特集 Ⅰ 一般社団法人茗渓会第4回定時総会 Ⅱ 教育学者 清水一彦さんと考える 日本の教育(最終回) 目次 ■ グラビア …… 01 〜 02 ■ 特集Ⅰ 一般社団法人 茗渓会第4回定時総会 …… 03 〜 09 ■ 特集Ⅱ 教育学者 清水一彦さんと考える 日本の教育(最終回) 「教育とは人間の可能性を引き出す営みである」…… 10 〜 16 ■ 茗渓・東西南北 …… 16 ■ 筑波大学は今 …… 17 ■ 茗渓会 公開講座 藤原教授の英語のはなし 第 11 弾「英語になった日本語」藤原保明 …… 18 〜 19 ■ 第 19 回茗渓・筑波グランドフェスティバル開催 …… 20 ■ 第 41 回宿舎祭(やどかり祭)…… 21 ■ 茗溪学園だより …… 22 ■ 平成 27 年春の叙勲 おめでとうございます …… 23 ■ 桐の葉のつどい …… 23 ■ 追悼録 …… 24 ■ 広報 …… 25 ■ 編集後記 …… 25 夏 2015 平成 27 年 no.1086 筑波大学 総合研究棟 D 食の提供 (アウトソーシング) 社員食堂 / 寮・研修所・保養所・研究施設 / 学生食堂 / レジャーレストラン / カフェ お仕事に、勉学にがんばる皆様を食事面からサポートいたします。 空間づくりなども含めた委託運営を行っています。 学生食堂 ∼学校ブランドを高める空間づくり∼ 学生の皆様にとって、大切な思い出の一つになる学生食堂。 学校それぞれの教育方針に沿って運営を行いながらも、 学生層に合わせ、トレンドを意識したメニューをご用意。 カジュアルさとおいしさで好評をいただいています。 また、売店の運営やスクールバスの運行など、トータルでの サポートも可能です。 寮・研修所・保養所・研究施設 ∼やすらぎと栄養バランスを考えた食事提供∼ 各施設の運営方針やご利用者様の年齢層に応じたメニューを 提供。栄養バランスを考慮した食事を提供するだけでなく、 研修施設では研修期間や日程などの利用状況に対応した運営を 心がけ、「食」を通じて家庭にいるような安らぎを提供すること を目指しています。食事以外にも、施設管理全般にわたる管理 業務も行っています。 シダックスフードサービス株式会社 シダックスグループ営業開発本部 〒150-0041 東京都渋谷区神南 1-12-13 渋谷シダックスビレッジ TEL.03-5784-8853(代表) FAX.03-5784-8842 力と自信がつく教育で 「考え、行動する人材」を育成します。 〈4つのスーパーサイエンス特別専攻〉 2014年度 4月新設 ■ 環境エネルギー ■ 医生命科学 ■ICTスペシャリスト ■ 次世代自動車開発 科学的センスとクリエイティブな実践力を身につけた 理数系教員を養成する サイエンス・ティーチャー 養成コース 〒243−0292 神奈川県厚木市下荻野1030 TEL.046−291−3002 URL:http://www.kait.jp/ 理事長 中部 謙一郎 理 事 河野 隆二 (S47農) (神奈川茗渓会 会長) 顧 問 清水 進一 (S43理 数) 監査室 矢野 正人 (S53院修 農) ( 同 事務局長) 工学部 機械工学科(航空宇宙学専攻含む) 電気電子情報工学科 応用化学科 創造工学部 自動車システム開発工学科 ロボット・メカトロニクス学科 ホームエレクトロニクス開発学科 応用バイオ科学部 情報学部 応用バイオ科学科 栄養生命科学科 情報工学科 情報ネットワーク・コミュニケーション学科 情報メディア学科 [管理栄養士養成課程] グランドフェスティバル 応援する学生たち 助成金をお渡しする 江田昌佑茗渓会理事長(左) 助成金を受け取る 玉川信一筑波大学副学長(右) やどかり祭 自分たちで製作した「おみこし」を担ぐ医学専門学群の学生たち 山梨県立大学での2人 右・清水一彦氏 左・藤田晃之氏 連載「清水一彦さんと考える 日本の教育」 (最終回) 前夜祭でやどかり祭の シンボル「宙」の文字が 浮き出ている 一般社団法人 茗渓会 第 4 回 定時総会 平成 27 年 5 月 21 日(木)茗渓会館にて 正副理事長と監事 北海道・東北・関東の代議員のみなさん 近畿・中国・四国・九州の代議員のみなさん 関東・東京・中部の代議員のみなさん 一般社団法人 茗 渓 会 第 4 回 定 時 総 会 平成 27 年 5 月 21日 (木)茗渓会館にて 定時総会出席代議員一覧 図情橘会 森 北海道 沖 野 隼 北海道 大 沼 青 森 田 代 高 宮 城 松 坂 秋 田 船 木 賢 山 形 津 田 福 島 鈴 木 弘 茨 城 高 瀬 宏 茨 城 仙 波 茨 城 武 井 秀 茨 城 石 崎 弘 栃 木 宇 田 貞 栃 木 上 岡 利 群 馬 佐 藤 茜 夫 寛 之 孝 咲 浩 文 樹 操 一 美 夫 夫 功 埼 玉 埼 玉 千 葉 文科省 中 央 新 宿 目 黒 葛 飾 八王子 神奈川 神奈川 神奈川 神奈川 山 梨 長 野 荒 井 修 二 奥 谷 多 作 青 木 寛 三 橋 浩 志 中 村 頴 司 浅 井 一 郎 高 橋 基 之 渡 邉 悟 小 島 和 雄 清 水 進 一 小 山 和 夫 佐々木 悦子 木 本 幹 雄 根 岸 洋 一 竹 村 和 也 3 長 野 新 潟 新 潟 富 山 石 川 静 岡 静 岡 愛 知 愛 知 愛 知 岐 阜 滋 賀 三 重 京 都 大 阪 堀 金 達 郎 永 井 成 一 中 島 郁 雄 坪 池 宏 久 下 恭 功 伊 藤 宏 岩 城 明 高 須 勝 行 村 松 利 之 川 村 昌 宏 丹 羽 章 町 田 登 丹 羽 毅 塩 見 均 松 本 秀 範 (敬称略) 大 阪 佐 藤 隆 一 兵 庫 溝 口 繁 美 奈 良 藤 善 尚 憲 和歌山 土 肥 二 郎 鳥 取 有 田 博 充 島 根 松 本 弘 光 岡 山 長 尾 隆 史 山 口 鍋 井 邦 久 徳 島 木 村 福 岡 重 枝 武 司 佐 賀 野 中 通 兼 長 崎 浦 下 悦 二 大 分 渚 鹿児島 洋 潤 行 原 口 和 哉 平成 年度 茗渓会定時総会 ご 挨 拶 校友会の中で最も由緒ある茗渓会の平成二十七年度の 定時総会が開催されましたことに敬意を表しますととも に、日頃からの本学へのご支援に心より感謝を申し上げ ます。 私儀、昨年秋の学長選考会議の議により、本年四月か ら引き続き学長の任にあたることとなり、あらためて身 の引き締まる思いです。なお一層のご鞭撻をお願いする 次第です。 まず、この一年間の成果の一部をご報告いたします。 昨年三月には、かねてから文部科学省との間で意見交換 を進めてきたミッションの再定義がすべて確定し、文部 科学省のウェブサイトに公表されました。おかげさまで、 本学は研究面で医学が⽛最先端⽜ 、工学が⽛世界水準⽜ 、 理学の物理学分野が⽛世界トップクラス⽜ 、農学が⽛先導 的⽜と分類されたほか、人文・社会及び学際・特定分野 において⽛異分野融合型教育プログラム⽜が取り上げら 恭 潔) 介 筑波大学長 永 西川 田 筑波大学名誉教授 国立大学法人 (代理 れるなど、研究と教育の両面で高い評価を受けることが できました。六月には山海嘉之教授が内閣府の革新的研 究開発推進プログラム(I mPACT)のプログラム・マネ ジャーに採用されました。九月には、全学をあげて応募 準備をしたスーパーグローバル大学創成支援事業でタイ プA(トップ型)に選ばれ、十年間にわたる長期の支援 を受けながら、徹底した大学改革や国際化を進めていく こととなりました。十月には全学的な国際バカロレア特 別入試の記念すべき最初の合格者が発表されました。 学生の活躍も目立ちました。二月には大学院人間総合 科学研究科の平安座依子さんが天皇陛下の御即位二十年 を記念して御下賜金によって創設された⽛日本学術振興 会育志賞⽜の第四回の受賞をいたしました。スポーツで は、第六十二回全日本剣道選手権大会において竹ノ内佑 也選手が史上最年少の優勝に輝き、男子バスケットボー ル部が第六十六回全日本大学バスケットボール選手権大 会で実に六十一年ぶりに優勝するなど、数々の快挙を成 し遂げました。また、大学院に在学する工藤公康氏がソ フトバンクの監督に就任したのも、本学ならではの快挙 と言えるでしょう。 本学は四十二年前に⽛新構想大学⽜として出発いたし ました。最近では⽛新構想大学⽜から⽛未来構想大学⽜ とモデルチェンジを図っているところです。過去の大学 の在り方を反省して創設された本学が、今度は自分たち の望む未来の姿から逆算して活動を行う道程が始まった ばかりです。現在は、文部科学省が設定している大学改 革加速期間の最後の年度に入り、平成二十八年度より始 まる第三期中期目標・計画の策定に向けて知恵を絞って いるところです。しかし、本学にとって、そして国立大 学にとって荒波が待ち受ける時期であることを認識しな ければなりません。その一つの要因は我が国の財務状況 にあります。国債残高が約七八〇兆円超という国際的に も類を見ない深刻な状態であり、国から国立大学に交付 される基盤的な運営費も毎年大幅に削減され続けていま す。その削減の終了も見いだせない現在、各国立大学法 人は夫々に工夫をして、この難題を乗り越えていかなけ ればなりません。 本学でも収入を増加させる工夫、支出を抑制する工夫、 そして限られた資源の有効活用に繋がる工夫などに真剣 に取り組み始めています。もう一つの要因は、十八歳人 口の顕著な減少が差し迫っているということです。十八 歳人口は二〇一四年には一一八万人であり、戦後の第一 次ベビーブームの子どもたちが十八歳を迎えた一九六六 年の二四九万人の半分以下です。十八歳人口は、十年後 にはさらに一一〇万人以下に減少し、二十年以内には一 〇〇万人を大きく割り込むことが見込まれています。 日本の活力を維持するためには、将来の職業構造が変 化したとしても、知識基盤社会を支える一定の知的人口 を保たなければなりませんから、大学は将来の有り様を 考えていかなければなりません。 人口が激減し、財政赤字が増加する中で、大学そのも のの在り方も問われています。筑波大学としては、個々 の研究者や組織にとっての最適ではなく、全体最適に資 する方策を考えなければなりません。 このような全体最適への工夫も、翻れば個々の教職員 の本学や所属する部局の未来を考えることから始まりま す。同窓生の皆様からはぜひともお知恵とお力を貸して いただき、敢然と荒波に立ち向かっていきたいと願う次 第です。 最後になりましたが、同窓生の方々には、お一人お一 人の御健康と御活躍を祈念しています。また、茗渓会に おかれましては過去から現在にいたる同窓生の誇りとな る活動の展開と、また未来の同窓生にとってのご支援の 充実をお願い申し上げ、挨拶とさせていただきます。 4 27 (要旨) 一般社団法人茗渓会 第4回 平成 年度 定時総会 挨 拶 一般社団法人 田 茗渓会 江 昌 佑 在、外部との折衝も最終段階を迎えており、本日の総会 の中でご報告を申し上げることになろうと存じます。 私共の茗渓会も明治初期以来の永い歴史を持ち、駿河 台の昌平黌から大塚、そして筑波の地へと学び舎の場を 進めて参りました。 としての新構想のもとで、既に四十余年の充実した年月 理事長 一方、我が母校・筑波大学もまた、前身諸学校の百年 そのため、会費制度の改正、地域組織等の活性化を目 を経過していることは、誰もが承知しているところでご を越える永い伝統に裏打ちされながら、 〝開かれた大学〟 指した活動支援の改善や応援体制の一層の強化推進を図 いま、大学は前進する新たな姿を見せて⽛未来構想大 ざいます。 ための活動支援金⽜としてフィードバックを図る等、ま 学⽜として、グローバル化の中で、指導陣の強化を図り るため、各組織の会員数に応じて会費の一部を⽛組織の た世代を継ぐための⽛茗渓フェロー⽜へのご協力をいた ながら更なる挑戦を重ねています。 それは、国際的には高い水準での成果を生む改革を踏 だき、その成果にも見るべきものがございます。 これはひとえに、先輩各位のご理解、ご協力の賜もの まえた果敢なる挑戦でございます。 席賜りまして、心から感謝申し上げる次第でございます。 入の増加⽜、そして⽛⚕%の経費の削減⽜を実行して参り ためには、私たちの事業を更に見直して、年間の事業計 また、このキャンペーン活動で、その目標を達成する しかも、それは組織の充実強化を図りつつ、全国的な 5 と感謝しているところです。諸先輩方には、絆のあかし ります⽛茗渓会拡充キャンペーン⽜を、手堅く継続して それだけに、私たち自身もまた、私たちが推進してお 額(累積)をお納めいただいた方がたにお一人ごとにお 行くことが必要であると、痛感しているところでござい の意味も込め、お礼の印として新作の⽛バッジ⽜を、高 届けしております。 ました⽝ゴー・⚕・g o ⽞作戦と称する⽛茗渓会拡充キ 画を踏まえて、更に中期計画、長期計画を策定し、しか ます。 私どもの茗渓会は、一般社団法人の立場で、母校・筑 ャンペーン⽜も、今後とも一層の充実を図って参りたい も、各段階でのステップアップを踏まえて、それぞれの 既に推進しております⽛⚕%の会員増加⽜、⽛⚕%の収 波大学の同窓会の性格をより鮮明にさせるための⽛新法 と存じております。 効率的な仕組みに替えて参りますと共に事務機能の一部 一方、昨年度に申し上げました本部事務局内部組織は、 プランに基づいて行っていく必要があろうと存じます。 平成二十五年度、及び平成二十六年度の総会、あるい 視野で行って参る必要があり、そのためにも皆さまの一 このことが次へのステップに結びつくと信じます。 を順次、筑波事務所へ移して参り、会員構成の過半数が 同窓会としての互助事業の拡充 い申しあげまして私のご挨拶とさせていただきます。 先程申し上げましたような具体的なプランが見えるサー は平成二十七年の新年のご挨拶等の中で、事業の基本的 ⚑ 公益目的事業の強化 また、茗渓会館の利活用の問題も焦眉の急として、現 ございます。 皆さまの更なるお力添えを賜りますよう、重ねてお願 層のご協力と力強いご示唆を賜りたいと存じます。 ⚒ 大学への支援の充実 な柱として、 ⚓ 等を実施して参りたいと私は申し上げて参りました。 ビスの充実を図って、一応の成果を見つつあるところで 筑波大学卒業生で占められているという現実を踏まえ、 ることになりました。 人⽜に衣替えを致しましてから、四回目の総会を開催す たところ、ご多忙にも関わりませず、全国各地からご出 本日は、一般社団法人茗渓会定時総会を開催致しまし 27 審議事項 は本部主催が⚔件、支部主催が 件 実施された。 ⚖ 地域組織総会等は 地域組織で総 会で開催され本部から の地域組織 に本部から理事を派遣した。 ⚗ 追悼のつどい ⚙ / 参列 名 ⚘ 筑波大学就職ガイダンス講師派遣 月 ⚑月 ⚓ 月 広報 季刊誌⽝茗渓⽞の発行 ⚙ ⚑⚐⚘⚑号(春号)⚑⚐⚘⚒号( 夏号) ⚑⚐⚘⚓号(秋号)⚑⚐⚘⚔号(正月号) 現在 ) 31 30 新年賀詞交換 件 茗渓会拡充キャンペーン ①茗渓フェロー募集 延べ応募者数 ⚑、⚐⚓⚘(⚓/ ②誌上交流広告応募件数 暑中見舞い 件 財産増減計算書及び財産目録は、会計 帳簿の金額と一致し、法人の収支及び 財産の状況を正しく示しているものと 認める。 ⑵ 事業報告の内容は真実であると認め る。 ⑶ 理事の業務執行に関する不正の行為 又は法令もしくは定款に違反する重大 な事実はないものと認める。 議長は、第⚑号議案の一括審議を諮り、 全会一致で異議なく承認された。 第⚒号議案 平成 年度事業計画(案)及 び予算(案) について 議長の指示により、高野力常務理事が 資料に基づき平成 年度事業計画(案)を、 岩田敏昭局長代理が資料に基づき平成 年度予算(案)について説明した。 議長が質問・意見を求めたが、特にな く、本議案については、異議なく賛成多 数(拍手)であったので、議長は可決承 認されたことを宣言した。 第⚓号議案 役員の選任(理事⚒名、監 事⚑名)について 議長の指示に従い、役員選考委員長を 務めた西川潔副理事長から、⚔月 日に 6 34 29 19 13 平成 年度収支決算書及び監査報告承認 の件 議長から平成 年度の貸借対照表及び 正味財産増減計算書は本総会で承認を得 ることとされている旨の説明があり、岩 田敏昭局長代理から資料に基づき詳細な 報 告 が さ れ た。(項 目 別 の 収 入 及 び 支 出 はP⚘の収支計算書を参考にされたい) 26 力 常任理事 一般社団法人 茗渓会(平成 年度) 26 (要旨) 10 11 岩田敏昭 局長代理 飯塚良成 監事 27 11 26 続いて飯塚良成監事から平成 年⚔月 日に会計監査と業務監査を行い、次の ような監査報告がなされた。 ⑴ 財務諸表すなわち貸借対照表、正味 27 27 27 38 10 20 25 第⚑号議案 平成 年度事業報告、収支 計算書類及び監査報告の承認について 高野力常務理事から資料に基づき平成 年度事業報告について次のような説明 があった。 10 10 ⚑ 会員状況 正 会 員 ⚒⚐、⚕⚒⚐(昨年⚒⚐、⚒⚔⚓) 登録会員 ⚕⚔、⚖⚓⚐(昨年⚕⚔、⚓⚑⚖) (⚒年間会費未納者を含む登録会員数) ⚒ 第⚓回定時総会は平成 年⚕月 日に開催。 ⚓ 理事会は年に⚗回、開催。 ⚔ 企画運営委員会は、年⚒回、財務 法務委員会は、年⚒回、組織委員会 は年 回、大学つくば地域支援委員 会は 月に、公益広報委員会は年に 回、顕彰選考委員会は年に⚓回、 会館特別委員会は年に⚔回、会館対 策チームは年に 回、関連三法人関 係の会合は年に⚒回、監事監査会は ⚔月に⚑回、大学との連絡・懇談会 は年⚒回開催された。 ⚕ 公益事業として、①学生活動支援 事業、②顕彰事業、③公開講座、④ 大学支援事業、⑤教職受験対策講座 補助等をおこなった。③の公開講座 10 第4回定時総会 議事 一般社団法人茗渓会第⚔回定時総会は、 平成 年⚕月 日( 木) 時から茗渓会館 において開催された。議事に先立ち、高 野力常務理事・事務局長から、代議員総 数 名のうち、出席 名(うち代理出席 ⚓名を含む)委任状による出席 名、合 計 名が出席との報告があった。出席し た理事は 名、委任状提出理事は 名で あり、監事⚒名は全員出席であった。 江田理事長から⽝新法人発足後⚔回目 の総会を迎え、今年度も引き続き⽛茗渓 会拡充キャンペーン⽜を推進し一層の充 実を図っていきたい。また、このキャン ペーン活動の目的を達成するために事業 を更に見直し、中期・長期計画を策定し、 各段階でのステップアップを踏まえて組 織の充実強化を図りたい⽞等の挨拶があ った(P⚕参照) 。 江田昌佑理事長の挨拶に続いて、筑波 大学永田恭介学長は公務のため欠席され たため、同大学西川潔名誉教授(本会副 理事長)が来賓祝辞を代読した(P⚔参 照) 。 19 高野 22 14 59 議長就任、議事録署名人及び開会宣言 21 定款第 条により議長に江田理事長が 就き、定款第 条第⚒項により議事録署 名人には議長及び出席した理事全員であ ること告げ、代議員の出席状況から、定 款第 条により、総会が成立した旨を告 げ、開会を宣言して議事に入った。 19 13 15 26 27 34 11 27 110 93 13 報告事項 ⑶ 茗渓会館の利活用について 井口会館問題特別委員会委員長から、 茗渓会館の利活用について、 昨年来、様々 な会社と折衝してきた中で、結婚式場と 宴会を中心に事業を展開している(株) シーズンを、全館一括契約で経営委託先 とする基本合意契約書を取り交わしたと の報告があった。また、高野常務理事か ら基本合意書締結後の今後の進め方とし て、地下、⚑階ホールや玄関等の改修工 事や基本設備の改修工事は既に検討に入 っており、秋の結婚式シーズンに間に合 わせるために⚗月までに工事を終え、⚘ 月にオープンする計画で進めているとの 報告があった。 以上で、茗渓会通常総会は、予定され たすべての内容を終了し閉会した。 諸 連 絡 7 ⑴ 茗渓会拡充キャンペーン(ゴー・⚕・ GO作戦)について 茗渓会拡充キャンペーン実行委員会委 員長の井口武雄副理事長から資料に基づ き過去⚒年間の取組について説明があり、 了承された。 29 開催された役員選考委員会で慎重に審議 した結果、理事及び監事の候補者として 次のとおり選考したとの提案があった。 ①新理事候補者としては、玉川信一氏と 高橋基之氏を選考した。 ②新監事候補者としては、田路至弘氏を 選考した。 以上の提案に対して、議長から、順次、 挙手により選任について諮ったところ異 議なく賛成多数であったので、議長は選 任されたことを宣言した。 以上ですべての議事が終了した。 28 ⑵ 代議員選挙について 室岡和彦局長代理から、本年度は、平 成 年度及び平成 年度の代議員を選出 する年であるとして、資料に基づいて、 代議員推薦数、代議員選挙の手順及び代 議員立候補届出書等の様式について説明 があり、所定の手続きを締切り期限まで にお願いしたいとの要請があった。 ⑴ 会員登録・会費納入状況等について 高野常務理事から説明があった。 ⑵ 各地域組織からの連絡文書について 室岡局長代理から各地域組織から本部 への連絡文書の様式について説明があり、 ⽛組 織 表⽜は⚗ 月 日 ま で に 提 出 願 い た いとの要望があった。 ⑶ 関連法人の役員紹介について 高野常務理事から、関連法人である筑 波学都資金財団の石山事務局長及び武井 学生宿舎管理事務所長、並びに茗溪学園 の田代校長の紹介があり、それぞれ挨拶 があった。 総会に引き続き、会場を⚔階に移して 会員懇談会が開催され、江田理事長の挨 拶、出席した者による懇談が行われた。 31 筑波学都資金財団 石山事務局長 武井学生宿舎 管理事務所長 茗溪学園 田代校長 理事のみなさん 井口武雄 茗渓会拡充 キャンペーン実行委員会委員長 室岡和彦 局長代理 潔 役員選考委員長 西川 挙手する代議員のみなさん 平成 26 年度決算報告 貸借対照表 正味財産増減計算表 平成27年⚓月31日現在 平成26年⚔月⚑日から平成27年⚓月31日まで 単位千円 資産の部 未収消費税 258 前払費用 流動資産合計 500ó439 ⚑.事業活動収入 ⑴ 事業活動収入 ⚑ 経常収益 ① 地代収入 58ó900 ② 正会員受取会費 30ó131 ③ 茗渓フェロー会費 4ó624 ④ 委託料収入 2ó904 660ó369 ⑤ 広告料収入 4ó278 構築物 5ó064 ⑥ 寄付金収入 136 機械装置 2ó256 ⑦ 退職給付引当金取崩収入 什器備品 983 Ⅱ 固定資産 その他固定資産 建物 土地 その他固定資産合計 資産合計 314ó775 983ó449 1ó483ó888 負債の部 未払い法人税 預り金 流動負債合計 退職給付引当金 満期共済金引当金 保証金 修繕積立引当金 固定負債合計 負債合計 正味財産合計 負債及び正味財産合計 72 ⑩ 駐車場利用収入 1ó276 ⑪ 雑収益 1ó528 106ó912 正会員会費収入 フェロー収入 事業収益 地代収入 34ó755 30ó131 4ó624 66ó082 58ó900 委託料収入 2ó940 広告料収入 4ó278 寄付金収入 寄付金収入 雑収入 駐車場利用収入 136 136 2ó877 1ó276 受取利息収入 72 その他雑収入 1ó528 退職給付引当預金取崩収入 3ó061 退職給付引当預金取崩収入 3ó061 事業活動収入計 106ó912 ⑵ 事業活動支出 ① 事業費 105ó446 70 ② 管理費 54ó525 管理費 17ó838 441 経常費用計 159ó971 予備費 2ó000 20ó268 15ó666 3ó600 36ó200 1ó400ó000 1ó000 1ó456ó466 1ó476ó735 当期経常増減額 △53ó058 ⚒ 経常外増減の部 事業費支出 事業活動支出計 事業活動収支差額 104ó428 122ó266 △15ó353 Ⅱ 投資活動収支の部 ⚑ 経常外収益 経常外収益計 0 ⚒ 経常外費用 ⚑ 財務活動収入 財務活動収入計 0 0 ⚒ 財務活動支出 固定資産除去損 7 経常外費用計 7 当期経常外増減額 当期一般賞味財産増減額 正味財産の部 一般正味財産 ⑨ 受取利息 会費収入 19ó757 Ⅱ 固定負債 長期借入金 ― ⚒ 経常費用 未払金 前払金 3ó061 ⑧ 満期共済金引当預金 取崩収入 雑収益計 Ⅰ 流動負債 単位千円 Ⅰ 事業活動収支の部 ⚑ 経常増減の部 500ó181 平成26年⚔月⚑日~平成27年⚓月31日 単位千円 Ⅰ 一般賞味財産増減の部 Ⅰ 流動資産 現金預金 収支計算書 △7 △53ó065 ⑴ 借入金返済支出 20ó600 ⑵ 保証金返済引当支出 33ó000 財務活動支出計 53ó600 財務活動収支差額 △53ó600 当期収支差額 △68ó953 7ó153 一般正味財産期首残高 60ó219 前期繰越収支差額 189ó837 7ó153 一般正味財産期末残高 7ó153 次期繰越収支差額 120ó883 1ó483ó888 Ⅱ 正味財産期末残高 8 7ó153 公益財産支出計画充当減価償却 2ó131 ⚑.事業計画のねらい 平成 27 年度 一般社団法人 茗渓会 事業計画 ⑴ 本年度は一般社団法人移行後⚔年目にあたり、将来を見通し、さらに事業を円滑に進めるための計画を実施する。 ⑵ 公益目的支出計画に基づいて事業の推進を図る。 ⑶ 茗溪会館の利活用を安定・向上させることを重点事業と捉え取り組む。 ⑷ 平成24年⚒月の財務審議会答申を受け、継続して将来を見通し事業を展開する。 ⚒.事業の目的(定款第⚓条) 会員相互の親睦及び互助並びに知徳の啓発を図り、併せて国立大学法人筑波大学の目的及び使命の達成に協力し、学術、文化、 教育並びに社会貢献活動及び国際相互理解の促進に資する事を目的とする。 ⚓.事業の内容(定款第⚔条) ⑴ 会員相互の親睦を図るための交流事業並びに会員の福祉を図るための共済に関する事業 ① 茗渓会拡充キャンペーンの継続実行 ③ 追悼のつどいの実施 ⑵ ② ホームページの充実による交流促進 定期刊行物その他出版物などの発行に関する事業 ① ⑶ 季刊誌⽛茗渓⽜の発行…年⚔回 研修会、講演会、公開講座等公衆の教養向上と地域社会への貢献に資する事業 ① ⑷ 公開講座の実施 ② 地域組織等主催による公開講座への助成 学術、芸術、社会貢献、国際相互理解等の顕著な活動に対する奨学、支援、表彰などに関する事業 ① 顕彰事業(社会貢献活動功労者、筑波大学大学院生、筑波大学芸術関係) ② 学生諸活動への助成事業 ⑸ 財産の管理・運営に関する事業 ① ⑹ 教育の振興、普及活動に資する事業 ① ③ ⑺ 茗溪会館の利活用を安定・向上させる事業 筑波大学側と地域組織等との交流 ② 筑波大学就職ガイダンスへの協力 教職受験対策研修会の開催 ④ 茗溪筑波グランドフェスティバルの共催 その他、この法人の目的を達成するために必要な事業 ⚔.前項の各事業は、全国において行うものとする 平成 27 年度予算書 科 目 27年度予算 Ⅰ 事業活動収入の部 ⑴ 事業活動収入 正会員会費収入 フェロー収入 事業収益 科 目 福利厚生費支出 ⚑ 事業活動収入 会費収入 平成27年⚔月⚑日~平成28年⚓月31日 40ó000 27年度予算 0 ⚑ 投資活動収入 0 旅費交通費支出 700 ⚒ 投資活動支出 0 負担金支出 210 0 5ó104 印刷製本費支出 5ó000 ⑶ 修繕目的積立預金 100 謝礼金 満期共済金支出(共済) 0 広告料収入 4ó300 租税公課支出 事業活動収入計 0 7ó800 2ó203 退職給付引当金取崩 0 通信運搬費支出 委託料収入 雑収入 ⑴ 退職給付引当預金 34ó896 0 満期共済金引当預金取崩 Ⅱ 投資活動収支の部 ⑵ 保証金返済引当預金 65ó403 100 業務委託費支出 20ó482 7ó500 2ó577 高熱水料費支出 6ó500 0 火災保険料支出 700 2ó000 110ó080 修繕費支出 支払利息支出 3ó000 350 投資活動支出計 0 投資活動収支差額 0 Ⅲ 財務活動収支の部の部 ⚑ 財務活動収入 財務活動収入計 ⑴ 借入金返済支出 財務活動支出計 財務活動収支差額 18ó574 Ⅳ 予備費支出 86ó962 事業活動支出計 105ó536 当期収支差額 給料手当支出 22ó000 事業活動収支差額 助成金支出 12ó100 事業費支出 9 4ó544 0 0 ⚒ 財務活動支出 管理費 ⑵ 事業活動支出 27年度予算 520 弔慰金(共済会員)支出 寄付金収入 目 祭典費支出 58ó900 地代収入 科 単位千円 15ó666 15ó666 △15ó666 2ó000 △13ó122 前期繰越収支差額 139ó163 次期繰越収支差額 126ó040 教育学者 清水一彦さんと考える 日本の教育《最終回》 特 集 1997 1999 2015 東京教育大学教育学部教育学科卒業 筑波大学教育学研究科博士課程 単位取得退学 博士(教育学) 筑波大学教授 山梨県立大学理事長・学長 専門は教育制度学 日本教育制度学会会長 1974 1980 【清水先生の子ども時代の暮らし】 藤田 今回はこのシリーズの最終回ですので、きょうは 清水先生が教育学者として歩んでこられた自分史をお 話していただきながら、いま、わが国が直面している 教育の課題に私たちはどう向き合っていったらいいの かを考えていきたいと思います。 そこで、まず、清水先生の子ども時代はどのような 暮らしをされていたのか、そしてその頃の教育はいま の教育とどのように違っていたのかというあたりから お話をうかがっていきたいと思います。 農家の労働力としての子ども時代 藤田 ⚑時間半ほどかけて桑摘みをして、それから⚑時 間半かけて学校に通うというなかなか大変な生活だっ たのですね。 清水 私はその頃のそういう生活が嫌でして母親の⽛早 く起きろ⽜という言葉はいまでも耳に残っています。 土曜日や日曜日、春休み、夏休み、そして農繁期など の学校が休みになる時も普通は子どもにとっては楽し い時なのでしょうが私にとっては労働力として期待さ れる時でしたから嫌でたまりませんでした。私が越境 して甲府の高校に進学しようと考えたのも、このよう な生活から逃れるためだったといえるかもしれません。 藤田 越境入学や高校での生活については後ほど詳しく お聞きしたいと思いますがいまはもう少しこの頃の学 校生活や当時の先生のお話を伺いたいと思います。 学校での勤労体験の思い出 農作業と学校 清水 私は農家の男ばかりの⚕人兄弟の⚓番目として生 まれました。うちは農家としては、乳牛、養蚕、米、 清水 その頃の学校では、必ず勤労体験が行われていま 野菜など大規模にやっていましたので、子どもたちも したが、私たちの学校では近くの山に出かけ、大きな みな労働力となって働いていました。 鎌を使って下草刈りをやりました。 農家の仕事というのは子どもにとっては相当つらい 藤田 いまは、 もので、養蚕の忙しい時には、朝⚔時にはたたき起こ 勤労体験とい されて、学校に行くまでのノルマとして桑摘みをさせ うのは一部の られました。桑の葉を籠一杯になるまで摘むのですが、 学校でやって 子どもの手では⚑時間半はかかるようなきつい仕事で いるだけで、 した。 多くの学校で そうした農作業をした後で朝食をとり学校に行くの は職場体験に ですが、私たち兄弟が通っていた学校は途中には山越 様変わりして えをするような場所もあって、歩いて⚑時間半以上も います。地域 かかるところにありました。 に奉仕すると そんな山間の学校でしたが給食はありました。ただ、 いうことを学 その小学校の給食は子どもたちが自分の家から野菜を ぶということ 持っていって、いまでいう自校方式のように学校でつ では勤労体験 くるというやり方をしていました。でも、私はときど は大事な学習 き野菜を持っていくのを忘れて、通信簿に⽛よく野菜 の場ではない を忘れる⽜と書かれたことがあります。その通信簿は かと思います。 今も手元に残っています。 10 【略歴】 清水一彦先生 教育とは 人間の可能性を引き出す 営みである 清水 勤労体験はどのような形でもいいのですが、キャ リア教育という視点からももっと重視されていいので はないかと思います。 11 先生は尊敬される存在だった 藤田 甲府一高に入学してからの生活はどのようなもの 生か⽜という歌詞のように、先生と生徒の距離感がな くなっています。 でしたか。 ⽛メダカの学校⽜のよさもありますが、やはり先生は 清水 甲府一高に入学してからの生活は、⚑年目は自炊 尊敬される存在でなければならないだろうと思います。 生活、⚒年目からは賄い付きの下宿生活でした。 学校での生活は、⚑年目は男女共学のクラスでした が、⚒年目は男子だけのクラスになってしまいました。 越境して甲府第一高等学校へ進学 甲府一高の女子の割合は⚒割くらいでしたので、どう しても男子だけのクラスが多くなります。実はこれが 私にとっては面白くない。 兄弟は男ばかり、下宿も男ばかり、学校も男子クラ スで男ばかりというのは、異性に対する関心が強くな る時期ということもあって必ずしも楽しくない。 そのため、私はそれまでずっと理系志望だったので すが、理系は男子生徒が多く⚓年のクラス編成で男子 クラスになる可能性が高かったですから、⚓年になる 前に進路を文系に変えるという選択をしました。 藤田 えっ。教育学に対する強い思いがあって進路を変 えたのではなく、男子クラスが嫌で志望を理系から文 系に変えたのですか。 清水 そうです。人生ってそんなものではないでしょう か。 藤田 では、清水先生はいつ教育学の世界に進もうと考 えたのですか。 清水 これも、そんなに深い理由があっての選択ではあ りませんでした。 前の年に大学紛争のために東大も東京教育大学も入 試が中止されていたため、私が大学受験をする年は、 東大受験者が大幅に増えて難しくなるといわれるよう になり、学校からも⽛国立を受ける生徒はランクを下 げろ⽜というような進路指導がありました。 私も一応東大志望だったのですが、突破するのはか なり難しいだろうと考えていました。でも、東京の大 学には行きたかったし、東京の大学で文系ではどこが いいか考えていた時、親戚に小学校や中学校の校長な ど教育関係者が多かったという背景もあり、それでは 私は大学の先生をめざそう、そのために東京教育大学 を受けようと決めたのです。 藤田 小学校時代に、思い出に残る先生はいらっしゃい ましたか。 藤田 先ほど、清水先生は、農家の労働力から逃れるた 清水 思い出に残る先生は沢山いますが、一人だけあげ めに越境入学を考えたという話をされましたが、いよ るとすれば、私が叱られた先生のお話をしたいと思い いよこの話に進みたいと思います。 ます。 小学校の時の話ですが、休み時間にふざけていて私 の投げたボールが女の子にあたってしまったのですが、 私は机の上に座っているだけで謝ることもしませんで した。 教室に入ってきた担任の先生が事情を女の子から聴 いていた時に私はまだ机の上に座っていたため、それ を見ていた先生は私をものすごく叱りました。 ただ、この先生の叱り方は子どもをたたくようなこ とはせず、いつも机をたたいて叱るのです。それは子 どもに考えさせるような叱り方でした。このような先 清水 いま考えれば、家の農作業を手伝うという経験は 生でしたから私たちにとってはとても怖い先生でした 辛かったけれども、後の私の人生でとても大きな力に が、尊敬できる先生でもありました。 なったと思うことがありますが、当時は、そうした生 藤田 当時は体罰だって当たり前の時代であったと思う 活から逃れたいという気持ちがものすごく強かったで のですが、その先生は子どもをたたくようなことはせ す。 ず、厳しさをもって子どもに接し、叱った後で、大き しかし、その頃の越境入学というのは定員の⚒割く な愛情で包み込む、そんな先生だったのですね。 らいしか認められていませんでしたから、越境で甲府 一高に合格するのは相当難しく、私の地区からはそう 清水 私たちの時代の先生というのは畏敬の念をもって 簡単には入れません。 接するような存在でした。 担任の先生からは諦めるようにという強い指導があ しかし、最近の日本の学校における先生と子どもの りましたが、私は諦めずに合格をめざして旺文社の分 関係は⽛雀の学校⽜から⽛メダカの学校⽜に代わって 厚い⽛全国公立高等学校入試問題集⽜の過去⚕年分を きたように思われます。 夢中になって勉強しました。 私たちの時代の学校は⽛雀の学校⽜で、 ⽛鞭をふりふ 父親もそうした私を見ていましたから、落ちてもい りチーパッパ⽜という歌詞が示すように先生は威厳が いからといって越境受験を認めてくれ、運よく合格す あり、尊敬される存在でした。もちろん、この鞭は体 ることができました。甲府一高合格は、私の生涯でも 罰用の鞭ではなく指示棒のことです。 一番うれしかった思い出です。 ところがいまは⽛メダカの学校⽜で、 ⽛誰が生徒か先 【略歴】 藤田晃之先生 1995 2013 筑波大学第⚒学群人間学類卒業 筑波大学大学院博士課程 教育学研究科単位取得退学 博士(教育学) 筑波大学教授 専門はキャリア教育学 日本教育制度学会理事 1988 1993 12 その中で小学校の⚔年生から大学に入るまで家庭教 師をした生徒が二人いまして、その子たちとはいまで も家族ぐるみのお付き合いをしています。 東京教育大学校舎 この経験が、私のいまの⽛内申書は開示すべきであ る⽜という主張につながっているのです。 私たちが大学入試の際に提出される内申書を見ても ⽛出欠状況⽜を逆に記入していたり、結構ミスも見つか ります。内申書を本人に知らせることは悪いことでは ないし、記入のミスを防ぐためにも、内申書は開示す べきなのです。 学生文化会の仲間たち クラス編成も、やはり男女共学がいい 清水 先ほど私は、男女共学クラスで学ぶために進路を 変更したという話をしましたが、基本的にこの世は男 と女でなり立っているわけですから、男だけ、女だけ というのはもともと不自然なのです。 内申書の右の欄に何も記入されていなかった ですから、旧教育基本法第⚕条の⽛男女共学は認め られなければならない⽜ (現在は削除)という法律につ 清水 大学受験の時、私は⽛内申書は開示すべきである⽜ いては、高校時代の体験からも、私は⽛男女共学とい という、後に私の教育主張につながる経験をしました。 うのはクラス編成まで及ばなければならない⽜と強く あの頃の国立大学は⚑期校と⚒期校があって、私は 思っていますし、大学の授業でもそのように教えてい ⚑期校は東京教育大学、⚒期校も⚑校受験することに ます。 して、内申書を⚒通もらっていました。 でも、東京教育大学一本で勝負することに決めまし たので、本当はいけないのだけれども、一通の内申書 【東京教育大学での生活が始まる】 を開けてみました。 ところが開けてびっくり。右半分には何も書いてな いのです。右の方には⽛出欠状況⽜とか⽛行動の記録⽜ 藤田 いよいよ東京教育大学での生活が始まりました。 や⽛性格⽜について書く欄があるのですが、何も書い 清水先生の大学生活はどのようなものだったのですか。 てない。下宿の友達に相談したら、 ⽛これはおかしい。 担任の先生に話した方がいい⽜というので、叱られる 入学式の日から家庭教師のアルバイト のを覚悟して担任の先生に話したら⽛これは私のミス だ。 ⽜といって、直ちに東京教育大学に連絡を取ってく 清水 入学式の日、サークルやクラブの勧誘活動が盛ん れて、差し替えをしてもらいました。 に行われていましたが、私は⽛学生文化会⽜という主 それは、締め切りの前でしたので助かりました。 に都内の中学生や高校生を集めてスクーリングをやる というのは、あの頃は大学紛争の直後で、成績だけ サークルに入ることにしました。そうしたら、そのサ でなく内申書も重視されるようになっていましたから ークルの人から⽛きょうから家庭教師をやらないか⽜ と言われ、その夜から家庭教師のアルバイトすること (入学後にそういう話を関係者から聞きました) 、内申 になり、それから就職するまでの間、私は延べ 人の 書を見ていなかったら私は落ちていたかもしれません 家庭教師をすることになりました。 でした。 32 また、この⽛学生文化会⽜は、毎年スプリングスク ールとサマースクールを開催し、大学に都内の中学生 と高校生を 人くらい集めて学習指導等をしていまし たが、校長・教頭がいて、校務分掌があって、テキス トも自分たちでガリ版を使って作成するなど、まさに 学校と同じ体験ができる楽しいサークルでした。 そして、サークルの仲間とは、パチンコ、酒、麻雀 と、よく遊びました。 藤田 でも、単位を取らなければいけなかったと思うの ですが、勉強の方はどうでしたか。 清水 大きい声では言えませんが、あの時代はまじめに 授業をやる先生はそんなにいなくて、出席を取る先生 も少なかった。そんな中、試験をクリアできるくらい の勉強はしていました。 しかし、毎回授業に出席して一生懸命に勉強した英 語の成績がC評価で、履修登録をしただけで授業には あまり出ないで試験だけを受けた科目の成績がA評価 というような理不尽な経験をする中で、後に私の博士 論文のテーマとなる⽛大学の単位制度⽜に関心を持つ ようにもなりました。 藤田 いまのお話で、清水先生が⽛大学の単位制度⽜に 関心を持つきっかけについてはよくわかりましたが、 教育制度学という学問領域に進むようになったのはど のようなきっかけがあったのですか。 教育制度学との出会い 300 清水 それは真野宮雄先生との出会いが一番のきっかけ です。真野先生は⽛学生文化会⽜の顧問でしたが、実 博士論文への挑戦 は旧制甲府中学の出身で私の大先輩でもありましたか ら、もうこれは運命的出会いだなと思い、大学院は真 清水 私たちの時代はいまと違って、博士号を取る人は 野先生に師事しようと教育制度学に進むことにしたの ほとんどいませんでしたし、私も博士号を取ろうなん です。 て考えていませんでした。ところが、筑波大学でも博 藤田 大学院に進んでからは研究一筋ですか。 士号を持たないと教授になれない時代になり、私も博 清水 そんなことはありません。勉強もしましたが、よ 士論文に挑戦しなければならなくなりました。 く遊びました。 しかし、私がそれまで主として研究してきたアーテ その頃、桑原敏明先生も愛知教育大学から戻られて ィキュレーションの研究というのは、学校段階の接続 いて、真野先生も桑原先生も当時はかなりのスモーカ 関係の研究ですから、就学前教育から高等教育さらに ーでしたから、煙の中で知恵を出しあうという熱のこ は生涯学習までが研究対象になりますから、ものすご もった研究会が毎週行われていました。そして、研究 く幅が広く、焦点が絞りにくい。とても個人の博士論 会が終わると必ず池袋に行って、先生も加わって飲ん 文のテーマにできるような研究ではありません。 で麻雀をやるという生活でした。 そこで、何をテーマにしようかと考えていた時に、 私はアメリカの教育制度研究をフィールドにしていま したから、在外研究員制度を活用して⽛アメリカと日 清水先生の研究テーマ 本の高等教育における単位制度の比較⽜をテーマにし ようと思いついたのです。 藤田 清水先生の研究テーマを見ますと、どちらかとい この研究テーマについては、教育学には関係のない うと高等教育に対する関心が強いように思われますが、 筑波大学の全く専門の違う先生から⽛清水さん、いい 初等中等教育の方に研究テーマを置くことを考えたこ テーマを見つけたね⽜とほめられました。 とはなかったですか。 清水 私の学部時代の卒業論文は、初等教育と中等教育 藤田 高等教育の単位制度については、所与の前提とさ のアーティキュレーション(接続)でした。そして、 れてはいるものの、わが国の単位制度はアメリカの単 大学院を出て最初に勤めたのが長野市にある清泉女学 位制度の考え方とは大きく違っていたし、誤解もあり 院短大で、ここには幼児教育科がありましたから、私 ました。そういうことが清水先生の研究で明らかにさ はそこで就学前教育と小学校教育のアーティキュレー れ、私たちにとっても大変勉強になりました。 ションの研究をしました。そして筑波大学に戻ってき 清水 この単位制度の問題は、いま大学教育改革の中で たのが⽛大学研究センター⽜で、今度は高等教育の研 も大きな課題になっており、私の研究がわが国の単位 究をすることになりましたので、ここでは中等教育と 制度の改革に少しでも役に立っているならば、こんな 高等教育のアーティキュレーションの研究もいたしま うれしいことはないと思っています。 した。 ですから私の研究は高等教育に止まるものではなく、 【 清水先生が研究者として影響を受けた先人たち】 アーティキュレーションを軸として、就学前教育、初 等教育、中等教育、そして高等教育まで全部つながっ た研究になっているのです。 藤田 ここまで、清水先生の子ども時代から、研究者と してどのように歩んでこられたかをうかがってきまし 13 たが、歴史的文脈の中で、清水先生が大きな影響を受 けた先人にはどのような人がいますか。 ジョン・デューイ(⚑⚘⚕⚙~⚑⚙⚕⚒) もを中心に考えており、子どもの発達や学習の権利を 保障するという私たちのめざす教育制度研究につなが るものを見ることができるのです。 真野宮雄先生と桑原敏明先生 制度をどう改革していったらいいかというような課題 解決型あるいはクリエイティブな観点からの研究も増 えてきたように思います。 教育制度学会の立ち上げ 子どもの学習する権利の保障が一番の課題 清水 ひとことでいえば、⽛子どもの学習する権利を保 障するという大命題に応える⽜ということが教育制度 学の一番の課題であり役割であると考えています。 そして、子どもそのものの研究も、教育学からのア 14 清水 教育制度研究で一番影響を受けたのはアメリカの 教育哲学者であり社会思想家であるジョン・デューイ です。彼の著書⽛学校と社会⽜の第⚓章は⽛教育の浪 費⽜というタイトルがついていますが、ここでジョン・ デューイは⽛制度というのは硬直、固定化してはいけ ない。常に弾力的でなければならない⽜といっていま す。この言葉は、私の教育制度研究の基本になってい ます。 そして、私たちが何のために教育制度の研究をする のかというと、それは子どもの学習する権利を保障す るためであると考えていますが、このことについても ジョン・デューイは⽛子どもの発達 教育⽜であると 述べています。 藤田 そういう歩みの中から、清水先生たちが中心にな って⽛教育制度学会⽜を立ち上げます。 この⽛教育制度学会⽜の誕生にはどんな経緯があっ たのですか。 清水 ⚑⚙⚘⚔年に臨時教育審議会が設立されてから、 わが国ではさまざまな教育制度改革が進められてきま したが、この制度改革はきちっとした研究の裏づけが ないまま政策主導でどんどん進められていました。 これではいけない、もっと実証的な研究をして、教 育制度改革に貢献し、教育制度改革の研究的フォロー もしていかなければならないということで、⚑⚙⚙⚓ 年の 月⚑日に学会を立ち上げたのです。 【これからの教育制度学の課題】 清水 そして、真野先生と桑原先生も私の教育制度学研 究を支えてくれた大切な二人です。 真野先生は⽛人間の発達をめざす生涯学習体系⽜を 研究テーマとしていましたし、桑原先生はいつも⽛教 育は愛である⽜といっていました。 この二人の先生は、いま紹介したデューイやルソー やペスタロッチと同じように、子どもを中心とした教 育研究を生涯のテーマとして、長い間研究を続けてこ られました。 藤田 真野先生と桑原先生は、私も直接指導を受けた一 人ですが、お二人の⽛子ども中心の、愛情を核とした 教育研究⽜からは、いろんな意味でサゼッションをい ただいています。 【わが国の教育制度学の歩み】 教育制度学は若い学問領域 藤田 ここまで、清水先生の子ども時代の話から、教育 制度研究者になってどんな研究をしてこられたのかを うかがってきましたが、ここで、わが国の教育制度学 の歩みを少し振り返ってみたいと思います。 10 藤田 教育制度学会が誕生して 年。教育制度学の研究 も、最初の頃の外国に学ぶ研究から実践的な研究に代 わってきました。しかし、わが国はいまもさまざまな 教育課題をかかえ、こういう教育課題に対し教育制度 学は何をしていかなければならないのかが問われてい ます。 教育制度学の課題や役割について、清水先生はどの ように考えているかおうかがいしたい。 清水 わが国の教育制度学の歴史は浅く、教育制度学の 研究室を持っている大学は、筑波大学のほかに大阪大 学と北海道大学くらいしかありません。ほかの大学で は、教育行政や教育経営の研究と一緒にやっていると ころが多いようです。 そして、研究テーマも、最初は先進国の教育制度を 学ぶという時代が続きましたが、だんだん外国に学ぶ という受動的な研究ではなく、課題の多い日本の教育 20 ジャン・ジャック・ルソー(⚑⚗⚑⚒~⚑⚗⚗⚘) 清水 世紀にフランスで活躍した哲学者ルソーも影響 を受けた先人の一人です。 ルソーは、 ⽛自然に帰れ⽜ ⽛教育とは自然の性、すな わち天性に従うことでなければならない⽜と主張し、 子どもに焦点を当てた教育論を展開しましたが、この ルソーの子どもを見る目、子ども観は、今日でも色あ せていないと受け止めています。 清水 そしてもう一人、影響を受けた先人に、スイスの 教育実践家ペスタロッチがいます。 ペ ス タ ロ ッ チ は⽛教 育 は、頭 he a d 胸 he a r t手 ha ndの調和のとれた発達にある⽜としています。つま り、頭 考える力、胸 人を思いやる心、手 物をつ くる技術力の⚓Hの調和ある発達をめざすところに教 育の目的を置いています。 これらの先人たちの教育観を見ると、いずれも子ど ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ (⚑⚗⚔⚖~⚑⚘⚒⚙) 18 プローチだけではなく、発達心理学や認知心理学など の周辺科学と連携協力しながら研究を進めていくこと も必要だと考えています。 藤田 確かに、いじめや不登校の問題など、教育制度だ けの問題としてはとらえられない問題がいっぱいあり ますよね。 ⽛学習⽜から⽛学修⽜への転換が求められている 度学の研究対象は幅広いものになるのです。 藤田 そして、そういう幅広い研究対象に向き合う時で あっても、私たちが忘れてならないのは、先ほど清水 先生が繰り返し指摘されたように、⽛子どもの学習権 をどう保障していくか⽜ということが軸になっていか なければならないのが教育制度学の特徴なのですね。 【若い教育学研究者へのメッセージ】 清水 いま、高等教育では⽛学習⽜から⽛学修⽜への転 換が求められています。 ⽛学習⽜は学び習うということ 藤田 いよいよこのシリーズも大詰めを迎える時が来ま であり、真似る・模倣するという意味がありますが、 した。そこで、これから教育学を勉強しようとしてい ⽛学修⽜には模倣するだけでなく、あらゆる方法で知識 る若い世代に対して、清水先生が伝えておきたいこと や技能を獲得するという意味があります。 をおうかがいしたい。 わが国は明治以来、どちらかというと⽛学び習う まねぶ⽜というやり方で世界の教育大国になってきま 教育学を仕事とする研究者に必要なこと した。 しかし、グローバル時代を迎えた今日、わが国の高 清水 教育制度の研究者のみならず、教育学を生涯の仕 等教育は、アクティブ・ラーニングや能動的学修のよ 事としようと考えている人たちに伝えたいことは⚒つ うな主体的な学びが求められるようになってきている あります。 のです。 一つは⽛基本的な概念を徹底的に調べる⽜というこ そして、この⽛学習⽜から⽛学修⽜への転換は、高 とです。研究対象の定義、歴史的な概念の成立過程な 等教育だけでなく、初等中等教育でもキャリア教育で どについて徹底的に調べることなくして研究は成り立 も、学びの形がこの方向に変わっていくことが期待さ ちません。 れています。 二つ目は⽛歴史に学ぶ⽜ということです。私は歴史 ですから、教育制度学は、こういう新しい時代の教 に学ばずして改革はないと信じています。歴史には必 育のあり方を構想していくためにも、 ⽛子どもの研究⽜ ず未来のための新しいヒントが含まれているのです。 や⽛学修概念の研究⽜にも踏み込んでいくことが、ま ⽛基本的な概念に学ぶ⽜ことと⽛歴史に学ぶ⽜ことは すます必要になってくるだろうと思います。 どんな研究にも必要だと考えています。 藤田 そうしますと、教育制度学の研究対象は非常に範 疇が広くなりますが、それはこの学問の宿命として受 研究は楽しくなければならない け止めた方がいいのですね。 清水 そうですね。一般の人は、教育制度学というと、 清水 若い研究者にもう一つ言いたいことは、⽛研究は 組織とか構造とか仕組みを研究する学問のようにとら 楽しくなければならない⽜ということです。苦になる えていますが、そうではないのです。私たちは、制度 ような研究だったらやめた方がいいと思う。確かに、 というのは、内容も方法も、原理的なものも本質的な 論文や課題を仕上げるのは大変ですが、新しい文献が ものもすべて含んでいると考えていますから、教育制 見つかった時、新しいことを発見した時、そのときの 喜びは何ものにも代えがたいものがあります。ぜひ、 ご自分の研究テーマの中に楽しさを見出して欲しいと 思います。 わが国の教育が優れていることを自覚してほしい 清水 そして、研究者のスタンスとして、私は、 ⽛わが国 の教育の優秀さを自覚しておくことが必要である⽜と 思っています。 多くの教育研究の書き出しは、暗い話、ここはだめ だという話から始まります。 わが国の教育は、江戸時代の寺子屋や藩校の教育に も優れたものがありましたし、一九七五年のアメリカ の議会で⽛日本の初等中等教育は世界一である⽜とい う報告がなされたように、わが国の教育は世界に誇れ るものなのです。 15 高等教育だって決して負けてはいません。 ⽛大学の ゼミ方式⽜ ⽛学部段階での卒論⽜ ⽛大学体育⽜などにつ いては、もっと世界に発信していく必要があると思っ ています。 グローバル時代を迎えたいま、わが国の教育研究も、 ⽛わが国の教育は優秀である⽜ という自覚の上に立って、 展開していく必要があるのではないでしょうか。 25 筑波大学で学んでいる学生へのメッセージ 17 民間企業や官公庁などで働く卒業生の異業種交流会 茗渓・筑波大学産業人会( 仮称) 立ち上げへ 16 茗渓・東西南北 東京都茗渓会が主催する異業種交流会、仮称⽛茗渓・筑波大学 産業人会⽜が、去る⚖月 日(水) 時より、 名の参加者を迎え て茗渓会館でスタートした。 開会に先立ち、産業人会立ち上げの主旨を事務局から説明、教 育界以外の卒業生にとっても有意義な交流会を持つことで、知見 を高め、人脈を広められる会となることを願う旨の話があった。 続いて、当会の事務局でもある㈱キャリアアンカー代表・塩津氏 による⽛企業の人事・組織戦略の潮流⽜についての話題提供の後、 乾杯・懇親会・名刺交換会へと移行した。 ⚒時間半にわたる第一回であったが、参加いただいた方からは 概ねご好評をいただけたものと思われる。事務局としては、今後 とも異業種の方々との交流を息長く続けられるように、より多く の方々が気軽に参加できる会となるように、運営に努める所存で ある。 この会は今後毎月第⚓水曜日の 時より、茗渓会館で行う予定 で あ る。開 催 予 定 な ど お 知 ら せ を ご 希 望 の 方 は、mai l t o: t o kyo @mei kei . or . j p までご一報いただければ幸いである。 (事務局/真当・塩津) 19 19 藤田 最後に、教育学専攻の学生ということではなく、 いま筑波大学で学んでいる学生に向けてメッセージを お願いしたいと思います。 清水 私が今度、理事長・学長になったこの山梨県立大 学にも、筑波大学で学んだ人が何人かいます。みな優 秀です。 筑波大学の中にいると、なかなかそのことがわから ないのですが、外に出るとよくわかります。 ですから、筑波大学で学ぶ学生の皆さんは、自信と 誇りをもって頑張って欲しいと思います。 藤田 私も、諸先輩の方々の社会に出てからの業績や貢 献度を見ましても、筑波大学は優れた人材育成機関で あると感じています。学生の皆さんにはそういう筑波 大学で学んでいる喜びをかみしめてほしいと思ってい ます。 藤田 きょうは、清水先生の子ども時代の話から研究者 としての歩みまでおうかがいし、先生の⽛アーティキ ュレーションの研究⽜も⽛単位制度の研究⽜も⽛男女 共学の主張⽜も、先生の生活にしっかり根を下ろした ところから出発し、ち密な研究に裏打ちされているこ とを知りました。 そして、教育学研究に身を置く一人として、教育制 度学という学問がきわめて実践的な学問で、 いつも ⽛子 どもの学習する権利をどう保障していくか⽜というこ とを念頭において研究する学問であることを再認識す ることがきました。本当にありがとうございました。 今後の予定 第⚒回(⚗月15日):業界情報①⽛広告業界⽜ 第⚓回(⚘月19日):業界情報② ⽛放送・マスコミ業界⽜ 第⚔回(⚙月16日):業界情報③ ⽛エネルギー産業⽜ 第⚕回(10月21日):業界情報④ ⽛総合商社・グローバルビジネス⽜ (上記のテーマは、あくまでも例示で、会の進捗 状況に応じてふさわしい話題提供者を見つけ、 テーマを設定する予定です) 年 を に 果 昨 た 年 度 し の 開 た 全 催 竹 日 さ ノ 本 れ 内 剣 る 佑 道 世 也 選 界 選 手 選 手 権 手 ︵ 大 権 体 会 に 育 で 出 専 、 場 門 43 し 学 年 ま 群 ぶ し り た 年 の 。 ︶ 学 が 生 、 優 勝 室 長 か ら ホ ウ 素 中 性 中 性 子 医 学 研 究 開 発 院 長 お よ び 熊 田 博 明 び 大 学 会 館 ア ー ト ス ペ ー ス に て 一 般 公 開 し ま し た 。 竹剣 ノ道 内世 佑界 也選 選手 手権 の 活 躍 で 日 本 連 覇 ! 孔子像の彩色復元像 議 室 に て 、 松 村 明 病 A R C 研 究 棟 の 大 会 は 、 は じ め に J し タ 中 研 治 つ が シ た ー 性 究 療 で 、 リ 。 子 拠 ︵ あ つ ン を 医 点 B る く ト 視 療 N 次 ば ー 察 研 い C 世 国 ン さ 究 ば T 代 際 王 れ セ ら ︶ が 戦 P 女 ま ン き の ん 略 総 合 特 区 の 先 導 的 プ ロ ジ ェ ク ト 前列左から松村明病院長、シリントーン王女殿下、 の 吉岡正和高エネルギー加速器研究機構名誉教授 タ ー に 変 更 し ま し た 。 の 充 実 を 図 る こ と に な り 、 名 称 を ス テ ー シ ョ ン か ら セ ン 教 医 ス 員 療 テ 教 ー 人 育 シ を 体 ョ 増 制 ン 員 を し 整 を た 備 開 し 設 人 て し 体 き 、 制 ま 大 と し 学 し た と て 。 地 、 こ 域 さ の 病 ら 度 院 な 、 の る 新 連 地 た 携 域 に に 医 大 よ 療 学 る 療 セ ン タ ー 内 に 筑 波 大 学 附 属 病 院 土 浦 市 地 域 臨 床 教 育 ま ー 本 し 本 学 た の 学 は 。 開 は 、 設 平 に 筑 成 あ 波 24 た 大 年 り 学 に 、 附 国 属 立 月 病 病 18 院 院 日 土 機 に 浦 構 開 市 が 設 地 運 記 域 営 念 臨 す 式 床 る 典 教 霞 を 育 ヶ 挙 セ 浦 行 ン 医 し タ 開筑 設波 記大 念学 式附 典属 を病 挙院 行土 浦 市 地 域 臨 床 教 育 セ ン タ ー が 行 わ れ ま し た 。 月 23 日 に タ イ 王 国 王 女 殿 下 レ ー シ ョ ン ・ 体 験 な ど 復 元 研 究 の 成 果 を 、 月 日 ∼ 19 日 に 、 附 属 図 書 館 お よ 蔵 す る 湯 島 聖 堂 ・ 昌 平 坂 学 問 所 伝 来 の 美 術 資 料 な ら び に 次タ 世イ 代王 が国 んの 治シ 療リ ン のト 開ー 発ン 実王 用女 化殿 へ下 のが 取 り 組 み を 視 察 完 成 を 記 念 し て 、 こ の 彩 色 復 元 像 を 中 心 に 、 本 学 が 所 漆 像 に 彩 色 し た も の で す 。 日 本 画 を 専 門 と す る 程 塚 敏 明 准 教 授 ︵ 芸 術 系 ︶ が そ の 乾 専 門 と す る 柴 田 良 貴 教 授 ︵ 芸 術 系 ︶ が 像 の 原 型 を 復 元 し 、 オ リ ジ ナ ル の 鮮 や か な 造 形 が よ み が え り ま し た 。 彫 塑 を す 教 る り 本 が こ 。 美 こ 、 学 多 本 の 術 と 日 の 数 学 度 お が 本 起 発 附 、 よ 判 に 源 見 属 湯 び 明 お と さ 図 島 そ し け も れ 書 聖 れ ま る い ま 館 堂 ら し 儒 え し か 大 の た 教 る た ら 成 復 。 美 湯 。 、 殿 元 以 術 島 そ 孔 に 後 に 聖 の 子 関 、 関 堂 後 像 す 本 す に の の る 学 る 飾 研 年 彩 研 は 一 ら 究 に 色 究 、 級 れ に 江 復 に 日 品 て よ 戸 元 注 本 の い り 前 が 力 に 文 た 、 期 完 し お 化 も こ の 成 て け 財 の れ 美 し い る で で ら 術 、 ま 儒 あ あ は 品 写 真 写 真 望 月 望 月 仁 / ア フ ロ 仁 / ア フ ロ し 準 惜 に た 優 し 延 。 勝 く 長 と も 戦 な 敗 の り れ 末 ま 、 に ド あ 学 も ミ る や と ル 展 、 ト 示 ス の ー 機 タ デ ラ 器 ジ モ ス の オ ン ト 内 ス レ つ の ト ッ で 見 ラ ム リ ー ダ ー の 案 内 の た 後 、 岩 田 洋 夫 プ ロ グ テ ー プ カ ッ ト が 行 わ れ 手 ︵ 兵 庫 県 警 ︶ で は 網 代 忠 勝 選 た 。 個 人 戦 決 勝 き く 貢 献 し ま し 任 者 の 挨 拶 か ら 始 ま り 、 一 E M P プ ロ グ ラ ム 責 恭 介 学 長 お よ び 大 田 友 お 披 露 目 会 は 、 永 田 トーラストレッドミル のデモンスト レーションを見学する永田恭介学長 17 っ て の 優 勝 に 大 国 勝 意 を 利 の し メ 、 ン 強 で で 敵 見 破 韓 事 し ま し た 。 者 お よ び 学 内 向 け に お 披 露 目 会 が 行 わ れ 、 約 90 名 が 出 席 M P ︶ の 拠 点 と な る エ ン パ ワ ー ス タ ジ オ が 竣 工 し 、 関 係 月 12 日 に 、 エ ン パ ワ ー メ ン ト 情 報 学 プ ロ グ ラ ム ︵ E 先 鋒 を 務 め 、 得 彩よ 色み 復が 元え 特る 別湯 展島 を聖 開堂 催本 尊 孔 子 像 ち 。 決 勝 戦 で も エ ン パ ワ ー ス タ ジ オ 竣 工 お 披 露 目 会 を 開 催 ! を つ け る 筑 波 大 学 は 今 鋒 で 日 本 に 本 勢 勝 い 団 体 戦 初 戦 の 先 竹 ノ 内 選 手 は 、 B N C T 研 究 に 対 す る 理 解 が 深 ま る こ と が 期 待 さ れ ま す 。 子 医 療 研 究 セ ン タ ー を 受 け た 後 、 B N C T の 研 究 拠 点 で あ る 今 回 の 視 察 を き っ か け に タ イ 王 国 で も 日 本 が 先 導 す る の 研 究 開 発 現 場 を 視 察 さ れ ま し た 。 い ば ら き 中 性 初 出 場 と な る 子 補 足 療 法 ︵ B N C T ︶ の 仕 組 み や 特 徴 等 に つ い て 説 明 すなわち、開国から明治維新による近代国家が成立する1867 年までの15年間では、(3a,b)のわずか 語であった借入日本 語は、(3c, d, e)のように次第にその数を増やしていく。これ らの日本語のほとんどは日本特有の文物を表すものであり、 またこれらの語の紹介には特定の個人ではなく、かなり多く の英米人や日本人が関わっている。 (3) 1854∼1899の45年間 a.1850年代:hara-kiri, tycoon 大君 , hakama b.1860 年 代:shakudo 赤銅 , hibachi, sasanqua 山 茶 花 c.1870年代:ronin, seppuku, jinrikisha, ju-jitsu 柔術 , raku 楽(焼) , renga 連歌 , shiitake, tanka 短歌 , ukiyo-e d.1880年代:sashimi, shoji, sumo, tofu, Satsuma 摩 (み か ん) , n e t s u k e 根 付 , k o m b u, s e n s e i, tsukemono, kimono, tansu, romaji, judo, tsuba 鍔 e.1890年代:kakemono 掛け物 , geisha, katsuobushi, sika, nori, banzai, kudzu , shakuhachi, sushi, katsura 桂、鬘 , kamikaze, tsunami, bushido, haiku, hokku 発句 , kabuki ところが、20世紀に入り、日本が欧米列強と共に軍国主義 化し、 度の世界大戦に関わるようになると、英語に借入さ れる日本語の数は(4)のように伸び悩む。 (4) 1900∼1945(終戦までの45年間) a.1900年代:wasabi, tsutsugamushi つつがむし(病) b.1910年代:shubunkin 朱文金(金魚の一種) c.1920年代:kanji, sukiyaki, tempura, kendo, origami d.1930 年 代:onsen, wabi 侘 び , kyu 級 , zaibatsu, shochu, sumie 墨絵 e.1940年代:dojo, nisei, sansei, tosa 土佐(犬) * medaka (20世紀前半) 20年間に英語となったと推定できる。 さ ら に 幸 運 な こ と に、ODE3 の 初 版 に 当 た る (以下、NODE)が手元にあり、 今回これが強力な情報源となった。NODE は1998年に出版さ れたが、その後この辞典は ODE と名称が変えられ、2010年 に第 版が刊行された。それゆえ、借入時期が不明の51語の うち、NODE に収録されていないものは1995∼7年以降に新 たに英語となったとみなせる。 そこで、51語を(7a, b)のように区分した結果、1986∼7年頃 から1996∼7年頃までの約10年間は、(7a)の例から、日本食や 柔剣道・相撲などの武道、および盆栽、さらには高度成長を 続けていた日本企業の経営の影響がかなり強かったことがわ かる。ところが、それから10年くらい経つと、(7b)のように、 日本食ブームや武道は根強い影響を維持し続けているが、盆 栽や企業経営の分野はほとんど影響を及ぼさなくなったとい える。 (7) a.1986∼7年頃から1997∼8年頃までの約10年間 i .食 品・料 理: arame (海 藻), daikon, gobo, mirin, mizuna 水菜 , ramen, wakame ii .武 道:ippon, kumite, oshi, rikishi, tachi, tanto, wakizashi iii .植木:hiba, keaki iv.商工業:kaizen, keiretsu, sogo shosha 総合商社 , sokaiya v .そ の 他:gaijin, issei, juku, manga, ninja, ninjutsu, otaku おたく , reiki 霊気 , ryu 流(派) , seiza b.1996∼7年頃から2007∼8年頃までの約10年間 i .食 品・料 理:bento, edamame, hamachi, kaiseki, ponzu ポン酢 , reishi 霊芝 , seitan 植物性蛋白 質 , shiso, tataki, toro, umami 旨味 , Wagyu ii .武道:budo, dohyo, kyudo, mawashi iii .植木:なし iv.商工業:なし v .そ の 他:butoh 舞 踏 , hikikomori, kawaii, keitai, robata 炉端 終戦から20世紀末までの40年間 日本が敗戦の痛手から徐々に立ち直り、経済復興を成し遂 げ、再び国際社会の仲間入りをするようになると、英語とな る日本語の数も(5a)のように増え、20世紀後半になると、 (5b)のような日本食ブームの先駆けとなる語や日本古来の 武道に関わる語が増える。 (5) a.1945∼59:mama-san 女将 , bonsai, hibakusha 被爆 者 , keiirin, judouka 柔道家 , pachinko, kata (武 道の)型 , karate, aikido, sumi, keirin b.1960 ∼ 85:c h i c h i (女 性 の) 乳 , k a n b a n, n a s h i, yakitori, ryokan, yakuza, karateka 空手家 , shiatsu, karate-chop, nunchaku ぬんちゃく , shabu-shabu, karaoke, maki zushi, tamari たまり(醤油) , anime, enoki 榎(茸) ま と め 過去600年ほどの間に英語になった177の日本語を分析した 結果、その多くは日本特有の文化に関わる語であり、それゆ え、英米人は自国にない文物や概念を日本語から積極的に借 入していたことがわかった。同時に、これらの日本語を日本 人の目で見ると、過去の日本の国情を知る貴重な情報源とな っていて、鎖国や戦争は異文化交流を妨げる要因となってい たこと、および、国同士の交流が盛んになると、そのことが 言葉に直接反映されるということがよくわかった。今から10 年程の後に ODE の第 版が出版されれば、その中の借入日 本語を見れば、2010年以降の日本がどのような分野で欧米に 影響を与えたかがわかるであろう。楽しみに待ちたい。 *************************** 講演後の質疑応答も活発で、楽しいひと時であった。 21世紀の始まりから今日まで ODE3の編集の最終段階の数年間に日本語が英語になって いたとしても、2010年の発行日までに辞書に盛り込めなかっ たと思われる。ただし、(6a)の 語は ODE3に収録され、21世 紀初頭と明記されていることから、出版の ∼ 年ほど前の 2000年から2007∼8年の間に英語化したと考えられる。 (6) 21世紀初頭:kakuro カクロ (数字のパズル。<加算 +クロス), sudoku 数独 (パズルの一種。<数字+ 独身) 一方、OED2に記載がなく、ODE3には借入の時期が記され ていない日本語は51例ある。これらの語が英語となった時期 が特定できれば、英語における最近の日本語の受容の様子が より詳しくわかると思われる。幸い、これらの語は ODE3に 盛り込まれていることから、1986∼7年頃から2007∼8年の約 18 茗渓会公開講座 平成27年 月20日(土) 時∼ 時半 茗渓会館にて 藤原教授の英語のはなし 第11弾 英語になった日本語 講 師:藤 原 ハラキリ 、 ゲイシャ 、 ツナミ などは古くから英語に なっているが、最近はどんな語があるのか探ってみた。 最新の情報を英語辞典から探る 世界最大の英語辞典 オックスフォード英語辞典 ( ) (1989 年 に 第 版 刊 行、以 下 OED2 )には約60万語が収録されている。最も古い時期の古 英語の語彙は約 万語であることから、千年ほどの間に英語 の語彙は55万語増えたことになる。そのほとんどはラテン語、 フランス語などの外国語からの借入による。イギリスでは、 宗教改革、ルネッサンス、産業革命などにより、新たな物や 概念を表す必要が生じると、新しい語が作られ、外国語が借 入された。 日本語も英語の語彙の増強に貢献してきたことから、その 実態を探ってみた。OED2は刊行後26年も経過し、借入語の 最新情報を提供できないことから、中規模の辞書ではあるが 約35万語を収録している最新の (2010年に第 版刊行、以下、ODE3 )から日本語に由来する 英語を抽出し、分析を行った。 鎖国体制確立以前 江戸幕府の鎖国以前に日本にやってきた西洋人は、1543年 に種子島に漂着し鉄砲を伝えたポルトガル人、その 年後の 1549年に日本にキリスト教を伝えたスペイン人宣教師フラン シスコ・ザビエル(1506-52)、および、1600年にオランダ船 リーフデ号で豊後に漂着したイギリス人航海士ウィリアム・ アダムズ(1564-1620、日本名、三浦按針)とオランダ人のヤ ン・ヨーステン(Jan Joosten, -1623、日本名、耶揚子)など、 ごく少数であった。しかも、ザビエルは故国への帰路に死亡 し、アダムズとヨーステンは徳川家康の外交顧問として活躍 したが、アダムズは平戸で病死し、ヨーステンも航海中に難 破し、日本語を広く海外に広めることはなかった。 このような状況により、鎖国体制が確立する1639年以前に 日本語がイギリスに伝わり、英語として用いられることはご くまれであり、(1)のような日本語が英語となったのには特 別な理由がある。(1a)の bonze はザビエルの手紙に記されて いたものであり、後にこの手紙は英訳され、 聖フランシス コ・ザビエル全書簡 として出版された。次に、(1b)の 語 は平戸商館長を務めたイギリス人のリチャード・コックス (1566-1624)の イギリス商館長日記 (1615-22)に由来す る。この日記は当時の商館の経営状態や日英交渉を知る貴重 な資料であり、その中のいくつかの日本語が英語となってい る。一方、(1c)の inro はアダムズがイギリスに送った手紙に 19 保 明 (筑波大学名誉教授) 記されていたものである。 (1) a.bonze 坊主 (1552、英訳は1677) b.shogun (1615), kami 神 , s (h) amisen, tabi, tatami (1616), tai 鯛 (1620) c.inro 印籠 (1617) 鎖国から日米和親条約以前の215年間 徳川幕府の鎖国体制が確立すると、日本で唯一の貿易地は 長崎の出島のみとなり、平戸にいたオランダ人はここに移住 させられた。それ以降、日米和親条約を締結する1854年まで の215年間、出島に出入りする西欧人だけがヨーロッパに日 本の文物を伝え得るという状況であった。 それゆえ、この間に英語になった日本語は⑵に示したごく わずかなものに限られた。ちなみに、(2c)の17の日本語は 1727年から英語として用いられ、しかも数が他の年よりはる かに多いが、いずれもドイツ人医師で博物学者のエンゲルベ ルト・ケンペル(1651-1716)の 日本誌 に依存している。 彼はオランダの東インド会社に医師として着任し、その後、 日本に滞在し(1690-92) 、この間に日本の社会・政治・宗教・ 動植物を観察し、それを書物に著し、ヨーロッパ人の日本研 究、日本観に大きな貢献をした。 (2) a.1687年:sake b.1696年:soy 醤油 c.1727年:ad(z)uki, ginkgo 銀杏 , hinoki, kaki, kana, katakana, koi 鯉 , matsuri, mikado, miso 味 , samurai, satori 悟り ,Shinto 神道 , shoyu, torii, tsubo つぼ , zazen d.1822年:hiragana e.1823年:zori f.1837年:akebia あけび g.1839年:daimyo ちなみに、東インド会社は、17世紀初頭にイギリス、フラ ンス、オランダなどの西欧諸国が胡椒や茶などの物産をアジ アからヨーロッパに輸入することを主な目的として、特別な 許可を与えて設立させた会社の総称であり、当時、日本にや ってきた西欧の商人はたいていこの会社を拠点としていた。 開国から世界大戦終了までの91年間 300年にわたる鎖国体制が崩壊すると、欧米諸国との交流 が盛んとなり、多くの文物や概念が日本に流入し、日本の物 産・風俗・習慣なども海外に広まっていった。英語に借入さ れる日本語の数も開国以前と比較して飛躍的に増大した。 このことは(3)のように10年刻みで表記すると明白となる。 助 金 の 贈 呈 が 行 わ れ ま し た 。 て お 話 し い た だ き ま し た 。 あ り 、 最 後 に 江 田 茗 渓 会 理 事 長 か ら 玉 川 副 学 長 に 対 し 援 学 群 長 か ら は 企 画 の 説 明 と 大 会 へ の 支 援 に 対 す る 謝 辞 が だ き ま し た 。 さ ら に 、 今 大 会 実 行 委 員 長 の 西 川 博 昭 情 報 あ り ま し た 。 次 い で 、 大 会 参 与 と し て ご 挨 拶 を い た だ い 造 し 多 く の 皆 様 を 魅 了 す る こ と を 期 待 す る を 迎 え た 現 代 に お け る メ デ ィ ア ア ー ト の 展 望 な ど に つ い 紹 介 を 交 え な が ら 、 コ ン ピ ュ ー タ テ ク ノ ロ ジ ー が 成 熟 期 す か て る ら 最 お ∼ 、 後 話 に し を 魔 、 い テ 法 本 た ー の 学 だ マ 世 図 き に 紀 書 ま 、 ∼ 館 し 超 表 情 た 音 現 報 。 波 技 メ を 術 デ 用 が ィ い メ ア た デ 系 自 ィ 助 身 ア 教 の ア 研 ー 落 究 ト 合 成 を 陽 果 拡 一 の 大 氏 大図 の 交 流 が 一 層 活 発 に な る こ と を 願 い た い た 茗 渓 会 江 田 昌 佑 理 事 長 か ら は と お 話 し い た の も と に 同 窓 岳 氏 桐 の 葉 川 信 一 学 生 担 当 副 学 長 か ら 旨 の 挨 拶 が 秘 め ら れ た 可 能 性 な ど に よ り 、 新 た な ム ー ブ メ ン ト を 創 本 学 が も つ パ ワ ー 、 本 学 に 席 と な っ た 永 田 恭 介 学 長 に 代 わ り 、 大 会 副 会 長 で あ る 玉 め と す る 電 子 技 術 に よ る 表 現 の 幅 の さ ら な る 拡 張 に つ い 品 な ど に つ い て お 話 し い た だ き 、 プ ロ グ ラ ミ ン グ を は じ 同 プ ロ グ ラ ム に 進 学 さ れ た 経 緯 や こ れ ま で 生 み 出 し た 作 専 門 学 群 在 籍 時 に プ ロ グ ラ ミ ン グ の 魅 力 に 目 覚 め ら れ て 季 よ る 講 演 及 び パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン を 行 い ま し た 。 オ ー プ ニ ン グ セ レ モ ニ ー で は 、 海 外 出 張 の た め 当 日 欠 ラ ミ ン グ が 表 現 者 に 与 え る 翼 を テ ー マ に 、 自 身 が 芸 術 ン ト 情 報 学 プ ロ グ ラ ム ︶ 年 大 図 岳 氏 か ら は 、 プ ロ グ 里 氏 さ ら に 、 本 学 大 学 院 ︵ グ ロ ー バ ル 教 育 院 エ ン パ ワ ー メ 各 方 面 で 活 躍 さ れ て い る 関 係 者 や 本 学 教 員 、 大 学 院 生 に と 当 と 芸 い 術 う こ が と 融 で 合 、 し シ た ン 、 ポ メ ジ デ ウ ィ ム ア メ ア イ ー ン ト テ ー と マ し を て 開 情 催 報 し 、 を お 願 い し て お り 、 今 回 は 情 報 学 群 と 芸 術 専 門 学 群 の 担 い た だ き ま し た 。 く と と も に 、 さ ら な る 応 用 の 可 能 性 な ど に つ い て お 話 し 形 状 設 計 技 術 を 駆 使 し た 折 り 紙 に よ る 造 形 を 紹 介 い た だ 自 身 の 研 究 で あ る コ ン ピ ュ ー タ ー グ ラ フ ィ ッ ク ス の 立 体 ︵ 国 立 大 学 法 人 筑 波 大 学 関 係 者 各 位 の 多 大 な る ご 支 援 に 深 く 感 謝 い た し ま す 。 連 携 ・ 渉 外 室 落合 陽一 氏 三谷 純 氏 当 イ ベ ン ト は 近 年 、 学 群 の 持 ち 回 り に よ り 企 画 ・ 運 営 純 氏 か ら は を テ ー マ に 、 最 後 に な り ま す が 、 茗 渓 会 江 田 昌 佑 理 事 長 を は じ め 、 20 年 1 月 に は じ ま り 、 今 年 で 19 回 を 迎 え ま し た 。 大 学 の 更 な る 発 展 に 寄 与 し よ う と い う 願 い か ら 、 平 成 8 在 学 生 と 教 職 員 が 集 い 、 世 代 を 超 え て 親 睦 を 深 め 、 筑 波 業 生 及 び 前 身 校 で あ る 東 京 教 育 大 学 の 卒 業 生 、 な ら び に 茗 渓 ・ 筑 波 グ ラ ン ド フ ェ ス テ ィ バ ル は 、 筑 波 大 学 の 卒 平 筑 成 27 波 大 年 学 大 月 13 学 会 日 館 ㈯ グ ラ ン ド フ ェ ス テ 開ィ バ 催ル し 身 代 里り大 次 た が ご 氏 学 引 に 。 手 と よ ア き 掛 の り ー 続 登 け テ 壇 ト き た ク メ デ 行 い 事 ノ デ ザ わ た 業 ロ ィ イ れ だ や ジ ア ン た い 作 ー テ 表 シ た 品 の ク 現 ン 、 な 変 ノ 学 ポ 本 ど 遷 ロ 科 ジ 学 に を ジ メ ウ シ つ 紹 ー デ ム ス い 介 と ィ で テ て い 私 ア は ム お た 情 表 、 話 だ を 現 ま 報 し き テ 領 ず 系 い な ー 域 、 教 た が マ 教 女 授 子 だ ら に 三 き 、 、 授 美 谷 ま 自 時 季き術 り ま し た 。 換 が 活 発 に 行 わ れ 、 参 加 者 に と っ て 有 意 義 な ひ と 時 と な い ま し た 。 会 場 内 で は 世 代 や 立 場 を 超 え た 交 流 ・ 意 見 交 の 合 唱 な ど が 行 わ れ 、 終 始 な ご や か な 雰 囲 気 に 包 ま れ て の 披 露 、 宣 揚 歌 桐 の 葉 W I N S に よ る パ フ ォ ー マ ン ス や メ ッ セ ー ジ ソ ン グ シ ン ポ ジ ウ ム 後 に 開 催 さ れ た 懇 親 会 で は 、 応 援 部 大会副会長 茗第 渓 19 回 筑 波 玉川 信一 副学長 大会実行委員長 西川 博昭 氏 興 味 深 い 内 容 に 対 し 熱 心 に 耳 を 傾 け て い ま し た 。 学 群 長 に も コ ー デ ィ ネ ー タ ー と し て ご 参 加 い た だ き 、 講 参 加 者 か ら も 多 く の 質 問 が 寄 せ ら れ る な ど 、 会 場 内 一 同 、 れ ぞ れ の 専 門 分 野 か ら 活 発 な 意 見 交 換 が 行 わ れ ま し た 。 と 演 者 芸 術 氏 を の 中 融 心 合 に に 、 係 今 る 後 今 挑 後 戦 の し 可 た 能 い 性 分 な 野 ど や に 、 つ 情 い 報 て 科 、 学 そ 川 博 昭 情 報 学 群 長 、 同 副 委 員 長 で あ る 中 村 伸 夫 芸 術 専 門 生 委 員 の 進 行 に よ り 、 今 大 会 の 実 行 委 員 長 で あ る 本 学 西 ま た 、 途 中 行 わ れ た パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン で は 、 学 第 41回 宿舎祭(やどかり祭) 平成 27 年 6 月 5 日(金)∼ 6 月 7 日(日) 芸 術 専 門 学 群 の お み こ し 委員長 た 。 第 41 回 、 大 成 功 で し た 。 祭 に 関 わ っ て く れ た み な さ ん 、 あ り が と う ご ざ い ま し は ご ざ い ま せ ん 。 以 上 で す 。 ん で い た だ け れ ば 、 実 行 委 員 と し て こ れ ほ ど 嬉 し い こ と 小西 湖南 の 祭 を 通 し て で き た 仲 間 と 共 に 、 今 後 の 学 園 生 活 と 楽 し 入 生 の 笑 顔 が そ の 答 え だ っ た と 思 い ま す 。 新 入 生 が 、 こ 友 達 が 増 え た 覚 え が あ り ま す 。 閉 会 宣 言 を し た と き の 新 ま す 。 私 自 身 、 1 年 生 の 時 に こ の 祭 を 通 し て た く さ ん の 交 流 の 場 を 設 け た い と い う 想 い で や ど か り 祭 を 作 っ て い 我 々 宿 舎 祭 実 行 委 員 会 は 、 入 学 し た ば か り の 新 入 生 に 繋 げ ら れ る 結 果 に 終 わ り 満 足 し て い ま す 。 と 出 会 い 、 い ろ ん な こ と を 考 え さ せ ら れ 、 自 分 の 中 で の チ ハ イ ク と 徒 歩 の み で 移 動 し ま し た 。 そ の 中 で 多 く の 人 休 み に ヒ ッ チ ハ イ ク で 鹿 児 島 へ 。 往 復 点 は 目 に 見 え て わ か っ た の で 、 そ う い う 意 味 で は 来 年 に だ れ て し ま い 誰 の 目 か ら 見 て も 失 敗 で し た 。 た だ 、 改 善 い ま す 。 新 企 画 で あ る ㎞ を ヒ ッ 大 学 生 ク イ ズ は 、 進 行 が 少 し と い う 思 い で 、 春 な か う ま く 纏 め ら れ ず 情 け な い 思 い も し ま し た 。 こ の ら な っ て い ま し た 。 就 任 し た 直 後 は 力 不 足 を 感 じ 、 な か 大 好 き な や ど か り 祭 の 委 員 長 に な れ る と 聞 き 、 気 づ い た て き た 人 生 で し た 。 し か し 、 先 代 か ら 委 員 長 を 任 命 さ れ 、 る よ う な 柄 で も な く 、 昔 か ら そ う い う ポ ジ シ ョ ン を 避 け 思 い ま す 。 私 は も と も と こ の よ う な 団 体 の ま と め 役 に な コ ン テ ス ト で は 例 年 以 上 の 盛 り 上 が り を 見 せ て い た と 思 も 企 画 も す べ て 順 調 に 進 め る こ と が で き 、 最 後 の ゆ か た し か し 、 本 祭 は 一 転 し て す ば ら し い ほ ど の 快 晴 。 模 擬 店 る と ド タ バ タ し 、 対 応 が 遅 れ る と こ ろ も 多 々 あ り ま し た 。 け し ま し た 。 雨 天 時 の 対 策 は し て い ま し た が 、 い ざ と な が 中 止 と な っ て し ま い 、 多 く の み な さ ま に ご 迷 惑 を お か 今 年 の や ど か り 祭 は 前 夜 祭 が 雨 で 模 擬 店 や 一 部 の 企 画 ま ま で は い け な い 。 変 わ ら な け れ ば 21 や ど か り 祭 の た れ 幕 あ る お 祭 り の 委 員 長 と し て 名 を 残 す こ と が で き て 嬉 し く 同 じ 歴 史 を 歩 ん で き た 伝 統 あ る お 祭 り で す 。 そ ん な 伝 統 今 年 で 第 41 回 を む か え る や ど か り 祭 は 筑 波 大 学 と ほ ぼ 祭 の 成 功 の た め に が ん ば っ て き ま し た 。 ま し た 。 そ う い う 時 は 悔 し い 気 持 ち を グ ッ と こ ら え て 、 や 学 生 で は 至 ら な か っ た 点 が あ り 、 戻 さ れ る こ と も あ り 知 識 情 報 ・ 図 書 館 学 類 年 力 で 作 っ た 実 行 計 画 書 も 、 大 学 側 に 提 出 す る と 各 所 ミ ス 時 期 は 委 員 の み ん な が ピ リ ピ リ し て い ま し た 。 そ ん な 努 第 宿 41 舎回 祭 委 員 長 や ど か り 祭 小 西 湖 南 担 当 は 何 十 個 も あ り 、 時 間 も 精 神 力 も 削 ら れ る の で こ の に よ っ て は こ れ を 、 回 も 繰 り 返 す こ と が あ り ま す 。 終 えを て を 含 め た 上 層 部 と 面 談 し な が ら 計 画 書 を 詰 め ま す 。 担 当 実 行 委 員 会 で は 実 行 計 画 書 を 各 担 当 に 書 い て も ら い 、 私 段 階 で 何 度 も 何 度 も 見 直 し を し て い た こ と で す 。 宿 舎 祭 準 備 期 間 で 苦 労 し た こ と は 、 実 行 計 画 書 を 詰 め て い く 同 期 に は 本 当 に 感 謝 し て も し き れ ま せ ん 。 こ ん な 私 を 慕 っ て つ い て き て く れ た 後 輩 と 支 え て く れ た 委 員 長 と は ど う あ る べ き か が 形 作 ら れ た 気 が し ま す 。 い い た し ま す 。 ま す 。 ご 声 援 お 願 の 活 躍 が 期 待 さ れ 種 目 で す が 、 今 後 た 。 本 校 初 の 競 技 大 会 で 優 勝 し ま し グ ・ フ ル ー レ の 県 子 が 、 フ ェ ン シ ン ま た 、 中 学 勝 を 目 指 し ま 年 す 女 。 り き く 回 成 目 長 の し 全 国 年 優 ぶ が 、 そ れ ま で に 大 た の 。 出 場 月 と 開 な 催 り で ま す し 会 勝 と 年 な 連 り 続 ま し 回 た 目 。 し か し 、 関 東 地 区 代 表 と し て 、 全 国 大 中学ラグビー部関東大会決勝戦 果敢に攻めるが逆転には至らず 熊谷ラグビー場にて を 合 わ せ て 、 学 園 発 展 の た め に 精 一 杯 尽 く し て ま い り ま ろ う か と 思 い ま す が 、 理 事 の 皆 様 方 、 教 職 員 の 方 々 と 力 だ い て お り ま す 。 慣 れ な い こ と も あ り 、 様 々 な 課 題 も あ 務 的 な 経 営 の 経 験 を 生 か し て 欲 し い と い う ご 要 望 も い た 学 園 経 営 に 当 た り ま し て は 、 私 学 と い う こ と も あ り 、 財 願 い い た し ま す 。 味 の あ る も の に で き る か 試 行 し ま す 。 ど う ぞ ご 支 援 を お リ キ ュ ラ ム も 日 本 の 高 校 教 育 に ど の よ う に 定 着 さ せ 、 意 ら も 真 の 教 育 実 験 を 行 い 続 け ま す 。 国 際 バ カ ロ レ ア の カ 建 学 の 理 念 や 教 育 目 標 を 見 失 う こ と な く 、 形 を 変 え な が 協 力 を 得 て 、 任 を 果 た し て ま い り た い と 存 じ ま す 。 ま た 、 茗 溪 学 園 は 、 子 ど も た ち が 変 化 し 世 の 中 が 変 化 し て も 、 潔 理 事 を 始 め 大 学 に ご 縁 の あ る 理 事 ・ 評 議 員 の 方 々 の ご で あ り ま す 。 私 は 、 茗 渓 会 員 で は ご ざ い ま せ ん が 、 西 川 め に は 筑 波 大 学 お よ び 茗 渓 会 と の 連 携 は 欠 か せ な い も の す 。 筑 波 大 学 と の 繋 が り は 深 く 、 学 園 の 更 な る 発 展 の た 長 い 歴 史 と 伝 統 を 誇 る 茗 渓 会 が 創 立 さ れ た 茗 溪 学 園 で に な れ る と 考 え て い ま す 。 礎 力 を 備 え て こ そ 、 国 を 超 え る 課 題 に 立 ち 向 か え る 若 者 力 し 勇 気 を 持 っ て 前 に 進 む 。 こ う い う 、 人 間 と し て の 基 め ず 、 ど う す れ ば 解 決 で き る か を 考 え 、 仲 間 に 伝 え て 協 身 に つ け さ せ ま す 。 ど の よ う に 状 況 が 変 化 し て も あ き ら る こ と に い た し ま し た 。 ら 生 ま れ る 自 信 を 、 す べ て の 指 導 を 通 じ て 全 員 の 生 徒 に が し た い と い う 思 い も あ り 、 微 力 な が ら 、 お 引 き 受 け す ど も た ち が 大 変 お 世 話 に な っ た 学 園 に 、 少 し で も 恩 返 し 薦 を い た だ き ま し た こ と は 身 に 余 る 光 栄 で す 。 た 。 そ し て 、 思 い も か け ず 私 が 、 理 事 の 皆 様 か ら 人 の の ご 子 推 今 回 の 改 選 で 新 理 事 長 の 選 任 が 行 わ れ る こ と に な り ま し え を の の る 生 使 グ 力 か 命 ロ し を ー 果 バ 伝 な た ル え が ら 人 よ 、 し た 材 う 育 と 自 い と す 分 考 成 る の え を 勇 考 て 強 気 え い く 推 、 を 持 ま 進 こ つ す し れ 。 て ら 力 日 教 の 本 育 訓 そ 式 実 練 の 教 験 と 考 育 校 実 え の と 践 を 強 し か 伝 み て 改 め て 深 く 認 識 し 、 世 界 的 日 本 人 の 育 成 と い う 本 校 流 進 一 退 の 接 戦 で し た が 、 触 を 掴 ん だ よ う で す 。 逃 し ま し た が 、 冬 の 花 園 大 会 で の 上 位 進 出 に 向 け 、 好 感 ラ グ ビ ー 部 は B ブ ロ ッ ク で 優 勝 し 、 春 の 選 抜 大 会 出 場 は 体 操 部 、 バ ド ミ ン ト ン 部 、 水 泳 部 な ど が 出 場 し ま し た 。 部 ン 難 ト 女 タ 関 ッ 月 子 ー を プ に ハ 見 に 行 名 イ 事 あ わ が 出 突 る れ 個 場 破 た て 人 は し め た 戦 快 ま 、 関 で 挙 し 厳 東 の と た し 大 出 い 。 い 会 場 え 本 県 へ を る 校 予 は 果 も に 選 、 た の と に ラ し で っ な グ ま す て る ビ し 。 は の ー た 他 こ で 部 。 に の す 、 も 剣 が 剣 、 道 、 道 体 の そ 部 操 イ の 、 点 差 で 敗 れ 準 優 中 学 部 で は 、 ラ グ ビ ー 部 が 関 東 大 会 決 勝 に 進 出 し 、 一 西 野 前 理 事 長 が 高 齢 を 理 由 に 理 事 長 交 代 を 希 望 さ れ 、 を お 借 り し ま し て 茗 渓 会 の 皆 様 に ご 挨 拶 申 し 上 げ ま す 。 い ま す 。 激 動 が 予 想 さ れ る こ の 時 期 に 本 校 設 立 の 理 念 を ま ト ル ル て し 政 し 、 ラ ハ ス た こ 府 た 筑 ン イ ー 田 の の 。 波 ゲ ス パ 代 た 成 大 ー ク ー 淳 び 長 学 ジ ー サ 一 前 戦 と ・ ル イ と 校 略 の デ ア エ 申 長 を 高 ィ ソ ン し 柴 受 大 プ シ ス ま 田 け 連 ロ エ ハ す 淳 て 携 マ イ イ 。 先 教 関 連 ト ス 教 生 育 係 絡 、 ク 務 の も の 協 国 ー 部 後 大 推 議 際 ル 長 任 き 進 会 バ や 、 と く を な カ ス 教 し 変 担 ど ロ ー 頭 て わ 当 の レ パ 、 着 ろ し プ ア ー 副 任 う て ロ ・ グ 校 い と ま ジ デ ロ 長 た し い ェ ュ ー と し て り ク ア バ し ま か に 及 ば す 22 お 引 き 受 け す る こ と に な り ま し た 中 川 喜 久 治 で す 。 誌 面 こ の 度 の 理 事 会 に お い て 選 任 さ れ 、 茗 溪 学 園 理 事 長 を ベ ル が 高 く 、 県 代 表 が 全 国 優 勝 す る な ど 全 国 レ ベ ル で も 畿 す 大 。 今 会 高 年 校 も 月 部 、 末 で 部 ∼ は 活 ︶ 、 剣 動 出 道 の 場 部 活 を が 躍 決 女 の め 子 報 ま 個 告 し 人 が た 戦 続 。 で 々 イ と 城 ン 寄 県 タ せ は ー ら 剣 ハ れ 道 イ て の ︵ い レ 近 ま 淳 一 が 就 任 い た し ま し た 。 中川 喜久治 61歳 (なかがわ きくじ) 中川ヒューム管工業㈱ 代表取締役社長 平成16∼22年 茗溪学園父母会会長 平成25年から 茗溪学園理事・評議員 田代 た 柴 田 淳 の 定 年 退 職 に 伴 い 、 こ の 月 よ り 新 校 長 に 田 代 淳一 就 任 い た し ま し た 。 ま た 、 年 間 に わ た っ て 校 長 を 務 め イ ン タ ー ハ イ ・ 全 国 大 会 出 場 た 西 野 虎 之 介 氏 が 退 任 さ れ 、 新 理 事 長 に 中 川 喜 久 治 氏 が 19 年 12 月 よ り 年 か 月 に わ た り 理 事 長 を 務 め て こ ら れ 55歳 (たしろ じゅんいち) 昭和59年 筑波大学大学院修士課程 教育研究科修了 昭和63年から 茗溪学園教諭 平成23年 教頭 平成26年 副校長 専門科目は理科(化学) 茗 溪 学 園 だ よ り 今 年 度 、 学 校 法 人 茗 溪 学 園 の 役 員 改 選 に 当 た り 、 平 成 理 事 長 校 長 が 交 代 し ま し た 存 じ ま す 。 ど う ぞ よ ろ し く お 願 い 申 し 上 げ ま す 。 す 。 茗 渓 会 の 皆 様 方 か ら の ご 指 導 、 ご 鞭 撻 も 賜 り た い と 今 回 ご 連 絡 い た だ い た の は 19 府 県 で し た 。 支 部 ︶ に お 知 ら せ 下 さ る よ う に お 願 い し て お り ま す が 、 東 京 都 以 外 の 瑞 宝 小 綬 章 は 、 毎 回 、 地 域 組 織 ︵ 以 前 の 瑞 戸 宝 叶 双 光 義 章 能 瑞 山 山 溝 古 藤 佐 大 上 稲 宝 科 内 口 口 田 藤 辻 田 葉 小 綬 洋 碩 紀 英 秀 有 節 章 博 行 矩 夫 征 信 昇 宏 生 31 教 大 林 41 教 大 東 史 神 奈 川 42 教 大 仏 文 39 教 大 数 38 教 大 経 済 41 教 大 日 史 38 教 大 体 42 教 大 総 農 42 教 大 法 政 42 教 大 化 堀 武 関 佐 作 野 田 岡 藤 野 三 康 泰 史 郎 宏 雄 正 朗 35 教 大 専 攻 山 神 栃 神 千 神 千 奈 奈 奈 形 城 川 木 川 葉 川 葉 城 桐の葉のつどい 33 教 大 体 35 院 修 植 34 教 大 専 攻 38 院 博 植 長 新 瑞 小 小 垣 奥 大 伊 阿 宝 林 林 田 谷 久 藤 部 中 保 綬 芳 重 高 多 隆 重 章 郎 雄 夫 作 郎 敬 喜 平 33 27 37 42 34 教 大 教 院 教 大 心 大 博 大 体 専 心 心 攻 36 院 修 教 心 埼 三 崎 潟 城 玉 重 33 27 34 41 35 教 大 教 院 教 大 教 大 修 大 心 工 中 教 芸 古 35 40 院 院 修 修 実 教 心 16 高 師 体 三 大 東 東 神 福 千 山 奈 阪 京 京 川 島 葉 形 お 成 め で 二 と 十 う 七 ご 年 ざ 春 い の ま 叙 す 勲 敬 称 略 ︶ 同期入学、または同行のみなさんの集まりを紹介したものです。 東京教育大学教育学部教育学科(昭和30年卒) 卒業60周年記念クラス会 と き 平成27年 月15日(水) ところ 東京ガーデンパレス 昭和30(1955)年、東教大教育学部教育学科卒業の面々です。 茗渓 の水 を濁さないよう頑張っています。 古希を祝う会 東京教育大学特殊教育学科 (昭和39年度入学) と き 平成27年 月19日(日) ところ 渋谷エクセルホテル東急 日本料理 旬彩 古希を記念し卒業後 回目のクラス会を開催。福岡、長崎、愛知、 金沢からも駈けつけてくれ、半数近い10名の出席となった。はじめに 病に倒れた友を偲んで黙祷。続いて各人から近況報告が語られ、また 思い出話に花が咲いて半世紀前にタイムスリップしていった。当時 は高度経済成長の波の真っ只中にあり、母校は筑波移転問題に大き く揺れていた時代であった。喫茶店での 次会も瞬く間に過ぎ、次回 は 喜寿 の年に集まることを誓い合って、あの頃の笑顔での散会と なった。 文:奥井 三四会(東京教育大学 理学部 数学科 昭和34年卒) と き 平成27年 月22日(金) ところ なだ万賓館(小田急百貨店新宿店14F) 卒業してから48回目の三四会が、福岡、新潟、松本からを含めて14 人の出席を得て開催されました。先ず、昨年物故された会員の逝去に 対して、 分間の黙祷を捧げ、故人の冥福を祈りました。乾杯の後、 和食に舌鼓を打ちながら、今後の三四会の存続について討論しました。 来年は会員の多くが傘寿を迎えることもあり、開催することに決し ました。同時に、期日は 月24日(火)とし、会場は幹事一任となりま した。次に、各自より近況報告があり、会の終わりには、恒例の松本 から出席した柳原君が地元の子供たちに行っている 速算術 と 手 品 の披露があり、しばらく振りに 脳トレ に励みました。 (文・写真 龍井昇治) 山紫会(昭和34年 東京教育大学文学部東洋史学入学者の会) と き 平成27年 月11日(木)∼13日(土) ところ 富山県 五箇山荘 石川県 輪島の民宿 恩師故中嶋敏先生が山がお好きで、よくご一緒したので、会の名前 は昭和34年入学にかけて 山紫会 と名付けました。還暦後は毎年、 出身地の持ち回りでクラス会を開いています。今年は北陸新幹線が 開通したこともあり、富山の長谷川さんが計画してくださり 名が 参加しました。車 台で井波の町を訪れ、木彫の資料館や井波別院(瑞 泉寺)を見学、五箇山荘に泊まりました。翌日は世界遺産の五箇山の 合掌造りを見学後、輪島まで足を延ばし、三日目は輪島の朝市やキリ コ会館等を見学しました。 写真:柴崎正行 文:髙原 將 追 悼 録 逝去会員氏名・卒年科・逝去年月日・ 遺族住所・氏名 (敬称略) 26理三 27・1・23 〒859-1413 正年 筑波大学名誉教授 26・11・5 島原市有明町大三東丙549 妻 中村 弘子 〒310-0903 水戸市堀町2023-62 妻 青木 理子 野口 太彌 15理一 27・4・2 〒433-8108 浜松市北区根洗町289-1 アマノサンハート 長男 野口 洋一 中村昭太郎 27大数 27・5・18 〒997-0037 鶴岡市若葉町14-4 妻 中村 昭子 光畑 正夫 16文四 27・3・11 〒706-0013 玉野市奥玉1-22-8 榎本 啓子 小倉 正男 27文二 26・12・26 〒294-0045 館山市北条2265 妻 小倉 敏子 養女 平林 昌子 中村 長女 青木 行雄 鍬形建一郎 19文二 27・4・8 〒561-0862 豊中市西泉丘2-2462-19 妻 鍬形いつ子 北村 柳二 27農教 27・6・18 〒957-0053 新発田市中央町5-4-14 木野 嘉明 20文一 27・1・21 〒158-0081 世田谷区深沢1-37-3 妻 木野 美幸 秦 迪也 28大心 26・10・20 〒254-0024 平塚市馬入本町14-3 妻 秦 雅子 千葉市花見川区幕張町5-481-5-206 長女 今村 麻美 舛田 辰郎 28大化 27・4・28 〒193-0833 八王子市めじろ台3-15-10 妻 舛田 初恵 長女 荒井 祐子 貝塚 徹 28教大数 26・6・14 〒146-0095 大田区多摩川2-24-62-2-1401 妻 貝塚美智子 妻 加藤 和子 平山 光衛 28教大地 27・1・20 〒320-0056 宇都宮市戸祭4-9-26 妻 平山美登里 長男 萩島 淳一 杉村 暢二 28教大地 27・5・29 〒178-0065 練馬区西大泉1-36-39 妻 杉村もと子 明子 伴 弘毅 29教大動 27・3・22 〒324-0043 大田原市浅香5-3775-1 妻 伴 長男 高橋孝太郎 青柳 正吾 〒262-0032 20体二 27・5・8 飯島 利彦 20臨生 27・4・8 〒409-1305 甲州市勝沼町綿塚903 加藤 正治 20体専 26・11・6 〒010-0902 秋田市保戸野金砂町1-6 萩島 久 20農教 27・1・14 〒315-0017 石岡市若宮4-1-41 石田 行 22体 27・1・22 〒842-0003 神埼市神埼町本堀3183-7 長女 山崎 とく子 後藤 八郎 22体 25・9・11 〒999-3157 上山市御井戸丁6-20 妻 後藤 保子 高橋 博良 29教大農化 26・8・19 〒180-0023 武蔵野市境南町1-30-1 岡本 奎六 22大心 27・3・1 〒155-0031 世田谷区北沢4-3-18 妻 岡本 孝子 牧田 章 30特設教 26・2・3 〒504-0912 各務原市那加桜町1-1-1 妻 牧田恵美子 伊久間逸雄 22臨物象 27・3・27 〒174-0054 板橋区宮本町28-11 妻 伊久間正子 荒井 繁雄 31教大倫 26・7・31 〒333-0801 川口市東川口4-7-34 妻 荒井 育子 妻 沼田 奥山 晃弘 31教大数 27・3・25 〒651-1212 神戸市北区筑紫が丘8-17-5 妻 奥山 紀子 白波瀬芳美 岡田 隆行 32教大心 26・12・25 〒130-0021 墨田区緑25-8 妻 岡田 智江 戸本 文雄 23臨生 27・4・23 〒422-8063 静岡市駿河区馬渕3-18-20-A101 長男 戸本 喜文 越智 節 33教大農 27・5・15 〒465-0005 名古屋市名東区香流1-322 長男 越智 宏 鈴木 民郎 24文五 27・3・13 〒974-8241 いわき市山田町東作 妻 鈴木 澄子 竹之内 保 33教大健 27・3・28 〒257-0031 秦野市曽屋6024-6 妻 竹之内静子 妻 森河 ヨシ 惣山 益雄 34教大日史 26・9・5 〒950-2054 新潟市西区寺尾東2-7-15 妻 惣山みよ子 菅谷 親良 24理二 26・7・9 〒300-0812 土浦市下高津2-13-4 妻 菅谷 恭子 中山 真 34教大数 27・4・2 〒340-0017 草加市吉町2-3-58 妻 中山 弘子 杉山 登 24体 27・1・5 〒272-0821 市川市下貝塚2-1-11 長男 杉山 雅之 岩村 孟 35教大地 27・3・17 〒228-0024 座間市入谷2-135-74 妻 岩村 正子 渡辺登喜子 中村 稔 37教大英 26・1・12 〒411-0029 三島市光ヶ丘3-15 妻 中村 啓子 石井 潤子 西村 浩一 38農専攻 27・3・7 〒241-0801 横浜市旭区若葉台2-22-203 妹 志村 寿子 妻 山口フジ子 妻 竹島由美子 沼田 一夫 〒063-0003 23理三 27・1・29 札幌市西区山の手 条 丁目1-10 白波瀬勝忠 23体 26・10・9 〒620-0953 福知山市今安1337 森河 孝二 〒320-0061 24理一 三女 幸子 27・1・27 宇都宮市宝木町1-2587-36 渡辺 岩男 24体 26・3・27 〒166-0004 杉並区阿佐谷南1-25-23 石井 秀夫 25大国 27・3・9 〒152-0003 目黒区碑文谷5-6-7 太田 昭 26文四 25・8・7 〒350-1317 狭山市水野766-8 若杉 栄 26理二 27・3・7 〒960-8141 福島市渡利字中角11-5 妻 妻 長女 荒井 俊子 山口 和展 38教大英 27・4・16 〒859-0303 諫早市高天町2336 妻 若杉 和子 竹島 政信 39教大教 26・12・31 〒930-0916 富山市向新庄町1-6-23 24 京 秋 に 都 総 会 11 が / 開 21 か れ る 茗 予 体 定 会 の 組 11 織 / 15 は 次 の 東 と お 京 り で 11 す / 。 29 流 会 舘 の デ ザ イ ン も 担 当 さ れ た 。 ン で あ る 。 鵜 沢 教 授 は 、 茗 渓 会 筑 波 事 務 所 の あ る 総 合 交 山 浦 印 刷 株 式 会 社 東 京 都 文 京 区 関 口 一 三 九 一 〇 良 7 / 5 7 7 7 / / / 5 4 4 7 6 6 6 / / / / 4 28 27 27 高 野 古 江 古 藤 田 藤 西 川 愛 愛 福 新 重 岡 山 葉 知 7 / 26 7 7 7 / / / 5 5 5 江 田 川 柴 百 田 田 瀬 熊 倉 功 夫 印 刷 長 熊 静 富 千 静日 岡 文本 化の 芸食 術文 化 大 学 長講 師 さ れ た 先 端 研 究 組 織 に 相 応 し い 知 的 で 洗 練 さ れ た デ ザ イ 奈 媛 岡 潟 神 栃 群 奈 川 城 木 馬 三 万隆 教 授 。 ㎡ 。 医 学 、 心 理 、 教 育 、 体 育 、 芸 術 等 が 統 合 F A X 〇 二 九 八 五 〇 一 〇 四 五 年 月 に 竣 工 、 階 建 て 、 延 べ 床 約 T E L 〇 二 九 八 五 〇 一 〇 四 四 ㎞ 強 、 体 芸 地 区 の 南 端 に 位 置 す る 。 設 計 は 芸 術 系 の 鵜 沢 筑 波 大 学 ・ 大 学 会 館 内 ス 内 で 私 が 好 き な 建 物 の 一 つ で あ る 。 松 美 口 か ら 南 に 総 合 科 学 研 究 科 が 入 る 総 合 研 究 棟 D を 撮 っ た 。 キ ャ ン パ 筑 波 事 務 つ所 く ば 市 天 王 台 一 一 一 名彫 古 屋刻 市と 立共 大に 学 名 誉講 教師 授 山 本 眞 輔 つ地 い て元 造 船 業 勤 講務 師の 実 本態 宮と 学 弘び 氏に 研 究 者 の 織 り な す 風 景 こ そ が 大 学 ら し い 。 今 回 は 、 人 間 こ れ ま で 緑 の 風 景 を た び た び 紹 介 し て き た が 、 ダ イ ナ ミ ッ ク な 研 究 ・ 教 育 活 動 が 行 わ れ る 建 築 と 、 緑 、 学 生 や 郵U 便R 振L 替 記 号 番 号 〇 〇 一 五 〇 二 四 九 七 七 表 紙 の 言 葉 デ ザ イ ン 茗 渓 会 副 理 事 長 西 川 潔 F A X 〇 三 三 九 四 一 七 六 七 四 五 味 田 佐 宮 藤 尾 ︵ 組 織 委 員 長 川 田 孝 一 T E L 〇東 三京 都 三文 九京 四区 一大 〇塚 一一 三五 六 二 三 掲 載 致 し た い と 考 え て お り ま す の で 、 よ ろ し く ご 協 力 の 平 成 28 年 正 月 号 で 賀 詞 交 換 と い う 形 で に は ご 協 力 い た だ き ま し た こ と に お 礼 申 し 上 げ ま す 。 平 成 発 27 茗行年 渓 会一月 事 般 15 務社日 局団発 ・法行 大人 塚 事茗 務 所渓 会 6 / 27 6 6 / / 21 20 6 / 17 6 / 6 江 田 古 高 西江 藤 野 川田 たコ め のミ コュ ーニ チケ ンー 講グシ 師入ョ 門ン 大 力 川 ア 郁 ッ 子 プ 氏 の 筑 講波 師大 学 永の 田動 恭向 介に 筑つ 波い 大て 学 長仮 代題 ほ ど 、 お 願 い 致 し ま す 。 大 野 本 筑 波 大 が 少 な く 、 掲 載 を 延 期 い た し ま す 。 ご 応 募 い た だ い た 皆 様 今 回 も 掲 載 を 企 画 し て 、 お 願 い し て い ま し た が 、 ご 応 募 号 で 平 成 25 年 以 来 回 、 夏 号 で 回 掲 載 し て 参 り ま し た 。 本 誌 で は 交 流 広 告 と し て 、 皆 様 に ご 協 力 い た だ き 正 月 動第 長 報 野 告 16 県 回 世 高 界 校 剣 教 育 講道講の 師選師現 手 状 廣権藤と 野大井課 準会昭題 一の一 氏活氏 ぐ に ご 連 絡 下 さ い 。 25 会 員 情 報 把 握 の た め に 、 住 所 、 勤 務 先 の 変 江 田 事遣 大 講学 師の 現 玉状 川と 信キ 一ャ 筑ン 波パ 大ス 学ラ 副イ 学フ 長 まのた 講 演 会 の 予 定 誌 上ご 交 すお会本 流 。名員誌 茗 を意 渓 か向 前の 広 が皆 フ りに 告 漏様 ェ て従 れの 暑 ロ おい て 芳 号 ま 中 ー 礼 お名に をし 見 り録 申て 舞 まを茗 掲 し有 い し掲渓 載 上効 た載フ 漏 げに 掲 の致ェ れ ま活 載 でしロ の す用 延 、まー お 。さ おし せ 期 詫たに 詫 て の びがご び い お し、協 と た 知 て鈴力 追 だ ら 追木い 記 き せ 記祥た ま お 年更正願 会は確い 費すな の お 振 込 み は 、 早 め に お 願 い い た し ま す 。 阪 は 次 の と 実 お 施 り 日 で す 理派 。 組 織 名 致史だ し様い 回 の 予 定 で 連 載 い た し ま す 。 ご 期 待 下 さ い 。 次 号 よ り 現 在 11 校 あ る 、 筑 波 大 学 の 付 属 学 校 に つ い て 、 に 若 い 教 育 学 研 究 者 へ の メ ッ セ ー ジ を い た だ き ま し た 。 い た だ き ま し た 。 す 。 教 育 制 度 学 の 課 題 な ど に つ い て お 話 を い た だ き 、 最 後 た 先 人 た ち 、 わ が 国 の 教 育 制 度 学 の 歩 み 、 こ れ か ら の 学 時 代 の 生 活 や 研 究 テ ー マ 、 研 究 者 と し て 影 響 を 受 け 授 が 甲 府 に お 訪 ね し て 、 先 生 の 生 い た ち 、 東 京 教 育 大 地 理 32 ︶ の 奥 様 平 山 美 登 里 様 か ら 、 万 円 の ご 寄 付 を 梨 県 立 大 学 の 理 事 長 ・ 学 長 に な ら れ た 先 生 を 、 藤 田 教 月 か ら 月 に か け て 地 域 組 織 の 総 会 が 開 か れ る 組 織 平 成 27 年 月 27 日 に 故 平 山 光 衛 氏 ︵ 教 大 地 理 28 院 修 広 報 月の昭 一 25 会 和 般 日 員 18 社 に 理年 団 に 万二東 法 二 京 人 千会 ︵高 円代等 茗 の表師 渓 ご高範 会 寄橋 に 付浩理 ご を一科 寄 い︶二 た様部 付 だかに きら入 ま、学 し平さ た成れ 。 27 た 年本 会 育 特 集 の Ⅱ 第 は 回 ︵ 最 終 回 ︶ で す 。 筑 波 大 学 副 学 長 か ら 山 地 域 組 織 総 会 の 開 催 に つ い て 教 育 学 者 清 水 一 彦 さ ん と 考 え る 日 本 の 教 本 会 の 活 動 の 様 子 を ご 承 知 下 さ い 。 特 集 Ⅰ は 第 回 定 時 総 会 に つ い て で す 。 編 集 後 記 茗渓会担当:上席執行役員秘書室長 岡本 俊一 合資会社 浦里酒造店 つくば市吉沼982 TEL 029-865-0032 FAX 029-865-1857 〒305-8577 つくば市天王台1-1-1 http://www.press.tsukuba.ac.jp/ 筑 波 大 学 出 版 会 筑波大学の知の発信 最新刊 ご注文は最寄りの書店または丸善出版へ 好評発売中⽑ ⽝利益相反とは何か どうすれば科学研究に対する信頼を取り戻せるのか 新谷 ⽞ ⽝森林学への招待[増補改訂版]⽞ 中村 由紀子 著 2010年に刊行した初版に⚒章分を追 加、全体を見直し⚑章分を差し替え、 さらに口絵も増した増補改訂版。世界 でも有数の森林国である日本は、森林 が人々の生活に密着しています。森林 学の専門家だけでなく、幅広い読者に お薦めしたい一冊です。 本書では、すべての研究開発の現場で起こり うる⽛利益相反問題⽜を、適切にマネジメント することの重要性について具体例を示しながら 解説する。あらゆる研究に携わっている研究者 や企業人のみならず、これから社会に出て行く 学生にも広く読んでもらいたい一冊です。 阿部兄弟建築事務所 http://abeoffice.co.jp ㈱東京科学光芸社 アセントツアー 茗渓会館写真スタジオ スキューバダイビングの アセントツアー 東京都知事登録旅行業3-3443号 東京都港区赤坂6-13-19-502 取締役社長 川上 雄筰 03-3560-3381 昭和45年 農芸化学卒 http://ascent.co.jp/ [email protected] 〒112-0012 東京都文京区大塚1-5-23 茗渓会館⚓階 TEL 03-3945-9390 FAX 03-3945-9392 聖 徳 大 学 文学部 経営・労務・年金etc. コンサルタント 福岡経営労務事務所 〒101-0032 東京都千代田区岩本町1-3-9 高木ビル 代表取締役 荒井 TEL 03-3866-4181 豊人 昭和57 筑基工 FAX 03-3866-4120 福岡 一雄(32教大法政) 行政書士 髙谷真一事務所 営業部長 力(昭48教大木工) スポーツカンパニージャパン 代表取締役 〒102-0072 東京都千代田区飯田橋 2-3-1 東京フジビル502号室 藤田 文武(筑波大体育 2004卒) [email protected] 〒105-8507 東京都港区芝⚒丁目32番⚑号 電話 03(3456)1578 執行役員 つくばでの宿泊・研修に ご家族で、お仲間で 最大収容180名、お一人3,700円から 茗渓会員とご家族に割引あり 研修セミナー ・ サークル発表会・各種会議 ・ 学習合宿 ・ 部活動合宿に シングル145室ツイン⚕室和室⚕室/研修室⚒室(120・40名) 和室も研修室として利用可(20畳、10畳) 館内食堂《こうせい》でパーティ・懇親会等(数名から80名まで) アクセス 秋葉原駅からつくばエクスプレスで45分⽛つくば駅⽜下車 ●バス/ ⽛筑波大学循環⽜⚓つ目⽛筑波メディカルセンター前⽜下車 徒歩⚘分●つくば駅からタクシー/⚕分 一般財団法人筑波学都資金財団 筑波研修センター 〒308-0008 茨城県つくば市天久保 1-13-5 TEL 029-851-5152 / FAX 029-851-8886 http://www.meikei.or.jp/˜center 昭48教修英 平⚓筑博文言 〒590-0412 大阪府泉南郡熊取町紺屋2-21-17 TEL 072-452-0030 http://tachiryugym.com 髙谷 真一(平20筑修ビジ) 高野 藤原 保明 学部長 株式 会社 〒300-0826 土浦市小松ヶ丘町3番15号 TEL&FAX 029-821-8177 〒273-0115 千葉県鎌ケ谷市東道野辺3-1-7 電話 047(443)7908 FAX 047(443)7940 E-mail : akifuji @ seitoku. ac. jp スポーツ選手、文化人のマネジメント&キャスティング トレーニングジム、鍼灸整骨院、デイサービスの運営 相続・法人設立・ビザ etc... 代 表 〒271-8555 千葉県松戸市岩瀬55 電話 047-365-1111(代表) 〒125-0042 葛飾区金町3-27-3 TEL 03(3607)0551 FAX 03(3607)0551 所 長 社会保険労務士 徹 編著 A5判・並製2,200円+税 ISBN 978-4-904074-36-7 A5判・並製2,700円+税 ISBN 978-4D904074-35-0 株式会社 TEL 03(3512)3256 e-mail : center@meikei.or.jp ೂ岡 祥之(昭57筑社工) 芸術文化学群 理事長・学園長 佐藤 東洋士 東京ビジネスホテル 茗渓会東京宿泊所 茗渓会会員割引料金(税サ込) シングルB(バス・トイレ共同) ¥ 6,500→平日¥ 4,800 休前日¥ 5,800 シングルA(バス・トイレ付) ¥ 8,200→平日¥ 6,200 休前日¥ 7,200 ツイン (バス・トイレ付) ¥13,800→平日¥ 9,800 休前日¥12,800 朝食バイキング ¥ 1,050→¥ 760 大浴場時間 : 6:30∼9:00 17:00∼01:00 東京都新宿区新宿6-3-2 TEL 03 (3356) 4605 FAX 03 (3356) 4606 地下鉄丸ノ内線 新宿御苑前駅 1番出口 ⎫ ⎪ 都営新宿線 新宿三丁目駅 C7出口 ⎬ より徒歩7分 ⎪ 地下鉄副都心線 新宿三丁目駅 E2出口 ⎭ JR新宿駅より車5分 平成27年度公開行事 9月 5日 (土) 高校受験生見学会 10月24日 (土) 学園入試説明会 10月27日 (火) ∼11月 1日 (日) 茗溪学園美術展 会場:茨城県つくば美術館
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