2015 AOTULE The Asia-Oceania Top University League on Engineering Summer Program 目次 1 海外派遣プログラムの目的 …… 2頁 2 参加学生の紹介と研修日程 …… 2頁 2.1 派遣プログラム日程 2.2 参加学生の紹介 3 訪問先概要 3.1 インドネシア 3.2 バンドン 3.3 ITB 4 研修内容 4.1 講義 4.2 ITB 内施設見学 4.3 ITB 学外の企業、組織、施設等訪問先プログラム内の各種イベント 4.4 学生間交流 4.5 最終プレゼンテーション 5 その他 5.1 東京—ITB 間の移動について 5.2 自由時間について 5.3 食事 5.4 町の様子 5.5 その他 …… 4頁 …… 5頁 ……16頁 6 所感 ……31頁 7 参考文献 ……34頁 1 1 海外派遣プログラムの目的 本プログラムは、東京工業大学グローバル理工人育成コースの「グローバル理工人研修」あるい は「グローバル理工人研修入門」の履修対象プログラムである。グローバル理工人育成コースの4 つのプログラム、国際意識醸成プログラム、英語力・コミュニケーション強化プログラム、科学技 術を用いた国際協力実践プログラム、実践型海外派遣プログラムのうち、実践型海外派遣プログラ ムに分類され、下記の3つの能力の育成を目的とする。 自らの専門性を基礎として、異なる環境においても生活でき、業務をこなす力を持ち、窮地を 乗り切るための判断力、危機管理能力を含めて自らの意思で行動するための基礎的な能力を身 につけている。 異文化理解が進み、相手の考えを理解して自分の考えを説明できるコミュニケーション能力、 語学力、表現力を身につけている。 海外の様々な場において、実践的能力と科学技術者としての倫理を身につけ、チームワークと 協調性を実践し、課題発見・問題解決能力を発揮して、新興国における科学技術分野で活躍す るための基礎的な能力を身につけている。 (馬場) 2 参加学生の紹介と研修日程 2.1 参加学生の紹介 2.1.1 東京工業大学からの参加者 (馬場) 東京工業大学からは以下の5人の学生が参加した。 図 1 東工大参加者の集合写真 表 1 東工大参加者名簿 氏名 写真位置 専攻 馬場 美岬 1列目左から3番目 工学部 電気電子工学科 学部2年 有満 勇人 1列目左から2番目 工学部 経営システム工学科 学部3年 片岡 裕介 1列目左から4番目 工学部 無機材料工学科 学部3年 2列目 工学系 材料工学専攻 修士1年 1列目左から1列目 工学系 機械制御システム専攻 修士1年 関 一樹 伴野 貴哉 学年 2 2.1.2 他大学からの参加者 本プログラムには、AOTULE 協定校から、6 校、42 名の学生が参加した。以下が各大学から (馬場) の参加者の内訳である。 表 2 各大学からの参加者内訳 大学名 人数 バンドン工科大学 ITB 28 東京工業大学 TIT 5 香港化学技術大学 HUST 3 国立台湾大学 Nat Taiwan U 3 マラヤ大学 UM 2 韓国科学技術院 KAIST 1 2.2 派遣プログラム日程 留学期間は 2015 年 8 月 9 日〜8 月 27 日、プログラム参加期間は 2015 年 8 月 11 日〜8 月 24 日であった。 プログラム内容としては、講義、施設訪問、文化体験、学生交流、グループでのプレゼン テーションなどであった。詳細日程については、下記の日程表の通りである。 (馬場) 表 3 AOTULE Summer Program 日程表 2015 年 8 月 11 日(火) 12 日(水) 13 日(木) 14 日(金) 15 日(土) 16 日(日) 08:30 – 12:00 Welcome Reception 13:00 – 15:00 講義:インドネシア語① 08:00 – 09:30 講義:Climate Change 09:45 – 11:15 講義:Fossil Energy(Coal) 11:30 – 13:00 講義:Fossil Energy(Oil & Gas) 14:00 – 17:00 講義:インドネシア語② 08:00 – 09:30 講義:Bioenergy 09:45 – 11:15 講義:Disaster Mitigation 11:30 – 13:00 講義:Geo-History f Bandung Area 14:00 – 17:00 講義:インドネシア語③ 08:00 – 09:00 講義:Power Generation 09:00 – 10:00 講義:Solar Energy 11:15 – 13:15 昼食 & Friday Pray 13:15 – 15:15 講義:インドネシア語④ 08:00 – 11:00 伝統染物 Batik 作製体験 14:30 – 17:30 伝統楽器 Angklung 演奏会 Free Day 3 17 日(月) 08:00 – 12:00 Independence Day Competition 18 日(火) 08:00 – 09:30 講義:Water Resources Management 09:45 – 11: 15 講義:Waste Water Treatment 12:00 – 14:00 講義:インドネシア語⑤ 08:00 – 09:30 講義:Microhydro Energy 09:45 – 11:15 講義:Wind Turbine 12:30 – 18:00 マイクロ水力発電所建設現場見学 09:30 – 12:00 火山探索 13:00 – 14:00 講義:Geothermal 18:30 – 20:00 天文研究所訪問 21: 30 – コテージにてキャンプ 21 日(金) 08:00 – 13:00 屋外にてオリエンテーション 22 日(土) 09:00 – 16:00 グループでの最終プレゼンテーション準備 19 日(水) 20 日(木) 23 日(日) Free Day 24 日(月) 08:30 – 15:30 グループごとの最終プレゼンテーション 18:00 – 20:00 閉会式 3 訪問先概要 3.1 インドネシア 3.1.1 基本情報 下記の表に、基本情報をまとめる。 (馬場) 表 4 インドネシアの概要 国名 Republic of Indonesia 面積 約 189 平方キロメートル(日本の約 5 倍) 人口 約 2.49 億人 首都 ジャカルタ 民族 大半がマレー系 言語 インドネシア語 宗教 イスラム教 88.1%、キリスト教 9.3%など (2010 年宗教省統計) 3.1.2 地理 インドネシア共和国は、17,508 もの島々によって構 成される。主な島として、ジャワ、バリ、スマトラ、カ リマンタン、スラウェシ、パプアがある。 (馬場) 4 図 2 インドネシアの位置 3.1.3 宗教 インドネシアは、世界で最もイスラム教徒の多い国である。実際、プログラムに参加してい たインドネシア出身バンドン工科大学の学生 13 名のうち、11 名がイスラム教徒であった。そ のため、町中の店は、イスラム教徒が食する食材、調理方法を施されたものばかりであり、豚 肉やアルコールは滅多に目にしなかった。また、1日5回の礼拝に合わせてあらゆるスケジュ ールが組まれており、朝は早く、夜も早い生活を私たちも送った。 (馬場) 3.2 バンドン 3.2.1 概要 バンドン(Bandung)は、インドネシアの主要都市 の一つであり、学園都市である。インドネシアの中 では、人口規模で3番目、経済規模で4番目に位置 する。図に示したように、ジャワ島の西部に位置し、 標高が 700m ほどあるため、インドネシアのイメー ジとは裏腹に、非常に過ごしやすい気候である。ジ ャカルタからは車で 4~5 時間、シンガポールか 図 3 バンドン位置 らの直通便があることなどから、金曜の夜から 日曜にかけて、バンドンで休暇を楽しむ人で、町は非常ににぎわう。しかし、インフラ整備はあま り整っておらず、信号や歩道はもってのほか、道路は平らではなく、電車もない。 (馬場) 3.3 ITB バンドン工科大学(ITB, Institut Teknologi Bandung)は、インドネシアでトップレベルの理工系 大学である。広大なキャンパスの中で、学生たちはのびやかに活動している。1959 年に創立され、 有名な卒業生としては、インドネシア初代大統領である、スカルノ氏が挙げられる。 学部は、数学部、自然科学部、鉱山学部、土木建築学部の四つである。キャンパス内には、カフ ェテリアや売店、銀行に郵便局、さらには、イスラム教徒が礼拝を行うためのモスクもあり、一つ の町のようである。クラブ活動も充実しており、音楽系から文化学習に至るまで、様々なクラブが ある。また、専攻ごとの組織が確立しており、学生たちはそこで就職情報などを得る。 (馬場) 4 研修内容 4.1 講義 参加者全員が同じ教室で 1 コマ 90 分の講義を受けた。ただし、金曜日に限っては Friday Pray のた め 1 コマ 60 分であった。講義はすべて英語にて行われた。とても明るく、いつでも積極的に質問を 行うことのできる雰囲気であった。全学生わからないことがあればとにかく質問するという姿勢で あった。本プログラムにて受けた講義の中から 4 つほど講義内容を示す。 (伴野) 5 4.1.1 Fossil Energy この講義では、インドネシアにおける化石燃料の重要性、最先端のシステムについて解説をし て頂いた。日本は原油や LNG を輸入しているのに対してインドネシアは原油、天然ガス、石炭 を採掘可能であり、石炭に関しては現在輸出を行っている、このように両国の立場や化石燃料に 対する考え方が大きく異なっているため、違った視点で講義を受けることができた。 インドネシアでは原油の採掘を行っているが、石油などの生産量に対して消費量が大きく上回 っているため、同時に輸入を行っているのが現状である。講義にて現在より採掘量を増加させる ための EOR(Enhanced Oil Recovery)を紹介して頂いた。日本ではこの技術についてあまり知ら れていないが、EOR などに利用される 2 を燃焼排ガスから効率的に回収する技術はある日本企 業がリーディングカンパニーであるなど、日本の技術力の高さをここインドネシアにて知ること (伴野) が出来た。 図 4 4.1.2 Fossil Fuel の講義 Bioenergy 人間が活動する上でエネルギーはとても必須であり、化石燃料や再生可能エネルギーなどを利 用して生活している。現在、二酸化炭素を排出せずエネルギーを作り出そうと再生可能エネルギ ーが注目されている。その中でも本講義では Bioenergy を取り上げた。下図のように資源循環サ イクルの説明をして頂いた。無駄なく効率的にいろいろなところで有効活用していることがわか る。また、インドネシアが Bioenergy に着目している理由として、熱帯諸国という地理的条件よ り多くの Biomass などの生産が可能であるためである。気候によって、着目する再生エネルギー が異なるのは必然ではあるが、日本にいてはあまり考えることがなかったため新鮮であった。 (伴野) 図 5 Bioenergy の講義 6 4.1.3 Disaster Mitigation 文字通り、災害によって発生する被害をどのように抑制するべきかという内容であった。まず、 どのような災害が過去にインドネシアを襲ったのか学んだ。特に地震による被害は甚大であり、 2004 年に発生したスマトラ沖地震を取り上げ、その詳細を学んだ。また、地震と関連があると される火山についての説明を受けた。同様に地震大国である日本の地震の発生状況や過去に発生 した大地震について説明し、両国の地震の減災対策の比較を行った。机の下に隠れるやおはしも (押さない、走らない、しゃべらない、戻らない)など日本人にとっては当たり前であるが、イン ドネシアにはそのようなルールや意識付けなどはなく、避難訓練の経験もないそうだ。さらに、 地震に対する家の構造も大きく異なり、ほぼ同規模の地震でも日本では死者が 0 人に対して、イ ンドネシアでは死者が 5749 人も出ており、耐震構造の家が日本で大きく普及していることがわ かった。 本講義を通して、災害による被害を抑制するための”減災”の重要性を再認識することができた。 (伴野) 4.1.4 Indonesia Language and Culture インドネシアの文化や歴史ならびにインドネシア語について学んだ。まず、インドネシアの宗 教構成に関してやバンドンの大まかな歴史を学んだ。次いで基本的なインドネシア語の講義を受 け、基本的な数字や月の読み方、自己紹介(名前、出身、専攻)を習得した。インドネシア語は基 本的にアルファベットを使用しているが、発音が大きく異なるので注意が必要である。講義では ITB の学生が発音やスペルのチェックなどを行ってくれた。この講義でインプットしたことを Angkot やレストランにてアウトプットすることでインドネシア語を学んでいった。 講義を通して感じた事としては自分の専門分野だけではなく、様々な分野に関して学ぶことの できるとても貴重な機会であったと感じた。また、日本とインドネシアで同じ事象に対してのア プローチの仕方が違う場合があり、改めて一つのものごとに対しても多角的な視点を持つことの 重要性を学ぶことができた。 (伴野) 図 6 講義の様子 図 7 インドネシア語での自己紹介 4.2 ITB 内施設見学 プログラム初日に ITB 施設内を徒歩で回り、様子を見て回った。いずれの建物もインドネシア の伝統的な建築をモチーフとしたものになっている。 (片岡) 7 図 9 図 8 ITB 内の石碑 学内の噴水 図 10 図 11 Lab Tek Ⅶ キャンパスマップ 8 4.3 ITB 学外の企業、組織、施設等訪問先プログラム内の各種イベント 4.3.1 バティック工場( Batik Komar) 訪問日:8 月 15 日 インドネシアの伝統的衣装であるバティックの工場を訪れた。バティックができるまでの簡 単な説明を受けた後、1 人 1 人布を受け取り、模様のデザインを体験した。白地の布に、模様 のついた鉄板をはんこの要領で押したり、直接自分たちで文字や数字をロウで書いたりしてペ イントした。ペンのような形の道具を使って文字を書いたが、意外と慣れるのに時間がかかり、 小さい文字を書くのは難しかった。その後、全体を赤または青で染めてもらい、それぞれのバ ティックが仕上がった。訪問した工場は今後ユニクロとコラボする計画があるそうで、日本で もお目にかかれるかもしれない。 (有満) 図 12 4.3.2 染色した Batik を干す様子 図 13 Batik への模様つけ アンクルン博物館 (Saung Angklung Udjo) 訪問日:8 月 15 日 伝統楽器であるアンクルン(Angklung)を販売し、演奏会も実施している博物館を訪ねた。こ の演奏会では、アンクルンだけでなく、インドネシアの各地域の伝統舞踊を子供たちが披露し てくれたり、観客たちもアンクルンを手にし、会場全体で演奏をすることができた。アンクル ンは、ベルのように、楽器一つで一つの音を奏でられるようになっており、大人の演奏者は、 一人で 10 個ほどのアンクルンを操っていた。竹のような素材でできており、とても温かく、美 しい音が響いていた。 (馬場) 図 14 アンクルンを手にする参加学生 図 15 伝統舞踊を披露する子供たち 9 4.3.3 独立記念日の祭(Independence Day Competition) 活動日:8 月 17 日 インドネシアでは、独立記念日にあたる 8 月 17 日には行進やパレードなどが行われる式典の 他に、地域ごとに運動会のようなイベントを開催することが一般的に行われている。本プログ ラムでは Bumi Sangkuriahg で行われた Independence Day Competition に参加した。会場で は様々な露店が出店しており、多くの食べ物や飲み物の販売が行われていた。メインステージ ではバンドによる演奏が行われており、にぎやかな様子であった。 図 16 綱引きに参加する様子 図 18 図 17 (片岡) 競技で入賞し、表彰される学生 ムカデ競争に参加する様子 4.3.4 Rajamandala 訪問日:8 月 19 日 建設中のマイクロ水力発電所の見学をした。インドネシア政府と関西電力が共同で建設して いること、資本の 49%を JBIC とみずほ銀行が出資していることから、かなり日本色の強い環 境であった。指導者は日本人が多いようで、私たちに説明をしてくださったのは、ほぼ全て日 (馬場) 本人であった。 図 19 建設中の現場 図 20 見学するときの格好 10 4.3.5 タンクバンプラフ山(Tangkuban Perahu Volcano)訪問 訪問日:8 月 20 日 バンドン市内から北へおよそ 200 km(バスで 2 時間)に位置する有名な火山。非常に大きなカ ルデラを持っていて現在でも火山活動が続いていた。火口付近ではいわゆる「硫黄のにおい」 がした。遊歩道に沿って食べ物やお土産を扱う多くの露店が並び、観光客でにぎわっていた。 訪問に際して、ITB で火山について研究されている教授により、タンクバンプラフ山の地質の 特徴や火山灰の堆積の様子について説明があった。火口から遊歩道に沿って移動した山の中腹 には温泉の湧き出ている場所があり、足や手をつけたりして温泉を楽しむ人が多くいた。 (片岡) 図 4.3.6 21 タンクバンプラフ山の火口 図 22 中腹にある天然温泉 ボスカ天文台 訪問日:8 月 20 日 ボスカ天文台はバンドンより 15 キロほど北のレンバン(Lembang)市内にある、インドネシア 最古の天文台である。1928 年に完成し、日本がインドネシアを占領していた時期は日本の学者 が研究し、後に NASA が研究のために使用した歴史もある。1959 年以降はバンドン工科大学 が所有している。レンバンという場所にしたのは、1 年のうち 200 日夜空がきれいに見え、当 時既に電気と水が供給されており、近くの Technische Hoogeschool(現 ITB)で高度な教育がな されていたからである。キャンプ場からバスで 20 分ほどの丘の上にあり、施設自体はそれほど 広くなかった。 敷地内の部屋でボスカ天文台の歴史、施設説明、望遠鏡を使って観察できる宇宙についての 講義を受けた。講義の後に一番大きいメインの望遠鏡を見学し、説明を受けるとともに、実際 に望遠鏡を動かしてもらった。その後、観測のために小型望遠鏡に移動したが、人が多すぎて いくら待っても中に入ることすらできなかったため、結局、観測は断念した。 (有満) 図 23 ボスカ天文台の望遠鏡 11 4.3.7 グラフィカキャンプ場 訪問日:8 月 20、21 日 天文台からバスで 20 分ほどの場所にあるキャンプ場である。入口を入ると大自然が舞台の映 画のセットのような雰囲気で、そこから数分歩くとコテージが円状に 10 個くらい並んだ場所が あり、そのコテージに泊まった。夕飯の後にキャンプファイヤーをし、インドネシアのゲーム を教えてもらった。コテージのシャワーは温水が出たので良かったが、途中で水が底をついた ようで、夜の 0 時過ぎに浴びようと思ったら水が出なかった。 翌日の午前中はキャンプ場に併設している施設で様々な運動をした。インストラクターが数 人いて、前半は体やボール、ひもを使ったゲーム、後半はアスレチックで体を動かした。イン ストラクターは英語を話さなかったのでその都度 ITB の学生が通訳してくれた。 昼食をキャンプ場で食べた後、バスで ITB へ帰った。 (有満) 図 24 4.3.8 アスレチックの様子 図 25 宿泊したコテージ 閉会式(Closing Ceremony) 活動日:8 月 24 日 内容: ・閉会の挨拶 ・ 参加者からの挨拶(伴野) ・ スマトラ島の伝統舞踊の実演 ・ 各国参加者による自国文化の紹介、立食形式による交流会 閉会式では本プログラムを統括している先生から、この 2 週間で作ることのできたつながり をこれからも大切にしてほしいというお話をしていただいた。スマトラ島の伝統舞踊では、き らびやかな衣装を身にまとった男女が音楽に合わせて踊る様子を見た。非常に興味深い踊りで あった。 各国参加者は、それぞれ様々な内容の出し物を用意していた。具体的に挙げると、パキスタ ンについてのスライドによる発表、K-POP の披露、インドネシア伝統のダンス、日本人と台 湾人のダンス披露などであった。 参加者はそれぞれ自分の国の伝統衣装に着替えて参加した。日本人参加者は甚平や浴衣を着 用して参加した。今までに見たこともないような衣装を着た参加者を見ることはとても面白く、 多くの写真を撮った。 (片岡) 12 図 26 参加者による集合写真 図 27 韓国人参加者による K-POP 披露 図 28 スマトラ島の伝統舞踊 図 29 参加者全員によるダンス 4.4 学生間交流 4.4.1 ITB の交換留学生と他大学からの参加学生 (有満) 表 5 日本以外の海外参加学生 名前 性別 大学 Hyeongjun Lim M KAIST Chen Kun M National Taiwan University Hsu, Che-Wei M National Taiwan University Keng-Ming, Lee M National Taiwan University Lin Yu-Cheng M National Taiwan University Li Lu F The Hong Kong University of Science & Technology Moaaz Ahmed M The Hong Kong University of Science & Technology Zhang Nan M The Hong Kong University of Science & Technology Chai Khai Choon M University of Malaya Fathiah Najirah Mohd F University of Malaya San Sophak M ITB Sethirom Huon Serey M ITB Sharuddin 13 Va Vandith M ITB Md. Tanvir Uddin M ITB Mariangeles Enriquez F ITB Dara Seyhak M ITB Pom Bophann M ITB Jieun Choi F ITB Chhim Seyha M ITB Thaw Zin Oo M ITB Eng Diamat M ITB Robert M ITB Born Mary F ITB Try Kimleng M ITB 4.4.2 ITB の AOTULE 実行委員の学生メンバー (有満) 表 6 ITB 実行委員の学生 名前 性別 Achmad Arviandito Caessara M Taufiq Bashori M Sri Yulianti F Yasmin Aruni F Handayani Nabila F Teguh Aditanoyo M Septia Buntara Supendi M Robert Tan M Rento Rifa Atsari F Reza Wijaya Kesuma M Niken Nuraini Nissa F ただし、この名簿はプログラム開始前のものであり、実際のメンバーとは若干異なる。 4.4.3 ITB の学生について 本サマープログラム自体は ITB の委員会が仕切っているが、教授陣とは基本的に大学でしか 会わないので、それ以外の学外の身の回りの世話は全て ITB の学生がしてくれた。具体的には、 朝は近くに住んでいる 2 人がほぼ毎日、登校約 30 分前に寮へ来て大学まで連れて行ってくれた り、放課後は寮まで送り届けてくれ、夜また全員で迎えに来て夕飯を食べに行ったり、といっ た具合だ。他にも洗濯、両替、おみやげなど色々なことに配慮してくれた。 ほとんどの ITB の学生が日本のアニメや漫画をよく知っていて、中には日本人でも知らない ようなものまで知っている学生もいた。日本語を少し話せる人もいて、聞くと高校で勉強した 人と、今も大学で勉強している人がいた。日本の企業もインドネシアに進出しているので、日 本企業で働くために日本語を勉強している人もいた。 (有満) 14 4.4.4 交流について ITB 以外の学生は全員同じ寮だったので、すぐに打ち解けて仲良くなった。もちろん ITB の 学生も、毎日のように大学や遊び、ごはんに連れて行ってくれたのですぐに仲良くなった。移 動中や講義中、日本人同士で固まることはあまりなく、違う国の学生とお互いの国のことを話 す機会が多かった。中でも、インドネシアでは親の権限が強くて大学や専攻を決められたり、 恋人と別れさせられたりしたという話を何人かの ITB の学生から聞いたのが衝撃的であり、強 く印象に残っている。日本について興味を持っていた学生も多く、富士山やキャンパスの桜の 写真を見せたり、侍と忍者の違いを説明したりした。 コミュニケーションをとる際、基本的には英語だが、香港と台湾の学生は中国語、マレーシ アとインドネシアの学生は母国語がほとんど一緒なのでお互いの国の言葉で話していた。当然 彼らが英語以外の言語で話しているときはほとんど理解できず、日本語、英語以外にあと 1 つ 言語が話せれば、また世界が大きく広がるだろうと感じた。 (有満) 4.5 最終プレゼンテーション 最終日に 7 つのグループに分かれて今回の研修で学習したことについてプレゼンテーショ ンを行った。各テーマは以下の通りである。 (関) 表 7 4.5.1 各班のプレゼンテーションテーマ 1 environmental burden from fossil fuel energy 2 bioenergy 3 solar & fuel cells 4 micro-hydro & wind turbine 5 water resources & purification 6 waste water treatment 7 sustainable disaster mitigation 準備 プレゼンテーションの 2 日前がプレゼンテーション準備日として与えられていた。どのグル ープも午前中に集合し、積極的なディスカッションを通して発表する内容をまとめていた。プ レゼンテーションの準備の仕方はグループによって異なっていた。プレゼンテーションの大ま かな流れのみを話し合い、それを分割して残りは個人で作成するグループ、最初から最後まで グループ全員で作成するグループなど様々であった。考え方の違いや取り組みに対する態度の 違いから不平不満や不安の声も聞かれた。異文化の学生と意見を共有し、ものを作り上げる難 しさを実感する瞬間であった。 (関) 15 4.5.2 発表 各グループに与えられた時間は 20 分、質疑応答は 10 分間であった。海外の学生はプレゼン テーションの能力が平均的に高いように感じた。しかし、日本から参加した私たちも負けてい なかったと思う。私たち東工大の学生にとって英語で多種多様な国籍を持つ人々の前で発表で きたことは非常に良い経験であった。 発表で印象的だったのは、どのグループも授業で学んだことだけではなく、グループのメン バーの出身地特有の情報を盛り込むことでプレゼンテーションをより興味深いものとしていた ことである。私たち日本人も防災に関するプレゼンテーションで日本の防災に対する取り組み を紹介したり、浄水に関するプレゼンテーションで納豆を利用した浄水技術を紹介したりと各 国の学生と ITB の教職員の興味を引きつけていた。 質疑応答では質の高い議論が交わされており、参加している学生のレベルの高さを改めて感 (関) じた。 図 30 最終発表の様子 4.5.3 まとめ 最終プレゼンテーションは 2 週間共に過ごしてきた仲間と一緒に 1 つのものを作成するとい う達成感の味わえるものであり、また、この楽しいプログラムの終わりが近づいていることも 感じさせた。準備不足な部分が所々見られたが、7 つのプレゼンテーションそれぞれが個性にあ ふれ魅力的であった。それだけ質の高い環境で 2 週間学習できたことは私たちの財産になった と思う。 (関) 5 その他 5.1 東京—ITB 間の移動について 5.1.1 フライト 行き、帰り共にシンガポール航空でのフライトであった。時間は以下の通りである。羽田— シンガポール間、シンガポール—バンドン間、それぞれ一時間の時差がある。 表 8 フライト行程表 発 行き 8/9-10 帰り 8/27 着 羽田 22:55 シンガポール 5:00 シンガポール 14:55 バンドン 15:45 バンドン 10:10 シンガポール 12:55 シンガポール 13:55 羽田 21:50 16 機内はとても広くて快適であり、機内食もかなり満足のいくものであった。 図 31 機内食(洋食) 5.1.2 (馬場) 図 32 機内食(和食) シンガポールでの乗り継ぎ 行き、帰り共に、シンガポールで乗り継ぎをした。行きは約 10 時間もの時間があったため、 トランジットを楽しむことができた。具体的には、チャンギ国際空港のトランジットには休憩 できるスペースや、土産店、レストランなどがとてもたくさんある。また、シンガポール航空 が乗り継ぎ客用にシンガポールの無料ツアーを開催している。私たちは、到着直後にまず睡眠 をとり、午前中にシンガポールツアーに、昼からは昼食と空港を楽しむ時間とした。このツア ーは、約 3 時間でシンガポールの主要観光地を回るもので、ガイドの方も 30 人程度につき一人 おり、かなり充実のものであった。 図 33 シンガポールを観光する様子 5.1.3 (馬場) 図 34 チャンギ国際空港 バンドン空港 バンドンの空港はかなり小さく、建物に入ってすぐにチェックイン、そこからすぐに搭乗と なる。土産店もかなり小さい。預け荷物の受け取りも、係の方がレールの上を手動で引っ張っ (馬場) ている。 17 図 35 預け荷物の受取 図 36 バンドン空港の外見 5.2 自由時間について 授業の合間の休み時間には頻繁に間食が出るので、それを席で食べながら休憩している人が多か った。概して大学の講義は 15 時ごろに終わるので、寮に戻ってから ITB の学生に夕飯に連れて行 ってもらうまでの数時間は自由な時間があった。この時間にはシャワーを浴びたり、ランドリーサ ービスに衣類を出しに行ったり、買い物に行ったり、近くに住んでいる子ども達と遊んだり、とそ れぞれ思い思いに過ごしていた。 2 回あった日曜日はどちらもフリーセッションで、仲良くなった ITB の学生に連れられて各々が 行きたい場所に行ったので、平日に比べて比較的ばらばらに行動した。行った場所は早朝のサンデ ーマーケット、結婚式、カフェ、お土産屋などである。少人数で、より自由に行動できたと思う。 プログラム終了後、KAIST の学生 1 人と私たち 5 人は帰国まで 2 日間余裕があり、ばらばらに 自由時間を過ごした。ちょうどプログラムの最終日から ITB の新学期が始まったので、学部生は 授業があったが、大学院生を中心に ITB の学生たちがこの 2 日間も面倒をみてくれた。 (有満) 5.2.1 インドネシア学生宅訪問 ITB の学生宅を訪問し、ジャンクフードを楽しんだり、ゲームをしたりと、ちょっとしたホ ームパーティーを行った。インドネシアの現代的な、通常よりも少し広い家であるとのことだ ったが、30 人程度で騒げるほどの広さであり、日本との違いに驚いた。また、家具やちょっと した置物などはどれも暖かみのあるものばかりであった。ゲームとしては、ツイスターや文字 ゲーム、トランプなどを行ったが、中でも日本人学生が他国の学生に「大富豪」を教えて、み んなでプレイしたのが最も盛り上がったように思う。 (馬場) 図 37 大富豪を楽しむ様子 5.2.2 図 38 有名なインスタントラーメン 政府公邸訪問 日本でいう都庁のようなところを訪れた。歴史的な展示物が多数あり、それらを説明しても らうことで、インドネシアの伝統などを知ることができた。また、最上階には秘密会議などを 行うための部屋がある。景色は良いのだが、非常に座り心地が悪い。これは、会議中に寝てし まわないために、あえて座り心地を悪くしているのだそうだ。 (馬場) 18 図 39 会議室内での集合写真 図 40 公邸内の様子 5.2.3 カラオケ インドネシアのカラオケを楽しむ機会もあった。インドネシアの曲はあまり多くないらしく、 大部分は洋楽であった。それ以外にも、中国語、パキスタン語、日本語、韓国語と多様な言語 の曲が収録されている。また、料金は非常に安く、2~3時間楽しんで、150 円程度であった。 (馬場) 5.2.4 市場 地元の市場へ行く機会があった。あらゆるものが非常に安く、現地の人がたくさんいた。洋 服類は、T シャツで 1000 円以内であった。ヒジャーブも多数売っていた。交通の便が悪いため か、観光客はほとんどいないため、私たちはかなり目立っていたように思う。そのため、物乞 いのような子供たちに後を追われてしまい、インドネシアの貧困層の様子をかいま見ることと なった。ここで購入したスカートは私のお気に入りだ。 (馬場) 図 41 市場の中の様子 5.2.5 インドネシアの結婚式 ITB の学生の友人の結婚式に参加する機会を得た。舞台からドレスまで、全てが煌びやかで、 参列者もかなりたくさんおり、日本の披露宴と大きく様子は違った。会場では、ステージの上 に新郎新婦とその両親がおり、一人一人と握手をしていた。ステージの下は、立食パーティー のような場所になっており、ちょっとした音楽やダンスのステージがあったり、豪華な食事が 並んだりしていた。ご祝儀は、100,000 ルピア(日本円で 1000 円)程度が普通なようだ。そこに も日本との文化の違いを感じた。 (馬場) 図 42 ステージに並ぶ新郎新婦と親族 図 43 会場全体の様子 19 5.2.6 現地の子供・学生との交流 プログラムに参加している学生以外の ITB の学生や、宿泊した寮の付近でいつも遊ぶ子供た ちと交流することができた。 私たちの宿泊した寮のすぐ近くには ITB の学生が多く住むアパートがあり、併設したバスケ ットボールコートで毎日のようにフットボールを楽しんでいた。それに参加するメンバーもお り、心の底から楽しんでいる様子を見受けられた。また、海外の学生に誰もが好意的で、ラン ドリーの店員とコミュニケーションがとれなくて困っている時に、助けてもらったことがきっ かけで仲良くなり、互いの国の文化について紹介し合ったりすることができた。 現地の子供たちも同様に、毎日のように寮の近くで遊んでいた。見たことのない私たちの姿 が新鮮だったようで、ある日突然声をかけてくれた。彼らは英語も通じないため、コミュニケ ーションは、いわゆるボディーランゲージでとることになるのだが、それでも私たちの意図を 一生懸命汲もうとしてくれた。とても可愛らしい子供たちである。 図 44 現地学生とサッカーをする有満 5.2.7 (馬場) 図 45 子供たちとの記念写真 小学校でのボランティア 現地の小学校で、ボランティアをする機会を得た。このようなボランティアに興味のある ITB の学生と、サークル活動で子供たちにサイエンス教室を行う片岡による企画であった。この ITB の学生も、今まで訪問した小学校は富裕層向けであったらしく、今回のような中間層の子供相 手に授業をすることに緊張しているようであった。授業の内容は、 「日本の折り紙〜トコトコ馬 を作ろう〜」だ。まず片岡が作りかたを英語で説明した後、ITB の学生がインドネシア語に翻 訳。一通りの説明が終わったら、班に分かれて、それぞれ学生がサポートしながら、作成した。 もちろん英語は通じないので、プログラムの中で学んだインドネシア語と身振り手振り、笑顔 だけでコミュニケーションをとらなくてはならず、リーダーシップをとることの難しさを実感 した。しかし、先に理解して作った子が隣の子に説明してあげたりと、互いの協力によって上 手く進行することができた。この企画のために必要なハサミはクラス全体で三本確保するのが やっとであったようで、いかに日本が恵まれているかを痛感した。 図 46 作り方を説明する片岡 図 47 集合写真 (馬場) 20 5.2.8 日本語授業 日本語の講義を受講しているという学生の誘いで、一コマだけ講義に参加した。この講義は、 将来日本で働きたいという学生向けに開講されていて、日本の企業と東南アジアの学生を仲介 する会社が主催していた。非常にハードであり、不合格のボーダーラインも厳しい。初めは選 ばれた数十名が講義に参加でき、適当なタイミングで試験などにより不合格となっていく。私 が講義に参加した時点で出席していたのは約 15 人であった。 講義は、日本人の先生によって、全て日本語で行われる。基礎的な日本語は学習し終えてお り、訪問当時は、ビジネス日本語を学び始めていた。日本人が多用する「どうも」 「すいません」 といった微妙なニュアンスを含む言葉を使ったスクリプトであり、また、「総務部」「上司」と いったビジネス単語も頻出し、かなり難易度が高いことを学習していた。しかし、そのスクリ プトを1分で記憶し、全員の前で順に発表しており、学生のレベルの高さ、本気さを感じた。 (馬場) 図 48 日本語講義の様子 5.2.9 休憩時間 授業の合間の休憩時間では出されるおやつを食べながら、主に参加している学生達と会話を 楽しんだ。日本語を学習している ITB の生徒から「ひらがなとカタカナの使い分けは??」と か「箸の持ち方教えて!!」等たくさんの質問を受けた。アニメや漫画の話も多かった。みな 日本文化に興味関心があることに驚とともに、また嬉しくもあった。 また、金曜日のお昼休みにはイスラム教徒が一斉に祈る様子を見ることができた。日本では 決して目にすることができない光景で一種の感動を覚えた。 今回東工大から参加した 5 人は皆積極的に会話に参加したり、ジョークを言ったりと明るく 楽しく休み時間を過ごしていたように思う。参加する学生の中には「日本人はもっとシャイだ と思っていた」と言われる者もおり、海外における日本のイメージを変えることができたので はないかと考えている。 (関) 図 49 支給されるおやつ 21 5.3 食事 5.3.1 インドネシア料理の基本 インドネシアの料理の基本は次の3点にまとめられる。 主食は米 おかずは揚げ物(フライドチキン or フライドフィッシュ) 味付けは辛い とりあえずインドネシアの食事は非常にワンパターンである。ご飯と揚げた鳥か揚げた魚が ワンプレートにのっているだけである。野菜は意識して注文しない限り、ありつくことはでき ない。味付けも甘辛しかなく、酸っぱい、しょっぱいといった日本でお馴染みの味付けはない。 味は美味しいが日本人にとっては少々辛い。お腹の調子と相談する必要性がある。また、飲み 物が異常に甘い。コーラに角砂糖をいくつ入れたのかわからないぐらい甘い。ノンシュガーの 紅茶を注文することをおすすめする。現地の人は料理を素手で食べるが、スプーンとフォーク は用意されている。 (関) 図 50 ナシゴレン(インドネシアの炒飯) 5.3.2 図 51 典型的なインドネシアの食事 レストランの多様性 今回の留学では ITB の生徒にたくさんのレストランに連れて行ってもらった。大型ショピン グモールに行けば KFC、焼肉、吉野家等日本でもお馴染みのお店と出会うことができる。その 他にもイタリアン、韓国料理など繁華街に行けばいろんな料理が楽しめる。しかし、それらが 本場の味であるとは言えない。私たちは寮近くのラーメン屋を訪れたが、出てきたのは味噌汁 に麺が入ったものであった。味はともかく、そもそもラーメンではなかった。インドネシア人 の口にあうように改良されているのかもしれないが、本場とのギャップに驚いた。もう一つ驚 いたことといえば、マクドナルドにライスが売っているということだ。ご飯が主食のインドネ シア人はハンバーガーよりもライス&チキンのセットを多く頼むようだ。 図 52 焼き肉と鍋料理 図 53 イタリア料理 (関) 22 図 54 日本の大手牛丼チェーン 5.3.3 図 55 ビビンバ 宗教からみるインドネシアの食文化 インドネシアでは、イスラム教が広く普及している。彼らは豚やアルコールは口にせず、牛 や鶏などは特別な処理をされたもののみを口にする。イスラム教徒でも食べられる食品のこと を「ハラール食品」といい、日本ではあまり普及していない。ちなみに、彼らが日本に来た際 はハラールレストランを探すのに苦労し、普通のレストランでは野菜などしか口にできないそ うだ。また、ノンアルコールも特徴の一つである。日本のあらゆる料理、調味料にアルコール が使用されているが、全く異なるのがインドネシア料理だ。 しかし、インドネシア国内ではほとんどの人がイスラム教徒であるため、レストランなどで は特に記載がなくともハラール料理である。繁華街などに行けば、バーや、豚などを提供する 店もあるが、その場合はメニューに豚やアルコールを使った料理であることが明記されている。 上記の韓国料理、日本料理、イタリアンなども全てハラール料理であり、味が異なるように感 じる所以はここにあるだろう。私には3週間も豚肉が食べられないことは堪え難く、帰国後は、 真っ先に豚肉料理を食べた。 (馬場) 5.3.4 支給される食事 今回のプログラムでは、主催者から食事が支給された。朝食、おやつ、昼食、おやつ、と一 日4食である。水も一緒に支給される。特に昼食は伝統的な料理であることが多く、その新鮮 さから初めは全て食べようとしていたが、とても完食できる量ではないことに気がつき、途中 からやむなく残すようになった。 朝食はパンからナシゴレン、マクドナルドのハンバーガーと多岐に渡ったが、昼食は紙に包 まれた米とおかず3品程度、デザートや果物、といったパターンが多く、おやつは数種類の菓 (馬場) 子パンやケーキであった。 図 56 とある日の昼食 図 57 とある日の朝食 23 5.4 町の様子 公共交通機関が十分に発達していないため、自動車やバイクの数が非常に多い。道路の交通量は 非常に多い上に交通マナーが良いとは言えない。朝夕には通勤通学のために交通渋滞がいたるとこ ろで発生しており、問題になっている。道路には信号機や横断歩道が整備されているところは少な く、横断する際には手で車を制しながらタイミングを見計らって渡らなければいけない場面が多か った。道路はほとんど舗装されているが、中心街を離れると車道が舗装されていても歩道は舗装さ れていないところが多かった。 ITB 周辺はホテルやカフェなどが立ち並んでいた。多くの店が個人商店のようなところであり、 レストランや雑貨店のような店が多かった。バンドン南部は繁華街が広がっており、バーや外国人 向けのレストランがあった。また、大きなショッピングモールがいくつかあり、いずれのショッピ ングモールもとてもきれいであった。街のいたるところで路上の屋台が並んでいたが、衛生状態は 良くなかった。 自動車やバイクが非常に多いので排気ガスのため、空気はあまりよくなかった。毎週金曜日の夜 と日曜日の午前中はカーフリーデイとして、日本でいう歩行者天国が開催されていた。そこでは多 くの市民がジョギングやサイクリングを楽しんだりしていた。 (馬場) 図 58 月曜日のカーフリーデー 図 59 市内のショッピングモール a 図 60 通勤ラッシュの渋滞 図 61 帰宅ラッシュの交通渋滞 24 5.5 その他 5.5.1 寮について 今回、参加者全員(ITB の学生除く)が ITB の留学生用の学生寮に滞在した。部屋は一人部屋 と二人部屋であったが、大体の部屋が二人部屋であった。そのため、他大学の学生と同部屋に なる可能性も大いにある。部屋には机、ベッド、クローゼットが一人一つずつ用意されている。 エアコンは設置されていないため、窓を開けることで温度調節を行う。しかし、前述の通りバ ンドンは比較的気温は高くないため、プログラム期間中にエアコンの必要性を感じることはな かった。 (伴野) 図 62 廊下の様子 図 64 浴室兼トイレの様子 5.5.2 図 63 寮の部屋 図 65 寮の外観 寮近辺の様子 寮の近くにはコンビニエンスストアがあり、飲み物や間食の調達はそこで行った。洗濯物は 近くのランドリーサービスを利用した。翌日までに洗濯、乾燥、アイロンが終わっており、非 常にサービスがよいと感じた。値段も Rp10,000/Kg とかなり安い。寮のとなりにはバスケット コートがあり、そこで地元の学生や子供達と放課後にバスケットボールやサッカーを楽しんだ。 (関) 図 66 寮近くのランドリー 25 5.5.3 交通について 寮から ITB、寮からショッピングモールといった移動は、アンコット(Angkot)という乗り物 で行った。アンコットでは、バスとタクシー両方の性質を持ち合わせたもので、バスのように 決まったルートを走る車に好きな場所で乗降することができる。いくつものルートがあり、車 体に大きく示されている。しかし、時間は決まっておらず、乗りたいアンコットを見かけたら タクシーのように呼び止めなくてはならない。また、金額も距離に応じて変わるのだが、運転 手の気分によっても多少の変化があるから面白い。金額は 2,000~5,000 ルピア(20 円〜50 円) の間と決まっている。寮から ITB までは、学内の目的地によって多少の違いがあるものの、直 通のアンコットがあれば 2,500~3,000 ルピア、乗り換えが必要な場合は 4,500~5,000 ルピアで あった。 アンコットには特徴がある。それは、日本の満員電車以上の満員乗り合いであることだ。車 のサイズは日本の 7 人乗り用の車よりわずかに長い程度のものだ。後部座席部分は、運転席の シートの向きに対して垂直に、両壁に沿って長いベンチが 2 つあるイメージである。私から見 たら、ドアがある側に 3 人、ない側に 4 人座れば満席だと思う。だがこのアンコット、後部座 席だけで 12~13 人は座るのが日常なのだ。更に助手席に 2 人が座る。車のドアは開けっ放しな ので、時には入り口のステップに座る場合や、車体を掴んで身体は車外においやって乗ること もある。非常に危険だ。 その他の遠い距離の移動やアンコットのないルートの移動は、ITB の学生の車や原動付自転 車の後ろに乗せてもらった。アンコットは決まったルートしか走らず、町には電車もないため、 多くの学生がいずれかは所持しているのだ。 (馬場) 図 67 満員のアンコット 図 68 比較的空いているアンコット 図 69 危険な位置に座る伴野 図 70 かなり危険な乗り方の現地の方 26 5.5.4 健康管理 本プログラムでは体調を崩す学生が数名おり、原因としては疲労や食あたりが考えられる。 そのため毎日の体調管理をしっかりと行い、健康を維持(睡眠時間の確保、食事の選択)すること が重要である。体調が悪い時には遠慮せず ITB の学生に報告することで、学内にあるクリニッ クへ連れて行ってもらい、そこで薬などを処方して頂けた。事前に日本で常備薬を準備するこ とが大切である。特に胃薬は必須であるが、それ以外の薬の準備も怠らないことが重要である。 (伴野) 5.5.5 その他 本文内に掲載できなかった写真を以下に掲載する。 (馬場) 図 71 バンドン着直後のディナー 図 73 ITB 構内の駐車場 図 75 ITB 新入生オリエンテーション 図 72 チャンギ空港の巨大オブジェ 図 74 閉会式を行った歴史あるホール 図 76 テラスでの講義 27 図 77 有名なインスタントラーメン 図 78 Friday Market の様子 図 79 生のココナッツジュース 図 80 部屋着用のバティック 図 81 演奏会で踊る関 図 82 本プログラムの女子メンバー(一部) 図 83 アジア・アフリカ会議の会場 28 図 84 少し変わった麺料理 図 85 インドネシア語の歌を披露する片岡 図 87 火山の尾根 図 89 キャンプ場でくつろぐ有満 図 91 空き時間にカードゲームをする様子 図 86 日本料理屋 図 88 ハイキングを楽しむメンバー 図 90 キャンプの夜に行ったキャンプファイアー 図 92 伝統料理のレストラン 29 図 93 最終プレゼンをする有満 図 95 最終プレゼンをする関 図 97 各国から持ち寄ったプレゼント交換 図 94 プレゼングループでの記念写真 図 96 閉会式を楽しむ様子 図 98 観光を楽しむ片岡 図 99 帰国前の最後の写真 30 6 所感 馬場 美岬 今回のプログラム、一言で表すならば「充実」の毎日であった。イスラム教徒のお祈りのためのサイ レンで目を覚まし、ルームメイトと英語で会話、講義では内容も単語も難しく理解は追いつかなかった が、それでもたくさんのことを学び、休憩時間には異文化交流。講義の後は皆で観光地などを訪れ、夕 食は美味しい伝統料理を安くたらふく頂き、部屋では再び英語で会話し、就寝。一秒も無駄な時間など ないほどに、充実していた。この中で学んだこととして以下にいくつか挙げる。 一つは、学習に対する姿勢だ。今回のプログラムに参加した学生は、私が一番の年少に始まり、大半 が修士生、博士生までいるという、かなりの高レベルなメンバーであった。そのためか、皆、自分の専 攻に誇りを持っており、一見講義とは関係ないようなことでも、自分の専攻から見た意見を述べたりし ていた。その姿は、自信に満ちあふれており、自身の専攻を真剣に学んできたことが窺える。私は2、 3年後に同じような振る舞いをできるか、といったら、現時点では、できない、と言わざるを得ない。 それに悔しさを覚えた。また、彼らは歴史や政治にも敏感であり、到着直後には、 「安倍総理がアジア諸 国に戦争中にしたことを謝らないことについてどう思う?」と急に質問を投げかけられ、8 月 15 日には、 「日本が敗戦した日なのに、楽しそうにしていていいの?日本では何もしないの?」といったことを聞 かれたりした。更に、他文化への興味も深く、あらゆる言語の簡単な挨拶を知っている程度は、常識で あるようだ。ITB が日本でいう東工大ならば、彼らの興味の広さは、驚くべきものといえる。このこと からも、私は負けてはいられないと感じ、これからの学習への意識に大きな刺激をもらった。 二つ目は、宗教を始めとする文化の違いへの理解だ。私は、このプログラムの前まで、イスラム教に ついて殆ど何も知らなかったといっても過言ではない。しかし、実際に共に生活する上で、かなりの理 解が深まった。何故女性はヒジャーブを被るのか、お祈りとはどんなものなのか、食べないものと食べ るものがある理由。どれも、教科書などの情報として見るよりも、ずっと身に染みる勉強であった。イ スラム教、インドネシアの文化だけでなく、他のアジアの国についても様々なことを知ることができた。 参加者それぞれの国では、どんな暮らしをしているのか、どんなことが当たり前で、どんなことはおか しいのか。ちょっとしたことがきっかけで、色々な話をした。今まで、自分の常識を善、他を悪、と決 めつけていたのかもしれない、とこのときに気がつき、それを恥じると共に、新たなものの見方を得た ように思う。また、ルームメイトは中国の方であり、2人きりで2週間生活することは、とても良い経 験であった。寝起きの頭が回らない状態でも英語で話さざるを得ず、またハプニングがあっても、上手 く伝えられない。物の貸し借りなどにおいては、文化の違いを感じた。しかし、これらの経験を通じて、 結局は「思いやり」が一番のコミュニケーションツールであることを学んだ。異文化の学生との交流は、 相手の個性を受け入れて接することを教えてくれた。 他にも、書ききれないほどの学んだことがあり、挙げればキリがない。そして、これだけの経験は私 の将来に大きな影響を与えるだろう。異文化に対する考え方は大きく変わったし、各国の非常に優秀な 学生たちと、友達になることができた。今まで、先進国だけに憧れを持っていたが、発展途上国への興 味も持つようになった。学問への姿勢も大きく変わった。 これだけの経験をさせてくださった、本プログラムに関わる全ての皆様に心から感謝したい。 31 片岡 裕介 今回の海外派遣は自分にとって初めての東南アジアの経験でした。参加前は全く日常生活のイメージ がつかめずにひたすら感染症や食事についての心配をする日々でした。そんな不安を抱えたまま到着し たインドネシアでしたが、到着して数時間もたたないうちにどこからともなく落ち着いていく自分を感 じました。その場所で感じた空気や音や匂いが自分に染みわたっていくようでした。たしかに生活する 中で水や食べ物の面で注意することは多くありましたが、その分仲間や友達との協力で乗り越えていく 力を得られました。初日は顔合わせと懇親を兼ねて本プログラム参加の全員で夕食を食べに行きました。 お互い初対面同士で緊張もありましたが、食卓を囲みながら話していくうちにまるでずっと前から知り 合っていたかのような気分になっていきました。プログラム中の授業や発電所訪問では自分たちの参加 する姿勢が問われる場面が多くありました。日本ではない国で学ぶということがどういうことなのかを 感じる機会になりました。 プログラムで経験したインドネシアでの 19 日間はひたすら濃密でかけがえのない時間でした。日本で はない、全く異なる環境での生活を改めて考えることと同時に日本での生活を見直すことができました。 また、海外で学ぶということを自分の経験とすることができました。これからは、自分の海外での経験 をいろいろな人と共有していくと同時にこれからこのプログラムに参加しようと考えている人の背中を 押すことをしていきたいと思います。 プログラムを支えてくださったすべての人に感謝します。ありがとうございました。 有満 勇人 私は、もともとインドネシアという訪問国にひかれてこのプログラムを選んだ。発展途上国に行った ことはそれまでなかったし、国民の大半がイスラム教徒である国はどのような宗教的な特徴があるのか を実際に滞在して感じてみたかった。 実際に行ってみると、イスラム教という土台のもとに街や大学があると言っても過言ではないくらい、 様々な場面で宗教を感じた。日本では宗教を感じる機会がほとんどなくて、従うべきルールのようなも のくらいにしか考えていなかったので、個人的に ITB の学生と話したときに人それぞれで宗教、お祈り の捉え方が違ったことは意外だった。 このプログラムの良いところは、インドネシアを含む様々なアジアの国の学生たちと知り合えること だと思う。その時々で自分の国ではこうだ、などと言い合うことがしばしばあって、インドネシア以外 の文化も吸収することができた。彼らは皆、私たちと同じように英語が母国語ではないが、どの国の学 生もとても上手く、特に専門的な英語でかなり差を感じた。将来彼らのような外国の学生と同じ土俵に 立つのであればまだまだ勉強する必要があると思った。 全体的にプログラムスケジュールがタイトだったこともあり、毎日がとても濃くて刺激的な半月だっ た。テーマがエネルギー関係で、プログラムを通して直接自分の専攻に役立てそうなことは少なかった が、この経験はこの先役に立つと思うので、バンドンで感じたことは忘れないようにしたい。 最後に、プログラム中ずっと面倒をみてくれた ITB の学生たち、プログラムに携わってくださった全 ての大学関係者の方々に深く感謝しています。ありがとうございました。 32 関 一樹 このプログラムは非常にたくさんの経験をさせてくれました。 私は将来発展途上国の支援を行いたいと考えています。そこでインドネシアというまさに成長してい る国の現状を見たいと思い、このプログラムに応募させていただきました。まさにその目的を達成し、 またそれ以上に多くのことについて考えさせられました。イスラム教徒が日々どのように考えて生きて いるのか、貧富の差と教育の差、8 月 15 日がアジアの国々にとってどのような日なのか、アジアの学生 が日本にもっているイメージ等。現地に行った人のみが感じられることを感じられたのではないかと思 います。まだ今回の留学で浮かんだ疑問の答えは完全には見つかっていませんが世界で活躍するための いいきっかけになったのではないかと思います。そして多くの友達ができたことは私にとって何よりの 宝であり、これからも大切にしていきたいと感じています。 このプログラムは体調を崩すほどハードな 2 週間ですが多くの東工大の学生がこのプログラムに参加 して世界中に自らを発信し、多くの仲間を世界で作ってきてもらいたいと思います。 伴野 貴哉 私は本プログラムに参加して様々な経験をすることができた。最近、経験したことがないくらいの勢 いで全日程を消化した。 私が参加した理由としては自身の専門分野のみではなく、様々な分野の最先端技術・知識を学ぶこと である。また、他国の学生と触れ合うことで国際意識を向上させ、グローバルな視点で問題を解決する 力を培うことであったが、これらの目的を満足することができた。もちろん、得られたことはこれに留 まらない。以下に 3 つ述べる。 1 つ目は日本ではあまり考えることのない宗教に関して考える時間が多くあった。理由として、インド ネシアの大多数はイスラム教徒であり、金曜日に Friday Pray やショッピングモールなどあらゆるとこ ろに礼拝所があるなど生活と密接につながっていた。観光などで日本を訪れるムスリムのための礼拝所 などの設置を行う必要があると感じた。 2 つ目に参加者の多くが日本の様々なことに関してとても興味を持っていた。そのため矢継ぎ早に質問 を受けるシーンに何度も遭遇した。具体的には日本語、漫画やアニメ、歴史や宗教、日本食についてな ど多岐に渡った。これらの質問に対して正確に答えるためにはしっかりと自国のことについて深く勉強 する必要があることを痛感させられた。 3 つ目として、インドネシアに約 3 週間滞在したが、その間に自分の将来について考える時間が増えた。 インドネシアは現在、ものすごいスピードで成長している。現地に降り立った時、日本とは比べ物にな らないほど活気で満ち溢れていた。だが、実情としては公共交通機関が充実してないため。移動手段が 車またはバイクに限られ車線数も不十分なため、慢性的に交通渋滞が発生している。そこで、交通渋滞 の解消を目指し、首都ジャカルタでは 2018 年の開業を目指し高速都市鉄道整備事業が行われている。こ のようにインドネシアを含めたアジア諸国の発展のために日本企業の技術や製品が用いられるシーンは 多く、またコンビニエンスストアやスーパーマーケットや自動車・バイクなど様々な日本製品がインド ネシアに溢れていた。今後のアジア諸国の発展に私が今まで学んだことを少しでも多くのことに活かす ことができるのではないかと考えることができた。 このように日本について外側から見ることが出来たおかげで、自分自身の将来に関してもいつもと違 う視点で考えることができた。このように様々な視点より自分自身のことを考える良いキッカケとなっ た。 33 このプログラムに参加できたことに感謝している。特に ITB の学生には他国からの参加者に一人ずつ ITB の学生がバディとしてつく形で多くの時間を費やして頂いた.このシステムは同様のプログラムを 日本で開催した場合にも採用すべきである。 また、何事に対しても知的好奇心に満ち溢れており、将来のアジア・世界を引っ張って行く優秀な学 生に出会うことができ、かけがえのない友人となった。そして、閉会式において学生の代表としてスピ ーチを行えた。スピーチの中で自分自身の言葉で全員に対して今までの感謝の気持ちを伝えることがで きた。 最後に本プログラムを支えてくれた大学関係者のみなさま、ITB の関係者ならびに参加者学生のみな さまに深くお礼申し上げます。 7 参考文献 外務省 HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html#section1 (2015 年 10 月 21 日アクセス) 参加学生による写真 34
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