G タンパク共役型受容体の研究

子供たちに聞かせてあげたいノーベル賞 2012
《子供たちに聞かせてあげたいノーベル賞 2012》
2012 年ノーベル化学賞
G タンパク共役型受容体の研究
2012 年のノーベル化学賞はアメリカ・デューク
ました。そのような汎用性の高いパーツの一つが
大学のロバート・レフコウィッツ教授(69)とア
2012 年のノーベル賞研究となった G タンパク質
メリカ・スタンフォード大学のブライアン・コビ
共役型受容体です。
ルカ教授(57)の二人に授与されました。業績は
「G タンパク共役型受容体の研究」です。
たとえば、仕事で帰りが遅くなって、真っ暗で
周りに家も無いような道をバス停から自宅まで歩
かなければならなくなったときのことを考えて下
さい。
ロバート・レフコウィッ
ブライアン・コビルカ
ツ教授
教授
© The Nobel Foundation
© The Nobel Foundation
私たちの目や鼻や口には光やにおいや味を感じ
取るセンサーがあります。また、体の中の細胞に
もホルモンや情報伝達物質などを感じ取るセンサ
ーが備わっています。それらはアドレナリン、セ
ロトニン、ヒスタミン、ドーパミンなどと呼ばれ
ふと気がつくと、コツコツと自分を追いかけて
る化学物質に反応します。生物が生きていく上で
くるような足音が背後に聞こえたとします。その
感じ取らなければならない外界の環境や物質は無
足音がどんどん自分に迫ってきます。そんな時は
限にあります。それらのすべてにそれぞれカスタ
きっと「いやいや、気にする必要は無い、きっと
マイズした仕組みを用意するのはたいへんなので、
自分と同じように仕事で遅くなった人が家路を急
生命は進化の過程で、汎用性の高いセンサー回路
いでいるだけだ」って自分に言い聞かせようとし
を開発し、細胞は似たような仕組みをいろいろな
ますよね。でも、誰かが自分の背後にいると思う
シチュエーションで繰り返し使用する進化を遂げ
と、冷静になろうとする自分の感情とは裏腹に背
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子供たちに聞かせてあげたいノーベル賞 2012
中がぞくぞくするなど体にいろいろな異変が生じ
いう科学者もいます。また、医薬品の半分は GPCR
ると思います。これは脳から全身に対して危険に
に作用して治療効果を発揮すると言われているほ
備えるよう第一段階の警報が発せられて、全身の
ど、医療上も重要なターゲットになっています。
細胞がそれに対応するべく反応しているためです。
これほど重要な GPCR ですが、研究が難しく、そ
たとえば、目は暗闇の中の人影を認識しようとよ
の性質などの科学的な解明は近年までほとんどな
り多くの光を取り入れようとしますし、心臓は鼓
されていませんでした。
動を高めますし、肺は気管が拡張してより多くの
19 世紀の終わり頃、科学者たちは心拍数と血圧
空気を取り入れるために呼吸が速まります。そし
を上昇させ、瞳孔を散大させる物質として知られ
て、第二段階の警報として脳が「逃げろ」と全身
ていたアドレナリンの肉体への影響について科学
に指示すると筋肉細胞や脂肪細胞などの全身の細
的に解明しようと研究を続けていました。当時の
胞に再度情報が伝えられ、その情報を受け取った
研究者たちはアドレナリンは中枢神経系を介して
細胞は緊急事態の対応を取ります。その結果、血
作用しているのではないかと推定していましたの
液中に大量の脂質や糖分が流入したり、呼吸がさ
で、実験動物の中枢神経系を麻痺させてアドレナ
らに上昇したり心臓の鼓動をより高めて逃げるた
リンの作用がどのように変化するのかを観察して
めに筋肉が必要な酸素やエネルギーを全身に送り
いました。けれど、どんなに中枢神経系を麻痺さ
始めたりします。
せてもアドレナリンは作用したため、反応する細
胞そのものに、細胞の外にあるアドレナリンのよ
私たちの体は数十兆もの細胞が集まってできて
います。それらの細胞は役割分担をしていて、あ
うな化学物質を感じ取る受容体があるに違いない、
と科学者たちは考え始めました。
る細胞は脂肪を蓄えたり、ある細胞は光を認識し
科学者たちはその受容体がどのようなもので、
たり、また、ホルモンを作り出す細胞や筋肉の構
どのようにして細胞外の情報を細胞内部に伝える
成成分となって運動する細胞もあります。それら
のかを知りたくて、受容体の発見に取り組みまし
が正しく機能するためには細胞同士が連携して活
た。アドレナリンは細胞の外にあります。一方で
動することが重要です。そのためには細胞が自分
体内のアドレナリンの量がどれほど高まったかを
の周囲の状況を知る必要があり、センサーが必要
知るのは細胞内部の仕組みです。けれど細胞内外
となります。細胞の表面にあるセンサーのことを
は細胞膜と呼ばれる油の壁で明確に仕切られてい
受容体と言います。
ます。細胞外で受容体がキャッチしたアドレナリ
今回ノーベル化学賞を受賞したレフコウィッツ
ンの情報はどのようにしてこの壁を通り抜けるの
教授とコビルカ教授は通常、GPCR とよばれる G
でしょうか?
タンパク質共役型受容体についてその詳細を研究
で起きている出来事を知るのでしょうか?
しました。GPCR は類似したタンパク質の構造を
どこの研究はなかなか進展しませんでした。
持つ多くの受容体の総称で GPCR で感じ取るこ
GPCR が解明された今になってやっとわかったこ
とができる物質はアドレナリン、ドーパミン、セ
とですが、この受容体は数が少なく、しかもほと
ロトニンなどの小さな分子の情報伝達物質や、膨
んどの場合、細胞膜の中に埋め込まれているため、
大な分子の集合体のにおいや味、分子ではない光
初期の研究者等は GPCR にたどり着くことがで
などさまざまで、それぞれに反応する受容体が見
きなかったのです。
細胞内部はどのようにして細胞外
けれ
つかっていて、生理的な現象のほとんどは何らか
の形で GPCR がセンサーとして関わっていると
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レフコウィッツ教授は受容体を突き止めるため
の新しい実験手法を考えました。GPCR に結合す
者であり、当時は若き医師だったブライアン・コ
ビルカ教授を自身の研究室に採用しました。
るホルモンに放射線を出すヨウ素を結合させ、そ
コビルカ教授は非常に多くの情報を持つ人間の
の放射線の挙動を追跡したのです。ホルモンが細
遺伝子からたった 1 個の受容体の遺伝子を見つけ
胞の表面に結合したならばその様子はヨウ素の放
出すという枯れ草の山から針を探し出すような困
射線によって検出することができ、受容体を確認
難な研究を成し遂げ、狙った遺伝子を発見しまし
することが可能になるはずです。
た。発見された遺伝子の解析結果によると受容体
レフコウィッツ教授が副腎皮質刺激作用を持つ
ホルモンを使って研究を始めて 2 年目の 1970 年、
ついに GPCR とホルモンの結合を確認すること
に成功しました。
はヘリックスと呼ばれる長くて油っぽい構造を 7
つ持つことがわかりました。
科学者はこの部分が細胞膜の油にくっつき、ヘ
リックス部分がトンネルの壁のような役目をして
その間、別の研究者によって細胞内部で何が起
貫通するように埋もれているのであろうと推定し
きているのかについての研究も進展していました。
ました。この構造を持つタンパク質は目の網膜で、
1994 年のノーベル賞研究となった G タンパク質
ロドプシンと名付けられた光を感じ取るタンパク
が発見され、G タンパク質が受容体からの信号を
質の構造と基本的に一致していました。また、レ
受け取って活性化することによって細胞内での刺
フコウィッツ教授によってロドプシンもアドレナ
激伝達が行われることも解明されていました。細
リン受容体も両方とも細胞内部で G タンパク質と
胞の活動はさまざまなタンパク質の連鎖反応によ
相互作用していることが発見されました。つまり、
って調整されていますが、G タンパク質はそれら
全く異なる役目を持つ 2 種類の受容体がそっくり
の連鎖反応のきっかけとなるタンパク質です。細
の構造を持ち、細胞内ではいずれも G タンパク質
胞の外には受容体があることがわかり、細胞の中
に情報を渡すという同じ仕組みで機能しているこ
では G タンパク質をスタート地点とする刺激の伝
とがわかったのです。
達が行われていることがわかり、1980 年代の初め
細胞は、細胞の外側で起きていることをどうや
頃研究者たちは細胞の外の情報が細胞内部の G タ
って内部で知るのだろうか、という難問はパズル
ンパク質に伝えられる仕組みについて研究を始め
のピースが少しずつ組み立てられるように明らか
ていました。
になり、現在では GPCR がどのような分子で、細
レフコウィッツ教授の研究チームは次に彼らが
胞はどのような仕組みで GPCR と G タンパク質
発見した受容体ゲノムの解読に取り組みました。
を使って細胞外での出来事を認識しているのかを
ゲノムは受 容体の設計図
のようなものです。細胞は
ゲノムの情 報に従ってア
ミノ酸をつ なぎ合わせて
受容体を作ります。設計図
が見つかれ ば受容体の構
造や機能も より詳細に解
明できるはずです。
このとき レフコウィッ
ツ教授は今 回の共同受賞
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ほとんど解明することに成功しました。
れるほど油っぽい性質で、結晶を作ろうとしても
コビルカ教授は受容体のゲノムを解読した後、
油のかたまりになってしまって結晶ができないの
現在のスタンフォード大学に移り、それまで達成
です。コビルカ教授らはなんと 20 年以上もの年月
不可能と言われていた受容体の画像解析に挑戦し
をかけてこの研究に取り組み、ついに 2011 年に
ました。タンパク質を画像化するのは容易なこと
決定的な画像データを得ることに成功しました。
ではありません。タンパク質は非常に小さいので
その画像は信号の伝達の際に受容体タンパク質と
通常の顕微鏡で見ることはできませんので、エッ
G タンパク質がどのような構造で結合してどのよ
クス線結晶構造解析という手法で画像化します。
うな立体的な状態になっているかを明らかにする
炭素原子がダイヤモンドの中では美しく配列する
もので、GPCR に作用する薬を開発するために非
ように、タンパク質も結晶化するとその分子を規
常に重要な情報となりました。
則正しく配列することができます。できあがった
タンパク質の結晶にエックス線を照射すると規則
正しく並んだタンパク質の分子でエックス線が規
則正しく散乱して、タンパク質の構造を反映した
散乱画像が描き出され、それによってタンパク質
の構造を解析することができます。この方法は
1950 年代に発明されその後、数千のタンパク質の
画像解析が行われました。けれど、それまで画像
解析に成功していたのは、結晶を作るのが容易な
水に溶けやすいタンパク質ばかりでした。受容体
タンパク質は細胞膜の中に安定して埋まっていら
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