『ロードオブザリング』の作者トルキーンが作品のなかで描こうとした世界

TREES
『ロードオブザリング』の作者トルキーンが作品のなかで描こうとした世界はどのよう
なものだったのだろうか。彼はロマンスを大切にしていた。ある論文によれば、「ロードオ
ブザリングはロマンスの見方を表現する作品」("The Lord of the Rings expresses the
vision of Romance")であり、「ロマンスとは人間の調和に重点を置いている考え方である」
("romance insists upon the harmony of human being")(Zimbardo 68-69)という風に述
べている。その根拠は、この話には様々な種族が存在していて、これらの種族は物質的に
濃いか薄いかを基準にして一つの連なりとして並べることが可能だという点にあるという。
そこで今回は、トルキーンが描こうとしたであろうロマンスの世界についての根拠を別の
視点から探ってみることにする。上記の論文では種族に注目していたが、私は木に注目し
たいと思う。
木に注目したのは、トルキーンは樹木崇拝者だったからである。彼は子供時代からいに
しえの生物を敬い愛して、ある意味で木々には心があるのだと考えていた(ディヴィット
110)。それはおそらく、彼の母が植物学に多くの時間を割き、息子の植物を見たり感じた
りする楽しみを目覚めさせたからだろう。その結果、トルキーンは風景と木を描くのを好
んだ(Wikipedia)。ここから連想されるのは、彼の短編物語「ニグルの葉」である。この物
語に登場する主人公のニグルは、葉を描くのが上手な画家なのである。そしてその主人公
は、一枚の葉を描くのに長い時間を費やす。しかも、この「ニグルの葉」と「妖精物語につい
て」を 1964 年にまとめた本というのが、
『木と葉』というタイトルなのである。このタイト
ルを見ても、幼い頃から培われたトルキーンの樹木崇拝は後の彼の作品にも大きく影響し
ているといえるのではないだろうか。
ではトルキーンの描く木とロマンスの関わりをつかむ前に、本論におけるロマンスにつ
いて定義しておきたいと思う。ここではロマンスの四季の循環サイクルを大切にするとい
.. ..
う点から、ロマンスにおける生命と調和の二点に着目する。生命は、四季が繰り返し循環
するためには必ずいつかは滅びなければならない。なぜなら一度滅びるからこそ新たに生
命が誕生し、四季が循環するからである。また調和は、この循環のなかでとられるべきで
ある。例えばこの循環からはみ出して定めのある生命の時間を延ばしたり、特定のものだ
けが権力を握ったりすることは、この調和を乱すことと考えられる。
さて、ロマンスとトルキーンの描く木にはどのような繋がりがあるのだろうか。このこ
.. .
とを先ほど取り上げた生命と調和の二点から探っていくことにする。第一に、生命と木の
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関係はとても密接である。木はその繰り返し更新される生命力によって、「生命の木」とし
てキリスト教でも非常に大切にされているものの一つである(西洋シンボル事典
81、イ
ギリス文学辞典 357)
。では、
『ロードオブザリング』のなかで木はどのように描かれてい
るのか。木と聞いてはじめに思い出されるのは、やはり樹木の巨人エントだろう。エント
は第三紀に中つ国に生存していた最も古い種族で、トルキーン自身も「エントがいつやって
きたのか、また初めて姿を現したのかは誰にも分からない」("No one knew whence Ents
came or first appeared.")(The Ent 116)と Kathleen Farrer への手紙のなかで記して
いる。このことは、暗に木が原始的な存在であることを表しているのではないだろうか。
木が原始的な存在であることは、『創世記』の記述のなかに「命の木」がエデンの園に置かれ
ていることからも言える。つまり、トルキーンは木を原始的な存在とし、生命の誕生の象
徴と考えていたのではないだろうか。このように考えると、トルキーンの描く木はロマン
スを反映していると言える。
. ..
第二に、トルキーンの描く木に注目してみると、木が調和の象徴だと読み取れる点がい
くつもある。調和というのは、いくつかのものが集まり、全体として上手くつり合ってい
る状態のことだ。そこには個と個々が集まった全体とが存在する。個々同士が上手くつり
あって初めて、一つの調和のとれた世界が誕生するのである。そこで「一」という数字に着
目してみたいと思う。トルキーンはこの「一」にこだわっていた。ロマンスにおける「一」と
いうのは、二通りの意味を含んでいる。個々を意味する「一」と、個々が集まって調和がと
れたときに初めて成立する全体の「一」である。
まずトルキーンは個々の「一」にこだわっていた。
『木と葉』の序文で、トルキーンはタイ
トルに木を選んだ理由について次のように述べている。「木を選んだ理由はこうだ。木はす
ぐに種類がわかる。そして一本一本が限りなく個性的だ。だが、他のものだってそうだと
いうのであれば、私の場合、たいていのものより(人間よりもずっと)木に注目するから
だ、といおう」(トルキーン 13)。さらにトルキーンが万物のひとつひとつを大切にするこ
とは、「ニグルの葉」からも読み取ることができる。主人公のニグルは始め、あくまでも葉
にこだわり続けた。そして何時間も一枚の葉を描くのに費やして、のちにそれは木になり、
枝を伸ばし、林になり、最終的には森の絵になった。そのような描写から、一枚一枚の葉
が集まってやっと一本の木となり、一本一本の木が集まってはじめて林になり森になるの
だということを我々はよく理解することができる。トルキーンはいきなり森を描くタイプ
ではないのだ。あくまでも森は林の集まりであり、林は異なる木々の集まりであって、そ
のなかの一本の木をよくみると、一枚一枚の葉がそれぞれ精一杯生きているのだというこ
とを彼はよく知っていたのだと思う。このことは、冒頭で取り上げた論文で述べられてい
たように、トルキーンがそれぞれの種族を大切に扱っていたことからも明らかである。
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そしてもうひとつの全体としての「一」を、トルキーンはファンタジー小説のなかで描こ
うとした。小説にこだわった理由は、演劇だと人間以外のもの(エントなどの樹木)はリ
アリティがなさすぎて出番がないからであるという(トルキーン 94)。ここからもトルキ
ーンの木へのこだわりが伺える。また彼はファンタジーとは想像の産物に現実らしい一貫
性を持った準創造物を作り上げることだと定義づけた。このことを踏まえて作品を読むと、
ファンタジーの世界に一つの完全な世界を作りたかったという彼の思いを汲み取ることが
できるのではないだろうか。そのことから、ひとつの完全なるファンタスティックな世界
を作り上げるという意味でも、この全体としての「一」という概念と結びつけて考えること
..
が可能だろう。トルキーンは作品のなかに木を描くことで、ひとつの「調和のとれた完全な
ファンタジーの世界」を描きたかったのではないだろうか。葉や木の一つ一つを大切にして
いたのも、葉の一枚一枚がそれぞれしっかりしていて全体の調和がとれて初めて一本の立
派な木になるのだと考えていたからに違いない。
木が調和の象徴だと読み取れる点は他にもある。先ほども述べたように、調和とはいく
つかのものが集まり、それぞれが全体としてバランスよく存在している状態のことだ。だ
から世界の調和とは、二極化しているものが両方同時に存在することで成り立つものだと
考えることができる。具体的には、善だけ悪だけという世界ではなく、善もいれば悪もい
るという世界のことである。『ロードオブザリング』のなかには、このような二元論的な要
素がふんだんに盛り込まれている。なかでも特徴的なのは、木が集まって出来ている森で
ある。作品中には末つ森、古森、トロルの森、ロリアン、エントの森などが描かれている
.. ..
が、どの森でもフロドたちは幸運と災難の両方を体験するのである。例えば、末つ森では
フロドたちは黒の乗手に危うく捕まりそうになるが、一方でエルフのギルドール・イング
ロリオンに出会い助言をもらう。また古森では柳じじいに捕まるがトム・ボンバディルに
助けてもらう。トロルの森ではガンダルフの書いたと思われるルーン文字を発見するが、
黒の乗手に襲撃を受けてしまう。またロリアンではガンダルフの死を悼むも、ガラドリエ
ルにもてなしてもらう。そしてエントの森ではメリーとピピンはオークに襲われそうにな
るが、木の髭に出会うのだ。このように、作品中における森では幸運と災難の両方に遭遇
することで、森はバランスがよく一つの調和がとれている存在だと言えるのではないだろ
うか。
そもそもイギリスという国自体が、このような調和の要素が非常に強い。例えば、イギ
リスは近代世界をリードした一大文明国であると同時に、古めかしい幽霊や魔術や妖精を
復活させた国でもある。また、歴史のある伝統を長く引き継いでいる一方で、新しいもの
を拒まず積極的に取り入れているところもある。そしてなんといっても歴史的側面から言
って、光と影の国として世界中に広く知られている国でもあるのだ。そして、このような
一見矛盾したかに思えるような文化が一つの国のなかに調和をなして共存しているところ
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に、イギリスの神秘的な魅力があるのだと思う。また『ロードオブザリング』からも、そ
のような不可思議な調和の要素を読み取ることができる。例えば古森に入ったフロドたち
は森の不可思議を体験するはめになる。「荒涼としたわびしい場所」(" A dreary place ")だ
と思いきや、「魅力ある楽しげな庭に見え」(" But it seemed to a charming and cheerful
garden after the close Forest ")たりするのである(Tolkien 110)
。このような描写はイギ
リス文学の多くにみられるもので、自然に対する脅威を感じる一方でそれを美しいと感じ
るゴシックの思想が反映されていると考えられることができる。
このように、トルキーンの作品における木の描写を探っていくと、ロマンスにおいて重
.. ..
要な要素である生命や調和とのつながりを見つけることが出来るのである。つまり、種族
.
....
のみならずトルキーンの描く木にもロマンスは反映されていたのである。では最後にもう
一つ、トルキーンの描いた木のルーツからもそのことを証明して終わりたいと思う。実は
トルキーンの描いた木や自然は、イギリスの自然環境に加えて北欧神話からきている可能
性が高い。その証拠に評論家のリン・カーターは「トールキンが北欧神話の全体から結構多
くの素材を借り受けていることを発見した」(リン 96)と述べている。そう考えてみると、
トルキーンの作品と北欧神話を結びつけるものはたくさん思いつく。例えば、『ホビットの
冒険』に登場するトロルは元々ノルウェーで生まれた魔物であり、スカンジナビア神話伝
説を集大成した古詩「エッダ」にも載っている。また、同書には竜退治の場面が登場するが、
これもまた北欧の神オーディンの竜退治ととてもよく似ている。つまり、トルキーンが生
..
...
涯を通じて興味を抱いた二つのもの――のどかな田園的英国と厳寒な国で生まれた北方神
.
話は対比そのものであり、このことによってトルキーン自信も調和を測っていたといえる
のではないだろうか。
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引証資料リスト
"The Ents." Hobbits, elves, and wizards. Stanton, Michael N ed. New York: Palgrave
Macmillan, 2002, 115-120.
Tolkien, J.R.R. The Lord of the Rings, Boston: Houghton Mifflin, 2003
Zimbardo, Rose A. "Moral Vision in The Lord of the Rings." Understanding the Lord of
the Rings. Zimbardo, Rose A and Neil D. Isaacs, eds. Boston: Houghton
Mifflin,
2004, 68-75.
「樹(木)」『西洋シンボル事典』東京、八坂書房、1994、81
「tree」『イギリス文学辞典』東京、研究社、2004、357
「J.R.R.トールキン」 Wikipedia 4 February 2007
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AD%
E3%83%B3 >
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ディヴィット・デイ 『図説・トールキンの指輪物語世界』 東京、株式会社原書房、2004
J.R.R.トールキン 『妖精物語の国へ』 東京、筑摩書房、2003
リン・カーター 『ロード・オブ・ザ・リング―『指輪物語』完全読本―』 東京、角川書
店、2002
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