日本ルーテル教団 竹の塚ルーテル教会 ぶどうの園 宣教50周年・献堂25周年記念 2 竹の塚ルーテル教会 宣教50周年に寄せて 江本真理 このたび竹の塚ルーテル教会が宣教50年を迎え、ここに竹の塚教会の月報が50周 年記念特集号としてまとめられたことを大変うれしく、主の御恵みに心より感謝いたし ます。 マックス・チヒナ宣教師によって開始された東京北部の伝道活動の中で、1960年 に現竹の塚ルーテル教会の前身となる足立ルーテル伝道所が発足。その福音宣教の歩み は、その後何度か無牧の時期を経験しながらも、遣わされた教職/宣教師の先生方のも と、キリストに結ばれ、キリストの体なる教会に生きた肢としてつなげられた会員一人 ひとりの祈りと献身とによって支えられ、力強く前進してまいりました。そこにはまた、 いついかなるときにも、 絶えず「まどろむことなく見守ってくださる方」 (詩編 121 編)、 常にすべての必要を備え、すべてを時にかなってふさわしく導いてくださる主の確かな ご計画があり、その主の慈しみのうちに導かれて今日に至っていることを思わされます。 この主のご計画の中で、わたし自身は、竹の塚教会宣教50年という節目を迎える年 に着任することになりました。その意味では、信仰の諸先輩方がこれまで育んでこられ た信仰の歩みを、この竹の塚ルーテル教会という信仰共同体の場において継承していく こと――次世代へと、そしてこれから福音と出会っていく人々へと継承していくこと― ―、それが今のわたしに示されている課題であり、また希望であると受け止めています。 竹の塚教会の歴史 History は、また His-story(キリストの物語) 。この竹の塚の地に おいて、主キリストご自身がこれまで歩んでこられた、そしてこれからも歩んでいかれ る!そのことを心にしっかりと刻み、いつも覚えながら、主のご用のために用いられて いきたいと思います。そして、皆さんも!これからもご一緒に信仰の歩みを育み、主の 福音宣教の御業に共に仕えてまいりましょう。 「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。 主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。 恐れてはならない。おののいてはならない。」 (申命記 31 章 8 節) 竹の塚ルーテル教会宣教50周年おめでとうございます。私たちに先立って行き、私 たちと共におられる方、私たちを見放すことも、見捨てられることもない方、このお方 のゆえに、私たちはこの時を共にお祝いし、心から喜び、感謝したいと思います。 3 竹の塚ルーテル教会創立五十周年・会堂二十五周年を祝うにあたり 竹の塚ルーテル教会創立50周年記念準備委員会 矢野 澄子 1959 年に墨田区向島、藤井宅にて吉永正義師により聖書研究会が始まりました。場 所は都電の須崎停留所の前で「藤井パン店」の二階でした。 マックス・チヒナー宣教師によって東京北部の伝道活動が開始されました。地域は台 東区、荒川区、葛飾区、足立区、墨田区の家庭集会でした。 50 年前の 1960 年に千住旭町町会事務所を借りて、足立ルーテル教会と向島(北墨田 ルーテル教会)の両集会所が統合されたことから、竹の塚ルーテル教会(前身、足立ル ーテル教会)が発足したのです。1963 年に足立ルーテル教会は、北千住より竹の塚文 化センターに移りました。 1966 年 12 月に足立ルーテル教会、北墨田ルーテル教会の二つの教会が合併して「北 東京ルーテル教会」となりました。(教会活動は向島集会所、竹の塚集会所でそれぞれ 行う) 1971 年にアメリカの教団(LCMS)から日本ルーテル教団が自給することになりマ ックス・チヒナー宣教師が 6 月に帰国することになりました。 1973 年まで信徒によって教会活動が守られ、1973 年 4 月に小見民義師を招聘し、 1975 年大境の地に民家を購入。教会堂(牧師館)が与えられました。 1977 年に小見牧師辞任後、信徒によって教会活動が守られました。 1978 年クリフォード・ホーン牧師が兼任牧師(神学院院長)となり、1979 年 1 月か ら竹の塚集会所は「北東京ルーテル教会」として、また向島集会所もそれぞれ独立した 教会となりました。4 月からは柴田千頭男牧師がルーテル大学教授と兼任牧師となり、 牧師招聘のための準備牧師の任をも引き受けてくださり、9 月に北沢忠蔵牧師を招聘す ることができました。1981 年に「竹の塚ルーテル教会」に名を改め、11 月には現在地 にかねてからの願いが叶い、会堂を献堂しました。1986 年四月から英会話教室を開設。 1989 年には春日部聖地霊園に霊園建設。9 月からは手話教室を開始しました。 1995 年 5 月には献堂十周年「聖書全巻リレー朗読会」を行い、2000 年 4 月に教会創 立 40 周年記念礼拝とステンドグラス設置を行いました。 2005 年創立 45 周年・会堂 20 周年記念礼拝をペンテコステの日に祝いました。 2007 年には 27 年余り牧会してくださった北沢牧師が辞任し、4 月より山口卓也執事 が就任(責任教職 大和淳牧師)ましたが、2009 年 3 月に山口卓也執事が転任すると、 竹の塚教会は招聘教会としての道を再び歩むことになりました。江本真理牧師から一年 後、という招聘受諾の返答があり、一年待つことになりました。責任教職、斎藤衛牧師 のもと、三回目の信徒による教会活動が守られ 2010 年 4 月に待望の江本真理牧師が就 任されました。以上、竹の塚ルーテル教会の歴史をかいつまんで述べましたが、神様の 4 変わらぬ導きとお守りがありましたことは感謝に耐えません。このように幾つも名前を 変えて大きく成長してきました。 魚で出世魚がありますが、まさにそのような歩みをしてきました。ルーテルアワー(キ リスト教放送)の聖書通信講座受講者による家庭集会から始まった足立ルーテル伝道所 から、北東京ルーテル教会竹の塚集会所となり、さらに北東京ルーテル教会、そして竹 の塚ルーテル教会となって現在に至っております。場所も幾つも移ってきました。 50 年の各々の時代に主なる神様への信仰と奉仕に生きた人々、そして宣教師、牧師 たちの働きが合わさって今日がある事を深く思わされます。 私達は今、創立 50 周年・献堂 25 周年を迎え、感謝と懐かしさをもって過去を振り 返り、夢と希望をもって未来に歩み出したいと願い、下記の計画を立てました。 1. 50 周年記念準備委員会選出(平山節子姉・坂本春次兄・永井健二兄・矢野澄子姉・ 涌井いづみ姉)、および江本真理牧師 2. 記念礼拝 3. 記念誌発行 4. 創立 50 周年記念・会堂献堂 25 周年のための特別献金(目標100万円) 皆様がお祈りに覚えられますことをお願い申し上げます。 春日部聖地霊園の改修工事が終了しました ドルカス委員会 坂本 春次 創立50周年記念の一環として、かねてより計画をしていた春日部聖地霊園の改修工事 が10月28日に終了しました。これまで霊園に納骨をする時に開納の費用がかかりまし たが、この工事によりそれが不要になります。かかる費用は皆様から寄せられた特別献金 により支払われることになります。皆様のご協力を心より感謝します。 5 竹の塚ルーテル教会略史(2010 年 10 月作成) 1957 年 墨田区向島、藤井氏宅にて吉永正義師により聖書研究会が始まる 1958 年 マックス・チヒナ宣教師によって東京北部の伝道活動始まる (台東、荒川、葛飾、足立、墨田の家庭集会) 1960 年 足立ルーテル伝道所(現 竹の塚ルーテル教会) 発足 足立ルーテル伝道所(千住旭町会事務所)、北墨田ルーテル伝道所(向島)の 両集会所に統合される 1963 年 足立ルーテル伝道所は、北千住から竹の塚文化センターに移る 1966 年 12 月、足立ルーテル伝道所と北墨田ルーテル教会が合併して、北東京ルーテル 教会となる。(向島集会所、竹の塚集会所として、活動は別々に行う) 1971 年 マックス・チヒナ宣教師帰国 この問、信徒によって教会活動が守られる 1973 年 4 月、小見民義牧師就任 1975 年 7 月、大境の地に民家購入し、教会堂とする 1977 年 小見民義牧師辞任後、信徒によって教会活動が守られる 1978 年 クリフォード・ホーン牧師兼任牧師となる 1979 年 1 月、竹の塚集会所が北東京ルーテル教会として独立する 4 月、柴田千頭男牧師兼任牧師となる 9 月、北沢忠蔵牧師就任 1981 年 「竹の塚ルーテル教会」に改名 1985 年 11 月、現在地に会堂献堂 1986 年 4 月、英会話教室開設 1989 年 4 月、霊園建設・9 月、手話教室開始 1992 年 11 月、教会増築(2 階部分) 1995 年 5 月、献堂 10 周年「聖書全巻リレー朗読会」を行う 2000 年 4 月、教会創立 40 周年記念礼拝。ステンドグラス設置 2005 年 創立 45 周年・現会堂 20 周年記念礼拝 プロジェクター、同時通訳のための機械など 2007 年 3 月、北沢忠蔵牧師辞任 2007 年 4 月、山口卓也執事就任。責任教職 大和淳牧師 2009 年 3 月、山口卓也執事離任 2009 年 4 月、信徒によって教会活動が守られる。責任教職 斉藤衛牧師 2010 年 4 月、江本真理牧師就任 11 月、創立 50 周年・会堂 25 周年記念礼拝 6 教会創立50周年記念をお祝い申し上げます マックス・チヒナ 私は1951年に日本にやってきた宣教師の一人でした。一年間日本語を勉強した後、 働きの場として、東京のどちらかと言えば新しい地域、北東京をあたえられました。吉 永先生が、私の働きを助けてくれた方々の一人でした。後に、彼はルーテルの神学校で 牧師になるための勉強をしました。神学校の生徒も私達を手伝ってくれました。 板橋コイノニヤルーテル教会が既に組織化されていました。私はそこでも奉仕をいた しました。東京下町のパン屋さんの上、藤井宅で集まった北墨田伝道所のことをいつも 思い出します。こうして、さまざまな場所で皆さんの教会が始まったのです。 竹の塚で、活動を変わらずに続けられていることを聞いてうれしく思います。すばら しい働きを、このまま続けてください! 私がいつも日本から持ち帰るお気に入りのひとつに、変哲のない「たわし」がありま す。それを使い古してしまうと、新しいものを探すのに苦労をするんですよ。家の浴槽 をこするのに使っているのです! 竹の塚ルーテル教会50周年記念の場に、神さまの豊かな祝福が、皆さまにもたらさ れますことを、いま一度、お祈りいたします。 私たちの主にあって、心からご挨拶を申し上げます。 (訳 7 涌井) さらに地域に根をおろした教会へ 柴田 千頭男(引退牧師) 竹の塚教会、50周年おめでとうございます。わたしが竹の塚教会にいささかの奉仕 をいたしましたのは、ホーン先生のあと、次の牧師招聘にむけての準備のお手伝いをし た半年ほどでしたが、忘れられない半年でした。信徒が遠方に散らばっている感じの教 会が多いのがNRKの実態だと思いますが、竹の塚のように教会と信徒が地域的にも連 帯しているという事実は非常に重要なことです。地域教会のことを英語では Local Congregation といいますが、まさしく、地域に住む人々が形成している信徒集団と いう意味の言葉でしょう。言うなれば向こう三軒両隣が信徒であることは理想なのです。 高齢化した社会で、おじいちゃん、おばあちゃんがお茶を飲みながら週日でも集って いる、そういう集団 congregation が、理想的な教会像なのです。昔、賀川豊彦は、神 戸で活動していた時、かぜでもひいて寝込んでいると、向こう三軒のひとたちが、すぐ に食事の面倒までしてくださり、そういう日常性に教会が生きていたことを高く評価し、 今日、教会がその面で弱くなってきていることを嘆いていました。月曜日から土曜日ま で教会が閉まっていて、その間、教会はどこへいってしまったか、というのでは地域教 会ではないのです。 竹の塚では、声をかければすぐにも、だれかが駆けつけてきてくださる、そういう教 会だ、という強い印象をわたしはもっています。そこには素晴らしい、忘れてはいけな い教会の本質があるのです。これからの50年に、ますます地域に根づいて実をむすん でいく教会でありますよう、切に期待して、お祝いの言葉とします。主の導きとみ守り を祈りつつ。 8 大切な「下町」の教会 徳善 義和(竹の塚ルーテル教会 客員会員) 「下町」と言えば、なんとなく懐かしく、親しさの籠る、暖かい響きがする。人と人 との、人情溢れる交流や、生活そのものの味わいの生きた感じがする。いかにも生活感 とその活力がみなぎっている趣なのだ。 ところがキリスト教というと、どこかハイカラで、インテリ臭くて、難しいのである。 教会もその傾向が強く、ルーテル教会でも例外ではないようだ。私とて例外ではないか もしれない。各教会の所在位置を見てみても、とかくいわゆる「山の手」にあることが 多い。地方の都市に行っても、いわゆる昔からの「武家町」に多く、いわゆる「町人町」 には少ない。 しかし竹ノ塚教会は違う。「下町」真ん真ん中である。ルーテル教会にとって貴重な 存在である。最初の宣教師、その後の牧師たち、信徒たち、よくぞこの町で宣教を続け てこられたと敬意を表する。 北沢先生のお勧めでこの教会で説教させていただくようになってから暫くの頃、帰り 道でご一緒した方から「先生の説教難しいや。私たちにゃ、難しいことは分かんないか ら」とざっくばらんにお話しいただいた。下町の率直な会話である。ありがたかったし、 うれしかった。それで私の説教が大いに変わったかどうかは分からないが、変える試み はしてきたつもりだ。 この「下町」の教会を大切にしたいと思う。しなくてはならないと思う。日本のキリ スト教の展開の一つの鍵が、この下町の教会の教会形成と伝道の姿の中に秘められてい るのではないか。だから竹ノ塚教会にはいよいよ「下町」の教会らしく、この大きくは ない会堂にみんなで元気よく集まって、にぎやかに「主の民」の生きた姿を現し、証し していって欲しいと願うのである。 9 神の国はあなた方の間にある 北沢 忠蔵(飯能ルーテル教会牧師) 創立50周年おめでとうございます。私は竹の塚ルーテル教会50年のうち27年7 ヶ月、牧師であったことに心から感謝をしております。 三年程前、別の教会に移って改めて感じる竹の塚教会の特長は、信徒活動(奉仕)の 活発さです。「無牧」の時も、牧師のいる時と変わらぬ活動を続けられたことにその伝 統を感じます。信徒と牧師双方の努力と役割がふさわしく為されるなら更に大きく成長 されると信じます。 「竹の塚」は、下町の親密さと人間的触れ合いの良さがあります。一時私は「竹の塚ル ーテル民衆教会」と改名したい誘惑にかられました。 人のライフサイクルは50年でしょう。人々の集まりである教会も同じで、新しい人に 信仰が伝えられられ、世代交代していかなければ退潮していきます。私がいた時代は教 会の青年期から壮年期であったと思います。50年して高齢期になります。しかし「竹 の塚」は若い人や他者への関心と配慮を持つ故に高齢化を乗り越えて成長するでしょう。 いつだったか「天国の前味」との言葉に触れた時、「竹の塚」の日々が想い出されまし た。私達は未だ天国に行っていませんが、この地上で天国の味を前もって味わえるとの 意味です。「神の国は、ここにある、あそこにあると言えるものではない。実に神の国 はあなた方の間にあるのだ」。 (ルカ17:21) 「竹の塚」の礼拝に集う人々の顔が浮かんで来て、あれが天国の前味だったと感じまし た。夜更けの聖書会や教会学校の子供たち、バザーやキャンプ、ファミリーコンサート、 そして気取らない人々、誠実な人々がそうでした。先に天国に召された方々もおられま す。 こう書くのは、高齢のせいで「昔なつかし病」に罹っているためでもあるのでしょう。 どうぞ竹の塚教会が、今いる人のためにも、次の世代のためにも、神の国の前味を味わ える教会づくりを江本先生と共にしていかれるようお祈りいたします。 10 竹の塚教会 宣教開始 50 周年記念によせて 山口 卓也(川崎元木町キリスト教会執事) 竹の塚ルーテル教会の皆様。 宣教開始 50 周年おめでとうございます。主が、これまでの貴教会の歩みを、多くの恵 みを持って導いてくださったことをお慶び申し上げます。 私が貴教会で奉仕させて頂いたのは、2007 年 4 月~2009 年 3 月の 2 年間という短い期 間でしたが、皆さんと共に礼拝が守れたことは大きな喜びです。 竹ノ塚の地に会堂が建てられる以前から、「ここに教会があるといいな」とずっと願い 続けていた信徒の方のお話を赴任して間もない時に伺いました。 この時私は、祈りによって教会は建つのだということを教えていただき、大変感銘を受 けたものです。もちろん会堂が建った後も、絶えず祈りとともに、この 50 年の歩みが あったことでしょう。そして今も、これからも神への祈りと共に皆さんの歩みはあるの です。 私事ながら任期中に結婚致しましたので、その感謝として80人用の聖餐セットを貴教会 に贈呈させていただきました。主によって多くの方が竹の塚教会に集い、この小さな道 具が、毎回フルに活用されるようにと祈りつつ捧げたものです。どうか主が皆様の祈り に応えてくださり、竹ノ塚という素晴らしい地での伝道を祝福してくださいますように。 そして皆様が次の100周年を目指して主の道を歩まれることを、私も共にお祈りしてお ります。 《いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、 キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。》 (Ⅰテサロニケ 5:16-18) 11 宣教50周年、献堂25周年記念によせて 篠塚 高男(引退牧師) 教会の主イエス・キリストのみ名を賛美いたします。 この度、新しく江本真理牧師ご家族を迎えられ、宣教50周年並びに教会献堂25周 年記念感謝礼拝式を行なわれるみな様のお喜びと感謝はいかばかりかと想像に余りあ ります。 開拓時より竹ノ塚と共にM・チヒンナー宣教師によって藤井パン屋さん2階で夕礼拝 のみの旧北墨田伝道所(後に向島ルーテル教会)の両教会のほぼ当初からの歩みを知る 私は、一時の盛況?の後、文化センター二階のガラガラの礼拝、また私たちの挫折に対 し、憐みの主がどれほどの忍耐をもって、支えと導きの御手を差し伸べ続けて下さった ことを思うとき、神の真実なる義と憐れみによって立つ教会に招かれ、育まれているみ 恵みを思わずにはいられません。 この主のみ恵みへの感謝の応答として、キリストの隣人へ大きく右手を開き、信徒師 弟の教育を宣教の大きな課題として担い、希望をもって主の愛を正しく証ししていく教 会へと共に歩んでいきたいと切なる祈りを持って心から願い、お祝いの辞といたします。 12 竹の塚ルーテル教会の揺籃期 鈴木 素雄(浦和ルーテル教会牧師) 「竹の塚ルーテル教会」の皆さま。 「宣教開始五十周年記念」おめでとうございます。 様々な困難を乗り越え、宣教のわざに励み、主の祝福とお導きの内に、この記念の日を お迎えになられたことを、心からお慶びしお祝い申し上げます。 私の手許に1冊の革表紙の聖書があります。A6判の口語訳聖書です。裏表紙の見返 りのところに、毛筆で「祝受洗、1963年12月16日」と書いてあります。そして 送り主は「北隅田ルーテル教会」です。今から47年前になります。竹の塚ルーテル教 会が宣教を開始してから3年目です。 当時私は上記の北隅田ルーテル教会に通っていました。篠塚高男氏(神学校に入る前) に誘われて通うようになりました。牧師は宣教師のマックス・チヒナ先生でした。この 先生から洗礼を受けました。23歳でした。それから5年後にルーテル神学大学に入学 して神学生になりました。この時から「竹の塚ルーテル教会」と関わるようになりまし た。 北隅田ルーテル教会は藤井パン屋さんの2階を礼拝堂として、日曜日の夜礼拝をささ げていました。午前中が竹の塚ルーテル教会の礼拝です。私はチヒナ師について行き礼 拝を守りました。竹の塚ルーテル教会は「竹ノ塚文化センター」という建物の2階を借 りて礼拝を行っていました。この建物は木造の古い2階建てで、木の階段を上る時ギシ ギシ音がしました。私が礼拝の準備をしました。 ある主日の礼拝の前に、冬の寒い日でしたが、礼拝の準備をしている時、チヒナ先生 のガウンがストーブにかぶさり、あっと言う間に溶けてしまいました。鮮明に記憶に残 っています。礼拝の後、午後から近くの元木町というところで施設の一室で子どもたち を集めて紙芝居を見せたり、聖書の話をしたりして伝道をしました。 私の神学生生活は5年でしたが、その初期に竹の塚ルーテル教会に関わりました。ま た竹の塚ルーテル教会も揺籃期でもあったわけです。このような時に関わることができ ましたことを感謝し、そして懐かしく思い出しています。ますますのご発展をお祈り致 します。 13 今日あるのは神の恵み 安達 賢二郎(西日本福音ルーテル教会 青谷教会牧師) 「神戸在住」のひとりの姉妹に尾瀬で出会うことを通して私は北東京(現在の竹の塚) ルーテル教会へと導かれました。今から39年前の23歳のときでした。その姉妹がく ださった手紙の最後に書き記されていたひとつのみことばが、私の暗く、傷つき、悩み の多い人生に、かすかな希望の光を灯してくれたのです。Ⅱテモテ2章13節の「たと い、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である」とのみことばです。当時、 自分の内にある不真実性に苦しんでいた私は、もしかしたら「彼は常に真実である」と、 言われているイエス・キリストを知ることによって、真実な生き方のできる人に変えら れるかもしれない・・・と思って文化センターの3階にあった御教会の門を叩いたので す。 ある方から頂いた、押入れに読まれることなく眠っていた新約聖書を取り出し、繰り 返し読みました。心に響く箇所には鉛筆で横線を引きました。いつしか黒い線が増え、 私の心は聖書にとらえられていきました。また評判となっていました三浦綾子さんの三 部作、自叙伝の『道ありき』、結婚編の『この土の器にも』そして信仰入門編の『光あ るうちに』が、私の信仰の導きの助けとなりました。 1972年のクリスマスに信徒伝道者でありました、田島大三師より洗礼を授かりま した。その翌年の春、役員の一人である坂本春次兄(学院七期生)の勧めもあって、 「神 戸にある」信徒のための聖書学校、神戸ルーテル聖書学院に入学しました。 そんな私が、主にとらえられて、伝道者として立つ、召しを受けたのは、その年の9 月のことでした。神学校卒業後、出雲教会に遣わされました。思えば、私の人生は「神 戸」へ、「神戸」へと導かれていったことを思います。定年まで後三年ほどですが、悔 いのないように、牧者としてのまとめの働きをさせていただきたく思っています。 「今日あるのは、神の恵み」と思う時、信仰の母なる御教会があっての、今の私である ことを思います。竹の塚教会出身の献身者のひとりとして覚えて頂ければ感謝です。 創立50周年を迎えた母教会への感謝と共に、心よりお祝いを申し上げます。 14 愛に根ざし、愛にしっかりと立つ教会 白井 真樹(深川エマヌエルルーテル教会牧師) 今年の2月のある日のことです。その日、私は、大阪に出張中で、会議後、まっすぐ 北海道に帰る予定でした。しかし、Sさんが召されたとの知らせをいただき、葬儀に参 列するため、飛行機を東京から札幌の翌日の便に変更して、急遽、夜行バスで大阪から 新宿へと向かいました。バスに揺られながら、Sさんや竹の塚教会のみなさんのことを 思い出しつつ、その夜を過ごしました。 私は一六歳の頃、高校を中退して一人で上京しました。まだ若干一六歳の田舎者が、 たった一人で東京暮らしを始めたわけですから、いろんな不安や不自由なことがたくさ んありました。 そんな私にとって、竹の塚教会は我が家のような居心地のよい環境であり、当時、牧 会なさっていた北澤牧師とお連れ合いの泰子さん、そして教会員のみなさんは、家族の ように頼りがいのある方々でした。特に、婦人会の素敵な「お姉さま」方は、時には優 しく、時には厳しく、私を育ててくださいました。Sさんもその一人で、お宅にお邪魔 したり、お食事をごちそうになったり、ご家族で夜遅くまで語り合ったり、たいへんお 世話になりました。竹の塚教会のみなさんは、本当に自然に私を交わりの中へと迎え入 れてくださったのです。 この半世紀、竹の塚教会に集うみなさんはそのように大きな愛をもって、教会とそこ に集う人々のことを支えてこられたことでしょう。これからもその歩みが続けられてい くことを信じます。私も竹の塚教会のみなさまとの交わりの中で洗礼と献身に導かれ、 現在、こうして牧師として働かせていただいております。感謝の気持ちでいっぱいです。 教会のこれからの歩みの上に神さまの祝福を祈りつつ、みことばを贈ります。「信仰 によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にし っかりと立つ者としてくださるように。」 (エフェソ 3 章 17) 15 竹の塚ルーテル教会50周年記念寄稿 木村 繁雄(小樽オリーブルーテル教会牧師) 竹の塚ルーテル教会50周年記念おめでとうございます。 この50年間という長きに渡って、主なる神が導き多くの恵みを注ぎ、地域の宣教の 拠点としてお用いくださいましたことを覚え、主に感謝すると共に、教会での御働きを 忠実に為してこられた皆様に主なる神の更なる恵みが注がれ、これからの歩みが益々祝 福されますようお祈り申し上げます。 さて、振り返りますこと35年、1975年の春に教会実習ということで当時は北東 京教会の竹の塚教会ということだったとの記憶ですが、民家一軒をお借りして礼拝がも たれているところへと導かれて行きました。 当時、小見先生が牧会の責任を担っておられましたが、その当時はまだ礼拝に集まっ て来られる方が5人-8人くらいだったと思います。小さな部屋で礼拝が行われていま した。途中、その借りている家からその隣接している家の方に移ることになり、そちら での集会がもたれるようになりました。 伝道集会が開かれることになり、毎週土曜日に集会が開かれました。日曜日には礼拝 後みんなで伝道集会の案内を配布しました。次第に人が集まるようになってきました。 青年たちはバンドを組んでギター、フルート、ピアノなどで演奏し、楽しい集会となっ ていました。 次第に勢いがついてきて、トラックを借りて竹の塚の駅前に行き、トラックの荷台で 楽器を演奏し、歌を歌って伝道集会の呼びかけをしました。 最初からたくさんの人が集まった訳ではありませんが、次第に伝道集会に集まって来 る人は増えていきました。子どもたちのためには教会学校も始められ、こちらも次第に 多くの子どもたちが集まるようになってきました。 それに伴って、主日礼拝に出席する人たちも次第に増えてきました。10人以上の人 が集まるのが当たり前のようになって来て、更に20人以上の人たちが出席することも 珍しくなくなっていきました。1年が過ぎ、次の年は宣教研修ということでお世話にな りました。 土曜集会は当然のように毎週行われ、トラクト配布も毎週日曜日にはするものだとい うことになっていました。しかも、みなさんそれらのことをとても楽しく為さっておら れたことが忘れられないくらい印象的でした。 神様に仕え、福音伝道のために用いられる喜びをみなさんが共有しておられました。 使徒言行録に記されている初代教会のような主の霊に満たされて、喜びに生きる日々が 与えられたことを今でも深く感謝しています。 16 竹の塚ルーテル教会で学んだこと マイケル・ニアフッド(沖縄ルーテル教会牧師) 1983年の春と夏、私は北沢忠蔵先生の弟子になりました。私が日本ルーテル教団 の牧師になろうと思って、北沢牧師は私の教会実習の指導牧師でした。私は北沢先生の 後に従って、竹ノ塚ルーテル教会の中や関東地区の中の働きを見ました。その時、先生 からいろいろを学びました、例えば、ポスターの書き方や夏期聖書学校のやり方、礼拝 後で卓球を遊ぶような教会での楽しみを学びました。同時に、教会の会員も見て学びま した。例えば、婦人会の活動や青年会の活動を見ました。 今も、竹ノ塚教会で学んだ方法で働きます。観察した一番大切な事の一つとは、キリ スト信者の喜びです。ですから、竹ノ塚ルーテル教会の弟子になった事が良かったと思 い、主に感謝します。 在主。 写真に寄せて 小見 民義(引退牧師) 主のみ名を賛美いたします。 (ご依頼の写真遅すぎましたか。ごめんなさい。もう役に立たなかったですか) 坂本さん、轟さん、井出さんの当時のご苦労が思い出せます。37.8年前のお話ですね。 文化センターからの引越し、荷を出す時も行き先が決まってないほど、その中にも主は驚 くほどの解答を与え、喜ばせてくださいました。文化センターの前で夕方になっていまし た。全く初対面の方が「全部、我が家で預かりましょうか」と行ってくださった時は、主 から送られた声・・・有難く感謝でした。懐かしい思い出です。 (編集注:小見先生から何点かお写真を寄せていただきました) 17 1960 年 向島時代 18 宣教開始の頃、チヒナ先生と 養老渓谷で 文化センター時代 民家での集会 文化センターでの集会 19 文化センターでの集会 向島の集会所を閉じる 北東京ルーテル教会時代 ホーン先生とともに 20 そして竹の塚ルーテル教会へ 1983 年イースター 北沢忠蔵師 1985 年会堂建築開始 献堂式準備 牧野絹子さんよりパイプオルガンの寄贈 間違い探し 今の教会とどこが違うでしょうか? 21 さまざまな交わりの中で・・ -サマーキャンプ- 御代田 軽井沢 22 軽井沢めぐみシャレー 2004 年サマーキャンプ -教会学校キャンプ- 2004 年 CS キャンプ CS キャンプ水元公園 23 -イースター- 1993 年イースター 1998 年イースター 2000 年宣教 40 周年イースター イースターの劇 24 -クリスマス- 1996 年クリスマス 1998 年クリスマス 2003 年イブ礼拝 2005 年クリスマス祝会 25 -ペンテコステ- 聖霊の息吹を受けて・・・ -墓前礼拝- 春日部聖地霊園 26 -洗礼- -いろいろな催し物- バザー 2003 年バザー 27 ファミリーコンサート -忘れられない思い出- HB会 敬老の日 1994 年チヒナ先生から 十字架のプレゼント 28 1995 年聖書全巻リレー朗読会 地区婦人の集い 今井家での家庭集会 英会話学校と教会のかけはし VYMと共に 29 -これからの竹の塚ルーテル教会- 2009 年無牧でのクリスマス 徳善義和師とともに 2009 年外壁塗装を施す 2010 年江本真理師就任式 編集注:写真の印字が実際の年月日と異なるものがあ ります。関係者に確認して正確な年を記載しました。 30 竹の塚ルーテル教会歴代教職(2010 年 4 月作成) 1960 年-1971 年 マックス・チヒナ牧師 1971 年-1973 年 無牧(信徒責任者 藤井英一) 1973 年(4 月)-1977 年 小見民義牧師 1977 年-1978 年 無牧 1978 年-1979 年 クリフォード・ホーン牧師(兼任牧師) 1979 年 4 月-9 月 柴田千頭男牧師(兼任牧師) 1979 年 9 月-2007 年 3 月 北沢忠蔵牧師 2007 年 4 月-2009 年 3 月 山口卓也執事(責任教職 大和淳牧師) 2009 年 4 月-2010 年 3 月 無牧(責任教職 斉藤衛牧師) 2010 年 4 月 江本真理牧師 後記 竹の塚ルーテル教会月報「ぶどうの園」特別号として、竹の塚ルーテル教会創立50周年記念・ 献堂25周年記念の記念誌をお届けします。今回の編集にあたり、多くの皆様から写真を寄せて いただきました。編集の都合で全てを載せることができず、深くお詫びを申し上げます。ご協力 心より感謝いたします。なお、11月下旬にお渡し予定のCDにはさらに多くの写真を収さめる 予定ですのでお楽しみに。 主にありて 竹の塚ルーテル教会創立50周年記念準備委員会 2010年11月7日 31 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 テサロニケの信徒への手紙一 5. 16-17
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