研究成果 - 西南学院大学博物館

2015 年度
「先進研究奨励」費
研究報告書
学籍番号:14MK005
氏
名:山尾
彩香
学
年:博士前期課程 2 年
研究課題名:蛇の象徴的役割から読み解くイヴとマリアの表象を巡る調査研究
研究目的と意義
本研究の全体を通しての目的と意義は、キリスト教美術における女性表象の在り方を
独自の方法でもって検討することで、女性という性が父権的社会の歴史の中で経験して
きたものを客観的に認識、受容する助けとし、現代社会におけるセクシュアリティの検
証をもめざすものである。この前提を以てして、本研究の詳細な目的意義を以下に挙げ
る。
(1)女性表象における切り口としての「蛇」の象徴的役割の提示
キリスト教美術における女性表象をめぐる先行研究は数多く存在する。その中におい
て本研究は「蛇」という象徴的動物に焦点をおき、これまで語られてきた女性表象の見
直しを独自の視点で行い、その方法を提示するものである。ここで指す女性表象は、特
に、二項対立的な規範を教会によって与えられたイヴとマリアの表象を指し示すものと
し、「蛇」が古来より持ち合わせてきた、非常に両義的ながらも、それぞれの側面に重
要な意味を付与する象徴的役割の顕在を試みる。
また、キリスト教という宗教により、女と蛇の表象から「剥奪されたもの」「残され
たもの」「新たに与えられたもの」を考察し、この宗教の成立と変遷、実態を従来とは
異なる視点から再認識する。
(2)イヴとマリアの表象を巡る緊張の表出
教会により両義性、二項対立性を与えられたイヴとマリアの表象を、蛇のもつ象徴的
役割を介してキリスト教美術における女性表象の在り方を検討することにより、両者間
の差異あるいは同一性を明瞭化し、以下の問題提起につなげる。
①イヴとマリアの身体表象を巡る問題提起
・イヴの裸体とマリアの露出
教会にとって細心の注意を払うものであった女の裸体だが、聖書で裸体であると明確
に記述してあるエバと、キリストへの授乳のために乳房の露出するマリアの身体表象を
巡る緊張を読み解く。
・イヴとマリアの「美」の領域
裸婦のモデルとしてのイヴに「美」は求められたのか。原罪を犯す前の身体を醜く描
くことの問題性がある一方で、女の性による有罪性もエバは表象しなければならない。
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エバの美、そしてマリアの特権的聖なる美の領域は設定可能であるのかを検討する。
②イヴとマリアの宗教的象徴の問題提起
・象徴の隔離による矛盾
表裏一体である「女」と「母」、またその他の性質の隔離により生じる矛盾の提示を
試みる。
・宗教的思惑と表現のズレと新たな象徴の表出
教会と芸術家の思惑のズレ、表現者と観者の認識のズレの可能性を指摘し、イヴとマ
リアの表象と蛇にみる新たなる象徴、例えば「不死性」「両性具有性」の提示を試みる。
(3)イヴとマリアの表象からみる社会的変遷の視覚化
(2)で提示された問題を各時代の芸術家たちが如何にして表象してきたのかを比較
することで、芸術家たちの思惑と教会の宗教的思惑の間にある緊張関係の実態を考察す
る。そこから時代的・社会的背景、経験を読み取ることが出来れば、キリスト教の盛衰
の変遷をイヴとマリアの表象に視覚化されていることを逆説的に指し示すことも期待で
きる。
研究の経緯
2015 年 5 月
実見、文献収集
於:福岡市博物館、国立西洋美術館、東京国立博物館、国立新美術館、Bunkamura ザ・
ミュージアム、森アーツギャラリー
2015 年 6 月~12 月
文献資料収集
2016 年 1 月
論文作成
修士論文題目:女と蛇の表象―父権的支配者としての〈聖母マリア〉と母性を簒奪され
た〈イヴ〉たち―
提出:西南学院大学国際文化研究科
2016 年 2 月
研究論文
題目:《無原罪の御宿り》にみる父権的支配者としてのマリア
『西南学院大学博物館研究紀要第 4 号』西南学院大学博物館、2016 年、pp63-77
2016 年 3 月
研究報告
発表題目:女と蛇の表象―父権的支配者としての〈聖母マリア〉と母性を簒奪された〈イ
ヴ〉たち―
第 4 回西南学院大学国際文化学会
於:西南コミュニティセンター
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研究成果と課題
本研究の成果は修士論文「女と蛇の表象―父権的支配者としての〈聖母マリア〉と
母性を簒奪された〈イヴ〉たち―」においてまとめている。要旨は以下の通りである。
西洋における、女と蛇にまつわる表象の起源は古く、原初の時代より信仰されてい
た大地母神(グレート・マザー)の図像や儀礼のなかに蛇はいた。蛇のもつ象徴的な
性質は、女神の属性として大いに力を発揮したからだ。蛇は多種多様な意味作用を持
つ生き物とされるが、その中でもこの生き物がもつ変身能力、つまり「脱皮」から連
想された「再生」という力は最も重要な意味を帯びていた。この属性はまさに、女神
のもつ「豊穣」と「再生」そして「死」をも包括する全宇宙的性質と強く結びついた
のだ。こうして蛇は古来より、長い間、女の傍らに寄り添う良きパートナーとなった。
しかし、原初的な女神としての女と、特別な力を持ち女神に付随する動物であった
蛇は、やがて台頭する母権的社会を打破し繁栄せんとする父権的社会により、その強
固な礎を築くための供物として強制的に捧げられることとなった。抑圧されたかつて
の偉大なる女神と神聖な蛇は、強大な父権的社会の最たる世界といえるキリスト教世
界が確立するころには、穢れた、罪深き、救われ難い存在へと堕落させられていった。
その存在こそがイヴであり、蛇であった。イヴは全人類の母にして、最も穢れた女と
なり、蛇はその最大の罪を犯させた誘惑者、共犯者として呪われることとなる。『創
世記』における彼女たちの運命は、長きに渡って、あるいは現在もなお隠然と続く差
別の対象としての地位を確約するものとなった。
イヴは『創世記』に記されているように、蛇の誘惑によって禁断の実を食べ、アダ
ムを誘惑し実を食べさせる。人類の始祖はこのとき「性」の発見をし、結果として人
類は罪と死の運命を担うこととなる。教会は人間の苦しみは、つきつめれば女つまり
イヴが、精神的にアダムよりも劣っており、誘惑に弱い存在であったから、悪魔にそ
そのかされ、その結果として死や苦しみがあるのだと説き、女は男よりも劣った、救
いがたい存在であるというレッテルをはりつけた。イヴは悪魔または男性との性交に
よって穢されており、血の穢れ(月経)があり、罪の子を苦痛のうちに産み、すべて
の女もまたイヴと同様だとする女性嫌悪の思想が凝り固められていく。こうしてイヴ
と蛇の「人類を堕落させ、性によって死をもたらす女とその誘惑者たる悪魔」という
モデルが完成する。この教会によって完成されたモデルこそが、現代の「女と蛇の表
象」を代表するイメージとして象徴世界に君臨する。
一方で、罪深い誘惑者としての役割を担いながらも女性の裸体の美しさを表出させ
えたイヴという存在は、西洋美術史において少なくとも女性の美に関する追求の余地
を、性の抑圧されたキリスト教世界のなかに与えてくれたのではないだろうか。後世
に続く女性表象の一つの装置として、あるいは古代からの女性の身体美の断絶を成さ
せないための重要な役割を、イヴという表象は担ってきたのかもしれない。この点は
まだまだ、考察の余地がある課題である。イヴとマリアの美をめぐる問題についても
考察を深めていきたい。
イヴから、そして源泉たる蛇女神たちの〈生きとし生けるものの母〉たるその母性
を奪った聖母マリア。彼女は特権的な処女性と絶対的な母性を教会によって与えられ
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た新たな女神像であった。《無原罪の御宿り》において性の象徴たる蛇を踏み敷くマ
リア。男神や英雄の力の象徴としての蛇退治をなぜ彼女が行うのか。それは宗教改革
のなかでカトリックがプロテスタントに勝利した栄光を象徴するためであった。しか
し、敵対する蛇と聖母の図像には、かつて父権的社会の男の支配者が古代の女神たち
に行った所業の再演が行われている。社会、教会といった男の支配を受けた所有物と
してのマリアが、男の代わりに矢面に立たされ、人類の母たるイヴ、そして彼女の源
泉ともなった異教の女神たちを蛇にみたて支配し、力を簒奪する。そして彼女自身も
また、女としての「性」を奪われ、本当の母としての姿を抹消されるのだ。蛇を踏む
彼女の表象だけがのこり、その事実を原初の蛇と女神が守り受け継いできた象徴は男
たちに簒奪され、女神はなきものとして扱われ、その残骸はイヴもしくはマリアのな
かへと歪められ取り込まれた。そこではキリスト教という女性嫌悪の淘汰がなされ、
彼女たちの力や象徴は彼らの都合のいいように分解、再解釈される。その証明として
の、蛇の力を身体に刻み授乳する母神、玉座に君臨し息子を守護する蛇女神、蛇と絡
み合い世界を創造し再生と豊穣をもたらす原初の女神たち、ときとして恐ろしく暴力
的で死をもたらす蛇=女神たちといった表象が、イヴとマリアの表象のなかにさらに
見出すことも課題である。また、イヴとマリアの表象と蛇にみる新たなる象徴(「不
死性」「両性具有性」など)の提示の試みは今回達成できなかった。
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