論文 - 日本国際経済学会

アメリカ IT 製造業企業と世界生産ネットワークの形成
IT 製造業企業のサービス事業展開との関係で
京都大学大学院博士後期課程
森原
康仁
はじめに
本稿の課題は、IT 産業における世界生産ネットワークの形成と IT 産業の構造変化の中
で、アメリカの製造業 IT 企業がサービス事業にシフトしていったプロセスを明らかにする
ことである。また、そのことを通じて、IBM を始めとしたアメリカの製造業 IT 企業がサ
ービス事業にシフトしたことの含意を得ることにある。
IT 産業における世界生産ネットワークは 1990 年代に拡大し深化したものである。ここ
でいう世界生産ネットワーク1とは、国際的な企業間工程間分業の形成を意味しているが、
こうした現象は必ずしも新しいものではない。たとえば、すでに 1970 年代に Watanabe は
国際下請生産という概念で、多国籍企業がつくりだす企業内国際分業と途上国地場企業の
リンケージを説いていた2。
近年こうした現象が改めてクローズアップされるようになった背景には、第一に、とり
わけ IT 関連産業のように生産過程の細分化・断片化を促すような技術革新が、世界生産ネ
ットワークの稠密化をもたらしていること、第二に、そうした世界生産ネットワークに「参
加」することによって、途上国や新興国の産業高度化が可能となってきたこと3、第三に、
輸送手段や通信手段の技術革新に伴い、国際間に跨って生産活動を行うための流通費用が
削減されてきたこと、が挙げられる4。
IT 産業における世界生産ネットワークについての研究は、主として二点目の関心に基づ
くものが積み上げられてきた5。他方、IT 産業の世界生産ネットワークにおいて、先進国
企業が占める位置については、もっぱら Microsoft や Intel などの専業企業によるデファク
トスタンダードに基づいた市場支配との関連で論じられてきた6。そこでは、かつて Acer
のスタン・シーが経験的に示したスマイル・カーブにおけるサービスの役割が明確ではな
い。
世界生産ネットワーク論の潮流を系統的にサーベイしたものとして、Kimura [2007], chap. 2; 木下
[2006a], [2006b]がある。世界生産ネットワークには様々な概念によって捉えられてきている。一例を挙げ
ると、「グローバル商品連鎖」、「グローバル価値連鎖」、「グローバル生産ネットワーク」、「国際生産ネッ
トワーク」、「フィリエール (the filiere)」などである。いずれの議論も、念頭においているのは国際的な
企業間工程間分業である。
2
Watanabe [1972]
3
「途上国など受入国側の経済成長と技術習得の課題に結びつけて、いわばスピルオーバー効果をもった
ものとして『再度論じられる(renew)ことになった』」(関下 [2002], p. 110)。
4
生産過程の細分化・断片化、輸送・通信手段の革新、貿易等の制度的な自由化等によって生じた貿易構
造の変容を、石田[2004]は「貿易の垂直構造」と呼んでいる。
5
代表的なものとして、Borrus, Ernst and Haggard (eds.) [2000]; Sturgeon [2000], [2002]などがある。
6
たとえば、Borrus and Zysman [1997].
1
1
製造業 IT 企業のサービス事業シフトに着目するのは以下の理由からである。第一に、ハ
ードウェアの急速な陳腐化なかで、アメリカの製造業 IT 企業がサービス企業として生まれ
変わることができたのはなぜなのか、ということを明らかにする必要があること。第二に、
サービス企業として変貌したアメリカの製造業 IT 企業が、グローバルな生産ネットワーク
を統合する主体として立ち現れているからである。
そこで以下では、まず主としてアメリカ企業の生産アウトソーシングによって形成され
た東アジア地域を巻き込んだ世界生産ネットワークの形成について整理し、次にその背景
となった IT 産業の構造変化について述べる。そして最後に、これらによって引き起こされ
たハードウェアの急速な陳腐化の中で、アメリカの製造業 IT 企業がサービス事業にシフト
していったプロセスを明らかにしたい。
Ⅰ.IT 産業の世界生産ネットワーク
1.台湾を中心とした生産ネットワーク
まず初めに、アメリカを中心とした先進国企業による東アジアへの生産委託によって生
じた国際分業の特徴を見てみよう。周知のようにアメリカの IT 関連財の貿易収支は大幅に
赤字であり、とりわけコンピュータおよび周辺機器の貿易赤字は 1990 年代以降、継続的
に拡大してきた。
アメリカのコンピュータ関連機器の貿易相手国は特に東アジア地域に集中している。川
上[2005]によれば、2000 年におけるアメリカのデスクトップパソコン輸入の相手国・地域
別シェアの第一位は台湾であり(51.9%)、続いて日本(13.0%)、メキシコ(3.6%)と続く。
ノートパソコンでもほぼ同様の傾向であり、台湾(53.7%)、日本(11.1%)、メキシコ(24.5%)
である。2004 年には、デスクトップパソコンの場合、中国(65.5%)、台湾(7.8%)、日本
(7.7%)、ノートパソコンは中国(48.1%)、マレーシア(32.1%)、台湾(7.8%)という順
番になる7。
1990 年代から 2000 年にかけて、コンピュータ機器の世界生産ネットワークにおいて東
アジア地域が一大調達拠点として機能してきたことが見て取れる。なかでも台湾が 1990
年代にパソコン生産拠点としての地位を拡大させてきたこと、2004 年その地位が中国に移
行したことが特徴的である。
これは必ずしも、台湾企業に代わって中国企業がコンピュータ機器の生産を担うように
なったということを意味するわけではない。2000 年代に入って台湾企業による中国への直
接投資が急増し、その結果、中国を経由した台湾企業によるコンピュータ機器の輸出が増
えているからである。2003 年、中国の輸出額上位 100 社に占める台湾系 IT 機器製造企業
は 15 社であり、上位 3 位はすべて台湾企業によって占められた8。
7
8
川上 [2005], p. 22.
同上、p. 25.
2
2.自社ブランド路線による成長
後に触れるように、コンピュータ産業においては、1981 年の IBM/PC の誕生以来、構成
部品・要素技術の外部調達が定着している。そもそも IBM/PC を構成する部品・要素技術
は、CPU、OS はもちろん、電源を Zenith、基盤を SCI Systems、プリンターをエプソン、
ディスプレイは台湾の Tatung(大同)から外部調達した9。しかし、1980 年代、台湾企業
は OEM 供給に完全に依存することによって成長を図ろうとしていたわけではなかった。
OEM への依存を減らし、OBM(自社ブランド生産)に挑戦した企業で最も有名である
のは Acer(宏基)である10。1983 年に IBM PC/AT 互換機を発表し、1986 年には IBM に先
駆けて Intel 386 CPU を搭載した互換機を発表した Acer は、自社ブランド製品の生産・販
売をもくろみ、以後 1980 年代一貫して OBM 路線を堅持した。それは 1980 年代後半の M&A
や提携に現れている。
1987 年 Acer はミニコンピュータを中核事業とする米 Counterpoint Computers を買収し、
翌年には米 Altos を買収した。1989 年の Texas Instruments との提携によるジョイントベン
チャーの結成は DRAM 事業への参入を意図したものであった。こうした一連の買収は、
Acer の OBM 路線の具体化であり、一方で OEM 比率を減らしつつ、他方で自社製品の多
角化とアメリカ市場への参入が意図されていた11。
しかし、こうした OBM 路線は 1991 年に 2,300 万ドルもの赤字を出し失敗に終わった。
これは Acer 自身の戦略の甘さだけではなく、パソコンをめぐる市場環境が激変していたこ
とにも原因がある。第一は、パソコン市場における価格競争の激化である。第二は、東南
アジア諸国、韓国、中国の地場企業がモニター、DRAM などのようなコンピュータ関連部
品の生産受託を開始すると同時に、日本のパソコンベンダーが世界市場に参入し始めてい
ていたということである。この結果、台湾のコンピュータ産業は OEM サプライヤーとし
ての強みを活かす以外に十分な選択肢が無い、という状況に追い込まれた12。
3.OEM 取引にもとづく台湾企業の成長
パソコン市場における価格競争の激化は、アメリカの主要ベンダーによって引き起こさ
れたものである。このことは同時に、アメリカ企業による台湾企業への OEM 委託が急拡
大する要因となった。
パソコン市場における価格競争が激化した直接的な契機は、1992 年 6 月に発売された
Compaq の低価格パソコン ProLinea である。戦略商品となった ProLinea 3/25ZS は、低価格
マザーボードの採用、拡張スロットの削減、キーボード用部品の簡素化、標準的な 70 ワ
ット電源の採用、オーディオボードの不搭載、Intel 386SX チップ(低価格帯 CPU)と低容
Dedrick and Kraemer [1998], p. 52.
川上 [2003]は、1980 年代に台湾企業が OBM 路線を追求できた条件として、パソコンをめぐる国際市
場が「相対的に階層化された構造」を持っていたことを指摘している。すなわち、高価格帯の機種と低価
格帯の機種が市場において並存する余地があったということである(川上 [2003], p. 49)。
11
Ernst [2000], pp. 126-7. 1988 年当時、Acer は自社の OEM 納入比率を 40%から 4 年後の 1992 年には 25%
まで低下させることを計画していた。
12
同上、pp. 127-8.
9
10
3
量 HDD の採用によってコストを削減し、わずか 1,152 ドルという価格で発売された13。
ProLinea の登場によって、アメリカ国内でも低価格帯パソコンの市場投入が相次いだ。
ブランドと品質を維持するという立場で低価格帯パソコンの市場投入からは一線を画して
いた IBM も、1992 年 10 月、ProLinea への対抗機種の投入を発表した14。
当初 Compaq の ProLinea はラインの自動化を徹底したヒューストンで生産されていたが、
IBM など他社のパソコンの低価格化への追従によって、大手パソコンベンダーによる台湾
企業への OEM 委託が模索されるようになった。1992 年の秋には欧米企業から台湾企業に
価格についての問い合わせが寄せられるようになっている15。
表1 主要PCベンダーの台湾における調達状況(1995年)
PCベンダー上位8社 デスクトップPCもしくはマザーボード
(1995年)
の調達比率とOEM委託先
20%-25%
Compaq
Mitac
20%-30%
IBM
ECS, USI
Apple
-
30%-60%
GVC, Tatung
25%-30%
NEC
ECS
100%
Acer
Acer
1995年に調達開始
Hewlett-Packard
GVC
30%-50%
Dell
GVC
(原出所) MIC/IIIからのデータ提供。
(出所) Dedrick and Kraemer [1998], p. 150.
Packard Bell
ノートPCの調達比率とOEM委託先
15%
Inventa
15%-20%
ASE
25%
Acer, Quanta
100%
Acer
60%-70%
Twinhead
25%
Quanta
台湾企業への生産委託は中堅ベンダーから大手ベンダーまで拡大した。1994 年には
Compaq が MiTAC(神達)への OEM 委託を開始し、1996 年には IBM が Acer への生産委
託を開始した。相前後してその他のアメリカのベンダーからの OEM 委託が急拡大した。
表 1 にあるように、1995 年には、Apple は Acer と Quanta(広達)からノートパソコンを、
Packard Bell は GVC(致福)および Tatung からデスクトップパソコンを、Hewlett-Packard
は GVC からデスクトップパソコンを、Twinhead(倫飛)からノートパソコンを、Dell は
GVC からデスクトップパソコンを、Quanta からノートパソコンを調達するようになった。
1995 年以降もアメリカ大手パソコンベンダーによる台湾企業からの OEM 調達は持続的
に拡大を続けた。Compaq、Hewlett-Packard、IBM、Dell、Apple などアメリカ大手パソコ
Therrien [1992], p.148.
Arnst [1992], p. 152. IBM による低価格帯パソコンへの参入は、市場シェアの低下を続ける同社の復活
を期待してのものであった。しかし、この戦略は IBM のパソコン市場におけるシェア回復には必ずしも
結びつかなかった。むしろ IBM の参入は、パソコンの市場価格の低落を促進する結果となり、同社のパ
ソコン事業の恒常的な業績不振の遠因をつくったと思われる。
15
水橋 [2001], p. 36.
13
14
4
ンベンダー10 社の台湾からの調達額は 50 億ドルであったが、2000 年には 291 億ドルと急
激に拡大した16。
台湾企業にとってみれば、こうした OEM 受託は産業高度化に少なからず寄与する側面
があった。1990 年代には、大半の台湾企業は、かつて Acer が採用した OBM 戦略をとる
ことはなく、OEM 受託を通して自社の競争力を強化する途を選んだ。設計・開発を供給
相手先の企業に依存し相手先ブランド生産を行う OEM の段階から、受注したうえで自社
で設計・開発を行う ODM 生産が一般化している17。さらに、ODM 生産のなかでも、マー
ケティングなど一部の業務だけを除き、パソコン生産のすべてのプロセスを委託する形態
も現れるようになっている18。こうした生産委託は、台湾企業に製造機能だけでなく、そ
れに付随するより高度なサービスを提供することを要請する。その過程を通じて、台湾企
業がカバーしうる事業領域を拡大することができるのである。
アメリカ企業にとってみれば、台湾企業への生産委託の拡大とそれに伴う世界生産ネッ
トワークの形成の意味は、第一に、低コストかつ柔軟で機動的な供給基盤を獲得しえたと
いうことである。東アジアへの生産委託が拡大した直接的な契機が、Compaq による低価
格帯パソコンの投入であった所以である。
しかし、低コスト生産だけが東アジア地域との広範な生産ネットワーク形成の意味では
ない。第二に指摘しうるのは、1980 年代急速に生産技術を向上させてきた日系企業への依
存を回避し、オルタナティブな国際分業を形成したということである。
すでに 1980 年代初頭において、日米のコンピュータ関連企業の技術水準は同等である
どころか、部分的には日本が上回っている技術があった。たとえば半導体における論理素
子技術ではアメリカの 704 ゲート/チップであるのに対し、日本は 1,500 ゲート/チップ
であった。当時第 4 世代と呼ばれていたメインフレームにおいて、日本企業はアメリカ企
業に対してソフトウェア関連技術では相対的に劣位にあったが、ハードウェアでは技術的
に上回っていた19。政策的にも「競争力問題」が提起されていた当時にあって、日本企業
への製造部面での依存は減らすことはできても、拡大することは望ましく無かった。
また台湾をはじめとした日本以外の東アジアに供給基盤を持つということは、先にのべ
たように地場企業の成長を促してきた。このことは、日本企業に対してアジアに基盤を置
いた競合企業を生み出すことになったのである。とりわけ DRAM、民生用電子機器、ディ
スプレイといった IT 機器市場において、1990 年代、日本企業はアジアの企業による競争
に直面することになる20。これはアメリカ企業にとっては、間接的ではあるが、日本企業
の急速なキャッチアップに対する有効な対応であったとも言えよう21。
同上書、pp. 36-38.
OEM、ODM の区分については、高岡[1997], p. 216 を参照。
18
Ernst はこうした生産委託を「ターンキー生産(turnkey production)」と呼んでいる。その意味すると
ころは、単なる生産および設計・開発の委託だけではなく、物流や在庫管理など生産過程に関連する包括
的なサービスが委託されるということである(Ernst [2000], p. 131)。
19
夏目[1999], pp.172-3.
20
Borrus [2000], p. 74.
21
1980 年代、アメリカ企業が台湾企業に生産委託を開始したのと対照的に、日本企業が基本的に国内で
の調達を行っていたのは、①「ブーメラン効果」の危惧、②台湾メーカーに対する評価の低さ、③日本語
16
17
5
こうした東アジアを中心とした世界生産ネットワーク(国際的な企業間工程間分業)の
拡大は、1980 年代を起源とするコンピュータ産業の構造変化が背景にある。そこで次にメ
インフレーム時代の終焉をもたらしたダウンサイジングとオープンシステム化、そしてパ
ソコンの登場によって台頭したウィンテリズムと呼ばれるコンピュータ産業の競争条件の
変容をみてみよう。
Ⅱ.アジア企業への生産委託の背景
1.メインフレーム時代の終焉
(1)ダウンサイジングの進展
1980 年代、コンピュータ産業はダウサイジングとオープンシステム化という二つの構造
変化に直面し、産業構造の劇的な変化が生み出された。
ダウンサイジングと呼ばれる現象はメインフレームが担っていた役割を、より小型のコ
ンピュータが代替するような傾向を指す。これは具体的には、IC 技術の発展に伴うコンピ
ュータの価格性能比の向上と、各端末を相互に接続することによって分散処理が可能とな
りメインフレームの役割をネットワーク全体で代替できるようになったという 2 つの内容
を持っている。
コンピュータの技術的発展に伴う価格性能比の向上は、とりわけ、1980 年代後半に入っ
てからの RISC と呼ばれる、新しいアーキテクチャの MPU の普及が主要な要因をなした。
RISC は、モトローラ社の 68000 系チップに代表される CISC(複合命令セットコンピュー
タ)に比べて、命令セット数を使用頻度の高いものに限定し、MPU の構造を単純化するこ
とで処理速度の高速化を図ったプロセッサーである。RISC 技術をベースとした MPU は、
Sun Microsystems、IBM、Intel、Motorola、Hewlet-Packard、DEC などによって商品化され
た。なかでも、ワークステーションメーカーの Sun Microsystems は、この RISC 型 MPU
を積極的に取り入れることによって急成長を遂げた(根本・松岡[1992], pp. 11-14, p. 66)。
こうしハードウェアの価格性能比の向上を基礎にして、メインフレーム時代の支配的な
情報システムのあり方であった集中処理型の情報システムから、分散処理型の情報システ
ムが発展した。大型のメインフレームによる中央集権型の情報システムは、多くのユーザ
ーが同時に 1 台のホスト・コンピュータを使用するタイム・シェアリング・システムとい
う形態をとっていた。メインフレームには数十台から数百台の端末機が接続されるが、こ
れらはあくまで 1 台の大型コンピュータしか使用していない。ここでは端末間での相互接
続は行われていない。
それに対して、分散処理型の情報システムは、クライアント・サーバー・システムによ
って特徴付けられる。クライアント・サーバー・システムのもとでは、すべてのコンピュ
ータが相互に接続されている。従来の端末機に相当するものは、パソコンやワークステー
の壁によって国内市場を保護されていたため、生産コストを削減する努力が必要なかったことがある(高
岡[1998], p. 212)。
6
ションなどの小型コンピュータであり、クライアントと呼ばれる。サーバーと呼ばれるコ
ンピュータは、従来の大型汎用コンピュータに位置し、ネットワーク全体に関わる処理を
クライアントに提供する。データ処理はサーバーのみで行われるのでなく、クライアント・
コンピュータとの間で分散処理が行われる。また、クライアント・コンピュータ間もネッ
トワーク接続され、サーバーだけでなくクライアント同士でのデータ交換・共有が可能で
ある22。
(2)オープン・システム化
もう1つの構造変化は、オープン・システム化と呼ばれるものである。1980 年代以前、
コンピュータは、メーカーごとに CPU(中央演算処理装置)や OS などそれぞれ独自のア
ーキテクチャにもとづいて設計されており、クローズド・システム(またはプロプライエ
タリ・システム)が基本であった。そうした状況のもとでは、いったん導入したシステム
をユーザーが利用し続ける限り、何もかもを特定のメーカーに頼らざるを得なくなってし
まう。
コンピュータ産業成立以来のメインフレーム市場での IBM 社による支配的地位は、こう
したクローズド・システムの利益を最大限に活かしたものであった。このようなクローズ
ド・システムのもとでは、あるメーカーが一旦圧倒的な市場シェアを確保するとこのメー
カーの基準、すなわち OS が事実上の標準として通用し、これに別の OS にもとづくシス
テムで対抗するのは容易なことではないからである。
しかし、こうした状況の中で、ユーザーの側からは、当然のことながら、異機種間の接
続が自由にでき、ソフトウェアの共通性を図りたいという要求が高まってこざるを得なか
った。そして、このような要望にこたえようとするのが、新たなオープン・システム化の
動きである23。このようなオープン・システム化は、具体的には、UNIX と呼ばれる OS の
活用によって行われた。
UNIX は当初、パソコンよりも性能が高いワークステーションで積極的に採用され始め
た。ダウンサイジングの下で生まれた高価格性能比の RISC チップを核とするワークステ
ーションに、オープン・システム化を実現する UNIX が搭載されたという意味で、オープ
ン・システム化は先に述べたダウンサイジングと密接に連動している。Sun Mycrosystems
はこの点でもコンピュータ産業の画期をなした24。
IBM 社などが特化していたメインフレームの一台当り平均出荷額は、1989 年約 316 万ド
ルだったのが、1995 年には約 179 万ドルまで下落した。同時期、ワークステーションは約
2 万ドルから約 1 万 6,000 ドルに下落したものの、メインフレームの下落幅に比べれば相
以上の内容について、坂本[1992], pp. 206-9、および、綾部[1994], pp. 66-7 を参照。
ハードウェアからのソフトウェアやサービスの分離をアンバンドリングという。ソフトウェアを中心
に、保守・修理サービスやコンピュータ教育訓練サービス等は 1970 年代以降、順次ハードウェアと分離
された販売(アンバンドリング)されるようになった。その先鞭をつけたのは IBM 社であった(Fisher,
McKie and Mancke [1983], pp. 175-8)。しかし当時、ソフトウェアやサービス供給の目的は、主としてハー
ドウェアのマーケティングに置かれていた(Rodgers [1986]邦訳, p. 210)。
24
以上の内容は、坂本[1992], pp. 12-3、および、神永[1994], pp. 62-3、を参照。
22
23
7
対的に小さい25。
コンピュータの価格性能比の向上は、より小型のコンピュータへとコンピュータ利用を
シフトさせてゆくことになった。1981 年に IBM がパソコン市場への参入を決断したのは、
こうしたコンピュータ利用をめぐる状況が変化しつつあったからである。IBM は、新機種
のシステムにハードウェアの基本回路と OS の仕様を一般に公開するという、オープン・
システムを採用した。その背景には、パソコンの開発と出荷を一年以内に完了するという
目的があった。そのためには、コンピュータのコアとなる CPU や OS を内製することは事
実上不可能であったため、OS を Microsoft から、CPU を Intel から調達することにしたの
である26。
2.IT 産業における競争条件の変容
(1)IBM/PC とパソコン産業の競争条件
IBM のオープン化戦略の成功要因は、PC/AT というパソコンのスタンダードを確立した
ことにあるが、それによって IBM の市場シェアも激減した。つまり一方では、IBM のパ
ソコンと接続できる周辺機器やその上で動くソフトウェアなどを製造するメーカーの参入
を促し IBM のパソコン市場を発展させた。しかし他方では、IBM は、OS 開発を委託した
マイクロソフトや MPU 開発を委託したインテルと独占契約を結んでいなかったため、
IBM/PC 互換機を製造する新興パソコン・メーカーの台頭を許してしまったのである。
IBM 社がオープン・アーキテクチャ戦略をとったことは、コンピュータ生産とコンピュ
ータ産業の競争構造に次のような変化をもたらした。まず要素技術の生産では、OS、MPU、
周辺機器(ハードディスクや各種記憶装置)、モニター、プリンター、キーボード、マウス
などを、標準化した部品や周辺装置として専業企業が供給できるようになった。次に、ソ
フトウェアの生産においては、専業企業がアプリケーション・ソフト開発の重複を避ける
ことにより開発コストを下げ、多様な種類の応用ソフトを供給するようになった。また、
多くのソフトウェア専業企業がパッケージ化した応用ソフトを製品として供給することが
できた。最後に、コンピュータの組立においては、アーキテクチャが公開され、要素技術
を外部の専業企業から調達することが可能となったため、パソコン組み立て企業の参入障
壁は低く、参入企業が相次いで激しい価格競争が繰り広げられるようになった27。
1980 年代以前までは、各メーカーがコンピュータ生産のすべての過程(OS の設計・開
発、MPU の設計・開発、コンピュータの設計・開発およびコンピュータの組立)を一貫し
て担っていた。そうしたもとでは、特定の製品に特化した企業が相互に協力しあうような
競争構造も生まれなかった。しかし、1990 年代以降は、特定の製品の開発・設計・製造に
特化する専業企業が各製品を生産するようになり、お互いに協力、補完関係を形成して活
動できるような競争構造が成立したのである。今日では、どの企業もパソコンやワークス
U.S. Census Bureau [1993], p. 761. および U.S. Census Bureau [1997], p. 759. から算出。
Ferguson and Morris [1993] 邦訳, pp. 36-43。IBM がこの決定を下した 1980 年当時、経営幹部は、パソ
コン市場は狭隘な市場だと考えていたため、OS や CPU の外注化に対する懸念もさして大きくなかった
(Carroll [1993]=近藤訳[1995], pp. 35-6)。
27
夏目[2002], pp. 83-4.
25
26
8
テーションの基幹部品や周辺機器の開発・製造・販売・保守・リースを自社ですべて行う
ことはできなくなっている。
(2)世界生産ネットワーク形成の背景としてのウィンテリズム
こうした競争条件においては、製造技術の効率化よりも、新しい革新的な製品をいかに
定義し市場に浸透させるかということが利益の源泉となる。パソコン産業の場合、利益の
源泉は CPU と OS に移行した。1990 年代、Microsoft や Intel がとった戦略は、事実上の標
準(デファクトスタンダード)を確立した自社の製品をすべてのパソコン事業者に販売す
ることであった。
Borrus and Zysman [1997]は、こうした Microsoft や Intel の戦略をウィンテリズム
(Wintelism)と呼び、次のように整理している。①競争は最終組立ではなく個々の要素技
術市場で起こる。②個々の要素技術を囲い込むのではなく、市場において幅広く受け入れ
られるようにすることによってデファクトスタンダードを確立する。しかし技術は知的財
産権によって保護する(”
open but owned”
)。③こうした戦略は、オープンでモジュラーな
アーキテクチャを持つ市場において成立する。すなわち、その下で非中核技術・事業のア
ウトソーシングが可能になり、②によって得られる利益を最大化することができる。
パソコン製造にかかるコストの大部分が CPU や OS など中核的な部品によって占められ、
逆にパソコンの最終組立にかかるコストはごくわずかになる28。それゆえ、ウィンテリズ
ムが確立したパソコン市場においては、最終組立部門における利益はますます小さくなら
ざるを得ない。中核的な部品を社外に依存するパソコン製造企業が市場シェアを獲得する
ためには、製品ライフサイクル、生産期間および納期の短縮という、リードタイムをめぐ
る競争に直面せざるをえないのである(Curry and Kenney [1999])。
1980 年代のダウンサイジング、オープンシステム化に端を発したコンピュータの小型化、
価格性能比の向上、ウィンテリズムの下での最終組立業者の競争の結果、コンピュータの
価格は大幅に低下した。
この時期に大幅に出荷台数を伸ばしたのは、言うまでもなく PC である。1989 年、アメ
リカ国内の PC 出荷台数は 933 万台だったが、1995 年には約 2,258 万台まで増加した。こ
の間の PC の一台当り平均出荷額はほぼ横ばいながらも、製品の多様化や高機能機種の誕
生によってわずかに増加している(約 1,961 ドルから約 2,112 ドルへ)29。しかし、その
PC も 1990 年代末には平均単価約 1,356 ドル(1999 年)に下落し30、2004 年にはついに 1,000
ドルを割った(約 967 ドル)31。
コンピュータの価格が絶対的に低下し、しかもパソコン製造に占める最終組立の労働コ
ストが低下していく下では、組立部門の競争優位は賃金コストによって左右されることに
なる。1990 年代における東アジアへの OEM/ODM 委託の発展は、こうした必然性があっ
Warnke は、最終組立部門の直接雇用の減少とともに、同部門の労働コストはパソコン製造の総コスト
のうち 5%以下に低下したと指摘している(Warnke [1996], p. 25)。
29
U.S. Census Bureau [1993], p. 761. および U.S. Census Bureau [1997], p. 759. から算出。
30
U.S. Census Bureau [2002], p. 633, から算出。
31
U.S. Census Bureau [2007], p. 642, から算出。
28
9
たのである。
Ⅲ.アメリカ製造業 IT 企業のサービス事業展開
1.IT 産業におけるハードウェアの位置の変化
コンピュータの製造・販売を行ってきた企業にとっての課題は、コンピュータ価格の絶
対的な低下だけではない。むしろ重要なことはコンピュータ価格の実質的な低下、すなわ
ち価格性能比の急激な向上である。製品ライフサイクルを短縮し、より高性能なコンピュ
ータを市場に投入しても、急速な陳腐化と低価格化に見舞われることになれば、ハードウ
ェアの製造・販売に特化することそのものが競争上不利になるからである。
1990 年代「デル・モデル」によって急速に成長した Dell は、1997 年の営業利益率 10.7%
をピークに、2000 年代に入ると、2005 年 7.9%、2006 年 5.4%、2007 年 5.6%と低迷してい
る32。Dell の 2008 会計年度決算では、デスクトップパソコン部門とノートパソコン部門の
売上高比率はあわせて 60%であり、利益率の低迷の要因はパソコン部門の不振にあると思
われる33。
2001 年に不振が続いていた Compaq を買収した Hewlett-Packard は、2007 年度決算で営
業利益率 8.4%であり Dell と比較して高い業績を示した。しかし、同社の Personal Systems
Group の営業利益率は 5.3%(2007 年度)と全社的な利益率よりも低く、パソコン部門が足
を引っ張っている状況である34。また、IBM のパソコン関連部門(Personal Systems Group35)
が 1990 年代を通じて、長期にわたって低迷を続けてきたのは周知のとおりである。
Kushida and Zysman [2008]は、東アジア地域を巻き込んだ世界生産ネットワークの形成
と、IT 産業における競争条件の変容が生み出すこうした圧力を「コモディティゼーション
(commoditization)」と呼び、コモディティゼーションの回避のために取りうる選択肢とし
てサービス事業の展開を挙げている。さらに、かつて見られたようなサービス化、すなわ
ち製造業からの間接業務のアウトソーシングによって生まれるサービス化、消費様式のサ
ービス化、家事の外部化によるサービス化と区別しながら、第 4 のサービス転換として、
IT を利用したサービス(形式化、体系化、コンピュータ化されたサービス)の誕生を指摘
している。そして、先進諸国の企業の課題はここに集中していると述べている36。
実際、こうしたハードウェアの不振の中で、相対的にハードウェア依存の高い IT 企業は
事業構造のサービス化を模索してきた37。たとえば、Hewlett-Packard が Compaq を買収し
Dell Inc. [various issues].
Dell Inc. [2008], p. 27. Dell は 6 つの事業部門をもっており、デスクトップパソコンとノートパソコンの
ほかは、ソフトウェア・周辺機器、サーバー・ネットワーキング、サービス、ストレージである。
34
Hewlett-Packard [2007].
35
2003 年度の事業区分に基づく。
36
Kushida and Zysman [2008], pp. 8-12.
37
1960 年代以降、IBM を初めとしたコンピュータ企業は、メインフレームの保守・修理を始めとしたサ
ービスを提供してきた。こうしたサービスと、1990 年代に製造業 IT 企業が事業構造を変えつつあるサー
ビスとの区別については、さしあたり、森原[2007], pp. 60-64. を参照。
32
33
10
た当初の目的はハードウェア事業の強化とともに、製品ラインナップを多様化することに
よってサービス事業の強化を目的としていた38。また、同社は 2000 年に、コンサルティン
グ企業の PricewaterhouseCoopers を 180 億ドルで買収しようと計画していた39。その後同
社は 2008 年 5 月、IT サービス業界で世界売上高第 2 位の Electronic Data Systems(EDS)
を買収した。この買収によって Hewlett-Packard は、IBM に次ぐ世界第 2 位のサービスプ
ロバイダーへと変貌することになった40。
こうした製造業 IT 企業のハードウェア依存からの脱却とサービス事業の展開は、1990
年代を通して IBM が先鞭をつけたものである。
2.製造業 IT 企業のサービス化――IBM のサービス事業展開
(1)1990 年代以降の IBM の経営戦略
2007 年現在の IBM の経営戦略は、第一に、PC の時代は終焉したという認識に基づき、
オープン技術と高い価値を持つソリューションに集中すること、そのためのサービス指向
アーキテクチャ(Service Oriented Architecture: SOA)、高性能半導体、オープンでモジュ
ラー型の IT 技術を向上させること、第二に、それを通じて顧客企業にインテグレーション
とイノベーションを提供すること、第三に、グローバル統合企業(Globally Integrated
Enterprise41)として、水平統合を推進し、新興市場に注力するということである42。
こうした戦略に基づき、IBM の組織構造は、主要には 3 つのセグメントから構成されて
いる。第一は、IBM Global Services であり Global Technology Services と Global Business
Services からなる。前者はアウトソーシングサービスと技術インフラの運営およびサポー
ト、メンテナンスが含まれる。後者は、顧客管理、財務・労務管理、事業戦略などのコン
サルティング、アプリケーションの開発・管理などが含まれる。第二は、Systems and
Technology であり、高度なコンピュータとストレージ能力を扱っている。現在 IBM が行っ
ているハードウェア事業は、サーバー、ストレージ、半導体の設計・製造、設計サービス
および製造コンサルティングサービス、小売店向け機器の販売である。第三は、Software
である。このセグメントは、WebSphere、情報管理ソフトウェア、Tivoli、Lotus、Rational、
OS から構成されており、ソフトウェア開発ツールである Rational と OS を除けばすべてミ
ドルウェアである43。
Hewlett-Pacakard はこの買収によって、IT サービス市場において世界第 4 位の売上高を占めることに
なった。しかし、その売上げの 65%は故障したコンピュータの保守・修理であり、IBM のような IT サー
ビス事業を展開できるわけではなかった(Bulkeley [2001], p. A-14.)。
39
Loftus [2003], p. B-7D. Compaq の買収直後のこの時点で Hewlett-Packard は、サービス関連の M&A は、
向こう数年の短期的スパンでは地味なものになるだろう、と述べていたが、M&A そのものは否定してい
なかった。
40
Richtel, Matt [2008]. この買収によって同社は、IBM が展開しているようなアウトソーシング、アプリ
ケーションサービス、コンサルティング、テクノロジーサービスが提供できるようになる。
41
IBM が提唱している Globally Integrated Enterprise とは、「世界規模の生産統合と価値の配分(value
delivery)という新しい目的を実現するために、自らの戦略、経営、事業を形成する企業」を指す(Palmisano
[2006], p. 129)。
42
IBM Corp. [2007], p. 18.
43
以上は、IBM Corp. [2007], pp. 19-20.
38
11
図1 IBMの売上高構成の推移
100%
ハードウェア関連部門
サービス関連部門
80%
ソフトウェア関連部門
60%
40%
20%
0%
91
92
93
94
95
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
(注) 金融関連部門、その他部門からの売上は除外している。
(出所) IBM Corp., Annual Report , various issues, より作成。
重要なことは、ソフトウェアやハードウェアの技術それ自体が目的ではなく、それを用
いて顧客企業のソリューションを提供するというサービス事業が経営戦略の中心に位置付
けられていることである44。
サービス事業中心の経営戦略によって、IBM の売上高構成は大幅に変化した。図1は、
1990 年代から今日にかけてのサービス、ハードウェア、ソフトウェア関連部門の売上高に
占めるシェアをみたものである。サービス関連部門が 2007 年の時点で 55%にも上ってい
る。1991 年時点でサービス関連の売上げがわずか 16.2%であったことを踏まえれば、この
間の IBM の事業構成の変貌がいかに劇的なものであったか理解できるだろう。
こうした IBM のサービス事業へのシフトは、本格的には 1993 年 4 月に CEO に就任した
ガースナー(Louis V. Gerstner Jr.)の時代からはじまる。ガースナーが CEO に就任する直
前、1991 年∼1993 年にかけて、IBM は 5 億 9,800 万ドル(91 年)、68 億 6,500 万ドル(92
年)、81 億 100 万ドル(93 年)という経営史上最悪の赤字を計上していた。1991 年、CEO
だったエイカーズ(John F. Ackers)は、こうした経営不振を受けて大規模な組織改革を打
ガースナーは 1996 年の投資家向けレターの中で次のように述べている。「ソリューションは技術その
ものとは異なる。ソリューションとは、ハードウェア、ソフトウェアそしてサービスの組み合わせである。
これらを統合することによって我々は顧客の要求に取り組むことができる。……ネットワーク化された世
界はまた、サービスのための、つまり IBM の急成長しているビジネスに対する巨大な需要を生み出して
いる。顧客は、コンサルティングやシステムインテグレーションから始まってネットワークサービスやそ
の教育に至るまで、あらゆることで IBM に支援して欲しいと考えている」(IBM Corp. [1996], p. 6.)
44
12
ち出した。組織改革の目的は、第一に、事業単位への意思決定と権限委譲を推進するとい
うことである。逆に経営陣の役割は、事業ポートフォリオを監視し、IBM の収益を最大化
する事業へのてこ入れと、収益性が悪化している事業からの撤退を促すものとされた45。
第二に、自立化された事業単位は、独自に外部調達や外販を行うようになった。たとえば
サービスを提供するにあたって必要なハードウェア、ソフトウェアの外部調達、製造・開
発事業群による OEM 提供が行われるようになった46。
ガースナーが CEO に就任したのは、こうした急速な組織改革が行われていた只中であ
った。エイカーズ時代の事業単位の自立化や権限委譲をさらに推進するかどうか、という
判断にガースナーは直面していたわけだが、彼が採用した戦略は、会社の分割をこれ以上
推進せず、むしろ逆に IBM が保持していた規模や広範な能力を活用するというものであっ
た。
ガースナーは当時のコンピュータ産業を以下のように認識していた。1980 年代から始ま
ったコンピュータ産業の構造変化は、一企業が OS から周辺機器に至るまですべてを提供
する垂直統合企業が成立できる条件を掘り崩し、今や複数の専業企業がばらばらにハード
ウェアやソフトウェアを提供するようになっている。エイカーズの組織改革もこうした認
識の下で提案されてきたものだが、顧客の立場に目を移してみると、彼らは細分化された
ハードウェアやソフトウェアを独自に統合せざるを得なくなっている。こうした状況の下
で、顧客は再び統合的なソリューションを求めるようになっている。IBM の規模の大きさ
や広範な能力は、統合的なソリューションの提供という観点からみれば、逆に強みになっ
ている47。
ガースナーはこうした認識の下で、エイカーズが提唱した組織改革を引き継ぐことはせ
ず、逆に IBM を構成する事業部門の緊密な連携を推し進めたのである。しかし、このこと
は「官僚主義」と称された旧来の IBM に逆戻りすることを意味するのではなかった。従業
員構成でみれば、ピーク時で約 40 万人に上った社員数は 2002 年の時点で約 33 万人にな
った。しかし、これは単純に 7 万人が減ったのではなく、ピーク時の 40 万人のうち 30 万
人以上が IBM を離れ、新たに 20 万人が入社したのである48。つまり、この間、「ソリュー
ションの提供」というサービス事業が大規模な M&A や事業分割を伴いながら推進された
ということである。
(2)サービス事業強化を目指した IBM の M&A
表2は、1990 年代以降の IBM による主要な M&A をまとめたものである。1990 年代初
頭、IBM が経営史上最悪の業績不振に見舞われていたことはすでに述べた。IBM の本格的
事業単位の自立化で特に大規模なケースは以下の 6 点である。①ストレージ関連部門の自立化、②
System Services Division を ISSC(Integrated Systems Solutions Corporation)として自立化、③アメリカ政
府のシステムインテグレーション需要に応える子会社 FSSC(Federal Sector Services Corporation)の新設、
④リクルーティングサービスを提供する子会社 Employment Solutions Corporation の創設、⑤プリンター
製造および印刷サービスの子会社 Pannant Systems Company を新設。
46
以上は、夏目[1999], pp. 114-119. を参照。
47
Gerstner [2002] 邦訳, pp. 86-87.
48
北城・大歳編[2006], p. 86.
45
13
14
な M&A が再開するのは、1994 年に黒字転換し、ガースナーが CEO に就任して 2 年後の
1995 年以降のことである。大規模な M&A の嚆矢となったのは、GE の子会社 GE Capital
の Systems Support Services 部門の買収であった49。
被買収企業の事業内容を見れば分かるように、M&A の大半は、ソフトウェアとサービ
ス部門の強化を目的にして行われたものである。
ソフトウェアの買収は、大別して 2 つの目的に分けられるだろう。第一は、ミドルウェ
アの強化である50。先に述べたように、ガースナーのコンピューティングの利用環境に対
する認識は、異種混合のばらばらなソフトウェア、ハードウェアの統合が課題となってい
るというものであった。ミドルウェアは、OS とアプリケーションをつなぎ、同時に異機
種システム間の接続を容易にするという意味で「取り残された場所ではなく、戦略上の重
要な場所」51であったのである。
ミドルウェアの強化は、1995 年の Lotus の買収(約 32 億ドル)、1996 年の Tivoli の買収
(8 億ドル)、2003 年の Rational の買収(21 億ドル)が最も重要であった。これらはいず
れも、現在 IBM の 6 つのソフトウェア製品ラインのひとつになっている。
IBM にとって Lotus の買収は、Lotus1-2-3 のような表計算ソフトよりも、組織内のコラ
ボレーション、メッセージング、ソーシャルネットワーキングを実現するミドルウェア
Notes の獲得が目的だった。Tivoli は、企業・組織が運営する分散した IT インフラの管理
(セキュリティやストレージの管理を含む)を実現するソフトウェアである。Rational は
顧客企業のソフトウェア開発の支援ツールである。
第二は、こうした買収によって獲得したミドルウェアを含む、IBM のソフトウェア製品
ラインの強化である。たとえば 1996 年に買収した Tivoli の強化のために、以下のような買
収が行われてきた。作業負荷管理機能(1997 年:Unison)、ヘルプデスクと顧客管理機能
(1998 年:Software Artistry)、ソフトウェア管理機能(2000 年:Accessible、2005 年:Isogon)、
ウェブアプリケーション管理機能(2004 年:Cyanea)、ネットワーク管理機能(2006 年:
Micromuse、2007 年:Vallnet)、コンプライアンス、セキュリティ管理機能(2007 年:Consul
Risk Management)。
IBM のサービス事業戦略にとってみれば、より重要なのはサービス関連の買収である。
コンピュータ関連の総合メーカーとしての IBM の出自を考えれば、経営コンサルティング
のノウハウの獲得は、サービス事業を推し進めるにあたって不可欠であった。もともと
IBM はメインフレームのサポートサービスをマーケティングの一環として行ってきたこ
ともあり、IT 関連のサービス業務に関するノウハウは社内に蓄積があった。しかし、顧客
の IT 基盤の設計・開発・保守というレベルを超え、IT をいかに経営効率の改善に活用す
るかというレベルになると、経営コンサルティングの能力を獲得する必要があるとともに、
49
日本経済新聞社[1995]
ミドルウェアとは、OS やハードウェアの違いを吸収し、様々なプラットフォームで動作するアプリケ
ーション・ソフトの開発を容易にし、特定の業務領域や事業分野でしか使われないが、その分野では必ず
必要とされるような具体的で基本的な機能を提供するソフトウェアのことを指す。サービスとしてはアプ
リケーション・インテグレーション(EAI)と呼ばれる(西嶋[2000], pp. 128-131)。
51
Gerstner [2002] 邦訳, pp. 192-193.
50
15
各産業に対応した調査が必要になってくる52。法人顧客へのマーケティングという観点か
らみると、IBM は企業の情報管理部門への訴求力はあったものの、経営企画部門や財務部
門への訴求力が足りなかった。
サービスのノウハウ、とりわけコンサルティング能力の拡充という観点からみて、画期
となったのは、PricewaterhouseCoopers のコンサルティング部門(PwCC)の買収であった。
2002 年に約 35 億ドルで買収された PwCC は、小売業界、化学、自動車、製薬、金融関連
の ERP や SCM 構築で高い実績を持ち、同時に経営企画や財務戦略に関するコンサルティ
ングのノウハウを持っていた。企業情報システムの構築・設計だけでなく、経営企画や財
務戦略まで踏み込む能力を吸収したという点で、IBM にとってこの買収は「ワンストップ
型」のサービス提供能力の獲得を意味した53。PwCC 買収に伴い、IBM は Global Services
セグメントの中に、Business Consulting Services 部門を新設している。
PwCC 買収以降、IBM のサービス関連の買収の目的は、特定業界に精通しているコンサ
ルティング企業の獲得に向けられた。2001 年以前のサービス関連の買収は件数自体が少な
い上に、1995 年の GE Capital の一部門の Systems Support Services の買収や、1997 年の
Kodak との合弁企業だった Technology Services Solutions の買収のように、かつて IBM が
アウトソーシング契約を結んでいた企業の吸収という例も多かった。これらに対して、
2004 年の Liberty Insurance Services の買収は保険・年金分野への参入を意図したものだっ
たし、2005 年の Healthlink の買収は医療分野への浸透が目的だった(表1参照)。
こうした特定業界向けサービス提供能力を強化する目的での M&A は、サービス関連の
買収に限ったものではない。ソフトウェア関連企業の買収でも、とりわけ 2000 年代半ば
から目に付くものは、銀行・通信キャリア・政府機関・小売業界向けのネットワーク管理
ソフトウェア(2006 年:Micromuse)、抵当貸付業界向け Web 貸付業務用プラットフォー
ム(2006 年:Palisades Technology Partners)、医療保険関連規制に対応したアプリケーシ
ョン開発(2006 年:Webify)、航空宇宙産業向けソフトウェア開発支援(2007 年:Telelogic)、
相場データ配信プラットフォーム開発(2008 年:InfoDyne)などの買収のように、特定業
界向けの具体的なソリューションを提供するというサービス事業戦略に従った M&A であ
る。ハードウェア関連の買収は件数が少ないが、この場合も、買収の大半はサービス事業
の拡充という目的に沿っている。
つまり、1990 年代以降の IBM の M&A はソフトウェアやハードウェアの技術そのものが
目的ではない。それを活用することによってサービス事業の強化につながるような企業が
戦略的に買収されているのである。ソフトウェアやハードウェア IBM のソフトウェア戦略
担当責任者の Deborah Magid が述べるように、企業経営に肯定的な効果を与える技術が選
択的に買収されている54。
IT サービスは、情報システムの分析・設計、運営管理、資源管理といった IT 関連業務だけでなく、構
築する情報システムをいかに活用し運用するかという工程を含んでいる(森原[2007], pp. 57-59.)。
53
Bulkeley [2002], p. B4.; Harrison [2002]; 古谷[2002], pp. 30-36. IBM による PwCC の買収は、業界 2 位の
EDS の追い上げを阻止するという目的もあった。
54
Hoffman [2007], p. 26. Magid は、こうした企業経営に肯定的な影響を与える技術として、分析論とビジ
ネス・インテリジェンス(BI)に着目している。BI は企業が顧客情報や財務情報を統合的に管理・把握
52
16
(3)ハードウェアからの段階的撤退
こうしたサービス事業の強化と対照的なのが、ハードウェア関連部門からの段階的な撤
退である。すでに述べたように、IBM は 1980 年代から部分的には OEM を活用していたが、
本格化したのは 1990 年代に入ってからであった。また、ハードウェア関連事業の完全な
売却はガースナーが CEO に就任して初めて本格的に展開されたのである。
表3 1990年代以降のIBMの主要売却例
分割事業・企業名
1992年
ROLM Company
事業内容
売却先
電話マーケティング・サービス
所在地
備考
Siemens A. G. ドイツ
Local
アメリカ
Corporation
Onex
カナダ CelesticaはIBMの子会社
売却後、AT&TとOEM提携。AT&Tからネット
AT&T
アメリカ
ワーク機器などの調達。
売却額
(百万ドル)
NA
1993年
Federal Systems Company
アメリカ政府へのサービス提供
1996年
Celestica
メモリー、電源、電子機器の製造
1998年
Global Network 事業
多国籍企業向けデータ通信サービス
1998年
電子カード製造事業
Solectron
アメリカ IBMのノースカロライナ州シャーロット工場
1999年
Dominion Semiconductor (DSC)
DRAM製造
東芝
日本
東芝との合弁事業の解消。IBMの持株を東芝
に売却。
2001年
Display Technologies Inc. (DTI)
ディスプレイ製造
−
日本
東芝との合弁事業を解消。DTIを引継ぎ、台
湾・奇美電子、奇美実業および日本IBMの3社
−
でIntenational Display Tehcnology (IDT)を設
立。IBMの出資比率は15%。
2001年
赤外線送受信機事業
JDS Uniphase アメリカ
340
2002年
HDD事業
2050
携帯電話用半導体事業(一部)
アメリカ
22
2003年
ネットワーク検索技術
日立
TriQuint
Semiconducto
Integrated
Device
Technology
Applied Micro
Circuits
Corporation
(AMCC)
Global
eXchange
Services
Lenovo Group
日本
2002年
アメリカ
NA
PowerPC 400シリーズ
2004年
2005年
2007年
EDI事業、BES事業
電子商取引関連事業
Personal Computing事業
パソコン製造・販売事業
Printing Systems事業
デジタル印刷機事業
リコー
アメリカ
Power ArchitectureのライセンスをAMCCに供
与。
アメリカ
550
5000
NA
NA
227
NA
中国
日本
1503
1250
リコーとの合弁企業、InfoPrint Solutions
Company, LLC. (Info Print)を設立。IBMの持株 725
比率は40.8%(2007年12月31日)。
(出所) 『日経産業新聞』、『日本経済新聞』、Wall Street Journal.
表3は、1990 年代以降の IBM の主要な事業分割・買収を整理したものである。とりわ
け大規模な売却は、1998 年 Global Network 事業の AT&T への売却(約 50 億ドル)、2002
年 HDD 事業の日立への売却(約 20 億ドル)、そして 2005 年のパソコン事業の Lenovo へ
の売却(約 12 億 5,000 万ドル)であった。
なかでも製品の陳腐化が著しく急速なパソコン事業は、好調な業績を続けるサービスや
ソフトウェアと比較して悩みの種であった。パソコン事業が大幅な赤字を計上し続けてい
たことと同時に、サービス事業を進めるにあたって、製造効率が優先されるパソコン事業
は IBM のサービス事業戦略と相容れなかったのである55。
IBM は Lenovo へのパソコン事業売却以前にも Acer からの OEM 調達や EMS 企業にハ
し、分析するためのソフトウェア技術である。
55
2002 年にガースナーの後を受けて CEO に就任したパルミサーノ(Samuel J. Palmisano)は、Lenovo へ
のパソコン事業売却発表後、社員向けに次のように述べている。製造効率の向上が競争の焦点となるよう
なパソコン事業は「家電業界に似ている。家電業界では、スケールメリット、価格決定力、個人顧客の重
視が求められる」
(Kanellos [2004])。法人顧客向けのソリューションを提供する IBM にとって、個人向け
でコモディティ化が進むパソコン事業を保持する意義は薄れていた。
17
ードウェアの製造委託を行っていた。すでに述べたように Acer は 1990 年代半ばから IBM
の主要な製造委託先であったが、この契約は 2000 年に破棄された56。その後、2002 年 1
月、IBM は 50 億ドルで Sanmina-SCI に法人向けデスクトップパソコン NetVista シリーズ
の大半の製造業務をアウトソースした。この契約に伴い、アメリカおよびヨーロッパの生
産拠点と約 980 人の従業員が Snamina-SCI に移転された57。
さらに 2003 年 1 月には、EMS の Sanmina-SCI と Solectron に製造業務を外部委託した。
Sanmina-SCI にはローエンドのサーバーの製造を 33 億ドル、3 年契約で委託した。この契
約に伴い、Sanmina-SCI はメキシコとスコットランドのパソコン生産拠点を獲得し、約 1,050
人の IBM の従業員が移籍した。Solectron にはハードウェアの修復事業を 1 億 2,000 万ドル
の 3 年契約で委託した58。IBM はこの 2 社との契約によって、Intel 製 MPU を搭載した IBM
製品の製造業務の大半が外部委託によって行われることになった。
こうした経過をたどる中で、2004 年 12 月、Lenovo へのパソコン事業売却が発表され、
2005 年に売却が完了したのである。その意味ではパソコン事業の売却は時間の問題であっ
た。Lenovo が売却対象となったのは、アメリカや日本の主要企業に売却するのは、サービ
スを提供するにあたって安定的なパソコンの調達が必要である以上不都合であったからで
ある。すなわち、IBM にとって相互補完的関係に入ることのできる企業として Lenovo が
選ばれた59。
Ⅳ.サービス事業シフトの含意――まとめにかえて
以上のように、IBM の 1990 年代以降の M&A と事業売却の過程は、IBM が「ハードウ
ェア企業」から「サービス企業」へと変貌するプロセスを色濃く反映している。日立への
HDD 事業売却や Lenovo へのパソコン事業売却に典型的に現れているように、90 年代以降
の IBM のプロセスは、コモディティ化が進む産業部門から、「高付加価値」部門への事業
構造の転換の過程でもあった。
このプロセスは、Borrus and Zysman [1998]が言うような独自の製品技術を開発し、それ
をデファクトスタンダード化すると同時に知的財産権によって保護することで市場を支配
する戦略とは異なっている。では、この「高付加価値」部門とはいかなる意味でコモディ
ティ化しつつある産業部門と区別されるのか。
IBM は近年、サービス・サイエンス、あるいはサービス・サイエンス・マネジメント・
エンジニアリング(SSME)というコンセプトを提唱し、最終的にはコンピュータ・サイ
エンスと同様、学問分野の一つとなることを目指している。すなわち、製造業分野におけ
る生産効率の改善や製品の質の改善については、これまでにも大量の研究がなされてきた
が、サービス分野については必ずしもそうした蓄積がない。しかし、先進諸国の経済のサ
56
57
58
59
佐藤 [2007], p. 208.
Roman [2002], p. 40.
Bulkeley [2003a], p. B11.; Bulkeley [2003b], p. B10.
中川 [2007], p. 193.
18
ービス化が進展する中で、そうした取り組みは必須である、という認識である。こうした
認識は、パルミサーノが共同議長になってまとめられた競争力評議会の報告書、Innovate
America によって初めて提唱された60。
2007 年に入ると、IBM は同じくサービス事業を強化している Oracle と共同でサービス・
サイエンスの研究団体(Technology Professional Service Association (TPSA)と Support
Professionals Association (SSPA))を立ち上げた。また、IBM と Oracle のほかの IT 企業や
大学が参加した Service Research & Innovation (SRI)というイニシアチブも設立している61。
その学問的意義はまだ明確ではないが、IBM を初めとしたサービスに特化している IT
企業の意図は明確である。すなわち、2000 年代に入って、先進国の IT 企業にとっての競
争の焦点は明確に IT サービスにシフトしつつあるからである。IBM や Sun Microsystems、
Hewlett-Packard のようなハードウェアに特化していた企業はもとより、1990 年代にウィ
ンテリズムの一角を形成していた Micorosoft にとっても例外ではない62。いかに効率的に
顧客企業の効率性を向上しうるか、ということが競争にあたっての焦点になっているので
ある。
表4 IBMの主要アウトソーシング受託例
1998年
1998年
1998年
1999年
1999年
1999年
2000年
2000年
2001年
2001年
2001年
2001年
2002年
2002年
2002年
2003年
2003年
2003年
2004年
2004年
2005年
2005年
2006年
2007年
委託企業
Cable & Wireless Communications
AT&T
Chiron Corp.
Ford Motor
CompuUSA Inc.
日産
MG Technologies AG
Bank of Scotland
日本航空
AstraZeneca PLC
Cendant Corp.
神戸製鋼
Deutsche Bank AG
American Express
J.P. Morgan Chase
AXA SA
P&G
Michelin SCA
Sprint Corp.
Qantas Airways
ABN AMRO
NiSource
CSV/pharmacy
American Airlines
受託内容
ITサービス事業サポート
ITアウトソーシング
技術サービス
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ソフトウェア開発支援
ITアウトソーシング、オンデマンドサービス
データセンター管理・金融商品開発支援
ITアウトソーシング、経営コンサルティング
コンサルティング、ITアウトソーシング
人事関連業務、コールセンター、福利厚生
契約金額
30億ドル
50億ドル
1億3,900万ドル
3億ドル
2億ドル
10億ドル
10億ドル
7億ポンド
6.47億ドル
17億ドル
14億ドル
5.79億ドル
25.7億ドル
40億ドル
50億ドル
10億ドル
4億ドル
12.3億ドル
4億ドル
4.5億ドル
18.7億ドル
16億ドル
NA
21.7億ドル
契約期間
10年
10年
10年
5年
7年
9.5年
15年
10年
10年
7年
10年
10年
10年
7年
7年
6年
10年
8年
5年
10年
5年
10年
10年
7.5年
(注) J.P. Morgan Chaseとの契約は2004年一杯で終了。
(出所) 田村[2006], p. 102. に加筆。Tha Wall Street Jounarl など、各種資料より作成。
表4は IBM の主要なアウトソーシング受託の例をみたものであるが、これによれば、巨
額の契約金額に現れているように、顧客企業の大半はアメリカ、イギリス、ドイツ、日本
60
61
62
サービス・サイエンスについて、さしあたり、安倍 [2005]を参照。
Jana [2007].
Lohr [2002].
19
など先進諸国に立地する巨大企業である。そうした巨大企業の経営効率を改善するために
は、IT に関する深い知識と運営能力一般を持つことは当然として、顧客企業の経営戦略や
財務戦略について正確な評価を行い、それを解決する IT の開発能力を持つことが前提とな
る。その実現には、ハードウェア、ソフトウェア、コンサルティングといった IT サービス
提供にとって必要な能力を一手に保持しうるだけの企業規模・企業範囲と、顧客企業との
近接性が不可欠の条件である63。
1990 年代初頭、今日の IT サービスの原型となったシステム・インテグレーションが産
業として確立しつつあったとき、その台頭の背景は、もっぱらダウンサイジングやオープ
ンシステム化に伴うコンピューティングの利用環境の変化によって、すなわち技術的な要
因によって説明されていた64。
しかし、製造業 IT 企業のサービス化は、そうした技術的要因からだけで説明できるわ
けではない。サービス事業を展開している企業の経営戦略という観点からみれば、かつて
メインフレームにおいて独占的な地位を築いた IBM のように、クローズドな技術によって
顧客を自社に留めおくという戦略から、代替不可能なサービスの提供によって顧客を自社
に引き付ける戦略に転換したという意味を持っているからである65。
アメリカ企業自身が形成した東アジア地域を巻き込んだ世界生産ネットワークと、IT 産
業の構造変化によってハードウェアの不断の陳腐化が進む中、IBM がハードウェアからサ
ービス事業にその経営戦略を転換したことはこうした意味を持っていると思われる。
SSME など、サービスの「科学」を IBM などアメリカの主要 IT 企業が提唱しているのも、
代替不可能なサービスの創造をいかに行うか、ということを意識してのものである。同時
に、このことは、世界生産ネットワークの中で、ハードウェア製造の役割を付与され「米
国企業に主導された価値連鎖に編入された」(川上[2003], p. 51)東アジアの地場企業にと
って、先進国の顧客企業への近接性という面からも、その企業規模という面からも、より
一層の産業高度化(知識集約的なサービス化)の困難性を示唆していよう。
Sturgeon and Lester [2004], p. 70. Sturgeon と Lester は、シリコンバレーの事例を挙げながら、顧客企業
と IT ベンダーとが地理的に近接していること、その下で公式的、非公式的作業グループの結成され、会
計業務や直面する課題等についての密接な交流が存在すること、そしてそのことが、新たなスタンダード
やより高度なアプリケーションなどのイノベーションを促す側面があること、を指摘している。
64
National Research Council, Commission on Physical Sciences, Mathematics, and Applications [1992], pp.
19-21.
65
Schonfeled [2002], p. 55. なお、中本 [2004]は、サービス取引の相対的性格が、サービス企業による顧
客企業の「囲い込み」を可能にする条件になっているという重要な指摘をしている。
63
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