東アジアの社会階層と社会的不平等

東アジアの社会階層と社会的不平等
──比較を通じてみる「格差社会」の日本的特徴──
東京大学
1
有田 伸
本報告の目的
2005 年の SSM 調査では、韓国、台湾においても日本のそれと基本構造を同じくする調査が実施
されている。グローバル化とそれを背景とした新自由主義的諸改革が各国において急速に進んでい
る今日、このような世界的潮流が社会の階層構造と移動機会、あるいはそれらに関する意識にどの
ような影響を及ぼしているのかを検討することが、このたびの SSM 調査の担うべき喫緊の課題と
なっており、このために、背景条件の比較的類似した東アジア社会間の比較が有益な視点を提供す
るものと考えられたためである。
韓国・台湾調査データを用いた第一次的な分析を一通り終えた(有田 2008)今、上述の課題、
すなわち東アジア社会との比較を通じ、より広い視角から、日本の社会階層状況とその特徴を描き
出すという課題に真正面から取り組んでいく必要に迫られている。本報告では 2005 年 SSM デー
タ等の比較分析を通じて(非力を顧みず)このような課題にこたえていくことを試みる。
2
雇用の柔軟化と社会的不平等の立ち表れ方
本報告においてまず着目するのは、「格差社会」を導く要因としてしばしば指摘される非正規雇
用に関する問題である。有期雇用や時間制雇用の増加として表れる雇用の柔軟化現象は、グローバ
ル化を背景として多くの社会に共通して生じている現象である。しかし、それがどのような社会的
不平等をはらみつつ、どのような形で進行していくのかに関しては、社会間で大きな違いがある。
2.1
どのような社会的不平等をはらむか
有期雇用や時間制雇用といった雇用形態と、そうではない「正規的」雇用形態との違いは、第一
義的に雇用契約期間と勤労時間という雇用のフレキシビリティに関するもののみであってもおか
しくはない。しかしながら、非正規雇用の導入経緯や企業の雇用慣行、さらには非正規雇用をめぐ
る労働法制等のあり方如何によっては、本来雇用の柔軟性程度に基づく雇用形態の相違が、賃金、
昇進機会、社会保障といったその他さまざまな条件の格差を随伴することになる。日本では、生活
保障的色合いの強い従来の雇用制度から「自由」な周辺的雇用として契約社員やパートタイマーが
位置づけられているため、これらの雇用形態の違いが雇用のフレキシビリティ以外にきわめて多く
の大きな格差をはらんでしまう。一方、韓国の事例は比較的日本に近いといえようが、そもそも労
働市場がかなり柔軟な性格を帯びている台湾では、状況がやや異なる可能性もある。
2.2
どのような属性と結びついて生じるか
雇用形態の相違が雇用の柔軟性以外のさまざまな格差を大きくはらむとすれば、次に、それが個
人のどのような属性と結びついて生じているのかを明らかにすることが重要な課題となる。ここで
まず年齢、性別との関係をみると、日本では若年層と女性に非正規雇用が集中しており、壮年男子
の場合、被雇用者中の非正規雇用者比率は数%に過ぎないのに対し、韓国では年齢・性別による差
異が比較的小さく、壮年男子でもその比率が 20%を越えている(有田 2006)。日本では新規採用
を減らしそれを非正規雇用によって代替することで、既存の雇用が守られてきた一方(玄田 2001)、
韓国では経済危機の打撃が余りに深刻であったため、その余裕すらなく、雇用の柔軟化があまねく
進行した結果と捉えられる。日本では、従来の雇用システム、あるいはそれを支える「男性社員の
雇用確保を通じて、社員とその家族の生活を保障する」という発想が現在でも部分的に残り続けて
いるために、雇用の柔軟化がもたらす不平等の様相に独特な特徴が付け加えられているのである。
3
従来の社会階層研究との接合の試み
雇用形態の違いがもたらすこのような社会的不平等に対して、社会階層論はどのように接近して
いくことが可能であろうか。またこの問題の検討に、これまでの社会階層研究の蓄積をどのように
つなげていくことができるのであろうか。
報告者はここで、企業規模がもたらす格差との類似性に着目したいと考えている。日本の社会階
層構造を把握するために「企業規模」に着目することの重要性は安田(1969)などよりつとに指摘
されているところであり、実際日本では企業規模の違いを考慮した総合職業分類が広く用いられて
いる。また企業規模がもたらす影響は、近年韓国においてもかなり大きなものとなっている。
企業規模が個人の階層的地位にもたらす影響とは、何よりもまず賃金水準の違いによるものであ
ろうが、そのほかにも年功的な賃金上昇・昇進機会、雇用の永続性、退職金の多寡、あるいは住宅
提供をはじめとするさまざまな企業福祉の水準などが含まれていると考えておかしくはない。そし
てこのように考えるならば、現在問題となっている正規雇用と非正規雇用の間の格差は、これまで
日本の社会階層研究が着目してきた企業規模間格差とある程度似通った性格のものであるように
思われるのである。
そもそも勤務先の規模が個人の階層的地位を大きく左右するという状況は、労働市場の二重構造
にまずその原因を帰することができようが、さらにいえばそれは、日本においては個人の生活保障
が政府の公共政策によって普遍的に強く満たされるのでも、あるいは逆に完全に個人に任されるの
でもなく、企業という主体によってそのかなりの部分がカヴァーされ(橘木 2005)、その結果、企
業の福祉提供能力、あるいは雇用や生活給的報酬制度の維持能力が個人の生活水準に大きな影響を
及ぼしているためであるとも考えられる。橘木も指摘するように、これらの便益を享受しうる正規
雇用者とそこから排除されがちな非正規雇用者間の不平等は、日本の福祉レジームのこのような特
徴によって一層大きなものになっているといえるだろう。
今日の日本社会における不平等を適切に把握し、さらにそれを教育と地位達成、あるいは世代間
移動といった社会階層論の主だった問題群と接合していくためには、それらの背景に存在する「制
度」に対する着目が何よりも重要であると考えられる。国際比較、あるいは東アジアの社会間比較
は、明らかに、そのために有効な方法の一つとなるであろう。
(当日の報告では、調査データの分析を通じ、以上の議論をさらに展開させていく予定です。)
文献
有田伸. 2006.「雇用構造の特徴を考慮した日韓比較階層研究の可能性」第 79 回日本社会学会大会報告資料.
有田伸編. 2008.『2005 年 SSM 調査シリーズ 13 東アジアの階層ダイナミクス』2005 年 SSM 調査研究会.
玄田有史. 2001.『仕事のなかの曖昧な不安』中央公論新社.
橘木俊詔. 2005.『企業福祉の終焉』中央公論新社.
安田三郎. 1969.『社会調査ハンドブック(新版)
』有斐閣.