参 - 北海道師範塾

北海道師範塾「
北海道師範塾「教師の
教師の道」
塾頭通信 300号
00号刊行記念
刊行記念冊子
記念冊子
題名「牛の歩み」は、
塾頭吉田洋一の座右の銘である
怠らず行かば千里の外も見ん
牛の歩みのよしおそくとも(新渡戸稲造)
に拠るものです。
~300 号までの歩
までの歩み~
第201号
第202号
第203号
第204号
第205号
第206号
第207号
第208号
第209号
第210号
第211号
第212号
第213号
第214号
第215号
第216号
第217号
第218号
第219号
第220号
第221号
第222号
第223号
第224号
第225号
第226号
第227号
第228号
第229号
第230号
第231号
第232号
第233号
第234号
第235号
第236号
第237号
第238号
第239号
第240号
第241号
第242号
第243号
第244号
第245号
第246号
第247号
第248号
第249号
第250号
ちづる
変わる予感
パロディか悪のりか
真珠湾
金メダルが泣くぞ
何を伝えるか
青い夕日、赤い月
高校中退問題
赤穂事件と天下の法(1)
赤穂事件と天下の法(2)
水戸黄門の退場
絆
北の土偶
連理の枝
Passion
年満月
仕事納め
新しい年を迎えて
新たなるスタート
成人の日
汚名返上?
やぎの冒険
限界集落
逃亡者
歌会始
大学入試センター試験
煙が目に染みる?
処分は重すぎる?
初釜
悪いうさぎ
カレーライスの日?
繰り返される孤独死
カラスの知恵
C世代
命の重さ
倭は国のまほろば
選挙権年齢
学校経営と職員会議
ワンピース(ONE PIECE)
さっぽろ雪祭り
パワハラ
北方領土の日
光と陰
建国記念の日
値下げ競争?
コネ論争
忘れられる権利
ALWAYS
小学生の日本酒検定
1年経ちました
第251号
第252号
第253号
第254号
第255号
第256号
第257号
第258号
第259号
第260号
第261号
第262号
第263号
第264号
第265号
第266号
第267号
第268号
第269号
第270号
第271号
第272号
第273号
第274号
第275号
第276号
第277号
第278号
第279号
第280号
第281号
第282号
第283号
第284号
第285号
第286号
第287号
第288号
第289号
第290号
第291号
第292号
第293号
第294号
第295号
第296号
第297号
第298号
第299号
第300号
肝心なことは目には見えない(1)
肝心なことは目には見えない(2)
中学生とAEDの実習
生活不活発病
津波てんでんこ(1)
津波てんでんこ(2)
教育目標設定の責任者は?
再生への一歩
性犯罪と再犯防止
非正規雇用問題を考える
議論のルール
はやぶさ―遥かなる帰還(1)
はやぶさ―遥かなる帰還(2)
啓蟄
閖上の海
小学校と留年
測定せず
コンパクトシティ
学校運営とPTAの会費負担
春分の日
1.99
科学の発展と制御
セルフ・ネグレクト
捨てたもんじゃない! 今時の若者達
The IRON LADY
地域通貨「リアス」
落日の「日の丸半導体」
ハエも悲しき
卯月
石の上にも3年は死語に?
不適切勤務
2%の壁
ヘルプ
ライフラインと民間委託
新1年生
恐ろしいトリカブト
戒名は必要ない?
イクメンに期待
一言の重さ
2つの失敗
開かれた教育行政とは
丸かれや
魚離れ?
面倒臭い?
理想の上司
36年ぶりの誕生
子は鎹(かすがい)?
昭和の日
首長の責任、議会の責任
憲法記念日
「塾頭通信
参」の発刊記念に寄せられた
お祝いのメッセージ
300号は恐らく5月2日に発行ですね。
毎日発行、しかもタイムリーな話題・・・。
普通の人にはできません。
どれほど深くて豊かな引き出しをお持ちなのでしょうか。
心から尊敬申し上げます。
菅
原
綾
子
塾頭通信300号達成おめでとうございます。
塾頭からのメッセージのひとつひとつを大切にし、心の目で物事を見定め、全力で職務に
当たっていきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
北海道師範塾「教師の道」
塾頭
(匿名)
吉
田
洋
一
様
塾頭通信300号発刊、誠にありがとうございます。
職務に関連すること等、内容によって打合せや会議等で紹介し、活用させていただいてお
ります。最近では、「281号不適切勤務」を職員会議の場で活用させていただきました。
このことについては、昔年の課題が整理されることを心の底から願っております。
通信の発行を休まず、毎日続けられていることに心より敬意を表しております。本当に素
晴らしいことですね。今後もよろしくお願いいたします。
奥
山
光
明
不偏不党。
師範塾誕生時、「左の北教組、右の師範塾」などと揶揄する向きもあった。左でないこと
だけは事実であろうが、左でなければ右といった二元論でもあるまい。師範塾は、教師とし
ての王道を究めんとする求道者たちの集団である。
「毎日の努力の積み重ねが、歴史を作っていくんだよ。」とドラえもんが言っていた。
塾頭通信が300号を達成された。不偏不党の歩みが刻まれた300の言葉たち。塾頭の
日々のたゆまぬご努力が師範塾の歴史を作っている。
通信がより広く読まれることを期待しつつ、今後も塾頭通信で教師魂に磨きをかけていき
たいと思う。
矢
橋
佳
之
塾頭通信300号おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
「牛の歩み
参」掲載作品の中から特に印象に残ったものをあげさせていただきますが、
214号の高田さんの恋文には私も目頭が熱くなりました。
220号では1、2時間の式典にも耐えられない子どもを育てないようにと気が引き締ま
りました。
227号では公共の精神をしっかりと教えないといけないと感じ、
228号の教育は教室の中だけではないという部分に式典の大切さを感じ、
232号の「これが、豊かな日本の現実です。」という一文は非常に重たかったです。
244号の「建国記念の日」を単なるお休みの日にしてはいけません。には反省させられ
ました。
252号の「心で感じる」には生徒のために時間を費やせと叱咤され、
253号では生徒の命を救えるかもしれないのでAEDの取り扱いについて学ばなければ
と考えさせられ、
266号では落ちこぼれにしないためにも自分の授業を反省して改善していく必要性を認
識し、
281号では自分に対する甘さに反省させられました。
293号の「子ども達にどのような食習慣を身に付けさせるかは、その子の一生にも関わ
る重要な問題です。」には、栄養教諭だけに食育を任せないで自分も関わらないといけない
と認識させられました。
吉田塾頭はじめ、佐々木朗理事、沓澤理事、佐々木誉之理事今後ともよろしくお願いしま
す。
大
瀬
輝
哉
塾頭通信300号達成おめでとうございます。
教育に携わる者として、日々の研鑽により専門性を高めることはもちろん必要ですが、そ
れ以上にその土台となる教養を深めることが大切です。
日々、ひとつひとつのテーマに触れることにより、私たちの教養の幅が広がり深みを増し
ていることと思います。
本当にありがとうございます。
佐々木
誉
之
吉田塾頭、記念すべき300号の通信発行おめでとうございます。
1号、1号を大切に読ませていただき、教師としての生き方の指針とさせていただきます。
また、ホームページ管理担当として、今後も多くの方に塾頭通信を読んでもらえるよう、
魅力あるホームページ作りに努めて参ります。どうぞ宜しくお願いします。
佐々木
朗
吉田塾頭、通信300号の達成おめでとうございます。
毎日、通信を読むことが日課の私もまた、塾頭に育てていただいているのだなと感じてお
ります。
次の400号までの歩みを心から楽しみにしております。
沓
澤
整
治
「牛の歩み」300号達成、おめでとうございます!そして、読ませていただきありがと
うございます。社会情勢、教育情勢、そして人間の生き方まで幅広く多くのことを学んでい
ます。塾頭通信は、師範塾の大きな柱となっており、今後は500号、1000号へ向けて
通信を発行し続けていかれることを願っております。通信の途切れた時が師範塾の途切れで
す。(追加:「研究紀要」原稿
みなさんよろしくお願い致します。)
斉
吉田塾頭様
藤
満
幸
おめでとうございます。
毎日、毎日の積み重ねによる300号は、北海道師範塾「教師の道」理念の具現した姿で
もあります。
「千日回峰」にも似た塾頭の日々の歩みに感謝申し上げつつ、塾頭の御精進の道を真似た
いと思っております。
お身体に御留意され、今後も私どもへの指針をお与えいただければ幸いとお祈り申し上げ
ております。
心より、深く重ねて感謝申し上げます。
鈴
木
重
男
ただただ「すばらしい」事実です。内容の伴った「300」は、金字塔です。
一つ一つに「問題提起」があります。鋭くえぐっています。多くの学びを我々に与えてい
ただけること、感謝いたします。
長
野
藤
夫
第201号
平成23年12月5日
ちづる
千鶴(ちづる)さんは、20歳のチャーミングな女の子です。彼女は、知的障がいと自
閉症を持っており、母親の久美さんと一緒に暮らしています。
標題の「ちづる」は、千鶴さんとその家族、つまり、母親と兄、そしてバナナという名
のトイプードルという、3人と1匹の生活を描いたセルフ・ドキュメンタリー映画です。
監督は、千鶴さんの兄である赤崎正和さんで、立教大学の卒業制作として制作されたも
のです。
監督であり兄でもある赤崎正和さんは、自分自身を変える覚悟で制作に臨んだといいま
す。何故なら、彼は、それまでずっと、障がい者である妹の存在を誰にも話せないで来た
か ら で あ り 、「 自 分 が 障 が い 者 の 兄 妹 で あ る こ と を 他 者 の 前 で 認 め る こ と で 、 他 人 と 裸 に
なって向き合えるようになりたい」という思いが、彼を映画制作へと突き動かしたのだと
思います。
千鶴さんは、知的障がいを伴った自閉症ということですが、一口に自閉症といっても、
一様ではありません。
自閉症いうものを世界で最初に報告したのはアメリカのレオ・カナー博士という人で、
博士は自分のクリニックで診察した子どもの症例から、知的障がいとは異なる行動パター
ンがあることに気付き、1943年に自閉症に関する論文を世に出しました。これが、カ
ナー型自閉症といわれるものです。
千鶴さんの場合も、カナー型自閉症と診断されていますが、自閉症というと、この他に
アスペルガー症候群とか高機能自閉症と呼ばれるものがありますが、いずれも、何らかの
要因で脳に障がいが起こったことが原因と考えられています。
私は、当初、この映画は、一人の障がい者を追ったドキュメント、あるいは、障がい者に
対する理解を深めるための啓蒙的な作品と想像していたのですが、その想像は見事に裏切
られました。
千鶴さんと母親が激しくぶつかり合ったり、母親と息子が、彼の就職のことで言い合う
場面もあります。
母 親 で あ る 久 美 さ ん の 存 在 の 大 き さ に 圧 倒 さ れ ま す が 、し か し 、息 子 と 言 い 合 う う ち に 、
息子に向かって涙する場面があり、一方、千鶴さんと距離を置いていた兄は、やがて、千
鶴さんの居場所を心配する兄へと成長していきます。
家族3人が、互いに弱さや強さをさらけ出しながら、家族の絆を強め、成長していく、
その姿を「ちづる」という映画は、飾らずに表現しています。
千鶴さんは、自分の気持ちや感覚に正直に生きています。そして、その笑顔はとても素
敵です。そのように彼女を写し取った監督に、妹を見る目の優しさが感じられます。
「自分にとって当たり前の存在である家族のことを人と話せるのは、こんなに幸せなこ
とかと日々感じている」と彼はいいますが、そういい切るまでには、相当の葛藤があった
はずです。
いまの社会は、障がい者やその家族にとって十分に暖かく、開かれているとはいえませ
ん 。そ の 意 味 で も 、私 は 、1 人 で も 多 く の 人 々 に 、こ の 映 画 を 見 て 欲 し い と 思 っ て い ま す 。
第202号
平成23年12月6日
変わる予感
1 1 月 2 7 日 に 投 票 が 行 わ れ た 大 阪 府 知 事 、大 阪 市 長 の ダ ブ ル 選 挙 で 、
「大阪維新の会」
が圧勝しました。
市長選では、現職の平松氏は、民主・自民そして共産党の支援を受けて選挙戦を戦った
にもかかわらず、橋下氏という突風になぎ倒されてしまった感がします。
「大阪維新の会」躍進の一番大きな要因は、既成政党に対する有権者の失望感の現れで
はないかと思われます。
特に大阪は、失業率も高く、生活保護率は全国最悪という閉塞感の漂う状況に置かれて
いますが、既成政党は有効な政策を打ち出せないでいます。これに対して、有権者が、橋
下氏なら何かを変えてくれるのではないか、という期待を持ったとしても不思議ではあり
ません。
また、東日本大震災後の政府の対応を見ると、災害の規模が甚大であったとか、原発問
題の大きな広がり、更には危機的国家財政といったような、大きな困難に直面していると
はいえ、復興対策にスピード感が感じられず、一向に先が見えないことへの苛立ちは大き
いと思います。この苛立ちは、別に大阪府民だけのものではないでしょう。既成政党に対
する失望感は、今や国民全体を覆っている空気のようなものであり、だからこそ、既成の
各政党関係者は、今回の選挙結果に対して大きな危機感を抱いているのだと思います。
橋下氏は、大阪府知事に就任するや、職員の給与カットを断行するなど、歳出削減に取
り 組 み 、短 期 間 で 大 阪 府 の 財 政 を 立 て 直 し て い ま す 。そ の 間 、彼 は 自 ら 前 面 に 立 っ て 議 会 、
府職員、市町村長などを説得し、公約実現に全力投球してきました。
橋下氏は、弁護士でありテレビタレントという抜群の知名度に加え、弁護士として鍛え
られた弁舌の冴えという強力な武器を持っており、従来型の神輿に乗って選挙を戦うやり
方では、勝てる相手はいないでしょう。
その手法は、時に独裁的との批判を浴びていますが、強かな実行力は誰しもが認めると
ころです。橋下氏は時に過激な発言をして物議を醸していますが、彼が言いたいことは、
今の政治に必要なのは、独裁といわれるほどの強力なリーダーシップであるといことだと
思います。確かに、社会状況をみると、彼のいわんとすることは理解できますが、しかし
同時に、民主主義は数といわんばかりの対応には、一抹の不安を感じます。
報 道 に よ る と 、 橋 下 氏 は 自 身 に 対 す る 独 裁 批 判 に 対 し 、「 こ ん な 小 太 り で キ ュ ー ト な 独
裁者がいますか」と聴衆を笑わせたとありますが、ヒットラーとて、初めから凶悪な独裁
者の顔をしていたわけではありません。彼もまた、選挙という民主的な手法によって権力
を手にし、やがてその権力によって強権的独裁者となっていったということを、忘れては
ならないでしょう。
日 本 は 、民 主 主 義 の 国 家 で あ る 以 上 、最 後 は 多 数 決 で 事 を 決 す る の は 当 然 の こ と で す が 、
しかし数が全てでもありません。時間はかかっても、少数意見に耳を傾け、十分議論を尽
くすなど、合意形成に努力することが、民主主義社会の成熟のためには必要なことです。
さて、今回の選挙の争点は「大阪都」構想でした。その中身について詳細は明らかとな
っていませんが、大雑把にいえば、大阪市、堺市という政令市を壊して、新しい基礎自治
体を造る。そうすれば、大阪府知事としてのリーダーシップが取りやすくなるということ
だと思います。良くいわれる二重行政の解消という意味では一つの考え方ですが、そこに
は当然、メリットもあればデメリットもあるはずです。
橋下氏の手法を独裁的として批判し、
「 大 阪 都 」構 想 に も 距 離 を 置 い て い た 既 成 政 党 に 、
橋 下 氏 が ダ ブ ル 選 挙 に 大 勝 す る や 、「 大 阪 維 新 の 会 」 に 秋 波 を 送 り 、「 大 阪 都 」 構 想 に も
理解を示す動きが出てきています。しかし、これが単に次期国政選挙への影響を考慮した
ものであれば、疑問を感じざるを得ません。
国・地方を通じて厳しい財政状況にあり、社会福祉や医療制度など様々な社会システム
も制度疲労を起こしている中、国と地方との役割分担、基礎自治体の役割や機能、都道府
県といった広域自治体のあり方についても、抜本的に見直すべき状況にあることは明らか
で す 。そ の 意 味 で「 大 阪 都 」構 想 は 、非 常 に 大 き な 問 題 を 提 起 し て い ま す が 、そ れ は 勿 論 、
大阪だけの問題ではありません。政令市を抱える全ての地域の問題であり、同時に、国の
形を変えるほどの大きな問題なのだということを、政治家の皆さんはもとより、われわれ
も肝に銘じていくべきです。
第203号
平成23年12月7日
パロディか悪のりか
北海道を代表するお菓子「白い恋人」を巡って、裁判が行われる事態となっています。
「白い恋人」を製造している石屋製菓は、大阪市の吉本興業などが売り出したお菓子「面
白い恋人」が商標権を侵害しているなどとして、商標法と不正競争防止法に基づき販売の
差し止めを求める訴えを起こしました。
報 道 に よ る と 、 石 屋 製 菓 で は 、 当 初 、「 パ ロ デ ィ 化 さ れ た 商 品 と し て 静 観 し て い た が 、
販路が拡大しており、近く道内での販売も始まるという情報が寄せられたためパロディの
度を過ぎていると判断、商標権侵害による販売差し止めと廃棄を求めて提訴に踏み切っ
た 。」 と し て い ま す ( ニ ュ ー ス サ イ ト 「 北 海 道 リ ア ル Economy 」 か ら )。
「 白 い 恋 人 」 は ク ッ キ ー で ホ ワ イ ト チ ョ コ を 挟 ん で い ま す が 、「 面 白 い 恋 人 」 の 方 は み
たらし味のゴーフレットということですから、味も形状にもお菓子としての類似性はない
か も 知 れ ま せ ん が 、「 面 白 い 恋 人 」 と い う 商 標 に つ い て は 、「 白 い 恋 人 」 と 無 関 係 だ と 思
う人は誰もいないでしょう。
吉本興業は、11月29日、北海道の銘菓「白い恋人」の著名度を利用して不当な利益
を得ようなどというつもりで開発した商品ではない、とのコメントを発表していますが、
「白い」を「面白い」に変えただけですから、詭弁にしか聞こえません。
石 屋 製 菓 は 、 当 初 、「 面 白 い 恋 人 」 は 「 白 い 恋 人 」 の パ ロ デ ィ と 受 け 止 め て い た よ う で
すが、本業に影響する恐れがあれば、パロディだからと、面白がって、笑い飛ばしている
わけにもいかないということでしょう。
パロディというのは、辞書などで調べると「文学などで、広く知られている既成の作品
を、その特徴を巧みに捉えて、滑稽化、風刺化の目的で作り替えたもの」とされています
の で 、「 面 白 い 恋 人 」 と い う 表 現 を 「 白 い 恋 人 」 の パ ロ デ ィ と 捉 え る こ と は で き る で し ょ
う。
し か し 、吉 本 興 業 な ど の 行 為 に は 、今 や 北 海 道 土 産 の 代 名 詞 と も な っ て い る「 白 い 恋 人 」
の人気にあやかろうという魂胆が、見え見えです。それは、昭和50年に、従来にない製
品 を 開 発 し 、「 白 い 恋 人 」 と い う ネ ー ミ ン グ を 考 え 出 し 、 発 売 以 来 ブ ラ ン ド 化 に 努 め て き
た、石屋製菓の努力と成功の果実を掠め取ろうとすることに等しいのではないか、と思っ
ています。
勿論、生き馬の目を抜くような才覚がなければ商売の世界では生き残れない、というこ
と は 重 々 承 知 し て い ま す 。 し か し 同 時 に 、 儲 か り さ え す れ ば 何 で も OK、 と い う の も 歓 迎
できません。
法律的には様々な議論が有り得ますし、法的決着までには時間がかかるかも知れません
が 、「 白 い 恋 人 」 と い う ネ ー ミ ン グ に 恥 じ な い よ う 、 綺 麗 に 決 着 し て 欲 し い も の で す 。
第204号
平成23年12月8日
真珠湾
1941年12月8日未明、日本軍は、ハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の
太平洋艦隊及びその基地に対して奇襲攻撃を行いました。
日本軍の攻撃によって、太平洋艦隊は、戦艦8隻が撃沈又は損傷により行動不能となる
など大きな被害を受けました。その意味では、真珠湾における日本軍の奇襲攻撃は成功だ
ったといえますが、結果は、アメリカを日本との全面戦争に引き摺り込み、日本の国土を
焦土と化し、国民に甚大な被害をもたらすことになりました。
戦えば必ず負けると分かっているアメリカとの戦争に向かって、何故トリガーを引いた
のか、戦争を知らない世代の私にとっては、未だに理解することができません。
1 9 4 1 年 当 時 、 日 米 の 国 力 差 は 、 GNP比 で ア メ リ カ は 日 本 の 約 1 3 倍 で あ り 、 機 械
工業力の差は歴然としていました。しかも、日本の国内には資源がなく、石油を初めとす
る重要な戦略物資は、アメリカやイギリス、オランダなどからの輸入に頼らざるを得ず、
仮に、石油などの輸入がストップすれば、海軍はもとより日本全体が干上がってしまうこ
とは、火を見るよりも明らかでした。即ち、日本がアメリカと戦争をするということは、
ミニマム級とはいいませんがフライ級位の選手がヘビー級の選手とボクシングの試合をす
るようなもので、無謀極まりないものだったのです。
こ れ に 対 し て 、 ア メ リ カ が イ ギ リ ス 、 オ ラ ン ダ 、 中 国 と 共 同 し て 包 囲 網 を 造 り ( ABC
D包 囲 網 )、 経 済 封 鎖 を 行 っ た こ と に よ る 日 本 国 内 の 打 撃 は 深 刻 で 、 近 衛 内 閣 は こ う し た
事 態 を 南 部 仏 印 進 駐 に よ っ て 打 開 し よ う と し た も の で あ り 、ア メ リ カ と の 戦 争 に つ い て は 、
やむを得ない戦争だった、という人もいます。
しかし、当時においても、アメリカとの戦争は避けるべきだとの主張はあったのです。
真珠湾攻撃を構想し、連合艦隊司令長官として指揮をした山本五十六も避戦論者であった
といわれていますが、国論を形成するには至らず、結局はアメリカとの戦争を止められま
せんでした。
当時の状況を考えると、中国からの撤退しか戦争を回避する方法はなかったと思われま
すが、中国で血を流している陸軍にそのような考えはありません。また、海軍が動かない
限りアメリカとの戦争は始まらないにもかかわらず、海軍も戦争回避の責任を負おうとせ
ず、政府に判断を押しつけます。これに対して、近衛総理も強力なリーダーシップを発揮
しようとはしませんでした。
当時日本は、日中戦争が泥沼状態に陥っており、中国との戦争に加えて新たにアメリカ
と戦端を開く余力はなかった筈です。
アメリカと戦えば負けると分かっていながら、戦争回避のための明確なビジョンを持た
ず、アメリカの力を過小評価し、根拠のない希望的観測によってアメリカとの戦争に傾斜
していった、リーダー達の責任は重大だと思っています。
第205号
平成23年12月9日
金メダルが泣くぞ
五輪柔道金メダリストで九州看護福祉大学の客員教授を務めていた内柴正人氏(33)
が、12月6日、同大学の柔道部員に性的暴行を加えたとして、準強姦容疑で逮捕されま
し た 。内 柴 容 疑 者 は 、既 に 1 1 月 2 9 日 、大 学 側 か ら「 教 職 員 と し て 適 格 性 を 著 し く 欠 き 、
大学の信用を失墜した」として懲戒解雇されています。
内柴容疑者は、柔道の66キロ級で04年のアテネ、08年の北京両五輪を連覇してい
ます。その後、09年4月に九州看護福祉大の非常勤講師となり、昨年4月に女子柔道部
のコーチに就任、今年1月から同大の客員教授を努めていました。
報道などによると、内柴容疑者は、9月19日に未成年の女子部員と飲酒し、酒に酔っ
て寝込んでいた女子部員に性的暴行を加えた疑いがあるとしています。
五輪二連覇という偉業を成し遂げた内柴容疑者の逮捕という事態は、日本の柔道界にと
って大きな痛手であると思います。
また、内柴容疑者にしても、五輪金メダリストから指導者へ、そして大学の教師へと華
麗な転身を遂げ、順風満帆であった柔道人生が一挙に暗転してしまいました。まさに、後
悔先に立たず、ということです。
そもそも、未成年と飲酒すること自体言語道断ですが、あまつさえ、酔って寝込んでい
る 学 生 に 対 し て 性 的 暴 行 を 働 く な ど と い う こ と は 、教 師 と し て 許 さ れ る は ず が あ り ま せ ん 。
彼には、教師として、学生との間に信頼に基づく師弟関係を築いていかなければならな
い立場にあることへの、自覚や責任感が欠落していたという他ありません。
内 柴 容 疑 者 は 、 警 察 の 調 べ に 対 し て 「 納 得 い か な い 。 合 意 だ っ た 。」 と 供 述 し て い る と
い い ま す が 、 問 題 に 対 す る 認 識 が 甘 い と い わ ざ る を 得 ま せ ん 。 仮 に 、「 合 意 の 上 な ら 問 題
ない」と思っているのだとしたら、彼が教師になろうとしたことは大きな間違いだった、
と申し上げておきたいと思います。
と こ ろ で 、こ う し た 教 師 を 巡 る 問 題 は 内 柴 容 疑 者 の 事 件 に 限 り ま せ ん 。道 教 委 に よ る と 、
平成22年度中に猥褻事件で懲戒免職になった教師が6名もいるとの事です。平成21年
度は4名ということですから、遺憾という前に呆れるばかりです。
教師だって人間なのだから間違いを起こすこともある、という人もいるでしょう。現実
を見れば、それは否定し難いことですが、それでも私は申し上げたいと思います。
教師という崇高な仕事を選んだ以上、教師としての矜持を忘れず、その使命を果たすた
めに全力を尽くせ。そして、ダメなものはあくまでもダメなのだと。
第206号
平成23年12月12日
何を伝えるか
日本テレビが、11月30日の夜生放送した歌番組「音楽の祭典、ベストアーティスト
2011」で、一部出演者の歌唱シーンは、2週間前に収録した映像を生放送のように演
出したものだったことが明らかとなりました。
関 係 者 に よ る と 、「 平 井 堅 」 さ ん と 「 い き も の が か り 」 の 出 演 部 分 は 、 1 1 月 1 7 日 に
東京都内の日本テレビのスタジオで収録されたもので、その際、スタッフが観覧客に「生
放 送 の 司 会 者 か ら 呼 び か け ら れ た 設 定 で 反 応 し て ほ し い 」 と 依 頼 す る と 共 に 、「 口 外 し な
いように」と念押ししていたといいます。
日 本 テ レ ビ で は 、こ う し た 演 出 は 現 場 の プ ロ デ ュ ー サ ー ら の 判 断 で 行 わ れ た も の で あ り 、
「全体としては生放送で、視聴者をだますつもりはなく、楽しんでもらうために一部を事
前収録したが、注意が足りなかった」としています。
た だ 、「 楽 し ん で も ら う た め 」 と い う 意 図 で あ っ た と し て も 、 生 放 送 で な い も の を あ た
かも生放送として放映することは明らかな「騙し」であり、それを「騙すつもりはなかっ
た」として済ますことには問題があるでしょう。
生放送であろうとなかろうと、芸能番組ですから目くじら立てる程のことではないかも
知 れ ま せ ん が 、「 蟻 の 一 穴 」 と い う 言 葉 が あ る よ う に 、 生 放 送 で な い も の を 生 放 送 と し て
放送するような体質や精神は、テレビの持っている影響力を考えると看過できません。
一体この番組のプロデューサーは、録画を生放送することで、何を伝えたかったのでし
ょうか。生放送か録画かは、テレビ画面では差があるわけではありませんから、録画であ
る旨の表示をすれば済むことだったはずです。ひにくれ者の私としては、件のプロデュー
サーは、全部生放送とすることで、自分の力を誇示するつもりだったのだろうかと考えて
しまいます。
タレントの萩本欽一さんは、かつてNHKの「課外授業
ようこそ先輩」に出演した時
のことを、こう語っています。
「沢山の子どもと出会いました。最後に帰る時、一人の男の子が僕のズボンをぎゅっと
握って、うつむきながら「帰っちゃ、やだ・・・」ってぼそっというわけ。その手の力強
さ に 、 ホ ロ ッ と き ち ゃ っ た 。 こ れ が ド ラ マ な ら 、「 帰 っ ち ゃ 、 や だ ー ! 」 っ て 叫 ぶ と こ ろ
でしょう。でも、子どもはそんな大人の期待とはまるで正反対のことをする。その子はう
つむいちゃってるし、テレビに映しても泣ける絵になりません。この感動が届けられたら
な ぁ 、 テ レ ビ っ て ま だ ま だ や り 残 し た こ と が あ る ん じ ゃ な い か な ぁ 。( 1 1 月 2 4 日 付 道
新 「 ぼ く は テ レ ビ っ こ 」 か ら )」
日本テレビのプロデューサーが何より大事にしなければならなかったのは、本物の感動
を伝えることであったはずです。もしも、それを、生放送でないものを生放送とすれば可
能だと考えたのであれば、その貧困さが悲しくなります。
彼 に は ( と い っ て も 、 私 に は ど の よ う な 方 か 知 り ま せ ん が )、 萩 本 欽 一 さ ん が い っ て い
る「テレビのやり残していること」を追求して欲しいと思いますし、何より伝えるべき感
動とは何なのかを学び、考えて欲しいと思います。
第207号
平成23年12月13日
青い夕日、赤い月
地球の夕日は赤ですが、火星の夕日は青いということを、知っていますか。
太陽から降り注ぐ光には色がありませんが、プリズムを通すと7色に分解されるという
のは、随分と昔、学校で習いました。プリズムを持ってきて、太陽の光を壁に映したりし
て実験したことを思い出します。
太陽の光が何故7色に分解するのかというと、それは、様々な波長の光が混ざり合って
いるからであり、波長の長短によって色が分かれています。
波長の長い順に並べると、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫となりますが、明確に7色に分
かれているわけではなく、実際には無数の色があるのです。従って、色の分類、表現の仕
方は、国によって一様ではありません。
ところで、太陽の光が7色に分解できることを、プリズムを使って初めて示したのは、
かの有名なアイザック・ニュートンです。彼は、このプリズムを使った光学研究の他、万
有引力を発見し、微積分を考え出していますが、いずれも、23歳から25歳位の数年の
間のことといいますから、驚きという他ありません。
さて、太陽の光が地球に到達すると、どうなるのでしょう。地球には大気という薄い層
がありますが、この大気の中には、窒素や酸素などの分子が詰まっており、沢山の塵も漂
っています。分子は極めて小さなものですが、太陽の光がこうした分子に衝突すると、真
っ直ぐ進めず屈折し、バラバラに散乱することになります。この時、散乱の仕方は、光の
波長の長さによって異なります。例えば、波長の長い赤は余り散乱せず、逆に波長の短い
青は良く散乱します。このため、青やそれに近い波長の色は、空一杯に広がるように散乱
します。太陽の光が頭から降り注ぐ日中、空が青く見えるのはそのせいです。
一方、夕方になると、太陽は、地上から見ると低く落ちていきますから、太陽の光は斜
めから差し込むようになります。その結果、太陽の光は、大気中を通過する距離が長くな
り、その分青い光はより一層散乱が進み、かえって波長の長い赤い光の方がより強く地上
に届くというわけです。
地球の夕日が赤い理由は分かりましたが、火星の夕日はどうして青いのでしょう。それ
は 、 地 球 と 火 星 の 大 気 の 違 い に あ り ま す 。 火 星 の 大 気 は 地 球 の 1 0 0 分 の 1か ら 2 0 0 分
の1といわれています。つまり、大気中の分子による散乱の度合いは地球より低いという
ことになります。また、大気中には、塵も浮かんでいますが、勿論この塵は分子よりもか
なり大きいために、これによって波長の長い赤の方がより拡散するのだそうです。逆に、
夕方になると、散乱している赤よりも青の方が強くなるというわけで、地球とは反対に、
火星の夕日は青く見えることになります。面白いですね(9月3日付朝日新聞「宇宙がっ
こ う 」 を 参 考 に し ま し た 。)。 し か し 、 毎 日 空 を 見 上 げ る と 空 が 赤 い と い う の は 、 考 え る
だけでもぞっとします。日中の空は、やっぱり青に限ります。
ところで、12月10日は、全国的に皆既月食が見られました。私も、9時45分過ぎ
から、時々外に出ては月を眺め、次第に月が欠けていって、最後は暗闇に吸い込まれる様
子を目の当たりにしました。一時の天体ショーに、ちょっと感激しました。ただ、残念な
がら、そのあと雪が強くなり、赤銅色の月を見ることができなかったのは返す返すも残念
です。
翌朝の新聞を見ると、テレビ等と共に写る月の姿があり、その色が、心なしか赤っぽく
感じたのは気のせいでしょうか。
皆既月食というのは、月が地球の陰に隠れて起こる現象ですから、月は見えないはずな
のですが、太陽の光は、地球の大気の影響で僅かに曲がり、裏側まで届くのだそうです。
その時、夕日と同じ原理で、地球の大気を通過する内に、青い光が散乱して薄くなり、
波長の長い赤光が月に届いて赤銅色に見えるというわけです。
地球の陰に隠れていく、か細げな月を見上げながら、遠い火星で起こっていることも地
球上で起こっていることも、皆同じ原理で繋がっている、この当たり前のことが不思議で
あり、嬉しく感じました。
第208号
平成23年12月14日
高校中退問題
高校生の中途退学問題は、文科省の調査の結果、全体として減少傾向にあるということ
もあり、余り深刻な議論はされていませんが、内実は、かなり深刻な状況にあるのではな
いかと考えています。
道教委の調査では、道内の公立高等学校の平成22年度における中途退学者は1,88
0人(中途退学率2.1%)と、平成16年度以降最低となっています。
これは、各学校における学校運営、生徒指導の成果といって良いでしょう。ただ、この
調 査 で 中 途 退 学 の 実 像 が 明 ら か と な っ て い る の か と い え ば 、必 ず し も そ う で は あ り ま せ ん 。
例えば、いじめや学業不振、学校生活に馴染めないといった理由であっても、辞める前に
次の学校が見つかり、切れ目なく転校した場合には、中途退学には含まれていないからで
す。従って、実質的な中途退学者は、文科省の調査よりも多いと見なければなりません。
さて、高校全入時代といわれて久しい中で、高校生は何故、中途退学してしまうのでし
ょう。その理由について、道教委の調査では、
進 路 変 更 ( 39.8 % )、
学 校 生 活 ・ 学 業 不 適 応 ( 39.8 % )、
家 庭 の 事 情 ( 5.1 % )、
学 業 不 振 ( 4.7 % )、
問 題 行 動 ( 4.3 % )、
病 気 け が 死 亡 ( 3.7 % )、
経 済 的 理 由 ( 1.1 % )、
そ の 他 ( 1.5 % )
となっています。
病気やけが、あるいは就職など明確な目的があって進路変更する場合は別として、目的
のはっきりしない進路変更や学校生活・学業不適応、学業不振、問題行動、これらは相互
に絡み合っており、問題の根は同じところにあると思っています。
不本意ながら入学してきた。
義 務 教 育 か ら 心 太 の よ う に 押 し 出 さ れ て 高 校 に 入 っ た も の の 、学 力 が 全 く 不 足 し て お り 、
高校の勉強にはついて行けない。
周りに対する興味関心だけでなく、自分自身に対する思いも希薄である。
精神的にも自立しておらず、自ら積極的に勉強しようとしない。
中途退学した生徒にはこうした傾向が強いと思われますが、そこには、その子どもが成
長していく過程における親子関係や友達との人間関係が大きく影響していることは否めま
せん。また、昨今の経済不況の中で子どもの貧困問題が深刻化しており、こうしたことも
中途退学の背景として考えていかねばなりません。それだけに、中途退学問題を、高校教
育の中だけで解決していくことが難しくなっていることは事実です。
だからといって、中途退学を、ただ手をこまねいて見ているわけにはいきません。何故
なら、高校を中退したままでは、将来の生活設計が成り立たない、自立した生活を営むこ
とが非常に難しいという現実があるからです。生徒は、将来を甘く考え、気軽に中途退学
を選択するかも知れませんが、周りを取り巻く教師や保護者までも、それで良しとするこ
とは許されません。
10代の子ども達が、自分の良さにも気付かず、内に秘めている力を伸ばす機会もない
ままに、誠に貴重な時間をただ消費していく姿を見ることは、誠に辛いことです。
中 途 退 学 者 の 約 6割 は 、 高 校 の 第 1学 年 の 段 階 で 退 学 し て い ま す 。 だ と す れ ば 、 教 師 の
皆さんは、入学してきた生徒達に対して、その心をわしづかみにするような強いメッセー
ジ、3年間お前達を離さないという思いを生徒達にぶつけていく必要があるでしょう。
生徒指導困難校といわれている学校で勤務された教師の皆さんから、生徒指導の大変さは
並大抵のことではないとお聞きしています。
だからこそ思うのです。教師お一人おひとりの力量が問われているのだと。是非、教師
の皆さんは、その人間力で生徒達を圧倒してください。
また、学校としても、各家庭との連携をしっかり取りながら、学び直しを初めとした学
習サポートをしていく必要があります。場合によっては、保護者の協力が得られない場合
もあるかも知れませんが、学校は、決して生徒を見捨てないという姿勢を崩してはなりま
せん。折角受け入れた生徒なのだから、一人の人間として自立して生きていけるよう、3
年間しっかりと教育して卒業させて欲しい、その為に最善の努力を尽くしていただきたい
と願っています。
そ う し て こ そ 、高 校 教 育 は 、そ の 役 割 と 責 任 を 果 た し た と い え る の で は な い で し ょ う か 。
第209号
平成23年12月15日
赤穂事件と天下の法(1)
赤 穂 事 件 と は 、 元 禄 1 5 年 1 2 月 1 4 日 ( 旧 暦 )、 大 石 内 蔵 助 を 中 心 と す る 浅 野 家 遺 臣
47人が吉良邸を襲撃、上野介を討ち取ったというものです。
そ も そ も 事 の 発 端 は 、 遡 る こ と 1 年 9 ヵ 月 前 、 元 禄 1 4 年 3 月 1 4 日 ( 旧 暦 )、 浅 野 内
匠頭が江戸城内松の廊下にて高家筆頭吉良上野介に斬りつけたという刃傷事件です。この
事件に対して、幕府は、加害者である浅野内匠頭には即日切腹を命じ、一方、被害者とな
った吉良にはおとがめなしとします。
大石内蔵助等による吉良邸討ち入りは、大石等の亡き主君への忠義心、更には、幕府の
片手落ちの裁決に対する異議申し立てとして行われたといった説が語られていますが、実
際のところは良く分かっていません。
まして、松の廊下での刃傷事件が何故起こったかについても、その原因は分かっていま
せん。確かなことは、浅野内匠頭の方には吉良を殺したいと思うほどの「遺恨」があった
ということだけであり、それ以外のことは、ほとんど後世の創作と思われます。にもかか
わらず、我々は、寛延元年(1748年)に作られた人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』及び
その後数々作られてきた「忠臣蔵」ものの影響を大きく受けており、浅野内匠頭の刃傷事
件は、吉良の浅野への苛めが原因であると解釈している方が多いのではないでしょうか。
しかし、一体、5万石の浅野家を潰し、約300人の家臣とその家族を路頭に迷わせて
でも晴らさなければならない「遺恨」というものは、本当にあったのでしょうか。
吉良上野介は、地元では名君であったと伝えられていますが、一方の浅野内匠頭は、生
来短気であり、無骨で真面目ではあるが労りの心がないとも評されていたといいます。
「忠臣蔵」は、創作された物語であるはずなのに、それが繰り返し流されることによっ
て、吉良は悪人で、浅野は被害者、大石は忠義の臣という構図がまるで史実であるかのよ
うに感じてしまっている、これは恐ろしいことです。
池宮彰一郎さんの作品に「その日の吉良上野介」という小説があります。短編小説では
ありますが、それまでの「忠臣蔵」とは異なり、吉良上野介の視点から松の廊下の刃傷事
件を解釈しようというもので、吉良上野介と浅野内匠頭の心のすれ違いに光を当てた斬新
な作品です。
浅野内匠頭は18年前にも勅使御馳走役を務めており、吉良上野介も安心して任せてい
たのですが、18年の間には慣例も色々と変更されており、不手際が生じてしまいます。
それは必ずしも浅野のせいばかりではありませんが、吉良は、老いのせいか気短になって
おり、つい言葉荒くせきたててしまう。これが、浅野には苛めと写ったのではないか。針
の む し ろ に 座 る 心 境 の 浅 野 は 、 遂 に 吉 良 に 賄 賂 を 贈 ろ う と し ま す 。 し か し 、 吉 良 は 、「 そ
こもと、何か思い違いをしておられる。そのような品頂く謂われはない・・・」と受け取
りません。吉良にしてみれば、それを受け取れば、連日の慣例違いの是正はすべて苛めと
なり、賄賂の強要とされてもいい訳が立たないと考えたからです。そして、吉良は自分の
心境をこう語ります「わしは悪くない。天地神明に誓って悪意はなかった。浅野も、悪意
はなかったと思う。すべては行き違いから始まった。18年の時の長さと、わずか4日し
か余裕のなかった時の短さ、それがすべてなのだ、その、時の長短が確執を生み、増幅さ
れ 、 遂 に は 刃 傷 と い う 破 局 に 至 っ た の だ 。」
こ の 短 編 に 目 を 通 し な が ら 、吉 良 上 野 介 と 浅 野 内 匠 頭 と の 間 の 行 き 違 い と い っ た も の は 、
どこにでもあることであり、その行き違いから、人を傷つけ、殺してしまうという事件も
また、後を絶ちません。人と人の間には、思わぬところで誤解や軋轢が生ずるものだし、
そういう煩わしさは、時代が移っても何も変わってはおりません。
小説では、吉良は「自分も浅野も共に悪くない。すべては行き違いがあそこまでの事件
を引き起こしたのだ」と述懐しますが、行き違いの原因は、吉良、浅野双方に言葉が不足
していたからではないでしょうか。
身分の上下がはっきりしていて、目上の者にものがいえなかった時代ならいざ知らず、
今は、自分の考えを伝えていく努力を怠るべきではありません。それを煩わしいと逃げて
はなりません。何故なら、我々は、社会の中で生きていく以上、その煩わしさから逃れる
ことができないからです。
第210号
平成23年12月16日
赤穂事件と天下の法(2)
元 禄 1 5 年 1 2 月 1 4 日 ( 旧 暦 )、 大 石 内 蔵 助 等 4 7 人 は 、 見 事 本 懐 を 遂 げ た あ と 吉 良
邸を引き上げ、永代橋を渡って泉岳寺へと向かいます。同時に大石は、大目付仙石伯耆守
のもとに討ち入りの子細を届けさせています。
赤穂浪士が泉岳寺へと凱旋する道すがら、江戸の市民達は赤穂浪士の討ち入りを讃え、
歓呼の声を上げますが、その様子は、映画などでも良く出てくるシーンです。
元禄14年に起きた松の廊下での刃傷事件後、事件の原因は吉良の浅野への苛めにあっ
たという噂が世評に流れ始めます。そうした中、市民の間には、浅野に対する同情の声が
高まると同時に、赤穂浪士が敵討ちをするだろうという期待へと繋がっていくことになり
ます。そのため、現実に赤穂浪士が吉良邸に討ち入るや、彼らを「義士」と呼び、その行
動を武士の鑑と褒め称えます。それは見方を変えれば、民衆の、幕府という絶対的権力者
に対する鬱屈した不満の表現と捉えることもできるでしょう。
一方、赤穂浪士より申し出を受けた幕府では、赤穂浪士46人(討入り後に、寺坂吉右
衛 門 が 行 方 不 明 と な っ て い ま す 。) を 細 川 家 な ど 4 大 名 家 に 預 け さ せ ま す 。
将軍綱吉はもとより、柳沢吉保はじめ幕閣の方々は、赤穂浪士を如何にすべきか大変悩
んだようです。
赤穂浪士の行動は徒党を組んでのテロといって良く、当時の法に照らしても許されぬ大
罪ですから、本来であれば、議論の余地なく死罪とすべきところ、幕閣内の議論は紛糾し
ます。何故なら、世論はもとより、幕閣内にも、赤穂浪士を忠義の士として助命すべきで
あるとの声が強くあったからです。
そもそもの問題は、松の廊下での刃傷事件に対する幕府の対応が、拙劣であったことに
あ り ま す 。「 喧 嘩 両 成 敗 」 は 、 当 時 幕 府 の 大 法 で し た 。 で す か ら 、 刃 傷 事 件 の 原 因 が 、 浅
野内匠頭と吉良上野介の喧嘩によるものなのか否かは、重要なことだったはずです。
浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけるとき「此の間の遺恨覚えたるか」と叫んだといい
ま す が 、遺 恨 の 中 身 は 全 く 分 か っ て い ま せ ん 。二 人 が 殿 中 で 喧 嘩 を し て い た わ け で も な く 、
吉良上野介も、遺恨に覚えはないとしているのですから、単純に「喧嘩両成敗」とはなら
ないのは当然であり、もう少し時間を掛け、両者から事情を聞き、慎重に判断すべきであ
ったと思われます。にもかかわらず、十分な調査もしないまま、浅野内匠頭は即日切腹、
吉良上野介はおかまいないとしてしまいます。この結果は、後に幕府の処置は片手落ちだ
ったという批判を招くことになり、赤穂浪士による吉良邸討ち入りを許す原因ともなりま
した。
大石内蔵助が、本懐を遂げた後自裁せず、幕府に届け出て幕府の処分を待ったのは、ま
さに、最初の幕府による処分のやり直しを求めたものといえるでしょう。
赤穂浪士の処分を巡って幕閣の意見は大揺れに揺れ、結果、評定所に審議が移されます
が、評定所でも議論が紛糾します。そして出された結論は「とにかく今回はお預けのまま
に し て 、 後 年 に な っ て 決 着 を 付 け れ ば よ い (「 評 定 所 一 座 存 寄 書 」 図 説 忠 臣 蔵 か ら )」 と
いう、何のことはない問題の先送りでした。
こ れ に 敢 然 と 異 議 を と な え た の が 儒 学 者 の 荻 生 狙 徠 で し た 。 か れ は 、「 狙 徠 擬 律 書 」 の
中で「義は、自分を正しく律するための手段であり、法は天下の治を正しく維持するため
の 基 準 で あ る 。( 中 略 ) 今 、 4 6 人 が 主 人 の た め に 復 讐 す る の は 、 侍 と し て の 恥 を 知 る も
のである。それは、自分を正しく律する遣り方であって、それ自体は義にかなうものであ
る。けれども、それは彼ら一党に限られたことであるから、要するに、私の論理に過ぎな
い 。( 中 略 ) も し 私 的 な 論 理 を 以 て 公 の 論 理 を 害 な う に 任 せ れ ば 、 今 後 、 天 下 の 法 は 立 ち
行 か な く な る 。」 と 主 張 し ま す ( 図 説 忠 臣 蔵 か ら )。
綱吉は、この荻生狙徠の意見を取り入れ、赤穂浪士には武士としての名誉を守り、切腹
を命じます。
大石等の助命を求める幕府内部や世論の大きな声に対して、情に流されず国の法を遵守
することの重要性を説いた荻生狙徠は、見事というほかありません。
赤穂浪士の討ち入りに関しては、大石等への処分だけではなく、吉良方に対しても、浪
士に討ち入られた際の吉良義周の仕方が不届きということで、領地を没収、義周を諏訪安
芸守屋敷にお預けという処分を下しています。これによって、浅野方からすれば「喧嘩両
成敗」が成立したということになるのかも知れませんが、吉良方には、割り切れぬ思いが
残ったに違いありません。
赤穂事件に学ぶとすれば、一人の人間の短慮が、余りにも大きな悲劇を生み出したとい
うことです。また、何事も最初が肝心であり、初動を誤ったために、禍根の種を後世に残
すことになりました。
更に、問題の先送りをしないということです。世論に流され、小手先で解決しようとす
ることは、決して根本的な問題の解決には繋がらないことを、赤穂事件は教えています。
第211号
平成23年12月19日
水戸黄門の退場
テレビドラマの「水戸黄門」が、今日(12月19日)の放送を最後に、表舞台から姿
を消すことになりました。時代劇ファンとしては、誠に寂しいかぎりです。
「水戸黄門」の放送が始まったのは、1969年といいますから、今から42年前のこ
とになります。初代の黄門様は、東野英治郎さん、以下、西村 晃さん、佐野浅夫さん、
石坂浩二さん、そして里見浩太朗さんと続きます。里見黄門様でさえ、既に9年ですから
長くなりましたが、これも視聴者の支持があったればこそといえましょう。
歴代の黄門様で印象が深いのは、何といっても東野英治郎さんの黄門様です。特に、東
野黄門様が、最後に「かっかっか」と笑うと全てが丸く納まるという感じでした。国民的
人 気 も 凄 い も の で 、 最 高 視 聴 率 が 43.7% と い う の は 驚 き で す 。 で す か ら 、 東 野 さ ん の 後
に 続 く 方 は 、 大 変 だ っ た と 思 い ま す 。 2代 目 の 西 村 黄 門 さ ま は 、 格 さ ん 役 の 伊 吹 五 郎 さ ん
に「俺等になって視聴率が下がっては具合が悪い。俺は西村黄門でいく」と語ったという
事ですが、笑い方でも、東野黄門様は「かっかっか」ですが、西村黄門様は「ほっほっは
っは」と工夫しているように、歴代の黄門様は、東野さんに習い、そして東野さんを超え
ようと、演じてこられたのだと思います。
テレビドラマ「水戸黄門」は、何故かくも日本人に受け入れられてきたのでしょうか。
歴代の黄門様は42年間にわたり、ひたすら悪人達を懲らしめてきましたが、内容はほ
とんどパターン化していて、終盤で格さんが「これが目に入らぬか」と印籠を示すと、何
と悪逆非道な悪人どもが「ははー」と恐れ入って平伏するという、実に単純明快な「勧善
懲悪」の物語となっています。
視聴者の皆さんは、真面目に一生懸命に働いているのに悪代官や強欲な金貸し、商人達
からひどい目にあっている、そうした権力者に虐げられている庶民の姿と自分とを重ね合
わせて見ているのだと思います。どんな時でも、最後は黄門様が来て悪人を懲らしめてく
れるというようなことは、現実には有り得ませんし、そんなことは誰しも分かっています
が 、 で も 、 ど こ か に そ ん な 事 を 期 待 し て い る 自 分 が い る 。「 水 戸 黄 門 」 は 、 そ う し た 自 分
の 思 い を 形 に し て く れ て い る と い う 共 感 を 、見 る 人 に 与 え て き た の で は な い か と 思 い ま す 。
「水戸黄門」のもう一つの特徴は、地域密着型という事でしょうか。黄門様は、ドラマ
の中では全国を行脚していますが、必ず舞台となっている地域の名物や伝統技術、芸能な
どを紹介してきました。それはそれで、結構勉強になったものです。
また、正直に生きること、弱いものを虐めてはならないこと、更には、親には孝行を尽
くせとか、夫婦仲良く等々、人として生きていく上での理想について語り続けてきたこと
は、貴重なことです。それは、日本人の心の琴線に触れる部分であり、忘れてはならない
ことでもあります。
「 水 戸 黄 門 」が 終 わ り を 迎 え る 一 方 、ケ ー ブ ル テ レ ビ の「 時 代 劇 チ ャ ン ネ ル 」な ど で は 、
様 々 な 時 代 劇 が 流 さ れ て お り 好 評 で す 。私 が 時 代 劇 に 引 か れ る の は 、単 な る 郷 愁 で は な く 、
人生の機微や人情、人間としての美学など、日本人の精神構造とも深く関わっているよう
に思うからです。
「水戸黄門」がテレビの表舞台から去るということになりますと、地上波テレビのレギ
ュラー番組はNHKの大河ドラマだけということになります。これは、時代劇を作り上げ
ていく技術伝承の場がまた一つなくなるという事でもありますので、黄門様には、時代劇
という日本の貴重な映像文化が衰退していくことのないよう、いつか不死鳥のように蘇っ
て欲しいものだと、心密かに祈っています。
第212号
平成23年12月20日
絆
平成23年の、世相を表す漢字が決まりました。
清 水 寺 ( 京 都 市 東 山 区 ) の 森 清 範 貫 主 が 、 縦 約 1.5メ ー ト ル 、 横 約 1.3メ ー ト ル の 和 紙
に、大きな筆で墨痕も鮮やかに書き上げた一字は「絆」です。
「今年の漢字」は、財団法人の日本漢字能力検定協会が1995年から始めたもので、
これまでに選ばれた漢字を見てみると、その年の世相が浮かび上がってきます。
「今年の漢字」がスタートした1995年は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発
生した年であり、選ばれた漢字は 「震」でした。
1 9 9 6 年 は 、 O-157に よ る 食 中 毒 や 狂 牛 病 が 発 生 し 、 大 き な 社 会 問 題 と な り 、 選 ば
れた漢字も「食」でした。
1998年は、和歌山毒物カレー事件が発生した他ダイオキシン問題も社会に大きな不
安 を 与 え た こ と も あ り 、「 毒 」 と い う 漢 字 が 選 ば れ ま し た 。
1999年は「末」です。文字通り世紀末ということです。
アメリカ同時多発テロ事件が発生したのは2001年でしたが、そのテロ事件を発端に
してアメリカ軍によるアフガニスタン侵攻が始まりました。結果選ばれた漢字は「戦」で
す。
2004年は新潟県中越地震はじめ、新潟・福島豪雨、台風23号など災害が多発した
年で「災」という漢字が選ばれました。
2 0 0 7 年 は 、「 白 い 恋 人 」 な ど の 食 品 表 示 の 偽 造 が 次 々 と 発 覚 。 こ の 他 、 年 金 記 録 問
題など多くの問題が発生し、結果選ばれたのは「偽」という漢字でした。
紙面の都合もあり、詳しくは紹介できませんが、選ばれた漢字を見ると、それぞれ当時
の時代背景を良く捉えていると感じます。
今 年 は 、 協 会 に よ る と 、 全 国 か ら 過 去 最 多 の 4 9 万 6 9 9 7 通 の 応 募 が あ り 、「 絆 」 は
最 多 の 6 万 1 4 5 3 通 ( 12.4% ) を 獲 得 し た と の こ と で す 。
3月11日に発生した東日本大震災は、今までに見たことも経験したこともないような
甚大な被害を東北各地域にもたらしました。津波によって家族が引き裂かれ、家を失い、
暮らしの基盤をなくされた方々が沢山いらっしゃいます。逃げまどう人々が、津波に飲み
込まれていく様子、田や畑、工場や住宅が津波に押し流されていく様子は、日本人の心に
大きな影響を与えました。同時に、被災者の皆さんが、静かに悲しみに耐えながら助け合
っている姿は、日本人のみならず世界の人々に感動を与え、日本人の精神性が高く評価も
されました。
私たちは、3・11によって、家族や友人といった身近な人だけでなく、地域の人々な
ど多くの人々との関わりの中で生きていること、そして、そうした人と人との「絆」の大
切さについて再認識することになりました。
勿論、今年は、悲しい出来事だけではありません。
FIFA女 子 ワ ー ル ド カ ッ プ で は 日 本 代 表 の 「 な で し こ ジ ャ パ ン 」 が 優 勝 し ま し た 。 チ ー
ムワークと信頼、そして最後まで諦めない気持ちで闘い、優勝を手にした彼女たちの活躍
を通して、感動だけでなく「絆」の大切さを感じ取った人も多いことでしょう。
このように、今年は、人と人との「絆」の大切さを感じることの多い1年だったといえ
ま す 。し か し 同 時 に 、「 絆 」の 大 切 さ が 叫 ば れ る 一 方 で は 、親 が 子 を 殺 し 、子 が 親 を 殺 す 。
子どもが、いじめを苦にして自殺する。更には、誰にも看取られず一人で孤独死してしま
う、というような悲惨な事件が後を断たないというのもまた、日本の現実の姿です。
「絆」は、もともとは「馬や犬など、動物を繋ぎとめるための綱」のことですが、そこ
か ら 、 家 族 や 友 人 な ど と の 「 断 つ に 忍 び な い 恩 愛 」「 離 れ が た い 情 実 」 と い う 、 心 の 結 び
つ き を 意 味 す る よ う に な っ て い っ た も の の よ う で す ( 広 辞 苑 な ど か ら )。
動物を繋ぎ止める綱は、太く丈夫でありさえすれば切れたりはしないでしょうが、目に
は見えぬ心の結びつきはどうでしょうか。如何に太い「絆」に感じていても、一瞬にして
別れ別れになってしまうことは稀ではありません。
「 絆 」 と い う も の は 、「 蜘 蛛 の 糸 ( 芥 川 龍 之 介 作 )」 の よ う に 、 ど ん な に 丈 夫 な 糸 で あ
っても、人の心の有り様で繋ぎ止めもするし、ぷつりと音を立てて切れもします。
結 局 、「 絆 」 と い う 紐 は 、 自 分 と 相 手 と が 、 そ れ ぞ れ 互 い に 持 ち 続 け よ う と い う 意 志 と
努力なしには維持することができない程に危うい存在だということを、我々は知っておく
必要があるでしょう。
第213号
平成23年12月21日
北の土偶
国 宝 に 指 定 さ れ て い る 「 中 空 土 偶 」、「 縄 文 の ビ ー ナ ス 」 及 び 「 合 掌 土 偶 」 の 三 体 が 一
堂に揃って公開される「北の土偶展」が、来年3月、開拓記念館で開催されます。
北の土偶3体について、ごく簡単に説明しておきます。
「中空土偶」は、函館市著保内野遺跡から1975年に出土し、2007年に国宝に指
定されています。
「縄文のビーナス」は、長野県茅野氏棚畑遺跡から1986年に出土し、1995年に
国宝に指定されています。
「合掌土偶」は、青森県八戸市風張遺跡から1989年に出土し、2009年に国宝に
指定されています。
この国宝土偶三体が国内で揃うのは、2年前東京国立博物館で展示されて以来、初めて
の こ と で あ り 、「 北 の 土 偶 展 」 は 見 る 人 々 に と っ て 、 縄 文 文 化 の 素 晴 ら し さ に 触 れ る 絶 好
の機会となるでしょう。
中 で も 、「 中 空 土 偶 」 は 素 晴 ら し い と 思 い ま す 。 私 は 、 こ れ ま で に 二 度 、 実 物 に お 会 い
していますが、土偶としての完成度が優れているだけでなく、表情の豊かさが何ともいえ
ま せ ん 。縄 文 の 人 々 が 、ど の よ う な 思 い で こ の 土 偶 を 作 っ た の か な ど 、想 像 が 膨 ら み ま す 。
北 海 道 の 噴 火 湾 沿 岸 に は 、「 中 空 土 偶 」 が 発 掘 さ れ た 著 保 内 野 遺 跡 の 他 に も 北 黄 金 貝 塚
や大船遺跡があり、青森県には三内丸山遺跡、岩手県には御所野遺跡、秋田県には大湯環
状 列 石 と い っ た よ う に 、多 数 の 貴 重 な 縄 文 遺 跡 群 が 存 在 し て お り 、そ れ ら の 遺 跡 を 通 し て 、
北海道と北東北地域には海峡を越えた交流・交易が活発に行われていたことが分かってい
ます。
このため、2003年9月に開催された北海道・北東北知事サミットにおいて、北海道
と北東北が、縄文時代から深く交流してきたことを踏まえながら、両地域が一体性を持つ
地 域 と し て 連 携 し 発 展 す る こ と を 目 指 し て 、「 北 の 縄 文 文 化 回 廊 づ く り 」 を 推 進 す る こ と
が合意されました。
その後、この合意を受け、北海道・北東北地域において縄文文化遺産の保存などの活動
をしている民間団体などが結集して「北の縄文文化回廊づくり推進協議会」が設立され、
地域間交流や情報発信が進められています。
その中でも重要な取り組みは、北海道・北東北を中心とする縄文遺跡群の世界遺産登録
に向けた取り組みでしょう。もしそれが実現したら、新たな縄文ブームが起きるに違いあ
りません。
縄 文 時 代 は 、 今 か ら 約 1万 数 千 年 前 に 始 ま り 、 約 1 万 年 間 続 い て い ま す 。 そ の 間 に 、 土
器が出現し、竪穴住居が造られ、貝塚なども残されていますが、その出土品などから、縄
文時代の人々は、自然と調和しながら、かなり豊かな生活をしていたことが伺われます。
伊 達 市 噴 火 湾 文 化 研 究 所 の 大 島 所 長 は 、「 縄 文 人 が 一 万 年 も の 間 狩 猟 採 集 社 会 を 継 続 し
たのは、自然を開拓する技術がなかったからではない。あえて開拓しないという強い意志
があったからに違いない。さらに、北海道の縄文文化が本州に比べて重要な点は、その高
い 精 神 性 が 続 縄 文 文 化 、ア イ ヌ 文 化 へ と 受 け 継 が れ た こ と に あ る 。」と 述 べ て お ら れ ま す 。
福島第一原発事故は、我々が如何に大量の電気を消費してきたかを、再認識させる結果
となりました。現在、全国の休止中の原子力発電所は再稼働が困難な状況にあり、各地で
は電力不足に対応するため節電が求められていますが、この機会に、これまでのような、
大量生産・大量消費という高度経済成長時代に身に付いた生活の仕方、もっといえば生き
方そのものを見直してみては如何でしょうか。とはいっても、今更縄文時代の生活に戻れ
るはずはありませんが、自然と共生し、自然の恵みの中で豊かな生活を享受してきた縄文
人の生き方、自然観から学ぶことは多いと思います。
是非、来年の3月には、中空土偶はじめ縄文のビーナスや合掌土偶にお会いして、縄文
人の心に寄り添ってみたいと思っています。
第214号
平成23年12月22日
連理の枝
道南の小さな町松前町は、毎年春になると1万本以上もの桜が咲き競う「桜の里」とし
て良く知られていますが、同町はまた、北海道で唯一の城下町でもあり、松前城は日本に
お け る 最 後 の 日 本 式 城 郭 の 一 つ と い わ れ て い ま す 。ま た 、こ の 城 は 、大 半 が 焼 失 し て お り 、
築城当時から現存している建物は、本丸御門と本丸表御殿玄関、及び旧寺町御門(現在の
阿吽寺の山門)のみとなっていますが、1961年に天守閣、2002年に搦手二の門、
更に、2002年に天神坂門がそれぞれ再建されています。
こ の 天 神 坂 門 の 側 の 石 垣 の 上 に 、樹 齢 8 0 年 余 の 桜 が あ り ま す 。こ の 桜 は「 南 殿 」と「 染
井吉野」という2種類の桜が一つの根を共有しているという非常に珍しいもので、まるで
夫婦が、長い年月を共に支えあいながら風雪に耐えて生きてきたように見えることから、
地域の人々は、その桜を「夫婦桜」と呼び愛し親しんできました(夫婦の手紙実行委員会
編 「 恋 す る さ く ら 」 か ら )。
松前町では、この桜にちなんで、平成2008年から毎年「夫婦の手紙コンクール」を
実施してきました。今年は4回目のコンクールとなりましたが、全国各地、遠くは外国か
ら553通の応募があったといいます。その中から、町民104名の審査を得て、10通
の恋文が最優秀賞、優秀賞、佳作などに選ばれています。また、松前町では、応募のあっ
た550通余りの中から、入賞した恋文はじめ100通余りの恋文を選んで一冊の本「恋
するさくら」にまとめて出版しています。
1通1通の手紙は決して長いものではありませんが、その手紙には、夫から妻へ、妻か
ら夫へのいい尽くせぬ思い、愛情が溢れています。読んでいて目頭が熱くなる(年のせい
で涙腺が弱くなっているせいではありません)手紙が沢山ありました。夫婦だけの、二人
の間でしか分からない人生の歴史、他人では踏み込めない夫婦の絆というものが、行間の
中にいっぱい詰まっているようです。
そ の 中 で 、最 優 秀 賞 を 受 賞 さ れ た の は 大 阪 市 の 高 田 薫 さ ん と い う 6 3 歳 の 女 性 で し た 。
この方は、癌になり、余命あと僅かであることを自覚しています。その彼女が夫に宛て
て「公園のあの桜の古木は堅い蕾をいっぱい付けはじめました。毎晩、桜の傍らを通って
帰ってくるあなた。私がいなくなったあと、暗い家に帰るのかと思うと、そのことがつら
い の で す 。 天 国 か ら パ ッ と 灯 り を つ け て あ げ た い な 。( 中 略 ) お 願 い が あ り ま す 。 私 の 骨
を 一 か け ら 、 桜 の 根 元 に 埋 め て く だ さ い 。( 中 略 ) 大 好 き な あ な た 。 幹 が 二 股 に 分 か れ て
寄 り そ っ て い る よ う な 桜 と 一 緒 に 、 天 国 か ら あ な た を 見 守 っ て い ま す 。」 と い う 恋 文 を 書
きました。自分の死を覚悟しながら一人残される夫を心配して止まない、妻の切なさが伝
わってきます。私は、この恋文を読みながら、ふと白居易による「長恨歌」の一節を思い
出 し ま し た 。「 長 恨 歌 」 は 、 8 世 紀 の 唐 の 玄 宗 皇 帝 と そ の 愛 人 楊 貴 妃 と の 悲 劇 の 恋 物 語 で
すが、その中に「在天願作比翼鳥、在地願為連理枝(天に在りては、願わくば比翼の鳥と
な り 、 地 に あ り て は 、 願 わ く ば 連 理 の 枝 と な ら ん 。)」 と い う 一 節 が 出 て き ま す 。 こ れ は 、
愛する二人が別れ別れになろうとする時交わした、誓いの言葉です。その意味するところ
は 、 自 分 た ち が 死 ん で 後 、「 も し も 天 界 に 召 さ れ た ら 、 羽 が 繋 が っ た 二 匹 の 鳥 と な り ま し
ょう。もしも地上へ戻されたら、枝が繋がった二本の木になりましょう」というもので、
次の世でも夫婦として生きていきたいという願いが込められています。
高田 薫さんは、今はどうしているのでしょうか。既に、天に召されて、愛する夫を天
国から見守り続けているのでしょうか。
私は、あなたのお手紙を読みながら確信しています。愛し合うお二人は、きっと「連理
の枝」となっているに違いないと。
第215号
平成23年12月26日
Passion
北海道師範塾では、11月から、来年の教員採用を目指している学生や期限付き教員を
対象とする「教師への道講座」を開設しています。この講座は、教師としての志と実践力
の双方を兼ね備えた、バランスの取れた人材を一人でも多く教育現場に送り込みたいとの
意図の下に開設したもので、既に4回(16講座)実施してきました。受講生の様子を見
ていますと、回を重ねるごとに熱気が高まってきているように感じています。
受講生の皆さんは、目指している校種や教科だけでなく、既に学校で期限付きながら教
師として活動している方、これから採用試験にチャレンジしようとしている学生といった
よ う に 様 々 で す が 、 彼 ら に 共 通 し て い る の は 、「 ど う し て も 教 師 に な る ぞ ! 」 と い う 情 熱
( Passion) と い っ て 良 い で し ょ う 。 特 に 、 期 限 付 き 教 師 と し て 働 い て い る 皆 さ ん に と っ
て、日々の教育実践と受験勉強との両立には厳しいものがあると思いますが、それを支え
ているのは、子ども達のために実践力のある教師になりたいという、熱い思いに違いあり
ません。
今年の採用試験の結果を見ると、競争倍率は校種や教科によって当然異なりますが、全
体 で は 5.1倍 と い う こ と で す か ら 、こ れ ま で と 比 較 す る と 若 干 下 が っ て い ま す 。と は い え 、
教師としての切符を手に入れることは容易ではなく、依然として狭き門であることに変わ
りありません。
しかし、この狭き門を潜らない限り、教師への道へは進むことができません。既に何度
か採用試験にチャレンジして、その都度はね返されている人にとっては、その門は余りに
も狭く、その壁は余りにも高いと感じていることでしょう。それは試練といっても良く、
そ の 試 練 は 、耐 え る の で は な く 乗 り 越 え な け れ ば 目 的 を 達 す る こ と が で き ま せ ん 。そ し て 、
乗 り 越 え る た め に は 、 乗 り 越 え よ う と い う 意 志 と 情 熱 ( Passion) が 不 可 欠 な の で す 。
こ の 情 熱 ( Passion) は 、 キ リ ス ト の 受 難 ( Passion) と 同 じ 語 源 を 持 っ て い ま す が 、
それは何故だとお考えになりますか。
キリストにとって、十字架に架けられ殺されるということは受難以外の何ものでもあり
ませんが、それは神の意志であり、キリストもまた、神の意志に従順だったということだ
と思います。ただ私は、たとえ神の意志とはいえ、罪なき人が人々に嘲られ、十字架を背
負 い な が ら 刑 場 に 送 ら れ る 姿 は 、 誠 に 悲 劇 的 で あ り 、「 生 け 贄 」 と い う 言 葉 の 方 が 相 応 し
いようにさえ思っていました。
しかし、最近、キリストの受難にはキリスト自身の意志が働いていたのではなかったか
と感じるようになりました。
今では、キリストが十字架に架けられて死ぬということは、神が描いた設計図かも知れ
ませんが、実は、キリスト自らが、強い意志でその設計図をなぞって行ったのではないか
と考えています。そして、彼をしてそうさせたのは、人々への愛情と人々を救いたいとい
う 熱 い 心 ( Passion) だ っ た よ う に 思 う の で す 。
クリスチャンでもない私が、このように考えることは、理解が十分ではない、あるいは
正 し く な い か も 知 れ ま せ ん 。た だ 、私 は 、キ リ ス ト の 受 難 と 情 熱 と の 関 係 を 探 る 中 で 、
「教
師への道講座」を受講している皆さんには、試練があるからこそ、その試練を乗り越えよ
うとするところに情熱が生まれ、情熱があればこそ、試練を乗り越えようとする力が湧い
てくるのではないか、ということを申し上げたいと思っているのです。
脳 科 学 者 の 茂 木 健 一 郎 氏 は 「 情 熱 は 受 難 に よ っ て こ そ 貫 か れ て い る の だ 。」 と 述 べ て い
ま す ( 同 氏 著 「 思 考 の 補 助 線 」)。 我 々 は 、 与 え ら れ た 試 練 に 背 を 向 け て は な ら な い 、 と
いうことなのではないでしょうか。
第216号
平成23年12月27日
年満月
今 年 も 、あ と 僅 か と な り ま し た 。心 な し か 慌 た だ し く 、気 が 急 か さ れ る 日 々 が 続 き ま す 。
師走という言葉がぴったりの感じがしますが、一体何故、12月を師走と表現するのでし
ょう。
「 十 二 月 に は 法 師 を 呼 ん で 経 を あ げ る 習 慣 が あ り 、 僧 が 忙 し く 走 り ま わ る 師 馳 (し は せ )
が訛って師走になった」という説がありますが、これはどうも後付の理屈のように思いま
す。というのは、古く「万葉集」に「十二月」のことを詠んだ歌があるからで、その歌を
見る限り、師走という言葉とは結びつきません。
万葉集の1648番目の歌に
十二月(しはす)には
沫雪降(あわゆきふる)と知らねかも
梅の花咲く含(ふふ)めらずして
というのがあります。
日 本 古 典 文 学 大 系 ( 岩 波 書 店 ) の 解 説 に よ る と 、「 十 二 月 ( シ ハ ス ) の 語 源 は 未 詳 。 シ
が年を意味し、ハスは果ツと同じか」と書かれており、歌の大凡の意味は「12月にはま
だ沫雪(あわゆき)の降ることがあると知らないからか、梅の花が咲く。蕾のままでいず
に 。」 と い う も の で す 。
私たちも、大晦日までまだ日数があるのに、早々と来年のことに心動かされている、そ
ん な 今 の 心 境 に た い し て 、何 を そ ん な に 気 ぜ わ し く 、と い わ れ て い る よ う な 感 じ が し ま す 。
12月に入ると、忘年会に繰り出す人の群れをあちこちで見ますが、最近は、今年のこと
はさっさと忘れて来年に期待しようという訳で、忘年会ではなく望年会という言葉を使う
人までいます。
確かに、今年は、東日本大震災を初め災害が多発しましたし、依然として景気も悪いと
いうことで、辛い事の多かった1年ではありましたが、そうはいっても、御破算で願いま
してはとばかりに、今年のことを忘れるわけにはいきません。
若くて、背伸びをしていた頃は、新しい年が巡って来ることを至極当然のように思って
いました。しかし、既に高齢者の仲間入りをした身とすれば、この1年、365日の積み
重ねは、他に代え難い、誠に貴重なものに感じています。
山 下 景 子 さ ん の「 美 人 の 日 本 語 」と い う 本 の 中 に「 年 満 月 」と い う 言 葉 を 発 見 し た 時 は 、
「我が意を得たり」と思いました。
嬉しいことや悲しいこと、様々なことが、1年という「時間の器」の中に積み重なり、
満ちるように過ぎて来て、今12月も終えようとしています。
師走、師走といいながら急ぎ足で過ごすだけではもったいない気がします。残された今
年の時間を愛おしみ、この1年に感謝しながら過ごす「年満月」というのも、素敵ではな
いかと思います。
第217号
平成23年12月28日
仕事納め
1 2 月 2 8 日 は 、官 庁 の「 仕 事 納 め の 日 」と な っ て い ま す 。民 間 企 業 で も そ れ に 習 っ て 、
明日から年末年始の休みに入るところも多かろうと思います。私の職場である北海道社会
福祉事業団も同様で、明日から来年の1月3日までお休みです。もっとも、当事業団が運
営している各施設は年中無休で、施設の職員は交代で勤務していますので、年末年始の休
みだからといってのんびり構えているわけにはいきません。
この1年、皆さまにとってはどのような年だったでしょうか。国内外を通じて多難な1
年であったということに尽きるように思います。
特に、東日本大震災という、かつて経験したことのない大きな災害や、福島第一原発の
事故に遭遇して、我々の日常生活が、如何に脆弱な基盤の上に立っているかを思い知らさ
れ る と 共 に 、「 絆 」 の 大 切 さ を 改 め て 実 感 し た 人 も 多 か っ た の で は な い で し ょ う か 。
こうした中で、被災者の皆さんの、秩序を保ちながら互いに助け合う姿は、日本人の精
神性の高さとして世界に報道され、大きな感動を与えました。このことは、日本人の一人
としてとても誇らしく感じましたし、こうした日本人の精神性は大事にしていかなければ
ならないと思っています。
仕事納め、というのは一つのけじめとして大切なものです。どのようなものにでも、初
めがあれば終わりもあります。そのことを日々の生活の中でも意識していくことは、大切
なことです。
物 事 の 初 め や 終 わ り を 意 識 す れ ば 、ど の よ う な こ と で あ れ 、始 め る 時 に は 終 わ り を 考 え 、
終わる時は、次なるスタートに如何に繋いでいくかを考えるものです。
仕事納めは、単に1年間の仕事の店じまいで「やれやれご苦労さん」というようなこと
だけではありません。むしろ、新しい年に繋げていくための「決算の日」とした方が良い
ように思っています。どんな事業でも、決算がしっかりしていなければ、新たな展望を開
くことはできないでしょう。それは、人生でも同じだと思います。自分自身の足下をしっ
かりと見つめ直すことなしに、次なる一歩を確かなものにすることは難しいものです。
私自身は、この1年、本業の事業団の仕事とは別に、師範塾を初め色々な活動に参加す
る機会に恵まれ、忙しくはありましたが、充実した日々でした。勿論、反省しなければな
らぬ事も多々あり、年末年始の休みの中で、ゆっくりと自分を見つめ直してみたいと考え
ています。
塾頭通信も、今日が仕事納めということです。しばらくお休みさせていただきますが、
充電し直して、1月4日から改めて書き始めることにします。
皆さまには、これまでお付き合いいただいたことに感謝しています。
よい新年をお迎え下さい。
第218号
平成24年1月4日
新しい年を迎えて
明けましておめでとうございます。
昨年は、東日本大震災や福島第一原発事故などに見舞われ、被災地では、今なお厳しい
状況が続いています。こうした中、年賀状では「おめでとう」という言葉を避けた方も多
か っ た の で は な い か と 思 い ま す が 、私 は 意 識 し て「 お め で と う 」と い う こ と に し て い ま す 。
昨年の暮に、慶応大学の竹田恒泰先生から「皆さんお正月はめでたいというが、本当の
ところは、正月だからといって特にめでたいものではありません。大してめでたくはない
のに、皆でめでたいといい合うことが正月の意義です」というお話をお聞きして、そうい
うことならば、皆さんと大いに「おめでとう」といい合って、新しい年を少しでも元気に
して行きたいと思っているところです。
私 は 毎 年 、1 月 1 日 に は 、各 新 聞 紙 を 取 り 寄 せ て そ の 社 説 を 見 比 べ る こ と に し て い ま す 。
各紙の社説のテーマを簡単に紹介しますと、
道新は「未来に責任を持つ社会に」
読 売 は 「 危 機 を 乗 り 越 え る 統 治 能 力 を ( ポ ピ ュ リ ズ ム と 決 別 せ よ )」
毎日は「問題解決できる政治を」
朝 日 は 「 ポ ス ト 成 長 の 年 明 け ( す べ て 将 来 世 代 の た め に )」
日経は「資本主義を進化させるために」
というものでした。
道新、読売、毎日の社説は、昨年から引き続く激動の年を迎え、政治がしっかりとした
リーダーシップを取るよう求めています。朝日や日経は、経済問題を中心に据えています
が、つまるところ政治のガバナンスを問うているという点では、他の3紙と共通している
ように思います。
東日本大震災や福島第一原発事故に対する対応、年金や医療制度といったセーフティネ
ットに対する国民の不安、破綻の危機にある国や地方の財政、更にはTPPの導入といっ
た様々な課題に対して、政治が機能不全に陥っているように見えて仕方ありません。
我が国は民主主義の成熟した社会であると思っていますが、同時に、その民主主義によ
って、早急に決定し行動しなければならない課題に対しても、迅速かつ有効な対策を講じ
ることが出来ずにいるようにしか見えません。まさに、ポピュリズムの弊害と揶揄される
所以です。
こうした中で、大阪市の橋下市長のように、明確なメッセージと説得力、敵対する勢力
をなぎ倒してでも実行するという強力なリーダーシップは、微温的な民主主義に対するア
ンチテーゼといえましょう。そして国民の中には、そういう強力なリーダーの出現を期待
する空気が強くなってきているように感じます。
私は、そうした空気を必ずしも歓迎しません。確かに、民主主義という仕組みは様々な
欠点を抱えている事を否定しませんが、国民の意思を国政に反映させていく上で、欠くこ
とのできないものです。民主主義を維持していくためには、手間や暇だけではなくコスト
もかかりますが、だからといって、強権的な手法がベストとは思えません。
政治が、民主主義の欠点を補いながら国民の期待に応えていくためには、明確なビジョ
ンを示し、手間隙を厭わず国民を説得して引っ張って行く、そういう意味での強力なリー
ダーの出現が待たれます。
リーダー不在のままでは、日本丸といえども、グローバル化している世界の海で漂流し
てしまいます。
第219号
平成24年1月5日
新たなるスタート
私が、同志とともに始めた北海道師範塾も、今年で2年目に入ります。
昨年は、1月に北海道師範塾として初めて「開塾記念講座」を開催し、約80名の方々
に参加いただきました。8月には50名弱の参加のもとに「夏期講座」を開催した外、小
清水町の方にこちらから出かけて、車座講座を実施することが出来ました。更に11月に
は、教員採用試験を受験する予定の期限付き教員や学生の皆さんを対象に「教師への道講
座」を開設し、現在30名を超える受講生が夢の実現に向けて頑張っています。
今年は、年明け早々の5日、6日の両日にかけ約60名の参加を得て「冬期講座」を行
う 外 、「 教 師 へ の 道 講 座 」 の 方 も 1 月 1 4 日 ( 土 ) か ら 再 開 で す 。
今年は、ほぼ毎月講座を展開することになりますので、昨年とは気持ちも随分と違いま
す 。 特 に 、「 教 師 へ の 道 講 座 」 に つ い て は 、 今 年 の 採 用 試 験 で 結 果 が は っ き り と 見 え ま す
ので、受講生だけでなく、実施している我々自身も非常に緊張しています。
北海道師範塾は、理事や企画委員、塾生、更には賛助会員の皆さんの力をいただきなが
ら1年が経過しましたが、まだまだ小さな組織に過ぎません。知名度もありませんし、吹
けば飛ぶような、というといささか大げさではありますが、自分の力のなさを実感する日
々でもあります。
こうした中、少しずつではありますが理事の体制も強化されつつあり、また塾生の数も
増えつつありますので、引き続き、じっくりと取り組んで行きたいと思っています。
北海道師範塾は、北海道の教育を少しでも良くしていきたい、教師としての実践力をも
っと高めて行きたいとの思いを共有する人たちによって構成されています。特に、理事の
皆さんは、いずれもそれぞれ仕事を持っており、大変忙しい日々の中、積極的に北海道師
範塾を運営していただいています。彼らのボランティア精神には頭が下がりますが、それ
を支えているのは、子ども達のために北海道の教育をもっと活性化させたい、という熱い
思いに外なりません。
北海道師範塾の活動の根本は、
「 共 に 学 び 、共 に 成 長 」し よ う と い う と こ ろ に あ り ま す 。
今のままで良い、こんなもんで仕方ない、と思っている限り成長は望めません。
私は、教師の皆さんには、教師となった以上、子ども達のために成長し続ける存在であ
って欲しいと願っています。そのためには、一人でも多くの仲間が手を取り合い、学び合
うことが重要であり、北海道師範塾は、そのための場となることを目指しているのです。
北海道師範塾は2年目に入りましたが、この活動は、理事だけではなく、塾生として参
加してくださる方がいてはじめて成立するものです。私たち師範塾関係者は、これまでも
試行錯誤を重ねながら活動して来ましたが、今後とも、一人でも多くの方々の参加が得ら
れるよう、背伸びせず、着実に前に向かって取組を進めて行きたいと思っています。
第220号
平成23年1月6日
成人の日
1 月 9 日 は 、「 成 人 の 日 」 で す 。
総務省の発表によると、2012年1月1日現在で20歳の新成人は122万人で、5
年連続して過去最少記録を更新しました。新成人のピークは第1次ベビーブーム世代が成
人を迎えた1970年の246万人ですから、遂にピークの半数割れという状況になって
おり、いやが上にも日本の少子化を実感せざるを得ません。
さ て 、「 成 人 の 日 」 に は 成 人 式 の 会 場 に 向 か う の で あ ろ う 若 い 男 女 の 着 飾 っ た 姿 を 見 ま
すが、そんな華やいだ風景は、成人式とは関係のない私まで、何となく明るい気持ちにさ
せてくれます。
こ の「 成 人 の 日 」は 、も と も と は 終 戦 後 間 も な い 1 9 4 6 年 1 1 月 、埼 玉 県 内 の 蕨 町( 現
蕨市)において、次代を担う青年達を励まそうと青年団が主催して実施された「青年祭」
がモデルとなったといわれています。これに影響を受けた政府は、1948年に施行され
た 国 民 の 祝 日 に 関 す る 法 律 の 中 で 、「 お と な に な っ た こ と を 自 覚 し 、 み ず か ら 生 き 抜 こ う
と す る 青 年 を 祝 い は げ ま す 」た め 、1 月 1 5 日 を「 成 人 の 日 」と 定 め る こ と と な り ま し た 。
1月15日を何故「成人の日」にしたかというと、昔、子どもが一人前になったことを
祝い元服(げんぷく)の儀が行われていましたが、この儀式は、小正月である15日に行
われていたことから、この日を「成人の日」としたとされています。なお、2000年か
らは、ハッピーマンデー制度の導入に伴い、それまでの1月15日から1月の第2月曜日
に変更になり今日に至っています。
「成人の日」には、多くの市町村では成人式が開催され、新成人を祝う式典が開催され
ていますが、今から10年ほど前から、全国各地で式典を台無しにするような新成人の行
動が問題になってきました。最近はかなり落ち着いてきた感じがしますが、それでも、毎
年、テレビを通して、酒によってはしゃぎ回ったり、傍若無人の振る舞いをする新成人の
姿を見ることは、大変残念です。
「成人の日」は、大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年達を祝い励ま
すことを趣旨とするものであり、単に20歳になったことを祝うために設けられたもので
はありません。また、成人式は、自分が一人前の大人になったことを自覚し、回りの大人
たち、社会もそのことを認めるという儀式であり、それが如何に形式的なものであったと
しても、人として成長していく過程において大切にしていかなければならない通過儀礼の
一つです。
最近の成人式は、新成人の参加を促すと共に、式を混乱させず盛り上げようと、形式的
なことを出来るだけ避け楽しい演出を考えたり、ディズニーランドといったテーマパーク
などを会場にするというところもあり、成人式はお誕生会とは違うはずだと考える者にと
っては、いささか嘆かわしい風景です。しかし考えてみれば、そう嘆く前に、たとえ儀礼
的なものであっても、高々1、2時間の式典にも耐えられないような子どもを育ててしま
った現実が一方にあることを、忘れてはならないでしょう。
「成人の日」を前にして、これまで子ども達に対し、一つ一つの通過儀礼を大切にして
きただろうか、一人前の人間として生きていく上での心構えや態度、社会に参加していく
ために守るべき社会規範などについて、十分な指導をしてきただろうか、と私は自らの反
省を込めて皆さんに問いかけたいと思います。
第221号
平成24年1月10日
汚名返上?
道警は、昨年道内で起きた交通事故による死者数が190人に止まり、1949年以来
実に62年ぶりに200人を下回ると共に、全国ワーストワンも2年ぶりに返上したと発
表しました。
また、昨年発生した人身事故は1万6395件と前年と比較すると1693件の減、こ
れに伴って負傷者も1万9705人と前年に比べ2391人の減となっており、こちらの
方も1966年以来45年ぶりに2万人を切っています。
北海道では、かねてから交通事故の多さが社会的にも大きな問題となっており、道警は
じめ関係者が交通事故撲滅のために精力的な活動を続けてきました。昨年は、その成果が
現れたといえますが、同時に、東日本大震災や高速道路無料化の影響などから、一般道路
を走る車の台数が減少したことも背景としてあったのではないかという意見もあり、昨年
の結果が一過性でないことを期待したいと思います。
北海道は、道路の整備が進んでおり、車線の幅も広くスピードが出やすいといわれて来
ました。また、郡部では、走っている車の台数も少なく、一般道を高速道路並の猛スピー
ドで走っている車と出くわすことがあります。運転席に座ると人格が変わる人がいるとい
う話を良く聞きますが、自己中心的で、周りが見えなくなる様な状態で運転されれば、ど
んな車も走る凶器に早変わりです。
これまでの交通事故を見ていると、そのほとんどは避けられた筈のものです。ドライバ
ーのちょっとした心遣いさえあれば、交通事故は起きなくて済みます。
私 が 東 京 か ら 戻 っ て き て ま ず 感 じ た の は 、ド ラ イ バ ー の マ ナ ー の 悪 さ で し た 。交 差 点 で 、
信号が赤なのに発進する車、黄色が点滅しているのに、猛スピードで進入してくる車、頻
繁に車線を変更して、車の間を縫うように走って行く車、ウインカーを上げずに突然方向
転換する車、挙げればきりがありませんが、そうした車のドライバーは、恐らく「自分は
運転がうまい」という自信を持っているのでしょうが、周りのものにとっては迷惑千万と
いう他ありません。
ま た 、 飲 酒 に 伴 う 事 故 で の 死 亡 者 が 13人 ( 7 % ) も い る こ と や 、 乗 車 中 の 死 者 1 0 2
人 中 シ ー ト ベ ル ト を 着 用 し て い な か っ た 者 が 45人 ( 44% ) お り 、 こ の う ち の 6 割 は 、 シ
ートベルトを着用していれば助かった可能性があるということを聞くと、ドライバーはも
と よ り 自 動 車 を 利 用 す る 人 の 安 全 に 対 す る 意 識 の 低 さ は 、誠 に 遺 憾 と い わ ざ る を 得 ま せ ん 。
更に、マナーの悪さは、自動車のドライバーに限りません。自転車の運転も相当に悪い
ですね。交差点を、常に自分たちが最優先とばかりに、周りの状況を全く考えずに走る自
転車を見ると、自殺行為としかいいようがありません。また、歩道を歩いていて、後ろか
らぶつけられそうになったこともあり、歩道といえども安全とはいえなくなっています。
本 格 的 な 冬 の 季 節 の 中 、車 道 の 幅 は 雪 で 狭 く な っ て い ま す し 、視 界 も 悪 く な り が ち で す 。
更に、道路は滑りやすくなりますので、ドライバーの皆さんは十分気を付けていただきた
いと思います。
私がかつて自動車運転を習っていた時、教官から、基本的に「急」の付く運転をしては
な ら な い と 繰 り 返 し い わ れ ま し た 。 即 ち 「 急 発 進 」「 急 ブ レ ー キ 」「 急 ハ ン ド ル 」 と い う
ことですが、冬道では特に心すべき事です。
交通事故は、もらい事故もあって絶対に防ぐということは不可能かも知れませんが、ド
ライバー、自転車の運転者、更には歩行者の皆さんが、それぞれ事故を起こさないよう、
事故に遭わないよう気を付けることによって、もっともっと減らすことができる筈です。
北海道の道路を快適なものにするには、そのちょっとした心遣いこそ重要です。
第222号
平成24年1月11日
やぎの冒険
先 日 、 14歳 の 中 学 生 、 仲 村 颯 悟 君 が 監 督 し た 映 画 「 や ぎ の 冒 険 」 を 観 ま し た 。 札 幌 市
内のシアター・キノで上映されていましたが、上映期間が短かったこともあり、ご覧にな
った方は少ないものと思いますので、簡単にあらすじを紹介します。
主 人 公 は 、 沖 縄 県 那 覇 市 に 住 む 小 学 6年 生 の 裕 人 で す 。 彼 は 、 冬 休 み を 沖 縄 県 北 部 の 今
帰仁村にある母の実家で過ごしています。赤瓦のウチナー家に住むのは、やさしいオバア
とオジイ、粗野な裕志おじさん、同い年のいとこ琉也、そして「ポチ」と「シロ」という
2匹の子やぎです。
裕人は、ヤンバル育ちの少年たちと自然の中で楽しい時を過ごしていますが、ある日、
2匹の子やぎのうち「ポチ」がいなくなっているのに気づきます。そして、裕人が目にし
た の は 、「 ポ チ 」 が 地 元 の 人 た ち に つ ぶ さ れ 、 祝 い の 席 で 「 や ぎ 汁 」 と な っ て 振 舞 わ れ て
いる様子でした。このことにショックを受けた裕人は、食べるものがのどを通らなくなり
ます。いとこの琉也は、裕人に対して「やぎは食べるものだ。だから大切に育ててきたん
だ 。 そ れ が ダ メ な ら 、 ス テ ー キ も 何 も 食 べ る な 。」 と 怒 り ま す 。
そんな裕人を気にする様子もなく、裕志おじさんは、家の新築祝いのためにやぎを買い
に き た 若 夫 婦 に 「 シ ロ 」 を 売 ろ う と し ま す 。「 シ ロ 」 が 売 ら れ 、 ト ラ ッ ク に 載 せ ら れ て 運
ばれようとした時、車が交通事故を起こし、そのハプニングで「シロ」が逃げ出します。
そこから、裕志おじさんを先頭にドタバタの追いかけっこが始まります。裕人もいとこの
琉也と一緒に「シロ」を追いかけ、やがて二人は森の中に入り込み、一晩を野宿して明か
すことになります。夜が更けると、野犬の遠吠えが二人を襲い、恐怖にかられた二人は精
一杯の大声を上げて野犬を威嚇します。
翌 朝 、「 シ ロ 」 を 発 見 し た 裕 人 は 「 シ ロ 」 を 抱 き な が ら 家 路 に 向 か う の で す が 、 そ の 時
刻、新築祝いの会場では別のやぎがつぶされ「やぎ汁」が振舞われており、その二つのシ
ーンが重なり合うようにしてこの映画は終わります。
「 人 間 が 生 き て い く た め に は 、 他 の 生 き 物 の 命 を 奪 わ な け れ ば な ら な い 。」 と い う こ と
は、誰でも頭の中では分かっていることです。しかし、日々の生活の中では、他の生き物
を自分の手で殺すという場面は、ほとんどありません。
「命を大切に」という言葉が余り力を持たないのは、命を奪うこと、命が失われること
へのリアリティが希薄なせいではないかと感じています。私は、牛や豚を殺して解体した
ことはおろか、屠殺場を見たこともありません。それでも、子どもの頃、鶏をつぶす場面
は何度も見ましたし、首をはねられた鶏が走り回るのを見て逃げ出したこともあります。
このように、昔は、人間が他の生き物の命を奪いながら生きていることを、いやが上にも
知る機会が随所にあったように思います。勿論、今でも、畜産農家の子ども達なら、どん
なに可愛がっていても時期が来れば売りに出さねばならないし、売られた牛や豚は、その
後どうなるか、また、そうしなければ自分達は生きていけないことも、良く理解している
と思います。
しかし、殆どの人達、取分け都会に住んでいると、魚でも肉でも、食品として処理され
たものを店で買えますので、その食品を通して「他の生き物の命」を実感することは、ほ
とんどないのではないかと思います。
映画の主人公も都会育ちで、動物は可愛がるもので、食べる対象とは思いもよらないこ
とでした。日々食事をしていても、沢山の生き物達の命と繋げて考えることはなかったに
違いありません。
14歳 の 少 年 は 、 そ の こ と を 赤 瓦 の ウ チ ナ ー 家 に 来 て 思 い 知 ら さ れ ま す 。「 や ぎ は 食 べ る
もの。だから大切に育ててきた」といういとこの琉也の言葉に反論することもできず、む
しろ、自分自身が、意識せずに肉や魚を食べてきた、その惨酷さに気付かされることにな
ります。
また、真っ暗な森の中で、彼は、野犬の声に怯えながら、野犬もまた他の生き物の命を
奪うことでしか生き延びることができない、そうした命と命の関係を知ったに違いありま
せん。
「シロ」はひょんなことから逃げ出しますが、翌朝裕人に捕まり、その短い冒険は終わ
ります。
翌 日 、 や ぎ を 抱 い て 赤 瓦 の ウ チ ナ ー 家 へ の 道 を 歩 く 14歳 の 少 年 の 姿 が 映 し 出 さ れ ま す
が、彼は、どのような思いで「シロ」を抱き抱えているのでしょうか。彼の表情からは心
の内を窺い知れませんが、いずれつぶされることを知りながら「シロ」を連れ帰ろうとす
る姿に、裕人もまた、たった一晩の間に大きく成長したことを感じさせます。
第223号
平成24年1月12日
限界集落
一 般 に 過 疎 化 な ど で 人 口 が 減 少 す る 中 、 5 0 %以 上 が 6 5 歳 以 上 の 高 齢 者 で 占 め ら れ 、
冠 婚 葬 祭 な ど の 社 会 的 共 同 生 活 の 維 持 が 困 難 に な っ て い る 集 落 を「 限 界 集 落 」と い い ま す 。
道では、市街地以外で人口1000人未満の住民がまとまった地域を集落としており、
その数は3772となっています。その内、18%に当たる710の集落が、将来集落と
しての機能の維持が難しくなるか落ちると考えている、ということが道の調査で明らかと
なりました。
この調査は、道が昨年、全集落の世帯数、基幹産業、住民の年齢など12項目について
調 査 し た も の で 、 そ の 結 果 、「 葬 儀 や お 祭 り を 共 同 と し て 実 施 で き る 」 と か 「 地 域 で の 買
い物ができる」といった集落として必要な機能の維持について、難しいと思われる集落が
1 2 6 ( 3 % )、 今 後 そ の 機 能 が 低 下 し て い く と 考 え ら れ る 集 落 が 5 8 4 ( 1 5 % ) も あ
ります。
ま た 、 今 後 消 滅 す る 可 能 性 の あ る と 考 え ら れ る 集 落 が 2 0 ( 1 % )、 1 0 年 以 内 に 消 滅
すると考えられる集落が221(6%)もあり、過疎地を多く抱える北海道の現状には、
誠に厳しいものがあります。
「限界集落」という言葉は、決して良い言葉だとは思いませんが、地域コミュニティが
成立し得ない現状から目を逸らす訳にはいきません。
集落が一つの地域コミュニティとして成立するためには、そこに人が住んでいるという
ことだけではダメで、例えば、町内会活動、除雪や買い物など日常生活の確保、更にはお
祭りや葬式などの行事について共同体として取り仕切っていくだけの機能(力)が必要で
す。
今、
「 限 界 集 落 」と い わ れ て い る と こ ろ は 、ま さ に 共 同 体 と し て の 機 能 が 十 分 で は な く 、
いずれも地域コミュニティとしての存立自体が危ぶまれているのです。勿論、こうした事
態に、道も市町村も手をこまねいているわけではありません。
道では、高齢化率50%以上で、市町村の中心部から4㎞以上離れた300人以下の集
落を「特に対策が必要な集落」と位置づけ、今年の秋までに衰退を食い止める対策をまと
めるとしています。
また、喜茂別町では「限界集落」を維持するため、町外の若者10人を募集して2年間
町に住んでもらい、地域のお祭りに参加したり除雪をしてもらったりする新しい制度を来
年度から始めるそうです。移住する若者には1人当たり年間200万円が支給され、住宅
も無償で提供されるとのことですが、その成果に期待したいと思います。
「限界集落」については、どうしても悲観的な話が多くなりがちですが、全国には集落
再生に取り組んでいる地域が少なくありません。かつて、実際に住んでいる方が4世帯に
まで減少し、後は空き家ばかりだった兵庫県篠山市の丸山地区のように、今では「限界集
落 」 か ら 脱 皮 し 、 素 晴 ら し い 憩 い の 里 と し て 再 生 し て い る 地 域 も あ り ま す の で 、「 限 界 集
落」といわれている地域においては、そうした成功例に学びながら、それぞれの地域の環
境 や 歴 史 、地 場 産 業 な ど 特 性 を 活 か し た 地 域 再 生 策 に 取 り 組 ん で い た だ き た い と 思 い ま す 。
な お 、「 限 界 集 落 」 と い う と 地 方 の 問 題 と 思 い が ち で す が 、 か つ て 首 都 圏 の ベ ッ ト タ ウ
ンや新興住宅地だったところが、今や子どもが独立して高齢者ばかりになってしまい、事
実上の「限界集落」となっているところが出てきていますので、少子高齢化が急速に進む
我 が 国 に お い て は 、「 限 界 集 落 」 の 問 題 は 、 特 定 の 地 域 の 問 題 で は な く 、 日 本 全 体 の 問 題
だといっても差し支えないでしょう。
第224号
平成24年1月13日
逃亡者
1993年に公開されたアメリカ映画「逃亡者」は、妻殺しの罪を着せられた医師が警
察に追われながらも真犯人を見つけ出すというサスペンスドラマですが、ハリソン・フォ
ード演じる医師のキンブルは、連邦保安官補のジェラードの手から逃れようと逃亡を続け
ます。それは同時に、自分に科せられた冤罪に果敢に立ち向かう一人の人間の姿を描くも
の で も あ り ま し た 。 キ ン ブ ル 医 師 は 、「 逃 亡 者 」 と い う よ り 真 実 へ の 挑 戦 者 と い え ま し ょ
う。
先 日( 昨 年 の 年 末 大 晦 日 )、目 黒 公 証 役 場 事 務 長 の 逮 捕 監 禁 致 死 事 件 の 平 田 信 容 疑 者 は 、
約17年間も逃亡を続けたあげく、自ら出頭し警視庁に逮捕されました。平田容疑者は、
その罪から逃れるためだけに「逃亡者」であり続けたのですが、その生活に終止符を打た
せたものはなんだったのでしょうか。
また、今月10日、警視庁は、平田容疑者を約17年間かくまって逃亡を手助けしたと
して、犯人蔵匿の疑いでオウム真理教の元信者斎藤明美容疑者を逮捕しました。
大 阪 か ら 斎 藤 容 疑 者 と 一 緒 に 上 京 し た 滝 本 弁 護 士 に よ る と 、「 偽 名 で 生 活 し 、 長 く 皆 さ
んをだましてきました。本当に申し訳ありません。17年ぶりに本名を名乗りました。偽
り の 人 生 は 終 わ り に し ま す 。」 と 述 べ て い る と の こ と で す 。
両容疑者は事実上の夫婦だといいますが、斎藤容疑者が偽名を使いながら一人で生活を
支え、平田容疑者は引っ越しの時以外は一歩も外に出ることなく逼塞している、そんな二
人の生活に生活感は感じられません。
平 田 信 容 疑 者 は 、 弁 護 士 ら に 「 オ ウ ム へ の 信 仰 心 は 相 当 前 に 捨 て た 」 な ど と 語 り 、「 改
心 の 末 の 出 頭 」 を 思 わ せ る 一 方 、「 自 分 は 指 示 を 受 け て 車 を 運 転 し た だ け で 、 当 初 、 拉 致
計画は知らなかった」と説明するなど、事件の「共犯者」らの話と矛盾する部分もあると
のことで、本当のところはまだ藪の中です。
また、平田容疑者は、逃亡の足取りについて「他人に迷惑がかかる」として供述を拒ん
でいるとの報道もありますが、国内逃亡については、より大掛かりな支援組織の関与の可
能性を指摘する声も出ています。
オウム真理教による凶悪な数々の事件は、日本の社会に深刻な影響を与えましたが、そ
の全容が明らかにされたとはいえないでしょう。しかも、オウム真理教関係特別手配被疑
者の中では高橋克也と菊地直子の二人が現在もまだ逃亡中であり、事件は終わっておりま
せん。
なお、1995年3月に起きた「地下鉄サリン事件」以降報道のワイドショー化が進ん
だといわれていますが、今回の二人の逮捕劇ついては、決してワイドショー化して興味本
意に見ることのないよう注意する必要があります。一部の記事で、斎藤容疑者が15年前
から勤務していた整骨院の男性患者の「美人で人当たりのいい人だった」というコメント
が紹介されていますが、報道の使命は事件の真相に迫ることであり、斎藤容疑者が美人で
あるか否かは余計なことです。こんな所にも、ワイドショー化への芽を感じないわけには
いきません。
二人が「偽りの人生を終わりにする」というのであれば、オウム真理教による一連の事
件 に つ い て 、真 実 を 語 っ て 欲 し い と 思 い ま す し 、二 人 の 進 む べ き 路 は そ れ し か な い 筈 で す 。
第225号
平成24年1月16日
歌会始
1月12日、皇居宮殿において新年恒例の「歌会始の儀」が行われました。非常に厳粛
な雰囲気の中、天皇、皇后両陛下はじめ皇族方、天皇陛下に招かれた召人や選者、更には
一般公募によって選ばれた10人の歌がそれぞれ詠み上げられていく様子は、テレビを通
してご覧になった方もいることでしょう。
「歌会」というのは、人々が集まって共通の題で歌を詠み、披露しあうもので、年の初
めに行われるのが「歌会始」と呼ばれています。
「 歌 会 」の 歴 史 は 随 分 と 古 く 、奈 良 時 代 に は 行 わ れ て い た と い わ れ て い ま す が 、「 歌 会 」
の中でも天皇が催される歌会を「歌御会」といい、年の始めの歌会として催される「歌御
会 」を「 歌 御 会 始 」と い わ れ て き ま し た 。こ の「 歌 御 会 始 」の 起 源 は は っ き り し ま せ ん が 、
鎌 倉 時 代 中 期 、 亀 山 天 皇 の 文 永 4 年 ( 1 2 6 7 年 ) の 1月 15日 に 宮 中 で 「 歌 御 会 」 が 行
われたという記録が残っているそうです。その後、宮中の伝統行事の一つとして行われて
きたものですが、明治時代には一般の国民からの詠進も認められるようになりました。そ
の後幾度かの変遷を経て、昭和22年(1947年)からは、現在のように国民からも和
歌を募集し、在野の著名な歌人に委嘱して選歌の選考がなされるようになりました。それ
にともない、お題も平易なものになったといわれています。
和歌という31文字の定型詩には、誠に不思議な力があると思います。たった31文字
という限られた空間に、一見不自由のようでありながら、というより、その不自由さの故
に、そこに人それぞれの思いを凝縮することが出来るのですから。
さて、今年のお題は「岸」でした。今年詠われた歌の中には、東日本大震災にちなむも
のが多かったように思います。
天皇陛下は、
津 波 来 (き )し 時 の 岸 辺 は 如 何 に な り し と
見下ろす海は青く静まる
皇后陛下は、
帰 り 来 る を 立 ち て 待 て る に 季 (と き )の な く
岸とふ文字を歳時記に見ず
とお詠いになりました。
両陛下は度々被災地を訪れ、被災された方々を慰め、勇気づけられましたが、両陛下の
お歌からは、被災地や被災された皆さんに対する思いの深さを感じます。
ま た 、 約 1万 9 千 首 の 中 か ら 選 ば れ た 中 に 、 福 島 県 の 沢 辺 裕 栄 子 さ ん の
巻き戻すことのできない現実が
ずつしり重き海岸通り
という歌があります。出来るものなら時計の針を大震災の前まで巻き戻したい、そう思っ
ている人は多いと思います。しかし、そうはならない現実を直視して、先へ進むしかあり
ません。
また、茨城県の寺門龍一さんは、
いわきより北へと向かう日を待ちて
常磐線は海岸を行く
と詠っていますが、一日も早く、被災地が元の元気な姿を取り戻すことが出来るよう祈る
気持ちは、国民共通の思いではないでしょうか。
「歌会始」は宮中の儀式として行われているものですが、皇室と国民を繋ぐうえでも意
義がありますし、何よりも、天皇、皇后両陛下、皇族方、一般国民の皆さんが等しく、共
通のテーマで歌を詠みあうという文化は素晴らしいものだと思います。
来年のお題は「立」です。皆さん、チャレンジしてみては如何でしょうか。
第226号
平成23年1月17日
大学入試センター試験
今年の大学入試センター試験は、14日、15日の両日にかけて行われましたが、全国
58の会場で地理歴史と公民で問題配布ミスなどのトラブルが相次ぎ、約4700人に影
響が生じたといわれています。
トラブルの中身は、大きく分けて2つあり、1つは試験官が地歴と公民の2冊を配布す
る の に 時 間 が か か る な ど し た た め 開 始 が 遅 れ 、終 了 時 間 を 繰 り 下 げ た ケ ー ス 、も う 1 つ は 、
2冊配布する必要があるのに、地歴のみを配布、その後誤りに気づいて公民を配ったケー
ス、というものですが、影響の規模では過去最悪とのことです。
原因の一端は、今回から、社会で新しく導入された新方式が末端の会場にまで周知徹底
されなかったということらしいのですが、いい訳にもなりません。
大学入試センター試験は、公平さと正確さが最優先されなければなりません。こうした
中、極めて初歩的なミスが生じたということは、運営側の責任はもとより、試験担当者の
意識にも、責任感が欠如していたのではないかと指摘せざるを得ません。
今回の事態に、タガが緩んでいるとの批判の声がありますが、全く同感です。
受験生の皆さんは、自分の一生にも関わる大きな試練と受け止め、必死に準備をして来
たのですから、試験を実施する側も、そのことを十分に意識して、トラブルが生じないよ
う最善を尽くすべきです。
人間のすることにミスは付き物です。だからこそ、そのことを前提に準備をしなければ
なりません。
大学入試センター試験のトラブルを受け、文部科学省では16日、試験を運営する大学
入試センターに対し、全容の把握と原因究明について調査するよう指示しましたが、今後
の調査次第では、影響人数がさらに拡大する可能性も懸念されています。
大学入試センターには、受験生に不利益が生じないよう十分配慮していただくと共に、
再発防止を徹底していただきたいと思います。
また、私が教育長時代、高校入試に際してミスが生じ、子ども達に申し訳なく感じたこ
とが一度ならずありますので、今回の事態は決して人ごととは思っていません。これから
始まる高校入試については、子ども達のためにも、トラブルなく円滑に実施されるよう期
待しています。
第227号
平成24年1月18日
煙が目に染みる?
「 ど ん ど 焼 き に 家 庭 ゴ ミ 。 神 社 困 る 。」 と い う 新 聞 記 事 ( 1 月 1 6 日 付 読 売 新 聞 ) が 目
に留まりました。これでは、さぞや神様も煙が目に染みて、涙目になっているのではない
かしら、と思います。
「どんど焼き」というのは、正月飾りを、その年の小正月に焼いて1年の無病息災を祈
る伝統行事です。
我が家の近くにある小さな神社でも、例年、年末になると神社の境内に小さな小屋が用
意され、そこに古いお札や神棚の飾りなどが集められ、それを15日の小正月に「どんど
焼き」として焼納されています。その小屋の入口には、プラスチックやビニールなど燃や
せない物は持ち帰るよう表示されているのですが、それが守られておらず、しかも年々酷
くなっていることが気になっておりました。
新聞記事を見ると、プラスチックのおもちゃや納豆の容器、本などの日用品、更には家
庭ゴミが3~4割も占めているとのことですから、罰当たりもここに極まるというところ
です。
「 ど ん ど 焼 き 」 に 家 庭 ゴ ミ を 持 ち 込 む 人 の 精 神 構 造 は 理 解 で き ま せ ん が 、「 自 分 さ え 良
ければ」と考えていることは間違いないでしょう。そして、こうした自己中心の独善的な
人が増えていると感じるのは私一人ではないと思います。
町内でも、分別をしないでゴミを出す、収集日でもない日にゴミを出す、などというこ
と位ではもう驚きません。
以前、交差点で信号が赤なので停止していると、前方の車のドアが突然開いたのでどう
したのかと思っていると、たばこの吸い殻をがさっと捨てるではありませんか。これには
驚きました。
朝、出勤途中の地下鉄の中で女性が化粧をする姿や地下鉄のホームで若い学生などがべ
たっと座っている姿を見るのは、随分以前から珍しくなくなりましたが、これは寝室や居
間を世間に晒すのと同じ事ではないかと思います。
書店では、万引きが後を絶たず経営上も大きな問題になっていますが、自分が欲しいと
思ったからといって黙って持ち帰れば犯罪であるという意識がない、こうなると呆れると
いうより恐ろしくなります。
昨年の東日本大震災の際、被災者の方々の整然と規律に富んだ対応は世界の人に感動を
与えましたが、一方では、こうした「公」と「私」の区別がつかない、自己本位の人間が
沢山いることもまた日本の現状です。
何故こんなことになってしまったのでしょうか。その背景には、社会や経済の構造が大
きく変化している中、格差が広がり人々の閉塞感が強まっていることや家庭における教育
力の低下など様々なことが考えられますが、戦後教育の中で、公共の精神をしっかりと教
えようとしてこなかったことにも大きな要因があるのではないでしょうか。平成18年の
教育基本法の改正において、その前文に「公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備
えた人間の育成」ということが新たに付け加えられたのは、その反省に立ってのことだと
思われます。
人は一人では生きていけません。社会という共同体の中で、多くの人と関わりながら生
活 し て い ま す の で 、子 ど も 達 に 、人 々 が 互 い に 快 適 に 暮 ら し て い く た め の 社 会 の ル ー ル( 規
範)を身に付けさせることは大変大事なことですし、自分の住んでいる地域を愛し、その
地域が少しでも良くなるように貢献したいと思い、また、そうできる人材を育てていく必
要があることも至極当然のことです。
「 公 共 の 精 神 を 尊 ぶ 」か ら と い っ て「 個 人 の 尊 厳 」が 損 な わ れ て 良 い 訳 は あ り ま せ ん が 、
同 時 に 、「 個 人 の 尊 厳 」を 強 調 す る 余 り「 公 共 の 精 神 」を 蔑 ろ に し て 良 い 筈 も あ り ま せ ん 。
要は、双方のバランスの取れた人材の養成こそ肝要だと思っています。
第228号
平成24年1月19日
処分は重すぎる?
1月16日、国旗・国歌を巡る問題で最高裁判決が出されました。
この裁判は、君が代の起立斉唱命令に従わなかった教師に対して行った東京都教育委員
会 の 戒 告 や 減 給 、停 職 処 分 に つ い て 、被 処 分 者 が そ の 取 り 消 し を 求 め 争 っ て い た も の で す 。
判決は、戒告処分については「裁量の範囲内」として教師側の主張を退けていますが、
「減給以上の重い処分を行う場合は慎重な考慮が必要」として、停職2人の内1人、減給
1人の処分を取り消しました。
今回の判決に対して、報道では「今後、都教委は戒告より重い処分は出せない。信条を
通 す 教 師 が 増 え る と 思 う 。」 と い う 現 役 教 師 の 発 言 を 掲 載 し て い ま す が 、 原 告 側 と し て は
処分の取り消しが一部に止まったことから複雑な心境ではないかと思われます。
戒告処分は減給や停職と比べると経済的損失は少ないとはいえ、それでも生涯給与に大
き な 影 響 を 与 え る こ と に な り ま す か ら 、 前 段 の 現 役 教 師 が い う よ う に 、「 国 歌 斉 唱 の 際 起
立 し な い 教 員 が 今 後 増 え る だ ろ う 」 と は 単 純 に は 思 え ま せ ん が 、 し か し 、「 戒 告 で 済 む の
なら」と考える教師が出てくる可能性は否定できません。
今 回 の 最 高 裁 判 決 は 、「 職 務 命 令 は 教 諭 の 歴 史 観 を 否 定 せ ず 、 特 定 の 思 想 の 有 無 の 告 白
も強制していない。地方公務員は職務命令に従うべき立場だ」という2007年2月の最
高裁判決の流れをくんでおり、学校の規律や秩序保持の見地から重きに失しない範囲で懲
戒処分することは裁量の範囲内であるとして、戒告処分は容認されています。
なお、過去に戒告処分を受けた教師が再び同じ事由で処分を受ける事となった場合、そ
の量定は加重されてより重くなるのは当たり前だと思いますが、今回の判決で、減給以上
の処分をするには慎重な考慮が必要であるとされましたので、東京都教育委員会における
今後の対応が注目されるところです。
今回の判決では、桜井裁判官が補足意見を、宮川裁判官が反対意見をそれぞれ述べてお
られます。
桜井裁判官の補足意見では「不起立行為は行為者の歴史観に起因してやむを得ず行うも
ので、式の妨害が目的ではない。教育活動、秩序維持に大きく影響している事実は認めら
れ な い 。」 と し て い ま す 。
また、宮川裁判官の反対意見では「教員は式典で教育の一環として国旗掲揚、国歌斉唱
がされる場合、妨害することは許されない。しかし、生徒に直接教える場を離れた場面で
は、自らの思想・良心の核心に反する行為を求められることはない。不起立行為は信念に
起 因 す る も の で 、 い わ ゆ る 非 行 ・ 違 反 行 為 と は 次 元 を 異 に す る 。( 中 略 ) 不 起 立 行 為 に は
注 意 や 訓 告 が 適 切 で 、 戒 告 で あ っ て も 懲 戒 処 分 は 重 き に 過 ぎ る 。」 と し て い ま す 。
このお二人の意見をご覧になって、どのような感想を持たれるでしょうか。
「式の妨害が目的ではない」といいますが、式典が成り立たなくなる程の妨害行為では
なくとも、不起立行為は、厳粛であるべき式典を阻害する行為であることに違いはありま
せん。そして何より、教育は教室の中だけに限られるものではなく、卒業式や入学式を含
め学校として行うものはすべからく教育実践であることを忘れてはなりません。
特 に 、「 信 念 に 起 因 す る 行 為 は 、 い わ ゆ る 非 行 ・ 違 反 行 為 と は 次 元 を 異 に す る 」 と い っ
てしまっては、一体如何なるものが非行・違反行為となるのでしょうか。しかも、そうし
た行為について「戒告でも重きに過ぎる」というのでは、学校の秩序を維持することは難
しくなるといわざるを得ません。いずれにせよ、国旗・国歌を巡る不毛の混乱をこれ以上
続ける愚は避けるべきであり、そのためにも、教師の皆さんは、学習指導要領に基づき適
切に対応していただくことを望んでいます。
第229号
平成24年1月20日
初釜
初釜というのは、新年最初に行なうお茶会で、新年をお祝いすると共に、今年一年の稽
古始の儀式でもあります。
もっとも、集まるのはお師匠さんと稽古仲間ですから、厳粛の内にも和気藹々としたも
のです。
教場では、床の間の掛け軸、お釜や水指し、茶碗なども初春に相応しいしつらえがされ
ています。そしてこの日は、お師匠さんが自らお茶を点てて我々弟子どもに振る舞ってく
れ る の で す が 、普 段 は 、お 弟 子 さ ん の お 手 前 を 厳 し く 指 導 す る 姿 し か 見 て お り ま せ ん の で 、
お 師 匠 さ ん の お 手 前 を 直 に 拝 見 で き る と い う の も 、初 釜 の 楽 し み の 一 つ と い え る で し ょ う 。
忙しさに取り紛れて日々を送っていると季節の移ろいにも鈍感になってしまいがちです
が、初釜を始め、折々の季節ごとに茶会などの行事が重ねられるというのは、ちょっと立
ち止まって周りを見る機会ともなっています。
私 は 、 お 茶 を 習 い 始 め て 5 年 程 に な り ま す が 、 週 1回 の お 稽 古 の 時 間 は 、 日 常 の 喧 噪 か
ら解放される貴重なものとなっています。
お茶は、ともすれば「堅苦しい」とか「形式的」という印象を持たれている方も多いと
思 わ れ ま す 。 確 か に そ う し た 面 が な い わ け で は あ り ま せ ん が 、 私 は 、「 形 」 を 学 び 身 に 付
けていくことそのものに、大きな意味があると思っています。
お茶の場合には、例えば亭主役の人であれば、ご挨拶をして入室し、釜の前に座り茶を
点て、おしまいのご挨拶をして退室するまで、全ての所作には決まり事があります。
初めの頃は、何故そうするのか理屈で覚えようとしましたが、そうすると手が疎かにな
り、なかなか思うようにいきません。しかし形が身に付くようになると、逆に何故そうす
るのかも分かるようになるもので、稽古を通じて、形をしっかり身に付ける事の大事さを
痛感しているところです。
お茶の所作は、永年にわたって受け継がれ伝えられてきたものですが、その過程で無駄
なところが省かれ、研ぎ澄まされて今の形になっています。ですから、お師匠さんのお手
前などを拝見すると、実に無駄がなく、流れるようで、美しくさえ感じられますが、それ
が伝統の力というものでしょう。
お茶やお花などの伝統文化、柔道や剣道などの武道には、それぞれに「形」というもの
があり、その「形」を支えているものは「礼に始まり、礼に終わる」といわれるような高
い精神性です。
各学校では、伝統文化や武道を授業の中に取り入れるよう工夫されつつありますが、中
に は 、形 だ け 教 え て も 、付 け 焼 き 刃 で 効 果 が あ る の か 、と 考 え る 方 も い る か も 知 れ ま せ ん 。
しかし、先程も述べたように、伝統文化や武道として伝えられてきた「形」には、先人の
知恵と精神が凝縮されていますので、その「形」に触れ、学ぶこと自体にも大きな意味が
あると思っています。
最近は、挨拶がきちんと出来ない子がいると聞きますが、例えば、子ども達が登校した
時に、先生や仲間に対して一度立ち止まって頭を下げ「お早うございます」と挨拶する、
というようなことも、それを理屈で教えるより、まず、そうさせることが大事だと思いま
す。それを続けていくうちに、自分が挨拶すると場の空気が柔らかくなる、自分も相手か
ら挨拶されると嬉しいと感じる、挨拶するって大事なことなんだと分かってくる、このよ
うに「形」から理解し、学ぶことは多い筈です。
も っ と も 、 私 の よ う な 年 齢 に な る と 、「 形 」 を 覚 え る こ と 自 体 が 大 変 で 、 先 週 指 摘 さ れ
たのにまた同じ間違いをしてしまう、ということがしばしばです。
師 範 塾 の 宣 言 に も あ る よ う に 「 道 と は 、 果 て し な い も の で あ る 。」 と い う こ と を 実 感 し
て い ま す 。 そ し て 、「 終 わ り の な い 道 だ か ら こ そ 、 新 た な 気 持 ち で 一 歩 踏 み 出 そ う 」 し び
れた足をさすりながら、そんな思いにいたった初釜でした。
第230号
平成24年1月23日
悪いうさぎ
「悪いうさぎ」は、若竹七海さんの小説の題名です。
物語を紹介しますと、葉村晶という独身の女探偵が主人公です。彼女は、行方不明の女
子高校生捜しを依頼され調査を進めていくと、他にも姿を隠した少女がいることが分かり
ます。この少女達がどこに消えたのか真相を探る内に、少女達にうさぎの格好をさせ、そ
のうさぎ達を狩猟するという殺人ゲームに捲き込まれていきます。主人公もうさぎの格好
をさせられ危うく殺されそうになるという、かなりハードボイルドなサスペンスというと
ころでしょうか。
実 は 、 私 が こ の 本 を 手 に し た 動 機 は 、 本 の 題 名 に あ り ま す 。「 う さ ぎ 」 と い う の は 、 大
体 が 可 愛 い も の と い う 印 象 し か 持 っ て い ま せ ん で し た か ら 、「 悪 い う さ ぎ 」 と い う 表 現 に
興味が湧いたのです。
小説の中で、こういう場面が出てきます。
主人公と依頼人のミチルという女子高校生が武州郷土公園に行くと、びっくりするほど
大きな「白いうさぎ」が、狭い檻に入れられてふて腐れています。
公園管理の年配の男が、野菜くずを檻の中の「うさぎ」の鼻先につき出すと、その「う
さぎ」は、おっくうそうに臭いをかぎ、ぶすっとして、キャベツの芯をかじります。その
様子を見ていた二人は、年配の男に「おじさん、ねえ、そのうさぎ、どうして檻に入れて
るの」と聞くと、男は、まじめくさって「ああ、こいつはね、悪いうさぎなんだよ」と答
えます。
主人公は、いわれてみればなるほど如何にも悪そうな顔をしている。きっと、牝うさぎ
を 端 か ら 襲 っ て は 、 ぼ こ ぼ こ と 子 を 生 ま せ て い る の だ ろ う 、 と 想 像 し 、「 ど ん な 悪 い こ と
を し た の さ 」 と 聞 き ま す 。 す る と 男 は 「 足 が 悪 い ん だ よ 」。 も う 二 人 は 、 脱 力 し 沈 黙 す る
しかありません。
この場面を読んで感じたことは、こういう勘違いやすれ違いは、我々の日常生活の中に
幾らでもあるだろうということです。
その原因は、私たちは、ものを考えるとき、予め与えられた条件に左右されやすいとい
うことにあります。
主人公の勘違いがどこで起こったか、皆さんは良くお分かりのことと思います。
まず「白いうさぎ」という言葉から来るイメージがあります。これは、白い毛がふさふ
さしていて、赤い目が可愛い、多分そんなポジティブな印象を持たれる方が多いと思いま
す。その可愛い「うさぎ」が「檻に入れられ、ふて腐れれている」というのですから、こ
れは何か相当のことがあるのかなと思いますよね。
そ こ で「 こ の う さ ぎ は 悪 い う さ ぎ 」だ と い わ れ る と 、主 人 公 で な く て も 、こ の「 う さ ぎ 」
はかなりのワルなんだ、だから隔離されているんだ、と納得してしまいます。
しかし、もし最初にこの「うさぎ」は足が悪いので、仕方なく檻に入れているという情
報を与えられたとしたらどうでしょう。足が悪いので、他の動物から虐められないよう守
るために檻に入れているのかな、とか、ふて腐れて見えたのも、身体が不自由で、落ち込
ん で い る の か な 、 と い う よ う に 感 じ 取 っ た か も 知 れ ま せ ん 。 少 な く と も 、「 牝 う さ ぎ を 端
から襲っては、ぼこぼこと子を生ませているのだろう」とは思わないに違いありません。
私たちは、与えられた情報から色々なことを分析し、判断していきますから、その情報
が間違っていたり、偏っていれば、私たちの判断自体も間違ったり偏ったりしてしまいま
す。どんな情報の下でも、正しく判断し、行動できる人は、ほとんどいないのではないか
とさえ思います。
とすれば、私たちは、一つの情報だけに頼らないこと、与えられた情報に対しても無条
件で受け入れないという慎重さが求められます。そのためにも、ウイングを広げ、幅広い
角度からものを見、考えていくことが必要でしょう。
少 な く と も 初 め か ら 、「 こ れ し か な い 」、「 こ れ が 絶 対 正 し い 」 な ど と 、 鎧 を 着 て も の を
考えることだけは避けるべきです。
第231号
平成24年1月24日
カレーライスの日?
何 の 気 な し に テ レ ビ を 見 て い ま す と 、「 1 月 2 2 日 は 、 カ レ ー ラ イ ス の 日 」 と い う C M
が 流 れ て き ま し た 。「 カ レ ー ラ イ ス の 日 」 な ん て い う の は 聞 い た こ と が な い の で 、 早 速 調
べてみました。何故この日が「カレーライスの日」なのかというと、1982年(昭和5
7年)に開かれた全国学校栄養士協議会で1月22日の給食は全国一斉にカレーにするこ
とが決められたことによるのだそうです。全国の子ども達が、学校で一斉にカレーを食べ
て い る 図 は 、 何 と も 異 様 な 感 じ が し ま す が 、 実 際 、 現 場 で は か な り 異 論 が あ り 、「 カ レ ー
ライスの日」というのはその年だけのことだったようです。そのCMを見ながら、自分の
給食体験を思い出しました。当時の給食は、初めは脱脂粉乳、しばらくして豆の入ったパ
ンが付くようになりましたが、いずれにせよ美味しかったという記憶はありません。
それに比べると、今の子ども達は羨ましいですね。私は教育長時代、小学校や中学校を
訪問した際、子ども達と給食を一緒にいただく機会がありましたが、いずれの給食も、味
といい彩りといい、非常に工夫されていて質が高いと感じています。
我が国における学校給食は戦後にスタートしたものかと思っていましたが、調べてみま
すと、明治22年に初めて実施されていることを知り、不明を恥じると共に、大変驚いて
います。
戦争により中断されていた学校給食ですが、戦後、食糧難の中で児童の栄養状態が非常
に悪化し、学校給食実施の必要性が叫ばれていました。こうした中、アメリカの民間援助
団体ララから給食用物資寄贈の申し出があり、これを受けた政府では、昭和21年12月
「学校給食実施の普及奨励について」という文部、厚生、農林3省次官通達を発出し、こ
れによって、昭和22年1月から学校給食が再開されることになりました。この政府の方
針を受け、昭和21年12月24日、東京、神奈川、千葉の1都2県では試験的に学校給
食が実施され、児童約25万人に対して給食が提供され、以来今日に至っています。
北海道でも、逐次学校給食が実施されてきており、今では、完全給食を実施している学
校 は 小 学 校 で 97.4% ( 児 童 数 の 9 9 % )、 中 学 校 で 96.0% ( 生 徒 数 の 98.9% ) と な っ て
います。この他、補完給食やミルク給食を加えますと、児童生徒に対する実施率は100
%となっています。
学 校 給 食 法 で は 、 学 校 給 食 の 目 的 と し て 、「 日 常 生 活 に お け る 食 事 に つ い て 、 正 し い 理
解 と 望 ま し い 習 慣 を 養 う こ と 。」、「 学 校 生 活 を 豊 か に し 、 明 る い 社 交 性 及 び 共 同 の 精 神 を
養 う こ と 。」、「 食 糧 の 生 産 、 配 分 及 び 消 費 に つ い て 、 正 し い 理 解 に 導 く こ と 。」 な ど が う
たわれています。
学校給食を巡っては、食物アレルギーを持つ子が増えてきていることや給食費の未納問
題など様々な課題がありますが、学校給食は、単に昼食を取るということに止まらず、食
育 の 中 心 的 な 役 割 を 担 う も の と し て 、ま す ま す そ の 重 要 性 は 増 し て い る と い え る で し ょ う 。
また、今日、朝食を取らずに登校する子や保護者の経済事情から十分な食事を与えられ
ていない子が存在しており、学校給食が、子ども達にバランスの取れた食事を提供するた
めの最後の砦という側面があることも、残念ながら否定できません。
「 食 」は 、人 間 が 生 活 し て い く 上 で 最 も 重 要 な も の で す が 、飽 食 の 時 代 に 生 き て い る と 、
そのことへの意識が希薄になっていやしないか気に掛かります。
1月24日から同月30日までの1週間は「学校給食週間」です。各学校や地域では、
学校給食の意義や役割などについて理解を深めるための様々な取り組みが行われていま
す 。 子 ど も 達 だ け で は な く 、 全 て の 日 本 人 が 、 改 め て こ の 機 会 に 、「 食 」 に つ い て 考 え て
みては如何でしょうか。
第232号
平成23年1月25日
繰り返される孤独死
札幌市内でまたもや孤独死が発生し、やりきれない気持ちでいっぱいです。
今回の孤独死は、去る20日、札幌市白石区内のマンションの一室で女性2人が死んで
いるのを、道警の白石署員が発見し明るみに出ました。
二人の女性は、42歳の姉と40歳の妹の二人で、妹には知的障がいがあり、姉が妹の
面倒を見ながら生活していたと思われます。二人の遺体には目立った外傷はなく、姉が先
に急死した後、残された妹は食事も取れないまま、餓死同然に凍死したと見られ、死後1
ヵ月程度経過しているとのことです。姉妹は両親と死別し、2人で暮らしており、親戚と
も5年近く連絡を取っておらず、社会との繋がりを断ってひっそりと生活していたようで
す。2人の生活の支えが妹の障害者年金だったとすれば、その生活は相当困窮していたと
思われます。
管理会社では、昨年の12月中旬から姉妹と連絡が取れなくなり、警察に届け出たとの
こ と で す が 、そ こ に 至 る ま で の 間 に 、2 人 の 孤 独 死 を 防 ぐ 手 だ て は な か っ た の で し ょ う か 。
マンションでは、隣にどのような人が住んでいるのか、どのような生活をしているのか
ほとんど分からないというのが普通でしょう。ですから、マンションの住人に、何故気が
つかなかったのかと批判することはできません。むしろ、我々自身が、そうした人間関係
の希薄な社会にいるということを自覚する必要があります。
今回の場合、昨年11月末からガスが止められていたとのことですから、この厳冬期、
室内といえども氷点下となっていたと思われます。ガス代を払っていないから止めるとい
うことは、そのことだけ捉えれば間違ってはいません。しかし、厳冬期にガスを止めれば
どういう事になるかという想像力は働かなかったのでしょうか。
私は、ガス会社を批判するつもりでこの一文を書いているのではありません。ただ、電
気・ガス・水道は、私たちの生活を支えるセーフティネットである以上、料金が未納なら
止めると機械的に処理する前に、ショックアブソーバーのような対応も必要なのではない
かと考えています。これは、ガス会社だけではありません。マンションの管理会社も、家
賃の滞納が続けば、督促もするでしょうし、その際、その暮らしぶりについてもう少し関
心を持つべきでしょう。普通は、生活に困っているから家賃を滞納するのでしょうから、
行政との橋渡しをするなどの配慮も必要だったと思います。会社側に、そこまでする責任
がないことは当然です。しかし、昔は「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」
という言葉があったことを思い出し、残念な気がします。
ま た 、行 政 の 目 配 り も 十 分 だ っ た と は 思 え ま せ ん 。窓 口 に 3 回 も 相 談 に 行 っ て い る の に 、
何 故 支 援 に 結 び 付 か な か っ た の で し ょ う か 。「 生 活 保 護 の 申 請 を す れ ば 良 か っ た の に 」 と
いう声も聞こえてきそうですが、世の中には、生活保護を当然の権利とばかりに声高に請
求する人ばかりではありません。生活保護を受けることは良くないと思いこんでいる人も
いますし、生活保護を受けることに思い至らない人もいるのです。行政として、もう一歩
踏 み 込 む 姿 勢 が 必 要 な の で あ り 、「 申 請 が な か っ た か ら 支 援 し な か っ た 」 と い う こ と で は
済ますことができません。特に今回の場合、知的障がいのある妹に対して障害者年金を支
給していたのですから、障害者年金の受給者の生活についてもう少し関心を持っても良か
ったと思います。ガス会社や行政のみならず関係機関は、それぞれ必要な手続きを遺漏な
く進めておられたのだと思いますが、それでも孤独死を防ぐことができませんでした。こ
れが、豊かな日本の現実です。居間のテーブルには、約4万3000円という現金が置か
れていたといいます。しかし、結局のところ、その現金が妹を救うことには繋がらなかっ
た、という重い現実だけが残ってしまいました。
第233号
平成24年1月26日
カラスの知恵
カラスというのは、とかく評判が良くありません。カラスに責任があるわけではありま
せんが、真っ黒な身体で、ワーワー鳴いている姿は、とても可愛いとは思えません。
「烏合の衆」という言葉があるように、カラスは規律も統制もなく、ただより集まって
騒ぐだけの存在と思われているようです。でも、電線の上に何羽も留まって鳴いているカ
ラスを見ていると、ただ集まって騒いでいるというより、むしろ集団としての統制が取れ
ているのではないかと感じる時があります。
また、最近は、我が家の庭先にも飛んできて、図々しくも小鳥用の餌台を覗き見ていま
す。これでは小鳥たちが可哀想だというわけで、カラスを追い払おうとするのですが、カ
ラスの方は我関せずという態度で誠に憎たらしい限りです。とはいえ、後で仕返しされた
らいやですので、余りに厳しく追い立てたりもできません。
カラスを見ていて、どうしても好きになれないのは、身体が大きいとか、鳴き声が可愛
くないということよりも、ゴミ箱を漁ったりと人間にとっては誠に迷惑なことをするだけ
でなく、頭が良くて、我々の方が知恵比べをされているようで腹立たしい、ということも
あるのではないかと思っています。
このように、私にとっては気に食わぬカラスですが、世の中には、そんなカラスの生態
を一生懸命に研究している方がいらっしゃいます。昨年の暮れ頃から、そんな研究者の方
々の研究成果が幾つか報道され、私も、カラスの見方を変えなければいけないなと感じて
いるところです。
昨年の10月、宇都宮大学農学部の杉田昭栄教授のグループが、餌を使った実験で「カ
ラ ス は 数 の 大 小 を 認 識 で き る 」と い う こ と を 解 明 し た と の 報 道 が あ り ま し た 。数 に つ い て 、
人間と同じような思考を持っている可能性があるということですから驚きです。
ま た 、 昨 年 の 1 1 月 に は 、 ド イ ツ の マ ッ ク ス ・ プ ラ ン ク 鳥 類 研 究 所 な ど が 、「 カ ラ ス は
身振りで会話している」ことを突き止めたとの報道がありました。
カラスは、物を見せたり差し出したりする身振りを通して仲間の注意を惹きつけたり、
嘴にくわえた小枝や小石を突き出したり傾けたりして仲間に見せる仕草をすると多くの場
合仲間は近寄ったり、一緒に物を扱ったりするなど友好的な反応を示したといいます。カ
ラ ス も 、ち ゃ ん と 仲 間 と の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 取 り な が ら 生 活 し て い る と い う こ と で す 。
更 に 、 昨 年 の 1 2 月 に は 、 前 述 の 宇 都 宮 大 学 農 学 部 の 杉 田 教 授 の グ ル ー プ が 、「 カ ラ ス
は少なくとも1年間は色を記憶できる」ことを突き止めたとの報道がありました。
杉 田 教 授 は 、「 色 彩 を 1 年 間 覚 え て い る の は 人 間 で も な か な か 難 し い こ と で 、 記 憶 の 一
側面では人間より優れている可能性がある」としています。これではとても、カラスを馬
鹿にはできません。
そ し て 今 年 の 1 月 に は 、 慶 応 大 学 の 研 究 チ ー ム が 、「 カ ラ ス は 、 鳴 き 声 や 姿 で 仲 間 を 認
識しており、相手の姿からそのカラスがどんな鳴き声か予測しているらしい」という報道
が あ り ま し た 。「 顔 か た ち 」 と 「 鳴 き 声 」 を 関 連 さ せ て 記 憶 す る だ け で な く 、「 顔 か た ち 」
から「鳴き声」を予測するというのは、カラスにも想像力があるということで、これは凄
いことだと思います。
こうしてみると、今まで、カラスをつかまえて烏合の衆などといってきたのは、誠に失
礼なことでした。
カラスには、まだまだ未知の能力を秘めている可能性があり、今後の研究の成果が楽し
みではありますが、最近、カラスの表情(?)を見ると妙に自信ありげに見え、どうもこ
ちらの方が値踏みされているように感じるのは、単なる私の気のせいでしょうか。
第234号
平成24年1月27日
C世代
日 本 経 済 新 聞 は 、「 C 世 代 ( ジ ェ ネ レ ー シ ョ ン C )」 を 取 り 上 げ 、 特 集 し て き ま し た 。
こ の 「 C 世 代 」 に つ い て 、 D D B シ ド ニ ー の プ ラ ン ニ ン グ デ ィ レ ク タ ー Pankraz氏 は
「Y世代(1975年以降に生まれた、ベビーブーマーの子ども世代)やZ世代(198
5年以降に生まれた、新人類世代の子ども達)とは異なり、ソーシャルメディアが生んだ
ティーンから20代の集団グループ」と定義しています。
ま た 、 日 本 経 済 新 聞 は 「 C 世 代 」 に つ い て 、「 コ ン ピ ュ ー タ ー ( Computer) を 傍 ら に
育 ち 、 ネ ッ ト で 知 人 と つ な が り ( Connected)、 コ ミ ュ ニ テ ィ ( Community) を 重 視 す
る 。 変 化 ( Change) を 厭 わ ず 、 自 分 流 を 編 み 出 す ( Create)。」 と い う 特 質 を 挙 げ て い
ます。戦後の経済発展を経てバブル経済の崩壊を経験してきた、私たちのような世代とは
随 分 と 異 な る 価 値 観 や 行 動 原 理 を 持 っ て い る と 感 じ ま す が 、し か し 、こ の「 C 世 代 」こ そ 、
将来の日本を背負っていくことは、間違いないようです。
な お 、 Pankraz氏 は 「 C 世 代 」 を 「 テ ィ ー ン か ら 2 0 代 の 集 団 グ ル ー プ 」 と 定 義 し て
い ま す が 、「 ソ ー シ ャ ル メ デ ィ ア と 共 に 生 活 す る グ ル ー プ 」 と い う 視 点 で 見 れ ば 、 必 ず し
も年齢にこだわる必要はないでしょう。
現状は、生まれながらにインターネットの世界に囲まれて生活している若い世代(デジ
タルネイティブ)が中心の「C世代」ではありますが、スマートホンの爆発的普及(私は
乗 り 遅 れ て い ま す が )、 twitterや Facebookの 流 行 に 見 る よ う に 、 ソ ー シ ャ ル メ デ ィ ア を
使いこなしているのは、若い年齢層の方々ばかりではありません。
ソーシャルメディアというのは、ユーザーが互いに情報を発信し、形成していくメディ
アのことをいうとされていますが、ウェブサービスを経由して発信される個人や組織の情
報は、短時間の内に実社会に広く拡散され、影響力を持ち始めます。アラブの春はまさに
その典型といえましょう。
私のような世代が経験してきたコミュニティと「C世代」の持つコミュニティの広がり
は 格 段 に 違 い ま す 。「 C 世 代 」 の 人 々 は 、 既 存 の コ ミ ュ ニ テ ィ の 枠 を 超 え 、 様 々 な 階 層 、
外 国 を 含 め た 様 々 な 地 域 、そ し て 様 々 な 人 々 と 繋 が り 、新 た な パ ワ ー を 生 み 出 し て い ま す 。
私は、今、ソーシャルメディアを媒介とするダイナミックな変化の時代にいると実感し
ています。そして、その変化の時代を構成する一員で在り続けたいという、大それた思い
を 抱 い て い ま す 。「 無 駄 な こ と を ! 」と 思 わ れ る 方 も い る か も 知 れ ま せ ん が 、Change( 変
化)を恐れさえしなければ不可能なことではないだろうと、密かに信じています。
第235号
平成24年1月30日
命の重さ
先日、STVの放送で、引退した盲導犬たちに最後まで付き添う人びとの活動の様子が
映し出されました。ユーザーから盲導犬協会を通してパピーウォーカーのもとに引取られ
た 盲 導 犬 が 、1 0 年 間 も 離 れ 離 れ に な っ て い た の に そ の 家 族 の こ と を ち ゃ ん と 覚 え て い て 、
喜びを体全体で表す様子に、通い合う情の深さを感じます。
パピーウォーカーというのは、盲導犬候補の子犬を約10ヵ月間、家族の一員として迎
え入れ、共に生活していくボランティアのことをいいます。
子犬たちはパピーウォーカーと暮らす中で人間と生活する喜びを経験すると共に、社会
や家庭の中で暮らすためのルールを学んでゆきます。やがて子犬たちは、専門的な訓練を
経て、目の不自由な方の良きパートナーとして活躍することになります。
盲導犬の寿命は12、3年といわれていますので、一定の年齢になると、盲導犬として
は働けなくなり引退することになります。引退後は、里親に引取られて余生を送ることに
な り ま す が 、そ れ ま で の 間 、札 幌 市 に あ る 北 海 道 盲 導 犬 協 会 で は「 老 犬 ホ ー ム 」を 開 設 し 、
そこで年老いた盲導犬の世話をしています。世話をするのは盲導犬協会の方を中心とする
ボランティアの皆さんですが、こうした多くの人々の無償の愛によって、盲導犬の活動が
支えられているのだと改めて強く感じます。人間を支えるために生きてきた盲導犬ですか
ら、年老いて引退したら今度は人間が支え最後を見取る、というのは至極当然のことと思
っていましたが、先日、河崎秋子さんのエッセイ「ある羊飼いと彼の犬(1月11日付道
新 )」 を 読 ん で 、 い さ さ か シ ョ ッ ク を 受 け ま し た 。
そのエッセイでは、河崎さんがニュージーランドにいた時のことが書かれています。
皆さんもご存じの通り、ニュージーランドといえば羊を思い浮かべるぐらい沢山の羊が
飼われています。その数は3千数百万頭とも言われており、どこの牧場でも良く訓練され
た牧羊犬が、羊の群れの誘導や見張りなどの作業に従事しています。勿論、どんなに元気
な牧羊犬も、いずれ年老いて仕事ができなくなる日が来ます。その時は、先程の盲導犬の
ように他に引取られて幸せな老後を歩む牧羊犬もいるそうですが、少なくない数が主人に
よって処分(射殺)されているらしいのです。
人によっては、自分の犬に引導を渡すことが忍びなく知己の羊飼いに頼むこともあると
のことですが、その気持ちは良く分かります。
河崎さんがニュージーランドで羊飼いを習った農家の主人の場合は、自分で愛犬を銃で
撃って殺したそうですが、彼女はエッセイの中で「普段は気さくな彼が、急に年齢以上に
影を負った老人のように見えた」と書いています。
引退した牧羊犬を長期間飼養することが農家にとって大きな負担であるとしても、人間
と行動を共にしてきた愛犬を、働けなくなったからといって殺すという感覚は正直理解し
かねます。ただ、彼らを単純に野蛮だと非難することは避けるべきでしょう。河崎さんも
いうように「畜産という産業を数千年続けてきた彼らには彼らなりの道理や条理がある。
牧羊犬の件に限らず、彼らの農業に関するあらゆる考えはことごとく先鋭化され、その徹
底した合理主義こそが、国民数が北海道の総人口にも満たない、欧州から遠く離れたこの
島国の国際競争力を高域に押し上げている」ということもまた現実だと思うからです。
愛犬に銃を向ける牧場主の心中を推し測ることはできませんが、現象面だけを見て議論
することの危うさを垣間見る思いです。
一方、日本では、ペットを虐待して殺してしまったり、育てるのが面倒になって捨てて
しまうという、飼い主のモラルの欠如が大きな社会問題となっています。牧羊犬の悲劇を
あげつらう前に、こうした飼い主達の無責任こそ、もっと厳しく問われるべきでしょう。
第236号
平成24年1月31日
倭は国のまほろば
倭は国のまほろば
青垣
たたなづく
山隠れる
倭し美し
「大和は国の中でも最も優れた国である。畳み重ねたようにくっついた、国の周囲を廻
る 、 青 々 と し た 垣 の よ う な 山 々 の 内 に 籠 も っ て い る 。 大 和 は 美 し い 。( 竹 田 恒 泰 著 「 現 代
語 古 事 記 」 か ら )」
この歌は、倭建命が詠んだ望郷の歌であり、古事記に残されているものです。
この古事記は、編纂に当った太安万侶が、時の女帝・元明天皇に謹んで献上したのが和
銅5年(712年)正月28日とされていますから、今年は、古事記が成立して丁度13
00年という記念の年に当たります。
ほぼ同じ時期に編纂された日本書紀の成立が養老4年(720年)ですから、文字通り
我が国最古の歴史書ということになります。
既 に 、古 事 記 1 3 0 0 年 を 記 念 し て 、雑 誌 な ど で も 特 集 が 組 ま れ た り し て お り ま す の で 、
今年は古事記への関心が高まることが期待されます。
古事記や日本書紀については、戦後、神話であり史実ではない、科学的ではないといっ
た理由によって、我が国の歴史教育から遠ざけられてきました。いい方を変えれば、記紀
に対して不当な扱いをしてきたともいえます。
しかし、古事記の編纂は、その序にもあるように、天武天皇の「諸家に伝わる帝紀(天
皇の事績を記したもの)と本辞(旧辞、神話などの伝承)はすでに真実と異なっていて、
多くの偽りを加えているという。今この時にその誤りを改めなければ、幾年も経たずして
その趣旨は滅んでしまうであろう。帝紀と旧辞は、すなわち国家組織の原理であり、天皇
の統治の基礎となるものである。ゆえに、帝紀と旧辞を調べ直して、偽りを削り、真実を
定 め て 撰 録 し 、 後 の 世 に 伝 え よ う ( 前 述 「 現 代 語 訳 古 事 記 」 か ら )」 と い う 崇 高 な 志 の も
とに、国家的プロジェクトとして取り組まれたものです。
古事記の全体は上中下の3巻からなっており、上巻は神の代の物語、中巻は初代神武天
皇から15代応神天皇までの歴史物語、下巻は16代仁徳天皇から33代推古天皇までの
歴史物語を収めています。
冒頭紹介した倭建命の望郷の歌は、中巻景行天皇に関わる歴史の中で、東奔西走して国
づくりに奔走し、遂には東国遠征先で病に倒れ、故郷を偲びながら詠った歌として描かれ
ているものです。
竹田恒泰氏らの研究によると、全30巻にも及ぶ日本書紀は正史として対外的に用いら
れたのに対して、古事記は国内向けに用いられたと考えられていますが、単に土地に伝わ
る伝記や伝承をまとめたものではなく、強大な中国の脅威に晒されてきた日本が、国史を
編纂して神々から代々の天皇に至る系譜を示し、国の成り立ちを明らかにすることによっ
て、国としてのアイデンティティを確立する狙いがあったのではないかと思われます。
古事記に残されている記録は、神話や芸能などの日本文化に大きな影響を与えているば
かりでなく、古事記に登場する沢山の神々の中には、今でも各地の神社に祭られているも
のがあり、日本人の宗教観や精神に対して大きな影響を与えてきました。その意味で、古
事記は、日本と日本人を知る上で貴重な記録であるといえましょう。
ただ、古事記には夥しい数の神様の名前と人名が登場し、それを見ているだけで大抵の
人は挫折感を味わう事になりますので、なかなか手が出ないというのも仕方ありません。
そこで、慶応大学の竹田恒泰先生に、古事記を楽しく読む方法を伝授して頂いたところ、
それは神様と人の名が出てきたら「直ぐに忘れること」なのだそうです。
古事記は、物語が難しいといよりも、神様の名前や人名が難しいというのが第一印象で
すから、神様の名前を読み飛ばして良いということになると、少しは気楽にチャレンジで
きそうですね。
本屋さんには、現代語に訳された何種類もの古事記が沢山出版されていますので、是非
一度、ご覧いただければと思います。
第237号
平成24年2月1日
選挙権年齢
政府は、現在「20歳以上」となっている現在の選挙権年齢を「18歳以上」へ引き下
げる検討作業を2月にも始めるとのことです。
選挙権の年齢要件についての議論は以前からありました。しかし、選挙権の年齢を20
歳から18歳に引き下げるためには憲法改正が必要であることもあり、議論はほとんど進
んでいません。こうした中、政府として、ようやく本腰を入れて検討することになったよ
うです。
実は、憲法改正の手続きを進めるための国民投票法は平成19年に成立しており、その
附則において、公職選挙法や民法など他の法律との整合性を取る必要があり、必要な措置
は平成22年5月の国民投票法施行までに完了させると規定されています。しかし、先程
も述べたように、政府における検討は、ほとんどなされていません。
「成人年齢」を引き下げるということは、若い世代の社会参加を促す上で効果が期待さ
れますし、何よりも、政治の目をもっと若い世代に向けさせるためにも、10代の政治へ
の参加は意味があると思います。
と は い え 、選 挙 年 齢 を 2 0 歳 か ら 1 8 歳 に 引 き 下 げ る と い う こ と は 民 法 上 の「 成 人 年 齢 」
を引き下げることになりますので、事はそう簡単ではありません。
成 人 年 齢 が 1 8 歳 に 引 き 下 げ ら れ る と 、「 未 成 年 者 飲 酒 禁 止 法 」 や 「 未 成 年 者 喫 煙 禁 止
法」によって禁じられている飲酒・喫煙が高校生でも可能となります。
また、未成年者の場合、クレジットやローンといった金銭契約も親権者などの同意なし
に結ぶことが可能になりますが、それは同時に、様々な金銭トラブルや犯罪に巻き込まれ
るというリスクを高めることにも繋がります。
更 に 、「 成 人 年 齢 」 が 引 き 下 げ ら れ る こ と に よ り 、 少 年 法 で 保 護 さ れ て い る 年 齢 も 「 2
0歳未満」から「18歳未満」に引き下げられることになりますから、今後は、18、1
9歳の「少年」が、死刑を含む刑事処分対象の「成人」として扱われることになります。
このように、選挙年齢の引き下げは、選挙制度を超え様々な分野で功罪分かれるところ
であり、議論を難しくしています。
選挙年齢引き下げの対象となる18歳、19歳の人口は約240万人ですから、制度変
更は、社会的にも非常に大きな影響を与えることになります。
政府では、各府省横断の検討委員会を設けるお考えのようですが、作業は膨大ですので
精力的に検討していただくと同時に、検討のプロセスは国民にしっかりと説明していただ
きたいと思います。
第238号
平成24年2月2日
学校経営と職員会議
先 日 ( 1月 3 0 日 )、 東 京 地 裁 か ら 一 つ の 判 決 が 出 さ れ ま し た 。
この裁判は、東京都教育委員会が2006年に発出した「職員会議での挙手による採決
の禁止」を内容とする通達の違法性などについて争ったもので、判決では、この通知を適
法・合憲としています。原告となっている三鷹高校の元校長は直ちに控訴しましたので、
こ の 問 題 は 引 き 続 き 裁 判 で 争 わ れ る こ と に な り ま す 。 判 決 の 中 で 裁 判 長 は 、「 一 部 の 学 校
で職員の挙手で校長の決定権が拘束される実態が生じ、通知は校長の権限を十分行使でき
る環境を整えるために出された。その相当性には議論はあり得るが、必要性がないとはい
えず、違法とは解されない」としています。
今回の判決については賛否様々な議論がなされていますが、この機会に学校経営におけ
る校長のリーダーシップと職員会議について考えてみるのも意味があるように思います。
原 告 の 元 校 長 は 、東 京 都 教 育 委 員 会 に よ る「 職 員 会 議 で の 挙 手 裁 決 の 禁 止 」は 言 論 統 制 、
民 主 主 義 の 否 定 で あ り 、「 言 論 の 自 由 が 奪 わ れ 、 学 校 現 場 か ら 活 気 が 失 わ れ て い る 」 と 主
張しています。
通達を以て「職員会議での挙手裁決を禁止する」という手法の是非は別として、原告の
主張を念頭に、職員会議での挙手裁決の禁止は民主主義の否定なのかという問題と、職員
会議を如何に活性化させるかという問題について考えてみたいと思います。
そもそも職員会議とは、如何なるものなのでしょうか。職員会議は教職員間の意思疎通
を図る上で非常に重要な場ですが、学校における位置づけは、校長の責任と権限に基づく
学 校 運 営 を 円 滑 に 行 う た め の 補 助 機 関 で あ り 、「 最 終 的 な 意 志 決 定 機 関 」 で は な い と さ れ
ています。校長が学校運営について一つの方針を決める際、予め職員会議を通して教職員
の皆さんの意見を聞くということは至極当然のことです。校長は、教職員の意見を聞いた
上で、場合によっては、内容を軌道修正する場合もあるでしょう。
しかし一方では、仮に職員会議の議論としては反対の空気が強くても、校長としては自
分の方針で進めなければならないと判断する場合も当然出てきます。この場合、仮に職員
会議が「最終的な意志決定機関」ということになれば、そこでの裁決が校長の意志よりも
優先されることになってしまいます。これでは、校長は、結果の責任だけは取らされます
が、学校経営の責任者とはいえなくなってしまいます。
東京都教育委員会による「職員会議での挙手裁決の禁止」は、あくまでも職員会議の位
置づけを明確にしようとしたもので、教職員の自由な意見の表明や議論を否定しようとす
るものでないことは明らかだと思います。
次に、職員会議の活性化ということについて、考えてみましょう。職員会議は単なる連
絡会議になってしまい、ほとんど議論がなされていないとか、教職員の間に意見をいって
も仕方ない、といった声もあるということですが、それは果たして「職員会議での挙手裁
決 の 禁 止 」が 原 因 な の で し ょ う か 。勿 論 、そ れ は き っ か け の 一 つ だ っ た か も 知 れ ま せ ん が 、
職員会議で活発な意見交換がなされるかどうかは、結局は職員会議を主催する校長のリー
ダーシップと教職員の意志の問題が大きいと思います。
職員会議を、自分の考えを一方的に伝えるためだけの場、教職員の意見を聞いたという
アリバイづくり、にしか考えていない校長の下では、折角の職員会議も形骸化してしまい
ま す 。職 員 会 議 の 活 性 化 の た め に は 、校 長 自 身 に も 相 当 の エ ネ ル ギ ー が 必 要 だ と 思 い ま す 。
また、教職員自身にも、校長と連携しながら、積極的に学校運営に関わっていく姿勢が必
要です。校長、教頭、教職員の皆さんは、対立するのではなく連携、協力してこそ、学校
として期待される役割が果たせるというものです。
第239号
平成24年2月3日
ワンピース(ONE PIECE)
少年マンガ「ワンピース」は、大変な人気のようですね。
昨年11月に単行本が64巻まで発行されましたが、これまでの販売部数は2億500
0万部を突破しており、64巻は初版発行部数400万部といわれていますから、驚くば
かりです。また、この作品は、日本国内のみならず翻訳本が世界30カ国以上で販売され
ているそうで、改めてマンガの力に目を開かされる思いです。
あるテレビ番組の情報によると、ワタミの渡邉美樹社長も「ワンピース」を感激しなが
ら読んでいるらしいとのことで、柔軟な頭の持ち主は違うなと感じ入っています。
私 の 方 は と い え ば「 ワ ン ピ ー ス 」の 存 在 な ど 知 る よ し も な く 、マ ン ガ 大 好 き 人 間 の 娘( と
いっても、既に結婚して独立しているのですが)に聞いてみました。すると、娘は当然の
ご と く 知 っ て い て 、「 そ の 本 な ら 家 に あ る の で 、 面 白 い か ら 読 ん で み た ら 」 と 勧 め ら れ 読
むことにしました。もっとも、娘がいう家というのは私の家のことで、彼女が嫁に行く時
に、自分の部屋に山のようなマンガ本をそのまま置いていったものです。捜してみると何
と49巻もの「ワンピース」が出てきて、驚くというより呆れています。
この「ワンピース」は、海賊王を目指す少年モンキー・D・ルフィが、仲間と共に伝説
の 海 賊 王 G ・ ロ ジ ャ ー が 遺 し た 「 ひ と つ な ぎ の 大 秘 宝 ( ワ ン ピ ー ス )」 を 求 め て 、 幾 人 も
の海賊達と激しい闘いを繰り広げながら冒険の航海を続けていくという物語で、夢を追い
続けることの大切さ、仲間達との友情といったテーマが随所に描かれています。
マンガといえば、子どもの頃に読んだ「少年サンデー」とか「少年ジャンプ」を思い出
します。今ではマンガを読むなどということは殆どありませんので、久しぶりのマンガ本
でしたが、読み始めるとこれが結構面白い。子ども向けだろうと思っていましたが、なか
なか馬鹿にしたものではありません。
話 そ の も の は 荒 唐 無 稽 な 海 洋 冒 険 も の で 、い た る と こ ろ 闘 い と 破 壊 の シ ー ン が 続 き ま す 。
そのため、そういうところに目がいって「如何なものか」と感じる人もいると思われます
が、展開の早さ、メッセージの強さは流石だなと感じます。
「海賊」はいうまでもなく犯罪者だし、海の厄介者ではありますが、誰しも、長い人生
の中で、一度位は世の中の決まり事やしがらみから解放されて、波瀾万丈の旅をしてみた
いという願望を持っているのではないでしょうか。そんな思いを、主人公のルフィに仮託
して読んでいる自分を感じます。
作者の尾田栄一郎氏は「少年の日に憧れた海賊達は過去の記録書には記されていない。
どうやら、自分達の冒険があまりにも楽しすぎて後世に名を残す事を忘れてしまったらし
い 。ま っ た く 、海 賊 っ て 人 種 は 、こ れ だ か ら 困 る 。」と 述 べ て い ま す 。で す か ら 、彼 も「 ワ
ンピース」をとことん面白く描こうとしているのかも知れません。
最近の私は、
「 ワ ン ピ ー ス 」を 1 冊 持 ち 込 ん で お 風 呂 に 入 る の を 、楽 し み に し て い ま す 。
第240号
平成24年2月6日
さっぽろ雪祭り
「第63回さっぽろ雪祭り」が、大通をメイン会場に、本日(6日)から1週間の予定
で開催されています。
前回は240万人を超える方々が来場しましたが、今年はどうなるでしょうか。昨年の
東日本大震災以降、北海道も一時期観光客が激減し、業界の皆さんは大いに心配したとこ
ろです。外国人観光客は持ち直してきたようですが、震災の影響のないことを祈りたいと
思います。
私の職場は、大通公園の直ぐ側にありますので、年が明けてからは、毎日、雪像づくり
の様子を見ながら出勤しています。
会場では、自衛隊員の皆さんが実にきびきびと、手慣れた感じで作業しているのが印象
的です。
足 場 を 組 み 、雪 を 大 量 に 運 ん で 固 め 、そ こ か ら 素 晴 ら し い 造 形 を 作 り 出 し て い く 様 子 は 、
雪像づくりというイメージからはほど遠いものです。しかも、完成された造形は、その巨
大さと共に芸術的であり、思わず見とれてしまいます。
「さっぽろ雪祭り」の雪像づくりに自衛隊員が参加するようになったのは、1955年
の第6回からだそうです。雪祭りの人気が上がる一方で雪像の作り手が足りない。このた
め、主催者が思案の末、自衛隊に手助けを要請したところ、自衛隊側は、築城訓練の一貫
として参加することにしたのだそうです。
当時、世論の一部には自衛隊の参加に反対する声があったそうです。そうした中で、自
衛隊の参加を決断した、当時の主催者や自衛隊指揮者の先見と決断には、評価すべきもの
があるでしょう。
そもそも「さっぽろ雪祭り」は、札幌観光協会と札幌市の主催によって1950年に開
催されたのが始まりで、小樽市の北手宮小学校で行われていた雪祭りを参考にしたといわ
れています。
最 初 は 、 市 民 の 雪 捨 て 場 と な っ て い た 大 通 公 園 の 7丁 目 を 会 場 に 、 札 幌 市 内 の 高 校 生 な
どが美術科教諭の指導の下に6基の雪像を制作しています。
以来「さっぽろ雪祭り」は年々規模が拡大し、雪祭りを目当てに訪れる道外客も増えて
き ま し た 。特 に 、札 幌 オ リ ン ピ ッ ク が あ っ た 1 9 7 2 年 に は 世 界 に こ の「 さ っ ぽ ろ 雪 祭 り 」
が紹介されたこともあり、海外からの観光客も目立つようになっています。
北海道は今、とかく不景気の風が吹いており、暗い話が多いのですが、厳冬期を逆手に
取ったようなイベントは先人の知恵でもあります。
「 北 国 の 冬 の 灰 色 ム ー ド を 吹 き と ば そ う 」 と い う の が 、「 さ っ ぽ ろ 雪 祭 り 」 が ス タ ー ト
した当時のスローガンだったそうですが、我々も縮こまっていないで、この北の大地北海
道を少しでも盛り上げようではありませんか。
第241号
平成24年2月7日
パワハラ
こ の 数 年 、各 都 道 府 県 の 労 働 局 に 寄 せ ら れ る「 職 場 内 の い じ め や 嫌 が ら せ に 関 す る 相 談 」
が急増していますが、こうした中、先月30日、厚生労働省の円卓会議の作業部会が報告
書をまとめ、職場におけるパワーハラスメント(パワハラ)の定義を初めて明らかにしま
した。
私は、パワハラといえば上司の部下いじめという捉え方をしていましたが、厚生労働省
の定義によると必ずしもそうではないようです。
改めて、厚生労働省がまとめた定義を見てみると、職場のパワハラとは「同じ職場で働
く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範
囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」であるとして
います。
なお、職場内での優位性とは、職場における役職の上下関係のことではなく、作業環境
における立場や能力のことを指すとしています。従って、例えば、パソコンでの処理業務
について、上司よりも明らかに専門知識があり能力もある部下が、その専門知識や能力を
使って意図的に上司の仕事の足を引っ張るというような行為はパワハラということになり
ます。勿論、同僚が同僚に対して行う行為についても、同様です。
また、報告書では、職場におけるパワハラを
(1)暴 行 や 傷 害 と い っ た 「 身 体 的 な 攻 撃 」
(2)脅 迫 や 侮 辱 、 暴 言 と い っ た 「 精 神 的 な 攻 撃 」
(3)仲 間 外 し や 無 視
(4)業 務 上 明 ら か に 不 要 な こ と や 遂 行 不 可 な こ と を 強 制 す る と い っ た 「 過 大 な 要 求 」
(5)業 務 上 の 合 理 性 な く 、 能 力 や 経 験 と か け 離 れ た 程 度 の 低 い 仕 事 を 命 じ る こ と や 仕
事を与えないといった「過小な要求」
(6)私 的 な こ と に 過 度 に 立 ち 入 る 、 と い っ た 「 プ ラ イ バ シ ー へ の 立 ち 入 り 」
の6つに類型化しています。
パワハラは、メンタルヘルスの問題を引き起こす要因になっており、最悪の場合は、過
労死や自殺に繋がりかねず、組織運営上も見過ごすことのできない問題です。
厚生労働省では、今後、パワハラの実態調査をするなどして取り組みを強化するとして
いますが、パワハラの問題を難しくしているのは、どこからがパワハラかという判断だろ
うと思います。上司がかけた一言も、Aさんは激励と受け止め、Bさんはパワハラと受け
取ってしまうというようなことが随所にあります。結局のところ、私にも経験があります
が、双方の人間関係が一番のポイントだろうと思います。
パワハラは、いじめと同じように決してあってはならないことですが、しかし、どこに
でも起こり得るという前提に立って対応する必要があります。とはいえ、パワハラを防止
するために簡便で確実な手だてがそうそうある訳ではありませんので、まずは職員研修な
どを通してパワハラの問題への理解を深めること、相談体制を整備すること、そして、問
題が発生した場合には実態把握に努め早急に解決を図ることが重要だと思います。
第242号
平成24年2月8日
北方領土の日
2 月 7 日 は 、「 北 方 領 土 の 日 」 で す 。
まず、今更ながらの感はありますが、北方領土とはどこを指すのかという基礎基本を押
さえておきたいと思います。
北 方 領 土 は 、 根 室 半 島 の 沖 合 に あ る 「 択 捉 島 」「 国 後 島 」「 色 丹 島 」「 歯 舞 群 島 」 の こ と
を指します。
第二次世界大戦は、1945年(昭和20年)8月14日、日本がポツダム宣言を受諾
し 終 結 し ま す 。と こ ろ が 、こ の 直 後 の 8 月 2 8 日 か ら 9 月 5 日 に か け て 、当 時 の ソ 連 軍( 赤
軍)が突如北方領土に上陸し、これによって北方領土はソ連軍によって占領されてしまい
ます。以来、ソ連(現ロシア)は現在に至るまで北方領土の実効支配を続けており、日本
政府は領有権を主張していますが、日本の施政権は全く及んでいません。
「北方領土の日」は、こうした状況の中で北方領土の問題に対する国民の関心と理解を
更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図るため、1981年(昭和5
6 年 )に 閣 議 了 解 に よ っ て 決 め ら れ た も の で す 。以 来 、こ の 日 に は 、各 地 で 集 会 や 講 演 会 、
研修会等の行事が行われていますが、その取り組みは盛り上がりに欠け、形骸化している
のではないかと感じられてなりません。
私たちは、北方領土が日本固有の領土であるということの意味をしっかりと考える必要
が あ り ま す 。 そ れ は 、「 北 方 領 土 の 日 」 を 2 月 7 日 に 設 定 し て い る こ と と 無 縁 で は あ り ま
せ ん 。 か つ て 、「 北 方 領 土 の 日 」 を い つ に す る か に つ い て は 、 ソ 連 が 択 捉 島 へ の [侵 略 ]を
開始した8月28日などいくつかの候補があったそうですが、江戸幕府と帝政ロシアとの
間で日露和親条約が結ばれ、初めて国境の取り決めが行われた1855年(安政元年)2
月 7日 に ち な ん で 、 最 終 的 に こ の 日 を 「 北 方 領 土 の 日 」 と す る こ と に な っ た も の で す 。
日本とロシアは平和的な話し合いによって日露和親条約を結び、両国の国境を定めまし
た。これによって択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方四島は日本の固有の領土と
して確定したものであり、しかも、その後一度として他国の領土となったことはありませ
ん。
強大な力(武力)を持つ国がその力によって他国の領土を侵食することを、認めること
はできません。
高齢化が進む旧島民にとっては、残された時間が少なくなっています。国においては、
「北方領土の日」がもっと活性化し、意味のあるものになるよう取り組んでいただくこと
を期待したいと思います。
また、北方領土の問題について、国際社会からの理解と支援が得られているとは残念な
がら感じられません。これは、日本の外交力の弱さといわれても致し方ないでしょう。
日本外交の脆弱さは、短命内閣が続き、外務大臣も頻繁に入れ替わっており、そうした
ことも背景にあると思われますが、外国からみれば日本の外交に対する信頼度は低いので
はないかと懸念されます。
問 題 を 武 力 で 解 決 す る な ど と い う こ と は 不 可 能 で す し 、既 に そ ん な 時 代 は 終 わ り ま し た 。
だからこそ、政治家はじめ、外交の要路にある方達には、自国の領土を守ることへの信
念と覚悟をもって、日本外交の底力を示して欲しいと願っているのです。
第243号
平成24年2月9日
光と陰
物事には、必ずといって良いほど光と陰、表と裏、メリットとデメリットがあるもので
す。いきおい私たちは、この二律背反する事態に戸惑い、悩むことがしばしばです。
最近のニュースを見ていてもそのことを強く感じます。
まず、現在札幌市が導入しようとしている「公契約条例」について考えてみます。
こ の 条 例 は 、「 市 発 注 の 公 共 工 事 や 業 務 委 託 を 請 け 負 う 企 業 に 、 条 例 で 定 め ら れ た 基 準
以上の賃金を労働者に支払ってもらう」ということを内容とするものです。公共事業経費
の 削 減 が 労 働 者 の 賃 金 に も し わ 寄 せ が 及 び 、「 官 制 ワ ー キ ン グ プ ア 」 と い う 言 葉 さ え 飛 び
交っている中、労働者の側からすれば歓迎すべき内容といえるでしょう。
一方、札幌建設業協会、北海道ビルメンテナンス協会、北海道警部協会の3団体は、こ
の条例に反対しています。反対の理由は、賃金を引き上げることによる経営への影響に加
え、同じ仕事をしているのに条例の対象になるか否かで賃金格差が生じることは新たな不
公平を生み出すことになるというものです。
札 幌 市 と し て は 、「 公 契 約 条 例 」 に よ っ て 公 共 事 業 に 関 わ る 者 だ け で な く 、 全 体 の 労 働
者の賃金の引き上げに繋がることを期待しているのかもしれませんが、現実は非常に厳し
そうです。
次に、厚生年金適用条件の拡大について考えてみましょう。
厚生労働省は、パート従業員らの厚生年金適用を拡大するため、適用条件を「労働時間
週30時間以上」から「週20時間以上」に引き下げた上「従業員300人以上の企業で
働く年収80万円以上の人」を対象とする方針のようです。これが実現すれば、より多く
の人々に、手厚い年金が保障されることになります。
しかし、従来は、例えば夫の扶養家族のため掛け金を負担していなかった人にしてみる
と新たな自己負担が生じるので、その分、パートとしての手取り収入が目減りするという
ことになってしまいます。将来の年金もさることながら、今の暮らしをどうするかは非常
に大事な問題です。
更に問題を大きくしているのが、保険料の企業負担です。厚生年金というのは、必要な
財源を労使折半で負担していますので、大量のパートを抱えている事業所にとっては、加
入者が増えるということは新たな費用負担を強いられることになります。企業側の負担の
状況によっては、パート労働者の雇用機会自体にも影響が生じる恐れがあります。
次に、札幌市における児童クラブ有料化計画の修正について考えてみましょう。札幌市
の計画では、児童クラブについて、現在「小学校1~4年生を午後6時まで無料」で預か
っているものを、ことしの4月からは「対象を5年生にまで拡大し開設時間も1時間延長
し て 午 後 7時 ま で 」 と す る 一 方 、 運 営 経 費 と し て 「 午 後 5 時 以 降 の 利 用 者 に 限 っ て 3 0 0
0円を負担」してもらうこととしていました。これに対して、議会から「今まで6時まで
無 料 だ っ た の に 5時 か ら 有 料 に す る 理 由 が 分 か ら な い 」な ど と い っ た 異 論 が 噴 出 し た た め 、
実施時期を先送りすると共に利用料金を引き下げることにしたとしています。
共 働 き 世 帯 が 増 え て い る 中 、子 ど も を 社 会 全 体 で 育 て て い こ う と い う 考 え 方 か ら す れ ば 、
児童クラブの運営を午後6時から7時まで延長することは、当然必要な措置であり、この
ことに異論を唱える人はいないと思われます。
ただ、こうした公共サービスにはコストが掛かります。そして、これをどのように負担
していくかが大きな問題です。ともすると公共サービスは無料が当然と考える人もいるで
しょうが、無料にするということは、必要な経費は税金で賄うということでもあります。
それは、子どもを預けていない人からも負担させるということと同じことですから、それ
で良しとするか否かは、市民の皆さんのコンセンサスの問題ということになります。
児童クラブは、現在無料で運営されていますが、そもそも無料とすることにした理由は
如何なるものだったのでしょうか。
最後に、ハーグ条約の加盟問題について考えてみましょう。
ハーグ条約というのは、国際結婚が破局するなどした後に一方の親が子を無断で国外に
連れ出した場合、元の居住国に戻すことを定めたものです。
日本は今までこの条約に加盟していませんでしたが、欧米諸国から加盟を強く求められ
ており、また、国際結婚が増えるに従って子どもを巡るトラブルも増えており、ハーグ条
約加盟に向けた法整備が急がれています。
基本的に、日本が国際ルールに従うことは必要な判断だと思いますが、国内では賛否が
分かれています。加盟すれば、子を連れ去られた親は子を手元に戻しやすくなるというこ
とで、積極的に賛成する方がいる一方、例えば夫の暴力から逃れるために子連れで帰国し
た女性が、ハーグ条約に加盟すると親子が引き裂かれるのではないかとの懸念から反対の
声を上げています。親権に対する考え方には国民性の違いもあり、問題を難しくしていま
す。
以上、幾つかの事例を挙げながら問題の一端を考えてみました。いずれも自分の立つ位
置、目線、切り口によって、選択する方向や答えが変わってきます。
どういう選択をする場合であっても、まず考えなければならないことは、左右の意見を
足して2で割るというような発想ではなく、本質を見失わずに、デメリットや暗の部分、
更にはリスクに対する配慮と手当を怠らないということです。
第244号
平成24年2月10日
建国記念の日
2月11日は、建国記念の日です。
国 民 の 祝 日 に 関 す る 法 律 第 2 条 で は 、 建 国 記 念 の 日 の 趣 旨 に つ い て 、「 建 国 を し の び 、
国 を 愛 す る 心 を 養 う 。」 と 規 定 さ れ て い ま す 。
それでは、この日が何故「建国記念の日」なのでしょうか。
この日はかつて、紀元節でした。紀元節というのは、初代天皇である神武天皇が即位し
た日として、1872年(明治5年)に制定されたものです。
我が国の正式な歴史書である正史「日本書紀」の中に、神武天皇が「辛酉年の春正月の
庚 辰 朔 ( 西 暦 に 置 き 直 す と 紀 元 前 6 6 0 年 2 月 1 1 日 )」 に 橿 原 宮 に て 即 位 し 、 こ の 年 を
以て天皇の元年とする旨の記述があります。しかし、この紀元節は、敗戦後の1948年
(昭和23年)一旦廃止されることになります。
その後、昭和26年頃から紀元節復活に向けた動きが見られるようになり、自民党から
議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出されますが、これに対して社会党
は 、「 神 武 天 皇 即 位 の 年 月 は 、 科 学 的 に 根 拠 が 薄 弱 で あ る こ と 」 や 「 建 国 記 念 日 」 の 制 定
が保守政党の反動的行為であるなどとして厳しく批判しています。
その後、様々な議論の末、名称を「建国記念の日」として「建国されたという事象その
ものを記念する日」とも解釈できるようにすると共に、具体的な日付の決定に当たっては
各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行った結果、1966年(昭
和 4 1 年 ) 6 月 2 5 日 、「 建 国 記 念 の 日 」 を 定 め る 祝 日 法 改 正 案 が 成 立 し ま す 。 そ し て 、
「 建 国 記 念 の 日 」を い つ に す る か に つ い て は 、学 識 経 験 者 等 か ら な る「 建 国 記 念 日 審 議 会 」
で約半年間審議されますが、結局、紀元節であった2月11日の他に適当な日が無く、1
966年(昭和41年)12月にその日を「建国記念の日」とする旨の答申が行われ、今
日に至っています。
以 上 が 、「 建 国 記 念 の 日 」 を 巡 る 経 緯 で す が 、 こ れ を 見 て も 分 か る よ う に 、「 建 国 記 念
の日」は「建国記念日」ではありませんので、我が国には国民がみんなで祝うべき「建国
記念日」は無いことになり、これは実に不自然なことではないかと思います。
アメリカであれ中国であれ、如何なる国においても建国の歴史があり、建国の日を記念
し た 記 念 日 が 置 か れ て い ま す 。例 え ば 、ア メ リ カ は 7 月 4 日 が 独 立 記 念 日 で す し 、中 国 は 、
毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した10月1日を国慶節としています。
また、お隣の韓国は、太平洋戦争の終結によって日本の植民地から解放された8月15
日を光復節としていますが、これとは別に開天節も祝日としています。この日は、434
0年以上も前に檀君が韓半島に初めて国を建てた日だそうで、これに比べると、日本の皇
紀2700年というのは可愛いものです。
神武天皇が実在したかどうかを科学的に立証することは困難でしょう。何しろ文字のな
い時代の話なのですから。
建国の時期をどの位遡ることができるかということについては、考古学の研究成果とし
て、奈良県の三輪山の麓にある纒向遺跡(まきむくいせき)には3世紀前後に造られた前
方後円墳があり、これがヤマト王権の成立を示しているといわれていますから、少なくと
も1800年前には統治機構が成立していたと思われます。勿論、巨大な国家的プロジェ
クトを実施できるほどの強力な統治機構が突然でき上がるとは考えにくく、統治機構の成
立は2000年前後まで遡ると考えるのが妥当ではないでしょうか。
古事記や日本書紀は神話だとして、歴史の議論から遠ざけてしまう人がいますが、文字
がない故に神話という形を取って受け継がれ、語り継がれてきたものだと思います。その
中には、事実と考えられないものが含まれていますが、同時に、日本という国の成り立ち
について大切なことが伝えられています。特に、我が国では、神武天皇以降連綿として天
皇制が維持され、今上天皇は実に125代の天皇とされていますが、天皇(天皇制)とい
う一つの制度が、これ程長期にわたって平和裏に維持されている国は他にはありません。
だからこそ、日本は、世界の中で最も古い国といわれているのです。
日本という国が世界最古の歴史を持つ国であり、その長い歴史の中で、先人達がどのよ
うな思いで国づくりをしてきたのか、国としての自立を高め、富ますために如何に取り組
んできたのかといったことについて、次代を担う子ども達に伝えていくことは教育の大事
な仕事の一つです。
「建国記念の日」を、単なるお休みの日にしてはいけません。
第245号
平成24年2月13日
値下げ競争?
道 都 大 学 が 授 業 料 を 3割 下 げ る と い う 新 聞 記 事 を 見 て 、 と う と う こ こ ま で 来 た か と い う
感じがします。
私大の多くは少子化の影響で定員割れが続いており、経営環境には非常に厳しいものが
ありますので、考えられることは何でもやろうということかも知れません。とはいえ、私
大 は 収 入 の 殆 ど を 授 業 料 や 入 学 金 が 占 め て い ま す か ら 、 仮 に 授 業 料 を 3割 も 減 ら す と な る
と、多少学生が増えたとしても経営にプラスになるのか、余計なお世話ですが心配になり
ます。
また、授業料の引き下げが直ちに入学者の増に結び付くか、ということについても疑問
を感じます。
高校においては、今から20年以上前から少子化の影響が生じており、特に昨今は深刻
の度合いを増しており、学級数の削減はもとより学校の統廃合も相当進んでいます。
一方大学は、進学率の伸びが少子化の影響を緩和してきたこともあり、大学全入時代の
到来と揶揄されながらも、忍び寄る危機に対しては感覚がいささか鈍かったように思いま
す。しかし、大学といえども、ここに来て、経営環境は一段と厳しくなっており、まさに
これから生き残りをかけた熾烈な闘いが始まっています。
こうした中、授業料の値下げは戦略の一つに違いありませんが、しっかりとした教育を
実践するためにはそれ相当のコストがかかりますので、安易な値下げ競争は避けるべきで
しょう。
ところで、値下げが有効に働くためには幾つかの条件があるはずです。
一般にお客が「モノやサービス」を購入しようとする場合、その「モノやサービス」と
価 格( 対 価 )が 見 合 っ て い る か ど う か が 重 要 で あ り 、客 の 値 踏 み と 同 等 か 低 け れ ば そ の「 モ
ノやサービス」を購入するでしょうし、高ければ購入しないということになります。
学生と大学との関係も同様であり、学生が入学したいと考えている大学の教育内容や水
準と授業料(対価)が釣り合っていればその大学を選択するでしょうし、授業料(対価)
の方が高いと感じれば他の大学を選択するでしょう。
また、教育内容と水準が同程度の大学であれば、授業料(対価)の安い大学の方に競争
性があるといえますが、学生がどうしても受けたい授業が特定の大学にしか無ければ、仮
に他大学より授業料が高くても、学生はその大学を選択することになるでしょう。
学 生 が 大 学 を 選 ぶ 基 準 は 、授 業 料 な ど 修 学 の た め の コ ス ト は も と よ り 、教 育 内 容 や 水 準 、
更には交通アクセス、周りの環境、卒業生の進路実績など多様であり、いくら授業料が安
くても、それだけでは選択される可能性は高まるとは思えません。
今我が国では、名ばかり大学生の存在が大きな問題になっています。それは学生のせい
というより、そういう大学生を生み出していく日本の教育の仕組みにも大きな問題があり
ますが、まずは、大学自身が、その真価を問われていると考えるべきでしょう。
大学として、どういう学生を対象に、如何なる教育を実践し、育てていくか、そして、
どのような人材を社会に送り出していくか、そのことへの明確なビジョンとメッセージを
示す中で、他大学との違いをアピールしていく必要があると思います。
第246号
平成24年2月14日
コネ論争
岩波書店が2013年度の社員募集要項において「著者や社員の紹介」を応募条件とし
た こ と が 報 道 さ れ ま し た が 、 今 ま さ に 就 活 の 真 っ 最 中 と い う こ と も あ り 、「 コ ネ 採 用 は 就
職 の 機 会 均 等 に 反 す る 」と か「 そ う そ う 目 く じ ら を 立 て る こ と で は な い 」と い っ た よ う な 、
賛否様々な議論が起きています。
私はもともと公務員志望でしたから、道庁職員になるためには採用試験を突破する以外
に な く 、「 コ ネ 採 用 」 な ど と い う こ と は 考 え も し ま せ ん で し た 。 も っ と も 、 今 考 え て み て
も、使いたくても使えそうなコネなど一つも無かったのですが・・・。
岩 波 書 店 で は 、「 あ く ま で 応 募 の 際 の 条 件 で 、 採 用 の 判 断 基 準 で は な い 」 と し て 、 い わ
ゆる「縁故採用・コネ採用は行っていない」との見解を発表していますが、厚生労働省の
小宮山大臣は、岩波書店の採用の件が報道された直後、記者会見で「早急に事実を把握し
たい」とコメントしています。ただ、その後特段の動きがありませんので、このままうや
むやで終わってしまうのでしょうか。
社員を採用する側の企業としては、少しでも優秀な、会社の役に立つ人材を求めるのは
当然で、例えば、信頼できる関係者から「この若者は有能である」というようなお墨付き
があると安心して採用できる、ということも現実にはあるのではないかと思います。
勿論、会社が社員を採用しようとする際、男女の性別や思想信条、出身地、家庭環境な
ど、学生の能力や適性とは関係のない要素で学生を選別することは許されません。
従って、仮に、社長の息子だから無条件で採用するとか、重要な取引先の子弟だから特
別扱いするということになれば、学生の能力とは関係ないところで選別することになりま
す か ら 、 明 ら か に 公 平 性 に 欠 け ま す し 、「 コ ネ 採 用 」 の 誹 り は 免 れ な い で し ょ う 。
ま た 、「 社 長 の 息 子 で 優 秀 」 と い う 人 も 数 の 中 に は い る で し ょ う け れ ど 、 大 王 製 紙 の 前
会長の例を引き合いに出すまでもなく、そんな方程式が成り立つ筈もありません。
岩波書店では、数名の採用予定に対して1千人を超える応募があるそうで、ある程度ふ
るいにかけるために「著者の紹介状あるいは社員の紹介があること」という条件を付した
もののようです。マスコミはこれをして「コネ採用」と表現しましたが、こうした条件設
定がいわゆる「コネ採用」といえるかといえば、難しいところです。
学生は、就活に当たって、各企業の先輩を訪問し情報を収集したりするのが普通です。
従って、先輩を訪問した際、紹介状を書いてもらえばそれで済むことです。また、先輩が
いない場合には、著者にコンタクトを取って紹介状を書いてもらうということもあり得ま
す。勿論、相当の勇気が必要だと思いますが。
岩波書店としては、一定の条件を付けることによって、学生の意欲や才覚を試している
ともいえるでしょう。
岩波書店の採用担当者は「努力を尽くしても紹介が得られない場合は採用担当に相談し
て欲しい」といっているようですが、採用試験はエントリーする段階から既に始まってい
ると考えるべきで、どう考えても紹介状を入手する手だてが無いというのであれば、早々
に別な会社を選択し、アプローチするというのも懸命なのではないかと思います。
学生の皆さんには厳しい就職戦線ですが、長い人生を振り返れば、それは試練の一つに
過ぎません。また、採用試験が、人生の全てを決する訳でもありません。ただ私は、就職
戦線に参戦する以上、攻略すべき相手を見極め、尽くせる手だてを使い、思いっきり全力
投球して、悔いの残らぬ闘いをして欲しいと願っているのです。
第247号
平成24年2月15日
忘れられる権利
EUの欧州委員会は、1月25日、インターネット上のプライバシーにかかる権利を強
化 し 、 イ ン タ ー ネ ッ ト 上 の 個 人 情 報 取 り 扱 い に つ い て 、「 忘 れ ら れ る 権 利 」 と い う 新 し い
概念を盛り込んだ新しい法案をまとめたとのことです。
情報化社会の進展と共に、行政や民間が扱う情報量はどんどん増えつつあり、しかも、
その情報を容易に処理することが可能となっています。また、各個人も、ネット社会に組
み込まれ、彼らの間に飛び交っている情報は個人情報も含め極めて膨大であり、恐らくそ
の実態を把握できるものはいないのではないかと思われます。
このように、情報化の進展は、我々の社会に多大の恩恵をもたらすと共に、一方では、
個人のプライバシーが侵害され刑事事件にまで発展するケースも少なくありません。情報
化社会の光と陰という問題が、顕在化しつつあるといえましょう。
かつて、OECDの理事会が「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガ
イドラインに関する勧告」を出したのは、今から32年前の1980年のことでした。そ
の後、我が国でも逐次法整備が進められ、特に、2003年(平成15年)に「個人情報
の保護に関する法律」が成立して以来、個人情報保護の考え方が浸透しつつあります。
我が師範塾でも、塾生の方々から沢山の個人情報を預かっていますので、プライバシー
ポリシーで明らかにしているように、その取り扱いには万全を期しているところです。
しかし、現実には、個人データの漏洩問題が後を絶たず、プライバシー侵害への危険性
や不安は増大しているといった方がよいでしょう。しかも、やっかいなことは、一度ネッ
ト上に流れた情報はコントロールを失い、完全に抹消することが非常に困難だということ
で す 。「 忘 れ て 欲 し い 」 の に 「 忘 れ て く れ な い 」 と い う の は 、 は な は だ 苦 痛 で あ り 、 や っ
かいなことです。
こ う し た 中 で 、 E U の 欧 州 委 員 会 が 、「 忘 れ ら れ る 権 利 」 と い う 新 し い 概 念 を 打 ち 出 し
たことは時代の要請ともいえます。
報道によると、欧州委員会がまとめた法案の内容は、
・不要になった名前や写真、クレジットカードなどの情報について、個人が事業者に
対して削除要請ができること
・正当な理由がない限り、事業者は要請通り個人情報を削除しなければならないこと
・個人情報の漏洩が発覚した場合、事業者は速やかに(可能なら24時間以内)各国
当局に届けでなければならないこと
な ど と な っ て お り 、こ れ に 違 反 し た 場 合 は 、事 業 者 に 最 大 1 0 0 万 ユ ー ロ( 約 1億 円 )か 、
売り上げの2%の罰金が科されるとのことです。
プ ラ イ バ シ ー の 侵 害 が 深 刻 に な っ て い る 現 在 、「 不 要 で あ る 」 と い う だ け で 、 個 人 と し
て事業者に個人情報の削除を要求できるということは画期的なことであり、今後、我が国
にも大きな影響を及ぼすものと考えられます。
第248号
平成24年2月16日
ALWAYS
現 在 、「 A L W A Y S
三丁目の夕日」の第3作が劇場公開されており、ご覧になった
方もいると思います。
舞 台 は 、 東 京 タ ワ ー を 間 近 に 見 る 下 町 で 、 第 1作 は 東 京 タ ワ ー が 作 ら れ た 昭 和 3 3 年 頃
の設定です。そして、今回は、東京オリンピックが開催された昭和39年頃の風情を映し
出しています。
昭和39年というのは、私が高校3年生の年で、テレビから流れる東京オリンピック開
会式の様子は、今でも脳裡に焼き付いています。
東京のビルの建ち並ぶ様子や東京タワー、新幹線の映像は、自分たちの生活とは余りに
もかけ離れた別世界の感じがしましたが、高校生だった私にとっては、明るい未来を予感
させるのに十分でした。
1 9 5 6 年 ( 昭 和 3 1 年 )、 つ ま り A L W A Y S 第 1 作 の 時 代 設 定 の 少 し 前 の こ と に な
りますが、当時の経済企画庁は、経済白書「日本経済の成長と近代化」の中で「もはや戦
後ではない」と結びました。
当時を振り返ると、依然として生活は貧しかったけれども、テレビや電気洗濯機が我が
家にも登場するなど、確かに街全体が変わりつつある、力強さを感じていたように思いま
す。
1人当りの実質国民総生産(GNP)は、昭和55年に戦前の水準を超え、神武景気が
幕開けし、高度経済成長へとひた走ることになったのもこの頃のことです。
東京タワーは「もはや戦後ではない」ことの象徴であり、東京オリンピックはそのこと
を実証する舞台でした。
当時の街の様子は、映像にもあるように、子ども達が日の暮れるまで外で沢山遊んでい
ましたし、お医者さんも気軽に往診に来てくれました。地域の人々は互いに助け合い、家
族ぐるみでの付き合いをしており、明らかにコミュニティが成立していたといえます。
「ALWAYS
三丁目の夕日」を見ていて懐かしさを感じるのは、この映画が単に自
分 の 人 生 と 重 な り 合 う た め と い う だ け で は あ り ま せ ん 。何 か 大 事 な も の を 置 き 忘 れ て き た 、
そんな感じがするといった方が良いでしょうか。
世界第2位、第3位というような経済大国になった日本は、今、地域、更には家族の崩
壊という深刻な課題に直面しています。日本人が、長い年月の間に培ってきた気風や伝統
も失われつつあります。
私 に は 、「 A L W A Y S
三丁目の夕日」を昭和へのノスタルジーと片付けるだけでは
済まないものがあると思っています。勿論、今更昔に戻れはしないし、それが良いとも思
い ま せ ん が 、た だ 、私 は 、こ れ ま で 置 き 忘 れ て き た も の の 中 に は 大 事 な も の が あ る 筈 だ し 、
そのことに目を向ける必要があるのではないかと考えているのです。
第249号
平成24年2月17日
小学生の日本酒検定
先 日 、「 日 本 酒 サ ー ビ ス 研 究 会 ・ 酒 匠 研 究 会 連 合 会 」( 略 称 S S I ) が 2 0 1 0 年 か ら
実施している日本酒検定で、初めて小学生の女の子(新倉茜音さん)が合格したとの報道
がありました。
今回日本酒検定に合格した新倉さんは、3歳から包丁を握り、テレビ番組の小学生料理
王 選 手 権 で は 優 勝 す る 程 の 腕 前 で 、「 子 ど も 天 才 料 理 人 」 と い わ れ て い る そ う で す 。 酒 の
肴のレシピ本など、親子で既に3冊も出版しており、将来は母親と立ち飲み屋を経営した
いという夢を持っているそうです。
料理にはお酒を使う場面が沢山出てきますから、料理を通じて日本酒に対する知識を身
に付けたものと思われますが、彼女は、料理の腕だけでなく考え方もしっかりしていて驚
くばかりです。
ただ、小学生に日本酒検定の受験資格を与えていることに違和感を感じたのは私ばかり
ではなかったようで、SSIに対して「未成年者に飲酒を誘発する」などと批判の声が上
がったのは当然のことです。
S S I 側 は 当 初 、「 消 費 の 低 迷 が 続 く 業 界 立 て 直 し の た め に 、 若 年 層 へ 訴 求 力 あ る 対 策
は 不 可 欠 。 早 く か ら 酒 の 魅 力 を 知 っ て も ら い 、 未 来 の フ ァ ン を 育 て た い 。」 と 述 べ て い ま
した。
確かに、日本酒業界を巡る環境は大変厳しく、蔵元も減少の一途を辿っており、危機感
があることは理解できますが、子どもを利用することに大人のエゴを感じるのは、私だけ
ではないでしょう。
未成年者に対して酒を誘発しかねない、という懸念は決して杞憂ではありませんし、何
より、業界の立て直しのために子どもを捲き込んではいけません。
SSIでは、様々な批判の中、結局、今後は「日本酒検定の受検資格に年齢制限を設け
ないことが、未成年者の飲酒を誘発することにつながる可能性を否定できないことを理由
に、本検定の未成年者の受検受付を停止することにしました」としていますので、世間を
騒がせたこの問題は一応決着することになりました。
日本酒造組合中央会では、酒の広告宣伝に厳しい自主基準を設けており「CMなどのモ
デルには子どもを絶対使わず、子どもが興味をひきそうなキャラクターやタレントの起用
さえ固く禁じている」としていますが、当然のこととはいえ、一つの見識です。一方、S
SIの側に、そうした業界の考え方に対する配慮が欠けていたことは遺憾だと思います。
今後も、子どもを捲き込んだ問題が生じないとは限りませんが、私たち大人が常に考え
ていかなければならないことは、如何なる場合でも、子ども達への影響ということです。
「この程度は良いだろう」という「この程度のハードル」を大人の都合で低くしてはい
け ま せ ん 。 常 に 、「 子 ど も 達 は 成 長 過 程 に あ る 」 と い う こ と へ の 十 分 な 認 識 と 配 慮 が 不 可
欠です。
第250号
平成24年2月20日
1年経ちました
塾頭通信も回を重ねて、今回で250号となりました。また、塾頭通信を書き始めて、
丁度1年目となります。
「継続は力なり」といいますが、それは力があるから継続できたというより、書き続け
ることによって継続への力を与えられてきたといった方が良いでしょう。
また、私の駄文にお付き合いいただき、目を通してくださる読者の存在が、継続へのエ
ネルギーとなっています。読者の皆さんには、感謝を申し上げたいと思います。
歴史社会学者の小熊英二氏は、かつて先輩から「自分が面白いと思ってもそれが相手に
伝わるのは10分の1である。だから、それだけのエネルギーを発しないと他人は動かせ
な い 。」 と 聞 か さ れ た 話 を 紹 介 し て い ま す ( 平 成 2 3 年 8 月 5 日 付 日 経 新 聞 )。 彼 が 論 文
のテーマにしているのは、自分が面白いと思うことと社会的に意味のある問題だそうです
が、私も塾頭通信を書くに当たっては、社会的に意味があるかどうかはともかく、少なく
と も 自 分 が 興 味 を 感 じ た も の を 自 分 流 に 咀 嚼 し て 表 現 す る よ う に 努 め て い ま す 。と は い え 、
これまで250号に及ぶ塾頭通信を書き続けてきて、果たしてどれだけ自分の思いを伝え
ることができたのか自問自答する日々でもあります。
竹内一郎氏は、その著書「人は見た目が9割」の中でアメリカの心理学者アルバート・
マ レ ー ビ ァ ン 博 士 の 研 究 の 成 果 を 紹 介 し て い ま す 。 そ れ に よ り ま す と 、「 人 が 他 人 か ら 受
け取る情報(感情や態度など)の割合は、
顔の表情
55%
声の質や大きさテンポ
38%
話す言葉の内容
7%
だそうです。
この結果は、人とのコミュニケーションはフェイス・ツー・フェイスが一番だというこ
とと、言葉だけで自分の思いを伝えることの難しさを示しています。
ま た 、 竹 内 氏 は マ レ ー ビ ァ ン 博 士 の 研 究 結 果 を 踏 ま え つ つ 、「 学 校 教 育 で は 言 葉 だ け が
伝達の手段として考えられる。だから7%を全体と勘違いしている人が生まれる」と指摘
しています。これは重要な指摘だと思います。教師の皆さんが、言葉を大切にし、自分の
言葉に力を付けていくことは大事なことですが、言葉の力だけでは不十分で、顔の表情や
態度など、まさに教師の内発する力、いい換えれば「人間力」こそが問われているのだと
認識すべきです。
そういいながら、私はといえば、身の程も知らぬと分かっていながら、言葉を活字に置
き換えて自分の思いを伝えようという、ゴールのない路に踏み込んでしまいました。
分 け 入 っ て も 分 け 入 っ て も 青 い 山 ( 山 頭 火 )、 こ れ は 今 の 私 の 心 境 に 外 な り ま せ ん が 、
これからも日々変化する世の中にしっかり向き合い、自分の言葉で、自分の思いを発信し
続けたいと思っています。
第251号
平成24年2月21日
肝心なことは目には見えない(1)
昨 年 発 生 し た 福 島 第 一 原 発 事 故 は 、「 原 発 は 安 全 」 で あ る と い う 国 の 説 明 が 、 確 た る 根
拠を持たないものであったことを如実に示す結果となりました。
国民は国の説明を信じてきたといえば聞こえは良いのですが、実は、原発とちゃんと向
き合ってこなかったといった方が良いでしょう。一部の方は、原発の危険性を指摘して来
ましたが、多くの国民は、内包している危険性への理解が足りなかったというより、原発
のことは何も見えていなかったというべきかも知れません。まさに「肝心なことは目には
見えない」ということです。この言葉は皆さんもご案内の通り、サンテグジュペリの小説
「 星 の 王 子 様 」 に 出 て く る 一 節 で す が 、 頑 丈 そ う な 建 物 を 見 せ ら れ 、「 何 重 に も 安 全 対 策
を講じています」といわれてその気になり、事故が起こると明日にもこの世の終わりが来
るような大騒ぎをする。原発の問題については、今こそしっかりとした、冷静な議論をし
なければなりませんが、現状は逆で、目の前の現象に囚われ右往左往し「肝心なことが見
えている」ようには見えません。
「肝心なことは目には見えない」という、しばしば人口に膾炙するこの言葉について、
サンテグジュペリは何を伝えたかったのでしょうか。
こ こ で 、「 星 の 王 子 さ ま ( 池 澤 夏 樹 訳 )」 の 物 語 を 少 し 辿 っ て み る こ と に し ま し ょ う 。
星の王子様は砂や岩や雪の中を随分歩くと、やがてバラが咲き乱れる庭園に着きます。
そ こ で 王 子 様 が 見 た バ ラ た ち は 、以 前 自 分 が 大 切 に し て い た「 あ の 花 」と よ く 似 て い ま す 。
彼はとても悲しい気持ちになります。何故なら、彼の「あの花」は宇宙に一本しかない種
類の花だと思っていたからです。しかし、ここにはそれと同じ花が5000本は咲いてい
るではありませんか。彼はひどくがっかりして、涙が出ます。
そんな時でした、キツネが彼の前に現れます。キツネは王子様に自分を飼い慣らしてく
れ る よ う 頼 み ま す 。「 飼 い 慣 ら す 、 っ て ど う い う 意 味 ? 」 と 王 子 様 は 尋 ね ま す 。 キ ツ ネ は
「 そ れ は 、 絆 を 作 る 、 っ て こ と さ 。」 と 答 え ま す 。
その意味は「きみにとっておれは10万匹のよく似たキツネのうちの1匹でしかない。
で も 、 き み が お れ を 飼 い 慣 ら し た ら 、 お れ と き み は 互 い に な く て は な ら な い 仲 に な る 」。
王子様は少し分かったような気がしますが、でも、以前「あの花」は自分が飼い慣らした
はずなのに、バラ園の花たちと同じにしか見えなかったなぁと疑問に思います。
王子様がキツネと分かれて出発しようとすると、キツネは「もう1度あの庭園のバラた
ち を 見 て み な 。 き み の バ ラ は 世 界 に 一 つ し か な い っ て こ と が わ か る は ず だ 。」 そ し て 、「 戻
っ て き た ら お 別 れ に 1 つ 秘 密 を あ げ る か ら 。」 と 伝 え ま す 。
王子様が改めてバラ園に行ってみると、王子様は、バラ園のバラは、自分の知っている
「あの花」とは違うことに気付きます。彼はバラたちに「通りすがりの人たちは、ぼくの
あのバラを見て、君たちと同じだと考えるだろう。でも、あれはきみたちぜんぶ合わせた
よりも大事だ。なぜって、ぼくが水をやったのは他ならぬあの花だから。ぼくがガラスの
鉢 を か ぶ せ て や っ た の は あ の 花 だ か ら 。」
第252号
平成24年2月22日
肝心なことは目には見えない(2)
最初見たときは、自分の大事な「あの花」も目の前の沢山のバラと同じにしか見えなか
ったのだけれど、キツネにいわれて庭園に来て、改めてバラを見てみると、大事な「あの
花」と大きく違うことに気付きます。そして、庭園から戻ってきた王子様に、キツネは秘
密 の 言 葉 を 伝 え ま す 。「 簡 単 な こ と な ん だ 。 も の は 心 で 見 る 。 肝 心 な こ と は 目 に は 見 え な
い 。」 ま た 、 こ う も 付 け 加 え ま す 。「 き み が バ ラ の た め に 費 や し た 時 間 の 分 だ け 、 バ ラ は
き み に と っ て 大 事 な ん だ 。」
「 心 で 見 る 」 と は ど う い う こ と な の で し ょ う 。 そ れ は 多 分 、「 心 で 感 じ る 」 と い う こ と
で あ り 、「 心 で 感 じ る 」 こ と が で き る か ど う か は 、 キ ツ ネ が 星 の 王 子 様 に 「 バ ラ の た め に
費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ」といったように、感じようとす
る対象の為にどの位の時間を費やしたか、どの位深く関わったかということによって違っ
てくるのだと思います。
目で見える世界は、論理的で、客観的、物質的世界です。これに対して、心で見る世界
は主観的で精神的な世界といえるでしょう。
私たちは、日常の中で、専門家と称する人の論理的な説明を聞くと、ついそれが正しい
ものと受け止めてしまう傾向がありますが、自分が深く関わっていることであれば、理屈
ではいい返せなくとも、専門家の説明に対して「それは違うのではないか」と感じること
があると思います。それは心の目で本質を捉えているからに外なりません。
今自分が目にしている現象は、現実そのものではありますが、その現象を引き起こして
い る 本 質 的 な 問 題 は 、た だ 黙 っ て 立 っ て い る だ け で は 見 る こ と も 感 じ る こ と も で き ま せ ん 。
その本質的な問題に迫るためには、目をよく見開いてモノを見、耳をそばだてて情報を集
め、頭の柔軟体操をして脳みそを柔らかくし、平衡感覚と感性を養う、そうした努力が必
要であり、そうしない限り、心の目が開くことも、物事の本質に迫ることも難しいと思い
ます。
星 の 王 子 様 が 、「 あ の 花 」 が 他 の バ ラ た ち と の 違 い に 気 付 い た の は 、 星 の 王 子 様 が 「 あ
の花」のために沢山の時間を費やしたからではないでしょうか。
ある問題について、専門家が大丈夫といっているから大丈夫と思っている、そう思うこ
とで思考停止してしまっていては、その問題のために自分が貴重な時間を費やしているこ
とにはなりません。そしてそのままでは、多分何時までたっても「肝心なことは目には見
えない」状態が続くことになるでしょう。
今 回 の 福 島 第 一 原 発 事 故 を 目 の 当 た り に し て 、私 た ち は「 肝 心 な こ と を 見 て い な か っ た 」
こ と を 痛 感 し た 筈 で す 。 で も 、「 肝 心 な こ と が 見 え て い な か っ た 」 と 気 付 い た こ と は 重 要
です。
考えることを人任せにせず、自分の感性を磨く努力を怠るべきではありません。見える
ものだけに囚われ、一喜一憂しているだけでは、いずれまた、再び臍を噛むことになるで
しょう。
第253号
平成24年2月23日
中学生とAEDの実習
さいたま市では、新年度、市立の全中学校の授業に胸骨圧迫も含めた心肺蘇生処置の実
習を取り入れるとのことです。
これは、昨年の秋に発生した小学生の死亡事故を教訓にしたもので、政令指定都市とし
ては初めての試みとなっています。
この事故は、昨年9月、さいたま市内の小学校で6年生の女児が長距離走の後に倒れた
のですが、学校側では女児の心肺停止状態を把握できず、備え付けのAEDも使わず心肺
蘇生処置をしなかったことが、問題視されました。
このためさいたま市では、中学1、2年生を対象に年に1度、2~3時間、AEDの使
い方、胸骨圧迫の方法などを学ぶことにしており、また、講師は、市消防局の講習を受け
「応急手当普及員」の資格を持つ教師が努めるとしています。
こうした取組について、さいたま市の教育委員会では
・教師自身の危機対応能力の保持に資する
・応急手当に関する生徒の知識や技能の習得につながる
・こうした取組を通じて、学校の安全度が高まる
ということを期待しているようです。
国の学習指導要領の解説において、AEDについては「必要に応じて触れる」としてお
り、実習まで求められてはおりませんし、年に1回ぐらいの講習では、いざという時旨く
対応できるとは思えないという人もいるかも知れません。
しかし、全ての子ども達が、事故が発生した場合の応急手当の方法だけでなく、AED
を実際にさわり、その扱いについて学んでおくことは、決して無意味ではありません。む
しろ、何かあったら直ぐにAEDに結び付くように意識付けしておくことは大事なことで
す。
また、初めての取組の場合、一部の学校をモデル的にということになりがちですが、さ
いたま市のように全ての学校で一斉に行うというのは、地域全体の危機管理意識を向上さ
せる上でも意義があると思います。
この他、宮城県三陸町の戸倉中学校では、東日本大震災の経験を踏まえ、2年生18人
と教師2人が地元消防署の救急救命訓練に参加し、人工呼吸やAEDの使い方を教わった
という新聞報道もありました。
北海道の中学校については、各市町村において管内全ての中学生を対象にAEDの実習
をしているという話は聞いたことがありません。また、高等学校については、授業の中で
心肺蘇生法に併せAEDの取り扱いについて学ぶ時間を設けていますが、実習まで行って
いる学校は多くはないようです。
AEDを実習するためには学習用のキットを用意する必要があり、全ての学校で実施す
るというのは財政上も難しいと思います。しかし、先生だけでなく子ども達が実習を通し
て心肺蘇生法に加えAEDについての知識や取り扱いを学ぶことは、危機管理意識を醸成
する上でも意義がありますので、少しでもそうした機会が確保されるよう望みたいもので
す。
第254号
平成24年2月24日
生活不活発病
宮城県南三陸町の調査によると、東日本大震災で被害を受け、仮設住宅に住む65歳以
上の高齢者の内、約3割の方が震災後に新たに歩行困難になっていることが明らかとなっ
て お り 、 そ の 原 因 は 、「 生 活 不 活 発 病 」 に あ る と 考 え ら れ て い ま す 。
「生活不活発病」というのは、文字通り生活が不活発なことが原因で起こる症状で、心
身のほとんど全ての機能が低下するといわれています。学術的には「廃用症候群」といい
ますが、これだと、することがない人間は役立たずだといわれているみたいで余り良い気
持 ち は し ま せ ん が 、「 生 活 不 活 発 病 」 と い う の は 決 し て 軽 視 す べ き 問 題 で は あ り ま せ ん 。
高 齢 者 の 場 合 、「 生 活 不 活 発 病 」 に 陥 る 典 型 的 な き っ か け は 入 院 と い わ れ て お り 、 風 邪
や骨折といったように、病気やけが自体は大したことがなくても、入院して安静にしてい
る内に、病気やけがは治ったにもかかわらずベッドから起き上がれず寝たきりになってし
まう、ということがしばしば起こります。この場合、リハビリなどによって機能が回復す
る場合もありますが、逆に、寝たきり状態のまま介護を続ければ、ますます機能が失われ
ていくということにもなります。
南三陸町のケースは、高齢者の入院とは状況が異なりますが、調査によると、仮設住宅
に 入 居 し て い る 高 齢 者 の 方 々 は 「 す る こ と が な い 」「 趣 味 や 老 人 ク ラ ブ が な く な っ た 」 と
述べており、震災前と比較すると格段に外出の機会が減っていることが伺えます。
震災前であれば、身の回りのことは自分でしていたでしょうし、畑仕事など日々するこ
ともあり、更には、古くからの友達も周りにいて、外に出て人と触れ合ったり、身体を動
かす機会が多かったと思われますが、仮設住宅に入居している高齢者の方々は、周りに知
った人も少なく、多くは孤立しており、外出の機会も殆どないようです。こうした状況の
中で、本来持っている機能が低下し、歩行困難になってしまうことは非常に残念なことで
す。
仮設住宅の建設に当たって、高齢者を含むコミュニティが維持されるように、地域ぐる
みで移住できるような配慮が最も望ましいと思います。しかし、現実には用地の確保など
難しい課題が多いと思われますので、少なくとも、仮設住宅に入居している高齢者に対し
ては、社会的な孤立を防ぐ手だてを積極的に講じていただきたいと思います。
な お 、蛇 足 な が ら 、人 間 は 持 っ て い る 機 能 を 使 わ な い と そ の 機 能 が 低 下 す る と い う の は 、
高齢者に限らず若い人であっても同じことです。如何に若くても、自分の殻に引き籠もっ
ていては、肉体的にも精神的にも「生活不活発病」に陥ってしまいます。
まずは、窓を開けて外の空気を吸おう。そして、扉を開けて、一歩外に出よう。春は、
もう直ぐそこまで来ているのですから。
第255号
平成24年2月27日
津波てんでんこ(1)
悪夢のような東日本大震災から、間もなく1年が経とうとしています。
私たちはあの大震災から、学校における防災教育と平素の訓練が如何に重要であるかと
いう教訓を得ました。特に、石巻市立大川小学校の悲劇は今後とも語り継いでいかなけれ
ばなりません。
大川小学校では、全校児童108人の内7割が死亡・行方不明となり、また、教諭につ
いても11人の内10人が死亡・行方不明という悲惨な事態となりました。
周辺の学校では少ない被害で済んでいますので、大川小学校における被害の大きさは特
異であり、こうした悲劇の背景にはどのようなことがあったのか、しっかりと検証する必
要があるでしょう。
地震が来たらまず高台に逃げる、これは安全確保の鉄則ですが、大川小学校の場合、避
難開始の遅れは致命的でした。
どうしてそうなったのか。
まず考えられることは、防災計画の不備ということです。大津波を想定した避難場所が
決められていなかったといいます。折角裏山があるのに、学校としてそこがどういう状況
に あ る の か 把 握 し て い な か っ た と い う の も 残 念 な こ と で す 。ま た 、防 災 訓 練 も お ざ な り で 、
実効性のあるものではありませんでした。
次に考えられることは、リーダーの不在ということです。当日は校長が都合で学校にい
なかったようですが、教頭はいたでしょうし、ベテランの教師もいたはずですから、緊急
時に強力なリーダーの不在は避難の遅れにつながったのではないかと思われます。教師が
集まって今後の対応策を話し合ったようですが、一刻を争う中でなかなか方針が決まりま
せんでした。その間、子ども達を校庭に待機させ、いたずらに貴重な時間を浪費してしま
いました。
更 に 、 津 波 に 対 す る 危 険 性 の 認 識 が 薄 か っ た と い う こ と で し ょ う 。「 山 に 逃 げ ろ 」 と 進
言した保護者がいたということですが、結局その進言が活かされることはありませんでし
た。
何はさておいても子ども達の命は守るという、この大原則を大川小学校は守ることがで
きませんでした。
一方、釜石市においては、津波襲来時に小中学校の管理下にあった児童・生徒は小学生
1927人、中学生999人いましたが、全員無事でした。釜石の奇跡といわれる所以で
す 。 そ れ は 、 偶 然 の 結 果 で は な く 、 平 素 の 防 災 教 育 と 実 践 的 な 訓 練 の 成 果 で あ り 、「 率 先
避 難 者 た れ 」 い い 換 え れ ば 、「 津 波 て ん で ん こ 」 と い う 考 え 方 が し っ か り と 身 に 付 い て い
たからではないかと思います。
第256号
平成24年2月28日
津波てんでんこ(2)
釜石市が位置する三陸海岸は、以前から津波の被害を繰り返し受けてきました。このた
め、釜石市では、8年前から群馬大学大学院の片田教授による津波防災教育を行ってきま
した。その中で、子ども達が主体性を発揮できるよう、より実践的な避難訓練や、学校の
地域特性に応じたハザードマップの作成などの防災対策を進めてきたことが、東日本大震
災に際しては大きな成果を上げたといえそうです。
片 田 教 授 に よ る と 、 津 波 防 災 教 育 で 小 中 学 生 に 伝 え て き た こ と は 、「 大 い な る 自 然 の 営
みに畏敬の念を持ち、行政に委ねることなく、自らの命を守ることに主体的たれ」という
ことであり、避難に当たっては
「想定にとらわれるな」
「最善を尽くせ」
「率先避難者たれ」
という3原則を常にいい続けてきたそうです。
第1原則の「想定にとらわれるな」というのは、行政が作成したハザードマップを盲信
してはならないということであり、第2原則の「最善を尽くせ」というのは、その時にで
きる最善の対応をすべきというものです。
そ し て 、 第 3 の 原 則 「 率 先 避 難 者 た れ 」 と い う の は 、「 率 先 し て 避 難 す れ ば 、 そ の 姿 を
見て周囲の人もついてくる。そうすることで、結果として多くの人々を救える。だから、
まずは自分の命を守りぬくことが先決だ」というものです。
もともと三陸地方には「津波てんでんこ」という言葉があります。津波が来たら、家族
のことを気にすることなく、ひとりひとりがてんでんばらばらに逃げろ、という意味であ
り 、「 率 先 避 難 者 た れ 」 と 相 通 ず る も の が あ り ま す 。
こ の 「 津 波 て ん で ん こ 」 に 対 し て は 、「 自 分 だ け が 助 か れ ば い い の か 」 と い う 疑 問 の 声
が 聞 こ え て き そ う で す が 、 片 田 教 授 も 、「 そ う し た 倫 理 観 を 乗 り 越 え る こ と が 最 大 の 課 題
だった」といいます。
地震直後、中学生が先頭に立ち、高台を目指し、駆けだすと、それを見た周辺住民も一
緒 に 逃 げ て 難 を 逃 れ た と い い ま す か ら 、「 率 先 避 難 者 た れ 」 と い う 教 え が 活 か さ れ た と い
えます。また、中学生達は、小学生の手を引きながら逃げており、決して自分たちだけで
逃げたのではありません。これも平素、中学生が小学生と一緒に逃げる訓練を重ねてきた
成果の一つです。
今回の大震災では、家族を心配して自宅に戻ったところを津波に襲われた方や、住民の
避難誘導をしていて自身は津波に呑まれた消防団員など使命に殉じた方も多くいらっしゃ
いました。
「津波てんでんこ」が良いというのであれば、殉職した消防団員はどう考えたらよいの
かという指摘もあるでしょう。
私 は 、「 津 波 て ん で ん こ 」 と い う の は 、「 自 分 の 命 は 自 分 で 守 る 」 と い う 強 い 意 志 と 行
動 力 が な け れ ば 、 他 人 は お ろ か 自 分 の 命 さ え 守 れ な い と い う こ と で あ り 、 決 し て 、「 自 分
さえ助かればそれで良い」といっているのではないと思っています。
だからこそ、余震の続く中、中学生達は小学生の手を引いて必死に逃げたのではないで
しょうか。
今 回 の 大 震 災 に お い て 、「 目 の 前 に い る 被 災 者 を 助 け た く て も 助 け ら れ ず 、 自 分 だ け が
逃げて助かった」ということを、半ば罪悪感を内に秘めながら話される被災者がいます。
そ れ は 今 で も 被 災 者 の 心 の 傷 と な っ て い る か も し れ ま せ ん が 、私 は 、
「津波てんでんこ」
なのだから、
「 あ な た だ け で も 助 か っ た こ と は 良 か っ た の だ 」と 申 し 上 げ た い と 思 い ま す 。
こ こ ま で 、「 石 巻 市 立 大 川 小 学 校 の 悲 劇 」 と 「 釜 石 の 奇 跡 」 に つ い て 見 て き ま し た 。
あの大震災の最中、安全な所にいた私が、結果だけを見て評論家的に石巻市立大川小学
校 を 批 判 す る こ と は で き な い し 、 ま た す べ き で は な い と 思 っ て い ま す 。「 も し も 、 私 が 現
場の当事者であったら、果たして冷静で的確な判断と行動ができたか」と自ら問えば、自
信はありません。
東日本大震災を契機として、今後、防災計画の見直しが進められると思いますので、そ
れぞれの地域、それぞれの学校において、実態に即した防災計画の整備を急いでいただき
たいと思います。
ただ、二つの事例を見ながら感じることは、切迫した中では身体で覚えていることが役
に立つということです。形式的ではなく、より実効性のある訓練を重ねることが如何に重
要であるかということを、二つの事例は良く物語っているのではないでしょうか。
第257号
平成24年2月29日
教育目標設定の責任者は?
大阪府は、大阪府議会2月定例会に「職員基本条例」案及び「教育基本条例」案を提案
しました。これらはいずれも、橋下市長が知事時代から主張してきたもので、まさに有言
実行という形です。
府議会は「大阪維新の会」が過半数を占めていますので可決される見通しであり、4月
から施行されるのは確実のようです。
今 回 提 案 さ れ た 条 例 の 内 容 は 、「 教 育 基 本 条 例 」 に つ い て は 、 教 育 委 員 会 主 導 の 教 育 行
政から首長のリーダーシップが発揮できるような形への転換を図ろうとするものであり、
「職員基本条例」については、硬直化した公務員制度を抜本的に見直し、管理強化を図ろ
うとするものですが、特に、教育委員会制度に対する改革への意欲は相当のものがありま
す。
橋下市長は、学校の教育目標を首長主導の下で設定しようとしている他、教育委員につ
いても場合によっては罷免するとするなど、教育行政に対する政治の関与を強めようとし
ています。いい方を換えると、現行の教育委員会制度に対してNOを突きつけているとい
っても過言ではありません。
「大阪維新の会は」は、坂本龍馬の「船中八策」に倣って「維新八策」を検討していま
すが、その中には「教育委員会制度の廃止を含む抜本改革」を謳っていますので、最終的
には現在の教育委員会制度そのものを廃止しようとしているのではないかと思います。
勿論、こうした橋下市長の動きに対して教育委員会側は反発しているようですが、橋下
市長のパワーの前にねじ伏せられているといったところでしょうか。
大阪府においても、北海道と同様、子ども達の学力が非常に低いことが問題となってい
るのですが、橋下市長は、府や市町村の教育委員会がこうした状況に効果的な対策を打て
ていないと見ているのだと思います。特に、彼が知事に就任した当初、全国一斉の学力調
査の結果を公表しようとして教育委員会から厳しい抵抗にあっていますが、こうした経緯
もあり、教育に対して首長はもっとイニシアティブを取れるようにすべきだと考えている
のではないでしょうか。
子ども達の学力調査の結果について、橋下市長が「教育委員会は何をしている」と怒り
たくなる気持ちは分からなくはありませんが、そうはいっても、子ども達の学力が低いこ
とを教育委員会だけの責任にしてしまっては酷というものでしょう。
現 状 を 見 た と き 、指 導 力 に 欠 け る 、あ る い は 不 足 し て い る 教 員 が い る こ と は 確 か で あ り 、
また、教育委員会も十分力を発揮しているとはいえないかも知れませんが、同時に、大阪
府についていえば、生活保護受給者が全国一という状況にあり、都道府県の幸福度ランキ
ングでも最下位(法政大学大学院の坂本教授のグループによる調査結果)というような、
子ども達、更には子ども達の学びを取り巻く環境の影響も無視することはできません。つ
まり、子ども達の学力については、首長にも責任の一端はあるということです。
教育委員会は、首長とは独立した行政機関であるとされています。しかし、教育行政を
進めるための予算は首長によってコントロールされていますので、実態としては首長から
独立しているわけではありません。
一年の計は、穀を樹うるに如くはなし。
十年の計は、木を樹うるに如くはなし。
終身の計は、人を樹うるに如くはなし。
というのは、中国は斉の宰相「管仲」の言葉ですが、教育はまさに、100年の大計とい
うことです。そうであるならば、教育の目標や方針が、時の政権や首長が変わるごとに変
わ っ て 良 い と い う こ と に は な ら な い で し ょ う 。教 育 委 員 会 が 政 治 的 中 立 を 求 め ら れ る の は 、
そうした社会的要請に基づくものだと思います。
また、教育委員会は、教育を教育の専門家だけに任せるのではなく、レインマンコント
ロールという仕組みによって地域の多様な意見を政策に反映させるようにしています。
このレインマンコントロールと政治的中立性は、教育委員会制度を支える重要な柱です
が、今回の大阪府が提案した「教育基本条例」は、そのいずれをもなし崩し的に壊してし
まうのではないかと懸念します。
勿論、教育委員会が今のままで良いのかといえば、そうではありません。教育委員会が
合議制であることや予算編成権がないことなど、幾つかの制約や弱点があることは確かで
すが、今後、そうした弱点を克服しながら、教育委員会が自ら、強力なリーダーシップの
下、状況の変化や課題に迅速かつ的確に対応していく姿を見せない限り、教育委員会制度
不要論の風を押し止めることは、難しいと思われます。
第258号
平成24年3月1日
再生への一歩
道立高校としては閉校に追い込まれた「三笠高等学校」ですが、三笠市の市立高校とし
て新たな出発を果たしました。
今年初めての出願状況は、道内で最高の2倍を超えるという人気の高さを示し、順調な
滑り出しとなりました。
「三笠高等学校」は、1945年4月三笠町立の「北海道三笠工業学校」として開校、
その後、1949年3月に道立へ移管されています。
1951年3月、全日制普通科を5学級設置し、校名を「北海道三笠高等学校」と改称
し ま す 。 そ の 後 、 少 子 化 の 影 響 な ど か ら 入 学 者 が 減 少 し 続 け 、 2 0 0 8 年 4月 か ら は 普 通
科 1学 級 の 編 成 、 2 0 1 0 年 か ら は 生 徒 の 募 集 が 停 止 と な っ て い た も の で す 。
道内における毎年の中学卒業生の状況をみると、昭和63年の9万2千人がピークで、
その後は減少を続け、現在は4万9千人とピーク時の半分近くにまで減少しており、この
傾向は今後も続く見込みとなっています。
この結果、校種を問わず、学校の間口(第1学年の定員)調整はもとより学校の再編を
余儀なくされています。
人々が住む場所を選ぶ際、医療機関や教育機関が整っているかどうかということは重要
な判断材料となっています。特に、就学する児童生徒を抱える親にとっては、最も関心が
高い問題です。
また、地域にとっても、学校があるということは、そこに先生やその家族が住むという
ことでもあり、地域経済にとっても波及効果は少なくありません。それだけに、地域から
高校がなくなるということは、その地域にとっては死活問題であり、当然、地域ぐるみで
廃校反対の狼煙が上がることになります。
一方、高校の教育力という視点で見れば、教師の数、施設の状況、更には部活動などを
見ても、学校規模の大きい方が(大きすぎてもいけませんが)より充実した教育を提供で
きますので、教育を受ける生徒の視点に立てば、高校の再編は避けられないところです。
「 三 笠 高 等 学 校 」も 生 徒 減 少 が 続 く 中 、た だ 単 に 手 を 拱 い て い た わ け で は あ り ま せ ん が 、
遂には閉校に追い込まれる事態となりました。しかし、地元市民は高校存続を強く望んで
おり、これに応えて三笠市が市立高校として存続を決断したものです。存続に当たって、
校舎や敷地は道から無償で譲渡を受けたとはいえ、その後の財政負担を考えれば大いなる
決断であったと思います。
三笠市では、新しい高校のスタートに当たり、普通科を廃止すると共に、卒業と同時に
調理師の免許が取れるカリキュラムを組んだ調理師コースと、パティシエを目指す生徒を
対象にした製菓コースを新設することにしました。そのために、市では、6千万円をかけ
て調理台ダクトの設備などを整備しています。
また、寄宿舎も整備し、併せて光熱水費は市が負担するといったように、受入体制を整
え、出願の日を待っていました。その結果は冒頭の通り、大きな反響がありました。その
背景としては、調理師コースや製菓コースといった特色ある教育内容が生徒や保護者に評
価された結果だろうと思います。
こうした特色ある教育を実践している公立高校は、道内には「おといねっぷ美術工芸高
等 学 校 」「 置 戸 高 等 学 校 」 な ど が あ り ま す が 、 今 後 も 持 続 し て 生 徒 を 集 め る た め に は 、 学
校としての実践力を常に高め、進学や就職についてもしっかりと成果を上げていく必要が
あ り ま す 。 た だ 、「 お と い ね っ ぷ 美 術 工 芸 高 等 学 校 」 は 道 外 か ら も 生 徒 が 来 る な ど 健 闘 し
ていますが、資格取得においても就職においても高い成果を上げている「置戸高等学校」
は苦戦しています。ここに、学校経営の難しさがあります。
市では今後、年間数千万円かかる学校運営経費や1千万近い寄宿舎の光熱水費の負担な
ど が 重 く の し 掛 か っ て く る こ と に な り ま す が 、そ れ は 地 域 の 期 待 の 表 れ で も あ り ま す の で 、
新生「三笠高等学校」が、そうした地域の期待に応え、重要な教育機関として大いに活躍
されるよう祈っています。
第259号
平成24年3月2日
性犯罪と再犯防止
大阪府は、2月議会に「大阪府子どもを性犯罪から守る条例案」を提案しています。そ
の 趣 旨 は 、「 子 ど も の 人 権 、 尊 厳 を 踏 み に じ り 、 被 害 回 復 が 困 難 な ば か り か 、 本 人 、 そ の
家族はもとより地域社会に重大な影響を及ぼす性犯罪の被害を未然に防止するため」とし
ています。条例案の内容については、子どもに不安を与える行為の禁止や子どもを威迫す
る行為の禁止の他、社会復帰支援対象者(性犯罪者が出所後5年間経過していない者)に
「居住地届け出義務」を課し、違反した者には行政罰を科すこととしています。また、社
会復帰支援対象者の社会復帰支援として、臨床心理士や精神科医らによるサポートなどを
盛り込んでいます。
この条例が成立すると、全国で初めてという事になり、他府県に対しても大きな影響を
与えることになろうと思います。
性犯罪は誠に卑劣であり、許されるものではありませんが、特に問題なのは再犯率の高
さです。
平成22年版の犯罪白書を見ると、強制わいせつを含む性犯罪の再犯率は38%にも及
ん で お り 、「 性 犯 罪 を 繰 り 返 す 者 は 、 更 に 性 犯 罪 の 再 犯 に 及 ぶ リ ス ク が よ り 大 き い こ と が
う か が わ れ る 。」 と し て い ま す 。 ま た 、 就 労 状 況 が 安 定 し て い て も 、 そ れ が 強 姦 の 抑 制 要
因としてはほとんど意味を持っていない、ということも明らかにしています。
性犯罪の被害者は、生涯にわたり心の傷を引き摺りながら生活しているのではなかろう
かと心が痛みますが、一方、犯罪を起こした側は、性犯罪に対する量刑が軽いため数年で
社会に出てくる事になります。しかも、その中から4割近い人間が再び性犯罪を起こして
いるという実態は、見過ごせません。
性犯罪者に対する外国の対応を見ると、例えば、アメリカでは性犯罪者に居住地の登録
を義務づけ、地域住民に通知する制度を導入しているといいますし、お隣の韓国ではGP
Sによる行動監視を行っています。この他、欧米では、性行動を押さえる薬物治療が普及
しているという話しも聞きます。こうした諸外国と比べると、我が国の再犯防止に向けた
対応は十分とはいえません。
なお、宮城県や大阪府では、性犯罪者に対するGPSによる行動監視について検討が進
められているようですが、実際にそれが実施されるかどうかは不透明です。
性 犯 罪 者 に 対 し て「 居 住 地 届 け 出 義 務 」を 課 し た り 行 動 監 視 を 行 う こ と に つ い て は 、
「性
犯罪者に対する二重刑罰だ」あるいは「犯罪者にも人権がある」といった批判の声もある
ことは事実です。しかし、それらの措置は、制度の運用に当たって慎重を期すべきことは
いうまでもありませんが、性犯罪者の再犯防止、また、市民の不安解消という観点から、
止むを得ないものと考えます。
ただ、性犯罪者の「居住地届け出義務」やGPSでの監視に、犯罪を抑止する力がどの
程度あるのかは未知数ですので、再発防止をより効果的に進めていくためには、社会復帰
に向けた教育やカウンセリング、医学的な治療などきめ細かな対応と連動させていく必要
があります。
いずれにせよ大阪府の条例案は、性犯罪の再発防止に向け一石を投じたことは間違いな
く、この機会に、国において抜本的な対策について検討を進めて欲しいものです。
第260号
平成24年3月5日
非正規雇用問題を考える
総務省の労働力調査によると、派遣やパートなどで働く非正規雇用者が全雇用者に占め
る 割 合 は 、 2 0 1 1 年 は 35.2% と な っ た こ と が 明 ら か と な り ま し た 。
この調査では、東日本大震災の影響で一時調査できなかった岩手県、宮城県、福島県の
3県を除いた44都道府県のデータで見たものもので、同じ44都道県の10年平均と比
較 す る と 、 非 正 規 雇 用 者 の 全 雇 用 者 に 占 め る 割 合 は 0.8ポ イ ン ト 上 昇 し て お り 、 現 在 の 方
法による調査としては過去最高となったとのことです。
非正規雇用者、特に派遣労働者を巡っては、2008年11月に始まった金融危機を背
景 と す る 世 界 的 不 況 の 中 、自 動 車 業 界 な ど の 製 造 業 に お い て 大 量 の 派 遣 契 約 の 打 ち 切 り( 派
遣切り)が行われ、当時大きな社会問題となりましたので、記憶している方も多いと思わ
れます。
この労働者派遣という雇用形態は1970年代の半ばから急速に増え始めたもので、こ
れに対応する形で、1985年労働者派遣法が制定され、それまで違法とされていた労働
者派遣が専門的な業種の分野で可能とされました。
その後、1999年、労働者派遣の分野が建設、警備、港湾、製造業を除き原則自由に
となり、更に、2003年には、期限付き雇用契約が1年から3年(専門職は3年から5
年)に延長されています。
このように労働者派遣を巡る環境は時代と共に変化してきていますが、こうした雇用形
態は、今後増えることはあっても減ることはないでしょう
このように、終身雇用は既に過去のものとなっており、労働者派遣を含め非正規雇用が
当たり前の状況になっていますが、一方では、非正規雇用に関わる問題もまた顕在化して
きています
非正規雇用という雇用形態は、働く側にとって自身の働き方を自由に選択できるという
メリットがないわけではありませんが、正規職員と比較すると、一般的には
・単位時間当たりの給与が低い、退職金がない、ボーナスがないなど、給与が低く抑え
られている
・雇用が不安定である。
・就労を重ねてもキャリア形成に繋がりにくい
といった問題が指摘されています。これらの問題をどう解決していくかは非常に大きな社
会問題ですが、さりとて、単純に非正規雇用を止め正規化するということでは問題は解決
しないでしょう。
正規職員を増やすということは、人件費のコスト増に繋がりますから、非正規雇用の機
会そのものを狭めてしまう恐れもあります。従って、国においては、まずは景気を良くし
て雇用そのものを増やす努力をお願いすると共に、
・現行の新卒4月一括採用という慣行を止め、通年採用に切り替える
・ワーキングシェアを政策的に推し進める
・失業者に対する職業訓練を充実する
等々、雇用機会の拡大に結び付く施策を、積極的に進めていただくことを期待したいと思
います。
第261号
平成24年3月6日
議論のルール
過日、私の友人からメールがあり、フィンランドの子ども達が作った議論における10
のルールの紹介があり、日本の政治家や文化人と称する方々に教えたいものだとありまし
た。
議論というと、田原総一郎氏の「朝まで生テレビ」やNHKの「日曜政治討論」を直ぐ
に思い起こしますが、あれが、望ましい議論・討論の姿なのかというと、多少疑問です。
特 に 、「 朝 ま で 生 テ レ ビ 」 に 至 っ て は 、 と も か く 自 分 の 考 え を 一 方 的 に 言 い 合 っ て い る
だけで、自分のパフォーマンスの場と勘違いしているのではと感じてしまいます。
相手が発言しているのに、その発言を遮る、果ては司会者までが自説を展開して憚らぬ
というのでは、まともな議論になるはずもありません。格闘技を見ているようで面白い、
という人もいるかも知れませんが、議論のための議論をただ面白がるというのでは、建設
的とはいえません。
議論するというのは、あるテーマについてそれぞれの考えを出し合い、話し合う中で一
定の方向性を見出すために行うものです。従って、議論を効果的に行うためには、議論に
参加する者にも守るべきルールというものがなければなりません。
例えば、相手の発言を無視したり、居丈高に攻撃する、更には発言者を馬鹿にした態度
を取るといったようなことは、建設的な議論になるはずもなく、最低限避けなければなり
ません。
日本人は議論が下手と良くいわれますが、その一番の理由は、議論に感情が入ってしま
うことではないかと思います。そのため、話し合いの場であるにもかかわらず感情的にな
り、議論が喧嘩のようになってしまったり、気まずい雰囲気になってしまうということが
しばしば起こります。
議論の場での発言は、飽くまでも与えられたテーマに対する意見であり、その発言者の
人格とは本来別物のはずですが、どういう訳か混同しがちです。そのため、自分の発言が
否定されたり、反論されたりすると、まるで自分の人格まで否定されたような感覚に陥っ
てしまうのではないでしょうか。
勿 論 、 世 の 中 、 急 速 に 国 際 化 ・ グ ロ ー バ ル 化 が 進 展 し て い ま す の で 、「 日 本 人 は 議 論 が
下 手 」で 良 い わ け も 、済 ま さ れ る は ず も あ り ま せ ん 。我 々 日 本 人 も 、論 理 的 に も の を 考 え 、
それを表現できる力を身に付け、建設的な議論ができるようにしていく必要があります。
それでは、フィンランドの子ども達が作った議論における10のルールというのは、ど
ういうものなのでしょうか。
1
他人の発言を遮らない
2
話すときは、だらだらとしゃべらない
3
話すときに、怒ったり泣いたりしない
4
わからないことがあったら、すぐに質問する
5
話を聞くときは、話している人の目を見る
6
話を聞くときは、他のことをしない
7
最後まで、きちんと話を聞く
8
議論が台無しになるようなことをいわない
9
どのような意見であっても、間違いと決めつけない
10
議論が終わったら、議論の内容の話はしない
こ の 1 0 の ル ー ル を ご 覧 に な っ て 、 ど の よ う な 感 想 を 持 ち ま す か 。 恐 ら く 、「 な ん だ 、
特別のことは何もないな」と感じた方も多いと思います。しかし同時に、我々が普段行っ
ている議論について見ると、このごく当たり前と思われることも意外にできていないこと
が多いと反省させられます。
議論が議論として成立するためには、特別のルールが必要なのではなくて、相手の発言
を し っ か り 聞 き 、自 分 の 考 え を 良 く 整 理 し て 発 言 す る と い う こ と に 尽 き る と い う こ と で す 。
ということは、議論が下手な日本人でも訓練次第で上手になるということでもありますの
で、学校教育の場においても、ディベートを旨く活用するなどして、将来の日本を背負っ
ていく子ども達に論理的にものを考え、発言する力が身に付くよう、積極的に取り組んで
いただきたいと思っています。
第262号
平成24年3月7日
はやぶさ—遥かなる帰還(1)
「はやぶさ—遥かなる帰還」は、小惑星「イトカワ」の地表にタッチダウンして岩石サ
ンプルを持ち帰るという、世界で初めてのミッションを成功させたプロジェクトチームの
活躍を描いた映画です。
小惑星探査機「はやぶさ」については、既に「はやぶさ/HAYABUSA」として映
画化されています。この映画は、一人の研究者の目線でプロジェクトチームの活躍を描い
たものですが、現在公開されている「はやぶさ—遥かなる帰還」は、プロジェクトを動か
していったリーダーに焦点を当てて描いています。
また、今後「おかえり、はやぶさ」という映画が劇場公開される予定であり、これによ
っ て 、「 は や ぶ さ 」 を 題 材 に 3 本 の 映 画 が 作 ら れ る こ と に な り ま す が 、 そ れ だ け 「 は や ぶ
さ」の約7年間、60億キロメートルにわたる旅は、我々の心を揺さぶる劇的なものであ
ったということだと思います。
2 0 0 3 年 5 月 9 日 宇 宙 研 究 開 発 機 構( J A X A )に よ っ て 打 ち 上 げ ら れ た「 は や ぶ さ 」
は、満身創痍となりながら、2010年6月13日オーストラリアのウーメラ砂漠で回収
さ れ 、「 イ ト カ ワ 」 か ら 日 本 に 貴 重 な サ ン プ ル を 持 ち 帰 り ま し た 。
し か し 、「 は や ぶ さ 」 に と っ て そ の 旅 は 、 決 し て 順 調 な も の で は あ り ま せ ん で し た 。
・2005年7月、姿勢を安定させるためのリアクションホイール3台のうち1台が故
障その後2台目も故障1台のみとなる。
・ 2 0 0 5 年 1 1 月 、「 イ ト カ ワ 」 に タ ッ チ ダ ウ ン す る も 約 3 0 分 間 に わ た っ て 斜 め に
着陸してしまい、その後やり直して成功。
・2005年12月、化学エンジンの燃料漏れが発生、姿勢が乱れ通信が断たれ7週間
にわたり行方不明となる。
・2006年5月イオンエンジンにトラブルが続発
このように、致命的とも思えるようなトラブルに度々見舞われながらも、プロジェクト
のメンバー達は、
「 は や ぶ さ 」を 帰 還 さ せ る た め に 絶 対 に 諦 め る こ と は あ り ま せ ん で し た 。
特に、渡辺謙が演じた山口駿一郎氏(JAXA教授で「はやぶさ」プロジェクトマネー
ジャー)は、プロジェクトメンバーの人心を掌握すると共に、一つ一つのトラブルが「は
やぶさ」全損の恐れもある厳しい状況の中でぎりぎりの決断を下し、ミッションを成功に
導いていくのですが、そのリーダーシップは見事であったと思います。
山口教授の、危機に際しての強さはどこから来ているのでしょうか。
それは、スタッフに対する信頼やこれまで準備してきた事への自信でしょうか。勿論、
そのことも否定はしませんが、何よりも大きかったのは、何があっても「はやぶさ」を必
ず帰還させるのだという揺るがぬ信念であり、それこそが山口教授の決断を支えた大きな
力であったに違いないと思っています。
山 口 教 授 は 、「 は や ぶ さ 」 の 帰 還 後 、「 カ プ セ ル を ま ず 国 民 に 見 せ る べ き だ 」 と お っ し
ゃたそうです。それは、山口教授が、このプロジェクトは国民の税金でなりたっており、
更 に は 、 国 民 に 自 信 と 希 望 を 与 え る 活 動 で も あ る と 認 識 し て い た か ら で 、「 は や ぶ さ 」 の
栄光を国民と共有しようとする彼の姿勢に対し、拍手を送りたい気分です。
第263号
平成24年3月8日
はやぶさ—遥かなる帰還(2)
日本の航空宇宙技術の開発は、1955年4月、糸川英夫教授によって国分寺市の新中
央工業廃工場跡地で行われたペンシルロケットの発射実験から始まりました。
この実験で使用されたロケットは僅かに23センチメートルという小さなものでした。
当 時 、 そ の 小 さ な ロ ケ ッ ト が 6 0 年 後 に は 、 全 長 30.8m 、 直 径 2 . 5 m 、 総 重 量 1 4 0
トンを超えるMV5ロケットへと進化すると想像した人は、どの位いたでしょうか。
日本のロケット開発の父と呼ばれる糸川教授は、人真似を嫌い、二番煎じを嫌う気性で
あり、それがそのまま我が国の宇宙開発の方向性を定め、その精神は今なお活かされてい
ます。
糸川教授の頭には、ロケットの開発を志した瞬間から欧米に追随する気持ちは全くあり
ま せ ん で し た 。 そ れ は 、「 一 人 の 人 間 が 、 身 も 心 も そ れ に 捧 げ て 追 求 し た 結 果 は 、 必 ず 何
らかの独創性を含む。その独創性こそが、これからの日本に最も必要とされるもの」とい
う彼の信念に基づくもので、それはやがて世界最高の無尾翼の固体燃料ロケットを生み出
す こ と に な る の で す ( 吉 田 武 著 「 は や ぶ さ 」 か ら )。
「はやぶさ」が目指したのは、小惑星「イトカワ」です。この星の名前は、勿論、糸川
教授にちなんだもので、宇宙科学研究所が提案し、国際天文学連合の承認を得て正式に名
づけられました。糸川教授の後輩達が、糸川教授の高みを目指して挑戦した、そんな感じ
がします。
さて、この小惑星「イトカワ」は、平均半径が約160メートル、長径500メートル
あまりしかない小天体であり、これは、これまで惑星探査機が探査を行った中では最も小
さな天体といわれています。しかも、12時間周期で自転しており、平坦な場所は極めて
限 ら れ て い ま す 。 そ し て 、「 イ ト カ ワ 」 ま で の 距 離 は 3 億 キ ロ メ ー ト ル 、 光 の 速 さ で も 到
達 す る の に 1 0 0 0 秒 、信 号 の 往 復 に は 3 0 分 以 上 も か か り ま す 。そ の「 イ ト カ ワ 」に「 は
やぶさ」がタッチダウンし、岩石のサンプルを地球まで持ち帰るというのは、極めて難度
の高い冒険だったことは想像に難くありません。
そ し て 、「 は や ぶ さ 」 の 成 功 の 陰 に は 火 星 探 査 機 「 の ぞ み 」 の 失 敗 が あ っ た と い わ れ て
い ま す 。「 の ぞ み 」 の 失 敗 の 原 因 は 、 電 気 回 路 の 偶 発 的 な 故 障 と か 、 地 球 重 力 圏 か ら 脱 出
を図った際、バルブの故障で推力が足りず、失敗につながったなど色々と指摘されていま
す。
糸川教授は、かつて実験が失敗したときも、それを失敗といわず「成果」とよんでいた
そうです。それは失敗が次の成功に繋がると考えていたからです。
そうした姿勢は後輩達にもしっかりと受け継がれ、それが、難関の地球スイングバイを
成功させ、その後も幾多のトラブルを乗り越えながら「はやぶさ」を地球への帰還へ導い
たのだと思います。
GNPで中国に追い抜かれ、かつてのような元気も自信もなくしている日本ではありま
す が 、「 は や ぶ さ 」 の 成 功 は 、 日 本 の 技 術 力 の 高 さ を 改 め て 証 明 し ま し た し 、 プ ロ ジ ェ ク
トに関わった方々の執念とエネルギーは、我々にも元気を与えてくれました。
使命を果たすために自らは燃え尽きる、そんな「はやぶさ」を見て、自分ももう少し頑
張ってみようと感じた方もいたのではないでしょうか。
ところで、これは全くの余談ですが、糸川教授は、大学を卒業すると戦闘機を製造する
中 島 飛 行 機 と い う 会 社 に 入 社 す る の で す が 、そ こ で 彼 が 設 計 に 関 わ っ た 一 式 戦 闘 機「 隼( は
や ぶ さ )」 は 、 零 戦 と 並 ぶ 名 機 と い わ れ て い ま す 。
「 隼 」 と 「 糸 川 」、「 は や ぶ さ 」 と 「 イ ト カ ワ 」、 不 思 議 な 縁 で す 。
第264号
平成24年3月9日
啓蟄
つい数日前、久しぶりに東京に行ってきました。ピリッとした空気の札幌から羽田に降
り立つと、空気の暖かさに驚きました。
そういえば、3月6日は「啓蟄」でした。
札幌は、まだまだ寒い日が続いていますし、周りも雪だらけで「啓蟄」という言葉さえ
思いも付きませんが、しかし、着実に春は直ぐそこまで来ていると感じたところです。
「 啓 蟄 」 の 「 啓 」 に は 「 ひ ら く 」、「 蟄 」 に は 「 冬 ご も り の た め に 虫 が 土 の 下 に 隠 れ る 、
閉 じ 籠 も る 」 と い う 意 味 が あ り ま す 。 こ こ か ら 、「 土 の 中 で 冬 ご も り し て い た 虫 達 が 暖 か
さを感じて、外に這い出てくる」3月6日頃のことを「啓蟄」といい、二十四節気の一つ
とされています。
「 蛇 穴 を 出 づ 」「 地 虫 穴 を 出 づ 」「 蟻 穴 を 出 づ 」「 虫 出 し の 雷 」 等 も 「 啓 蟄 」 と 同 様 の 意
味で、俳句では季語として良く使用されています。
啓蟄のひとり児ひとりよちよちと(飯田蛇笏)
大蛇や恐れながらと穴を出る(小林一茶)
啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる(山口青邨)
飯田蛇笏の句には、やっと歩き始めた幼子の様子、土の中からやっと地表に這い出した
虫になぞらえて謳ったもので、ほのぼのとした感じがします。また、小林一茶の句には、
地中から恐る恐る顔を出した蛇をユーモラスに捉えています。一方、山口青邨の句は、光
の当たらない地中から出てきたミミズの生命力といったものを感じさせます。
気象予報士の菅井貴子さんによると、一日の平均気温が10度以上になると春の暖かさ
が土の中まで届くようになり、虫たちも活動を始めるのだそうです(同氏著「北海道のお
天 気 ご よ み 3 6 5 日 」)。 南 北 に 長 い 日 本 列 島 で す か ら 、 既 に 各 地 で は 、 沢 山 の 虫 た ち が
そ ろ そ ろ 外 に 出 よ う と 動 き 始 め て い る こ と で し ょ う 。 ま さ に 、「 蠢 動 」 と い う 言 葉 が ぴ っ
たりで、私たちの目には見えないところで命の営みがあり、虫たちの息づかいまでもが伝
わってくるようです。
北海道では、10度以上になるのは5月上旬から6月上旬ということですから、虫たち
はまだまだ眠りから覚める様子はありません。
しかし、暦は春、間もなく春分の日を迎えます。我が家の周辺を見ても確実に雪解けが
始 ま っ て い ま す 。「 啓 蟄 」 は 「 さ あ 、 や る と す る か ! 」 と 、 自 分 で 自 分 に い い 聞 か せ る 日
なのかも知れませね。
着る物のほとほと疲れ地虫出づ(翔)
昨年は、辛いこと、憂鬱なことが沢山ありました。だからといって何時までも、寒い寒
いと着ぶくれして家の中で縮こまっていても仕方ありません。そろそろ明るい太陽の下に
飛び出しましょう。
第265号
平成24年3月12日
閖上の海
夫呼べば夫の声する
娘呼べば娘の声する
閖上(ゆりあげ)の海(宮城県
須藤
柏)
これは、朝日歌壇に掲載され、函館出身の作家、宇江佐真理さんの「はるかなる思い」
という一文(3月6日付道新)の中でも紹介された歌です。
「閖上」というのは、宮城県名取市の閖上地区ことで、人口約7千人の大変活気のある
漁港の街であり、その前に広がる海は、サーファーで賑わっていました。その街も、美し
い砂浜も、3月11日に発生した東日本大震災の大津波によって跡形もなく消えてしまい
ました。
テレビで放送された津波の衝撃は、余りにも大きなものでした。美しい大地を黒褐色の
固まりが覆い尽くしていく様は、今でも忘れることができません。
津波が呑み込んでいったものは、人の命だけではありません。人々の間に交わされた愛
情や想い出、暮らし、そして夢、そうした人々の日々の営みを、あの黒褐色の固まりは破
壊していったのです。
言 葉 を 尽 く せ ば 尽 く す 程 、現 実 か ら 遠 く な っ て し ま う 感 じ が す る の は 、悲 し い 限 り で す 。
「沖に向かって、夫(つま)の名を呼び、娘の名を呼べば、寄せる波の音の中に、夫や
娘の声が聞こえてくる」と詠った冒頭の歌は、残された者の叫びにならぬ叫びであり、怒
りや悲しみまでが伝わってくるようです。
あ の 日 か ら 1 年 。「 も う 1 年 も 経 っ て し ま っ た の か 」 と い う 思 い と 同 時 に 、「 ま だ 1 年
しか経っていない」という思いが錯綜しています。
生活の再建に向けて立ち上がり、活動を始めた人がいる一方で、あの日以来時計が止ま
っ た ま ま 、先 の 見 通 し を 立 て ら れ ず に い る 人 が い ま す 。冷 静 に 忍 耐 強 く 災 害 に 立 ち 向 か い 、
世界の人々に感銘を与えた被災者がいる一方で、空き巣を狙った犯罪も多発しています。
被災地でボランティア活動に汗を流している人がいる一方で、瓦礫の受入を拒む人たちも
います。政治も行政も、被災者に寄り添うべき時に自分たちの利害を優先しているように
しか見えません。
私たちは、この1年、人間の強さ、美しさと同時に、弱さ、卑劣さをも見せつけられま
した。勿論、自分自身も偉そうなことはいえません。せいぜい募金に協力する位のことし
かできず、自分の無力さを痛感しているのですから。
た だ 、3 月 1 1 日 の 東 日 本 大 震 災 に よ っ て 、私 た ち は 、非 常 に 多 く の こ と を 学 び ま し た 。
平凡だけれど、普通に生活できるということが如何に素晴らしいことか実感しました。
また、あの未曾有の大災害の中でも、人間には、夢や希望に向かって立ち上がろうとす
る強さがあるということを目の当たりにしました。人と人は助け合うことによって、途轍
もなく大きな力を発揮するものだということも、再認識しました。
私は、3月11日のことは忘れません。そして、被災者の悲しみに少しでも寄り添って
いけるよう努めていきたいと思っています。
第266号
平成24年3月13日
小学校と留年
大阪市の橋下市長が、教育委員会に対して「義務教育課程の小中学生が目標の学力レベ
ルに達しない場合、元の学年に「留年」させる」ことを検討するよう要請し、波紋を呼ん
でいます。
そ も そ も の 発 端 は 、「 小 学 校 で 九 九 が で き な け れ ば 留 年 さ せ て で も 面 倒 を 見 る 。 留 年 さ
せても府民の子どもの力を付けてもらうというのを橋下さんが出してきたら僕は大喝采し
ます」という、教育評論家尾木直樹氏のインタビュー記事(2月20日付読売新聞夕刊)
でした。これに橋下市長が敏感に反応したという形となっています。なお、当日の夕刊の
記事は、北海道版には掲載されていません。
橋 下 市 長 は 、「 義 務 教 育 で 本 当 に 必 要 な の は 、 き ち ん と 目 標 の レ ベ ル に 達 す る ま で 面 倒
を 見 る こ と 。 留 年 は 子 ど も の た め 」 と し て い ま す ( 2月 2 2 日 付 朝 日 新 聞 ) が 、 こ う し た
橋 下 市 長 の 考 え に 対 し て 、 森 文 部 科 学 副 大 臣 は 、 制 度 上 は 問 題 な い と し た う え で 、「 学 力
を身につけることについて問題提起をすることは、非常に意義があることだ」と述べ、歓
迎する意向を示しています。
一 方 、 発 火 点 と な っ た 形 の 尾 木 氏 は こ う し た 動 き に 困 惑 し て い る よ う で 、「 一 人 ひ と り
の子どもの個性に見合った教育を重視する観点から、本人や保護者が希望した場合には柔
軟 に 留 年 も 認 め て 良 い 」 と い う 趣 旨 で 発 言 し た も の で あ り 、「 一 定 の 学 力 に 達 し な い か ら
留 年 は 如 何 な も の か 」 と し て い ま す ( 2 月 2 3 日 付 朝 日 新 聞 )。
私が小学生の頃、病気で留年した子がいた記憶がありますが、今では、殆ど学校に通っ
てこない子でも卒業していきますから、制度上はともかく実態としては、留年というのは
殆ど行われていないようです。
橋下市長の発言は、勉強が分かっても分かっていなくても心太のように押し出していく
義務教育の現状に対して、問題提起をしていることは明らかです。
橋下市長は「一定の学力(レベル)に達しなければ留年」といい、尾木氏は「一定の学
力に達しないから留年は如何なものか」といいますが、一定の学力(レベル)はどういう
ものなのかが明確ではありませんので、実際のところ議論もかみ合っているようには思え
ません。
そもそも、義務教育を大学や高校と同じように考えるべきものなのか否かが問題でしょ
う。
義務教育において求められる基礎学力とは、子ども達が生涯にわたって学び続けること
を可能とする、いわば「学びの基礎」というべきものではないかと思っています。
したがって、大学のように、単位が足りないので留年させる、というような簡単な話で
はありません。
自宅に引き籠もっている、保健室登校で殆ど勉強していない、あるいはフリースクール
に 通 っ て い る が 学 校 と し て 学 力 の 判 定 が で き て い な い 、こ う し た 様 々 な ケ ー ス に 対 し て も 、
それを容認し卒業を認めてきた現実がある中で、果たして留年を選択するなどということ
ができるでしょうか。
また、毎日学校に登校していても勉強のできない、いわゆる落ちこぼれの子は、仮に留
年 し た か ら と い っ て そ れ で 勉 強 が で き る よ う に な る と も 思 え ま せ ん 。逆 に 、留 年 さ せ れ ば 、
かえって学校を忌避させてしまうことになりはしないでしょうか。
特に、落ちこぼれといわれている子についは、果たしてそれがその子の責任なのでしょ
うか。教師の皆さんは、その子の躓きにどのような手を差し延べてきたのでしょうか。そ
うした問題を抜きにして、子ども達に「勉強ができなければ留年」というプレッシャーを
かけるのは、フェアではありません。
義 務 教 育 に お け る 教 師 の 責 任 は 非 常 に 大 き い も の で あ り 、教 育 委 員 会 も 教 師 の 皆 さ ん も 、
その責任から逃れることはできないのです。
教育委員会においては、義務教育における留年を検討する前に、伸びる子はもっと伸ば
し、勉強の苦手な子に対しても、落ちこぼれにしない、そのための対策をしっかりと講じ
ていただきたいものです。
第267号
平成24年3月14日
測定せず
福島第一原発事故後、福島県内の子どもを対象とした甲状腺の内部被ばく簡易測定で数
値が高かった子どもについて、原子力安全委員会が精密測定を勧告したにもかかわらず、
国 の 原 子 力 災 害 対 策 本 部 が 「 甲 状 腺 モ ニ タ ー は 重 く て 運 搬 が 困 難 」、 ま た 、「 地 域 社 会 に
多大な不安を与える恐れがある」などとして難色を示し、実施していなかったことが明ら
かとなりました。
原子力災害対策本部の担当者は「被ばく線量は高くなく、追加測定は不要というのが関
係者の合意だった。当時の判断は妥当だと考えている」と話していますが、釈然としない
ものを感じるのは、私一人ではないでしょう。
甲状腺の内部被ばく簡易検査は、原子力災害対策本部が昨年の3月26日から30日に
かけて、1080人の子ども達に対して実施したものです。この結果について、原子力安
全委員会は、健康上問題となる例はなかったが、推定の被ばく線量が比較的高い子どもに
ついては被ばく線量を精密に測定できる「甲状腺モニター」での追加検査を勧めていたも
のです。
被ばく線量の追加測定が必要か否かについて、客観的に議論する力は私にはありません
が、ただ、私が引っかかるのは、原子力安全委員会が被ばく線量の追加測定を不要とした
理由です。
「 甲 状 腺 モ ニ タ ー は 重 く て 運 搬 が 困 難 」と い う の は 、論 評 に も 値 し ま せ ん 。少 な く と も 、
子ども達の健康を第一に考えるなら、何としても運搬の方法を考えるべきであり、仮に運
搬が不可能なら、子ども達の方を受診会場に運ぶという方法もあったはずです。つまり、
「甲状腺モニター」の重さはいい訳にもなりません。
そ れ 以 上 に 引 っ か か る の は 、「 地 域 社 会 に 多 大 な 不 安 を 与 え る 恐 れ が あ る 」 か ら 追 加 測
定をしないという発想です。
地域住民、とりわけ子どもを持つ親たちは非常な不安に駆られています。こうした中、
住民の皆さんが求めているのは、正しい情報をきめ細かく提供してくれることだと思いま
す。そうした住民の思いに適確に応えようとしない姿勢は、如何なものでしょうか。
政府の情報発信に対する姿勢は、福島第一原発事故が発生した直後の住民避難の際にも
如実に表れています。
放射性物質の脅威から住民を守るための放射性物質拡散予測システム(SPEEDI)
のデータ公表を巡って政府部内が混乱し、折角の貴重なデータが住民の避難の際に活かさ
れることはありませんでした。これについて、当時副大臣だった鈴木寛参院議員はマスコ
ミの取材に対して「放射性物質の全量放出という前提は現実にはありえず、パニックを呼
ぶ恐れもあった」と説明しているようです。
しかし、折角のSPEEDIのデータが公表されず、避難に当たっても適切な指示がな
されなかったために、結果として、放射性物質の降り注ぐ危険な方に逃げてしまった方が
多数生じてしまいました。
論 語 の 泰 伯 第 八 に 「 子 日 わ く 、 民 は 之 に 由 ら し む べ し 。 之 を 知 ら し む べ か ら ず 。」 と あ
り ま す 。 こ れ を 政 治 家 や 官 僚 が 、「 国 民 は 黙 っ て 従 わ せ て 置 け ば 良 い 。 い ち い ち 内 容 を 説
明 す る 必 要 は な い 。」 と 理 解 し て い る と す れ ば 大 き な 間 違 い で す 。
本来は「民は徳によって信頼させることができるが、全ての民に真実を知らせることは
難 し い ( 論 語 普 及 会 「 現 代 語 訳 仮 名 論 語 」)」 と い う も の で あ り 、 昔 も 今 も 、 政 府 が 国 民
に対して、如何に正しい情報、必要な情報を適宜適切に知らせるかは大きな課題です。
「 住 民 が パ ニ ッ ク を 起 こ す 恐 れ が あ る 」、「 地 域 社 会 に 多 大 な 不 安 を 与 え る 恐 れ が あ る 」
ということを理由に情報を公表しないというのは、政府が国民を信頼していないというこ
となのかも知れません。
政府が国民を信頼しなければ、国民が政府を信頼するはずもありません。そんな状態で
は、日本の行く先が案じられます。
第268号
平成24年3月15日
コンパクトシティ
東日本大震災から1年が経過しました。
被災地には、依然として瓦礫が山をなしており、福島第一原発事故の影響もあるとは思
いますが、国の復興対策は進んでいるようには見えません。
特に、街が壊滅的打撃を被った地域の再建は容易ではありません。元々、地域では少子
高 齢 化 が 進 ん で い た と こ ろ に 今 回 の 大 地 震 が 重 な り 、多 く の 住 民 が 故 郷 か ら 離 れ て し ま い 、
地域の復旧・復興がままならない状況が続いています。しかし、こうした中でも、被災地
では、自ら、生活再建、地域再建に向け動き始めています。
被災地の再建を考える場合、復旧なのか、全く新しい街を造るのかが、まず議論の分か
れ目になります。多くの方々は、今回の大津波の被害を考えれば単純に元に戻すことはで
きないが、何とか故郷の姿を取り戻したいと考えているのではないでしょうか。そういう
意味からすると、宮城県山元町の取組は注目に値すると思います。
山元町は大地震と津波によって、600名以上の人命が失われ、街の半分、約2500
世帯の家屋が水没するという大きな被害を受けました。
現在、山元町では震災の復興に向けて検討が進められていますが、その基本方針を見る
と 、「 人 口 減 少 等 の 課 題 」と「 町 の 復 興 」と を 同 時 解 決 す る た め に は 、単 に 震 災 か ら の「 復
旧」というだけでなく、これまでの手法にとらわれず、全く新しい視点での街作りが求め
られているとの認識を示すと共に、今後策定する復興計画は、これからの町の将来を見据
えた「総合計画」と位置づけるとしています。その結果導き出されたのが「減災」と「新
たな居住地の形成・集約化」という考え方です。
ま ず 、「 減 災 」 に つ い て は 、 防 潮 堤 、 防 災 緑 地 、 高 盛 土 構 造 と し た 幹 線 道 路 な ど か ら な
る 多 重 防 御 対 策 に よ り 、今 回 の よ う な 大 津 波 に 対 し て も 十 分 な 避 難 時 間 を 確 保 す る と 共 に 、
産業ゾーンと居住地ゾーンを切り離して、より安全性を高めることとしています。
ま た 、「 新 た な 居 住 地 の 形 成 ・ 集 約 化 」 に つ い て は 、 少 子 高 齢 化 や 人 口 減 少 の 進 展 な ど
を踏まえ、若者からお年寄りまで全ての世代が便利に暮らせる「コンパクト」な街作りを
目指すとしています。
かつて我が国は、高度経済成長の下、地方都市も拡大を続け、郊外には大型のショッピ
ングセンターができるなど賑わっていたものですが、バブルが弾け、地域経済も疲弊する
中、商店街は地盤沈下し、中心市街地の面影は最早ありません。少子高齢化と人口減少が
進み、街の空洞化が目立つ一方、薄く広く分散した街の形態では、行政サービスの維持す
ら難しくなってきています。こうした中、都市のスケールを小さく保ちながら暮らしやす
い街作りを進めようとするのが、コンパクトシティ構想といわれるものです。
既 に 、札 幌 市 な ど 多 く の 都 市 で も コ ン パ ク ト シ テ ィ を 目 指 し た 取 組 が 行 わ れ て い ま す が 、
これらは、都市機能を中心市街地に集約して活性化を図ろうとするものですが、山元町の
取組は、街そのものを文字通りコンパクトなものに造り替えてしまおうというものですか
ら、画期的です。
今回の大震災の被災地以外でも、多くの地域では、少子高齢化と人口減少の影響により
コミュニティの維持が困難になっているなど多くの課題を抱えていますので、山元町が進
めようとしているコンパクトシティの取組は、大いに参考になると思われます。
第269号
平成24年3月16日
学校運営とPTAの会費負担
沖縄県内の県立那覇西高等学校で、早朝や放課後などに生徒指導にあたる教員の手当と
して保護者からのPTA会費を充てていることが、9日に行われた参議院決算委員会での
義家氏の質問で明らかになりました。
義 家 氏 は 、「 公 益 を 害 す る 裏 手 当 だ 」 と 追 及 。 文 部 科 学 省 は 調 査 す る 考 え を 示 し て い ま
す。
報道によると、那覇西高等学校やPTAの関係者の話として、PTA会費は年間生徒1
人当たり7万数千円。うち3万円程が進路指導費として、早朝講座や夏期講座、遅刻指導
や模擬監督1回当たり1千円から3千円程度教員に支払われ、年間50万円を超える額を
受 け 取 っ て い る 教 員 も い る と の こ と で す ( 3 月 1 4 日 付 朝 日 新 聞 )。
今回のケースについていえば、少なくとも3つの問題があると思います。
一つ目は、早朝など勤務時間外の活動に対して報酬を得る場合には、兼業の許可が必要
で す が 、今 回 は そ の 手 続 き は 取 ら れ て い ま せ ん 。し か し 、仮 に 兼 業 許 可 を 与 え る と し て も 、
校舎を使用しての兼業に報酬を得るということは、許されることではないでしょう。
また、教員は、勤務時間の定めはありますが、変則的な勤務の実態を踏まえ時間外勤務
手当を支給せず教職調整額を支給しています。従って、勤務時間外に早朝講座などの活動
をしたとしても、それは時間外勤務手当の支給対象とはなりませんし、その代わりにPT
A会費から手当を支給するというような話は、寡聞にして聞いたことはありません。
二つ目は、夏休みの講座は、恐らく勤務時間中に行われていると思いますが、それに対
してPTAから報酬を得ているとすれば、職務専念義務違反か、若しくは給与を重複して
受け取ったことになり、公務員法上も明らかに問題があります。
三つ目は、PTAの会員に対して、会費の中から教員に手当が支払われていたことが十
分周知されていなかったことです。PTAは任意の団体とはいえ、このような透明性を欠
く対応は、会の運営上大きな問題があるといわねばなりません。
そもそも、PTAとは、各学校ごとに保護者と教職員によって組織されている、任意の
教育関係団体のことをいいます。活動の目的は、物心両面にわたって学校活動を支援して
いこうというもので、会員の研修を行うなどの活動の他に、学校に対してお金を寄附した
り、学校で使用する備品を寄贈するといった形で、学校を支援しているPTAも多いと思
われます。
ただ、先程も述べたように、PTAは任意の団体ですから、活動の実態が表に出ること
は余りなく、北海道においても、かつて経理内容の透明性が問題となるケースがありまし
た 。 こ う し た こ と か ら 、 道 教 委 で は 、「 私 費 会 計 事 務 処 理 要 領 」 を 示 す な ど し て 、 学 校 に
対し団体会計が適切に行われるよう指導しています。
いずれにせよ、PTAは、学校と連携しながら学校の諸活動を支援していますが、決し
て学校の下請けでも、学校のために資金を集めるための団体でもありません。
特に、昨今は、子どもの減少に伴いPTAの活動母体となる保護者が減ってきているこ
とに加え、共働きの家庭が増える中、PTA活動への参加者を確保することが難しくなっ
てきています。
更に、保護者の経済状況が厳しいことから、会費の負担感が重くなっている状況もあり
ます。
PTAの活動は、学校の円滑な運営にとって重要であると思っていますが、今申し上げ
たようにPTAを取り巻く環境は厳しくなってきていますので、沖縄県における問題が明
らかになった今、改めて、PTAのあり方を含め、議論を深める必要がありそうです。
第270号
平成24年3月20日
春分の日
明 日 は 、「 春 分 の 日 」 で す 。 い よ い よ 春 本 番 、 空 気 も 水 も 温 む 頃 と な り ま し た 。 日 ご と
に空も明るくなっており、心も軽くなるようです。
つい先日まで、来る日も来る日もどんよりとした空の下で、厚手のコートを着て寒さに
震えていたのにと思うと不思議ですね。
北 海 道 の 四 季 の 変 化 は 、シ ャ ー プ だ と 思 い ま す 。そ れ は 北 海 道 の 特 徴 で も あ り ま す の で 、
気節ごとに違う顔を見せてくれる北海道の自然を、もっと大切にしていきたいものです。
「春分の日」は昼と夜の長さが同じになるといいますが、実際は昼の方が約14分長い
のだそうです。それは、日の出と入りが関係していて、太陽が地平線から少しでも出た瞬
間を日の出とし、日の入りは太陽が全て沈んだ時刻で決めているからだそうです(菅井貴
子著「北海道のお天気ごよみ365日」から)が、これからはもっともっと昼間が長くな
っ て い き ま す の で 、 そ う 考 え る と 、「 じ っ と し て は い ら れ な い 」 そ ん な 気 分 に な り ま せ ん
か。
国 民 の 祝 日 に 関 す る 法 律 で は 、「 春 分 の 日 」 は 「 自 然 を た た え 、 生 物 を い つ く し む 」 日
とされているように、まさに春は、命の芽吹きを感じさせます。
ま た 、「 春 分 の 日 」と「 秋 分 の 日 」を 中 心 と し た 7 日 間 は 彼 岸 と 呼 ば れ て お り ま す の で 、
この期間、祖先を偲び供養するため、お墓参りをしているご家庭も多いと思います。
「春分の日」と「秋分の日」は、彼岸の丁度真ん中に当たりますので「彼岸の中日」と
呼 ば れ て い ま す が 、 こ の よ う に 、「 春 分 の 日 」 と 「 秋 分 の 日 」 が 仏 教 の 行 事 と 深 く 結 び 付
い た の は 、 浄 土 思 想 と の 関 わ り か ら と い わ れ て い ま す 。「 春 分 の 日 」 と 「 秋 分 の 日 」 は 、
太陽が真東から昇って真西に沈んでいきますので、それはまるで太陽が、西方の遙か彼方
にあるという浄土へ向かっていくように感じられる、ということだと思います。
春という字は、日と艸と屯との合字で、原義は「草が日光に照らされてようやく伸び出
そ う と す る 」と さ れ 、そ こ か ら 春 の 意 に も 用 い ら れ る よ う に な り ま し た 。先 日 上 京 し た 折 、
風はまだ幾分冷たく感じましたが、春告草(梅)が咲いていました。もうすぐ全国各地か
ら、桜の便りも届きます。
昨日漉きし紙春分の日を過す
昌勝
春の日差しは、冬の日差しの6割り増しだそうです。北海道は、まだまだ周りは雪に覆
われていますが、その強い日差しを浴びて、まもなく一斉に草花が花開き、輝きを増すで
しょう。それまで、もう少しの辛抱です。
第271号
平成24年3月22日
1.99
東 京 都 の 1 世 帯 当 た り の 人 数 が 、1.99人 と 2 人 を 下 回 っ た こ と が 明 ら か と な り ま し た 。
こ れ は 、 東 京 都 が 住 民 基 本 台 帳 を 基 に 今 年 1月 時 点 の 都 内 の 人 口 を ま と め た も の で 、 そ
れ に よ る と 、 人 口 は 1 2 6 8 万 6 0 6 7 人 で 、 前 の 年 と 比 べ て 0.31% 増 え 、 世 帯 の 数 も
過 去 最 高 の 6 3 6 万 世 帯 余 り と な っ て い ま す 。 そ の 一 方 で 、 1 世 帯 当 た り の 人 数 は 1.99
人と、東京都が昭和32年に調査を始めて以来、初めて2人を下回ったことが分かったと
いうものです。
全 国 の 1 世 帯 当 た り の 人 数 は 、昨 年 3 月 3 1 日 時 点 で 平 均 2.36( 総 務 省 調 べ )で あ り 、
2.0を 下 回 る の は 都 道 府 県 で は 東 京 都 が 初 め て と な り ま す 。
こ の 結 果 に 石 原 東 京 都 知 事 は 相 当 シ ョ ッ ク を 受 け て い る よ う で 、「 家 族 と い う も の が バ
ラ バ ラ に な り き っ た 感 じ だ 。 高 齢 者 を 親 族 が ど う み と っ て い る の か 。」 と 述 べ た と 伝 え ら
れていますが、少子高齢化、核家族化が進んでいる中、世帯人口が2を切るのは時間の問
題だったといえます。
東京都では、1人暮らしの高齢者が増加していることや、若い世代を中心に結婚せずに
独身で暮らす傾向が都市部で強まっていることが背景にあると分析していますが、こうし
た傾向は東京都のみならず他道府県においても同様であり、早晩東京都以外でも世帯人口
が2を切るところが出てくるものと思います。
勿論、こうした世帯人口の減少は北海道も例外ではありません。下表は、北海道におけ
る住民基本台帳人口及び世帯数の変化を表していますが、これを見ても分かるように、北
海道においても1世帯当たりの人口が確実に減少しつつあり、やがて単身世帯が世帯の中
心を占めるようになるでしょう。
人
H23.3
H22.1
H12.1
口
世帯数
世帯人口
5,498,916
2,670,572
2.06
4,438,314
2,195,120
2.02
5,520,894
2,654,310
2.08
4,447,771
2,179,014
2.04
5,724,641
2,422,622
2.36
2,422,622
1,912,033
2.30
(注)表下段は、市部の数値
国においては、これまでも少子化対策を講じてきていますが、具体的な成果には結び付
いていません。また、地方では働く場所が限られており、どうしても若い人が故郷を離れ
ざるを得ない状況もあります。親と子が共に暮らしたくてもそうすることのできない現実
が一方にはあります。
結婚に関心を持たず一人暮らしをエンジョイしている若者が沢山いますし、元気に自立
して生活しているお年寄りも増えています。それは、日本社会が成熟し、多様な生き方が
可能になったということでもあります。しかし私は、積極的に単身生活を選択するという
より、むしろ、止むを得ず単身生活を選択している人の方が多いのではないかと考えてい
ます。
石原都知事が「高齢者を親族がどうみとっているのか」と嘆く気持ちは分からなくはあ
りませんが、現実の問題は、一人ひとりの気持ちでは解決の付かない状況にあることを、
認識しておくべきではないでしょうか。
最 近 、 連 日 の よ う に 報 道 さ れ て い る 「 孤 独 死 ( 孤 立 死 )」 も ま た 、 単 身 世 帯 が 増 え て い
ることと無縁ではありません。少子高齢化が進み、単身世帯が増える中、地域の中で人と
人の繋がる力が脆弱になっていることも、孤独死(孤立死)が後を絶たない背景の一つと
考えられます。
単身世帯が標準世帯となりつつある今、みんなが暮らしやすい社会となるために、如何
に地域のコミュニティを再構築するかが問われているのだと思います。
第272号
平成24年3月22日
科学の発展と制御
インフルエンザウイルスの研究の進め方を巡って、アメリカで論争が起きているようで
す。このことを報道した日経新聞(2月16日付)などを基に経過を辿ってみると、米政
府が、2つの研究論文について生物テロに悪用される恐れがあるとして公表に待ったをか
け、これに対して研究の自由を掲げる科学者らが抗議しているというものです。
問題の研究論文は、東京医科大学研究所の河岡教授とオランダの研究所のフーシェ教授
が そ れ ぞ れ 執 筆 し た も の で 、「 強 毒 性 の 鳥 イ ン フ ル エ ン ザ H 5 N 1 を 変 異 さ せ 、 人 間 の よ
うな哺乳類同士でも感染しやすくなったウイルスの仕組みを動物実験で解明した」として
います。
W H O は 、今 回 の 研 究 成 果 に つ い て「 強 毒 性 の H 5 N 1 が 世 界 的 大 流 行( パ ン デ ミ ッ ク )
を起こすリスクがあることを証明するもの」と受け止めているとのことです。
過去を振り返ると、全ヨーロッパの人口の3分の1の命を奪ったといわれる「黒死病」
や、欧州から持ち込まれ新大陸の先住民の大半が死んだという「天然痘」などはパンデミ
ックの代表例といえるでしょう。また、1918年から翌年にかけて流行した「スペイン
風 邪 ( イ ン フ ル エ ン ザ )」 は 、 全 世 界 で 6 億 人 が 感 染 し 、 4 0 0 万 人 以 上 が 死 亡 し た と い
われ、我が国においても48万人もの方々が亡くなっています。
インフルエンザについては、予防接種が浸透していることもあり、最近は大きな被害は
出ていません。とはいえ、我々は、通常の季節性のインフルエンザが猛毒性のものに変容
する危険性に常に晒されていると考えておくべきでしょう。その意味からすれば、河岡教
授 ら が い う よ う に 、「 論 文 を 完 全 な 形 で 公 表 す れ ば 世 界 各 国 が パ ン デ ミ ッ ク へ の 準 備 を 整
え、治療薬やワクチンの開発に注力できるようになる」というのも一理あります。
今回の研究によって新しい薬が開発され、パンデミックを押さえることができるなら、
人類への大きな貢献になるでしょう。しかし同時に、米政府の科学諮問委員会が指摘する
ように、論文がそのまま科学誌に載ると、テロリストがウイルスを生物兵器に悪用しかね
ない危険があることもまた、否定することができません。
火 を 自 分 の も の に し て 以 来 、人 類 の 歴 史 は 科 学 技 術 発 展 の 歴 史 と い っ て も 良 い で し ょ う 。
物理や化学などの基礎科学、動物や植物などの生物科学、更には天文学や地質学など、様
々な分野にわたる科学技術の発展は、人類に多大の恩恵を与えてきました。地球上には7
0億余の人びとが暮らしていますが、食料の増産や医療技術の向上など様々な分野での科
学技術の向上がそれを支えています。しかし一方では、科学技術の発展は大量殺戮兵器を
生み出し、人類に耐えがたい程の多くの災禍をもたらしています。
今から17年前の3月20日、オウム真理教は、東京都の地下鉄でサリンという化学兵
器を使用し多数の死傷者を出すという、無差別テロ事件を引き起こしました。あの事件に
よって、カルト集団の異様さということもさりながら、サリンという猛毒のガスが一民間
の集団の力で造れてしまう、という恐ろしい現実を思い知らされました。
福島第一原発では、いまだに原子炉内の状況を掴み切れておらず、力ずくで何とか押さ
え込んでいるという状況です。このように原子力は制御の難しい技術ですが、考えてみる
と、人間の心を制御することはそれよりも遙かに難しいといわざるを得ません。だからこ
そ、1975年、米国カリフォルニア州のアシロマに世界28カ国から集まった研究者達
は、会議の中で、研究の自由を束縛してまでも自らの社会責任を問うたのではないでしょ
うか。
アシロマでの会議は遺伝子組み換えに関するガイドラインを議論するために開催された
ものですが、議論の結果、遺伝子の組み換え実験では細菌などが外部に出ない「封じ込め
策 」を 講 じ る な ど 、研 究 者 が 守 る べ き 指 針 が 決 め ら れ る と い う 画 期 的 な 会 議 と な り ま し た 。
その考え方は今日においても広く受け継がれて来ていると思いますが、今回の新型インフ
ルエンザ研究論文を巡る論争は、研究者の研究のあり方やその成果をどう扱うべきかにつ
いて、改めて問題提起されているのだといえます。
世界のグローバル化が進み、情報が瞬時に世界を駆けめぐる時代にあって、科学技術の
成果は一度外部に出てしまえば、どんな力を持ってしても制御が難しくなります。今後、
こ の 問 題 に つ い て は 、 WHOな ど 様 々 な 場 面 で 活 発 な 議 論 が な さ れ る と 思 い ま す が 、 科 学
技術の成果をどう管理し、どう制御するのか、研究者に止まらず幅広く英知を集め、議論
していただきたいと思います。
第273号
平成24年3月23日
セルフ・ネグレクト
札 幌 市 内 で 4 0 代 の 姉 妹 が「 孤 立 死 」を し て 以 来 、今 年 に 入 っ て か ら 全 国 各 地 で「 餓 死 」
「孤立死」が相次いで発生しており、胸が痛みます。それと同時に、社会全体がまるで癌
に冒されているような不安感、不気味さを感じずにはおられません。
こうした「餓死」や「孤立死」については、年々悪化する貧困問題に加え、生活保護を
はじめとするセーフティネットが十分に機能していないという、いわば構造的な問題が指
摘されていますが、同時に、マスコミなどでしばしば取り上げられている「セルフ・ネグ
レクト」についても無視することのできない問題となっています。今回は、この「セルフ
・ネグレクト」の問題について考えてみることにします。
「 セ ル フ ・ ネ グ レ ク ト 」 と い う の は 、 一 般 に 「 自 己 放 任 」 と 訳 さ れ 、「 飲 食 な ど の 体 調
管理や最低限の衛生状態の保持、金銭の管理などの行為をしない、あるいは、する能力が
な い た め 、 安 全 や 健 康 が 脅 か さ れ る 状 態 」 を い う と さ れ て い ま す 。 ま た 、「 セ ル フ ・ ネ グ
レクト」の原因としては、本人の意志による場合と認知症などで物事を正しく判断できな
い場合、あるいはその両方が合わさっている場合が考えられます。
「セルフ・ネグレクト」というと直ぐに近所迷惑な「ゴミ屋敷」を思い浮かべる方が多
いと思いますが、外形的にはそれに止まるものではありません。
・家の内だけでなく着衣も不衛生である
・家を何時も締め切っていて、外部の人を受け付けない、
・電気やガスも止められていて、どう生活しているのか分からない、
と い っ た 状 況 が 見 ら れ る 場 合 に は 、「 セ ル フ ・ ネ グ レ ク ト 」 を 疑 っ て み る 必 要 が あ る で し
ょう。
「セルフ・ネグレクト」の大きな問題は、極端にまで人との関わりを拒否していること
であり、物事や自分の周囲のことに止まらず、自分自身に対する関心さえ持てなくなり、
本来ならもっと他者に救いを求めても良いはずなのにそうした行動も起こさず、結果「餓
死」や「孤立死」に至ってしまうとしたら、悲劇としかいいようがありません。こうなる
と 「 セ ル フ ・ ネ グ レ ク ト 」 は 「 自 己 放 任 」 と い う よ り は 「 自 己 放 棄 」、 自 分 で 自 分 を 虐 待
しているといっても過言ではありません。
「セルフ・ネグレクト」の原因が認知症などの病気が原因の場合は、医療的ケアを含め
たサポートによって解決が可能と思われますが、自分の意志で「セルフ・ネグレクト」と
なっている場合には、他者に対する信頼の糸が切れているだけに解決は難しくなります
た だ 、 私 に は 、「 セ ル フ ・ ネ グ レ ク ト 」 に 陥 っ て い る 人 に は 、 そ の 人 の 人 生 の 行 く 過 程
に、社会や周りの人々をそこまで拒絶して止まない何か大きなことがあったに違いないと
感じられます。例えば、過去に幾度か救いを求めたけれども取り合ってもらえず、全てに
諦めてしまっているとか、小さい頃から苛めにあったり、馬鹿にされて育つ内に、自分の
中に引き籠もったり、逆に他者に攻撃的になることで自分を守ろうとしているということ
も 考 え ら れ る で し ょ う 。 少 な く と も 、「 セ ル フ ・ ネ グ レ ク ト 」 を 個 人 の わ が ま ま と い う 形
で片付けることは、避けるべきです。
現 状 に お い て は 、「 セ ル フ ・ ネ グ レ ク ト 」 の 問 題 は 簡 単 に 解 決 の 付 く 問 題 で は あ り ま せ
んが、だからといって、決して手を拱いて済む状況でもありません。
目 の 前 に 自 殺 し よ う と す る 人 が い た ら 、 誰 し も が そ れ を 止 め よ う と す る は ず で す 。「 セ
ルフ・ネグレクト」の行き着く先は「孤立死」という蓋然性が非常に高い以上、行政や医
療機関、更には福祉関係者が連携して、積極的な支援を可能とする仕組みを作るべきであ
り、その為にも、まずは実態をしっかりと把握する必要があります。
第274号
平成24年3月26日
捨てたもんじゃない!今時の若者達
東日本大震災から1年が経過しました。しかし、被災地では今なお本格的な復興にはほ
ど遠い状況に置かれています。また、日本経済は、円高、原油高などによって依然として
厳しい状況が続いており、若者達もまた就職難など、その置かれている状況は決して明る
いものではありません。しかし、こうした中でも、日本の若者達は決して将来に悲観して
はいないようです。
これは、日本経済新聞社が被災地(福島、宮城、岩手の3県)を含む全国の大学生、高
校 生 を 対 象 に 行 っ た ア ン ケ ー ト 調 査 の 結 果 か ら 見 え て き た 、今 時 の 若 者 達 の 姿 の 一 端 で す 。
それでは、調査結果の幾つかを紹介しましょう。
まず、震災後の日本は良い方向に向かっているか聞いたところ、
被災3県
3県を除く
良い方向に向かっている
35.5%
27.7%
悪い方向に向かっている
22.5%
27.0%
わからない
42.0%
45.3%
という結果でした。
私は、東日本大震災の被害の大きさに暗然とすると共に、今なお、本格復興の道筋さえ
見えないことに苛立っています。しかも、福島第一原発事故によって、故郷に足を踏み入
れることさえできない方々も多くいらっしゃいます。
このように、先の見通しが全く付かない中でのアンケート調査ですから、日本が今どこ
に向かっているか聞かれても分からないというのが正直なところでしょう。にもかかわら
ず 、 被 災 地 で は 35.5% も の 若 者 達 が 明 る い 未 来 を 想 像 し て い る の は 凄 い こ と で す 。
日本は今、政治も経済も混迷の度を深めていますが、それでも若者達は、日本を見限っ
てはいないということです。頼もしいとは思いませんか。
次に、震災を機にどのような日本にしたいか聞いたところ、
被災3県
3県を除く
環境技術で世界をリードする
46.5%
53.6%
文化を大事にする
26.0%
24.7%
経済成長を追求する
24.5%
16.7%
という結果でした。
省エネなど環境技術で世界に貢献する日本を目指すべきだと考えている若者達が、際だ
って多いことは注目に値します。
以前のように経済成長一本槍ではない、低成長でも文化を大事にする日本、そして、新
しい技術で世界に貢献する日本を目指すというのは、世界の中での日本の立つ位置をしっ
かり考えているということだと思います。
次に、震災は将来の進路についての考え方に影響を与えたか聞いたところ
被災3県
3県を除く
与えた
60.0%
40.3%
与えていない
40.0%
59.7%
という結果でした。
被災地では6割の若者達が、将来の進路に対する考え方に影響を与えたと回答していま
す。
重ねて、それでは、どんな影響を与えられたかについて聞いたところ
被災3県
3県を除く
人のために役に立ちたい
72.4%
74.4%
国のために役に立ちたい
6.7%
6.6%
幻滅したので海外に出たい
1.7%
6.6%
好きなように生きる
6.7%
4.1%
という結果でした。
東 日 本 大 震 災 は 、我 が 国 に 余 り に も 大 き な 災 禍 を も た ら し ま し た が 、同 時 に 、誰 し も が 、
人生について考え、本当に大切なものは何なのか改めて考える契機ともなりました。
若者達も、被災地の人々の助け合いながら苦難を乗り越えようとしている姿を通して、
絆の大切さを実感したのではないでしょうか。それが、7割もの若者達の「人のために役
に立ちたい」という思いに繋がっているのだと思います。
「 覇 気 が な い 」、「 何 事 に も 消 極 的 」 な ど な ど 、 今 時 の 若 者 達 に 対 し て と か く 辛 口 の 世
の中ではありますが、なかなかどうして捨てたものではありません。むしろ、こんな日本
を作ってきた大人達の方が、これからどうするのと問われていると受け止めるべきでしょ
う。
第275号
平成24年3月27日
The IRON LADY
こ れ は 現 在 公 開 中 の 映 画 の 題 名 で す 。「 IRON LADY( 鉄 の 女 )」 と い う の は 、 勿 論 か
つて英国の首相を務めたマーガレット・サッチャー氏のことですが、女優メリル・ストリ
ープは見事にサッチャーを演じ切っており、米アカデミー賞の最優秀主演女優賞を獲得し
たのも頷けます。
と こ ろ で 、「 The IRON LADY」 の 日 本 で の 題 名 は 「 鉄 の 女 の 涙 」 と な っ て い ま す 。 何
故「涙」という言葉を付け加えたのでしょうか。映画を観る者に、何がしか予見を与えよ
う と い う 意 図 が あ っ た の か も し れ ま せ ん が 、私 に は 余 計 な お 世 話 と い う 感 じ が し て い ま す 。
さて、マーガレット・サッチャー氏は、1925年10月生まれですから86歳、現在
は認知症を患い、世間からは忘れられたようにひっそりと生活しています。
貴族制度が残っている英国にあって、庶民の出であったサッチャー氏が若くして政治家
を志し、一国のトップリーダーにまで上り詰め、英国病とも揶揄された経済を立て直した
半生は、まさに戦いの連続であったと思います。
サッチャー氏が、英国で初めて女性として首相に就任したのは1979年、退陣したの
は1990年ということですから、首相在任は11年に及びます。短命内閣が続く日本で
は考えらません。
サッチャー首相といえば1982年に勃発したフォークランド紛争の際、間髪入れず艦
隊や爆撃機を投入し、2か月間の戦闘の後フォークランドをアルゼンチン軍から開放した
強硬な対応を見て、流石「鉄の女」は凄いと感嘆したことを覚えています。たとえ血を流
しても自国の領土は守る、という毅然とした姿勢は見習うべきものがあります。
サッチャー氏は、イギリス経済の建て直しを図るため、政府の市場への介入を極力抑制
すべきであるとする新自由主義経済の考え方に基づき、それまでの電話、ガス、航空など
の国有企業の民営化や規制緩和、更にはビックバンと呼ばれる金融システム改革を断行し
ます。
私は、今から22年前の1990年、英国病からの立ち直りと、都市再生に向けた取組
を 学 ぶ た め ロ ン ド ン と リ バ プ ー ル を 訪 問 し て い ま す が 、 そ の 折 の 記 録 を 見 る と 、「 サ ッ チ
ャー首相の肝いりでスタートしたドックランズ再開発は、10年近く経過し現在は非常に
活気を呈し、着手当時不人気だった面影は全く見られない」と書いてあります。当時は私
もまだ若かったですから、明るい光の部分に目が行っていたように思いますが、どのよう
な改革にも光と影があり、実行段階では様々な混乱があり、また、新たな失業者を生むと
い っ た 問 題 も 発 生 し て い ま す 。 そ れ で も 改 革 の 手 を 緩 め よ う と し な か っ た の は 、「 そ れ が
英国のためであるという信念」ではなかったかと思っています。
サッチャー氏は、毀誉褒貶の激しい人だったといわれていますが、彼女の「鉄の意志」
がなければ、英国が英国病ともいわれた経済的苦境から脱出することは難しかったでしょ
う。最後は、人頭税によって仲間からも裏切られ、政界を去ることになるのですが、彼女
の胸中は如何なるものだったでしょうか。
映画では、サッチャー氏が、今はなき夫に向かって「あなたは、幸せだった?」と問い
かけるシーンが出てきます。私には、夫の心中は分かりませんが、ただ、彼女の問いは、
英国国民に対してもなされるべきではなかったかと密かに思います。でも、そうしないの
がサッチャー流とも思っています。
常に世界の中心で活躍した人が、認知症で壊れていく。その事を日々感じながら生きて
いく事の、恐怖や挫折感、焦燥感はいかばかりでしょう。でも、私は信じています。サッ
チャー氏は、そんな自分に対しても闘い続けているはずだと。
第276号
平成24年3月28日
地域通貨「リアス」
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県宮古市の商店街では、地域通貨「リアス」を
発行するそうです。
震災後、地元以外で購入された物資が支援物資として大量に被災地に入ったため、地元
商店では物が売れない、あるいは売り上げが落ちるといった影響が出ていました。今回の
地 域 通 貨 「 リ ア ス 」 は 、 通 用 範 囲 が 被 災 地 限 定 で す の で 、「 リ ア ス 」 を 購 入 し た 人 は 宮 古
市の商店街でそれを使うことになりますので、被災地商店街の支援に繋がることが期待さ
れています。また、被災地以外の方が「リアス」を購入し被災者に贈れば、被災者に対し
て寄附金と同様の支援を行うことにもなります。
地 域 通 貨 「 リ ア ス 」 は 、「 5 0 0 リ ア ス 」 と 「 1 0 0 0 リ ア ス 」 の 2 種 類 で 、 そ れ ぞ れ
5 5 0 円 、 1 1 0 0 円 で 販 売 す る 予 定 だ そ う で す 。 1 リ ア ス は 1 円 の 換 算 で す の で 、「 1
000リアス」で1000円相当の買い物ができます。なお、地域通貨の表示額と購入額
との差額は発行経費とされています。
「リアス」の使い方を見ると、これまで各地域の商店街などで発行され、活用されてき
た 「 地 域 限 定 型 の プ レ ミ ア 付 き 商 品 券 」 と 同 じ も の で は な い か と 思 わ れ ま す 。「 地 域 限 定
型のプレミア付き商品券」の場合は、通用は地域限定だけれども、例えば1000円の物
が900円で買えるといったプレミアムが付くことで、商品券購入のインセンティブを働
か せ よ う と し て い ま す が 、「 リ ア ス 」 の 場 合 は 、 地 域 通 貨 の 発 行 経 費 を 購 入 者 が 負 担 す る
ことで被災地支援に繋げようとしているのだと思います。
ところで、一体、地域通貨とはどういうものなのでしょうか。勿論、地域通貨は法定通
貨ではありませんが、一応の定義をすれば「特定の地域あるいはコミュニティの中で、法
定通貨と同様に一定の価値あるものとして発行され、使用される」ものをいいます。
地域通貨の形態は大きく分けて、①紙幣発行型、②通帳記入型、③小切手型、④タイム
ダラー型の4つがあるといわれています。
まず、紙幣発行型は、お札を実際に刷って流通させるものですが、現行法上、問題が多
いようです。
次に、通帳記入型ですが、会員が通帳を持って、その通帳に物やサービスを売ったり買
ったりした場合の動きを記入することにより、残高が把握できるというものです。
次に、小切手型というのは、紙幣発行型に近いのですが、小切手型の場合には持ち主が
裏書きすることになります。従って、流通すればする程裏書きが増え、小切手の信用が増
すとされています。
最後に、タイムダラー型ですが、これは例えば、誰かに30分の仕事をしていただいた
とき、ある単位の地域通貨を払います。その通貨を受け取った人が別の人に仕事を頼んだ
場合、その時間に応じた地域通貨を払うというもので、地域通貨を通して地域の人々が結
び付いていこうというものです。栗山町のエコマネーは、この中に入るでしょう。
「リアス」は、今のところ地域限定型の商品券という機能しか想定されていないのかも
しれませんが、今後、地域の中で、物だけではなく、病院への送迎や高齢者支援、子ども
の保育などの分野にも地域通貨が流通し、活用されるようになれば、人と人を繋ぐ大きな
力になるでしょうし、地域コミュニティの再生の切り札になるかも知れません。
第277号
平成24年3月29日
落日の「日の丸半導体」
エルピーダメモリ株式会社は、去る2月27日会社更生法の適用を東京地裁に申請し、
倒産しました。1980年代、日本は「産業の米」といわれる半導体の生産で世界市場の
8 割 を 占 め る と い う 半 導 体 王 国 で し た 。そ れ が 僅 か 3 0 年 余 り で 破 綻 し 、
「モノ作り日本」
の凋落を内外に印象づけることになりました。
こ の エ ル ピ ー ダ メ モ リ 株 式 会 社 は 、 1 9 9 9 年 、 NECと 日 立 製 作 所 の DRAM事 業 が 統
合して設立され、その後、2003年に三菱電機の同事業も吸収し、日本における唯一の
DRAM専 業 メ ー カ ー と し て 、 世 界 で 3 位 の シ ェ ア を 占 め て き ま し た 。 し か し 、 急 激 な 円
高、欧州の経済危機などを背景に経営不振に陥り、2009年日本政策投資銀行から30
0億円の資本注入を受けるなど公的支援を受けてきました。
このように政府の支援を受けてきたエルピーダメモリ株式会社は、どうして倒産するに
至ったのでしょうか。私は経済の専門家ではありませんので詳細は分かりませんが、報道
されていることなどを繋ぎ合わせると、負けるべくして負けた感を強くします。
先 程 も 述 べ た よ う に 、1 9 8 0 年 代 の 半 導 体 製 造 部 門 は 日 本 メ ー カ ー の 一 人 舞 台 で し た 。
その頃、対日貿易赤字に苦しむアメリカは、貿易不均衡を解消するため、日本に対して半
導体の輸出規制に向け強力に圧力をかけてきます。結局日本は、そうしたアメリカの圧力
に抗しきれなかったということですが、それだけの政治力と外交力しか持ち合わせていな
かったということでもあります。
ただ、今日の日本の体たらくは、アメリカだけのせいではないはずです。パソコン需要
の減少や超円高による競争力の低下という状況があったとはいえ、まず認識しておかなけ
ればならないことは、モノ作り立国の我が国が、まさにその最も得意とする分野で、ライ
バルである韓国企業に敗れたということです。
僅かの間に韓国企業の技術的競争力が向上し、製品の質では日本製も韓国製も差が付か
ない状況になっており、そうした中で、生産コストが低い上に、巨額の戦略的投資と技術
開発を続けるサムスンとの間で価格競争すれば、負けるのは当然のことといえます。
製品の質に遜色がなければ、生産コストの低い韓国や中国とは価格競争で勝負にならな
いことは目に見えており、それはまた我が国の製造業が直面している共通の課題でもあり
ます。
エ ル ピ ー ダ メ モ リ 株 式 会 社 は 、国 産 半 導 体 を 守 る と い う 大 義 名 分 の た め に 立 ち 上 げ た「 国
策会社」ではありますが、結局は一時的な延命策に過ぎませんでした。
一 橋 大 学 の 沼 上 商 学 部 長 は 、「 エ ル ピ ー ダ メ モ リ の 失 敗 は 、「 救 い 」 に い っ た こ と で 、
本当に将来に向けて価値ある技術なら、大胆に仕掛けて「勝ちに行く」という発想でなけ
れ ば 、 血 と 汗 と 涙 が 浪 費 さ れ る 」 と し 、「 ダ イ ナ ミ ッ ク な 戦 略 眼 」 が 問 わ れ て い る と 述 べ
て い ま す ( 3 月 1 6 日 付 朝 日 新 聞 )。
日本の製造業は、高い人件費など生産コストが高いことに加え超円高という極めて厳し
い経営環境に置かれているだけでなく、そうした中での、生き残りをかけた新たなビジネ
スモデルが構築できていないことが問題であるといわれていますが、少なくとも小手先の
技術的改良や改善でこの事態から脱却することは、不可能といって良いでしょう。
世界の中で、日本のメーカーのブランド力は依然として大きく、また、日本製品に対す
る信頼も厚い今だからこそ、モノ作り日本の再生に向け、官民挙げて大胆に、そして戦略
性を持って取り組んで欲しいと思います。
第278号
平成24年3月30日
ハエも悲しき
やれ打つな 蝿が手をする 足をする
これは、小林一茶の有名な句ですね。
とかくハエは、人間の目に留まると、汚らしいとか不潔とかいわれ、ハエ叩きで叩かれ
たりしていますが、そんなハエでも、必死に手を摺り、足を摺って命乞いをしている様を
見ると、そりゃ誰でも可哀想になってくる。だから、皆の衆見逃してくれ、というところ
でしょうか。
いつも我が物顔で飛び回っているように見えても、それは人間様の勝手な見方で、ハエ
の身としては生きるのに精一杯なんです。だから、ストレスだって溜まるはずです。
先日、雌にふられた(交尾を拒否された)ショウジョウバエの雄は、雌と交尾できた雄
よりアルコール入りの餌を好んで酔っぱらうことが米カリフォルニア大学の研究チームの
実 験 で 分 か っ た そ う で す ( 3 月 2 1 日 付 道 新 )。
雌にふられた雄のハエがカウンターに寄りかかってやけ酒を飲んでいる姿はとても想像
できませんが、もてない奴はどこの世界でも切ないものだと、親近感を感じます。
ウルリケ・へーベルライン教授率いるチームによると、ふられた雄を雌と隔離して、1
5%のアルコールを含む餌と通常の餌の2種類を選べるように容器に入れたところ、ふら
れた雄はアルコール入りの餌の方を選び続けたというのです。
神 経 伝 達 物 質 に 「 ニ ュ ー ロ ペ プ チ ド F」 と い う の が あ る の だ そ う で す が 、 ふ ら れ た 雄 の
グ ル ー プ と 交 尾 で き た 雄 の グ ル ー プ に つ い て 、「 ニ ュ ー ロ ペ プ チ ド F」 の 量 を 調 べ た と こ
ろ、ふられた雄にはその量がすくなく、交尾できた雄には多かったとのことです。
ふ ら れ た 雄 は 、「 ニ ュ ー ロ ペ プ チ ド F」 の 減 少 分 を ア ル コ ー ル の 摂 取 に よ り 埋 め 合 わ せ
ようとしている、と考えられているようです。
ま た 、 実 験 で は 、 交 尾 で き た 雄 に つ い て も 、「 ニ ュ ー ロ ペ プ チ ド F」 を 減 ら す と ア ル コ
ー ル 入 り の 餌 を 好 ん で 食 べ る よ う に な る そ う で 、「 ニ ュ ー ロ ペ プ チ ド F」 と ア ル コ ー ル へ
の衝動との関連が深いことが伺われます。
もっとも、悲しいといっては飲み、悔しいといっては飲み、はたまた嬉しいといっては
飲むという方は、果たしてこの理論に合うのでしょうか?
ちょっと疑問なのですが。
脳 の 働 き に よ り 「 ニ ュ ー ロ ペ プ チ ド F」 の 量 が 増 減 し 、 そ れ に よ っ て 酒 を 飲 み た く な っ
たり、その気がなくなったりするということであれば、今後、アルコール依存症の仕組み
の解明にも繋がる可能性があり、研究成果が期待されています。
第279号
平成24年4月2日
卯月
今年も早いもので、4月になりました。
私 の よ う な 年 齢 に な る と 、季 節 の 移 ろ い は 、ま る で 駆 け 足 し て い る よ う に 早 く 感 じ ま す 。
4月ともなると、空気もぬるみ始め、周りの雪も一気に消えていきます。
4月は、様々なものが変化する季節でもあります。社会人一年生が、リクルートスタイ
ルで歩いている姿は、初々しく感じます。
初々しいといえば、幼稚園や小中学校などでも入学式が行われますが、どの子を見ても
新しい衣装に身を包み、晴れがましく見えます。
入学児母をはなれて列にあり
静子
今まで甘えん坊だった我が子が、今日は入学式。緊張しながらも他の子と一緒に整列し
ている。そんな我が子の姿を眩しげに見ている母親の、温かな目線を感じます。
仕事の上でも、4月は新しい年度のスタートで、なんとなく「御破算で願いましては」
という気分になりますし、人事異動もあり、体制も変わりますから、気分も一新というと
ころです。
また春は、重苦しい雪雲からも開放され、太陽の光さえ冬とは違って、エネルギーの高
まりを感じます。生き物達の息づく季節、といったら良いでしょうか。
4 月 は 英 語 で Aprilと い い ま す ね 。 こ の Aprilは 、 ラ テ ン 語 の Aprils( 開 く ) か ら 来 て い
るといわれています。即ち、花が開く美しい季節という程の意味ですが、北海道に住んで
いると、その季節感はぴったりときます。勿論他にも説があって、ギリシャの美しい女神
Aphrodite( ア フ ロ デ ィ ー テ ) に 捧 げ る 月 と い う 意 味 も あ る そ う で す が 、 そ の 位 、 4 月 は
美しい季節ということなのですね。
ところで、日本では、4月のことを「卯月」といいます。
「卯月」のいわれは諸説ありますが、卯の花の咲く月「卯の花月」を略したものという
のが定説となっています。しかし、考えてみると、卯の花の咲く頃と4月とは結びつきま
せん。
「 卯 の 花 の 匂 う 垣 根 に 、 ホ ト ト ギ ス 早 も 来 鳴 き て 、 忍 音 も ら す 夏 は 来 ぬ 。」
これは、皆さん良くご存知の「夏は来ぬ」という歌の歌詞ですが、これを見ても分かる
よ う に 、 卯 の 花 は 夏 の 季 語 な の で す 。 こ の よ う な ず れ が 生 じ る の は 、「 卯 月 」 が 旧 暦 の
4月を指す言葉だからで、太陽暦の4月とは一緒ではないのです。
今年の4月1日は、旧暦ではまだ3月11日に過ぎません。4月30日でも旧暦ではま
だ4月に入っておらず、閏3月の10日となっています。それでは、旧暦では4月はいつ
かというと、何と5月の21日です。なる程、これだと卯の花が夏の季語であるのも頷け
ます。また、旧暦の4月1日は衣替えといわれていますが、昔の人は、4月1日になると
綿入れの着物から綿を抜いたのだそうです。それで4月1日を4月朔日(わたぬき)とい
うようになったそうですが、判じ物風で面白いですね。
全国各地からは、桜の便りが届き始めました。また、大通り公園を歩いていると、花壇
では花の芽が顔を出しており、本格的な春の訪れを告げているようです。
身も心も冬物から夏物に替え、名実共に「卯の花月」を感じる日もそう遠くはありませ
ん。
第280号
平成24年4月3日
石の上にも3年は死語に?
政府は、3月19日に開催した「雇用戦略会議」において、大卒の2人に1人、高卒の
3人に2人が無職や非正規雇用だったり、3年以内に仕事を辞めたりしているという推計
を報告しました。
その推計によると、昨年3月に大学や専門学校を卒業(中退)して社会に出たのは約7
7万6千人、この内正規雇用で就職したのは約56万9千人となっていますが、卒業した
若者の内約14万人は無職やアルバイトなどの非正規雇用という状況にあるとしていま
す。
また、大学や専門学校を中途退学したものは、約6万7千人としています。
今回の政府報告の中で注目されるのは、正規雇用となっても約19万9千人もの若者が
3年以内に辞めているという実態です。この19万9千という数値は、新規の正規雇用者
の3分の1に相当しますが、こうした傾向は今に始まったことではなく、しかも、年々深
刻 に な っ て き て い ま す 。「 石 の 上 に も 3 年 」 と い う 言 葉 は 、 今 や 死 語 と な っ て い る よ う で
す。
その原因について政府は、若年層には大企業思考が依然として強いが、企業側は新規採
用に慎重という「雇用のミスマッチ」を挙げています。しかし、ことはそれ程単純ではな
いように思います。
荒井千暁(日清紡(株)の産業医)氏によると、辞めていった新入社員達が口にした理
由について
①仕事を教えてくれなかった
②即戦力になれなかった
③意見を聞いてもらえなかった
全てが一方的だった
④したいことをやらせてもらえなかった
⑤採用面接では「したいことは何か」と詳しく訊かれたが、実際は別の仕事になった
⑥職場の雰囲気が悪かった
⑦一方的に責任を負わされた
⑧ハラスメントを受けた
と い う 理 由 を 上 げ て い ま す ( 同 氏 著 「 勝 手 に 絶 望 す る 若 者 た ち 」 か ら )。
こんなことは、人生の先輩なら一つや二つ必ず経験しているのではないかと思います。
し か し な が ら 、若 者 達 の 辞 め る 理 由 を 見 て「 そ ん な 程 度 の こ と で 辞 め る の か ! 」と か 、
「だ
から今の若者はダメなんだ!」などと慨嘆するのは速過ぎます。
若 者 の 早 期 離 職 の 問 題 に つ い て 、 城 繁 幸 氏 ( 人 事 コ ン サ ル テ ィ ン グ 会 社 社 長 ) は 、「 若
者はなぜ3年で辞めるのか?」という著書の中で様々な角度から分析しています。
城氏は、昭和的価値観の中では勝者といっても差し支えない若者が、わずか数年で途中
下車してしまうことについて、辞められる側の会社の意識としては「若者達のわがままで
忍 耐 力 不 足 」、 辞 め る 側 の 若 者 達 の 意 識 と し て は 「 本 人 の 希 望 と 従 業 員 と し て 内 部 で 感 じ
るイメージのギャップ」があること。また、若者達に、働き続けることに我慢できない程
の ギ ャ ッ プ が 何 故 生 ま れ る の か に つ い て は 、「 そ れ だ け 彼 ら が 、 仕 事 に 対 し て 幻 想 を 抱 い
てしまっている」からであり、その原因には、企業側の必要とする人材に対する考え方の
変化に原因があるとしています。
更に、企業側の考え方の変化については、近年の企業における採用形態を見てみると、
即戦力という言葉が横行しているように、これまでのような「何でもやります」的な人間
から、組織のコアとなれる能力と、一定の専門性を持った人材が求められるようになって
きているとのことです。こうした中、採用方法も大量採用から厳選採用へと変化してきて
おり、しかも、ネットの普及によって情報公開が進み、企業の採用方法も完全公募制に移
行するなど、学生は偏差値や性別などと無関係に全員が同じ土俵で評価されるようになっ
てきていることを指摘しています。
特に、今や就活の学生には、明確なキャリアプランを持ちそのために努力し、厳選採用
に 対 応 し て 正 社 員 と し て の 地 位 を 獲 得 す る グ ル ー プ と 、「 た だ な ん と は な し に 」 有 名 な 企
業ばかりに応募し続け、なかなか内定の取れないグループの二つに分かれているという指
摘は重要です。
同時に城氏は、その優秀なグループにも欠点があり、彼らは就職までのプロセスにおい
て余りにも仕事に対する意識が高くなり過ぎていることが、若者達の内面で持っている仕
事へのイメージと現実とのギャップを生み出す一つの要因であるとも述べていますが、そ
うだとすれば誠に皮肉な現象です。
そうしたギャップを生み出すもう一つの要因としては、年功序列の崩壊を挙げなければ
なりません。
今や給与は低く押さえられ、序列が上がらない限り基本的には報酬も上がらない。さり
と て 、 上 は 詰 ま っ て い て 展 望 も 開 け な い 。 そ う し た 中 、 若 者 達 に は 、「 や り 場 の な い 徒 労
感」が溜まっており、城氏は、この「やり場のない徒労感」が途中下車の最大の理由だと
指摘しています。
年功序列が崩れたといいながらも現実は旧態依然の人事や給与の仕組み、ゆとりをなく
し、人間関係が希薄化している職場環境、コミュニケーションやモラルの欠如、こうした
ことに加え若者達の思い込みと焦り、こうしたことが様々に織り重なって若者達の早期離
職に繋がっているとしたら、事態は深刻です。
若者達の早期離職は企業側にとっても大きな損失なはずですから、採用した若者達を育
て、彼らの力を引き出し活用していく仕組み、組織の駒としての「人材」から会社を支え
る「人財」に変えていくための仕組みを構築することが必要です。
また、若者達の方も、就職するということの意味はどういうことなのか、また、職業人
として生きるということはどう生きることなのかについて、改めてしっかりと考える必要
が あ り ま す 。 藤 本 篤 志 氏 (( 株 ) グ ラ ン ド ・ デ ザ イ ン ズ 社 長 ) は 、「 社 畜 の ス ス メ 」 と い
う本を出していますが、逆説的ながら一読してみると良いでしょう。これは、学校でキャ
リア教育を進めていく上でも参考になるように思います。
第281号
平成24年4月4日
不適切勤務
道教委は、去る3月27日、3月末退職予定者の内109人を対象に、戒告や文書訓告
などの処分を実施しました。
道教委では現在、会計検査院から教職員の不適切勤務の指摘を受けたことを踏まえ、道
が給与を負担している公立学校の全教職員について、2006年から2010年度の5年
間について勤務実態調査を実施していることは、皆さんも承知していると思います。
調査自体は今も続けられており、全体の結果は本年8月を目途に取り纏める予定とのこ
とですが、その前に、3月末に退職する教職員がいるため、その教職員を対象に前倒しで
調査を行っていたものです。その結果、戒告14人、文書訓告18人、文書注意64人、
服務上の指導13人、計109人について処分が行われました。
また、この109人の中には校長30人、教頭2人が含まれています。校長や教頭は、
平素、教職員の服務を監督すべき立場にありますので、そういう管理職が自ら不適切勤務
を理由に処分されるということは、極めて遺憾なことと言わなければなりません。
それでは、処分の理由となった不適切勤務とは如何なるものだったのかといいますと、
「夏休みや冬休みの長期休業期間中、勤務時間が守られていなかった」
「校外研修の事実が確認されなかった」
などであり、昨年、会計検査員から不適切勤務として指摘を受けていたケースと重なりま
す。
子ども達にルールを守ることの大切さを教える場であるはずの学校において、どうして
このような事態が生じてしまったのでしょうか。理由、背景は幾つか考えられます。
一つは、制度に対する認識が甘かったということは否定できません。
現在、教師が非常に多忙になっており、精神的、肉体的な負担が高まっていることは事
実だと思います。夜遅く、また土日を潰して生徒指導に当たっている教職員も少なくない
でしょう。とはいえ、そうした変則的な職場環境にあるからといって、勤務時間等の制度
を蔑ろにして良いということにはなりません。
「自分は子ども達のために頑張っている」ということだけでは、免罪符にはならないの
です。特に管理職の皆さんは、勤務時間や休暇制度などについて十分理解し、適切な学校
運営に努めていただきたいと思います。
勿論、今後も引き続き、教職員の皆さんの負担軽減に取り組むと共に、メンタルな部分
も含め適切な健康管理に取り組むべきことは、いうまでもありません。
二つめは、時代の変化に対する認識の甘さということです。
かつては、夏休みや冬休みになると教職員もお休み、というのが当たり前でした。そう
いう時代もあったということです。しかし、世の中が変わり、公務員の働き方に対する世
間の目が厳しくなり、勤務時間を含めた服務規律の確保が強く求められるようになってき
ました。過去、幾度となく教職員の勤務対応について問題が指摘され、服務規律の厳正な
確保について通知されていますが、多くの教職員が、自分たちは別といわんばかりに殆ど
関心を払ってこなかったことは残念なことです。
三つめは、自分に対する甘さということです。これは、私自身の反省を込めて申し上げ
る こ と で す が 、「 自 分 は 一 生 懸 命 頑 張 っ て 仕 事 に 打 ち 込 ん で い る の だ か ら 、 こ の 程 度 は 許
さ れ る 」と い う 思 い は 、多 分 、誰 に で も あ る の で は な い で し ょ う か 。し か し 、「 こ の 程 度 」
という場合の「程度」は人によって違います。自分では許容の範囲内と思っても社会的に
は許されない、ということが往々にしてあります。
教師は、子ども達に対して、人としての生き方を身を以て示すべき大きな役割があるの
ですから、法律を守ることを含め自己規制する力は、他の人達より一層高いものが求めら
れていると考えるべきです。
道教委では、先程申し上げたように、8月を目途に調査結果を取り纏めることとしてい
ますが、学校現場では「どうしてそんな細かいところまで」といった不満や批判が燻って
い る と も 聞 い て い ま す 。し か し 、被 害 者 意 識 だ け で は 今 回 の 問 題 は 解 決 し ま せ ん 。む し ろ 、
「この機会に昔年の問題を整理していこう」という、前向きの思いを持って対応していた
だくことを、期待しています。
第282号
平成24年4月5日
2%の壁
先 日 ( 3 月 3 0 日 )、 厚 生 労 働 省 は 、 障 が い 者 の 雇 用 が 計 画 通 り 進 ん で お ら ず 、 昨 年 の
12月末現在で法定雇用率(2%)を達成していない道教委他16都県に対して、新しい
採用計画を適正に実施するよう勧告しました。
道 教 委 に と っ て は 、今 回 の 勧 告 は 4 回 目 と い う こ と で す が 、そ の 内 の 少 な く と も 1 回 は 、
私が教育長時代に受けていますので、責任を感じる一方、現実の難しさも理解しているつ
もりです。
現行の障害者雇用促進法では、教育委員会に対して、障がい者を全体の2%以上雇用す
るよう義務付けていますが、昨年の12月末現在で法定雇用率を満たしている県は16県
に止まっています。こうした中、障がい者の雇用実績が計画の5割未満、あるいは雇用率
が前年を下回った17都道県が勧告の対象となりました。
道 教 委 は こ れ ま で も 、障 が い 者 の 雇 用 に 対 し て 後 ろ 向 き だ っ た 訳 わ け で は あ り ま せ ん が 、
大阪府や兵庫県のような大きな教育委員会でも法定効用率を満たしていますので、道教委
としても、引き続き障がい者の採用拡大に取り組む必要があることはいうまでもありませ
ん。
道教委では、今回勧告を受けることとなったのは、障がい者雇用率の算定に際しての除
外率の変更が原因であるとしています。
これはどういう事かといいますと、雇用率算定に当たっては、総職員数をそのまま基礎
数とするのではなく、一定の除外率を掛けた数を除いた数が基礎数(母数)とされます。
従って、除外数が小さくなると母数が大きくなりますので、求められる法定雇用率も高く
なります。この除外率が、平成22年7月に30%から20%に引き下げられ、これによ
っ て 道 教 委 に お け る 実 際 の 法 定 雇 用 率 は 、 平 成 2 2 年 6 月 の 1.62% か ら 障 が い 者 の 雇 用
が 4 6 2 人 か ら 506.5人 へ と 拡 大 し た に も か か わ ら ず 同 2 3 年 1 2 月 の 法 定 雇 用 率 は 1.5
7% へ と 下 が っ て し ま い ま し た 。
法定雇用率算定の基礎となる職員数(母数)は、北海道の場合約3万2千人とされてい
ますが、いうまでもなくその大半は教師です。その教師を採用しようとする場合には教師
としての実践力が問われことになりますが、それは障がい者に対しても変わるものではあ
りません。こうしたこともあり、現在370人の障がい者の方々が教師として学校現場で
活躍されていますが、障がい者の方々にとって教師への道は、非常に厳しいものとなって
います。
また、障がい者の雇用を拡大していくためには、ワークシェアという考え方をもっと浸
透させていく必要があると思いますが、組織のスリム化、校務補などの業務の外部化など
行政改革が進む中では、この点でも難しさがあります。
こうした中、道教委では、今後、教員、実習助手、寄宿舎指導員、事務員について障が
い者特別選考の採用枠を拡大することや道立学校への非常勤校務補の任用拡大などを検討
しているとのことですので、その成果に期待したいと思います。
第283号
平成24年4月6日
ヘルプ
今、劇場では「ヘルプ」という映画が公開されています。この映画は、1960年代の
アメリカミシシッピ州、ジャクソンという町が舞台となっており、原作はアメリカの人気
作家キャスリン・ストケットが2009年に発表した同名の小説です。
主人公は、南部の上流階級に生まれた作家志望のスキーターという名の女性で、黒人の
メイド達に囲まれて何不自由なく育ちます。大学を卒業して故郷に帰ってきた彼女は、白
人社会の中で差別され、虐げられながら生活している黒人達をみて、疑問、憤りを感じ始
めます。そして、黒人達の置かれている厳しい姿を本に纏め、世に伝えたいと思い立ちま
す。
スキーターは、黒人メイド達にインタビューしようとしますが、初めは誰も口を閉ざす
ばかりです。何故なら、南部では、黒人が現状に対して批判的な行動を起こすことは命を
失うかも知れない程危険なことだったからです。そんな中、1人のメイドがインタビュー
に応じたことをきっかけに、やがて多くの黒人メイドがインタビューに応じ、一冊の本が
できあがります。出来上がった本は、白人社会にセンセーションを巻き起こしますが、同
時に黒人メイド自身をも変えていく大きな力であったことが分かります。
映画の中では、子どもを病気から守るためと称して、黒人メイド専用の野外トイレを設
置するシーンや、黒人メイドが嵐の日に、屋外の黒人専用トイレではなく室内のトイレを
使ったことがばれ、首になるというシーンが出てきます。
アメリカの黒人達は、1862年9月、リンカーン大統領によって行われた「奴隷解放
宣言」によって奴隷という立場からは解放されましたが、人種差別という頚木は1964
年7月に「公民権法」が制定されるまで解かれることはありませんでした。
「 ヘ ル プ 」 は 、「 分 離 す れ ど も 平 等 」 と い う ジ ム ・ ク ロ ウ 法 ( 一 般 公 共 施 設 の 利 用 を 禁
止制限した法律を総称)の考え方や社会慣習に支配されていた当時の南部の様子を、見事
に切り取って描いています。
映画の中では、バスの中で、白人達から冷たい視線を浴びながら身を小さくして乗って
いる黒人達の姿が描かれていますが、既に公共交通機関での人種差別は違憲とされていた
にもかかわらず、人の気持ちを変えることが如何に難しいかが良く分かります。
しかし、そうした中でも、勇気を持って声を上げる人が出てきます。それが、ローザ・
パークスでありマーチン・ルーサー・キング牧師です。
1955年12月、ローザ・パークスは仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗車した
ところ、黒人の座席が一杯だったので黒人も座れる中間の席に座ります。ところが、だん
だん混み合ってきて白人の中にも立つ人が現れると、運転手が中間席に座っている黒人に
立つよう命じます。座っていた黒人の何人かは席を空けますがローザは立たなかったため
警察に逮捕されてしまいます。
ローザ逮捕の知らせが伝わると、キング牧師らは抗議運動に立ち上がり、そして遂に、
1956年連邦最高裁判所から、公共交通機関における人種差別を違憲とする判決を引き
出すに至ります。
キング牧師は、この運動の勝利を契機として、全米各地で非暴力を掲げて公民権運動を
指導し、1963年8月にはワシントン大行進で25万人を集めた抗議集会を成功させる
の で す が 、 こ こ で 行 わ れ た キ ン グ 牧 師 の 演 説 こ そ 、 世 界 の 人 々 に 感 銘 を 与 え た 「 I Have
a Dream( 私 に は 夢 が あ る )」 で す 。
「ヘルプ」の原作は、全米で1130万部を突破するというミリオンセラーとなりまし
た。しかし考えてみると、アメリカの歴史の中での汚点ともいうべき人種差別を取り上げ
た小説が、かくも多くのアメリカ人に読まれたのは何故でしょうか。
多分それは、差別というものは、人種間だけのものではなく、今以て性や、職業など様
々なところに潜んでいるという現実があり、そのことへの抵抗として、一人ひとりは誠に
微力だけれど勇気を持って一歩前に踏み出し、自由を勝ち取った女性達への共感ではない
か と 思 い ま す 。「 ヘ ル プ 」 の 主 人 公 達 は 、 自 分 の 意 志 で 行 動 す る 人 で す 。 そ れ が 、 社 会 を
変える力になることを、この作品は訴えているように感じます。
キ ン グ 牧 師 が 提 唱 し た「 非 暴 力 主 義 」は 、無 抵 抗 を 意 味 す る も の で は あ り ま せ ん 。彼 は 、
現状を変革することに決して弱腰ではなく、行動の人でありました。
そのキング牧師は、今から44年前(1968年)の4月4日、テネシー州メンフィス
にて凶弾に倒れます。享年39歳でした。
第284号
平成24年4月9日
ライフラインと民間委託
松山市では、水道事業の運営・管理を世界最大の水道会社であるヴェオリア・ウォータ
ー・ジャパンに業務委託しています。
こ の 業 務 委 託 に 対 し て 、「 外 国 資 本 が 、 本 格 的 に 日 本 の 水 道 事 業 に 参 入 す る の は 全 国 で
も初めて」との報道があり、注目して見ているところです。
当 の 松 山 市 は 、「 マ ス コ ミ 報 道 に よ り 、 本 市 の 水 道 事 業 を 外 資 企 業 が 経 営 す る と 心 配 し
ている方がいらっしゃるようですが、事実ではありません」と、報道を否定するメッセー
ジを出しています。
よく「日本人は、空気と水はただと思っている」といわれますが、平素、水道の水につ
いて関心を持ちながら生活している人は少ないのではないかと思います。しかし、蛇口を
ひねれば安全で、美味しい水が勢いよく出てくる国は早々あるものではありません。
今では日本国内でも、ミネラルウォーターなどの水がペットボトルで大量に売られてい
ますが、かつてヨーロッパに行ったときに、喫茶店で水を飲もうとしたところ有料だった
ので驚いたことを思い出します。
このように、普段は意識せず使っている水道水ですが、一端災害などで断水になった途
端、生活の維持そのものが不可能になってしまいます。まさに、水は電気やガスと同様、
極めて重要なライフラインといわれる所以です。
現在、水道事業は、そのほとんどは地方公営企業という形で自治体により経営されてい
ます。私たちが、平素安心して水を使用することができるのは、各自治体が責任を持って
水道施設を維持管理し、運営しているからです。また、水道事業を維持するために膨大な
コストがかかっていることについても、我々はもっと知る必要があります。
一方、欧米では、イギリスやフランスなどのように水道事業を民間に開放しているとこ
ろもあり、必ずしも自治体が行っているとは限らないようです。
日本でも2001年に水道法が改正され、水道事業の包括的な民間委託が可能となりま
したが、これまでのところ、浄水場の運転操作や保守点検等の一部や料金徴収などを民間
委託している例は多数ありますが、運営の全てを民間企業に委託する「包括的委託」の例
は無いとされています。従って、仮に、松山市が外国企業に対して包括的業務委託を行っ
たとすれば、国内で第1号ということになるでしょう。
と こ ろ で 、 世 界 の 水 ビ ジ ネ ス に お い て は 、 フ ラ ン ス の 「 ス エ ズ 」 と 「 ヴ ェ オ リ ア 」、 イ
ギリスの「テムズ・ウォーター」が3大「水メジャー」と呼ばれており、今回松山市と契
約した会社は、
「 ヴ ェ オ リ ア 」の 日 本 法 人( ヴ ェ オ リ ア ・ ウ ォ ー タ ー ・ ジ ャ パ ン 株 式 会 社 )
です。
今 回 の 報 道 に 伴 い 、 市 民 か ら 不 安 の 声 を 寄 せ ら れ た 松 山 市 で は 、 市 民 に 対 し 、「 水 道 事
業については既に、浄水場の運転や設備の保守についてヴェオリア・ウォーター・ジャパ
ン株式会社に委託してきたものであり、今回の委託契約は、現在の契約期間の満了に伴う
ものである」ことを明らかにすると共に、水道事業の経営は、これまでどおり松山市公営
企業局が責任を持って行う旨表明しています。
松山市とヴェオリア・ウォーター・ジャパン株式会社との委託契約の内容を見ると、報
道とは異なるようにも感じますが、水道というライフラインをどう維持していくかは危機
管理上も大きな課題であり、松山市民ならずとも関心を持たざるを得ません。
水道事業については、いずれの自治体においても、老朽化した施設を抱えるなど厳しい
経営環境に置かれていますので、民間企業への業務委託という流れは更に加速していくで
しょうし、水メジャーも日本への進出に向けて積極的にアプローチしてくるものと思われ
ます。
また、今後、地球的な規模での水不足が懸念される中、豊かな水を求めて、既に外国人
による日本の水源地確保という動きも出てきていますので、国の安全保障、国土保全や災
害に対する危機管理といった観点からも、こうした水の問題について、我々はもっと注目
し、関心を持つ必要があります。
第285号
平成24年4月10日
新1年生
全道の高校では、4月9日が入学式というところが多いと思います。
私のところにも幾つかの学校から入学式へのご案内をいただきましたが、身は一つしか
ありませんので、北海道高等盲学校の入学式に出席して来ました。
私は昨年から、高等盲学校の教育振興会会長を仰せつかっていることもあり、本校の入
学式に出席することを楽しみにしていたところです。
今年の新入生は、普通科が9名、専攻科の保健理療科が2名、同じく理療科が11名と
なっており、全体でも22名という規模ですので、入学式そのものはコンパクトなもので
したが、生徒達によるブラスバンドの演奏で入場した新1年生の表情からは、緊張した中
にもこれからの学校生活への期待が込められているように感じられました。
北海道高等盲学校は、1974年4月に札幌盲学校から高等部を分離独立させて開設さ
れた、道内で唯一の高等部単置の盲学校です。
北海道高等盲学校では、一人一人の様々な目の障がいに応じた教育、及び支援を行うこ
とを目標に教育活動が展開されています。
校訓は、明朗・友愛・健康・忍耐とあります。校訓に忍耐とあるのは、視覚障がい者の
置かれている環境の厳しさを象徴するものであり、試練に堪え忍び、自立への道を歩んで
欲しいという願いが込められているのではないでしょうか。
また、北海道高等盲学校には、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師を養成する
ための職業教育課程として専攻科が開設されていますが、この専攻科の対象は本校普通科
はじめ高校を卒業した方(若しくは同等以上の学力を有する方)とされていますので、本
校は、高校生から大人までが同じ学舎で学ぶという大変ユニークな学校となっています。
更に、北海道高等盲学校には、1994年以来、理療研修センターが併設されています
が、当センターは北海道における理療教育の充実、視覚に障がいのある理療従事者の資質
向上などに取り組むと共に、実践教育の一環として、一般の方々にあん摩・マッサージ・
指圧・はり・きゅうによる治療を行っています。
このように、北海道高等盲学校は、修学後までを視野に入れた教育システムを取ってい
ますが、現在、道教委においては、これまでの教育システムを更に発展させるため、修学
前から修学後まで一貫した教育を行うための総合盲学校の整備に取り組んでおり、その完
成が待たれます。
新1年生の皆さんには、いよいよ今日から学園生活が始まりますが、決して楽しいこと
ば か り で は な い と 思 い ま す 。 辛 い こ と 、 苦 し い こ と も あ る で し ょ う 。 し か し 、「 眉 上 げ て
真理究めん」と校歌にあるように、将来の自立に向けてしっかりと学び、成長して欲しい
と思います。
そして何よりも、学園生活の3年間が、良き師、良き友と巡り会い、実り多いものとな
りますよう祈って止みません。
第286号
平成24年4月11日
恐ろしいトリカブト
函館市で、山菜のおひたしを家族で食べ、父親(71歳)と長男(42歳)の2人が死
亡 、 次 男 ( 4 1歳 ) が 重 傷 と い う 事 故 が 発 生 し ま し た 。
事件の原因となった山菜はトリカブトとのことで、勿論、トリカブトが有毒植物である
ことは承知していますが、改めてその恐ろしさを認識させられたところです。
山菜を採りに行って事故の当事者となった長男は、山菜採りのベテランで、しかも山菜
を採りに行く前、食べられる山菜と有毒植物の見分け方を植物図鑑で確認していたという
ことですが、それでも今回のような事故が起きてしまうということは、食べられる山菜か
どうかの判別が想像以上に難しいことを物語っています。
トリカブトはキンポウゲ科トリカブト属の植物の総称で、アコニチンという有毒成分を
含み、食べると短時間で吐き気などの症状が出て、最悪の場合は今回のように死亡するケ
ースもあります。外見のよく似ているニリンソウ等と共生しているため、誤食しやすいと
いわれています。
一方、食べることが出来るニリンソウもトリカブトと同じキンポウゲ科ということで、
写真で見比べると、微妙に違っていることは素人目の私にも分かりますが、実際に山に入
って群生している状況を見たら、ニリンソウとトリカブトの判別はできないだろうなと思
います。
道内では、これまでも度々有毒植物による食中毒が発生しています。この10年間だけ
でも10数件発生しており、亡くなった方もいます。また、原因となった山菜はトリカブ
トだけではなく、ユウガオ、イヌサフラン、スイセン等ですが、やはりトリカブトが原因
の場合が多いようです。
私の知人にも、山菜採りが趣味という人がいます。その人は、どの位山菜採りが好きか
というと、例えばゴルフ場でも、プレーの合間にちょっと林の中に入っては何か見つけて
きて、これは食べると美味しいと説明してくれたりします。私には、ゴルフをしに来たと
いうより山菜採りに来たのではないかと見えてしまうのですが、そんな人に対して、ゴル
フでは何時も後塵を拝しているのは悔しい限りです。
私は山菜は大好きですが、ゴルフ場の山菜となると、キツネがおしっこを掛けているん
じゃないかとか色んな事を想像してしまいますので、持っていかないかといわれても頂い
て来たことはありません。もっとも考えてみれば、スーパーなどで売っている山菜だって
似たり寄ったりなのかも知れませんが…。
さて、有毒植物の誤食による事故は、4月から5月にかけて発生するケースが多いとい
うことですから、自分で山菜を採りに行く人は十分注しなければなりません。
私のように判別能力のない人は、もっぱらスーパーなどで買って食べるに如かずです。
第287号
平成24年4月12日
戒名は必要ない?
読売新聞社が、冠婚葬祭に関する世論調査を実施したところ、多くの人が、冠婚葬祭は
簡 素 に 行 っ た 方 が 良 い と 考 え て い る こ と が 明 ら か と な り ま し た ( 4 月 7 日 付 読 売 新 聞 )。
特に、法要については96%の人が、葬式については92%の人が簡素に行う方が良い
と考えているようです。
また、慣習やしきたりについても、法要については59%の人が、葬式については58
%の人がこだわらなくても良いとしています。そのせいでしょうか、通夜や告別式を行わ
ずに直葬することについても、72%の人は特に問題ないとしていますし、散骨など新た
な埋葬方法も82%の人は問題ないとしています。
更に、自分の葬式を仏教式で行う場合、戒名が必要かどうか聞いたところ、必要ないと
いう人が56%となっており、必要だと考えている人(43%)を上回っています。
戒名(宗派によっては法名)というのは、仏弟子となった者に与えられる名ですから、
本来は受戒して仏門に入った者にしか与えられないものですが、後世、生前は仏教徒でな
くても、死後形式的に受戒の作法を行い、仏教の帰依者として葬儀を行うようになったも
のといわれています。
死者に戒名をつけるというのは、故人が迷わず成仏するように、仏の弟子として西方浄
土に旅立てるようという、残された者の思いが形になったものだといえるでしょう。
しかし今日では、戒名は、僧侶が死者につける名前という程度の認識しか持たれていな
いのが実態だと思います。
戒名について、その宗教的な意義を理解せず、単に死者につける名前という程度の形式
的なものに過ぎないと感じれば、そんなものは必要ないという人も出てきて不思議ではあ
りません。葬儀を出来るだけ簡素にしたいという人が増えている背景には、地域のコミュ
ニティが力を失ってきたことと無縁ではありません。
私が子供のころは、葬儀屋さんも葬祭場もなく、会場は町内会館で行っていましたし、
葬儀委員長は町内会長、食事の用意は町内のおばさん方が手分けしてやっていました。町
内というコミュニティには、葬儀を行うだけでなく、しっかりと遺族を支えていく仕組み
があったように感じます。
しかし今日では、町内の人間関係も希薄になり、葬儀の際のお手伝いを頼むことも難し
くなってきていますので、田舎であれ、都会であれ、葬儀社に丸投げした形で葬儀が行わ
れるというのも致し方ありません。
葬儀社が葬儀を仕切るのが当たり前になってくると、葬儀の儀式化が一層進むことにな
り、その分、宗教的な意義が薄れていくことは避けられません。そして、儀式化すればす
る程、出来るだけ簡単に済ませたいと考える人が出てくるのも当然です。
ただ、葬儀は単なるイベントではありません。確かに葬儀は儀式ではありますが、それ
は死者を悼む悲しみの儀式なのです。
この悲しみの儀式が何故必要なのかということについて、漫画「死化粧師」のモデルで
もある橋爪謙一郎氏は、葬儀というのは
1
遺された人達が改めて故人の人生を振り返ることが出来る機会である
2
故人に感謝の念を抱く場である
3
悲しい、悔しいといった思いに遠慮なく浸れる時間である
4
霊の処理や供養などを念じて死者を送る儀礼である
と 述 べ て い ま す ( 同 氏 著 「 お 父 さ ん 、 葬 式 は い ら な い っ て 言 わ な い で 」 か ら )。
ま た 、 橋 爪 氏 は 、「 自 分 は 明 確 な 信 仰 が あ る 分 け で は な い か ら 、 葬 儀 は 要 ら な い 」 と い
う人は、4番目の意義だけを取り上げて、宗教的な意味が失われたから要らないといって
いることになる。それは、ことさら葬儀の意義を矮小化しているのではないか、と述べて
います。
4番目の「霊の処理や供養」といった宗教的な要素についての受け止め方は、人によっ
て様々だと思いますが、御通夜、告別式、初七日、四十九日と悲しみの儀式を重ねていく
中で、残された人達は少しずつ、悲しみと向き合い、心の整理を付けていくことが出来る
のだと思います。
葬式は、遺された者が故人を偲び、送る為の場だけではありません。遺された人と人と
の絆を再確認する場でもあります。
そう考えると、自分が死んだ時、どのような葬儀が望ましいのか、今のうちから考えて
おくのは決して無意味ではありません。
第288号
平成24年4月13日
イクメンに期待
最近は、家事や育児を積極的に行う「イクメン」や「カジダン」男性が増えているよう
です。それは、男性が女性に優しくなったのか、それとも家事や育児の楽しさを知って、
女性にだけさせるのは勿体ないと思ったのか定かではありませんが、でも、男性が家庭に
目を向けるようになったことは、良いことだと思います。
かつて、女性の活動家が「男女の固定的な役割分担意識を変えなければならない」と叫
んでいたのを思い出します。勿論、女性の方からすると「男なんてマダマダよ!」という
声が聞こえてきそうですが、世の中、随分と変わってきました。
私は、同世代の人と比べると、多分、家事や育児に関わった方だとは思いますが(家内
の 評 価 は 分 か り ま せ ん が )、 昔 は 家 庭 を 顧 み ず 仕 事 に 打 ち 込 む の が 男 だ み た い な 風 潮 が あ
り ま し た か ら 、「 イ ク メ ン 」 や 「 カ ジ ダ ン 」 男 性 が 日 本 社 会 に 定 着 し つ つ あ る こ と は 、 む
しろ健全だといえるでしょう。
そして、この「イクメン」や「カジダン」男性が少子化に対する救世主になるかも知れ
ない、そんな期待も生まれています。
先頃、厚生労働省の調査の結果、夫が休日などに家事や育児をする時間が長い夫婦程、
子どもが2人以上生まれる割合が高いという結果が明らかとなりました。
更に詳しく見ていくと、子どもがいる夫婦の内、2010年までの8年間に2人目以降
が 生 ま れ た 割 合 は 、夫 の 休 日 の 家 事 ・ 育 児 時 間 が ゼ ロ の 場 合 は 9.9% で あ っ た の に 対 し て 、
1 日 6 時 間 以 上 の 場 合 は 67.4% と 約 6 倍 以 上 と な っ て い ま す 。
ちなみに、第2子以降が生まれた割合は、夫の休日の家事・育児時間が
1日2時間未満
25.8%
同2時間以上4時間未満
48.1%
同4時間以上6時間未満
55.3%
となっており、夫の家事・育児時間の長さと第2子以降が生まれる可能性については相当
関係がありそうです。
確か1988年から公務員について月2回土曜日を休業日とする4週6休制がスタート
したのですが、当時私は道庁の人事課で職員の勤務時間制度などを担当しており、マスコ
ミ等から何故土曜日を休みにする必要があるのか聞かれたものです。その際私が申し上げ
た こ と は 、土 曜 日 を 休 み に す る こ と に よ っ て 父 親 を 家 庭 に 返 そ う と い う こ と 。も う 一 つ は 、
我々の働き方自体を変えて行こうということでした。しかし現実は、週休二日制が定着し
た後も男達の行動パターンに殆ど変化はみられなかったように感じます。ところが昨今、
「イクメン」や「カジダン」男性が脚光を浴び始めたのは、女性の社会進出が進み、共働
き世帯が増えていることもあり、男は外で働き、女は家庭を守るといった考え方が成り立
たなくなっているということがあるでしょう。しかも、渋々育児や家事に参加する男性も
少 な く な い と は 思 い ま す が 、む し ろ 、育 児 や 家 事 の 楽 し さ に 気 付 き 始 め た 男 性 が 増 え 始 め 、
それが今時の若い男性のスタイルになりつつあるということだと思います。
そうはいっても、現状ではまだまだ職場での理解や協力が十分でないこともあり、育児
や家事に積極的に参加する男性は決して多いとはいえません。
女性が子育てしながら働き続けることができる環境を整えていくことは、少子化対策と
しても大変重要です。この為、国においては保育所の整備などに力を入れていますが、そ
うした政策だけでは不十分で、まずは「イクメン」や「カジダン」男性の存在が当たり前
の世の中にすることが大事なのではないかと思う、今日この頃です。
第289号
平成24年4月16日
一言の重さ
「お前は身体が小さいが、心も小さかったな」
札 幌 市 内 の 中 学 校 の 某 教 師 ( M教 師 ) は 、 終 業 式 の 折 、 1 学 年 の 生 徒 達 が 揃 っ て い る と
ころで、進級する子ども達一人ひとりに声を掛けたそうです。
教師にとっては、卒業式や終業式のように生徒とのお別れをする時というのは、子ども
達に自分の思いを伝える上で大変大事な、そして絶好の機会といえます。それだけに教師
の皆さんは、子ども達に贈る言葉の一言一言に心血を注いでいるはずです。
そ の 大 事 な 場 面 で 、 件 の M教 師 が 1 人 の 男 子 生 徒 ( A君 ) に 対 し て 投 げ か け た 言 葉 、 そ
れが冒頭の一言です。
実 は 、A君 は 私 の 知 人 の 息 子 で 、そ の 子 の こ と は 、小 さ い 頃 か ら 私 も 良 く 知 っ て い ま す 。
空手を習ったりしていて身体はがっちりしているのですが、背が低くて、恐らくクラスで
は一番小さいのではないかと思います。性格はひょうきんな面があり、友達ともよく遊ん
で い ま す 。 で す か ら 、 M教 師 が 「 お 前 は 身 体 が 小 さ い 」 と い う の は そ の 通 り で す が 、 心 根
のことは、他の子と特別変わったところがあるようには思えません。
勿 論 A君 も 今 時 の 子 ど も で す か ら 、 学 校 で は 、 先 生 の い う 事 を 聞 か な か っ た り 、 逆 に 、
本人は背が低いことをコンプレックスに感じていたようですから、その為に周りとのコミ
ュニケーションがうまく取れなかったという面があったのかも知れません。しかし、仮に
も A君 に そ う し た ネ ガ テ ィ ブ な 要 素 が あ っ た と し た ら 、 そ れ を 克 服 す る よ う 仕 向 け て い く
のが教師の役割ではないでしょうか。
背 が 低 い こ と に コ ン プ レ ッ ク ス を 感 じ て い る 少 年 に 対 し て 、教 師 が ダ メ を 押 す よ う に「 心
ま で 小 さ い 」 と い っ て 憚 ら な い 感 性 を 私 は 疑 い ま す 。 一 体 、 M教 師 は A君 に 何 を 伝 え よ う
としたのでしょうか。
も し か し た ら A君 を 発 奮 さ せ よ う と し た の か も 知 れ ま せ ん が 、 私 に は 、 た だ A君 を 切 り
捨 て た だ け の よ う に し か 感 じ ら れ ま せ ん 。 M教 師 か ら 「 お 前 は 身 体 が 小 さ い が 、 心 も 小 さ
か っ た な 」 と い わ れ た A君 は 、 流 石 に し ば ら く 落 ち 込 ん で い た そ う で す が 、 無 理 も あ り ま
せん。
逆 に 、 A君 が M教 師 か ら 「 お 前 は 、 身 体 は 小 さ い が す ご い 頑 張 り や だ か ら 、 も っ と 大 き
な 心 で も の を 見 ろ 」と か 、
「 こ ん な 良 い と こ ろ が あ る ん だ か ら 、も っ と 自 分 に 自 信 を 持 て 」
等といわれたとしたらどうだったでしょう。少なくとも、落ち込むことはなかったことで
しょう。
よ く 、「 先 生 の 一 言 が 私 の 人 生 を 変 え た 」 と か 、「 先 生 の 一 言 が あ っ た か ら 、 今 の 自 分
がある」といった話を聞きます。言葉には、よくも悪くも、人の一生を変えてしまう程の
大きな力があるということです。
だからこそ、教師の皆さんには、子ども達の心の畑に種を蒔くように、言葉の種を蒔い
てあげて欲しいと思います。直ぐには花は咲かないかもしれませんが、その子が大人にな
っ た 時 、「 あ の 時 先 生 が い っ て い た 事 は こ う い う 事 だ っ た の か 」 と 思 い 出 し 、 そ の 子 の 人
生の支えになる、そんな言葉を贈れたら最高ではないでしょうか。
第290号
平成24年4月17日
2つの失敗
北朝鮮は、4月13日人工衛星と称する弾道ミサイルを発射しましたが、発射直後に爆
発、失敗しました。
北朝鮮は今回の失敗を自ら認め報道していますが、閉鎖的な北朝鮮において、こうした
国家的プロジェクトの失敗を国民に早々に報道するというのは異例のことです。これは、
北朝鮮が開かれた国家になろうとしているからではなく、発射前に各国の報道陣に対して
弾 道 ミ サ イ ル を 公 開 し て お り 、失 敗 を 隠 す こ と が 出 来 な か っ た と い う 事 情 が あ る よ う で す 。
北朝鮮は、今回の弾道ミサイルの打ち上げのために日本円にして650億円もの予算を
投入したといわれています。北朝鮮国内では食糧事情も悪く餓死者も出ていますが、これ
だ け の 予 算 が あ れ ば 、国 民 の た め に 大 量 の 食 料 を 輸 入 す る こ と が で き た は ず で す 。し か も 、
米国に対して食糧支援の約束を取り付けている中で、あえて弾道ミサイルを発射させ、国
際的孤児となろうとするのは理解できません。
国家の威信をかけた弾道ミサイル発射の失敗は、北朝鮮、取り分け発足したばかりの金
正恩体制に対して、大きなダメージを与えることになりました。今後、北朝鮮は、弾道ミ
サイル発射の失敗を取り戻すために、瀬戸際外交を更に先鋭化させるのではないかと懸念
されます。
さて、今回の北朝鮮の弾道ミサイル発射は、日本政府に対しても危機管理対策上極めて
大きな課題を突き付けることになりました。
防衛大臣が「何らかの飛翔体が発射されたとの情報を得ている」と発表したのは、実に
北朝鮮による弾道ミサイル発射後40分以上も経過した後のことです。報道を基に、それ
までの経過を整理すると次のようになります。
7:38
北朝鮮ミサイル発射
7:40
防衛省、米国の早期警戒衛星(SEW)による発射情報確認
8:00
韓国政府発射を発表
8:03
緊急情報システム・エムネットが「我が国は発射を確認していない」と速報
8:23
防衛大臣による上述の内容の会見を行う
目と鼻の先の北朝鮮からミサイルが発射されたのに、その重大な情報が国民に知らされ
るまでに40分も掛かるというのでは、ミサイルが着弾してはじめて、それは北朝鮮から
発 射 さ れ た ミ サ イ ル で す と 知 ら さ れ る よ う な も の で 、誠 に 不 安 こ の 上 な い こ と に な り ま す 。
日本政府は、今回の北朝鮮による弾道ミサイルの発射に対して、米軍とも連携し情報収
集に当たると共に、迎撃ミサイルを沖縄に配備するなどの対策を講じてきました。にもか
かわらず、ミサイル発射の確認が遅れたことは、危機管理という観点からは失敗といわざ
るを得ません。北朝鮮の側からすれば、日本の危機管理の脆弱性を目の当たりにしたとい
う点では、弾道ミサイルの発射失敗以上の成果を得たともいえるでしょう。
北朝鮮のミサイルは、日本の防衛システムだけでは捕捉できないために、自衛隊と米軍
は協働して監視活動にあたっていたものです。
このため、弾道ミサイルが発射された直後、その情報は、米軍から日韓両国に伝えられ
ています。そして、韓国政府はその情報を8時に発表しています。一方日本政府は、8時
3分に「確認していない」と発表していますが、この違いはどこから来るのでしょう。
防衛省の幹部は「日本独自に探知することが出来なかった。他国の情報で発表は出来な
か っ た ( 4 月 1 4 日 付 け 道 新 )」 と し て い ま す が 、 そ れ な ら 自 衛 隊 と 米 軍 と の 連 携 の 意 味
はないに等しいと思います。
また、エムネットでの「確認していない」という情報は、国民に「混乱があってはいけ
な い 、 と の 配 慮 だ っ た ( 4 月 1 4 日 付 け 読 売 新 聞 )」 と し て い ま す が 、 こ う し た 混 乱 を 避
けるという発想は、福島第一原発の事故発生の際、緊急時迅速放射能影響予測ネットワー
クシステム(SPEEDI)の情報を国民に提供せず、結果、放射線の被曝という被害を
拡大させてしまったことを思い起こさせます。
「混乱を避ける」といいますが、一番混乱していたのは国民ではなく政府の方ではない
かといわざるを得ません。
ま た 今 回 は 、 人 工 衛 星 を 通 じ て 瞬 時 に 自 治 体 に 情 報 を 送 る 「 J "A L E R T 」 と い う シ
ステムを事前に準備していました。このシステムは、国からの情報を自治体の装置が受信
すると、防災行政無線が自動的に起動して、直接、住民に情報を知らせることができるも
ので、システムが作動してから最短十数秒で情報伝達が可能というシステムですが、結局
活用されることはありませんでした。
国民から不安を取り除き、無用の混乱を避けるためには、必用な情報を適確に、また、
スピーディに提供することが、危機管理上も極めて重要になってきます。その点では、今
回の政府の対応は、情報の収集・分析という点でも、情報の伝達という点でもお粗末であ
ったというしかありません。政府に対しては、是非、危機管理対策をしっかりと再構築し
ていただくことを求めたいと思います。
第291号
平成24年4月18日
開かれた教育行政とは
文部科学省の調査によると、全国の教育委員会の内、約半数(52%)の委員会は議事
録を公開していないことが明らかとなりました(岩手・福島両県の10市町村は、震災被
害 に よ り 回 答 不 能 の た め 調 査 か ら 除 外 し て い ま す )。
今回の調査では、全国1784教育委員会の内、
・議事録を公開していない委員会
岡山県、福井県、北九州市の他936市町村の委員
会
・簡単な議事概要のみ公開
・詳細な議事録を公開
378(21%)
472(26%)
議事録の公開については、規模の小さな委員会ほど公開していない状況にありますが、
これは、教育委員会側の認識の低さと同時に、地域住民の教育委員会に対する関心の低さ
も影響しているように感じます。
一方、人口も多く、事務局の体制も整っているはずの県や政令市においても議事録が公
開されていない委員会があるというのは、驚くべきことです。これは単に議事録の公開に
対する認識の低さというより、教育行政を如何に進めていくかという姿勢そのものが問わ
れる問題だと思います。
教育委員会は、学校などの教育機関を管理し、学校の組織編制や教育課程、教科書その
他の教材の取扱、更には教職員の人事などについて議論し決定する、まさに教育行政を進
めていく上での最高の意志決定機関です。
また、教育委員会はレインマンコントロールといわれているように、教育行政に地域の
多様な意見を反映させることも期待されています。
地方教育行政の組織及び運営に関する法律第13条第6項において、教育委員会は人事
案件など特別のものを除いて公開すると規定されているにもかかわらず、政策決定の過程
が不透明のままでは、地域住民から教育への関心をますます遠ざけてしまうことになりま
す。
福井県教育委員会は「請求があれば公開可能なので、非公開とは認識していないが、今
後 検 討 し た い 」 と し て い る よ う で す ( 4 月 1 0 日 付 朝 日 新 聞 )。 こ の 福 井 県 教 育 委 員 会 の
担当者は、多分、法律で公開としていることの意味をよく理解していないのではないかと
思います。
情報公開に対するこうした姿勢は、議事録を公開していない委員会に共通しているので
はないかと思いますが、行政情報について、住民から請求されたら公開するというのは当
然 の こ と で 、そ れ を 以 て 開 か れ た 行 政 と い う の は 一 昔 前 の 発 想 と い わ な け れ ば な り ま せ ん 。
教 育 委 員 会 は 、「 独 立 し た 教 育 の 専 門 機 関 」 と い う 殻 を 自 ら 打 ち 破 る こ と が 必 要 で 、 そ
うしなければ、教育委員会形骸化の指摘や教育委員会制度そのもののあり方についての厳
しい議論を払拭することはできないでしょう。
第292号
平 成 24年 4 月 1 9 日
丸かれや
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を
通 せ ば 窮 屈 だ 。 と か く に 人 の 世 は 住 み に く い ( 夏 目 漱 石 「 草 枕 」 か ら )。
実際漱石さんのいうとおり、世の中を何事もなく上手に生きるのは難しいことです。思
う通りに行かないことの方が多いですし、口角泡を飛ばして大げんかなんていうことはし
ませんが、ちょっとした行き違いでさざ波が立ったりします。
それでもお陰様で、私も年と共に「丸くなった」といわれるようになりました。自分と
しては、そんなに角張っていたとは思ってないのですが、振り返ってみると、若い頃は上
司 や 先 輩 を つ か ま え て 良 く 議 論 し ま し た か ら 、 き っ と 「 理 屈 っ ぽ い 奴 だ 」 と か 、「 な か な
か い う こ と を 聞 か な い 奴 だ 」 と 思 わ れ て い た に 違 い あ り ま せ ん 。 ま さ に 、「 智 に 働 け ば 角
が 立 つ 」「 意 地 を 通 せ ば 窮 屈 だ 」 と い う わ け で す 。
もう少し丸く立ち回れば良かったのでしょうけれど、若い時というものはしょうのない
も の で 、自 分 の 角 を そ っ ち の け で 相 手 の 角 を 削 ろ う と し ま す か ら 、納 ま る も の も 納 ま ら ず 、
上司や先輩にご迷惑をお掛けしたこともあります。その頃から比べると、最近は随分と角
が取れてきたように感じます。
女性向けの月刊誌「和楽」の本年2月号に、
丸かれと
思う心のかどにこそ
よろずの事の
物のかかるに
という小堀遠州公の詠歌が紹介されています。
小 堀 遠 州 公 と い え ば 、徳 川 将 軍 家 の 指 南 役 を 勤 め る 程 の 茶 人 で す が 、こ の 他 に も 華 道 家 、
造園家、建築家、書道家という多彩な顔を持つ、今でいうマルチ人間だった方です。
さて、歌の意味ですが「丸くあれと思う、そのこだわりの中に既に角がある。その角の
ある心は、世の全てのことに関わっている」というものです。
自分の心に角があると認識しているからこそ丸くならなければと思うので、そういうこ
だわりを持っていること自体、心の角から開放されていない証拠ということでしょうか。
小堀遠州公のような高名な茶人であってさえ、結局のところ心の角を取るということはで
きず、むしろそういうものだと開き直っているように感じます。
世の中を生きるのに、角張って、ごつごつと色んな人とぶつかりながら生きるより、温
厚で円満な性格、心は何時も「まーるく」穏やかで、周りの人達と仲良く暮らせるなら、
そんなに良いことはありません。
しかし、考えてみると、人の心というものは放っておくと、黙っていても角ができてく
るものだと思います。何故なら、その角は、ハリネズミの針と同じで、自分を守る道具で
もあるからです。
小さい頃は小さいなりに、大人になったらなったで、誰にでも自分に対するこだわりが
あるはずです。それは自我といった方がよいかも知れません。もしも、それを捨てて、周
り に 合 わ せ る だ け の 生 き 方 を し て い る と 、や が て は 自 分 自 身 を 見 失 う こ と に な る で し ょ う 。
それを避けるためには、ぶつかるべき時には角がすり減ってでもぶつかることが必要なの
ではないでしょうか。そうしなければ、自分を守ることすらできなくなります。
ビー玉のようにただ丸いだけなら、やがてテーブルから転げ落ちてしまう事だってある
でしょう。テーブルから転げ落ちてしまっては、何にもなりません。
坂本竜馬さんが詠んだ(一休さんが読んだという説もあるようです)
丸くとも
一角あれや人心
あまりに丸きは
転びやすきに
という歌のとおりで、人には多少なりとも角は必要で、矛盾しているようですけれど、角
のある人の方がどこか魅力的のように感じます。
「 丸 く あ れ 」 と 、 日 々 心 に 鉋 が け す る こ と は 大 切 な こ と で す が 、 同 時 に 、「 あ の 人 ら し
い」といわしめるほどの角張ったところもあって良い。誠に人間というものは、繊細で複
雑な生き物です。だからこそ面白いので、ただ人が良いだけの好々爺ではつまりません。
第293号
平成24年4月20日
魚離れ?
2000年の国民健康・栄養調査の結果によると、日本人の食生活は大きく変化してお
り、取り分け魚を食べなくなっているようです。
魚介類の1人1日当たりの摂取状況(単位:グラム)を年代別に見ると、
年齢層
30~ 39
40~ 49
50~ 59
60~ 69
70以 上
2000年
82.2
103.8
119.3
112.3
102.6
2010年
57.2
61.9
67.0
86.0
99.4
となっています。
また、肉類の1人1日当たりの摂取状況(単位:グラム)を年代別に見ると、
年齢層
30~ 39
40~ 49
50~ 59
60~ 69
70以 上
2000年
96.8
81.6
74.3
60.3
47.0
2010年
105.6
101.7
84.4
68.2
48.3
となっています。
この二つの表を見ても分かるように、魚介類と肉類の1人1日当たりの摂取量を10年
前と比較すると、若い世代だけでなく全世代にわたって魚を食べなくなっている一方、肉
の摂取量は増えています。
我が国は、昔から、米と魚を中心にした食生活を営んできました。そういう意味では、
我が国は魚食大国といって良く、魚介類から摂取するたんぱく質は食事から摂取する総た
んぱく質の2割を占め、魚介類から摂取する動物性たんぱく質は4割を占めているといわ
れています。
魚を食べることは健康にも良いといわれますが、魚介類の供給量が多い国ほど平均寿命
が長い傾向がみられるともいわれていますので、魚食大国であることは、我が国を世界一
の長寿国に押し上げた背景の一つかも知れません。
にもかかわらず、日本人はどうして魚を食べなくなったのでしょうか。
た ま に 近 く の 回 転 寿 司 に 行 く と 、大 抵 家 族 連 れ の お 客 さ ん で 賑 わ っ て お り 、
「日本人は、
本当にお刺身が好きなんだなあ」と感じ入っていますが、日本人は決して魚嫌いになった
わけではないと思います。
そうした中で、魚の摂取量が減ってきている要因としては、我々の食生活のスタイル、
特に家庭での食生活の変化が大きいように思います。例えば、日々の食卓に登場する魚の
種類を見ると、昭和40年代は、アジ、イカ、サバが上位3種類を占めていましたが、今
では、サケ、イカ、マグロへと変化しており、魚食の面でも、食の簡便化が進んでいると
いわれています。これは、家庭で魚をさばいたり、下ごしらえしたりすることが殆ど無く
なった、というよりできる人が少なくなり、スーパーマーケットで切り身や刺身を購入す
る人が増えているということでも分かります。
簡素化が進むということは、時間も節約でき、費用も少なくて済むという意味では効率
的かも知れませんが、それだけでは食生活は味気ないものになってしまいます。
子ども達にどのような食習慣を身に付けさせるかは、その子の一生にも関わる重要な問
題です。ただ食べれば良い、空腹を満たせば良いという食事では、子どもの心も体も健康
には育ちません。
勿論、現代は非常に忙しい人が増えており、食事の準備にもできるだけ手間を掛けずに
というのは致し方ないことです。このため、水産関係の業界では、魚を手軽で食べやすく
加 工 し て 消 費 者 に 届 け る な ど 、魚 離 れ を 防 ぐ た め に 努 力 し て い ま す が 、各 家 庭 に お い て も 、
色々な種類の魚料理を子ども達に食べさせて欲しいと思います。豪華である必要はありま
せんが、豊かな食卓を子ども達に提供してあげて欲しいというのが、私の願いです。
第294号
平成24年4月23日
面倒臭い?
(財 )日 本 青 少 年 研 究 所 の 調 査 に よ る と 、 日 本 の 高 校 生 は 外 国 へ の 関 心 が 高 い に も か か わ
ら ず 、「 留 学 し た く な い 」 と 思 っ て い る 生 徒 の 割 合 が 日 米 中 韓 の 4 か 国 中 最 高 だ っ た と の
ことです。
日本の若者に「内向き志向」が強くなっている表れともいえますが、外国に行ったこと
がある生徒は6割近くいますし、外国の文化や生活に興味のある生徒も7割もいるという
ことは、外の世界に全く関心が無いという訳ではなさそうです。
ところが、外国で働いてみたいか聞くと、6割近くの生徒は外国では働きたくないと考
えているようですし、可能なら留学してみたいかを聞くと、5割以上の生徒が留学したく
ないと答えています。同じ調査で、中国の生徒は4割、韓国に至っては2割という状況で
すから、日本の生徒達の後ろ向き加減が気になります。
それでは、どうして留学したいと思わないのかについて聞くと、日本の生徒達の4割が
「面倒だから」と答えています。私はこの回答について、外国に留学したがらないという
消 極 的 な 姿 勢 以 前 に 、「 面 倒 だ か ら 」 と し か 答 え ら れ な い 語 彙 の 不 足 、 更 に は 、 自 分 の 考
えを積極的に表現しようとしないことの方が心配になります。
自分は外国への留学はしたくない、あるいは出来ないというのであれば、例えば「語学
に 自 身 が な い 」、「 経 済 的 に 難 し い 」、 あ る い は 「 帰 国 し た 後 の 就 職 が 難 し い 」 な ど 、 そ れ
ぞれになにがしかの理由や背景があるはずだと思います。
勿論、留学するとなれば準備なども大変で、そういう意味では煩わしいことも多々ある
と は 思 い ま す が 、「 面 倒 だ か ら 」 と い う 回 答 は 、 そ う い う 煩 わ し い こ と は 嫌 だ と い う こ と
だけではなさそうです。
外国に留学することは意義があるし、チャンスがあれば自分も留学したいけれど難しい
問題があるということであれば、その問題を克服するにはどうしたら良いか等について議
論 も 出 来 ま す 。 し か し 、「 面 倒 だ か ら 」 と い う こ と で あ れ ば 議 論 に は な り ま せ ん し 、 議 論
すること自体が「面倒なこと」なので、あなたとの議論は拒絶しますという意思表示のよ
うに感じられます。
反抗期の子どもが、親から何をいわれても「面倒臭い」といって切り返すのは、親と話
をすること自体を拒絶しているともいえるでしょう。親が、我が子から「面倒臭い」と切
り返されてたじろいでしまうのは、子どもからの拒絶の意志を感じてしまうからではない
でしょうか。
「面倒臭い」というのは、非常に煩わしい事、大変やっかいな事をいいます。何を以て
「煩わしい」あるは「やっかいだ」と感じるかは個人差が大きいと思いますが、考えてみ
れば世の中は、煩わしいこと、やっかいなことだらけで、人は、それぞれに折り合いを付
けながら生活しているのが現実でしょう。
「面倒だから」の一言で片付けてしまおうとする今時の若者には、その一言では何事も
忌避出来ないという事を知って欲しいと思います。
「 面 倒 だ か ら 」と い う 言 葉 は 、便 利 で 、
我が身を守る鎧のように感じているかも知れませんが、その言葉を使い続けている内に、
最後は自分の居場所まで無くなってしまうということを恐れるべきです。
外国に留学するもしないも、それぞれの選択ですが、高校生の皆さんには、何故自分は
そういう選択をするのかについて、自分の言葉で語れる力を持って欲しいものだと思いま
す。
第295号
平成24年4月24日
理想の上司
産業能率大学は、4月18日、今年の新入社員が選ぶ「理想の上司」の調査結果を発表
しました。
その結果は下表のとおりで、男性では大阪市の橋下市長、女性では天海祐希さんがそれ
ぞれ1位となりました。
順位
理想の男性上司
理想の女性上司
1
橋下
徹 ( 32票 )
天海
祐 希 ( 70票 )
2
池上
彰 ( 31票 )
江 角 マ キ コ ( 41票 )
3
イ チ ロ ー ( 29票 )
澤
穂 希 ( 32票 )
4
阿部
寛 ( 19票 )
真矢
み き ( 31票 )
5
水谷
豊 ( 19票 )
篠原
涼 子 ( 26票 )
こ の 調 査 は 、産 業 能 率 大 学 が 1 9 9 3 年( 9 8 年 か ら は 、男 性 上 司 と 女 性 上 司 に 分 け て )
行われているもので、今回で20回目に当たります。
この調査では、単に誰を理想の上司に選ぶかというだけではなく、その理由と、上司に
求める指導スタイルやソーシャルスタイルについて聞いています。
ま ず 、 理 想 の 上 司 と し て 選 ん だ 理 由 を 見 る と 、 新 入 社 員 に と っ て 、「 適 切 な ア ド バ イ ス
を し て く れ そ う 」 な 男 性 上 司 、「 態 度 や 姿 勢 が 手 本 に な り そ う 」 な 女 性 上 司 が 、 そ れ ぞ れ
理想の上司と映っているようです。
また、新入社員が上司に求める指導スタイルは、仕事のやり方を論理的に、丁寧に教え
て く れ る よ う な タ イ プ が 好 ま れ る よ う で 、「 ま ず は 任 せ て み て 、 進 め な が ら や り 方 を 細 か
く 指 導 す る タ イ プ 」 が 最 も 支 持 さ れ て い ま す 。 一 方 、「 ま ず は 任 せ て み て 、 や り 方 の 指 導
も 余 り 細 か く は し な い タ イ プ 」 は 最 も 敬 遠 さ れ て い ま す 。 昔 は 、「 仕 事 の や り 方 は 盗 ん で
覚えろ」というタイプの上司が随分いましたが、そんな上司は、新入社員からはそっぽを
向かれてしまいます。
更 に 、 上 司 に 求 め る ソ ー シ ャ ル ス タ イ ル で 最 も 回 答 が 多 か っ た の は 、「 支 配 性 が 低 く 、
感情は開放的な友好型」でした。新入社員は、上司に対し、近づきやすさや親しみやすさ
を求めているようです。逆に、細かくて、ねちねちタイプは嫌われるから気を付けなけれ
ば な り ま せ ん 。「 職 場 は 遊 び 場 じ ゃ な い ん だ 。」「 優 し け れ ば 良 い と い う も の で は な い だ ろ
う 。」 と 力 ん で み て も 、 時 代 が 変 わ っ た と し か い い よ う が あ り ま せ ん 。
さて、そうした新入社員達の理想の上司像に照らし合わせて、実際に選ばれた人たちの
顔ぶれを見ると、なるほどと思う反面、意外性も感じられます。
女 性 上 司 で は 、天 海 祐 希 さ ん 、江 角 マ キ コ さ ん 、澤 穂 希 さ ん が 上 位 に 選 ば れ て い ま す が 、
「 リ ー ダ ー シ ッ プ が あ り そ う 」「 態 度 や 姿 勢 が 手 本 に な り そ う 」 と い う の が 選 ば れ た 理 由
です。私は、テレビなどを通してでしか知りませんが、いずれの皆さんも魅力的です。
一方、男性上司の方は、橋下徹さん、池上彰さん、イチローさんが上位に選ばれていま
すが、三者三様ですね。
池 上 彰 さ ん は 「 適 切 な 指 示 を し て く れ そ う 」「 適 切 な ア ド バ イ ス を し て く れ そ う 」、 イ
チローさんは「態度や姿勢が手本になりそう」というもので、理想の上司として選ぶ理由
も分かります。これに対して、橋下大阪市長が選ばれた理由は、圧倒的に「リーダーシッ
プがありそう」というものでした。
確かに、自分の考えを押し通していく橋下市長の強力なパワーとぶれない姿勢は、何も
決められず、肝心なことは先送りという今の政治家の有様を見せ付けられている若者達に
取っては新鮮で、憧れを感じるのかもしれません。
でも、新入社員の皆さんに申し上げたいことは、橋下市長さんのようなタイプの上司の
下で仕事をするのはきっと大変ですよ。軟弱な精神では、1日と持たないことは請け合い
です。
第296号
平成24年4月25日
36年ぶりの誕生
環境省は4月22日、新潟県佐渡市で放鳥したトキの卵が孵化したと発表しました。
ト キ の 卵 が 自 然 界 で 孵 化 す る の は 、 1976年 に 佐 渡 島 内 で 確 認 さ れ て 以 来 国 内 で は 36
年ぶりであり、放鳥トキでは初めてとなります。テレビなどで報道された映像を見ると、
親鳥から餌をもらうひなの姿がはっきりと確認できます。
今回ひなが誕生したのは、佐渡トキ保護センターによると、2011年に放鳥された、
いままで繁殖経験のない若いペアとのことですが、ちゃんとひなの世話をしている親鳥を
見て、自然の摂理、本能は凄いと改めて感じます。
ひなは普通生後40日程で飛べるようになるそうですが、何とかこのまま順調に成長し
て、無事に巣立ちを迎えて欲しいと願っています。
トキは、江戸時代頃は全国的に生息していたといわれていますが、乱獲によって激減し
てしまいます。
1908年に明治政府が「狩猟に関する規則」でトキを保護対象にしますが、その時に
は既に遅く、トキは絶滅寸前でした。
1952年
国の特別天然記念物に指定
1960年
国際保護鳥に選定
1967年
佐渡市(旧新穂村)にトキ保護センターを開設
1981年
佐渡に残っていた野生のトキ5羽を捕獲して、飼育下での繁殖に取り組む
このように、日本政府はもとより、佐渡市の皆さんもトキの絶滅を避けるために必死の
努力をしてきましたが、2003年日本産としては最後のトキが死に、遂に日本産のトキ
は絶滅してしまいます。
それに先立ち、1999年に中国からつがい2羽が贈呈され、以来、人工孵化によるひ
なが誕生するようになり、2006年には人工孵化によるトキが100羽を超えるに至り
ま す 。こ れ を 受 け 、人 工 孵 化 に よ る ト キ を 野 生 に 戻 す た め 放 鳥 に 向 け た 訓 練 が 始 ま り ま す 。
そして、2008年に10羽のトキが初めて放鳥されました。以来今日まで、78羽が放
され、ペアも15組にまで増えており、こうしたことが、今回のひなの誕生に繋がったと
思われます。
勿論、放鳥したトキが野生化するのはそう簡単ではありません。自然界にはカラスやテ
ンという天敵が待ちかまえており、また、放鳥したトキは野生下での生活の経験が浅く餌
を十分にとることが出来るかという懸念もあります。
今回36年ぶりにトキにひなが誕生したことは、快挙に違いありませんし、関係者の努
力に敬意を表したいと思います。しかし同時に、トキは人間の営みによって絶滅に追いや
られたのだ、ということを忘れてはなりません。
地球上では、長い歴史の中で、恐竜をはじめ多くの生物が絶滅し消えていきましたが、
今問題なのは、生物の絶滅のスピードが人間の様々な活動を通してどんどん加速され、生
物の多様性が急速に失われつつあるということです。現在では、1年間に4万種もの生物
が絶滅しているとの説もありますが、野生生物にとって最も危険な存在は、今や人間とい
うことだと思います。
野 生 生 物 を 保 護 す る た め に 、 IUCN( 国 際 自 然 保 護 連 合 ) や 日 本 政 府 で は 、 ど の 種 が 絶
滅の危機にあるのか、またその原因は何か等についてアセスメントを行い、レッドリスト
等として公表しています。日本政府が絶滅危惧種に指定している動物は、現在1002種
で す が 、1 0 年 足 ら ず の 間 に 3 0 0 種 も 増 え て い ま す 。ま た 、IUCN( 国 際 自 然 保 護 連 合 )
の 資 料 で は 、 人 間 が 発 見 し て い る 生 き 物 の 内 、 ほ 乳 類 で は 31.4% 、 鳥 類 で は 13.6% が 絶
滅の恐れが高いとしています。
生物の多様性が失われ、野生の生物が生きていけない地球は、人間にとっても快適な地
球であるはずがありません。
一度絶滅した種を再び蘇らせることは不可能であり、また今回のように、中国産のトキ
を人工的に増やして野生化させることも、決して簡単な事でないことは現実がよく示して
います。地球に復元力が残されている今の内に、環境保全の意義を十分理解し、官民挙げ
て自然保護に積極的に取り組んでいくべきです。
第297号
平成24年4月26日
子は鎹(かすがい)?
内 閣 府 は 4 月 2 0 日 、「 男 女 間 に お け る 暴 力 に 関 す る 調 査 」 の 結 果 を 発 表 し ま し た 。
そ れ に よ る と 、 結 婚 し た 事 が あ る 女 性 の 32.9% が 夫 か ら 身 体 的 暴 力 や 精 神 的 嫌 が ら せ
な ど 家 庭 内 暴 力( DV)の 被 害 を 受 け た 経 験 が あ り 、ま た 、被 害 女 性 の 57.3% の 方 々 は「 子
ど も 」 を 理 由 に 別 れ な か っ た と し て い ま す ( 4 月 2 1 日 付 読 売 新 聞 )。
子 ど も の た め に 夫 の 暴 力 に 耐 え る と い う 姿 は 異 常 で あ り 、「 子 は 鎹 」 と い う に は 余 り に
も悲しい現実です。
家 庭 内 暴 力 ( DV) と い う の は 、 一 般 的 に は 同 居 関 係 に あ る 配 偶 者 や 内 縁 関 係 の 間 で 起
こる暴力をいいますが、同居の有無にかかわらず、恋人など近親者間に起こる暴力全般を
指す場合もあります。
一口に家庭内暴力といっても、肉体的暴力の他、人格的に攻撃したり日常的に罵る、無
視するといった精神的暴力、性行為の強要、更には生活費を入れないなどの経済的暴力や
交 友 関 係 を 監 視 す る な ど の 嫌 が ら せ 等 、多 岐 に わ た っ て い ま す 。今 回 の 内 閣 府 の 調 査 で も 、
夫 か ら 殴 る 蹴 る な ど の 暴 力 行 為 を 受 け た 女 性 は 25.9% 、 人 格 を 否 定 す る 暴 言 ・ 交 友 関 係
の 監 視 な ど の 嫌 が ら せ や 脅 迫 を 受 け た 女 性 は 17.6% 、 性 的 行 為 を 強 要 さ れ た 女 性 は 14.1
% と な っ て い ま す 。 ま た 、 暴 力 行 為 を 受 け て い た 女 性 の 6.2% は 、 繰 り 返 し 暴 力 を 受 け て
います。
こ う し た 家 庭 内 暴 力 は 深 刻 の 度 を 増 し て お り 、 2 0 0 1 年 1 0 月 に 、 DVの 防 止 と 被 害
者の保護を図るため「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」が施行さ
れましたが、その後においても、様々な事件が後を絶たないことは誠に遺憾です。
如何なる理由があろうと、夫の暴力(稀に妻の暴力が問題になることもありますが)が
許されるはずはありません。良く、自分にも悪いところがあるという人がいますが、だか
らといって暴力が許される道理はありません。また同時に、被害者の方も自ら身を守るす
べを身に付けるべきでしょう。行政に相談する等、まず行動を起こすことが重要です。特
に、子どもがいる場合には、子どもにも暴力が及ぶ場合がありますので、どんな方法を講
じてでも、自分や子どもの安全を確保しなければなりません。もしも、夫の暴力によって
母親に万一のことがあった場合、残された子どもはどのようなことになるのでしょう。考
えるだけでも背筋が寒くなります。
で す か ら 、「 子 ど も が い る か ら 夫 の 暴 力 に 耐 え る 」 と い う の は 、 明 ら か に 間 違 っ て い ま
す 。 そ れ は 「 子 は 鎹 」 な の で は な く て 、「 子 ど も に 逃 げ て い る 」 の だ と い っ て も 過 言 で は
ありません。私は、子どもを、夫の暴力から身を守るためのシェルターにしてはならない
と考えています。
愛情も冷めてしまったような夫婦の間を、子どもが「鎹」として繋ぎ止める力があると
すれば、それは少なくとも、2人の愛の結晶である我が子を通して、心のどこかに愛の残
り 火 が あ る こ と を 思 い 起 こ さ せ る か ら で あ り 、「 憎 み な が ら も 許 し て い る 」 そ ん な 自 分 を
感じるからではないでしょうか。従って仮にも、子どもを見たら相手への憎しみが湧いて
く る よ う で は 、「 鎹 」 の 役 目 は 果 た せ ま せ ん 。
子どものために耐えているだけでは、自分のためにも子どものためにもなりません。そ
うはいっても、では逃げれば済むかといえば決してそうではありません。
現在、新たな社会問題として浮上しているのが、1千人を超える行方不明の児童の存在
です。この中には母と子が住民票を移さず転々としていたという事例があるようで、この
ように世間から隠れ、逃げ回っているだけでは何も解決しませんし、子どもの将来にとっ
ても大変大きな問題です。
夫の暴力から身を守るためには、緊急避難的にその場から逃げることも必要ですが、手
遅れにならない内に配偶者暴力相談センターはじめ最寄りの行政機関等に相談するなど、
行動する人になってください。少しの勇気が、身を守ることに繋がるのですから。
第298号
平成24年4月27日
昭和の日
4月29日は、昭和の日です。この日は、元々は昭和天皇の誕生日でしたが、1989
年 ( 昭 和 6 4 年 ) 1月 7 日 昭 和 天 皇 が 崩 御 さ れ た こ と に 伴 い 、 天 皇 誕 生 日 が 今 上 天 皇 の 誕
生日である12月23日に移されることになりました。しかし、4月29日はゴールデン
ウ ィ ー ク 中 の 大 事 な 休 み と し て 定 着 し て い ま し た の で 、従 来 の 天 皇 誕 生 日 は「 み ど り の 日 」
と改めた上で祝日として存続させることになりました。
その後、2005年(平成17年)の祝日法の改正により、2007年(平成19年)
以 降 、そ れ ま で の「 み ど り の 日 」は 5 月 4 日 に 移 動 さ せ る と 共 に 、改 め て 4 月 2 9 日 を「 昭
和の日」とすることになったものです。
さて、この「昭和の日」ですが、国民の祝日に関する法律で「激動の日々を経て、復興
を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日としています。
昭和という年号は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」の中から「昭」
と 「 和 」 の 2 文 字 を 取 っ た も の で 、「 国 民 の 平 和 及 び 世 界 各 国 の 共 存 繁 栄 を 願 う 」 と の 意
味が込められています。考案は漢学者の吉田増蔵という人ですが、彼の願いにもかかわら
ず、昭和は、戦争による破壊と焦土からの復興という、まさに激動の時代となりました。
昭和という時代は1926年に始まり1989年に終わりを告げます。この64年間を
振り返ると前期と後期に分けることが出来ます。
即ち、1945年までの前期は、大日本帝国の時代であり、戦争の時代でした。一方、
後期は、太平洋戦争に敗れ、焦土と化した国土の復興の時代でした。また、新しい憲法の
下で民主国家としての新たなスタートを切りましたが、海外では朝鮮戦争が勃発し、世界
は厳しい冷戦の時代に入りました。そうした中で我が国は、経済的繁栄の時代を迎えるこ
とになります。
私の父は大正時代に生まれ、昭和という時代の中で成長し、やがて軍隊に招集されて満
州に渡りました。終戦直前に除隊して帰国したようですが、その後は大変苦労して一家を
支えました。父や母の世代は皆、戦争に巻き込まれ、戦後は日本の復興に力を尽くしてき
ました。私の父や母を含め、私の周りにいた多くの人々は、日本の高度経済成長の恩恵に
は さ ほ ど 浴 す こ と は あ り ま せ ん で し た が 、一 生 懸 命 に 働 き 、子 ど も を 育 て 社 会 に 送 り 出 し 、
その果たすべき役割をしっかりと果たしたと思っています。
私は昭和に生まれ、昭和に育ちました。日本の高度経済成長の恩恵を受けて育ったよう
に 思 い ま す 。「 努 力 す れ ば 報 わ れ る 」 と 信 じ る こ と が 出 来 た 幸 せ な 時 代 で し た 。 そ の 活 気
溢れる繁栄した日本もバブルに踊らされた狂乱の舞台も、昭和の終演と共に日ならずして
崩壊してしまいます。
昭和天皇が崩御された1989年11月、ベルリンの壁が崩壊し、東欧革命が起こりま
した。それは、明るい時代の幕開けのように感じました。しかし、その後も、アメリカ同
時多発テロやイラク戦争等、世界の各地で紛争やテロは絶えません。戦争の20世紀から
平和の21世紀へというのは、誠に儚い夢でした。それでも、人々の多くは、夢を語り、
明日に向かって努力を怠りません。
人間の営みは、かくも愚かで愛おしいものです。そして、その人間達が新しい時代を作
っていくのです。だからこそ、私たちは、過去の時代を振り返る必要があるのです。
私たちが過去の時代を振り返るのは、過去を懐かしみ、過去の時代に後戻りするためで
はありません。過去に学び、過去から教訓を得ることは、新しい時代を作るための力にな
り、新しい道を捜す手だてとなるでしょう。
第299号
平成24年5月1日
首長の責任、議会の責任
住民訴訟で首長らに賠償請求するよう命じられた自治体が、議会の議決を経て請求権を
放棄したことの是非が争われた裁判で、4月20日、最高裁から大変興味深い判決が出さ
れました。
裁判の原因となった事案は、
・条例に基づかず外郭団体の人件費を補助金として支出した神戸市の4件
・非常勤職員への退職慰労金を支出した大阪府大東市の1件
の5件です。判決の詳細な内容等についてはまだ明らかにされておりませんが、新聞報道
等を整理してみると概ね次のようになります。
最高裁第2小法廷は、今回の判決の中で「事案の性質や経緯、議決の趣旨などを総合考
慮 し 、放 棄 す る こ と が 不 合 理 で 議 会 の 裁 量 権 の 逸 脱 、乱 用 に な る 場 合 は 違 法 、無 効 と な る 」
とする初の判断を示した上で、神戸市の事案については、1件を「法解釈上、違法と容易
には認識できない」として住民側敗訴、他の3件は2審の審理が不十分として差し戻すと
共に、大東市の事案についても2審に差し戻しています。
住 民 訴 訟 に 関 し て 、議 会 が 賠 償 請 求 権 放 棄 を 議 決 す る ケ ー ス が 全 国 で 相 次 い で い ま す が 、
今回の最高裁の判決は、そうした議会の対応に一石を投じたことは間違いありません。
そ れ で は 、「 首 長 へ の 賠 償 請 求 権 を 放 棄 す る こ と が 不 合 理 で 、 議 会 の 裁 量 権 の 逸 脱 、 濫
用に当たる」というのは、如何なる場合をいうのでしょうか。
最高裁第2小法廷は、請求権放棄の議決が無効となるケースとして
・首長の損害賠償責任を認めた司法判断が誤りだと宣言した場合
・一部の住民が選挙で選ばれた首長の個人責任を追及すること自体が不当だとして議
決した場合
・首長が個人的な利得を得るような犯罪行為やそれに類する行為を行った場合
の 3 つ の ケ ー ス を 挙 げ て い ま す が 、こ れ を 見 る 限 り 極 め て 常 識 的 な も の と い え る で し ょ う 。
ただ、住民訴訟に関しては、首長の個人責任が問われるケースが多く、敗訴した場合は
非常に高額の賠償額が市長個人に請求されることになり、こうしたことが、議会において
賠償請求権の放棄を議決する背景にあると思います。
勿論、首長が自己の利益のために不正を働いたような場合には弁解の余地はありません
が、一般的に行政の政策決定は、最終的には首長の責任において判断されていますが、そ
れは、首長個人の判断というより組織としての判断といった方が適当だと思います。
例えば、今回裁判で争われた、外郭団体への人件費の補助についても、神戸市が総合的
に判断して決定したもので、市長が個人的に判断して支出したものではないはずです。
また、外郭団体への人件費補助のように、予算を伴う政策の場合は議会の議決を得た上
で執行していますから、そうした予算を認めたという意味では、議会にも応分の責任はあ
るでしょう。もしも、議会側が、自分たちには何の責任もないと主張するのであれば、議
会として果たすべきチェック機能が働いていないということであり、そんな議会なら不要
というべきです。
原告の住民側からすれば「請求権放棄は住民訴訟の意義をないがしろにしている」とい
うことになりますが、一方の首長からすれば、組織として決定し、議会の同意を得て執行
しているのに、住民訴訟を起こされ個人責任を問われるのではたまったものではないとい
うところでしょう。
千葉裁判長は補足意見で、個人責任の範囲を重大な過失に限定している国家賠償法と比
較 し た 上 で 、「 住 民 訴 訟 で は 、 ミ ス や 法 令 解 釈 の 誤 り で 結 果 的 に 膨 大 な 個 人 責 任 を 追 及 さ
れ る と い う 結 果 も 多 く 生 じ て い る 」 と 指 摘 し 、「 個 人 責 任 を 負 わ せ る こ と が 柔 軟 な 職 務 遂
行を萎縮させるといった指摘もある」と述べているのも頷けます。
首長が、地域のために良かれと思っても、住民訴訟を起こされ、結果として責任を問わ
れる場合もあるかも知れません。これに対して、議会が請求権放棄の議決をためらうとい
うことも起きてくるでしょう。しかし仮に、首長が、住民訴訟を恐れ、消極的で無難な政
策しか実施しないということになれば、それはそれで地域にとっては大いなる損失となり
ます。
今後、首長が自信と責任を持って、柔軟かつ積極的に政策展開していくためには、損害
賠償を負うことになる条件や範囲等について早急に検討していくことが必要です。また、
首長自身も、地方自治、住民自治の担い手として、如何に住民の意見を汲み上げ政策に反
映させていくか、これまで以上に努力すべきです。そして何よりも議会は、その存在理由
が問われていることを自覚すべきであり、行政に対するチェック機能をしっかりと果たし
ていただきたいと思います。
第300号
平成24年5月2日
憲法記念日
5 月 3 日 は 、「 憲 法 記 念 日 」 で す 。 つ ま り 、 1 9 4 7 年 の 5 月 3 日 に 日 本 国 憲 法 が 施 行
されたもので、国民の祝日に関する法律では、この日を「日本国憲法の施行を記念し、国
の 成 長 を 期 す る 」 日 と し て い ま す 。 な お 、 日 本 国 憲 法 が 公 布 さ れ た 1 1 月 3 日 は 、「 文 化
の日」となっています。
日本国憲法は、太平洋戦争敗戦後の占領軍による統治下において、大日本帝国憲法の改
正手続きを経て、公布、施行されたものですが、憲法についてはこれまで、様々な議論が
なされて来たにもかかわらず一度として改正されたことはありません。
日 本 国 憲 法 に つ い て は 、「 占 領 軍 に よ る 押 し 付 け だ 」 と い っ た 意 見 も あ り ま す が 、 私 は
必ずしもそうは思っていません。この憲法は、最終的には国民が選択し、受け入れたもの
で あ り 、悲 惨 な 戦 争 を 体 験 し 、荒 廃 し た 国 土 を 目 の 当 た り に し た 国 民 に と っ て 、新 憲 法 は 、
新しい日本のスタートを象徴するものだったのではないかと思っています。しかし、その
憲法も施行されて以来65年、その間に、憲法を取り巻く国内外の情勢は大きく変化して
おり、時代の変化に合わせて修正を加える必要が出てきています。
良く、憲法は不磨の大典といわれますが、憲法は律法ではなく人間が作った法律ですか
ら、憲法といえども改正することは可能であり、むしろ、憲法に手が加えられず現実から
遊離してしまっては、結局のところ国民からは守られない法律となってしまうでしょう。
日本国憲法の特徴の一つは、その9条において「戦争の放棄と戦力の不保持」を明記し
ていることですが、この9条の存在が、護憲派にとっても改憲派にとってもある種トラウ
マのようになっていて、建設的な憲法議論を妨げているように感じられます。
実 際 、「 憲 法 記 念 日 」 に な る と 、 恒 例 行 事 の よ う に 、 全 国 各 地 で 改 憲 派 、 護 憲 派 そ れ ぞ
れ が 講 演 会 な ど の 記 念 行 事 を 行 っ て お り 、 そ こ で は 必 ず と い っ て よ い ほ ど 憲 法 9条 が 取 り
上げられていますが、まるでイデオロギー論争を見ているようです。
私は、憲法9条が戦後の日本の経済的繁栄に大きく貢献したことは間違いないと思って
い ま す 。 し か し な が ら 、 護 憲 派 の 方 々 が い う よ う に 、 憲 法 9条 が あ る か ら 日 本 の 平 和 が 保
たれているとも思っていません。
憲 法 9条 は 、 そ の 前 文 に あ る よ う に 「 平 和 を 愛 す る 諸 国 民 の 公 正 と 信 義 」 に 対 す る 信 頼
を 前 提 に し た も の で あ り 、 憲 法 で は 、「 諸 国 民 の 公 正 と 信 義 」 の 上 に 「 わ れ ら の 安 全 と 生
存 を 保 持 し よ う 」 と 決 意 し 、「 戦 争 の 放 棄 と 戦 力 の 不 保 持 」 を 明 記 し た の で す 。 し か し 、
その崇高な理想や精神とは裏腹に、日本を取巻く国際情勢を見れば、それは誠に危ういも
のであり、我々が信頼しようとしている「諸国民の公正と信義」に何の保障もないことは
明らかです。
憲法改正については、これまでも自民党などが改憲の必要を説き、憲法改正素案を公表
する等していますが、国会はおろか国民的議論も起こっているとはいえません。こうした
中、今年の2月、大阪維新の会がその公約とも言える「維新八策」の中で、参院廃止、首
相公選制の導入といった憲法改正を前提とする提案を行いました。影響力のある橋下市長
の発言ですから、憲法改正の議論も、今後現実味を帯びてくる可能性が出てきました。
憲法は、日々の暮らしとは必ずしも直結していませんので、憲法改正についても国民の
関心は決して高くありません。しかし、憲法は、国家の意志を体現し、その進むべき方向
を示す文字通り国家の柱石ですので、一時のムードに流されて議論すべきことではありま
せ ん 。 そ の た め に も 、 折 角 の 「 憲 法 記 念 日 」、 是 非 憲 法 に 目 を 通 し て い た だ き 、 そ の 条 文
に込められた先人の思いや国の行く末について、考えを巡らせてみては如何でしょうか。
北海道師範塾「教師の道」
塾頭通信「牛の歩み
発
行
参」
日
:
平成24年6月2日
編集発行
:
北海道師範塾「教師の道」事務局
http://www.kyoshinomichi.jp/
発行責任者
:
吉
田
洋
一