第1回 愛知県 - 蒲郡市観光協会

報告書
2008年10月16日(木)17日(金)
第1回愛知県観光交流サミット実行委員会
目次
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
◎ご挨拶
名誉会長挨拶 ··········································································
◎特別寄稿
2
·············································································· 3
■講演会・サミット・交流会の部 ··········································
会長挨拶 ·················································································
◎講演会の部
<蒲郡市民会館
5
6
大ホール>
開会の辞 ················································································
8
基調講演 ················································································
9
特別講演 ················································································ 18
実録~記念座談会 ···································································· 28
閉会の辞 ················································································ 41
付録 ······················································································ 42
◎サミットの部<蒲郡市民会館 中ホール>
開会の辞 ················································································ 43
シンポジウム ·········································································· 44
◎交流会の部
<ホテル竹島
コンベンションホール海皇>
開会の辞 ················································································ 69
次第 ······················································································ 71
付録 ······················································································ 72
■資料の部 ···············································································
74
◎実行委員会
実行委員会議事録 ···································································· 75
会則 ······················································································ 77
会員と組織図 ·········································································· 79
報告書 ··················································································· 81
◎添付資料
企画書・運営マニュアル ······························································ 82
募集チラシ・プログラム ···························································· 106
◎編集後記
編集後記 ················································································ 110
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ご挨拶
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
名誉会長挨拶
第1回愛知県観光交流サミット2008 in がまごおり
蒲郡市観光協会名誉会長(蒲郡市長)
金原
久雄
蒲郡市は、三谷温泉・蒲郡温泉・形原温泉・西浦温泉の4つの温泉地域に恵まれ、がまごおり
温泉郷として、愛知県屈指の観光地として、今日まで発展してまいりました。
市制50周年を迎えた平成17年3月には、これからの蒲郡市のまちづくりを考えて、全国に先駆
けて、
「観光交流立市」を宣言し、観光業と地場産業との連携、市民との連携などを通して市民や
地域が一体となった協働型の観光都市を目指し、観光振興に取組んでいます。
私は、三期目の市長選挙のマニフェストとして、観光宿泊客2割アップを掲げました。そのた
め、4月に機構改革を行い、従来の商工観光課から、観光振興部門を独立させ観光課と作りました。
また、蒲郡市観光協会も専門スタッフを増強し体制を整えましたので、今後、私のマニフェスト
実現に向けて、観光ビジョンにありますようにオール市民で一致団結して、
「観光蒲郡」として光
を取り戻したいと考えています。
今回、観光庁が設立された記念すべき時期に「第1回愛知県観光交流サミット」が、蒲郡市で
開催できましたことは喜びにたえません。本年は「三河湾国定公園指定50周年」また「東海道線5
駅開業120周年」という記念の年でもあり、平成19年1月より施行された観光立国推進基本法を受
け、今後ますます国内外の観光の発展に期待するところでございます。
また、愛知県におきましても、観光振興基本条例が制定され、ますます観光都市蒲郡にとりま
して追い風を感じております。
観光交流サミットは大別すると、講演会の部とサミットの部での2部構成になっております。
講演会の部では、篠田正浩氏と徳川恒孝氏、お二方から今後の蒲郡の観光に対するご提言、サミ
ットの部では、観光や旅行のプロの皆さんの本音トークありで、行政及び観光業者が気づきの機
会を持つことができました。今後、観光蒲郡が目指す道が見えてきたのではないかと思っていま
す。
最後に、蒲郡市民をはじめ愛知県下の市町及び、愛知県、東海地域で活躍されている観光業界
の皆様方のご参加を得て、盛会に終えることが出来ました。誠にありがとうございました。
-2-
特別寄稿
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
新しい「愛知の観光」をめざして
「第一回愛知県観光交流サミット」から
(社)日本観光協会中部支部長
須田
寬
平成20年10月16日、17日の両日にわたって、蒲郡市で「第一回愛知県観光交流サミッ
ト」が開かれた。この会合は愛知県の観光を全国にアピールするため、愛知県観光協会、蒲郡市
観光協会等を中心とするサミット実行委員会が主催したもので1200人に及ぶこの種会合とし
ては稀有な出席者を集め、愛知県の観光を盛上げる一大イベントとして大変な盛会であった。私
も参加することができたが、地元の皆さん方の観光振興にかける熱意を体感することができ感銘
深いひとときを過させていただいた。この会議の成果を今一度ふりかえりこの会合の愛知県観光
の今後にむけての意味を考えてみたいと思う。
初日の会合は、
「三河湾国定公園指定50周年の記念すべき年に蒲郡でサミットの開催された意
義は大きい。関係市民、県民はじめ観光業界の人々と共に手を携えて観光振興に努めたい」との
あいさつで始まった。
講演会では映画監督の篠田正浩氏、徳川家当主、徳川財団理事長の徳川恒孝氏の講演と蒲郡市
長を交えての鼎談が行なわれた。お三方に共通していたのは「ものづくりの中枢である愛知県に
とっていやしの場も重要、それが観光であり三河湾等の観光地の整備であろう」そのためには観
光地の「アクチブポイントを中心に全方位からみた観光まちづくりが大切だ、景観、歴史文化等
のすぐれた観光資源、伝統的な産業(農業、製塩)等にもふれる体験型の観光も含め地域の特性
を活かした観光地づくりに努めてほしい」との意見であった。
続くシンポジウムでは旅行会社の幹部の方々7人が登壇して「観光による愛知の元気の実現」
と題して討論が行なわれた。それぞれの実務経験に裏付けられた貴重なご意見が交わされたがこ
こでも、7人の方々に共通の方向を見つけることができた。即ち、
① 画一型の団体旅行から個人旅行へのキメ細かい対忚
② そのための新しい観光資源づくりとしてみち、まちなみ等市民に身近なものをとりあげ市民と
観光客の交流促進
③ 地域ならではの着地の情報を中心とした着地型観光の展開
④ リピーターにつながる教育旅行の誘致に重点をおいては
等の提案があった。地域に密着した住民の参加も含めたいわば手づくりの旅行商品づくりをして
いく必要があるとの意見が印象に残った。
会合は、このあと「本音で語る観光」と題して各会場別に意見交換会がひらかれ翌日にはその
報告や意見発表会が行なわれる等多くの人々の集いを通じて観光振興への決意をあらたにして散
会した。
ところで、平成20年は愛知県の観光にとって大きい節目ともいうべき年であった。第一に県
議会の審議を経て新しい県の「観光条例」が制定されたことである。この条例の意義は議員提案
で、しかも超党派の全会一致で決定されたこと、即ち全県民の熱意を反映して制定されたものと
いうところにある。県の観光条例は広島、岐阜等に例があるがまだ尐なくこの段階で県民の総意
で観光施策の展開、県、県民、関係団体等が役割分担して県をあげて観光振興に努める方向が確
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
認されたことは画期的なことであった。第二に、平成21年の日中韓三国の観光大臣会議の開催
が愛知を中心とする中部地域での開催に決定したことである(名古屋が本会議場となる)。中韓両
国が日本の外国人観光客受入れに大きい役割を果していること、又、この会議の規模を考えると
会議誘致の意味は極めて大きく愛知の観光にも大きいインパクトを与えることになろう(既に国、
愛知県を中心として実行委員会が設けられた)。第三が先述した10月の「愛知県観光交流サミッ
ト」の開催である。全県にわたる関係者を糾合したこの会議は貴重なものであり1200名とい
う参加者の数もこの会合への関心と期待の高さを物語るもので、この会議の発足は、愛知の観光
にとって画期的なことといえよう。
愛知県は県内に蒲郡を中心とする三河湾国定公園はじめ伊良湖岬、鳳来寺、名古屋市、犬山公
園、知多半島、さらに旧東海道をはじめ戦国時代以来の多くの史跡等の観光地を多数擁している。
しかし自動車を中心とするものづくりの中枢としての知名度、役割があまりにも大きかったため、
観光県としての評価は全国的にみて必ずしも充分なものではなかった。いわばすぐれた観光資源
が「点」と「線」の観光にとどまっていたともいえる。
しかし愛知県はものづくり中枢であるだけに、最近注目を集めている産業観光資源は極めて多
く存在し産業観光の中枢として多くの観光客を集めつつある。
(工場見学、体験、産業博物館見学
等)又、愛知県は花卉産業では全国第一位の出荷額をもち、農業産出額も全国6位を占める大農
業県でもある。花卉産業は観光と直結したもの(デンパーク等の大施設もある)であり、又農業
でも産業観光の一環としてその体験観光へのニーズが高まっている。又、新しい観光として「街
道観光」
(東海道など街道を観光面から見つめ直す)も盛上がりつつあり、都市観光(名古屋市な
ど大都市の魅力にふれる)も全国的に注目されつつある。産業観光、街道観光、都市観光等の「新
しい観光」では愛知県はまさに全国トップクラスの観光地であるといえよう。それに県内各地に
わたる自然景観、歴史文化等の伝統的観光資源をあわせると幅広い分野にわたるマルチ観光地-
総合観光地として愛知県の存在は極めて大きいものとなる。このような幅広い観光資源がネット
ワークを組んで相互に連携し愛知観光圏を形成して内外に情報発信することが今求められている。
今回の「観光サミット」はまさにこの必要性が確認されたこと、そしてそのための方策が提案さ
れたことに大きい意義があったと考えられる。次回以降に期待すると共に愛知大観光圏の成立が
このサミットで報告できる日が近いことを期待したい。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
講演会・サミット・交流会の部
※講演会・サミットの部は、実録テープを基に編集されております。
途中、テープの不具合等で本来のものと異なる表記がされている箇所もあります
が、ご了承の程宜しくお願い申し上げます。
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会長ご挨拶
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
皆さんこんにちは。
実行委員会と同時に、蒲郡市の観光協会の会長をいたしております竹内でございます。
本日は、
「第1回愛知県観光交流サミット2008inがまごおり」ということで、このように多くの
皆さんのご出席を得まして、まずもって御礼を申し上げます。
この会場には、地元の市民の皆様はもちろん、国交省、愛知県、あるいは愛知県内の各市町村、
行政の皆さんと、県内の観光協会のそれぞれの関係の皆さん、それから旅行エージェントの皆さ
ん、もちろんこの地元、あるいは愛知県の旅館、ホテル、観光施設の皆さん、本当に大勢の皆さ
んがご参加いただきまして、改めて厚く感謝申し上げます。
皆さん既にご承知のとおり、我々の観光産業もようやく産業として認知され、昨年、国の方は
観光立国基本法が施行されまして、また、ことしは国交省から観光庁という庁が一つ独立いたし
ました。また、愛知県におきましても、この10月に観光振興基本条例という立派な条例も制定さ
れたと聞いております。また、この愛知県では、きょうJRの須田先生がお見えですけれども、
産業観光、もう数年前から叫ばれておりますけれども、徐々に定着しつつございます。また、最
近では織田、豊臣、徳川という三大武将の武将観光というのも、今名古屋を中心にPRをされて
おります。我々にとっては大変喜ばしいことではなかろうかと思います。
さて、この蒲郡市に若干触れたいと思うわけですけれども、おかげさまで蒲郡市の観光、竹島
を中心にしまして三谷温泉、蒲郡温泉、形原温泉、西浦温泉と、四つの温泉地を有しております。
それと同時に2002年のラグーナ蒲郡という、海のテーマパークが開業いたしまして、愛知県下で
は最大の観光市として発展をしてまいりました。大変ありがたいことだと思っております。
このような状況の中で、蒲郡の観光の現況に触れたいと思います。3年前に、この蒲郡市は観
光交流立市宣言をいたしました。これは通常の観光都市宣言ではなくて、交流立市という宣言で
ございます。これは、昨年の統計で、蒲郡の観光施設を利用されたお客さんが、1年間で700万人
という統計が発表されております。1年間に700万人ということは、相当な数です。365で割りま
すと、1日平均2万人弱という、蒲郡の市の人口の2割以上の方々が蒲郡市内の旅館を初め、そ
れぞれの施設にいらしていただいているということです。
観光ビジョンで、交流立市の一番の骨子は、やはり市民の市民による市民のための、市民参加
型の観光地を目指そうと、こういうことが一番大きな趣旨ではないかと思うのであります。どう
ぞ、我々の観光について、きょうご参加の市民の皆様初め、蒲郡へ来られたお客さんに満足して
帰っていただいて、また、蒲郡へ来たいと、このような気持ちを持っていただくように、ぜひご
理解と、ご支援をお願い申し上げたいと思います。
もう一つ、蒲郡市内二十数軒のホテル、旅館がございまが、若干宿泊の状況にも触れたいと思
います。
ご承知のように3年前の万博が開催された2005年、これがピークでございました。1年間で100
万人というお客さんを蒲郡市内の各旅館、ホテルにお泊まりいただいた実績がございます。それ
がこの二、三年、年々減尐いたしまして、昨年は83万人の実績にとどまりました。これは何と
かしなければいけない。ちょうどタイミングよく、蒲郡市民の皆さん、きょうは市長さんがお見
えですけれども、昨年、金原市長が就任されて、その市政のマニフェストの中で、
「私の任期の4
年のうちに、昨年の83万人の宿泊客を100万人まで戻そう」と、いわゆる宿泊客20%アッ
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
プ宣言をされたわけです。今それに向かって、我々、行政、観光協会、それぞれの諸団体で一生
懸命に努力をしているところでございます。10月11日からの観光交流ウィークというのも、
一つのあらわれでございます。話が長くて恐縮です。そういう意味を含めて、今日は、しばらく
の時間、講演会と観光交流サミットということでお過ごしいただきたいと思います。
最後に、この企画に当たりまして、本当に愛知県観光協会初め、多くの方のご協賛、ご後援を
得ました。本当にありがとうございます。今後とも、観光愛知、それと蒲郡の発展のために、ぜ
ひとも皆様に、ご助言と、ご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げまして、ごあいさつと
いたします。どうもありがとうございました。
第1回愛知県観光交流サミット2008inがまごおり実行委員会・会長
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竹内 康彦
講演会の部<蒲郡市民会館
大ホール>
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
第1回愛知県観光交流サミット2008 in がまごおり
開会の辞
皆さんこんにちは。
市外から参加していただきました皆さん、ようこそ蒲郡へいらっしゃいました。そして、蒲郡
の市民の皆さん、講演会にようこそいらっしゃいました。
きょうは篠田監督、德川先生の講演を伺い、蒲郡を外と相対化して、もう一度、蒲郡のよさを
知っていただけたらと、そんなつもりでおります。
3年前に蒲郡市は観光交流立市宣言を致しました。オール市民で、観光という切り口で町おこ
しをしようと。そして観光ビジョン推進委員会ができまして、今行っている観光交流ウィークも、
その一環であります。いろいろなイベントをやっております。そしてこの観光庁が発足した時期
に、この愛知県観光交流サミットが蒲郡で行われるというのは、大変意義深いものであると思っ
ております。
9月に実は蒲郡では、
「蒲郡おもてなしコンシェルジュ検定」というのを行いました。蒲郡に対
する豊富な知識と、そしてそれを伝える心とスキルを持った三百二十数名の方が合格されました。
先週の土曜日ですけれども、その合格者で、
「おもてなしコンシェルジュクラブ」というのを設立
いたしました。本当に力強い蒲郡の忚援団ができたなと喜んでおります。
訪ねてよいまち、住んでよいまち、帰りたくなるまち、その標語で、この蒲郡の観光という切
り口での町おこしを推進していきたい。オール市民で、この蒲郡を盛り上げて、未来に向かって
飛ぶ一本のあこがれ矢となるように皆さんで力を合わせて、これから蒲郡のまちづくりをしてい
こうではありませんか。これからの蒲郡に大いに期待し、そしてきょう参加していただいた皆さ
んの熱意に感謝申し上げて、簡卖ですけれども、冒頭の開会のあいさつにさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
第1回愛知県観光交流サミット2008inがまごおり実行委員会・副委員長 小池 高弘
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
基調講演「映画監督の目で見る蒲郡の魅力」
映画監督・早稲田大学特命教授
篠田 正浩
私は、この愛知県の隣の岐阜県で生まれました。八丁味噌は、皆さんと同じ文化県で、今でも八
丁味噌がないと、朝飯が本当においしいと思わない舌で育っております。豊橋や岡崎に時々来ま
して、菜めし田楽を食べると、私は、
「自分の故郷と、この土地はつながっているんだな」と思っ
ています。ですから、きょう「蒲郡についてたくさん褒めろ」と言われて呼び出されたんですけ
れども、同じ八丁味噌の味でしゃべればいいんだなと思ってやってきました。
蒲郡というところは、実は私は尐年時代、岐阜から東京へ上京して、大学に入るために初めて東
海道線を見た時に、大変印象深い景色がありました。今でいう竹島があって、その手前に蒲郡ホ
テルがあって、
「偉くなったら、あのホテルに泊まってみたいな」なんて思ったりしたんですね。
今は新幹線で、蒲郡の竹島も、プリンスホテルも見ることはできなくなってしまいました。どん
どん日本の近代化の中でハイウエーができたりしていくと、旧街道の美しい日本の風土、景色は
失われてしまいました。私の故郷の岐阜県中津川から、中山道を上がっていきますと、馬籠本陣、
妻籠本陣という立派な街道の宿があるんですけれども、これも自動車道路ができたおかげで寂れ
てしまって、そして、とうとう忘れ去られていたんですけれども、そこに住んでいる人たちが、
島崎藤村が書いた「夜明け前」のすばらしい江戸時代の光景を、今になって復元しようというの
で、電柱を取っ払って、見事に中山道の街道を復刻させました。そのことによって妻籠宿は国家
や文部省の指導ではなくて、民衆が自分たちの足元の美しさというものを見つけ出して、そして
そこに刻まれた歴史の古さというものが、何物の歴史の学問や観光という言葉に惑わされない、
人間の心に訴える景色が、そこに存在するということを学びとったんですね。
残念ながら、今は蒲郡というところは東京から見ますと、ほとんど見ることができません。それ
は旧東海道線に乗ると初めて蒲郡が見えてくるんですね。そういう意味で蒲郡は、ある意味では
新しいハイウエーの中で隠れてしまった街道の片隅の港町になってしまったのではないかと思い
ました。
私は、そんな気持ちで先週、蒲郡へやってきまして、きょうのスピーチに備えるために蒲郡周辺
をいろいろハンティングさせていただきました。車に乗ったり、わずかな歩行だけで、そんな映
画監督としてのレポートを皆さんに報告できるとは全然思っていません。ここに住んでいる人、
ここに関与した人たちの持っている体験、そして、その視線の多様さに私のきょうのスピーチが
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
こたえるということは、ほとんど不可能だということを私は知っております。
映画監督はいろいろな場所にロケーションに行きますから、旅の体験はたくさんあります。日本
じゅうどころか、外国にも旅をしました。私の旅行で大変印象に残っているのは、ベルリンの壁
があったときに、森鴎外の舞姫という映画でベルリンでロケーションして、あの東西冷戦のシン
ボルである巨大な壁が、ベルリンの壁を横切っている中で撮影をしたことがありますけれども、
そういうことを考えれば、私たち映画人というのは、普通の人よりはたくさんな旅行体験をして、
そこから、その土地のにおい、感性をかぎとる嗅覚だけは身につけているのではないかと思いま
す。
それで蒲郡へ久しぶりに足を踏み入れて、私の嗅覚を刺激したのは、何といっても竹島橋と竹島
と蒲郡プリンスホテルでした。なぜプリンスホテルか。まず竹島というところは、市杵島姫命を
祭っているお社なんですね。日本人は古代信仰で山に神様が住む、山に自分たちのご先祖様の霊
が宿っていると。祖霊信仰というのがありまして、蒲郡へ行きますと日本の歴史以前の、歴史国
家ができる以前の日本人の信仰の形が、そっくりそのままあるんですね。ですから、市杵島姫命
のお社は竹島という島になっていますけれども、そこを遥拝するのは八百富の神様の神社の遥拝
所から拝むわけですね。その間に、名古屋の繊維問屋で大金持ちだった滝さんという人が、自前
のお金で、明治ですか、今、橋がかかっておりますね。春先になると、みんな潮干狩りに竹島と
八百富神社の間は人でいっぱい埋まると聞いておりますけれども、この信仰形態は日本人が自然
というもの、自然の中に神様というものを発見し、それに対して敬けんな祈りを捧げるという形
が、この蒲郡の一番ハート、これを抜きにしてしまったら蒲郡はなくなってしまうと。ここには
ものすごい日本の古代の信仰形態が、そっくりこのまま残っています。
これは宗像大社というのがございまして、北九州にある宗像というところにある、お姫様の市杵
島姫命は、実はそこからここへやってきたんですね。ところが蒲郡市の歴史を見ると、尐し間違
っていますね。藤原の俊成が琵琶湖の竹生島から勧請した神様ということになっていますけれど
も、いやいや、ここはもっと古い、前に三河の守で、ここへやってきた藤原俊成以前に、既にこ
の蒲郡は古代の海の民が、ここに信仰と漁業と、生活を拠点にした古い歴史の記憶がここに残っ
ているんですね。一直線に竹島に向かって橋がかかっておりますけれども、その橋のたもとの遥
拝所で手を合わせましたけれども、これが蒲郡の観光を語る一番出発点だということをしみじみ
思いました。
そしてその横に藤原俊成の銅像がかかっていますけれども、この藤原俊成の息子さんで藤原定家
という歌人がいまして、皆さんお正月に扱う百人一首の編さん者であります。俊成、定家という
のは、日本における中世文学の最もリーダーシップをとって、権威で日本語の家元といってもい
いほどのすばらしい歌人たちでした。この俊成が三河の守に赴任してきたのは12世紀ですね。と
いうことは、この一直線の橋から竹島に向かって、蒲郡というところは古代から中世に橋がかか
っているといってもいいと思います。
そして、この後ろは岡崎ですね。ここは三河の国で、近世、徳川家の発祥の土地であります。と
いうことは、この蒲郡というのは、古代、中世、近世という歴史が一直線に貫いている大変見事
な歴史の遺跡でもあるわけですね。ですから古代遺跡の最新形態が、特に海の沖に島があって、
そしてその島の神様に漁業の豊漁と、お米がとれるいい季節がやってくることを祈る古代人の真
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
摯な信仰の形態が、この蒲郡という港町をつくり上げていったと思います。
そこの中に近代があらわれます。当然時代は過ぎていきますから、今、蒲郡プリンスホテルとい
うホテルが建っていますけれども、あそこは昔、常盤館という大変純和風の旅館がございました。
その別館として日本の畳の上での生活よりは、西洋的なベッドとソファーでくつろぎたいという
新しい旅行者があらわれ、ビジターがあらわれて、常盤館別館として蒲郡ホテルというのが、地
方都市の市営で運営されることになった。この建物は大変見事な建物で、日本における国際観光
ホテルの第1号になりました。
1934年に建てられたといいますが、私は1931年生まれで、ことし77歳ですけれども、34年という
ことになりますと、それから3年後、昭和9年に蒲郡ホテルが建ったとき、日本の文化人たちは
一斉に、その美しい建物に泊まってみようとしてたくさん訪れました。蒲郡に文学者が集まって
きた集客力は常盤館という宿屋の奥ゆかしさと、そしてプリンスホテル。プリンスホテルは、戦
後プリンスホテル系に買収されてプリンスになったわけですけれども、それまでは蒲郡ホテルだ
ったと言われております。この蒲郡ホテルの建物を、皆さんもう一度見直してください。外から
見ますとお城ですね。城郭建築です。そして中に入りますと、20世紀芸術の最も典型的なアール
デコと呼ばれる、装置の形がとてもモダンで新しいアールデコというパリを発祥とした世界美術
の大きな流れをつくりました、大変モダンなインテリアでつくられている。ということは、蒲郡
ホテルは外は日本、中は西洋という大変奇妙な建物であります。これをつくられた方、久野節さ
ん、
「ひさの」と呼ぶべきか、僕はそれを調べてくるのを怠りまして申しわけありませんけれども、
このデザインの中に日本が古代、中世、近世、この時代を過ぎて、我々の近代が始まったときに、
蒲郡ホテルというのが、まさしくそのシンボルとして生まれたといっていいと思います。
この建物を必要としたのは、日本が西洋とつき合わなければならなくなった明治維新によって起
きた開国にあります。横浜、函館、神戸、新潟、もちろん長崎はその前にありますけれども、こ
の五つの港を徳川家定がサインして、井伊直弼が開国のサインをして日米通商条約を結んで、た
くさんの外国船が日本に入ってくるようになってきたんですね。私どもの映画をやっていました
小津安二郎という最も日本的な監督と言われている小津安二郎監督に、私は助監督でつきました。
小津先生の映画に出ている原節子さんというのは、多分、横浜開港によってやってきた外国人の
クオーターですね。あの人には外国の血が入っています。そして二枚目の役をやった岡田時彦さ
んも外国の血が入っています。歌舞伎の市川羽左衛門はフランス人の血が入っています。そして
江川宇礼雄とか、斎藤達雄といった人は、みんな今で言うハーフですね。
小津安二郎の映画というのは、ものすごい日本的と言われていますけれども、小津先生は、日本
人の顔は平べったいから、できるだけ彫りの深い二世を使われたんですね。二世、三世、四世。
横浜の開港から100年の間に、日本の映画の中には外国の血を持った俳優さんが出ていて、それが
小津安二郎のモダニズム、蒲郡プリンスホテルのモダニズムと同じですね。ところが今では、も
のすごく小津安二郎は日本的な映画作家というように言われていますけれども、実は日本人は明
治維新以後、はいからをもって最も現代的なトレンドとして、どんどん取り入れてきたわけです
ね。これがアジアで最も文明開化を早めて、そしてアジアの先進国になって、中国、朝鮮、韓国
がおくれをとっている間、日本はどんどん西洋の列強と肩を並べてしまいました。海から日本は
西洋の文明を受け入れたんですね。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
このアズミという渥美半島の渥美には、どうも宗像神社の市杵島姫命の祭られている宗像という
ところのアズミ族という海洋民族が住んでいまして、そのアズミ族がはるばるここへ上がって、
そして天竜川をさかのぼって、信州の安曇野に入ったという説もあります。それほどにして、海
の道は陸の道よりもスムーズにいきますから、嵐で追い風を受ければ、アメリカズカップの日本
のヨットも随分健闘しましたけれども、あっという間に移動可能にしてしまうんですね。
日本は1853年に浦賀に黒船が来航しました。4隻の黒船、鉄でつくった船があらわれて、日本は
びっくり仰天しました。彼らが放った大砲でたちまち通商条約にサインしました。アメリカの艦
隊が何で日本にやってきたかというと、アメリカの捕鯨のビジネスで、長い間、北極海や何かで
商売していると、水と燃料が切れてしまうんですね。アメリカの捕鯨会社は、クジラとりは、ど
うしても日本に中継の野菜や水や燃料を補給する港が欲しいと。それを揚げるためには日本を開
国させなければならない。それをおどかしに来たのがペリーの太平洋艦隊、東洋インド艦隊です
ね。これがやってきたのが1853年、日本はそれまで徳川幕府は絶対に大きな船をつくってはいけ
ないというので、海は水の壁になったんですね。ジョン万次郎のように、難破してアメリカの船
長に助けられて、留学して日本に戻ってきたというのは、希有な例なんですけれども。
日本人にとって、この三河湾の外へ出ますと、黒潮と遠州灘、太平洋側は遠州灘、熊野灘、響灘、
みんな航路として大変怖い海なんですね。だから日本人は海洋民族というのは大うそで、実はみ
んな陸に上がっているわけですね。ラグーナマリーナでも、なかなかみんなヨットに乗れないん
ですよね。外へ出ると大変なんですよ。日本人は本当に水の壁の中に暮らしていたのが、黒船で
やってきたアメリカを見たときに、こんなにすばらしい文明をつくり上げていた国があったのか
と驚きました。
それから50年、日本は何をしたかと。1853年の50年たちますと1903年ですね。1904年、その翌
年、日本は大国ロシアと日露戦争をやりました。1905年、とうとう東郷平八郎率いる大日本の連
合艦隊は、日本海で、あのバルチック艦隊を全部海の底へ沈めてしまいました。世界最大の海軍
国が突然躍り出たんですね。黒船来航からたった50年という間に、これだけのイノベーションを
日本人はやってのけたんですね。ということは、日本人は西洋文明に対して大変敏感な情報と技
術をたちまちに導入したわけてすね。
私はこの蒲郡ホテルの建物を見ると、日本式の伝統的なお城の中に西洋の文化を取り入れて、大
変見事なホテルをつくった。これが明治の日本の近代化の、大変典型的な姿であろうと思います。
これは、この蒲郡に限ったことではありませんよ。東京に行きますと九段会館がありますけれど
も、九段会館というのは昔の海軍士官の開校者があったところです。二・二六事件のときには戒
厳司令部になったんですけれども、これはビルの上に屋根がお城になっています。といいますと、
皆さんこのお近く、名古屋に行きますと、名古屋城の前にある県庁や市役所はビルの上にお城が
建っていますね。日本人はお城の持っている日本の武というものの美しさをつくり上げた建築と、
西洋の近代的なビルとを重ねることによって、そこに新しい時代に対忚する日本人という伝統と
西洋とのハーモニーをつくり上げた、帝冠様式という建築ですね。冠をかぶっているという形な
んですけれども。
これが満州に行ったときには、新疆に関東軍司令部もこれと同じ建物が建っています。名古屋に
来るたびに私はあの建物を見て昭和の日本を思いますし、日本の近代化に苦労した姿をしのぶん
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
ですけれども、蒲郡に行きますと、本当にプリンスホテルから竹島を見ますと、古代、中世、近
世、そして現代と一直線に並んでいる光景は、まさしく日本でもなかなか見ることのできない、
私はスペクタクルであろうと思うんですね。というような解説を、私は蒲郡の観光協会から聞い
たことがないんですね。
それでもう一つ、魅力を語るというのが、注文に変わってしまいましたけれども、西洋の文明に
あこがれて、今では日本人の大半は、とても見事なウエスタンスーツやウエスタンドレス、西洋
のドレス、日本の女性は特に美しくなって、大変見事に日本じゅうの、新宿、原宿から発したフ
ァッションは、今や世界を接見するモダニズムになっているわけですけれども。私はこの蒲郡も、
その例に漏れないと思うんですね。アメリカズカップに参加するために、ヨットの訓練をここで
やられたと。それが契機になったのかわかりませんけれども、ラグーナマリーナは、私は本当に
見事なマリンスポーツの拠点をつくり上げられたと思うんですね。言ってみれば、日本における
一番西洋的で最先端の設備が、このラグーナにありますね。ここを、この間見ましたとき、ここ
は逗子にも务らないすばらしさだし、横浜のヨットハーバーよりもずっといいではないかと、私
は思いました。
私の友人に石原慎太郎という人がいるものですから、昔はよく一緒にヨットに乗せられたり、八
丈島まで行ったりした経験がありますけれども、ラグーナマリーナはとてもいい設備だなと思い
ました。ここは西洋です。
ところが一たん、温泉宿に行きますと、昔ながらの温泉町があるんですけれども、蒲郡は温泉町
とラグーナとセパレーションされていて、それが1カ所に集まっていないわけですね。この真っ
正面は竹島を初めとして立派な神聖な土地ですから、そのわきに港をつくればいいんですけれど
も、その前に立派な造船所ができたり、そして日本郵船のすごい車両を掲載する大きなタンカー
というか、真四角な船が入ってくる。とても近代的な産業の港町だと。そしてラグーナは大変個
人的な、大変ブルジョア的なマリーナがである。
ところが、日本の温泉町は一体どうなっているのか。温泉は日本の伝統的なレジャータウンです
ね。私は鎌倉の撮影所で長い間、助監督、監督をやっていまして、脚本を書きに行くと、いつも
温泉に行きました。温泉に行くと、宿屋のお姉さんがものすごく親切に、サービスがいいですね。
そして私たちが長旅をしますと宿屋の飯は出てこないんですね。外に注文するんですね。大体、
温泉町のレストラン、食堂というのは大変おいしいんですね。
「どこどこのカレーがおいしい、ど
こどこのつぼ焼きがうまい、どこどこの豚カツがうまい」、「海岸通りへ出ると、あそこの寿司屋
がうまい」と。みんなそれを頼んで、宿屋の飯を食べないんですよね。
ところが、いつごろか日本の宿屋さんは、冷えた豚カツと刺身が一番ごちそうだと思って、これ
がばっと出るんですね。それで熱海はこんなことをやっていてはだめだぞと。やはり、温泉に一
日入ったからといって温泉の効果もあるわけはないし、そして宿屋の浴衣を着ますと、私は陸上
競技をやっていましたから、1メートル70センチ以上身長があったんですね。まず旅館の浴衣を
着ると、ほとんどひざまでしか、何度も何度も洗っていますから、どんどん縮んでいきますから、
ゆきは手が飛び出して鉄砲袖になっていますし、帯びを締めるとパンツが見えてしまうぐらいの
浴衣しか出ないという時代がございました。
現在、高校3年生の平均身長は1メートル70センチだそうですね。そうしますと日本の宿屋さん
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は浴衣の平均スタンダードを男性は1メール70センチにしなければならない。女の人は1メート
ル65センチにしなければならない。これを洗濯屋に出して洗うたびに縮んで、一番縮んだときは
何センチになるかという、そのミニマムを計算して浴衣を出さなければいけないんではないかな
と思うんですけれども、そういうサービスに、ずっと伝統的な日本の宿屋さんは全然、これは熱
海の場合ですよ。
私はつい先日、熱海へ行きました。そうしたら、長年、何十年とひいきにしている宿屋さんがお
しまいになった。そうしたら板前さんもいなくなってしまった。そこへ泊まって夕食が出てきた
ら、夕食の茶わんが欠けているのが出てきますね。臨時雇いの人によって、最後の客を迎えるん
です。将軍家定夫人の篤子さんは、江戸城を引き払うとき、ものすごく見事に整えて、飛び立つ
鳥は跡を濁さずで出られたそうですけれども、熱海の風格のあった伝統的な宿屋さんがおしまい
になったら、こんなことになるのかと。私は思わず、その食事に、はしをつける気がしなくなり
ました。ここまで落ちぶれるのかと思ったんですね。日本の伝統はここまでだめになったのかと
思いました。
ところが、ことしの夏、そこが「リニューアルしたから来てくれ」という案内が来たんですよ。
そうしたら、宿屋のオーナーがファイナンスの会社に譲ったんですね。だから大変見事なリニュ
ーアルをされて、とても近代的になっているんですけれども、何といいましても、お客はまだ今
までのおなじみさんしか来ていないんですけれども、熱海の海岸を見てびっくりしたんですね。
海水浴客が熱海の湾を埋め尽くしているんですね。熱海というところは海水浴場がなかったんで
すね。漁港があって、大島への連絡船しか出ていなくて。ところがどんどんお客が減って、団体
客のために豚カツと刺身しか出さなかった旅館が、何とか復興しようと思って、貫一お宮の海岸
通りに人工の砂浜をつくったんですね。それがことしのオイルショック、石油が上がったために、
レジャー産業が大ダメージを受けていたときに、東京、横浜の若者たちが車で遠出できないので
熱海にやってきて、熱海の小さな猫の額みたいな人工浜に群がっているんですね。そしてお昼を、
1日1,000円の日帰りの温泉に入って、海水浴をやって帰っていくと。やっと熱海は現代に対忚で
きる温泉町とはどういうものかということを悟ったようです。そして、都会に住んでいる人間が、
海というものがいかに心をいやしてくれるかということを、私は海岸通りのプロムナードを見な
がら思いました。その砂浜をつくるときに、熱海市は巨大なプロムナードをつくったんですね。
これは映画祭がよく行われているカンヌやニースへ私は何度も行ったことがありますけれども、
必ず海岸通りには砂浜におりなくてもいい、普通の人が歩けるプロムナードが用意されていて、
これはちょっとやそっとの距離ではないですね。ずっとあって、そして浜があると。カンヌは映
画祭が始まる5月を中心として、冬の間はクローズしているんですね。だから人の集まる季節に
精いっぱいのサービスをして、オフシーズンは一切クローズすると。こういう合理的な運営をし
ているんです。
私は、ことしの夏の猛暑の中で、都会に住んでいる人たちが、本当に人間的な呼吸ができる場所
として、江ノ島もありますけれども、熱海までだったら車で1時間で来られるということで、熱
海に殺到した若者たちを見て、名古屋の人も蒲郡が、東京と熱海の関係と同じ関係にあるのでは
ないかなと思ったんですね。明らかに蒲郡は西洋文化と伝統の温泉町、この二つにまたざきにな
って、今存在していると思うんですね。マリーナに行きますと、海から取れたばかりのアサリが
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あるんですね。
「このアサリで一杯やりたいな」と思っても、そんな店はどこにも建っていないで
すね。
サンフランシスコにフィッシャーマンズワーフというのがありますね。漁師の店があるんです。
サンフランシスコは大きな巨大都市ですけれども、あの魚の町が海岸におりてきますと、そこは
もう漁師町なんですね。ここにはすばらしい貝のレストランがいっぱいあるんですね。これは本
当に見事な開発の仕方で、私はこの蒲郡の後ろはサンフランシスコではないんだから、何か絶対
必要だと。蒲郡だけで食っていけないですね。蒲郡はよそから人が来てくれないと食っていけな
い。蒲郡だけではなくて、隣の御津町だって同じだし、吉良の町も同じですね。一色町にはもの
すごく養殖ウナギがあって、この間、盗まれたという記事を東京で見ました。中国製のウナギを
食べないから日本製のウナギを食べたいと。そうしたら一色町の養殖ウナギがねらわれて盗まれ
たと。私は早速、「一色町のウナギのかば焼き」を食べさせてくれと言ったら、「一色町にはそん
なウナギはありません」というので、私は岡崎まで行ってウナギを食べました。菜めし田楽でだ
けではなくて、ウナギも岡崎はうまいですよ。
というように考えますと、ラグーナの中にある海産物を、すぐ目の前で料理をして食べられる漁
師のレストラン、フィッシャーマンズワーフがあってもいいんではないかなと思うんですけれど
も、見るとギョウザやチャーハンとか、マクドナルドになっているんですね。地元の味を全然生
かしていないレストランが建っている。これは絶対にテーマパークに遊びに来る子供たちの、ハ
ンバーガーやマクドナルド、ケンタッキーフライドチキンで育った世代の嗜好に合わせているん
だなということがわかりました。
でも私は、若い人たちに日本の伝統の味を覚えさせないと、日本は滅んでしまうと思うんですね。
今度のリーマン・ブラザーズの崩壊に始まって、今日もまた株価が下がっていて、そわそわして
いらっしゃる方もいらっしゃるのではないかと思うんですけれども、日本は日本の地場産業と、
日本人のイノベーション、黒船が来てから50年で世界第一位の連合艦隊をつくり上げたイノベー
ション、この日本人の勤勉と情報ネットワークのものすごい敏感さ、これはアジア人の中でも飛
び抜けた才能だと思うんですね。
例えば、食料自給率が40%だというのは、これは僕は農協が仕掛けた大うそで、それに乗っかっ
た日本の議員たちのものすごい過ちだと思うんですね。お米でいけば120%、我々は自給できるん
ですね。そして地元の野菜や海産物を食べれば、我々は十分に日常的なタンパク質をとれる。そ
して、わずかに輸入すれば、十分に日本人は日本の食卓を豊かにすることができるはずなんです
ね。それが日本では、農業が国家公務員並みに国からお米を買い上げてもらって、自由競争社会
にものすごいおくれをとってしまった。
私ども映画産業は、日本映画というのは皆さんの心に残るものをいっぱい送り届けてきたと思い
ます。年間の日本映画に対する助成金というのは、私が監督していました1970年代、2億円です
よ。日本映画のプライドをかけてつくり上げて、世界に日本映画ありとやってきた映画人に対す
る日本政府の助成は2億円。映画界から代議士を出していませんから、国会で文化運動に対する
助成金なんて2億円しかない。今になって尐しはふえてきましたけれども、日本の農業に対して
はどのくらいですか、何兆円です。
私は観光というのも、尐しそれに似ていると思うんですね。お金を出せばいいというものではな
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いと思いますね。私どもはお金をもらうのに、尐し抵抗があった。国からお金をもらうことに抵
抗があった最大の理由は、国のひもつきのお金というのは国の注文かつきますね。すると、映画
表現というのは、一番自由に、人間の一番魂の叫びを描かなければなりませんから、お国の都合
とか、だれかの権力者の都合に触れると困るから、そういうのはやめてくれと言われるんですけ
れども、お金をもらうとそれに抵抗できなくなるんではないかということもあって、ずっと離れ
てきたんですけれども、ようやく今、日本のアニメや漫画が日本の文化力として、そして日本人
というものの持っている英知の一つとして世界じゅうに認知されると、通産省を初め、我も我も
と文化省も、
「これはおれのところのテリトリーだ」と言ってお金をつけてくれるんですね。手の
ひらを返すように変わってくる。
私は、蒲郡はこれからどうしたらいいかというテーマを、この次の討論会でお話しすればいいと
思うんですけれども、私は何といいましても、この蒲郡に人を寄せるためには、蒲郡だけではだ
めだと思うのです。幸いに、ここは三河国定公園という大きなエリアの国定公園になっています。
蒲郡を中心として、レフトウイングには渥美半島があって、一番先に伊良湖岬がある。
「鷹一つ見
つけてうれし伊良湖岬」
、松尾芭蕉がここへ自分の門人である杜国という青年を見舞いに行ったと
き、このうたを歌ったと。これは伊良湖岬の風景をうたったというんですけれども、我々文学者
仲間はうそだと。杜国というのは尾張でお米相場をやって、米相場をやってはご禁制だというの
で、尾張藩から彼は罪を得て流刑されて伊良湖にいるんですね。それを芭蕉が見舞いに行くんで
す。私が初めてこの地方に足を踏み入れたのは、伊良湖岬の「鷹一つ見つけてうれし伊良湖岬」
を見に行ったんですね。それは芭蕉研究の一つでもありましたけれども、もう一つは、松尾芭蕉
が本当は同性愛者で、杜国というのは自分の門人の中で最も美青年だったと。それで罪を得て流
刑されている杜国のところへ平気で会いに行って、うたを一緒に読んでいるという光景がものす
ごくうれしかった。彼は絶対尾張から、この蒲郡を通って歩いていったに違いないわけですね。
その途中に田原というところがあるんです。田原藩。私は学生時代、駅伝の選手だったんですね。
箱根駅伝を走って、僕は昭和25年に2区を走っているんですよ。だから東京の町をランニングい
っぱいして、いろいろな地形を知っているんです。三宅坂という皇居のお堀端の横に三宅公の屋
敷のあった前は三宅坂という坂がついていて、そのまま行くと桜田門に到達するんですね。井伊
直弼の屋敷で、譜代大名の三宅コウの前を通ると、田原藩のここは城主だったと。この城主は、
たった1万2,000石の小さなお大名ですけれども、三宅藩は、でも、徳川家の譜代大名の真ん前に
住むことのできる殿様なんですね。その家老が50石で渡辺崋山という日本最大の近世の絵かきで
す。何枚か国宝の肖像画を残しています。この三河の文化の渥美半島のわずかなところに、松尾
芭蕉や渡辺崋山がいた。この右側へ行けば、尾崎士郎の人生劇場があって、忠臣蔵の吉良の御領
地があって、塩田があって。こういうように考えますと、そしてこの蒲郡の後ろには、岡崎の徳
川家康の生まれたところであります。この岡崎に大樹寺というお寺がございます。徳川さんのご
位牌がお奉りしてありますけれども、このご位牌が、その時代の徳川将軍の身長に合わせたお位
牌だそうですね。徳川家康は1メートル59センチ、お犬様で元禄忠臣蔵のときの将軍綱吉は1メ
ートル24センチ、こんなわけはない。多分、腰か何かご病気で、腰を折って歩かれた寸法ではな
いかと言われて、篤姫の旦那の家定公は1メートル49.9センチなんです。みんな小さいんですね。
そんなお寺が大樹寺というところにあるということを、蒲郡の人は多分知らないと思うんですよ
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
ね。
この蒲郡には家康の母君の於大の方が嫁がれた久松家の安楽寺というすばらしいお寺があります
し、蒲郡の後ろには三河地方の政治文化の一番の拠点があります。私は、自分の演劇の研究のた
めに、浄瑠璃姫の物語、牛若丸と浄瑠璃姫の宿場があった矢作の宿の研究で、岡崎にしょっちゅ
う顔を出しているんですけれども、こういうように考えますと、蒲郡を起点として、三河一帯は
日本の文化、文学、歴史、そして古代の信仰、古代人に至るまで、たくさんの知られざる観光資
源というと嫌らしいですね。すばらしい日本の風土を持っている。そういう中にたんと西洋的な
文明、文化を包含して、これがいい調和をとってこれからどうやっていくかと。そういう可能性
と同時に、この西洋文化と日本の伝統というものを調和させることの困難さは、現在の世界経済
における日本はどうあるべきかという困難さと全く同じだと思います。だから蒲郡の困難は、現
代日本の困難でもあると同時に、これから日本の希望と可能性を見つけ出すことでもあります。
蒲郡が盛んになったとき、我々は新しく再生した日本を見ることになると思います。
以上で私の話は終わります。どうもご清聴ありがとうございました。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
特別講演「篤姫の年に考える日本の旅文化」
徳川宗家第18代当主・徳川記念財団初代理事長
徳川 恒孝
三河の国とは私の家は大変深いご縁があるにもかかわらず、岡崎にはしょっちゅう来ておったん
ですけれども、蒲郡、いつも通るんですけれども、伺ったことがなかったので、きのう夜まいり
まして、安楽寺にお参りをいたしまして、久松様の菩提寺でございます、ちょうど400年前のすば
らしいご本堂で、伺いまして、中を拝見いたしまして、そうしたらば、そのお寺の奥様が「こち
らヘ」ということで伺いましたらば、過去帳を見せていただきました。慶長何年、一生懸命に於
大の方のところを探そうとしてくださったんですが、ちょっとそこがわからなかったんですけれ
ども、ずっと置いてあります、過去帳が。みんな慶長、文禄、今からちょうど400年前の過去帳が
並んでおりました。まるできのうのことみたいに、この過去帳が置いてあって、何村のどなたが
何月何日に亡くなって、ご戒名がどうなったと。こういうものが、もう何か、まるで日常のこと
のように置いてあったのには大変感激をいたしまして、立派なお寺だなと思ってまいりました。
その後、夜は、今、篠田先生もお話になったプリンスホテルに泊まりまして、けさ早く、竹島を
ぐるりと歩いてまいりまして、すばらしいところで、いいなと思っているところに、静々と日本
郵船の自動車運搬船が入ってまいりまして、もう私としては、これほどの喜びはないことでござ
いまして、
「ああ、日本郵船の船が入ってきた。我が社の船が入ってきた」と思いまして、ますま
す蒲郡が好きになりました。いたく卖純でございますけれども、こういう最初に伺ったときの印
象というのが実は後々まで残ります。僕は必ずまた蒲郡に、今度は女房も連れて遊びに来ようと
いうふうに考えました。日本郵船の船が入ることを事前に調べてきっとまた伺おうと。
「見ろ見ろ。
これはうちの船だ」と、こういう話になるのかと思っておりますけれども。
きょうは「篤姫の年に考える」という題をいただいていたのをすっかり忘れまして、レジュメを
ちょっと用意してまいりましたのでごらんいただきたいのですが、
「日本と外国との結びつき」か
ら「日本の観光」
、それから、1枚、絵もお持ちしました。これは、江戸の高輪の宿というところ
で、これは東海道の江戸の始まりのところでございますけれども、こういうものでお話をしよう
と思っておりました。
そうしましたら、きのうの夜、観光協会の方から、
「德川さん、難しい観光の話はいいから、あな
た、篤姫の話をしなさい」と、こういうご指摘を賜りまして、ちょっとどうしようかと今、思っ
て悩んでいるところでございますけれども、このレジュメの一番初めに、
「幕末、日本を訪れた外
国人たちの驚嘆」というふうに書きました。これがちょうど篤姫様が、今テレビで活躍をしてい
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
らっしゃる篤姫様がお嫁入りをされてから、日本が開国をして、幕末、鳥羽伏見から幕府がギブ
アップするまでの10年間、この間に続々と実はヨーロッパから学者さんであるとか軍人さんも来
ましたし、植物ハンターと申しまして、世界じゅうに新しい花とか木を探してる人たち、いろい
ろな方たちが日本にやってきました。
その方たちが日本に来て、もう異口同音に言っておられることがあります。要するに、日本とい
う国は、ヨーロッパの人たちにとってみますと、もう神秘の国でございまして、だれも行けない
国、しかも非常に高い文明を誇っている平和な、豊かな国、こういう夢のようなイメージがあり
ますから、日本が開国をしたという途端に、後から後から外国の人たちがやってきました。彼ら
がびっくりしたことをここに尐し書きました。彼らが日本で一番驚いたことは、まず、清潔であ
る、町が清潔であって、人間が清潔である。くさくない。これは、このとき来られたヨーロッパ
人、学者や何かは、みんなヨーロッパを出て、大体が喜望峰を回って、インドに寄って、インド
を港、港を寄りながら、今度はマラッカ海峡を下って、上がってきて中国を見て、香港から上海。
そこから沖縄経由だったり、真っ直ぐだったりして横浜へ入ってくると。こういうコースを皆様
とられたわけで、ヨーロッパから日本に来られるのに大体3か月ないし3か月半くらいかかって
日本に来られたのです。彼らが寄ってきた港は、みんなもう植民地化されまして、国として非常
に悲惨な状況、インドもそうですし、中国もそうですし、大変に国としての力がなくなって植民
地になっていたところ。人々の生活は苦しいし、大変に悲惨な国をめぐってきた。
それが、日本に着きますと、今まで回ってきた国と全く違う。今まで寄ってきたインドの町も東
アジアの町も中国の町も、もう道はくさいし、ごみだらけだし、こじきがたくさん歩いているし、
お金はねだるし、悲惨な状況の国を三、四か月見て日本にやってきた。日本の町がまるっきり違
う。まず、道にちり一つ落ちてない。その方たち皆さんは全部日記を書いてらっしゃるので、こ
れが非常におもしろいのですけれども、江戸の町を歩いていると、町にごみが落ちている。そう
すると歩いている人がひょっとそれを拾ってたもとに入れて行っちゃう。お店の人は、もういつ
も店の前をきれいに掃除している。ちり一つない。何という清潔だ。
日本人は大体毎日お風呂に入る。江戸の市民は大体ほとんど毎日、湯屋といいますけど、お風呂
屋さんに行ってお風呂に入る。ヨーロッパの人たちというのはお風呂に入らない。シャワーにも
入らない。イギリス人というのは一生に3回、お風呂に入ると言われているんです。生まれたと
きに産湯に入る。結婚式の前の日には入るんだそうです。あとは死んでから湯灌に入ると、大体
そのくらいしかお風呂に入らない方たち。
僕、19歳のときに最初の外国でイギリスに留学に行ったのですが、大体イギリス人は当時は1週
間から10日に一遍ぐらいはシャワーを浴びるという状況までよくなってきておりましたけれども、
ですから、僕らからいうとちょっと信じられないような国であったのですが、そういう国から来
た人が日本の清潔さ、町の清潔さと人間の清潔さに仰天した。それから、安全であることに仰天
した。物がなくならない。それまで彼らが4か月回ってきたインド、中国のホテルでは、例えば、
何か物をホテルの部屋に入って置きます。そうすると、大体3分後にはなくなっちゃうと言うん
です。
「Oh, Mr」なんて言っていると、しゅっと、ここからもうなくなってる。日本は決して物
がなくらない。
ある方の日記で、僕はこれは笑っちゃったのですが、紙をしわくちゃにして紙くずかごに捨てた
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らば、翌日その紙に火のしがかかってぴんとなって、違い棚に戻っていたと。だから、この国は
物が捨てられないと、こういうことを書いた方もおられるくらい、日本は安全である。それから
正直だ。決して吹っかけて金をぼるということがない。それまで彼らが回ってきたアジアの諸国
は、ああ、この人はここへ初めてきた人だなあと思うと物の値段は10倍になったり100倍になっ
たり、まあ、ぶっかけて死ぬほどぼろうというところばかり歩いてこられた。ところが日本へ来
ると、おつりは正確に返してくれるわ、もし、おつりを間違えると、翌日とはるばる探してきて
戻してくれたというふうな国であった。ですから、ずっとこう回ってきて、全くこのヨーロッパ
人たちはびっくりするような国に出会った。それが江戸の末期の状況でございました。
次に彼らが驚いたのが「知的水準の高さ」と書きました。その中でも、彼らが一番驚いたのは、
女性たちが字を読んで書ける。これも篤姫様たちだけではなくて、いわゆる一般の町の女性たち
が字を読んで書ける。それにものすごく驚いています。ですから、1850年というところで地球を
輪切りにして考えますと、日本は世界で一番識字率の高い国でした。江戸の町でいいますと、特
に女性たちの恐らく6割から7割の子は字が読み、書けた。ところがヨーロッパの女性たち、大
金持ちとか、プリンセスとか、公爵、お嬢さんとか、そういう方は別ですけれども、普通の女性
はまず99%、読み書きはできなかったんです。
ですから、僕たちよく、すごく錯覚を起こします。日本は非常に文明におくれていて、明治で急
速にそれに追いついた。産業とか、軍事とか、工業はそうなんですけれども、一般の社会という
ことからいけば、日本の方がはるかに識字率が高くて、清潔で、正直で、安全だったということ
は、当時来たヨーロッパ人たちの日記を見ると非常にクリアに書いてあります。
驚いたのが、かごかきとかお舟の船頭さんたちみたいな、いわゆる彼らから見れば労働者、その
連中がもう奪い合うようにしてかわら版を読んだりしていると。女性たちが帳場に座ってお店を
仕切っている。だんなの方はきっと吉原か何かに居続けてしまったりなんかして、奥様が支えて
いたわけでしょうけれども、そのことにも本当に驚いています。
1850年という段階でロンドンであれ、パリであれ、女性がお店に出ているということはほとんど
ないです。あらゆるビジネスは全部男の世界ですから、女の人たちの仕事場は、いわゆる家内労
働です。子守であるとか、洗濯であるとか、炊事であるとか、お掃除。それしかなかった。とこ
ろが日本の女性たちはそうやって大活躍をしていた。これがとてもびっくりしていること。
もう一つのびっくりしていることは、町全体が非常に平等に豊かである。貧富の差が余り大きく
ないこと。それから、旅をする人の多さ。これは、彼らは本当にびっくりしています。ヨーロッ
パ人で本当に商売のために旅をするとか、学問のためとかという方以外、いわゆる普通の市民が
旅をし始めるようになったのが、ちょうどそのころ、1850年ぐらいです。トーマス・クックとい
う旅行会社が団体旅行をまずイギリスの国内で始めた。これもしかし、蒸気機関車が走り始めて
からですから、そういう近代化の中で旅行ブームが起こってくるのですが、この二つ目の丸のと
ころに書きましたように、
「日本は世界で最初の観光旅行が全国に行き渡った国」なんです。大体
ですから江戸の中期、1750年くらいから、もうあちらこちらの市民が観光旅行に出かけました。
江戸の何町のご一行が鎌倉へ行くとか、大山詣でに行くとか、大阪の方たちがまとまってどこへ
行く。大体六、七十年に一遍、お伊勢参りというとてつもないブームが起りまして、あのときは
日本の人口の15%くらいの人がてくてく、てくてく歩いて、このお伊勢様にお参りになるという
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不思議なブームが何回もあったんですけれども、それを除いても、ものすごい数の方たちが観光
旅行を始めました。ですから、今ここに観光業界の方、トラベルエージェンシーの方も宿屋の方
もたくさんおいでですけれども、そういうビジネスができましたのも日本が最初です。特にこの
トラベルエージェンシーに当たるものは江戸の中期にできました。
当時の方たちは、旅行に行くときには道中手形、また関所手形、そういうものを取らなきゃいけ
ないんですけれども、既にトラベルエージェンシーの前身がありまして、何々町のご一行が20人
で、では箱根を越してどこかへ行くと。合計4日の行程であるとしますと、そのエージェンシー
の方がまとめて関所手形を取って、皆様のパスポートにかわる旅行手形も彼らが取って、草鞋、
脚絆も全部やって、つえも持ってきてくれて、それで全員を引率して出かけると、こういう団体
旅行が始まったのが江戸の中期でございますから、大体ヨーロッパの団体旅行が始まる約1世紀
前に日本はそういうことが始まりました。
ここに1枚、こういう絵を挟みましたので、ちょっと見ていただきたいのですけれども、これは
江戸の高輪の宿、泉岳寺のある高輪でございますね。この絵は、手前のこっちの方へずっと行き
ますと、これは日本橋です。ここを通って、こういうふうに来ますと、これは品川の宿に入りま
す。品川と日本橋の間に、ここに高輪がありまして、ここが東海道の正式な出発点、江戸として
の東海道の出発点です。
ここにたくさんの旅人があります。ここでお別れをしていますし、武家もいれば、町人もいるし、
ここはご婦人たちの旅行です。ここにあります。荷物がある。こういう形で、実は東海道という
のは、これまたさっきの外国人の話になりますけれども、このころ、幕末に来た外国人が、
「日本
の街道には我が国の首都の目抜き通りと同じくらいの旅行者が歩いている」と、こういうふうに
彼ら、日記に書いておりますので、いかにヨーロッパと日本と違ったかということがありわかり
ます。
ここがお見送りに来た人と旅行者が送別をする場所なんです。また、東海道でやって来た人がお
迎えの場所なんです。当時の習慣としては、送別には必ず一杯飲む。送別の宴を張ることになり
ますので、ここにある建物は、これは、下は魚屋さんですが、上は料理屋さんになっています。
ここで今、上でお酒を飲んでいるところは、これは送別に来た方と、去っていく、旅を出発する
方がここでお別れのうたげを張っているところでございます。
とてもおもしろいと思いますのは、ここに看板がございますでしょう。立っているんですけれど
も、ここに「小田原町の連様」と、こう書いてあるんです。ですから、小田原町の人たちが連を
つくって、これは江ノ島まで行くのか、大山へ行くのか、どこへ行くのかわかりません。川崎の
大師様かもしれないですけれども、どこかに出かける。ここがそのお別れの、まず一杯飲む場所
になっている。今でも日本の宿屋さんに団体で行くことになりますと、入り口のところに、こう
「何とか様」と、こういうのが並びますね。私の若いころでいえば、
「日本郵船定航部御一同様」
とか、こういうのがこう立っています。それと同じことが実はもう江戸時代に起こっておりまし
て、この宿屋では、ここに小田原町の人がきょうここで宴会をします。こういう札が立っており
ます。ですから、これが大体1800年くらいの絵でございますから、宿屋さんがそういう団体のお
客さまを受ける、ああいう札を出す習慣というのは、約200年は尐なくとも続いているということ
がこの絵から見ていただけるのだろうと思います。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
この宴会を見ていただきますと、食べ物は全部2階に、畳の上にじかかお膳でございます。今み
たいにテーブルの上に食事を並べるというのは、一般の家庭にしても、大体明治の半ば、大正以
降くらいでして、江戸の時代は全部食べ物は畳の上にお膳を置くか、高い足のついたお膳は非常
に高級なことになるわけですけれども、そういうことで、一人一人にサーブされました。
ですから、今、一番伝統的な食事の仕方というのは、宿屋さんの広間で10人なり20人が一人一人
のお膳を前にして畳の上にあぐらをかいて食べる。これが日本に残っている食事のルールとして
は最も江戸時代を忠実に再現した食べ方であるということになります。
ここにも女性たちが歩いていますけれども、この2番目の丸のところに、
「日本は世界で最初の観
光旅行国である」と。それから、
「女性たちの旅は驚異的」と書きました。ヨーロッパで女性たち
が旅をするということは、本当に19世紀、20世紀に入るころまでほとんどありませんでした。女
性たちは自分の住んでいるところ、周りの村という範囲しか出なかったんですが、日本はまるで
違います。ここに書きました女性たちの旅行のスケジュールがちょっと書いてありますので見て
いただきたいんですけれども、これは、もう相当江戸時代も末の方になりますが、福岡の商家の
「米伝」のお店の主婦の桑原久子さん、51歳。同じく、
「小松屋」の主婦、小田宅子さん、53歳。
もうお一方、3人の女性が福岡から日光詣でに出かけたんです。天保13年ですから1843年のこと
です。博多から、まず安芸の宮島へ行かれました。それから、讃岐の金比羅様にお参りをして大
阪へ行った。大阪をゆっくり遊んでから奈良へ行かれまして、奈良で長い間、お寺めぐりをして
いく。吉野の桜を見に下がられます。それで、お伊勢様にお参りをして、中山道を通って長野の
善光寺にお参りに行きました。善光寺から日光へ来られて、目的である日光参りをして、江戸へ
来ました。江戸で約20日間、芝居を見たり、江戸見物をしたりして、江ノ島の弁天様に参られて、
そこからもう一遍信州に入りまして諏訪大明神にお参りをした。それから美濃の養老の滝を見て
京都へ来た。京都見物をゆっくりしてから大阪へ行った。そこから船で博多に帰ったんです。こ
の期間で、期間は5か月。歩いた距離が800里。3,200キロメートルです。
この間、3人はまことに、これは歌をつくるのがご趣味の仲間ですから、至るところで歌枕があ
れば、そこで和歌をつくり、宿屋に行き、もう一つおもしろいのは、当時の女性たちは、いろい
ろなところで芸者を上げて騒いでいます。女同士でもうぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、大変楽し
かったみたいです。そういうことをやって歩いています。
驚くべきことは、5か月、女性たちだけで旅行して、この方たちの旅行記を見ますと、一度も危
ない目に遭ってないんです。馬子におどされたとか、泥棒に遭ったとかも一切なし。お金は、だ
から相当なお金持ちの方たちですが、筑前の本家から行く先々の主だったところに為替のあれが
行っていますから、そこでキャッシュできるわけです。女性たちですからお買い物もたくさんな
さいます。それはまた街道の問屋に持っていって、
「これは筑前福岡の米伝に着払いで持っていっ
てちょうだい」と、こう言われますと、
「はい」と言って、そこから荷物だけぴゅうっと先に行っ
てしまう。
ですから、今、私たちがやっている旅行の大変多くの部分は江戸時代にできて、しかも女性たち
がこういう旅をして歩いているというのが大変驚異的なことであります。これだけの歴史が日本
の観光業にはあるわけでございまして、ですから僕は、日本の宿屋さんのシステムであり、観光
のシステムというのは、大変に洗練されたものだなというふうに感じます。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
私、日本郵船という会社でニューヨークに前後6年おりまして、学生のときにロンドンに2年お
りまして、赤ん坊のときにはサンフランシスコにいたのですけれども、これは赤ん坊ですから何
も覚えてないのですが、ずっとあちらで仕事をしながら、またここにも書きましたけれども、大
体行った国が50か国、海外旅行は300回と書きましたけれども、ちょっと数えたらもうちょっと
多いかもしれません。無論これはビジネスで飛んで回っていますから、何も一々あっちこっち見
ているわけじゃなくて、ぽーんと飛んで会議をして、その夜打ち合わせをして、翌朝帰っちゃう
というふうなことが大半ですけれども、このくらい飛行機会社には貢献をしてまいりました。
もう、ですから、最初に行ったのは19歳で、ちょうど50年前ですから、50年間、外国と行ったり
来たり、行ったり来たりした生活をしてきたわけですけれども、観光の話だということでいろい
ろ考えていました。一体どこ、何が一番僕の心の中に残ったり、懐かしいというふうになるかな
と申しますと、これだけ行ったり来たりしていますと、すべてはもう往時ぼうぼうとして夢のご
とくなってしまうのですが、一番覚えているのが、人と人との触れ合いみたいなことなんです。
景色ももう茫漠としてまいりますし、いろいろなことも茫漠としてくるけれども、例えば、あそ
こであんなおかしなやつと会ってこんなことがあったとか、そういうことだけはくっきり覚えて
います。これはどこの旅だったんだかなんてもうとてもわかりません。ですから、観光と旅とい
うことを考えますときに、僕はここに「人との触れ合いが決め手」と書きましたけれども、それ
から、
「笑顔、誠実、親切」と書きましたけれども、こういうことがやはりいろいろなことの中で
も一番の基礎だろうと。特に僕は子供を連れて、最初にニューヨークに行ったときに子供3人連
れて、フランスや何かずうっとヨーロッパをめぐったのですけれども、まあ子供たちが3人もい
るものですからあっちこっちで大騒ぎになるわけですが、そういうときに、町のおばさんや村の
おじいさんや何かが総出で助けてくれたりなんかした、そういうことというのは、もういつまで
たっても覚えている。
逆に、ロンドンのホテルへぱっと行って会議をして、ぱっと帰ってきちゃうなんていうのは、も
うそれは何十回やったって同じですから、ほとんど記憶には残らないのですが、本当に人と人と
の触れ合いということが一番記憶に残ることでした。
最後に、
「蒲郡の魅力」というところで書きました。まだここに行く前にちょっとお話をもう尐し
しておきたいと思います。
観光業、先ほども日本の観光業の魅力ということを申しました。僕は蒲郡に人を寄せつける、こ
れからは日本人の対象も多いのでしょうけれども、外国人を対象とする観光というのが、これか
ら日本にとっては大変貴重なことになるだろう。これは無論、
「ビジット・ジャパン・キャンペー
ン」で、今度、本保さんというとても優秀なすばらしい方が観光庁の長官になられて、ますます
この「ビジット・ジャパン」をしていらっしゃるのだと思いますが、確かに若干痛しかゆしのと
ころがありまして、どうっと団体がお隣の国から入ってきて、どうやってそれを受けるんだとか、
露天風呂でそれをどうするんだ、エチケットの違いとか、感性の違いがあるでしょうから、いろ
いろなことがあると思いますけれども、それを乗り越えても、外国人観光客がもっともっと僕は
日本に来て当然だと思うくらい日本という国は魅力のある国なのです。
その魅力のある日本にどうして外国人が余り来ないのだろうか、呼び込めないのかというと、そ
こには言葉とかいろいろなネックがある。あることはあるのだけれども、これからはますます彼
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
れらが入ってくることを拒絶しないで、受けていかないと日本の観光は伸びないのだろうなと思
っています。
ここに、
「笑顔と誠実と親切」と書きました。これは先ほど、幕末、日本を訪れた方たちの日本で
びっくりしたこと。見てみますと、これは全部今日の日本にそのまま当てはまるんです。世界じ
ゅう歩いてきまして、まず日本の清潔さ、安全さ、正直さ。これは圧倒的です。中近東のマーケ
ットですと、大体、
「これは100」と言ったらば、向こうが考えている売値は50。うまくいけば40
で買えるかと、こういう長い長い交渉に入るわけですけれども、日本はそういうことが一切ない
です。100だったら100、50円のものは50。吹っかけはゼロです。
チップの問題があります。外国を回っていてチップ、レストランでもそうですけれども、このチ
ップというのは実は大変頭が痛い問題です。これはレストランですけれども、僕は2回目のニュ
ーヨークのときは向こうの一番上だったものですから、東京からいろいろな、トヨタさんの社長
さんとか偉い方が来られる、その接待、接待というか、御飯を食べなきゃいけない。ニューヨー
クのレストランほどチップによる差別の露骨な国はございません。ですから、ここは日本人連れ
てきて、これからも使いたいなと思うホテル、またはご指定があったら、
「あそこで食いたい」と。
そうすると前の週に行って、まあ普通、今もチップは25%くらいなんですけれども、目の玉飛び
出るようなチップを払った上に、そのボーイ長に、
「いやあ、きょうはよかった」と言って100ド
ルくらいつかませますと、その次に行ったときには、もう僕は200年の友達のような扱いを受けま
す。飛びついてきます。
「Mr. Tokugawa」
。こういうふうになるのにはそれなりの投資をしないと
いけないわけですが、大事なお客さまを連れていきますときに、やっぱり窓際のいい部屋をとる
とか、何とかというためにはそれだけのその種まきをそのレストランで前にしていませんと、注
文はとりに来ないわ、出てくるのは遅いわ、
「急いでいるからお勘定を持ってこい」と言っても20
分も持ってこないとか、そういうことが続出します。
日本は格差の国になってきたとか何とか言いますけれども、露骨な格差というのはアメリカの生
活では至るところに起ります。金を払えば一番いい病院に入れるけれども、お金がなければ、
「も
う帰ってくれ」と。レストランでもそうですよ。お金を、チップを払えばいいところへ連れてい
くけれども、チップが安いと思ったら、その次行っても振り返ってもくれない。西洋って大体そ
ういうふうなことになっちゃったんです。ところが日本は全く違います。どのお宅にもにこにこ
と受けてくれる。ですから、外国人、僕のつき合っている西洋人というか、ヨーロッパ人、アメ
リカ人は日本が本当に好きです。
あるやつは、一遍日本に4年くらい駐在していてロンドンに帰ったのですけれども、もう定年で
やめて帰ったのですが、あんまりイギリスに住むのが嫌で、結局また日本に戻ってきました。今、
葉山に住んでいますが、日本の方がいいと。安全で人々が優しくて、食べ物はうまいし、とにか
く暮らしやすい。
ですから、日本に住んでいるといろいろなことが逆になるかもしれないんですが、まさに日本は
そういう魅力に満ちあふれているんです。ですから、これからもっともっと外国のお客さまが入
ってきて僕は当然だと思うし、その方たちを受けていくことが日本の観光業の伸びる道だと思い
ます。サービスはいいですし、皆様親切ですし、にっこり笑ってくださるし、こんな国ってほか
にはまずないのです。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
もう一つ、外国人がとても気に言っているのは、レストランの前にショーケースがあって、ラー
メンとか、ビフテキとか、こう出てますでしょ。あんなもの出ているのは世界じゅうで日本しか
ないんです。あれがね、もう外国人たち大好きで、よくお店に入ってから店の人を引っ張りだし
て、夫婦でもってあそこを指さしながら、
「これは何だ」とかやっていますから、あのシステムは
ぜひあちらこちらでお続けいただくと外国人にはとても親切だと思います。
最後に、「歴史、海、温泉、食事」、蒲郡の話ですけれども、書きました。先ほどのあの篠田先生
のお話にもありましたように、僕はけさ、そのおっしゃった竹島の辺を歩きました。本当にすば
らしいところだと思いました。ただ、もう一つ何か決め手がないというふうな感じはどうしても
いたしました。温泉も分散しているし、何となく決め手がないところだなあと思いました。どこ
に対象を絞り込んでいくのかとか、そういうこともこれからのことだと思います。
最後に、
「自然で何げない歓迎の心が町じゅうにあふれることが決め手」と書きました。これは僕
があちらこちらを回ってきた感じですけれども、ホテルの人がにこやかに迎えてくれるのは、基
本的にこれは最低限ですが、町の人たちが外国人に向かって、にこっと笑いかけてくれる。言葉
が通じなくても平気でにこにこ笑って、
「これはどうだ、あれはどうだ」と親切にしてくれる。こ
れはものすごくうれしいんです。ホテルはいいです。一般の町の方が外国人に優しく受けてくれ
ると、その町はものすごくいい印象を与えてくれる。
外国人のいいところは、一度好印象で帰りますと、必ず、「あそこはよかった、ここはよかった」
というふうに言います。これは日本もよく、皆様、昔を覚えておられると思いますけれども、外
国旅行が珍しかったころは、
「アメしょん」と言って、アメリカにおしっこだけしに行ってお帰り
になられた方も、基調報告会を開いて、「アメリカでは」という言葉を30分に40回くらいお話し
になったりするのを僕も何回か聞きましたけれども、これはアジアの国々ではまだ非常にそれに
近いことが起こると思います。買い物が安い、特にブランド物が大変安いとか、いろいろなこと
があるのですが、そういう一つの最初の刹那的な部分を乗り越えますと、もう尐しハイレベルの
というか、もっと旅自身を楽しむ方がこれから出てこられると思うんです。この方たちをリピー
ターで引き取っていくためには、何かすばらしい目玉のあることも大切ですけれども、この町の
人みんなが温かい心で迎えてくれる。例えば、朝、外国人らしい人がいたらば、
「おはようござい
ます」と言ってくれてすれ違うだけで、その町の印象は全く変わってしまいます。アメリカで田
舎の町を歩いていて、だれがすれ違いに「Good Morning」と言ってくれれば、何となくその日は
1日、
「いい町だな」という感じになりますから。そういう町全体の盛り上がりというか、何とい
うのか、心配り、温かさみたいなものがきっとこれから支えていくのだと思うのです。
これから旅行スタイルが今までのような旅行スタイルから随分変わってくるだろうという話、先
ほど須田さんから伺って、いわゆる、ニューツーリズムということになってくる、もっともっと
体験型であるとかいうふうに変わっていくだろう。そういう新しい試みの中で、観光業のプロじ
ゃない人たち、そういう一般の方が一緒になって盛り上げていってくれると、本当に温かい、い
いことができてくるだろうというふうに思いました。
最後に、きのう、お話しすることと余り関係ないと思っていたのですが、
「德川さん、どうしても
もう尐し天璋院のことをしゃべれ」と、こういう厳命がございまして、ちょっとだけ天璋院様の
その後と私どもの家ということをお話をしておきます。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
天璋院様は最後には江戸城を立ち退かれて、都内というか、江戸の中、数か所を回って、最後に
千駄ヶ谷というところに住まわれるのですが、慶喜様という方は、もう蟄居してしまわれて、一
切何もなさらず、何も言わずに身を引かれたわけです。その後の德川家をどうするかということ
で、「田安德川家」という德川の一門のうちから6歳の男の子、德川家達(とくがわいえさと)、
「さと」というのは「達」
、達成するときの「達」という字です。家達という者が6歳で德川の跡
を取ることになりました。それで駿河70万石、静岡の70万国の大名になる。これは2年後にはも
う廃藩置県で帰ってしまうわけですが、この6歳の男の子の教育をばしばしばしっとなさったの
が天璋院。
天璋院様はその後、家達が15になりますと、家達をロンドン、イギリスに送り出します。家達は
5年間、イギリスで、最初は個人教育で、それからイートンに入って、オックスフォードに入る
というときに天璋院様のご命令で東京に呼び返されて、そこで、近衛家のお姫様と結婚をします。
その結婚を見届けて天璋院様は亡くなられるのです。そのときのご遺言が、この家達と、この近
衛家のお姫様の間に男の子が生まれたらば島津家からお嫁さんをもらいなさいと、こういうご遺
言をされました。生まれてきた子供が家正というのですが、島津家からお姫様をとって、これが
17代目になります。この2人が私の祖父でございまして、男の子がいたのですが死んでしまった
ものですから、私はその娘の子供が、要すれば、母方の祖父の家を継いだ形で18代目に入りまし
た。
天璋院様がこの新しい德川家、慶喜様で一遍終わった德川家、天璋院様のお考えは、ここからも
う一遍新しい德川家をつくるという考え方ですから、天璋院さまがつくられた家風の中で私ども
の家は明治からこれで140年ですか、やってきたわけです。
とにかく、
「質素であれ」ということがもう大変に厳しい命令でございまして、私の母なんかがよ
く言いますけれども、女子学習院なんかに通っていて、まだ制服になる前で明治でございますか
ら、よその殿様のお姫様たちがきれいな着物で来るのに、この德川の本家から行く人は、何かも
う木綿である。よそのおうちの人力車にゴムのタイヤがついても、うちのは鉄の輪のままだった
とか、いろいろな不思議なことを言うのですが、大変に質素。質素、質素ということでうちはず
っとやってまいりました。
ですから、家達の奥方の近衛家から来られたお姫様も、布団の綿を取りかえるとか、夏、冬の着
物を全部一遍洗って、洗い張りをして、また縫い直すわけですけれども、女中たちを率いて、全
部そういうことを手ずからやったというふうに母なんかから聞いております。
いただき物のお菓子、あちこちからいただき物の菓子があるわけです。それで、日光の、東照宮
もありますし、しょっちゅうお菓子や何かを送ってくるのですが、日光の日乃輪まんじゅうとい
う大変名物のまんじゅうがあるんですが、これは歯が立たないほどかたいものだというふうに僕
は子供のときから思っておりました。いただき物はみんな箱に入って、中奥という部屋の棚に置
かれまして、古い順番におやつで出てくるわけです。そこで、私、祖父であり養父である父が亡
くなってから日光へまいりましたらば、日乃輪まんじゅうというのは大変柔らかいものであるこ
とが初めてわかりました。すごくおいしいものなのです。私がうちで食べておりましたのは、東
照宮から届きまして、大体半年くらいたったお菓子を私どもは食べさせられておりましたけれど
も、これが天璋院さまのおつくりになりました我が家の新しい家風でございます。別に古い物に
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
して食えというのが家風ということではなくて、そういう意味で非常に質素にあれと。とにかく
質素に、質素に。決して華やかにお金持ち風のことにはするなと。そのかわり家は正しく治めろ
ということだったと思います。
大正12年に、これも天璋院様が亡くなったずっと後ですけれども、関東大震災が東京でありまし
た。その後、流言飛語がいろいろ飛んで、火をつけるとか、井戸に毒薬を入れるとか、そういう
ことがあったんですけれども、暴徒に襲われないように、各華族さんたち、皆様、門をぴしっと
閉じたんです。ところがうちの德川家だけはだあっと門をあけて、広い庭にテントを張って、持
っているお米を全部炊き出しをして避難民を庭に入れたのです。そのときの新聞の批評が、
「さす
がは德川家」と言ってくれるのかと思ったら、「さすがは天璋院様がお建てになった家」、こうい
うふうに実は書かれました。ということは、江戸の方たちから見ると、新しい德川家というのは、
これは天璋院さまがおつくりになった新しい家であると、こういうふうな感じで受け取っていた
ということのようでございました。
何か観光の話に取ってつけたようなてんぷら天璋院様で申しわけなかったのですけれども、ご要
望もありましたので、そういう話をして私のお話といたします。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
実録~記念座談会「蒲郡の魅力、2008 観光交流ウィークにて」
(敬称略)
◎出席者
コーディネーター/
(社)日本観光協会中部支部長・ 須田
パネリスト/
映画監督・ 篠田正浩
寬
德川記念財団理事長・ 德川恒孝
蒲郡市長・ 金原久雄
司会: それではお待たせいたしました。
講演会の部、後半のプログラム「サミット記念座談会」を始めさせていただきます。
どうそ今、お越しいただきました方、前の方よりお詰めいただきましてお座りいただければと思
います。
それではまずは、パネリストからご紹介いたします。
先ほど基調講演をいただきました篠田正浩さんです。続いて、特別講演をいただきました德川恒
孝さんです。開催地、蒲郡を代表して金原久雄蒲郡市長にも加わっていただきます。そしてコー
ディネーターは社団法人日本観光協会中部支部長の須田 寬さんです。
サミット記念座談会、テーマは「蒲郡の魅力2008観光交流ウィークにて」、それでは、ここから
の進行はコーディネーターの須田さんにお願いいたします。
須田: ただいまご紹介をいただきました須田でございます。お歴々を前にいたしておりますので、
若干上がりぎみでございますので、私が僣越なコーディネーターをしないでも、十分立派なお話
をしていただける方々ばかりでございますが、進行係ということで、しばらくやらせていただき
ますので、どうかひとつよろしくお願いいたします。
先ほどは非常に興味深いお話をお二方から拝聴することができました。私も蒲郡はよく伺うので
ございますけれども、なかなか普段感じなかったようなところをご指摘いただきました。ただ東
海道新幹線がここに駅がないものでありますから、岡崎にはよくおいでになれるけれども、なか
なか蒲郡においでになれないというお話を承りまして、大変申しわけないと思っております。な
るべくアクセスには努力をいたしまして、これから諸先生方にも始終おいでいただけるような努
力をしてまいりたいと考えております。本当に両先生ありがとうございました。
それでは最初、先ほどご講演をいただきませんでしたので、この会合では初めてのご出席でござ
いますので、金原市長さんから、先ほどの2人の講演内容等も念頭に置きながらお話を承りたい
と思いますのでよろしくお願いいたします。
金原: 蒲郡市長の金原でございます。
きょうは大勢の皆様が市内、そして市外から、このサミットにお越しいただきまして、どうもう
ありがとうございます。今、お話を伺っていて、蒲郡は海があり歴史があり、それが尐し生かし
切れていないのではないかなというご指摘がありました。私も確かにそのとおりだなと。いろい
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
ろな旅館さんたちは、旅館さんたちの立場があり、マリンスポーツ、海を中心とした町というこ
とでありますけれども、私も昨年の選挙で、今まで万博の時には100万人のお客さんに泊まってい
ただきましたが、また、もとの80万尐しになっているものですから、私の任期中、4年間にぜひ
20%アップをということで、蒲郡の観光としての産業が活性化するよう、もっともっと蒲郡が元
気になるということで提唱して、皆さんに頑張っていただいているところで、もうすぐ半年がた
ってしまいました。これからの蒲郡をどうしていこうかということで、きょうはすばらしいサミ
ットを開催していただきました皆さんに、改めてお礼を申し上げたいと思います。
私はやはり、この歴史を大切にしたいと思うんですけれども、来るお客さんによっては、
「歴史な
んかどうでもいいよ」とか、
「尐しのんびりしたいな、ちょっぴり健康になりたいな」というよう
な方にはアンチエイジングを提唱すればいいし、もっともっと、そういう「歴史を知りたい」と
いう方には、観光ボランティアの方に詳しい蒲郡の、先ほど言われた俊成さん、定家さんのつな
がりを言って、冷泉家というすばらしいつながりも今、構築できておりますので、そういうとこ
ろで売っていきたいなと思います。
私もいろいろ旅行をしますけれども、やはりアメリカへ行くと、友人のところへ泊まって、朝ジ
ョギングや散歩をした時に「やあ、はい」と言ってくれるのは本当に、初めは煩わしいほどです
けれども、後からやはり気分のいいものだなと。よく東京の方が蒲郡に見えて、
「竹島を朝散歩す
ると、あいさつをされるんですけれども、蒲郡というところはみんなああやってあいさつするの
か」と、
「東京では知らない人に声をかけたら、尐し怖いんだぞ」とよく言われますけど、そうい
う下地は十分できているんではないかなと思っておりますので、みんなで頑張っていきたいと思
います。
須田: ありがとうございました。それでは先ほど私、この席の方でお二方のお話を承りました。
私も非常に感銘を受けたのでございますけれども、私が先ほどのお話を承っておりまして、なお
一言お聞きしたいなというようなことがお二方にそれぞれございますので、その点尐し最初にお
聞きいたしまして、話を始めてまいりたいと思っております。
まず德川理事長にお伺いしたいわけですけれども、観光地の一つの受け入れ体制と申しますか、
お客様へのもてなし、そういったことについて、どういうようなことを考えたらいいかというこ
とについて、非常に具体的なお話をちょうだいいたしました。特に「笑顔」
、
「親切」
、
「誠実」、こ
の三つが一番大事だと。私も笑顔がないところには観光はないと存じます。したがって、これは
非常に私もそのとおりだと存じますけれども、その中で最後にこういうことをおっしゃいました。
「何げない歓迎の心が町じゅうにあふれることが決め手だ」というようなことでございました。
これは後の篠田先生のお話にも尐しあるんでありますけれども、観光というのはわざとらしいも
てなしではなしに、何げないというところが非常に私はポイントだというように思うわけでござ
います。具体的に蒲郡にきょうおいでいただいたわけでございますけれども、蒲郡で何げない心
が町じゅうにあふれているのかどうか、これからあふれさせるためにはどうしたらいいのか。何
かそういったところについて、端的にお気づきの点がありましたらお教えいただければと思うん
でございますが、いかがでしょうか。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
德川: きのう午後まいりまして、安楽寺と竹島ということで、まだ町の中を飲み歩いたりしてい
ないものですから。これは飲み歩くようになりますと、非常に適切なことが申し上げられるんで
すけれども、それは次の回にということでございます。尐し歩いていらっしゃる方の数が、ウイ
ークデーですからそれほどおられないし、あちらから車でまいりました時の商店会の外れの方は、
ずっとシャッターがおりているという状況ですから、これはどこの町にも恐らく起こっている。
大規模なところへ人が来てしまって、町全体のにぎわいがなくなる。これもいたし方ないことだ
ろうと思います。
ですから、いろいろな方が歩かれた時、先ほど篠田先生もおっしゃいましたけれども、尐し集ま
るところで、明るく皆様が受けてくださるようなことがあれば、ラグーナにフィッシャーマンズ
ワーフがついているとか、何かもう尐しアトラクティブな魅力のあるポイントが一つか二つでき
ると非常にいいのではないかなと。温泉も分かれておりますし、ラグーナもこっちにありますし、
竹島もここですしということで、面にはなっているけれども、ポイントがもう尐しあって、そこ
が中心になるようなことがあると、しかも別に余り人工的に何かつくったということではなくて、
そういうものが町の魅力を増すのではないかなと思いました。
須田: ありがとうございました。シャッターがおりているというのは、確かに今、地方都市どこ
にまいりましても大きな問題でございまして、なぜか知りませんけれども、駅に近くなるほどシ
ャッターが多くなるというんですね。大変残念なことでございますが、今のお話にありましたよ
うにアトラクティブなポイント、つまり魅力的な場所、先ほどお話が出てきたようなフィッシャ
ーマンズワーフとか、この港の海岸の周辺なんかは、私はこれをうまく造成すれば魅力的な場所
になると思うんでありますが、そんなことについて一工夫欲しいなというようなお話があったよ
うに思います。
尐し篠田先生にもお伺いしたいんでございますけれども、さっきこういうお話がございましたね。
竹島の橋を見ていると、あれば古代から中世、近世にかけての一つの大きな筋を一本通した橋の
ように見えると。
それから今度は蒲郡ホテルのお話がございましたが、蒲郡ホテルを見ておりますと、あれはお城
の形をしていると。日本の形だと。しかし中は西洋のものなんだと。東洋と西洋があの中に一緒
に交わっているんだと。竹島の橋は古代から近世までつながっている。ちょうどその交点のよう
なところに確かに蒲郡があると。そんなようなお話がございました。大変おもしろい見方をなさ
って、蒲郡というものの性格がよくわかったわけでございますけれども、その古代と近世の中核
にふさわしいような町として、蒲郡が今発展しているのかどうか。また、発展するには、一言で
もおっしゃっていただければ、どんなところに注意をすればいいかということをワンポイントで
お教えいただければと思いますが、いかがでしょう。
篠田:
今さっき、德川さんがおっしゃたように、町のポイントが必要だということと関連してく
ると思いますけれども、やはり蒲郡は竹島というのがへそで、これがなくなったら蒲郡でなくな
ると。その線上にプリンスホテルがあって、このホテルが日本における近代というものが、いか
に伝統と西洋と衝突して、それをどうやって調和させるかという英知が、僕は固まっていると思
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
うんですよね。そういうようにして、蒲郡の駅からおりてみたんですね。すると、海の側から建
物を見るといい町が見えるんですけれども、駅から海に向かっていくアプローチが全然工夫がな
されていないと。例えば、生命の科学館なんて、なかなかデザインがいい建物なんですけれども、
これは駅からおりて見るアプローチがいろいろ遮られていると。ホテルの横に水族館があるんで
すけれども、むしろが張ってあって、これが近代的な水族館なのかというように見えないんです
ね。これから神聖な竹島に向かっていくアプローチの中に、現代的な僕は建物が建って、このコ
ントラストはとてもいいと思うんですけれども、その建物の全体像が隠れて、よしず張りだった
り、そういうもので囲まれていて、なかなか蒲郡のハートがビジターにぱっと伝わるような計算
がなされていないんではないかなと。
それで、温泉も三谷温泉なんかは、なかなか山合いにあって、多分この温泉宿に入ったら、とて
もいい景色があって、とてもうまい食事が出るだろうということがわかるんですね。メニューな
んかはとてもいいだろうと思うんですよね。ところが観光案内の蒲郡の飲みどころ、食いどころ、
德川さんも一杯行けるようになったらいいなという、そういう飲みどころの案内はよくできてい
るんですけれども、昼間だったらどこにそれがあるのかわからないと。ビジターにとって、蒲郡
は夕方になったらどこに行けばいいのかということがわからない。
それでこれは日本の温泉町の通例なんですけれども、いい店はこの温泉町にあると。でも宿屋で
飯を食わされたら、もうそこに行けないではないか。だったら宿屋は飯を出してくれるなという
くらい、ホテル並みのメニューができていれば、ホテルで飯を食べるか、外で飯を食べるか。外
で飯を食べる時、例えば普通の西洋流のホテルですと、コンシェルジュがいて、
「町に行けば、ど
こどこにこういううまい物が食べられますよ」と教えてくれるんですよね。でも日本の旅館は絶
対にそんなことは教えないですよね。これはやはり、現代の日本人のライフスタイルがどっちに
向かうかという問題にかかわってくると。それが町の形を形成するのにも、僕は大きな問題にな
ってくるだろうと思うんですね。
とにかく、蒲郡の駅からおりて真っすぐに海に向かって歩くと、いろいろな観光客に向かってメ
ッセージが送れるような町の形になっていないのが残念ではないかと思います。
須田: 海から駅へのアプローチが余りないと。駅から海へもないと。つまり双方向のアプローチ
がもっとあれば、蒲郡のいろいろな町がもっと調和してよくなるのではないかというお話があっ
たことと、おもしろい発想かと思いますけれども、要するに長のれん、赤ちょうちんの昼間版が
ないということですね。昼間ふらっと気軽な気持ちで動くところがない。それが何かないだろう
かというようなお話でございました。お二方の先生に共通している問題として、普段の演出と申
しますか、そんなようなところが、先ほどのおもてなしの德川理事長の話もそうでございました
し、今のお話もそうなんでありますけれども、何かそういう何げない一つのものといいますか、
さりげないものが何か尐し欲しいなというお話だったように思いますが、市長さん、いかがでご
ざいますか。そういうことにつきまして。
金原: 蒲郡鉄道高架がことしの3月に完成して、先ほど須田さんに褒めていただきましたけれど
も、確かに私どもも蒲郡のシンボルである竹島へのアプローチということをいろいろと考えてお
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
りますけれども、なかなか財政難で県にやってもらおうというような魂胆があるものですから、
なかなか進みません。これは反省点として早速取りかかってまいりたいと。ここをずっとボード
ウォークですとか、いろいろな形で考えた、商工会議所からも提案をいただいた構想があります
ので、早速かかっていきたいと思います。
須田: これからは自由にご発言をいただければと思いますので、余り私がちょっかいを出さない
方がいいと思いますが、市長さんから、お二人の先生方に対するいろいろご質問なり、ご意見。
それから両先生の方からは市長さんに対する注文ですね、具体的な。何かそんなことを中心にし
ばらくの時間お話をいただければと思っておりますが。どなたからでも結構でございますけれど
も、ひとつそれではお願いします。
金原: 今、監督の方からご指摘がありましたけれども、私はこれから2割アップしていくには、
やはり連泊をしていかなければふえていかないという部分もあるものですから、やはり初めは泊
まったら普通の旅館のごちそうでもいいんですけれども、次は町の中のおいしい料理屋さんへ行
って自由に食べる。また、2日目の昼はどこかおいしいところを紹介してもらって、うどん屋さ
ん、ラーメン屋さん、いろいろいなものがあるかと思うんですけれども、あるいは豊橋へ足を伸
ばして菜めし田楽や、岡崎でも、そういう形で旅館さんも対忚していただかないと連泊には結び
つかないのではないかなということは、常々提言をしているところです。
須田: 篠田先生何か。
篠田: 人間というのは、生きるということは結構つらい存在だと思うんですね。蒲郡にいて一番
つらい人たちは、多分名古屋、豊橋で働いている人だろうと思うんですね。こういう人たちが週
末にすっと蒲郡へ来て海を眺めてぼやっとしたら、おまけに温泉まであって、時にはレストラン
に入ってすばらしい食べ物を食べられる。もう一つ欲を出してヨットに乗れるというライフスタ
イルが、年収500万円ぐらいあれば何とかやっていけるのではないかと、僕は思うんですけれども。
実はきのう、こういう席で申し上げますけれども、私と同い年の広島テレビの元会長が亡くなっ
てお葬式に行ってきたんですね。彼は鎌倉で育って、しゃきしゃきでニューヨークの読売新聞の
記者をやっていたんですが、それが広島へ行ったんですね。母方の故郷だということもあって広
島に赴任して、結局、広島に居ついて、そのまま自分の生涯を終えたんですけれども、何がそん
なに広島が彼の足をとめたかというのをずっと見ていますと、彼にとってゴルフとヨットだった
んですね。広島はマリーナが太田川を挟んで海に出られると。ジャーナリストとして、テレビ屋
さんとして大変苦労した男ですけれども、海でどのくらい救われたかしれないということを、常々
言っていました。私は、蒲郡は、これから名古屋も摩天楼も建ち始めて、ますます都会化してく
ると思うんですね。そしてこれからの世界経済のピンチに対忚して、もっともっと必要なのは彼
らを慰め、励ます、そういう懐のあるもう一つの安住の土地が必要だと思いますね。そういう意
味では、この蒲郡はものすごくいいポジションをとっていると。
東京で伊豆半島というすばらしい温泉地と風景があるんですけれども、東京から伊豆半島へ来る
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
というのはとても大変なんですね。ところが、昔の国鉄、もうJRになっていましたか、伊豆の
踊り子号という、川端康成のあれですね。伊豆の踊り子にネーミングをとって、列車は伊豆の踊
り子号を走らせたら、伊豆半島にしっかりツーリストが集まるようになった。私はこの蒲郡につ
いて何か話せと言われた時に、一番最初に乗ったのは東海道本線に乗ってで、昔見えたこの蒲郡
のプリンスホテルを車窓から眺めようと思って乗ったんですね。名古屋駅から乗ると、大府から
ずっとやってくると、全部通勤列車なんですね。日常生活を全身に浴びながら、これから蒲郡へ
遊びに行くという気持ちになれないんですね。岡崎を過ぎるとようやく山が見え出して、田んぼ
が見え出して、この先に蒲郡の海がある。でもそこも海が見えない。蒲郡の駅に立つとようやく
海の香りがしてくると。でもこの間、たった39分なんですよね。東京から伊豆へ行くよりも、私
は伊豆の踊り子号に対忚して、市杵島姫号とか、もっとロマンチックなラグーナ蒲郡とか、そう
いう列車が走ってくれたら、私は名古屋の人はやってこられるだろうと。
それから、これからもっと道路予算がなくなって、道がつくれないとなったら、私は自転車道路
をたくさんつくったらどうかと。すると豊橋や岡崎の人が自転車でこの蒲郡に来られるようにな
る。私はベルリンで森鴎外の舞姫のロケーションをやった時、路上にカメラを据えて撮影してい
ました。そうしたら猛烈なスピードで自転車がばっと走ってくるんですね。危ないと思って見た
ら、自転車専用道路が歩道の横にきちんとつくられているんですね。そこは自由に通れる。現在
の一番新しい都市計画というのは、人間と車がどうやって共存するかという難問題が自転車道路
だなと思っていますね。蒲郡の周辺に、岡崎、豊橋という衛星都市があって、名古屋という好配
置、これが実は蒲郡、あるいは知多半島、渥美半島の三河湾国定公園の命を握っていると思うん
ですね。もう、この土地に住んでいる人はわずかしかいないと思うんですけれども、その周辺に
は巨大なストレスと現代文明と戦っている人がいっぱいいると思うんですよね。その人のための
アクセスを蒲郡はぜひ、この周辺の産業都市、商業都市、情報都市に向かってアクセスして、ア
ピールして仕立て直していただけるとありがたいです。
須田: 今、大変厳しいご意見がございましたので、私も一言お筓えしておかなければいけないん
ですけれども、東京の伊豆の踊り子というのは、つまり伊豆に行くのに新幹線で熱海で乗りかえ
ていただくことに非常に抵抗があるから、つくって成功したんですね。今、東日本が自分たちの
会社だけで完結型の輸送ができるので、たしか1時間に1本ぐらいあって非常に盛況だというよ
うに思います。私どもの方も、それをやりたいのでございますけれども、幸いといいますか、不
幸といいますか、まだ東京ほど混雑しておりませんので、通勤、通学のお客様の中に、何とか観
光客の方にも入っていただけるゆとりがあるものだからしているんですが、そろそろ私は、この
時点でグリーン車的な、何かパノラミックな車を一つでもつけて、同じ列車の中でも、そういう
方々に楽しんでいただけるスペースをつくる時期が来たなという感じは、私も痛感しております。
私は尐しここで、それ以上のことは言えませんが、後でまたこれは、よく検討させるようにした
いなと思っております。
市長さん、自転車と車のお話がございましたね。人と車の話がございましたね。それはどんなふ
うにお考えですか。人と車の分離といいますか。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
金原: 自転車というと、なかなかまだ道路をつくるというのは、なかなかの費用かなというよう
に私は考えますけれども、道路はともかく通過交通と、観光客や一般の人たちの生活道路とを区
別するということで、今一生懸命に道路をつくってもらうことをお願いしているところです。
須田: 德川理事長さんは東京に主としておいでになって、海外のご旅行も多いようでございます
が、海外の町から見て、こういった蒲郡のような港町はたくさんあると思うんでございますけれ
ども、先ほど、どなたかおっしゃったように、本線から外れた、さびれた港町であってはならな
いと思うんですけれども、何か海外の港町からおいでになって、これについてヒントをいただけ
るようなことはございますでしょうか。さっきのワーフのほかに、またいろいろおありかと思い
ますけれども。
德川: 港町、私は日本郵船ですから、出張するのは大体港町なんですね。およそモンゴルに出張
するということは、余り日本郵船の出張にはないものですから、港町ばかり行くんですが、港町
には、やはりそれなりの独特な魅力がそれぞれの町にあります。港を中心にできてきた町には独
特の雰囲気がある。アメリカではシアトルがそうですね。それからサンフランシスコがそうです。
ロサンゼルスの港は魅力が全くありません。これは工業港が外にできたわけですから。ロッテル
ダムもアムステルダムも大港町で大変に魅力のあるまちづくりです。それぞれ古い倉庫を使った
りして、ものすごく魅力のある町をつくりました。蒲郡の港というのは、それほど巨大な港では
ございませんし、19世紀からの倉庫群があるわけでもないんですけれども、この三河湾の海のき
れいさ、それから先ほど伺ったマリーナがある。そういうところをうまく使いながら、港町独特
のよさというのを町の一部分にでもつくっていただけたら、それはそれで大変魅力が出ると思い
ます。町の中で僕は港町というのは一番魅力がある町だと思います。
須田: ありがとうございます。港町のよさをぜひつくってほしいというお話でございますけれど
も、今たまたま市長さんの方でもって、観光立市宣言というのがおありになるということですが、
立市宣言のご説明をいただきまして、またそれらを中心にお話を進めていただければと思います
が、尐し観光立市宣言のご説明をいただけますでしょうか。
金原: 蒲郡市は、三谷温泉・蒲郡温泉・形原温泉・西浦温泉の4つの温泉地域に恵まれ、がまご
おり温泉郷として、愛知県屈指の観光地として、今日まで発展してまいりました。
市制50周年を迎えた平成17年3月には、これからの蒲郡市のまちづくりを考えて、全国に先駆
けて、
「観光交流立市」を宣言し、観光業と地場産業との連携、市民との連携などを通して市民や
地域が一体となった協働型の観光都市を目指し、観光振興に取組んでいます。
私は、三期目の市長選挙のマニフェストとして、観光宿泊客2割アップを掲げました。そのた
め、4月に機構改革を行い、従来の商工観光課から、観光振興部門を独立させ観光課と作りました。
また、蒲郡市観光協会も専門スタッフを増強し体制を整えましたので、今後、私のマニフェスト
実現に向けて、観光ビジョンにありますようにオール市民で一致団結して、
「観光蒲郡」として光
を取り戻したいと考えています。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
観光立市宣言の基本は、やはり先ほどお2人のごあいさつにもありましたけれども、おもてなし
が根本的にあるかと思うんですけれども、その精神をアピールして、蒲郡へ来たらのんびりでき
るよう、いやしができるよという、ゆったりとした気分になれるということで、観光立市をさせ
ていただいたというように私は解釈していますけれども。ともかく、観光蒲郡ということです。
須田: これはあれでございますか。もう既にお決めになられて、市民に立市宣言についてはご説
明がなされているわけですか。
金原: はい、3年前の17年の3月に議会で承認をいただいて、立市宣言をしております。
須田: 具体的にこれによって、おとりになった施策の例がございましたら、ご紹介いただけます
か。
金原: 具体的にはないです。それでまず観光業者の皆さんが、蒲郡が観光としてやっていくんだ
という、自覚をまずしていただいたことが一番大きいかなというように思っていますけれども。
須田: 豊橋とか、県とか、かなり広域的に連携をとられて、おつくりになったというようにも伺
っておりますが、そうなんですか。
金原: 直接的に呼びかけてというのではないですけれども、やはり愛知県のこの近くですと、桜
は岡崎、豊川、秋の香嵐渓、そして春の菜の花、冬になりますと奥三河の春祭の伝統的な文化、
伝統芸能、そして初詣を初めとする豊川さん、そういうところと連携をとなりながら、宿泊は蒲
郡が受けますよというようにしていきたいと、皆さんにいつも言っているところであります。
須田: 万博で100万人お泊まりの方がいらして、去年は83万人になったというお話ですよね。こ
としは市長さんは20%アップを目指してというようなお話のようですが、100万人に達するよう
なことになるでしょうか。
金原: そのように頑張りたいと思います。1年ではなくて、この4年間でということで、今半年
たって、このサミットが開かれて、また皆さんが自覚を持っていただけるのではないかなという
ように思っておりますけれども。
須田: それではここで尐し角度を変えてみまして、先ほどお話がこれも出ておりましたけれども、
ニュー・ツーリズムですね。新しい観光のお話を皆さんにお願いしたらばと思っております。と
申しますのは、最近国土交通省でも観光庁ができまして、新しい観光への取り組みというのが非
常に取り上げられております。これは別に変わったことを言っているわけではないんですけれど
も、例えばエコ・ツーリズム、グリーン・ツーリズムのような自然を生かした観光ですね。そう
いったようなものを、これからどんどんやっていこうとか、私どもも申し上げておりますが産業
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
観光ですね。あるいは道の街道観光ですね。そういったような、これまでにない切り口から、何
か新しい観光をやっていこうというようなお話。それから例えば、農業観光でいろいろなミカン
のオーナー制度だとか、棚田、稲田を人に貸す制度だとか、いろいろなことがありまして、体験
観光、いろいろなことを観光の中で自分で体験するというような新しい動きもございますが、そ
んなようなことが出てきているようでございます。これにつきまして、尐し市長さんから何かそ
ういったニュー・ツーリズムについて、蒲郡でお取り組みになったり、これから可能性があるこ
とがあったらお聞きして、両先生からまたそれについて、いろいろお話を承ったらと思いますが、
何かニュー・ツーリズム、一つのお話はございますでしょうか。
金原: 私たちはミカン狩りはミカンを取ることは仕事で手伝いには行くけれども、飯田の方へは
リンゴ狩りに行きますよね。それでオーナー制度というのがありますけれども、蒲郡でも始まり
ましたけれども、そういうオーナー制度があると自分で行って、途中で摘果をやったり、たくさ
んなり過ぎた実を取ったり、そしてまた最後に収穫に行くということを、今もうやっていますけ
れども、あとほかにも体験農業として、お芋をつくったり、お米をつくったり、いろいろなこと
をやれば、初めの植えつけから、途中の草刈りから、草取りから、そして収穫というようなこと
で蒲郡へ何度か来ていただけるのではないかということで始まっております。
あと、海の方の体験もできるといいんですけれども、まんが漁という楽しい漁がありますけれど
も、それも朝早く出ますので、一度お泊まりいただいて、シャコやカニやエビをとる漁なんです
けれども、底引き網なんですけれども、大変楽しい、そしてまたそれを船の上で食べていただく
ということも、これから売り出そうと持っているところです。
須田: 篠田先生、新しい観光、どのようなご感想をお持ちですか、この地域で。何があったらい
いでしょうか。
篠田: 何か美しい景色や、そういうものが観光の目玉だというようにずっと思われ続けてきたの
が、私がフランスに十何年ぐらい前ですか、单フランスを旅行した時に、農家が観光の資源にな
っていたと。農家は古い家具がそのままになって、今でいう日本でいう民宿をやっているんです
けれども、これがホテル並みのライセンスをフランス政府が与えていて、農家に泊まると。皆さ
んご存じのゴッホの絵にある单フランスのイル・ド・フランスのものすごく絵に描いたような風
景が、
・・があって小麦畑があって、サン・ヴィクトワール山があって、そういう景色がそのまま、
ホテルからホテルへ移動してツアーしていると、そういう景色は車の中で通り過ぎて見るんです
けれども、農家に泊まれば、それは日用画家で、ゴッホが毎日のように絵を書く、あるいはたく
さんの印象派の絵かきたちが、その風景に魅せられて、その風景というのは本当に光と色なんで
すね。何か目を驚かせるような景色ではない。そして農家は古い家具の古びたベッドにお客を入
れると。なかなか日本でそういうことがやれなかったのではないかというと、実は歴史の上では
随分あるわけですね。街道の宿と呼ばれているところでは、本陣があってお殿様が泊まる宿は、
その家主の家であったり、そしてその周辺にご家来衆が泊まる時には民家が提供されていくわけ
で、実は民泊というのは日本の中世から近世にかけてものすごいきちんと整っていたと思うんで
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
すよね。
そういう意味で、もっと民家をうまく開放して、そして旅行者がもっと自由に、そして長い逗留
ができること。1日1泊の旅行というのは実に味気なくて、2泊目になってくると、ようやく蒲
郡の街角の角の景色が見えたり、そして見かけないアングルから自分の人生について考えるよう
な路地と向かい合うと。それが旅だというように思うんですね。そういう機会を与えるためには、
やはり2泊以上旅ができる、宿屋に泊まるとお金がかかってしまう。だから宿屋さんは素泊まり
をまず基本にしてもらうと。
もう一つは、今の人はみんなメタボリックシンドロームを恐れていますから、せっかく日常生活
でやせようと努力しているのに、温泉に行ったばかりに太って帰ってくると。これは逆効果で、
たくさんのメニューを見ると、私なんかは老人ですから、宿屋のフルコースを全部平らげるとい
うのは無理で、残すんですね。残すと僕の世代はとてもつらいんですね。残したくない。自分の
食べたいものだけ食べられるように、宿屋さんも何とか工夫してもらえないかと。エコ化という
点で、日本は残飯を出さないできれいに食べる、そして一つ一つ食べ物を大切にするという、か
つての美風が、日本のこれからの旅行のモラルの一番中心に据えるべきではないかと。とにかく
宿屋さんの、この時とばかり、旅の恥はかき捨てとばかり、食うものを食って太って帰るという
のは、情けないと思います。
須田: 私も篠田先生と実は同じ年なんです。私どもの世代は食べ物のない時に育っておりますか
ら、食べ物を残すことは罪悪なんですね。本当はこれは絶対にやってはいけないことだと教えら
れてきました。したがって、私は今、先生のおっしゃったように、どこへ行ってもみんな食べる
んです。そうしたら糖尿病になりました。したがって、本当に今おっしゃったことは身につまさ
れる。それはやはり旅館の制度自体に問題が若干ございまして、今一泊二食付の料金なんですね。
あれをやめて、部屋代と食事代を分けられただけでも随分私は違うと思います。食事が二食つい
てくるわけですから、当然高くなりますね。旅館の方は十何品出るというようなことがあるんで
すね。何品も出る、会席料理ですから。あれは別に食べなくてもいいわけです。捨ててしまって
も消費はなされるわけですね。中には捨てないで、もう一辺それを使う人が最近いたから、問題
が起こるわけでありますけれども、今おっしゃったことは私も非常に身につまされますし、これ
からの観光地の一つの大きな、いい意味では前向きなサービスではないかなと気がいたします。
德川理事長にまたお伺いいたしますけれども、今のようなお話もたくさんございましたが、ニュ
ー・ツーリズム、いろいろなものがございますけれども、何かこの地域でやれそうなニュー・ツ
ーリズムというのはございますか。
金原: やはり自然に親しんでいただくという、先ほど熱海の海水浴場のお話が出ましたけど、竹
島の橋のたもとでも海水浴ができて、三谷の旅館の下でも海水浴ができたんですけれども、今は
水が汚くて残念ながら島まで渡らなければならないんですけれども、それでも私が中学校、高校
の時と比べたら、とてもではないけれども、比べ物にならないほど汚れてしまっているわけです
が、年々よくなっているようには、二歩前進して一歩後退ぐらいのペースですけれども、よくな
っているものですから、もっともっと三河湾の浄化にも力を入れていかなければいけないと思う
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
んですけれども。原点は海水浴だと思うんですが、お客さんに来ていただく。そしてアサリをと
っていただいたり、釣りをしていただいたりということも。
須田: 德川理事長は何か、ニュー・ツーリズムについて蒲郡に望むものがございましたらお話く
ださい。
德川: 私は片一方で自然環境団体もやっておりまして、再来週はボルネオの密林まで実は行かな
ければいけないので、ヒルをよける靴下を買って持っていきなさいと言われて、日本じゅうのト
レッキング屋さんへ行ったんですけれども、ヒル防止の靴下というのは日本で売っていないとい
うことがわかりました。これはマレーシアに頼んだんですが、これは全然蒲郡とは関係ない話な
んですけれども。
エコの話、最近エコはもう聞き飽きたという方もおられますから何とも言えないんですが、でき
るだけ自然に近づけるような、先ほど尐しお話が出て、もう一辺、塩田をつくるわけにいかない
のかと、さっき須田先生がおっしゃいましたけれども、塩田をつくるのでもいいし、もともとこ
こは綿花の発祥の地みたいなこともあるし、いろいろなそういうものがある。休耕田がもしある
なら、そういうところに何かそういうものを入れて、いろいろな方に参加していただくような、
そういう自然にもっとくっついていっていただくプログラム、里山のプログラムとか、いろいろ
なことが各地で行われておりますので、本当に観光にこの都市が向いていくんだというなら、や
ることは山のようにあるように思いますけれども。
須田: ありがとうございます。大分時間が押してまいりましたので、尐しこのあたりで私が中締
めといいますか、中間的な整理をいたしまして、その後、お三方から一言ずつ、これからの蒲郡
についてのお話を承り、市長さんから決意表明をお願いしたらどうかなと思っておりますので、
私なりに非常につたないまとめ方でございますが、先ほどのご講演と、今ここで承ったお話等を
まとめてみたいと思っております。
私が一つありましたのは、最初に冒頭のお話がございましたけれども、篠田先生のおっしゃった
蒲郡ホテルの例ではございませんが、ここは一つの日本と西洋との一つの交点になっているよう
な、一つの大きな象徴的な建物があると。竹島とそれに至る橋というものが、古代、中世、近世
をつなぐ一つの橋になっている。そういう時代の流れと、東洋と西洋のちょうど交点に蒲郡があ
るんだと。そういう立地条件の中で、これからこの地域の観光というのを考えていったらどうか
というお話が冒頭ございました。それを受けまして、先ほど来、いろいろご議論をいただいてい
るわけでございますけれども、蒲郡の観光を考えてまいりますと、アクティブポイントが欲しい、
アトラクティブポイントが欲しい、どうもそれがいま一つないというお話。例えば、港の付近に
フィッシャーマンズワーフというようなものがあるとか、あるいは先ほどお話がございました西
洋の港にあるような情緒のある港町ですね。港という字をひらがなで書くような港だと私は思い
ますけれども、いわゆる港ですね。そういうようなまちづくりというのがほしいと。その場合に、
駅といいますか、交通の拠点から海の方へ、海の方からまた駅の交通拠点、都心の方に向かって
双方向のまちづくり、もっと言い方を変えますと、先ほどの話も含めますと、いわゆる市の四つ
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
の方向といいますか、全方位型のまちづくりというのが、観光客から見てあったら非常におもし
ろいのではないだろうかというお話がございました。
同時にまた、名古屋という大消費地が近くにございますので、そこで働いている人に一つの憩い
の場を提供するというのも、この温泉と海岸を持った蒲郡に大きな役割があるんだと。もっと交
通網をしっかりやれというお話もございましたけれども、そういったような観光客のもてなし、
受け入れ体制についても、何かこの付近のポイントがそこにあるのではないだろうかと。自然を
生かした、またそういった産物を生かした新しい観光、ニュー・ツーリズムといいますか、体験
観光ですね。先ほどのミカンのお話もございましたけれども、そういったようなことについても
やっていったらどうかという話がございました。
そしてこれは、ちょうど結びにふさわしいことをお教えいただいたんですけれども、観光は笑顔
と誠実と親切なんだと。したがって、先ほどもお話がございましたけれども、地域の人々が何げ
ない歓迎のコールが町じゅうにあふれているような町が欲しい。今のようなまちづくりの中から、
そういったような町をおつくりになられれば、蒲郡は世界有数の港湾観光都市になるであろうと
いうようなところが、本日いただいたご意見ではなかったかと思います。
非常にまずいまとめでございますので、もしご異論があったらお教えいただきますと同時に、蒲
郡の観光について、一言ずつ最後に先生方から承ってまいりたいと思います。恐縮でございます
が、篠田先生から一言お願いいたします。
篠田: 市長からお聞きしたんですけれども、愛知万博以後は集客が80%になったということ。僕
はいかにこの東海圏の産業の力というのが大きいかということを思っています。この80%の歩ど
まりというのは、蒲郡の宿泊客の歩どまりは、ものすごく僕は次のステップのいい手がかりだし、
基本的に大変力強い産業圏の中に蒲郡はあると。その辺から名古屋、あいは豊橋、岡崎の好配置
をうんと開拓して、蒲郡に一泊1,000円で泊まって、温泉につかって四、五日遊べるような、そう
いう週末を、この周辺の人に与えられるような町になるといいなと思います。
須田: ありがとうございました。德川理事長お願いいたします。
德川: また繰り返しになりますけれども、きょうは恐らく宿泊をされるところ、トラベルエージ
ェンシーの方とか、いろいろ観光、観光のプロフェッショナルの方がお集まりなんだと思うんで
すが、むしろぜひ、これに町のおそば屋さんとか、ラーメン屋さんでもよろしいんですが、そう
いう方たちまで、この町のとても大事な部分が観光なんだよというようになっていくように動い
ていけば、この町は強くなると思います。そこのところが一つの境目みたに思います。
須田: ありがとうございました。市長さん、ご感想と決意表明を最後にお願いいたします。
金原: 德川さんの話を伺って、木綿の話、今産業としては復興を目指して、三河木綿・三河縞で
やっていますが、それを種を植えて、綿を収穫して、紡いで染めて、織るという、そんなような
ことも先ほどのエコ・ツーリズムの中の一環としてやってみたらなというのは、早速みんなと相
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
談して進めてみたいと思いますし、海浜緑地という、ラグーナのところに人工海浜の大きなもの
ができて、こんなのは大き過ぎないかなというぐらい大きいんですけれども、そこの一角に塩田
をつくってもらって、ミニ塩田でいいですから、子供たちに塩をつくらせたら、お塩はどうやっ
てできているのというのも知らない子供たちがいっぱいですから、そんなことも入れていきたい
なと。ともかく三河湾を使って、愛知の観光の中心として2割アップを目指して皆さんと一緒に
頑張ってまいりたいと思っています。
須田: ありがとうございました。大変つたない司会で恐縮でございますが、今のお三方のお話で、
何か一つの結論がちょうだいできたように思います。次回にはぜひ、德川理事長から天璋院篤姫
様のお話を承れるように、篠田先生からは、ぜひ映画のお話が承れるように、そういう日が来る
ことを期待いたしまして、本日の座談会を終了させていただきたいと思います。大変つたない司
会で失礼いたしました。ありがとうございました。
(拍手)
司会
ありがとうございました。パネリストは篠田正浩さん、ありがとうございました。德川恒孝さん、
ありがとうございました。そして金原久雄市長、ありがとうございました。コーディネーターは
須田 寬さんでした。皆様もう一度、大きな拍手をお願いいたします。(拍手)
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
閉会の辞
きょうはたくさんの方に来ていただきまして、本当に私どもとしては大変ありがたいことでご
ざいます。また、約2時間半ですけれども、本当にあっと言う間に過ぎてしまったかなというの
は私の感じでございますし、それから篠田先生、德川先生、須田先生の方からいろいろまとめて
いただきまして、課題山積のラグーナということもはっきりしたように思いますし、きょう初め
て、この蒲郡で愛知県の観光交流サミットをやらせていただきました。本当に私どもとしては感
謝をする次第でございます。関係の皆様方には、本当にここへ来るまでの間にご苦労もあったと
思います。本当にありがとうございます。
重ねて先ほど申しましたように、課題、たくさん見えてまいりました。私もラグーナ蒲郡に携
わっておりますし、愛知県の観光協会の方も携わっております。この課題が大体、問題解決の70%、
問題解決するためには70%大体問題ができると対策が打てるというのが、世の中の常でございま
す。あと30%頑張って、蒲郡のために皆さん力を合わせてやっていきたいと思います。そうすれ
ば、きょうお越しの先生方の肩たたきといいますか、激励にもお筓えできるのかなと思います。
これを一歩にいたしまして、蒲郡一丸となって、いい観光の町にしていきたいというように私ど
もも思いますので、ぜひ皆様方、ご協力いただきたいと思いますし、きょうは本当に関係の皆様
には、こういう形でやりまして本当にありがとうございます。感謝のごあいさつとさせていただ
きます。この後、第2部以降、また盛りだくさんございます。ぜひ皆様、いろいろなところでキ
ャッチボールをしていただければと思います。どうもありがとうございました。
第1回愛知県観光交流サミット2008inがまごおり実行委員会・副会長 岡田 安夫
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
入口縦看板
入口観光交流ウィーク旗
入口受付
シンポジウム会場
入口受付時
講演会会場内
基調講演:篠田正浩 氏
特別講演:徳川恒孝 氏
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サミットの部<蒲郡市民会館
中ホール>
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
第1回愛知県観光交流サミット2008 in がまごおり
開会の辞
皆さん こんにちは!
「第1回愛知県観光交流サミット 2008in 蒲郡」実行委員会の遠山でございます。
本日は、午後から始まりました「講演会の部」に引き続き、このシンポジウムに会場に溢れん
ばかりの多数の皆様にご参加を頂きまして誠にありがとうございます。
また、このあとご紹介があると思いますが、壇上の8名のパネラー・コーデイネーターの皆様
にもご参加頂きましたことに深く感謝申し上げます。
先程の「講演会」に先立ちまして、実行委員会の竹内会長より開催の趣旨につきましてはご挨
拶で申し上げましたので、私からはこれからのシンポジウムの意義についてご案内をさせていた
だきます。
本年の 10 月 1 日には国土交通省の外局として「観光庁」が設立されました。
その意義に、
「観光立国の実現は、21 世紀の我が国経済社会の発展のために不可欠な国家的課
題である」となっています。
観光に対して、官民挙げて、国全体で取り組む体制づくりが必要だ、ということで設立された
のであります。
この「観光立国の実現」は、愛知県においては観光立県であり、各市町村においては観光立市
であり、当地・蒲郡市では、平成 17 年の 3 月に「蒲郡市観光交流立市」を内外に広く宣言してお
ります。
昨今、政治的にも経済的にも暗いニュースが多いところでありますが、本日は「観光による愛
知の元気の実現」をテーマに、パネラーの皆さんから課題の提言をいただき、明日の小委員会で
の発表、或いは、来年、再来年、第 2 回、第 3 回と続く「愛知県観光交流サミット」で、課題を
観光業界のみならず、行政、市民の皆様と共有してまいりたいと考えています。
7名のパネラーの皆さんは、日本旅行業協会及び全国旅行業協会の会員の中から、愛知県に関
連する、特に旅行商品を企画するトップの皆さんにご出席をお願いしております。
また、コーデイネーターには、観光業界の大先輩であります(社)日本観光協会中部支部長の
須田寛様にお願いをしております。
事前打合せもなく、本日の本番となり、また時間も制約があり、充分ご意見を発表することは
難しいかと思いますが、お許し下さい。
それでは、これからシンポジウムを開催いたします。
ご静聴の程、よろしくお願い申し上げます。
実行委員会委員長
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遠山憲章
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
実録~記念座談会「蒲郡の魅力、2008 観光交流ウィークにて」
◎出席者
(敬称略)
パネリスト/
トップツアー株式会社 中部国内旅行センター長 石川
クラブツーリズム株式会社
執行役員バス旅行部長
幸夫
梶田 隆弘
近畿日本ツーリスト株式会社 中部仕入メイト事業部事業部長 田中
株式会社JTB中部 取締役営業推進部長
有限会社旅工房 代表取締役社長 寺西
名鉄観光サービス株式会社
亮
塚原 克彦
正
中部営業本部部長 長谷川
株式会社日本旅行 赤い風船中部事業部部長 山中
千廣
孝啓
コーディネーター/ 社団法人日本観光協会中部支部長 須田
寬
司会: ありがとうございました。
それでは、早速シンポジウムに移らせていただきます。
まずはパネリストからご紹介いたします。
初めに、トップツアー株式会社より、中部国内旅行センター長の石川幸夫さんです。
続きまして、クラブツーリズム株式会社より、執行役員バス旅行部長の梶田隆弘さんです。
次に、近畿日本ツーリスト株式会社より、中部仕入メイト事業部事業部長の田中 亮さんです。
次に、株式会社JTB中部より、取締役営業推進部長の塚原克彦さんです。
次に、有限会社旅工房より、代表取締役社長 寺西
正さんです。
次に、名鉄観光サービス株式会社より、中部営業本部部長の長谷川千廣さんです。
パネリスト最後は、株式会社日本旅行より、赤い風船中部事業部部長の山中孝啓さんです。
そして、コーディネーターは、社団法人日本観光協会中部支部長の須田 寬さんです。
それでは、この後は進行の須田さんにマイクをお渡しいたします。よろしくお願いいたします。
須田: ただいまご紹介をいただきました須田でございます。日本観光協会の中部支部長、JR東
海の相談役をいたしております。
きょうはこれからシンポジウムをここにおられる方々の中でのパネルディスカッションとして開
催をいたしますが、5時35分まで時間をいただいておりますので、約80分ということで、これか
ら順次ご発言をいただいてまいりたいと思います。
きょうのシンポジウムの趣旨はご案内のとおりでございますので、この蒲郡等を中心といたしま
した愛知県の観光交流を目指してというようなところでお願いをするわけでございますが、きょ
う、ここにご発言をいただきますパネラーの方がおいでになります。この種のもので7人のパネ
ラーというのは非常に多い数でございますので、皆さんにそれぞれ満遍なくご発言ができますよ
うに、できるだけ時間配分等につきましてはご協力をいただいておきたいと思います。
進め方でございますが、最初に、各パネラーの方々に、自己紹介を兼ねまして、これまでお取り
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
組みになってこられました観光の現状、それから、課題のようなものを5分間程度お話しいただ
きたいと思います。
その後、続きまして、2回目のご発言といたしまして、今度は観光の課題を受けまして、これか
らの観光の方向と申しますか、皆様方の豊富のようなものについて承りたい。大体3分くらいで
承れればと思っております。
そして、その後でちょっと私が要約をいたしましてまとめをいたしました後で、あるいはその前
になるかもわかりませんけれども、最終的なご発言として、これだけはぜひ言っておきたいと、
最後に一言というのを承って、それをまとめの言葉にして終わってまいりたいというふうに思っ
ておりますので、何とぞひとつご協力のほどをお願い申し上げたいと思います。
では最初に、いろいろ観光立国推進協議会というふうなものもつくられておりますし、また、政
府に観光庁もつくられておりまして、国の政策として観光が一つの大きな節目になって前進をす
る時期がまいりましたので、日本の真ん中にございますこの愛知県の観光、特にこの三河地方の
蒲郡のような、非常に観光資源に恵まれたところが中心になってこれから活動してまいらなけれ
ばいけないと存じますので、そういった愛知県の観光の方向等につきましてご議論をいただくと
いうことにいたしたいと思います。
最初に、それでは第1回目のご発言といたしまして、皆様方のこれまでのお取り組みの状況、そ
れから、現在のこの地域の観光、もちろん全国的なことに触れていただいて結構でございますけ
れども、どのようにお考えになっているかについて、お一人ずつ承ってまいりたいと思います。
なお、ご発言順につきましては、最初に地元の会社の代表でもいらっしゃいますので、名鉄観光
さんの長谷川さんにお願いをいたしまして、その後、ここにご着席の順で、あいうえお順にご着
席いただいているそうでございますから、石川さんから山中さんまで、順次ご発言をいただく方
向で進めてまいりたいと思います。
最初に、長谷川さんからご発言をいただきます。
長谷川: 名鉄観光の長谷川でございます。よろしくお願いいたします。
当社では、愛知の観光につきまして、今、取り組んでいることがございます。それを発表したい
と思います。
愛知県では愛知観光チャンレジプランというものを昨年の3月、立ち上げております。その中に
行動目標というのが三つございまして、産業観光の推進、二つ目が武将観光の推進、これは三英
傑のことでございますが、三つ目が地域ブランドの創出ということでございます。
この三つにつきまして、我が社の取り組みでございますが、一つ目の産業観光の推進でございま
すけれども、ことしの4月から、愛知県の職員の方に1名お越しいただきまして、その方ととも
に産業観光につきまして構想を練っているわけでございます。
「ものづくり文化街道」ということ
で商品をつくりまして、広くPRをしているところでございます。
二つ目の武将観光の推進につきましては、これは、前の国土交通省になりますけれども、
「ニュー
ツーリズム創出・流通促進事業」というものの一環といたしまして当の名鉄観光が「あいち武将
観光の旅」というものを立ち上げまして、11月から発表しております。
これは、1回目といたしましては、信長の誕生から飛躍のところまでということで、勝幡の城址
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
から、それから、桶狭間までということで信長を訪ねてまいりまして、いかに生きてきたかとい
うことを訪ねようということでございます。
これが二つ目の武将観光の推進ということになります。第2回目、第3回目を考えておりますけ
れども、現在は第1回目ということでございます。
三つ目の地域ブランドの創出でございます。当社といたしましては、日間賀島のフグとか、篠島
のハモ、こういったものを、地域のブランド食材を、これをもうターゲットにいたしまして、こ
ういったものを商品化して、広くPRをして集めているというか、お客様にPRしているという
のが現状でございます。
以上が当社の扱っている愛知に対しての観光の推進でございます。
それでは、ちょっと視点を変えまして、愛知の観光というのはどういうことなのか、私の考えて
いるところを尐し発表させていただきたいと思います。
観光というものは、観光資源がございまして、そして成り立つわけです。観光資源の中には、ま
ず自然の資源、それから人文資源、の二つがございます。
自然というのはもちろん山、谷、海、こういったものでございます。生き物も含まれております。
それから、人文といいますと、人がかかわってきたもの、これがもう資源となるわけでございま
す。歴史的な建造物、新しいところでも水族館、博物館、変わったところでは年中行事、お祭み
たいなものもこれに入るかと思います。これがどの程度、愛知県の中にはあるのかということで
ございます。平たく申し上げますと、愛知県はたくさんの観光資源があると、こう言いますけれ
ども、本当のところはどうなのだろうかということでございます。ひもといてみますと、これは
財団の日本交通公社さんが観光資源の評価台帳というのをつくりました。特A、A、Bというふ
うに分けております。特Aというのは、これはもう日本が誇るもので、世界にPRできる観光資
源である。Aというのは全国区である。Bというのは地方区ではないか。こういったもので分け
ております。
愛知県を見ますと、自然資源は残念ながら特AもAもございません。そしてB。地方というか、
地方区というものが8個でございます。八つでございます。そして、人文資源といいますと、特
Aはございませんけれども、A、Aランクのもの、全国区であるというものが三つございます。
それから、ここが特筆ということでございますが、Bランクのものが何と24ございます。締めて
人文資源というのは27ということになります。この数が多いか尐ないかでございますが、自然資
源の8というものは全国の都道府県の中では下から8番目、尐ないということでございます。そ
のかわり人文資源というものの27というものは、全国で比べますと第9位。トップレベルにある
ということでございます。平たく申し上げますと、こういうことは地域、中部は中部の人たちを
集めるところではないかということだと思います。全国区ではなくて、中部の人たちが何度も何
度も訪れる場所ではないかなと。これが愛知県というものの観光の姿ではないかなと思っており
ます。ただし、残念でございます、それでは。私も名古屋に育っておりますので、全国区にする
にはどうしたらいいか。やはりこれをつなぎ合わせて、一つではなく、二つではなく、三つを、
または、今PRされております産業観光というもの、これをつなぎ合わせまして、テーマを持っ
て、こういったことでPRしていったらどうかなというふうに考えております。
私の考えは、以上でございます。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
須田: ありがとうございました。産業観光、武将観光、それから、地域ブランドの創出について
ご努力をされてきたということでございまして、観光資源の賦存状況からいいますと、全国的に
もそれほど高くない、自然では高くない、人文ではまずまずだということでございますが、まず、
中部の人を愛知県にどれだけ集められるかというところがスタートラインであって、それを全国
につないでいくような努力をしていく必要があると、そんなような課題の提起がございました。
ありがとうございました。
それでは、石川さん、ご発言願います。
石川: 中部国内旅行センターの石川でございます。よろしくお願いいたします。
私どもの会社は、昭和31年に東急観光株式会社ということで発足いたしました。ことしで53年目
を迎えさせていただきました。平成18年に社名をトップツアーに変更しまして現在に至っている
次第でございます。
きょうは、愛知県さることながら、中部地区全体の私どもの最も得意としております団体旅行の
中でも教育旅行に絞ってお話をさせていただければというふうに思っております。
私どものセンターでは、中部地区への入り込み、それから、及び中部地区から外へ出ていく発地
の両方の仕事をしておりますけれども、従来からDMC事業と名を打って、地元の人間が地元に
呼び込むというようなことを中心に受け入れをやっているところでございます。
愛知県の入り込み状況を見てみますと、やはり学会、大会等の関係もあるのでしょうか、名古屋
が相変わらずトップということでございますけれども、蒲郡についても、これからちょっと数字
をお話しさせていただきたいというふうに思っております。
現状は、こういったような、皆様ご存じの経済状況によりまして、いろいろなことでマイナスな
要因を受けているというふうに思っておりますけれども、旅行産業は、ご存じのように、平和産
業でありますので、同時に衣食住以外の余暇の部分といったことで位置づけされる中、旅行ニー
ズの旅行への投資を控える動きが一層強くなっていることが予想されておりますけれども、私ど
もが得意としています教育旅行につきましては、景気の動向に、いわゆる左右されにくい市場と
いうことであります。
以前、世界的にありました政情不安ですとか、伝染病の発症、それから、テロ等の余波の中でも、
教育旅行に関しましては、一部海外旅行から国内旅行への移行はございましたけれども、旅行自
体がなくなってしまうということはほとんどなく、皆無の状態であります。
そんな中、現在は物見遊山的な観光を中心の行程よりも、学習的な要素を深めた、いわゆる体験、
感動、学習といったようなキーワードが必須科目となってきます。
教育旅行の白書の訪問先のデータなんですけれども、愛知県のデータでなくて申しわけないんで
すけれども、中部地区のデータ、修学旅行の訪問先のデータですけれども、全国を100%とした場
合ですが、中学生で平成17年は5.9%、平成18年度については4.4%しか全国の中で、中部地区で
すけれども、シェアはございません。
ちなみに中学生のトップは近畿地区が40%以上、その次に関東地区が続いております。高校生に
なりますと若干、スキー修了等の長野県の影響もあるんでしょうけれども、17年度で8.2%、18
年は7.8%という状況であります。高校生につきましては、九州・沖縄地区、近畿、北海道の順に
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
人気地区となっております。中部地区には近畿からの入り込みが一番多く、高校生は九州、四国
地方からの入り込みが多くなっているところでございます。
ご当地愛知県については、当社の数尐ないサンプル数でお話しさせていただきますと、2005年の
万博のときに若干増加をしたものの、翌年は落ち込み、昨年若干また盛り返しているというとこ
ろであります。
学生の宿泊先につきましては、知多半島がトップで、次に名古屋、それから、蒲郡・三河地区と
いうふうな形でなっております。
現状はこういったところでございます。後ほどまた問題点も含めましていろいろとお話をさせて
いただきたいと思います。
須田: ありがとうございました。
教育旅行というものに非常に中心に取り組んでおられるという会社のようでございまして、大変
これは教育旅行というのはリピーターのつながりがございますので大変重要なものだと思ってお
ります。今、お話がございませんでしたけれども、愛知県、私の知る限りでは、中学で0.3、高校
でたしか0.4だと思います。0.4とか0.3というのは、これは2,000校くらいの抽出調査でございます
から全数調査ではございませんが、ほとんど来ないということです、はっきり言いますと。そう
いう大変寂しい状況にございますので、今、お話のございましたトップツアーさんのますますの
ご健闘を祈りたいと、かように思います。ありがとうございました。
それでは、続きまして、梶田さんにお願いいたします。
梶田: ただいま紹介いただきました梶田でございます。会社はクラブツーリズムというので、尐
しここに並んでみえる皆さんの会社さんとは毛色が違うところもありますので、尐し自己紹介と
いうか、会社紹介をさせていただきますけれども。もともとは隣の近畿日本ツーリストの一事業
部として、ここに手元に持ってきましたが「旅の友」という、実はこれは自社でつくっている媒
体なんですけれども、この媒体を中心に、あと、新聞あるいは新聞の折り込み広告みたいなもの
で、バスツアーあるいは国内のJR、飛行機を使ったツアー、あるいは海外旅行ということで、
これが3本の柱になっていますけれども、そういったものを募集。団体ツアーを専門にやってい
る、99%が団体のツアーで、ほとんどがこういう媒体を使った募集の広告をやっている会社であ
ります。
この4年前の5月に近畿日本ツーリストの方から独立創業して、この専門の会社になったという
ことで、まだ独立してからは4年と半年というレベルの会社であります。一忚、この発行部数と
いうのが隠れたベストセラーというふうに勝手に呼んでいるんですけれども、実は、360万世帯の
皆さんに毎月10日にお送りをしているということで、版は関東版、関西版、中部版あるいは東北
版とあるんですけれども、このご当地では名古屋の方に名古屋国内、バス、海外旅行センターと
三つのセンターがあるということと、隣になりますけれども、浜松に支店を持っております。
そんなところが概況でありまして、私自身もこの仕事、この形になってから16年ほど、この募集
旅行を中心にずっとやってきました。昨年の7月までは、実は出身が愛知県なので、こちらの方
でおりましたんですけれども、昨年7月に東京に行きまして、今現在は東京でバスの仕事を中心
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
にやっていると、こういうことでございます。
きょうは、この1年たってみて、首都圏から見たこの蒲郡、あるいはこの東海地区というのはど
んなことなのかという点で尐しお話をしていきたいなというふうに考えています。
私たちのこのバス旅行というのが、大体年間で280万人くらいの方々をご案内していますけれども、
残念ながら、この愛知県というところへの送客数というのは1%レベルと、こういうことで、先
ほどの須田さんのお話ではないのですが、非常に通過点になっていると。ここを飛び越えて、実
は京都へ行ってしまっているとか、そんなケースが結構多いということであります。
ご当地蒲郡という文字を漢字で書いて道を歩く人に聞いたとしたら、多分10人の1人は筓えられ
ないだろうというくらい、残念ながら、この情報、あるいは観光に関する情報を含めてですけれ
ども、知られていません。愛知県の中でいうと、知られているのは、トヨタと名古屋というふう
に言って間違いないのだろう。その他の都市というのはなかなか愛知県を示してくれないという
くらい、残念ながら名前が売れていないなと。一番実は観光地として売れているのは香嵐渓なん
です。ですから、この11月の大体10日前後くらいから11月いっぱいのところに、我々のツアーで
いうと、香嵐渓を目指して集中してこの愛知県に対しての送客をしていると、こういうのが実は
実態です。
先ほど石川さんの方からも尐しお話があった愛知万博の年には、実は40万人くらい、こちらにお
送りをしているというような現状にあるんですけれども、それが最大値で、大体年間で2万から
3万くらいのところを推移しているというのが実態なんだろうというふうに思っています。
我々もこういう募集ツアーをやってきていますので、だんだんそういうツアーというのはなくな
ってくるんじゃないのなんていう声をよく聞くのですが、実はそんなことはなくて、むしろ微増
をしています。特に首都圏にいますとそういうことを感じるんですが、愛知県にいたときは余り
感じなかったのですけれども、交通網が発達している関係もあって、マイカーをお持ちのところ
というのは比較的尐ない。比率が低いと言った方がいいですね。東京都をとってみれば1家に1
台はないという状況にありますので、やはりレールを使った、あるいは飛行機を使った、あるい
はバスを使った旅行というものが非常にたくさん売れているというような環境にあります。
先ほどお話をしたように、バス旅行で大体年間280万人くらいのお客様も首都圏の方から送ってい
ます。全体では400万人ということでありますので、いかに首都圏の割合が多いのかというのもわ
かっていただけようかというふうに思います。
そういった中で、なぜ愛知県へのスポットが当たらないのかということですけれども、実際にお
客様の反忚を見ると、行ってみていいところだというのが全体の印象にあります。ただ、そこを、
ご当地、私もこちらにいましたから、偉そうなことは言えませんけれども、なかなかアピールを
するということが苦手な町なんだろうというふうに思います。
そういった中では、蒲郡だけが一生懸命やってもなかなか難しいというふうに思いますので、愛
知県あるいは近県の東海圏の中での連携をとりながら、住民の皆さんも一体になってこのアピー
ルをしていく必要はあるのだろうというふうに思います。
東京から見てみると、実は結構いいものというのはたくさんあって、そういったものが地元にい
ると案外気づかずにいたりします。一つの例を出しますと、これは10年くらい続いていますけれ
ども、お隣の豊橋の方で手筒花火のツアーを10年前から実は始めました。バス1台、2台から始
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
めましたけれども、今や毎年、やはり10台、20台ということで、9月の第1週の土曜日だという
ふうに思いましたけれども、そのときに首都圏の方から、実際にやはり花火を見る、そして、手
筒を見ることによって感動して帰っていく。そうすると、この花火だとか、あるいは祭りだとか、
この文化に触れるというのはおもしろいもので、リピートをしていきます。一度見ると、またそ
の時期に近づいてくると、そういったものが見たいという感傷にふけってくると、こういうこと
で、リピーターの多いツアーが完成することがあります。一つは、ヒントとしては、そういった
ものがあるのかなというふうに考えています。今まではどちらかというと、ビッグネームの物見
遊山の観光というのが我々の主体でありましたけれども、今後は多く変わっていくだろうと。一
つは個人旅行という形のものでもありましょうし、もう片方では、明確なテーマを持ったツアー
というものは確実に売れるということが言える。かつてはビッグネームを大量に販売していくと
いうのが我々の手法でありましたけれども、むしろ尐品種ではなくて、多品種の尐量販売の時代
に完全にシフトしてきている。尐品種の尐量販売というのは、ツアーのサイズが尐し小さくなる
というレベルで考えていけば、我々の団体ツアーにも十分落し込みができるというふうに認識し
ています。
尐し話がずれましたけれども、まさしくそういった文化というもの、あるいはその祭りといった
もの、あるいは地域での交流といったもの、そういったものが今後の展開の中では確実にヒット
する要因になってくるのではないかなというふうに思います。そういうふうに出してくると、や
はりこの地元の蒲郡であってもいろいろな素材があるのではないかな。そういったものをきちん
と光を当てて、それを商品化をしていくこと、これがまず第一歩としては必要ではないかなとい
うふうに考えています。
以上でございます。
須田: ありがとうございました。
先ほどのお話にも平仄が合うのでありますけれども、愛知県のウエートが、これはもう非常に低
いということです。それから、通過客が多いということがございました。これも私ども非常に今、
深刻に考えているところでございますが、何とか通過客を取り込まなければいけないという、そ
ういう問題、これがやはりバス旅行にも端的にあらわれているのだなという感じがいたしました。
ありがとうございました。
それでは、次に、近畿ツーリストの田中さんにお願いいたします。
田中: 初めまして。近畿日本ツーリストの中部仕入メイトの田中と申します。
自己紹介なんですけれども、私は、隣の梶田さんと同じように、商品造成をずっとやっておりま
して、今は部長という立場なんですけれども、実際にパッケージ商品をずっとつくってきた経緯
というのがございます。
きょう発表させていただきますのは、メイトという国内主催旅行についてです。今はやりのイン
ターネットではなくて、パンフレットという紙媒体を使った形でお客さんを集めている、個人旅
行という形になっております。ご当地では中日新聞等々を使って募集をしていると。蒲郡、愛知
県に限っていいますと、飛行機を使ったとか、そういう形ではなくて、宿泊企画。蒲郡であれば
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
三谷、西浦等々が非常に、域内のお客さんになりますけれども、そういったものをパンフレット
で募集をしているというような形になっております。会社全体でも、そのメイト商品というウエ
ートというのは国内旅行でも6割、7割が個人旅行を占めているというような形になっています。
それでまず、課題ということで4点ほど、愛知県といおうか、蒲郡の課題ではなくて、当社の課
題になってしまうかもしれませんけれども、主催旅行の今の現況といたしましては、実は10年ほ
ど商品企画やっておりますけれども、私どもメイトというのは団体旅行。先ほど梶田さんもおっ
しゃっていましたけれども、エスコートツアーというのが非常に強くて、メイトでも7対3でエ
スコートが非常に強い時代がございました。現況は、ことしに入ってからもそうなんですけれど
も、まだまだメイトはエスコート強いんですけれども、これが6対4。将来的にはエスコートが
4割で、6割がパーソナルというような取り扱いになるのではないかというような形になってお
ります。
要は、個人型に一気に向かっている。もちろん会社によっては、もう一気に個人型に向かってい
る会社もありますけれども、当社としてはかなり個人型に向かっているなというふうに思ってお
ります。
先ほどの、これは主催旅行の悩みの種なんですけれども、パンフレット商売をやっておりまして、
紙媒体を通してお客さんを集めてきましたけれども、やはりインターネットという世界を、一般
の方も、年配の方も非常に利用されるようになってきまして、旅行を申し込む形態が紙媒体だけ
ではだめで、インターネットを見て、なおかつパンフレットを見て申し込むという形態が非常に
多くなってきた。では、それの対忚をどうしたらいいかというのが2点目の課題です。
3点目、ご当地宿泊企画。非常にパンフレットでおかげさまで売れておりますけれども、これも
また当社ではまだまだおくれておりますけれども、当月内のお客様を取り込む部分につきまして
は、やはりインターネットの会社にかなりお客様にとられていると。いわゆる低価格な商品が当
月内に入ったら非常に多くなってきているという部分が非常に悩みの種であると。
最後に4点目なんですけれども、全体的な企画の部分になります。こちらにずらっとライバルの
方々が並んでおられますけれども、今まで我々は他社との競争に、どうしても勝つために商品造
成をしてきました。しかし、尐しお客さんに対しての目を向けないと、もう他社競争だけではお
客様が旅行商品を買っていただけないという部分で、あくまでもお客さんの立場に立って、どう
いった商品を欲している、というものをつくっていかないと、最終的には差別化ができなければ
価格競争に陥ってしまいますので、それをいかにしてクリアしていくというのが四つ目の課題で
はないかと。
以上、今、現状感じている課題はこの4点ということになります。
須田: ありがとうございました。
課題の中で、競争が激しいと。これはそこに、これはみんな競争しておられるんですから大変だ
と思いますが、その中から、それから脱皮をして、やはりお客の立場に立って何か新しいものを
つくるというような前向きなご発想が今、印象に残りました。
あと、IT、つまりインターネット等の利用というものは、やはり市場の姿を随分変えているん
だなというのが私が今承った印象でございました。ありがとうございました。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
それでは、塚原さん、お願いいたします。
塚原: JTB中部の塚原と申します。
私どもJTBは、2年前に分社化をしまして、JTB中部は中部の8県を担当をしております。
長野県、静岡県、愛知、三重、岐阜、北陸を含めて8県を担当しておりますけれども、私は、今
までの皆さんの立場とちょっと違いまして、8県の販売の方を主に見ていますので、そちらの観
点からちょっとお話をしたいというように思います。
まず、旅行業全体の現状ですけれども、いろいろ問題点がありますが、10点ほど挙げさせていた
だきます。
1点目が、旅行スタイルの変化によりまして、団体旅行の減尐です。ここの部分に関しましては、
10年間で約30%の取扱額がなくなっているというのが現状であります。
2点目が、先ほど出ましたけれども、多様化に対する取り組みが遅れているということ。これは
10年前を思い出していただければ、スキー客等がかなりいましたけれども、今はほとんどスキー
に行くのは日帰り旅行になっているというのが現状ですから、宿泊に結びつかないということが
実態になっています。
3点目が、尐子高齢化の問題です。こちらの影響は、今は60歳代の方が旅行を牽引している部分
がありますけれども、10年、15年たったらどうなっていくだろうということを考えますと、余り
明るくない話題になってくるというふうに思います。
4点目が、若者の旅行離れです。バーチャルで旅行をしている方々が非常に多い。これは自動会
社自動車会社にも言えますが、今、若者が車を買わない。免許もアクセサリーというふうに感じ
ていまして、免許は取るけれども車を持たないという状況が同じ旅行にも当てはまるというふう
に思います。
5点目が、インバウンドの伸びが非常に大きくなってきています。しかし宿泊卖価が上がってい
かない。人数は上がるけれども宿泊卖価が伴わない。受け入れの問題があるということです。
6点目が、先ほど来お話が出ていましたけれども、ネット販売の進出がかなり高くなっていまし
て、既存の旅行会社の店舗の問題がかなりここの部分と競合をしているのが現状です。
7点目が、サブプライム問題で、アメリカとかヨーロッパからの出張のお客さんがかなり減って
いまして、東京、大阪に代表されますが、ホテルの稼働率がかなり減っているということです。
8点目が、食の安全に対する考え方が非常に細かくなってきたということです。これはお客様の
ニーズにこたえられなければどんどん淘汰をされていくというふうに思っています。
9点目が、ここが一番大きな問題になりますけれども、景気に左右される業界であるということ。
テレビのニュースでもやっていますけれども、
「何をカットしますか」という問いに、1番目に外
食、10番以内に国内・海外旅行が入っているというのが現状です。
最後の10番目は、これもネットにかかわることなんですけれど、価格の問題があると思います。
間際にネットで販売をされてしまいますと、かなり安く、どんどん、どんどんあいていれば安く
なってくるというのが現状ですので、ここの部分が私どものリアル店舗とかなり競合をしてくる
というふうに思います。
視点を愛知の方に変えたときの課題ですけれども、まず、商品をつくる際に、近郊の自然が非常
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
に豊かな地区ですが、それが生かされていない部分。400年前の東海道、中山道が近くに通ってお
り歴史文化遺産がかなり多くなっていますけれど、ここも余り生かされていない。産業観光の施
設はたくさんあるのですけれど、ここの部分の産業観光と宿泊がうまく結びついていないのでは
ないかというのは問題になると思います。
これも先ほど出ておりましたが、愛知県は京都、大阪の方へ行くときのための通過客がかなり多
く、昼間寄って、そのまま通過してしまっているのではないかというのが現状の問題だというふ
うに思っています。
以上です。
須田: ありがとうございました。
今のお話のように、経済情勢の影響はやはり相当受けてきているなというお話がございましたの
と、情報の多様化、先ほどもお話がありましたが、これもかなり重要な問題であるというふうな
ことが認識されました。食の安全だとか、いろいろなそういうふうな最近の諸問題、そういうも
のに取り組んでおられるというような実態を明らかにしていただいたと思います。ありがとうご
ざいました。
それでは、寺西さん、お願いいたします。
寺西 まず冒頭に、左右には大手の、もう1,000人卖位の会社の方々ばかりなんですが、私は今回
は一忚全国旅行業協会の愛知県支部の一メンバーとして出席をさせていただいているということ
なんですが、現実は、中小・零細の旅行会社の全国旅行業界という組織の集まりなわけなんです。
全国からいいますと、約5,800の会員があるというふうに聞いております。愛知県には約320くら
いですかね。そんな中小・零細の旅行会社が集まっての全国旅行業協会の愛知県支部という組織
の中でやっているものです。周りの方々と比べると、非常に気持ちの上では臆病にならざるを得
ないのですが、今までのお話を聞いてみますと、大きな会社は大変だな。ともかく景気が悪けり
ゃ仕事がなくなる。我々中小・零細の旅行会社というのは、景気が悪くても余りそう大した関係
ないんです。これは日ごろのつき合い方が違うんです。やはり、人間関係のつき合い方が全く違
う営業をやっているので、景気だとか、そういうことに余り左右されないということが言えるの
ではないかなと。
もう一つ、私も独立をして、ちょうど50歳のときに独立をして13年になるわけですが、それまで
は給料をもらっていた立場から、今度は給料を払う立場になると必死にならざるを得ない。左右
の方々は仕事をしていてもしなくても給料はちゃんと入る。そうでしょう。(「それは違います」
の声あり)いや、確かにそのとおりだと僕は実感していますのでわかっているんですけれども。
それと違って、私が今度サボったり、仕事が当たらなかったりすれば、もう自分の食いぶちがな
くなるわけなんです。その必死さの思いをきょうはちょっとぶつけてみたいなということですの
で、多尐厚く熱くなる部分があるかもしれませんが、ひとつお許しを願いたいと思うわけです。
私の会社、数名でやっている旅行の会社なんですけれども、旅工房という名もない旅行会社なん
です。今やっている、今申し上げたように、現状としましては大手さんにはない営業展開をして
いる。それはすき間観光というのがあると。大手はやはり待っていたり、大口をねらったりする
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
ことが多いものですから、どうしてもすき間の中小のお客様というのは比較的見落としがちにな
るのではないかなと。あるいはカウンターでもってお客さんを待つ商売が多くなってくるのでは
ないかな。そんなことを思うわけですけれども、私は一人で、自分で数名の社員を抱えてやって
いるものですから、どんなところでも行きますし、どんなお客さんでも大事にできるというポリ
シーで営業をやっております。
ですから、とことんのおつき合いもできますし、採算は抜きにしてでも動向同行の添乗もほとん
どの添乗は動向同行してまいると。それが安心感、信頼関係に結びついて、次のへの営業に結び
つくのではないかなと思っております。
こうした中で、大手さんにないすき間の観光セールスをしてお客さんを獲得をしている。したが
って、団体旅行が基本的には中心なわけです。
もう一つは、大先輩の須田さんがおられるので非常にあれですけれども、須田さんももう間もな
く近い将来はお写真に変わる時代が来ると思うのですが、私自身がそうなんですけれども、やは
りもうしばらくしたら必ずこの世を去らなくちゃいけない。その間に自分の人生は豊かだったか
どうだったかと考えるときに、やはりその中で、元気で旅行に行けたかどうかというのは非常に
大きな要素だと思うんですね。ですから、やはりこれから4人に1人というシルバー社会を目指
して、そういう人たちの人生の豊かさをコーディネートしていく旅行会社の役目というのは非常
に多いのではないか。
高齢者を含めて、ハンディキャップを持ったお客さんも、やはり健常者と一緒に旅行を楽しませ
てあげたい。楽しませてあげたいというはばったい言い方ですけれども、一緒になって楽しんで
もらいたいなという、そういうお手伝いをしたいなと、そんなふうに思っております。
それが今、私のやっている旅工房の旅行の内容と現状なわけですが、ただ、課題が一つありまし
て、今までの中にもありましたが、やはりITでネット販売の方々への料金比較等になると非常
につらい部分があります。ただ、それは日ごろのおつき合いの中から、あるいは面談の中からカ
バーはできるとはいうものの、やはり料金的な面を前面にされると非常に難しい面がある。です
から、旅行会社もそうですけれども、政治家と同じように、政治家にも二つタイプがあると思い
ます。なってほしいという政治家もあるし、自分でやりたいという政治家もあるんですけれども、
旅行の会社もそうだと思うんですが、やはり、リーダーシップをとる以上、お客さんに提案をす
る旅行会社もあれば、お客さんのしたいことのお手伝いをする旅行会社もある。たがら、その二
つをいかに加味してやっていくかということで、ITのネット販売に対しては対抗をしていきた
いなと、そんなふうに思っております。
課題としましては、これからうちが取り組んでいきたい、それから、全国旅行業協会としても取
り組んでいきたいのは、着地型観光ということで、特に私は今、名古屋におりますので、名古屋
インのお客さんに対してどういう形をやっていくかということに思うんですけれども、簡卖な言
い方すりゃすれば、ついで観光とか、ちょっと観光ができるような着地型の商品をつくれば、あ
る程度、外から来られるお客さんも拾えるかな。あるいは、先ほど言いました5,800の仲間が全国
におられるわけですから、その方々が愛知県にインするときには、せび旅工房のネットを見ても
らえば着地型の簡卖なパックの商品が載っているというような着地型の商品をつくってみたいな
というのが一つの課題であります。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
もう一つ、大手の皆さんにお願いをしたいことは、大手の皆さんの商品を売っているのは全国旅
行業協会の零細の旅行会社がほとんではないかなと。自分の会社よりもっと多いのではないかな。
数字をとったことは私わかりませんので、一度とらせてもらいたなと思うこともあるんですけれ
ども、非常にいい商品をつくっていただいているんですが、我々が売っているということも一つ
忘れないように、ひとつ協力をお願いしたい。
以上であります。
須田 ありがとうございました。
大変現実的なお話がたくさんありました。今、非常に印象に残ったのは、景気の影響は余りない
とおっしゃった。もちろんということはないので、非常に涙ぐましい努力をしているから我々は
克服できているのだという意味だと思います。ということは、まだ旅行業の中に、つまり旅行商
品の造成の中に、まだ手づくり的な要素がかなりあるということです。手づくりでつくった商品
にきらりと光るものがあるわけですから、そういうふうなことさえやっておれば、まだまだその
景気の影響だといってあきらめる必要はないのだというふうな意味だと私は思います。
ただちょっと今そこでお話がありましたけれども、大手について痛烈なご批判がありました。こ
れはパネルディスカッションというのはそういうことをやる場所ですから、特にちょっと申しわ
けありませんが、お隣のJTBさん、何か今のご発言について、ぜひひとつ感想なり、反論があ
ったらひとつここでお願いします。短く。
塚原: たまたま隣におりますのでご指名ありがとうございます。
寺西社長がおっしゃっていましたけれど、私たちもやっぱりカウンターで待つ商売は一切してお
りませんし、顧客との接点というのは非常に細かく持ちたいというふうに思っておりますので、
そこのところはちょっと誤解のないように、ぜひお願いをしたいと思います。
商品に関しては、やっぱりJTB、日本旅行さん、近ツーさんも含めてなんですけれども、いろ
いろな商品造成をしている会社がありますので、もっともっと寺西社長のところで販売していた
だけるように、今後もよい商品をつくっていきたいというふうに指導していきますので、ぜひよ
ろしくお願いいたします。
須田: ありがとうございました。
それでは、山中さんの順番になります。これは大手旅行会社でいらっしゃいますので、今のよう
なことについての議論も含めてご発言ください。
山中: 日本旅行の赤い風船の山中でございます。
私ども、国内の商品ということで、先ほどご案内のとおり、たくさんの提携店で売っていただい
ておりますので、日々いい商品をつくるように努力してまいりますので、よろしくお願いいたし
ます。
私の順番ということでございまして、尐し、先ほど梶田さんが東京からということで、私も中部
の商品造成でございますけれども、ずっと関西で仕事をしておりまして、まだ名古屋に来てこの
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
10月でちょうど1年ということでございます。
一つ、関西から見た中部圏の、特に赤い風船ということで、個人のそういう商品という観点から
尐しお話をさせていただきたいと思っています。
二つ目に、尐し、ほとんど個人型の商品をつくっている部署でございますけれども、最近思うこ
とというようなことをお話していきたいというふうに思っています。
一つ、関西の方ということで、尐しデータ古いんですけれども、私どもの赤い風船の、関西地区
ということで、尐し正確に言えば、私どもの会社は、北陸、それから、中国も含めて、西日本と
いうことでございますけれども、商品の送客人員別で見ますと、中部ということで、これは北陸
なり、信州なりも入っているんですけれども、全体的には2割くらいということであります。た
だ、その2割をいろいろと縦横に割っていきますと、かなり関西から北陸というのが多うござい
まして、中部圏、三重、岐阜、愛知ということになりますけれども、残念ながら、ちょっときち
んとデータにはとってないのですけれども、多分全体の1%くらいというのが関西から沖縄、北
海道まで含めて個人旅行で旅行されているお客様のシェアかなというふうに思っています。
関西で見ますと、結構そういうところで距離的に大阪から考えまして、例えば、名古屋ですとか、
知多、ご当地の三河の方、200キロ圏内ということなんですけれども、極端に尐ないというような
ところが現状かなというふうに思っています。
あと、私どもの日本旅行、西日本ではかなり直営の店舗、駅構内にございまして、若年層も多い
という中で、最近、引きこもりとか、車に乗らないとかといろいろな調査、先ほどパネラーの方
もお話あったように思いますけれども、その中で、ことしはディズニーランドの25周年というよ
うなこともございますけれども、結構若年の方、旅行というか、都市観光といいますか、従来の
物見遊山じゃないんですけれども、そういった東京、横浜でありますとか、西日本でいいますと、
結構福岡なんかに行く人が多いとか、都市観光というのも結構量があるということでございまし
て、その中でも非常に、経済規模で申し上げますと、名古屋というのは関西に比べて非常に上位
なんですけれども、観光客という話になってくると全くだめというようなところが現状かなとい
うふうに思っています。
あと、私も名古屋に来まして、先だって、私どもの全国でいろいろな商品をつくる企画会議とい
うのを名古屋で中部管内いたしまして、東京でありますとか、あと、大阪、広島とかいろいろな
ところから来たんですけれども、尐し中部圏のお話ししてみますと、ご当地の三河エリア、名古
屋での宿泊、伊勢志摩、あと岐阜、これは高山とか、あと下呂とかを含めての数字なんですけれ
ども、結構関西からの送客のお客さんが多いところ、伊勢志摩が75%は関西、意外なんですけれ
ども、岐阜のエリアでございますけれども、下呂とか高山ですけれども、約半数は関西というこ
となんですけれども、残念ながら三河地区になりますと、西日本で2割ちょっとというような形
になりまして、全体的に中部が尐ない中で、三重、岐阜、愛知というふうに分けてきますと、極
端に差がついているというのが現状かなというふうに思っています。
尐し、もう一度お話をさせていただく機会があるということでございますので、そういう数字を
皆様にお話をさせていただいて、次の機会に尐しお話をさせていただきたいと思っています。
それと、名古屋に来まして、ことしといいますか、かなりガソリン高ということでございまして、
私どもの国内の商品でございますけれども、全体の伸びよりも、交通機関を利用した商品という
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
のが非常に伸びておりまして、鉄道利用というのが3割くらい伸びているというようなところで
ございまして、こういう部分も尐し、車社会という中でどういうふうにご当地、対忚していただ
けるかというようなところもポイントになっているのではないかなというふうに思っています。
ちょっと雑駁な話ですが、関西から見た愛知県ということで、これからいろいろやることがある
のではないかなというふうに思っておりますので、よろしくお願いします。
須田: ありがとうございました。
今まで7人の方から、時間をちょっとオーバーした方もいらっしゃいますけれども、ご意見を拝
聴いたしました。ありがとうございました。
ちょっとここで中間的な今のご意見の中で、課題といいますか、今、皆さんが取り組んでおられ
て一番苦労しておられる点、そういうようなことも私なりに抽出してみますと、大きく言うと3
点あったと思います。
一つは、やはり着地型観光についての取り組みに力を入れているけれども、これが大きな課題だ
ということでございます。
先ほど通過の人を何とか取り込まなきゃいけないということがございました。これは着地型観光
をやること以外の何物でもないわけでございますから、これもその努力の一つでございます。ち
ょっと見観光といいますか、そういうふうなものについても、これは通過客をとめる、あるいは
着地型の観光の一つの大きなポイントだと思いますし、リピーターをふやすについても、やはり
着地型観光でなければいけません。着地型に着目した観光の展開ということが大きな課題になっ
ていることをかなりの方が指摘されておりました。
以上、第1点であります。
2点目でございますが、経済情勢が急変してきたと。これについての対忚に苦慮しているという
お話がございました。中小企業さんのような手づくりでの対忚をしているから、いや何ともない
のだという非常に自信あふれる心強いお言葉もありはいたしましたけれども、それはそれなりに
苦労していられるということだと思うのでありますが、そういったこととか、競争というものか
ら脱皮をして、お客の目線に立つ必要が出てきたのではないかなというふうなこと。そういうご
発言がありました。このあたりも非常に経済情勢というものを後ろ向きにとらえないで取り組ん
でいらっしゃるという一つのあらわれではないかと思いますが、そういう経済情勢の対忚につい
てのお考えがございました。これは2点目です。
3点目といたしましては、観光客のニーズとか、その観光の形、そういうものの変化が著しいの
で、それの対忚に苦慮しているというご意見がございまして、これは例えば情報のつかみ方が違
ってきたと。これからITなんかをもっと使わなければいけない、紙媒体だけではだめだという
お話がありましたし、そのほかに、若者の旅行離れ。これが相当顕著なんだが、どのようにとら
えたらいいのだろうかというようなことです。団体が減ってきたと。したがって、従来の団体中
心の考え方から脱皮をしなければいけないんだと、そんなようなことです。
以上、3点。つまり着地の立場に建った着地からの情報発信によってお客を呼び込んだり、ある
いはリピーターをたくさん来ていただいたりするための施策をどうしたらいいかで一つ。2番目
には、経済情勢の対忚をどうしていくかということです。3番目には、ニーズや観光形態の変化
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
についての対忚をどうするか。
それぞれの皆さん方からも何となくにじみ出ておりましたのは、そういった変化を前向きに受け
とめて、できたらこれを逆手にとって、何かこれからの施策を進めたいというふうなお話のよう
に拝聴いたしましたので、これからの第2セッションといたしましては、そういうふうな今の変
化ないしは状況の変化ないしは一つの課題について、どういうふうな姿勢でお取り組みになって
いらっしゃるか、いらっしゃるかということとか、これから取り組んでいこうとしているか。そ
れに対して、今後の観光の展望についてどのようにお考えかという今後についての尐し前向きな
期待についても含めたお話を承ってまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
今回は時間は3分以内でお願い申し上げます。
それでは、恐縮でございますけれども、先ほど同じように、長谷川さんからお願いいたします。
長谷川: 今お話がありましたように、個人化の波というのは避けられないと思っております。個
人化といいますと、夫婦で、家族で、友人と、そして、車を使って散策などをする、こういった
ことかなというふうに思っております。
私としましては、行政に対して、または全体、旅行、観光にかかわる人たちに対して提案という
ことでございますが、三つございます。
一つ目は道路の整備、二つ目が道の駅の整備、三つ目が町並みの保存ということでございます。
1番目の道路の整備でございますが、これは、産業道路をたくさんつくれということではござい
ません。ドライブして楽しい道づくり。景観を楽しめるような道にしなければいけないのではな
いかなと思っております。景観保護法ができまして、景観を妨げる看板だとか、建物だとか、電
柱について規制がかかるようになりました。電柱で申し上げますと、無電柱化。地中に埋めると
いうことですが、これは、例えば、ヨーロッパへお出かけになった方、すっきりした町だなとい
うふうに感じられたと思います。ロンドン、パリでは100%地中でございます。そして、ベルリン
でも99%、そして、ニューヨークでも72%という率でございます。では日本の東京はどうだ。23
区では何と7.3%しかございません。名古屋ではもっと低くなりまして2.4%。ほとんど地中化は
なっていないと。ですから、景観を妨げるものがたくさんあるのだということになります。今度、
愛知県ということになりますと、ちょっとデータが違いまして、幹線道路における無電柱化とい
うことしかございませんが、全国では11.8%になっております。幹線道路の無電柱化はそのよう
に進んでおります。愛知県は5.2%。もうほとんど野放しの状態ということです。ではお客さまに、
「来てください、景観はいいですよ。おらがの町はきれいだろ」と、こう言いましても、
「何だこ
の電柱は」ということになると思います。
道の駅の整備でございますが、道の駅は卖なるドライブインではございません。休憩地ではござ
いません。今ではもう既に地域との触れ合い、または地域の情報の発信地であったり、地産地消
の場所であったり、こんなふうに変わってきております。全国でことしの8月現在でございます
が、885ございます。愛知県では10しかございません。10個でございます。これもふえておりま
せん。これも中を見ますと、三河が9、尾張地区では1しかございません。立田村に一つござい
ます。これしかございません。これで「いらっしゃい」ということが言えるのでしょうかという
ことでございます。やはり、こういったところで地域の方と触れ合うこと、これが大切ではない
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
かなと思っております。
もう一つ、最後になりますけれども、町並み保存でございます。愛知県の中には、歴史的な町並
みというのはたくさんございます。しかし、これはなかなか整備されておりません。ただ、博物
館のように整備しろということではございません。やっぱりそこに生きている人がいて、その人
たちとの交流によって、文化、それを我々が接することによって旅の楽しさというのが出てくる
のではないかなと思っております。
以上3点、これが個人化の波を受けたときに、我々全体、旅行に携わるものがやるべきことでは
ないかなというふうに思っております。
以上でございます。
須田: ありがとうございました。
町並みを見直そうということでございました。
それでは、続きまして、石川さんにお願いいたします。
石川: またちょっと先ほどのお話で、送客に頑張りますので教育旅行はやりたいと思いますけれ
ども。先ほどの話で、従来からの団体旅行が非常に減ってきているというお話になっています。
慰安旅行ですとか、招待旅行というのはかなり激減をしてきたなというふうに思っております。
逆に、大会、学会や会議卖位のマイスビジネスというのですか、そちらが非常にふえてきて、都
市型へ集中をしてきているというようなことも考えます。
教育旅行につきましては、皆様ご存じのとおり、公立の高等学校が海外旅行の解禁ですとか、航
空機の利用の解禁等で、昨今、高等学校、私学の学校につきましては、海外へ加速をしていって
おります。ところが、最近の燃油のサーチャージの高騰ですとか政情不安等で、また国内の安心
感ということで、国内に再度見直されつつある。国内につきましても、航空機のダイヤの急な変
更ですとか、機材が小さくなって、一度に運べないというような問題がありまして、また、列車
やバスで修学旅行等を行うという数がふえている傾向にあります。そういったところにつきまし
ては、愛知県等も十分今後見込みがあるのではないかなというふうに思っております。近場のよ
さを見直そうというようなきっかけになっているということであります。
先ほど梶田さんのお話もありまして、ああなるほど、一般の募集のお客様も一緒なのかなという
ふうに感じましたけれども、国内旅行の教育旅行の中でも、先ほど言いましたように、体験学習
というような目的以外でも、地域との交流を目的とする動きが急激にふえておりますけれども、
受け入れ側の対忚や体制の整備のおくれ等で勢い込んで訪れようとする学校側とのギャップが多
尐見受けられる場合も出てきているのではないかなというふうに思っております。
また、今、総務省や文科省、農水省連携の農産業総合プロジェクトというのが進んでおりまして、
民泊や地域での伝統産業を体験活動に生かした整備は、今、官民一体となって体制づくりをして
いるところだというふうに思っておりますけれども、学校側に安心感を抱かせるような連携です
とか、スペシャリティーの養成が必須となってくるのではないかなというふうに思っております。
一方、地域との本当の交流や、その場所独自の魅力といったような考え方が後回しになって、こ
ういったものが画一化されてマニュアル化されたことによって、同じような対忚をするところが
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
ふえてきているというのも今後の課題ではないかなというふうに思っております。
愛知県では、私ども考えるに、まだまだ体験施設も尐なく、脚光を浴びてきておりますけれども、
産業観光につきましても、受け入れ施設数はかなりの数に上っているとは思いますけれども、な
かなか大型校が一度で受けられないですとか、修学旅行が決定する時期に見学の予約がとれない
といったような問題等も出てきておりまして、なかなかコースに組み入れにくいというような問
題も出ております。
また、先ほどお話ししたとおり、愛知県で多いのは知多半島のような臨海学校というのが多いわ
けですけれども、いろいろな教育旅行の観点の中から、ご当地愛知県、先ほど須田さんに言われ
ましたけれども、覚悟を新たに送客をしていきたいなというふうに思っております。
蒲郡市が学生の宿泊に補助を出しているということもなかなか全国に知れ渡っておりませんので、
また再度発信をしながら集客したいなというふうに思っております。
須田: ありがとうございました。
近場の見直し、修学旅行、教育旅行の国内への見返り、こういうものがあるようでございますの
で、ぜひそれを生かしていただいて、愛知県の数字を何とか、その0.
(点:コンマ)幾らではな
くて、1ポイントくらいになるように、ひとつぜひご努力をいただきたいなということを私から
もお願い申し上げておきます。ありがとうございました。
では、梶田さん、お願いいたします。
梶田: 先ほどの尐し続きになるかもしれませんけれども、お仕着せのツアーから尐しツアーの中
身が変化してきますよというお話をしました。これは何がキーワードかというと、実は交流とい
う言葉が浮かんでくるんですけれども、観光から交流へ変わってくる、こういう変化が著しくな
ってきています。その端的な例が、先ほどお話しした祭りであったり、あるいは文化であったり、
そういったものをきちんと見ていくということだというふうに思います。
この大前提の中で、なぜ行政の方々あるいは住民の方々が観光に取り組むのかといったときには、
先ほどの景況感の話もありましたけれども、まず、その人が動くということによっていろいろな
お金の循環が始まるということ、あるいは観光産業というのは必ず人を介する産業であって、ど
こまで行っても人の手をなくすことはできない産業だということからいうと、リタイアをされた
方々の活躍の場、あるいはその雇用といったところが生まれてくるということが確実な効果とし
てある。逆に言うと、景気を持ち上げる効果もあるのだという認識の中で、ぜひ一番やっていた
だきたいのは、その地域の住民の皆さんの理解を得た上で、交流というテーマの中にあるイメー
ジで地元のスポットに光を当てるというのか、商品化と言ったらいいのでしょうか。そういった
ものをつくっていく、それを一遍に海外から人を持ってくるって、これも先ほどの卖価等々の課
題もありますから、むしろここのエリアでいけば非常にインフラが充実しているわけです。例え
ば、東海道新幹線しかりでありますし、もう片方で言うと、東名あるいは中央といったところも
すべて東京から、関西から、一旦はここを通っていくわけなので、そこのインフラは十分ありま
す。唯一足らないといったら、海のインフラというのが多分足らないんだろうというふうに思っ
ています。船旅が非常に人気になってきているということからいけば、これだけの海を持った県
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
でありますから、そこでのインフラは必要ではないのかなと。ほとんど貨物港になってしまって
いると、こんな状況になっていますから、ぜひ蒲郡港、あるいは豊橋港でも構わないと思うので
すけれども、そういったところにもスポットを当てていただければなというふうに思います。
そういったところを真剣になってやっていただくと、今度は最後、ホスピタリティー、要はおも
てなしの心という点になってくるのだろうというふうに思っています。そういった方々が訪れら
れて、必ずやここのいろいろなスポットを観光された後では、もう一度来ようという気になる町
だというふうに私は信じていますし、そういった声をたくさんいただいていますので、そこをお
互いにやっていくことによって、もう一度来たい町みたいな形の流れになるのが一番理想的かな
というふうに思います。
以上であります。
須田: ありがとうございました。
景気アップ効果が観光では非常に大きいのだということの認識をもっと深めてもらいたいなとい
うことがございましたことと、もう一度訪れたい町になるように。非常にいいご意見でございま
す。できたらこれの実現を心から期待をしたいと思います。
それでは、田中さん、お願いいたします。
田中: 梶田さんと同じ形になりますけれども、エスコートから、先ほどパーソナル化になってき
たということで、今後どうするかという部分でいきますと、エスコートにつきましては、やはり
本来であればそのエスコートの中でも、この愛知県であれば、その団体ツアーの中でも、個人が
楽しめるようなツアーを提案していくのが正しい形なんですけれども、まだまだ我々商品造成の
能力が足らない部分でいきますと、なかなかエスコートツアーとパーソナルを組み合わせた形が
まだ提案しきれていないというのは、今後の勉強をしていかなければいけないという部分と、や
はりそのパーソナルにつきましても、いい素材はこの愛知県、蒲郡もたくさんありますけれども、
素材提供だけでは、やはりお客さんはもう物足りない。我々旅行商品つくる側がもうプロなんで
すけれども、いかにしてその素材を組み合わせて提案できるかということが形になると思います。
くどいですけれども、イベント性をいかにして持たせるか、先ほど弊社の部分でいきますと、宿
泊企画というのは、基本的にお宿、食事を売りますけれども、その地域ならではの、いわゆる地
域の、地元のツアーなんですけれども、これは大人数では全然なくても結構なんです。2.8人が宿
泊の今の平均の人数ですから、3人、4人だけでも見れる、もうその人数しかできないような体
験のツアーがあっても全然オーケーであり、そういうものもパンフレットに載せることによって、
メイトの、我が社のその差別化も図れるのではないかと。
あと、やはりにせものといおうか、部分というのは、お客さんが非常に食べ物、見せ方について
も本物志向というのも非常にはっきりしてきておりました。だから、中途半端な商品はやはり売
れません。いい物はやはりしっかりと本物志向の部分で提供していかないといけないと。
また最後に、我々商品造成者というのは自分勝手な部分を考えがちなんですけれども、地元の旅
館の方、観光協会、もしくはいろいろな方々とともに開発をしていくということが、それをお客
さんに新しい物を提案していくというのは一番大切ではないかというふうに思っております。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
また尐し長くなりますけれども、また、インターネットの部分につきまして、これは弊社のやっ
ていかなければいけないという部分でいきますと、先ほど紙媒体の部分でいきますと、うちのパ
ンフレットもそうですけれども、隣のライバル、エースもそうなんですけれども、赤い風船さん
もそうです。多分パンフレットを、愛知県というパンフレット、ここでいうと愛知県です。多分
並べて、お客さんに、
「これはどこの旅行会社のものですか」と。多分似たり寄ったり。ほとんど
変わらないというふうに思われます。ですから、多分、旅行会社のパンフレットはお客さん、見
ていても楽しくないのだろうなと。ここをインターネットはいろいろな情報がありますけれども、
まずは旅行のパンフレットを楽しくとってもらうような形に変えていかないといけないという部
分がこれからの課題であり、また、インターネットの部分ではない紙媒体の持って楽しめるよう
な、旅行の行く前の楽しさを提供するということが必要ではないかなというふうに思っておりま
す。
以上です。
須田: ありがとうございました。
はっきり申し上げて、個人旅行にふさわしい商品を、やっぱり素材を集めて造成していかなきゃ
いけないんだと。絶えず開発があるのみというお話があったので、ぜひこの点について期待をし
てまいりたいと思います。ありがとうございました。
それでは、塚原さん、お願いいたします。
塚原: またちょっと他地区の例ですけれど、日本最大の観光地というのは東京だというふうに言
われています。なぜかといいますと、テーマパークとかコンベンション、ショッピングセンター
や美術館や資料館等々そろっていまして、お客さんのニーズにこたえている地区だというふうに
言われております。私、長野県の出身なんですけれど、片や長野県の方を見てみると、二つのイ
ベントに偏り過ぎているというのは新聞記事で以前出ておりました。
一つが善光寺の御開帳と諏訪の御柱なんです。いつまでもこの二つに頼っていたらだめになるで
しょう というのが例で出ていたのです。この中に長野県の方がいらっしゃいないことを祈って
いますけれども。それを考えると、では愛知県で何ができるのだろう、また、ほかの地区でも何
ができるのだろうかということを考えますと、先ほど話をしましたけれど、食の安全の関係でい
きますと、農業の体験型、これは観光業者の皆様が参加をするのではなくて、地域の住民が参加
をした体験型ができないかどうか。今、世界で騒がれています環境問題の関心の高さをうまく商
売に、旅行の方に取り入れられないだろうか。カーボンオフセットの取り組みとか、産業観光の
部分に入りますけれども、環境問題を真剣に考えている会社さんの工場見学等ができないかどう
か。3点目が健康を課題にしたツアー、着地型ができないかどうかということの3点をまとめて、
連泊型の方につなげていければいいなというふうに感じております。
以上です。
須田: ありがとうございました。
それでは、続いて、寺西さん、お願いいたします。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
寺西: 今までのお話の中で、大先輩のお話の中にも、団体のお客さんが減ってきているというこ
とで、そういう嫌いは確かにないことはないと思うのです。私も、やはり団体客が減るというの
は、やはり個人社会の企業づくりが今随分進んでいるものですから、引きこもりがちだったりと
か、もう個人主義が徹底したりなんかすると。そういう時代だからこそ団体旅行が必要なのだと
いうプロモートを我々旅行会社がしないといけないと僕は思っているのです。やはり、こういう
個人主義で、ふだんなかなかコミュニケーションがない会社の中での生活をやはり取り戻すため
には、団体旅行でいっぱい同じかまの飯を食ったり、風呂に入ったりすることによって再構築が
できるのだということを声を大にして、成功した例もありますので、またぜひ、この場を借りて
お勧めをしておきたいなと。我々がその団体減を受け入れるのではなくて、団体造成のための理
論武装もしなくてはいけないのだろうなと思います。
今、非常に疑問に思っていることは、食事が非常に多過ぎるのではないかな。特にシルバーだと
か、そういう高齢者の方の仕事を結構やっていると、お金は確かに出せば、こんなに高い卖価だ
から、こんなに出さなくちゃいけないのかということではなくて、いい物をやはり尐し食べたい
というお客さんの意向が非常に強い。ですから、旅館の方々と共存共栄で、受け入れ型の方々と
相談をしながら、やはりそういう受け入れ型の方々の対忚についての注文をつけたりとか、一緒
になってお客さんが喜んでいただけるニーズを開発する必要があるのではないかなと思います。
最後に、着地型という意味では、これはインバウンドも含めて、産業観光なんかは特にインバウ
ンドは産業観光は非常に希望される方が多いのですので、これも着地型で開発していく必要があ
ろうかと私は考えております。
着地型であればこそ、地元でつくる旅行だからこそ本物ツアーができるのではないかな。そのた
めにはやはり、サルク博ではないのですが、私はこれから語り部をつくっていきたいなとは思っ
ているのですけれども、語り部と一緒に行く、どこどこへ行くというちょっとツアー、ついでツ
アーを開発すれば、結構個人のお客さんも名古屋に、あるいは蒲郡に来た場合でも受け入れられ
るような要素になるのではないかなと、そんなふうに思っております。
それともう一つ、最後に、やはりゆとりの観光というか滞在型。通過型というよりも、物見遊山
で忙しいツアーというよりは、滞在型でゆったりした旅行をつくっていきたいなと。特に海外旅
行なんか、私自身はやはり高額旅行商品をつくる関係もありまして、やはりできるだけ最低限2
泊ずつはしていきたいなという旅行を開発していった方が利益率のいい、お客様、満足していた
だける商品づくりができるのではないかなと、そんなふうに思っております。
観光と、そしてまちづくりというのは切っても離せないものですので、先ほどのお話の中にもあ
りましたように、道の駅だとか、まちづくりの古い町並みの保存とかいうこともありますけれど
も、新しいまちづくりという意味でも、これは切って切れないものだと思いますので、蒲郡の場
合でいきますと、ヨーロッパのオンフルールだとか、コート・ダジュールの方にある屋台の羅列
をずっとして歓迎をするようなまちづくりがなされれば、また新たな魅力が出てくるのではない
かなと、そんなふうに思っております。
以上です。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
須田: ありがとうございました。
今のお話でちょっと感じましたのは、商品といいますか、観光商品について、もう尐し差別化を
考えていったらどうなんだろうかなと、人によって。徹底的に安い商品というのも考えなければ
いけません。また、ある程度お金はかかるけれども、本当に深い、掘り下げた商品、そんなもの
が必要のような気がいたします。それと何げない商品というのが、私、もう一つ必要なような気
がいたします。例えば、何もないところがヒットするというふうなことが最近あるわけです。森
進一ではございませんが、
「襟裳岬は何もない春です」という歌を歌ったら、何もないところへ行
こうって来た人がたくさんいたという話でありますし、大井川鉄道に「尾盛」という駅があるそ
うでありますけれども、ここは何もない駅だというのが有名になりまして、だれも乗り降りのな
かった駅に今では平均200人来るそうであります。そこに落書き帳を置いたらば、
「何もないから
感激して帰った」と書いてあるそうです。何もなくても観光資源になるならどこでもできるわけ
でございまして、そんなようなこともちょっと今の話を聞きながら感じました。着地型のこれも
一つの例だと思います。ありがとうございました。
それでは、山中さん、お願いいたします。
山中: 先ほど、着地の魅力、それから、そういった競争、あとITなり、若者の旅行離れという
ことでお話があったようですけれども、尐し一問一筓という形ではないのですけれども、先ほど
私の申し上げました、結構若者といいますか、要するに、都市観光ということで、本当に、名古
屋市はもう尐し本当に真剣に取り組んでいられるのかというのは非常に疑問ですよね。ずっと関
西でやっていまして、結構そういう首都圏、京阪神、福岡とかという、まあまあいわゆる巨大都
市というのはそれなりにその情報発信もあるということなんですけれども、尐し、先ほど貨物港
とかというようなお話もされたんですけれども、私も名古屋に来まして、あのあおなみ線という
電車に乗りまして、名古屋港って何か、どこかレストランがあるのかなと思って行ったら、倉庫
しかなかったというようなところでございますので、尐し、きょう蒲郡にお邪魔しているのです
けれども、一つは、名古屋という日本有数の都市の情報発信、何で要するに都市観光をやるかと
いうことを真剣に考えていただきたいなというふうに思っています。
中部圏からの旅行ということでなくて、尐し、ずっと関西で仕事をしておりましたので、いろい
ろなところから愛知県に来てもらうというところの中で、今、先ほど交通機関の利用のお客さん
がふえているということで、駅前観光地というのが非常に今はやっておりまして、例えば、鳥羽
でありますとか、下呂とか、高山とかということでございまして、ご当地蒲郡もそのJRの新快
速電車に乗ればすぐということでございますので、そういった、かなり車で来るのではなくて、
今、新幹線も速くなっているというようなことで、広域に集めるということで、その駅前観光地
ということで売っていきたいなというふうに思っています。
その中で一つは、やはり二次交通といいますか、駅前だけではなくて、尐し、周りを回るという
ことをどのように取り組んでいくか。かなり交通事業者さん、いろいろおられるということで、
どこかが多分取りまとめないと、それぞれのこのエゴというのが出てくると思うのですけれども、
広範囲に集めるという中では、そういった二次交通、格安のタクシーであったり、フリー切符で
あったりとか、そういったものを本当につくって、尐し名古屋圏からの車で1泊というところで、
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
十分であればそういう施策はないと思うのですけれども、尐し旅行として首都圏なり開催圏、最
近は新幹線が速くなったということで、私どもも九州からの名古屋の商品がかなりふえていると
いうことでございますので、そういう広範囲にやっていくために、着地二次交通の整備なんかを
真剣にお考えをいただきたいなというふうに思っています。
それと、あと尐し、私ども団体の方の非常に以前から苦手であったわけでございますけれども、
今、旅行会社の方、団体と宿泊卖品みたいな話になっていまして、宿泊卖品というのはいろいろ
な方がおっしゃっているネットということがありますので、やはりさっき申し上げた二次交通と
か食事とか、個人でフルセットでお楽しみできるものを私どもを全社的に取り組んでいこうとい
うことでいろいろなところでやっているわけでございますけれども、そういった企画に、ぜひい
ろいろなご当地ならではのアイデアを出していただいて、そういうことによりまして、私ども旅
行会社の方も宿をお売りするだけではなくて、発地からの往復の足、現地での過ごし方、それを
エスコートという形ではなくて、個人の対忚のお客さんでご販売するということで、旅行会社に
とってもメリット、それから、きちんとそういう当地のところで食事をとってもらう、見てもら
うということで、要するに、その当地の魅力をいろいろ発揮できる仕掛けにもなってきて、それ
がよければリピーターになるというような形でございますので、そういった取り組みをぜひいろ
いろと一緒にやっていきたいなというふうに思っています。
以上でございます。
須田: ありがとうございました。
今、第2セッションのお話を第2・1セッションとつなげてちょっとまとめてみますと、第1セ
ッションの際には観光のニーズの変化ないしは観光の形の変化に対した対忚が必要だというお話
がありました。その次に、経済情勢の変化にどう対忚していくか。着地型の観光をどうつくるか、
そういったところに今後の課題があるというお話がございました。それに関連をいたしまして、
今のお話は、そのニーズの対忚の方では、新しいやっぱりツアーというものを考えていかなけれ
ばいけないのではないかと。産業観光もそうでございますが、道ないしは町並みづくり。という
ことは、これは同時にまちづくりと観光をどう結ぶかということになると思うのでありますが、
そういったこと。
環境関係も逆手にとって、これを観光資源にする。リサイクルなんかもそうだと思うのですが、
同時に、ヘルスツーリズムのような新しいジャンルの観光をやっていったらどうかというふうな
ことです。そういうふうなことがありました。
それに関連をいたしまして、経済情勢に対忚していくためには、やはり商品の差別化をやってい
くと。いいものは徹底的によくする。安いものは徹底的に安くする。そして、ニーズをつかんで、
そういった今の新しい観光等を入れた積極果敢な商品づくりを絶えずやっていくということ、こ
ういうふうなご意見がありましたし、着地型の観光については、第2セッションでもお話があり
まして、やはり本物の商品づくりというのはそういうものが要る。極端に言えば、語り部を入れ
たような、そういうソフトの面も含めた、何かそういうような着地型の観光をどんどんつくり、
ならでは観光をやっていかなければいけないのだというふうなお話がありました。
全体を通じる一つの基礎的な問題といたしましては、交通手段の整備、二次交通を含めた交通手
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
段の整備の問題。あとは商品の造成についてのいろいろな問題、そして、流通市場の整備とか、
そういったようなことについても言及をされたというふうに考えております。
それでは、ただいまからお一人30秒くらいずつで、30秒です、30秒ずつくらいで、これからの観
光ということについて、一言だけお話を承ります。こうしたいというのを一言で結構でございま
すから、叫んでいただいても結構でございますから。その後、最終的なまとめをして閉じたいと
思いますので、恐縮でございますが、長谷川さんからお願いします。一言お願いします。
長谷川: 私のモットーでございます。地域の方が自分の町を愛して、そして、自分の町に来てい
ただくようにしつらえるということだと思っております。
須田: ありがとうございました。それでは、石川さん。
石川: 先ほどから、愛知県、尐ない、尐ないという後ろ向きな発言が多いのですけれども、もっ
と我々が率先してPRをして、愛知県の誘客がふえるように努めていきたいと思います。
須田: ありがとうございました。それでは、梶田さん。
梶田: 今現在、東京におりますので、東京首都圏のお客様をぜひこちらの愛知県の方にたくさん
送客できるように、実際のやはり本物をツアーとしてできるような形でやっていきたいというふ
うに思っています。
須田: ありがとうございました。それでは、田中さん。
田中: くどいですけれども、売り手の都合ではなくて、買い手の立場に立った形でお客さんを満
足させる旅行を一緒になって提案していきたいなというふうに思っております。
須田: ありがとうございました。塚原さん。
塚原: おもてなしの心というのは、言葉で言えば簡卖なんですけれど、リピーター客をふやすよ
うな商品づくりをしていきたいと思います。
須田: ありがとうございました。それから、寺西さん。
寺西: 日本の方も海外の方もそうですが、優しい手づくりの旅をお届けする旅行会社になりたい
なと、そんなふうに思っています。
須田: ありがとうございました。それでは、山中さん。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
山中: それぞれの観光地といいますか、着地の方々と最大限の情報発信をして、お客さんをどう
運ぶかということを日々にご一緒に進めていきたいというふうに思っています。
須田: ありがとうございました。
はっきり申し上げて、やはり旅行業の方々でございますから、リピーターの来る商品づくりをす
るということでございますが、それについては、やはり手づくりの、きめの細かい商品づくりを
しなければいけないのだと。その着眼点はまず自分の町を愛することから始まると。そして、本
物のツアーをそこにつくり上げ、そしてまた、買い手の立場に立った商品づくりをしなければい
けない。ここにおいても顧客中心の商売というのは非常に大事だというふうなこと。こういうよ
うなことでお話がございましたので、これができれば、あしたから華やかな商品がどんどん出る
ものと期待をいたしております。
最後にちょっと私の私見も含めて、愛知県の観光について、今のご意見をまとめる意味において
申し上げておきますけれども、私は愛知県というのは、全国最高の観光地ではないかと思います。
さっき東京が観光地だというお話がありました。確かにそのとおりであります。東京がそうなり
ますのは、ものすごい情報発信力を持っているからです。ものすごい交通機関の求心力を持って
いるからです。嫌でも東京に行かなければいけないようにできているのですから。東京に行く列
車を上り列車というのは、それでおわかりのように、みんなが東京に行くようにできているわけ
ですから集まるのは当たり前なんです。そして、情報がものすごい力で発信される。あれだって
行かない人間は何か時代おくれみたいになるような、毎日テレビ見ていると時代になりますから、
明らかなのです。
愛知県にはそれが残念ながらない。ないというか尐ない。しかし、私は皆さんにお考えいただけ
ればいいと思うのでありますけれども、これだけ史跡のたくさんあるところは正直言ってありま
せん。それは戦国時代の舞台だったからでありますが、これだけ個性の多い町がたくさんある。
城下町がこんなにたくさんあるところはないのです。愛知県出身の殿様が全国に80%いるという
ようなことは、他の県にはないのです。こういうことができるのは愛知県でしかありません。
自然景観につきましても、市内から活火山が見える政令指定都市というのはそうたくさんないの
ですから。御嶽山は煙が出ていたことがあります。私の事務所から煙が見えたことがありますか
ら、あれは活火山。ああいうものがここから見えるのです。そういうふうなところは、あれだけ
幅のある景色が見えるところはどこにもありません。あらゆる景色が四方八方に広がっている。
すばらしい景色だと思うのでありますが、これそういうふうにだれも売り込もうとしないから、
当たり前と皆さんが思ってしまわれるから売れない。富士山が見えないことは残念ながら事実で
すけれども、それ以外はすばらしいパノラマが広がっている。自然景観でもすばらしいものがこ
こにあるということを忘れてはならないと思います。
もうあらゆる面で、観光資源がこれだけそろっているところはないと。そう思って皆様方とご一
緒に町の周りを見回してみれば、どこにでも観光資源があるわけであります。問題はそれができ
ていないのは、発掘ができていないことと、だれもが気がつかないことと、余りにも日常的だか
ら。次に、情報の発信が十分でないことと、それの位置づけが十分でないからにすぎないのです。
先ほどもお話があったような考え方で旅行会社の皆さんいらっしゃいますから、この方々はこれ
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
から大いに発掘をして努力していただけると思いますけれども、愛知県は全国唯一のすばらしい
景観のそろった県なのだというようなふうに思って、もういやが上でもそう思ってやっていった
ら変わっていくと思うのです。また変わるべきであります。そういうふうな気持ちできょう現在
なっていただくことが、本日の観光シンポジウムの意味ではないかと思うので、それを申し上げ
ておきたいことが一つ。
もう一つは、先ほどもお話がございましたけれども、毎日膨大な観光客が愛知県を素通りしてお
ります。私どもの統計によりますと、東京、名古屋間の新幹線のお客様は1日平均6万人です。
東京から京阪神、京都、大阪、神戸の間を流動するお客さんは1日15万人くらいあるのです。そ
の差額の約10万人近い人間がここを素通りしているわけです。新幹線のお客様には観光とビジネ
スを含みますが、尐なくとも4割は観光客だと私は見ております。土日では7割、観光客。ウイ
ークデーはその逆ですけれども、大体4割はあると見ている。そういたしますと、数万人の観光
客が毎日ここを通過しているわけです。どうしておりてもらえないのか。どうしてあれを降ろす
ことができないのかということを皆さんでご一緒に考えてみれば、やはり方法はいろいろ出てく
ると思うのであります。ひとつ皆さんとご一緒に、愛知県に眠っております観光資源を、とにか
く身の周りをもう一遍観光する心で見直して、そして、新幹線のお客さまをここでおりていただ
くように、中部空港により多くの方が来ていただくようにすることができれば、私は日本一の観
光ゾーンになることは決して夢ではないと思います。ここにおられる中央旅行会社の皆様方は力
強いお言葉をいただきました。あしたから、とにかく旅行客の身になって、とにかく訪れてよい
商品づくりをするのだとか、リピーターをふやす商品づくりをするとか、手づくりの旅をつくる
とおっしゃっていただいたわけでありますから、これを決してここだけの言葉にしないで、尐な
くとも来年のこの会合のときに、
「あんた、そうおっしゃったけれども、できましたか」というこ
とを皆様の前で私は問いたいと思うのでありますが、そのようなご努力をお願いして、本日のシ
ンポジウムは時間がまいりましたので、この辺でお開きにさせていただきます。
長時間ご協力いただきましてありがとうございました。
(拍手)
司会: ありがとうございました。
パネリストの皆さん、そして、コーディネートの須田さんにいま一度大きな拍手をお送りくださ
いませ。ありがとうございました。
(拍手)
どうぞそのまま、皆様の拍手でお送りくださいませ。どうぞお進みくださいませ。
ありがとうございました。
(拍手)
皆様もありがとうございました。
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交流会の部<ホテル竹島 コンベンションホール海皇>
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
開会の辞
皆様こんばんは。
第1回愛知県観光交流サミット実行委員会
副委員長の本多でございます。主催者を代表しま
して開会のあいさつをさせていただきます。
本日は10月の行楽のシーズンのお忙しい中、関係各所の皆様にご出席を賜りまして、高い席で
はありますがお礼を述べさせて頂きたいと思います。本当にありがとうございます。
そして、先ほどのシンポジウムでは日本観光協会中部支部の須田様、トップツアーの石川様、
クラブツーリズムの梶田様、近畿日本ツーリストの田中様、JTB中部の塚原様、旅工房の寺西
様、名鉄観光サービスの長谷川様、日本旅行の山中様、こちらからの無理なお願いにもかかわら
ず、心よく了承してくださり感謝の気持ちでいっぱいです。そして、国土交通省中部運輸局様、
愛知県様、日本観光協会中部支部
様、日本旅行業協会様、全国旅行業協会愛知県支部様、愛知
県ホテル・旅館生活衛生同業組合様、愛知県東三河協議会様、三河観光ネットワーク協議会様、
東海旅客鉄道様、近隣の市町村様、近隣の商工会議所、旅行エージェント様、マスコミの各社様、
等々多くのそして多方面の方々にも支えられ、愛知県観光協会と協力し本日に至りましたこと、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。高い所からではございますがお礼を述べさせて頂きます。
本当にありがとうございます。
さて、観光は地域経済の活性化に寄与すると共に、国際交流の増進など今日の我が国の重要な
政策の一つに位置付けられています。また平成19年1月より施工されました 観光立国推進基本法
や本年度10月より観光庁の設立を受け、今後ますます国内における観光の発展に期待が高まって
います。
そして本年は「三河湾国定公園指定50周年」であり、JR蒲郡駅を含む「東海道線5駅開業120
周年」という蒲郡にとって記念の年でもあります。
こうした背景の中で、愛知県の観光で活躍される観光業界を中心に「愛知県観光交流サミット」
を計画し、ここ蒲郡で第1回目を開会させて頂く運びとなりました。
皆様もお気づきとは思いますが、只今蒲郡市は観光ウィークの真っ盛りです。
町中にでれば、ぐるりんバスが東廻り、西回りと無料で市内の観光地を結び、海からも竹島桟
橋、西浦港、ラグーナ蒲郡と無料のぐるりん船が結び、多くの観光客の足となり、そしてJRで
来たお客様にはコンシェルジュサービスとして、蒲郡駅に荷物を預け、宿泊の旅館まで届けると
いったサービスを展開しています。皆様もぜひ利用して頂ければと思います。
話は飛びますが、今日の講演会が始まるまで、いてもたっても居られなかったのは事実であり
ます。
1300人収容の会館に事前に整理券レベルで把握した人数が700人。
「800人の人が入ら
ないと講演会として恰好がつかない」と言われ、12時に開場して、12時30分で200人位の人しか
埋まっておらず、何度もトイレに駆け込んだ次第でありました。ところが13時開演の段階で1200
人の入場が確認でき、この業界の一角を担ってる私としては非常にあったかいぬくもりを感じた
次第です。
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
これもひとえに、ここに参加して下さっている皆様がたのたまものと、本当に感謝の気持ちで
いっぱいです。本当にありがとうございます。
簡卖ではございますが、皆様へのお礼を開会のあいさつとさせていただきます。
蒲郡市観光協会企画推進委員長 本多 宏亘
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第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
次 第
時間
LAP
18:00
5
開宴の辞
18:05
5
ご来賓挨拶
蒲郡市長 金原 久雄
18:10
4
乾杯
愛知県議会議員
18:14
26
ご歓談
18:40
15
アトラクション①
ひろはまかずとし「言の葉パフォーマンス」
18:55
3
ご歓談/舞台転換
途中;司会者が奇術を披露
18:58
20
アトラクション②
芸者「三味線」
19:18
5
来年度のご案内
19:23
4
中締め
19:27
3
事務局からのご案内
19:30
項 目
担 当
第 1 回愛知県観光交流サミット 実行委員会
副委員長 本多 宏亘
大竹 正人
BGM:青木美佳(音楽工房LIEBE)
ピアノ
知多ソフィア観光ネットワーク
代表 山本 勝子
愛知県観光協会
終了
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専務理事 杉戸 雅典
第1回愛知県観光交流サミット 2008 in がまごおり
特別研修会
サミット記念座談会
シンポジウム開会挨拶遠山実行委員長
シンポジウム
交流会会場
交流会会場
交流会開宴挨拶 本多副委員長
来賓挨拶:蒲郡市長
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交流会アトラクション
交流会乾杯
観光交流サミット 2 日目
小委員会報告 杉戸専務(愛知県観光協会)
専務理事
小委員会報告 井上課長(愛知県)
小委員会報告 伊藤事務局長(日観協)
三河地域観光発表:豊川市観光協会
事務局挨拶 遠山専務理事
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