「宗教学通論」資料:ビデオ『ユダヤ教 律法の道』

宗教学通論資料:ビデオ(ユダヤ教)
「宗教学通論」資料:ビデオ『ユダヤ教──律法の道』
参考文献)
教科書第 1 章第 2 節「ユダヤ教」pp.19-26
M.モリスン+ S.F.ブラウン『ユダヤ教』青土社、1994 年、2200 円
このビデオは、現在のユダヤ教徒の宗教儀礼や日常生活の様子を映像で紹介しつつ、全
体として、ユダヤ教の歴史を(主要なトピックを拾いながらではあるが)通時的に辿るよ
う構成されている。現代のユダヤ教徒の様子としては、導入部分のユダヤ教の結婚式、ハ
シディズムの信奉者の服装、アブラハムの墓を参拝する人々、嘆きの壁で祈る人々、「ペ
サッハ(過ぎ越しの祭り)」を家庭で祝うユダヤ人家族、改革派ユダヤ教のシナゴーグに
おける礼拝で聖歌が歌われる様子、ベルリンのユダヤ人学校で学ぶ子どもたち、シナゴー
グにおける加入儀礼「バール・ミツヴァ」の礼拝の様子などが取り上げられる。
ニューヨークにおけるユダヤ教の結婚式──導入
新郎はイスラエル人、新婦はアメリカ人。最も重要なのは「婚姻の誓約」。まず、伝統
によって定められた女性に対する男性の義務に関するラビの説明。次に、誓約書への新郎
新婦の署名。これは新居に飾られる。この儀式は近代的な環境でも守られている。
アメリカのユダヤ教徒の共通点と多様性。アメリカ合衆国に住む 570 万人のユダヤ人
(この数はイスラエル以上)に共通の特徴:政治的にも文化的にも自らをアメリカ人だと
考えており、外国に住むユダヤ人という意識がない;英語を話し、大多数はヘブライ語が
分からない。多様性:神を信じる人、信じない人、宗教的儀礼を行う人、行わない人、宗
教的戒律を完全に守る人、部分的に守る人、まったく意に介さない人もいる。
「チュッパ」(「新郎新婦の寝室」(詩篇 19.6 にある「天蓋」)を意味する婚礼用の「天
蓋」)の下で、ブドウ酒の入った杯に向けてラビが祝福の言葉を声高く唱え、新郎新婦は
その杯から一口ずつブドウ酒を飲む。次に指輪の交換、結婚の誓い。ラビが婚姻の誓約を
繰り返し、二人がユダヤ教の存続のために力を尽くすことを誓約したと付け加え、さらに
この結婚が、ニューヨーク州法とユダヤ教の習慣法とによって承認されたと宣言する。
ユダヤ教では、結婚は本質的にユダヤ教とユダヤ民族を存続させるための制度と考えら
れている。異教徒との結婚によってユダヤ教を離れる人が増加しているという危機感があ
る。ユダヤ教正統主義の理解によれば、ユダヤ教徒の母親から生まれるか、自らユダヤ教
に改宗した者がユダヤ人である。
結婚式の最後に新郎新婦の肩に「ターリト[タリット?]」という祈祷用のショール
(結婚式の日に新婦の両親から新郎に贈られる)がかけられる。結婚式は、「神殿崩壊」
という出来事を思い起こす記念として、布に包んだグラスを割る行為で終わる。
ユダヤ的服装?
外見でユダヤ教徒だと分かるのは、少数派である「ハシディズム」の信奉者のみ。男性
の特徴は、長いゆったりとした服、黒い帽子、ひげ、巻き毛にした鬢髪。女性は自分の髪
を必ず帽子などによって覆っている。[参考:この服装はアーミッシュのそれに似ている。
映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』においては、アーミッシュの子どもが、この正統主
義ユダヤ教徒を見て自分の共同体のメンバーだと思って、そのあとについていってしまう
シーンがある。]彼らは「成文律法」[「モーセ五書」]だけではなく、「口伝律法」[ラビ
が書いた注釈において拘束力があると見なされているものすべて]も遵守している。
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正統主義的でない人は、宗教行事のときに「キッパ」で頭を覆うだけ。正統主義者のよ
うな服装(17 世紀のポーランドで始まったもの)をの必要を認めない。
ひとつの運命共同体
ユダヤ人は世界でもアメリカ合衆国でも少数派(ニューヨークは例外)。[ニューヨー
クは「ジューヨーク」と言われるほどユダヤ人が多い。]しかし、精神、宗教、文化、経
済の分野では世界の巨大な力。世界史で重要な役割を果たし、重圧を乗り越えてきた民族。
ユダヤ人の宗教は特殊な世界宗教。世界中のどこにでも「シナゴーグ」(会堂、礼拝
所)がある。ユダヤ人とは共通の経験、共通の歴史を共有している人々。それは一つの運
命共同体。その根拠は3つの重要な事柄の相互作用、すなわち、イスラエルの民族、イス
ラエルの地、イスラエルの宗教である。
ユダヤ民族の故郷
ユダヤ民族の故郷は、昔のカナーン地方。そこは南は大国エジプト、北は大国メソポタ
ミアに挟まれ、西は地中海、東はシリア・アラビア砂漠に挟まれた、通商路が交差する細
長い土地。ユダヤ教の始祖であるアブラハム、イサク、ヤコブ[イスラエル]の物語の舞
台はまさにこの地。彼らの物語は、伝記でも寓話でもなく、1900BC から 1400BC にか
けて起こった歴史的な出来事を核とした伝説である。
[このような伝承を有するユダヤ民族は周囲の民族と比較すると歴史の浅い民族であり、
彼ら自身がそのことを自覚していた。つまり、彼らはエジプトやメソポタミアの民族の場
合のように、その歴史を神々の物語に直結させることをしなかった。むしろ、かなり時代
が下ってから異国の地で民族としての自覚が成立したという意識が確実に保持されていた。
「イスラエル」という名称が歴史上はじめて言及されたのは、エジプト第 18 王朝のファ
ラオであるアメノフィス 3 世が創建したいわゆる「イスラエル石碑」(紀元前 14 世紀)
においてである。]
アブラハムはメソポタミアのウルという町から移住してきた人で、小型の家畜を放牧し
ていた。彼らは異邦人、寄留民であった。アブラハムは、新約聖書においてもクルアーン
においても、中心的な人物。それは、彼から、イサクとヤコブが生まれイスラエルの始祖
となり、他方、イスラームの始祖、アラブ人のイシマエルもまた彼の子だから。彼らは皆、
一つの民族を成すと神からの約束を得た。アブラハムは3つの預言者宗教の原型。彼は正
義の神、慈悲の神に対して揺らぐことのない信頼「信仰」を寄せた。
アブラハム
このアブラハムの墓を、3 つの宗教の巡礼者や観光客が訪ねる。現在この地の住民の大
半はパレスチナ人だが、ユダヤ人の新しい入植地もある。紛争を避けるために、ユダヤ人
とイスラーム教徒は、異なる時間帯に異なる入口を通って参拝する。イスラーム教徒は正
午に左から。「アブラハム」はアラビア語で「イーブラヒーム」であり、最初に啓示を受
けた人物であることが、クルアーンにのみ正しく記されていると言われる。他方、ユダヤ
人は夕方に右の入口から。ユダヤ人にとって、「イスラエルの民」は「イスラエルの土
地」という意味を含み、その根拠がアブラハム。キリスト教徒にもアブラハムは信仰の模
範。[何れも、アブラハムを、ユダヤ化、キリスト教化、イスラーム化してはいるが]。3
つの宗教はどれも信仰に基づく一神教的宗教、倫理的宗教で、人間は神の似姿あるいは代
理人で、神に依存すると同時に責任を負っていると考えている。
モーセ──「ペサッハ」と出エジプト、シナイ契約、トーラー、十戒
ユダヤ教的倫理観は、エジプト脱出を指導したモーセとも結びついている。毎年、「ペ
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サッハ」では特にこの出来事を思い起こす。大祭司の白衣を着た一家の長が「キドゥシュ
(祝福の言葉)」を述べて、神に祈りを捧げ、苦い野菜、酵母なしのパンを食べて、「ハ
ガダー(脱出の物語)」を朗読する。
パンを裂いてブドウ酒を飲むこの様子を見ると、キリスト教徒ならば、イエスと弟子た
ちの「最後の晩餐」を思い起こす。苦い野菜はエジプトでの辛い奴隷生活を思い出すため
のもの。4杯のブドウ酒を飲むが、5杯目のブドウ酒は飲まない。これは「エリアの杯」
と呼ばれ、最終的な救済の象徴。
モーセは多くの側面をもつカリスマ的人物で、3 つの預言者的宗教で第2の偉大な模範
的人物。イスラエルの解放者としての「召命」をシナイ山で受けた。モーセが自分を召し
出した者が誰であるのか問うたとき、神ヤハウェは「私はある、私はあるという者だ」と
答えた。この常に《ともにある》神への信仰がイスラエルの民の根幹。シナイ山の物語は
モーセと結びつき、神とイスラエルの特別の関係という観念の基礎ができ、後にこの関係
は「契約(ベリート)」と呼ばれ、ユダヤ教の中心になる。聖書に基づいて、ユダヤ人は
「神の選民」と呼ばれる。これは、ユダヤ人に特別の義務が課せられているということを
意味する。それは「トーラー」と呼ばれる神の戒律、神の指示に対する義務。人類に関す
る基本的な規則は他の民族にも存在するが、ユダヤ教的宗教の特徴は、人類に関する規則
が唯一の神の権威の下に置かれている点。最も重要なものが「十戒」で、3つの預言者宗
教において共通の基本的倫理観の基礎であり、人類に対する偉大な遺産。
ダビデ
パレスチナへの定着。当初は、君主制ではなく長老制による緩やかな連合体。初期のイ
スラエルの状況は国家ではなく部族社会。初代の王であるサウル王に続いて、1000BC頃、
ダビデ王が登場して部族社会から国家への移行が行われた。彼はエルサレムを首都とし、
「シオンの丘」に王宮を建てた。ダビデもまた3つの預言者宗教の第3の預言者的人物
[やはり、それぞれの宗教によってユダヤ化、キリスト教化、イスラーム化されたが]。
歴史上最も重要な王、よき支配者、天才的詩人、模範的信仰者、善良なる贖罪者などの資
質を理想的に具えている人物とみなされている。ただし、ヘブライ語聖書では美化されて
いない。[ウリヤの妻]美しきバッセバ[バト・シェバ]との姦通事件で預言者ナータン
から厳しく叱責されている(サムエル記下第 11 章、第 12 章)。それにもかかわらず、ダ
ビデの死は預言者的信仰を豊かに深く表現している。ダビデの墓の前では身体を揺らす伝
統的な祈りが行われている。
預言者、王国の分裂と没落、ディアスポラ
ユダヤ人はダビデの大王国の国境の回復を政治的目標にしてきた。しかしこの国境はダ
ビデの時代から常に議論の的。ダビデの息子のソロモン王の死後、王国は北のイスラエル
と南のユダに再び分裂。
エルサレムのヘブライ博物館にある「クムラン写本」は、王に対抗する偉大な預言者
[イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなど]の存在を証明している。預言者は為政者も民も宗
教指導者も厳しく批判した。彼らは基本的な倫理館のために尽くしたほか、王国の分裂と
没落の預言も行った。エレミヤはバビロニアへの抵抗が無意味であることを主張してエジ
プトに追われた。722BC、アッシリアは北イスラエル王国を占領し、移民を送りこんだ。
587,586BC には、南ユダ王国がバビロニアによって征服され、重要人物はバビロニアに
強制的に連行された(「バビロン捕囚」)。
[クロス王に率いられたペルシャがバビロニアを滅ぼしたことによって]ユダヤ人はパ
レスチナに帰還し、エルサレムに都市と神殿を再建。王制ではなく、司祭を中心とする聖
職者政治が確立される。しかし、その後、大帝国ローマとの2回にわたる戦い[第一次ユ
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ダヤ=ローマ戦争(66-70AD)と第二次ユダヤ=ローマ戦争(132-135AD)]で、エルサレ
ムは完全に破壊され、古代イスラエルは国家としての独立を失った。崩壊した神殿の西壁
(「嘆きの壁」)で、今でも人々はこの出来事をいたみ、悲しんでいる。
聖典、ラビ、シナゴーグ──ユダヤ教中世の形成、女性
王国も神殿も祭祀も祭司制もなくなったのに、ユダヤ民族は生き延びた。世界中に散ら
ばって(「ディアスポラ」)。それは精神的宗教であるユダヤ教のおかげ。祭壇の代わりに
「トーラー」の巻物[さらに、これに、預言者(ネウィーム)と諸書(ケトゥウィーム)
を加えてなったヘブル語聖書(これをトーラーと呼ぶ場合もある)を聖典とする聖典宗教
が成立する]が、神殿祭祀の代わりに祈祷、善行、トーラー研究が、世襲制の司祭職の代
わりに教育によって養成される律法学者ラビが、重要な意義を担った。
男女は分離されるが、神の前では平等であり、女性にも西壁の裂け目に嘆願を書いて挟
み込むことが許されている。
エルサレムの神殿の代わりに、至る所に「シナゴーグ」が登場した。「シナゴーグ」は
会議場、祈祷場、集会所などの機能をもつ新しいタイプの建物で、キリスト教の教会やイ
スラームのモスクの雛型になった。「トーラー」、「ラビ」、「シナゴーグ」は、1,2世紀に
基礎が据えられてその後長期間にわたって続くユダヤ教中世を支える重要な柱となった。
[紀元後最初の数世紀の間に、口伝のトーラーが成立した。まずは「ミシュナー」、口承
による宗教規則の集成、次に包括的な「ハラハー」、そして「ミシュナー」の注解である
「ゲマラー」が成立した。「タルムード」とは「ミシュナー」と「ゲマラー」を合わせた
ものでである。]
中世ドイツにおけるユダヤ人──迫害の歴史
ドイツのヴォルムスの町には 10 世紀にはすでにユダヤ人集会の一つがあった。このユ
ダヤ人墓地もその当時からのもので、11世紀にはシナゴーグもできた。[シュパイアー、
ヴォルムス、マインツに多くのユダヤ人が住んでいたらしく、shum という言葉があり、
それは上記の町の頭文字からなっており、そこからさらに beschummeln(ちょろまかす)
という言葉が派生している。]長い間、ユダヤ教徒とキリスト教徒とは平和に共存してい
たが、最初の十字軍の際、周辺の農民はヴォルムスのユダヤ人を攻撃し、自分たちの借金
を帳消しにしようとした。800人のユダヤ人の死者がでた。その後、ペストの原因がユダ
ヤ人に帰され、数百の集会所が破壊され、数万人のユダヤ人が殺された。イギリス、スペ
イン、フランスなどを追放されたユダヤ人が、東方、特にポーランドに逃れた。ヴォルム
スは、最高位のラビ[ラシと呼ばれたソロモン・ベン・イサク(1040-1105)]がいたため、
その後もドイツのユダヤ人たちの間で指導的な役割を果たした。シナゴーグの傍らにある
「ミクウェ」(きよめの沐浴場)も引続き使われた。キリスト教によるユダヤ教への敵対
感情のため、《ユダヤ人は救世主を拒否したので、神がユダヤ人と交わした契約は破棄さ
れた》と論じられた。ルターの宗教改革によっても、この状況は改善されなかった。
[ユダヤ教神秘主義──カバラ
1492 年にスペインでユダヤ人追放が起こった後、キリスト教の宗教改革の時代に「カ
バラ」と呼ばれる神秘主義が力を得る。これはユダヤ教に初期からあったもので、「グノ
ーシス」のユダヤ教的形態である。トーラーの本来の内容は神的秘密であると考えられた。
14 世紀から 17 世紀にかけて「カバラ」は最盛期を迎える。ユダヤ教的救世主信仰と結び
ついたことがその原因であるが、2人の偽救世主が登場し、彼らが多数の信奉者を獲得し
ながら、最後にはイスラームに改宗するといった出来事のために、17,18 世紀には衰退す
る。そのため「カバラ」はユダヤ教の新たなパラダイムを発展させることができず、ラビ
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的パラダイムが支配的であり続けることとなった。
しかし、「カバラ」信仰の残滓は東ヨーロッパの「ハシディズム」(その信奉者を表す
言葉は「敬虔なる人」という意味)の運動のなかへと流れ込んだ。「ハシディズム」の信
奉者は無味乾燥なトーラー学習よりも日常生活での祈祷や神との結びつきを重視した。独
自の祈祷所における喜びに満ちた騒々しい儀式と熱狂的あるいは瞑想的な祈祷は、今日ま
で「ハシディズム」の信奉者の間で行われている。「ハシディズム」は独特の宗教的世界
であり、ユダヤ教中世の雰囲気が近世以降にまで残り続けることの一因となった。]
ユダヤ教的啓蒙主義、ゲットーからの脱出、近代的改革ユダヤ教
根本的変化が現われたのは啓蒙主義の時代になってからのこと。最初の近代的なユダヤ
人はベルリンのモーゼス・メンデルスゾーン。彼は、哲学者、作家であり、ユダヤ的啓蒙
主義を唱えた。彼の理性的宗教という考えは、ドイツ啓蒙主義の代表者で、理性、寛容、
自由、人間性のために尽くしたゴットホルト・エフライム・レッシングと彼を結びつけた。
レッシングの戯曲『賢者ナータン』のモデルはメンデルスゾーン。パリのフランス革命は、
初めてユダヤ人に完全な市民権を与えた。ユダヤ人は「ゲットー(貧民街)」から脱出し、
改革ユダヤ教が社会と同化するようになった。ドイツでは改革ユダヤ教による宗教的・文
化的活動が盛んに行われた。シナゴーグの建築や美術においても近代と伝統の統合が目指
された。ヘブライ語だけではなく、民衆の言葉でも儀式が行われ、説教も行われるように
なった。西洋のユダヤ教で最も影響力のある音楽家は、ベルリンのルイ・レヴァンドフス
キーである。シナゴーグの聖歌歌手が歌う彼の歌はユダヤ教の伝統に則っている。レヴァ
ンドフスキーの合唱曲の作曲法は、モーゼス・メンデルスゾーンの孫、フェリックス・メ
ンデルスゾーン=バルトルディの様式に従っている。
ユダヤ教の様々な潮流
ユダヤ教徒は、律法、特に安息日や、清浄、食物などに関する規定をどのように実践す
るかの違いによって別れている。すなわち(1)「正統主義」、(2)徹底的な「改革主義」あ
るいは「自由主義的ユダヤ人」、そして(3)両者を結びつけようと試みる「保守主義」で
ある。しかし、シナゴーグに属さず、宗教行為を行う意思のない人も増えている。[彼ら
を4つめの潮流に数えるべきであろう。]
「ホロコースト」、現在のドイツのユダヤ人、キリスト教徒の責任
近代ユダヤ教の同化の試みは突然打ち切られる。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺が行
われ、600万人のユダヤ人が殺された。ヨーロッパにおける《ユダヤ人問題の最終解決》、
つまり一つの民族全体を絶滅させるという狂った計画に、あらゆる組織の無数の協力者が
関わった。バチカンが 1933 年の時点でヒトラー政権と政教協約を締結して妥協していな
かったら、カトリック教会とプロテスタント教会の聖職者たちが政治的に抵抗していたら、
このようなことは起こらなかったに違いない。1942年、ヴァンゼー湖畔の邸宅において会
議が開かれ、その場で上述の計画が決められた。秘密警察の長官ラインハルト・ハイトリ
ヒ、記録係長アドルフ・アイヒマン、ゲシュタポ長官ハインリヒ・ミュラーの3人が組織
的実行の責任者であった。ユダヤ人はこの出来事を「ホロコースト(完全なる犠牲)」、
「ショアー(大惨事)」と呼んでいる。ベルリンの被害者たち、5,5695人の名前を読み上
げるだけで2日かかる。「ホロコースト」は当時のヨーロッパに広がっていた似非=生物
学的人種的反ユダヤ主義の結果であるが、それは2000年にわたる神学的反ユダヤ主義なく
しては可能ではなかった。
ユダヤ人の多くは戦後長い間ドイツで暮らすことを拒否してきた。現在は、ベルリンに
も新しいユダヤ人学校が存在している。[今なお反ユダヤ主義に起因する危険が存在する
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ことも事実だが。]現在ドイツに住むユダヤ人の子どもたちは苦労して現代ヘブライ語を
学ぶが、1948年にパレスチナに建国されたイスラエルでは日常的に現代ヘブライ語が用い
られている。キリスト教徒は自らの罪を忘れるべきではない。「ホロコースト」は唯一の
神への信仰が失われ、相対的なものの絶対化、相対的なものへの信仰がそれに取って代わ
るとき、どこまで為しうるかについての実例であり、全人類への警告である。
イスラエルの国家の諸問題
イスラエル国家はその後絶えず発展してきた。1901年に造られた近代的大都市テル・ア
ビブは、世俗的な雰囲気が支配している。それによってエルサレムの正統主義ユダヤ人の
激しい怒りをかっている。今日、イスラエル人の多くは非宗教的である。
世俗的な大多数の人々は政治に熱心である。イスラエル[という国]が何よりも重要と
いう考え方。ユダヤ人の歴史の中心に「ホロコースト」を据えつけるイスラエル主義。7
つの枝をもつ燭台(「メノラー」)を象徴とするこの国は、近代的行政制度、軍隊、警察、
学問、経済、労働組合を有する議会制民主主義の国。道徳的な意味でユダヤ教精神に基づ
く「模範国家」という言説は今日のイスラエル国民はほとんど口にしない。
ユダヤ民族が繁栄するには、周りのアラビア人と平和を確立して、パレスチナ人にも国
家を建設する権利を認めるべきであることを、今日、多くのイスラエル人が認めている。
一方、イスラエル政府は、原理主義者・正統主義者の存在を無視できない。彼らは宗教
的支配権をもつユダヤ教を確立しようとしている。彼らは現代的生活様式に背を向け、中
世的世界観の中で生き続けている。彼らにとっては何よりも宗教的律法(ハラハー)が重
要。タクシーの運転手が安息日規定を守ること、バスの中で男女が別々に分かれて座る規
定、飛行機の中での機内食の清い食べ物の規定などが厳重に守られることを求めている。
世俗主義と原理主義との間──「バール・ミツヴァ」
ユダヤ教も、他の宗教と同様、伝統と革新との葛藤のなかにいる。例えば、テル・アビ
ブの「ベイト・ダニエル・シナゴーグ」では、一方で唯一の神に対する信仰に根ざした宗
教的根拠を持ち続け、他方で時代に対応したユダヤ教を形成することが目指されている。
ユダヤ人の宗教の基礎は「トーラー」である。「バール・ミツヴァ」という加入儀礼に
よって「トーラー」が青年に与えられる。[最近は女子の加入儀礼「バット・ミツヴァ」
も行われる。]このような儀礼を通して、今日のユダヤ人にも精神的な故郷が与えられる。
礼拝の終わりに「トーラー」の巻物が巻き戻され、ベールを掛けられ、しまい込まれる。
加入者は歌を聞き、キャンディーを貰って喜ぶ。シナゴーグで礼拝に参加する人々は喜び
を得、日常生活に必要な力を受け取る。日常生活では中庸の道が歩まれるべきである。
無宗教の世俗主義と狂信的な原理主義との間の中庸の道という理想から現代のイスラエ
ルがほど遠いことは、テル・アビブの中心街によく表われている。イスラエル大統領イツ
ハク・ラビンはここで暗殺されたのである。しかし、ドイツの作家トーマス・マンは、ユ
ダヤ教の「十戒」が、まさに人間の態度に関する基本的な指示であり、基盤であり、人間
の振る舞いに関する基礎であることを指摘した。この言葉は、地球主義の時代には、世界
の政治や経済にも当てはまる。
未来・希望──まとめ
世俗的人間と宗教的人間との間の「文化闘争」の結末は分からない。確実なのは、この
地の人々も平和と友好、愛、幸福な生活を求めていること。ユダヤ教は未来へ向けて歩む
べき道を見出すであろう。そして未来には、ユダヤ人が日常繰り返し述べ、期待し続けて
いる言葉、「シャローム(平和)」が実際に体験されるようになるであろう。
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