「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム

連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
第16回
実行委員長/古橋源六郎
(財団法人森とむらの会会長)
「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138
∼多摩川エコミュージアム・ネットワー
ク・シンポジウム∼」
<主催>東京学芸大学地域と連携した環境学習推進委員会
多摩川エコミュージアム・ネットーワーク・シン
ポジウム実行委員会
植物と人々の博物館プロジェクト
<目的>学生・市民が一緒になって多摩川をめぐるエコ
ミュージアムに蓄積された知恵を共有し、流域住
民に広く伝え、上・中・下流の人々の環境学習活
動をつなぐ。
東京学芸大学地域と連携した環境学習推進委
員長/村松泰子(東京学芸大学副学長)
山梨県小菅村長/廣瀬文夫(全国源流の郷協
議会会長)
10:20 ∼ ◆全体会1 S410 室
12:00
1.シンポジウムの趣旨説明 木俣 美樹男(東京学芸大学 教授)
2.多摩川をめぐるエコミュージアム活動の
現場からの話題提供
⑴「野川と市民活動」平井 正風
(小金井市環境市民会議 代表)
⑵「子どもと大人、まちとむらをつなぐ環
境情報の学習ツール」
【プレシンポジウム】参加者 35 名
<日時>2007 年11月16日(金)17:30 ∼
<場所>東京学芸大学環境教育実践施設多目的室
「野外環境学習活動について、じっくり語り合おう」
話題提供:高野孝子(NPO 法人 ECOPLUS 代表理事)
大前 純一(NPO 法人 ECOPLUS 理事)
⑶「多摩川を生かした中・下流域のまち
づくり」
横山 十四男(狛江水辺の楽校
運営協議会 会長)
⑷「多摩川源流大学の現状と今後」
宮林 茂幸(東京農業大学 教授)
12:00 ∼ − 休憩 −
13:30
(各々、展示や記録映像などを見学。
)
13:30 ∼ ◆分科会
16:30
多摩川の自然をめぐって展開されているいろ
いろな文化活動の経験を交流し、じっくり話
し合った。
◎分科会1:S403 室 『多摩川流域の生き物
と川遊び』
川や川原での遊び、河川敷の利用の仕
方、多摩川流域で生きる生物やこれらを
めぐる生物文化多様性の保全、外来生物
の制御などについて話し合った。
◎分科会2:S405 室『山村の暮らしとむら
づくり』
農林水産業をめぐる山村の生活につい
て経済の実情をふまえて話し合った。
◎分科会3:S406 室『多摩川流域のまちづ
くり』
流域における市民主体の「環境保全・
再生型のまちづくり」のありかたについ
て、事例と体験に基づいて考えた。
◎分科会4:S404 室『エコミュージアム・
ネットワークづくり』
【シンポジウム】参加者135 名
<日時>2007 年11月17日(土)10:00 ∼ 17:30
<場所>東京学芸大学 講義棟(S410 ほか4階全フロア)
環境教育実践施設多目的室、彩色園など
10:00 ∼ ◆開会の挨拶 S410 室
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多摩川流域には最上流部の山梨県小菅
村(山村部)から河口部の川崎市(都市
部)まで多様な自然環境とコミュニティが
あります。各地で展開しているエコミュー
ジアム活動の知恵から、居住住民と市民
活動団体との連携をすすめ、エコミュージ
アム活動の協働組織づくりを促す方策に
ついて話し合った。
連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
16:30 ∼ ◆全体会2 S410 室
17:30
各分科会のまとめ報告を聞いて総合的な話
し合いを行った。
17:40 ∼ ◆交流会…講義棟でのプログラム終了後、開
催。環境教育実践施設多目的室
1時間程度です。
<展示> 終日 S401室 S402 室
多くの団体の方々が活動や研究をポスターなどで展示発
表を行い、出会いと活動経験を交流した。
協賛団体:山梨県小菅村、小菅村教育委員会、㈶ 水と緑
と大地の公社、多摩川源流研究所、小菅村観光協会、小
菅村商工会、100%自然塾、小菅村エコセラピー研究
会、小金もち工房、㈵ カッセ KOGANEI 市民起業サ
ポートセンター、㈵ ミュゼダグリ、小金井市環境市民
会議、とうきゅう環境浄化財団、㈶ 森とむらの会、㈶
森林文化協会、㈳ 国土緑化推進機構、㈵ 全国水環境交
流会、㈵ 多摩川エコミュージアム、㈵ 環境文明 21、㈵
ECOPLUS、㈵ 自然文化誌研究会、北都留森林組合、
㈵ 環境文化のための対話研究所、日本たばこ産業㈱
後援:日本エコミュージアム研究会、農水省、環境省関東
地方環境事務所、国土交通省京浜河川事務所、東京都、
山梨県、昭島市、あきる野市、稲城市、青梅市、大田区、
奥多摩町、川崎市、国立市、甲州市、小金井市、国分寺
市、小平市、狛江市、世田谷区、立川市、丹波山村、多
摩市、調布市、八王子市、羽村市、日野市、日の出町、
檜原村、府中市、福生市、瑞穂町、三鷹市、武蔵野市、
武蔵村山市
シンポジウム実行委員:
古橋源六郎(実行委員長 財団法人森とむらの会会長)
廣瀬 和章(副実行委員長 小菅村観光協会長)
鈴木眞智子(副実行委員長 NPO 法人多摩川エコミュー
ジアム事務局長)
嵯峨 創平(NPO 法人環境文化のための対話研究所代表)
平井 正風(小金井市環境市民会議)
土井 利彦(NPO 法人ミュゼダグリ代表)
青柳 諭(小菅村役場源流振興課長)
黒川 文一(財団法人水と緑と大地の公社総支配人)
木下 稔(ミューゼス研究会副代表)
中込 貴芳(ミューゼス研究会)
小島 力(エコセラピー研究会代表)
中田 無双(北都留森林組合)
中込 卓男(NPO 法人自然文化誌研究会代表理事)
<上映> 終日 S407 室
記録映像「多摩川流域の生き物 ∼ 浅川、谷地川を中心
として∼」
制作:井上 録郎(日本自然保護協会 観察指導員・ESD
日野 会員)
亀井 雄次(小菅村商工会経営アドバイザー)
宮本 幹江(時遊編集室)
黒澤 友彦(植物と人々の博物館推進室長)
菱井 優介(植物と人々の博物館推進室)
学生スタッフ:鹿間 友、秀島 尉浩、樋口 和也、高橋 萌、
十時 育美、五明 礼
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学生実行委員:田辺 薫、和田 綾子、伊藤 雅紀、遠藤 友
理念の基本に戻り考える機会が少なくなりがちです。学生
章、鈴木 享子、大坪 礼乃、深田 優、伊藤 惇、早川 光
と社会人との交流は、両者にとって不足する機会を補うと
いう点で極めて有効であり、委員会でそのことを強く感じ
也、藤野 俊、白井 みか、大久保 希、阿久津 友理、大
和 満美、渡辺 陽介、舟久保 智裕
ました。
⑵ 男性と女性の男女共同参画
私は、平成 3 年から昨年まで15 年間、政府の男女共同参
画の仕事に関係しましたが、実行委員会では、女性と男性
が対等に貴重な意見を発表し、議論に共同参画しており、
大変心強く感じました。
平成17 年12 月27日に閣議決定された「第 2 次男女共同
参画基本計画」では、社会のあらゆる分野において、2020
年までに、指導的地位に占める女性の割合が少なくとも
30%になるよう努力するとともに、その際、男女共同参画
の新たな取組みを必要とする分野として、①科学技術、②
防災、③地域おこし・まちづくり・観光、④環境を掲げて
います。これらの 4 項目は、本日の分科会の主要テーマに関
< 実行委員長挨拶 >
古 橋 源六郎 氏
財団法人森とむらの会 会長
皆さん、お早うございます。実行委員長で㈶森とむらの
会会長の古橋源六郎です。本日は、公私共にお忙しい中、当
シンポジウムにご参加いただき誠に有難うございました。
実行委員会は、本年 6 月から 5 回開催し、当シンポジ
ウムの準備を鋭意進めてまいりました。昨日は NPO 法人
ECOPLUS 高野孝子さんから野外環境学習活動について
お話をうかがい、じっくりと話し合いをいたしました。私
は実行委員会に参加する度に、大変楽しく、心強くかつ、
新鮮さを感じました、そのように感じた理由を私なりに考
えてみますと、第 1 に、実行委員会のメンバーの構成が多
様であり、委員間の議論を通じ、そこから新しいアイディ
ア・考えが生まれたこと、第 2 に委員会の運営が事務局の
配慮により自主性に富んでいたからです。
本日参加されている皆さんも、各方面からお集まりいた
だき多様性に富んでおり、また、シンポジムの運営も自主
的になされるので、その 2 つのことが本日のシンポジウム
にそのまま反映され、このシンポジウムが皆さんにとって
楽しく、新鮮で実りあるものとなることを心から期待して
おります。
構成員の多様性の 4 つの要因
⑴ 学生と社会人
実行委員会の構成員:地域と連携して環境学習を進める
ことに大変ご熱心な東京学芸大学の木俣教授、井村研究員
の考えに賛同する同大学の学生さんと社会人です。その社
会人は、また、環境問題に熱心な多摩川流域市民団体の関
係者、村おこしに熱心な小菅村の役場や各種団体の関係者
等と多士済々であります。委員会の構成は、老・壮・青の
バランスが取れています。
学生と社会人の交流の意義:夢のないところに理念な
し、理念ないところに政策なし、政策ないところに計画な
し、計画ないところに満足なしと言われるように、夢、理
念、政策、計画は皆、世の中の問題点を解決していくため
に重要な要素であります。学生は世直しの夢を持ち、その
ための理念をしっかり勉強しておられると思います。その
際、現実もある程度調査・研究して理念の理解にフィード
バックすることも必要ですが、その機会はあまり多くない
と思います。社会人は、常に現実の問題を考えているので、
その解決のための効率的・即効的な政策、計画を先ず考え、
係し、実行委員会でも実際に真剣に議論されておりました。
⑶ 上流と下流の意見交換
多摩川の上流の小菅村から下流の川の恩恵の受益者ま
で、多様な流域関係者が集まって議論しました。森林に
覆われた水源地である上流域と、その受益地である中・下
流域は、河川で縦に結ばれ、そこには古くから流域単位の
人々の経済的、社会的、文化的生活が営まれてきました。
本日のシンポジウムの表題が「We Love Tamagawa いの
ちをつなぐ138」というのはそのことを適切に表現してい
ると思います。
かつて、水源地の山村は林業によって予定調和的に維持
されるという状況がありました。しかし、山村の状況は貿
易自由化、少子・高齢化、過疎化の下で大変厳しいものが
あります。私は平成 8 年林政審議会会長の時、そのような
状況に対処するため、①林業だけでなく森林の多面的・公
益的機能を重視すべきであること、②上・下流のコミュニ
ケーションを通じて、流域単位の森林の一体的管理を強く
主張し、その後、林業基本法が森林・林業基本法に改正さ
れました。
これからの我が国が、社会的不安がなく、安全で豊か
な資源循環型社会を形成していくためには、都市と農山村
がその機能を適切に発揮するとともに、共存・交流してい
くことが必要です。そのためには農山村では、地域の個性
(自然景観、文化、文化景観等)を十分に認識し、資源化
して都市に提供することが必要です。
都市と農村の交流の形態としては、第 1 に農林産物の売
買を通じてのコミュニケーションがあります。本日、小菅
村の食べ物を味わう機会もありますので、それを通じて交
流を図っていただければと思います。
交流の第 2 は、農林業の多面的・公益的機能の活用に関
する交流です。農林業の多面的・公益的機能としては、土
地、水、居住、大気、生物多様性を保全する環境保全機能
のほか、伝統文化の保全、保健休養、教育などの文化的機
能があります。文化・保健休養のような文化的機能は、主
観的な観点もあり、ある程度客観的に金額的に計測できる
環境保全機能と異なり、受益に対する支払い意思が市場を
通じて計測することが困難であります。このような場合に
は、交流の機会をより多く持ち、お互いに価値を認識しあ
うことが必要です。上・下流の交流は、この意味で大変重
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
要です。
存知の野川の風景が見られます。西武線のガードのところ
⑷ 教授陣の参加
は土を素掘りした用水路がありましたが、拡幅して現在に
自然環境保全の分野でも、地域に即した農林学、土木・
至っています。
水文計算をはじめ気象学、植物学、動物学などの学際的・
総合的な調査研究が必要です。先に述べたように水源地の
文化的価値は市場を通じては分からないので、その発掘は、
水源地だけの努力ではおのずから限度があり、大学の総合
的協力が必要です。今回、大学 GP の一環として、シンポ
野川流域の市民活動の歴史
主に小金井の話になりますが、小金井では30 ∼ 40 年ほ
ど前から公民館活動や児童館活動といった、行政と市民が
協力した、市民参加の活動が盛んに行われていたと聞いて
います。その中で市街化が進み、高度成長という時代を迎
えます。そういう社会背景をもとにどういう活動が起きた
か説明します。
まず、従来型の環境保全活動が衰退して行ったのではな
いかと思います。例えば家の前の水路で住民が参加して掃
除などのいろいろな共同作業をしていく中で環境保全を図
る。あるいは湧き水を汚さないで使うといった生活習慣の
ような環境保全活動が衰退し、無くなっていきました。そ
れと同時に環境資源が損失、悪化していき、自然環境が失
われていきました。
ところが、小金井をはじめ、野川を中心にした地域には
かなり優れた環境資源が残されていました。例えば玉川上
水であるとか、野川、小金井公園、梶野公園、あるいは農
地や屋敷林といったようなものです。これらの残された環
境資源の悪化について何か高い環境意識を持つ市民が増加
していきました。この小金井では平均して個人の高額者が
比較的多い地域だそうです。東京の市部では常に10 本の
指に入るほど平均所得が高い、あるいは学歴が高いといっ
た、いわゆる新住民といわれる人が増えていきました。そ
ういった方たちは比較的高い環境意識を持っていて、そう
いう方の人口比率が上がったことが、野川を中心とした環
ジウムが開催されたことは、上・下流の住民にとって大変
有益であったと思います。
実行委員会の自主的運用
実行委員会に出席して、楽しくかつ、新鮮に感じた大き
な理由の第 2 は、実行委員会が事務局の配慮により自主的
に運用されたことです。実行委員会では、審議事項も委員
の間で審議し、委員の参加意欲も高まり、それについて活
発な議論が行われました。自分の大学生時代を思い、東京
学芸大学の参画型教育方法の素晴らしさに大変感銘を受け
ました。また、実行委員の方々の多摩川の環境保全をしな
ければならないという情熱に大変感銘を受けました。
以上が実行委員会に参加して、大変楽しかった等の理由
です。本日は実行委員会と同様、各方面の方々に参加して
いただきました。皆さんが、私が実行委員会で感じたと同
様、本日のシンポジウムが楽しいものであることを心から
期待いたします。
そして、何か感じたことがあったならば、多摩川の自然
と文化の環境保全のための行動に移していただければと期
待しております。プレシンポジウムで、高野孝子さんは活
動への参加や支援、仲間への参加呼びかけ等の行動につな
がることが必要とお話されていました。本日のシンポジウ
ムがそのための動機付けになれば望外の喜びであります。
最後に本シンポジウムにご協力いただいた方々、後援団
体に心から感謝申し上げ、ご挨拶といたします。
< 話題提供①「野川と市民活動」>
平 井 正 風 氏
小金井市環境市民会議
野川の今
野川と市民活動ということで、多摩川の一支流である野
川を中心にして、どのような市民活動が行われてきたか、
あるいはこれからどうなっていけば良いのかといったこと
を、お話をさせていただければと思います。
野川は国分寺を源に発しています。日立中央研究所の湧
き水の一つから真姿の池、大池やお鷹の道を通じて野川に
向かいます。残念ながらまだ国分寺市内では河川改修が行
われていないので、三面張りのコンクリートの水路になっ
ていますが、河川改修が行われたところでは皆さんよくご
境保全活動が盛んになっていった原因なのではないかと思
います。日本全体で見ても、東京多摩川では環境保護活動
が盛んですねとか、お手本にしていますということをよく
言われます。近隣の市からもそういうお話を聞きます。こ
のように、環境保全活動意識の高い人の増加というものが、
一つの大きな要因ではなかったかと思います。
そういった活動がどういう風に推移していったかという
ことですが、まず昭和30 年代に市街化が進展して、野川
も全国の川と同じように水質が極めて悪化しました。私
が野川周辺に引っ越してきた昭和59 年でも水は真っ黒で、
川底は見えませんでした。昭和 40 年代には排水を下水道
化してくれという陳情さえ議会に出たそうです。公害国会
が昭和 45 年に起きて、野川の水が汚くて使えないというこ
とで、小金井の田んぼは消滅しました。この頃から野川を
中心にした市民活動が活発になっていったようです。
昭和 47 年に三多摩問題調査研究会というものが発足さ
れまして、そこで水質を調べたり、後に雨水浸透ますの実
験をしたりという活動が盛んに進められてきました。この
頃公民館活動が非常に盛んで、いろいろなグループが次々
と発足していきました。昭和 48 年には小金井自然観察会、
玉川上水保護の会が発足して、昭和50 年には市民が作っ
ていく子供たちのお祭りということで、今年で 33 年目にな
りましたが、第一回わんぱく夏祭りというものが開かれま
した。あるいは仙川の洪水を防ごうということで、仙川分
水路の建設について、土壌を固める凝固材を使うといった
工法に対して反対運動が起こりまして、仙川分水路から命
の水を守る会といったような、いわゆる運動タイプの活動
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
も始まりました。昭和53 年には野川をきれいにしようとい
でやってきた活動をこれからさらに拡大していくために、
うことで、クリーン野川作戦といったものが開催されまし
新規や転換をしていきたいということがあります。このた
めには、高齢化の問題をクリアしなければいけません。今
た。その後もいろいろな市民団体ができたり、いろいろな
イベントがされたりということで、野川を中心にした市民
活動が非常に活発に行われるようになって、現在に至って
います。
現在の市民活動
どういうような内容で市民活動が行われてきたかという
ことをいくつか分類してみます。反対運動型あるいは陳情
要望型の運動、こういったものは20 年∼ 30 年くらい前ま
で非常に活発で今でも活動されていますが、こういった
いわゆる行政に対して陳情、要望するというような活動か
らスタートしたようです。そういった活動を情報発信や啓
発の手段としてやっていくことを選んだ、調査研究をして
それを基にしてさまざまな発言や要望をしていこうという
活動もあります。同時に、自然を楽しみたい、環境学習を
していきたいというような、特に子供たち相手のような活
動もさかんになりました。あるいは直接的に環境を改善し
ていこう、自分たちの手で何かをしていこうといったもの
もあります。川掃除、あるいはビオトープを造っていくと
いったことを市民が進めていく活動もあります。最近では、
そういった様々な活動をネットワークしていこうという動
きが出てきています。このネットワークの中には当然です
が、行政との共同というように、様々な主体が共同してい
こうというような動きが出ています。
具体的に見ていきます。野川クリーン大作戦は長い間続
いていますが、小金井市内の300 人、400 人という市民が
野川を掃除します。2トントラック2、3台分のゴミが毎
年出ます。観察会では野川、あるいは、はけの森のことを
よく知ってもらおうというという活動です。第一調節池に
はどじょう池というビオトープを造りました。市民参加で
ただの平地だったところに小麦粉で池の形を描いて、今、
池ができています。子供たちが毎年ここでオタマジャク
シをすくったり、ザリガニを取ったり、中に入って泥だら
けになったりして遊んでいます。もちろん生きものにとっ
ても非常にいい場所です。このどじょう池の成功を基にし
て、今調節池周辺では自然再生事業というものが始まりま
して、さまざまな工事が進められています。ホタル川では、
土管で排水されていた湧き水を生きもののために使おうと
いうことで、川の中にさらにまた川を作りました。湧き水
の流れる小さなせせらぎですが、ここには湧き水を好むホ
トケドジョウなどが早速野川から上ってきて、子供を生ん
で増えています。このように、ビオトープを市民が汗を流
して作れるような時代になってきました。わんぱく夏祭り
は33 年続いていますが、くじら山のてっぺんから大きな滑
り台で下りたり、河原にテントや小屋を作って一晩泊まっ
たり、川の生きものを野川水族館として展示したりと、大
きなお祭りで、現在も続いています。
すてきなまちを残すために
このようにいろいろな活動がされてきました。野川流域
では現在でも流域に直接関係するような市民団体が 30 以
上あるそうです。さまざまな団体がさまざまな活動をし
ているわけですが、もちろん多摩川全域で考えていけば、
もっとあるはずです。そういった市民団体や市民活動が抱
えている課題を少し整理してみました。一番の課題は今ま
まで活動してきた人の後継者がなかなか育っていかないと
いう問題が非常に大きいです。それから、活動の範囲を広
げていかなければいけません。野川は非常に狭いのでいろ
いろなことができますが、多摩川全部を例えば一つの団体
ができるはずがないし、一つの団体の力そのものも大きく
していかなければなりません。そういう活動の拡大をして
いくということが一つのテーマで、そのためには活動を組
織化、あるいは事業化していく必要が生じてしまうのかな
と思います。あるいは、市民団体の連携や行政との共同も
必要です。こういったことを進めていくためには、わずか
な人数がやっている小さな NPO だけでなく、より多くの
市民が参加できるようなかたちを今後とっていく必要があ
るのではないかと考えています。
環境といいますと、いろいろな価値観を持った方々がた
くさん集まります。野川一つにとっても、木を切った方が
いいという人もいれば、この木は絶対に残してくれという
人もいます。ペットを放流する人、コイやカモに餌をやる
人、やるなと言う人など、さまざまな価値観が存在します。
その中で一番重要なのは、お互いの価値観を認めながら、
認めながらというのは容認するということではなくて、価
値観が異なるということを知りながらということですが、
心を割って話をして連携をしていく、そういうようなネッ
トワークが重要になってきます。今回のテーマも「いのち
をつなぐ」ということですが、いのちをつなぐ、こころも
つなぐといったことで進めていけたらなと思います。
その一つとして、野川ルールというものがあります。野
川流域連絡会というものが6年ほど前に発足しました。東
京都が事務局となって、野川流域の6市1区の行政や市民
が入った、かなり大人数の団体です。その団体が作ったの
が野川ルールです。何もルールだから押し付けるというこ
とではなく、私たちは野川と楽しむためにこういう風に考
えていますというものです。先ほど言いました、異なる価
値観とどういう風にこれから連携していったらいいのかに
ついての、一つの成果かなと思います。
このようにいろいろな方々がいろいろな活動をしていま
すので、ぜひともこれから手をつないで、すてきな町を子
供たちに残していきたいなと思っていますので、今回のシ
ンポジウムを契機としてこれから皆様と共に活動していけ
ればと思います。
<講師プロフィール>
平 井 正 風(ひらい せいふう)
小金井市環境市民会議 代表
北海道奥尻島生まれ。56 歳 昭和59 年6月小金井市の野
川のほとりに転居。子どものころから生きもの大好き。専
門は海洋プランクトン学、水生生物学。趣味はなかなか行
けない渓流釣り、アウトドア。現在、居酒屋の店主。小金
井市環境市民会議、野川第一・第二調節池地区 自然再生
協議会、野川流域連絡会、わんぱく夏まつりの会、海洋学
会海洋環境問題委員会などに所属。
− 56 −
連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
<
話題提供②「子どもと大人、まちとむらをつ
なぐ環境情報の学習ツール」 >
大 前 純 一 氏
NPO 法人 ECOPLUS
理事・事務局長
はじめに
大前です。よろしくお願いします。
昨日、私たちの代表理事が分科会、プレイベントでお話
をさせて頂いたと思います。途中一部ダブるかもしれませ
んけれども、説明をさせて頂きます。私たちは、直接多摩
川流域で活動している訳ではありませんけれども、ある意
味で、世界のいろいろな場所、あるいは日本のいろいろな
場所をつなぐ仕事をしておりますので、ご参考になるかも
しれないと思って、今回受けさせて頂きました。
ECOPLUS という組織は3つのことを大体しています。
エコクラブとワールドスクールネットワークというのが軸
です。92 年に、エコクラブという活動を始めました。ワー
ルドスクールネットワークという活動は、94 年に始めまし
た。法人化は、2003 年です。
活動の場所は、一番遠い場所は、ミクロネシアのヤッ
プ島という石のお金で知られている場所をよく使っていま
す。あるいは、東京都の港区の環境学習施設エコプラザと
いう所の事業委託を受けています。また、最近では新潟県
の南魚沼市といった所でも活動しています。
エコクラブ
このエコクラブという所は、92 年のちょうど日本の環境
教育フォーラムができた時期、環境教育の初期から活動さ
せて頂きました。私たちの名前は役所にも大変気に入って
頂いて、環境庁が子どもエコクラブというものを作ってく
れまして、本家というのを名乗らなければならないのです
けれども、人・自然・異文化というもの主なテーマに活動
させて貰っています。
写真を見ていただきますと、ミクロネシアのヤップ島と
いう小さな島なのですが、小豆島くらいでしょうか。真ん
中にカヌーの写真があります。ミクロネシアの島々は、カ
ヌーの伝統がありました。本島では、このカヌーはほとん
ど見られません。数隻あるだけです。離れ島まで行きます
と、まだナビゲーションの技が残っています。ハワイで活
動しておられる伝統の航海士さんなどといった人もいます
けれども、そういった星を見てスターナビゲーションをす
る人たちがまだ10 人位の単位で生き残っている地域です。
そういった土地に入って、その文化を吸収する。自然の
直接体験が面白いです。その直接体験だけではなくて、そ
こにいる人々とそこにある文化との調和を学ぶということ
が一つの大きな目標であると言えます。
ワールドスクールネットワーク
ワールドスクールネットワークというのは、ちょうど
インターネットの黎明期から注目して活動させて頂きま
した。学芸大は、GLOBE というアメリカで始まったイン
ターネットを使った地球環境を考える学習プログラムのセ
ンターになっておられると思います。それとちょうど同じ
時期、やや私たちの方が早いかもしれません。世界のいろ
いろな場所の人々が環境学習活動をしています。そういう
人たちがつながり合うことによって、地球を立体的に見る
ような視点を共有しようという活動をしてきました。
この下の写真にありますけれども、一番左は先ほどのミ
クロネシアのヤップ島、日本の概念からすればヤップ島で
すら離島なのですけれども、そのヤップ本島から東に小型
飛行機で2時間位飛んだ、2週間に1回しか飛行機の来な
い小さな島に、私たちの仲間が行って、衛星電話を使って
環境教育の実践を現場でやり、その中身を世界の仲間と共
有するというようなプログラムをしたときの写真です。
一番右の下の写真にぶら下がっているのは、肉です。も
も肉の塊で、鶏でいえばドラムスティックみたいな部分で、
巨大です。これは、ヘラジカです。500キロもあるヘラジ
カを、現地の中学生たちがバラバラにするところです。環
境教育のようでもあるのですが、彼らにとってはサバイバ
ル、自分たちが生き延びるための教育でもあるのです。
世界の教育
アラスカでは、先ほどのヤップ島も同じなのですが、使
われている教科書はアメリカの教科書です。そこに出てく
るのは、ニューヨークの街中でタクシーを乗るかという場
面で、そういうものが使われているわけです。つまり、そ
こで一生懸命勉強すると、そこで生き延びていくのではな
くて、都会に出て行くための勉強をやっているわけです。
結果的に、ミクロネシアもアラスカの子たちも自分たち
は田舎者だ、自分たちのことは教科書にひとつも出てこな
いというような概念を、教えられてしまう。結果として、
両方の地域で若者の自殺率がすごく高いのです。アイデン
ティティークライスに陥るのです。
アメリカの都市を前提とした教科書で育っていくと、結
局は田舎から都会へ出て行くわけです。でも、都会に出
たところで、お前はミクロネシアの田舎者だろう、変な英
語を喋っているなと言われて、そこでも生きていけない。
帰ってきても、自分でサバイバルをするスキルがない。自
分は何者か。そういう中で、すごく自殺率が高い。
今、自分たちの教育を取り戻そういう運動が、世界の
中にあります。日本もそうです。日本の田舎も、教育を受
ければ受けるほどに、そこの子どもは都会へ出て行く。都
会へ出て行くだけでなく、下手するとニューヨークに出て
行ってしまう。そのような教育をしているわけです。教育
をすればするほど田舎は弱っていく。そのような教育でい
いのか、というような見直しが世界ではあるわけです。
世界を包む学びの場
彼らが環境教育、あるいは文化教育の一環として、ヘラ
ジカを解体するこのような授業をしているわけです。この
手前では、撃つところをやるのです。そういった教育をし
ている人たちが、お互いを見合うことによって、同じこと
をやっているじゃないかということをミクロネシアの人と、
アラスカの人は出会って感じるわけです。
それは、私たちも感じます。白鳥がかわいくて白鳥の
保存運動をやっている東京の子たちは、自分達の環境活
動を報告します。そうすると、アラスカの子たちは自分た
− 57 −
連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
ちはこうして白鳥を撃つ練習をしていますという、ライフ
のです。そのため、そこまで落とすのです。
ルを撃っている写真を送ってくるわけです。彼らにとって
どうやって落とすかと言うと、石油バーナーで1晩中か
は、渡り鳥は貴重なタンパク源です。価値観が違うことに
よって、自分たちが地球の中でどのような場所にいるのか、
ネットワークをするときにはお互い仲良くするだけではな
くて、違う価値観があるということを知ることが一番大事
な部分だと思っています。
私たちは民間なので財政的には苦しいですけれども、こ
のような活動をやり続けています。
参加型オンラインデータベース
私に与えられた演題はツールの話なので、ツールのこと
はお配りしたプリントの URL をごらん下さい。オンライ
けて落としていくのです。米の水分は、そのバーナーで1
ンのデータベースになっています。日本語と英語が切り替
わるようになっています。そして、世界の子どもたちに ID
とパスワードを配ってあります。この ID とパスワードを入
れることによって、自分たちの活動を書き込んで貰えると
いう形になっています。
今はブログが流行っていて、自分でこのようなことを
やっていますと書く人がいますけれども、ブログの場合、
自分のやったことだけ出てきます。これは参加型で、いろ
んな人間が書き合っていく中で、1つのストーリーを造っ
ていくという形です。そういった枠組みを見て頂けると思
います。
TAPPO南魚沼やまとくらしの学校
一番新しい試みは TAPPO 南魚沼やまとくらしの学校と
いうもので、今年から始めました。今年からちょうどセブ
ンイレブン緑の基金という所の自立助成というものを頂き
まして、ここで始めています。
ここも小菅村と同じように、東京から新幹線で1時間半
で行ける場所ですけれども、1人当たりの納税額は10 万円
です。10 万円の地方税ということは、1世帯あたりの現金
収入が百数十万円しかないのです。そういう意味で、すご
く追い詰められています。
だから、家にいるのはおじいちゃんおばあちゃんだけで、
若い人は帰ってきても職がありません。なので、みんな出
て行きます。東京のすぐそばです。かつて、東京都湯沢町
と言われた様な場所で、日本で一番高いコシヒカリが採れ
る場所です。でも、人々はどんどん流れていきます。
そのような中の山奥の村と付き合っていますが、小学校
の全校児童9人というような所に今拠点を置いています。
TAPPO南魚沼やまとくらしの学校の活動
今年になって休日農業講座、田んぼのイロハというもの
を始めています。毎月生態系調査をし、夏・秋・冬には子
どもショートステイもやっています。
皆さんのテーマともつながってくると思うのですが、私
たちが今一番注目しているのは自然と小学生、伝統、くら
しの技、この部分がかち合うのではないかということです。
この写真にも出ているのは、はざかけ米です。昔ははざ
かけの光景が当たり前でしたけれども、今は手間がかかる
ので刈って米を集める。私も知りませんでしたが、今はコ
ンバインという大きな機械で米を採ると、米粒が刈ったと
きは水分が 20 数パーセント入っているのです。
農協は、米の水分が 15 パーセントでなければとらない
のです。なぜかというと、水分が 15 パーセント以上ある
と、かびてしまうのです。日本の夏の湿気を越えられない
時間かけてやっと1パーセント落ちるだけなのです。だか
ら、20 数パーセントの水分を15 パーセントに落とすため
に、1晩中石油バーナーを燃やしているのです。そういう
意味では、お米は低炭素ではなく、CO2 をいっぱい使って
作られているのです。田舎でもいかに石油が必要になって
いるかが分かります。これでは絶対儲からない、というよ
り無理なのです。
しかし、逆に手作業に戻して、はざかけ米というものに
すると、自然乾燥によって17 パーセントから16 パーセン
トまで水分が落ちます。真夏を越すのはしんどいパーセン
テージなのですが、おいしいのです。あとは、真夏を越さ
なければならない米を低温倉庫に入れるとか、別の方法に
よって保存していくことが出来るかもしれません。
誰がそういう風に価値を認めてくれるのか。低炭素米
だということを誰が見つけてくれるのか。ネットワークの
中でそういった新しい価値を共有できるのかもしれないと
思っています。
環境から持続可能性へ
十数年活動してきた中で私たちが感じ始めているのは、
世界的なテーマというのは始めは環境教育だとか国際教育
だとか開発教育などが別々にあったということです。イン
ターネットが出てきたときは情報教育。これで世界の国際
理解が進むのだとか、いろいろなことが言われています。
昨今では食育という言葉もあります。こういったことは今
の時代では、持続可能な社会に向けて学びをどのように考
えるかということに集約されてくる気がしました。
例えば、先ほどの野川の保護運動も野川がきれいになれ
ば良いという話ではなくて、CO2 をもっと削減しなければ
いけないという話の間をどうつなぐのか、その間にはきっと
いろんなステップがあるのだと思います。そういう中で、持
続可能な社会づくりがキーワードなのだろうなと思います。
出発点としての「地域」
そして、自分で半分田舎に暮らしていますので、地域の
言葉について分かることは、地域の持っている言葉で、都
会の団地には絶対にないものは生産プロセスです。暮らし
を支える生産プロセスが、物理的に地域にある。そして、
同時に生産を支える自然がある。
この生産の場、そして自然の場がオーバーラップしたと
ころに、暮らしが始めて成立する。これは、持続可能な暮
らしなのです。地域社会が持っている価値というのは、東
京あるいは首都圏の人工空間の地域ではなくて、源流域に
残されている地域というものは今ものすごく高いバリュー
が上っていて、それこそが持続可能に対する新しいヒント
を持っているのではないかと思っています。
持続可能性を地域から
持続可能なことで言えば、地域には単に地域があるだけ
では駄目だと思っています。地域の人と外の目によって、
新しいものを呼び戻す、見つめ直す、問い直す、聞きなお
す、こういった活動が必要だと思っています。
ほとんどの地域にある価値というものは暗黙知です。そ
こに暮らして、1つ1つのことを見習いながら展開してき
たので、文字化されていません。その暗黙知を学ぶために、
− 58 −
連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
そこで何十年修行するというのも非現実的です。
私は、ここにありますように「多摩川を生かした中下流
言葉のツール
域のまちづくり」というたいへん大きなテーマをいただい
ネットワーク化するときにも、言葉が大事になると思い
ます。言葉のツールを皆さんに例示的に挙げていますけれ
ども、言葉のツールをどうやって備えていくのか。それが
今は言葉と言うよりもインターネットなどの形にいってし
まっている。まず言葉として今その地域にあるものを定着
させ、ある言葉としてとしてその地域のものが学べように
するプロセスが大事なのだろうなと思っています。
いろいろな活動を私たちもやっていますが、そういう活
動の活動記録ノートというものを今作り始めています。子
どもたちと活動したら、必ず書き込む時間をつくる。自分
が何を見たのか、何を感じたのか、それを書く時間を用意
する。書いたものを地元のおじいちゃんたちに見てもらう
時間を設けることによって、あるいは都市部の親に読んで
もらう機会を設けることによって、新しい知識の広がりが
ネットワークに広がっていく、価値がじわじわと広がって
いくのではないかと思っています。
一番重要な学習のツールというものは、言葉を磨くこと
ではないのかなと思います。
以上で、私からの報告を終わりたいと思います。有難う
ございます。
ているのですが、これをまともに20 分でやるというのは不
<講師プロフィール>
大 前 純 一(おおまえ じゅんいち)
NPO 法人 ECOPLUS 理事
特定非営利活動法人 ECOPLUS 理事・事務局長。元朝日
新聞記者。中央省庁やハイテク企業などを対象とした20
年来の取材、asahi.com を設立運営したデジタル分野での
経験を元に、持続可能な社会の構築に向けた市民の動きを
支援する。
<
話題提供③「多摩川を生かした中下流
域のまちづくり」
>
横 山 十四男 氏
狛江水辺の楽校運営協議会 会長
はじめに
私、実はこの講演会には学芸大学の学生の方が多く参加
されるのかなと思ってきたのですけど、ちょっと違うよう
に見受けられますね。すみませんけど、学生の方がどのく
らいいるのか、手を挙げてもらえますか。あぁ…それだけ
ですね。わかりました。
実は学生のみなさんに一つ熱い思いを伝えて、
「学生だ
からってのんびりしていてはダメですよ」と発破をかけよ
うと思ってきたのですが、当てが外れて恐縮に思っており
ます。
可能です。午後の各分科会の中で神谷さん、柴田さんが担
当される内容が、まさにまちづくりや住民と川との関わり
ということに深く関わってきますので、合わせて聞いてい
ただけると、うれしく思います。
多摩川における「協働」
先ほどから「協働」
、
「パートナーシップ」という言葉が、
行政と市民あるいは町と村など様々な形で出てきました。
今日は京浜河川事務所の環境課長さんも見えていらっしゃ
るということですので、私の場合は、多摩川との関わりで
まちづくりをするための基本的なスタイルというものを紹
介したいと思います。
国の行政、直接的には京浜河川事務所の方々、それと小
金井、狛江あるいは府中などの地方自治体、それと多摩川
沿岸の住民の三者の協働、これがまちをつくるにしても、
持続可能な多摩川を計画するにしても、是非必要なのです。
三者の協働がなければ、いくら住民ががんばってもダメで
すし、自治体だけではとても手が回らない。また、昭和 40
年代前半までのように国の河川事務所が張り切ってやるだ
けでもダメなのです。
具体的にどうするのかということになるのですが、ある
べき理念だけではなく、多摩川に関してはすでに実践を
伴ってきたということです。河川事務所のみか河川局のほ
うもその点は評価しているらしいので、その実践の報告を
させていただこうと思っております。
準備してきましたプリントには「多摩川を生かした中下
流域のまちづくり」という表題を一応つけましたが、具体
的に掲げた年表のテーマは「多摩川にみる市民運動と行政
の推移」です。一言で言えば、
「対決」
、座り込んだりして
反対したそのような対決から協働(パートナーシップ)の
姿に変わってきたこの30 年の経緯を年表にしたということ
です。それを中心にお話したいと思っています。その裏面
には最近報道された多摩川の市民運動関係の写真やその内
容なども付けておきました。
多摩川を記録する運動
その次に、プリントの2枚目の表面に西暦 2000 年の「多
摩川を記録する運動の活動報告書」があります。これは今
から7 年前にミレニアムイベントとして行ったもので、み
んなで多摩川をきちんと記録しようということでイベント
が実施され、立派な報告書ができました。今日の午後、第
1分科会を担当される柴田隆行さんがその報告書を持って
きています。この報告書を具体的にまとめてくださったの
は柴田さん、ならびに「多摩川の自然を守る会」の人たちな
んですね。ですから、序文として柴田さんのお書きになっ
た内容や、私が書いたあいさつなどが収録されています。
この多摩川の西暦 2000 年を記録する運動の発起人は、
多摩川センターに集まる役員の人たちで、まったくの民間
のレベルで計画した活動です。ところが、実際にやってみ
ると、京浜河川事務所の課長さんや係長さんが一人の住民
として一緒に観察に出てきて協力してくださった。まさに、
パートナーシップが立派にできあがりました。上から呼び
かけるのではなくて、下から働きかけて上のほうでも協力
してくださった。そういう例として挙げました。
− 59 −
連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
さらにプリントの裏側には、恥ずかしながら、私が学問
流域をまわって呼びかけて、行政と市民との懇談会をつく
研究そして教科教育(歴史教育)
、それから社会的実践と
りました。なぜ京浜河川事務所の所長さんが流域の市民に
熱心に働きかけて懇談会を設立したかというと、平成9年
して多摩川の環境市民運動など、55 年間やってきたことを
あれこれ書いて一覧にしてみました。4 年前に『たまびと
の市民運動から環境史観へ』という著書を、強い使命感を
感じながら出版しましたが、それが総括です。
市民運動と行政の推移
1枚目のプリント「多摩川に見る市民運動と行政の推移」
にあるように、この30 年間の協働にいたる動き、および具
体的にどのように協働の輪ができあがったかをお話したい
と思います。
ことは1970 年、先ほども野川のお話で、一時盛んになっ
た自然保護の運動が少し下火になり、そして市民連携の動
きが徐々に出てきたということが指摘されました。それに
対しては初めから関わってきた人間として、私も同感に思
います。昭和 45 年からの3年間ほどは運動がぐっと盛り上
がりまして、その中で第1回国連人間環境会議がストック
ホルムで行われました。あの前後には「燃え尽きる地球」
という題の本が出され、マスコミの煽り方もすごかったで
す。そのときの東京都政も最近と違って非常に環境に関し
て熱心でした。時の知事は美濃部亮吉さん。その当時、国
土交通省になる前の建設省はそれほど本気ではありません
でした。従来のようなやり方もしくはドイツやスイスの河
川管理を学んできて少し紹介する程度でした。しかし、と
にかく市民のほうが盛り上がりました。その頃、私はある
国立大学の附属中学校の教師をしていました。今では「総
合的な学習の時間」と呼んでいるものを「総合教育」とい
う名で実践しました。生徒を多摩川へ引っ張ってきて、多
摩川で育ってきた人の話を聞いたり、まちづくりについて
中学3年生に討論させたりしました。
「対決」から始まった住民運動
昭和39 年のオリンピックで芳しい成果を上げることがで
きなかったため、昭和 42, 43 年頃から河川敷にサッカー場
や野球場をつくる動きが盛んになりました。それに対して、
待ったをかけたのが多摩川の住民運動です。ときには、道
路やグランドの建設に対して座り込んで反対するようなこ
とをしました。私も当時関わっていたのですが、それを実
践したのは女性なんですよ。環境問題に関しては歴史的に
見ても解かるように、この多摩川に関しても女性が絶大な
力を持っていました。それはなぜかというと、当時、学校
の PTA の活動が盛んであったため、主婦の中にネットワー
クが存在していました。それぞれの会の会長などには市会
議員候補の方々などがおられますが、副会長や部長といっ
た役職には女性が多く就いていました。狛江を例に取りま
すと、東京都の計画で羽田と立川を結ぶ多摩川左岸自動車
道路を建設しようとしたとき、昭和 45 年に、
「多摩川沿い
自動車道路建設に反対する会」が結成されました。このと
きは、盛んに新聞報道が行われ、一週間で 6000を超える
署名を集めました。狛江は当時、小さな町でした。そこで
6000もの署名をすばやく集めたのです。これが多摩川の自
然保護住民運動の始まりです。この頃はとにかく行政との
「対決」でした。
「多摩川流域懇談会」の設立
そして年月を経て1998 年、多摩川流域懇談会が設立さ
れました。これは京浜河川事務所の所長さん自らが多摩川
の新河川法成立が大きく関係しています。20、30 年スパン
の新しい管理計画を河川ごとに作る必要がありました。そ
の際、計画段階から沿岸住民の意見を入れるということが
法律の面で求められました。住民との協働は是非必要であ
る。それを多摩川ではその通りにやろうということで一生
懸命押し出しました。多摩川沿岸住民には理念と実行力が
ありましたね。
そして、整備計画を作る際に、住民に協力を請うて、懇
談会で意見を言ってもらうように持ち掛けました。最近な
らまだしも当時の河川事務所の課長さんや係長さんは2年
間日曜日を返上して取り組みました。これには私は本当に
驚きましたね。私たち民間レベルで催した2000 年の行事
にも課長さんたちは参加してくださって、こちらはたいへ
ん励まされました。
2年4ヶ月かかり、様々な会合を数多く重ねました。そ
の結果、2001年3月、
「多摩川水系河川整備計画」が出来
上がりました。この2年4ヶ月を振り返ると、こちらも本
当にたいへんでした。ほとんど日曜日は出て、歩いてみた
り討論に参加してみたりと繰り返しました。
完成した整備計画の序文の中に、
「このプランは世界的
にみても優れている。行政と市民の協働という点で日本で
は最先端を行くプランです」という文言があります。
いまふり返ってみて、よくもあれだけのハードスケ
ジュールを、官民協働の形でやり遂げたものだと、懐かし
く思い出されます。もう一度やれと言われても、とても出
来るものではない、というのが率直な感想です。官と民の
協働によるまちづくりに定型はないと思います。ケースバ
イケースで燃え上がる方法を探ることだと思います。
なお私が言わんとするところは、具体的には、一緒に
やってきた柴田さんと神谷さんの活動なのです。柴田さん、
神谷さん、どうぞよろしくお願いします。
(会場、拍手)
<講師プロフィール>
横 山 十四男(よこやま としお)
狛江水辺の楽校運営協議会 会長
1955 年から狛江市多摩川べりに住む。筑波大学、東京家
政学院大学を定年退転。82 才。NPO 多摩川センター代表
理事をはじめ多くの環境市民運動の役員を歴任。現在狛江
水辺の楽校運営協議会会長。
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
< 話題提供④「多摩川源流大学の現状と今後」>
宮 林 茂 幸 氏
東京農業大学 教授
源流大学を設置する意義
現在、私たちは、多摩川源流大学という大学を小菅村に
設置をして活動を始めました。小菅村に何故そんなものを
創ったかということですが、実は、日本の農山村、源流域
は、あと10 年たったら半分くらい無くなってしまうのでは
ないか、人が住めなくなってしまうのではないか、という
ぐらい強烈に厳しい状況にあります。この様な中で、源流
域には、自然から学んで、それを知恵に変えて、さらにそ
れを発展させ、文化にしていく、つまり、生きる力が多様
にあります。さらに言うと、自然の中には、大変多くの宝
があるのです。一方、下流域の都市にいますと、知恵があ
まりない、つまり、知識はいっぱい頭の中にあるのですが、
それが知恵になっていない。だから電気が止まったり、ガ
スが止まったりすると、どうやって暮らしていけばいいか
分からなくなる。この様なことで本当に良いのか、という
ことがあります。
現在の学生の状況
例えば、うちの学生さんも教員になる人がたくさんいま
す。全国に今、6000 人ぐらいの教員がいます。うちの大学
を出た教員もいるわけですが、子供達、つまり学生さんに
いろいろなことを聞くと、自然という言葉だとか、環境と
いう言葉だとか、川遊びだ、渓流遊びだ、釣りだというこ
とはよく知っているのです。ところが、川に行きますとあ
まりよく知らないのです。川の遊び方も知らなければ、木
登りも知らない、さらに鋸の使い方、玄翁の使い方全く知
りません。その人達が子供達を教えることになるのです。
これは大変まずいことではないでしょうか。それから栄養
学科ですとか農業工学ですとか、私は林学関係にいますけ
れども、その子供達(学生の事)はかつての子供達の様
に家でいろいろな事を体験してきていない。ほとんど、8
割方がサラリーマンの家庭の子供達なので、鶏の絵を描け
というと足が 4 本あったり、蕎麦の花畑を見ると感動しま
すが、そのときの質問が「うどんの花はどのような花です
か?」という質問であったりと、困ってしまうわけです。
そのような中で本物をきちんと学んでいく必要がある、
それが源流域にたくさんある、まだ残っている。じいちゃ
ん、ばあちゃんが元気でいる、そこから学んでいこうとで
源流大学を創りました。ただ、この源流大学のアイデアは
私達のアイデアではなく、源流域について考えている源流
シンポジウムが 10 年ぐらい前からスタートしていまして、
ここの中で議論されたのが源流大学という考え方でありま
す。それを解釈し、解釈といっては大変失礼ですけれど、
それを元にモデル地域を創ってみようということで、小菅
村にモデルを創るということになりました。農大、学芸大
共に現代 GP をもっていまして、そこで取り組んだことを、
今日、ここで報告させていただきます。
源流大学の目標・構想
まず、源流大学のねらいは何かといいますと、ここ(パ
ワポ)にありますように、流域学園圏、流域上・下流をつ
なげてですね、その中の源流域というのは全体の宝ではな
いかと思うのです。そうした時にみんなで共通の財産をい
かに守っていくかという事が基本にあるのですけども、そ
の中で源流域から学ぶような、教育現場、環境教育とい
うことをやっていこうじゃないかと、言ってみれば、教育
圏・学習圏をその中に作り上げようというのが1つ。2つ
目が、やはり、地域が再生していかないと大変なことにな
る。先ほど税金が 10 万という話がありましたが、これでは
大変なことになってしまいますので、地域再生をいったい
どうするのか。これは上流だけにまかしておくということ
ではなくて、上・下流が連携するという1つの流域経済圏
という中で地域再生ができないだろうか、という概念を持
ちたいのです。3つ目に、生活圏において、いかにコスト
安で、環境に負荷を掛けないような、そして、持続してい
くような循環型社会をどう形成していくか、ということが
課題となるわけです。4つ目に、この様な社会を創ってい
くための人材をどう育てるか、まさに人づくりの問題があ
ります。
この4つのコンセプトを作り上げていこうというのが目
標です。
今、ちょうど試みを行っている最中で、実は昨年から
初めて、今年で2年目、来年で終わりです。アンケートを
取ったり、いろいろな結果も出ているのですが、まだまと
めきれていなくて、今日事務局が来ていますので事務局の
方に聞いてもらえれば、私に聞くより良く分かります。
どのような構想になっているかというと、源流域という、
非常に豊かで貴重な資源、そして、すばらしい文化といっ
たものを、大学、企業、行政、団体等が一体化して、先ほ
どの4つのコンセプトをやっていこう、ということです。
そして、一般の人はどうするかと言いますと、森林体験、
農業体験、源流体験、景観体験という体験学習をきちっと
やっていただきます。大学は専門学習、自然の体験の実習
を行ったりと、それぞれの学科が専門教育を源流の皆さん
を講師として学び、文化体験をしていこうと、いわゆる、
専門教育に関する実習を、本物の実習をやっていきます。
また、企業にも一緒にやっていただきます。これは、企業
が源流で研修を行ったり、最近は CSR といったこともあ
りますので、環境貢献をする、あるいは、新たなビジネス
チャンスをここ(源流域)で掴んでもらう。この様に相互
に源流域で行う活動を展開できないかということです。そ
れを図示しますと、この様な形になります(パワポ)
。上
流域の上に小菅村があります。小菅村にはすでに源流研究
所というものがあります。
上流域を下流域の大学、農大、学芸大、法政大等、様々
な大学とコンソーシアムを組み、また、その中には企業も
入れていきたいと考えています。例えば、農大の4つ学科
が源流域に行って専門の教育を受ける、さらに、一般の方、
市民と一緒に学ぶオープンカレッジを行おうと、源流域の
小菅村を全てキャンパスにしてしまおうと考えています。
源流域に休校になっている学校がありましたので、それを
− 61 −
連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
再生していくことから始めました。
れません。薪割りは自分の精神を鍛えてくれます。それか
源流大学の現状
ら、スパッと割ったときの感触ですね、これは忘れられな
い。ここ、実は薪ストーブを使っていますので、薪を作ら
これ以降は全て写真になります。
これ(写真)は、現地の大工さんとうちの学生さんが古
い校舎を再生しているところです。この様に源流の木材で
古い校舎をリニューアルしています。実習の中でやってい
ます。これ(写真)は、オープニングの様子で、ここにい
る(写真を指し示す)うちの学長が源流大学の学長をやり、
村長さんは副学長としていて、5月にオープニングをしま
した。
(写真)この人はうちの栄養学科の先生なのですが、
ここ(小菅)にはいろいろな食文化があると、また、
(写
真)この人は体育の先生で、ここ(小菅)で体力測定をし
てみるとお年寄りがすごく元気です。小菅村の80 歳が下
流域の60 歳にあたる。一歩前に踏み出す活力が全然違う。
これをうまく使えないか。どの様な食生活をしているか、
どの様な生活をしているか等、調査していく。そして、ホ
スピタルに関することなど、うまく活用・転換していくこ
とができるのではないかと考えています。これ(写真)は、
その様子撮ったものですが、私は、この様なことはこれか
らビジネスチャンスになっていくのではないかと、考えて
います。
次に、源流財源についてですが、すごい自然がここに
はあります。この源流域があるから、水が豊富に潤滑に流
れてくるのです。そのようなことを、まず広く知っていた
だく。これ(写真)は、源流で子供達と一緒に沢登りをし
ているところです。この様な体験、本物の体験をしていた
だく。それからこれ(写真)は、草刈りをしているところ
です。ここは昔、農園であったのですが、放置されていま
した。この空間は、後々、学生さんの手によって遺伝子が
残っていくようにしたい、いろいろな植物、地域の植物を
モデルとして残していこうとしています。
これ(写真)は、古道整備です。この古道も意味があっ
てここにある。これ(写真)は、現地の中の100 年の森。
森作りをきちっとしなくてはいけない。今、日本の森はほ
とんど荒れています。手入れができていません。何故かと
いうと、木材の値段が非常に安いからです。昔は木材を
切って荒らしていましたが、今は木材を使わない、切らな
い、ということで荒らしているのです。現在、日本の杉材
は世界で一番安くなってしまいました。でも売れない。そ
れを解決するために、農大の先生が木の診断をします。そ
の診断に従って、ボランティアの皆さん、学生さん、地域
の人と手入れをしていく。
(写真)ここにいる人、この人
は67 歳なのですが、すごい人でして、昔は木から木へと
飛び移って作業していたそうです。弁当をもって一日木に
上がったら降りてこない。この様な人たちに教わるという
ことで、本物の知恵を得る。鉈なんて、私が使っても「先
生見てられない、そんな使い方じゃだめだ。
」と言われて
しまう。しかし、それが学生さんにとって本物の知恵を得
ることになる。そして、こういう所をきれいにしたり、今、
間伐をしているところですが、この中身は全て、科学的な
調査に裏付けられて、整備が行われています。これ(写真)
は、木を背負っているところですが、これは意味がありま
す。次の日に薪割りをするのです。この薪割りというのも
今の学生さんはほとんど経験していません。みなさんの中
でもあまり経験をしたという方はいらっしゃらないかもし
なければならない。実習の中で作ってしまおうというわけ
です。
(写真)それから、椅子なんかも学生さんが 2、3 時
間の木工実習の中で10 本作ってくれましたので大学として
は大変助かりました。一般の人は小物を作ったり、全て、
地元の人たちが講師となっています。
それから、農業体験。ここはとても急傾斜なところなの
ですが、ここに公園やすごく良い温泉もあります。この公
園を整備するのはとても大変ですが学生さんの実習と皆さ
んの手で行うと意外と簡単にできる。これ(写真)は台風
後のワサビ田を整備しているところですが、これも夫婦 2
人なんかでやると2、3日かかってしまいます。ところが、
学生さんが行って、指導を受けながら整備・植え替えをや
ると、だいたい2、3時間で終わる。学生さんは本当の体
験ができますし、農家の方は助かる。双方にとって良い。
また、これをもって帰り、家で農家のお母さん手製の粕漬
けにしてもって帰る。
(写真)ついこの前やったのが、こ
んにゃく作り。こんにゃく芋を掘り起こして、杵でついて、
食べました。この様な、本物の実習をしてきました。
源流大学の今後
来年度、本格的にスタートしていこうとしています。2
年間やってきて課題も少しずつ整理されています。1つは
源流大学のカリキュラムで、学生、企業、一般の人が入れ
るようなカリキュラムをどの様に構築していくか。科目に
できることもたくさんあるのですが、システムをどう構築
するか。また、土日だけでは地域がうまく回っていかない
ということも考えられます。2つ目に、コンソーシアム。
流域コンソーシアムを作るということなのですが、これを
いかに潤滑に連携させるかということが課題になっていま
す。それから、先ほど紹介した校舎。これに、源流域の資
料館や情報のシステムなどを入れ、核にすることはできな
いだろうかと考えています。
地域再生との連携ということなのですが、これは非常
に重要です。いくら外から人が入ってきても金を落として
いってくれないとすぐ駄目になります。それから、この現
代 GP というのは来年切れますので、その後、どの様に繋い
でいくかということが重要になります。そこで私たちは交
流経済圏と呼んでいますが、源流の中に企業を巻き込める
チャンスがないかと考えています。今、小菅村には JT、ホン
ダや東京電力が入っています。地域再生という事だけでは
なく、企業にとってもプラスになる、地域にとってもプラス
になる、全体的には国にとっても環境保全という観点から
もプラスになるということができないかと考えています。
最後に源流大学の運営と持続ということなのですが、こ
れが私たちにとって一番頭の痛い問題です。文部科学省か
ら現代 GP をもらっていますが、3年間の期限が切れたら
「さようなら」と終わってしまうことではいけません。こ
れを持続的に続けていくためには資金繰りをしっかりとし
ていかなくてはなりません。これから、個々にアイデアの
出しどころがあるでしょう。現代 GP は一種の入り口です
から、これを将来に持続させていくにはどの様な手段があ
るか。それは、私たちが考えるだけでなく、今回のような
シンポジウムなどが重要になります。
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
以上、源流大学の実態と今後の課題ということでお話し
させていただきました。ご静聴ありがとうございます。
<講師プロフィール>
宮 林 茂 幸(みやばやし しげゆき)
東京農業大学 地域環境科学部 教授
1953 年長野県生まれ。専門は林業経済学、森林政策学。
主な研究テーマは「地域振興と森林レクリエーション」
、
「市民参加による森林管理」
、
「森林体験と環境教育」など。
NPO とよあしはら理事長、せたがやトラストまちづくり協
会理事、多摩川自然再生協議会会長、野外文化教育学会
理事。著書に「森林レクリエーションとむらおこし・やま
づくり」
(全国林業普及協会)
、共著に「森林教育のすすめ
方」
(全国林業普及協会)
、
「森林・林業教育−実践ガイド
−」
(全国林業普及協会)
、
「みどりの環境デザイン」
(東京
農業大学出版会)等がある。
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
< 第1分科会報告:「多摩川流域の生き物と川遊び」>
【報 告】柴田 隆行(多摩川の自然を守る会代表)
【コーディネート】鈴木眞智子(NPO 法人 多摩川エコミュージアム事務局長)
中込 貴芳(NPO 法人 自然文化誌研究会副代表理事)
大坪 礼乃(東京学芸大学大学院 学生)
【アドバイザー】南 道子(東京学芸大学 教授〔生活科学〕
)
中西 史(東京学芸大学 専任講師〔生命科学〕
)
Ⅰ 報告者より 紹介する川の遊び事例→大人が子どもと遊ぶときに役立つ方法の提案として
1.地図作り
地図や写真=活動の宝 ⇒£住民として地域を知っているという強み￟
ex. 古い地図を持って川原歩き→違い(新しい発見)を基に地図を更新してゆく
・地域に対する立場の違い
研究者
行 政
住 民
研究の対象がなくなるといなくなる
数年単位で移動
£生活の場￟
簡単に移動するわけにいかない
⇒住民が自分の生活の場を知ることの必要性
2.自然観察
(天候の変化などで)何もないところに、できる
あったものが、なくなる
↓
£自然の特徴￟・・・特に、川は変化が多い、速い
※時間をかけて観察し、変化や興味のあるものを探す→子どもたちの自然に対する姿勢の変化
Ⅱ 課題
1.子どもの遊び場としての河川
多様な要素
遊び場として無限の可能性
水の浅深、流れの緩急
子どもの年齢、性別などにとらわれず、
季節変化、多種の生物
楽しさを発見できる
野球場や、モトクロス場としての利用多→ひとつの遊びにこだわらず、多様な川遊びができる場所に「川は汚い、危険」
という誤った認識→それらの既存の概念を正す必要性、親子で行くことの重要性
2.河川環境をめぐる、多様な価値観
生物多様性の保持
生物のすみかとして
安全面の確保
子どもの遊び場として
生物多様性の保持
除草の必要
大人の利用
釣り場として
子どもの利用
※異なる価値観があることを知り、互いに理解する努力をする必要性
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
< 第2分科会報告:「山村の暮らしとむらづくり」>
【報 告】土肥 英生(NPO 法人 グリーンネックレス 代表)
【コーディネート】土井 利彦(NPO 法人 ミュゼダグリ 副理事長)
青柳 諭(山梨県小菅村 源流振興課 課長)
田辺 薫(東京学芸大学 学生)
伊藤 惇(東京学芸大学 学生)
1.土肥英生氏(NPO法人グリーンネックレス代表)からの問題提起
新潟県刈羽郡小国町法末集落において活動を行っている。法末は2004 年の中越地震で、3 日間完全孤立し、その後全村
避難した。土肥氏のグループは集落支援として、イベント支援や集落再生計画作りを行っている。法末での実践から以下の
様な問題が提起された。
・放棄された農林地の管理をどのようにするか
・高齢化する集落と外来者の新しい協力関係の構築
・雇用 / 産業における将来展望の構築
2.青柳諭氏(小菅村源流振興課長)から山村の現状説明
多摩川源流の小菅村。人口929 人。面積の95% が山林で 1 / 3 が都水源の涵養林。20 年前から「源流」にこだわった村作
りを行っている。外部との交流活性化や農林地・自然資源を守る活動等を行っている。
3.山村はどうすればいいか、都市は何ができるか ―― 議論
問題提起「ディズニーランドで遊ぶ、自然の中で遊ぶ」
→同じ遊びの時間を過ごすならば、同じ対価を支払っていいのではないか?
・小菅村清水氏:東京から小菅村へ移住。キャンプ場の管理人として働いている。小菅村で得たものは「お金に直せない価
値」である。都市、農村にこだわらず楽しいものは皆で共有したい。
・山村に惹かれる:リラックスできる・自分の暮らしてきた原体験に触れられる・そこにしかないもの、ここでしかできな
い体験・地域のコミュニティが深い、人との付き合い・人間的な生活に還ることができる 等。
・法末・小菅の失敗:催し等を行うと、誰かに負担が偏ってしまう。
・生活していく為の村作り:若い人が来て、暮らしていけるように、企業を作り、稼ぎを産み出す。大もうけはできなくて
も、最低限食べていける。また、医療や教育をどのように解決していくか。外から来る人の受け入れ態勢を整えなくては
ならない。
・観光について:観光ネットワークを作る。村の楽しみをコーディネートし、選択肢がある体験を提供する。行って帰るだ
けではなく、宿泊施設等を整え、
「滞在」できる様にし、また来よう、と思える仕組みにする。観光客が土日に集中する
ので、ウィークデイに来られる様にしたい。また、特定の人に負担が偏らない様にし、続けていける仕組みにしなくては
ならない。
・山をどうするか:林業では食べていけない状況にある。その様な中でも森に手を入れていかなくては森、山が荒れてしま
う。また、山と畑を複合的に考えていかなくてはならない。
4.まとめ
源流だけでは山、畑を守れず、村民の暮らしにも不安がある。そこで、外の人を受け入れる体制作りをし、地域の力につ
なげる仕組みを整える。小菅村を例に挙げれば、多摩川流域全体で作り上げなくてはならない。下流の人たちに源流の状況
を知ってもらい、流域は一体であるとの考えのもと、総合的に解決策を作り上げていかなくてはならない。
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
< 第3分科会報告:「多摩川流域のまちづくり」>
【報 告】神谷 博(法政大学 講師/㈱設計計画水系デザイン研究室)
【コーディネート】小島 力(小菅村エコセラピー研究会 代表)
佐野 淳也(東京学芸大学 環境学習推進専門研究員)
遠藤 友章(東京学芸大学 学生)
【アドバイザー】椿 真智子(東京学芸大学 准教授〔地理学〕
)
服部 哲則(東京学芸大学 専任講師〔文化財科学〕
)
(テーマの枠組みと課題)
流域全体を対象に、土地条件を踏まえつつ、保全再生型まちづくりについて、各主体が果たす役割
A 低地
B 台地
C 丘陵
D 山地
Ⅰ.民
(市民)
都市建設
高密居住
郊外住宅地
低密居住
旧村と団地
低密と高密
村
過疎化
Ⅱ.官
(行政)
狛江市、大田区
川崎市
小金井市、
国分寺市、昭島市
日野市、八王子市、
町田市
小菅村、奥多摩町、
青梅市
Ⅲ.産
(産業)
水田、商工業、
漁業
畑、野菜、
地場産業
里山、果樹
林業、観光
―
学芸大、農大、
法政大、農工大
首都大
源流大
Ⅳ.学
(教育機関)
(まちづくりの事例)
・多摩川河川整備計画づくりとフォローアップ活動(狛江市、川崎市など)
→水辺の楽学校の展開(民)
、水流実態解明プロジェクト(官)
・真姿の池湧水の保全と国分寺市まちづくり条例(国分寺市)
→国分寺崖線保全フォーラム(官)
、事業者を巻き込んだ再生・創造型のまちづくり(官、産、民)
・野川流域連絡会と自然再生事業(小金井市など)
→野川復活大作戦(官、民)
、野川自然再生事業(官、民)
・湧水保全と谷戸開発(日野市、町田市)
、町田小野路宿通の景観再生まちづくり
→清流条例改正による湧水と水路の保全(官、民)
・小菅村源流研究所と森林再生事業
→源流大学の設立とコンソーシアム大学への移行(学)
、自然再生事業
(議論)
・山村にある文化財を、下流の人に見てもらう可能性はあるのか
→山村で価値の無いものが、実は都市においては価値があったりする
・川は、行政だけでは区切れないスケールである
→流域全体で、大きなスケールでの連携が必要である
→自然環境と社会環境が調和したまちづくりを目指すためには何をしたらいいのか
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連続講演会 第16回 「We Love Tamagawa いのちをつなぐ138 ∼多摩川エコミュージアム・ネットワーク・シンポジウム∼」
< 第4分科会報告:「エコミュージアム・ネットワーク」>
【報 告】本木 紀彰(川崎市役所 まちづくり局市街地開発部 部長)
【コーディネート】嵯峨 創平(NPO 法人 環境文化のための対話研究所 代表)
黒川 文一(財団法人水と緑と大地の公社事務局長)
白井 みか、鈴木 享子、大久保 希(東京学芸大 大学院生)
【アドバイザー】吉冨 友恭(東京学芸大学 准教授〔環境教育〕
)
1.川崎市におけるエコミュージアム … 本木紀彰(川崎市まちづくり局市街地整備部長)
<多摩川と共に歩んだ川崎の歴史>
・多摩川に育まれてきた川崎
・水質悪化と洪水の問題の浮上 多摩川を活かしたまちづくり
・憩いの場としての多摩川の活用
<多摩川エコミュージアムプラン>
・多摩川を主体にした水と緑のネットワーク形成
・地域環境や歴史の見直し、再発見(地域や世代の連続性を認識)
・市民と行政のパートナーシップによる流域文化と自然環境の保全、継承
⇒「水と緑と歴史・文化」
、そしてそれを支える「人」とのネットワークの形成
⎫
⎬
⎭
2.小菅村の現状と“多摩川源流”… 黒川文一(財団法人水と緑と大地の公社事務局長)
<小菅村としての多摩川エコミュージアム>…小菅村の財産を広げてゆく
・特産品(ex: ヤマメ、ワサビ)の維持の必要性
⎫
⎬
⎭
・観光ネットワークの形成の必要性…温泉+α “多摩川源流”への意識
・水源の水維持の必要性
<小菅村の問題点の認識>
・高齢化、少子化 (ex)高齢化によるワサビ沢修復の放棄→特産品維持の困難
・市町村合併 (ex)地方交付税の削減→多摩川源流を守る手助けはあるのか?
3.アザメの瀬における自然再生事業 … 吉冨友恭(東京学芸大学准教授)
・住民との話し合いによる検討会
・学習センターの役割とニーズ…市民活動、環境学習、情報提供、研究
・自然解説の試み…順応的な環境学習活動の実践
⇒活動への市民、研究者、行政の参加の重要性
<議論>
・川−森−海のネットワークの必要性
・源流∼河口までのつながりの中での「中流域」の拠点の必要性
・環境学習の拠点と教育による連携の必要性
・連携や拠点をどのように作っていくか?
→源流にいなくても源流を守る手助けができる
(ex)
「多摩川源流水」の10円を源流の森林再生基金=10円の付加価値
実行委員のなかから、来年度もこのネットワーク・シンポジウムを、ぜひ継続させていきた
いという声があがりました。来年度の実施へ向けて、期待が高まります。
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