平成 23 年度卒業論文 Une discipline nouvelle dans l'école en France - l'histoire des arts. Les enjeux フランスの学校における新しい教養 Histoire des arts の考察 外国語学部フランス語科 6307768 指導教官:松浦寿夫 清水覚子 目次 序論 第 1 章 Histoire des arts の理念とフランスの美術教育・文化政策の流れの中にお ける位置づけ 第 1 節 Histoire des arts 内容と理念-政府発表の指導要領より 第 2 節 フランスの文化政策と芸術教育の歴史 第 3 節 Histoire des arts 導入の狙い 第 2 章 Histoire des arts 教授内容の詳細 第 1 節 教科書の変化 第 2 節 急激なインターネットの発達が支える側面 第 3 節 授業見学のまとめ・考察 第 3 章 Histoire des arts 導入に関するメディアでの批判、抱える問題点の考察 第 1 節 メディアから読み取る世論の反応 第 2 節 作品は理解するものか、直感的に楽しむのか- 鑑賞するという事に関して 第 3 節 Histoire des arts これからの課題 結論 参考文献 1 序論 私がフランスの文化政策に興味を持ち始めたのは 大学1年生の頃である。フランスを「芸術 文化の盛んな国」とさせているのが政府主導の、時には強引なほどの文化政策であること がとて も興味深いと感じたのである。それに比べ、日本は海外から自国の文化を評価されているにも関 わらず、政府による芸術を育てる土壌がないように感じる。国として 芸術振興に対する優先順位 が低い。とりわけ、芸術振興のために必要なものの一つに国民が 自ら芸術の需要を感じ求めてい く姿勢があるが、そのための有効な政策や取り組みが日本にはほぼない。アーティストの支援や 制作環境を整える事は大切であるが、見る人がいなければ仕方がない。アーティストが育つ環境 と芸術を求め、楽しみたいという欲求の存在両方があってこそ、文化芸術振興の循環が成り立つ のである。 フランスではそのような循環型文化芸術振興のサイクルが成り立っている とは言い切れな いが、芸術を鑑賞する観客を育てる取り組みを積極的に行なっているのは確かである。そのよう な取り組みは多岐に渡るが、中でも義務教育における政策に注目したい。義務教育は、誰もが受 けるものであり、経済的格差や地域差に関係なく一定の内容を学習する。また、義務教育期間は 一生の価値観が形成される時期でもあり、学校教育の影響は絶大である。そのような時期に芸 術・文化に関する感性を高める事は大きな意味がある 。 本論文では、2008 年からフランスの小学校から高校までの学校で義務化された « Histoire des arts »という新しい教養に関して考察する。私は、この新しい方針を芸術の観客育成の理想的な 例であると考える。そこで、果たして本当に理想的なのか、どのような問題点が考えられるのか、 といった点を検証していく。 第 1 章では、新しい教養がどのような内容であるのか、フランスの美術教育と文化政策の流 れの中でどのような意味合いを持つのかをみ る。また、どのような理念を持って導入されたのか、 世界の芸術教育の傾向から考える。第 2 章では、実際どのような事が教えられているのか使われ ている教材や東京のフランス人学校リセ・フランコ・ジャポネにて見学した授業の様子の考察を 行う。第 3 章では、Hisoire des arts の批判点を踏まえ芸術教育のあり方を4つの考え方 を引用し て検討する。結論として、義務教育における芸術文化への興味や感性を高めるには何が望ましの か、自分なりの視点を示したい。 この論文の留意点は、この教養が導入されたのが、極めて新しいために、始まったばかりで 政府も学校も手探りで進めている感じが見受けられ、生徒への効果も未知であり、社会への認知 もあまり浸透してない事である。また、見学した授業は日本にあるフランス人学校という点で尐 し特殊であり、多様な事例の 1 つでしか無い事によって、客観性や公正に欠ける部分があり得る という点である。 2 第 1 章 Histoire des arts の理念とフランスの美術教育・文化政策の流れの 中における位置づけ 第1節 Histoire des arts 内容と理念 -政府発表の指導要領より 以下はフランス教育省が発表した公式の文書 1 (日本の学習指導要領にあたるもの)の重要とお もわれる点をまとめて訳したものである。 Histoire des arts とは共有されるべき芸術文化教養を教授するものであり、すべての芸術を含み、 すべての生徒に適用されるものである。 その定義は、 「児童・生徒が芸術作品、芸術家と触れる機会をつくるものであり、扱われる時代範囲は先史時 代から現在までである。多様な文化圏を含み、「空間芸術」「言語芸術」「 日常の中の芸術」「音 声芸術」「パフォーマンス芸術」「視覚芸術」 6 つの分野を扱うものとする。」 教養全体は、教科横断型教育を推奨するものである。教員にとって新しい教授法や新しいテー マ領域を選ぶ可能性を与えるものであり、協働機会の増加、新たな教育の境界を広げる事が期 待されている。生徒にとっては、知識の定着を助けるもの、芸術の「美しさ」の理解、芸術の 社会との結びつきを理解することが期待されている。また、芸術の多様性、文化・宗教の多様 性、美的感覚の多様性、芸術との出会いの喜びの体験 も期待されている。 扱うべき作品について 尐なくともその芸術作品の「形・技術・意味・用途」 4 点に基づいて考察する事。 ・形:ジャンル、芸術スタイル(構造、構成など) ・技術:材料、素材、(音楽の場合楽器など) ・意味:作品が持つメッセージ性、時代の中での意味、それが作られた背景 、作品の象徴性等 ・用途:誰のために作られたか、どこに飾られた、どのように扱われたかなど 学校種別のプログラム ▼小学校低学年で扱かう作品は学校や教員に委任するものとする。 高学年以降の扱う作品は、先に示された芸術の 6 分野の中で、レフェランスリストを参考に選 ぶものとする 小学校の時点である程度作品に関して自分の考察などが言える、いくつかの有名な作品の名前 や作家を言える事を目標とする。 ・レフェランスリスト・ 石器時代からローマ時代:当時の建築を1つ/ 戦いに関連あるオブジェまたは文章、ローマ時 代のモザイク/ ラスコーの絵画、古代彫刻 中世:宗教的建築(教会、モスク)または当時の建築物(城、城壁都市)/ 騎士小説の抜粋/ 教 会のステンドガラス/ 衣服/ タピィスリー/ 宗教音楽/ 当時の祭り、騎士のトーナメントなど/ 壁画、ローマ彫刻、ゴシック彫刻、書物 近代: 王室建築/ ルネッサンスの詩、童話/ 家具、衣服、タピィスリー、移動手段/ バロック 音楽、民衆歌/ 17-18世紀のルネッサンス絵画、彫刻 19世紀:工業建築(駅)、都市計画・地図/ 小説、詩/ 家具、カラトリー・食器(セーブル食器、 リモージュ食器)/ロマンス音楽(シンフォニー、オペラ) / バレー、演劇/ 主要な当時の美術 作品(ネオ・クラシジズム、ロマン主義、リアリズム、印象主義) / 彫刻の巨匠、写真、映画 のはじまりの時代の作品を1つ 20世紀:建築物、芸術的作品(橋)住居(高層ビル) /小説、詩/ ポスター、交通機関(電車) 20 世紀の音楽(ジャズ、映画音楽、歌謡曲)/サーカス、人形劇、コンテンポラリーダンス、演 1 Ministère de l'Éducation nationale(2008) Organisation de l'enseigmement histoire des arts [ Bulletin officiel n.32 du 28 août 2008 ] 3 劇/ 現代アートの象徴的作品、彫刻/ 映画作品(歴史的事象を扱っているもの)、写真 ▼Collège(中学)では、歴史、国語、芸術の各科目(音楽・美術)を中心に各教科の一貫として 扱うものとする。内容は学年によって扱う時代を以下のように区切る 6eme:古代~9 世紀まで 5eme:9 世紀~17 世紀まで 4eme:18 世紀~19 世紀 3eme:20 世紀~今日まで 扱う作品やテーマは社会、政治、宗教、との関連性があるものを選ぶ。 中学で目標とされている能力は、特定の作品の時代を示せて、作品の 主要な構成や構造を説明 できる能力、客観的と主観的とに区別された作品の考察能力、文化施設に足を運び、理解し考 察できる能力などである。 中学校卒業試験 Brevet にて必須科目の1つとして口頭試験を行う。 ▼Lycée(高校)以降は、それぞれの進路や選択分野に応じた継続的な Histoire des arts の導入が求 められる。技術系の分野ではデザインなどに重点をおいたプログラム、芸術を含まない分野で は、通常通り地理や歴史、人権教育の一観として、芸術系では、更に発展したプログラムが用 意されており、人類学分野、社会学分野、技術分野、美学分野などのテーマで学習する。 Histoire des arts の全国の学校への一斉導入が実現されたのは、中学卒業試験 Brevet での必須 科目として指定されたからである。ゆえに、全国的に一定の共通の内容を扱うのは中学までであ る。高校では、進路が別れプログラムも多様であるので今回の論文では深く触れない。 学校種別での教科の性格をみてみると、小学校では教科書はなく 、日本でいう「総合の時間」 のような扱いである。教科書がない代わりに扱うべき作品はリファレンスリストにかなり細かく 指定されている。内容は、フランスの歴史の流れ(もう尐し広げれば、ヨーロッパの歴史の流れ) にフォーカスされている。作品と触れ合う機会を設けると同時に自国の文化の教養基礎を身につ ける狙いもあるといえる。中学校になると歴史・国語の教科書を中心に Histoire des arts のページ が設けられ、より作品考察のメトドロジー習得に重点がおかれるようになる。その内容をみてみ ると、小学校に比べてより多用な表現メディア、多様な国の作品が紹介されているといえる。 Histoire des arts Bulletin officiel (指導要領)によればすべての芸術分野を扱われるべきなのだ が、この論文では、その中の美術に比重をおいて考察する。実際現状でも、絵画やイメージ分析 が文学や詩と並んで多く扱われる事が予想できる 。絵画や画像は音楽や劇などより教室で行う授 業では扱いやすいのである。 第2節 フランスの文化政策と芸術教育の歴史 フランスの文化政策を外からみているとダイナミズムに富み、成功しているひとつの理想的 な例に見える。日本でここ数年議論されている「劇場法」もフランスの文化政策から輸入された 政策である。フランス文化政策の最大の特徴は政府による中央集権的な体制であり、国家予算の 中でも文化の占める割合が他の国と比べて多いという事である。米国の放任的で市民団体や企業 に支えられている文化政策と対局にあるものとして引き合いにだされる事が多い。 今日のフランス政府の文化に対する姿勢の基礎ができたのは第 5 共和政 1959 年アンドレ・ マルローによる文化省創設以降である。アンドレ・マルローの文化政策の理念はすべての市民が 崇高な文化に触れる事ができるような環境づくりであった。それが“ Democratisation culturelle(文 化の民主化)”である。アンドレ・マルローの文化政策は後に「崇高な文化」を「大衆」に「開 放」するといった上からの政策であると批判されたが、今日まで長らく「文化の民主化」という 理念はフランス文化政策の正当性として利用されている。メディアによるフランス文化政策評価 軸としてもしばしばこの「文化の民主化」が持ち出される。 「文化の民主化」の手段として教育は重要な位置を占めるもの であろうと想像し易いだろう。 しかし、アンドレ・マルローの時代に教育と文化 制作は別の道を歩みはじめて以降、「文化の民 主化」に関する制作は教育の分野との連携にあまり成功していなかった。というのも、マルロー にとって「芸術への楽しみは知識を得た結果であってはならない。もっと魔法がかったような作 4 品との出会いで、個人と作品が惹きつけ合うようであるべきだ。」2という。 『フランス文化政策』 の中でクサビエ・グレフは次のように述べている。 文化政策に関しては、民主化の2つのモデルがある。ひとつは、異なる動機を持つ人々の 間に、文化活動に対する共通の興味関心を創りだすことを目的としたモデルであり、あま りに高度な想像的水準は諦めざるを得ない。もうひとつは、特に芸術的動機を持つ人々に 対象を限定するという試みに基づいたモデルであり、一般の人々に 訴える際にどうしても 失われがちな内容の濃さが得られる。フランスは、文化を教育省が所管していたころは前 者のモデル、文化省が教育省から分離して設置されてからは後者のモデルに移行した。文 化省は基本的に職業的芸術家のためのものとされ、大衆的な市民団体とは距離を置くこと となった。 3 私は、ここでのグレフの“フランスは後者のモデルである”という点に同意しかねる。「文 化活動」が作品の制作のみを指す場合、「文化省は職業芸術のためのものとされ」ということは 確かにそのような側面はある。しかし、80 年代から文化省は教育省と協力体制を結び、芸術文 化アクセスへの社会的格差是正に対する政策に取り組み 4、“Nuit Banche”や美術館無料拝観日、 経済的に厳しい子供たちへの文化活動援助など様々な政策を試み ており、むしろ前者のモデルで あるといえる。現実には、フランスの文化政策に対してグレフと同様のイメージを持っている人 は多い。その理由の1つに、政策が文化施設に関する政策に留まっているという事がある。 オリヴィエ・ドナは「文化の民主化と本当に見切りをつけるために」 (En finir vraiment avec la "Démocratisation de la culture")という記事において“文化に触れたいという欲求”をはぐくむ政 策がないのが文化の民主化の失敗と幻想化に繋がる」と述べている。また、文化芸術教育は、 「長 らく有効な手段として過小評価されている」とし、「文化的欲求を育てる唯一の有効な手段であ るのに、フランスの教育制度に払う関心はあまりにも低い。もちろん 80 年代から国の政策課題 として存在はしているのだが、教育省と文科省の複雑な関係性もあって、画期的な提案はなされ ていない。」と指摘している。 5 しかも、フランスの義務教育における美術という科目の歴史は意外にも浅い。王宮や国立の 専門的な美術家育成の伝統は長く、今日の「芸術の都パリ」といったイメージは尐数の芸術家に よって作られてきたものなのかもしれない。しかし、私たちがイメージするような「美術」とい う科目が認知されフランス義務教育に導入されるようになったのは、1909 年の教育改革以降で ある。それ以前までは芸術教養や実技的な「音楽」や「美術」の教授は政府が定める指導要領で 義務化されておらず、導入しているか否は、学校によりけりであった。 1909 年に、週 2 時間の「美術」(デッサン)の授業導入が義務化されるなど、今日とほぼ同 じ芸術教育体制ができた。そこで注目すべき点は、当初より“作品の鑑賞”は重視されていたと いうことである。1925 年の戦後の教育改革では美術の科目が「美術、または芸術における名作 の鑑賞・説明」となった。「名作」は建築やデザイン、絵画の様々な分野を扱い、歴史の授業の 時代の流れに沿って進めるとされた。現在の Histoire des arts とほぼ同じコンセプトの政策がすで にこの時存在していたのである。しかし、一旦 1970 年代に、「過去の作品ばかりに関して学び、 現在の美術シーンと断絶している」といった批判から作品鑑賞の授業は廃れていった。その後、 芸術関連の科目は紆余曲折を続け、重要度が低い科目として の認識が改善されないでいた。 6 今回の Histoire des arts 導入の前身的な政策は 2000 年に発表された 5 年プラン“Plan de 5 ans” というもので当時文化通信省大臣であったカトリーヌ・タスカと教育省大臣であったジャック・ ラングの名前をとって“ラング・タスカ・プラン”とも呼ばれる。内容は、初等教育からはじま る学校における諸芸術の扱いを重要と認めた上で、政府は、学校外の文化施設や地方自治体・団 体と創造性ある取り組みを支援し、推進するというもので、2 億 6 千万ユーロという莫大な予算 2 Bichat J.M (2004) "L'enseignement des disciplines artistiques à l'école" chapitre2 p.22 3 クサヴィエ・グレフ(2007) 『フランスの文化政策―芸術作品の創造と文化実践』P.300 Bichat J.M (2004) chapitre2 p.26-33 Donnat Olivier (2011) En finir vraiment avec la "Démocratisation de la culture" Bichat J.M (2004) chapitre2 p.6-13 4 5 6 5 が割かれた。政権交代と共にこの政策もまた結果を出せないままに終わるのだろうと予想された が、2008 年 5 年プランを引き継ぐように Histoire des arts が導入され芸術教育は新たな局面を迎 えることとなった。 今回の Histoire des arts 導入は、フランスの文化政策の「文化の民主化」の新たな道への一歩 となることが期待できる。ヴァンサン・マリーは、Histoire des arts の根底に存在する目標点とし て「社会的格差の是正」があると述べているが 7、指導要領の文章でもその要旨は伺える。 第3節 Histoire des arts 導入の狙い Histoire des arts の導入の背景には国際的なレベルでの美術教育の見直しの流れも挙げられ る。芸術作品を鑑賞するという活動は各国にて様々な形で学校教育内への導入が模索されてい る。日本では「審美教育」「鑑賞教育」という名で呼ばれ、今日の教育法としては マリア・アレ ナスが提案する「対話鑑賞教育」という対話によって児童・生徒の作品の感想を引き出す方法が 注目されている。アメリカの教育分野では、Learning Through Art(LTA)、Arts-Education interface (AEI)Discipline Based Art Education(DBAE)などと呼ばれている。芸術教育は、呼び名の数だ け内容も多様である。フランスの Histoire des arts も Histoire de l’art(美術史)と区別した芸術教 育特有の呼び名が与えられた。“des arts”という複数形にすることで、美術、建築、音楽、舞台 芸術、映像、文学などと多岐に渡る芸術分野を学ぶという意味を込めている。 2006 年に、第 1 回「ユネスコ主宰の芸術教育に関する国際会議」がリスボンにて開かれた。 この国際会議の副題は、“21 世紀に生きるための創造性をはぐくむには ”であり、国家行政や教 育行政レベルで取り組むべき芸術教育の基本方針をまとめた議定書が作成された。 8 以下はフラ ンス語版のものをまとめ、翻訳したものである。 芸術教育の必要性は 1.教育と芸術文化参加に関する人権を守るため 2.個人の能力を伸ばすため 3.教育の質の向上のため 4.文化・表現の多様性の維持のため 今の時代こそ美術教育が必要であるのは、 ・21 世紀、家族のあり方の変化によって、昔に比べて家族間のコミュニケーションや関係が不 十分になり、子どもは様々な情緒や社会関係的困難を抱えるようになった。また、家族の中で の文化や伝統の伝授がとりわけ都市部において以前のようにおこなわれなくなった。 ・現代社会における子どもの自己認識や感情の間の溝が広がり、社会的な道徳性や倫理性の低 下が見受けられ芸術教育は感情の成長を促し平和的な文化の構築の可能性が期待されている ・21 世紀の社会では、仕事などの場面でクリエイティブ性や柔軟性やイノベーション性やなど が求められていて、教育の分野もそのような流れに対応していく必要が必須である 文化・表現の多様性の維持のために、 多くの国で有形な文化であれ無形の文化であれ、多くの文化芸術が時代と共に忘れ去られ、教 育の中でも評価されず、次世代にも受け継がれていない。それを教育の中に取り入れ 、伝えて いく事が重要でそのための芸術教育は有効である 。 芸術教育は 3 つに分類できる 1.芸術作品に関する学習 2.多様な芸術作品と直接触れ合う機会 3.芸術実技 7 8 Marie Vincent (2008) "Enseigner l’histoire des arts : un « chemin de traverse » à la croisée des disciplines « Pour une culture artistique partagée »" UNESCO(2006) "Feuille de route pour l'éducation artistique" 6 芸術教育のアプローチとしては a.1 つの科目としての教授→児童・生徒の芸術的才能を伸ばす b.学校プログラム全体に芸術教育要素を埋め込む教授法→ Arts in Education AiE 芸術教育の改革における必要な最低限な環境整備として a.芸術教育に必要な十分な資料へのアクセス環境の整備。クリエイティブな教養にはクリエイ ティブな教授メソードが必要である b.各省庁、教員、アーティスト、芸術、科学、地方自治体同士の創造的な連携の推進 が必要である フランスの場合、音楽や美術が芸術実技を伸ばすためで、 Histoire des arts は Arts in Education の 教育アプローチを形にしたものである。 余談になるが、日本でも、新学習指導要領では鑑賞教育の重点化が以下のように記されている。 イ 鑑賞領域の改善 我が国の美術についての学習を重視し,第1学年に「美術文化に対する関心を 高める」学習を新たに示し,3 年間で系統的に美術文化に関する学習の充実が図 かられるようにする。自分なりの意味や価値をつくりだしていく学習を重視し,第1学年 に「作品などに対する思いや考えを説明し合う」学習を取り入れ,3年間で説明し合った り、批評し合ったりするなどの言語活動の充実が図られるようにする。 9 第2章 第1節 Histoire des arts 教授内容の詳細 教科書の変化 中学校以降の教科書、特に歴史と国語(フランス語)の教科書に Histoire des arts 関連のページが 設けられるようになった。各教科書の目次を見てみると、各章で芸術作品について学ぶページが 設けられている。 まず、5eme の歴史の教科書の改訂前と改訂後の内容を比較してみたい。両方の教科書に載って いたミケランジェロの絵画の扱いを比べてみて以下のような変化が見られる。 ・シクスティナ大聖堂の説明の一貫から画家ミケランジェロ説明のページへ (左:2001 5eme 歴史・地理教科書 右:2010 改定後 5eme 歴史・地理教科書 実際のものはカラー) ・写真のキャプション:新たに作品が誰によって注文されたか明記されるようになった ・作品を描写する(つくりや形など)活動が盛り込まれている ・教科書の問い:絵画の内容(歴史的事項)を問う質問から、作品の構成、誰によって注文され た作品化、ミケランジェロの作品の当時の革新性を説明させる質問といった作品鑑賞、作品の技 法のような知識を問うものへと変化している。 9 文部科学省 中学学習指導要領第 6 節 美術 7 次に、フランスの有名な漫画(BD)家の作品を取り上げた国語の教科書のページを見てみる。 "TextoCollège 3e - Français Livre de l'élève"より ・噴出しの位置や漫画の描か れ方、色、アングル、動きの 効果の使い方について考え る映像分析的な質問いが多 く盛り込まれている ・掲載されている2つの漫画 のシーン画像を比較する問 いがある ・ナレーターとセリフの関 係、ナレーターの効果など国 語的な問いがある 国語の教科書に関しては、イメージの分析がテキストの分析と混在する内容となっている。文章 を読み、理解し、勉強するのと同様に絵画や漫画などの芸術を読み解き、理解していくようにな っている。 教科書がこのように新しい教養に対応して改訂されたことにより、一定の Histoire des arts の授業内容の質を保証している。ただし、絵画や写真など 2 次元のものに内容が偏ってしまう問 題がある。 第2節 インターネットの急激な発達が支える側面 突然の Histoire des arts の導入は教員にとって負担増加となった。例えば、小学校の教員は、 すでに全ての科目を教えており、専門外であった人にとっては、多くの授業準備時間を割くこ と が強いられている。そこで、教えるためのサポートとなるようフランス政府が積極的ドキュメン トシステムを構築しているところに注目したい。Histoire des arts は ICT 教育分野でも注目するに 値する点が多くある。画像や音源、動画を使う事が必須である科 目ゆえに、授業内での視聴覚教 材の利用の仕方のモデルとなり得る。また、生徒は調べ学習力、パソコンを使った発表スキルな ども育まれる。『フランス文化政策』の中で、グレフは、 PCF の調査が最後に行われた 1997 以降、画像・音響のディジタル化、インターネットの 普及は、文化活動に関わる家族の風景を大きく変えた。文化の消費を巡っては以下の大き な 2 つの傾向がある。 ・まず個人利用の増加である。 ・次に新たな技術による遠方とのコミュニケーション活動の展開に起因するいわゆる「ネ ットワーク上の文化」の登場である。 そして、音楽鑑賞を例に以下のような考察をしている ・インターネット利用は、ライブの舞台芸術の新たな需要を換気する可能性がある。 ・ライブの舞台芸術のマーケティング方法は変わるべきであり、インターネットは単なる 情報提供システムとしてではなく、体験供与システムと考えられるべきである。 10 この本が書かれたのは 2007 年だが、1、2 年の間で音楽だけでなくすべての芸術分野に対し て同様の事が言えるようになった。絵画や彫刻などは、長らく画像と本物の間の価値や意味合い の違いが論じられてきたが、今日ではそのような 議論はかき消されるほどインターネットを通し た新しい芸術経験の可能性を提案するサービスが生まれている。インターネットへのコミットメ ントは美術館や図書館のここ数年の大きな課題となっている。画像アーカイブの作成、著作権の 10 クサヴィエ・グレフ(2007) P.301-302 8 扱い、来場者との関係づくり、広報など、どのように効果的にインターネットを使っていくか、 今なお活発に議論されている。現在では、芸術作品のアーカイブや美術館のバーチャル見学、講 義、動画など多くの情報が公開されている。それが Histoire des art の授業にとって良い材料とな り得るのである。 フランスでは、Histoire des arts 導入以前の 5 年プランの一貫として政府主導による作品のデ ジタルアーカイブ化、文化芸術に関するポータルサイトの運営がはじまった。すべての児童・生 徒が Histoire des art の授業を通して芸術に目覚めて自ら文化施設に足を運ぶようになる事を期待 するのは高望みかもしれないが、インターネットを通して芸術に触れる事を期待するのはより 実 現可能性を秘めているよう思える。政府が主体となって運営している文化関連のサイトや iphone アプリケーションなどは、教員の教材となるだけでなく、調べ学習や課題に児童・生徒も利用し、 授業意外でも知的好奇心に従って利用することが 期待できる。 第3節 授業見学のまとめ 考察 次に、2011 年 11 月 28 日、12 月 2 日に東京 Lycée Franco-Japonais 小学校・中学校それぞれ Histoire des arts の授業を見学し、まとめた授業の様子を以下に示す。実際に授業を見学してみる ことによって、どのように授業が行われているのかがよくわかる。むろん、これは一例でしか な く、一般化できるものではない。3 つのクラスを見学したが、どれも生徒が積極的に取り組んで いるクラスであった。 1 列目左:ジョージュ=ウジェーヌ・ルヌヴー作『ジャンヌ・ダルク伝説 -シャルル 7 世戴冠式にて』 1 列目右:『貴婦人と一角獣』シリーズより. 2 列目左:ドミニク・アングル作『戴冠式のジャンヌ・ダルク』. 2 列目中央:『一角獣』シリーズより. 2 列目右:ドミニク・アングル作『ホメロスの礼賛』 9 11/28(月) 6eme (おおよそ中学 1 年生)30 人クラス 課題:中世に関連ある絵画を 1 つ選んで 5-10 分程度で発表する。 その際、鑑賞シートを参考にする、関連作品 も1つ挙げる。 (作品は中世に関連していれば、中世に描かれた作品でなくても可。事前に発表する作品は先生 から OK 貰っている。迷っている生徒には、先生が作品の提案をすることも。) 先生の発言等 先生の補足 ・Lenepeu の作品が安置されてい る Invalides に関して、どのよう な施設なのか質問 ・誰が頼んで制作されたもの か? では、逆に誰が絶対頼まない様 な絵か? ヒント:時代は 19 世紀 生徒の発言等 今日の発表者は 2 人 1 人目: ジョージュ=ウジェーヌ・ルヌヴー作 『ジャンヌ・ダルク伝説-シャルル 7 世戴冠式 にて』を紹介。 関連作品としてドミニク・アングル作 『戴冠式のジャンヌ・ダルク』を挙げた。 作者、どこに飾られてるか、絵に描かれて いる王家の百合の紋章、ジャンヌ・ダルク の描かれ方などに関して説明。シャルルⅦ 世の戴冠式という同じ 題材にしながらも、 アングルはジャンヌ・ダルクにフォーカス しているという対比なども言及。 「教会」「美術館」 「沈黙」 「国民政府は宗教的題材を頼むはずがない」 「頼んだのは教会」 ・多く使われている色は? ・構成は?L 字、V 字を見受け 「白」「青」「でも、赤の服を着た人も」 る事が できる 「十字架」、「矢」、「王冠」、「鳩」(平和の象 ・絵画の中心にあるシャン デリ 徴) アの形は何に見える? 「鳩」(平和の象徴)←正解! 2 人目:『貴婦人と一角獣』シリーズの 1 枚 関連作品『一角獣』シリーズの 1 枚 先生の補足: 赤と青のコントラスト、様々な動物が描か れているで、その意味合いなどの考察。絵 関連作品に関する情報が十分に の美しさに惹かれたと話す。 調べられていない (声が小さく尐し自信がない感じ) 構成に関して三角形の構図が見 える。 「ライオンが本来獰猛なもののはずが、ここ では女性のマントを持っている。女性が飼 い慣らしたという表現かもしれない」 10 備考 11/28(月) 5eme classe 28 人程度 課題:課題:鑑賞シート事項を先生と一緒に埋めて、宿題として、鑑賞シートを見直しながら、 作品に関して短い説明文を書く。 「ペリクレスの追悼演説」作者未詳の絵画を分析 先生の発言 生徒の発言 備考 まず、関連作品としてドミニク・ アングルの『ホメロス礼賛』の絵 画を見せる 絵の中心に座っているのは誰 か? 「神」「ゼウス」「オメール」 周りに描かれている人をよく注 目するようにアドバイス 18 世紀の大きな詩人も一緒に描 かれている 『ペリクレスの追悼演説』の 画像に移る 「なぜタイトルはわかっているのに 作者未詳なの?」 作者未詳ということに関して 作品の分析 プランごとに見えることを発言 させる 描かれている人の職業を想像さ せる 描かれている人の帽子の形に注 目させる 描かれている神殿の建築様式に 言及 →最初に見せた絵の神殿との関 連性に気づかせる <全体として発言が活 発で先生が止めに入ら ないと止まらないくら い> 「 第 一 プ ラ ン に 宝 石 」「 座 っ て い る 人」 「1 人だけ雰囲気が違う」 「後ろに神殿」「建設中?」 「彫刻家」「軍人」 「赤いフリンジがついたヘルメッ ト」 「ベトナム人がかぶってるような三 角帽の人がいる」 左:作者未詳『ペリクレスの追悼演説』.右:アントワーヌ=ジャン・グロ『アルコン橋上のナポレオン』 11 左:ジョン=ルイ・ダヴィッド『サ ント・ベルナール峠を超えるナポレオン』右:ジョン=ルイ・ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』 12/02(金)CM2 クラス 27 人程度-5-6 人の班になっている 課題:プリントを配布ナポレオンに関する絵画 3 枚とそれぞれ同様の質問4個のもの。班で答 えを考えさせる(10 分ほど)→先生が答えを聞きながら解説。 先生の発言 生徒の発言 備考 グロ『アルコン橋上のナポレオン』 「革命家」「戦争家」「兵隊」 ・絵画に描かれている人の職業は? 「サーベルを持っている」 「革命家は職業じゃないね」 「兵隊でも偉そう」 「なんでそう思った?」 「着 て い る服 と か みる と 将官 と近い答えと導いていく じゃない」 ・この絵の人物はどこにいるか? 「ピ ラ ミ ッド が 見 える か ら、 「ピラミッド?本当にピラミッドかなぁ?」 エジプト」 「村」 「家が見える」 「確かに家のようなものが見えるけど、村とは 「戦場」「煙が出ている」 限らないよ」 「先生答えは何?」 「正解、不正解はないから、自分の見えたもの を書けばいいんだよ」 ・彼のポージングからどんなことがわかりま すか? <先生がポーズを再現してみせる、生徒も何 人か真似てみる> 「「進めー」って兵士に言っている感じだね」 と先生がまとめた ・作家が絵の人物をどのように表現をしたか 「自信ある感じ」「偉そう」 ったか 顔の表情や服装などに注目するようにアドバ イス ・ダヴィッド 『サント・ベルナール峠を超えるナポレオン』 12 <まだまだ意 見を言いたげ な生徒がたく さんいたが、 遮って次の質 問へ> どんな職業? 「将官」 「い や 、 もっ と 重 要な 地 位の 絵の人物が着ている服、様子などに注目させ 人」「馬に乗っている」 る 「良い服着ている」 「マントじゃないね、この赤いのはもっと昔の 「帽子もかぶっている」 絵画で見たことないローマ人が着ていたよう 「赤いマント着ている」 な」「トガだね」 現実の状況と絵画に描かれている状況を比べ させる 「馬のこのポーズと余裕でそれに乗っている 人って尐し不自然じゃない?」 <絵をよくみるように様々な気づきヒントを 示す> 「山道」 「後 ろ に 従事 し て いる 兵 士の ・絵画の舞台は? 列が見える」 ・「画家はどんな位置にいて見ているか」 ・「画家は実物を見て書いたのだろうか?」 「その場にはいなかった」 「聞いた話を元に書いた?」 「こ の よ うに 書 く よう に いわ れた?」 ・ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』 ・この絵の舞台はどこ? 「カテドラル」 「でも、カテドラルで織物などが掛けられてい 「十字架がある」 るのを見たことある?」 ・「これはなんのシーン?」 ・「男性が手に持っているものは?」 「結婚式?」 「男 性 と 女性 が 向 かい あ って いる」 「王冠?」「戴冠式?」 「こ の 王 冠は 持 っ てい る 人が 自分でかぶるのかも」 <クラス一同笑う> <もの知りの 子がこれはナ ポレオンの戴 冠式で・・・ と発言しとこ ろ、絵からは わからないよ ねと先生が指 摘する> 時間の最後に解説プリントを配って終わる 小学校での授業は、問いに答えるという形式であっても、教師とのやりとりを中心した 比較 的自由な鑑賞スタイルで作家や絵画スタイルなどへの言及は最小限に留められている。光のあた り方とその象徴性や、作家の意図を読み取るような事に注意が向けられている。 中学校では、鑑賞シートがベースに進められているが、6eme の段階では、小学校のような 比較的自由な鑑賞スタイルがとられている。光のあたり方や絵画の象徴的要素に加えて、画面構 成、構図などの美学的着眼点を促している。いずれも一応「答え」というものが設定されている が、はっきり「正解」を示すことを避けている。最初にタイトルを示したり、教師が一方的な解 説をするのではなく、対話型の授業が生かされている。児童・生徒の自由な鑑賞を尊重している 事がわかる。5eme では 6eme では大きな変化が見られる。5eme では生徒が発表するという形を とっているところが注目するべき点である。作品分析の第一段階は家でやってくる事になってい るので作品を見るよりインターネット等で調べたものの単なる寄せ集めになる可能性が指摘で 13 きる。また、授業では、発表を聞くというスタイルであると作品を観察するより発表の内容を聞 く受動的な姿勢になってしまう可能性も指摘できる。 1 章指導要領の部分でも尐し触れたが、Histoire des arts は中学の最後に行われる総合試験の Brevet の中の 1 つの科目となった。作品について口頭で考察することが点数化される。試験の形 式が、芸術作品の説明を論理的にでき、発表できる能力を求めている点から中学校の高学年では 論理的発表の練習としての授業形式をとっていると考えられる。Brevet での試験科目としての導 入はこの新しい科目を全国均一に授業にて行われることを可能にしたが、授業内容が「試験対策」 なるのではなく、 「芸術教育」 「鑑賞教育」の理念を汲んだものであり続けるよう意識していく必 要がある。そもそも国語や歴史の授業に Histoire des arts を導入したのは、知識詰め込み型では ない別の理解、記憶定着の道を模索することでもある。 それでは、具体的に鑑賞教育とはどのようなものなのか。Histoire des arts の達成するべきゴ ールはなんなのだろうか、次の章で考えてみる。 第3章 第1節 Histoire des arts 導入に関する批判、抱える問題点の考察 メディアから読み取る世論の反応 Histoire des arts 導入に対する批判の多くは知識偏重な点であり、芸術系科目を担当する教員 からの反発が強い。その他、実技の時間とのバランス、専門家ではない教員が担当する事への懸 念などを読み取ることができる。以下はその一例である。 芸術との関係性は1次元的なものであるかのように捉えられ、一定の操ることができるよ うになるべき知識やレフェランスに収束されている。これは、単なる 芸術の実践を後退さ せる事でしかなく、感性的な経験に対する知識の習得でしかない。感性と知識は本来切り 離す事ができないものである。文化や芸術は愛し、次世代に引き継ぐべき遺産であるが、 各個人が内面的に発見するべきものであり、成熟させるべきものである。そのための道は 無数にあり、教員は多様な可能性を示すべきである。クラスが一人の芸術家やひとつの作 品に出会い知る事は貴重であるが、教員はその出会いを自由で可能性に満ちたものにすべ きである。 (Liberation-Quelle place pour l’education artistique ? 2008 年 6 月 13 日より) 芸術教育の教授法ばかりが重視され、美的経験が軽視され後回しにされている。本当に国 語や外国語や歴史の授業で美的経験を伝える事ができるだろうか。教授法の構築は、それ を機械化する事と同じである。例えば、授業の準備といったものも大切であるが、Histoire des arts の中でそれは美的経験とかけ離れているものとなる 。本来、教員こそが美的経験の 中心にいるべきであり、生徒と一緒にその経験を共有するべきである。 (Site Alain Kerlan ― L’expression esthetique comme « base educative ») この2つのコメントから読み取れることは、作品鑑賞、鑑賞教育を教科書に明記し、体系立てて やるという事は必然的にパターン化された授業法というものが出来上がり、自由で感性的である べき鑑賞という行為が機械化されていってしまう可能性への不安である。 第2節 作品は理解するものか、直感的に楽しむのか-鑑賞するということ そもそも鑑賞するという事はどのような事なのか、Histoire des arts が達成するべきゴールはなん なのかについて考えるヒントとして、4 つの考え方を引用したい。 ① テオドール・フェヒナーの「感情移入」を引用するハーバード・リード 11 11 ハーバード・リード(2001) 『芸術による教育』P.45-46, P.239-241 14 芸術作品は、それがいかに具体的で客観的であったとしても、その効果は恒常的 なもので はなく、鑑賞者の協力を必要とするのです。そのとき鑑賞者が芸術作品に「注ぎ込む」エ ネルギーは、「感情移入」という特別な名前を与えられてきました。( …)「感情移入」と は、鑑賞者が芸術作品の中に感情の要素を発見し、鑑賞者自信の気持ちをこれらの要素と 同一化することなのです。(…) あきらかに、そのような「感情移入」による知覚は、個人個人により、情動的あるいは心 的素因によって異なります。このことこそ、次の重要な事実として認識すべきものです。 すなわち、芸術の鑑賞は、その創造にもまして、人間の基質のあらゆる差異によって彩ら れているのです。 また、ハーバード・リード自身は芸術教育の 3 つの側面として分類している。 1.「自己表現活動」 自分の思考、感覚、感情などを他の人びとに伝えたいという、個人のもつ生来の欲求 2.「観察」の活動 自分の感覚的印象を記録し、概念的知識を明確化し、記録を構築し、実際的な活動を支援 するものを組み立てるという、個人のもつ強い欲求 3.「鑑賞」の活動 それぞれ異なった教科であり、別々の、むしろ互いに無関係な導入方法を、必 要とするも のなのです。 「鑑賞」について述べれば、これは疑う余地もなく、教えて発展させられるものです。 しかし、鑑賞能力は思春期以前あまり現れてこないので、それまでは経験における感覚的 特質―色彩、表面、形、リズムに対する、子供本来の反応の強さを維持することがもっと も大切である。また、美的理解の習慣を発達させるためには、訓練するのに詩や音楽や美 術を鑑賞する方法が最適でると説く一方で、「美術は、直感的理解を必要とするため、歴 史として片付けることはできない」とし、例えば、現代美術に対して人々が敬遠する理由 を 「彼らは、直感的共感を必要としているものに対して、知的分析を用いてしまっているの です。彼らは純粋な心をもたないために、芸術化のヴィジ ョンを共有することができない のです」 という考え方を示している。 ②ジョン・デューイの「経験としての芸術」という考え方 12 一般的な芸術作品というものの認識について以下のように述べている。 ふつう一般の考え方では、しばしば芸術作品は人間経験から離れてそれ自身独立して存在 する建築物・書物・絵画・彫刻などとみなされる。(…)そしてこのことが、新しい新鮮な 洞察を妨げる伝統なるものを生み出すことになる。いったん芸術作品が古典としての地位 を獲得すると、どういうわけかその作品はそれを生み出した人間生活の諸条件から孤立 し、現実の生活経験のなかでそれが人間に与える影響から切り離されてしまう。(…)私が 指摘したいのは、芸術とその鑑賞を日常的な経験から切り離して芸術だけの領域に閉じ込 め、芸術を隔離する<理論>は、芸術そのものの検討から生じたものではなく、特定できる 外来の諸条件の影響によって生じたものである。 デューイは、「<作品の鑑賞(対象の知覚)>は時間の中で展開する過程以外のところには存在し 得ない」とし、その例として、 1枚の得がテーブルにあるとか、マネの作品であるとかを再認することは 真の美的価値を もっていない。そうした再認は注意を喚起し、その絵をしっかり鑑賞させる発端となるだ けである。対象の知覚(すなわち作品の鑑賞も含まれるが)は多様な感覚 -運動のエネル ギーが相互にコ・オーディネイトされないかぎり、知覚された場面とか知覚された対象と いったものは存在しない。 1つの感覚(例えば視覚)のエネルギーが他の感覚(例えば聴覚)に伝えられ、それによって 新しい働き[=能動]としての運動反応が刺激され、またそれによって新しい働き[=受動と 12 ジョン・デューイ(2010) 『経験としての芸術』P.1, P.215, P.420 15 しての]としての運動反応が刺激され、またそれによって新しい感覚活動が掻き立てられ る。 また「文明化」という事に関して「生活の諸技術を教え、そうすることによって文明の度をあげ ること」という定義を挙げて、生活の諸技術を教えることは、そうした技術についての知識を伝 えること同じではない。それは、イマジネーションによって生活の諸価値を コミュートし、それ を参加させることであり、芸術作品はそうした目的にもっとも適しているのである。つまり、芸 術作品は個人が生活技術を共有することを助ける最も身近で強力な手段なのである。と説明して いる。 ③実践としてマリア・アレナスが提案する対話型鑑賞 13 マリア・アレナスの提案する知識伝授より児童・生徒の意見や感想を重視する鑑賞法は、日本の 美術鑑賞教育において賞賛され、総合学習などにも応用された。しかし彼女は単に子供たちに自 由に芸術作品について発言させれば良いと言っている訳ではない。彼女の 論旨はたくさんの作品 に触れ、経験によって芸術の見方を構築させるという前提がある。 「美術鑑賞」とはつまるところ、人生のうちのある部分を、美術作品をみつめ、それにつ いて考えることに費やした結果、自然についてくるものではないのか。もちろんこの生徒 たちは、教科書に版画と素画の違いがどう書いてあるのかは知らないだろう が、それでも 作品をふんだんにみているので、それらの見た目に違いにすぐ気づくはずだし、さらに多 くの事を学びたいという意欲もあれば知的な準備もできていて、版画と素鵞の技術的な違 いにも興味をもつかもしれない。それよりももっと大切なのは、美術作品と接したときど うすればようのかを知っていること、そして、大人になってから美術館に行っても居心地 の悪い思いをしないですむことだ。 ④ピッパ・ロードら「美術の若者へ与えうる影響」の調査 イギリスの学校内でおこなわれていた美術教育の調査(2000 年)と英国アート・カウンシ ルの政策 Arts and Education Interface (AEI) initiative の一貫として行われた 15 のアーティストと 教員協同のアクティビティの調査(2005 年)をもとに出された芸術教育が児童・生徒に与えうる影 響を 11 項目に分類したものである。 14 上位の項目が得られやすい効果であり、下に行くほど習得されるか 不確かな項目となっており、 全体として上位から下位へと転移していくものとして示されている。下位の項目習得 は個人差や 長期的な時間が必要であると説明されている。 1.情意的効果 「即時的な喜び、セラピー効果」 2.芸術の実技力、知識獲得、分析能力 「芸術実技能力、美的判断、分析能力」 3.社会・文化的理解 「多文化・多様性の理解、社会的・道徳的理解」 4.他の知識や能力への正の影響 「芸術分野以外への知識・分析能力への転移」 5.認知力の向上 「集中力、問題解決」 6.創造性の発展 「想像力、リスクをとっての挑戦意欲、探求心」 7.コミュニケーション能力、自己表現能力の向上 「コミュニケーション能力、表現」 8.個人の内面的成長 「自身の理解、自分への自信、自信の芸術的知識への自信」 9.社交性の向上 「グループ協働、社会的関係性の向上、他者の社会的理解」 10.芸術的活動に対する意識の変化 「芸術の力を信じる、芸術的活動に積極的参加、学校外 での芸術的活動への参加意欲」 11.芸術活動を越えた分野への転移「学校での生活や将来への正の影響」 13 14 アメリア・アレナス(2001) 『みる・かんがえる・はなす』P.150 Harland,J. Lord, P. Stott, A. Kinder, K. Lamont, E. Ashworth, M. (2005) "The Arts-Education Interface: a Mutual Learning Triangle?" 16 以上の4つの考え方より次のような事が導き出せる。 芸術鑑賞には、芸術に関する知識をもって鑑賞する「分析的鑑賞」と個人の内面に従って鑑 賞する「直感的鑑賞」にわけることができる。目指すべきは「直感的鑑賞」であるが、成熟した 「直感的鑑賞」に達するためには「分析的鑑賞」のための知識を得ることと「直感的鑑賞」両方 を行き来するような段階が必要であると考えることができる。ハーバード・リードは「直感的鑑 賞」を重視しつつも鑑賞教育は学習するものであると捉えているし、著作の中で歴史的知識の必 要性を認めていることが伺える。ジョン・デューイに関しても鑑賞に知識が必要であるとは言っ てないものの、社会の繋がりの延長上に芸術を置いている時点で作品の理解、背景を知るという 事を前提にしているようなものであろう。また 、ピッパ・ロードらの 11 項目を見ても上位の項 目は芸術と知識の繋が必要である事がわかる。 「直感的鑑賞」 「知識を元にした鑑賞」どちらも必 要であり、互いに深く結びついているのである。 作品はたいていその時代の社会を映し出しているものであり、社会と関連して 意味を持って いる。作品の技法や描き方も社会の流れや状況の中で生まれてくるものである 。作品を理解する ために自分たちの記憶や知識を使ってみようとするとアレナスは言っているが、歴史的な知識や 社会の状況に対する知識も作品の理解に不可欠である。作品の本来の意味や描かれた時代 、方法 といったものは、作品自体を社会と結びつけるものであり、芸術を社会と連続した存在にするの ではないだろうか。 感性に従った自由な見方だけで終わらせてしまうと自分たちの中で芸術は常に日常生活と 異質なものであるかのように意識させてしまう。それでは、いつまでも芸術が特別なものである という考え方が変わらない。美術は、社会や身の回りの事を理解したり、見通すためのツールと して日常生活の中に存在するような環境が理想的なの である。 ただし、リードが言うように芸術鑑賞は、歴史や知識理解で終わってしまってはならない。 ピッパ・ロードの 11 項目を参照すれば、9~11 番目の項目までに達成するためにはもっと内面 的な鑑賞軸を持って各個人が自分の見方、楽しみ方をみつけてもらう必要がある。ハーバード・ リードも「鑑賞能力は思春期以前あまり現れてこない」と思春期以前の児童には自由な鑑賞法が 望ましいと考えている。また、アメリア・アレナスの鑑賞教育の対象は小学生程度の子供である。 要するに、小学生のうちはある程度自由な鑑 賞法で作品を聞く、見るといった姿勢をはぐくみ、 中学校以降芸術史の知識を教え、最終的に自主的に「直感的鑑賞」ができるところを目指す事が 有効な教育法として考えられる。 フランスの知識偏重の Histoire des arts の現状はそのような意味では芸術を楽しむための入 り口を教えているようなものであるが、教科書の問いや、授業見学記録からもわかるように、あ る程度「直感的鑑賞」力をはぐくむような活動も盛り込まれているところは評価されるべきであ る。 学校での美術教育、創造性を伸ばす教育への挑戦はすでに 60 年代 70 年代アメリカではじま っており、今回のフランスの Histoire des arts の導入はその流れを辿っているかのように類似点が 多くある。同様に世界各国で美術教育の見直しや重視化しようという声は古くから存在している にも関わらず、どれも理論段階に留まってしまう、政策の空洞化に終わる 。社会全体における美 術教育の認知度は低く、美術教育の必要性や可能性に関して常に懐疑的な視線が向けられる。し かし、美術教育の国際シンポジウム開催など近年やっと本格的に美 術教育の改革が様々な国で実 際に国家政策として関心が高まってきたといえる 。 次の段階は、より教育の内容を見なおしていく事 だ。そこで、フランスの Histoire des arts 教養の考えるべき点 2 つ挙げたい。 第 3 節 Histoire des arts これからの課題 ① 政府や教師、教育環境によって芸術とするものの選定が知らぬ間に行われている いくら自分の心に従って「直感的鑑賞」といっても、私たちは自分の価値観に基づいて作品を見 る。そのための価値観の形成はとても大きな意味を持っている。 17 アメリア・アレナスは『みる・かんがえる・はなす』の中で以下のような体験を書いている。 15 1993 年に、ホイットニー美術館が肉体の機能や異端とされる性的嗜好など、タブー視され たきた問題への現代作家の関心を探る大変に興味深い展覧会を企画した。学芸員がこの展 覧会を「卑賤な芸術(Abject art)」と名付けたのは、不運というしかない。(…)タイト ルの善し悪しについてはなしあう年配の婦人たちの話し声が聞こえてきた。彼女たちは展 示室をでてきたばかりで、作品はいくら軽蔑しても足らず、美術館が勇気をもってそのこ とを公表するちょうどよい時期だという意見が聞こえてきた。 このように説明や紹介の仕方ひとつで芸術の多様性の理解が狭められてしまう事を感じさせる。 この展覧会がもしも「神秘的性へのまなざし」などというものであったらどうだろうか。来場者 に性の描写や考え方は様々であるのかもしれないと思わせる事ができたかもしれない。 学校の教養として平等にすべての生徒に教えるという事は、国レベルでの画一的な芸術にお けるひとつの価値体系を形成するという事になる。言い換えれば、そこで扱われなかった作品や 事柄は価値体系外の「芸術的でないもの」として忘れ去られたり 、異端とされる可能性が潜んで いるのである。 Histoire des arts の、まず学習指導要領に扱うべき作品が詳細に指定されている点と、芸術作 品の鑑賞のための4つの着眼点項目について考えてみる。 扱われる作品は主にいわゆる「名 画」といわれている定番的なものであり、すべての芸術フィールドを扱うものとしていても、授 業内で、しかも専門でない教師が教えるものには限界があり、比較的教えやすい美術・詩・文学 が音楽や演劇より多く扱われるという偏った内容になってしまう。 4つの着眼点に関しては、「用途」を問うところがとても興味深い。授業見学をしたクラス でも鑑賞シートというものが配られ(論文末付録参照)、そのシートを元に作品を鑑賞する生徒 は教えられていた。そこにも「用途」の項目がある。確かに、中世や絶対王政時代、19 世紀ま で芸術家はパトロン性によって成り立ち、多くの作品は注文をされて制作されたもので、 「用途」 がわかりやすい。しかし、すべてがそうであるわけではない。「用途」を求める点に、芸術の昔 からその必要性を照明しなければならないという一種の脅迫観念が反映されているようである。 デザインや建築意外の諸芸術がなくても人々は生きていけるのに、なぜ芸術は必要なのか。多く の研究者や芸術家がそれに対していろんな方法で答えをだそうとしてきた。 芸術は、社会のタブーや偏見を壊していく、新しい価値観、考え方を示す道具でもある。そ れを伝える、考える、議論していくための方法や工夫に関してより考えていく必要があるだろう。 ② 現代美術の扱い 2 章でフランスの 1950 年代それ以前の作品鑑賞教育が廃れていった理由でも書いたが、鑑 賞教育というと 20 世紀初頭までの作品ばかりを扱うことが多い。むろん人間の財産としての過 去の名画を知ることは大切であろう。しかし、実際文化的格差が一番顕著に存在するのは現代芸 術(現在進行形の芸術)の分野である。「現代美術はよくわからない」という潜在意識をもって いる人はまだ多く存在し、この 1 世紀ほどの間ほぼ改善しない。毎年のように「現代美術入門書」 「現代美術を理解するために」といった特集の雑誌や本が発売されている。 このような現代美術が一部の人にのみ理解されないのは、教育に大きな原因があると考えられ る。鑑賞教育体制がしっかりと確立していない日本の場合を見ても「モナ・リザ」を知らない人 はほぼいないだろう。歴史の教科書や資料集にも必ず掲載されている。しかし例えばイギリスの 現代美術作家ダミアン・ハーストの作品を見せてその作家名を認識できるのはごく一部である し、それが芸術作品であることすら認めたがらない人もいるだろう。 現代美術はそれ以前の芸術以上に社会の流れや情勢を映し出すような存在である。そのため 社会や経済政治といった教養と結びつけて学ぶのに適している 。歴史や国語を始めとした、すべ ての教科で Histoire des arts を学ぶという政策は現代美術を扱うのに理想的な環境であるかもし れない。それこそ、芸術の多様性や社会の多様性を学ぶための適した作品は多くある 。 15 アメリア・アレナス(2001) 『みる・かんがえる・はなす』P.102 18 結論 論文の前半では、国際的な芸術教育への関心の高まりを背景にフランスでは Histoire des arts という歴史や国語を中心とした芸術の科目以外の科目で作品の鑑賞教育を導入する事となった 流れをみた。後半では、具体的な Histoire des arts の内容を教科書や授業の一例を踏まえあらため て鑑賞教育のあり方を考察した。Histoire des arts はまだ扱う作品に関して問題点もあるが、完全 な知識偏重の科目ではなく、近年見直されている「直感的鑑賞」力も考慮された教養であるとい える。 この論文をまとめてみて、はじめに Histoire des arts という教科に対して抱いていたイメージ とは大分変わった。ひとつの科目として存在するのではなく、歴史や国語の授業の一貫で行う教 養という事で美術館、コンサートホール、劇場で、芸術を楽しむといった感性的ものとは随分違 う印象である。 私が当初予想していた芸術への理解・興味として考えていたものは、将来自発的に美術館で 作品を鑑賞したり、演劇・コンサート鑑賞に行きたいと思うようになる姿勢の芽生えといったよ うなものであった。この教養に関しては、作品を提示された時に作品の説明をできたとしても、 自分で同様の作品を鑑賞しに行くかというと、なんともいえない。ピッパ・ロードらの芸術が若 者に与える影響の項目を見ても、自らの意思で芸術と関わろうとする姿勢は最後の方の項目であ り、実現がとても難しい事がわかる。美術館や芸術界が求める新しい鑑賞者の創出もそう簡単な ものではなさそうだ。 一方で、歴史の授業で絵画作品を扱っているところを見て、改めて1つの芸術作品から抽出 できる社会的背景や知識の多さに驚かされた。学校で習う多くの知識は人間の創造してきたもの と関連していて、芸術がごく日常的なものであるように感じられた。そのような面では、様々な 教科と芸術を結びつけるという効果があるといえると同時の芸術の必要性を再確認する機会で あるともいえる。 また、これは、芸術教養という事を抜きにしても、画像を多く取り入れた教授法を見直すべきで あるといえる。日本の学校では、歴史・世界史でも文化のページはほとんど触れず、視聴覚教材 はせいぜいテレビなどのドキュメンタリー番組を使う程度で生徒にとって極めて受動的な科目 となってしまうから、社会が“暗記科目”とされてしまう。その改善点として、画像(絵画や写 真)を使って子供たちに考える、想像する、発見するような授業が可能であることがわかった。 今回授業見学したのが絵画を扱った授業であったため、音楽・文学・劇などの分野をどのよ うに扱っていくのかという事がわからないままになってしまった。また、授業の一貫といっても 社会の授業の中での導入ケースしか見ていないことがこの論文の 不足点であった。指導要領を参 照すると、特に小学校の場合、必ずしも歴史と結びつける必要性がなく、どの科目と結びつける 事ができるとされているのであるから、理科や数学、国語とどのように取り入れられるのかとい う所も見てみたいと思った。教科書も新たに改訂されたものと古いプログラムとの一斉入れ替え が今年やっと完了するとのことで、まだ始まったばかりのこの教養科目、これからまだまだ変わ っていく可能性があり、数年後同様の考察を行なってみたいと感じた。 【謝辞―Remerciements】 Monsieur Matthieu Seguela professeur du lycée Franco-Japonais de Tokyo Secondaire Monsieur Jean-Francois Brun professeur du lycée Franco-Japonais de Tokyo Primaire 19
© Copyright 2024 Paperzz