マイナス金利と社債

CAPITAL MARKETS LEGAL UPDATE
2016 年 10 月
マイナス金利と社債
弁護士 白川 もえぎ
日本銀行は、2016 年 1 月 29 日、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を決定し、「量」・「質」・
「金利」の三つの次元で緩和手段を駆使することとした。このうち、「金利」については、金融機関が有
する日本銀行当座預金の残高の一部に-0.1%のマイナス金利を適用することとした(以下「マイナス
金利政策」という。)。2016 年 9 月 21 日に、日本銀行は、それまでの金融緩和策を総括的に検証し
たうえで、金融政策の軸足を「量」から「金利」に移した、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」
を決定した。この新しい枠組みの下でも、短期金利の目標として、引き続き上記のマイナス金利の適
用が掲げられている。本ニュースレターでは、このようなマイナス金利政策が社債及び社債市場に与
える影響について取り上げる。
1 マイナス金利下の変動金利型の利息合意
マイナス金利の法律問題は、ヨーロッパの債券市場でマイナス金利が発生するようになった 2012 年頃から、徐々に
日本でも議論されるようになってきたと記憶している。伝統的な見解では、「利息」とは「元本使用の対価」であり、「リ
スクの対価」ではないので、元本を使用する借入人が支払うものであり、それがマイナスになることはあり得ないという
のが一般的だったように思われるが、当時、少なくとも法律実務家レベルでは、まだそれほどの議論の必要性も感じ
ていなかったように思う。
日本でのマイナス金利政策の導入により、金利がマイナスになることで、利息もマイナス、すなわち逆方向の支払が
行われることになるのかという点に、法律実務家たちは大きく反応した。変動金利型の金銭消費貸借や社債におい
ては、LIBOR や TIBOR 等の基準金利に一定のスプレッドを加えた適用金利によって利息を計算するが、マイナス金
利政策の開始後は、基準金利がマイナスになる事態が一部で常態化した。さらに、円 LIBOR がマイナス圏に低下す
るに及んで、計算上は、スプレッドを加えても適用金利がマイナスとなる事態も生じることとなった。この結果、基準
金利がプラスであることを当然の前提として作成された多くの契約や社債要項について、どのように解釈すべきかに
関し、活発な議論が交わされた。
その中で、日本銀行が事務局を務める金融法委員会は、マイナス金利を想定した明示の定めのない金融取引にお
いて、契約解釈上生じ得る不明確性をできる限り解消し、取引の安定性を高めることを目指して、2016 年 2 月 19
日、「マイナス金利の導入に伴って生ずる契約解釈上の問題に対する考え方の整理」と題する一連の見解を公表し
た。もはや旧聞に属するきらいもあるが、この見解はマイナス金利政策導入後の実務において広く指針として活用さ
れてきたため、本稿のテーマに関連する限度で簡単に内容に触れたい。
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(a) 金銭消費貸借契約にせよ社債要項にせよ、それらの契約書類にマイナス金利を想定した明示の定めがあれ
ば、それらは契約自由の原則に基づき有効と考えられる。
(b) 契約書類にマイナス金利を想定した明示の定めがない場合には、利息の内容として当事者がいかなる合意
をしたと解釈するのが合理的であるかを探ることが原則である。
(c) 多くの金銭消費貸借契約では、適用金利の計算結果がマイナスとなった場合の当事者の合意としては、借
入利息がゼロになることに留まり、貸付人が借入人にマイナス分を支払うことまでの合意があったとは認めにく
い。すなわち、適用金利についてゼロを下限とするゼロフロアの合意があったと解する方が合理的であろう。こ
れは、①利息の合意はもっぱら借入人による貸付人に対する利息支払義務として契約書類中に定められて
おり、適用金利の計算結果がマイナスになったからといって、逆方向の(=貸付人による借入人に対する)金
銭の支払義務を読み取るのは容易ではないこと、また、②金銭消費貸借における利息は、一般に元本使用
の対価と考えられるため、その性質上、借入人が貸付人に支払うべきものであり、貸付人が支払うべきものと
は解されないことによる。
(d) 社債は、金銭消費貸借契約の性格を有するため、上記の議論が当てはまる。また、そもそも、社債要項は債
務者である発行会社が社債権者に対して負担する債務の内容を示すものであり、社債権者が発行会社に対
して何かを約するものではない。さらに、社債の振替制度を運営する証券保管振替機構のシステム上、発行
会社が社債権者から期中に金銭を徴収する仕組みは定められておらず、マイナス金利分の金銭の徴収の
実現も困難である。よって、適用金利の計算結果がマイナスとなった場合には発行会社からの利払いがゼロ
になることの合意、すなわち適用金利についてゼロフロアの合意があったと解することが合理的である。
(e) 上記は一般的な考え方の整理である。このため、具体的な契約文言、取引の経済的合理性、当事者の取
引動機(特定の取引のヘッジ目的等)、説明・交渉経緯、当事者の属性等の個別事情により、特段の事情が
あれば、上記とは異なる合意を認定すべき場合もあるだろう。
金融法委員会の考え方には法的な拘束力はないものの、マイナス金利政策導入後いち早く公表されたため、金融
取引の解釈の指針として機能し、実務の混乱が回避されたように思われる。その後は、大多数の金銭消費貸借契
約やユーロ・ミディアム・ターム・ノート・プログラム等の社債要項に、適用金利の計算結果がマイナスになった場合の
ゼロフロア合意の規定が盛り込まれることとなった。
2 社債市場の動向
次に、マイナス金利政策導入後の日本の社債市場の動向のうち、興味深いものをいくつか書き留めたい。
(1) 利回り及び表面金利の低下
一つ目は、当然のことであるが、マイナス金利政策の導入により、社債の利回りが急速に低下したことである。既発
社債のマイナス金利での取引も出現している。
発行市場においても金利の低下が進んでいるが、償還期間が1年未満の短期社債(いわゆるコマーシャルペーパ
ー)以外の一般社債の振替制度においては、マイナス金利に対応したシステムが構築されていない。すなわち、振
替制度上、発行会社が社債権者から期中に金銭を徴収する仕組みが定められていないため、当面マイナス金利
での社債の発行はできないと見られる。もっとも、0.001%といったノミナルな利息を付けた利付債の形をとりつつ、い
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わゆるオーバーパー発行(割増発行)とすることで、利回りをマイナスにした債券は既に発行されている(2016 年 2
月発行の日本政策金融公庫債券や同年 6 月発行の原子力損害賠償・廃炉等支援機構債等)。また、2016 年 10
月14日に条件決定がなされたトヨタファイナンス株式会社の 3 年債は、利回りこそプラスを維持したものの、発行価
格が 100 円につき金 100 円 00 銭 2 厘となり、事業会社債として初のオーバーパー発行(割増発行)となった。
コマーシャルペーパーは、アンダーパー発行(割引発行)という仕組みがとられており、期中の利払いがないため、マ
イナス金利へのシステム対応が比較的容易であり、証券保管振替機構によるシステム対応の直後、2016 年 3 月
に三井住友ファイナンス&リース株式会社が初めてマイナス金利でコマーシャルペーパーを発行した。
(2) 劣後特約付社債
二つ目は、劣後特約付社債の発行が増加したことである。これまで劣後特約付社債といえば、銀行や生命保険会
社等の金融機関が発行するものが多く、バーゼルⅡやバーゼルⅢといった金融機関の国際的な自己資本比率規
制の枠組みの中で、発行金融機関の自己資本に組み入れることが認められるように社債要項が設計されていた。
ここ数年を見ると、特にバーゼルⅢに準拠して発行金融機関のその他 Tier1(AT1)に組み入れられる AT1 債の発
行が急増した。
最近では、金融機関以外の事業会社でも劣後特約付社債(ハイブリッド社債)が発行されることも多くなっている。
2016 年 9 月に発行されたソフトバンクグループ株式会社や三菱商事株式会社の劣後特約付社債は記憶に新しい。
金融機関とは異なって、事業会社は自己資本比率規制に直面しているわけではないが、発行会社側から見ると、
大規模な投資や M&A で借入が膨らんでも、劣後特約付社債による調達であれば、商品性に応じて、劣後性や超
長期の返済期限、場合によっては利払いの任意繰延べといった性質に照らして、格付機関から資本性の認定を受
けられることが多く、そのことが大きな魅力のひとつとなっている。このため、社債要項の設計にあたっては、格付機
関による資本性の認定要件を考慮することになろう。
投資家側から見れば、劣後特約付社債は、全体的に利回りが低下した運用難の中でも比較的高い利回りを提供
する魅力的な投資先と映る。ただし、劣後特約付社債は、その名が示すとおり破産手続等において元利金の弁済
が劣後することはもとより、利払いを発行会社の任意で繰り延べられる条項(利払繰延条項)や、予め社債要項で定
められた実質破綻の時点で元本が毀損する条項(実質破綻時免除特約)等が付されることにより、一般の社債に
比べて大きな信用リスクを取ることになる。このため、実務的には、発行会社の企業情報や商品固有のリスク情報
の開示に一層の留意を要する。
(3) 超長期債
三つ目は、満期までの期間が 10 年を超える超長期債の発行が大きく増加したことである。これまで超長期債は、安
定した収入が見込める鉄道や電力・ガス等の公共業を営む会社による発行がほとんどであったが、事業会社にも発
行の裾野が広がった。また、2016 年 2 月には、民間企業として初めての 40 年債が発行される等、年限も拡大した。
これは、マイナス金利政策の影響で社債市場の発行利回りが低下し、運用難に直面した投資家がプラス利回りを
求め、利回りが比較的高い超長期債に運用先を求めたことによる動きであった。他方、プラス利回りを求めるあまり、
企業の信用力の差に関係なく、利回りの絶対水準と需給で発行が決まる状況にもつながり、危うさを指摘する声も
あった。2016 年 7 月下旬以降の長期金利の上昇(債券価格は下落)を警戒して、市場では超長期債の一部を敬
遠する動きも出ており、超長期債発行のブームは一段落したようではある。ただし、2016 年 9 月 21 日の日本銀行
の新枠組みの決定以後、長期金利が再度低下する等、超長期債の市場は不安定さが続いている。
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3 最後に
社債関連でのマイナス金利に伴う法律的な問題は、現時点では一段落しているといえよう。ただ、マイナス金利政
策導入以降の 8 ヶ月間あまりの社債市場の変化は、それまでと比較してもかなり大きなものであったように思われる。
社債市場に関連する弁護士業務を、法的論点の検討と法的文書の作成というように狭く捉えるとすれば、それらの
変化の全てが弁護士業務に実質的なインパクトを持つものではないかもしれない。しかし、法律事務所も社債市場
に対してリーガルサービスという一つのインフラを提供する立場であり、社債市場で何が起きているのかを観察しそ
れに対応していくことは、社債市場の活性化につながるものであると信じることから、今回、ニュースレターにおいて
取り上げた次第である。
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Capital Markets Legal Update 発行責任者
弁護士 多賀大輔、広瀬卓生、吉井一浩、福田直邦
©Anderson Mori & Tomotsune
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