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むせん会報誌第64号(カラー電子版)を追加

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む せ ん 第 6 4 号 目 次
1
平成21 年度上半期事業実施概要
1.会員の動き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
2.東京無線支部定期総会
・・・・・・・・・・・・・・
1
3.慶弔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
4.支部会報の発行・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
5.電話順送表の配布・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
6.サークル活動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2
7.役員会および常任幹事会・・・・・・・・・・・・・・
2
8.本部理事会、常任幹事会および総会など・・・・・・・
2
2
東京無線支部定期総会模様 ・・・・・・・・・・・・・・
3
3
平成21 年度上半期サークル活動状況・・・・・・・・・
6
1.サークル活動実施結果(含サークル編成表)・・・・・
6
2.各サークル活動状況・・・・・・・・・・・・・・・・
8
4
干支だより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
5
追
憶
橋本章三さんの追憶
福島
利雄・・・・・
46
佐藤
義一さんを偲んで
林
憲男・・・・・
47
石島
照造さんを偲んで
篠目
和英・・・・・
47
上島新一大先輩の思い出
荻沼
正夫・・・・・
48
故 斉藤俊隆さんを偲ぶ
高橋
定三郎・・・・
49
6
随
想
弓道の魅力
鎌田
治夫・・・・・
51
干潟および山麓高原の自然観察記
須田
泰右・・・・・
53
東京マラソン 2009 出走始末記
高橋
重雄・・・・・
54
短波無線通信の回線と旧検見川無線送信所の局舎の現状
内藤
敏夫・・・・・
56
依佐美送信所記念館における IEEE Milestone 認定証授与式
渡部
律雄・・・・・
63
1.新入会員の紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
2.退会者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
3.余栄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
4.長寿番付十傑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
5.物故者の職歴など ・・・・・・・・・・・・・・・・・
68
6.NTTドコモOB会「ドコモ同友会」設立される。・・・
69
編集後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
70
7
お知らせ
1 平成 21年度上半期事業実施概要
1.会員の動き
平成21年度上半期末(9月末現在)の無線支部会員は 648 名です。名誉会員は 115
名、女性会員は9名です。平成20年度末(平
成21年3月末)に比べて1名減となっており
ます。
(新入会員は15名、
逝去8名、
退会8名)
。
今後も引き続き未加入の方への勧誘につとめま
す。皆様もお知り合い等で未加入の方がおられ
ましたらご勧誘をお願いいたします。
地 区 名
会員数
東京(関東以外を含む)
175
神奈川
137
千葉(茨城含む)
214
埼玉(栃木・群馬含む)
122
計
648
2.東京無線支部定期総会
第41回定期総会は平成21年6月20日(土)
、新宿の東京オペラシティ24階の
NTT東日本セミナールームにて来賓9名、会員 108 名の出席をもって開催しました。
詳細は本号2をご覧下さい。
3.慶弔
(1)迎寿のお祝い
平成21年度に米寿(5名)
、喜寿(20名)を迎えられた方々に、総会当日、支
部長より記念品を贈呈し、お祝いを申し上げました。迎寿の方々は会報第63号5
をご覧下さい。
(2)ご逝去
平成21年度上半期中に下記の8名の方々がお亡くなりになりました。謹んでご
冥福をお祈り申し上げます。なお、告別式等には支部代表が参列し、香華をお供え
いたしました。
浅沼 英彦 様
橋本 章三 様
佐藤 義一 様
石島 照造 様
上島 新一 様
河田 至郎 様
松嶋 成幸 様
斉藤 俊隆 様
( 各故人の職歴などは本号7を参照 )
4.支部会報の発行
会報「むせん」63号を平成21年6月24日(水)に全会員あて発送をいたしま
した。
5.電話順送表の配布
平成21年度の電話順送表を平成21年8月28日(金)に全会員に配布しました。
- 1 -
6.サークル活動
17サークルに入られている方々が、親睦と気力の活性化、健康の維持に努めてお
られます。活動模様は本号3をご覧下さい。
7.役員会および常任幹事会
役員会を3回(平成21年4月17日<金>、6月24日<水>、8月28日<金>)、常
任幹事会を3回(平成21年5月13日<水>、7月29日<水>、9 月 30 日<水>)開催
しました。審議事項は次号で21年度分まとめて掲載することと致します。
8.本部理事会、常任幹事会および総会など
本部理事会に2回(平成21年4月22日<水>、7月23日<金>)
、常任幹事会に1
回(平成21年5月12日<火>)出席しました。
また、本部総会(5月23日<土>)には10名の無線支部役員が出席しました。
Eco Memo(1)
「もったいない」
我々の年代ではごく日常的に使う言葉ですが、数年まえにワンガリ・
マータイ(ケニア出身の環境保護活動家)が世界各国での色々な場でこ
の「MOTTAINAI」を広め有名になりました。
あらためてこの言葉を辞書で調べてみました。
「勿体」とは「そのものの命」「本質」とあります。「そのものの命」が
最後まで全うされなかったとき、私たち日本人は「もったいない」と考
えたのです。この意味から「物の命、価値を使い切ること」が一番大切
な意味ではないでしょうか。
そんな目で身の回りを見回してみると、自分では使えなくなったけど、
その物の命はまだ生かすことが出来るものが沢山あります。
「TOKYO 油田」、「都市鉱山」という組織があります(Web 検索で出
ます)。「TOKYO 油田」は家庭、工場から出る廃油を集めて VDF(注)
に転換し有効利用する組織であり、また「都市鉱山」は大量に廃棄され
る家電製品に含まれるレアメタルを回収する組織だそうです。それぞれ
廃棄される物の価値を最後まで使いきることを目的としています。
(注)Vegetable Diesel Fuel(植物油から作る軽油代替燃料)
- 2 -
2
東京無線支部定期総会模様
東 京 無 線 支 部 の 第 4 1 回 定 期 総 会 は 平 成 2 1 年 6 月 2 0 日 (土 曜 日 )に 会 員
108名が出席し、来賓としてNTT東日本総務人事部総務部門主査重田様、関
東電友会桑原会長をお迎えし、東京オペラシティタワー24階のNTTセミナー
ルームで開催しました。当日は梅雨の中休みで好天に恵まれ会員の出足もよく、
出席予定の会員の欠席は2名のみでした。
総会は予定どおり11時に日野副支部
長の開会の言葉で始まり、先ず平成20
年度に亡くなられた方26名のご冥福を
祈って黙祷をささげた後、支部長の挨拶
に入りました。
近藤支部長から「平成20年度の支部
活動の特徴的ものとして、無線支部設立
40周年に当たり支部会報“むせん”の
第61号、第62号を40周年特集号と
して編集・発行し会員の皆様にお届けし
たこと。20年度は新規会員38名を迎
えることができ、対前年度比 2.1 倍で関
東電友会11支部中第一位となり、5月に実施された本部総会で表彰されたこと」
など挨拶がありました。
次に関東電友会桑原会長から来賓としてのご祝辞をいただきました。
「 会を永続
させるためには新規会員を獲得することが大事であり、5月の本部総会で新規会
員の拡大施策について表彰を行
ないました。これは支部役員を
はじめ会員皆様方の努力による
ものでお礼申し上げます。NTT
ドコモのOB会を作ろうという
動きがあり、関東電友会に説明
がありました。関東電友会とし
てもドコモOB会の設立に賛成
であり、同じ電友会の中で仲良
くやっていきたいと考えています。今年はマイクロ波回線開通55年に当たりま
- 3 -
す。このマイクロ波技術が今でもいろいろなところで生かされており、使用例、
電波産業界からの表彰など」が紹介されました。
続いて支部長が議長席につき、議案審議に入りました。
第1号議案(平成20年度事業報告、決算報告、会計監査報告)について吉田
副支部長および岩澤監事から説明があり、引続いて第2号議案(平成21年度事
業計画案、予算書案)、第3号議案(支部運営細則の改訂案)について提案説明し、
全て満場一致で承認をいただき、議事を終了しました。
役員改選については、今年度は非改選期で総会で選出いただく役員の交代はあ
りませんが、健康上の理由等で幹事2名が支部長の指名で交替したことを報告し、
続いて永年にわたり支部業務並びに本部IT推進担当として会員情報システムの
構築・維持管理に努められた近藤昭次氏に桑原会長から感謝状が贈られました。
今年度の迎寿会員は米寿5名、喜寿20名で、総会には米寿2名、喜寿12名
が出席され、近藤支部長からお祝状と記念品をお贈りしました。最後に5名の新
旧役員挨拶があり、12時丁度に
総会を終了することができました。
この後、NTT 東日本本社ビル3
階社員食堂に移動して懇親会に入
りました。
先ず、近藤支部長から「総会が
無事に終了したこと。米寿・喜寿
を迎えられた皆様へのお祝いのこ
とば。大勢のご来賓をお迎えして、
これから懇親会をはじめますのでお楽しみ下さい」との挨拶に続いて、9名の来
賓の方々の紹介を行い、初めて無線支部懇親会にお出でいただいたNTTコミュ
ニケーションズ和才社長からご挨拶
をいただきました。「2011 年7月の
デジタル化移行後のTV中継も、今
までの実績が評価されNTT-Com
が受注することができ、TRCの仕
事が続きます。NTT-Com発足
10年になりますが、グローバルキ
ャリヤーとして世界の中で認められ
たことなど」NTT-Comの近況
についてお話をいただきました。
- 4 -
乾杯の音頭は喜寿のお祝の方々を代表して岡田秀夫様にお願いし、元気なご発
声でパーティの幕開けとなりました。会場には五つのテーブルが置かれ、それぞ
れに沢山の料理、ビール、お酒が並び中央の屋台での握り寿司、おそばのワゴン
サービスもあり、来賓を囲んでの歓談、会員相互の歓談・情報交換など賑やかで
楽しい宴となりましたが、やがて予定の時間となり、米寿を迎えられた中村恒男
様の元気な三三七拍子の中締めでお開きとなりました。出席の皆様がNTTビル
内で迷子にならないように、役員が手分けして帰路の案内を行い無事にお帰りい
ただきました。
( 吉田
哲夫 )
Eco Memo(2)
「省エネは、環境、財布にやさしい」
地球温暖化の問題は、年々切迫しています。温暖化の大きな要因は、
エネルギーを燃やすときに排出される二酸化炭素。温暖化をこれ以上進
行させないためには、私たちが暮しの中で出している二酸化炭素を減ら
していくことが必要です。家庭からでる二酸化炭素のほとんどが、電気
やガス、灯油、ガソリンを使うときに発生しますから、それらの使用量
を減らせばいいのです。つまり、環境によいことは、財布にもやさしい
といえます。
エアコンの温度設定を下げることは、実施項目として普及しています
が、意外に電力消費が大きいのが白熱電球です。これを電球型蛍光灯や
LED型電球に付け替えることにより、消費電力の減少を図ることがで
きます。
電気料、寿命の比較
・電球型蛍光灯の電気代は白熱電球の 1/5、寿命は13倍
・LED型電球の電気代は白熱電球の 1/10、寿命は蛍光灯型の2倍
これらの価格はまだ高いようですが、寿命を考慮すると省電力、電気
料節減になるようです。
- 5 -
- 6 -
集計
埼 玉
千 葉
神奈川
東 京
埼 玉
千 葉
神奈川
支部行事(参考)
ハ
イ
キ
ン
グ
ゴ
ル
フ
東 京
パソコン
園芸
写真
寄席
旅行
釣り
絵画
麻雀
囲碁
サークル名
5/30
17
5/29
5
5月
4/30 5/8~5/29
10
13
4/24
7
4/28
5/26
11
10
4/20
14
5/27
20
5/26
28
5/27
15
4/4
12
4/1
14
5/16
15
5/20~21
9
7回
9回
89人
132人
4月
4/4
21
108+9
6回
62人
総会
6/25
8
6/26
6
6/23
7
6回
81人
8/27
10
8/7
5
7/21
14
5回
51人
9/19
12
高尾山
回
人
10/26~27
回
人
11/28
未定
11/5
みなと横浜
リバーサイド・フェニクスGC
10/21
TRC
11/24
上野鈴本
土浦CC 10/22
小田原GC
10/22
昭和の森
10/13
TRC
10/27
向島百花園
10/23
例会
10/29
9/15
6
13, 4
8/31~10/2
回
人
例会・撮影会
12/上
活 動 日 程 ・ 場 所 ・ 参 加 人 員
7、8月
9月
10月
11月
12月
7/8・8/7
10/2~3 11/14
12/5
熱海ニューフジヤ 関東大会 渋谷福祉
13 , 19
6/1~2
7/4
9/1~2
12/1~2
熱海伊東園
10
20
16
6/1~26
10/5~31
例会・展示
13
6/6
11/14
金沢八景
18
11/12~13
秩父
11/28
6月
八重洲センタ
2月
2/5
回
人
新春
懇談会
2/19
回
人
TRC
2/23
亀戸天神
2/上
例会・展示
1/下~2/上
本部計画
1月
回
人
地区
懇談会
TRC
3/28
3/下旬
撮影会
3/2~3
熱海
3月
回
人
合計
2010.2~3月:地区懇
東京地区
2/27
神奈川地区 3/13
千葉地区
3/13
埼玉地区
3/6
実施日:土曜日
2010.1.23:新春懇談会
2009.6月:総会 6/20
支部行事(参考)
予定日未定は中旬等
下段は参加人員・実施
までは場所等を記入
上段は日程を記入 記入例:
備考
3 平成21年度上半期サークル活動状況
1.サークル活動実施結果
平成21年度 サークル編成(変更)
サークル名
幹事/世話役
電話番号
・小野郁生
囲 碁
植田庫治
・岩澤國男
麻 雀
山崎輝男
・堀井清男
絵 画
白井靜明
・藤田克一
釣 り
日野朝夫
・木村正道
旅 行
吉田哲夫
・仲谷光正
寄 席
片山克己
・吉田和衛
写 真
岡崎利勇
・黒尾忠行
園 芸
馬場利昭
・朝井源一
パソコン
乙幡 忍
・都築靖明
東 京
小林定夫
・梶 昭三
神奈川
岩澤國男
ゴ
ル 千 葉 ・岩本寿雄
フ 茨 城 鹿嶋 孝
・杉澤 稔
埼 玉 板川凡夫
中田隆士
・木村正道
東 京
小林定夫
・白井靜明
神奈川 岡部清一
ハ
加藤 實
イ
キ
・窪田 達
ン 千 葉 増田忠雄
グ
内田耕治
・土浦 清
埼 玉 畔上竹治
堀内 武
会員数
活動概要
37
年8回開催
30
年6回開催
7
年6回開催
16
春、秋年2回開催
36
年1回開催
38
年2回開催
14
年11回開催
26
年5回開催
15
年9回開催
22
春、秋年2回開催
28
春、秋年2回開催
48
春、秋年2回開催
21
春、秋年2回開催
24
春、秋年2回開催
20
春、秋年2回開催
20
春、秋年2回開催
15
春、秋年2回開催
注: 幹事/世話役欄の氏名の頭にある ・印は支部との連絡責任者を示します。
- 7 -
2.各サークル活動状況
○ 囲碁サークル
・定期総会および春季囲碁大会
恒例の囲碁同好会の総会および春季大会は、4月4日(土)午前11時から渋
谷区立勤労福祉会館において、21名が参加して開催された。
初めに松本会長
が 、開会挨拶の中で
「囲碁の効用の一つ、
即ち認知症の防止」
を取り上げたテレビ
番組を紹介、これか
らも当会会員が囲碁
を楽しみながら精進
するようにとの呼び
かけを行いました。
引き続き小野幹事
が20年度の活動報告・会計報告を行い、中込会計監査の監査報告を含め、出席
者の承認を得た。さらに21年度の活動予定および予算案を説明し、了承された。
また、20年度の昇段の対象者は朝井三段、柏木三段、倉本二段、南二段の4
名でした。そして、当会場の予約や宿泊ホテルの確保について、質疑と情報交換
を行い、幹事から対応状況の説明があり、総会は終了した。
そして、新入会
員の大井哲雄氏、
中嶋長重氏の両氏
が自己紹介の後、
植田幹事が試合の
運営方法を説明し、
11時30分頃か
ら対戦を開始した。
1の組(10名)、
2の組(11名)
のリーグに分け、
持ち点制によるハ
- 8 -
ンデイ戦を各人が4回、対戦した。
4回の対戦成績により各組の入賞者を決定。入賞者は次のとおり(敬称略)
1組のリーグ戦
優
勝:小野郁生(143)、準優勝:朝井源一(144)、三位:柏木信(143)
敢闘賞:松本英一(194)、岡田秀夫(186)。
2組のリーグ戦
優
勝:狩野正夫(189)、準優勝:倉本實(132)、三位:田口明(97)
敢闘賞:植田庫治(146)、中嶋長重(120)。
17時に表彰式を行い全てが終了した。そして、12名が近くの居酒屋で乾杯
し、囲碁談議に花を咲かせました。ここでは、囲碁や将棋のビックタイトル戦の
会場となる旅館が在る岩室温泉と、岩室甚句(新潟県)も話題となった。やがて、
定刻となり、和やかな雰囲気の中で散会した。
・搬送・無線親睦囲碁大会
この第4回目の大会は、7月8日(水)午前10時から渋谷区立勤労福祉会館
において、東京搬送支部囲碁同好会と東京無線支部同好会の共催により行われま
した。参加者は搬送12名、無線13名で、数名の80歳代の方々も、元気な御
姿で参加されました。
開会に際し、搬送の
谷津新氏と無線の松本
英一氏が親睦を旨とす
る挨拶を交わし、特に
昨年の大会が当会館の
改装工事のために中止
となっていただけに、
久しぶりに再戦できる
ことを喜びあった。そ
して、全参加者の自己紹介のあと、対局ルールと対戦の組み合わせを説明した。
対戦は、Aクラス12名(搬送6名と無線6名)と、Bクラス12名(搬送6名
と無線6名)とに分けて、各人が全5試合とも、搬送対無線の対局とし段級位に
よるハンデイ戦を行った。
5回の対戦成績により各組の入賞者を決定。入賞者は次のとおり(敬称略)
Aクラス戦
優
勝:松本七段(無線)、準優勝:小宮六段(搬送)、三位:美細津六段(搬送)、
敢闘賞:新原五段(搬送)。
- 9 -
Bクラス戦
優
勝:安西三段(搬送)、準優勝:岡本三段(搬送)、三位:中村四段(搬送)、
敢闘賞:相原四段(搬送)。
17時頃に表彰式を行い全
てが終了した。この後、都合
の良い方17名が近くの居酒
屋で乾杯した。しばし囲碁談
議に花を咲かせ、間を見て、
入賞者の感想をいただきまし
た。また、高橋洋康1級の全
敗の話にも、励ましの声が上
がった。それから、和やかに
交流を続け、再会・再戦を楽
しみに散会した。
後日談となりますが、Aクラス戦の13勝17敗(無線)、Bクラス戦の5勝
25敗(無線)の結果について、特にBクラスの偏り、無線の負け過ぎが後日に、
話題となりました。
・夏季囲碁会
この囲碁会は、8月7日(金)午前11時から上野囲碁センターにおいて、19
名が参加して開催された。初めに、松本会長が、挨拶の中で「新入会員2名を含
む多数の参加により盛会となったことに対するお礼」を述べ、また、
「楽しくコミ
ュニケーションするように」と、加えて、勝ち負けに拘らずに「囲碁を楽しむ」
ことを強調されました。さらに、
「不順な気候が続く今夏と体調の維持についての
注意喚起」がありました。
そして、新入
会員の石井英光
氏と久保庄二氏
の両氏の自己紹
介のあと、組み
合わせとルール
説明を行い、持
ち点制によるハ
ンデイ戦を5試
合とした。この
- 10 -
5試合の中、1回戦~3回戦の3試合は抽選により対戦相手を確定し、あとの2
試合は成績の良い者同士が星のつぶし合いをする進め方とした。
5回の対戦成績により入賞者、5名を決定。入賞者は次のとおり(敬称略)
優勝:高橋洋康(111)、準優勝:阿部正志(164)三位:久富信雄(212)、
敢闘賞:南松市(131)中嶋長重(122)。
17時頃に表彰式を行
い全てが終了した。そし
て、恒例の懇談会となり、
上野駅界隈の居酒屋で乾
杯した。
早速に、新会員の石井さ
ん、久保さんから初陣の
感想をいただきましたが、
ご両人とも、
「 再戦の楽し
み、リベンジの気合」を
披歴されました。そして、入賞者の感想、勝因などを拝聴。特に、高橋洋康1級
の全勝(5勝0敗)の感想には、
「岡田効果」のキーワードがあった。このKWは、
搬送・無線親睦大会の後に岡田秀夫さんから高橋さんへ贈られた「囲碁の本」で
学習した成果を意味していました。
やがて、定刻となり和やかな雰囲気の中、散会した。
注記:枠内の数字は当人の持ち点で囲碁の力を表わしています。従来は段級位差によ
る置き石で打っていましたが、平成18年から持ち点制による対戦に切り替えています。
ちなみに120点が初段の目安です。持ち点は勝敗の実績によって増減していきます。
参考:平成21年度東京無線囲碁同好会活動予定
1.総会・春季囲碁大会
H21年4月4日(土)
渋谷区立勤労福祉会館
2.搬送・無線親睦大会
H21年7月8日(水)
渋谷区立勤労福祉会館
3.夏季囲碁会
H21年8月7日(金)
上野囲碁センター
4.秋季宿泊囲碁会
10月2日(金)~3日(土)
熱海ニューフジヤホテル
5.関東電友会囲碁大会
H21年11月14日(土)
NTT東日本本社
6.年末囲碁大会
H21年12月5日(土)
渋谷区立勤労福祉会館
7.新春囲碁会
H22年2月5日(金)
八重洲囲碁センター
8.22年度総会・囲碁大会
H22年4月3日(土)
渋谷区立勤労福祉会館
新規に囲碁大会の案内を希望される方は、幹事へ連絡してください。
- 11 -
( 幹事
小野 郁生、植田 庫治 )
○ 麻雀サークル
平成21年度、支部主催の夏季麻雀大会を平成21年7月4日(土)に開催し
ました。今回で2回目の新宿歌舞伎「麻雀クラブメトロ」を会場に実施し20名
の参加者を得て盛大に開催できました。
成績は、優勝小林秀行さん、準優勝川島岩蔵さん、三位倉本實さん、BB賞田
中小枝子さんでした。役満賞も出ました。最終回に渡辺万寿治さんが、大三元で
一挙挽回し、水平賞と役満賞を獲得した。
麻雀サークル有志による第1回例会は6月1日~2日の1泊2日で例年通り
「連月荘」にて実施しました。参加者は10名で若干さびしく2卓となりました。
成績は、優勝倉本さん、二位朝井さ
ん、三位吉田さんでした。
第2回例会として、9月1日~2日
に場所を熱海駅前の伊東園ホテル熱海
館に移して、実施のこととしました。
場所変更の趣旨は、椅子席の全自動
- 12 -
卓で足腰の負担軽減をはかり、開
館まもないホテルでの開催とし多
数の参加をめざしました。おかげ
で 16 名4卓を確保し、楽しいひと
時を過ごしました。
成績は、優勝小林秀行さん、二
位日野朝夫さん、三位田中潤一さ
んでした。
なお、21年度下期の例会は、12月と3月熱海で計画します。皆様の参加を
お待ちしております。
( 幹事
岩澤
國男 )
○ 絵画サークル
最近の絵画サークルの活動は会員の減少などでやや低調気味です。
今まで精力的に絵の制作を続けてこられた方が亡くなられたり、健康上の理由
から休養中の方などがあって、現在は6名で「酔彩会」の活動を続けています。
往時は十数名のメンバーでスケッチ会やグループ展も頻繁に開催し、それぞれ
個性のある作品を展示して多くの方に楽しんでもらいました。
現在は、年間2~3回の発表ですが皆様に作品を鑑賞して頂いております。
今年度の上半期は6月1日から6月25日まで、五反田の関東病院で13点の
- 13 -
作品を展示しました。
野口さんの奥様にもご協力をいただいた作品の一部を誌上でご覧ください。
また7月9日には横浜で暑気払いを兼ねて打ち合わせ会を開き、今後の活動や
絵画制作の技法論議など話題は盛りだくさんでした。
サークルでは、同好の方々の参加による増強を目指しておりますので、ジャン
ルや技量を問わずご連絡をお待ちしております。
夜の波濤
三浦間口港
白い器
堀井清男
河口
( 幹事
野口弘子
武甲山と芝桜
量
- 14 -
白井
加藤實
靜明 )
湖心亭
野口理彦
ホピー
白井靜明
静物
細野宗一
○ 釣りサークル
春の釣り会模様
今年の春の釣り会は、平成21年6月6日(土)に行いました。
船宿はおなじみの金沢八景港の「修司丸」です。天気は梅雨の季節なのか、昨夜
からの雨は、今日も降り続き、肌寒くあいにくの天気です。
今回は、初参加で TRC から三木さん、ドコモエンジ OB の金田さん、景山さ
- 15 -
ん、女性1人を含め、総勢18人となりました。
今日のねらいは、当初「カサゴ」
の予定でしたが形が小さいとの事
で、「アジ」、「キス」に変えて、予
定どおり7時30分に出港しまし
た。約30分で釣り場に到着。ア
ジの仕掛けを20mぐらいの深さ
に投入するが、さっぱりあたりが
ない。船長が、船を移動させポイ
ントを探しながら、竿を入れたが、
中アジ2~3匹釣れただけだった。
次に「キス」に変更し、仕掛け
を変えて釣るが竿が違うのか、なかなかアタリがわからない。それでも20cm
位のきれいな流線型のかたちをした「キス」が釣れ出してきた。
その後は、横浜港沖まで行ったりして場所を変えながら釣り、定刻の2時20
分頃に納竿としましたが、この頃、皮肉にも晴れ間も出て来ました。
「キス」は15cm 位~25cm が釣れ、竿頭は27匹で、平均すると 10~20
匹位でした。今回は「アジ」が釣れなかったのが残念でした。
港に戻り、船宿からあつあつの「うどん」のサービスがあり、冷えた身体も温
- 16 -
まりほっとしました。帰りに船宿からお土産に「江戸前裂きアナゴ」頂き、次回
秋の天気と大漁を願い、春の釣り会は終了しました。
釣に興味のある方の新規
加入参加大歓迎です。次回秋に予定していますので、多数の参加をお待ちしてお
ります。
( 幹事
藤田
克一 )
○ 寄席サークル
笑いの園の入り口へようこそ。
寄席サークルでは、平成21年5月30日春期の演芸鑑賞会を開催しました。
健康維持には「笑いが不可欠」と言う寄席大好きな面々が上野鈴本演芸場に集い
俗世間のことを忘れ寄席と言う別世
界を大いに味わいました。
当日の参加者は会員の奥様やゲス
トを含め17名と久々に大賑わいの
雰囲気で世話役としても嬉しい限り
でした。
最近は寄席ブームの再来かと言わ
れているのを裏書きするかのように
- 17 -
演芸場前の歩道には開場を待ちこがれる人々が長蛇の列をなしていました。
さあ入場です決められた席に落ち着いて、目の前に用意されたお茶付きの幕内
弁当を開きお楽しみのビールや酒を口に運びつつ食します。
当演芸場は高座の芸を楽しみながら飲食が許されているので、リラックスした
雰囲気で大いに食べ大いに笑えるのが最高です。
噺家の熟練された間の取り方に感心したり、動きや身振りの大きい奇術や漫才
さらに糸操り、講談、三味線演奏等々を間に挟んだ話術に大笑いさせられながら
4時間半にわたる健康の素吸収の場は「わぁはっはっ・・・」の渦を撒き散らし
てお開きとなりました。
寄席サークルでは同好者を募集していま
す。鑑賞会は年2回(春期は5月に寄席鑑
賞のみ、秋季は11月に寄席鑑賞会及び忘
年会開催ただし忘年会参加は任意です)の
興行です。お問い合わせは幹事まで。
( 幹事
片山 克己、仲谷 光正 )
○ 写真サークル
会員14名楽しく頑張っております。
1
例会
①
4月30日
TRC地下会議室
②
6月25日
同
上
8名参加
③
8月27日
同
上
10名参加
- 18 -
10名参加
二ヶ月に一回の例会ですが、出席もまあまあで、各自作品を持ち寄りお互いに
ほめたり貶したり楽しく批評し合っています。また撮影場所やデータなどの交換
も楽しい話し合いになります。講師の大須賀先生の講評が自分の見方と合ってい
て安心したり、
“こうした方が良いでしょう”に納得したり、ときには異議を唱え
たりと賑やかです。6月には先生がドバイから帰られてすぐでしたがドバイの風
景や風俗の写真をたっぷり見せて頂きました。8月の例会のスナップを付けて置
きます。
2
撮影会
9月17日敬
老週間にあわせ
て多摩動物公園
に撮影に出かけ
ました。
いまさら動物
園でもないと仰
言る方も多いの
か4人と一寸寂
しい撮影会でし
たが、あの広い
所では纏まりが良くて返って好かったかも知れません。台風も近づくことなく一
日中良い天気で快適な一日でした。
でも10時から3時まで昼食を除いて撮影しっぱなしですから、些か草臥れま
した。当日の写真は支部のホームページに載せてありますので、ご覧になったか
たもいらっしゃると思います。記念写真だけお見せしましょう。
3
展示その他
①
5月8日~5月29日
②
8月31日~10月2日
関東病院2F廊下
同
上
関東病院の正面入って左
側の二階に展示板がありま
す。郵便局と床屋の向かい
側、リハビリテーション科
の受付を挟んで並んでいま
す。もっと多く賑やかに飾
りたいぐらいですが、
- 19 -
13枚展示
10名出展
13枚展示
10名出展
Tel-Wel の用意してあるハンガーが13本しか無いのでやむを得ません。病院で
すから楽しく明るいものをと心がけています。展示の状況を写真にいたしました。
そのほか、TRC1Fの応接室に飾ってある写真を季節の物に取替えました。
これは2枚ですけれど常時季節に合わせて置くので大変ですが、TRCへのお
礼と思って続けております。
( 幹事
吉田
和衛 )
○ 園芸サークル
第 1 回4月24日(金)上野東照宮ぼたん苑
春ぼたん観賞。
上野東照宮
は徳川家康、
8代吉宗、1
5代慶喜の三
神。神社は、
家康の遺言に
より藤堂高虎
が、自分の屋
敷のあった上
野の山に寛永
4年に創建したが、3代将軍家光は、さらに莫大な費用を投じて修復を行い、慶
安4年に完成させたのが、現在の建物である。
根津神社と同じ権現造りと呼ばれる建築様式
で、すべてが国宝に指定されている非常に価値
の高い建造物群である。境内に開設されている
「東照宮ぼたん苑」は日中友好を記念し昭和5
5年4月20日に開園。初夏の訪れを告げるぼた
ん、しゃくやくが咲き誇り、苑内では日本のぼ
たん約 200 品種、3,000 本と、中国のぼたん約50品種、200 本が植えられている。
重厚な五重塔や諸大名が寄進し
た銅製の灯籠を背景に咲くだけ
に印象的な光景だ。
( 参加者
7
名)
第 2 回 6 月 2 6 日 (金 ) 飛 鳥
山公園のアジサイ観賞
桜の名所として有名な飛鳥山で
- 20 -
すが、江戸時代に将軍徳川吉宗が江戸庶民に花見を楽しんでもらおうと桜を植え
たことに始まり、明治6年には、上野、芝、浅草、深川とともに日本で最初の公
園に指定された。
6月から7月にかけてJR線路脇の飛鳥の小路では、約 1300 株のアジサイが
360 米に渡って見頃を迎えていた。公園中央の池では子供が水遊びをしたり、飛
鳥山三つの博物館で家族で参加できる催し物を行っている。常設展示では北区の
自然、歴史、文化を紹介し当時の人々の暮らしぶりも実感できるような展示とな
っている。(参加者
6名)
第3回8月7日(金)善福寺公園のすいれん観賞
善福寺公園(杉並区)は、善福寺池を中心につくられた公園で、池は上の池と下
の池に分かれている。
標高50mの武
蔵野台地にあり、善
福寺池は、井の頭池、
石神井の三宝池とと
もに武蔵野三大湧水
池のひとつとして知
られている。上の池
の西側に多いガクア
ジサイが青紫色の複
雑な色合いを見せる。
池の中にボート遊び
で傷つけられないように杭で囲ったスイレン栽
培域があって、赤、黄、白の花を咲かせる。下
の池は、池の真ん中が湿地状になってアシが茂
り、カモ、カイツブリなど水鳥や野鳥の絶好の
遊び場になっている。下の池東側からは善福寺
川が流れ出し、下流は神田川となる。(参加者
5名)
( 幹事
- 21 -
黒尾
忠行 )
○ パソコンクラブ
2009 年パソコンクラブ上期の実施状況
4・5・6・7・9月と計画通り実施
しました。以下概要をご紹介します。
1.「第75回」2009 年4月28日(第4火曜日)参加者 12名
(1)H20年度の実施状況・会計報告等・・・・・幹事
(2)フリーソフト(クセロ PDF-2)について
林(憲)さん
写真を含む文書
の圧縮に便利なソ
フ ト 「 ク セ ロ
PDF-2」ネット上
の無料ソフトをダ
ウンロードして使
用することが出来
る。
オリジナル画像=3.705KB→「クセロ PDF-2」で処理後 134KB に圧
縮されたが、画像をプリントし、オリジナル画像と比較しても目視では
判別出来ない画質でした。
(3)矩形波理論について
齋藤雄一さん
無線従事者国家試験に関連しての話「現役時代を思い起こさせる一時」
(4)その他諸々の話・・・・・
全員
2.「第76回」2009 年5月26日(第4火曜日)参加者 10名
(1) パソコンの故障 ・・・・・
齋藤(兼)さん
パソコンの修理には新規購入と同程度の修理費を要する事もあり、結
局買い替える事となった。パソコンが故障の際の参考となれば。
(2)バックアップ用 フリーソフト
・・・・・
林
茂美さん
パソコンは何時故障するか判りません。いざと言う時のためにバック
アップは必要不可欠です。ネット上に無料ソフトが出ていますのでこれ
らを活用すれば「安価で、安心」を得ることが出来ます。
(3)HDD のパーティション
・・・・・
林
茂美さん
パソコンの HDD は通常「Cドライブの領域が大きく、Dドライブが
小さい」この比率を変更するソフトが ネット上に無料ソフトが出ている
ので、自分流に変更すると更に使い勝手がよくなります。
- 22 -
(4)Word の図の挿入用「アイコン」・・・・・
吉田さん
Word で文書作成中に写真等を文中に挿入する際、
「図の挿入アイコン
(犬印)」がないと任意の場所に挿入することが出来ない「このアイコン
はツールバー上に表示されてないときがある「常時表示」しておいたほ
うがより便利である。
(5)その他諸々の話・・・・・
全員
3.「第77回」2009 年6月23日(第4火曜日)参加者 7名
(1)例会模様写真について「周知」・・・・・朝井
従来は定例会当日、前月の例会写真を(S Kさん)がプリントして配
布しておりましたが「手間と印画紙・インク等」の負担がかかるため、
次回から「メールで送信する」方法に変更します。
(2)Office 2007(Vista)の使い勝手・・・
齋藤(兼)さん
Office 2007 は 2003 を、多機能・使い勝っ手等バージョンアップした
と言われているが、使い勝手上ではかなりの違いがある。例えばツール
バー上のアイコンは表示形式・使い方(手順)等(機能UPに伴いアイ
コンの数が増えた事等)その他ももろの点が異なる。
(3)その他諸々の話・・・・・
全員
4.「第78回」2009 年7月21日(第3火曜日)参加者 14名
(1)Office 2007(Vista)の使い勝手―Ⅱ・・・・・
齋藤(兼)さん
Excel・Word での画像処理、オートシ
ェィプで額縁への画像はめ込み処理の一
例:左 Office 2003 額縁の中にはめ込ま
れが、同じ手法で処理すると、右 Office 2007 額縁の外側まで張り付き
絵画風には見えない等その他諸々の違いがある。
(2)メールの文字化け
・・・・・加藤・川船さん
メールが時々文字化けすることがある、原因は種々ある、一例として
送・受の形式が一致してないと文字化けとなる、またWeb・パソコン
等が原因で文字化けとなる事もある、万一受信文が文字化けしている時
は「ツールバーの 表示→エンコード(日本語自動選択)」になっている
か否かを確認する。日本語自動選択に設定しても正常にならない時は他
に原因があるので「マイクロソフト・メーカ」に相談が必要です。
(3)その他諸々の話・・・・・
(4)毎年恒例の茶話会
全員
青山ツインビルB1銀座ライオンで(暑気払い)
よもやま話で盛り上がり、9月の例会での再会を約して散会。
- 23 -
Office 2007(Vista)勉強会模様
青山ツインビルB1「銀座ライオン」にての暑気払い
5.「第79回」2009 年9月15日(第3火曜日)参加者 6名
(1)パソコンメールと携帯メール使い方いろいろ・・・・・川船 さん
①
パソコンメールを出先から携帯でチェック・返信・転送等自由自在に
使うことが出来るように設定すれば大変有効・便利である
②
国際ローミング
最近は海外へ出かける機会が多くなり、海外から自
宅のパソコンメールをチェック・返信・転送等の設定をすれば便利か
つスピーディに対応することが出来るが、国・地域によってローミン
- 24 -
グ出来ないところもある、携帯端末もこれらのサービスに対応してな
いものもあるので、事前にチェックが必要です。
(2)Office 2007(Vista)の使い勝手―Ⅲ・・・・・
齋藤(兼)さん
Office 2007(Vista)の使い勝手―Ⅱの続編、紙面の都合で・・・・
(3)その他諸々の話・・・・・
全員」
パソコンクラブでは上記のような内容で毎月(原則「8・12・1月を除く
第4火曜日)に無線支部(TRC B1F)にて例会を行っています、誰でも気軽に
ご参加出来ますので、パソコンに関心のある方・初心者の方も一度参加してみ
ては如何でしょうか、お待ちしています。
参加してみようと思う方はお手数ですが(TRC 入退館管理上)幹事「乙幡・
朝井(電話番号は「むせん」に掲載されています)までご連絡をお願いします。
( 幹事
朝井
源一 )
一休み
数独を解いて見ましょう
8
7
9
1
6
「ルール」
2
・各行、列の枡に1~9
8
1
7
2
4
8
9
5
1
3
6
8
1
9
5
4
6
2
9
7
の数字を1文字ずつ入
1
9
6
れる。
・3×3の小ブロックの
中の枡も同様1~9の
数字を入れる。
・各行、列、小ブロック
の中では数字の重複は
3
5
9
8
- 25 -
できない。
○ 東京地区ゴルフサークル
第22回東京地区春のゴルフコンペが平成21年4月20日に昭島市の昭和の
森ゴルフコースで行われました。
東京での実施は初めてでありましたが、久し振りに参加者が四組全て埋まり一安
心しました。
当日は曇りがちではあったが雨は心配無い様で有り、昼過ぎには太陽も顔を出
してきた。四月の深緑が心和ませてくれる、今はハナミズキの白とピンクの花が
一面に咲き桜の花の後も綺麗に景色を飾っていた。
今回の参加は2名欠席して14名で特別参加で山根さんと岩澤さんが参加して
頂きました。久し振りにいつもの元気な顔ぶれが揃いインコースよりプレーが始
まる。今までの河川敷と違い距離は短いがドッグレッグコースが有りそれなりに
難しく特にグリーンはうねりが有り3パットを余儀なくさせられるコースである。
悪戦苦闘して何とか終了する。
今回久し振りにハンディの見直しをしまして新たな気持ちでコースに臨んでい
きました。
結果はハンディキャップ戦で優勝はベテランの田中潤一さんが取りました。
グロス95、ハンディ34、ネット61、11アンダーでダントツでした。
準優勝は実力のある林憲男さんがグロス82、ハンディ17、ネット65、で
- 26 -
又7アンダーで取りました。三位は石井英光さんがグロス102、ハンディ36、
ネット66の6アンダーで入賞しました。
ハンディの甘さかコースの易しさか?ドラコン賞は何時もの飛ばしやの乙幡忍
さんと、準優勝の林憲男さんが取りました。
ニアピン賞は、初参加の藤井一明さんと優勝の田中潤一さんが取りました。
今回は、天候にも恵まれて一日楽しくゴルフを堪能する事が出来ました。
競技終了後は、表彰式と共に笑いの絶えない懇談の一時を送り秋の再会を期し
て終了しました。
( 世話役
都築
靖明 )
○ 神奈川地区ゴルフサークル
第39回目となる湘南 OMG ゴルフコンペを去る5月27日、昨年秋10月に
行った厚木市に有る東名厚木カントリー倶楽部において参加人員20名5組で行
われました。当日は薄曇りで無風、絶好のゴルフ日和で、たまたまゴルファーに
は言い訳の一つが無くなって仕舞いました。
今回当会に新しく若手の鳥井多賀志氏が入会されて、一緒に楽しむ事になりた。
又、当初参加を予定していた一人の方が急用で不参加の申し出でありましたが、
幹事さんの努力で急遽応援ゲストとして玉手夫人が参加されて、男ばかりのロー
トル集団に紅一点の華を添えて戴きました。
- 27 -
成績は、日頃の皆さんの努
力 を 反 映 し た の か 、 GROSS
で80台が5名、90台が6
名と参加者の半数以上の方が
100 を切る成績でレベルの高
い競技と成りました。優勝を
したのは、今回初参加の鳥井
氏で、若さと円熟した技を存
分に 発 揮 し て NET6 7で プ
レー終了しカップを手にしま
した。又、後半プレーした西コースで追い込みを掛けたが及ばず、一打差で近藤
氏が準優勝、三位には後半若干崩れたホール続いたのが響いた岩澤氏がそれぞれ
入賞致しました。
ニァピン賞は近藤氏が2ホールで、木目田氏と島崎氏が各1ホールで獲得、ク
ラブの選択とスイングの正確さを見せつけてくれました。
早朝よりの競技も、15時頃無事に終了して各自入浴を済まして成績の発表と
懇親会に移り、皆さんそれぞれの話題に花を咲かせましたが、16時次回秋のコ
ンペでの再会を楽しみに、ゴルフ場を後にしました。
( 世話役
梶
昭三 )
○ 千葉・茨城地区ゴルフサークル
21年度「第22回春季地区コンペ」は千葉エリアでの開催となるために、過
去に幾度となく利用し、ホームコースとでも言える「ナリタゴルフコース」を久
しぶりに選定し、また参加者が多数エントリー出来ればと5月の連休前後を外し、
- 28 -
「定休日営業」で乗用カート・昼食付の割安となる5月26日(火)に6組の予
定で計画をしてみました。
締め切り前から予定組数よりも多くのエントリーがあり、7組(28名)もの
多数の会員に参加をして頂きました。今回は、電友会会員となった小島道夫さん・
佐藤勝男さん・楢木政光さんも新たにサークル会員として初参加をしています。
入梅間近で天候の心配もあり、気象庁 HP にアクセスし過去の気象データから
確率的に好条件の揃ったこの日を設定したのが功を奏したのか、穏やかに晴れ渡
ったゴルフ日和の一日となりました。
地区代表幹事の渡部さんの挨拶や写真撮影・競技ルール説明などの後、OUT・
IN コースに分かれてスタートをし、参加者は緑の絨毯を敷き詰めたフェアウエイ
にマイボールを追いながら、丘陵コースの18ホールをストロークプレーで大い
に楽しみました。
競技成績に転じれば、恒例のハンデキャップ戦
を制し優勝したのは、IN からスターとし自ら目標
としているスコアを八つも縮めて(OUT:48、
IN:44)上がった山田勝利さんでした。次いで
準優勝には、グロススコア第3位の成績とハンデ
キャップの相乗効果が効いたのか初参加の小島道
夫さんが続き、ゴルフ場利用税の免除が適用され
ている名越利昌さんが、ネットスコア72のパー
プレーとなり第三位入賞となりました。栄えある
BG 賞には、安定したスウイングと実力を余すことなく出し切り、小野塚修二さ
んが獲得しました。
その他の各入賞者は、後藤義人さん、
大野毅さん、林静雄さん、佐野泰司さ
ん、
佐藤勝男さん、小林秀行さん、
楢木政光さんの各氏でした。
全ショートホールには、NP賞を設け
て競い合い、9名(小島、後藤、池田、
岩本、佐藤(琢)、林、阿部、藤代、宮
澤さん)の各氏が獲得しました。
次回のコンペは10月を目途に、茨
城エリアでの開催となります。新規に参加を希望されます会員の皆様も、どうぞ
連絡をお待ちしております。
- 29 -
多数の皆様の参加と、またの再会を楽しみにしております。
最後になりましたが、次回からは岩本寿雄さん(千葉エリア)と鹿嶋孝さん(茨
城エリア)で世話役をお引き受け頂きました。よろしくお願い致します。
長らく皆様にご協力を頂き感謝申し上げます。誠に有難うございました。
○優勝者の声
( 山田勝利 )
何時もパー100 を目標にスタートします。そしてその達成率は4割程度。前半
よければ後半ガタガタ、前半ガタガタで後半ソコソコの繰り返しが続いています。
今回は、アンダーとなりました。同伴者の足を引っ張り、崩れそうなところは
同伴者から手を引っ張られ、HCに恵まれた結果でした。コンスタントにパー100
と行きたいのですが、同期の仲間は道具に問題なし、腕に問題ありと指摘します。
腕の問題については、それなりに努力している積りですが、努力の仕方が問題
と重ねて指摘を受けます。道具を売る店はありますが、腕はネ~?自己責任で自
己解決するしかなく、これからも目標に向かって努力して参ります。
幹事の小林さんの慎重な配慮により、天気にも恵まれ楽しい一日を過ごしまし
た。有難うございました。
( 世話役
小林
秀行 )
○ 埼玉地区ゴルフサークル
第19回埼玉ゴル
フコンペをいつもの
リバーサイドフェニッ
クス GC で5月27
日(水)開催しました。
今回は4組16
名の予定でしたが山
口孝久さんが仕事の
都合により15名の
参加となりました。
天気は快晴、五月晴れ風もなくゴルフ日和
となりました。優勝は OUT45、IN48
ネット71でまさかの杉澤、自分がひさし
ぶりに賞にありついてしまいました。13
番でバーディを取ったものの他のホールは
ボギーやダボばかりでしたが、なんとかス
コアがまとまってくれました。準優勝は林
- 30 -
憲男さんで今日のコンペで3連ちゃんだそうです。最近は好調で80台の前半を
何度か出しているそうです。しかし5月上旬に夜のアナゴ釣りに行き、風邪をひ
いて寝込んだそうですが、今回しっかり結果を出しました。また3月には75歳
以上のプラチナ会で88の好スコアで優勝したそうです。3位は細川正典さんで、
体調が悪く久しぶりのゴルフでしたがスコアを気にせずプレイしたのが良い結果
になったとの事でした。NP は岡田秀夫さん、岡田巌さん、林憲男さん、石原勇
さんでした。表彰式と懇談会をおこないました。
皆さんのコメントです。岡田巌さん:今度の日曜日ジャズピアノの発表会で、
ラバーカムバックトゥーミーを演奏します。石原勇さん:ゴルフを夢中でやって
いますカラオケも。後藤実さん:レッスンを受けています。IN の最終ホール普通
にいけば優勝だった。板川凡夫さん:元気なうちは遊びまわる。菅原修さん:年
だけはベスグロ(一番若い)ナイス。中田隆士さん:最初の5ホールはパープレ
ー、途中からコンピューターが狂いだした。岡田秀夫さん:目標の100は切っ
たが4パッ
トが痛い。
浅井重男さ
ん:スター
トでつまず
いた、次は
100を切
る。前島秀
雄さん:先
輩達とプレイ出来て幸せ、次は100を切る。松本英一さん:坂東、秩父、信濃、
百寺巡礼をし「むせん」にのせた。皆読んで。高柳義雄さん:ハンデがきつくな
ってきた少し余裕を(過去の実績から出したハンデ)。高岡泰資さん:最初の2ホ
ールが悪すぎた。後はよかった。懇談も盛り上がり次回10月を約束し再開を楽し
みに散会しました。
( 世話役
- 31 -
杉澤
稔 )
○ 東京地区ハイキングサークル
春のハイキングは4月4日(土)に呑川緑道と駒沢公園、蛇崩川緑道のお花
見を計画しました。今年は桜の開花宣言が3月26日と早く何時まで桜の花残る
のかが心配でしたが、幸にその後の天気があまり良くなかったので、この日は丁
度満開の景色に恵まれました。
小田急線下北沢駅の南口広場に 10 時に集合しましたが、参加者は川船、石井、
組村、小林(健)、鈴木、都築、土橋、成岡、吉田、神奈川地区から参加の岩澤(敬
称略)と世話役の小林、
木村の 12 名でした。
駅前広場を 10 時 10 分
頃出発し、目黑通りを横
切って呑川緑道に足を踏
み入れました。この緑道
は前々から散歩の度に是
非桜が満開の時に訪れた
いと願っていましたが、
今回はその願いが叶った
わけです。約 1 時間桜の
木の下を散歩し、参加者の皆様と満足の時を過ごしました。
駒沢公園通りを渡った先の左手に三島公園があります。小さな池がある手入れ
の良い公園ですが、ここで小休止してビールで喉を潤しました。ここから先、呑
川は緑道で無くなり、桜新町まで水面が顔を出して小川となります。ここで駒沢
通りに出て、医王寺、駒沢不動尊の前を通り、駒沢公園に歩を進めました。南口
から公園に入り、プールの横を抜けて、体育館に着きました。この地階に軽食堂
がありますので、ここで昼食としました。お弁当を持参した人は近くの休憩所で
食事をとりました。軽食堂を利用したのは8名でしたが、食券を自動販売機で買
い、10 名以上の列に並んで、ラーメンや
カレーライスを何とか手にしました。4
人づつ丸テーブルに着きましたが結構満
員でした。
この日は、体育館で全国少年柔道大会
の決勝戦が行われていて、柔道着の小学
生がたくさん歩いており、会場では活気
ある試合が闘われておりました。
- 32 -
体育館を出て帰途に着きましたが、桜の開花が丁度良いので、公園内のサイク
リング道路の脇はビニールシートを敷いたお花見の人たちで溢れていました。公
園の正門(西門)から駒沢通りに出て、駒沢大学の前を抜け、国道246を渡っ
て向井潤吉アトリエ館に向かいましたが、残念ながら建物修理中で3月16日か
ら休館でした。気を取り直して弦巻通りに出て、蛇崩川緑道に入り、小泉公園で
休憩をとりました。蛇崩川緑道をのんびりと歩き、駒留陸橋を過ぎて、キャロッ
トタワーを目指して歩き、田園都市線の三軒茶屋駅で解散しました。今回はラッ
キーなことに満開の桜トンネルを十分に堪能することが出来ました。
( 世話役
木村
正道 )
○ 神奈川地区ハイキングサークル
春のハイキング“桜の古都鎌倉めぐり”
春は3日と晴れはなしとよく云われているので、天気が心配でしたが午後はす
っかり晴れて、良いお花見ハイキングができました。4月1日10時JR鎌倉駅
西口時計塔前、太平洋戦争に古都を戦災から守る運動をしたウォーナー博士の記
念碑がある広場に集合、予定時間となり白井世話役から本日のコースと史跡等概
要説明。今回初参加の倉本様を含めて14名10時20分広場をスタートする。
市役所通りから御成隧道をくぐり小川に沿って行くと佐助稲荷の道標が姿を現
し、真紅の鳥居が見える石段を上りきると佐助稲荷神社。源頼朝(佐殿)が伊豆
に流されている時、鎌倉の神霊が夢の中で
平家追討の旗挙げをすすめたことがあり、
鎌倉に入った頼朝が感謝をこめて社殿を建
てて祀ったことから「佐助」と呼ばれるよ
うになった。参道の鳥居は幾重にも並び狐
の石像が数多く祭られていた。
境内で一休みして次の銭洗弁天に行く。
参道を少し戻って九十九折を辿ると約10
分で到着、拝観無料。源頼朝が「この山の
湧き水で神仏を供養すれば天下は太平に治
まる」との夢のお告げで建てられ、北条時
頼が銭を洗って一族繁栄を祈ったのが始ま
りとか、ご神体を祀る洞窟の水でお金を洗うと増えるとの伝説がある。狭い境内
でザルにお金を入れて洗うと同時に心身の清めをする。境内にはリスが来ること
で有名な「こくに茶屋」もある。小休止の後洞門を抜けて次の葛原園神社に向か
- 33 -
う。ウグイスの鳴声を耳にしながら急坂を上ると源氏山公園に出て、階段の先に
日野俊基の墓に着く。北鎌倉~大仏間の
ハイキングコースの中間点に当たり、鎌
倉時代に刑場があった所で、後醍醐天皇
を助けて鎌倉幕府を倒そうとした公卿の
日野俊基が捕らえられここで処刑された
1332 年(元弘2)。1882 年(明治20)
俊基の霊を祀った神社が建てられ、3年
程まえ建て替えた時に奥から見つかった
龍の彫刻が神社の前に飾られている。参
拝後源氏山中央公園広場に行く。
ここは鎌倉幕府 800 年(1180~1333)
を記念して造られた源頼朝像前で記念撮
影を行う。公園の中央で昼食を取る。源
氏山は源義家が奥州征伐出陣にあたり白
旗を立てて戦勝祈願をしたことから白旗山とも呼ばれている。古くから桜の名所
で、山桜、ソメイヨ
シノが見事な場所、
当日は3分咲きで他
にも多くのグループ
が休憩していた。昼
食後斜面の小道を下
って、源義朝の邸跡
といわれる鎌倉五山
第三位の古刹寿福寺
に向かう。寿福寺は
臨済宗建長寺派で北
条政子創建 1200(正
治2)、寺の山際にある「やぐら」群は鎌倉時代の標準的な墳墓の形態を残すもの
として知られている。その中で「北条政子」「源実朝」のものといわれるやぐらは、
内壁上に残る文様や配置されている五輪塔などから当時の豪華な様式を見ること
が出来た。続いて今回のコース最後になる鶴岡八幡宮に行く。鶴岡八幡宮の最初
は、1063(治平6)源頼義が材木座海岸由比郷鶴岡に京都岩清水八幡宮を勧請して
若宮と称した。1180(治承4)鎌倉に入った頼朝は若宮を北山に遷座し、続いて若
- 34 -
宮大路に着工した。1119(建久2)鎌
倉の大火で焼失したため現在の大臣
山の中腹に社殿を造営した。沢山の
参拝客で賑やかな境内をゆっくりと
巡り、源平池周辺の満開の桜を存分
堪能し、若宮大路段葛のさくらを鑑
賞しながらゴールの鎌倉駅東口に着
きました。皆様のご賛同を頂き駅前
の居酒屋で懇親会を開きました。
春らしい良い天気になって、偕楽
の喜びに合わせて御健康を祈念する
乾杯を山根様のご発声で行う。時の
経つのも忘れ話も弾みましたが、
“桜の古都鎌倉めぐり”を閉会解散
しました。 ( 世話役
岡部 清一 )
○ 千葉・茨城地区ハイキングサークル
<御岳山・日の出山ハイキング+つるつる温泉>
秩父多摩国立公園の表玄関に位置する御岳山は、古くから信仰の山として多く
のひとたちに親しまれてきました。今回はこの御岳山をスタートし、展望の素晴
らしい日の出山を征服?したあと、ふもとの「つるつる温泉」で心もからだも若
返えりたいと計画いたしました。
期日は平成21年5月16日(土)、集合場所のJR線御嶽駅に集まったのは内
山さん、渡部さん、
安井さんご夫妻、藤
平さん、増田さんの
奥さん、北上さんご
夫妻、秋山さんご夫
妻、斉藤さんご夫妻、
神奈川の加藤さんご
夫妻、窪田の15名
でした。
御嶽駅に勢ぞろいした後、ケーブルカーの滝本駅まで路線バスに乗車して約15
分、ふもとの滝本駅から御岳山駅までケーブルカーで6分、車掌さんのユーモラ
- 35 -
スなガイドでなごやかな雰囲気のうちに 929mの御岳山に一気に登ることができ
ました。
御岳山駅の広場
で自己紹介とストレ
ッチ体操をしてから、
御嶽神社を目指して
赤い大きな鳥居のあ
る道を歩き始めまし
た。参道の両側には
△△講、□□講など
看板のある宿坊街が
続き、苔むした萱葺
き屋根にも歴史を感
じさせられてしまい
ました。その宿坊街
を抜け、坂道を登っていくと武蔵御嶽神社の門前に到着。さらに長い階段を上り
きったところが本殿である。みなさん本殿で参拝を済ませたのち、ふたたび門前
までもどり、電友会の旗を先頭に細い脇道を日の出山方向に歩き始めました。
日の出山までは登りも少なく歩きやすい山道がつづき、途中休憩をとりながら
歩くこと50分、少し登ったところが日の出山山頂。山頂から眺める景色は素晴
らしく、晴れて
いれば多摩丘陵
から遠くは富士
山までみること
ができたのでは
ないかと惜しま
れました。山頂
の休憩所付近は
すでに大勢の団
体が思い思いに
昼食の真っ最中でした。早速、我々も空き地を見つけてシートを広げ、昼食の準
備をはじめました。昼食と言っても弁当は後回し、まずは各自持ち寄ったアルコ
ール類を賞味しないと落ち着かない様子。さらに奥様の手料理やら本人手作りの
つまみを順次みんなに回しながらいただく。適度にアルコールがまわってきたと
- 36 -
ころで、お弁当に切り替えて、十分腹ごしらえをする。
約1時間後、お腹もいっぱいになったところで日の出山を出発して、三ツ沢の
「つるつる温泉」
に向け尾根を歩き
始めました。
ほとんど下りだ
けの山道を歩くこ
と1時間30分や
っと「つるつる温
泉」に辿り着きま
し た 。「 つ る つ る
温泉」は男性風呂が生涯青春の湯、女性風呂が美人の湯といって泉質のアルカリ
性により、肌がツルツルになると評判の天然温泉だそうです。入浴してみますと
確かに肌がつるつるして、なにか若返ったような気になりました。また、奥様た
ちが温泉から上がってきたのを見ますと、なるほど一段と美しく輝いておりまし
た。(イヤほんとに!)
「つるつる温泉」からJR五日市駅まではレトロ調のバスが運行されており、
バスに乗る前に一同記念撮影のあとJR五日市駅まで乗車。五日市駅で次回の再
会を約し、解散いたしました。みなさまお疲れ様でした。
( 世話人
- 37 -
窪田
達 )
○ 埼玉地区ハイキングサークル
埼玉地区春のハイキングは「新緑香る奥多摩渓谷の散策と川原でのバーベキュ
ー」を楽しむことにしました。
実施は5月20日(水)、21日(木)の1泊2日で計画しました。
1日目はJR立川駅に10時30分、8名が集合し、JR青梅線に乗車、途中
青梅駅で奥多摩行に乗り換え、12時頃に川井駅で下車しました。ここで先着の
南さんと合流、9名のメンバーで奥多摩大橋を渡り目的地の川原(川井キャンプ
場)でバーベキューを楽しみました。
バーベキューは飲み物の持ち込みがOKと言うことだったので、立川駅でビー
ル・焼酎・日本酒など沢山仕
入れました。現地で大き目の
鉄板鍋、網、火箸などを2式
借り、また牛肉、豚肉、野菜
などの食材も現地で準備して
もらいました。燃料の小木な
ども現地で購入しました。早
速、河原の石を積み上げ、釜
戸を築き手馴れた手つきで準
備は万端。天気に恵まれたの
で青空、新緑、清流のもと和気相合いに缶ビール片手に鉄板の中からご馳走をつ
- 38 -
まみ出しながら楽しい一時を過ごしました。今回は高柳氏がバーベキューに初参
加でしたので今後の参加を期待いします。
バーベキュー後、今夜の宿泊場所である国民宿舎鳩の巣荘へは電車で直行する
組と、多摩川渓谷右岸を散策する2組に分かれ、夕方4時30分に宿で合流。
鳩ノ巣荘では山の幸、川の幸を楽しみながら3時間にも及ぶご馳走と美酒そし
てカラオケに酔いしれ盛大なものでした。
翌日、2日目は自由行動にし、鳩ノ巣渓谷より上流の氷川渓谷を散策する者、
更に小河内ダ
ムに達する奥
多摩むかし道
を歩く者など
時間と体力に
見合ったコー
スを楽しみま
した。
多摩川の上
流は各所に鱒
釣り場が多く
シーズンには多くの釣り人にとって楽しみの渓谷である。また、渓谷は巨岩が多
く、その巨岩にからみつくように直径30cm もある大きな木が生えているのが
見事でした。吊橋からの眺める渓谷は新緑も美しいが紅葉の時期も素晴らしいと
思う。鳩の巣渓谷の双竜の滝も素晴らしい眺めでした。次、秋のハイキングサー
クルでの再開を約して解散した。
( 世話役
- 39 -
堀内 武、土浦 清 )
4
干
支
だ
よ
り
平成22年に干支(寅年)を迎える会員は、57名(内訳:大正3年生、2名;
大正15年生、28名;昭和13年生、13名;昭和25年生、14名)で会員
全体の8.8%であります。以下の方々より干支を迎えての感想などをいただきまし
たので、ご紹介いたします。
池田
月刊誌を読んだりナンプレを解いたり
守
7回目の寅年を迎えようとは望外の
家事雑事の手伝いをしてすごす。ウォ
思いでございます。若い頃は戦中で兵
ーキングは13年前から続けており、
隊に行き25才位迄の人生かなと、又
日本ウォーキング協会傘下の歩こう会
子供の頃から3回の大病で50才位迄
に所属し、月5、6回の例会等に参加
の命かなと思っていたので、戦後の人
したり、早朝ウォーク(マイコースで
生は全く儲けものとの思いは強うござ
10Km 程度の距離を1時間4,50
います。そこで10数年前から、毎日
分位で歩く)はほとんど毎朝5時すぎ
朝食は自己流雑炊、1時間の散歩でも
から実施し、これらの積み重ねた歩行
って高脂血症・高コレステロール、高
距離が地球一周の4万 Km を達成しま
血糖値は直したが、高血圧は仲々直り
した(平成19年度)。その後は続いて
ません。最近は好きな碁(初段)、将棋
2回目の4万 Km 達成を目指して毎日
(二段)、麻雀(梯子段)をやる機会が
少しづつ歩き続けています。こんな日
なく、月一ゴルフがせいぜいの有様で、
常の繰り返しで平凡で元気な毎日を送
日々テレビでMLB、相撲、ゴルフ、
りながら、次の干支の頃はどうなって
碁、将棋、時代劇の鑑賞とパチンコ店
いるのか楽しみに夢を見ています。
へデータとりと忙しく、夜は就寝時2
~3時間位時代小説読書という今日此
大島 紀光
の頃です。
“私のプロフィール”大正15年9
月生まれで満83才です。出生は千駄
今井
誠一
ヶ谷、幼少期の育ちは浅草隅田公園前
外は台風11号の雨が降り続き、閉
です。軍隊には行かず、東京大空襲に
めきった硝子戸の室内は意外に気温が
数回遭遇。船長志望の筈が学費面でラ
低く上衣を羽織って前夜の政権交代劇
ジオ修理に凝り、無線屋が好きで逓信
の余韻を濡れた朝刊から拾い読む。今
省に奉職。2~3年置きの転勤と引越
日は早朝ウォークは中止し、食事のあ
しは14回、勤続36年でした。各地
とは「碁ワールド」や「俳句」などの
で、山登り・スキー・植物採集も覚え、
- 40 -
大島・三宅・八丈、伊豆半島出張で海
ます。完全に仕事を離れて1年になる
釣りも満喫。退職後は通研での知識が
ものの、新しいことを始めることもな
生き、電業工作㈱で衛星・ポケベル・
く、日々の雑事に取り紛れているばか
携帯基地局のアンテナの製作に従事。
りのように感じております。気取って
電々の鉄塔・アンテナ・導波管点検で
言えばスローライフですか。できるだ
甲信越地方へも出張。年を取るとやけ
け歩くようにはしています。お陰さま
に昔が懐かしいです。退社後は、植木
で今のところ健康には問題ないので、
や盆栽・写真撮影・パソコンアルバム
世の中のいろいろな活動に参加するよ
に熱中。大病は9年前胆嚢炎手術、今
うにしたいと思います。昨年5月には
は老人性白内障で視力が低下。極力遠
東ヨーロッパへ行ってきました。
出は避けて自転車で買い物と散策を。
余生は他人に迷惑を掛けず健康で過ご
栗原
喜一
電々公社を退職して早くも29年、
せればと思っております。
干支も7回目を迎える事になり、かっ
大竹
ては思っても見なかった年齢になりま
将雄
時の流れは早いもの、気がつけば72
した。退職後から約20年間続けた地
年の人生を歩んできている。振り返っ
域活動もガンの告知を受けて、総てピ
てみれば在職中は組織の見直しが目ま
リオドを打ちました。そのガンとの共
ぐるしい日々を送ってきましたが、現
生も9年目に入り、加えて血圧や循環
情勢から見ればまだまだ良き時代だっ
器の支障も重なり病院のハシゴの生活
たと感じます。これからは余分な事に
です。然し気持ちだけはしっかり持つ
気を使わず、あるいは気を張って余生
様に心掛けております。体力も年相応
を送っていきたいものです。このため
に衰え長い距離は歩けませんが隣の児
地域のサークルや行政等に頭を突っ込
童公園や近所の道路の落葉清掃は毎朝
んだり、趣味を絞って写真に没頭して
続け、なんとか寝たきり防止に努めて
いる毎日です。
おります。
神長
小泉
守男
良介
還暦の感想文を書いてから“もう12
春から秋、百姓に励んでいます。最
近、ヒザ、コシが時々痛み整形外科の
年経ってしまったのか”が実感である。
お世話になっています。
過日テレビで人間はなぜ年を重ねる毎
に1年の過ぎるのを短く感じるのか?
川船
の放映を見た記憶がある。それによる
武則
2月に72歳、6回目の干支になり
と40歳で感じる10年は 10/40 に比
- 41 -
し80歳で感じる10年は 10/80 であ
かになり、よくぞ生きている、素晴ら
るという意味のようであった。なるほ
しさ を感 じ まし た。 振 り返 ると 、 S16
ど年月は過ぎてしまえば人間の脳の中
年頃、高輪台のスクールで、無線用電
で感じるのはそんなものかなと納得す
気理論を当時(逓信技手、谷村
る。現役の頃の始業から終業まではも
師)から学び、既に半世紀を遥かに過
っと充実?して長かったように思い起
ぎ波乱万丈、移り変りの連続、多くの
こす今日です。
方々と出会い、数え切れない出来事が
功
講
ありました。現今は老妻と二人三脚を
向後
第一とし、家業・養生そして残余の道
幸作
健康で6回目の干支を迎える事が出
来るとは夢にも思っていませんでした。
程を楽しみながら、一日々を大切に生
きることに専念しております。
これは皆様のご支援のたまものと心よ
りお礼を申し上げたいと思います。現
須賀
連七
在、海外旅行を年1回行くことを目標
7回目の干支を迎えようとしていま
にしています。2009 年は8月末「スイ
すが、これも平和な社会や、皆様方の
ス大自然パノラマ紀行10日間」のツ
おかげと感謝しております。70才頃
アーに参加しました。世界遺産に指定
に体調を崩したため、すっかり仕事か
されたベルニナ急行、氷河急行に乗車。
ら離れ、健康第一主義になり、閑をみ
名峰マッターホルン観光・アイガー、
ては油絵や水彩画を描いております。
メンヒ、ユングフラウ観光を楽しみま
昔、中学校の教師が「人生の喜怒哀楽
した。今回はハイキングもあり快晴の
は、後になればみな思い出に過ぎない」
もとマッターホルンを正面に眺めなが
と言っておりましたが、昔の苦しかっ
らのハイキングと感動、感激の旅行で
たり、辛かったりしたことが、今では
した。これからも世界を「見る、感ず
懐かしく思われます。しかし、それで
る」を目標に「まだ、まだ」と希望を
も太平洋戦争末期の飢えの辛さは二度
持って進んで行きたいと思っています。
と味わいたくありません。また米軍機
の機銃掃射に遭い、機上の米軍操縦士
小林
が赤鬼のようで、こちらを睨んでいる
健一
私は 1926 年大正 15 年生まれ、大正・
ように見えたので、急いで、近くの林
昭和・平成に亘り戦前・戦中・戦後を
に逃げ込み無事でした。一時は縮み上
歩み、S20.5.25 の大空襲ではJR四谷
がる思いでした。たまたま居合わせた
駅土手にて爆死寸前に奇跡的に助かり、
陸軍の将校は林の中にあった防空壕に
今年で84歳の年齢となり7回目干支
入ろうとしたが、鍵がかかっており開
であることで驚き、何時の間に長老と
かず、軍刀の鞘でこじあけようと焦っ
- 42 -
ていたのが思い起こされました。いざ
れ、70歳迄生きていられればいいと
となると皆死にたくないのは同じかと
思っていましたので、これからもあま
安心しました。戦争を65年も経験し
り歳の事は気にせず残された人生を悔
ない日本の平和を維持したいと願って
いなく過ごしたいと思います。
おります。
千野
関根
里
両親介護のため郷里甲府での生活は
清治
還暦は、やはり人生の区切りと思い
早くも3年を迎えました。人生節目の
ます。平成20年簡易生命表によると、
還暦を迎えるに当たり、小学校クラス
私の平均余 命は、あと 22年でし た。
会を開催して皆でお祝いしようと幹事
「人生の7合目」に到達した今、この
を引き受けました。7月18日銀座ラ
通過点で一度立止まって、過去を振返
フィナートにて参加者14名(内女性
るには良い機会であると思います。昭
5名は遠くは名古屋、仙台からも駆け
和43年に「東京無線電信調整所」に
つけ)による尽きない祝賀会。翌日は、
勤務してから、NTTドコモ、ドコモ
東京「はとバス」ツアーを楽しみ、人
モバイル、そして現職場である「協和
生再出発の記念に充実した時間を過ご
エクシオ」と会社を変遷し、これまで
すことができました。
26回の転勤がありました。その間、
無事に業務を遂行できた事は諸先輩の
蔦
耕一
皆様方の暖かい御指導があったからと
干支の6順目を向かえ早や72才に
感謝しております。天国からお迎えに
なり、気力、体力に衰えが始まり、又
来た時、「私は幸わせな人生を送れた。
物を考え、書く力も欠落して来たよう
皆さんありがとう!」と言えるように、
だ。これらの力を維持しようとして、
これからも「酒と笑顔を忘れずに!」
社交ダンス、民舞、カラオケ、ゴルフ
をモットーに一日一日を大事にして精
等を取り入れ、日々忙しく体を、頭を
進していきたいと思います。
酷使している。何時まで続くかわから
ないが出来る限り頑張りたい。ボラン
高岡
ティア活動は民舞、お茶に介護老人ホ
泰資
明けましておめでとうございます。
ームより要望が多いのでこの方も継続
幸いに大きな病気もせずに、好きなゴ
し、皆様のために今年も活動したいと
ルフやいきがい大学の行事等に参加し
思っている。
ています。これも、移動無線時代に鍛
えられた多くの経験のお陰と感謝して
遠山
おります。昔は「人生50年」と言わ
- 43 -
元
私20年1月頃腰を痛めてしまい、
現在は庭を歩いたり草花を見て楽しん
年間でした。現在は膝の痛みが少々あ
でいます。痛いのも忘れてしまいます。
りますが、囲碁、英会話等で楽しんで
本も読みます。そんな毎日です。これ
おります。長い間お世話になった公社
からは寒くなりますので身体に気をつ
の人には今も昔を思い出しては感謝を
けてかんばります。
しております。
殿塚
松山
富夫
右次
いつの間にか、干支の7回目84歳
寅年84年を四等分すると21年
を迎えました。80歳までは元気でし
間の四時代に分けられます。最初の時
たが80歳になると目を悪くしたり、
代は成長期と小、中、大の学生、旧海
肺ガンで入院したり、特に目は失明に
軍の横通校にも在校しました。次はN
近い状態です。車の運転も自転車にも
TTで山頂、都会の八つの無線中継所
乗れず、世間が狭くなるばかりです。
に在籍しました。三番目はNECで中
妻と二人暮しですが、娘4人が代りが
近東、北アフリカ、東南アジアで六ヵ
わりに来てくれ、買い物やドライバー
国の通信建設工事大型プロジェクトに
をやってくれるので助かります。目が
参加しました。定年後の四番目はアル
悪いのに今までやって来た、菊作り、
バイト、国内外旅行と趣味の時代です。
書道、墨絵、パソコンによる写真作り
妻を亡くし独身に戻りました。次八回
を工夫しながらやっています。昨年は
目干支までは、気楽な一人暮しの生活
老人会の展覧会で書道が金賞に入り市
を老化と付き合いながら謳歌する積も
長賞を戴き、又菊の大会では県観光協
りです。
会長賞を戴きました。今年は寅年です。
昨年から寅の墨絵を書き、これからも
山口
孝久
色紙に寅の絵を書き続け子供や孫、知
2月に還暦を迎えますが、ここまで
人等に配ります。今後は残り少ない人
こられたのも先輩諸氏のお陰と深く感
生ですが生き甲斐をもとめて頑張って
謝しております。まだまだ若いつもり
いきたいと思っています。
で、相変わらずゴルフを楽しんでいま
すが、H21年は3月、8月と半年も
長尾
しない内に二度のホールインワンを経
利一
昭和23年に逓信省に入り37年間
短波から衛星関係の仕事に幅広く浅く
験しました。二度あることは三度・・・
があるのか楽しみな年になりそうです。
体験させて頂きました。退職後は公社
と関係のない印刷工場の関係機器等の
山根
障害修理の保守で充実した日々の10
- 44 -
信義
生活が苦しかったり、世の中が不況
になって来ると、最近は非常に大げさ
渡部
繁治
〔子宝人生に感謝〕
に言う傾向がある。特に最近の不況を
何の取柄もな
百年に一度の大不況と言っているが、
い私に過ぎたるものが二つある。一つ
戦争中に比べれば問題にならない。民
は世界における日本人の平均寿命が今
主主義と言う立派な思想でも、選挙の
年も男子が91歳以上で世界一の座は
前になると、野党は世の中の悪いこと
揺るがないようだ。私は幸い今年8月
全てを与党のせいにしてあばきたてる
26日、96歳の誕生日を迎える。有
が、これも過大である。この様な声を
り難い事である。いま一つは私には固
聞いていると折角の人生が暗くなって
定資産や流動資産の金目のものはない
来るが戦争中のことを思えば今の世の
が、金で買えない子宝がある。即ち一
中は正に天国である。あとわずかな人
男四女の子に孫が12人、その孫に11
生を、この様な雑音を気にすることな
人の曾孫、その曾孫にやしゃごが11
く、今の平和な世の中に感謝しながら、
人、正月の全員集合は40人を超える
明るく朗らかに生きて行き度いもので
盛況である。逆縁のない事を祈ってい
ある。
る。
吉野
桂
なんとなく新しい年を迎えて、気が
つけば数えで85才の年男。大正の末
期に生を受け、幼少期から激動の昭和
時代に身をおき、様々な生きざまを体
験してきました。オーバーに言えば「生
きた昭和史」とでも言いたい気がしま
す。年を重ねるに伴い体のあちこちに
不具合を生じています。世間では「一
病息災」と申しますが、私は「多病息
災」とうい怪しい造語を掲げて虚勢を
張って居ります。もう少し生きて、や
りたいことも有りますので、今後とも
宜しくお願い致します。
- 45 -
5
追
憶
橋本章三さんの追憶
福島 利雄
橋本さんが平成21年4月 13 日、95才で亡くなったことは後で聞いて知っ
た。電友会東京無線支部総会(6月20日)の時だったと思うが肺炎とのことで
した。東京無線支部の幹事で前の「むせん」の編集担当でもあった高尾氏の岳父
でもあった。
橋本さんは大正2年生まれで私(86才)より10年先輩、同じ年生まれには
牛島さん(93才死)、石田頼さん(91才死)の他、木村さん(電信からKDD
へ)、広谷さん(横特所長)、品川さん(気象)等がいた。90代死去の2人の他
の人も80代位であった。
橋本さんは昭和20年に船橋特無送へ入り、昭和24年に技術課長となり昭和
30年銚子、35年岩槻の課長で廃局前には所長も務めた。昭和40年からは気
象調整所の所長、最後は大楠の所長となり調査員の後、昭和47年5月に公社を
退職した。昭和31年1月に私は船橋の技術係長で行ったが、課長は山崎さんで
橋本さんがいたこと、また銚子の課長であったことも知らなかった。
私が臼井の技術課長の時、アンテナ工事を直営で行い回線の切り替えもあるの
で、電信から野川所長、気象からは橋本所長に来て貰い、佐藤好所長と共に打合
せ説明会を行ったことがあった。また、私が昭和57年3月公社を退職して嘱託
の頃、御徒町にあった留守番電話サービスへ行き、専務の岩槻さんと都内の得意
先を廻り、社長の橋本さんにも渋谷、世田谷方面へ連れて行かれたことがあった。
この仕事は私には向かないと思い、その後は冷暖房の資格を取って転向した。留
守番電話会社はその後何年かして無くなった。
橋本さんは良い家の出とかある先輩に聞いたことがある。浦和のすぐ北の与野
市(現さいたま市中央区)に自宅を建てて住んで居り、今もいる奥さんや息子さ
んと住んでいた。私は一度お邪魔して話し込み、昼食をご馳走になったことがあ
る。家族は一男(同居)、三女と10人の孫、ひ孫も6人位いるらしい。橋本さん
が局長室調査員で退職前、通信部にいた時は私も同じ施設課にいた。
ご高齢で亡くなられた橋本さん、どうか安らかにお眠り下さい。ご冥福をお祈
りいたします。
- 46 -
佐藤 義一さんを偲んで
林
佐藤
憲男
義一さんが平成21年5月1日74歳で亡くなられた。
突然の訃報に接し痛惜の念に耐えない。
佐藤さんは昭和31年戸塚特別無線送信所を振り出しに本社資材局機材調理
課、東京無線部
イクロ無線部
施設課施設係長、東京通信局
設計積算調査員、東京無線部
央ネットワーク支社
担当課長、東京総支社
保全部市外機械課伝無係長、マ
設計課長、十条統無中
次長、中
設備建設本部
担当課長
機械部
を歴任され、平成3年3月NTTを退職。その後、日本総合メンテナンスに
再就職された。
私は、佐藤さんが東京無線通信部施設課の施設係長であった時に施設課長を命
ぜられ昭和49年2月着任した。当時の無線通信部は神谷町の森ビルにあり、隣
りに設計課、工事部があった。佐藤さんは有能な事務処理能力を発揮して、施設・
建設系の予算をやりくりし、
「局計画」
「部計画」などを「現計(ゲンケイ)」なる
もので、施設系の大元締めとして迅速・的確に処理して呉れた。上部機関の通信
局施設課との調整などもお任せで、課長としては大いに助けられた。
皆さんからは「ぎいっちゃん」の愛称で慕われていた。報・連・相なるものを良
く心得ていて、少しオクターブの高い声と笑顔で接して呉れたことが脳裏に焼き
付いている。もっと長生きをして貰いたかった。数々のご恩に心より感謝申し上
げます。謹んでご冥福をお祈りする次第である。
石島 照造さんを偲んで
篠目
和英
私が石島さんと逢ったのは終戦の年の終わり頃の
様に思います。お互いに東京無線工事局経由で、石
島さんは銚子無線送信所より、私は臼井無線送信所
より、米軍の委託保守局戸塚特別無線送信所への転
勤辞令で赴任しましたが、当時まだ寮がなく、石島
さんは大きい真空管倉庫の中の真空管の空き箱を集
めて、寮が出来るまでの仮の住まいとしていました。
私は前の局の臼井無線送信所の寮にしばらく住ま
わして戴き、毎朝4時に寮を出て戸塚無線まで通い
ました。寮が出来てから戸塚無線の寮に移り寮の皆
と石島さんと同じに生活をはじめました。
謹厳実直、探究心旺盛な石島さんは運用課から技術課に移り、また、その後大
- 47 -
学の委託生にも行くなど、仕事に勉強に頑張っておりました。私も他局に転勤し
ていましたので、勤めでの思い出はこれくらいしかありません。
石島さんとは弓道を通して永らくお付き合いをさせてもらいました。石島さん
は弓道を60歳から始めて千葉県の弓道連盟に加入し、錬氏五段の称号を授与さ
れたのはあまり前例のない事と思います。
石島さんの努力はすばらしいもので毎日60射80射と他の人の出来ないよ
うな練習を行っていました。
NTT弓道連盟の全国大会は各地持ち回りで開催され、石島さんはこれに10
数回参加して個人優勝3回の実績をあげました。また、他のスポーツでも野球、
(ネンリンピック)には千葉県の代表選手
ソフトボール、卓球の「年寄りの国体」
として出場するなど活発に活動しておりました。しかし、2年ほど前から体調を
崩し、療養につとめていましたが、5月16日についに帰ら人となってしましま
した。今でも弓道場での練習に励んでいる石島さんの凛々しい姿が思い出されま
す。石島さんのご冥福をお祈りいたします。
上島新一大先輩の思い出
荻沼
正夫
千 葉 県 銚 子 市 猿 田 町 1675 番 地 。こ こ は 大 先 輩 の ご 自 宅 で す 。猿 田 と 言 え ば
猿田神社。猿田彦は格の高い全国の神社でも名が知れています。猿田駅から神社
の裏側の道は車のお祓いを頂く時にこの道を通りますが、更に進むと畑が開けて
きます。その左側に一際大きな屋敷が在ります。昔風に言えば大地主の感じ。
自分は、葬儀に間に合わず 1 週間後にお線香を上げさせて頂きました。「長い
事入退院を繰り返しで、あのとおり我が儘で、体も大きく、重く大変でした。亡
くなる前には痴呆もあり・・・。」と奥様は話をしてくれました。仏前の写真は「少
しにがみばしった」お顔で自分の知っている大先輩でした。
千葉県銚子市野尻町 1364 番地。銚子無線送受信所、通称「椎柴無線」「野尻無
線」。「局」へのアプローチは緩やかな上り坂で、春には桜とつつじが咲き誇り、
上りきると「JCS」の看板が掲げられた世界の無線局。当時は、船舶通信、南
極通信、捕鯨船団等、長・中・短 波通信の全盛期時代でここが大先輩の職場で
猿田の自宅からオートバイで通勤されて来られたのを覚えています。
自分が入社したのは昭和 37 年 4 月、大先輩は昭和 15 年 3 月とお聞きしました
ので、この様にその思い出を書かせて頂くには恐れ多いと思いますが、大先輩の
以外にもやはり亡くなられた安田様・田中様・笹本様・萩谷様など今の自分があ
るのはこのような方々初め多くの先輩方のご指導があってのことだと思い感謝の
意味も込め下手なペンを取らさせていただきました。
- 48 -
自分の父親が当時の「工作室」勤務していたことも、先輩方々が「荻沼」では
なく、「正夫君」「正夫」と声をかけてくれたのかも知れません。
自分は送信課に配属されていました。大先輩は「組長」の職にあった時と記憶
しています。ある時、確か3KWの送信機の清掃・点検をする日でした。電源が
OFFになってないのに装置の上に昇り掃除を始めてしまい、先輩は慌てて電源
を落とし、「コラー、死ぬ気か!」と強烈に叱られました。
今思えば、電気の怖さを意識したのはこれが契機と思います。
送信課の勤務は4×4の輪番制で、夜は22時以降~2時~4時~6時~8時
と交代時間が定めてありましたがこの交代時間に「声を掛け難かった」こと。
ある時、突然停電になりました。
「バタッ」と送信機が止まります。非常灯の灯
りだけ。シーンと静まりかえります。バタバタと電力室に飛び込みエンジンを始
動させ電圧を確認し「商用」から「ENG」に切り替え、送信機室に行き、送信
機を立ち上げ「統制局」の受信課に連絡と一人で飛び回ったのを覚えています。
そんな時、良いにつけ、悪しきにつけ声を掛けてくれたのも大先輩で、励みに
なったり、反省したりの日々でした。
又、よく言われたのが「早く多重を取れ。無線屋のスタートだ」と。TZ-68
回戦がバックアップ用でこの業務日誌に名前が書けるようにまずは目標に!。
頭の悪い自分でしたが、研修のお陰で取れました。
この時も「良かった」と声を掛けてくれたのも上島大先輩でした。また、「親
父」を大事にな!と良く言ってくれたのも覚えています。
その後、大先輩もアナログ最盛期からディジタル最盛期への変革の中を管理者
として苦労されてきたはず。
そのご苦労には、自分が続けている四国お遍路や巡礼時にお経をあげたとき、
その言葉を唱えさせていただきたいと考えています。
上島家は「日蓮宗」とお聞きしましたが御参りに宗派は関係ありません。心の
姿をお経に占めさせて頂くつもりです。近々、奈良の「大和十三佛霊場めぐり」
を予定していますので、大先輩は「極楽浄土の世界」で楽しんでいるかと思いま
すが、そのお手伝いの「供養」をさせて戴きたいと考えています。
合
掌
故 斉藤俊隆さんを偲ぶ
高橋
定三郎
俊隆さんの逝去を知ったのは9月も末でした。葬儀もお済になったとの事でほ
んとうに驚きました。身体の調子が少し悪いとのお話を聞きましたが、すっかり
回復されたことと思って居りましたのに、突然の訃報を承り悲しみこれに過ぐる
ものはありません。俊隆さんと私の出合いは千代田統無中でございました。
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見かけは一見地味のように思われますが、中々の実力者で表に裏に大変お世話
になりました。職員の面倒見はピカ一で私が二年間無事に過ごすことが出来まし
たのも俊隆さんのお力添えの賜物と深く感謝しています。当時の千代田統無中は
移動無線のセンターとして、伸び行くポケットベルへの対応、そして災害対策用
可搬無線機の適切なる運用等何かと各方面の注目を集めて居りました。
俊隆さんはその先頭にあって良くその職責を果たされました。
優れた運転技術を駆使して深夜時速○○kで東北道をつっ走ったことなど誇
らしげに語る笑顔は今も忘れません。
ここで一寸、俊隆さんの経歴にふれてみますと昭和22年にNTTに入社、38
年には東京統無中勤務され41年には発明考案で総裁表彰を受けておられます。
そして42年には北海道へ函館、仁山と約4年間課長として勤務されました。
雪の北海道で銘酒を片手にさぞかし、楽しい一時もあったことと思います。千
代田統無中で機関長テストに合格され筑波無中に勇躍赴任されたことも懐かしい
思い出の一つです。そしてその後川越統無中へ当時色々な問題もありましたが良
く解決されましたことは皆さんのご承知のとおりです。
このあとNTTを無事に卒業の運びとなり、当時の日通建にその手腕を請われ
本人も喜んで入社されたと聞いて居ります
俊隆さんは若い頃手術され、ずっと片肺飛行だった由、そんな弱味もおくびに
も出さず一人前以上の活動力は精神力の強さであったと思います。
退職後は釣り三昧で良く三浦方面に出掛けて、釣り宿を拠点に早朝からの釣り
を楽しんだとか、そして当日の獲物を肴に一杯、二杯とやるのが至福の一時だっ
たと聞いています。長いお付き合いの中でお互いに酒好きでしたからよく一緒に
神田ガード下の居酒屋等へ通いました。疲れたあとの一杯のコップ酒、特に“ヒ
レ”酒の味は今も忘れません。色々と楽しいエピソードもありましたが今は遠い
昔の夢物語です。いつかもう一度ゆっくりとお会いして俊隆さんの故郷の新潟の
地酒でもご一緒したいと念願しておりましたが、それも適わぬ長いお別れとなっ
てしましました。天国でも今までどおりの穏やかなお話振りで新しい仲間と仲良
く安らかにお過ごし下さい。いずれ私共もその後へ続きますが、またお会いでき
るかもしれません。その時は一升下げて行きます。
さようなら俊隆さん。又会う日まで。
- 50 -
6
随
想
弓道の魅力
-弓道との関わり-
鎌田
治夫
昭和43年2月甲府統無中に転勤し、ビルの近くに矢師が
開いていた個人道場があり7月から通ったのが弓道を始めるきっかけです。
実技中心の指導でした。28mある射場の中間点から弓を射る手ほどきを受け、
やがて定められた道場の位置から出来るようになり熱が入り面白くなりました。
市内の愛好者と夜遅くまで練習した結果、城址公園で審査(学科と実技)を受
け初段を取得しました。実技のあと喉がカラカラになったのが忘れられません(か
なり緊張した?)。この道場はその後、市の郊外に移転し今は息子さん(教士)が
継いでいます。その後、東京統無中に転勤してからも箱根の合宿訓練には参加し
ました。当時、大宮から通勤しましたので浦和の道場に通い2段を取得しました。
その後、高度経済成長期に入り仕事の繁忙もあり特にマイクロ無線部では出張
も長期にわたり暫く弓道には遠のきました。退職してから本格的に進めようとも
思いましたが、この考えは駄目でした。忙中閑ありで年令的によい時期に練習時
間を取るべきでした。
昭和63年3月関東総支社退職後、赤坂の通信工事会社に勤務した頃、先輩の
篠目和英さん(現教士)から NTT 関東弓道部(現 NTT 東日本千葉弓道部)の誘
いを受け5月から再開しました。年数回、東京、修善寺、銚子等で合宿訓練があ
り、浦井武さん(教士)、飯田清さん(教士)、篠目さんの指導を受けました。又年
一回 NTT 全国弓道大会(現 NTT グループ全国弓道大会)もあり、私が入った年
は秋、千葉で開催され良い刺激でした。本大会は全国持ち回りなのでその後、明
治神宮、伊勢神宮各道場の他各県武道館等にOBとして参加しています。
個人的にも地元道場で夜間、休日に練習し平成3年5月3段を取得、同年11
月に4段を取得し順調でした。ところが5段はいくつかの都県がブロックで行う
連合審査となり厳しさが増しました。私も東京、横浜、水戸等で受審しました。
その後、知人から通勤途上の江東区の道場を紹介され、平成5年5月から通い
ました。指導者に称号者がそろって居る所で教えてもらいました。同年8月に5
段を取得、当初の目標を達成し安心(気のゆるみ)したのが反省することになり
ます。平成7年会社を退職後も東京、千葉での練習は続けましたが、次の目標で
ある錬士を決めるまで時間を要しました。決定後それなりに精進したのですがな
かなか結果が得られず年令を重ね、また停車中に追突された事故等で休むことも
ありました。回復が順調でしたので練習を再開、本格化し、今年年初、中央道場
- 51 -
でやっと認許されました。これは多くの指導者を始め、仲間達、そして継続した
お陰でと感謝しています。人生時には不運、誘惑、執着心など起こりますが常に
軌道修正に役立ったのが弓道でした。これ程長く継続出来た魅力は何でしょうか。
-その魅力-
「むせん」の近況だよりには年令を重ねるごとに体調の記事が
多くなります。弓道はまず健康によいことです。
1.筋肉や神経の疲労がとれ、長く継続できる。立つ、腰かける、すわる等の姿
勢や立つ、すわる、歩く等の動作を正しくします。実際に行射する時、身体の縦
横十文字の均衡がとれた姿勢を保つようにしますので伸筋を使って筋肉を伸ばし
ます。こうしたことで筋肉や神経の疲労がとれ鍛えられます。矢を充分引き分け、
保ち、伸ばし、やがて矢が離れた瞬間のショックは爽快でして血流も良くなりま
す。弓力を調整すれば長く継続できます。
2.複式呼吸、皮膚の鍛錬
呼吸は腹式で行い臍下丹田に気を下ろしますので下半身が安定し落ちつきます。
内臓の血流が良くなるので胃腸が弱かった私は改善されました。道場は一般に
冬でも風通しが良いので皮膚が鍛えられ風邪を引かなくなります。
-精神修養-
次によく精神修養になるのではと云われ面を考えてみます。
1.自分との戦い
相手が動かない的であるためその結果はすべて自分自身の責任になります。い
かに平常心を養うか日頃の修養が必要となります。
2.外からの刺激との戦い
静的な運動に共通しますが外の刺激をかなり強く受けアガル状態になります。
この対処としていかに緊張をやわらげ平常心を保つかが課題となります。
いろいろ弓道に関して自分の体験から書きましたが、年令も幅広く男女の性別
なくむしろ女性が増えており、世代を超えて練習できる良さがあります。
今は公的施設が充実していますので興味ある方は近くの道場を見学してみて
- 52 -
ください。道具も最初は貸してもらえます。
もう遅いと云う気持ちは捨て、前向きに進んでみませんか。
干潟および山麓高原の自然観察記
須田
泰右
自然にふれる事が好きで若い時から丹沢、奥多摩、八ヶ岳と近場の山々にいろ
いろ出掛けていた。特に家族ができてからはテント持参で自然の中で過ごす事が
多くなり、四季の移ろいをより楽しむには野鳥、草花、樹木、きのこなどについ
て詳しく知りたいと思うようになった。
<川崎市主催の「かわさき自然調査団」に参加>
15年前から川崎市の市民ボランティアによ
る自然調査団員の募集を知り参加した。多摩川
河口干潟に於ける野鳥の生息調査、干潟の低質
と低生生物の調査が中心であった。野鳥調査で
は初心者には日本野鳥の会の先生から双眼鏡、フィールドスコープの扱いなどの
指導を受けラインセンサス法による種類、個体数の把握および季節変動を調査す
る。特に注意するのは野鳥の種類により羽色の季節変化があり夏羽・冬羽の変化
途中はベテランでも迷う時期もあるそうです。
低生生物調査はコドラード
法(左写真)によりカニ、ゴカイ、
貝類など干潟に生きる生物の種
類と個体数の調査である。特に
泥だらけになりながらの作業で
カニの巣穴調べは楽しい思い出
あった。
また、川崎北部の里山自然観
察などにも参加したが、都市化
の波によって環境破壊が進み自然が失われ消えようとしていると思っていたが野
鳥、昆虫類などは意外と豊富に残っていることに気付いた。
<自然観察のフィールドを八ヶ岳山麓に広げる>
このような調査団員として活動する中でもっと多く
の野鳥や生き物に出会いたいと10年前よりフィール
ドを好きな八ヶ岳山麓に広げた。
川崎では干潟に集まる水辺の鳥が多かったが八ヶ岳
では山麓高原の野鳥である。黒と白と赤の体色で、背
- 53 -
の大きな白斑と下腹の大きな赤が目立つアカゲラは山麓高原に一番似合う野鳥で
あり初めて見つけた時は感動した。これから探したい鳥はオオマシコ(雄は見事
な赤でバードウォッチャー憧れの鳥)、ベニマシコ(全体が赤い鳥で冬に見られる
が警戒心が強い)、コマドリ(日本三大鳴鳥に数えられる)、オオルリ(姿も声も
美しく、日本三大鳴鳥の一つとされる)についてぜひ見つけてみたい。森林の中
での野鳥観察はお目当ての野鳥に会えなくてもその場に身を置いているだけで何
ともいえず心の安らぎを味わえる。
きのこに関しては全く判らないので毎年「野生のきのこ教室」に参加している。
講師の方からきのこの種類・どんな場所に生えるか(樹木ときのこの関係)
・発
生時期等の説明と自分達が採取したきのこを鑑定してもらいます。きのこは種類
が多く「きのこ図鑑」で調べても識別が難しいので、講師の方の説明は役にたつ
ことばかりである。現在、自分で識別できるのはタマゴタケ、ハナイグチ(ジゴ
ボウ)、キノボリイグチ、クリタケ、ベニ
テングタケ(毒)、アミタケ、ハナビラタ
ケ、アミガサタケなどです。
きのこは環境に敏感で「きのこを通し
て森林破壊が見える」と思うようになっ
た。
山野草観察会にも時折参加しますが
「山でうまいはオケラにトトキ」とうた
タマゴタケ
われる有名な野草ですが、オケラもトト
キ(ツリガネニンジン)も残念ながら食したことはありませんので本当に美味か
どうかは不明です。観察会にたくさん参加していろいろレパートリィを増やすよ
う考えている。
今後は森林・林業・森林内の野外活動などについて系統だった知識を学ぶこと、
そして機会があれば何かボランテア活動を通して子供たちに自然の素晴らしさを
伝えたい。
東京マラソン 2009 出走始末記
高橋
重雄
「マラソンや駅伝はTVで見て楽しむもので自分が走るなんてとんでもない」
と思っていたが、平成 20 年に息子が走った東京マラソンの応援をしながら、「ち
ょっと面白そうだし、TV中継もされることだし、還暦も迎えることだし、記念
に東京マラソンに挑戦だ」とばかり、後先考えず参加申込みを決意した。満足に
走ったことのない私のそれが悲劇(喜劇)の始まりとも知らずに・・・。
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42.195Km を完走するために自己流で練習を開始した。息子のチップ記録(公
式グロス記録からスタート待
ち時間を引いた実際の走破ネ
ットタイム)が5時間5分だ
ったので、家族や知人一同に
自慢するためにも能天気に5
時間を切ることに目標をおい
た。週1回の練習ではまず6
Km を35分で走れるように
して、月に1~2Km 程度ずつ距離を伸ばしていった。東京マラソン申込みの8
月には12Km を65分で走れるようになったが、それ以上走ると足に豆が出来
たり、アキレス腱が痛くなったりと、なかなか12Km の壁を越えられなかった。
8月の申込みにあたって、自己予測タイムを記入(これが3万人のランナーの
スタート順番を決めるもの)する欄には、この状態では5時間は切れないと思い、
8月の申込みにあたっては普段の私の
ように謙虚に5時間29分で申告した。
11月に抽選結果が届いたが落選で
あった。参加枠3万人のところに22
万人が申し込むという7倍の競争率で
は仕方がないかと気を取り直し、マラ
ソンデビューは平成 21 年3月8日の
「立川・昭島ハーフマラソン」に切替
えた。目標をハーフマラソンに切替え
たら気負いがなくなり、またシューズ
も軽くて靴底が薄いものから、重いが
クッションのあるものに替えたら豆が
出来なくなり、またアキレス腱も痛ま
なくなり、18Km を 100 分程度で走れ
るようになった。気持ちは完全に立川
ハーフマラソンであったが、12月に東京マラソンの追加抽選に当選の連絡があ
り、嬉しさ半分戸惑い半分であった。立川ハーフの2週間後が東京マラソンであ
る。何とか20Km は走れるようになったので、無謀にもマラソン未経験者が両
方走ることにした。立川ハーフの記録は1時間51分37秒であった。
平成 21 年3月 22 日、ひょっとしたら5時間を切れるかもしれないとの期待と
- 55 -
興奮とで迎えた東京マラソン当日。スタートラインに並ぶといやが上にも気持ち
が昂ぶり、走り始めると、それまでの1Km 当たり6分 30~40 秒で走ろうという
綿密な計画もまったく無駄であった。ペースが速いのである。6分を切っている。
どうしても押さえられない。スタートの新宿都庁前から飯田橋、日比谷を抜け
品川駅前をUターンし銀座に戻る20Km まで6分/Km を切っている。最後に
潰れるかもしれないという不安と全
く快調という相反気分で、前にカッ
コイイ女性が走っているとそれをペ
ースに後ろに着いて走ったり(スト
ーカーか?)、観衆に手を振ったりと
お祭り走りをしてしまった。20
Km からペースは落ちたが、補給所
でバナナを4本食べるなど栄養補給
を完璧にし、浅草を折り返す30
Km 過ぎまでは快調そのものであっ
た。しかし悲劇は30Km を過ぎた
所から来た。突然左足太ももが痙攣
し、走るのがままならなくなった。
沿道の観衆の「頑張って、後12Km
だ」の応援が苦痛になってくる。ど
うしても走れなくなり35Km までの5Kmは歩いてしまった。やがて痙攣も治ま
りまた走り始めたが、40Km のところでまた痙攣が始まり、最後の 2.195Km は
気持と体がバラバラな状態でゴールにふらふらになって飛び込んだ。初マラソンの
公式記録は4時間45分53秒(チップ:4時間38分13秒)であった。60才
にしてマラソンおたくになった私です。
短波無線通信の回線と旧検見川無線送信所の局舎の現状
内藤
敏夫
はじめに
いま時、短波無線通信を回想することは時代遅れと言われるかも知れないが、
最近検見川周辺の一部の住民によって旧送信所の局舎を、千葉市の文化遺産にし
ようとする地道な活動が行われている。そこで50余年に亘る検見川無線が歩ん
だ短波無線通信の歴史を、私なりに紐解き、その折々の時代の流れとそこに携わ
った方々をしばし回想した。
検見川無線送信所の歴史
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検見川無線送信所は、大正12年2月の第46帝国議会に於いて逓信省から提
案され、対欧州・対外地用大無線局建設に伴う5ヶ年継続事業が通過した。そし
て検見川送信所と同時に埼玉県の岩槻受信所も新設されて、東京大手町の東京中
央電信局に設けられた通信所から操作する、中央集中方式が初めて採用された。
検見川送信所では大正13年5月に局舎と官舎の工事が同時に開始され、局舎
は翌年5月に官舎は12月に竣工した。また鉄塔は90m支線付鉄塔6基と75
m支線付鉄塔3基、それに30mの自立式鉄塔2基が新設され、これに4面の長
波空中線が展張された。
また送信機は英国のマルコニー会社から2台の長波送信機を購入し第1装置
は出力50Kw で90mの鉄塔に張ったフラット・トップ・アンテナに、第2装
置は出力15Kw で75mの鉄塔に張った同型のアンテナを用いて通信すること
となった。その後は国産製の3Kw と6Kw の送信機が逐次設置されて、中波の
電波も発射するようになり、設備万端整った大正15年3月、当時の逓信大臣・
安達健三氏も臨席して盛大な中に落成式が挙行された。‥‥‥と、初代所長の菊
谷秀雄氏は「検見川無線の思い出」の中で伝えている。
このようにして、検見川送信所は大正の末期に、日本最初の真空管式長波無線
電信送信所として産声を挙げたが、当時委任統治していた南洋パラオ島への通信
として短波無線電信を初めて使用すると共に、台湾との通信のため検見川送信所
にて開発した、短波無線電話送信機の実用化を図り、更には昭和5年10月27
日のロンドン海軍軍備縮小会議調印の記念交換放送にも参加して、浜口雄幸首相
の声を米国に送り欧州各国に中継放送することに成功して、一躍検見川無線の名
を世界に広めた。
戦時中の検見川無線送信所
戦中の検見川送信所は連日、若い職員が軍人や軍属に召集されて職場は人手不
足になり、大勢の女子職員が採用された。
昭和19年6月10日サイパン回線は途絶し、7月7日サイパン島は玉砕した。
そして8月下旬、これに使用していた送信機3台を、神奈川県高座郡橋本町に疎
開するための移送工事が実施された。工事は検見川送信所の直営で実施され、総
勢20数名にも及んだ。
局舎は町の映画館を移築した古い木造建で、送信機室には TV-1201 型送信機が
3台移送され、30m木柱が3基、Y型空中線が5面新設された。工事は突貫作
業で、10月上旬には軍用通信の対空指令回線として業務が開始され、当分の間
工事要員がそのまま保守を担当し、私も半年間その任に当たった。
検見川の上空は、連日米軍の爆撃機B-29が木更津沖から、東京湾沿いに上
- 57 -
陸し,都内を灰と化した。時をかまわず警戒警報が発令され,全職員はその都度
出勤して非常の事態に備えた。中でも7月7日の空襲では千葉中心地は大々的な
被害を受けた。空襲警報発令と同時にB-29の来襲を受けて、瞬く間に千葉市
内の上空が真っ赤に燃えた。いつ爆弾が局舎の上に投下されるのか、生きた心地
は無かったが全員必死で送信機や自家発電装置の保守に当たった。
その頃から陸軍専用の小型無線機器が第4送信機室に設置され、数名の兵士が
派遣されて局舎に泊まり込みその保守に当たっていた。
灼熱の太陽が燦々と照りつける昭和20年7月の昼下がり、突如として現れた
米軍の戦闘機グラマンは、屋上で無線機の操作をしていた我々を機銃掃射で襲っ
た。取るものも取らず机の中に潜り込んだ、幸い怪我人は無かったが、1号鉄塔
の主骨に機銃の弾丸が数カ所めりこんでいた。
昭和20年の冬は降雪が多く夏は猛暑が続いた。この年の8月15日大東亜戦
争は終結した。朝出勤して間もなく、第一発信室の広場に監視用受信機が持ち込
まれ全職員が玉音を拝聴した。始めのうちは真意が掴めなかったが、昼過ぎ数百
名の兵士が入局して来て階下の廊下で武装を解いた。それでやっと戦争は敗北し
たことを知った。
その日から1週間に亘り、玄関前の11号鉄塔の下で書類という書類が焼却さ
れた。それから数日間は暗黙の中で不安の日を過ごし、送信機は全て停止した。
戦後1年を経過した昭和21年8月7日のことであった。私が宿直者として勤
務に就いて間もなく、米軍の兵士が5~6名ジープで乗り付け監視室に入るや銃
を突きつけ「全電波を直ちに停波せよ」のことであった。
途方に暮れているうち階下の受電盤室に連れ出され、商用電源の OCB を切断
させられた。そして当日の夜勤者4名は即刻局外に退去を強制させられた。玄関
先には銃を構えた歩哨兵が立ち、送信所は完全に占拠された。このため当日の宿
直者は送信所周辺の警戒に当たり、不安のうちに蒸し暑い一夜を草むらの中で過
ごした。この経緯は検見川送信所から発射されていた一電波が、米軍の軍用通信
に妨害を与えたためとその後、時の所長の小林逸正さんから聞いた。戦後の日本
の電波行政は、全て連合軍の強力な統制下に於かれていたのであったのかと、そ
の時痛感じた。送信所ではこれを機会に、電波規正のための検討や技術調査が急
速に実施され、高調波除去装置や寄生振動の防止策が諸先輩によって逐次開発さ
れ、手作りで作成し送信機の上面に取り付けられた。
昭和25年6月1日、電波法が施行されて送信設備に携わる者に対して資格取
得が義務付けられた。このため検見川無線の送信出力は大半が出力2KW 以上で
あるため、これの操作には1級無線技術士の資格取得は絶対の必要条件で、担当
- 58 -
者は挙って受験し厳しい勉学を強いられた。
戦後の食糧難は当分続いた。送信所の敷地という敷地は隅から隅まで競って、
麦を播きさつま芋を植えた。また若者の娯楽はスポーツに限られていた。幸い送
信所では、卓球・庭球・野球等のコートに恵まれていたので,隣局の船橋・臼井・
銚子送信所との親善試合は定期的に行われた。なお親睦会には無線会があって春
秋2回の旅行は2班に分かれ全員が挙って参加して楽しい時を過ごした。
昭和29年3月には、JJC 回線のサービス向上の一環として無指向性空中線の
外に、北米向けと欧州向けの2方向にそれぞれ2面の反射器付ビーム空中線を新
設し、時間を定めて切り替え運用した。
昭和30年の後半に入って、送信技術はトランジスターの実用化に伴い一段と
進歩した。総合予備機として37年には11波組み込みのTF-1505A 形送信機
が新設され、続いて40年には小型化された 1508 形B号送信機が実用化された。
しかし、これに適合する広帯域形の短波空中線が皆無であったのでこれの開発
が急がれていた。そこで短波3局による保全調査が積極的に実施された。
そして42年には双扇形および HFD 形空中線が、翌43年には進行波傾斜 V
形空中線が次々と調査改良の結果、実用化に達した。
昭和37年10月10日早朝、付近の農家の人から「新築している屋根裏のな
かを電線が貫通している。」との知らせを受けて飛んで行き、危険が伴うため急遽
支障移転工事を実施しその難関を免れた。
なお41年10月12日には、商業新聞各社が一斉に送信所の移転問題を大き
く報道して、送信所の存在は益々窮地に立たされた。
また検見川の海の埋め立ては、昭和45年頃には完全に埋め立てられた。これ
を期に検見川近郊の町は一段と都市化の波にのって東京・千葉地区のベットタウ
ンとして、建築ブームが急速に到来した。
こうした中で管理部門では、検見川送信所の移転問題が急務と考え、千葉県印
旛郡の富里村周辺や栃木県の渡良瀬遊水池等を候補地として、種々検討されたが
結論には及ばず、結局 KDD 名崎送信所の移転跡地に決定された。
短波再編成計画の展開
昭和47年2月には、関東通信局に「短波プロジェクト」が誕生し新開地・名
崎送信所の設計に取りかかることになった。メンバーは鈴木秀明調査役を筆頭と
した総勢9名で、それぞれ無機・制御・電力局舎・空中線等の専門分野に分かれ
て、短波再編成は急務と考え全員が基本設計に全勢力を投入した。
そして基本設計もほぼ完成した50年2月、私は銚子無線送受信所の勤務を拝
命した。銚子送受信所の第二局舎は新設備としてほぼ完成していた。私は自分達
- 59 -
の手で設計した施設を、自分の手で保守することは技術屋冥利に尽きる事だと、
心弾ませて初出勤したが、短プロ出身との風当たりは非常に強く、連日新局舎の
保守体制に伴う団交が続き、ここでの2年間は先輩の早川さんと共に心休まる日
は無かった。
それから2年後の52年2月、再び臼井無線送信所に転勤を命じられた。2年
先に迫った臼井の1次移送体制の確立と検見川の廃局に伴う職員の受け入れ対応
のための任務と悟った。短波に生まれ短波に生きた私の宿命と信じて決意を新た
にして、臼井の門を潜った。そして2年目以降は、訓練計画や職員の収容場所の
確保、はたまた勤務態勢の立案等々の準備に追われた。
そしていよいよ後半には、検見川廃局に伴う要員の受け入れ人数、組織の大幅
削減等が具体化した。その結果組織は施設1課に縮小され要員50名で課長1・
副課長2・係長7・工事主任6・一般職員34名という大世帯となった。
辞令交付の日、玄関先で気勢を挙げて入局し机の無い椅子だけの控室に怒りを
露わにした。辞令交付は13時開始としたが所長室に入るなり罵声を上げる者・
自己主張を延々と述べる者・トイレに立って出て来ない者等々、終了したのは終
業時刻の直前であった。そしてこれが以前共に旅を楽しみ、共に白球を追った仲
間かと思うと、無念の涙が禁じ得なかった。!!
そうして、この日から私の長
い長い茨の道が続いた。
名崎送信所の開局
名崎送信所は、短波無線技術の粋を集めて完成し、昭和52年11月1日、第
一送信所が開局した。業務は検見川・臼井送信所の一部の移送で、専用者は気象
庁・郵政省・共同通信社・時事通信社・海上保安庁・防衛庁等であり、主要施設
は送信機41台・空中線40面・鉄塔37基 1000KVA ガスダービン発電装置1
台等であった。
またこの局の特筆すべき事項は次の通りであった。
①無線送信機および端局等各設備は遠隔監視制御装置で常時監視制御されて
いると共に、テレメーター技術により遠隔制御可能
②市外伝送路有線方式と無線方式で2ルート化して、情報を送る伝送路をすべ
て2重化した。
③非常用電源装置として大容量ガスダービン発電装置を導入し、異常事態発生
時においても、第1・第2送信所の相互応援回路により電力を安定に供給す
ることが出来る。
④局舎は送信機群からの不要電波輻射を防止する遮蔽構造になっており、また
送信機冷却風流についても集中吸排気防塵構造になっている。
- 60 -
⑤空中線の給電線には全て同軸ケーブルを使用して地下に埋設し、給電線相互
の誘導による電波干渉の削減並びに天候等による不安定を無くした。また予
備送信機用空中線には広帯域性に最も優れたモノコーン形を採用して、送信
機の安定化を計った。
名崎無線送信所第1局舎の閉鎖
同じ短波プロジェクトで名崎送信所の基本設計を担当した秋山道夫さんから、
平成16年6月17日、第1送信所に設置したタイムカプセル開梱のセレモニー
開催の要請を受けて、参加したとの知らせを受けて唖然とした。聞くところによ
れば名崎送信所はサービス提供してから30年が経過し、既存設備の老朽化およ
び利用電波の減少等を機に、設備更改・設備局舎統合・既設アンテナの最適化を
行っており、今秋撤去する予定になっているとのこと。!!
そして秋山さんはこの日参加して、何十年振りかに見た送信所は送信機は殆ど
無く、ただ時代の変革であの当時が懐かしく思い出されるばかりでした、‥‥‥
と。そうして開梱に立ち会い、開局記念に収納した論文集「50年後の短波通信
の予想」を執筆者全員に送り返して頂いた。
その後の第2送信所の状況は、NTT栃木支店に問い合わせた処、送信設備は
全て撤去したとのことであった。(詳細不明)
おわりに
昔から世の栄枯盛衰は時代の流れといわれるが、莫大な資金と十数年に亘る険
しい反対闘争の中で完成したこの送信所が、たかが30年足らずで閉鎖されると
は、あの時誰が予測したであろうか。?
ただし通信網は短波通信から超短波そしてマイクロと推移し、今や衛星通信や
光通信へと急速に進歩して、携帯電話やインターネットが謳歌する時代に変わっ
たのである。!!
旧検見川無線送信所の局舎の現状と文化遺産への運動
検見川無線送信所の業務が閉鎖されて(昭和54年2月28日)20余年の歳
月が流れた。この間周辺の発展は目覚ましく、住宅が建て込んで過去の面影は全
く薄れた。その中の一角、旧検見川送信所の局舎の一部が寂しく取り残されて、
背丈以上の草木の中に哀れな姿を曝している。
その昔一世を風靡して華々しく開局し、戦前・戦中・戦後を通して、無線界の
名門そして伝統を誇る局とし、幾多の優秀な技術者を生み育てた面影はさらさら
無い。かつてはこの地に大小の鉄塔が林立し空中線が縦横無尽に展張され、その
中央に白亜に輝く検見川無線送信所の雄姿が、想いを馳せる。
建物の角部が丸味を帯び、アールを画いた玄関先の佇まいは、まさに大正・
- 61 -
昭和・平成の3世代を、黙して風雪に耐えてきた実態を物語っているようにも思
える。
閉局後、千葉市がNTTから建物と土地を埋め立て地と交換し、小・中学校の
建設を予定していたが、少子化の影響でこの計画は中止になった。
そうした状況の中の平成12年、千葉市に引っ越して来られた仲佐秀雄さんは、
偶然送信所を目にし、長く日本民間放送連盟の事務局長を務められた感性が閃き、
送信所の歴史に興味を抱いたと言う。そして建物の設計者が東京中央郵便局など
を手掛けた故吉田鉄郎氏と突きとめ、送信所についてなお詳しく調べて「この歴
史的建造物を後世に伝えたい」との一心から仲間を募ると、地元の一部の人達は
元より、画家や写真家など約60名が参加して、平成19年8月「検見川送信所
を知る会」が発足したと聞く。
そして現在の会員はほぼ500名に及び、千葉市長への陳情は勿論、議員・知
名人・地元有士の方々とのコミュニケーションを計りながら積極的な文化遺産保
存運動を展開している。
(詳細はホームページ「検見川無線」参照)
旧検見川送信所正面(玄関前から)
旧検見川送信所側面(東方から)
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記念碑
依佐美送信所記念館における IEEE Milestone 認定証授与式
渡部
律雄
刈谷市高須町にあった、かつて世界最大出力を誇った通信施設「依佐美送信所」
が米国の電気電子学会(IEEE)のマイルストーン(歴史的記念物)に認定され、
5月19日に依佐美送信所記念館でマイルストーンの授与式が行われました。
今回の授与式は我々無線
屋にとっても係わりが深い
ことから、有志会員として
岡部恒雄様、窪田達様、近
藤健児様、林義昭様、藤岡
宏衛様、若生憲司様、東海
無線OB諸氏及び筆者が本
イベントに参加することと
しました。
IEEE マイルストーンは
IEEE の広範な活動分野である電気・電子・情報・通信の工学分野において達成
された画期的なイノベーションで、開発から少なくとも25年は経過し、地域社
会や産業の発展に多大に貢献したも
のと認定される歴史的な業績を顕彰
するものである。国内では八木・宇
田アンテナ、富士山頂レーダー、東
海道新幹線、電子式水晶腕時計、電
卓の先駆的開発、家庭用ビデオ VHS、
鉄道自動改札、日本語ワープロに続
き9番目の登録となる。
依佐美送信所は 1929 年(昭和4年)に完成、世界最大級の出力でヨーロッパ
へ長波を国内で初めて送信して
いることや、跡地付近に建設さ
れた依佐美送信所記念館に設備
が保存されている点も評価され
たという。
同送信所は太平洋戦争後、
GHQ からいったんは出された
- 63 -
解体命令が中止され 1993 年まで米軍が利用し、日本に返還された後、2006 年に
解体されるとうい歴史をたどっております。解体にあたりその技術の歴史的な価
値に鑑み保存活動が進められ、保存展示する依佐美送信所記念館が開館し、当時
設置されていた設備の約80%を保存されたものです。
IEEE MILESTONE 認定の対象となった技術は、真空管以降の技術になれた私
たちには特異なものであり、回転機器で大電力、高周波をどのように得るか、そ
こがポイントとなっている。ここにその当時の設備・技術の一端を紹介します。
冒頭に記したように、この設備は日本とヨーロッパ間 9,000km を直接、無線で
通信するためのものであり、長距離をカバーするための大電力(700kw)と、長
波(17KHz)に対応するための巨大な逆L形アンテナが必要であった。
また受信所は四日市に設置されており、中央通信所から操作されていた。
その概要は次の系統図、空中線図に示すとおりです。
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当時の送信室の模様です。2系統の回転機器が並んでおります。
手前から AC MOTOR,DC GENERATOR,DC MOTOR,HF GENERATOR と並
びその奥に3逓倍器、各種
コイル類と並び、向こうの
壁からアンテナへ出て行く
配置となっていた。回転機
器は左右に2システム設置
されており、現用/予備の構
成となっていた。
現在、依佐美送信所記念
館には1システムを構成す
当時の送信室全景
る機器が展示されている。
高周波発電機
展示館内部全景
高周波発電機の発生周波数は
約 5.8KHz でこれを3逓倍して
17.4KHz の 送 信 周 波 数 を 作 り
出していた。その3逓倍器(トリプ
ローディングコイル等
ラー)は 前 ペ ー ジ の 送 信 系 統 図 に
あるように特殊な鉄心入り変圧器で、そのコイルに大電流を流して鉄心を磁気飽
- 65 -
和させることにより入力信号を歪ませて3倍高調波を取り出すものである。
またこのような大電力の信号をモールス
信号のキー操作により断続する方法は信号
用磁気誘導変更器(Keying choke)によっ
ている。
本機は磁気飽和しやすい特殊な鉄心に信
号用コイルと直流用コイルが巻かれた変圧
器である。直流コイルに電流(13A)を
流すと鉄心が磁気飽和し信号コイルのイン
ダクタンスが変化する性質を利用している。
Keying choke
Tripler
授与式に出席した東京、東海の無線OB諸氏
無線の先祖のような設備が「依佐美送信所記念館」で展示されています。一度
訪れてみては如何でしょうか。所在地等はつぎのとおりです。
愛知県刈谷市高須町石山2番地1
電話
フローラルガーデンよさみ内
0566-29-4330
入館無料
- 66 -
7
お知らせ
1.新入会員の紹介
平成21年度上半期に入会された方は下記の15名です。
山本
修
様
自宅
04
越川
英治
様
自宅
043
吉田
富夫
様
自宅
042
山口
治
様
自宅
028
高田
逸男
様
自宅
080
嶋田
正弘
様
自宅
027
渡辺
建世
様
自宅
029
根岸
榮一
様
自宅
03
本木
成志
様
自宅
043
渡辺
賢三
様
自宅
03
石川
國隆
様
自宅
029
小林
記内
様
自宅
049
坂野
道男
様
自宅
0299
吉冨
昭男
様
自宅
03
為中
武
様
自宅
0475
2.退会者
平成21年度上半期に退会された方は下記の8名です。
伊藤 弘一郎 様
高橋 容子 様
花島 武石 様
関口 和夫 様
金沢 修二 様
加藤 英明 様
向井 正 様
茂垣 綾子 様
3.余栄
次の方が生前のご功績により、余栄を授けられました。
石島 照造 様
平成21年6月23日
*
瑞宝単光章
河田 至郎 様
平成21年8月31日
*
瑞宝単光章
4.長寿番付十傑
倉井
正治
様(明治38年12月
6日生)
104歳
渡部
繁治
様(大正
3年
8月26日生)
95歳
相曽
新一
様(大正
5年
2月13日生)
93歳
- 67 -
小堀
幸子
様(大正
5年
3月
9日生)
93歳
佐藤喜代雄
様(大正
5年
3月13日生)
93歳
横山
辰男
様(大正
5年
9月16日生)
93歳
谷島
明
様(大正
5年
9月21日生)
93歳
高尾
潔
様(大正
6年
3月26日生)
92歳
横井
大六
様(大正
6年
9月
6日生)
92歳
柴田
正路
様(大正
6年11月
4日生)
92歳
5.物故者の略歴など
平成21年度上半期で亡くなられた6名の方々の職歴などを掲載いたします。
氏
名
( 年令 )
職
歴
死 亡 日
浅沼
入社
昭和 18 年6月
(80 歳)
略歴
臼井無線送信所、久喜無中、水戸統無中
平成 21 年3月 16 日
退職
昭和 60 年4月
入社
昭和 20 年 12 月
(95 歳)
略歴
銚子無線送受信所、東京気象無線電信調整所
平成 21 年4月 13 日
退職
昭和 47 年5月
大楠無線送受信所
入社
昭和 31 年4月
戸塚特別無線送受信所
(74 歳)
略歴
無線通信部、マイクロ無線部、十条統無中
平成 21 年5月1日
退職
平成3年3月
入社
昭和 18 年1月
(84 歳)
略歴
関東通信局施設部、立川統無中、蔵前統無中
平成 21 年5月 16 日
退職
昭和 57 年3月
三宅無中
入社
昭和 15 年3月
千葉工務出張所椎柴駐在
(85 歳)
略歴
臼井無線送信所、東京統無中、館山統無中
平成 20 年7月7日
退職
昭和 57 年3月
千葉統無中
入社
昭和 25 年 11 月
双子無中
(80 歳)
略歴
東京統無中、マイクロ無線部、施設局
平成 21 年7月 14 日
退職
昭和 59 年12月
橋本
佐藤
石島
上島
河田
英彦
章三
義一
照造
様
様
様
様
新一 様
至郎
様
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資料なし
伊豆大島統無中
東京無線通信工事局船橋分室
東京支社設備建設本部
東京都市通信局
東京無線部
松嶋
入社
昭和 29 年4月
(80 歳)
略歴
福岡無線部、福岡統無中、本社技術局
平成 21 年6月 23 日
退職
昭和 44 年3月
入社
昭和 22 年3月
(87 歳)
略歴
函館統無中、千代田統無中、筑波無中
平成 21 年8月 28 日
退職
昭和 54 年3月
斉藤
成幸
俊隆
様
様
有川無中
本社マイクロ無線部
川越統無中
6.NTTドコモOB会「ドコモ同友会」設立される。
電友会の内部組織として10月1日「ドコモ同友会」が設立されました。
ドコモOBは、すでにその多くが電友会会員として各地方本部の活動に参
加し活動されていますが、特に首都圏内でのドコモグループ会社出身OBか
ら一体的活動を希望する声も多く、その結成により、電友会活動の輪がさら
に広がることとして設立されたものです。
NTTドコモ同友会の会員は原則、NTTドコモ及びドコモグループ会社
の退職者(NTTドコモを退職した後ドコモグループ会社に在職している者
等を含む)で会の目的に賛同するものとされています。
なお、現在既存電友会に加入されておられる方で、新たに発足した「ドコ
モ同友会」に入会を希望される方につきましては、既存電友会にも引き続き
継続して加入していただけますようお願いいたします。
ドコモ同友会 ホームページ URL: http://www.ob.nttdocomo.co.jp
- 69 -
編 集 後 記
○
局地的に見ると集中豪雨、竜巻などの特異な気象により大きな被害を受けた
地域もありましたが、首都圏では比較的穏やかな気候が続き、今年も暮れよう
としています。
○
今回は、平成22年で年男(寅年)を迎えられる57名の方に干支だよりの
原稿をお願いしましたところ、23名の方から原稿を戴きました。特に7回目
の年男の方14名から沢山頂き感謝しています。
○
鳩山内閣に代わり、国連の場で日本としては CO 2の排出を25%削減(1990
年比で 2020 年までに)するとの発表をされましたが、並大抵の数字では無いよ
うです。我々も各家庭での排出量を把握し、削減できるところから少しでも削
減することが必要ではないでしょうか。
○
本号がお手元に届くのは、12月下旬となる予定ですが、寒さの到来ととも
に新型インフルエンザの大流行が懸念されております。健康に充分配慮され、
明るい新年を迎えられますようお祈りいたします。
( 渡部 律雄
発行年月日
平成22年1月1日
発
行
所
関東電友会 東京無線支部
事
務
局
〒107-0052
東京都港区赤坂8-4-23
NTT-COMテレビジョン中継センタ内
電
話
03-3408-4259
FAX
03-3408-4216
ホーム
ページ
http://www2.ocn.ne.jp/~musensb
Eメール
[email protected]
編集者
渡 部 律 雄
齋 藤
隆
- 70 -
記 )
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