 ゴム ・ 同部品 -0.440.72-0.110.150.490.420.03 -0.35 73 鉄製部品 -0.24-0.240.270.670.170.220.17 -0.33 する米国という大市場に届けることを主体として 76 アルミ ・ 同部品 -0.64-0.36-0.15 0.48-0.37-0.56-0.04-0.20 きた。 国全体で見た場合、 メキシコは 2030 注 1:貿易特化指数 =(輸出額 - 輸入額)/(輸出額 + 輸入額)は輸出競争力を表す (1.0 が最 が最も低い) 年代半ばまで人口ボーナス期にあり、 若年労 注 2:*も高く、-1.0 は 2014 年の数値、それ以外は 2015 年のもの 働力の供給が豊富にあるため、 労働コストは 出所:UN Comtrade May 2016
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