「ポケットモンスター」にみる企業間関係の考察 1.はじめに 2.ポケモンの

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「ポケットモンスター」にみる企業間関係の考察
チーム 11 遠藤弘樹・齋藤正宏・佐久間啓臣
中井雅章・吉岡慎太郎
1.はじめに
ポケットモンスター(以下「ポケモン」と略す。)といえば、今や海外においても知らな
い人の方が少ないであろう。
任天堂の携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」向けに発売されたこのゲームソフトの販売本
数は、1996 年 2 月に発売された「赤」「緑」に、その後の「青」「ピカチュウ」「金」「銀」
「クリスタルバージョン」を加えた 7 種類で、2001 年には国内約 2,260 万本、海外約 4,000
万本の計 6,260 万本に達した模様である。また、1996 年 10 月に発売されたカードゲームは、
世界 10 カ国語に翻訳され、これまでに 120 億枚以上が出荷されている。テレビアニメのシ
リーズも世界 62 カ国で放映されて人気を博している。さらに、映画に関しても、国内にお
ける 3 作合計の興行収入は 180 億円を超えており、海外でも世界 45 カ国において、1 作目
が約 204 億円、2 作目も約 94 億 8,000 万円を稼ぎ出したようである。加えて、これらゲー
ムソフトやカードゲーム、映画を除いた関連キャラクター商品の売上が、国内だけでも累
計 7,000 億円以上に及ぶといわれている。(降旗, 2001, p.146)
日本で成功したソフト・コンテンツが海外に輸出されるケースはこれまでにもいくつか
あった。しかし、このポケモンほど、ひとつのキャラクターがこれほど大規模に、しかも
短期間に世界中に広まった例は他にはない。あのミッキーマウスでも、現在のような世界
的人気を得るには 70 年以上もの歳月を要している。
今後、ポケモンがミッキーマウスのように世界的な長寿キャラクターになるか否かは、
現時点では推測の域を出ないものの、そのビジネスとしての驚異的な規模とその広がりの
速さが、昨今のキャラクタービジネス業界に大きなインパクトを与えたことは間違いない
事実であろう。
そこで、このポケモンが如何にして誕生し、そしてどのようにして日本のみならず世界
をドメインとした大規模なキャラクタービジネスとして成功していったのかを考察するこ
ととしたい。
2.ポケモンの誕生
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1)ゲームクリエイター・田尻智の存在
ポケモンの開発は、1990 年秋にゲームソフト開発会社の㈱ゲームフリークを率いる田
尻智(当時 25 歳)が、そのアイデアを携えて任天堂の東京支店を訪ねた時に始まる。
田尻は 1965 年に東京都で生まれるが、中学校時代にアーケードゲームの不滅のベスト
セラー「スペースインベーダー」に興味を持ったのがきっかけとなりゲームセンター通い
を始め、瞬く間にスタープレーヤーとなってしまう。しかし、探究心が旺盛な田尻は、単
なるゲームマニアには留まらなかった。自身が習得したテクニックを媒介に他者と対話す
ることを志し、高校時代の 1982 年にはゲーム攻略本の草分け的存在の「ゲームフリーク」
を創刊する。ところが、1983 年に発売された任天堂のゲームハード機「ファミリーコン
ピューター(ファミコン)」が火付け役となって、ゲームの主戦場がゲームセンターから
家庭へと移ってしまったことにより、ゲームライターとしての田尻の役目は終焉を向える
ことになる。
斯くして、ゲーム作りへと舵を切った田尻であったが、3 年後の 1989 年には早くも、1
作目となる「クインティ」を発表している。このソフトは、任天堂のファミコン向けのア
クションゲームで、20 万本が販売され、中規模のヒット商品となった。
そして、この時期に田尻は自身の会社である㈱ゲームフリーク(1989 年 4 月設立)を立
ち上げることになるのだが、時を同じくして任天堂から画期的なゲームハード機が発売さ
れることになる。これが、後にポケモンを生むことになる携帯用ゲーム機のゲームボーイ
であった。
この時、田尻はこのゲームボーイに装備された通信機能に注目したが、一般に考えられ
ていたその使われ方に疑問をもつことになる。そして、通信ケーブルで出来ることは「対
戦」以外にもあるのではないかと考え、閃いたのが「データの交換」であった。それは、
これまでのゲームソフトの世界には全くなかったコンセプトとアイデアであったようで
ある。そこで田尻は、このデータ交換のアイデアを生かすべく、ゲームボーイ用ロール・
プレイング・ゲームとしてのポケモンの企画書を書き上げることになるのである。
2)ゲームプロデューサー・石原恒和の存在
「ゲーム業界は天才に頼る業界である。」と認識していた任天堂は、天才ゲームクリエ
イターに知恵と技術と資金を出す為の受け皿が必要と考え、ソフトハウスの㈱エイプを設
立する。この時に、パートナーとしてコピーライターの糸井重里が起用されたことにより、
糸井人脈のゲームプロデューサーの石原恒和も同社に出入りするようになる。そして、こ
の石原が後に任天堂からの要請を受け、1991 年には副社長として同社に加わるのである。
なお、このエイプに設立準備から関与し、同社のマネージャーを務めたのは、任天堂の当
時総務部総務課長の川口孝司であった。
石原は 1957 年に三重県で生まれるが、社会人となってからはCGビジネスに興味を持
ちつつ広告業界に身を置き、コンピューターソフトの開発やテレビ番組のプロディースを
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手掛けていた。このテレビプロデューサー時代に、石原は番組を通して田尻と出会うこと
になり、それ以降、両者は様々な事柄について議論したり相談し合ったりするようになる。
ちなみに、この時代に石原が成し遂げた最大の業績は、
「電視遊戯大全〜テレビゲーム」
(1988 年発行)の出版である。(畠山, 2000, p.83)これは、空前絶後のテレビゲーム全書
であり、石原は、このプロジェクトの総監督として企画から完成まで指揮を執っている。
そして、この頃には既に、「日本屈指のテレビゲーム業界通」といわれる存在になってい
たようである。
3)開発体制
1990 年秋に田尻がそのアイデアを携えて任天堂の東京支店を訪ねるが、その時に応対
したのが、エイプに出入りしていた石原と任天堂の川口であった。この時、2 台のゲーム
ボーイを結ぶ通信ケーブルを使ってゲームの中のキャラクターを交換するというポケモ
ンの基本コンセプトを聞いた両者は、大ヒットを直感したという。そして、川口は直ぐに
任天堂本社に対し、田尻の企画を採用したいと報告している。一方、新作ゲームソフトを
模索していた任天堂にとっても、このアイデアは非常に魅力的であったようで、ゲーム自
体の内容がまだ愕然としたものであったにもかかわらず、同社は早々にこの企画に対する
開発費の支出を決定したとのことである。このようにして、ポケモンの開発は本格的に始
動することになった。
ポケモンの開発体制については、任天堂の川口とエイプの石原、ゲームフリークの田尻
の 3 者が中心的な役割を担うことになる。川口は任天堂を代表して法務の面から開発の進
行を見守り、石原は現場でプロダクション・マネージャーとして開発に関わり、田尻は直
接的には石原の下でディレクターとしてゲームをデザインしていくという役割分担が構
築された。一般的にゲームソフトの開発においては、ソフトメーカーがゲームのハード機
メーカーから開発の委託を受け、契約を交わした上で実際の開発に着手するという体制が
採られるが、このポケモン開発の際も同様で、まず 3 社間において開発委託契約が結ばれ
ている。具体的には、任天堂がエイプと開発委託契約を結び、エイプが更にゲームフリー
クと開発委託契約を結ぶという形態であったようである。
(畠山, 2000, p.102)
また、開発委託契約には通常、開発期間についても明記されるが、当時のゲームボーイ
用ソフトの場合は 1 年〜1 年半が一般的であったという。そして、このポケモンについて
も開発期間は 1 年間ということで、当初は 1991 年末を納期とすることになっていたよう
である。
ところが、このポケモンについては、その契約期限になっても一向に完成する気配はな
く、期限が迫る度に開発委託契約が更新され、開発期間は大幅に延長され続けたのである。
これ程までにポケモンの開発が遅延した理由は、開発チームにロール・プレイング・ゲーム
を創るノウハウが欠けていたことと、田尻のコンセプト自体が、それを形にするには、ま
だアンニュイなのもであった為といわれている。このように一時期、ポケモンの開発は
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遅々として進まなかった。そして、ついにはエイプ自体にも、ポケモンの開発を続行する
意思や体制がなくなっていったようである。
そのような危機的状況の最中、1994 年に石原がエイプから独立し、ゲームソフト会社
の㈱クリチャーズを設立する。そして、これによりポケモンの開発も転機を迎えることと
なる。ゲームフリークとエイプ間の開発委託契約が解除され、ゲームフリークとクリチャ
ーズ間で新たな開発委託契約が締結されたのである。
斯くして、再スタートを切ったポケモン開発であったが、それが一応の完成を見たのは
1995 年春であった。プロジェクトの開始から数えると、実に約 6 年の歳月が流れたとい
うことになる。さらに、完成したソフトに不具合がないかを確かめるデバック作業にも、
さらに 8 ヶ月を要している。そして、当初の予定から大幅に遅れた 1996 年 2 月 27 日、つ
いにポケモンは発売されることになったのである。
3.ポケモンビジネスの市場規模
次に数字の面から、ポケモンビジネスの概要を考えてみる。まず、
「ポケットモンスター」
というキャラクターは本当に人気があるのかどうかに関して、2002 年キャラクター人気調
査の結果を以下に示す。
1
ハローキティ
11.09%
2
くまのプーさん
8.53%
3
ポケットモンスター
7.59%
4
とっとこハム太郎
6.51%
5
ミッキーマウス
5.25%
6
遊☆戯☆王デュエルモンスターズ
4.22%
7
ミッフィー
3.55%
8
それいけ!アンパンマン
3.29%
9
スヌーピー
2.36%
10
ドラえもん
2.26%
出所:株式会社キャラクターデータバンク 『CharaBiz DATA① 2002』
表3−1
キャラクター人気調査結果
1999 年度の同調査において、ポケットモンスターはハローキティに続いて第 2 位であっ
た。2 年前の調査に引き続き、2001 年調査においても第 3 位を維持できるということは「ポ
ケットモンスター」というキャラクターが安定した人気を持っていることを示している。
これは国内のみの調査結果であるが、「Pokemon」は海外においても非常に人気の高いキャ
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ラクターである。
この表においてもう一つ重要なことは、サンリオ、ディズニーというキャラクター界の
巨人を除けば、上位 3 位に入るのは「ポケットモンスター」、「とっとこハム太郎」、「遊☆
戯☆王デュエルモンスターズ」の 3 キャラクターである。これら 3 つに共通する点はすべ
て「メディアミックス」を中心としたキャラクターマーケティングを行っていることであ
る。「メディアミックス」というマーケティング戦略については、後に詳しく触れることと
する。ポケットモンスターで初めて試行されたこのマーケティング方法は、現在ではもっ
とも有力なマーケティング手法の一つとして広く受け入れられている。この表は図らずも
「メディアミックス」という手法の威力を示すものとなっている。
では、実際にポケットモンスターというキャラクターでどれほどのビジネスが生まれて
いるのかについて考えてみる。
現在、ポケットモンスターのライセンスは「株式会社ポケモン」という会社によってコ
ントロールされている。この株式会社ポケモンの企業概要は以下の通りである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
商 号
株式会社ポケモン
資本金
365,400 千円
従業員
85 名
設 立
平成 10 年 4 月
得意先
店頭顧客,トミー,バンダイ,ヤマグチ,アジオカ
系 列
任天堂
代表者
石原 恒和(イシハラ ツネカズ)
*****業績 2 期*****
決算期
平成 14 年 2 月
平成 13 年 2 月
売上高
9,420,000 千円
3,630,000 千円
申告所得
1,255,496 千円
300,290 千円
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
株式会社ポケモンは、前に触れたポケモン誕生の功労者の一人である石原恒和氏によっ
て率いられている。売上高、申告所得ともに 200%以上の急速な成長を示しており、ポケモ
ンはキャラクターとしてまだまだ生き続けていることを示している。平成 14 年 2 月期の売
上のうち、約 50%はポケモンのライセンス関連の収入であり、残りの半分はポケモンセンタ
ーなどにおける物販の売上高である。ライセンス関連の収入に関しては、ライセンス管理
以外のコストはかからないため、利益率は非常に高い。このライセンス収入が売上高の約
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半分を占めるため、売上高純利益率は平成 14 年 2 月期において 13.3%と非常に高い利益率
を示している。
株式会社ポケモンの業績はポケモンビジネスの規模を知る上で有用な資料であるが、実
際にポケモンビジネスは複雑なライセンス関係が存在し、非常に多くの企業が関係してい
る。そのため、株式会社ポケモンの規模がそのままポケモンビジネス全体であると言うこ
とはできない。そこで、実際にポケモンビジネス全体がどれほどの規模なのかを限られた
資料から推測してみる。
1999 年度 2000 年度 2001 年度
キャラクターグッズ
2,070,000
1,660,000
1,630,000
2002 年度
4.7 ㈱ポケモン
市場規模
ポケモン シェア
ライセンス収入
16.68%
12.14%
7.58%
商品上代
(推定)
ポケモングッズ
(単位:百万円)
345,276
201,524
の 3%
123,717
ポケモン
ライセンス料
157,000 ポケモングッズ
市場規模
市場規模
(Source: CharaBiz DATA① 2002)
表3−2
ポケモンビジネスの市場規模の推測
上記表は国内に限定したポケモングッズ全体の市場規模を推定したものである。1999 年
度から 2001 年度についてはキャラクターグッズ市場規模にポケットモンスターのシェアを
掛け合わせて市場規模を推測したものであるが、2000 年度のポケモンシェアは情報がなか
ったため、シェアは 1999 年から 2001 年にかけて直線的に推移していると仮定した。2002
年度については株式会社ポケモンのライセンス収入からグッズ販売量を推定しようとした。
国内のポケモングッズはすべて株式会社ポケモンの承認を得ていると仮定し、またすべて
の商品は定価で販売されたと仮定している。
このデータによると、1999 年から 2002 年までのポケモングッズ市場規模だけを考えても
8,000 億以上となる。ポケモン人気は 1999 年が頂点であったと言われているが、1998 年以
前にもある程度の市場はあったはずである。また、2003 年になり、ポケモン人気は再浮上
しているという説もある。このようなことから考えると、国内のポケモングッズ市場だけ
を考えたとしても、累計で 1 兆円を越えているのではないかと推測できる。
また、国内にはグッズ販売以外のマーケットも存在する。それは、ゲーム、雑誌、テレ
ビ、映画などである。2000 年における国内のポケモンビジネスの規模は約 4,000 億円あっ
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たと言われている。これはつまり、2000 年におけるグッズ販売の市場規模とそれ以外の市
場規模がほぼ同額程度あったということを示している。2003 年度においても「ポケットモ
ンスター
七夜の願い星
ジラーチ」が公開されるなど、グッズ販売以外の動きは活発で
ある。国内ではグッズ販売に加え、それ以外の分野においても非常に大きなマーケットが
存在することが推測できる。
さらに、ポケットモンスターというキャラクターは「Pokemon」という名前で海外に展開
している。海外のポケモンビジネスは 2000 年において約 2,000 億円であったと言われる。
海外における「Pokemon」人気は国内に匹敵するものであり、2000 年以降も海外の市場規
模は成長していることが予想される。ニューヨークのロックフェラーセンターにポケモン
センターがオープンするなど話題性もあり、今後も成長を続けていくであろう。ポケモン
は日本のキャラクターから世界の「Pokemon」へと進化している。
このように、ポケモンビジネスの市場規模は既に「数兆円」という単位にまで拡大して
いる。ポケモンというキャラクターが世の中に出てから、このような規模に成長するまで
に十数年しかかかっていない。これほどの急成長には、綿密に練られた戦略が存在する。
その戦略がどのようなものであったのかを見ていくこととする。
4.ポケモンに見るメディアミックスの仕組みについて
図4−1に示すようにポケモンは任天堂が発売したゲームソフトである。このゲームソ
フトのキャラクター及びゲームストーリ設定などはソフトメーカのゲームフリークとプロ
デュース役のクリーチャーズが手がけた。ポケモンはキャラクター数が当初でも 150 種類
もあり、非常にスケールの大きなゲームであり、ビジネスとしてもスケールの大きなもの
となった。
このゲームを小学館が漫画に仕立てて、少年雑誌「コロコロコミック」等で連載を開始
した。メディアミックス展開をリードしたのは小学館と、版権管理窓口の小学館プロダク
ションである。小学館がプロデューサとして、メディア展開から商品開発・販売までビジ
ネス全体を統括している。
たとえば、ポケモンがヒットしてしばらく幻のモケモンが話題となった。これはある特
別なキー操作をすると 150 種類しかいないはずのポケモンの 151 番目としてミューという
ポケモンが現れる。これは、あるプログラマーが仕掛けたものであるが原作者も知らない
ことでありソフトは改良され特定の操作をしてもミューが現れないようにされた。しかし
ながらうわさがうわさを呼び大変な反響となり、小学館でミューをプレゼントするイベン
トを実施し、100 人に対してなんと募集が 8 万人あったことよりもゲームと漫画と出版媒体
が結びつき情報の伝達が効果的に行われたメディアミックスの例としてあげられる。
ゲームと漫画のヒットを受けて 1 年後の 97 年 4 月からはテレビ・アニメの放映が始ま
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った。小学館とパイプのあった広告代理店の JR 東日本企画が制作、テレビ東京で放映され
た。
任天堂、クリーチャーズ、ゲームフリークの原作者集団 3 社に加え、小学館、JR 東日本
企画、テレビ東京の 6 社がポケモンの版権を共有している。なかでも小学館にはライセン
スを与える権利であるマスターライセンス権が付与されており、ポケモンのキャラクター
商品は小学館プロダクションが主催する監修者会議で最終決定される。
ライセンスを受けて商品を作る企業は100近くあり、契約は 1 年単位で、単にヒット
に便乗しようとする企業は排除され、真剣な商品作りで子供の心を捉えると考えられる商
品のみライセンス権が与えられる。この厳格なライセンス管理は、作品そのものへの支持
を高め、ひいてはロングセラー化する要因になると考えているからである。
ライセンス料は3%と推定されており、これらの版権を共有する 6 社でシェアしあって
いる。
さらに厳格な基準で商品化されたポケモン商品を集め、情報発信する拠点として「ポケ
モンセンター」が 98 年に(株)ポケモンの運営によってオープンした。さらに三井物産が強
力し、「ポケセンオンライン」というインターネット・サイトもオープンし三井物産が出資
する AOL ジャパンの目玉サイトになっている。
このようにゲーム、従来のメディア(出版、TV、映画等)にくわえてさらにインターネ
ット等の新しいメディアをも加えてメディアミックス展開はさらに発展して展開されてい
ると評価される。
ゲーム製作
プロデュース
ゲームフリーク
クリーチャーズ
出版メディアミックスプロデューサ
小学館 小学館プロダクション(版権管理)
アニメ製作
放送
JR東日本企画
テレビ東京
図4−1
ポケモンメディアミックスの仕組み
商品企画・
情報発信拠点
ポケンモン・
センター
任天堂
原作者集団
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5.海外での展開
ポケモンビジネスの海外での実績を見ると、2001 年まででゲームソフトが 4000 万本、
カードゲームが 10 カ国語に翻訳され 120 億枚、アニメ放映 62 カ国、映画 2 作が 45 カ国
で 300 億円と、大きな市場を形成してきたと言える。
ポケモンの海外進出は、当初から意図されていたものではない。日本での各種メディア
での成功が海外への進出を導き出したと言える。そして、その中核となる戦略は、日本同
様に「メディアミックス」であり、それをコントロールするための「ライセンス集約化」
が大きな要素であったと言える。
まず、海外展開の系譜について、アニメ・映画を中心に主なものを取り上げる。この他
にもカードゲームや各種グッズを展開している。
1998 年9月
【アメリカ】テレビアニメ放映(地方111局)
1998 年 11 月
【香港・台湾】テレビアニメ放映
1999 年2月
【アメリカ】テレビアニメ全国ネット放映
1999 年6月
【アメリカ】ゲームボーイソフト発売「POKeMON ピンボール」
1999 年9月
【独・仏・蘭・ベルギー・ギリシャ・オーストリア】テレビアニメ放映
1999 年 11 月
【アメリカ】映画全米公開
2000 年1月
【イタリア】テレビアニメ放映
2000 年2月
【香港・台湾】映画公開
2000 年4月
【仏・ベルギー】映画公開
2000 年7月
【アメリカ】映画第2弾公開
本格的な海外展開の端緒となったのは、アメリカでのテレビ放送であった。地方局への
の展開は、やはり当初から意図したものではなかったが、結果としてアメリカの全世帯の
90%をカバーすることができ、人気を博した後に全国ネットでの放映が可能となった。
テレビでの成功のために、事前のプロモーション活動はもちろん、放映内容の面でも従来
の日本産キャラクタービジネスでは異例なほどにアメリカ流にカスタマイズしている。こ
れが、「ローカライズ」というキーワードでくくられる、成功要因の一つである。具体的
には、キャラクターの名称やストーリー性について、アメリカ向けに詳細に検討されてい
る(ローカライズはアメリカ以外の海外でも徹底して行われている)
。また、ローカライ
ズは、テレビに限らず、ゲームや映画等、全てにわたって行われている。
テレビで認知を得てすぐに、テレビゲーム、カードゲーム、グッズ類、映画、新聞の4
コマ漫画等へ、五月雨式に展開されている。重要なことは、これらが初めに意図されてい
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たということである。テレビでの認知をベースにゲームを当て、キャラクターが浸透した
段階で各種グッズ等のその他メディアに展開する。これらのメディアミックスを短期間で
行うことで、ブームを盛り上げることにもつながっている。そして、これは導入時の戦略
としてだけでなく、ブームを持続させる上でも相乗効果を意図した展開を行っている。特
にテレビゲームやカードゲーム、関連グッズにおいては、日本においてと同様にキャラク
ターの収集意欲に働きかけ、それを通じたコミュニケーションの醸成をコンセプトとし、
市場の広がりを図った。
次に、アメリカで成功した要因を、企業間提携の観点で考察する。
小学館プロダクション
マスターラインセンス権
(日本・アジア以外)の付与
海外(日本・アジア以外)での
ライセンスの一元化
米国任天堂(NOA)
ライセンスの一元化でメディア
ミックス戦略をとりやすくした
マスターライセンス付与
4 Kid’s Entertainment
米国でのポケモン関連ビジネ
スを展開するエージェント
ライセンシー(各種メディア)
図5−1
アメリカにおける提携関係
上図は、アメリカでのマスターライセンスを中心とする提携関係を説明している。
既に述べたとおり、アメリカでキャラクタービジネスを展開する上で、メディアミック
ス戦略を構築することを前提としたが、アメリカ市場は日本よりも遙かに大きく、キャラ
クターの認知・浸透に時間がかかる。その過程で、展開するメディア個々の位置づけが体
系化されていなければ、相乗効果を望めず、キャラクターイメージも統一することが困難
になり、結果として混乱を招くリスクが大きい。
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以上のことは、構図としては日本での展開と同様であり、ライセンスを手段として各種
メディアを一元的にコントロールする機能が必要であると関係者は認識していた。さらに、
アメリカ市場の大きさを考慮すると、完全な一元化が望ましいと考えられた。結果として、
アメリカだけでなく、日本とアジア以外の海外展開は、NOA(米国任天堂)に一元化す
ることができた。これが可能であったのは、日本でのメディア別ライセンス所有者を調整
し、小学館プロダクションが海外でのマスターライセンス権を集約できたことが大きい。
単なる利害に基づく調整だけでなく、ポケモンを大きく育てるという、事業家としての夢
がレバレッジになった面もあったのではないか。
また、NOA内部においても、意思決定の集権化が図られ、放散しやすい多メディア展
開の戦略を適切にコントロールする上で有効に機能した。NOAの商品開発担当副社長で
あったゲイル・ティルデンがポケモンプロジェクトのリーダーとなり、エージェントであ
る 4 Kid
s Entertainment グループが各種メディアに対する窓口となって、ティルデン
と 4 Kid
s Entertainment が協調してメディア展開を図っていった。
以上の仕組みより、日本に類似した形でライセンスのコントロール機能を集約している
が、日本よりも関与する主体をさらに統合し、コントロール機能を強めているのが海外展
開での特徴であった。これにより、当初より意図していたメディアミックスが適切且つ速
いスピードで行うことができ、ブームを一気に盛り上げることに成功したと言える。
6.「ポケモン」の今後と課題
6‐1 「ポケモン」の成功要因
ここまでに考察してきたように、
「ポケモン」というキャラクタービジネスは、そこに複数の企業が参加するという複雑か
つ特異な形態であったにもかかわらず、日本のみならず、世界史上においてもかつてない
ほどの成功を収めている。それは、90 年代に誕生し、21 世紀に入った現在も衰えを見せな
い。
その成功の要因としては、
○キャラクター創出における2人の天才の存在と、それを受け入れることの出来た環境
○ 複数企業によるメディアミックス戦略の成功
○ 複数企業の参加によるシナジー効果
○ 複数企業による複雑化を回避するライセンスの管理手法
○ 厳格なライセンス管理による作品の質の向上・ブランドアイデンティティの確立
・・・・・・等が挙げられる。
では、21 世紀に突入した現在もキャラクター史上、世界的に特筆すべき人気を維持して
いる「ポケモン」であるが、果たして、今後もこのブームは継続していくのであろうか?
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キャラクタ−というビジネスには一方でもろさも共存する。国内外を問わず、これまでに
も大きなヒットを飛ばしておきながら、一時的なブームが去り、あっという間に消滅して
いったキャラクターは枚挙に暇がない。「ポケモン」のこの圧倒的な人気でさえ、キャラク
ター人気を維持する努力を怠れば、一気に芥の如く消えていった他のキャラクター達と同
じ道を辿る可能性は高い。
国内では「サザエさん」「ドラえもん」「キティちゃん」等のロングセラーの国民的キャ
ラクター達と、世界に目を向ければ、
「ディズニー」や「スヌーピー」等のキャラクターが、
数十年(ドラえもんで約 30 年、ディズニーはなんと約 70 年の長期に亘る)経た現在でも
衰退をみせず、ビジネスとして君臨しているのである。
果たして、これらのキャラクターが永年に亘り、永続してきた理由はなんであろうか?
ディズニーが 70 年かかって成し遂げてきた世界的キャラクタービジネスを、ポケモンは
僅か 10 年で成し遂げてしまった。今後の「ポケモン」のキャラクターとしての永続を考慮
するならば、必ず、ディズニーのビジネス形態との比較が必要であろう。
6−2
「ブランド」の一元管理へ
両者の最大の相違点は、
「ディズニーはディズニープロダクションがブランドを一元管理
している」のに対し、「ポケモンは複数の企業の集合体(コングロマリット)である」とい
う点であった。そもそもは、複数の企業が版権を所有していた為、それによっていい形で
各社のキャラクタービジネスへの参加意欲を促し、それが「複数企業によるメディアミッ
クスの成功」という好結果に繋がったのである。複数企業により一般には複雑化しがちな
権利関係を、合議という管理手法で回避しつつ、「ポケモン」というキャラクターは発展し
てきたわけであり、今後、かくのごとく巨大に成長したキャラクターが、複数企業によっ
て如何に運営なされていくのかが「壮大な実験」として、世界的にも注目されようとして
きたのである。
しかしながら、ここに至り、2000 年 9 月、任天堂、クリ−チャーズ、ゲームフリークの
3 社は、共同出資会社「㈱ポケモン」(TPC)を設立し、これまで複数の「ポケモン」と
いう関連商品のブランドの一元管理を始めることとなった。原著作権者の原著作権を含む
ポケモン関連の権利一切を統合的にマネジメントする目的で、いわば巨大化したキャラク
ターブランドの管理の為の統合戦略会社が改めて設立されたのである。世界中から日本に
還流するポケモン関連のライセンス使用料が全て、TPCの収入となる。従前においては、
複数企業のコングロマリットの合議で運営されてきた「ポケモン」というキャラクタービ
ジネスであったが、これにより、より一元的に効率化された経営管理の元におかれ、世界
戦略を見据えた運営に転換することになる。
いわば、これは、現在、ディズニー社のブランド管理の方法や、「ルイ・ヴィトン」がG
R企業内で、1 社でのブランド一元管理の運営方法を貫いている方式に近づいたことになる。
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「巨大化し過ぎたブランドをどう管理していくのか?」・・・・・・それは今後も模索され続
けていく問題である。
6‐3 キャラクターの人気の維持
キャラクターの人気の維持には何が必要であろうか?前述したように、人気の維持には
相当の注力が必要とされるが、永続性を持って数十年に亘り人気を保持するキャラクター
はほんの僅かである。それらのキャラクタービジネスに共通しているのは、「キャラクター
の存続のために、キャラクターの『存在感』の保持に成功している」という事実である。
ドラえもんは毎週放映されるテレビアニメ番組の中で生きている。ミッキーマウスはデ
ィズニーランドに行けばいつでも会える(かの地には、ToonTown という彼等の住む街と住
み家さえ築かれており、毎年、彼等は誕生日を祝われているのである!)。スヌーピーは毎
朝、新聞を開けると会える。キティちゃんはピューロランドに行けば会える。そういった
「彼等があたかも生きているかのような『存在感』を背景に消費者は商品を購入する」の
である。その『存在感』・・・この世に、我々とともに同じ空気を吸って生きているのだ、と
いう実感・・・を喪失したとき、少しでも疑われたとき、キャラクターはその求心力を急速に
失っていく。
主要キャラクターの比較表
キャラクター
メディアミック ブランド管理
存在場所
スの有無
キャラクターが永続
的に創造されていく
ビジネスモデル
ポケモン
◎
○
○
○
ディズニー
○
◎
◎
◎
スヌーピー
×
○
△→×
△→×
キティ
×
○
○→△
○
かつて「ムーミン」は日本人にも愛着のあるキャラクターであったが、そのテレビ番組
において「ムーミンの棲むムーミン谷に冬が訪れ、彼等は全員、眠りについてしまう」と
いう結末を見せられ、消費者は「我々とは決定的に相違した空間に彼等は住んでいる」こ
とを実感させられ、そのキャラクターは急速に「存在感」を無くしていった事実は象徴的
でさえある。
そういった意味で、
「世界 3 大キャラクター」に数えられる「スヌーピー」であるが、消
費者は「スヌーピーは毎朝、新聞を開くとそこにいる」と実感しており、原作者自らによ
2003/08/02
る新聞のコマ漫画の連載自体がまさに、生きた「存在感」の源泉であった。今回、原作者
シュルツ氏の死去により、新聞連載は終了し(かのスヌーピーを連載していた新聞は全米
で 200 紙にも及ぶ!)、読者は急速にその存在感を薄れるのを実感するという状態にある。
読者は「生きているスヌーピー」には、もう会えないのである。キャラクターとしては、
スヌーピーは消費者の心の中に「スヌーピー」は生き続けていくであろう。読者はペーパ
ーバックの中に彼等が居るのを確認できる。しかし、消費者を相手としたビジネスとして
考えた場合、それでは消費に結びつかないのである。スヌーピーでは、
「原作者が死んでも、
キャラクターを存続させるビジネスモデル」は確立されていなかった。スヌーピーは、今
後、キャラクターの「存在感」をいったいどう維持していくのか、大きな岐路に立たされ
ているといえよう。
では、翻って鑑みるに、
「ポケモンはどこに生きているのか?」
「ポケモン」を、ディズニーに匹敵するキャラクターとして、永続させていく為には、彼
等の「生き場所」を作ってやらねばならない。それは、ドラえもんのように毎週のテレビ
アニメでもいいし、テーマパークに生きていてもいい。(但し「ポケモン」自体は、その主
軸に、「少年達が旅をして成長していく『少年成長物語』である」という前提がある。従っ
て、テーマパークのように固定された空間に生きさせるなら、それなりのアレンジが必要
であろう)
ここまで考察してきたように、「ポケモン」は、当初、現在の世界的ブレイクを予想して
いなかった為、複数企業がコングロマリットといういい形で参画し、お互いのシナジー効
果を高める形で、キャラクターを形成していく上で、実に効果的な創造をもたらすことが
出来た。そのライセンス管理においては、複数企業による合議という手法で、複雑化のロ
スを回避することに成功してきた。
しかしながら、現在のその世界史上にも希少な人気・莫大な規模を見るに、今後、世界
的大キャラクターとして永続させていく為には、更に効率的な経営管理の手法の導入が必
要である。「ディズニー」や「ルイヴィトン」のブランド管理手法が手本となりえようが、
TPC の設立はその布石の一手であるといえよう。
以上
2003/08/02
参考文献
畠山けんじ・久保雅一(2000)『ポケモンストーリー』日経 BP 社
財団法人東京財団(2001)「東京財団国際フォーラム報告書
日本発マンガ・アニメーショ
ンのダイナミズム」財団法人東京財団
ポケモンビジネス研究会(1998)『ポケモンの秘密』小学館
降旗淳平(2001)
「フォーカスひと
ポケモンを世界に広めた立役者」
(『日経ビジネス 2001
年 6 月 25 日号』日経 BP 社)
降旗淳平(2000)「米国任天堂
30 億円初期投資でポケモンブーム演出」(『日経ビジネス
2000 年 1 月 31 日号』日経 BP 社)
浅島亮子・遠藤典子・深澤献・間杉俊彦(2000)「キャラクター・ビジネスの全貌」(『週刊
ダイヤモンド 2000 年 9 月 9 日号』ダイヤモンド社)
イデア探検隊ビジネス班(2001)『ポケモンの成功法則』東洋経済新報社