ブンガワン・ソロ

ブンガワン・ソロ マレーシヤ 王桂花
変らぬソロの流れ
そのものがたりは、昔から人の心を魅して
やまない。
乾期には水涸れども
雨期には蕩々と溢れ遠く旅する。
千の山水を集めたソロ河は大河となって遥
か海へと注ぐ。
昔も今も変らず、あきんどたちは船に乗り込
み世界へと旅立つ。
幼いころ、私はブンガワン・ソロの曲をよく耳
にした。ジャワの中部を流れるソロ河を歌
った曲である。美しい調べで旅情をそそっ
た。大人になったら、いつかソロ河に行こう
と夢見ていた。
ブンガワン・ソロは16世紀、ポルトガルが持
参したファドに、ケソンに昔からあったガメラ
ンと呼ぶインドネシヤ固有の民謡を加味し
たクロンチョン歌の一つで、ケソン生まれの
グサン・マルトハルトノが作詞作曲した国民
歌である。
今年の9月7日、私の夢がやっとかなって
ソロ河を訪れた。よく晴れた朝方、友人と
一緒にヨグジャカルタのトウグー駅から出
発した。車窓から眺める景色は素晴らし
かった。森と田園がジャワ風景だ。一時間
後、私たちはソロ・バラパン駅に到着、そこ
からバスでソロ河に向かった。ソロ市からは
6キロ離れている。途中、ジュルグ動物園
に立寄った。ソロ河は動物園のすぐ傍を流
れていた。
ソロ市(古都名スラカルタ)を縫って流れる
ソロ河は長さ600キロで、ジャワで最も長い
河川である。ジャワ中央の活火山ラウ山の
斜面から発し、セウ山脈南の石灰石地帯
からソロへと下り、そこから東に向かってス
ラバヤの北西でジャワ海に注ぐ。 大衆歌ブンガワン・ソロは、ソロ河の果たし
た役割、ソロ河を生む自然に感謝する讃
歌である。中央、東ジャワの交易水路とし
て、また灌漑用水源としてその貢献度は測
り知れない。オランダ植民地時代は、ジャ
ワ国民が受けた苦悩を和らげ、よき理解者
であった。とりわけ、作者、グサンにとって
は郷土愛、祖国愛歌である。
てくれた。日本人が聞けば、きっと「懐かし
い」と喜ぶに違いない。
ブンガワン・ソロはインドネシヤに駐屯した日
本兵に愛唱され、戦後日本兵の帰国と相
まって日本語に翻訳されている。1947年、
人気歌手の松田トシ(敏江)が日本語詞を
付して歌いヒットした。また戦争中、収容所
に入れられたオランダ民間人もブンガワン・
ソロに魅せられ、ヨーロッパに持ち帰ったら
しい。その後、マレーシア、中国、香港、台
湾、ベトナムにも広がり、13ヶ国語に翻訳さ
れた。
ソロ河の堤を友人と散策して楽しんだ。ブ
ンガワン・ソロの歌も自然と口に出た。近く
にボートが一隻、客待ち顔に浮かんでい
た。鬼やんまも数匹、すいすいと川面を飛
んでた。対岸から児童の笑い声が聞こえて
きた。堤防に腰をおろし、ソロ河のゆるやか ブンガワン・ソロは映画にも採用された。市
な流れを見送り、しばらく詩的な余韻を満 川崑(1915-2008)が監督した1951年
喫した。
の「ブンガワン・ソロ」、2007年の中国、姜
文*(1963-)監督の「陽はまた昇る」等
ソロ河沿いにグサン公園がある。グサンの の映画のサウンドトラックに使用された。
名はむしろ、日本でよく知られている。19
91年、第二次世界大戦中、ジャワに進攻 作 者 の グ サ ン は 数 々 の 表 彰 を 受 け て い
した日本兵の有志が、ブンガワン・ソロの る。M 1992年、日本の昭和天皇から、また
作者グサンのファンの会を結成し、グサン スハルト大統領からビンタ・ブダヤ・パラマ・
基金を募った。結果として1991年10月 ダーマ文化勲章を受賞した。また2007年
1日、グサン・マルトハルトノ胸像とブンガワ にはソロ市からクロンチョン音楽貢献賞を受
ン・ソロ歌詞プレートの除幕式が当公園で けた。グサンは今年の5月20日亡くなった
行われた。公園には橋や、野外ステージ、 が、ブンガワン・ソロの歌とともに語りつがれる
聴衆者が座るベンチ、食堂などあった。イ だろう。
ンドネシア共和国航空隊寄贈の飛行機も
あった。このグサン公園は1993年10月1 ソロ河で撮った写真、ビデオは私の大切な
日に日本グサン基金協会平野光男会長 旅の思い出である。諺にある。「写真以外な
とソロ、ハルトモ市長が公式な開園式を祝 にも持ち帰るな、足跡以外なにも残すな」。
っている。以降20年近くなるが、基金不足 旅行者の鉄則であり、遵守してこそ、旅もま
からか、公園の手入れは十分とは言えな た楽しい。 い現状にある。 訳:今村 亮 (Rio Imamura)
土地の女性、スリムリャティによると、毎年
グサン公園に日本旅行者が大勢来て、ブ
ンガワン・ソロを歌うそうである。私はスリム
リャティにグサン像の前で一曲歌ってと頼
んだ。美しい声で彼女は私に歌って聞かせ
*姜文:チャンまたはジャン・ウエンと表記。
現代の中国を代表する俳優、監督の一
人。作品に芙蓉鎭(86)、紅高梁(87)、
宗家の3姉妹(97)、鬼子来了(00)、緑
茶(03)などある。鬼子来了でカンヌグラン
プリ受賞。(今村付記)
Josephine Ong Kui Hua is a history teacher,
and the Senior Assistant for Extra-curricular
Programs of Chi Wen Secondary School,
Bahau, Negeri Sembilan, Malaysia. She is also
a PhD candidate of the History Department,
University of Malaya, Malaysia. Her PhD
research focuses on the history of Chinese
settlement in southern and central Vietnam.
February / March 2011 i-News 10