A.浄土真宗 歎異抄

A.浄土真宗
歎異抄
竊廻愚案粗勘古今歎異先師口傳之眞信思有後學相續之疑惑。
幸不依有縁知識者爭得入易行一門哉。
全以自見之覺悟莫亂他力之宗旨。
仍故親鸞聖人御物語之趣所留耳底聊註之偏爲散同心行者之不審也云々。
1.
2.
3.
4.
VERSIONE 加点
ニ
一
ニ
ニ
一
一
レ
ニ
ニ
ニ
一
一
レ
一
ニ
レ
ニ
ニ
一
一
一
レ
一
1.竊廻 愚案 、粗勘 古今 、歎 異 先師口傳之眞信 、
レ
思 有 後學相續之疑惑 。
レ
2.幸不 依 有縁知識 者、爭得 入 易行一門 哉。
ニ
3.全以 自見之覺悟 、莫 亂 他力之宗旨 。
レ
4.仍故親鸞聖人御物語之趣、所 留 耳底 、聊註 之、
レ
偏爲 散 同心行者之不審 也、云々。
TESTO KUNDOKU
ひそか
ぐあん
めぐ
ほぼ
かんが
1. 竊 カニ、愚案ヲ廻 ラシテ、粗 、古今ヲ 勘 フルニ、先師口伝ノ真信ニ異ルコ
こうがくそうぞく
トヲ歎キ、後学 相続 ノ疑惑有ランコトヲ思フ。
うえん
いか
い ぎょう
いちもん
い
2.幸ニ、有縁ノ知識ニ依ラズンバ、争 デカ、易 行 ノ一門 ニ入ルコトヲ得ンヤ。
じ けん
みだ
なか
3.全ク、自見 ノ覺悟ヲ以テ、他力ノ宗旨ヲ亂 ルコト莫 レ。
よ
こ
おん
とど
いささか
しる
ひと
4.仍ッテ、故親鸞聖人御 物語ノ趣、耳底ニ留 ムル所、 聊 、コレヲ註 ス。偏
ヘニ、同心行者ノ不審ヲ散ゼンガタメナリ。
1.
おうじょう
弥陀ノ誓願不思議にタス(助)ケラレマヒラセテ、往 生 ヲバト(遂)グルナリ
ト信ジテ、念佛マウサントオモヒタツココロノオコルトキ、スナハチ攝取不捨
りやく
ノ利益ニアヅケシメタマフナリ。
弥陀の本願ニハ、老少善悪ノヒトヲエラバレズ、タダ信心ヲ要トストシルベシ。
ぼ ん の う し じょう
がん
ソノユヘハ、罪悪深重、煩悩熾 盛 1ノ衆生ヲタスケンガタメノ願ニテマシマス。
シカレバ本願ヲ信ゼンニハ、他ノ善モ要ニアラズ、念佛ニマサルベキ善ナキユ
ヘニ。悪ヲモオソルベカラズ、弥陀ノ本願ヲサマタグルホドノ悪ナキガユヘニ
ト、云々。
2.
オノオノ十餘ヶ国ノサカヒヲコエテ、身命ヲカヘリミズシテ、タヅネキタラシ
メタマフ御ココロザシ、ヒトヘニ往生極楽ノミチヲトヒキカンガタメナリ。シ
ほうもんとう
カルニ、念佛ヨリホカニ往生ノミチヲモ存知シ、マタ法文等ヲモシリタルラン
ト、ココロニククオボシメシテオハシマシテハンベランハ、オホキナルアヤマ
リナリ。
なんとほくれい
がくしょう
おは
モシシカラバ、南都北嶺ニモ、ユユシキ學生 タチ、オホク座セラレテサフラフ
ナレバ、カノヒトニモアヒタテマツリテ、往生ノ要ヨクヨクキカルベキナリ。
1
*至常
親鸞ニオキテハ、タダ念佛シテ弥陀ニタスケラレマヒラスベシト、ヨキヒトノ
オホセヲカブリテ、信ズルホカニ別ノ子細なきなり。念佛ハ、マコトニ浄土に
ムマルルタネニテヤハンベルラン、マタ地獄ニオツベキ業ニテヤハンベルラン、
総ジテモテ存知セザルナリ。
タトヒ、法然上人ニスカサレマヒラセテ、念佛シテ地獄ニオチタリトモ、サラ
ニ、後悔スベカラズサフラフ。ソノユエハ、自餘ノ行 2 ヲハゲミテ佛ニナルベカ
リケル身ガ、念佛ヲマウシテ地獄ニモオチテサフラハバコソ、スカサレタテマ
ツリテトイフ後悔モサフラハメ、イヅレノ行モオヨビガタキ身ナレバ、トテモ
いちじょう
地獄ハ一定 スミカゾカシ。
しゃくそん
弥陀ノ本願マコトニオハシマサバ、釈尊 ノ説教、虚言ナルべカラズ。仏説マコ
トニオハシマサバ、善導ノ御釈、虚言シタマフベカラズ。善導ノ御釈マコトナ
ラバ、法然ノオホセソラゴトナランヤ。法然ノオホセマコトナラバ、親鸞ガマ
か
ウスムネ、マタモテムナシカルベカラズサフラフ歟。詮ズルトコロ愚身ノ信心
ニオキテハ、カクノゴトシ。コノウヘハ、念仏ヲトリテ信ジタテマツラントモ、
マタステントモ、面々ノ御ハカラヒナリト、云々。
3.
善人ナヲモテ往生ヲトグ、イハンヤ悪人ヲヤ。シカルヲ世ノヒトツネニイハク、
悪人ナヲ往生ス、イカニイハンヤ善人ヲヤ3。コノ條、一旦ソノイハレアルニニ
タレドモ、本願他力ノ意趣ニソムケリ。ソノユヘハ、自力善ノヒトハ、ヒトヘ
ニ他力ヲタノムココロカケタルアヒダ、弥陀ノ本願ニアラズ。シカレドモ、自
力ノココロヲヒルガヘシテ、他力ヲタノミタテマツレバ、眞實報土ノ往生ヲト
グルナリ。煩惱具足ノワレラハ、イヅレノ行ニテモ生死ヲハカルルコトアルベ
カラザルヲアハレミタマヒテ、願ヲオコシタマフ本意、悪人成仏ノタメナレバ、
他力ヲタノミタテマツル悪人、モトモ往生ノ正因ナリ。ヨテ善人タニコソ往生
スレ、マシテ悪人ハト、オハセサフラヒキ。
4.
慈悲ニ聖道・浄土ノカハリメアリ。聖道ノ慈悲トイフハ、モノヲアハレミ、カ
ナシミ、ハグクムナリ。シカレドモ、オモフガゴトクタスケトグルコト、キハ
メテアリガタシ。4浄土ノ慈悲トイフハ、念佛シテ、イソギ佛ニナリテ、大慈大
悲心ヲモテ、オモフガゴトク衆生ヲ利益スルヲイフベキナリ。今生ニ、イカニ
イトヲシ、不便トオモフトモ、存知ノゴトクタスケガタケレバ、コノ慈悲始終
2
3
4
In orig. モ
ト。
マタ。
ナシ。シカレバ、念佛マウスノミゾ、スエトヲリタル大慈悲心ニテサフラフベ
キト、云々。
5.
親鸞ハ父母ノ孝養ノタメトテ、一返ニテモ念仏申シタルコト、イマダ候ハズ。
ソノユヱハ、一切ノ有情ハミナモツテ世々生々ノ父母・兄弟ナリ。イヅレモ、
コノ順次生ニ仏ニ成リテタスケ候フベキナリ。ワガチカラニテハゲム善ニテモ
候ハバコソ、念仏ヲ回向シテ父母ヲモタスケ候ハメ。タダ自力ヲステテ、イソ
ギ(浄土)サトリヲヒラキナバ、六道・四生ノアヒダ、イヅレノ業苦ニシヅメ
リトモ、神通方便ヲモツテ、マヅ有縁ヲ度スベキナリト云々。
6.
専修念佛ノトモがラノ、ワが弟子、ヒトノ弟子トイフ相論ノサフラフラんコト、
モテノホカノ子細ナリ。親鸞ハ弟子一人モモタヅサフラフ。ソノユヘハ、ワが
ハカラヒニテ、ヒトニ念仏オマウサセサフラハバコソ、弟子ニテモサフラハメ、
ヒトヘニ弥陀ノ御モヨホシニアヅカテ念佛マウシサフラフヒトオ、ワが弟子ト
マウスコト、キハメタル荒涼ノコトナリ。ツクベキ縁アレバトモナヒ、ハナル
ベキ縁アレバハナルルコトノアルオモ、師オソムキテ、ヒトニツレテ念仏スレ
バ、往生スベカラザルモノナリナんドトイフコト、不可説ナリ。如来ヨリタマ
ハリタル信心オ、ワがモノがホニトリカヘサんト申スニヤ。カヘスがヘスモア
ルベカラザルコトナリ。自然ノコトハリニアヒカナハバ、仏恩オモシリ、マタ
師ノ恩オモシルベキナリト云々。
7.
念仏者ハ無碍 (旆濁) ノ一道ナリ。ソノイハレイカんトナラバ、信心ノ行者ニ
ハ天神・地祇モ敬伏シ、魔界・外道モ障碍スルコトナシ。罪悪モ業報オ感ヅル
コトアタハヅ、諸善モオヨブコトナキユエナリト云々。
8.
念仏ハ行者ノタメニ、非行・非善ナリ。ワがハカラヒニテ行ヅルニアラザレバ
非行トイフ。ワがハカラヒニテツクル善ニモアラザレバ非善トイフ。ヒトヘニ
他力ニシテ自力オハナレタルユエニ、行者ノタメニハ非行・非善ナリト云々。
9.
念仏マウシサフラヘドモ、踊躍歓喜ノココロオロソカニサフラフコト、マタイ
ソぎ浄土ヘマヒリタキココロノサフラハヌハ、イカニトサフラウベキコトニテ
サフラウヤラんト、マウシイレテサフラヒシカバ、親鸞モコノ不審アリツルニ、
唯円房オナジココロニテアリケリ。ヨクヨク案ジミレバ、天ニオドリ地ニオド
ルホドニヨロコブベキコトオ、ヨロコバヌニテ、イヨイヨ往生ハ一定オモヒタ
マフナリ。ヨロコブベキココロオオサヘテ、ヨロコバザルハ、煩悩ノ所為ナリ。
シカルニ仏カネテシロシメシテ、煩悩具足ノ凡夫トオホセラレタルコトナレバ、
他力ノ悲願ハカクノごトシ、ワレラがタメナリケリトシラレテ、イヨイヨタノ
モシクオボユルナリ。マタ浄土ヘイソぎマヒリタキココロノナクテ、イササカ
所労ノコトモアレバ、死ナんヅルヤラんトココロボソクオボユルコトモ、煩悩
ノ所為ナリ。久遠劫ヨリイママデ流転セル苦悩ノ旧里ハステがタク、イマダム
マレザル安養浄土ハコヒシカラヅサフラフコト、マコトニヨクヨク煩悩ノ興盛
ニサフラウニコソ。ナごリオシクオモヘドモ、裟婆ノ縁ツキテ、チカラナクシ
テオハルトキニ、カノ土ヘハマヒルベキナリ。イソぎマヒリタキココロナキモ
ノオ、コトニアハレミタマフナリ。コレニツケテコソ、イヨイヨ大悲大願ハタ
ノモシク、往生ハ決定ト存ジサフラヘ。踊躍歓喜ノココロモアリ、イソぎ浄土
ヘモマヒリタクサフラハんニハ、煩悩ノナキヤラんト、ア(ヤ)シクサフラヒ
ナマシト云々。
10.
念仏ニハ、無義オモテ義トス。不可稱・不可説・不可思議ノユエニト、オホセ
サフラヒキ。ソモソモカノ御在生ノムカシ、オナジココロザシニシテ、アユミ
オ遼遠ノ洛陽ニハげマシ、信オヒトツニシテ、心オ当来ノ報土ニカケシトモが
ラハ、同時ニ御意趣オウケタマハリシカドモ、ソノヒトビトニトモナヒテ念仏
マウサルル老若、ソノカヅオシラヅオハシマスナカニ、上人(親鸞)ノオホセ
ニアラザル異義トモオ、近来ハオホクオホセラレアフテサフラフヨシ、ツタヘ
ウケタマハル。イハレナキ条々ノ子細ノコト。
11.
一文不通ノトモがラノ念仏マウスニアフテ、ナんジハ誓願不思議オ信ジテ念仏
マウスカ、マタ名号不思議オ信ヅルカト、イヒオドロカシテ、フタツノ不思議
ノ子細オモ分明ニイヒヒラカヅシテ、ヒトノココロオマドハスコト、コノ条、
カヘスがヘスモココロオトドメテ、オモヒワクベキコトナリ。
誓願ノ不思議ニヨリテ、ヤスクタモチ、トナヘヤスキ名号オ案ジイダシタマヒ
テ、コノ名字オトナヘんモノオ、ムカヘトラんト御約束アルコトナレバ、マヅ
弥陀ノ大悲大願ノ不思議ニタスケラレマイラセテ、生死オイヅベシト信ジテ、
念仏ノマウサルルモ、如来ノ御ハカラヒナリトオモヘバ、スコシモミヅカラノ
ハカラヒマジハラザルがユヘニ、本願ニ相応シテ実報土ニ往生スルナリ。コレ
ハ誓願ノ不思議オムネト信ジタテマツレバ、名号ノ不思議モ具足シテ、誓願名
号ノ不思議ヒトツニシテ、サラニコトナルコトナキナリ。ツぎニミヅカラノハ
カラヒオサシハサミテ、善悪ノフタツニツキテ、往生ノタスケサハリ、二様ニ
オモフハ、誓願ノ不思議オバタノマヅシテ、ワがココロニ往生ノ業オハげミテ、
マウストコロノ念仏オモ、自行ニナスナリ。コノヒトハ名号ノ不思議オモマタ
信ゼザルナリ。信ゼザレドモ、辺地・懈慢・疑城・胎宮ニモ往生シテ、果遂ノ
願(第二十願)ノユヘニチニ報土ニ生ヅルハ、名号不思議ノチカラナリ。コレ
スナハチ、誓願不思議ノユヘナレバ、タダヒトツナルベジ。
B. 禅
道元禅師
1.正法眼蔵生死
生死のなかに佛あれば、生死なし。またいはく、生死のなかに佛なければ、生
死にまどはず。こころは夾山・定山といはれし、ふたりの禪師のことばなり。
得道の人のことばなれば、さだめてむなしくまうけじ。生死をはなれんとおも
はむ人、まさにこのむねをあきらむべし。もし人、生死のほかにほとけをもと
むれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんと
するがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなへり。
ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃とし
てねがふべきもなし。このときはじめて、生死をはなるる分あり。生より死に
うつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すで
にさきありのちあり、かるがゆゑに佛法のなかには、生すなはち不生といふ。
滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち
不滅といふ。生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふときは、滅
のほかにものなし。かるがゆゑに生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅
にむかひてつかふべしといふことなかれ、ながふことなかれ。
この生死は、すなはち佛の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すな
はち佛の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれ
ば、これも佛の御いのちをうしなふなり。佛のありさまをとどむるなり。いと
ふことなく、したふことなき、このときはじめて、佛のこころにいる。ただし
心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心
をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなはれて、
これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、
生死をはなれ佛となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。
佛となるにいとやすきみちあり、もろもろの悪をつくらず、生死に著するここ
ろなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあ
はれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふこころなくて、心におもふことな
く、うれふることなき、これを佛となづく。またほかにたづぬることなかれ。
2.正法眼藏辦道話
諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。
これたゞ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、
その標準なり。
この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人々の分上にゆ
たかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるには
うることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならむや。かたればくちにみ
つ、縦横きはまりなし。諸仏のつねにこのなかに住持たる、各々の方面に知覚
をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各々の知覚に方面あら
はれず。
いまをしふる功夫_(ベン)道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずる
なり。その超関脱落のとき、この節目にかゝはらむや。
予、発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建
仁の全公をみる。あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり。いさゝか臨済の
家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の仏法を正伝せり。
あへて余輩のならぶべきにあらず。
予、かさねて大宋国におもむき、知識を両浙にとぶらひ、家風を五門にきく。
つひに太白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事こゝにをはりぬ。それよりの
ち、大宋紹定のはじめ、本郷にかへりしすなはち、弘法救生をおもひとせり。
なほ重担をかたにおけるがごとし。
しかあるに、弘通のこゝろを放下せむ激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊
萍寄して、まさに先哲の風をきこえむとす。たゞし、おのづから名利にかゝは
らず、道念をさきとせん真実の参学あらむか、いたづらに邪師にまどはされて、
みだりに正解をおほひ、むなしく自狂にゑうて、ひさしく迷郷にしづまん、な
にによりてか般若の正種を長じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこと
とすれば、いづれの山川をかとぶらはむ。これをあはれむゆゑに、まのあたり
大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて、
参学閑道の人にのこして、仏家の正法をしらしめんとす。これ真訣ならむかも。
3.正法眼蔵現成公案
法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、 佛あ
り、衆生あり。萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、 佛
なく衆生なく、生なく滅なし。佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あ
り、迷悟あり、生佛あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にち
り、草は棄嫌におふるのみなり。自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬
法すすみて自己を修證するはさとりなり。迷を大悟するは 佛なり、悟に大迷
なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。 佛のま
さしく 佛なるときは、自己は 佛なりと覺知することをもちゐず。しかあれ
ども證佛なり、佛を證しもてゆく。身心を擧して色を見取し、身心を擧して聲
を聽取するに、したしく會取すれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、
水と月とのごとくにあらず。一方を證するときは一方はくらし。佛道をならふ
といふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自
己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、
自己の身心および他己の身心をして 落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、
休歇なる悟迹を長長出ならしむ。人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法
の邊際を離却せり。法すでにおのれに正傳するとき、すみやかに本分人なり。
人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。
目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を亂想して萬
法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくし
て箇裏に歸すれば、萬法のわれにあらぬ道理あきらけし。
たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、
灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さ
きありのちあり。前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、
のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるが
ごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるとい
はざるは、佛法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にな
らざる、法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくら
ゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となると
おもはず、春の夏となるといはぬなり。
人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろく
おほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露に
もやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがた
ざるがごとし。人のさとりを 礙せざること、滴露の天月を 礙せざるがごと
し。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を 點し、天
月の廣狹を辨取すべし。
身心に法いまだ參 せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足
すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとへば、船にのりて山なき海中
にいでて四方をみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることな
し。しかあれど、この大海、まろなるにあらず、方なるにあらず、のこれる海
つくすべからざるなり。宮殿のごとし、瓔珞のごとし。ただわがまなこのおよ
ぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく、萬法またしかあり。
塵中格外、おほく樣子を帶せりといへども、參學眼力のおよぶばかりを見取會
取するなり。萬法の家風をきかんには、方圓とみゆるほかに、のこりの海 山
おほくきはまりなく、よもの世界あることをしるべし。かたはらのみかくのご
とくあるにあらず、直下も一滴もしかあるとしるべし。
うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそ
らのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれ
ず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭
頭に邊際をつくさずといふ事なく、處處に踏 せずといふことなしといへども、
鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。
以水爲命しりぬべし、以空爲命しりぬべし。以鳥爲命あり、以魚爲命あり。以
命爲鳥なるべし、以命爲魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修證あり、
その壽者命者あること、かくのごとし。
しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚
あらんは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。このとこ
ろをうれば、この行李したがひて現成公案す。このみちをうれば、この行李し
たがひて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自に
あらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑにか
くのごとくあるなり。
しかあるがごとく、人もし佛道を修證するに、得一法、通一法なり、遇一行、
修一行なり。これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきはのしる
からざるは、このしることの、佛法の究盡と同生し、同參するゆゑにしかある
なり。得處かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことな
かれ。證究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも現成にあらず、見
成これ何必なり。
浴山寶徹禪師、あふぎをつかふちなみに、 きたりてとふ、風性常住無處不
周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。
師いはく、なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずと
いふことなき道理をしらずと。
いはく、いかならんかこれ無處不周底の道理。
ときに、師、あふぎをつかふのみなり。
、禮拜す。
佛法の證驗、正傳の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべか
らず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもし
らぬなり。風性は常住なるがゆゑに、佛家の風は、大地の黄金なるを現成せし
め、長河の蘇酪を參熟せり。
建長壬子拾勒