『私 の 旅 物 語』(特別編)

特
集
『私 の 旅 物 語』(特別編)
カミーノ ポルトガルの道を歩く
葛野 敬造 (第 8 期)
キリスト教の巡礼の道 Camino de Santiago (サンティアゴの道、カミーノと呼ばれております)の
一つ、Camino Portugués(ポルトガルの道)を、5 月から 6 月にかけて歩いてきました。その道中の
詳細を、ポルトガルの道を歩こうとされる方への情報・知識として、長文の紀行文にまとめました。そ
の一部を、菅野さんのご要望で、MBI 向けに修正し、e-Crossroads No.5 に寄稿させていただきま
す。カミーノを歩こうとされない方にとっては、ご興味がわかないテーマでしょうし、又、毎日の道中
のこまごまとした詳細はつまらない内容でしょうが、最近テレビ番組等でも話題になっておりますカミ
ーノの実際に少しでも触れていただければと思い寄稿しております。万一、カミーノに強いご関心を
お持ちの方がおられましたら、後日(8 月中旬頃)、私のブログにポルトガルの道の紀行文をアップ
しますので、又、そこには、カミーノの中でも最も著名な“フランス人の道”の道中記も載せておりま
すので、お目をお通し下されば幸いです。(http://www.thekadono.cocolog-nifty.com/)
1. 私が歩いたカミーノ
私はスペインの巡礼の道 Camino(カミーノ)を既に 4 回歩いており、今回は 5 回目のカミーノ歩き
となりました。1 回目は 2010 年の秋に Camino Francés (フランス人の道)約 800km を歩き、2 回
目は 2012 年の春に家内と二人でフランス人の道の素晴らしいところを選んで約 400km を歩き、3
回目は 2013 年秋に Camino del Norte (北の道)を San Sebastián から Ribadeo までの約 600km
を歩きました。更に、翌年の 2014 年春には Camino Aragonés まで(アラゴンの道、約 200km)と
北の道の残り Santiago de Compostela(約 200km)、計約 400km を歩き、今年の春は、5 回目の
カミーノ歩きをポルトガルの道の Coimbra(ポルトガル)から Santiago de Compostela までの約
400km を歩きました。
2. カミーノとは
フランス人の道に関しては、既に、紀行文“スペインの巡礼の道、カミーノを歩こう”を、ブログ“甲
山の麓より”
(http://thekadono.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-1ff2.html#_ga=1.94209749.9529063
35.1395632890) に掲載しております。最初に、少し長くなりますが、フランス人の道の紀行文の
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e-Crossroads (No. 5, August 2015)
“はじめに”の部分を以下に再掲し、カミーノを紹介いたします。
『 “はじめに”
多くの国に、沢山の巡礼の道があります。大昔から、多くの人達が、これらの巡礼の道を歩いて
きました。世界中には、幾多の宗教が存在しますが、ほとんどの宗教は、それぞれ自らの聖地を持
ち、それらの聖地を訪ねたり、聖地を巡ったり、聖地に集まったりすることが、昔から行われてきまし
た。そのために歩いた道のりが巡礼路であり、遍路道です。昔から、多くの人が、聖地を訪れること
で、宗教的に、精神的に、救いや満足を得ることを、あるいは、巡礼路を歩く苦行を通して、自己を
強くすることを願ってきました。日本にも、たくさんの巡礼路・遍路道があり、その代表的なものが、
四国八十八カ所遍路であり、熊野古道でしょう。
昨今、巡礼をすることが、世界的なブームになっておりますが、純粋な宗教的な目的でなくとも、
精神的な満足を求めたり、あるいは、健康志向からや、珍しい風土に接し、美味しい食事を楽しもう
と、または、見聞を広げようといった旅行の一つとしても、そして、多くの場合は、それらの目的のい
くつかを組み合わせて、巡礼の道を歩く人たちは増えてきております。多くの巡礼路の中でも、毎年、
世界の各地から、20 万人もの巡礼者が、スペイン北西部の都市、Santiago de Compostela
(サンティアゴ・デ・コンポステラ) を目指すキリスト教の巡礼の道、El Camino de Santiago
(エル・カミーノ・デ・サンティアゴ、サンティアゴの道)は、最もポピュラーな巡礼の道の一つです。
Camino(カミーノ)は、世界中からそれほど多くの人達を惹きつけるだけの魅力を持った巡礼路で
す。この道を、2 回歩いた経験、特に 2 回目は、健脚でもない妻の眞智子と一緒に歩いた経験から、
Caminoの歩き方、楽しみ方、そして、その素晴らしい魅力をお伝えしようとしております。この本を
読まれたら、特別な健脚家でなくとも、スペイン語が分からなくとも、Caminoを存分に楽しむこと出
来るのではと思います。私達の経験を参考にされ、一人でも多くの方がCaminoを目指されることを
願っております。
私にとってのCamino (カミーノ)
私はそれほど敬虔でなくとも、一応仏教徒です。我が家が属している宗派は浄土真宗です。それ
でも、巡礼の道の魅力にひかれて、真言宗の創始者、空海の足跡を訪ねて四国八十八カ所遍路道
を歩きましたし、キリスト教の巡礼路、Caminoも歩きました。四国八十八カ所のお寺では、真言宗
徒だけに限定するといったことはなく、仏教徒でない西洋人でも、巡礼者である限り、喜んで受け入
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れてくれます。実際、私も、仏教徒でない米国人・ドイツ人達と一緒に数日間四国八十八カ所の遍
路道を歩きました。Caminoでも、厳格なキリスト教の教会が運営する巡礼宿 (Albergue アルベ
ルゲ)で、“私は仏教徒ですが泊まれますか”という問いかけに、“私達は宗派を問いません、あなた
が巡礼者である限り、喜んでお泊り願います”と言われ、感激して泊まらせていただいた経験を持っ
ております。
私は純粋な宗教的な目的を持って巡礼路を歩いてきたわけではありません。もともと歩くのが大
好きで、時間があり天気が良ければ、自宅の近辺を縦横無尽に走っているハイキング・コースを歩
いております。歩くこと自身が、私にとって楽しみですが、特に、巡礼路では、重いリュックサックを担
いで肩をヒリヒリさせながら、足にマメを作り、雨の日も、雪の日も、何日も何日も歩き、そして、それ
らの苦労を克服した時の喜びを楽しんでおります。歩いている時は、黙々と歩きながら、頭の中か、
心の中で、自分と語り合い、何かしら、“ああ、そうか!”といったひらめきのようなものを感じたり、
あるいは、反省せねばならないと自らを叱咤する自分を眺めて、心地よい気持ちになっておりました。
それとは逆に、四国でも、スペインでも一緒に歩く巡礼者との会話も楽しんできました。
特に、Caminoでは、世界の隅々から集まってくる老若男女と、いろんな種類のテーマでの、異な
る価値観をベースにした会話をしますので、戸惑うときもありながらも、非常に面白いものがありま
す。そして、いろんな国籍の人達と言葉を交わすことで、錆びきってしまった語学力に、少しでも油を
さす効果がでてくるのを期待するのも、私の目的の一つです。Caminoでも、その最もポピュラーな
巡礼路は、スペインの北部を東端から西端へと続く 800km の道(フランス人の道)で、その大部分
は、いわゆる田舎の道ですが、それでも、美味なスペイン料理やワインを味わうのが、私達にとって
の大きな楽しみです。
昨今の、歩くことのブームの中、歩くことの楽しみや健康に良いことなどは、今さら述べる必要は
ないと思いますが、それでも、スペインの大平原(Meseta メセタ)の中の道や、サウンド・オブ・ミュ
ージックのラストシーンの景色のようなピレネー山地の高原を歩くのは、日本では経験できない、至
極の歩き道でしょう。一方、放牧された牛や羊に囲まれて歩くのも、忘れられない経験となるでしょ
う。
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中世から続くスペインのユニークな歴史が作り出した、貴重な建築物等を訪ねるのも、素晴らしい
経験でしょう。是非、カテドラルや教会、修道院、昔の巡礼病院、あるいは、近代のガウディの建築
等を訪ねて頂きたいと願っております。Caminoが世界遺産に登録されたのも、Caminoに沿って、
多くの歴史的な建物が存在することも重要な理由であったのではないかと思っております。更に、少
しでも外国語が話せる方々にとっては、外国語を使ってみる良い機会であり、語学力の向上だけで
なく、外国人と平気で話す肝っ玉の強化には効果てきめんです。英語でも、他のどこの国の言葉で
もかまいません。とにかく、世界中からやって来た多くの人達が、自分の母国語以外の言葉ででも、
会話しようとする環境ですので、語学が流暢でなくとも、会話する姿勢が大歓迎されるムードの
Caminoです。もちろん、片言でも、彼らの母国語で語り始めたら大喜びされます。
世界中から毎年 20 万人も引き寄せるCaminoは、費用が非常に少なくてすむ巡礼路であること
が、その魅力の一つにもなっています。驚くべき安さで泊まり、生活できるのです。その詳細も、お
伝えしたいと思っております。
Leon の Parador(昔の救護院)
S.D. de la Calzada の教会
私は、40 数年前に大学でスペイン文学を専攻し、その間、スペインの歴史や文化も学んできまし
た。その後、Madrid(マドリッド)にも 3 年間住み、このCaminoの重要な都市を車で回っております
し、現在でも多くのスペイン人の友人を持ち、彼らが私達の旅を支援してくれました。スペインの風
土、歴史、文化に対する基礎的な知識をベースに、流暢にしゃべれる英語力と、日常会話に問題の
ないスペイン語力を武器に、そして、多くのスペイン人の支援を助けに、私はCaminoの実際を深く
経験してきたと自負しております。私の経験が、これからCaminoを歩かれる皆様に大きな手助け
になると信じております。このような知識、経験をベースに、Caminoを歩きながら観察し、考えた文
化論的なことも、挿入させていただいております。』
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Burgos のカテドラル
Santiago のカテドラル
長い引用文になってしまいましたが、カミーノというものの概要はお分かり頂けたと思います。ス
ペインのカミーノ関係者の方々は、昔から四国遍路関係者の方々と親しく交流をしてこられましたが、
熊野古道が世界遺産に選ばれてから、同じ巡礼路の世界遺産として、熊野古道との関係を深めて
来ておられます。一昨年には、スペインのカミーノ友の会の人達が熊野を訪問されました。私が、昨
年、Santiago の巡礼事務所で巡礼証明書(Compostela)を頂こうと並んでいましたら、事務所の人
から呼ばれて、何枚かの写真を見せられました。熊野古道の修験者の方 3 人が、修験者の装い(白
装束、黒い帽子のような物、タヌキの毛皮の腰当て、法螺貝)でカミーノ巡礼事務所を訪れておられ
ました。カミーノの巡礼事務所の方々は全員、大感激され、皆で写真を撮りまくったとの事です。日
本人は、皆なこんな格好で来てほしいものだと、変な事を言われて、大笑いしたものです。カミーノを
歩く日本人が増えている勢いよりも、最近は、熊野古道を歩く西洋人の増加の方が著しいとのこと
です。今年 3 月に熊野古道を歩いた友人が、巡礼者の半分以上が西洋人だったと驚いていました
が、6 月に歩いた別の友人は 80%が西洋人だったと、日本人の熊野古道への関心の低さを嘆いて
いました。友人二人とも、カミーノを歩いております。
ここ 3 年間ほど、カミーノ友の会関西支部のご要請で、カミーノを歩かれる方の相談会で相談を受
ける役を仰せつかったり、カミーノを歩かれる方を対象にしたスペイン語講座を何回も開催してきま
した。これらの経験から、初めてカミーノを歩かれる方は、どのような不安をお持ちで、どのような事
を知りたがっておられるのかも、分るようになって来ました。その為、こまごまとした日常の出来事で
すが、実際歩いた経験、泊まった経験、食事をした経験等を、具体的に報告させていただくのがお
役に立てるのではと思っております。
(カミーノの歴史に関しては、ある講演会で、短時間お話ししたことがありますので、ご興味がおあ
りの方には、その時の原稿を提供させていただくことも可能です。)
3.北の道とアラゴンの道
フランス人の道の詳細はブログに掲載された“スペインの巡礼の道 カミーノを歩こう”で紹介して
おりますし、ポルトガルの道は、これから紹介いたしますが、その前に、北の道とアラゴンの道を簡
単にお話しさせていただきます。
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北の道の海の風景
まず、何故、カミーノにはいろいろなコースがあるのかを説明いたします。カミーノは、聖地
Santiago de Compostela を目指す巡礼路で、人々が自宅から聖地に向って歩きました。その為、
いろいろな方向から同じ聖地を目指す道が出来たのです。熊野古道も同様で、中辺路や小辺路、
伊勢路等、聖地、熊野本宮大社を目指す複数のルートがあります。
北の道は、その名の通り、スペインの北部海岸沿いの道です。海沿いの道を歩くだけでなく、一
般的に、緑のスペイン(España Verde)と言われる地帯ですので、降水量も多く、木々に覆われた
森を歩く日も多くあります。内陸部の人達と異なり、海沿いの人達の多くは開放的で、見知らぬ人達
とも抵抗なく会話を楽しまれます。海岸沿いの町や村での海鮮料理は美味しいですし、特に、最初
の 10 日間ほどは、美味しい料理で世界的に有名なバスク地方を歩くことになり、その気になれば、
食事や飲み物を存分に楽しむことが出来ます。ワインはスペインが誇る Rioja(リオハ)ワインの生
産地に近く、存分に楽しめますし、リンゴ酒のシードルも楽しめます。私は、シードルはそれほど美
味しい飲み物だと思いませんが、右手に高くボトルをかかげ、そこから、下一杯に下げた左手のコッ
プにシードルを注ぎ入れる(多くはカップの外に出てしまいますが)方法で飲むの(こぼすの?)が楽
しみです。
シードル(リンゴ酒)を注ぐ
アルゼンチンからの女性もーー
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e-Crossroads (No. 5, August 2015)
ただ、歩く道は舗装道路が多く、足にこたえます。更に、日本の軽自動車なら到底登って行けな
いような急坂の上り、下りが多く、山歩きに慣れた人や強い精神力を持った人でなければ、少し苦し
いかもしれません。道路標識は、大体整備されていますが、フランス人の道やポルトガルの道と比
較すると、不十分なところもあり、道に迷うことも何回も経験しました。その為、ガイドブックが重要な
役目を果たします。が、英文のガイドブックで市販されているのは、一冊のみあるとのことです。(私
は、地元の州政府が発行している無料の英文ガイドブックを活用しましたが、内容的に不十分で苦
労しました。)それでも、フランス人の道のように巡礼者が溢れているということはなく、いつも同じ巡
礼者と歩くことも多く、和気藹藹と、巡礼者との会話や一緒の食事を楽しめる、落ち着いた雰囲気の
カミーノです。
どっちの方向に進むべきか
一方、アラゴンの道は、フランス国内からピレネー山脈の東部を山越えして行く道筋の、スペイン
内の行程をさします。ピレネーの山の中の、スキーで有名な町 Somport からフランス人の道の
Puente La Reina までの短い行程です。山の中、野の中の道ですが、それほど険しくはありません。
アルベルゲ(Albergue、巡礼宿)も道路標識も、フランス人の道ほどではありませんが、一応完備し
ています。アラゴンの道は、フランス人の道の英文のガイドブックに含まれているケースも多く、ガイ
ドブックに不自由しません。食事は基本的に肉料理ですが、例えば、アラゴン地方では豚の丸焼き
(照り焼き)が有名で美味しいです。ワインは基本的に赤を飲みます。このカミーノも巡礼者の数は、
まだ少なく、一人で静かに歩きたい人、毎日同じ人達との交流が楽しみたい人、フランス人の道はも
う何回も歩いた人、短い期間に一つのカミーノを歩き通したい人、等に好ましいカミーノかもしれませ
ん。
4.ポルトガルの道の概要
ポルトガルの道は、一応、ポルトガルの Lisbon からスペインの Santiago de Compostela までの
620km ほどをさしますが、Lisbon からスタートする人、私のように Coimbra からスタートする人、
Porto からスタートする人、あるいは、スペインとの国境、Valenca あるいは Tui からスタートする人、
いろいろです。Tui から Santiago de Compostela までは約 115km の距離ですので、徒歩で 100km
以上歩くと頂ける巡礼証明書(Compostela)を入手するため、Tui からの巡礼者は突然多くなります。
(馬でも 100km 以上、自転車は 200km 以上が巡礼証明を頂く条件です。)Lisbon からスタートした
場合、舗装道路ばかりで、しかも、道路標識も十分でなく、あまり楽しめないとのことでした。私も、
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事前にそのような情報を得ておりましたので、少しでも、Lisbon から離れた場所からと思い、一度は
訪問したかった歴史の街、Coimbra から、カミーノを歩き始めました。
巡礼宿 アルベルゲのベッド
カミーノの象徴ホタテ貝(リュックに付ける)
特に、ポルトガル国内のカミーノでは、今、大変化が起こっております。経済があまりぱっとしない
ポルトガルでは、最大の資源である観光に、官民挙げて大注力しています。その中で、カミーノを通
して、外国人旅行者を増やし、地方の小産業を育て、雇用率を上げる等の大きな経済的、社会的成
果を誇っているスペインに負けてなるものかと、カミーノのインフラ整備に大きな力が注がれており
ます。毎日のように、新しいアルベルゲ(巡礼宿)が出来ており、又、道路標識も、塗料がまだ乾い
ていないのではと思われるほど、多くの新しいものが作られております。Coimbra からに限定した話
ですが、道路標識はフランス人の道以上に整備されていると言っても過言ではありません。私は、
今回、初めて、たった一回のみ道に迷っただけで歩き通せました。カミーノ自身も、工業地帯を避け
た新しいルートを開拓したり、より魅力的なコースを併設したりと、とにかく最新のガイドブックを持っ
て歩くべきですが、それでも、実際歩いてみると、ガイドブックの説明とは大違いと言ったことを経験
されると思います。その為、現地での情報入手が大変重要となって来ます。
道路標識の一例
道は、それほどアップ・ダウンもなく、どちらかと言えば、非常に歩きやすい行程です。ただ、残念
ながら、舗装道路も少しあり(北の道ほどではないが)、土を踏みしめて歩く喜びは、フランス人の道
ほどは味わえません。更に、ポルトガル国内では、猛烈なスピードでぶっ飛ばす車の側を歩くところ
もあり、巡礼者達は、互いに、車には気を付けろと言い合っておりました。ポルトガルの道中、
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Coimbra や Porto といった著名な街以外では、歴史的建造物や史跡は少ないのは事実です。この
意味では、フランス人の道は史跡や歴史歴建造物で溢れ、世界遺産にふさわしい歴史の道、文化
の道とも言えます。ポルトガルの道は、海沿いの町を歩くことが多く、魚や海産物の食事を存分に楽
しめます。ワインも赤だけでなく白も安価で(スペインの内陸部では白ワインは高価)、ポルトガル特
有の Vinho Verde(緑のワイン。少し発泡性のある白ワイン)も楽しめます。ポルトガル人は、英語を
理解する人が多く、片言の英語が話せれば、大きな不自由なく食事をしたり、泊まったりできます。
スペイン国内に入ると、道路標識もアルベルゲも、フランス人の道と同じように整備されております。
まだ、巡礼者の数も少なく、宿泊する場所も、それほど多くないので、毎日のように同じ巡礼者と
顔を合わし、言葉を交わし、又、一緒に飲み、食べることになります。情報やアドバイスの入手も容
易です。これらの事より、体力や会話力に不安を感じる、初めての巡礼者には、ポルトガルの道を
歩かれるのも好ましい選択だと思いました。
5.日本出発
2015 年 5 月 19 日(火)兵庫県西宮市の自宅出発。23:40 発の Emirates 航空 317 便でドバイへ
向かう。5 月 20 日(水)ドバイ空港で乗り継ぎ時間約 2 時間で、Emirates 航空 191 便で Lisbon に
向かう。12:45 Lisbon 到着。
カミーノを歩く為や別の目的で行く欧州旅行に、定年退職後の、この 10 年間、パリ、マドリッド、ベ
ルリン、ミラノ、リスボン、等への往復に、多くの航空会社を利用しましたが、今回利用した Emirates
航空が最も好ましい航空便でした。往復航空券は少し高く 98,450 円。(これまで、最も安価な航空
券はカタール航空の 7 万円台でした。)とにかく、日本人がカミーノ歩きをするときに要する費用で最
大なものは往復の航空料金です。これを低くコントロール出来れば、一ヵ月間カミーノを歩いても、
驚くほどの少ない出費で欧州での生活を体験できます。
カミーノを長期間歩くには、海外旅行保険は必須です。子供達が成人したので、私には死亡保険
の必要性はありませんが、現地で医療機関にお世話になる必要が出てきたとき、旅行保険証が無
ければ医療機関が相手にしてくれないケースもあります。又、大病を患ったり、持病が悪化して、医
者や看護師と一緒に帰国となりますと巨額の費用が発生しますが、海外旅行保険に入っておれば、
それらの経費を負担してくれるものもあります。(実際、私がパリに駐在中に、日本からやってきた
社員が重病となり、医者・看護師と一緒に航空便で帰国し、その費用を保険会社に負担してもらっ
たケースも経験しております。)今回は医療機関にかかることはありませんでしたが、いつもは、カミ
ーノの道中で、少なくとも一回は医療機関のお世話になり、金額的には少額ですが、旅行保険で医
療費を負担してもらっております。スペインの場合、大きな町や村には、Centro de Salud という公
立の医療機関があり、毎日開いております。海外旅行保険証を提示することで、一切、現金での支
払いを求められません。彼等が、直接、保険会社に請求します。帰国後、保険会社から、医療機関
で受診したかどうかの確認が求められますがーー。
荷物はリュックサック一つだけです。寝袋、雨具、数枚の着替え、薬類、洗面具等のみを入れて
おります。重さは 10kg 位に抑えるようにします。
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e-Crossroads (No. 5, August 2015)
今回持って行ったもので特殊なものは、Credencial です。Credencial(クレデンシャル、巡礼手帳)
とは、カミーノを歩く為の身分証明書とスタンプ帳を兼ねたものです。これを持っておれば、巡礼者で
あることを証明してくれ、アルベルゲに宿泊が出来ます。そして、宿泊した場所、訪問した教会やカ
テドラル、あるいは食事をしたレストランや Bar で、スタンプを押してもらいます。毎日、最低一ヵ所で。
スタンプが押された Credencial を、Santiago de Compostela の巡礼事務所で示すことで、巡礼証
明書(Compostela)を発行してもらえます。なお、四国遍路道等と異なり、スタンプを押してもらったり、
巡礼証明書を発行してもらったりするのに費用は掛かりません。クレデンシャルは、日本のカミーノ
友の会で、1,000 円で購入できますし、現地でも、いろいろなところで無料で入手できます。今回持
って行った Credencial は、カミーノと熊野古道の両方に使える、Dual Credencial で、まだ、大変珍
しいものです。今回、カミーノの道中、このクレデンシャルを多くの人に見せて、熊野古道を宣伝して
きました。又、今年、熊野古道を歩く予定ですので、このクレデンシャルを持って行って、両方の世界
遺産巡礼路を歩いた証明のバッチをいただく計画です。なお、この Dual Credencial は、熊野ツーリ
スト・ビューローで頂けるとの事です。今回、私の友人が入手してくれ、私にプレゼントしてくれまし
た。
クレデンシャル (巡礼手帳)
コンポステーラ (巡礼証明書)
6.リスボン到着
5 月 20 日(水)12:45 リスボン空港到着。
当初より、リスボン空港到着後、一泊して、翌朝、鉄道でコインブラまで行き、観光を楽しみ、その
翌日からカミーノを歩く予定。その為、北上する鉄道路線の出発駅 Santa Apolónia 駅から徒歩距
離で、しかも、Sé Catedral(リスボンのカテドラル)の近くのペンションを、日本出発前に予約してお
いた。カミーノのポルトガルの道は、このリスボンのカテドラルを出発点としているので、ここで、最初
のスタンプをクレデンシャルに押してもらうことを計画していた。
リスボン空港に到着後、空港内の駅からメトロを利用する。目的駅で降車後、予約しておいたペ
ンションをガイドブックの地図を頼りに探す。番地の場所に到着したがペンションの看板無し。アパ
ートの呼び出しボタンの一つにペンションの名前があったので、それを押す。ドアが開いたので、
2 階に登って行って、受付でチェックイン。
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e-Crossroads (No. 5, August 2015)
シャワー、簡単な洗濯の後、外出。近所のカテドラルでクレデンシャルに最初のスタンプを押して
もらう。その後、急な坂道を延々と登って行って、Castelo Sao Jorge 城を見学。ほとんど壊れてしま
って、見るものはあまり残っていない城ですが、この丘の上の城からの眺めは素晴らしい。この急な
坂道を、リスボン名物のトラムがひっきりなしに上下している。観光都市リスボンらしく、とにかく、道
路もお城も観光客で溢れている。街自体は、やはりスペインの大都会よりも、かなり貧しい雰囲気。
Fado(ファド、ポルトガルの哀愁漂う民謡)を歌う店やレストランが山ほど並んでいる。帰りに、ペン
ションの前のワイン屋さんで、地元の美味しいワインを買う。Alentejano 地方(リスボンを含むポルト
ガル南部地方との事)の Vinha das Lebres という銘柄の地方産赤ワイン。ペンションで寝酒代わり
に飲むため。大変美味なワインだった。だが結局、翌日半分くらいコインブラまで手で提げて行くこと
になった。
ペンションのオーナーの叔母さんから、Fado でも行って、食事をしてきたらと勧められて、再度、
外出したが、時差と長旅の疲れで、猛烈な眠気を催し、とにかく早めの夕食を食べようと、近所のレ
ストランを物色。ポルトガルに来たら、イワシの炭火焼きを食べようと虎視眈々とレストランを探すが、
一軒のみ Menu(メニュー。定食)があり、しかもイワシをメイン料理にしている、車の行き来する道
路際の観光客相手の小さなレストランを見つけ、そこに入る。12€もするのに、しかも、不味いワイ
ンなのに、コップ一杯のみしか定食には含まれていない。イワシの塩焼きは、新鮮なイワシでない
ので美味しくなかった。幻滅!25年ほど前、スペインに住んでいた時、ポルトガルで大きな会議が
催された。我々も夫婦で参加しましたが、その時、自由時間に、海岸で炭火で焼いていたイワシを
食べたのだが、その美味しさは、今でも口の中に残っている。ポルトガルでは、とにかく、炭火焼の
イワシを食べようと、大いなる期待を持ってやってきたのにーーー。(後日、ポルトガルの道の途中
で、美味しい鰯の炭火焼や唐揚げを存分に楽しむことが出来た。)その時の話ですが、Fado のクラ
ブで Fado の歌を楽しみましたが、赤ワインの肴として、唐揚げされた大きな鯵が、酢(といってもワ
インビネガー)に漬けられたものが出された。私は、思わず“これ南蛮漬けだよ!!”と叫んでしまっ
たが、良く考えると、この料理はポルトガル人が長崎に持ってきたため、南蛮漬けと呼ばれるように
なったのだと、その時、初めて、この魚料理の名前の由来を理解した次第です。
鰯の炭火焼
Santa Apolonia 駅
眠くて、Fado は聞けず、ペンションの部屋で地元の美味しい赤ワインを飲んで、不味かったレスト
ランのイワシとワインの味を清めました。
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7.Coimbra(コインブラ)
5 月 21 日(木)。
昨日も今日も晴天で暑い!朝食後、Santa Apolónia 駅まで歩く。駅で、Coimbra 駅行きの切符を
買う。9 時 30 分発の IC (Inter City)。19.20€。ポルトガルが誇る特急列車 AP(アルファ ペンドラ)
に乗車すると、運賃はもう少し高くなる。Santa Apolónia 駅で尋ねると、切符にパンチを入れる必要
はないとの事。指定席の切符の為か? 欧州の鉄道を利用する場合、駅で切符にパンチを入れる
ことが求められる。車内検札の時に、パンチの入っていない切符を提示すると、罰金を請求される。
昨年、家内とイタリアの Portofino 近郊に住む従姉妹を訪ねた時、ミラノ空港からミラノ中央駅まで
電車に乗った。切符を購入し、ホームに行き、パンチを探したが見当たらなかった。そのまま乗車し
たら、車内検札で、外国人観光客が次から次に罰金を取られ始めた。我々も、罰金を徴収すること
がこの世で最も幸せなことだと言わんばかりの喜びの笑顔の車掌から罰金を取られた。尋ねると、
パンチは、ホームからはるかに離れた切符売り場の横に設置されているとの事! 詐欺行為ではな
いかと憤慨したものです! 昼の 12 時前にコインブラ駅到着。
コインブラでの宿は、インターネットで調べた、街中の、小さな商店がひしめき合っている旧市街
の中心にある、小さなペンション Be Coimbra Hostel(Rua de Corvo)に決めていて、捜し歩いてよ
うやく見つける。シングル・ベッド、バス/トイレ共用で13.50€。専用バスの部屋でも 25€だが、巡礼
者はバス・トイレ共用でも、全く問題なし。キッチンもあり、簡単な自炊も可能。後日、巡礼者の一人
が教えてくれましたが、大河 Mondego 川にかかる Santa Clara 橋の麓(町の中心の一つ)、ツーリ
スト・オフィスの近くに、アルベルゲが、3 週間前に開設されたばかりとのこと。まだ、開店のドタバタ
の最中だったが、新しくて、清潔で快適だったとのこと。
シャワーの後、早速観光へ。まずは、スタンプを押してもらうため、著名なカテドラル Sé Velha へ。
(どうもポルトガル語では Sé はカテドラルを意味するようだ。)カミーノを歩きだす、スタート地点だか
ら、どうしても由緒ある場所のスタンプを欲した。屋上にある中庭も含め、このカテドラルも、見て回
る価値は十分あり。昼食の場所探し歩いたが、コインブラもリスボンに負けず劣らずの坂道の町、
疲れ果てて、少しは外れたところにあったレストラン ARCADA (Rua Fernandes Tomas) に飛び込
んだ。本当にラッキーだった。一品料理もあったが、安価な定食 Menu(メニュー)を頼んだ。豚肉の
ソテーを非常に綺麗に盛り付けしていて、味も絶品。野菜もパンも美味しく、大きなワイン一杯もサ
ーブされるのだが、この白ワインの味も最高。コフィ―が付いて7.50€。若い男女の従業員も上品
で気持ちの良い人達。
Arcada での昼食
コインブラ大学 図書館の前
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e-Crossroads (No. 5, August 2015)
近所に、ワインとチーズを楽しむ品の良さそうな Bar KABRA VELHA に目を付けて、夜に訪れる
ことにした。宿に帰って昼寝。夕方、コインブラ最大の観光名所、大学に行く。急な坂道登りきったと
ころにあるのだが、流石、中世からの歴史を誇り、現在も、世界中から学生を集めている大学で、荘
厳さがひしひしと感じられる建物群。図書館の入場料7€払って、5 時 20 分からの内部見学グルー
プに入る。中世からの蔵書の凄さや室内の調度は一見の価値はある。その他、講義室等は見て回
ったが、高い塔には、疲れていたので登るのを断念。
帰路、朝食の果物(チェリーとアプリコット)とビスケットを購入(3.50€)。宿で休憩した後、待望の
Bar KABRA VELHA へ。ワインもチーズもサービスも最高!!最初に、ポルトガルが誇る白ワイ
ン、Vinho Verde(緑のワイン。自然に発泡する白ワイン)を頼む。普通の店では到底買えないとい
う、自慢のワインの栓を抜いてくれた。緑のワインを好まない私でも、これなら、ポルトガル人が自慢
するのが分かると納得の味。チーズを適当に頼むと、牛と羊と山羊のミルクを混ぜ合わして作った
チーズと羊だけで作ったチーズを持って来てくれた。美味しいパンと一緒に。これだけで、お腹いっ
ぱいになる。次に赤ワインを頼んだら、地元(Porto を流れる Douro 河沿岸)の葡萄で作られたワイ
ンを。これも絶品だった。(Douro 河一帯はポルトガルで最も著名なワイン用ブドウの産地)ここで働
いている人たちも、昼食を食べたレストランの人達も、完璧なまでの英国英語をしゃべる。何人かは
英国人なのでしょう。眠たかったのですが、ワインやチーズだけでなく、ポルトガルについての会話
を楽しむ。コインブラに来て、良かったとしみじみ思いながら、宿に引き返す。果物を食べ、野菜不足
を補い、昨日買って、残っているワインを飲んで寝ようとしたが、宿の前の狭い通りで、深夜から、
Fado を歌う、お祭りが始まった。窓から見ると、ソファー等を持ち出して、沢山の人が座って聴いて
いる。ポルトガルでは、プロの歌手の Fado を聞かせる店やレストランがある一方、庶民の人達が、
それぞれ得意の Fado を歌い合う Bar も多いと聞いていたが、窓の下は、丁度、後者のような雰囲
気です。次から次に Fado、時にはブラジルのサンバも、歌い続ける。マイクを使うので、安宿の私
の部屋は、歌声で一杯。皆な、歌が上手い!プロの人達ではないかと思うくらい上手い。でも、寝れ
ない!朝2時半ごろまで歌い続けていた。もう Fado は十分!2 時半頃、睡眠導入剤を飲んで、短時
間でも寝ることにした。昼食を食べたレストランとワイン・バーはお勧めの場所!!
コインブラのワインとチーズ Bar で
非常に美味しかったワイン
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8. 5 月 22 日(金) Coimbra – Mealhada 23km
朝 5 時半に目覚める。3 時間ほどの睡眠だが、昨日は昼寝もしていたので、元気一杯。果物とビ
スケットの朝食を食べた後、ワックスで足の手入、7時前、カミーノをスタート。コインブラ市の尽力で
道標は、ほとんど完璧なまで整備されている。持って行ったガイドブックの地図とは異なるなあと思
うところもあったが、とにかく、道標に従って歩くだけだから、気が楽だ。但し、最初は、車道を歩くの
で、猛烈なスピードで走る車に注意!!9 時頃、Trouxemil 村の Bar でミルク入りコフィ―(スペイン
語では Café con leche と言います。ポルトガル語での言い方を教えてもらったが、場所によって、人
によって、言い方が異なって、Galao と言う人も、Meia de Leite と言う人もいた。又、別の表現もー
ー。私は、英語かスペイン語で押し通した)を1€で。
ここで、初めて巡礼者に会う。英語をしゃべる男性。今日の行程は、高度 150M ほどの山地へ上
るだけだし、舗装道路もあるとはいえ、地道も多く、イージーな行程。バラの花が美しい家の前を通
りかかる。スペインでもポルトガルでも庭や公園でバラを植えているところが多い。そんなに手入れ
をしているようには思えないのに、沢山の美しいバラが咲き誇っている。我が家でバラを育ててみた
が、肥料や虫取り、病害対応への薬、等々、その手間は大変だったが、おそらく欧州では、いわゆ
るオールド・ローズと呼ばれる、手入れにそれほど手間がかからない、昔からのバラが一般的に植
えられているのだろう。
途中、Albergue を宣伝する広告が至る所に張ってある。Mealhada の町を通り過ぎたところだな
あと、見当を付け探すことにした。Mealhada の町を通り過ぎてから、なかなか見つからず、途中何
回も不安な気持ちになったが、車道をとにかくまっすぐ進み、レストランが林立する一帯の中で、車
道の右側にあるレストラン HILARIO の裏にアルベルゲがあった。このレストランの経営で、受付は
レストランの中。午後 1 時 15 分に到着。3 年前に出来たアルベルゲとの事で、新しく、清潔。バス付
個室の部屋は 15€だが、私は 10€のアルベルゲを選ぶ。ここで、明日泊まるところでもアルベルゲ
が出来ているのを教えてもらった。2 段ベッドが 8 つあり、定員 16 名の部屋だったが、今晩泊まった
のは 6 人だけだった。昨晩は兵庫県からやってきた日本人が泊まったとのことだったが、彼とはカミ
ーノを通して会うことはなかった。Santiago に着くまで、日本人に会うことはなかった。
シャワーを浴び、洗濯をして、昼食へ。Mealhada の町に入る手前から、LEITAO の看板が沢山
出ていたので、この町の名物料理だなあと気が付いていた。途中、レストランの前を通るたびにメニ
ューを見て、値段も調べていた。結構高価だが、どうしても、この名物料理を食べたかった。アルベ
ルゲのレストランで、LEITAO(仔豚の丸焼き)があるかと聞けば、勿論、我がレストランの名物料理
だ!!と誇らしげに答えが帰ってきた。又、5 月 16 日から 31 日までは、この町で LEITAO 祭りをや
っていて、ポルトガル中から LEITAO を食べにやって来るとの事(祭りに参加しているのは、このレ
ストランを含めて、高級なレストランだけ)。値段を聞くと、300g で 17€とのこと。途中の小さなレスト
ランでは豚肉が少量とはいえ、8€位のところもあったので、少し高いと思ったし、実際、300g も食べ
られないと思ったので、小さくしてくれないかと頼んだ。では、200g に切りましょうと言ってくれたが、
コックさんが、それでは何が何でも少なすぎると 250g にしてサーブしてくれた。一緒に、野菜サラダ
とポテトチップスを食べるのが習慣だというから、ポテトチップスは合わないだろうと思ったし、好きで
もなかったが、言われるまま注文した。ハウスワインの白ワイン(暑い日で冷たい白ワインを!)を
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一本。ワインも豚肉も美味しかった!!仔豚の丸焼きは、スペインの各地でも名物料理となってい
たので、マドリッドや地方を旅行中、何回も食べたし、昨年、アラゴンの道を歩いた時も食べました。
でも、ここの仔豚の丸焼きが一番美味しい!油こくなく、味がしつこくない。ソースの味にかたつむり
(エスカルゴ)の味がしたのでエスカルゴが加えられているのかも。野菜サラダにオレンジが入って
いたが、オレンジの味が仔豚の味にマッチした。ハウスワインの白ワインも美味しかったし、一緒に
出てきたパンもチーズも最高!でも、やはりポテトチップスはいただけない。全部で 20.7€。大分、安
くしてもらったようだ。お腹いっぱい食べて、ワイン一本飲んで、そのまま昼寝。夜 9 時頃目覚めて、
洗濯物を取り込み、明日の道順を確認して、休息。まだ、外は明るい。夕食なしで、就寝。仔豚の丸
焼きはお奨めの料理!!
仔豚の丸焼きの昼食
9. 5 月 23 日(土) Mealhada – Agueda
バラの花が美しい家
25km
まだ残っていた果物とビスケットで朝食を済まし、6 時 45 分に出発。今日も晴れ、暑い。今日の道
は、高低差こそ少ないが、アップ・ダウンが何十回も続き、少し疲れた。ただ、舗装道路が多いとは
いえ、歩きやすい行程。道標の整備は素晴らしい。Anadia の町に入るところでは、ガイドブックとは
異なるルートを、Anadia の町が新しく作った道標が示しているように思えた。Anadia の町に敬意を
示して、道標通りに歩いたが問題なし。但し、Avelas de Camino の村では、注意深くならねば、道
標を見つけられないだろう。又、この村では、村が作ったばかりの矢印が間違っていた。昔からの道
標は直進なのに、新しい道標は右折れ。どちらの方向に進むべきか迷っていたら、民家から出てき
た、おばあちゃんが、直進だよ!と叫んでくれた。出来て間が無い、ホヤホヤのものには間違いもあ
るようです。
ガイドブックによると、Mealhada 近辺からワイン用の葡萄 Bairrada の産地が広がるとの事、特に、
Avelas de Camino 辺りでは、その葡萄を使ったワインの醸造所があるとのこと。そのワインを飲ん
でみようと Bar やレストランを探したが、なかなか現れない。Aguana de Baixo の村で、ようやく Bar
を見つけて、飛び込む。今日は土曜日で、多くの男の人で混んでいた。ウエイトレスの女の子に、
Bairrada ブドウで作ったワインがあるかと聞いたが、彼女にはさっぱりわからないことだった。客の
男性が何人か集まって来て、あのワインが良いのでは、これが良いのではと、ワイワイやってくれた
が、結局わからず、普通の赤ワインを飲むことになった。0.60€。美味しくなくて、がっかり!!この
Bar で、アイルランド人女性 Catherine と会う。スウェーデン人女性 Annie、ドイツ人女性とも。皆な
50 歳代の女性。
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通りかかった住宅でも道標が
Bairrada 葡萄でのワイン醸造所
ポルトガルでは、道中、出会う地元の人達は、ほとんどの人達が、ボン・ディア(Good day)と挨
拶を交わしてくれる。又、ボン・ボアージュ(Good Journey)と追加される人も多い。スペイン以上に、
ポルトガルの人達は、親しみやすく、巡礼者を受け入れてくれているようで、ポルトガルの道を歩く
のは、大変気持ちの良い旅です。途中の民家でも、カミーノの道標、黄色の矢印やホタテ貝を陶器
に焼き付けたものを飾っていてくれたりしていた。(時々、ホタテ貝の向きが逆で、反対の方向を指し
ていましたが、それも愛嬌です。)なお、カミーノを歩くときは、巡礼者同士で、Buen Camino(ブエ
ン・カミーノ 良い旅を!)と挨拶します。村や町の人からも、Buen Camino と励まされます。
聞いていた Agueda の町のアルベルゲは、Agueda の町を通り越して、長い急坂の道を、かなり
の距離を、約 20 分ほど歩いたところにあります。車道の左側に Residencia(ホテルの一種)があり、
そこが経営している Albergue です。受付は Residencia の受付で。私が最初に到着したので、小部
屋の一段ベッドで寝ることにしました。12€。昨年出来たばかりで、清潔。環境も良い。洗濯も、干す
のも問題なし。問題は、15 人程の収容人員で、シャワー・トイレが一つしかなかったこと。(別の部屋
には、その部屋専用のトイレがあったようだがーー。)近所には大きなスーパーがあるのですが、レ
ストランや Bar は近くにありません。その為、街中のレストランとタイアップして、受付の人に、料理を
注文すれば、レストランから配達されるシステムを作っていました。メニューを見せてもらったが、本
当にたくさんの料理が並んでいた。ただ、折角食事するには、もう少し良さそうなものが食べたく、意
を決して、又、街に戻ることにした。長い下りの車道を 15 分以上も歩いてーーー。途中で会った巡
礼者達に、アルベルゲの場所を教える。この Agueda の町は 12000 人もの人口を抱えた町なので、
ポルトガルでは結構大きな町。でも、川沿いの町の中心まで戻っても、大したレストランはない。しか
も午後 2 時には、いったん閉まるという。5~6 軒見て回った後、小さなレストランに飛び込んだ。大
家族が、私が昨日食べた Leitao を食べているのを見て、それを注文するも、もう品切れとの事。仕
方なく、8€の Vika Assada(牛肉の煮込みみたいなもの)と、サラダ、白ワインを注文。計 13.75€と
結構な値段だったが、大した料理でもなく、がっかり。特に、又、坂道を登って帰るのかと思ったら、
ますます、不味く感じた。帰りに、スーパーにより、夕食、朝食、ワインを購入。11.33€。
アルベルゲに帰ってくると、多くの巡礼者で一杯になっていた。私のベッドの小部屋には若いアメ
リカ人の女の子が寝るようにしていた。このアルベルゲで、ようやく、いつものように、他の巡礼者と
和気あいあいと話しはじめることになった。ここで会った、アイルランド人女性 Catherine、スウェー
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デン人女性 Annie、ドイツ人女性、オランダ人男性 Adrian、アメリカ人女性等々と、その先、いろん
なところで再会するようになりました。皆な、配達の料理を注文したり、スーパーで買ってきたもので、
快適な庭にある、あちこちのテーブルで食事や飲み会を始めた。私は、ニュールンベルグ近郊から
やって来た、60 歳代のドイツ人夫妻、Theresa と Deocar と一緒に木陰のテーブルで。私がワイン、
チーズ、サラミを提供し、彼等からサラダやパンを。彼等は、自宅から Santiago まで 4 ヶ月かけて歩
いた経験を持つ、カミーノのベテラン。
アルベルゲでの私のベッド(左)
アルベルゲの庭でドイツ人夫妻と夕食
10. 5 月 24 日(日) Agueda - Albergaria-a-Velha 16km
少し寒い日だが、今日も晴れ。昨晩は寝付けなかったので睡眠導入剤を少し飲んだが、すぐに目
覚めてしまって、十分眠れなかった。別の小部屋で寝ていたドイツ人 Theresa はご主人ともう一人
の男性のいびきで寝むれなかったとぼやいておられた。このアルベルゲでもらったチラシに従って、
カミーノに戻ろうと、坂道の車道を登って行った。チラシの地図を見て、数分間の距離を歩くだけかと
思っていたのに、実際は 30 分近くも歩かなければカミーノにぶつからなかった。Mourisca do
Vouga 村の近くの Bar でミルク入りコフィ―、1€。今日は歩く距離が短いが、新しいアルベルゲが出
来たばかりということで、そこに泊まる予定。昨晩のアルベルゲで受付の女の子が、新しいアルベル
ゲのオープニング・パーティに招かれて行ってきたことを、うれしそうに話してくれたので。
森の中の道と道標
宿泊した Casa da Alameda
今日のカミーノも、二つの川を渡る時など、アップ・ダウンを何度も経験するが、それほどの長い
急坂でなく、歩きやすい道程。Mourisca do Vouga の村を抜けたところで国道を横断する。直進して
横断するように、道標もガイドブックも示しているのに、自転車に乗った地元の若者が、国道に沿っ
て歩くのだと指差して言ってくれる。少し考えて、やはり国道は危険だと横断しようとすると、その若
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者は戻って来て、国道に沿って歩いた方が近いよ!と又言うので、仕方なく、国道に沿って歩き始
めた。ところが、やはり危険だと思い、しばらく歩いて、若者の眼が届かなくなったところで、国道を
横断して、カミーノになっている地道を歩く。しばらく歩き、Ponte の村を過ぎて、ガイドブックでは、国
道を横断して地道を歩き続けるはずなのに、道標は国道沿いの広い歩道を歩くように指している。
道標に従って国道の大きな橋を歩いて、大きな川、Vouga 川を渡る。大分、近道となった。あの若者
は、この辺りの事も考えてアドバイスしてくれたのだとようやく分かった。昨晩アルベルゲで一緒だっ
たアメリカ人の少女二人は、今日は二つの川のどちらかで泳ぐと言っていたので、この川で泳ぐの
だろうと思いながら、橋を渡った。
11 時頃、Albergaria-a-Velha 町に到着。新しいアルベルゲは、並木道の左側の通りにあると、昨
夜のアルベルゲの女の子に聞いていたので、注意しながら歩くが見つからない。もう一度戻って、も
っと注意して見ていると、小さな民家に、アルベルゲ Dna.Teresa の小さな看板あり。(Dna.
Teresa は 12 世紀に巡礼者を迎えるために、この町を創るように指示した女王)でも、午後 4 時オー
プンと書いてある。リュックだけでもおかしてくれないかとベルを押すも返事無し。5 時間も待てない
ので、ガイドブックに載っていたペンションを探す。地元の人に尋ねて、Pensao Parente に到着。と
ころが、今日は日曜日で休みとの事。ガイドブックでも紹介されているし、この地元の人も勧めてくれ
た Casa da Alameda に行く。この Casa(家と言う意味だが、宿泊する場所も意味する)の前は何回
も通ったが、外見からして高そうだったので遠慮していた。ところが、宿泊費は、専用バス・トイレで
25€、共用バス・トイレで 15€。もちろん 15€の部屋を選ぶ。ダブルベッドの広々とした、清潔な部屋。
シーツもバスタオルも、一流ホテル並みの質と清潔さ。昨日のアルベルゲでも 12€もしたので、大満
足。昨日会った巡礼者は誰も、ここにやってこなかったので、皆なアルベルゲに泊まったとばかり思
っていた。ところが、後で聞いてみると、4 時オープンが 2 時オープンに変わっていたので、2 時まで
待ったが、誰も来なかったので、他のペンションや修道院に泊まったとの事。
綺麗な浴室でシャワーを浴び洗濯をして外に出ようとしたが、建物のドアの鍵を閉めることで困っ
た。それを通りで見ていた一人の紳士が隣にいた部下のような人に、私を助けるようにと指示され、
鍵の閉め方を教えてくれた。その紳士に、隣はレストランですかと尋ねると、そうです、昼食を取られ
ますかと、ポルトガル語のメニューを英語で説明された。ガイドブックに紹介されていたレストランと
Casa の所有者で、この地方の名士の Carlos Vidal さんだったのでしょう。今日のお勧めは魚のバ
カラオ(鱈)10€でしたが、フランス人の道でも鱈の有名な場所もあって食べたのですが、あまり喜べ
なかったのでパス。次のお勧めが 11€の羊肉、少し高いなあと思って、これもパス。次がお店の名
物料理、8€の牛肉料理 Vital Assada。結局、昨日の食事と同じような牛肉になってしまった。サラダ、
(暑かったので)白ワイン一本を加えて、計 13.50€。レストランのテーブルに着いて驚いた。ワイン
の樽で両側を囲んだ、おそらく昔ワイン貯蔵所ではなかったかと思われるような、広い、立派なレス
トラン。このレストラン・ホテルのオーナーはワイン醸造所も所有しておられるとのことで、さもありな
んと思った。私が写真を撮ろうとすると、部下の方に電燈をすべてつけさせられた。牛肉料理は、昨
日と全く違って、手の込んだシチューといったもので、深い味で、大変美味しかった。私が食べ始め
るころになると、日曜日のミサから帰って来られたのか、多くの老人夫妻が食事にやってこられた。
皆な赤ワインを飲まれる。赤ワインは、壁のところにならべてあるワインの樽の栓をひねって、陶器
製のピッチャーのようなものに注いで、テーブルに。赤ワインを注文すればよかったと後悔した。
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Casa da Alameda での昼食
赤ワインは壁際の樽から
昼食後、街の中を散策に。小さな、田舎の町だが、思いもよらない程の綺麗で美しいところ。レス
トランで食事をしていた人たちも、皆なきちんとした服装をしておられた。日曜日の午後で、全ての店
が閉まっていて、静かな、小さな町の中や周りを散歩して、又、レストランに帰って来た。Bar のカウ
ンターで、赤ワイン一杯、そして、周りの男性たちが飲んでいた地元のブランディーを一杯。計 2€。
それから昼寝。夜 8 時頃に起きて、昼間の散歩で気に入ったので、又、町の中を散策する。昼食は
味が良いだけでなく、量もいっぱいあったので、夕食が要らなかった。昨日買った食料は明日の朝
食に取っておく。久し振りに部屋の TV で、ニュースや番組を見る。今日の Casa やレストランは、絶
対お勧め!
11. 5 月 25 日 (月) Albergaria-a-Velha - Sao Joao da Madeira 30km
広くて、清潔で、静かな部屋で、ゆっくり寝むれた。朝食をお腹いっぱい食べ、朝 6 時 10 分出発。
今日は長丁場だから、他の巡礼者に気兼ねなく出発できる、このようなホテルのようなところに宿泊
するのはよかった。通常、アルベルゲでは、夜 10 時から朝 6 時までが、静寂の時間。朝 6 時までは、
音を立てないのが、巡礼者のエチケット。(数年前にカミーノを歩いていた時は、皆な、そのように言
い合っていましたが、最近の巡礼者は、そんなことお構いなしの人が多くなっている。又、アルベル
ゲの Hospitalero オスピタレオ=お世話する人も、そのように注意する人も少なくなってきている。残
念だ。)ガイドブックでは、町の周りを迂回していくのがカミーノとなっているが、町の中にも、確かな
道標が連続していて、難なく町の中をとおってカミーノを歩き続ける。
今日は、猛烈に暑く、結構アップダウンもあって、行程も長く、大変疲れた。ポルトガルでは家の
中で飼われている犬が、我々巡礼者が表通りを歩くたびに、ワンワンと吠える。まだ、巡礼者の数
が少ないからでしょう。フランス人の道では、毎日何百人という巡礼者が年がら年中歩き通るものだ
から、もう犬達も吠えるのに疲れ切って、我々を無視している。フランス人の道を歩いていて、犬に
吠えられたら、道を間違ったと思った方がよいでしょう。今日は、途中で休んだり、コフィ―を飲んだ
りする Bar などが見つからない。ようやく、Pinheiro 村辺りで Bar が有り入る。ミルク入りコフィーを
0.80€で。ここで、多くの巡礼者が休息を取る。アイルランド人とドイツ人の女性は、昨日、Casa
Diocesana にある修道院に泊まったとの事。大変親切にしてもらったと感激していた。
線路沿いの道を歩く。一日数本は列車が通るとの事、線路を歩かないようにせねばならない。11
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時過ぎに、ようやく Oliveira de Azemeis の町に到着。Bar に入って、あまりにも暑かったので、生ビ
ール(スペイン語では Caña、ポルトガル語では Fino)を頼むが、瓶ビール(Cerveja セルベジャ、ス
ペイン語では Cervesa セルベサ)しかないとの事。猛烈に冷えた飲物が欲しかったので、冷えた白
ワイン Vinho Blanco を注文。何とかのワインで良いかと言うので、分らないまま OK と返事すると、
奥に入って行って、大分時間がかかって一本のワインボトルを持ってきた。それを開栓して注いでく
れたが、流石、冷えていて、又、美味しかった。ただ、2.50€もした。
線路沿いの道も歩く(列車も通る)
ローマ時代の橋も渡る
大都市 Sao Joao de Madeira ではアルベルゲがないので、Residencia Solar Sao Joao に泊ま
ることを決めていた。大きな都市に近づいたなあと思ってから、広い通りをいくら歩いても、町の中心
に到着しない。ガイドブックによると、人口 21000 人の町との事だが、それよりもかなり大きい大都
市と思われる。通りかかった若者に道を尋ねると、高層ビルの下あたりだということで、ようやく目的
の Residencia に到着。午後 2 時。猛烈に疲れた!!シャワー・トイレ共用、朝食込みで 21.50€。
アルベルゲがまだ少ないポルトガルでは、特に、大都会ではどうしても宿泊料や食事代が高くなる
がーーー。これまでに会った多くの巡礼者がここに泊まる。
明日、Porto まで行くとなると、ここから 35km ほどの長距離。この日、他の巡礼者達と話していた
ら、途中の Grijo に新しいアルベルゲが出来ているとの事、そこに泊まることにしたが、それであれ
ば、今日は、途中の大きな町 Oliveira de Azemeis(人口 12000 人)で宿泊した方が良かったと思っ
た。そこには、たくさんのペンションや Hostel があった。あまりに暑かったので、シャワーだけして、
Residencia の前の広場の Bar で Fino を飲みだす。これまで一緒に泊まったり食事をしたスウェー
デン人、オランダ人やアイルランド人、ドイツ人達もやって来て、ワイワイガヤガヤ。Residencia でレ
ストランを教えてもらうが、こんな大都市なのに近所には少ない。更に、今日は月曜日で休みのとこ
ろがほとんど。結局一軒だけ小さなレストラン BACANA が開いていた。7 時にオープンとの事。他の
巡礼者は、トルコ料理の小さい店で、コーラ込みで 8€のスナックを食べに行くとの事。アルコール飲
料はないとの事で、私は遠慮する。又、近所の大きなスーパーで買い物をして部屋で食べる人も。
私もスーパーで朝食等の買い物をした後、7 時の開店を待って、BACANA へ。今日は朝早い朝食
だけで、昼食抜きだったので、昼寝して、寝過ごしては困ると、眠いのを我慢してレストランに飛び込
む。料理は Francesinna Especial(7.50€)というポルトガル特有の軽食、それに、果物(0.50€)、
半ボトルのハウスワイン(Vinho Verde 2.75€)、コフィ―(0.65€)で計 11.15€。食事の内容も味も、
あまり感激するような夕食でなかった。これまでは物価の安いポルトガルなのに、スペインで Menu
(定食。前菜、主菜、パン、ワイン半本、デザートのセット)を 10€前後で楽しめるのと比較すると、少
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し高めの料金のところも多い。夜は、Theresa、Deocar とスーパーで買ったワインを飲んで談笑。猛
烈な暑さと長距離、しかもアップダウンが相当あり、これまで一番疲労した日だった。
宿泊した Residencia
夕食で食べたポルトガルの軽食
12. 5 月 26 日(火) Sao Joao da Madeira – Grijó 20km
Residencia の朝食は 7 時半からなので、それをスキップして、部屋で果物を食べ、7時前に出発。
大きな都市はどのカミーノでも四国遍路でも同じで、街中の道標は乏しい。泊まった宿で前日に聞
いておくとか、ガイドブックに頼らざるを得ない。この Sao Joao でも町を出るのに道標を慎重に探し
ながら歩いた。町を出たところで、道に迷った。ポルトガルの道で一回だけの経験だったが。乏しい
道標に従って、何とか目指していた国道に出てきて、そこにあったバス停のところから地道を下って
行って、右に曲がり、国道の下をくぐって、それから道をまっすぐ登って行けばよかったのだ。が、バ
ス停の後ろに薄く書かれている矢印は国道を歩くように見え、又、ガイドブックの地図も不案内。下
って行く地道には一切道標がなかった。それで、複雑に交差する国道を、危ないと思いながらも何
回も横断を繰り返し、道標を探し求め続けた。最後には、Bar に飛び込んで尋ねた。親切に教えてく
れた道は、方向的には正しく、近道だったようだが、国道を歩くような道で危険であきらめた。最初に
やって来たバス停に戻って来て、意を決して、道標は無かったが、地道の下り道を下りて行った。こ
のあたりで、道標を探し求めて、何回も国道を横断して、行ったり帰ったりを繰り返して、1 時間も時
間をロスした。この日の行程では、この時以外には大きな間違いはしなかったが、それでも道標が
明確でなく、何回も間違いをしそうになったし、又、不安な気持ちを持って歩き続けた。この日のカミ
ーノは、ポルトガルの道、全行程の中で、唯一道を間違いやすいところなので、ガイドブックを慎重
に読み、又、道標に細心の注意を払って歩くことを勧める。
Grijo の教会
教会の前で巡礼者達と
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ローマ時代の石畳の道を歩く。Louroso の村あたりの Bar で、Fino(生ビール)を飲む。1€。12 時
頃、Grijó のアルベルゲに着く。Annie が数分前に着いていて、閉まっていたから電話したと言って
いた。しばらくして、隣のおばさんが出てきて、ドアを開けてくれた。最近アルベルゲとして衣替えし
たばかりのような瀟洒な宿。小さな部屋に分かれて、全部で 14 人位が泊まれる。(今夜は 10 人が
泊まった。私の部屋は私一人だった。)シーツ・枕カバー等新しくて清潔。ポルトガル語で、一方的に
しゃべりまくる、おばさんが、Annie と私に夫婦(Casada)かと聞いたので、Annie は、“Definitely,
NO!”と大声で返事。私もわざとらしく、Annie が選んだベッドと反対側の部屋にベッドを確保。シャワ
ー、洗濯して、隣の Bar のような、お店のような、食堂のような、何でも屋の小さな店に行って、昼食
を。鯵のフライ、玉ねぎ、ポテト、どれも全て、目茶目茶美味しい。Fino 一杯、白ワインを飲んで、5€。
一緒に食べた Annie は小さな瓶ビールを飲んだだけなのに同じく 5€。私は Fino も飲んだよ、とおじ
さんに言ったのだが、いいよ、いいよと 5€しか受け取らない。近所の有名な教会でのミサは 6 時か
らなので、カナダ人、ドイツ人の青年と隣の店で駄弁りながら Fino や白ワインを。6 時前に教会に行
ったが、その数百メートルの狭い道を車が猛烈なスピードで突っ走るので、皆なスパイダーズマンの
ように、壁に張り付くようにして歩く。この村の教会は凄い建物。田舎の村の教会のミサだが厳かな
雰囲気。ミサの後、クレデンシャルにスタンプ押して頂いた。寄付もちゃんとさせていただいた。帰り
に、車道で若い夫婦がチェリーを売っていたので 500 グラム 1.50€で買う。
アルベルゲの表(カミーノのシンボルホタテ貝)
アルベルゲでのベッド
午後 7 時過ぎに、英語を話せる、好青年がやってきて、クレデンシャルにスタンプを押し、アルベ
ルゲの宿泊費 5€を集めた。夕食は、隣の店では 5 人しか受け入れられないという。そこで、この青
年が隣のおばさんを説得して我々の食事を作ってくれることになった。私を含め 5 人の巡礼者がお
ばさんの家に行った。おじさんも出てきて、おばさんの手作りの料理で食事。スープ、サラダ、魚(鱈
のフライ。特に美味しかった)、果物、ワイン、等々。美味しかったし、物凄く楽しい夕食会。途中から、
おばさんもおじさんもよそ行きの衣装に着替えてきて、夜遅くまで、ワイワイガヤガヤ。おじさんが、
自慢のポルト酒やブランディーを何本も出してくれたので、それもたらふく飲ませてもらった。料金は
5€とのことで、皆な 10€紙幣を出したが、お釣りに困っているようだったので、全員一人 10€を支払
って、深夜、隣のアルベルゲに帰る。私も皆も酔っぱらってしまって、どうして寝たのかわからない。
とにかく楽しかった一晩だった!!
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e-Crossroads (No. 5, August 2015)
アルベルゲの隣のおばさんとおじさんが作ってくれた夕食を食べる巡礼者達
25 年ほど前、スペインに住んでいた時、スペイン人が、猛烈なスピードで車を運転するのにはあ
きれたものでした。その前まで彼らが乗っていた車はおんぼろの車でアクセル・ペダルを床まで踏み
込んでもまともなスピードが出なかった。それが、近代的な車に乗るようになって、アクセルは少し踏
むだけで良いのに、昔のくせで、床まで踏み込むから、こんなに猛スピードが出るのだと、スペイン
人たちをからかったものだが、今は、同じようにポルトガル人をからかいたい。一方、スペインでもポ
ルトガルでも横断歩道のところに歩行者が立って待っていると、ほとんど必ずと言ってよいほど、車
は止まってくれて、歩行者に横断させてくれる。日本のドライバーも彼等を見習わねばならない。た
だ、スペインやポルトガルでも、日本人ドライバーのような人もたまにはいるので、必ず、車が止まっ
てから横断するように!!
☆☆☆
私の道中記はまだまだ続くのですが、既に、長くなりすぎました。カミーノとはどんなものなのか、
カミーノを歩く毎日はどんな生活なのか、スペインやポルトガルの人々の生活の一端等のお話が
MBI の皆様に愉快なものであることを祈って。
<2015.7.27 記>
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e-Crossroads (No. 5, August 2015)