佐世保知 る識 る百科

「一里島」
-佐世保の民話-
佐世保弁翻訳:永江義一さん
生活文化情報誌
むかしむかし、ある秋のきれいな夜のことやった。月の光ばあびて、島たちはのんびりと話し
ばしとった。
そこへ、どっからか美しか笛のねの聞こえてきた。そいば聞いた大将の松池島が、
「どうや、今夜は町にいって、矢しぶりに酒ば飲もうじゃなっか」とゆうた。
そばにおった桂島が、
「そりゃ、よか考えばい。あの美しか笛の音ば聞けば、じっとしとられんたい。」
と答えた。
少し離れところにおった美人の金重島も、髪ばくしでとかしながら、
「私も連れてって」
とゆうた。
そして、島たちは松浦島ば先頭に佐世保湾に入っていった。
久しぶりに町にきたので、島たちは酒ば飲んだり、歌ば歌ったり、踊ったりして夜の明けるの
も忘れて、大騒ぎばしとった。
ばってん、大将の松浦島は、夜明けの近づいとることに気のついた。島たちは、夜明け前に元
の場所に帰らんと、二度とそこに帰られんごとなってしまう。
「お-い。夜の明くっぞ。はよ並べ。帰っぞ」
「おおごとばい。急がんば間に合わんぞ」
と、みんなは急いで帰る用意ばした。
ばってん、一番若い一里島は、酔っぱら
って寝込んでしまっとった。
「一里島、早う起きんば夜の明くっぞ。」
と仲間の起こそうとしたばってん、一里
イラスト:長尾法明さん
島はぜんぜん起きらん。
「かわいそかばってん、しかたなか。一里島ば置いていこう。」
仲間の島たちは、時間のなかけんどがんすることもできず、あわてて帰ってしもうた。
こがんして、佐世保湾の中に一里島だけが、ぽつんと取り残された。
今でも、たくさんの船の通るたびに、一里島は、
「みんなのとこに帰りたか。」
とさびしそうにつぶやいとるそうだ。
そん時から、百あった島が一つ減ったので、九十九島と呼ぶごと、なったとゆうことたい。
は
季刊フリーペーパー
来春発行の
し
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『佐 世 保 知 る識 る百 科 』
特集
のりあき
Contents
■『エビとり』の思い出(早岐瀬戸)
*************************************************
「佐世保クイズ」の正解:Q1-3. 1902 年
Q2-1. 364m
Q3-3. 荘厳
ヒッポファミリークラブ(佐世保)は
SASEBO 市民文化ネットワークの活動の趣
旨に賛同します
*ヒッポのメルアド:○○○○○
生活文化情報誌「よかとこSASEBO」 第 8 号(2011 年 6 月発行)
発行元: SASEBO 市民文化ネットワーク(させぼ市民活動交流プラザ登録団体)
編 集:『佐世保知る識る百科』制作委員会
ホームページ:http://www.geocities.jp/yonecir/sasebobon
事務局:〒857-○○○ 佐世保市○○○○○○○○○○○○○○○○
TEL・Fax:22・7875 携帯:080・○○・○○ E メール:○○○
当冊子は市内の公共施設などで無料で配布し ていま す
Vol.8
■ 子どもの頃の遊びの思い出 ~昭和 10 年代~
2011
■ 世界を魅了した三川内焼
特別号
1
・・・・・・・・・・2
・・・・・・・・・・3
・・・・・・・・・・4
・・・・・・・・・・5
・・・・・・・・・・6
・・・・・・・・・・7
・・・・・・・・・・
■ 針尾無線塔の思い出
■ 広田城跡の思い出
■「佐世保の“宝物”再発見 市民講座」レポート
■「一里島」-佐世保の民話-
体験談、メンバー募集中!
し
し
編集: 『佐世保知る識る百科』制作委員会
はじめに
この号は『佐世保知る識る百科』特集です。
『佐世保知る識る百科』は、文化、特産物、自然、歴史、著名人、食べ物、地区ごとの特
長など、佐世保の魅力を満載した楽しい地域紹介本として、佐世保の市政施行 110 周年の来
春に市民の手で発行される予定です(市教育委員会後援事業)。
今号では、その『佐世保知る識る百科』に掲載予定の記事(および関連記事)の一部を、市
民の体験談を中心に先行してご紹介します。体験談は今回短縮版ではありますが、どれも郷
土への思いがこもっており、佐世保の良さを改めて感じさせてくれます。
※記述の正確さについては温かく見守って頂ければ幸いです(大きな誤りは訂正いたします)
本作りに取り組む『佐世保知る識る百科』制作委員会(実行委員会形式/毎月数回編集会議)で
は、こうした記事の取材や作成を通して、一緒に郷土の良さを見つめ直すメンバーを募集中
です。興味をお持ちのかたは同委員会事務局(p7 に記載)までご連絡下さい。
体験談募集!
『佐世保知る識る百科』に掲載します!
下記のいずれかに関して、昭和前半頃の体験をお持ちのかたは、事務局までご連絡下さい。
インタビューまたは寄稿をお願いいたしたく思います。その他の体験談も大いに歓迎!
軍艦(海軍工廠など)
炭鉱
西海橋の建設
昔の玉屋
終戦時の引き揚げ
佐世保くんち
針尾無線塔の思い出
「佐世保の“宝物”再発見 市民講座」レポート
この講座は、今年 2、3 月に連続 3 回で、させぼ市民活動交流プラザで催された(『佐世保
知る識る百科』制作委員会主催)。今回は「自然・文化編」として、各分野の第一線でご
活躍のかたに佐世保の魅力・特長について語っていただいた。(枠内は参加者の感想)
第1回«海の自然編»
九十九島の自然と生き物 2 月 6 日(日)
か
わ
く
ぼ
あきひろ
講師:九十九島水族館「海きらら」館長 川久保 晶博さん
佐世保近海は日本で唯一の外洋性多島海であり、温暖多雨とリアス式
の長い自然海岸線により、全国的にも貴重な常緑広葉樹林が栄養豊かな
海と多様な生物を育んでいるといった自然のしくみから、海と島の貴重
な生き物、そして水産業や海の温暖化など環境問題、保全活動まで、ス
ライドを見せながら分かり易くお話下さった。
☆九十九島がいかに稀有な場所であるか講義をお聞き し て わかり ま し た。多様な動植物が生存し て い
る佐世保の宝物だと つく づく 認識し ま し た。こ の貴重な自然を守り 続ける事が大事だと 思いま し た。
☆「海のゆり かご」ア マモの存在によ っ て 守ら れた生物を未来に残す為にも 、100 年の森を育て る事
が重要だと 思いま す。当たり 前だと 思っ て いた自然が当たり 前でない事、素晴ら し い環境の九十九島
の近く に住む佐世保市民は恵ま れて いる事に、今回の講座で気づかせて いただき 良かっ たです。
第2回«陸の自然編» ふるさとの自然と私たち 2 月 20 日(日)
か
M さん(針尾地区在住 *未推敲につき仮名表記)
二十歳前後に塔の頂上(136 メートル)まで 3 回登ったことがある。終戦直後の
昭和 20 年か 21 年頃は入れたので、仲間 2、3 人で登った。
上だけを見て中の鉄梯子を登る。てっぺんまで三、四十分くらいかかったと思
う。塔の中間付近に外への 1 メートル四方の突き出しがあり、そこで中休みし
た。風が強いときは塔全体が揺れているようだった。
登るときは希望を持って登るのでさほど恐くなかった(しかし、降りるときは手
が外れそうで恐かった)。てっぺんに立つと優越感・征服感を感じた。眺めがと
ても素晴らしく、海の彼方には五島も見えていた。
頂上は三角形になっていて、一辺は 5 メ
ートルほど、幅 60 センチ程度だった。うち
一辺には手すりが付いてなかったが、そこ
を歩いて見せる強者もいた。
子どもの頃(昭和 10 年前後)は、台風が来ると無線塔の空中線(*)の
太い銅線が切れることがあり、そのたびに正門から海に続く真っ直ぐ
な道で、工事の人達が新しい銅線を真っ直ぐ伸ばして長さを測り切断
していた。その切れ端を拾い集めて、屑鉄屋さんに渡しお小遣いにか
えた。
今も毎日家の前に見えているが、コンクリート外壁にはサビ一つ出ておらず、当時の建築技術の高さに
感心させられる。
[抜粋。全文は『佐世保知る識る百科』に掲載]
わ ち
の
よしはる
講師:「ふるさと自然の会」副会長 川内野 善治さん
佐世保の自然についての第一人者である氏が、小森川水系や国見山山系な
ど市内(主に陸・淡水域)のエリアごとに、希少生物(植物・昆虫・鳥・両生
類・魚介類)や自然の特徴について、調査・保全活動の体験談や美しい生物
写真もまじえ深く語って下さった。
☆数十年前よ り 主人と 山歩き を始めて いま すが、ま だま だ知ら ないこ と だら けだと 頭をガーンと やら
れたよ う でし た。
☆知ら ない事が多く あっ て 本当に為になり ま し た。自然の力と も ろさ に驚き ま す。各地の自然の 力は
異なると か。地道な御仕事に心よ り 感謝し ま す。どう ぞ佐世保附近の自然の回復と 発展のために後尽
力願いま す。川遊びの出来る川になれば幸です。
第3回«文化編»
佐世保と日本文化の紹介 3 月 11 日(金)
か わ は ら
え
り
こ
講師:米海軍基地 ファミリーサポートセンター 川原 江利子さん
新任の米軍人と家族にオリエンテーションで日本の文化、食、言語
などを紹介したり、基地放送局 AFN のラジオパーソナリティーなどを
務めておられる川原さんには今回、外国人には分かりにくい日本文化や
生活習慣、外国人にとって佐世保での生活で大変な点(バスの利用のしかた
等)やサポートのしかたを楽しく語っていただいた。
☆異文化の違いを長年のサポート 経験から 、面白く 話さ れたので大変刺激を受けま し た。日米の 交流、
佐世保市民と 米軍家族と の友好交流の発展を望みま す。
☆佐世保の良い点について の質問で、川原さ んは即座に「人の心が優し いこ と 。」と 答えたのは印象
に残っ た。横須賀や沖縄以上に市民が優し いそう で、それを知っ て 佐世保が誇ら し く 感じ ら れた。
*塔の頂上が互いにワイヤーでつながれ、各ワイヤーの中間から送信所まで線が引かれていた
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佐世保クイズ
Q1.佐世保は軍港として発展し村から一気に市となりましたが、それはいつの
ことでしょう?
1.1882 年 2.1892 年 3.1902 年 4.1912 年
(正解→p7)
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佐世保クイズ
Q3.佐世保市の花『カノコユリ』の花言葉はどれでしょう?
1.貞節 2.博愛 3.荘厳 4.慎み深さ
(正解→p7)
世界を魅了した三川内焼
*本に掲載予定の三川内焼のページの一部 (試論含む原稿段階 )
平戸藩の御用窯だった三川内焼。江戸時代後期(19 世紀)、藩はその
輸出を奨励し、薄手のコーヒー茶碗も開発され、輸出が本格化した。
そしてその精巧な作りと気品ある絵付けは、西欧の人々を魅了した。
○1878 年(明治 11 年)パリ万博
名誉賞:中里茂三郎、口石慶治
○1893 年(明治 26 年)シカゴ・コロンブス万博
入賞:豊島政治
○1900 年(明治 33 年)パリ万博
褒状:今村啓吉、豊島政治、里見政七
○1904 年(明治 37 年)セントルイス万博
金賞:三河内陶磁器業組合 銀賞:三川内陶磁
器合資会社 銅賞:江永陶磁器業組合・木原陶
磁器業組合
○1910 年(明治 43 年)日英博覧会
銀賞:豊島政治 銅賞:田中宇太郎、江永陶業
組合・木原陶業組合
十三代平戸藤祥による卵殻手。
絵柄が透けて見える。
夜行性)が流されてきて、それを住民が網で捕まえていた。
そして、海外で人気を博したそれら三川内焼
の中には、特に「卵殻手」という極薄もの(厚
さ 1 ミリ以下)があった。天保年間に池田安次
郎らが製作したとされるものが特に知られ、名
前の通り卵の殻のように薄く光も透け、これが
焼き物であるとは信じがたいほどである。身と
蓋合計でわずか 30g(注:現代の相当磁器製品は
200g位)で、“世界一薄い焼き物” の一つと
して欧米人を驚嘆させた。
その「卵殻手」はこの百年ほどほとんど途絶
えていたが、2006(平成 18) 年、五光窯の十三
代平戸藤祥(藤本岳英さん)が「卵殻手」(厚さ
0.9~0.5 ミリ)の復活に見事成功なさった。
早岐商店街の山崎履物店の店主山﨑貞喜さん(70 歳)もその一人。20 代半ばから十年以上「エ
ビとり」をやり、早岐では知られた名人だった。
か ん ちょう ば し
場所は観 潮 橋近くの佐世保湾側。茶市の時(5 月)から 11 月頃まで、夕方時分になると、もも
ひき・ズボン(その後、胴長靴やウエットスーツ)をはき、長さ 2 メートルほどの柄の大きな網を手に、
田子の浦交差点近くにあった旅館「大正館」横の小道を通り、潮が引いてくる海に入った。
その近くに、流れ中央に伸びる三列の浅瀬の岩盤があり「一番
瀬」「二番瀬」「三番瀬」と呼んでいた。真ん中の「一番瀬」が
ら ん か く で
最も本流に近づける好漁場で、その場所取りに 2 時間も前から行
き夜を待った。暗くなるとカーバイトランプを灯し首から提げ、
流れに向かった。
腰まで水に浸かり明かりで海中を照らしていると、橋の方から
ふた
(本文ここまで)
アンナ・ド・アルメイダ
*ポルトガル(?)/女性/旅行者
~旅行記(1862 年 5 月 23 日長崎来訪) ~
「長崎では磁器の最も美しい品々が作られており、それらを買うよう
に勧められていたので、私たちは花瓶や皿等々たくさんの買い物を
した。それらは透明で優美な卵殻陶器(egg-shell china)のカップと受
け皿とともに、大君の領土を遠く離れた今となっては、私たちにとっ
て大変貴重なコレクションとなっている。」
オイレンブルク
*写真:五光窯のホームページより
山﨑貞喜 さん (早岐地区)
「日本一流れの速い海」と言われる早岐瀬戸では、35 年ほど前まで夜に車エビやカニ(いずれも
コペンハーゲン(デンマーク)の工芸博物館長エミール・ハンノーバ
ーは「1750 年から 1830 年の間の日本磁器では、ミルクホワイトより
も白く、ブリリアントな (輝く)三川内焼が最高に優れており、鍋島
や有田の製品もそれには及ばない。」(1925 年刊『日本陶磁器考』)
輸出されたコーヒー碗
と述べており、明治以降の万博でも三川内焼は高い評価を受け、現在も
欧米の多くの美術館に所蔵されている。
受賞歴(海外) *明治期
さ だ き
『エビとり』の思い出(早岐瀬戸)
*プロシア王国/侯爵、外交官/日本と通商条約を結ぶため来日
~長崎滞在中の記録(1861 年) ~
「長崎で本当に美しかったのは、さまざまな空想的な絵画が描いて
あって、それが特に良く似合う大きな鉢や皿や花瓶であった。しかし
特にいわゆる卵殻磁器と呼ばれるものが買う気をそそっていた。そ
れは、一枚のカルタとほとんど同じほど薄くて、たいてい花や蝶を軽
くスケッチ風にしかも極めて巧みに描いたカップである。」
備考:1830(天保1)年に輸出され
始めた赤絵の薄手のコーヒー碗等
は、その優美さと薄さが海外で高く
評価された。そしてその中でも特に
アニー・ラッセル=コート *イギリス/女性
薄い『卵殻手』は、右掲の外国人ら
~旅行記(1885 年 12 月 2 日長崎来訪) ~
の記述にあるように、「egg-shell
「長崎は、特に卵殻陶器(egg-shell china)とべっ甲製品で知られてい
china」 (「egg-shell」は「卵の殻」
ます。」
の意) と呼ばれ大きな注目を集め
たようである。
*「受賞歴」、外国人の文面:松下久子氏(長崎県文化振興課学芸員)より
観潮橋付近(佐世保湾側 干潮時)
の流れに乗ってエビが 1 匹、また 1 匹と、目に光を反射させなが
ら前向きでスーッと泳いでくる。長い触角に網が触れるとパッと
す く
逃げるので、大きな網の中央でエビをとらえ素早く掬い上げる。そして、腰につけた網カゴに入
れた。「エビを探す時のドキドキ感と、とった瞬間の喜びは今でも忘れられない。」とのこと。
カニ(ワタリガニ、イシガニ、ムラサキガニなど)もとれたが、はさみでエビや網を傷付けるの
でカニを入れる金カゴも持っていた。
当時カニはありふれ、エビの方が捕まえるのも難しく貴重だったので皆エビを狙った。車エビ
が最大で、シーズン初めから徐々に増え、サイズも 5、6 月頃に 20 ㎝くらいになる。一晩に 3 ㎏
とったこともあるそうだ。車エビと入れ替わりに芝エビ、赤エビ
もとれた。
多いときは一晩に 20 人ほど付近の住民が繰り出し、5 時間くら
い夢中になり、終わると「今日はだれが一番とった」と自慢し合
った。夏には子ども達も加わり、観潮橋から見ると海上のあちこ
ちに明かりがともり幻想的な眺めだった。
のりあき
付近で漁をする舟も何隻かあったが、大潮の時は流れが急で舟は
長尾法明さんのイラストより
近寄れなかった。
持ち帰ったエビやカニは、料理したりおがくずや水槽に入れた。大村の親戚に汽車で持って行
くとたいそう喜ばれた。
当時の海は水が澄み、海草も魚も貝も豊かだったが、1970 年代半ばから海は汚れエビもいな
くなり、「エビとり」も遠い思い出話となった。エビがとれる海が戻ることを願いたい。
[一部省略。全文は『佐世保知る識る百科』に掲載]
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佐世保クイズ
Q2.弓張岳の高さは何メートルでしょう?
1.364m 2.289m 3.256m 4.423m
(正解→p7)
子どもの頃の遊びの思い出
広田城跡の思い出
~昭和 10 年代~
つつみ
川や堤 でよく遊んだ。5、6 歳頃から、
夏になると家の前の、川(鹿町炭鉱の方からの川と船ノ
村からの川)の合流点に深みがあり、そこで近
談:江口敏夫さん(鹿町町出身/大野地区在住)
*昭和 3 年 9 月生まれ。旧鹿町村南鹿町免出身(現在の MR
江迎鹿町駅の南南西で海からは約 2 ㎞)
くの炭住(炭鉱住宅/約 60 世帯)の子らと 5、6 人で水遊びをした。2 つの川のうち炭鉱からの川は石炭を洗
った水が流れ、水から揚がると墨がついたようになった。下流の深みではよく釣りもした。一度巨
大な真鯉を釣り上げ、喜び勇んで家に持ち帰ったことは忘れられない。船ノ村からの川は水がきれ
いで、ツガニやエビ、ウナギなどがいた。中学生の時にはカーバイトランプを持ち夜掘りに行った。
小 6 前後には、河野病院近くの堤で、へこ(ふんどし)姿で泳いだ。「仏壇のご飯を食べてから泳ぐと
ガッパにつかまれない」と言われていたので、いつもそうした。
忘れられない思い出がある。当時、金物屋を営みつつ炭鉱でも働いた父は、二番方(夕方からヤマに入る)
のときは昼間家に居た。自分は幼時から父親に馴染まない子だったが、ある日、母が「お前が泳ぎ
に行く時、お父さんは後をつけて行って、お前が溺れないように見よらすとよ。」と教えてくれた。
おれのことをそこまで思ってくれていたのか、と父の心を初めて知った気がした。
山でも遊んだ。ヤマモ(山桃)や木イチゴを食べ、マテ(マテバシイ)の実を集め自分で炊いて食べた。「メ
ジロ落とし」(ワナ)をかけてメジロも捕まえた。
炭住の広場や分教場(鹿町小分校)がメインの遊び場だった。当時石炭産業が盛んで子どもが多く、すぐ
け ん か
に 7、8 人集まって遊んだ。喧嘩ゴマや掛けゴマ(ヨーヨーのようにして振り回す)、ペチャ(メンコ)、ビー玉、鬼ごっ
け
こ、「蹴り馬」(*)などなど。田んぼで「棒倒し」(木の棒を地面に投げて刺し、他の者が投げ刺しながらそれを倒す)をやったり、
小 4 の時に買ってもらった自転車(当時珍しかった)を乗り回したりした。
*蹴り馬…左図。立った人の腰につかまり二人で馬になる。馬の不意をついて飛び乗る。馬に飛び乗り損ね落馬したり蹴られた人は交代
して馬になる。暴れ馬に飛び乗るのは迫力がある
祭りも楽しみだった。8 月 23・24 日の「江迎千灯籠まつり」には、小学校高学年から中学生にか
けて同級生と 2、3 人で出かけた。晩ご飯を早く済ませると、当時バスがなかったので江迎まで 4
㎞ほどの道を歩いて行った。出店や出しものを見物して回り、家に着く頃には 1 時を回っていた。
とう ご
み こ し
11 月 5 日の藤護神社(深 江 / 村 社 )のお祭りには、村民がこぞって出かけた。馬に乗った神主やお神輿
の行列があり、神輿の下をくぐると病気をしないという言い伝えがあり、子ども達は神輿を追いく
Web サイト「佐世保戦国.com」管理人さん
私が佐世保の郷土史に関心をもったきっかけは、広田城の存在でした。
子供の頃の話です。よく遊んでいた山の中で、ある日不思議な洞窟というか人工的な洞穴を発
見しました。何が不思議だったかというと、普通ならば私の家の近くにある洞窟といえば防空壕
でした。現に反対の山の斜面にはいくつかの防空壕の跡らしきものがありました。しかしその時
見た洞穴は真下には大きな川が流れている滅多に人が入っては来れない、どう考えても防空壕を
作るべき場所ではない急斜面にあったのです。
かすかな記憶から思い出すと、穴の周囲には大きな岩がしきつめられていて奥へは入れず 2~3
メートルのところで土砂が落ちてきたのか、ふさがっていました。
そんな子供の頃の記憶も徐々にうすれていき、30 才を越えた頃、「ふるさと歴史めぐり」とい
う本を眺めていたところ、広田城という文字に目が止まりました。自分たちがしょっちゅう遊ん
でいた山の中にそんなところがあったなんて、とすればあの不思議な洞窟は城に関係した隠し通
路みたいなものじゃないか!? そして私は自分の生まれた町に城が在ったという喜びと、昔の謎を
解き明かし、何かしらの大発見があるんじゃないかというワクワクした気持ちで、20 数年ぶりに
山の中へ足を踏み入れたのです・・・
それから、広田城の歴史を調べ、城主の名を知り、戦があったこと、城とはいうものの砦的な
役割をもつ山城だったことを知り、そこから、早岐地区には他にもいくつかの山城跡があること、
更に佐世保市全体では、30 以上もの山城があったらしいということも知りました。
そこを拠点にして幾人もの武士達がこの地を駆け、いくつもの戦を繰り返しては領土の拡大を
図り、それぞれの思惑の中、それこそ死に物狂いで生きていたんだということを想像できるよう
になりました。
今でも土地の名前や古文書など当時の人々の息吹を感じられるものが残っており、きっと未だ
に発見されていないものもたくさんあるのだろうと思います。発見されるのを待って、私のすぐ
そばで眠っているものもあるかもしれません。専門家の方々の地道な努力と、勤勉さに敬意を表
して、新たなる発見を待ち望んでいる私です。
山の中へ足を踏み入れてからの話ですが・・・
結局は不思議な洞穴は見つかりませんでした、もしかして土砂で完全に埋まってしまったのか
もしれません。今になって考えるとあれは洞穴ではなく、川を渡り船から下りて斜面を上ってく
る敵兵を上から迎え撃つためにつくられた兵士のたまり場か矢石置き場みたいなものだったのか
もしれません。
[この文章は Web サイト「佐世保戦国.com」の前書き(一部省略)です]
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「佐世保戦国.com」のご案内
http://sasebosengoku.com
ぐり抜けた。
今思い出すと楽しい子ども時代で懐かしい。
[この記事は原稿段階 (修正作業中) です]
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<イベント案内>
主催:佐世保楽画喜連合会 お問い合せ TEL24・8512 木寺十郎(自由朗)
え
★魚名魚字楽画喜展
8 月 4 日(木)~9 日(火)
玉屋 6 階画廊
読め鱒か? 鰻、鱧、鰯、鰕、…
漢字と絵の感じ‥色紙約 60 点
が
お
★笑顔絵画和 楽画喜展
8 月 10 日(水)~16 日(火)
玉屋 6 階画廊
オニもダルマも図っこけて笑う
スマイル画 色紙約 60 点
Web サイト 「佐世保戦国 .com」をご存知ですか?
佐世保は中世の城の数が全国でも有
数の土地として有名ですが、このサイ
トでは、それを数多くのオリジナルのイ
ラストや武将評などを交えて楽しくか
つ詳しく案内してあります。
市内在住のかたが作られた大変ユニ
ークなサイトでおススメです。是非一度
ご訪問下さい(アドレスは上記)。
*注:当サイトは様々な資料・解釈から作成されており異なる学説も存在します (「佐世保戦国.com」管理人)