卒業生講演会

卒業生講演会
大阪大学
外国語学部
地域文化学科
白石
裕樹
(石井中学校出身)
こんにちは。大阪大学外国語学部から来ました、白石裕樹と申します。今日は私の受
験体験記や大学生活について皆さんに少しお話したいと思います。
高校生の時、私はすでに将来は英語教師になろうと決めていました。志望校選択のと
きに当然選ぶべきは教育学部だったのですが、へそ曲がりだった私は、「教育学部に行
って先生になるんじゃあ王道すぎて味気ない。どうせなら大学生活、自分の好きな語学
に打ち込んでみよう。
」と外国語学部を選びました。さてそうして大阪大学外国語学部
を受けることに決めたものの、外国語学部には25もの専攻語があり、入試の際にその
中から一つ選ばなければなりません。もちろん英語教師になるのであれば、英語を受け
るのが一番手っ取り早い選択です。しかしここでも私はそれを良しとしませんでした。
「英語だったら外大じゃなくてもどこでも勉強できる。どうせなら今まで一度も見たこ
とのない世界を見てみよう。
」そう思った私は25ある言語の中から迷わずヒンディー
語を選びました。友人達は「それどこの言葉?」とか「カレー屋にでもなるんか?」と
かはやし立てましたが、すっかりその気になった私は全く気にも留めませんでした。
さて、先程からヒンディーヒンディーと言って来ましたが、みなさんヒンディー語が
どこで話されているか知っていますか?答えはインドです。およそ12億の人口のうち
4億人から5億人程が母語として話します。ちなみに英語の母語話者が全世界で5億人
です。その他の人はウルドゥー語、パンジャーブ語、ベンガル語、タミル語、マラーテ
ィー語などを母語とします。インドには多数の言語があり公用語だけで18~22、少
数言語を含めると800にも及びます。
ところでインドと聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。牛がそこら中にいる、
カレーばっかり食べている、インド人は皆ターバンを頭に巻いている…色々なイメージ
があると思います。実際、牛はそこら中にいるし基本3食カレーです。でもインド人全
員が全員ターバンを頭に巻いているわけではありません。ターバンを頭に巻いているの
は人口比1%ほどのスィク教徒達だけです。インド人の8割はヒンドゥー教徒で、1割
がイスラム教徒、残りがキリスト教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒などです。聞
いたことのない単語ばかりで遠い世界の話だと思うかもしれませんが、実はみなさんの
身近なところにヒンドゥー教の神々はいます。例えば七福神の弁財天はサラスヴァティ
ーという芸術の女神が原型だし、毘沙門天はクベーラという富の神様から来ています。
他にも閻魔大王、大黒天、梵天、韋駄天や帝釈天などもインド由来の神様です。意外な
ところでは西遊記の主人公、孫悟空もハヌマーンという猿の神様がモデルとなりました。
日本に来たのは神様だけではありません。私達が普段使っている日本語の中にも、ヒン
ディー語由来の単語があります。世話、奈落、刹那などの言葉は、元々ヒンディー語の
元であるサンスクリット語に当て字をして取り入れたものです。それぞれヒンディー語
でセーワー、ナラク、クシャナと発音され意味もほぼ同じです。他にも旦那や卒塔婆、
南無阿弥陀仏など、仏教用語には数多くヒンディー語由来の単語が存在します。
さて、話を大学生活の方に移しましょう。大学の時間割は高校までとは違い、自分で
好きなように時間割を組み立てることが出来ます。例えば朝が弱い人はうまく組めれば
昼から授業が始まるように取ったりできるし、休みを多く取りたい人は月曜火曜水曜に
授業を固めて週休4日にしたりとか、今までには考えられなかったスケジュールを組む
ことが出来ます。しかし自由とは言えある程度の制限はあります。1年生のうちに最低
限取らなければならない単位はこれだけ、2年生のうちにはこれだけ、という風に必修
科目というものがあり、もし必修科目を落としてしまうとその年は進級できずもう一度
その学年を受け直さなくてはなりません。特に外国語学部では1、2年生の間は毎日必
修科目である専攻語の授業があります。その必修科目ですが学部、学科毎に取り易いも
の、取り難いものがあり、その違いは天と地ほどあります。私の在籍するヒンディー語
は授業進度の速さ、教授の厳しさ、留年率の高さから地獄のヒンディーと呼ばれ外大で
最も厳しい語科でした。毎日皆で図書館に3冊しかない辞書を奪い合いながら予習をし、
5時間も6時間もかけて積み上げた予習がほんの1時間足らずで消えてしまう事に恐
れおののいていました。予習が終わらなかった日は神や仏にすがる気持ちで祈るように
して授業に出るのですが、そういう日に限って教授に当てられ、予習が終わってない事
が分かるや否や教室を追い出されました。進級のかかったテスト前には皆で進級を誓い
合い、泊まりこみで勉強したのもいい思い出です。そうして地獄のような2年間が過ぎ
3年生になるとゼミ形式の授業が始まり、各々が文学、文化、言語など好きな分野につ
いて授業を選択し、2年間かけて卒業論文の完成を目指します。私はヒンドゥー教の
神々を研究対象に選びました。研究が進むにつれて生のインドに触れたいという欲求が
抑えられず、4年生の時にバックパックを一つ背負い、ヒンディー語を頼りにインドを
半年間かけて一周しました。毎日続くカレー、みずみずしいマンゴー、数千年前の遺跡、
照り続ける日差し、うつろな眼の牛、物乞いの少女、ぼろぼろの老婆…。インドの大地
に自分の足で立ち、目で見、耳で聞き、また肌で感じることで、本や写真を通して得た
ものとは全く違ったものを生々しく感じることができました。それらは私の心の中に留
まり様々な疑問を投げかけてきます。なぜ大昔の人はこれほどまでに壮大な寺院を造っ
たのか…、なぜ宗教は人間同士を憎しみ合わせるのか…、なぜこの老婆は誰にも看取ら
れず死んでいかなければならないのか…。私はそのすべてに答えることができませんで
した。そして今なお答えられないままでいます。もしかしたら一生かかっても答えられ
ないかもしれません。しかし答えが出なくても、考え続ける事こそが重要な問いもある
のだと気づくことができました。
最後にこれから受験を迎えるみなさんへメッセージを送ります。きっと皆さんの中に
も同じ事を考えた人がいると思うのですが、私が高校時代に抱いていた疑問のひとつが
「今学んでいる数学や英語、古文が果たして実生活で役に立つのか。
」ということです。
自分の大学生活を振り返ってみると、いくら外大といえども英語を毎日毎日話すわけで
はありませんし、ましてや微分、積分を使ったことなど一度もありません。そう考える
と一見不必要に見えますが、なら必要なかったのかと自問自答するとそれも違う気がし
ます。私が拙いなりに出した答えは「色々な考え方に触れることで、自分の新たな興味、
関心を探るため」です。これまで触れたことのない問いに触れることで、新たな問いを
見つける。その問いを探求する中で新しい自分に出会う。そのための期間こそ高校の3
年間です。そして自分の進むべき道を見つけたら、後はわき目も振らず突き進んでくだ
さい。そうして掴み取った大学生活は、自分のやりたい事についてしっかりと掘り下げ
られる非常に充実した4年間になるでしょう。反対に、興味関心もなく学力相応だから
という理由で選んだ4年間は苦痛の連続です。自分のやりたくないもの、興味ないもの
に人生の一番多感な4年間を費やすことほどもったいない事はありません。自分のため
に学ぶ3年間、仕方なしに学ぶ3年間、同じ3年間でも2つは全く別物です。どうせや
るなら楽しい方を選びませんか?ここ岡山大安寺高校にはそのための環境が揃ってい
ます。先生方をいい意味で利用して、しっかりとした学力を積み上げてください。この
先皆さんが友人、家族、先生方と係わり合いながら素晴らしい高校生活を送れるように、
本当の自分を見つけられるように祈っています。以上です。どうもご静聴ありがとうご
ざいました。